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つまらない本が多い「ミケランジェロ本」ですが、本書はちょっぴり面白い本です。


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by yomodalite | 2013-02-09 12:19 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(3)

新ユダヤ成功の哲学―なぜ彼らは世界の富を動かせるのか

越智 道雄/ビジネス社



本書は2007年に出版された、アメリカ研究の大家である越智道雄氏によるもの。

ユダヤ関係の読書はハズレ率の高さがハンパないジャンルで、クリスチャン右派や保守派による宗教的敵意が基本となっていたり、また、彼らを親にもっているせいか、一見違っているようで、マインドはほぼ同様の宇宙風味の「ニューエイジ」系に支持されている「ユダヤ陰謀論」か、

もしくは、その「陰謀史観」を否定している(副島隆彦氏と越智道雄氏以外のほとんど)バカバカしさすらない「本の形をしたゴミ」か、

多くのビジネスマンが通勤時に読んで、そのまま一生、電車通勤を止められない「成功哲学」ものの、いずれかなんですが、

本書は、普通のビジネスマン向けの「成功哲学」ではなく、ビリオネアレベルの成功に興味があるビジネスマン向けで、ユダヤ人の成功マインドについても、ユダヤの長い歴史を振り返った本格的なもののうえに、非常に凝縮された編集がされていて、

「成功哲学」を経済的に成し遂げなくても、、と思う「読書家」にとっても価値のある内容で、私は図書館で借りた後、購入しました。

価値ある内容については、目次をご覧になっていただければわかると思いますので、
個人的に興味深いと思った箇所を少しだけメモしておきます。(省略引用)


◎成功遺伝子8「選民思想」マインドセット

普通、民が神を選ぶものだが、ユダヤ教は神がすべての民族の中からユダヤ民族を選んだ。したがってユダヤ教徒は「選ぶ自由」はなく、「選ばれる宿命」しかなかった。この世界史上でも異例の信仰体系が、ユダヤ教徒をヒューマニズム(人間中心主義)、その延長である民主主義という近代化の主流思想との相克に巻き込んでいく。

「選民」という言葉はユダヤ教の原典にはなく「神にえり抜かれた(ブハルタまたはアム・セグラー)という動詞で表現されている。後者はセグラーだけだと「神の宝物」という意味でもある。ブハル(選ぶ)という語の旧約での使用頻度は175回で、それほど多くはない。

つまり「選民」という人間側の優越性ではなく、あくまで「神がえり抜く」という神の絶対的主体性、ユダヤ教徒の絶対的受動性が強調されているのだ。しかもすべての戒律を「殺すな」「姦淫するな」と動詞でビシビシ差し付けてくるこの神の有無を言わさぬ単純かつ鋭い鮮烈な激しさは戦慄的といえる。  

申命記7〜6〜8、新共同訳バイブルの「貧弱」は、原文では「最も少数」となっている、今日世界でわずか1450万人程度のユダヤ系は、選ばれた当時はもっと少数だった。(遺伝子の定義より)


(中略)その後、ユダヤ教徒らがヨーロッパでゲットーやシュテートルに囲い込まれたことが「選民思想」をカバラ思想の形で彼らの間に増殖させた。しかし、選民思想がイエスの優位を奪うことを直感したキリスト教徒の疑惑から、ユダヤ教をモダナイズするアメリカのユダヤ教少数派「再建派(リコンストラクショニズム)」などのように、シナイ山頂でのモーセの受戒や選民思想を否定する宗派も登場した。

ただ、神が否応なく民を選んで信徒にした世界史上でもきわめて特異な例ゆえに、ヤハウエは「事ごとに人事に介入する神」である。今日のユダヤ系の41%がそれを信じている(在米団体「ユダヤ連合会議(CJF)」による1990年度調査。この調査で「ユダヤ系の定義は国籍や文化でなく宗教だ」とするユダヤ系は75%に達した)

介入する神とは何者か? YHWH(ヤハウエ)とは語義的に動詞の「to be(成ること)」である。つまり、ユダヤ教の神は名詞よりも動詞なのだ。したがってユダヤ系を「約束の地」へとせき立てた神の「トゥー・ビー」(動詞性)とは、「われはなんじとともにその地へ赴くであろう」(I'll be there with you)となる。あるいは「われはなんじらにこれこれのことを引き起こす者である」(I am be who cause〈things〉to be)となるのである。

この神自身の痛烈な「動詞性」ゆえに、ユダヤ系自身「動詞的」たらざるをえなかった。

「コンピューターは情報を動詞化する」とは非ユダヤのビル・ゲイツの言葉だが、コンピューターの開発者の多くはユダヤ系だったのである。(「介入」する神より)

ピューリタンの選民思想は、しかし、他民族社会特有の「民族性」の強調が強まってくるにつれて削ぎ落されていき、ユダヤ系は自らの選民思想と文化多元主義的なアメリカの間で苦悩することになった。ユダヤ教三派のうち、左派の改革派、前述の再建派、いや中道の保守派すら、基本的には選民思想の没主体性(逆にユダヤ教の絶対性)をアメリカン・デモクラシーの主体性(逆に他民族集団同士の相対性)とどう折り合いをつけるかに悩み、その案配の違いが、宗教間の違いと特徴を形づくることになるのである。

私註)ラビ・シュムリーはWikipediaによれば、戒律遵守に厳しい「正統派(Orthodox)」。ユダヤ教は、やや厳しい「保守派(conservative)」ゆるやかな「改革派(Reformism)」「再建派(Reconstructionism)」と、「特定宗派なし派(No Label)」に分かれているらしい。

◎成功遺伝子9「ヘブライ的時間の貫徹」
なぜユダヤ系にとって「歴史は繰り返さない」のか?


ヘレニズム的(ギリシャ的)時間」は季節ごとに円周を描く、ゆとりのある時間だが、反復だから厳密な意味で何一つ新しいものはなく、したがって個人もなく、人は生まれ変わるだけで(輪廻転生)、歴史はつくられない。

他方、「ヘブライ的時間」は創世から終末へと非可逆的に流れる厳しい時間だが、刻々に新しい展開が発生、個人は生まれ変わらず(輪廻転生なし)、したがって個人はあくまで個人であり(人生の一回性)、それらの個人が歴史を構成していく。

ヘブライ的時間は、世界とともに時間を創出したヤハウェが最終的にはユダヤ教徒を自らが生息する「時間の外(永遠)」へと回収するまで非可逆的に流れ続ける運動率をもつ。だからこそヤハウェとは「成る to be」を意味し、「物事を引き起こす」という動詞的機能をもつのだ。

ユダヤ系が創出した古代ではまったく新しかったこの時間概念こそ、ユダヤ文化の成功遺伝子の基幹染色体を形づくった。(遺伝子の定義より)

◎[Amazon]新ユダヤ成功の哲学
◎[参考ブログ]お金学

☆少し似たタイトルですが、副島氏と副島研究所メンバーによる、
こちらのユダヤ本も知的好奇心が刺激されて「金儲け」に興味がない人にもお奨め!

◎[Amazon]金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ




(写真はクリックすると拡大します)
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by yomodalite | 2012-09-11 20:03 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)
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☆「エリ・ヴィーゼル Part 2」の続き

人は、古来から神に捧げる「生贄」という神話を創造してきました。十字架にかけられたイエスを、キリスト教徒が「神の子羊」と呼ぶのも、神は人類のためにイエスの犠牲を必要としたという聖書の解釈によるものです。

ヴィーゼルの『夜』が、ユダヤ民族の「教え」にまで影響を与え、ヴィーゼルが神秘宗教化したのも『夜』で描かれた、子供への残虐な行為を「聖なる犠牲」として受け止めたからで、

それらは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という「アブラハムの宗教」に共通してよく知られている「創世記」にある、アブラハムが自分の子どもイサクを神に捧げようとする話に由来しています。

◎イサクを捧げようとするアブラハム:創世記 20-22章

MJに原稿を依頼したユダヤ教の雑誌編集者が、彼の前で歌った「心に響く歌」も
それと同じテーマでした。

◎The Day I Sang for Michael Jackson(2)

神は、アブラハムの信仰を試した。しかし、イサクを本当に捧げようとしたとき、神はアブラハムの真実を認め、子供を助けた。それならば、なぜ、ユダヤの子供は犠牲にならなければならなかったのか。ナチに奪われた幼い子供たちの命は、なんのために「犠牲」になったのか。我々ユダヤ人は、何かを忘れていたのではないか。我々はエルサレムに帰ることを目指して、エジプトを出たのではなかったのか。

ユダヤ教にとって、聖書と「シオニズム」は分離しがたいものなんだと思います。

民族は流浪し、さまざまな土地で生きるすべを磨いているうちに、彼らには、異教徒にはないリアリズムが身に付き、そのため各地で成功するユダヤ人も増え、その土地に馴染むユダヤ人も多くなった。ところが、異教徒たちも、ユダヤ人を真似て同じようなやり方をしだすと、競争が激しくなった。

排除するターゲットを絞ることで、他のグループをひとつにまとめる。
戦争には、旗印が常に必要とされます。

戦争中、ヒトラーはその感情を利用してドイツ国民をひとつにし、戦後、ヒトラーを絶対悪とすることで、ユダヤ民族は結束を固めた。

ヒトラーや、ホロコーストの真実に「偽り」があったとしても、ユダヤ人の差別の歴史は疑いようもない「事実」です。その拭いがたい罪を「ヒトラー」に集中させたのは、ユダヤ人以外の民族の知恵で、ユダヤ人は「表向き」で、その考えに賛同した。。

MJが少年の頃に教育係だったローズファイン先生が「ドイツに着陸するだけで動揺した」という経験は、そのことを如実に語っていますし、

MJもその頃から、ずっとその問題について考えてきて、ユダヤ人に対して深い同情心と、現状の問題点の両面から、人々の心が癒される方法を考えて、ユダヤ教を学ぼうとしたんだと思います。(勉強自体はシュムリーに会う前からしてたと思う。。)

ヴィーゼルが「ホロコースト」を神聖化できたのは、「ホロコースト」という大きな受難を契機に、約束の地エルサレム(イスラエル)を忘れそうになっていたことへ民族的反省を促し、ユダヤ教にとって、聖書と「シオニズム」は分離できないものだということを再認識させたからで、

一般的なユダヤ人と接する機会のない、日本人にとっては「金融ユダヤ人」というイメージが強く「ユダヤ教」も合理的思考をリードしてきたという印象しかありませんが、特別な成功をしなくては生きていけないという環境を背景にして、何事にも励んできたユダヤ人に成功者が多いのは当然ですが、

黒人がみんな歌がうまかったり、運動神経が良いわけではないことと同じく、不器用で、成功とは無縁のユダヤ人も大勢いて、そこにも「断絶」がある。

でも、ヴィーゼルと「ホロコースト神話」には、その両方から支持される魅力があって、だから、ヴィーゼルは「シオニズム」の旗手となり、シュムリーにとっても、ユダヤ教のプリンスであり、民族的英雄なのでしょう。

ユダヤ人ではない、フランス人のモーリヤックも、また、殺人事件で子どもの命を奪われた母親も「子どもの死」という受け入れがたい哀しみに、どうしても意味を求め、犠牲を無駄にしたくないと考えるのは世界共通です。

最近、日本ではめずらしく大きな抗議行動になった、原発デモも「原発再稼働」によって被害が繰り返されることの「恐怖」によるものでしたが、哀しみや、憎しみ、恐怖というのは、平和を望む気持ちよりも強い感情で、国も、民族も、あらゆる集団は、その方がひとつになれる。

でも、ガンジーは戦争が始まったとき、

ヒトラー主義は、反ヒトラー主義によっては打ち負かされないだろう。反ヒトラー主義は、ただ、ヒトラー主義を無限に昂じさせるだけである。(『わたしの非暴力』より)

と言いました。

どんなに罪のない子どもが犠牲になり、加害者に大きな罰を与えたところで、哀しみを癒すことができるのは、結局は「許す」ことだけで「憎しみ」は必ず、哀しみの連鎖を生み出します。

I would never teach hatred, ever. That's not what I'm about.
僕は憎むことは決して教えない。それは僕が言いたいことじゃない。

◎[参考記事]MJの愛読書『預言者』より “罪と罰”


MJの「Heal The World 財団」は、1992年に設立され、設立当初から「子供たちが一番大切だ」というコンセプトを掲げています。

◎[参考記事]THE HEAL THE WORLD FOUNDATION(Legend of MoonWalk)

それなのに、なぜ、2000年にユダヤ人のメンバーとともに、新たに『Heal the Kids』を設立したんでしょうか?

