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もう日本の映画しか観ないかも・・と思ったのも束の間、先週3本目の作品は、カナダ&ドイツ映画の『手紙は憶えている』(原題:Remember)。

90歳の老人ゼヴは、目覚めるとすぐに妻のルースを呼ぶが、彼女はすでに亡くなっている。認知症のゼブは、もうそんなことさえ憶えていることができない。

妻の葬儀のあと、同じ施設で暮らす友人から手紙を託され、ゼブは家族にも内緒で施設を出る。ふたりは共にアウシュヴィッツ収容所の生存者で、家族を殺したナチスへの復讐を誓い、車椅子の友人は、ゼブが忘れても大丈夫なように全ての計画を手紙に書いていた。身分を偽り、今も生きているという兵士の名は、“ルディ・コランダー”。容疑者は4名まで絞り込まれていた。

驚愕のラスト5分、あなたは見抜けるか?

というキャッチフレーズから、どうしてもその真実を想像しながら見てしまうことになるのですが、『シックス・センス』の魅力が、8歳の少年を演じたハーレイ・ジョエル・オスメントだったように、この映画では、90歳の認知症の老人を演じている、87歳のクリストファー・プラマーから目が離せなくなる。

ゼブは子供を可愛がり、子供からも優しくされるようなキャラクターで、それがこの物語を見る私たちの視点を混乱させ、『シックス・センス』のような巧妙な叙述トリックはないものの、エンディングの哀しさには繋がっている。

音響的に抑制されたこの映画の中で静かに心に響くシーンが、ゼブがピアノを弾く二度の場面。

最初はメンデルスゾーン、そしてラストはワーグナー。

サスペンスというよりは、認知症でありながら、このふたりの美しい音楽を奏でるゼブという老人の映画だと思いました。タイトルは、『手紙は・・』ではなく、原題どおり『リメンバー』の方がより深く余韻を楽しめたかな。

下記は、ヒトラーがワグネリアンだということは知っていたけど、メンデルスゾーンがユダヤ人だったことは意識していなかった。という人への参考記事。




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by yomodalite | 2016-10-31 10:27 | 映画・マンガ・TV | Trackback(2) | Comments(0)

世界陰謀全史/海野弘

先日、「陰謀論」をテーマにした本を何冊か読んだ。といった本のなかの一冊。

タイトルは陰謀全史ですが、世界におこった陰謀の歴史ではなく、陰謀論の主役になった集団を年代別に紹介してある。といった内容。

著者は、「陰謀論がなくならないのは、現代世界に霧がかかり、はっきり見えなくなっているからではないだろうか、私たちはそれをはっきり見たいと思い、そのための眼鏡を必要とする。その眼鏡のひとつが陰謀論なのである」とし、

「世界は謎である。世界は秘密と陰謀に満ちている。そのような世界を解読したい、はっきり見たいと思う時、陰謀論という〈アプリ〉が必要となる」と。

マーク・ブース(『世界の秘密史ー秘密結社に操られる』)は、小説はエゴイストに関するものだといっている。つまり個人としての視点から世界を眺めるのである。個人が世界を彼自身の視点から眺め、解釈すること、逆に言えば、世界を解釈しようとする個人がたくさん、すなわち大衆としてあらわれたことと、陰謀論の一般化とは関連している。一般の人が個人として、世界に対してそれぞれ意見を申し立てることができるようになったことが陰謀論の流行とつながっている。すなわち、権力、体制側の解釈としての「大説」に対する個人の抵抗としての「小説」なのである。

世界は複雑化し、部分化していくが、細部へのこだわりは全体を失わせ、世界はバラバラに見えてくる。そのばらばらの部分をつないだ統一的な理論が求められ、陰謀論は呼び出される。

陰謀論者は、さまざまな陰謀説を自在に呼び出すことができ、自在に組み合わせて自説をつくりだすことができる。第一の法則は、陰謀説は、あくまで、今、ここ、にかかわっていることを示し、その説が起源が何万年前のものであろうと、その血脈は受け継がれ、今、ここに生き続け、今なお有効であると考えられるのである。

どんなに古いものでも、すべてを今のこととして考える。今をどう説明するかが重要なのである。それが、「すべてのものは、今につながっている」という法則になる。

というのが、プロローグの要約で、

ここから、隠謀全史の本編となるのですが、それらはウィキペディアの文章にも似て、陰謀論がもつ「解読」の魅力には乏しく、またそれらの真実を覆そうという意図もなく、

21世紀の『秘密結社の手帳(澁澤龍彦)』のような、
夏の読書にふさわしい暑苦しさのない「陰謀論本」だと思いました。

個人的には、第2章の「W・B・イエイツのケルト薄明」、第3章の「ユング・カルト」に興味があったのですが、本書は、まずは妄想全史を俯瞰的にながめてみる。ための「アプリ」のようです。

《第一章》陰謀マトリックスの三つの軸
――フリーメイソン、テンプル騎士団、薔薇十字団
●陰謀論の三つの神話
●フリーメイソン――秘密結社の原型
●テンプル騎士団――秘密の戦士たち
●薔薇十字団――魔術と革命

《第二章》十九世紀末――オカルト・ルネサンス
●現代陰謀論の開幕――フリーメイソンとフランス革命
●十九世紀の心霊主義――フォックス姉妹、ブラヴァツキー夫人の神智学
●フランスの魔術ルネサンス
●黄金の夜明け団
●W・B・イエイツのケルト薄明
●アレイスター・クロウリー 大いなる野獣

《第三章》アーリア神話 大陰謀
――1900年から第二次世界大戦まで
●オカルティズムと戦争――世界征服の陰謀<ナチズム>
●ユング・カルト――陰謀史のユング
・フロイトとの訣別とユングフラウ
・大戦とユング
・ロックフェラーと<心理学クラブ>
・オットー・グロス
・古代異教カルト、そしてアメリカへ

《第四章》アメリカ大陰謀時代――第二次世界大戦以降
●コンスピラシー・アメリカン
●カリフォルニア・コネクション
●アシッド・ドリーム
●カルト戦争

エピローグ
・二十一世紀の陰謀論





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by yomodalite | 2015-07-28 14:00 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)
最近、タイトルに「陰謀論」が入った本を何冊か読みました。そのきっかけは、『無神論』『ユダ ー 封印された負の符号の心性史』の竹下節子氏の著作ラインナップにこのキーワードを見つけたからで、氏が「陰謀論」をどのように扱われたかに興味があったんですね。


本書は2010年の出版なので、出版界での「陰謀論本」ブームも、まだ勢いがあった頃ではなかったかと思いますが、2015年の今、出版界のブームは去っていても、取材や裏取りを一切行わないネットニュースでは、人を惹きつける楽な手法として、いまだにフリーメーソンやイルミナティなどの古典的なネタが使われていますし、あらゆる情報を陰謀論的な「プロット」にあてはめることに夢中になる個人ブロガーは、今もあとを絶たない。


マネしやすいものは、ネットではより増幅するからですね。


竹下氏は、フランス在住で、東京大学大学院比較文学比較文化修士課程修了。同博士課程、パリ大学比較文学博士課程を経て、高等研究所でカトリック史、エゾテリズム史を修めておられる方。これまでに読んだ2冊の本も学者らしい内容で、精読するにはしんどい内容でしたが、そのなかで、私が理解できた数少ないことのひとつは、ヨーロッパの無神論はアンチ・カトリックから生まれている。ということ。


つまり、ヨーロッパでは宗教=権威で、そこから自由になることが「革命」であり、同時に、様々な「啓明思想」や、聖書を読み変える「神秘思想」も流行した。欧州では、民衆の思いと無神論が一体化していて、知識人以外の無神論の歴史がすごく長いわけです。


ところが、アメリカは、プロテスタンティズムによって創られた国ですから、人々が神の国の理想を追い求め、宗教自体が改革をし続けるため、無数の宗派が生まれることになった。そして、それらの宗派を信じる誰もが、なぜ理想の国へとたどり着けないのかという疑問をもち、その謎を解明したいと思う民衆の要求が、フリーメーソンなどの「啓明思想」や、古い魔術や「神秘思想」などを現代に蘇らせることに繋がった。


と、ここまでは、前書2冊を読んでいるときに思ったことなんですが、


下記は、本書の「プロローグ」から(省略して引用しています)、


陰謀論や終末論は逆説的な現象である。「謀略者」は時として、普通人の理解を拒む少数の強力なグループであったり、実在の巨大権力であったりする。陰謀を「暴く人々」も、少数エリートのグループとして「陰謀の真相」を守りながら、ヒーローのように戦ったり、逆に自分達だけの危機回避を図ったりするし、できるだけ多くの人と連携して「真相」を分け合う一種の布教活動に熱心であったりする。


私たちは自分がいつか死ぬことを「知っている」けれども死がいつどのようにやってくるのか分からない。その実存的な不安は、昔は宗教や民族や家族の大きな物語に組み込まれていた。けれども、今や分断され「自己実現」や「自立」を期待される個人の人生プランの中で、死は想定されていない。「私の死」が、「世界の終わり」に投影されているのだろうか。終末予言とは、自死のメガ・ヴァージョンなのかもしれない。


終末論において、死が生から切り離されて忌むべき「悪」のレッテルを貼られたように、陰謀論においては、無数の謀略や謀議に、常に過大で邪悪な意図が付与されている。


小さな子供たちの顔が輝くならば、それは「善」なのである。反対に、それがたとえジョークや悪ふざけであろうとゲームであろうと、小さな子供たちの顔を曇らせるような陰謀論や「神話」は「悪」なのであり、私たちはそれに加担するべきでない。


陰謀論の多くは、まるでそれ自体が陰謀であるかのように、そっと耳でささやかれ、世界の終わりが、「あなたの終わり」のようにささやかれるのに震えたり、陰謀論という仮想世界の見かけの整合性に感動したり、「謀略者」の悪意に共振したりする。


「陰謀」という名の悪が外にあれば、私たちは相対的に自分を犠牲者として憐れむこともできるし、見えない世界の論理で、見える世界を説明する手際によって世界を理解したい気分になれるかもしれない。けれども、そんな「安心」を得ることで満足していてもいいのだろうか。


(引用終了)



私がここまでマイケルについて書いている理由の中には、そういった思考方法に流されたくないという思いが強くあったのですが、それとは逆に、自分が書いたものが、彼らへの養分になっている例を発見して、何度もブログをやめようと思ったり。。


「謎をとく」とか、「解明したい」というきもちは共感できますが、自分が発見したい内容を無理やり「隠されたメッセージ」だと言ってみたり、結論ありきで、情報をパズルのように組み立てて「謎が解けた」と思えるだなんて、私には、自分に酔っているか、本末転倒としか思えないのですが。。。



本書の「あとがき」より(省略して引用しています)


「陰謀論にダマされるな!」というのは、出来合いの答えに騙されるなということでもあるし、逃亡や攻撃に惹かれる自分自身の心に騙されるなということでもある。この本はその呼びかけの一つだ。現代の終末論や陰謀論のルーツがヨーロッパやアメリカにあることを明らかにしたが、それを肥大させてきたのは、日本を含むグローバルな現代社会に共通したエゴイズムだ。


私たちはみな、少しづつ加害者であるし、被害者でもある。でも、だからこそ、同じ「よりよい世界」を描くこともできると、信じたい。


(引用終了)



正直にいうと、本書で、個々の陰謀論に反証を試みている内容は、力のある論理だとは思いませんでした。様々な陰謀論への本当に有効な反証というのは、ほとんどの場合不可能なものですから。


でも、著者が「ダマされるな!」という姿勢には、なにかにつけて「隠されたメッセージ」を発見してしまう人とは比較にならないぐらい、真実への真摯な姿勢を感じました。


陰謀というか、共同謀議は、いつの時代の、どのグループにもあるもので、それを陰謀論という「筋」にすることで「真実」から遠ざかるということに、陰謀論者は、あまりに無自覚で、


自分の正義だけを信じ、人々から信じる力を奪っていることにまったく気づいていない。


今を読み解くためや、なにかわからないことを解明するために、科学のふりをした精神分析を用いたり、さまざまな過去のピースを集め、パズルのように組み立てるという思考方法は、日々書くネタを探してしまうブロガーには便利な方法です。


筋(プロット)があると、読者は「次はどうなるのだろう?」と思うことができる。とマイケルも言っていましたが(→2007年「EBONY」インタビュー)、「陰謀」や「隠されたメッセージ」という筋は、バラバラのピースをまとめるのに、もってこいなんですね。


その手法に目新しさはないのですが、書き手は、ミステリ小説の結末のように、謎が解明できたという快感で書かずにはいられないのでしょう。


本当にダマされてはいけないのは「陰謀論」ではなくて、「自分」になんですよね。


そう考えると、「自分」にダマされやすい人とは、


誰かを「バカ」や「悪」と断定しやすい人なのかもしれません。



◎[Amazon]陰謀論にダマされるな!





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by yomodalite | 2015-07-21 15:27 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)
著者は、京都大学在学中に、国家公務員上級試験、司法試験に合格し、同大学を首席で卒業後、通産省へ。その後ハーバート・ロースクールから、ペンシルバニア大学証券金融研究所研究員を経て、現在は、千代田国際経営法律事務所所長、国際弁護士として、アメリカ、ヨーロッパを中心にM&Aのサポートする著者は、50歳を過ぎてから、ユダヤ教に惹かれ改宗することを決意する。

他の宗教とは異なり、ユダヤ教への改宗は、信者になるというだけではなく、「ユダヤ人」になるということ。

日本人からユダヤ人になるのは、簡単なことではなく、宗教指導者であるラバイ(=ラビ)の元で何年も厳しい勉強をし、筆記試験や、口述試験を何度か受け、数々の儀式を行い、死後、自分の遺体を火葬しない誓約書を提出し、割礼手術を受ける。手術はラバイの立会いの元、病院で行ったものの、術後、2週間も出血と痛みがあった。また妻も改宗するという条件があり、冬の三浦海岸で、素っ裸になって海に浸かる儀式を経て、あらためてユダヤ式の結婚式を挙げた。(「はじめに」より)


これほど優秀なひとが「簡単なことではない」というユダヤ教について、冒頭から学ぶ気が失せるようなことが書かれているうえに、「浮かれる日本への警鐘」というサブタイトルどおり、耳の痛いことが満載の本書なのですが、

「第4章・生き延びるためのヒントはユダヤの教えに」から、

「なぜリベラルアーツ教育は日本に根づかなかったのか」を引用します。


あるボーディングスクールを訪ねたとき、こんな標語の書かれたポスターが貼ってあるのを目にした。

A bill of rights is what the people are entitled to against every government on earth.
地球上のあらゆる政府に対して抵抗する人民の権利こそが基本的人権である

これは、アメリカ合衆国第三代大統領であり、アメリカ独立宣言の主要な起草者であるトーマス・ジェファーソンの言葉(*)である。
 
ボーディングスクールとは、リベラルアーツ教育を行うところだ。日本では「リベラルアーツ=一般教養」などと誤った訳が与えられているが、とんでもなく馬鹿げた間違いである。今の日本には、そもそもリベラルアーツの概念すら存在しない。
 
リベラルアーツとは何か?それはギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持つ、人が身につけるべき実践的な知識・学問のことだ。原義は「人を自由にする学問」であり、それを学ぶことで人は初めて非奴隷たる自由人になれた。
 
時代は下って、アメリカで発達した現代のリベラルアーツ教育は、人文科学、社会科学、自然科学に加え、物の考え方に重点を置いた教育が行われる。全寮制による少人数教育であることも特徴だ。
 
と、ここまでの説明は辞書的な一般論である。私なりの解釈をいえば、リベラルアーツ教育とは、冒頭の標語に書かれていたように、政府に抵抗し、政府を倒すための戦略的思考を教える教育である。政府に抵抗する人民のために銃を持つことが権利であると同じように、政府に対抗するための学問を修めることも人民の最も重要な権利なのだ。
 
だからこそダグラス・マッカーサー元帥は、第二次世界大戦後、日本からリベラルアーツ教育を奪い去ったのである。そんなものが日本にあると世界にとって危険だからだ。だからこそ豊臣秀吉は刀狩りをやったのだ。そんなものがあると秀吉の支配に危険だったからだ。同じことである。
 
マッカーサーは日本をアメリカのいいなりになる羊ばかりの国にするために、リベラルアーツの欠如した教育制度をつくった。6・3・3・4という日本の教育制度からは、リベラルアーツを修める機会がすっぽり抜け落ちていることに日本人は気づかなかった。その挙句、どうなったか? 日本には受験教育と就職戦争だけが残った。一つでも上のランクの大学に入ろう。早く大学に入って就職活動をしよう。そういう若者ばかりを育てた。結果として、戦略的思考ができる人間は日本からはほとんど生まれなくなった。
 
これこそはアメリカの思う壷であった。”愚かな国、日本” を収奪の対象とすることが戦後70年にわたって行われてきた。日本の国富という国富はすべてアメリカに吸い上げられた。その結果が今の日本の体たらくである。
 
経営学の巨人、ピーター・ドラッカーはいっている。
 
「マネジメントはリベラルアーツである」
 
ドラッカーのいうマネジメントには、企業のマネジメントはもちろんのこと、国家のマネジメントも含まれる。
 
先に挙げたトーマス・ジェファーソンの言葉を紹介したポスターは、ケンタッキー州のレキシントンにあるトランシルヴァニア大学のキャンパスに貼られていたものだ。トランシルヴァニア大学は小さなリベラルアーツ・カレッジである。その大学の標語が「単なるリーダーになるな、パイオニアになれ」といっているのだ。
 
パイオニアとは、いうまでもなくある分野の開拓者、つまり人がやっていないことを、先頭に立って切り開く者という意味である。これぞまさに、今の日本に最も求められている起業家のことではないか。リベラルアーツ教育はパイオニア精神を叩き込む教育なのだ。日本人は政府に反抗したり、政府を倒そうとしたりしない羊のような人間の集合である。それはアメリカによってつくられた現実だったが、結果的には政治家や官僚にとっても、都合の良い状態なのだろう。
 
マッカーサーの「謀略」以前に立ち戻って、日本人はリベラルアーツ教育の必要性を議論するべき時である。

(引用終了)



(*)イギリスに統治されていた13の植民地が独立したことを宣言した、アメリカの独立宣言は、トーマス・ジェファーソンが起草し、1776年7月4日に大陸会議によって採択された(この頃、日本は鎖国中の江戸時代)。基本的人権と革命権に関する前文、国王の暴政と本国(=イギリス)議会・本国人への苦情に関する28ヶ条の本文、そして独立を宣言する結語の3部から成り、中でも、「全ての人間は平等に造られている」と唱え、不可侵・不可譲の自然権として「生命、自由、幸福の追求」の権利を掲げた前文は、アメリカ独立革命の理論的根拠を要約し、後の思想にも大きな影響を与えた。

ちなみに、

マイケルが、オックスフォード・スピーチで「子どもたちの権利」について話す前に、ジェファーソンを登場させているのも、それが米英の基本的人権の土台になっているからですね。

(下記はスピーチの該当部分)

みなさんご存じのように、イギリスとアメリカは、第3代大統領トーマス・ジェファーソンが起草した独立宣言の「奪うことのできない権利」(生命・自由・幸福の追求)をめぐり争っていました。2カ国がジェファーソン大統領の主張をめぐり争う中、子どもたちにも「奪うことのできない権利」があるということは論議されなかったのです。

これらの権利が徐々にむしばまれていけば、世界中の子ども たちの多くが、幸福や安全を享受できなくなります。そこで、すべての家庭に児童権利法案が取り入れられることを強く望みます。 条項を挙げると、

・愛される権利。自ら求めずとも。
   
・守られる権利。どんなことがあっても。
   
・かけがえのない存在だと感じられる権利。何も持たずにこの世に生を受けようとも。
   
・話を聞いてもらえる権利。大人にはおもしろくない話でも。
   
・寝る前に読み聞かせをしてもらえる権利。夕方のニュースや、『イースト・エンダー』(イギリスの家族ドラマ)に時間を取られることなく。
   
・教育を受ける権利。学校で銃弾におびえることなく。
   
・かわいがられる対象となる権利 (たとえ平凡な外見だとしても)。

どの人も、自分が愛される対象であると実感することが、認識の土台、つまり意識のはじまりなのです。髪の色が赤か茶色かを知る以 前に、肌の色が黒か白かを知る以前に、どんな宗教に属しているかを知る以前に、自分が愛されていることを実感できなくてはならな いのです。




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by yomodalite | 2015-07-05 20:00 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)
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オバマ大統領が同性間結婚を支持し、連邦最高裁判所は、同性婚をアメリカの全州で合法だという判断をした。というニュースを見て、これは「共和党つぶし」ではないかと思ったんですね。前回のロムニー候補はモルモン教徒でしたが、今後、共和党の候補者はますます人選に苦慮することになると。

ただ、これまでの保守派とリベラルという枠組みが壊れて、それぞれの支持者にねじれが起きているのは、日本だけでなく、世界的なことで、これは二大政党の話というよりは、建国の理念や、一神教の根本を見直すという動きなのかもしれません。

最近、フランシスコ法皇が、教会史上初めて、夫婦を聖人として認定するという発表もあって、カトリック教会の周辺も熱いのですが、こちらも、カトリック神父の妻帯を認めるための布石なのではないかと思いました。

イスラム教徒の増加に反して、現在キリスト教はカトリック、プロテスタント共に信者が激減し、現在のフランシスコ法皇は、改革を担う人物として期待されていて、今後のカトリックの巻き返しには、興味津々な私なのですが、米国に多いプロテスタント系は、宗派がありすぎて、ひとつにまとまるのがむずかしく、同性間の恋愛禁止や中絶を、政治家を選ぶ基準に考えてきた勢力は、これにより、力を削がれていくのか、あるいは、新たな目標をみつけて、ひとつにまとまろうとするのか、そこも、興味深いなぁなどと思っていたところ、

偶然にも、マーロン・ブランドの晩年に共演した俳優の監督作として、ジョニー・デップだけでなく、エドワード・ノートンの監督作も見てみなくちゃと、いう動機で、『僕たちのアナ・バナナ』を観てみたら、

この映画は、アイルランド系のカトリックの神父と、キャリアウーマンと、ユダヤ人のラビの3人の男女による、ニューヨークを舞台にした「トレンディドラマ」で、カトリックと、ユダヤ教の宗派を超えた友情とか、それぞれの信者を改革していく様子が描かれていて、2000年の映画ではあるものの、自分的にはなんだかタイムリーな話でした。

マンハッタンで育った、ジェイク(ベン・スティラー)と、ブライアン(エドワード・ノートン)、そしておてんばな女友達アナ。アナがカリフォルニアに引っ越した後も、ジェイクとブライアンは大親友のまま、幼い頃から神学に興味をもっていたふたりは、それぞれ、ユダヤ教のラビと、カトリックの神父になる。

これまでの伝統や、宗教の垣根を破り、教会の改革派として大人気の聖職者となったふたりの元に、ビジネスウーマンとして成功したアナがニューヨークに戻ってくる。禁欲が第一条件である神父とちがい、結婚することで信頼され、会堂(シナゴーグ)をまかされるラビの元には女性が集まり、ジェイクは彼女たちともつきあい、ニューヨークにいる間の関係として、アナともつきあうようになる。。。

『僕たちのアナ・バナナ』の原題は、Keeping the Faith で、音楽は名画作曲家として、MJも大好きなエルマー・バーンスタイン。

宗教や人種間の問題になじみがない日本人にとって、あまり共感をよばない内容ではあるものの、すばらしい俳優陣を揃え、甘いというよりは、あえて、シニカルさを抑えた上質なドラマだと私は思いました。




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by yomodalite | 2015-07-03 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

ユダ - 烙印された負の符号の心性史

竹下 節子/中央公論新社

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著者の本は、これがはじめてだったのですが、以前、出版された本も読まなきゃというきもちになりました。

本書の「はじめに」から省略して引用します。

「イスカリオテのユダ」は、イエスの十二使徒のうち、イエスと同じ、イスラエルの十二部族のユダ族、つまり、ダビデの部族に属している、ただ一人の弟子で、のちに世界最大の宗教の救世主となるナザレのイエスに最も近い人物の一人だった。

しかし、主イエス・キリストを裏切り、十字架刑のきっかけを作ったユダは、イエスの復活とキリスト教の誕生を見ぬままにエルサレム近郊で命を絶っている。

当然キリスト教の教義からも弾き出され、キリスト教のグローバリゼーションにも関与しなかったとしても不思議ではないのに、ユダは、キリスト教世界の心性を逆説的に裏から支える大きな存在に成長し、宗教だけではなく、思想、哲学、政治、文学、芸術のすべての分野をインスパイアし続けた。

そればかりではない。欧米キリスト教国の価値体系が近現代世界のスタンダードとなる過程でローマ・カトリック教会をはじめとする既成の宗教体制が弱体化したり分裂したりして、民主主義や共和主義や社会主義や自由主義などの世俗イデオロギーが支配する陰で、イエス・キリストが忘れられ、神が姿を隠していったにもかかわらず、ユダだけは生き延びた。

その結果、文化多元主義の名のもとに宗教倫理がおおっぴらに説かれなくなった世界でも、ユダという悪のキャラクターを通して、キリスト教文化圏の国々は実は、さまざまな善悪の基準を共有しているのだ。ユダは、裏切りや赦し、罪や罰についての、歴史に裏打ちされた暗黙の物差しを提供している。

この本では、まずユダが「裏切りのキャラクター」としていかに突出したものであるかについて非キリスト教文化圏の例と比べ、目本におけるユダへの先入観を見た後で、キリスト教神学の中でユダがどのように解釈されてきたかについて解説し、それと並行してヨーロッパ世界でユダ伝説がどのように必要とされてどのように形成されてきたのかを概観する。

次にユダがこのように人々の心を捉えて放さなかった理由の一つであるその「両義性」について考える。

さらに、ユダがその創立神話の要のひとつとなっているキリスト教がメンタリティに刷り込まれている国々の状況を考えるために、ローマ・カトリック教会に多くを負ったヨーロッパ的なもの、そこから抜け出したプロテスタント的なもの、またヨーロッパと文化的に近いロシアにおける正教的なものの中でのユダ像の変遷をたどる。ユダ像の変遷はキリスト教世界の変遷を裏側から見たものに他ならないからだ。

最後に、キリスト数的なものから解放されたユダがユダヤ人への社会的差別にどのように燃料を提供し、20世紀におけるナチス・ドイツのホロコーストとどう結びついていったかを見てみよう。

支配関係の固定に執着するのではなく、愛によって自由な人間の営みを鼓舞するのはすばらしいことだ。

けれどもそれが有効になるには、裏切りや憎悪への洞察が必要だ。
 
国際社会の一員としてルールを作ったり守ったりすることに参加するのは平和のために大切なことだ。

けれども、本当にそれが平和に結びつくには、ルールを放棄したり破ったりした時の関係の修復や免償の機微や匙加減を知ることが必要だ。
 
キリスト教文化圏でどの時代に、どの国の誰がユダについて何を言ったかに耳を傾けてみることが、それを助けてくれるに違いない。

(引用終了)

下記は、魅力的な内容が垣間見える「目次」

◎序章
・ユダの持つ時代性と地域性 
・非キリスト教世界での「裏切り者」のプロトタイプ

◎第一章 ユダの神学とキリスト教の成立
・キリスト教の成立とユダの役割 
・ユダの教いと神学   

◎第二章 ユダの両義性
・裏切りは人間性の一部
・裏切りの動機   
・裏返しの善悪二元論
・ユダの裏切りの評価 
・民衆の中のユダ   

◎第三章 ヨーロッパにおけるユダ像のヴァリエーション
・国で異なるユダ像   
・ユダのフォークロァ   

◎第四章 プロテスタントとユダ 
・バルトとユダ   
・レンブラントとユダ
・ユダと宗教音楽  

◎第五章 ロシアのユダ   
・ユダの騎士団   
・ロシア文学のユダ   
・スターリン時代以降のユダ  

◎第六章 反ユダヤ主義とユダ
・ドレフュスとゾラ
・ナチス時代のユダ
・ルーマニアのユダ
・遍在するユダ
・ホロコーストの後  

◎終 章

上記だけでワクワクしてしまいますが、さらに「コラム」もあって、

《コラム》
・ユダと性   
・ユダと美醜   
・「さまよえるユダヤ人」とユダ
・ユダと音楽   
・ネルヴァルのユダ   
・アベ・エガーのユダ   
・諜報活動とユダ  
・ユダのDNA 

ここまで、ユダを「大盛り」にされても、もうおなか一杯、カンベンして。と何度か言いそうにはなるものの、竹下氏には、巷にあふれる反ユダヤ論者のように、頑なに自分が信じる真実を握りしめたまま、思考が止まってしまっている方とは、まったく逆の魅力を感じました。

日本人にとって、一神教を理解するのは、本当に厳しいことで、宗教関係者は、聖書を理解しているわけではないということがわかるまで、学習することさえむずかしい。

これ一冊しか読んでいませんが、著者は、厳しい道を歩まれた方ではないかと思い、他の本にも興味が湧きました。

私にそんな風に思わせた「終章」から省略して引用します。

ユダを、より高尚な理念に殉じて自らの属する共同体を裏切るテロリストと見る考え方は、スターリン時代のロシアのアンドレーエフやヴォローシンらの著作にも流れていた。そして、スターリンのソ連が消滅しようとも、ホロコーストのナチス・ドイツが壊滅しようとも、

「信念に従って抵抗運動に身を投じるテロリスト」といういわば「必要悪」のユダのイメージは生き残っていた。
 
アパルトヘイト政策に抵抗して戦ってきた南アフリカの白人の作家アンドレ・ブリンクは『恐怖の所業』の中で、「イエスが抵抗の気力を無くしたのを見てすべての希望が潰えたユダ」というテーマを取り上げた。

ユダはイエスがその理念を遂行するように強く迫ったに過ぎない。しかし捉えられたイエスは何らの抵抗をしなかったのでユダの試みは挫折したのである。そんなユダを果たして「裏切り者」などと坪ぶことなどできるのだろうか。

社会の変革を目指すものは時として強硬手段に出なければならないこともある。革命を期待し確信する裏切り者たちが歴史を作ってきたのだ。

ラテン・アメリカのエルネスト・ゲバラやサルバドール・アジェンデにせよコンゴのルムンバにせよ、実力行使の反体制派が、革命が成功するか失敗するか、または殺されるか生き延びるかなどによって、テロリストになったり英雄となったりするのは世の常だ。逆に、たとえ明らかな人権無視の軍政を敷く独裁者でも米ソの冷戦中は「共産化の脅威」を防ぐために自由主義諸国から黙認されていたことも記憶に新しい。冷戦が終わっても、先進国は後進地域の政治に介入しては独裁者を支援したり排除したりし続けるが、その基準は人道でもイデオロギーでもなく、現地の多国籍企業の利益であったりする。特に人口が増え資源もあるアフリカは、ヨーロッパにとって言葉も通じる旧植民地国という歴史だけでなく地理的にも近い。

2013年12月10日のマンデラ追悼セレモニーでアメリカ初の黒人大統領であるオバマはマンデラが「自分は聖人ではない」と言っていたことを回想しつつ、演説の最後にマンデラの思い出と南アフリカに神の祝福を祈った。オランダとイギリスの植民地であった南アフリカで優勢な宗教はキリスト教であり、国家にも「神の祝福」という言葉が出てくる。マルクス主義の影響を受けてできたANCに合流したマンデラは無神論の立場を表明していたが、1990年2月に釈放されたマンデラが最初の夜を過ごしたのは、アパルトヘイト廃止のために活躍して1984年にノーベル平和賞を受賞した英国国教会のデズモンド・ツツ大司教のもとであった。
 
テロリストから一変して聖人のように崇敬され平和と和解のシンボルになったマンデラだが、その後のANCの汚職問題もあり、南アフリカは世界で最も貧富の格差の大きい国の一つになっている。ヨハネスブルクのスラムに住む黒人たちはマンデラのことを「ビル・クリントンやスパイス・ガールと仲良くなるなど社会的裏切り者だ」と非難し、ANCのタカ派は白人の多国籍企業の利権を奪わなかったマンデラを「ユダ」と呼ぶ。
 
マンデラが「汝の敵をも愛せよ」と説く救世主であるのか、多国籍企業の利潤のために国民の期待を裏切ったユダであるのか、賞賛にも非難にも微妙にキリスト教的レトリックが使われているのが分かる。異文化異民族地域を植民地化しか時にキリスト教にしろイスラム教にしろ、宗主国の普遍宗教を押しつけることに成功した場所では良くも悪くもこうした共通の言葉が利用されるのだ。国家神道のような民族宗教を押しつけようとする場合とはまったく事情が異なってくる。

特にキリスト教のようにその根本に平等主義や平和主義がある宗教で、しかも懺悔、悔悛することで罪が教され免償してもらえるシステムのある宗教というのは便利だ。「過去の過ち」を糾弾された側に逃げ場を提供し、南アフリカでは実際に内戦を回避する根拠にもなった。神の独り子を罪なくして殺したことですべての人間の贖罪が果たされるという逆説を合んでいる宗教の力をマンデラも無視しなかったわけである。


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by yomodalite | 2015-02-08 00:00 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(3)
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今日こそは、読書日記を書こうと思ったのだけど、、
もはや、どうやって書いていいのかすら... w
とりあえず、ここ3ヶ月ぐらいの
歴史・政治・ノンフィクション本の読書の中から、
記憶しておきたい本をメモっておきます!


☆ ☆ ☆


『プロット・アゲンスト・アメリカ』フィリップ・ロス

こちらは、ノンフィクションではなく、歴史シュミレーション小説なんですが、ユダヤ人であるフィリップ・ロスが、自身の家族をモデルに、もしも第二次大戦時に、元飛行士で反ユダヤ主義者のリンドバーグが大統領になっていたら・・・。という内容。

7歳の少年の目線で差別にさらされる恐怖と家族・民族・国家を描き、ロス最高傑作との評され、「アメリカの若者を国益と関係ない戦争で無益に死なせることはない」という政治的スローガン「アイソレーショニズム」を推進してきた人々が、平和主義の美名の影で、ナチスの戦争犯罪にどう加担したかという実態が描かれています。

現代日本人にとっても人ごとではない内容、また、ユダヤ陰謀論の「陰謀」はどこから来たか? に興味がある人も是非! 




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リアリティのダンス/アレハンドロ・ホドロフスキー

『ホドロフスキーのDUNE』で、すっかりホドロフスキーにハマって、『リアリティのダンス』は公開まで待ちきれないぐらいだったのだけど、映画鑑賞後は、同名の本も読んでみた。分厚い本だけど、映画には入りきらなかった濃ゆーーーいエピソードが満載で、アート好きな人にとっては有名人も多数登場。彼の長い長い魂の旅を、チビチビと舐めるように読むのも楽しい傑作自伝。




物語 ユダヤ人の歴史

レイモンド・P. シェインドリン/中央公論新社



数千年に及ぶユダヤ人の歴史が簡潔にまとめられている教科書のような本。私が読んだのは単行本ですが、文庫や、Kindleでも買えます!

◎[Amazon]ユダヤ人の歴史(河出文庫・Kindle)

ここまでがおすすめ「ユダヤ本」w




リスクにあなたは騙される (数理を愉しむ)

ダン・ガードナー/早川書房

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◎参考書評「恐れのみを恐れよ」
◎参考書評「あぶすとらくつ」



クレイジー・ライク・アメリカ: 心の病はいかに輸出されたか

イーサン ウォッターズ/紀伊國屋書店



日本でうつ病が「心の風邪」だと言われるようになったのは、製薬会社のキャンペーンだった!

フリーランスから、会社員の嫁になってびっくりしたんですが、今の企業って社員のメンタルヘルスまで充実していて、病気になったら終わりのフリー生活から考えると、最初は夢のように思えたんですが、大量のワクチンやカウンセリングまで、会社が…ていうのは、どうなんでしょうねぇ。私のうつ病経験から言うと、薬が毒だとは言えませんが、、早期の精神科・神経科診療は、百害あって一利なしで、向精神薬を風邪薬のように服用すると、症状が悪化する可能性が高いです。

製薬会社のキャンペーンは、うつ病にかぎらず、情報番組、ニュース、ボランティア、NGOビジネスとか、なんとかリボンとか、とにかく花盛り。科学を装い、恐怖を操り、、、

◎参考書評[精神医療の真実 聞かせてください、あなたの体験]


日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか

矢部 宏治/集英社インターナショナル



孫崎享氏の『戦後史の正体』の仕掛人でもある著者がわかりやすく解説し、出版前から話題になった本。こちらで「立ち読み」出来ます!

http://www.shueisha-int.co.jp/pdfdata/0236/nihonhanaze.pdf

◎参考書評「すべての日本人が政治的な立ち位置の違いを問わず、知っておくべき内容」



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by yomodalite | 2014-12-03 20:00 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

ユダヤ・コネクション―アメリカ=世界戦略を決定するのは誰か

アルフレッド・M. リリアンソール/三交社



ラビ・シュムリーや、彼が尊敬してやまないエリ・ヴィーゼルのことを考えているときに、再読した本。著者は米国に住むユダヤ人で、原著は1978年、日本では1991年に出版された古い本ですが、今、読み返しても、「シオニズム」について、これ以上の名著はないように思います。

翻訳者の宇野氏は、本書の翻訳以外にも多くの「怪しげなユダヤ本」の著者でもあり、氏によるまえがきは、ユダヤやシオニストの裏の顔や、残虐性にのみ焦点をおいて書かれていますが、

「裏の顔」というものは、特定民族だけにあるものではありません。

下記に、本書の適確な紹介と、感想が紹介されているのですが、


たしかに、私たちは、アメリカの属国である日本に住んでいるので、報道はイスラエル寄りで、パレスチナや、イスラム国家に、否定的な報道に曝されています。それでも、2014年に、本書を読んでみようという方なら「イスラム・パレスチナの戦士というのは、皆テロリスト集団である」などとは思っていないでしょうし、すでにマイノリティであるユダヤ人の力の源になっている「ユダヤ・コネクション」の存在を確信している人も多いでしょう。

実際、パレスチナ問題をしらべて行くと、イスラエルの正義を信じることは難しいのですが、シオニズムを生み出したのは、ユダヤ人だけではないという点も、本書の重要な部分であり、アメリカ中に張り巡らされた「ユダヤコネクション」を詳細に解説しただけでなく、当初はイスラエル建国に反対していた多くのユダヤ人が、シオニズムや、イスラエルの戦闘行為に加担していくまでの歴史も詳細に描かれています。

私たちの国でも、過去の歴史について、何度も謝罪させられてきたことへの不満を発端として、長引く不況の中、国内に抱えてきた差別問題を正当化したり、生活の不満を外国のせいにしようとする流れが加速しています。そこに危機感をもっている人は大勢いますが、いつのまにか、大多数の国民の意思になってしまっていることに焦燥感を感じる人も多いでしょう。

本書を書いたリリアンソールも、それと同様の危機感から、同胞にむけて、自分たちの間違いを正そうと書いたのではないでしょうか。

ユダヤコネクションは、米国議会を動かす大きな力をもっているようですが、日本の議会が、私たちが望むような判断をしないことと同じく、大勢のユダヤ人がそこに不満を抱きつつも、今日のような事態を避けることができなかった。

私たちの国の現状を考えれば、陰謀論でなんでも説明できたような、平和な時代は過ぎ去り、もはや、ユダヤ人の恐ろしさなどと言っていられる時代は終わったと思います。

どんな国家や、民族や、個人も、自分の良心を信じ、正しい選択をしているという間違いが、絶対悪を生み出し、最悪の不幸と災いを生むのではないでしょうか。

下記は、本書でリリアンソールが紹介している、W・ロバートソンの言葉から。

ユダヤ人は「聖書の民」であると同時にストリップ・ティーズの創案者である。彼らは金権支配政治と共産主義双方の先駆者である。彼らは「選ばれた民」というコンセプトをもって生まれ、生活すると同時に、もっとも声高な反人種主義者である。彼らは神を畏れ、憎しむことにおいてもっともはなはだしく、もっとも厳格であると同時にもっとも寛容である。彼らはコスモポリタンであると同時にもっとも狭量であり、もっとも文化的であると同時にもっとも粗野な人間たちである。イスラエルのユダヤ人組織「サブラス」は1万人の「アラビアのロレンス」のように果敢に闘うが、しかしドイツでは彼らの兄弟たちは小羊のように屠殺場に引かれていった。同じような人種的ダイナミックスが、ときおり、ユダヤ人を社会階層のトップにまで駆りたてると同時に、彼らを奈落につき落としてきた。ユダヤ人の歴史に見られる極貧と億万長者に相わたる振子のようなぶれは、一方でロスチャイルド家のお伽の国の城へ導くと同時に、アウシュヴィッツのガス室へ導くといってもよかろう。客観的に見た場合、代々のユダヤ人のさすらいの物語は、魅カ的であると同時に嫌悪を催させ、人を気高くさせると同時に堕落させる。部分的には喜劇的であるが、大部分は悲劇的である。ユダヤ人についていえる唯一の確かな言葉は、実はそうした言葉がどこにも見つからないということである。


(引用終了)



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by yomodalite | 2014-10-11 19:56 | 政治・外交 | Trackback | Comments(0)

宗教の倒錯/上村静

宗教の倒錯―ユダヤ教・イエス・キリスト教

上村 静/岩波書店

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本書について、著者は、「宗教は人を幸せにするためにあるはずなのに、なにゆえその同じ宗教が宗教の名のもとに平然と人を殺してしまうのか?」という、素朴な問いに答えることを目的としていると言う。

宗教関連の本として、私にとって、ここ数年のベスト本なのですが、それゆえ、思うところが多過ぎて、なかなか感想を書けずにいました。


世界の不公平や悪の原因をユダヤのせいにし、激しい敵意をむき出しにして、「正義」や「真実」を語り、「洗脳」されていると煽る本が現代日本でも数多く見られます。


キリスト教では、ユダヤ人は、イエスを十字架にかけたと憎みますが、キリスト教ができた後、イエスと同様、様々な異端を弾圧し、処刑し、異教徒と激しく戦争してきたのも、キリスト教会です。


数多の陰謀論にも見られる「反ユダヤ主義」の原因について、一般の読者が理解できるように書かれている本は稀で、ユダヤ教にも、キリスト教にも精通した聖書研究者で、特に日本人による著作となると、本当に希少だと思います。


著者が説明しようとした「倒錯」は、私たち日本人のほとんどが意識することなく過ごしていることですが、それは特定の宗教の問題ではなく、一神教の問題として、遠くから眺めていられる時代は終わり、私たちは欧米で行なわれてきた歴史から、何も学ぶことなく、同じ過ちを繰り返そうとしているようです。


答えについては、本全体から読み取るべきですが、

購入の際の立ち読み箇所としては、

第16章「キリスト教のユダヤ教からの分離」からがお奨めです。


◎[Amazon]宗教の倒錯ーユダヤ教・イエス・キリスト教






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by yomodalite | 2014-07-28 22:27 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

聖書男(バイブルマン) 現代NYで 「聖書の教え」を忠実に守ってみた1年間日記

A.J.ジェイコブズ/CCCメディアハウス




著者のA.J.ジェイコブズは、体にいいことを全部試してみたという『健康男』や、百科事典の全巻読破に挑戦した『驚異の百科事典男』などで人気を得た、エスカイア誌のシニアライター。

本書には、現代ニューヨーカーである著者が、聖書の教えを忠実に守るという生活を1年続けた顛末が綴られています。

(下記の太字部分は、本書を要約して引用)

何世紀ものあいだ、聖書は実話だと思われていた。完全なノンフィクションだと。ほとんどの人は、聖書学者のマーカス・ボーグいわく、「根っからの字義解釈主義者」で、聖書が実話でないと考えるに足る根拠もなかった。ところが、次第に科学と聖書の物語が激しく対立するようになった。(中略)

そのうち、この百年主流だったのがモダニズムとファンダメンタリズムの二つだ。モダニズムによれば、科学と宗教は別個のもの。スティーブン・ジェイ・グールドいわく、両者は「重複することなき教導権」だ。聖書は比喩的な言葉と詩にあふれている。天地創造の物語は、説得力はあるかもしれないが、神話にすぎない。


著者は「誰もやらないようなことを超まじめにやってみる」という経験を、軽妙な文章にしていて、ジョーク満載の気の張らないエッセイになっているものの、ファンダメンタリズムなどの原理主義や、聖書のさまざまな字義解釈を茶化しているわけではなく、

本書を執筆前の著者は、

自身を「不可知論者」であるというユダヤ人で、ニューヨークで宗教の話題はタブーのような家庭に育ち、「不可知論者」という言葉の意味を知る前から、神という観念は要らないと思っていた。姿も見えず、声も聞こえない神を、なぜ必要とするのか。神は存在するかもしれない。でも、それは、この世では絶対に知りえないこと。。

入学した非宗教系の総合大学では、ユダヤ・キリスト教の伝統よりもウィッカの儀式における記号論を研究したがる学生の方が多く、聖書を読むことはあっても文学としてだった。

ただし、宗教の歴史は学んでいて、公民権運動や慈善の寄付、奴隷制の廃止など、人類の偉大な遺産の多くが聖書を原動力としてきたことも、戦争、大虐殺、征服といった、負の遺産を正当化するのに聖書が使われてきたこともわかっていた。

宗教にはいい面もあるけれど、現代社会においては危険な存在で、悪用される可能性がきわめて高く、ほかの旧弊なものと同じように、徐々に消えてなくなり、近い将来、すべての決定がミスター・スポック流の非常な論理に基づいて下される新啓蒙主義の楽園に暮らすことになる、と。

もうお気づきだろう、みごとな誤解だった。

聖書の、そして宗教全体の影響力はいまだに絶大だ。
ぼくがこどもの頃より大きいかもしれない。。

聖書を字義解釈するといっても、実際はみんな選り好みしているんじゃないか。自分の信条にあった箇所を聖書から抜き取っているんじゃないか。ぼくは違う。層のように積み重なった解釈をはぎとり、その下にある真の聖書を見いだすつもりだ。究極のファンダメンタリスト(原理主義者)になってやる。そうすれば、聖書のどこが偉大で普遍か、逆にどこが時代にそぐわないか、見極められる。


このあと、著者は聖書と真剣に向き合い、聖書に書かれてあるとおりの生活を実践してみるだけでなく、宗教に無関心だった家族とは異なり、ユダヤ人として生まれ、ヒンドゥー教徒になってグルを自認し、ヒッピー文化に出会い、キリスト教徒になって、いまは、イスラエルの超正統派ユダヤ教徒というスピリチュアルならなんでもござれの親戚に会い、自身の民族的宗教であるユダヤ教を中心に聖書を「体験」しながら、精神世界への旅に出る。

日本人には理解するのが難しい「聖書」ですが、
宗派については、特にわかりにくいですよね。

本書では、軽妙な口調で「聖書生活」を語られるだけでなく、さまざまな宗派についても、それぞれの長所と短所のバランスを考えつつ多く語られていて、Godについて、現実アメリカで語られてきた話題の多くを、かいま見ることが出来ます。

他者と接することがなく、他者に意見をいう技術も、言葉も磨いてこなかった私たちは、ユダヤ人の「優位性」や「選民意識」など、都合のいい部分だけ似ているだなどと妄想を膨らませている人は多いものの、

批判されることによって培われてきたこともなく、宗教についてあまり考えないことが「常識人」だということに安住し、他国の宗教を理解しようとしていません。

それなのに、どうして、靖国神社への参拝をいずれ他国が理解してくれるだろう。などと期待することが出来るんでしょう?

神とは何か? という根本的な問題はさておき、

現実に、「他者」が神とどう接してきたか?について、
特に、ユダヤ教について楽に読める本は希少だと思います。

価格が安いだけでなく、注釈がとても豊富なので、その部分の読みやすさからも「電子書籍」の方に利があると思いました。下記は、Kindol版のリンクですが、私は「iBook」で購入し、iphoneで読みました(私が購入した時点ではKindle版より安かったので)


《MJメモ》

あらゆる本に登場する「マイケル・ジャクソン」ですが、2005年に出版された本書の564Pには、

アンサーズ・イン・ジェネシス(AiG)と呼ばれる福音派が建築中の、6千年足らず前に神が塵からアダムを創ったと信じる人々にとってのルーブル宮と著者が称する「創造博物館」を見学して、

完成のあかつきには、マイケル・ジャクソンの裁判並みに大勢のマスコミが押しかけてくるだろう。

また、カパロットと呼ばれる正統派ユダヤ教徒によって行われる儀式を見に行き、そのすごい人ごみの中で、ラビ・シュムリーボテアックに出会い、

上院議員のジョー・リーバーマン、レゲエ・ミュージシャンのマティスヤフについで3番目に有名な正統派ユダヤ教徒。。。「ザ・ラーニング・チャンネル」のショーを準備中で(のちに放送された)、驚くほどマスコミ通だ。「以前ここにドキュメンタリー番組のクルーがきたことがある。なんの説明もなく、それだけ見たら、野蛮でくだらない感じがする」我々の文化にはもっとくだらないものがたくさんあるんじゃないだろうか」「カパロットはボトックスよりもくだらないだろうか?全実体変化よりもくだらないだろうか?」

・・・などの記述がありました。


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by yomodalite | 2014-01-21 09:58 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite