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陰謀の世界史/海野弘

海野弘氏の「陰謀論本」をもう一冊。こちらの初版は『世界陰謀全史』よりも前の2002年に出版され(あとがきによれば、著者が「CIA」について書いているときNYテロ事件があった。という時代)、2006年の文庫版は厚み2センチほどある大書で、参考文献や登場人物の索引や関連書籍の紹介も多い。

『世界陰謀全史』とよく似たタイトルですが、こちらは、フリーメーソン、ユダヤ、イリュミナティ、ロスチャイルド、ロックフェラー、ルーズヴェルト、英国王室、フェビアン協会、三百人委員会、外交問題評議会(CFR)、財団、銀行、アレン・ダレス、CIA、ケネディ、ニクソン、キッシンジャー、レーガン、ブッシュ、クリントン、KGB、MI5とMI6(英国情報部)、モサド、ヴァチカン、マフィア、ハワード・ヒューズ、マーチン・ルーサー・キング、超古代史、エイリアン・UFO、ナチ・第4帝国。という30項目から書かれているものの、主にアメリカの陰謀論について書かれています。

海野弘氏の本といえば、これまで『モダン都市東京』とか『ヨーロッパの装飾と文様』など美術やデザインをテーマにしたものしか知らなかったので、陰謀論系の本を書かれていたことが意外だったのですが、こちらは、よくある対象に憎しみを抱かせるような内容ではなく、著者のこれまでの本と同じように、テーマについて広く散策してまわるような視点が健在で、さまざまな陰謀論の定番を楽しむことができます。

個人的には「ハワード・ヒューズ」の章に期待していたのですが、彼に関しての〈陰謀論〉が膨大すぎるわりには、記述が短かすぎて、期待をこえるものではありませんでした。ヒューズの場合は、彼の超人ぶりがあらゆる物語を飲み込んでしまうためなのか、〈解釈〉の方に新鮮味や真実味が感じられなくなるということもあるのかもしれません。


下記は「プロローグ」より(省略・要約して引用しています)

コンスピラシーの資料を集めだしたときにぶつかったのが、デヴォン・ジャクソンの『コンスピラノイア!』(1999)である。コンスピラシーとパラノイアを合成した言葉で、副題に「すべてのコンスピラシーの母」とあり、多くのコンスピラシーが網の目のように絡み合っている見取図をつくりあげていて、実に面白い。この本に刺激されて、コンスピラシー論を書いてみたくなった。ティモシー・メリー『コンピラシー帝国』は、戦後アメリカのパラノイア文化という副題で、トマス・ピンチョンなどの小説を中心として、現代アメリカの陰謀妄想をとりあげ、ピーター・ナイトの『コンスピラシー・カルチャー』(2000)は、「ケネディからXファイルへ」と題され、マスメディア、テレビなどによって増幅されるコンスピラシーが一種の〈文化〉となっている状況を分析している。1997年には『陰謀のセオリー』という映画もつくられた。

なぜ私たちはコンスピラシー・セオリーにとりつかれるのだろうか。ティモシー・メリーは〈エージェンシー・パニック〉からだ、としている。私たちは多くのことをエージェンシー(代理)にまかせなければならない。エージェンシー・パニックとは、自律性、自由意志が奪われることへの大きな不安を意味している。ある人の行動はだれかにコントロールされ、強力な外部のエージェントによって仕組まれている(『コンピラシー帝国』より)。エージェンシーパニックは、自分が外の力に操られている、と感じるだけでなく、その直接のエージェントは、さらにその影の力に操られているとエスカレートしていく。

コンスピラシーの本場はなんといってもアメリカである。どこの国にも陰謀はあるが、陰謀が大衆文化にまでなって、人々に親しまれている国はアメリカしかないのではないだろうか。なぜ、アメリカの陰謀は面白く、アメリカ人は陰謀のセオリーが好きなのだろうか。20世紀の終わりのアメリカでは、コンスピラシー・セオリーがいたるところにあり、ファーストレディでさえ、コンスピラシーの語を全国テレビでくりかえした。とにかくアメリカでは陰謀が多く、建国以来、陰謀だらけであったともいうが、さまざまな人種の集まりであるアメリカは、いつもなにかの〈敵〉をつくり、そのイメージに対してまとまり、アンデンティティをつくってきたのだそうだ。しかし〈陰謀〉が文化になり、日常会話に入ってくるようになったのは、1960年代になってからである。