これは、私の想像でしかありませんが、、

MJは、フィンケルスタインとは真逆なスタイルで「ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時が来ている」ことを語り、ホロコースト神話によって、生み出されている新たなる不幸によって、またしても「犠牲になっている子どもたち」のことを彼らに感じてもらいたかったのではないでしょうか。

シュムリーが語っているように、ヴィーゼルが同情によって心が動く人間で、人の哀しみがわかり「子供の犠牲」によって動かされた人間なら、ユダヤ人が先頭に立って、犠牲になっている子供たちを救う運動をおこすべきだ。と考えたのではないかと思うんです。

シオニズムや、ホロコースト神話や、ユダヤ人への批判よりも、

まだ、なんの歴史をもたない、未来の子どもたちを救おうという気持ちでひとつになることができたら、今起きている不幸も、これから起きる不幸も、防ぐことができ、世界中の大人たちの心も癒される。。

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『Heal the Kids』のシンボルは、

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「メノーラー」と呼ばれるユダヤ教の象徴に似ていませんか?


私には『Heal the Kids』のシンボルは、メノーラーに子供を組み合わせて図案化されたように見えます。メノーラーは燭台をモチーフにしたユダヤ教の象徴で、ユダヤ教のシンボルと言えば「ダビデの星」が有名ですが、

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イスラエルは、国旗は「ダビデの星」ですが、国章は「メノーラー」が使われています。


結果から言えば、MJの計画は上手く行かなかった… 『Heal the Kids』は1年足らずで破綻したようです。

でも、私は、MJがシュムリーからユダヤ教を学んで、ヴィーゼルに会ってくれたおかげで、歴史と宗教と政治が、常に一体になっていることも、ユダヤの歴史や、聖書を、自分に近づけて考えてみることができて、ノーベル平和賞に「2度もノミネート」されてるのに「6歳も年下」のシュムリーから、MJは低姿勢で自分から学んでいた。なんていう自慢も

余裕で許すことができたので … \(^▽^)/

☆「ディーパック・チョプラ Part 1」続きます。


Diana Ross - If we hold on together(日本語+英語字幕)


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by yomodalite | 2012-09-09 10:55 | マイケルと神について | Trackback | Comments(7)
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☆「エリ・ヴィーゼル Part 1」の続き

(註釈2)では、シュムリーがヴィーゼルの名前を出したことを「なぜか…」と表現しましたが、

「もし、この世界に、真実、本物の天国と言えるような “審判” があったとしたら、ヒトラーがしたようなことを、彼が長い間、罰せられることもなく出来たはずがないだろう」

それから、こんなことを言う人もいる。「もう二度と、こんなことが起こらないように、人々に教えるために、ホロコーストのような行為が行なわれた」

世界に何かの教訓を与えるために、百万もの幼い命が必要だなんてことはない。僕は絶対にそうは思わない。ヒトラーは単にああいうことを、報いを受けることなくやれてしまったっていうことなんだ。


という、MJの発言は元々ヴィーゼルを想定して言っているのだと思います。

この後のシュムリーの解説文が長いのも、米国の読者にはここまでで、ヴィーゼルを思い浮かべる人が多いということを想定したからで、MJが「はっきりさせたいことがある」と切り出したところで、宗教談話が終わっているのも、それが理由のような気もします。

MJは「ヒトラーのホロコースト」は、天国の審判の存在を否定するもので、神の教訓などでは絶対にないと言っていますが、ヴィーゼルは「ヒトラーのホロコースト」を、神が許した理由を考え、ユダヤ人だけに行なわれた「特別に意味があるもの」としての解釈を試みているようです。

ヴィーゼルの『夜』という作品は、世界に比類のないとてつもなく恐ろしい残虐な行為が描かれていると思って読み始めると、不謹慎な言い方ですが、少し肩すかしにあうというか、戦争の残虐さ、悲惨さを描いた、他の文学作品と比べて「唯一無二の…」とは、私には感じられなかったのですが、

ただ、フィンケルスタインが言うように「彼の地位がその人道的活動や文学的才能によって得られたものでない」とは言えないというか、ヴィーゼルの『夜』は小説でありながら、ノンフィクションとして読まれ、ヒトラーと戦争に傷つけられた民族の心をひとつにするような文学的な力があったんだと思います。

◎[Amazon]『夜』新版

その史実としての正確さよりも、人々の心に必要な歴史小説 …

内容は真逆ですが、日本の戦後を支えた歴史小説、司馬遼太郎の『坂の上の雲』もそういった小説であると思います。司馬史観と言われるものが、戦後の日本人に必要だったように、ヴィーゼル史観が、ユダヤ人には必要だったのではないでしょうか。

ユダヤ人が賠償金を求めていないのは米国だけですが、『坂の上の雲』に、日本人が米国への敵意を忘れさせる効果が大きかったことも見逃せない事実です。

日本人は米国を許すことができ、ユダヤ人はヒトラーを絶対に許さない。それは真逆の行動ですが、心性がまったく違うからとは言えません。どちらも、それが戦後を生き延びるために「有利な選択」であり、戦勝国の体制に沿った行動だからです。

内田樹氏は『坂の上の雲』がこれほど愛され読まれている理由を、

それは『坂の上の雲』が国民文学だからだと結論し、ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』はフランスの、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』はロシアの、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』はアメリカの、それぞれ国民文学で、巨大なスケールを持った政治劇の場合もあれば、市井の人々の生活を活写した物語の場合も、そこに共通するのは、強い人間性を持った主人公を登場させ、「我々はこういうタイプの人間が好きだ」という宣言をなしているという点である。

その偏りのある人間的選好が、長期にわたって国民のふるまいや価値観に影響を及ぼし続けたとき、それは「国民文学」と呼びうるだろう。


と結論しています。ユダヤ人は「国民」ではありませんが、『夜』には、それらと同じ性質があって、戦後のユダヤ人の生き方に大きく影響を与えたのではないでしょうか。


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それは、他民族から見ると理解しにくいのですが、同じような「偏り」はどの民族にも必ずあります。日本には他民族が少ないので、安心してその感情に浸ることができますが、さまざまな国に暮らし、歴史的に敵対を繰り返してきた異教徒の批判の眼に、常にさらされてきた、普通のユダヤ人が、その限られた人生の中で「民族主義」に惹かれ、

その苦難の一番の理由が「国をもたないこと」だと結論し、イスラエルへの建国を夢見るのは、自分だけでなく、未来のユダヤ民族のことを考えても抗えない魅力に溢れ、すでに米国で充実した生活をしている成功したユダヤ人が、そのお金を使って、極端にイスラエル寄りの政策を米国に実行させていることも、恵まれない同胞への同情心が大きく、

フィンケルスタインの父親の友人が最終的にイスラエルに行ってしまった話も、他国で永年に渡って成功した日本人の多くが、老後は帰国することと同じく、やはり、お金だけとは言えない、抵抗しがたい感情によるものではないでしょうか。

フランソワ・モーリヤック(ノーベル文学賞)の『夜』の序文から省略して引用します。

外国のジャーナリストがたびたび私のところに訪ねてくる。私には彼らが恐ろしい、私の考えをすっかり打ち明けてしまいたい気持ちと、フランスに対してどういう感情を抱いているのか分らぬ話し相手に武器を渡すことにならないかという危惧とで、板挟みになるからである。

その朝のこと、テル・アヴィブのある新聞社から派遣されて私に質問しにきた若いイスラエル人は、はじめから私のうちに共感をよびさました。(中略)私は占領期の思い出話をもちだすところまでいった。私は若い来客にこう打ち明けた。

あの暗うつたる歳月に見たいかなる光景も、オーステルリッツ駅に来ていた、ユダヤ人の子供を鮨詰めにした、あの幾台かの貨車ほどに私の心に深く刻み込まれはしなかった…。それでいて、私はそれらの貨車をわれとわが目で見たわけではない。じつは、私の妻が見て帰ってきて、そのとき憶えた恐怖感がまだ少しも抜けやらぬままに語り聞かせてくれたのである。

当時、私たちはナチスによる絶滅方法をまるきり知らずにいた。それに、そのような方法を誰に想像できただろうか!(中略)その子たちがガス室や焼却炉に供されようとしていたとは、私にはとうてい思いもよらなかった。

以上のことを、私はそのジャーナリストに打ち明けずにはいられなかった。そして私が「何度も何度も、その子たちのことを考えましたよ!」と言って溜め息をついたところ、彼は私に言った。

「私はそのなかのひとりです」

(引用終了)

シュムリーも言っていたように、ヴィーゼルが、アウシュビッツにいたのは16歳(最初に移送されたときは15歳)。その年齢の東欧の少年は、モーリヤックがまるで実際に見ていたかのように記憶している、貨車に鮨詰めにされた「子ども」には見えない年齢のように思えますが、、、

モーリヤックの序文は、この後も、この小説の印象的な場面をすべて書ききってしまうかと思うほど長文で、それは序文として書かれたというよりも、戦後に芽生えた、ヒトラーの残虐な政策を見逃してしまったという良心の呵責から、どうしても述べずにはいられないのではないかと、私には想像せずにはいられませんでした。

さらに、モーリヤックの序文を続けます。

そのなかのひとりであったのか!彼は、母親と熱愛する妹とが、父親を除く身内の者すべてが、生き身の人間を焚き物とする炉のなかへ消えてゆくのを見たのであった。父親については、彼は来る日も来る日もその殉難に立ち会い、そして、その臨死の苦闘に、またその死に、立ち会わなくてはならなかった。しかも、なんという死! この書物は、そのときの状況を述べているから、この書物を発見する仕事は読者にお任せする。(中略)

この並外れた書物が私の心を捉えて放さなかったわけは、もうひとつの側面から来ている。ここで自分の身の上を語っている子どもは〈神〉に選ばれた子であった。

彼はものごころついてこのかた、タルムードに心を奪われ、カバラーの奥義に通じようとの野望を発し、「永遠なるお方」に心身を献げて、ただ「神」のためにのみ生きていた少年が、信仰を有する者にとっては最悪の所行に出逢った、ということ。すなわち「一挙に絶対の悪を発見したこの幼い魂のなかで〈神〉が死んだ」、ということに。

「… 子どもたちのからだが、押し黙った蒼穹のもとで、渦巻きに転形して立ち上ってゆくのを私はみたのであったが、その子どもたちのいくつもの小さな顔のことを、けっして忘れないであろう。私の信仰を永久に焼尽してしまったこれらの炎のことを、けっして忘れないであろう。生への欲求を永久に私から奪ってしまった、、、」
(以下略)


ホロコーストの犠牲者の割増しが目に余る現在、この序文を読むと、モーリヤックが最初に読んだときの印象と同じようには、この小説を読めないというか、彼がこの小説の評価に与えた影響についても想像してしまうのですが、この小説がどれだけ「歴史的真実」なのかは、さておき、

無関心だった、それゆえ幼い子どもたちの犠牲を見逃してしまったという良心の呵責は、モーリヤックだけでなく、ヴィーゼルの『夜』の主題のひとつです。

『夜』の2007年の「新版」には、さらに、ヴィーゼル自身による、やはり「長い」序文があり、そこには『そして世界は黙っていた』という表題のもと、最初にイディッシュ語で書かれたという原稿の記述もありました。

冒頭部分を引用します。

はじめに信仰があった、幼稚ながら。そして信頼があった、空虚ながら。そして幻想があった、危険ながら。

私たちは〈神〉を信じていた、人間に信頼していた、そしてこのように幻想を抱いて生きていた。すなわち、私たちの各人のうちには〈シェキナー〉の炎の聖なる火花が預けられており、私たちはひとりひとり、みずからの目のなかに、また〈魂〉のなかに〈神〉の似姿の反映を宿している、との幻想を。

これは私たちのあらゆる不幸の原因とは言わないまでも、その源泉であった。


下記は、『夜』第一章、冒頭部分の要約

ヴィーゼルの故郷、シゲットに住む、道化のように不器用で、口数が少なく、よく歌を歌い、夢見るような大きな目をした男 ー 《堂守りのモシェ》

ヴィーゼル少年は、シゲットの町を裸足で歩く《堂守りのモシェ》から、何時間も「カバラー」(ユダヤ教の神秘思想)について聞いた。少年は彼が好きだった。しかし、ある日《堂守りのモシェ》は、ハンガリーの憲兵によって家畜用の貨車に詰め込まれ、その列車はかなたに消え去った。外国から来たユダヤ人はシゲットから放逐されることになったのだ。移送囚たちのことはすぐに忘れ去られた。何ヶ月かが過ぎ去り、生活がいつしか平常通りに戻った頃、《堂守りのモシェ》は、会堂の入り口そばに坐っていた。

移送囚を乗せた列車は、ハンガリーを越えてポーランド領に入ってから、ゲシュタポの手にゆだねられたのであった。列車はそこで止まり、、

《堂守りのモシェ》は、とにかく逃亡に成功した。しかし、彼はすっかり変わってしまっていた。

彼の目にはもう喜びが映っていなかった。彼はもう歌わなくなった。〈神〉のことも〈カバラー〉のことも話してくれなくなり、自分の見てきたことだけを話した。そして、人々は彼の話を本気にするどころか耳を貸そうともしなかった。

「ユダヤ人のみなさん、私の言うことを聞いてください。お願いするのは、ただそれだけです。金もいりません。憐れみもいりません。ただどうか話を聞いてください」彼は薄明の祈りから夕べの祈りまでのあいだ、会堂の中でそう叫んでいた。

「あんたにはわからないんだよ」と、彼は絶望をこめて言った「あんたにはわかりっこないんだ。おれは助かった、奇跡的に。首尾よくここまで戻ってくることができた... 」

1942年の末ごろのことだった。

わたしたちは、ヒトラーが我々を絶滅する意志があるのかどうかさえ、疑っていた。それゆえ人々は、あらゆることに、戦略に、外交に、政治に、シオニズムに、関心を寄せていながら自分自身の境遇には無関心だったのである。《堂守りのモシェ》すらもう黙っていた。話し疲れたのであった。彼は目を伏せ、背中を屈め、人々に目を向けないようにしながら会堂内や通りをさまよい歩いていた。(要約終了)

有名なヴィーゼルの言葉

人々の無関心は、常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない

今日我々は知っている。
愛の反対は憎しみではない。
無関心である。
信頼の反対は傲慢ではない。
無関心である。
文化の反対は無知ではない。
無関心である。
芸術の反対は醜さではない。
無関心である。
平和の反対は、平和と戦争に対する無関心である。
無関心が悪なのである。
無関心は精神の牢獄であり、我々の魂の辱めなのだ。



シュムリーが、マイモニデスや聖書から考えを述べているときとは異なり、ヴィーゼルはユダヤ民族の王子で、私の最も偉大なヒーローだと熱く語っている感情が少し伝わったでしょうか。ヴィーゼルの『夜』は、すでに現代ユダヤ教の聖書に組み込まれているかのようです。

しかし、ユダヤ教では「悪魔」はいないと書かれていて、

その記述ゆえ、シュムリーは人間であるヒトラーを「心の底から邪悪」で「絶対に矯正不可能」な「絶対悪」とする事実を際限なく求めてしまう・・・

シュムリーは、MJが自分なら「ヒトラーの心だって変えられる」と言ったとき、そこに1人の《堂守りのモシェ》を見たでしょう。

しかし、MJは、

僕たちはいろいろ話して来たけれど、はっきりさせておきたいことがある。のあとに、

ユダヤ教が教えとして「悪魔」はいないと記した意味は、そうではないのではないか。と、シュムリーに話すつもりだったのではないでしょうか。


☆「Heal The Kids”とは何だったのか」に続く


◎以下は参考資料

☆ヴィーゼルの講演(10:45~ヴィーゼル登場)
私には、彼が何を言っているのかはまったくわかりませんが
観衆に何度も笑いを起こさせる力があり、彼の講演が魅力的なことが伝わります。
◎[動画]An Evening with Elie Wiesel

☆オプラ・ウィンフリーが、ヴィーゼルとアウシュヴィッツに訪問した番組
◎[動画]Oprah and Elie Weisel at Auscwitz Part 1

◎上記のTV番組のスクリプト

◎LAタイムズに掲載されたイスラエル人歴史家による「イラン攻撃すべし」論説と
それに対する反論、歴史家による再反論の記事(2012年3月18日)

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by yomodalite | 2012-09-07 10:22 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)
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☆黄金律に従おう(註釈2)の続き

エリ・ヴィーゼルは、マイケルが信じている人ではなく、シュムリーが信じているだけなので関係ないと思われるかもしれませんが、

MJのオックスフォード・スピーチは「Heal The Kids」財団のスタートに伴って行なわれたもので、そこには、シュムリー、エリ・ヴィーゼル、シモン・ペレス(イスラエル前首相。MJはペレスの後のシャロン首相にも会っている)、ユリ・ゲラー、エリザベス・テーラー、というユダヤ教メンバーが揃っていました。

そんな中、マイケルが「僕ならヒトラーの心に触れることが出来る」と言っていたことに、私と同じように胸が熱くなって欲しいので、エリ・ヴィーゼルについて、しつこく続けます。


◎[参考記事]『Heal the Kids』 関連(Legend of MoonWalk)


シュムリーが心から心酔し、MJも「マンデラのような人だね」と言ったヴィーゼル、そのヴィーゼルに、もっとも先鋭的な批判をしたのがノーマン・フィンケルスタイン!!

この2人の本を、自分がユダヤ人だったらどちらを支持するか?
という視点で考えてみませんか。

ちなみに、2人はともにアシュケナージ(白人系ユダヤ人)で、年齢差はあるものの甲乙つけがたい(いかにも学者風の眉間のしわや、その額にかかる銀髪を掻き揚げる仕草とか、高い鼻がたまらないと思うような女子にとっては…w )魅力があり、カリスマ性も申し分ないと思います。

まずは、フィンケルスタインから。


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フィンケルスタインの『ホロコースト産業』は、

ユダヤ人で、収容所から生還した両親をもつフィンケルスタインによる、同胞の創りだした「ホロコースト神話」から発生した様々な問題点をあぶり出した画期的な著作で、

イスラエルやアメリカのユダヤ人団体が、イスラエルの軍事的優位が明白になった1967年以降、ナチによるホロコーストを突然思い出し、ホロコースト生還者の定義を拡大させ、そのことを理由に過大な賠償請求を行っているとした上で、

受け取った賠償金をホロコースト生還者へ適切に分配せず、自らの事業に流用するなどして私物化しているとも批判し、また、米国政府を動かしてスイスから多額の補償金をゆすりとった経過を分析し、2000年に出版。米国国内では完全に黙殺されたものの、世界各国で大きな反響を呼んだ本。

ユダヤ人以外の著者が書いた、読んでいると知らず知らずのうちに脳が単純化される「ユダヤ陰謀論本」(主にイルミナティを悪魔や宇宙人として描く本で、教養の低いクリスチャンを対象に書かれているため、その稚拙さから権力者には何の打撃も与えず、有名芸能人や罪のない多くのユダヤ人を貶める役割だけは大いに果たしているもの)と違い、

本書は、読むだけで、頭が良くなったような錯覚をしてしまうほど切れ味鋭く、フィンケルスタインは「陰謀論」に関してこう述べています。

いわゆる「陰謀論」なるものは、それ自体ここで改めて語る価値のないものだ。しかし、だからと言って、現実の世界で個人や機関が戦略をめぐらせたり陰謀を企てたりすることがないということにはならない。そんなことを信じるのは、巨大な陰謀組織が世界のできごとを操作していると信じるのと同じぐらい子供じみている。

アダム・スミスは『国富論』で、資本家は気晴らしや娯楽の場さえ滅多に顔を合わせないが、交流すれば結局は、大衆に対する陰謀ないし物価値上げの策略となる」この一文でもって、スミスの古典を「陰謀論」と呼ぶ者がいるだろうか。ところが現実には、事実を「政治的に正しくない」やり方で並べたものがあった場合には、その信用を失墜させるための用語として「陰謀論」という言葉が見境なく使われている。

したがって、強力なアメリカ・ユダヤの組織、機関、個人がクリントン政権と手を組んでスイスの銀行に攻撃を仕掛けたと主張することは、明らかな陰謀論とされる(反ユダヤ主義という批判は言わずもがな、だ)。だが、スイスの銀行が共謀してナチ・ホロコーストのユダヤ人生還者とその相続者を攻撃したと主張することは、陰謀論だとは言われない。(本書の序章より)

☆ホロコースト史の第一人者ラウル・ヒルバーグと、オックスフォード大学のアビ・シュライム教授、ともにユダヤ人学者による、フィンケルスタインの終身在職拒否について

◎[動画]フィンケルスタインはなぜ大学から終身在職を拒否されたか


本書の引用を続けます。

(ヴィーゼルを中心に省略して引用)

序論「ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時が来ている」

本書はホロコースト産業を分析し、告発するためのものである。(中略)ザ・ホロコーストは、各個人による恣意的なものではなく、内的に首尾一貫した構造物である。その中心教義は、重大な政治的、階級的利益を支えている。実際に、ザ・ホロコーストがイデオロギー兵器として必要不可欠であることは、すでに証明済みだ。これを利用することで、世界でもっとも強力な軍事国家のひとつが、その恐るべき人権蹂躙の歴史にもかかわらず「犠牲者」国家の役どころを手に入れているし、合衆国でもっとも成功した民族グループが同様に「犠牲者」としての地位を獲得している。

この犠牲者は途方もない配当を生み出している。その最たるものが、批判に対する免疫性だ。しかも、この免疫性を享受している者は皆ご多分に漏れず、道徳的腐敗を免れていないと言ってよい。この点から見て、エリ・ヴィーゼルがホロコーストの公式通訳者として活動していることは偶然ではない。彼の地位がその人道的活動や文学的才能によって得られたものでないことは明白だ。

ヴィーゼルが指導的役割を演じていられるのは、むしろ、彼がザ・ホロコーストの教義を誤りなく言語化しているからであり、そのことによって、ザ・ホロコーストの基礎となる利益を支えているからである。(中略)

私の両親は、ワルシャワ・ゲットーとナチ強制収容所からの生還者だった。両親以外の親族は、父方も母方もすべてナチに殺された。(中略)私の両親は、死ぬまで毎日のようにそれぞれの過去を追体験していたが、晩年には、大衆向けの見せ物としてのザ・ホロコーストにまったく関心をしめさなくなっていた。

父の親友にアウシュヴィッツの収容所仲間がいた。買収など考えられない左翼の理想主義者で、戦後のドイツからの補償金も信念に基づいて受け取りを拒否していたのだが、最後にはイスラエルのホロコースト博物館「ヤド・ヴァシェム」の館長になった。

父は心から失望し、最後にはこう言ったーーあいつもホロコースト産業に買収された、権力と金のために信念を曲げたのだと。(中略)両親はよく、ナチの大量殺戮をでっちあげたり利用したりすることについて、なぜ私がこれほど憤るのかわからないと言っていた。

いちばん分りやすい答えは、それがイスラエル国の犯罪的な政策と、その政策へのアメリカの支持を正当化するために使われているから、ということだ。(中略)ホロコースト産業の今のキャンペーンは「困窮するホロコースト犠牲者」の名の下にヨーロッパから金をむしり取るためのものであり、彼らの道徳レベルはモンテカルロのカジノの水準にまで低下してしまっている。


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「第2章・ホロコーストの唯一性をめぐる議論の不毛さ」


ホロコーストの唯一性という主張から、ザ・ホロコーストは合理的に理解不能だという主張までは、ほんの一飛びだ。ザ・ホロコーストが歴史に前例のないものなら、それは歴史を越えたものであり、したがって歴史によって把握できないものである。

まさにホロコーストは、説明不能であるが故に唯一無二であり、唯一無二であるが故に説明不能なのである。

ノヴィックはこれを「ホロコーストの神聖化」と揶揄したが、この神秘化を誰よりもさかんに行なっているのがエリ・ヴィーゼルだ。

ヴィーゼルにとってのザ・ホロコーストは、事実上の「神秘」宗教である、というノヴィックの見解は正しい。よってヴィーゼルは朗誦する ーー

ホロコーストは「暗闇へと導き」「すべての解答を否定し」「歴史を越えてとは言わぬまでも、少なくとも歴史の外にあり」「認識も描写も拒絶し」「説明も視覚化もできず」「理解も伝達も決してできない」ものであり、「歴史の破壊」と「宇宙規模での有為転変」を印するものである。その神秘を垣間みることができるのは、生還者という名の聖職者(=ヴィーゼル)のみである。

しかし ーー とヴィーゼルは明言する ーー ザ・ホロコーストの神秘は「伝達不可能であり」「それについて語ることさえできない」。こうしてヴィーゼルは、通常25000ドルの講演料をもらい、運転付きのリムジンで送り迎えを受けながら、アウシュビッツの「真実」という「神秘は沈黙の中にある」と語るのである。

この見方では、ザ・ホロコーストを合理的に理解することは、突き詰めていけば、ザ・ホロコーストを否定することになる。合理性によってザ・ホロコーストの唯一性と神秘性が否定されるからだ。さらに、ザ・ホロコーストをそれ以外の苦しみと比較することも、ヴィーゼルにとっては「ユダヤ人の歴史に対する全面的裏切り」となる。

数年前にニューヨークのあるタブロイド紙がパロディで、「マイケル・ジャクソン、6000万人と核ホロコーストで死亡」という見出しを載せた。するとヴィーゼルは、「昨日起こったことをホロコーストと呼ぶ神経が分らないホロコーストは一つしかない…」と投書欄に激しい声を寄せた。

また、新しい回想録では、

「アウシュヴィッツとヒロシマは20世紀の “2つのホロコースト” 」だと躊躇なく発言したイスラエルの元首相シモン・ペレス(Shimon Peres)を「言ってはならないことを言った」と非難している。

ヴィーゼルお気に入りの決め文句は「ホロコーストの普遍性はその唯一性にある」だ。しかし、比較も理解もできない唯一無二のザ・ホロコーストが、どうすれば普遍的な次元を持つというのだろう。(p57 中略)

もし、エリ・ヴィーゼルが「解釈の第一人者」でなかったら、「アメリカでのホロコーストをめぐる議論はどうなっていただろう」答えを見つけるのは難しくない。ヴィーゼルは、そのイデオロギー的有用性という機能において傑出していた。

ユダヤ人の苦しみの唯一性、永遠に有罪の異教徒と永遠に無罪のユダヤ人、無条件でのイスラエル擁護と無条件でのユダヤ人利益擁護 ー エリ・ヴィーゼルはザ・ホロコーストそのものなのである。

(p63 引用終了)

読書でも映画でも、突如として、MJが登場して驚くことが多いのですけど・・。また、このヴィーゼルが言ってる「昨日起こったこと」って翌日が911だった、30thのこと? でも、911のときに、そんなパロディ無理だよね?。。


次は、ヴィーゼルの魅力について語りたいと思います。

☆「エリ・ヴィーゼル Part 2」に続く


◎以下は参考資料

☆ユダヤ人監督による、MJを「反ユダヤ」だと非難した「ADL」の実体と、
現在の「反ユダヤ主義」やイスラエルを描いた傑作ドキュメンタリ。
イスラエルの少年少女たちが、マイダネク(アウシュヴィッツに次ぐ規模の収容所)
を訪問する様子や、フィンケルスタイン、ミアシャイマー&ウォルトも
その4から登場しますが、ヴィーゼルは登場しません。

◎[映画Defamation]ユダヤ人と名誉毀損 反ユダヤ主義の実体 その1
◎[映画Defamation]ユダヤ人と名誉毀損 反ユダヤ主義の実体 その2
◎[映画Defamation]ユダヤ人と名誉毀損 反ユダヤ主義の実体 その3

(5:25~フィンケルスタインも登場)
◎[映画Defamation]ユダヤ人と名誉毀損 反ユダヤ主義の実体 その4

(8:12~)ミアシャイマー登場。(12:24)~フィンケルスタイン
◎[映画Defamation]ユダヤ人と名誉毀損 反ユダヤ主義の実体 その5

◎[映画Defamation]ユダヤ人と名誉毀損 反ユダヤ主義の実体 その6(終)

◎[参考記事]アメリカの分裂したユダヤ人

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by yomodalite | 2012-09-05 21:21 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)
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☆黄金律に従おう『The Michael Jackson Tapes』の続き

カルマを完全に否定したことも、ここで、あらためて正義を信じないと言いきったのも、MJがこれほど信念を持っているのは、彼が「思想」レベルで物事を考えているからで、この会話は、彼の2万冊におよぶ読書がどのようなものだったかが透けて見えるような内容だと思いました。

そして、この会話の後に起こった裁判のときの態度も、言葉だけではなく、全身でそれを表現するものだったと思います。

人種差別、宗教、反ユダヤ主義[1]で、シュムリーは「マイケルはユダヤ人に直感的に親近感を抱いていた」と言っていました。それは裏を返せば、シュムリーが、MJに親近感を抱いていたということだと思いますが、2人の「正義」に関する考え方には、かなりの隔たりがあるようです。

正直なところ、シュムリーの「ホロコースト絶対主義」による、度を超えたユダヤ擁護を聞いていると、わたしもちょっぴり「反ユダヤ」的な心情に傾いてしまいそうになるのですが、、

MJは人種で差別することは絶対にするべきではないということを「理想主義」でなく「現実主義」として語ろうとし、また、シュムリーは、人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]で「MJが、ヒトラーのような邪悪な人間を許すことができるのは、彼が純真だから」と言っていますが、私には、MJの考えは歴史をよく学んでいるからとしか思えません。

信仰者が少ない日本では、宗教と言えば「魂の救済」という印象が強いですが、歴史好きのMJからは、宗教の、思想、法律、政治のツールとしての視点が強く感じられます。

彼の固い信念がどのように育まれたかについて、多少でもお届けしたいという気持から、少々メンドクサイ感じのことを書いちゃいますけど、、、

夜露死苦っ!


☆註1

SB:君は、正しいことをした人には報酬が与えられ、犯罪者は罰せられるべきだと思わないの?善良な人は繁栄し、悪人は失脚し落ちぶれるべきだとは思わないということ?

ほとんどのMJファンでも、MJではなく、シュムリーと同じく「正しいことをした人には報酬が与えられ、犯罪者は罰せられるべき… 」と考えていませんか? そして、そうでなければ、人類も、地球の未来もないと考えていませんか?

これに関して、下記も含め、今後もなんとかMJの考えを「解説」したいと思っているんですが、、、

☆註2、3

A famous Jewish philosopher named Maimonedes said "Habit becomes second nature" and they have done. They become evil.

SB:有名なユダヤ人の哲学者マイモニデスは言った。「習慣は第二の天性なり」


"Habit becomes second nature" で、検索すると、カバラー(ひと言でいうと、ユダヤ教の伝統的神秘思想)系のサイトが上位に並び、私の訳語「習慣は第二の天性なり」で日本語検索すると、この言葉は、古代ギリシャの哲学者・ディオゲネス(Diogenes)の言葉として紹介されていることが多いようです。

ディオゲネスは、紀元前412年 - 紀元前323年の人で、マイモニデスは、1135年 - 1204年なので、オリジナルは、やはりディオゲネスの可能性の方が高いのかもしれません。

わたしが、ここまでに仕入れた知識をもとに、たぶん、こうなんじゃないかなぁというレベルで、話を進めると、

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は「聖書」を同じくする宗教で、ユダヤ教は旧約聖書をバイブルとし、キリスト教は、旧約聖書と新約聖書の2つをバイブルとしていますが、ユダヤ教では新約聖書を認めておらず、旧約聖書の編集内容も異なっていて、ユダヤ教では、聖書は『タナハ』『ミクラ』と言い、

『タナハ』は、下記の3つで、それぞれの頭文字「TNK」に母音を付けて、タナハと呼ばれている。

・トーラー(「モーセの五書」と呼ばれる。Torah)
・ネイビーム(預言者。Nevim)
・クトビーム(諸書。ヨブ記、箴言、ダニエル書を含む11巻が含まれる。Ketubim)

マイモニデスは「中世の最も偉大なユダヤ哲学者」と呼ばれている人なんですが、彼の著作でもっとも有名なのは『迷える者たちへの導きの書』(「迷える者の手引き」)で、この著書により、彼はユダヤ教にアリストテレス主義(事物や物事にはすべて原因と結果がある)を導入したと言われています。

◎アリストテレス(紀元前384年 - 紀元前322年)Aristoteles
◎マイモニデス(1135年 - 1204年)Moises Maimonides

これは、現実主義(リアリズム)の元祖であるアリストテレスの支持者たちによる、一神教批判に対し、神の実在は証明可能で、アリストテレスの論理によって証明可能である。とする思想書で、ギリシャ哲学とユダヤ教神学との調和を目指したもの。

シュムリーが「正義判断」に関して、審判にとても熱心なのは、この物事にはすべて「原因」と「結果」があるという考えから来ていて、それは、彼の神の存在意義にも関わる根幹です。

アリストテレスは、イスラム教にも大きな影響を与え、また、ダンテの『神曲』にも多大な影響を与えていて、3大宗教は、それぞれ「聖書」を、どう現実にあわせていくかを巡って、工夫をこらしているというか、苦悩していくわけですが、

ユダヤ教よりも早くから、アリストテレスの影響が大きかったイスラム教と、マイモニデスによって、リアリズムが導入されたユダヤ教は「拝金」を肯定し、合理主義思想に傾いていくのですが、キリスト教はそこにもっとも苦悩し、今に至るまで「合理主義」を教義に導入できないようです。

マイモニデスの話に戻りますが、

ユダヤ教では、タナハ(聖書)の中の「トーラー」(モーセの五書)以外に、他にも「タルムード」というものがあって、これは現実の生活を規律する書で、その基本部分を「ミシュナ」と言うらしく、そのミシュナ形式で書かれ、従来の膨大なユダヤ法に関する諸資料を体系的に分類し、かつ法典化したものが、

マイモニデスが書いた「ミシュネー・トーラー」

ですから、マイモニデスは哲学書『迷える者たちへの導きの書』を書いて、それを立法化し、ユダヤ教の「聖書」に組み込んだ人なんですね。

そんなわけなので、色々余計なことまで書きましたが、シュムリーが、 "Habit becomes second nature" を、マイモニデスの言葉と言ったのは、間違いとは言えないというか、たぶん「ミシュネー・トーラー」にそういった記述があるからでしょう。

さらに、その件には関係ないのですが、

当時、マイモニデスはアラビア語でこれを書いたので、セム語圏にはすぐ伝わりました。当時の知識人層の言葉はアラビア語で、ここから、ヘブライ語 → ラテン語 → と聖書は翻訳されていったので、当時のローマでは、聖書は教会関係者しか読むことが出来ず(というか、教会関係者もあまり読めなかった可能性がある)、

これを、マルティン・ルター(1483年 - 1546年)がドイツ語に翻訳したことで、初めて市民層に広がり、これまでの「聖書の嘘」への怒りによって、宗教革命が起きる。

それが「プロテスタント」の始まりで、新約聖書しか信じない!はずだったんだけど、教会の権力はスゴいので、折衷しているうちに、キリスト教は教義としては整合性にかけ、矛盾が多いものとなっていく。

一般的に、3大宗教は、イスラム教がもっとも新しく、預言者として一番新しいのもムハンマド(マホメッド)だと思われていますが、

・ムハンマド(570年頃 - 632年 別名、マホメッド、モハメッド)
・マイモニデス(1135年 - 1204年)
・マルティン・ルター(1483年 - 1546年)

と考えれば、キリスト教が、もっとも発展途上にあり、文化的にも未熟であると考えられなくもないでしょう。

『米国 ユダヤ キリスト教の真実』という本から引用します(省略・要約して引用)

私が、Enlightenmentに「啓蒙」という公式の訳語をつけないのは、この訳語が「Enlightenment(エンライトメント)」の思想詩的な意味をまったく伝えていないからです。Enlightenmentの文字通りの意味は、闇に「灯り」をともし、明るくすることです。権力化したキリスト教のもと、理性的思考が抑えられ、恐怖だけが支配していた闇を吹き飛ばし、フランス革命を実現して、世界を近代に変えたのが Enlightenment です。その内容から見て「理性革命」と訳すことにします。

(yomodalite註:フリーメーソン、イルミナティもこの流れから生まれたものです)

理性は、世界中の人間が本来持っているもので、宗教的な精神操作で抑圧されない限り、自律的に発達します。それはギリシャ時代には、一つの頂点に達し、それに続くローマ帝国時代にも「ヘレニズム」(ギリシャの意味)文化として頼もしい発展をしました。

この「自然な理性」がほとんど突然に断ち切られるのは「キリスト教の一宗派」だけを絶対化し、他を消滅させるために開かれた「ニケア宗教会議」で、ここで、三位一体を絶対の信仰とすることが定められました。この「三位一体信仰」に徹するには、徹底して理性を抑圧する必要がありました。

ギリシャ時代の「理性的哲学者」の文献はすべて破壊し尽くされました。今残っているのは、イスラム世界から近世になって移入されたものです。(中略)

スファラディと呼ばれるユダヤ人はイスラムの人々と平和共存し、イスラム世界の物資や文化をヨーロッパに仲介導入する役を果たしていました。仲介として果たした最も大きな役割は、ギリシャ文化の原典をイタリアに伝え「ルネッサンス」が起こる手助けをしたことです。(引用終了。p94~96)


この章に直接関係しない部分も含めて引用しましたが、MJがどうしてあんなにもミケランジェロが好きだったのか?についての重要ポイントなので… 

中世ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の国々が、聖地エルサレムをイスラム教国から奪還することを目的に派遣した「十字軍」の最初は、1096年 – 1099年で(諸説ありますが)、最後が、1271年 - 1272年。

これらの戦争は、もし兵士が聖書を読めていたら起こらなかったのではないでしょうか。

圧政に苦しむ民の不満を、常に他国へと向けるという権力者の戦略は、今現在もまったく変わっておらず、どーゆーわけだか、日本でも、原発を落とした国を憎むより、隣国と争うように常に仕向けられていたり、宗教が政治にもっとも利用されている米国では、今も十字軍のようなことが続けられていますが、

「反ユダヤ」の起源も「十字軍」遠征から始まったようですが、現在のアメリカ・ユダヤによる「イスラエル政策」も、これの裏返しかもしれません。

ユダヤ人のタルムードには、異国の民は「ゴイム」(家畜、豚、獣などと訳されている)と記されていると「反ユダヤ」の人はよく主張しますが、それが事実だとしても、

日本人が「鬼畜米英」と言っていたこととどこが違うのでしょう?

米国が、日本人を「ゴイム」と思っていなかったら、無差別の空爆や、原爆投下が出来ると思いますか?

私には、ユダヤ人をかばう理由は何もありませんが、書いてあって実行しているなら、それは「正直」であって、まったく正反対のことが書かれているのに、やってることが同じなら、それは「大嘘つき」で「偽善者」ですが、実体としても、多くのキリスト教会で、中世から、現在まで、ユダヤ人を「ジーザス・キラー」と教えてきました。

MJが「正義」の心は大事だけど、正義判断は信用しないと言っているのは、自分の正義を人が判断する必要はないということで、正義は神とは関係ないという考えです。また歴史を冷静に遡ってみて、対立しているどの場面においても「絶対悪」が存在しなかったことが、よくわかるからでしょう。

十字軍はいずれの戦いにも破れ、エルサレム奪還という目的にも「正義」はありませんでした。キリスト教の合理思想への嫌悪と「正義」への執着は、このあたりに「トラウマ」があるのかもしれません。

一方、最初の「律法」を作ったのはセム族ですし、あらゆる正義判断のために、さまざまな「法律」が必要ですが、法律にはそれを創る「技術力」というものが必要です。正義に絶対的な「正しさ」を求めてしまう人に天秤を調整するということはできませんからね。

またまた、マイモニデスの話に戻りますが、

ユダヤ教が、これまで現代思想を取り込むことにあまり躊躇せず、ラビの学者としての性格を重要視したのも、聖書を、ラビの柔軟な知性によって読み解くというマイモニデスからの影響が強いからだと思います。

中世キリスト教の暗黒と比較すると、ユダヤ教では、当時の世界一の哲学者による考えが「聖書」に反映されましたが、一方、キリスト教では「三位一体」信仰により、多くの科学者、思想家が「無神論者」「反キリスト」と厳しい批判を受けました。

MJの神の考え方は、そういったキリスト教会に激しく批判されてきたスピノザや、ニーチェの思想に近く、

また、教会の意向は、芸術家の仕事にも強い影響を与えていましたが、それに反旗を翻し、ギリシャの神々を復活させようとしたのが、

MJが常に意識して来たミケランジェロです。

MJがミケランジェロこよなく愛し、自分の作品を「システィナ礼拝堂」と比較するように創って来たことが、彼のカルマや正義に関する考えと繋がっていて、彼の考えが「ブレない」のは、彼が子供っぽく理想を語っているからではなく、深い歴史への洞察によるものだということを、ちょっぴり説明したくて、

マイモニデスの註期が長くなってしまいました。

☆黄金律に従おう(註釈2)に続く。



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by yomodalite | 2012-09-02 14:52 | マイケルと神について | Trackback | Comments(2)
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☆人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]『The Michael Jackson Tapes』と、
☆人種差別、宗教、反ユダヤ主義(註釈)の続き

Happy Birthday!!! のページをたくさん見てくださってありがとうございます! 

引きつづき『The Michael Jackson Tapes』の和訳ですが、「Jehovh's Witnesses years and Religion」は、今回の章で終了です。

Following the Golden Rule ー With All People
黄金律に従おう


P.128~

SB:Let's get back to Jusitice. When you see so many injustices with no recourse to justice, when people are killed and their murderer is never found, when garbage is written about you continue to believe in justice?

MJ:I don't believe in justice. I believe in it but I don't believe that…

英文表記はここまでで省略。本をお持ちの方は、和訳の内容をご確認のうえ、気になる点や間違いは、遠慮なくご指摘くださいませ。途中ポイントになるような箇所のみ、英文も併記しました。


SB:正義の話に戻ろう。君は、多くの不正が放置されていたり、人が殺されても、殺害者が見つからなかったり、また、君についてのゴミのような記事が書かれていても、正義を信じ続けることが出来ると思う?

MJ:僕は正義は信じてない。正義は信じているんだけど、司法の「正義判断」は信じていないんだ…

SB:君は、正しいことをした人には報酬が与えられ、犯罪者は罰せられるべきだと思わないの?善良な人は繁栄し、悪人は失脚し落ちぶれるべきだとは思わないということ?(☆註1)

All these are man - made things. I think evil is in people's hearts. This is where you and I might disagree. I don't think there is some devil out there manipulating our thoughts. That is what I was taught.

MJ:そういったことは、すべて人が創ったことだよ。僕は悪(evil)は人々の心の中にあると思う。この件に関して、君と僕とでは意見が違うだろうけど。僕は悪魔(devil)が外側から、僕たちの心を操っているとは考えない。これは僕が教えられたことだけどね。

SB:ユダヤ教では、悪魔(devil)という存在は信じられていない。したがって、私たちは君の考えにそれほど反対はしない。ただ、私たちと異なるのは、非常に有害なことをする人々は、その悪事を自分の内側に取り入れて自分のものとしていく。だから最初は邪悪な行為をしただけかもしれないが、そのうち、その人自身が邪悪(evil)な存在になってしまう。有名なユダヤ人の哲学者マイモニデス(☆註2)は言った。「習慣は第二の天性なり」(☆註3)

人は行なったことと同じものになるから、彼らは邪悪であり、ヒトラーのような人間には何も希望もない。そして、誰もが、君でさえも、その法則からは逃れられない。彼らのような人間は、骨の髄まで邪悪なのだ。

MJ:僕も悪魔は非常に邪悪だと思う。悪魔はこの部屋や世界中の裏側に潜んでいて、彼らは本当に忙しい。みんなゲイになってしまうし、同じようなことをしている女性もいる。だから、僕は悪魔は人の心の中にいると思うんだ。(☆註4)

(SB註:マイケルのゲイへのコメントについて。私が思うに、マイケルは自分が見た世界を表現したのではなく、すべてを悪魔の責任にしようとする人々が言うことを、言い換えて表現したのだと思う。マイケルが同性愛嫌悪の意見を言うことを、私は一度も聞いたことがないし、彼はそのような性格ではまったくない。彼はときどき、出会った男性が同性愛者かどうかを当てるゲームをしていたが、それは、悪魔的かどうかというような判断ではなく、彼らが自分に対して慕ってくるかどうかに基づいていた)(☆註5)

SB:こんな残酷な世界で、私たちが正義を信じ続けるためにはどうすればいいと思う?

Follow the Golden Rule. Be kind to your neighbors, love them as much as you would love yourself, do unto others...

MJ:黄金律(☆)に従うこと。隣人に親切に。自分を愛するのと同じように彼らを愛し、他の人にも同じように行なうこと...

☆黄金律(Wikipedia)

SB:君は罪を罰せられることなくうまく逃れようとする人々を見てどう感じるのだろう?怒りを感じない?公平でない卑劣な人々がいるとは思わないの?

MJ:腹が立つよ。だけど、僕は世界にはそういうことがあると知っている。僕のワールドツアーのテーマはこうなんだ。人に親切に、世界を癒そう、ここから違う自分になろう、人を愛そう。それは教会に行くことに似ているけど、僕は説教はしない。僕は音楽とダンスを通してそれを伝えるんだ。

マリリン・マンソンはステージで「神を殺せ!聖書を引き裂け…」と言っているけど、メディアは彼を攻撃しない。彼がまるで女性のような胸をしていてもね…(☆註6)

SB:君は、そういった卑劣な手段で成功したような人々を見て、いつも神に「僕には理解出来ない」と言っているのかな?

No, because I know how feel.

MJ:そうだね。僕にはその気持ちはわからない。

SB:じゃあ、君はそんなときどうするの?

MJ:僕は、世界には善良な人々がいることを信じている。そして、この世界に神が存在していることも信じているけど、神が「審判」を行なうとは思わない。神が降りて来て「あなたは申し分ない。しかし、あなたは引き抜くつもりだ」なんていうことは、僕はしないと思う。

SB:この世界に地獄がないということは、ユダヤ教でも同じだ。罪を洗い清めるための罰はあるけど、永遠に処罰されるような罰はない。

Really? I think that is all beautiful because we were all taught to believe in the devil and Lucifer and the burial ground, where you never get resurrection and judgment.

MJ:本当?それは素晴らしいね。なぜなら、僕たちは(クリスチャン全般を指していると思う)は、悪魔や堕天使(ルシファー)や死後の世界のこと、君は信じないだろうけど、キリストの復活や、審判の日を信じるように教えられてきたからね。

There is a decision being made right now as we talk. Jesus is putting certain people on the right, and when the end of the would comes all those people on the left will be swallowed up and they will be dead forever.

僕たちはいろいろ話して来たけれど、はっきりさせておきたいことがある。イエスは、ある人々を右におき、また、ある人々を左において「終末の日」に、左側の人々が地獄に飲み込まれて永遠に罰を与えられる。(☆註7)

That's not fair is it? There are a lot of beautiful, good people in the world no matter what religion, no matter what race. If there was really such a thing as real true heavenly justice, I don't think Hitler would have got away with what he did as long as he did.

そんなのはフェアじゃないだろう? この世界には善良な人々がたくさんいて、どんな宗教でも、どんな人種でも何の問題もない。もし、この世界に、真実、本物の天国と言えるような「審判」があったとしたら、ヒトラーがしたようなことを、彼が長い間、罰せられることなく出来たはずがない。

Then you get those people who say, " It happened for a reason, to teach the would never to let it happen again. "

それから、こんなことを言う人もいる。「もう二度と、こんなことが起こらないように、人々に教えるために、ホロコーストのような行為が行なわれた」

My foot ! You don't need a million of those little kids to die to teach the would. I am not going for it. They let him get away with it.

そんなばかな!世界に何かの教訓を与えるために、百万もの幼い命が必要だなんてことはない。僕は絶対にそうは思わない。ヒトラーは単にああいうことを、報いを受けることなくやれてしまったっていうことなんだ。

One day when this is over we will get Elie Wiesel to take you to Auschwitz, where so many of those children died. That would be poignant. You have to read his book, Night. His books is one of the most influential books of the twentieth century. He was sixteen years old when he was at Auschwits. He is the most famous Holocaust survivor in the would.

SB : 私たちはエリ・ヴィーゼルと共に、大勢の子供たちが亡くなったアウシュヴィッツに行く日が来るだろう。それは心に強い印象を残す。彼の『夜』という本を読むべきだ。彼の本は20世紀で最も影響力のある1冊だ。アウシュビッツにいた頃、彼は16歳だった。ウイーゼルは、世界一有名なホロコーストからの生還者だ。(☆註8)

(Professor Elie Wiesel is a prince of the Jewish people and one of my greatest heroes. As I mentioned earlier, I introduced Michael to Professor Wiesel, the Nobel Peace Laureate, and they had several meetings.

(SB註:エリ・ヴィーゼル教授は、ユダヤ民族の王子であり、私の最も偉大なヒーローの1人です。前にも言いましたが、私はマイケルをヴィーゼル教授[ノーベル平和賞受賞者]に紹介し、彼らは何度かミーティングを行なった。

Wiesel was my guest over two visits while I was rabbi at Oxford, and we have become close friends. It was my fervent hope that Professor Wiesel would take Michael under his wing, and it was Michael's great honor to have one of the world's foremost humanitarians believe in him for a few months.

ヴィーゼル教授は、私がオックスフォード大学のラビであった期間に、私の元に2度訪れ、私たちは親しい友人になった。ウィーゼル教授の下に、マイケルを連れて行くのは、私の強い希望でもあり、そして、世界一の人道主義者のひとりに、2、3ヵ月の間信頼されたことは、マイケルにとっても大きな名誉でした。

Later, when MIchael got arrested on charges of molestation, I called Professor Wiesel and apologized for vouching for Michael and what I thought to be his sincere intentions to help children. Professor Wiesel once told me that he saw compassion in has always been a wise counselor in my life and I continue to be blessed with his inspiration and guidance.)

その後、マイケルが猥褻行為の罪で逮捕されたとき、私はヴィーゼル教授に電話をして、マイケルと私が子供たちを助けるという考えは、誠実な意図によるものだと説明し、彼の保証人になったことを謝罪しました。ヴィーゼル教授は、かつて、私にとって同情は、常に人生の賢いカウンセラーであり、そのインスピレーションに今でも恵まれ続けていると語りました)


He is not bitter. He is like Mandela in that way.

MJ:ヴィーゼル教授は、冷酷で厳しいというような人ではなく、マンデラのようなタイプだね。

So you don't believe in justice ? You have seen it subverted too many times to believe in it ?

SB:君は正義を信じるには、あまりにも多くの人が罪から逃れるのを見て来たから、それを信じないの?


I believe there should be justice but I don't believe in the justice system. That's what I should say. You have seen the things that go on in the world and how people get away with them.

MJ:僕は正義はなくてはならないと思っている。でも、司法制度は信じてない。それが僕の言いたかったことだよ。世界で進んでいる物事や、それに関わる人々が、そこからどう逃れるか見てきたからね。

The majority of the good people that you have met, have they prospered ?

SB:君が出会ってきた善良な人々の大部分が、それで上手くいくと思う?


Absolutely

MJ:絶対大丈夫!

☆黄金律に従おう(註釈1)に続く



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by yomodalite | 2012-09-01 09:14 | マイケルと神について | Trackback | Comments(22)
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☆人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]『The Michael Jackson Tapes』の続き

下記は、人種差別、宗教、反ユダヤ主義[1][2]の、註釈 … というか、
私の独自見解とか、感想のようなものです。

☆タイトルの Anti - Semitism について

Anti - Semitism を「反ユダヤ主義」と訳すのは、一般的なんですが、Semitism は、セム族から来ていて、セム族というのは、旧約聖書に由来する言い方で、セム、ハム、ヤペテという、ノアの3人の息子の名前で、伝統的な三大民族の先祖とされています。

セムは黄色人種、ハムは黒人種、ヤペテが白人種という記述がよく見られるのですが、これは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という「God」という神をもつ宗教内の区分なので、セム族は、アラビア人、エチオピア人、ユダヤ人、アッシリア人、フェニキア人といった、セム語系の言語を用いる民族と考えた方がいいと思われます。

でも、現在の語句として、明らかに「セム族主義」ではなくて「ユダヤ主義」なのは、セム族が「キリスト教」「イスラム教」と「ユダヤ教」に分離したことに対して、ユダヤ教に本家意識があることと、

また、ユダヤ人と言われる人々の中には、アシュケナージと言われる「白人種」もいるけど、現代のユダヤ教にとっては、シオニズム(パレスチナ帰還再建運動)に対しての賛否が、もっとも重要な問題のひとつだから、Jewish とか Judaismではなく、反ユダヤ主義の場合、特に「Anti - Semitism」というのかなぁと、私は思っているのですが、違うんでしょうか?(教えてエロい人!)

◎[関連記事]「ユダヤ人とは誰かー第13支族・カザール王国の謎」


☆ユダヤ教・キリスト教・イスラム教…

ユダヤ教から、別れていったキリスト教が、勢力拡大のため、教祖がユダヤ人にも関わらず、本家のユダヤ人を厳しく差別したり、セム族同士であるイスラム教からも、教義の違いから批判され、厳しい立場のユダヤ教なんですが、最も弱点と思われるのは、ユダヤ人のエジプト脱出の物語を起源とするユダヤ教には、民族主義が強すぎて、他民族への布教に向いていない(熱心ではない)という点だと思います。(民族ではないという点を強調し、改宗者も歓迎されていますが…)

その点、キリスト教は、イエスの受難をユダヤ人差別に利用し、ローマ帝国の帝国主義にも、イエスという人物の魅力を最大限利用したため、聖書は、他民族への布教が可能になり、世界に拡大したのだと思います。

しかし、旧約、新約の両方を聖書にするというキリスト教会の権力は、今で言えば、権力者がメディアを独占するようなものですから、教会内の腐敗が激しくなり、自分たちが守れないことばかり、人々には厳しく押し付けるということがあまりにも多くなり、カトリックから、プロテスタントという改革を経て、より現実的な「イスラム教」へと発展していきます。

イスラム教は、現実的であるがゆえに、イスラム国家では宗教政治(王国政治)が可能になるんですね。

西洋では、政教分離は緩やかな分離になっていて、日本は政教分離を厳格に分離していて、まるでそれが良いことのように思われていますけど、本当はそれが出来ないのは、そのどちらにも欺瞞や問題点があると認めているようなものですよね(違いますか?)

欧米が、メディアの洗脳による「民主主義」で、イスラム国家を、独裁者政権として激しく批判しているのは、大雑把に言えば、そーゆーことではないかと。。。

でも、Godを神とする「一神教」である、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教で、いずれも「イエス」は重要人物として扱われ、人気があるのですが、現在、もっとも偶像崇拝を認めていないイスラム教圏内で、MJの人気が高いのは、もしかしたら、その影響もあるのかも。。


☆註1(人種差別、宗教、反ユダヤ主義[1]『The Michael Jackson Tapes』)

SB:私は、むしろ、マイケルがユダヤ人に直感的に親近感を抱いていたと思う。

シュムリーは、自分の陣営にMJを取り込みたくて、そう言っているという部分も大きいと思うし、MJは常に相手の話をよく聞いて、自分の意見をもっていると思っている人の多くに見られる「上から目線」ではなく「下から目線」で懐に入るのが、すごく上手いので、

ユダヤ教のラビだけでなく、独自の武士道に生きるというようなタイプ(朝堂院大覚)まで、様々な人に同様の感想を抱かせてしまう天才ではあるのだけど、、

真面目で勉強熱心で、合理的選択に長けているという点では、共通点があり、、この件に関しては、次の章の註釈でもしつこく説明します。


☆註2(人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]『The Michael Jackson Tapes』)

SB:彼もくすくすと笑うの?(Does he like to giggle ?)

MJは、このことを何度も語っていて、シュムリーは若干「小バカにして」聞いているという感じなんですけど、でも、MJは、笑いと子供っぽさが重要だと真剣に考えていて、シュムリーには特にそれが足りないと言っているんじゃないでしょうか?(他の章でも、自分のイタズラ好きを熱心に語ってるし…)。

中世では、笑いは「悪魔の表現」と言われてきて、それが暗黒の中世を生み、笑いの自由化には時間がかかりました。笑いが注目されたのは、キリスト教の後期なので、ユダヤ教のラビには特に教えてあげなきゃと、道化師の末裔である、MJは思っていたのかも。


☆註3(人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]『The Michael Jackson Tapes』)

MJ:彼は子供たちに話しかけた「後で」僕と握手したんだ。それは正しい順序だよね。

MJは、こどものことを、フェティッシュに好きなのではなく、大人にとって、社会的にこどもを第一に考えることが、利他的に考えるということにおいて、もっとも間違いの少ない、世界共通の考え方だと思っているんじゃないかな。(口先だけでそう思っていても、ガンジーにしろ、マンデラも、もちろんMJも、徹底的に実行できる人はいませんからね)


☆註4、註5(人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]『The Michael Jackson Tapes』)

SB:子供が人を信じやすいという問題でもあり、同時に、君が抱えている問題でもある。

SB:有害な悪魔であっても、君はその悪魔にも良いところがあると言いたい。それなら、人を裁くシステムについては誰かに依頼したらどうだろう。それは君が世界に貢献するようなことではなく、率直に言って、その件に関して君は良くない仕事をしてしまう恐れがある。


こういったシュムリーの「MJ評」は、ファンや、MJの周囲にいた関係者にも多く見られる考え方だけど、、それは、MJを自分サイズで「ちっちゃく」判断しているからだと、私は思います。

彼が子供っぽい考えで、そう言っているのではないということについては、このあとの記事でも説明します。


☆註6(人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]『The Michael Jackson Tapes』)

SB:この問題で人々ができる唯一の方法は、彼らをこの世界から追い出すことだけだ。

こういった考え方が、現在の米国の裁判好きで、戦争好きな体質を生んでいると思う。
(でも、日本でもこういった考え方が、どんどん侵蝕していますね。)


☆註7(人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]『The Michael Jackson Tapes』)

SB:君は酷い報道をして来た人々や、子供を傷つける人々を除いて、君の心の中のすべての人々を許して来たのかい?

MJ:そうだよ。


MJが『Heal The Wourld』という曲をつくった後、ユダヤ教のラビに接近し、ユダヤ教徒の生活や習慣までも熱心に学んだ「理由」は、このことを彼らに教えようと思ったからでしょう。


◎黄金律に従おう『The Michael Jackson Tapes』につづく
◎マイケルと神について(番外編)Pride Of Lions 訳詞



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by yomodalite | 2012-08-24 08:31 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)
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☆人種差別、宗教、反ユダヤ主義[1]『The Michael Jackson Tapes』の続き

P.123~(中段より下)

SB:君は、大人たちがそうだったとしても、若い世代は、優しい心を持っていると信じ続けているの?

MJ:そうだよ。僕は今日までそれを見つけ出そうとしている。僕はユダヤ人の問題もずっと気にかけて来て、すごく大きな問題だと思ってる。

SB:ユダヤ人問題って?

MJ:ホロコーストで孤独に亡くなった子供たちの数を知ったとき…[泣き崩れる]人は何故そんなことができるんだろう? 僕には理解できない。人種が何であるかが、どうして、そんなに重要なんだ? 何であろうが… そんなことは、全く理解できない。人種にどんな条件があるって言うんだ …

僕には、人種差別なんて理解できないし、誰かが、それらを嫌うように、君の心が憎しみでいっぱいになるように、命令するんだろうか? 申し訳ないけど、彼らには、僕の心をそんなふうに変える事はできないよ。君には悪いけど、彼らは君の心は変えられたの?

SB:私たちが影響を受けやすい自分をつくり、正しいことを要求する神との関係を断っていたとしたら、彼らは、私たちの心を変えることが出来ただろうね。


MJ:ヒトラーは天才的な演説家だった。彼は多くの人々の心を憎しみに変えた。彼はショーマンに違いない。彼は演説の前に、少し間を挟んで、少量の水を飲み、のどをすっきりさせ、周囲を見回す。それは、エンターティナーが観客を惹き付けるためにやることと同じなんだ。彼は、演説の最初の言葉から激高していて、その強い口調で叩き付けるように話す。

でも、彼はどこでそんなことを学んだのだろう?彼は学校を退学しているし、彼はそこでは建築家になろうとしていた。彼は多くの失敗を経験している。僕はそういったことは、すべて刑務所で起こったんだと思う。『我が闘争』(☆)にあるようにね。僕は本当にそう信じているんだ。

☆『我が闘争』(Wikipedia)

(SB註:マイケルは、ヒトラーはショーマンとしては素晴らしいものがあると分析していた。私は後になって、ヒトラーの演説を何本も見たがマイケルの分析は間違いなく正しかった。ヒトラーは演説を始めるとき、少し間を取り、そして観衆の期待が高まった後で、ゆっくりと話し始めるのだ。)

SB:彼がその本を書き始めた場所で、彼の計画は練り上げられたと?


MJ:ああ、そうだね。彼は強い怒りを込めてその計画を練り上げた。ネルソン・マンデラとは真逆だね。彼は刑務所で子羊になり、恨みを持たなかった。彼は青春期が過ぎ去ってしまった80才の今日まで、長い間刑務所で過ごした後悔を口にしない。

SB:彼の青春時代が過ぎ去ってしまっていても?

MJ:そう、彼はかわいいんだよね。すごく子供っぽくて

SB:彼もくすくすと笑うの?(☆註2)

MJ:彼は子供たちが大好きで、僕が彼に会いにいったとき、何人かの子供たちと一緒にいたんだけど、「子供たちはここにいてください。マイケル・ジャクソンさんだけこちらにどうぞ」と言われて、僕は「マンデラ氏は子供たちに会うのを嫌がったりしないよ。子供たちが一緒に行けないのなら、僕も行かない」と行ったんだ。マンデラ氏の代理の人が、険しい表情で、僕の顔を見てきたことを憶えているよ。

そのあと代理の人が戻って来て、「みなさん、お入りください」と言った。マンデラ氏は、初めに子供たちのところにかけよってハグをしたんだ。僕はね、マンデラ氏がそんな優しい人だと知っていたし、彼も子供たちが大好きだった。彼は子供たちに話しかけた後に、僕と握手したんだ。それが正しい順序というものだよ。(☆註3)

SB:君はヒトラーとは真逆なんだろうか? 神は驚異的なカリスマ性を君に与えた。ヒトラーが、人間の獣性を表わすなら、君は人間の純真さや神性を引き出したいと考えている。最強の暗黒の力が、ヒトラーの指示によりドイツから放たれることになり、神は今、君に驚異的なカリスマを与えた。君はそのカリスマ性を、人の心にある純真さや神性を引き出すために使っているの?

MJ:僕はそう信じている。僕のショーに来れば、君も変わることが出来るよ。僕のショーは宗教体験のようなものだから。そこに来る前は君はただの1人の男だけど、そこから出て行く頃には、違う人間になっている。実際そうなるんだから。

SB:君は、ショーの目的のひとつとして、人々からそれらを引出すようにしているということ? ただ、観客を楽しませるだけではなく?

MJ:もちろん。観客も僕もそうなんだ。僕たちがコンサートでやっていることを、君にも見せてあげられたらいいのに。ステージに巨大な戦車が登場して、戦車と兵士が、観客に狙いを定め、それから、彼は僕に対して、銃口を向けると、観客全体からブーイングが起こる。どんな国でもそうなんだ… そして僕が銃を取って、それを下に向けると、兵士たちは嘆き始める。そこに、小さな女の子が登場して ーーいつも貧しい農家の少女なんだけどーー 花をひとつ持っていて、兵士の顔を見て渡す。兵士の膝が折れて泣き崩れると、観衆はいつも熱狂するんだ。

それから、僕のスピーチが始まって、別の少年がやってきて手話をする。君がそこにいたら、観客がみんな泣いているのが見るだろう。それは、どこの国でも起こることで、『Earth Song』という曲でのことなんだ。

僕は親善大使のように、世界中でそういったメッセージを広めて来たんだ。その後『Heal the world』では、全世界の子供たちが巨大な地球を取り巻いて、後ろにある大きなスクリーンには、世界中のリーダーたちが映し出されて、それは驚くよ。

一方、他のシンガーたちは、セックスについてとか「ベイビィ、バスタブの中で、君の体のすべてに触りたい」とか歌っていて、僕だけが、どこかのマスコミに変な奴だと叩かれてる。君はその感覚をどう思う?

SB:それは、もちろん正しくないね。

MJ:おかしいと思うだろう?

SB:君が見たものとは、変わっているね。

(SB註:その頃、マイケルはオックスフォードのような場所でスピーチをしたことによって、彼の周囲には信頼のおける尊敬すべき政治家や、育児の専門家が集まり、彼は良い評価を得るようになり、失われていた尊敬を回復しつつあった)

SB:彼らはなぜ理解できなかったんだろう?なぜ、彼らはナチスのような、邪悪(evil)な人たちになったのだろう。


MJ:僕には、彼らの心に近づく方法がないとは思えない。

SB:それは、君がヒトラーと直接向かい合って話すことができたら、ということ…

MJ:そうだよ。まさにそのとおり!彼の周囲には、彼を恐れていた人々ばかりが大勢いたんだ。

SB:もし君がヒトラーと1時間会うことが出来たら、君は何らかの方法で、彼の心に触れることが出来ると信じているということ?

MJ:僕は、絶対に出来ると確信してる。

SB:ヒトラーだよ。マイケル!君は誰であろうと、心の底から邪悪(evil)な人はいないと思っていて、それで、彼の心にも触れられると信じているんだね。だから、君は不正を罰すること良しとしない…

MJ:僕は彼らのような人たちは救って、セラピーを受けさせなければならないと思う。君は、彼らに教えてあげなくちゃ。人生のどこで、何を間違ったのか、彼らは自分が何をしているかわからなくて、それがどれだけ間違っているかもよくわかっていないんだ。

SB:しかし、マイケル、ヒトラーのように、明確に矯正不可能な人々もいる。彼は悪(evil)そのものだ。君が同席するような人間性の欠片もない人間で、見たことがないような深海や暗闇に話しかけるようなものだ。いったいどれだけ大勢の人を殺したと思っている?彼らに与えるセラピーなんてないだろう?彼らは殺人者なんだから、厳しい罰を与えるべきだよ。

MJ:それは、恐ろしいことだと僕は思う。彼らの心に届くような人がいることを僕は望むね。

SB:彼らがすでに罪を犯していて、彼らが殺した犠牲者がいるのに? 

MJ:彼らがすでに罪を犯してしまっていたとしたら、それは間違っているけどね。

(SB註:これは、馬鹿げた話だ。ヒトラーを1時間で変えられると信じている人がいるとは。ヒトラーは、かつて、この世に存在した中で、最も邪悪(evil)な人間だ。その男は、600万人のユダヤ人の殺害はもちろん、100万人の子供たちも同じように計画的にガス室で殺害した。マイケルは純真だから許すことができるのだろう。

しかし、暗闇を光に、悪(evil)を善(goodness)に変えることができると信じている人間には、通常の善悪のルールは通用しない。マイケルは自分には、子供たちを癒す特別なヒーリングパワーがあると信じていて、その能力は、他の人々には間違って見えたとしても、彼には心地よいものだった。

実際のところ、私は、マイケルのヒトラーへのコメントについて、彼をもっと説得すべきだった。私は、彼に、「マイケル!君は救世主(Messiah)じゃないんだ」と言うべきだった。君は、第二次世界大戦を止められなかったじゃないか。私はそうしなかった自分の臆病を後悔している。しかし、私は重大な判断をせまる問題に対しては、柔軟な姿勢でアプローチすることにした)

SB:ここまでの話をまとめてみると、君が、世界を子供の目を通して見ようという意見は面白い。了解だ。だが一方で、子供にとって、本当に邪悪(truly evil)な人間を見分けることは難しい。それは、子供が人を信じやすいという問題でもあり、同時に、君が抱えている問題でもある。(☆註4)

たとえ、どんなに有害な悪人であっても、君は良いところがあると言いたい。それなら、人を裁くシステムについては誰かに依頼したらどうだろう。それは君が世界に貢献するようなことではなく、率直に言って、その件に関して君は良くない仕事をしてしまう恐れがある。(☆註5)

残酷な行為による「大人の世界」の罪を知れば、君も刑罰が必要だと思うようになる。しかし、子供の世界ではそれらは存在しないので、君は処罰を必要としないなどと言うんだろう。しかし、マイケル、君はヒトラーの心に触れることが出来るなんて、本当に考えているの?


MJ:間違いなくそう思ってるよ。

SB:何らかの方法で、ヒトラーの良いところを見つけることが出来ると?

MJ:うん。僕はできると思っているし、実際に出来るよ。誰も彼と本当に話をしたことがないんだよ。僕が思うに、彼は、こんな言い方は嫌いなんだけど、ご機嫌取りのような連中に囲まれていたと思う。事実、彼らはそんな感じで、それは、ヒトラーが求めたことでもあり、彼の周囲もそうしていた。

SB:ヒトラーには、挑む人間が誰もいなかったということ?

MJ:ドイツには、ヒトラーに反対する人間もいた。彼らはヒトラーを殺すことだって挑戦したよ。憶えてるだろう?

SB:ああ、クラウス・フォン・シュタウフェンベルク(☆)だね。しかし、彼と彼の賛同者は、1千万人の人口のうち、多くても数百人だった。このような話の場合、私と君の意見にはかなりの距離がある。ヒトラーは本質的に邪悪だ(intrinsically evil)。君には彼の心に触れることは出来ない。この問題で人々ができる唯一の方法は、彼らをこの世界から追い出すことだけだ。(☆註6)

☆クラウス・フォン・シュタウフェンベルク(Wikipedia)

◎ヒトラー暗殺計画(Wikipedia)

SB:君は酷い報道をして来た人々や、子供を傷つける人々を除いて、君の心の中のすべての人々を許して来たのかい?

MJ:そうだよ。(☆註7)

☆人種差別、宗教、反ユダヤ主義(註釈)に続く



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by yomodalite | 2012-08-21 12:17 | マイケルと神について | Trackback | Comments(5)
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☆カルマと正義[2]『The Michael Jackson Tapes』と、
☆カルマと正義[2](註釈)の続き

ラビ・シュムリーの著書『The Michael Jackson Tapes』から、Part 2「Jehovh's Witnesses years and Religion」(エホバの証人時代と宗教)にある「Racim, Religion, and Anti - Semitism」の和訳です。

Racim, Religion, and Anti - Semitism
人種差別、宗教、反ユダヤ主義


P.120~

SB:マイケルは彼の曲「They Don't Care About Us」で、ユダヤ人を侮辱する言葉である「Kike」を使用したことによって、激しい非難を浴びた。私とマイケルが友人であることを知っている多くのユダヤ人たちが、私にマイケルは反ユダヤ主義だと言って来た。しかし、マイケルの人生で非難されたことの中で、反ユダヤ主義だと言われることなど、それらのうちのひとつに過ぎない。

私は、むしろ、マイケルがユダヤ人に直感的に親近感を抱いていたと思う。(☆註1)マイケルは、私がラビであるということに非常に敬意を払い、私が持っていたユダヤ学の知恵から、多くを学んでいた。私はマイケルがユダヤ人を誹謗するような2006年頃のボイスメッセージについても、よく知っている。

◎[ボイスメッセージ]Michael Jacksons opinion about jews

そういった不快な行動を援護するつもりはないが、私が彼を守ることが出来なかった期間、マイケルは処方箋薬の問題を抱えていて、彼は薬物の影響下にあった。そして、誰がそれらをマイケルに与えていたかについては、誰にもわからないが、マイケルは常に私の前では、ユダヤ人と、ユダヤ教に対して、最上級の尊敬を表していた(☆)


☆[関連記事]Michael Jackson and The Jews:Rabbi Shmuley Boteach

(会話はここから)

SB:君は、社会から取り残された多くの人々の声になろうとしてきた。「They Don't Care About Us」もそうだね。この曲の重要なメッセージである、誰からも見捨てられているのは誰だろう? 貧しい人々? それとも第三世界?

MJ:僕が言いたかったのは、誰からも見捨てられていて、不当な扱いを受けている人々、結婚していない両親から生まれたり、「ニガー」(黒人への差別用語)なんて言われたり、これは、僕が言ったことで、誤解を受けた言葉だけど「カイク」(ユダヤ人への差別用語)もね。

少年の頃、ユダヤ人の弁護士と、ユダヤ人の会計士が、僕が寝ているベッドの隣で、お互いに “カイク” と呼び合ってた。僕が「そうはどういう意味?」と聞くと、彼らは「ユダヤ人に対する悪い意味の言葉だよ。黒人に対して “ニガー” というのと同じさ」って、僕は「ああ、そうなんだ」と答えた。

だから、 “ニガー” も “カイク” も、人々が不当に扱われるときの言葉だって知っていて、そう言ったんだ。大勢の人に誤解されたけど、僕は決して… わかるだろう?

SB:君は声なき人たちのために、立ち上がろうとしたんだね?

Yeah, who don't have a voice. I would never teach hatred, ever. That's not what I'm about.

MJ:そう。声なき人のためにね。僕は憎むことは決して教えない。それは僕が言いたいことじゃない。

SB:君にはアメリカ人としての誇りがある? 外国でコンサートを行うとき、いろんな意味でアメリカの代表だと感じることは?

MJ:これから言うことを、誤解して欲しくないんだけど、僕は自分を世界の一員だと感じている。だから、どちらか一方につくのはいやだ。アメリカ人として、この国に生まれ、アメリカについて誇りに思うことがたくさんあっても、そうは思えないことも… 偏見と言うか… ノーマン・ロックウェルが描いた、学校で学ぼうとする少女に物を投げている絵とかね…


(SB註:ロックウェルは、南部の人種差別が撤廃されたばかりの学校に、白人の攻撃から彼女を守る連邦保安官に警護されて、通学する黒人の少女の絵を描いた。マイケルと私は、ノーマン・ロックウェル美術館にその絵を見に行ったことがあった)


MJ:僕には人種差別が理解できない。僕の母親、彼女は天使とか聖人のような人なんだけど、エンシノの家から1ブロック先にあるマーケットに、ベンツで買い物に行った日、母はみんなを愛しているのに、車に乗った白人の男性に「アフリカに帰れ!ニガー!」と怒鳴られた。母がそんな目に会うなんて、今から5年ほど前のことだけど、僕はすごく傷ついた。その白人男性は妬んでいたんだと思うよ。

僕が知っている話としては、僕の兄弟が乗っていたロールスロイスに鍵をかけて出かけて戻って来たら、誰かが自分の鍵で、その車に傷をつけていた。黒人がロールスロイスを運転していたからだよ。そういうことにはうんざりするね。皮膚の色と、その人の人間性とは何の関係もないじゃないか。

僕は、ユダヤ人の子供も、ドイツ人の子供も、アジアや、ロシアの子供もみんな愛している。僕たちは、みんな同じで、僕はそれを完璧に証明できるよ。

僕はあらゆる国で、コンサートをして来たけど、彼らは、みんな同じ場面で泣いて、同じ場面で笑って、同じ場面で興奮する。気絶して倒れるところまで同じなんだから、それは完全な証明だと言えるよね。僕たちには、みんな同じ共通性があるんだ。

ロシア人は抜け目がなく、ドイツ人は感性や感情がないなんて聞いたことがあるけど、僕のコンサートでは、ドイツ人は僕たちと同じか、それ以上に感情的だった。ドイツにもロシアにも、僕を大好きなファンがいて、彼らは、寒い日でも、暑い日でも、僕を一目見ようとずっと外で立っている。

彼らは「世界を癒したい!」「私たちはあなたを愛してる!」って叫ぶ。そういうのは若い人々で、戦争や他のくだらない状況とは何の関係もない。彼らはこれまでとは違う、新しい種類の人たちだ。とても素晴らしいし、僕も世界のひとりになったように感じる。だから、僕には、どちらの側にもつくことは出来ないよ。「僕はアメリカ人です」と言うのが嫌いなのは、そういう理由なんだ。

SB:実際のところ、君は信じられないほど成功した初めての黒人有名男性として、そのキャリアがどんな影響を及ぼしたと思う? 例えば、誰かから不公平な行為をされたとか、君の母親が経験したような人種差別とかはあった?

MJ:そうだね。僕の前には、ハリー・ベラフォンテや、サミー・ディヴィス・ジュニア、ナット・キング・コールがいた。 彼らはエンターティナーとして、人々は彼らの音楽が大好きだったけど、でも、彼らは、ちやほやされたり、キャーキャー言われたり「愛してるわ!結婚して!」なんて、言われたことはなかった。

彼らは観客に服を破かれることもなかったし、ヒステリックに叫ばれたり、スタジアムで演奏することもなかった。僕は、最初にそういったスタイルを破って、白人の女の子、スコットランドや、アイルランドの女の子たちにも「愛してるわ!あなたが欲しいの!…」とか叫ばれたんだ。

多くの白人の記者たちは、それが気に入らなかった。僕がパイオニアだったから、彼らは僕に冷たかったんだ。 それが作り話の始まりだった。「彼は奇妙だ」「彼はゲイだ」「彼は高圧酸素室で寝ている」「エレファントマンの骨を買いたがっている」 … 人々が僕に背を向けるようなことを、彼らは本当に酷いことをやってきた。僕じゃなくて、他の誰かがそんな目にあったら、今ごろ麻薬中毒で死んでいるだろう。

SB:君がそんなことに耐える力はどこから与えられたの?

MJ:こどもたちを信じること。若者を信じること。こどもたちを守るために、神が僕にこういった試練を与えたんだと信じることだよ。

☆人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2] 『The Michael Jackson Tapes』に続く



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by yomodalite | 2012-08-20 17:31 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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