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北原みのり氏の『毒婦。』により「木嶋佳苗」に、惹き付けられてしまったので、佐野眞一氏の「木嶋佳苗」も読まなくてはと思っていたのですが、この2冊は、やはり両方読んでおいて正解だと思いました。

(以下、太字は本書から。省略して引用しています)

第一部「別海から来た女」で、著者は、佳苗が高校時代まで住んでいた北海道「別海(べっかい)」に注目する。

東京23区の2倍の面積をもちながら、人口は1万6千人しかいない大酪農地帯で、司法書士の父をもち、クラスで唯一ピアノが弾ける佳苗は、町のエリートだった。その佳苗と彼女の母親にピアノを教え、家族ぐるみでつきあっていた医者夫婦の妻から、佳苗は、小学生時代に、貯金通帳を盗むという事件を起こしていた。

衝撃的な証言だった。家の中の小銭をくすねるくらいなら、幼さゆえの出来心で済まされる。だが貯金通帳となると、話は別である。木嶋はたぶん生得的なサイコパス(反社会的人格障害)である。木嶋の幼少期は、特別に貧しい環境にあったとも、ネグレクトや性的虐待といった激しい精神的ダメージを受けたとも思えない。

たしかに、この記述からは、生得的な「異常」という判断もやむ終えないと思う。お金や、物ではなく、小学生が「貯金通帳」に興味をもつことも、佳苗のような早熟な子供が、それを実際に換金することの困難に気づかないというのも、不思議を通り越して「不気味」すら感じた。

ただ、著者は、佳苗の母親の実家に取材し、そのインターフォン越しの声から

あくまで声の印象だけだが、憔悴している様子はなかった。むしろ声の調子は明るく、それが却って奇異だった。

という、凡庸なジャーナリストやマスコミと同様な「印象取材」や、その後も、著者は、事件に関する町の噂を聞くため、別海の飲み屋に取材し、

「木嶋佳苗のお父さんは五年ほど前に交通事故で亡くなったんだけど、交通事故に見せかけて娘の木嶋佳苗が殺したっていうのがもっぱらの噂なの。」

という証言を得るものの、その事件の取材も浅く終了してしまって、その噂が、当時の事件直後のものなのかもはっきりしない。

その他、本書には、木嶋佳苗の意味を探ろうとしているものの、全体的に薄味なものになってしまっていると感じる点が多かった。それは、この事件がインターネットの普及によって起きただけでなく、凶悪犯罪がTV報道だけで過熱していた頃とは異なり、「稀代の毒婦」から「木嶋佳苗被告は声がかわいい」「案外イケてる」 までのイメージの変遷が、取材のスピードよりも早く、

著者は、そのイメージに再度「疑惑」を呈したものの、新たに話題になった「木嶋佳苗像」を「サイコパス」と定義したのでは、著者も語っているように、

私たちはこの事件からなぜ目を離せないのか。
それはおそらく、この事件に関心をもつすべての人が、木嶋佳苗にだまされた人に、
いくらか似ている自分に無意識のうちに気がついているからである。


の答えは出ない。佐野氏は、

佳苗のシティギャルへの憧れも、その行動様式も“シティギャル”には、絶対真似できないふるまいだったことを、木嶋本人は気づいていない。

とも書いていますが、佐野氏が、うっかり露呈してしまった“シティギャル”への評価の高さに、佳苗のどこかに「いくらか似ている自分」を発見してしまう女子の多くは「苦笑」したことでしょう。

また著書は、別海での取材から2年3ヶ月後の死刑判決の直後に公表された、木嶋佳苗の手記に対して、

この手記を読んだ者の中には「勾留生活も、本があれば無聊に苦しむことはありません」といった文言や、立花隆や小倉千加子などの著者の読書遍歴をあげて「相当の教養の持ち主」と驚いた人もいたようだが、私から言わせれば、こういう連中は人間を深く洞察する観察眼が欠けている。

これだけ書き連ねながら、読む者に何の感動も与えない文章を書けることの方が、むしろ驚きだった。すべてどこかで聞いたことのある文章の切り貼り、パソコン用語でいえばコピペである。いくら読んでも、木嶋が何のためにこの手記を書いたかわからない。


と語る。私にも、佳苗の文章が、なんのために書かれているのかはわからないし、佳苗には死刑から免れたいという気持ちがないとは思えないものの、しかし、殺害しなかった被害者の証言にあるように、彼女は、睡眠剤を飲ませ、財布からお金を抜き取った相手から、逃走もせずに再度会い、また、その相手にまったく同じように睡眠剤を飲ませるなど、犯行の発覚を恐れるどころか、むしろ、犯行の意志を伝えようとしているとしか思えないような行動をとっていたり、

そもそも、彼女の事件は、お金目当てで近づいた男から離れるのに「保険金をかけずに」殺害しているという不可解さにあり、それは、彼女が、少女時代から窃盗に抵抗がなく、どれほどの嘘つきであったとしても、まったく解明できない「謎」で、

私には、そういった佳苗の不可思議さを知るうえで、彼女の手記はとても興味深く、また、その言葉遣いや、その読書遍歴にある著者の名前から、教養を感じたからでなく、本書のような「どこかで聞いたことのある文章」や結論とは違った「オリジナリティ」に、今のアラサーより若い女性に共通する男への「絶望」を感じ、文学的に興味をもったのだと思う。

木嶋佳苗にのめり込んだ、北原氏と違い、佐野氏は、彼女に騙された男たちを不甲斐ないと思う気持ちからか、佳苗を突き放そうとすることに徹していて、それは、彼女に「いくらか似ている自分」を感じてしまう、私には良い読書経験でした。

◎[Amazon]別海から来た女―木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判

でも、彼女の手記を高く評価することが「人間を深く洞察する観察眼が欠けている」との主張には、まったく同意できないので、

下記に、佐野氏が「コピペ」と評価した、佳苗の手記を再度「リンク」しておきます。

◎[死刑判決・木嶋佳苗被告の手記を読む]朝日新聞 読後雑記帳

◎参考書評「極東ブログ」



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by yomodalite | 2012-10-09 13:12 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(3)

毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記

北原 みのり/朝日新聞出版



毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記 (講談社文庫)

北原 みのり/講談社

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ネットで知り合った男性たちから、1億円以上のお金を受け取り、周囲は不審死が絶えなかったという、彼女が実際に殺害したとすれば、前代未聞の女性犯罪者である、木嶋佳苗の裁判傍聴記。

週刊朝日が、この裁判の傍聴記に白羽の矢を立てたのは、コラムニストで、女性のセックストイショップ「ラブピースクラブ」の代表、北原みのり氏。私は、事件を扱った書籍は結構読んでいるのですが、本書は、

容疑者の罪の妥当性や、容疑者の生い立ち、パーソナリティー、事件に至るまでの歴史や、事件の社会性などを探りながら、取材を重ねていくジャーナリストや、

事件の冤罪疑惑や、メディア報道とは、まったく別の容疑者の顔を垣間みることが多い、弁護士による著作ともまったく違った印象でした。

裁判傍聴記がメインになっていて、木嶋佳苗の犯行に関して、新たな事実が盛り込まれているわけではないのですが、読者が読んで面白いと感じるのは、やはり、著者の女性ならではの目線ですね。

女性ジャーナリストにも、女性弁護士にも、女性検事にも、女性特有の視線を感じることはありますが、著者は、彼女たちとは違って、犯罪に対してではなく、木嶋佳苗という女性そのものに注目しているところが新鮮で、本書の第一章は、次のような記述から始まります。(省略して、部分的に引用しています)

約2年4ヶ月の勾留を経た37歳の木嶋佳苗に、そういった陰は見えなかった。というより…… ナマ佳苗は、生き生きと、キレイだった。

決して美しいとはいえない佳苗の容姿はセンセーショナルに報道されてきた。腫れぼったい目、肉付きの良過ぎる体、全体的に不潔そう…そんなイメージを持った人は多いはずだ。が、実際に数メートルの距離で見るナマ佳苗から、だらしなさや、不潔さや、醜さは、全く感じなかった。

シミ一つない完璧な白、絹のような美肌だ。なにより意外だったのは、佳苗の小ささである。155センチあるかないか、特別に太った女というほどでもない。そして、なんといっても、声だ。それはあまりにも優しく上品だった。

実際、ナマ佳苗を見、声を聞いた男性記者たちが休廷中に「思ったほどブスじゃない」「声、可愛くないか?」「十分イケル」「見ているうちに、どんどん可愛くなってきた」とひそひそ話しているのを耳にした。

ボールペンは100円のノック式のものだが、ノックの仕方が、なんていうか、優雅なのだ。ひとつひとつの所作がきれいだ。

(引用終了)

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木嶋佳苗のブログ(表紙はこの写真からデザインされているようですね)



たぶん、著者は「決して美しいとはいえない」佳苗が魅力的に見えたのは、なぜだろうという視点で、佳苗の一挙手一投足を見ているので、彼女の魅力をより発見してしまうという点もあるのだとは思います。

でも、彼女は、婚活サイトで出会った「冴えない男性」を惑わせただけでなく、お金目当てでなく付き合った男性の中には、取材で訪れた女性記者に「ジャージ姿なのに、とてもセクシー」と思われるような男性もいたり、しかも、そのセクシーな男性は、強気なモテ男だったにも関わらず、やはり、佳苗に振り回されている。

本書を読んで、木嶋佳苗にどこかシンパシーを感じてしまうという女性は意外と多いと思う。彼女に同情したくなる点は、まったく見られないにも関わらず、なぜかそう感じてしまうのは不思議ではあるのだけど、

おそらく、その理由は、本書に彼女の犯行についてのページが少なく、また、女性にとっては、この事件の被害者たちに同情できる部分がないからでしょう。

彼女は、自分の魅力を最大限に生かし、男から金を貢がせるために、頭脳も神経も総動員し、大変なエネルギーを使っている。一方、彼女に貢がされた男性はと言えば、、、たぶん、彼らは自分をバカだとは思っておらず、自らが選ばれるという視点もない彼らは、なぜか、女性を見る目があると思っている。

彼らが女性にできることと言えば「お金」しかない。

と、決して少なくはない数の女性は思うだろう。

しかし、クリエイティブな嘘をつくことができる、佳苗の犯罪には、殺害という、どう考えてもリスクが大きく、彼女の「頭の良さ」とは正反対の「闇」があって、たぶん、そこが、女性が木嶋佳苗に興味をもってしまう点ではないでしょうか。

木嶋佳苗に対し、かなり好意的に書かれている著者の連載を読んだ、佳苗はこれを嫌ったという。そして、著者はそこから「私のことは、私が書きますから」というメッセージを受け取ったようです。

確かに、かなりの文学好きを感じさせる、佳苗自身による手記は、確実に読んでみたいと思わされました。(死刑判決後の手記全文は下記にリンクしました)この事件が華やかに報道されていた時期はほとんど興味がなかったのだけど、本書を読むと、佐野真一氏の男性目線で書かれた『別海から来た女』も読みたくなってきました。

◎[Amazon]毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記

☆参考サイト
◎毒婦について(北原みのりコラム)
◎憧れは「松田聖子」な木嶋佳苗、ブスでデブなのにモテるワケ
◎参考書評「極東ブログ」
◎死刑判決・木嶋佳苗被告の手記


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by yomodalite | 2012-07-18 08:51 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

さよなら、サイレント・ネイビー―地下鉄に乗った同級生

伊東 乾/集英社



さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生 (集英社文庫)

伊東 乾/集英社



ダーリンが図書館から借りてきていた本書の表紙を見て、ヨットで冒険したひとの話かと思い、何気にページを開いてみて驚きました。

まったく想像していなかったのですが、これはオウム事件に関する本でした。

サブタイトルにある「地下鉄に乗った同級生」というのは、地下鉄サリン事件の実行犯である豊田亨。

著者は、死刑判決を受けた豊田亨と、東大時代、同じ研究室にいて、作曲家・指揮者としても活躍し『題名のない音楽会』の司会をしていたことでも知られている、伊東乾氏(現在・東大准教授)

◎豊田亨(Wikipedia)

おそらく、このブログに記録した2倍以上、オウムに関する本は読んでいると思いますが、本書は『A3』と同様、大変重要な本だと思いました。

2冊とも著者の全力で書かれた印象で、『A3』は主に90年代からの日本を振り返るドキュメンタリだったのに対し、本書は、著者の生い立ちから、第二次大戦なども踏まえた日本社会への言及から、執筆時の2005年までを振り返り、著者の全人生をかけて、親友だった豊田亨と、彼が巻き込まれた「オウム」とはなんだったのかを問う内容になっています。

想像ですが、豊田亨に死刑が確定されたのは2009年のことなので、著者は上告が棄却される前に、友人の本当の姿を知ってもらいたいという一心で書かれたのではないでしょうか。(←この表現に対し、著者よりコメントをいただきました)死刑が求刑されるような被告の主張など聴きたいと思う人は少ないかもしれませんが、日本の裁判は始まった時点で、有罪が確定しているといっていいほど「無罪率」が低く、報道は検察の主張のみを報道しています。

被告の報道での印象と、著書で描かれる人物像とがかけ離れていることは、事件を扱った本を読むとき、毎回思う感想ですが、豊田亨のことを描いてくれたことを、著者に感謝したいと思いました。

オウム真理教が引き起こした事件の中でも、教団とまったく関係のない被害者を多数生んだ地下鉄サリン事件が起きたのは1995年。この教団が関わる事件には多くの謎があり、そういった事件の場合、10年以上立たないと「真相」は見えて来ないものですが、本書は2006年に出版され、その年の開高健ノンフィクション賞を受賞した佳作。

アマゾンの内容紹介には、刊行前から各メディア取材殺到とありますが、著者によれば、受賞するまで出版のあてもなかったとのこと。同年に出版された出版界で常に評判の高い藤原新也氏の『黄泉の犬』に対しても、同様の話がありましたし、予定通りの裁判に影響を与えるような出版は、常に歓迎されていないのでしょう。

以下は、本書から(村上春樹の『アンダーグランド』に書かれた部分に対して)