(引用終了)


下記は、「エピローグ」より(省略・要約して引用しています)

アル・ハイデル、ジョーン・ダーク編『コンスピラシー・リーダー』は「パラノイアマガジン」に載った陰謀のセオリーのアンソロジーで、この本の序文は〈陰謀〉がいかにカウンターカルチャーになったかをよく伝えている。90年代にはコンスピラシー・ウェブサイトもあらわれ、1997年、陰謀パラノイアは最高潮に達した。

ジョージ・E・マーカス編『理性的パラノイアー説明としてのコンスピラシー』(1999)は、パラノイアとコンスピラシーのカルチュラル・スタディーズ集で、まず陰謀史研究の出発点として、リチャード・ホーフスタッターの『アメリカ政治のパラノイアスタイル』がとりあげられている。この先駆的論文は今読んでもすばらしく、アメリカには陰謀史観の伝統があることを明らかにしている。

しかし、90年代にはそれまでにはなかった新しい状況があらわれた。ジョージ・E・マーカスは、パラノイド・スタイルとコンスピラシー・セオリーが根拠があると見られるようになったのは、2つの理由があるという。

ひとつは冷戦時代の米ソの対立で、政府までもがパラノイアックな陰謀を信じたので、社会全体、体制側、マスメディアまでもが、パラノイアになり、国際政治もそれに浸ってしまったこと。もうひとつは、政治や経済の世界に、ゲーム的な枠組みが入ってきて、戦略、戦術が重要になり、パラノイアスタイルが使われるようになったからだ、という。

しかし、ゲーム化はひとつの危機をもたらす。ゲームは現実世界や本質から遊離させてしまう、見えているものだけで、その背後は空虚なのだ。マーカスはそれを「写実の危機」といっている。ゲームとしての歴史は相対的なものなのだ…






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by yomodalite | 2015-07-29 16:02 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(2)

アメリカの反知性主義

リチャード・ホーフスタッター/みすず書房

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反知性主義が、現代日本を象徴する言葉として、取り上げられるようになり、元外務省職員で作家の佐藤優氏は、それを「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」と語りました。

本書は、1963年に書かれ、ピュリツァー賞を受賞した古典的名著ですが、描かれているのは、もっと古い時代、アメリカ建国期のピューリタリアニズムの再検討から始まり、反知性主義の源流を、キリスト教信仰復興運動と関連づけている。本書が、今読んでも、驚くほど古さを感じないのは、名著であるだけでなく、何十年も遅れて、キリスト教がほとんど信仰されていない日本に「反知性主義」が起っているせいで、それが、多くのプロテスタントにも、聖書にも、イエスにも、実際には、あまり関係がなかったことが理解できるからでしょうか。

建国時には、社会の各分野をしめていたジェントルマンが凋落し、知識人を敵だと考えるようになっていった背景には、キリスト教を母体とした信仰復興運動があり、キリスト教を滅亡させようとする陰謀の告発や、王制を復活させ、英国の傘下に置こうとしているという策謀があると考える人々の歴史が順を追って描かれています。彼らが、どれほど教育を嫌い、知性を敵視してきたか。反知性が、多くの面で反ユダヤと重なっている理由にも、思い当たる点があるでしょう。そして、こういった知的な著書を読むとき、これも、常に感じてしまうことですが、著者は、やはりユダヤ系らしい。

反知性主義が、日本を覆うようになったのは、バブル世代が、土台のない知性しか持たなかったからかもしれません。80年代以降に生まれた人たちは、まともな知性に出会うことはなかった、かわいそうな世代だと思いますが、今のアメリカのような社会に住みたくないのなら、古典を読んで、土台のしっかりした知性を身につけるしかないと思う。

二段組みで厚み3センチほどありますが、この手の本にはめずらしいほど読みやすい翻訳!今のアメリカがどうやって創られていったのかに関心がある人にとっては必読本。プロテスタントの宗派に興味がある人にも。



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by yomodalite | 2015-02-04 01:16 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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