俺は、村上春樹は嫌いじゃない。むしろ好きだと言ってもいい。村上春樹は〈加害者=オウム関係者〉のプロフィールが、ひとりひとりマスコミが取材して、ある種の魅惑的な物語として世間に語られているのに、もう一方の〈被害者=一般市民〉のプロフィールの扱いが、まるでとってつけたみたいだったから、この『アンダーグラウンド』の仕事をしたって言うんだ。とても価値があると思う。ただ、この豊田の部分みたいなのは、基本的な事実も間違っているし、あまりに類型化されてて、正直ひどいと思った(p144)


エリート研究室って何? 世の中に、うちは〈エリート研究室〉ですっていう研究室があんの? 最低のレッテル貼りと思考停止だと思った。豊田が選考したのは素粒子理論、理学系基礎研究の最高頂点みたいなものだったけど、村上春樹はなんて書いてる〈応用物理学を専攻し、優秀な成績〉は、およそ判で押したような類型で、普段の村上のいいとこと正反対と思った(p145)

地下鉄サリン事件の法廷を見に行った村上春樹は〈自分たちが人生のある時点で、現世を捨ててオウム真理教に精神的な理想郷を求めたという行為そのものについては、実質的に反省も後悔もしていないように見受けられる〉って言うんだ。そこで信者が完全にしらふだったって仮定に立ってものを言っているけど、実際には薬盛られたり、いろんなマインドコントロールや洗脳のテクニックで、蟻地獄に落とされていくんだ。特に高学歴の連中は、狙い撃ちにされて落とされていった、この段階からすでに被害者なんだけど、そういうことがいっさい表に出てこない(p146)

村上春樹は、社会の〈どうしてこのような高い教育を受けたエリートたちが、わけのわからない危険な新興宗教なんかに?〉という質問に〈あの人たちは「エリートにもかかわらず」という文脈においてではなく、逆にエリートだからこそ、すっとあっちに行っちゃったんじゃないか〉って書いてある。これは半分当たっているだけに、最悪の間違いだと思う(p147)

(引用終了。本書のすべてではありませんが、この部分は「相棒」と呼ばれる女子大生を「ワトソン役」にして、会話するという構成になっています)


著者は、なぜ高学歴のエリート達がオウムに? という疑問に、何も調べることなく、類型的な「エリート像」で語ってきた社会に対し、実際に「豊田亨」という男がどんな人間だったかが、心情深く伝わるように、立体的なエピソードで語っています。

サイレント・ネイビーという言葉を、私はこの本を読むまで知らなかったのですが、「黙って任務を遂行し、失敗しても言い訳をせず、黙って責任をとれ」という、海軍の美意識を表現する言葉。

戦後、海軍の美談ばかりに慣れているひとには、本書の第二次大戦以降の日本社会への言及も唐突に感じられるのかもしれませんが、著者は、その言葉を、友人の豊田亨の姿勢と、沈黙に美学を見いだす日本全体の両方に向けて発している。

オウム事件とは何だったのか?という問いも、二度ととこのような事件をおこさない、とか、凶悪事件後、常に聞かれる言葉ですが、直後はもちろん、10年余に渡って考えられたような著作に対し、世間が反応することは極僅かです。

せめて、本ぐらいは読みたいという方へ。

☆上野千鶴子「さよなら、サイレント・ネイビー」とノンフィクションの魅力」
☆有田芳生の『酔醒漫録』
☆第四回開高健ノンフィクション受賞(選評・受賞の言葉・試し読み)

◎参考書評「無回転レシーブ」
◎参考書評「風のたより」

☆さよなら、サイレント・ネイビー〈集英社文庫〉(アマゾン)

◎参考記事
☆元オウム信者で、地下鉄サリン事件実行犯の広瀬健一氏が、
平成20年に大学生へ向けて書いた手紙(忠告)をまとめました。


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by yomodalite | 2012-04-05 16:45 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(2)

私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか ~地下鉄サリン事件から15年目の告白~

松本 聡香/徳間書店



1ヵ月ほど前、平田信オウム事件容疑者逮捕というニュースを見て、この本を読んでいなかったことを思い出しました。

著者は、有名な三女アーチャリーの妹で、松本智津夫の四女。松本家は4人の女の子の後に長男、次男の2人の男の子が生まれている。聡香はペンネームで、父が逮捕されたとき、彼女は5歳。16歳で家出し、2010年に本書が出版されたときは、彼女は21歳でした。本当に痛ましい本だと思う。

死刑囚をもった家族は、ほとんどが一家離散の運命を辿るものだけど、彼女は教団とは別の道を歩もうとしては、家族に連れ戻され、教団では、教祖逮捕後の教団の運営をめぐって、幹部たちにも様々な考えがあり、姉、母、父の愛人たちという「女の争い」もある。

幼い頃から「教祖の娘」として接してきた信者たちは、殺人者として服役し、彼女は少女時代から、度々、彼らの面接にも行っているが、身近に接し、優しかった彼らが「殺人」という罪を冒してしまったのは、自分の父親によるものだという「罪」の意識からも逃れられない。

教祖の娘として甘やかされて育ったのではと思う人も多いと思うけれど、生まれたときから「教祖」だった父親に、彼女は普通の父親としての態度で接したことはなく、それは、正悟師で教祖の妻だった母親へも同様で、

子供の頃から教団で育った子ども達も、他の信者たちと一緒の施設に住み、飲食を含め、ヘッドギアなどの修行も同様にやっていたと彼女は言い、両親が逮捕されたときのことは、こう記しています。

(引用開始)

父に続いて母も逮捕されると、私たち姉妹はタガが外れたように、伸び伸びと子どもらしい日々を過ごしました。父が禁止していたチョコレートを長女が買ってきてくれると、姉妹たちは歓声をあげて飛びつきました。上の弟の部屋がみんなの溜まり場になり、毎日がパーティーのように、みんなではしゃぎました。

厳しい規則で縛られていたことからの解放感もあったのでしょうが、みんなで騒いでいないと両親がいなくなった悲しみには耐えられなかったのかもしれません。


(引用終了)


メディアは、元信者が教団の呪縛から逃れられず、カルトの洗脳が解けていないなどと騒がしく責め立てるけど、信者であることを隠しても、正直に話しても、元信者への差別は激しく、家を借りることさえ困難で、

松本家の子供達は、未成年にも関わらず、教団の責任を負わされ、学校への入学許可さえ降りなかったうえに、ようやく入った学校でも、想像どおりの「いじめ」を受け.....

皮肉にも、彼女の苦しみを救うことが出来るのは「宗教」以外にはないようにも思えてくる。でも、彼女は、それに出会う前に「信仰」の苦難ばかりを知りすぎている。

本書には、教祖である父親や家族に対して、興味深い記述が多くあります。正直、それらは、彼女の年齢を考えると、当時の記憶というよりも、後から学習したというか、記憶の修正が行われているように思える部分も多々あるのだけど、それでも、彼女自身の冷静な客観力からは、知性が感じられるだけでなく、彼女の周囲にも知的な人間が大勢いたことが感じられます。

重い精神病にかかってしまった長女への親近感や、自分より年下の長男、次男へは温かい眼差しを向ける著者は、信者たちからの献金で暮らす、次女、三女、母にも、彼女たちと袂を分けた上祐派にも、批判的で、その理由としては「被害者への償い」を第一に考えていないことをあげている。

ただし、一方、自分の行動を記述した部分では、どの場所にも安住出来ず、それは、堪え性がないとも言いたくなるほど、短い期間に居場所を点々としていて、自分を助けようとしている人に対しても、結局、彼女は誰も信じきれず、疑い、離れていってしまう。

自らの進路に迷うだけでいい普通の思春期の少女にとっても、悩みの多い時代に、彼女は、罪の償いをしながら、教団とは別の道を歩んでいくという高い「理想」に呪縛され、結局、どの道も歩んでいけず、自傷行為をくり返した後に、本書は書かれたようです。

その痛ましさと、記憶への疑問はありますが、本書で彼女が語っている中で、もっとも説得力があり、リアルな描写になっているのは、父親に面接したときのもの。

(引用開始)

9年ぶりの再会

次女と下の弟と3人で行った初めての面会の日。私だけが初めての面会だということで、次女と弟は私を父の正面の真ん中の席に座らせてくれました。私は初めての面会という緊張や長い間離れていた父に9年ぶりに会えたという思いで胸がいっぱいになり、言葉がうまく出ませんでした。姉も弟も緊張している様子で話さなかったので、脈絡なく父が笑う声だけが時折面会室にこだまするだけでした。(中略)

その年の暮れに今度は三女と2人で面会に行きました。父はやたらと腕や脛をボリボリと掻いては、時折「シー」と歯の間から声を出す、と言った具合で落ち着きのない様子でした。姉は話をせず父の様子をひたすらノートに書いていました。そのノートは父が娘とすら会話が成立しない状態だということを裁判所に提出するためのものだったようです。

3度目の面会は翌05年8月のことです。この面会が姉弟たちと共に行く最後の面会となったのですが、衝撃的な光景を目の当たりにすることとなりました。父は相変わらず身体のあちこちをボリボリ掻いていて落ち着きがありません。「今日はミラレパの本を読もうと思っているんです」三女が父に言いました。この時、姉は父が尊敬していたミラレパという聖者のことを描いた『ミラレパの生涯』という本を父に読み聞かせようと考えていたようです。(中略)

その直後です。忙しなく動かしていた父の手が止まりました。一瞬、何が起きているのかわかりませんでしたが、私は父のそれをはっきりと見たのです。父はスウェットパンツの中から自分の性器を取出し、マスターベーションを始めたのです。(中略)父の真横に座っていた看守は、私たち3人の沈黙の中に漂っている空気を察知すると、父を見て即座に「やめなさい!」と叫びました。しかし、父はいったんは止めたものの、しばらくすると再び自慰行為を始めました。私の記憶では3回ぐらい繰り返していたと思います。(中略)

三女がやっと口火を切りました「これは恥ずかしいことだから、あまり公にしたくないよね」(中略)でも私は姉に「あそこまで恥ずかしい行為をしたのだから、ちゃんと公にした方がいいんじゃない?」と言いました。というのも、私はショックよりも、もっと大きな疑念を抱いていたからです。それは父の詐病説です。もし、父が精神障害などではなく詐病だったとしたら....

(引用終了)


この面会時の描写は、森達也氏の『A3』での他の娘たちの証言と同様で、『A3』では、詐病ではないと主張するもっとも大きな理由になっているものです。著者(四女)はこのとき14歳で、本書では、このあと四女が家を出る前にひとりで面会に行ったときの記述があります。

(引用開始)

詐病

私が教団の起こした事件の全貌を知ったのは15歳のときでした。それまで学校でいじめを受けたときもそうでしたが、なぜ父が死刑判決を受けるに至ったのか、何が原因だったのか、私には知らないことがあまりにも多かったのです。置かれている環境に常に違和感を抱いていながら、それが何かを私は探しあぐねていました。

家族、いえ教団の構造と過去の歴史と、関わった事件。それらを自分なりに検証することで、私は自分の中にある違和感や謎が少しずつ解けていくのでは....と、そんな期待をしていたのかもしれません。

初めて事件の内容を知ったのは、父の裁判の一審で弁護団長をされた渡辺 脩弁護士の著書『麻原を死刑にして、それで済むのか?』を読んでからでした。それからインターネットで検索して世論や、いろんな識者の意見を知るうちに、自分がどうして今のような状況に置かれているのかが少しずつ理解できたのです。

事件のことを知ると、私は家族の態度にも不信感を抱くようになりました。悲惨な事件を引き起こした者の身内なのに、事実上、教団から得たお金(信者からの献金)で何食わぬ顔で贅沢をして暮らしていることを、おかしいと思うようになったのです。(中略)

そうした心の変化は家族や信者たちの考え方とは対極のものでしたから、次第に日常の些細な出来事においても溝が生じていくのは当然です。しばらくすると周りの人たちとは修復できないほどの壁ができていました。(中略)

それからしばらくして、私は家を出ました。家出した時、私は、家族はもちろん、教団関係者とも訣別し、父とも、もう二度と会わないと決心しました。(中略)しかしその後、ジャーナリストの江川紹子さんに「1度は会って自分の気持ちを整理した方がいいのではないか」と勧められるなど、いくつかの偶然が重なり再び面会することになりました。(中略)

姉たちと面会に来ても、父に対してはあくまでも教祖と弟子として振る舞いましたし、家族という感覚ではありませんでした。でも、私は娘として父と向き合いたかったのです。その一方で、同じ父の子なのに、父の愛人の子どもたちは面会できないのに自分だけ会っていいのだろうか、という戸惑いもありました。(中略)

面会の許可がおりると長い通路を歩きながら、私は何度も深呼吸を繰り返しました。とても緊張していたのです。その日の父は、全身に気力がみなぎっていて、以前会った時と、だいぶ違って見えました。「さとかです。お久しぶりです」そう言ったあとで、本当に来てしまってよかったのだろうかという思いが頭をよぎりました。

目が見えなくても、父はそんな私の逡巡している気配を察したのでしょう。「何でも言ってごらん」というように、微かに首を振りました。「いきなり来てしまってごめんなさい。今日は他の人と面会の予定だったのですが、先に会った人がいたので....」父は身動きもせずに私の方を向いていました。「あの、大丈夫ですか?」具合が悪いのではないかと思い慌てて尋ねると、父はまた「うん、うん」と頷きました。たったそれだけの仕草でも、私にとっては昔、一緒に暮らしていた頃の懐かしい父が思い出されました。

「痩せましたね。この前来たのは一昨年の夏ですよね。私は太りすぎですけど」と言って私は笑ってしまいましたが、父は笑うことなく聞き入っていました。今考えると、目の見えない父には私の姿が見えないので笑いようがなかったのかもしれません。

「東京ではこの冬は暖かかったですが、お父さんの居るところはどうでしたか?」父は見えない目で私をじっと見ていました。「私は暖房をつけずに冬を越せたのでありがたかったです。あっ、東京ではって、ここも東京でしたね」

自分でも何をトンチンカンなことを言っているんだろうとおかしくなってしまいました。父も声を立てて笑いました。そして、その笑いに乗じて父が言ったのです「さとか.....」それは私にだけ聞こえるぐらいの小さくて懐かしい父の声でした。父は右手で自分の口を覆い隠すようにして、笑い声でごまかすように私の名前を呼んだのです。

看守は気づかなかったようですが、私には聞き取れました。いえ、おそらく口の動きを見えていなければ私も聞き逃してしまったかもしれません。もしかしたら、父は私の話をちゃんと聞いて理解しているのだろうか。ふと、そんな気がしました。(中略)

「そういえば昔、りんごを一個食べられたって自慢して、お父さんに、もっと食べられるようになるよって言われたことがありましたね。あの時は、そんなこと絶対ないと思っていましたが、お父さんの言った通りになりましたよ。女の子なのに、丸かじりが大好きですし」(中略)

瞑想にしか興味のない父が俗世の話題に耳を傾けるとも思えませんでしたが、あまり沈黙していると面会を切り上げられてしまうので、私は話を続けました。(中略)

必死で笑顔を作ろうとしましたが、そう思えば思うほど泣けてしまいました。とりとめのない話をしているうちに、30分の面会時間は終わりました。(中略)私はドアのところでもう一度振り返り、面会室を出て行く父の背中に向かって「大好き!」と叫び、そのまま駆け出しました。(中略)

このときの面会で、私は父が私をはっきりと認識していたことを確信しました。最初から父は詐病ではないかと疑っていましたが、それが確信に至ったのはこの時の面会での父の態度を見たからだったのです。私は「父はやっぱり詐病だったんだ」とはっきりと悟ったのです。その少し後にも再び父と面会したのですが、その思いが変わることはありませんでした。

(引用終了)


私には、著者が、父が詐病だと「はっきりと感じた」のは、不自然に思えましたが、詐病説をとる人々は明確な根拠もなく、麻原死刑囚に面会したわけでもないのに、とにかく「絶対」そうだと主張される方が多いですね。

本書には、家族だけでなく、有名信者や、死刑囚として服役している信者たちの素顔を綴った文章も多く納められています。

それらは、やはり著者の当時の年齢を考えると不自然で、彼らへの客観性と、自分を見つめる眼の「差」は、アンバランスとしか言いようがないのですが、6歳から、彼女が深く悩み、多くの本を読み、考えてきたであろうことは容易に想像できるような「洞察」になっていて、色々な意味で一読の価値が高い本だと思いました。


◎未成年後見人の辞任について(江川紹子氏によるメディア向け文書)

◎[参考記事]獄中の麻原彰晃に接見して/会ってすぐ詐病ではないと判りました

◎[Amazon]私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか

[目 次]
はじめに
第一章 オウム真理教の亡霊
第二章 教団・その後
第三章 血のキズナ
第四章 悪夢
第五章 妻妾同居
第六章 いじめと登校拒否
第七章 姉と弟
第八章 さすらいの年月
第九章 マスコミ露出と苦悩
第十章 教団幹部たちの素顔
おわりに
____________

[BOOKデータベース]「地下鉄サリン事件のとき、私は5歳だった」―幼い心と体を痛めつけた父の虐待と妻妾同居の異常な生活、間近に見た最高幹部たちの言動、そしてひそかに進む恐るべきテロ計画。激しいイジメと公安当局の執拗な追跡に遭いながらも、罪悪感に囚われ自殺未遂を繰り返す日々。松本死刑囚の家族が初めて明かす殺人教団・オウム真理教の正体と自身の流浪20年間の真実。 徳間書店 (2010/4/24)



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by yomodalite | 2012-02-06 23:44 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(9)

福田君を殺して何になる

増田 美智子/インシデンツ



◎[2012.2.21追加]元少年に死刑判決 - 死刑の是非の前に問いたい是非

初めての育児に一生懸命だった若い妻と、幼い子供の両方を奪われた夫、本村洋氏の怒りは、裁判の経過中、死刑判決を望む旨を強く表明し続け、一審での無期懲役の判決には「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい、そうすれば私が殺す」など、激しいものでしたが、守れなかった家族への責任感の強さから発せられる、本村さんの言葉には、これまでの刑罰論に一石を投じるような論理があり、今まで顧みられなかった被害者遺族の人権にも注目を集め、多くの人を感動させました。

私も、このときの本村さんに、たいへん感動した1人です。

でも、本書のタイトルや、そして著者がまだ20代の女性であることを知って「もしかしたら。。。」という期待と共に読了し、それは、ほぼ期待どおり、満足のいく内容でした。

「殺して何になる」という問いに、

・被害者遺族が満足する。
・殺人に対して、死刑という刑罰がくだされるのは当然。
・なぜ凶悪犯罪者の命を救おうとするのかわからない。

上記のような考えの方は、是非一読されることをオススメします。

本書の帯には、3人の文章の抜粋があります。

ひとりは、本事件の弁護士を途中解任され、『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』を出版された、今枝仁弁護士。

被告である福田君。

そして、もう1人は、被害者遺族である本村洋さん。

本村さんの文章は、本書への直接の推薦文ではありませんが、彼の今の心境がよく著わされています。死刑執行でスッキリした気持ちになれるのは、被害者遺族ではなく、まったく関係のない私たちのような野次馬だけだということが。。。。

本村氏の真摯な“聖戦”に対して、警察発表の忠実な犬にして、常に事件後の傍若無人な加害者であるマスコミ報道を鵜呑みにした世論により、「死刑」が執行されることは、本当にも相応しいことなんでしょうか。

著者の取材方法、取材者への態度や気配りなどに、批判的な人も多いですが、私は、それ以上に、批判を承知したうえでの著者の行動力と、真に重要な問題提起に感動しました。

というか、信頼していた著述家の中にも、この取材方法への批判を真っ先に挙げる人がいたことにはショックを通り越して絶望すら感じました。彼女の取材に気配りがされていないなら、マスコミはどうなんですか?

死刑に興味をもって、見聞きした数少ない経験を通してわかったのは、死刑の廃止と存続には、それぞれの既得権益者による、不毛な議論しかないということです。

本書が明らかにした主内容は、

・少年の悪印象を決定づけた“不謹慎な手紙”の真相
・少年の実像
・少年が死刑になった“真の理由”

上記3点なのですが、中でも、死刑判決が下されることになった最大の責任は、弁護団にあることを明らかにした点です。(批判されている弁護団は、世論を味方にすることが困難な裁判を何度も戦ってきて、司法の判断を知り尽くしていることが、逆に戦略ミスを招いたという側面もあるような気もするのですが....)

少年への匿名報道は、将来の社会復帰を考えてこそのはずですが、少年法を逸脱した死刑を課せられようとしている“少年”の匿名には、一体どんな意味があるのでしょうか?

事件の報道や本書への評判も、1度リセットして、本書を読んでみれば、匿名での死刑判決という、明らかな人権侵害を問題にせず、少年の実名明記のみを問題にして、本書が語られる“本当の理由”が、朧げながら見えてくるはずです。

本書の発売にあたっては、光市母子殺人事件の被告の名前を明らかにしたことで、実名報道の是非をめぐって賛否両論が大きく報じられ、また、弁護側は本書に対し、出版禁止の仮処分を広島地裁に申し立てた。

被告の死刑に異議を唱えた内容にも関わらず、なぜ被告弁護人から出版禁止を申し立てられたのでしょうか? その真相を知りたいひとへ。

☆今のところ、本書の意義を伝えている唯一の書評。
「404 Blog Not Found」

☆追加
鬼蜘蛛おばさんの疑問箱
___________

【内容説明】現在、光市母子殺害事件の被告人は、どのような心境で毎日を過ごしているのか。被告人と同じ年の著者が、マスコミ情報に頼らず、自分の足で取材し、事件関係者らの「生の言葉」から、この事件の意味を問い直す。



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by yomodalite | 2009-11-27 15:44 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

秘密とウソと報道 (幻冬舎新書)

日垣 隆/幻冬舎



自由民主党のように、現マスコミもすべて一斉に政権交代できないものか、と日々思っておりますが、気鋭のジャーナリスト、日垣隆氏は、メディアにどう斬り込まれたのでしょうか。

第1章 「正義」のイヤらしさ
元官房長官の鴻池祥肇氏の女性問題は何が問題なのか?かつての新聞は、現在のような薄っぺらい正義を振りかざす存在ではなかった。確認を手抜きする編集者。
特捜が扱う事件は、すべて「国策捜査」である。

第2章 他人の秘密は蜜の味
「秘密を暴露する」「広報する」「データベースを着々と積み上げる」、新聞記事をいうものは、この3つだけで98%が埋まってしまう。しかし、政府公報も警察発表も、そのまんまの記事は非常に多い。少し気をつけて見れば、新聞記事は「・・・という」だらけ。

第3章 スクープかフェアネスか
スクープを手に入れるため、ルール違反を犯すこと。社会正義のためなら泥棒しても許されるのか。。。
“からゆきさん”の息子から写真とパスポートを盗んだ、山崎豊子『サンダカン八番娼館』、警察の内部資料をコピーした、佐木隆三『復讐するは我にあり』、工場の中で知り得たことは、絶対口外してはならないという服務規律違反、鎌田慧『自動車絶望工場』、盗聴器を仕掛けた、朝日新聞「談合」キャンペーン。。。
後ろ暗い取材方法を奨励してきた新聞記者の「正義」を笠にきた傲慢な態度。

第4章 奈良少年調書漏洩事件
草薙厚子『僕はパパを殺すことに決めた』の問題点。本の中味は、八〜九割方は調書の引用。崎濱医師による鑑定書は、広汎性発達障害への逆差別。精神鑑定書の著作権は精神科医のもの。本書はその内容から草薙厚子著はありえない。
33年間、情報源を隠し続けた米ジャーナリスト。大統領にもFBIにも萎縮しないアメリカ民主主義。

第5章 「週間新潮」第誤報事件
朝日新聞阪神支局襲撃を実名で告白した手記を掲載した「週間新潮」が陥った罠。
「空想虚言」の特徴。官僚や警察が記者クラブで発表した情報をそのまま流している新聞記者が、週刊誌に「ウラを取れ」と偉そうにいうこと。

第6章 この世はウソの地雷原
ウソには5つの種類がある。社交辞令、皮肉、その場の雰囲気、特定組織や自分の防衛本能、世論操作。「不自然だから」とかえって信じてしまう心理。「犯人隠匿罪」と「大スクープ」のせめぎ合い。

第7章 足利事件ー誰が捏造したのか
「精液のDNA型が一致」と発表した科捜研は、当初、付着精液が微量すぎるため鑑定は不能と辞退していた。その後しぶしぶ鑑定を引き受けると、付着していた精子の数が「頭部のみ3個」からいきなり「一万五百から一万二千個」に増えた。
著者はかつて『論座』で、この事件を冤罪と断定したところ、科捜研から呼び出しを受けたが、データの開示もなく、試料はすべて使ったなど、科学的証拠を一切示されず、今後は情報を一切出さないという脅しをかけられた。
お上が「DNA型が一致した」と言われれば、すんなり納得するのが日本の新聞ジャーナリズム。

第8章 名誉毀損ー高騰して何が悪い
なぜ賠償額が高騰したのか。高騰して何が悪いのか。日本の法律家が名誉毀損の損害額の算定に着手したのは2000年前後。きっかけは池田大作氏への度重なるスキャンダル報道。空想虚言記者は大勢いる。デタラメ報道の被害者。。。清原、龍円愛梨・・・言論弾圧と言い続ける発想は不健全。

第9章 リスクとチャレンジと謝罪
西山事件(外務省機密漏洩事件)の問題点。西山記者は、外務省審議官付きの女性と男女の仲になることで情報を得た。女性は外務省を退職し、離婚。警察の取調べの際も、西山氏からも守られることはなかったが、事件は、澤地久枝、山崎豊子らにより本も出版され、西山氏はその後も講演会などで活躍した。

松川事件(福島県の脱線列車事故)では、国鉄労働組合、東芝労組、共産党に容疑がかかり、20人が逮捕され、17人が有罪判決を受けた。検察は、被告人の無罪を証明できる「諏訪メモ」を隠していたことを知った、毎日新聞の倉嶋記者は、福島地検の職員の女性からこっそり資料を得てスクープを書き、その後、その職員と結婚している。死刑判決を受けた4人、実刑判決を受けた13人を救わねばならないという使命感に燃え、戦後史に残る冤罪事件をひっくり返し、情報を受けた女性とも結婚した、松川事件のスクープこそ、後世に語り継ぐべき。

謝罪に絶対必要な3つの要素ー謝意を誠実に表明すること。失敗に至る経過を詳しくそのつど説明すること。償いをすること。その3つがあまりにも実現困難すぎる場合、そのような失敗をおかさないことが如何に究極の保身であるかを、あらかじめ心得ておくことが肝心である。

ジャーナリズムの反対語は「マンネリズム」。今の新聞や雑誌には“非マンネリ”に挑戦するという自覚があるのだろうか。

第10章 有料ジャーナリズムの終焉?
総合週刊誌もマンガ雑誌も、部数の落ち込みが激しい。多くの購読者がいた時代、広告が潤沢に入っていた時代と同じモデルのままでは、生き残れない。少部数で充分ペイできている媒体も存在する。悲観するにはまだ早い。

以上が内容の簡略メモ。
ジャーナリズムの問題点へは大勢の人が共感すると思いますし、目新しいものではありませんが、著者ほどの鮮やかな手腕では誰も本にすることができない、といった内容の本。共感できなかったのは下記ぐらいでしょうか。。。

第1章の最後、土木工事の口利きをする見返りに多額の金を受け取る。そういうことを許してはいけない、と検察は考えている・・・から小沢一郎公設秘書逮捕というのはどうでしょう。小沢一郎は、田中角栄の正統な継承者かもしれませんが、土建政治を継承してきたのは、与党に居続けた自民党議員の大勢であって、当時野党であった小沢に対しての容疑としては、タイミング的にもおかしい。

第4章 大統領にもFBIにも萎縮しないアメリカ民主主義は些か言い過ぎ。ボブ・ウッドワード氏は、なにか特別に守られているように思いますし、草薙氏と比較する対象としてふさわしくない。

___________

【BOOKデータベース】鑑定医が秘密をバラす相手を間違えた奈良少年調書漏洩事件。「空想虚言癖」の典型的パターンに引っかかった「週刊新潮」大誤報。賠償額が高騰する名誉毀損訴訟。数々の事件で、メディアが一線を越えるか踏みとどまるかの分かれ目は、秘密の手に入れ方・バラし方、ウソの見破り方の巧拙にある。それを「言論弾圧」「取材力の低下」としか語れないのは、ただの思考停止、メディアの自殺行為だ—秘密とウソというユニークな視点から、「ジャーナリズムの危機」に斬り込む挑発の書。幻冬舎 (2009/07)



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by yomodalite | 2009-10-20 15:58 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

徹底抗戦/堀江貴文

読みたい本が手に入らない。そんな活字ギレ症状から、こんな本も。

読書前から、堀江氏は本当に気の毒だと思っていましたし、日本の司法の怖さは、刑事事件での数々の冤罪疑惑、鈴木宗男、佐藤優両氏の逮捕長期勾留、植草一秀の痴漢逮捕、小沢秘書の逮捕。。などから痛感し、最近特に司法権の乱用が目立っていると感じていました。

本書で堀江氏が主張しているように、宮内氏主導の犯罪を社長である堀江氏になすりつけることも、検察の筋書き通りなら、宮内元副社長の横領容疑を起訴しない、というやり方に「徹底抗戦」するのは困難を極めるでしょう。

司法の主人が日本国民ではないということの実例は古くは「ロッキード事件」が思い出されますが、ロッキード事件の不可思議さに気付かされたのは、事件後かなりの時間が必要でしたが、最近では、一時集中的に報道するものの、司法の正しさが信じられている期間は短く、一年後には逮捕容疑者による出版本が売れて容疑者への支持が集まる、ということも、もう慣例になっているような気がしますが、片棒を担いで一斉報道したマスコミも、一向に反省もしなければ、検察批判をすることもありませんね。

検察の横暴は重要な問題ですけど、ホリエモンのこの本は、「国策捜査」の名を知らしめた『国家の罠』のようなパワーを秘めた著作とは異なり、堀江氏が自ら分析したように、

「露悪趣味があるから、言葉を省略し過ぎるし、同時に自分が善玉に見られることのむず痒さがあって、ぶっきらぼうに思われる発言をたくさんした。その結果、モラルのない人間の代表と見られるようになった」

という逮捕前までのホリエモン節とあまり変わらない、ITにも、金融にもまったく興味がない“ヤンキー”にすら、届く可能性のある軽い本。本当にお気の毒な境遇にあることは間違いないのですけど、あまり同情も、支持する気持ちも湧いてこないのは、人徳でしょうか。

ただ、この人は服役中に読書三昧の生活をおくるうちに、ものすごく化けて帰ってきそうだな〜という期待は少ししてます。(無責任すぎるんとちゃう?自分)

★★★(ガンバレ!ほりえもん。君はまだ若い)

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【内容紹介】2年前に“国策捜査”で逮捕・起訴され、現在、最高裁に上告中の元ライブドア社長・堀江貴文氏。
数年前、日本を騒がせた「ホリエモン旋風」と「ライブドア事件」について、マスコミ報道は山のようにあったが、堀江氏から見えていた風景はまったく違うものだった。それを自ら書き下ろすことで、「ホリエモンとライブドアの真実」を明らかにし、堀江氏逮捕がいかにおかしな、検察の暴走・横暴によるものだったかを明らかにする。

近鉄買収、ニッポン放送・フジサンケイグループ買収、総選挙出馬、国策捜査・逮捕、仲間たちの裏切り、拘置所での暮らし、裁判、有罪判決、そしてこれからの夢…。特に堀江氏が東京地検特捜部に逮捕され有罪判決を受けた点は、今の検察・裁判所がいかに腐った危うい組織であるかを浮かび上がらせる。と同時に、生意気でふてぶてしい青年という印象だった堀江氏が、実はけっこう真っ直ぐでエネルギー溢れてていいヤツだったとか、ライブドア事件は山のように報道されたが、実はその真相は全然伝わっていなかったということもわかる。 集英社 (2009/3/5)





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by yomodalite | 2009-06-26 15:44 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)
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全米で有名になった「ダウンズ事件」の全貌をあますところなく描いた本書は、ダイアン・ダウンズという稀有な女性がおこした1987年の事件のノンフィクション作品。

彼女は3人の我が子の命を撃った。最初の結婚で得た7歳のシェリル、8歳のクリスティ、離婚前に別の男性との間に出来た3歳のダニー。彼女にとって妊娠と出産は、自分にかけがえのない喜びをあたえてくれるものだった。

代理母としての出産も経験し、自ら代理出産事業も始めようとしていた。子供は常に自分を必要としてくれる。けれど養育にはあまり熱心ではなかった。人並み以上の知能。人を惹きつける美貌を持ちながら、彼女は何一つ成功できないでいた。

著者のアン・ルールは、陸上のコーチの父親と発達障害児を教える母との間に生まれ、親戚には郡警察長、検察官、検死官をもち、心理学、犯罪学、刑罰学を大学で学び、犯罪捜査、警察行政、捜査術、逮捕学をコミュニティカレッジで学び、実際にシアトル警察の警官になり、女子少年院で働いたこともある。という経歴で、本書で成功後も数々のベストセラーを生みだし、犯罪ノンフィクション作家として、このジャンルを確立させた人物とも言われている。また5人の子どもを育てた母親でもあり、現在は孫もいる。

この上もない悲惨な事件ですが、人一倍渇望しながらも、愛を理解できない母親に育てられ、撃たれた、娘の母親への愛、被害にあった子どもを救おうとする医療関係者も、検察も子ども達を必死に守ろうとする。クライマックスであるクリスティの裁判での場面は泣かされます。また著者の日本語版読者へのメッセージでは、クリスティとダニーのその後にも触れられ、母親が読んで気分が悪くなるだけの作品ではありません。

マスコミを賑わす要素が多過ぎる事件ではあるけれど、著者はそのすべてをあますところなく描ききる技量と研鑽を積んだ最適な作家なので、良質なミステリを求める方にもオススメです。現在、絶版のようなので、図書館を探されると良いかもしれません。

★★★★

ところで、畠山被告は無期懲役が確定しそうですね。彼女の事件もあいまいな点が多く、夥しい畠山被告のTV映像による印象報道だけでなく、畠山鈴香という女性をもっと綿密に取材した作品が読みたいものです。わたしは、彼女に、貧しい家庭に育った田舎の文学少女を感じてならないんですよね。。。

下記は、簡単なあらすじです。読んでみようと思われる方は、読まない方がいいかな。


(上巻)彼女の生い立ち、父親との関係、結婚、出産、代理母、奔放な男性関係から、事件が起こるきっかけともいえる男性との出会い。。。

事件は起こった。シェリルは亡くなり、重大な障害が残るほど重症を負ったクリスティとダニー、3人の幼児と共に撃たれた若い母親は、マスコミによって悲劇のヒロインになるが、事件を調べる刑事たちは、彼女を次第に追いつめていく。。。

(下巻)刑事たちの執念は一歩一歩ダイアンを追いつめてはいたものの、逮捕までは永い道のりだった。ダイアンはその間も新たな男を求め、妊娠を渇望し、クリスティとダニーの養育権が奪われるのも嫌だった。

事件で注目を浴びていたことで、困難に思えた新たな妊娠だったが、彼女は今までどうりハンサムで、しかも今まで以上のインテリ男性の子どもを身ごもり、その数ヶ月後に逮捕された。ダウンズ事件は再度全米を賑わす大事件となった。

検察側にとって裁判は容易ではなかった。クリスティの回復を優先し、長い準備期間をかけてようやくこぎつけた裁判での証言。しかし弁護士は、幼いクリスティにも容赦なく覆いかかる。無罪の評決には12人の陪審員の10人が賛成すればいい。だが有罪にするには12人全員が賛成しなくてはならない。陪審員は、妊婦の容疑者を有罪に出来るのか。

裁判ではいつも清楚なマタニティドレスだったダイアンは、拘置所を出る時は髪をショートにし、ピッタリのジーンズに15センチもヒールがある膝上ブーツを履いていた。裁判が終わってもダイアンの物語は終わることはなかった。。。。

「See-Saw日記」
http://see-saw.way-nifty.com/diary/2007/10/post_1db5.html
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【Amazon.co.jp】
アメリカでは、本に対する賛辞に "Un-putdownable!" という言葉がある。本から手が放せない、読み出したら止まらない、というニュアンスだが、この『スモール・サクリファイス』を評するのに、これほどピッタリくる言葉はないだろう。全米では各紙が絶賛し100万部を突破したというのも、とにかく手にとって読み始めればうなずけるに違いない。
著者のアン・ルールは、シアトルで警察官を経験した後に作家となった、女流のクライム・ライター。「犯罪ノンフィクション」というジャンルを確立した第一人者で、『スモール・サクリファイス』は、いまやベストセラーを連発している彼女の出世作である。

物語は、オレゴン州スプリングフィールドの病院のER(緊急治療室)に、銃撃を受けた若い母親が助けを求めにくるところから始まる。血まみれの車内には瀕死のわが子が3人。全米を震撼させた「ダウンズ事件」だ。母親のダイアン・ダウンズは、10代のころ、父親からの性的虐待にさらされた過去を持つ女性だった。不幸な結婚ののち、わが子への虐待、代理母としての出産、乱れてゆがんだ男性遍歴を重ね、すさまじいまでの人生を送っていく。

マスコミと市民を味方につけ、「悲劇のヒロイン」を演じるダイアン。だが、幼い子どもの命を奪ったのは、実は母ダイアンではないのか? 検事ヒューギを中心とする息詰まる捜査と、事件の背後に隠された人間の病理と悲惨さを、アン・ルールは圧倒的な取材と筆力で描ききり、読む者の心を締めつけて離さない。

上下2巻、800ページというボリュームだが、達者な訳文の力もあって一気に読み通してしまう。まさに "Un-putdownable!" なのだ。しかも、最後のどんでん返しには「これが本当に実話なのか?!」と仰天すること請け合い。「どんな推理小説もかなわない迫力」(インディアナポリス・スター)の本書は、ミステリーファンにも強くすすめたい。(遠藤聖一)




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by yomodalite | 2009-04-08 14:01 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)
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数年前に一度だけ、捜査一課の刑事の聞き込みを受けたことがあるんです。事件の詳細はよくわからなかったのだけど、どうやら放火殺人の捜査のようで、二人組の刑事は、ひとりは事件の名称が入っている特別名刺で、もうひとりの名刺には「警視庁捜査一課」と書かれてあったのですが、

その刑事の印象は今までの刑事という職業に抱いていた、履き古した靴、安いスーツ、、といったイメージを完全に覆すもので、これ以上はないというぐらいのはっきりとした濃い顔立ちに、完璧にスタイリングした髪型、絶対に外すことのない鋭い視線。

20人ほどの男の中から一流商社マンを選べと言われたら、結構、自信を持ってこの男を選んだと思えるほど、とにかくエリートオーラが凄かった。

聞き込みの内容は、当日に何をしていたか。というものだったのだけど、1ヶ月ほど前の日曜のことだし、はっきりと覚えていることは何もなく、仕事を辞めた直後で、読書欲が目一杯膨らんでいたときだったので、「図書館に行っていたかも。。」と答えると、「どこの図書館ですか?」と、すぐに切り返してきたときの鋭い眼。

たったそれだけの質問だけで、恐れを抱くに充分な迫力。当時住んでいたマンション全員への形式的なものだと思っていただけに、その熱心さと真剣な雰囲気はかなり印象的でした。

で、そんな警視庁捜査一課のエリート意識とは?という興味からか、こんな本も読んでみることに。

本著は、捜査一課の刑事だった著者による書き下ろし。地下鉄サリン事件や、トリカブト事件など、読者の興味を惹きそうな事件に対して、あっさりすぎる内容なので、特に話題になることはないでしょう。警視庁捜査一課組織図、警察署組織図、警察隠語集に、刑事五十訓など巻末付録は充実していて、警察官や、刑事の日常など、ミステリ小説を書こうと思っている人のレファレンス本としては、役に立つのかな。。

★★★
_______________________

【内容紹介】著者は警視庁捜査一課の元刑事で、テレビ朝日の人気ドラマ『ゴンゾウ』の警察監修者。捜査一課歴12年。刑事通算20年。平成19年に勤続25年で警部補として退職。地下鉄サリン事件、トリカブト事件……。その時、刑事はどう動き、何の記録を残したか? 休日でも結婚式でも事件が起これば即捜査に駆り出される。捜査一課の元エースが平成の時代の凶悪犯罪の実態と本物の刑事の生き様を描く傑作ノンフィクション!

【目 次】
第1部 署轄巡査(単身寮;実務編;捜査講習);
第2部 捜査一課刑事(署轄刑事;特捜本部;捜査一課;転機)




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by yomodalite | 2009-01-07 16:32 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(1)

反転―闇社会の守護神と呼ばれて (幻冬舎アウトロー文庫)

田中 森一/幻冬舎




ダーリンがようやく図書館から借りてきた本。出版から1年3ヶ月を経て、未だ近所の図書館での予約数63件。この間『バブル』、『必要悪』などの著者による関連本も読了済なので、もう〜おなか一杯な気分で、読んでみたところ、やっぱり満腹感で一杯。なんというか、特捜の優秀な検事が弁護士になって闇社会の守護神となることなんて、別に不思議でもなんでもないですよね。「男」は飼い主によって行動を変えるものでしょう?

実名で登場する政治家もいつものメンバー。最近では、あまりにもしょっちゅう名前を出されている亀井静香氏などは、相当善人なのだろうなぁと思っています(笑)。

佐藤優氏の『国家の罠』が文学的だったのは、佐藤氏が日本の男としてはめずらしく「神」を主人にしているからだったけど、田中氏はその真逆ですね。これまで読んだ『バブル』、『必要悪』より面白くないと感じたのは、鮮度の違いが大いに関係しているのは間違いないですが、対談や、聞き書きといった話し言葉の方が、著者の資質にあっているせいも多分にあるでしょう。

それと、文中で、田中氏が賛辞をおくっているヤクザの組長や、若頭にはありそうな「男の色気」が、どうも田中氏には感じられませんね。それらのヤクザ美学こそ、実は田中氏とはもっとも遠いものだからでしょう。

逮捕後の活動が垣間みれる著者のサイト、釈放後もまだまだ活躍されそうですね。
http://tanaka-jyuku.net/index.html
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【日販MARCより】伝説の特捜エース検事はなぜ、「裏」世界の弁護人に転向したのか。法の世界に携わってから38年。検事として、弁護士として見続けてきた日本のひずみや矛盾を綴る。アウトローにしか生きられなかった男の自叙伝。幻冬舎 (2007/06)

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by yomodalite | 2008-09-09 13:42 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(1)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite