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驚くほど多くの傑作を遺したミケランジェロですが、不思議とミケランジェロを扱った本には、彼に対して畏敬の念が感じられなかったり、なぜか、人格的に問題があるかのように表現されていて、、いったいどんな根拠から「上から目線」で論じられるのか疑問に思う著者が多いうえに、主要な彫刻作品すべてを論じているものも少なくて、ストレスを感じることが多かったのですが、

本書は素晴らしい本だと思いました。

著者は金沢医科大学の解剖学教授で、2009年に金沢医科大学出版局から出版された本なので、解剖学用語などまったくわからない私には、かなり難しい部分が多く、

第1章、サンピエトロのピエタでは、

仰向けになった男の頭部は力なくうしろに落ち、首の背後へ回した女の腕によってかろうじて支えられている。「く」の字に曲がった体は…  生存徴候を見出すことは容易である。顔面を右上方へ向けることでより浮き出た、左の頸部をかすかな彎曲を描きながら斜走する胸鎖乳突筋。同じ大胸筋でありながら、鎖骨から起こる筋束との境界線を示す浅い溝。鳩尾から恥骨へと縦走する腹直筋を幾つかに分画する腱の存在を示す……(P8〜10までを省略して引用)  

と、冒頭から、速攻で挫折感を感じる文章に出会うのですが(このあとの文章もさらに専門用語が続きます)、しばらく我慢して読み進めていくと、著者は、解剖学だけを駆使して、ミケランジェロの彫刻を解剖しているのではなく、

現在の解剖学から見て、ミケランジェロの表現に疑問を感じるような部分も、実際はこうだけど、ミケランジェロがこう表現したことには意味があるはずだ。という視点で、芸術家としてだけでなく「解剖行為」が現在よりはるかに困難であった時代の「先達」への敬意も感じられ、

むしろ、石で創られた像に熱い血が流れていることを、文系の人が書いた多くの本より、ずっと理解されている。と感じる部分が多く、ひさしぶりにミケランジェロに対して、血の通った文章を読んだ。という気がしました。

これまでのミケランジェロ本で書かれているような内容を、自身で精査することもなく、ただただリレーのように受け継いで書かれた言葉ではなく、画家の造形の細やかな点にまで、著者は、その専門知識から、真剣に対話されていて、、

解剖学所見といった冷たい印象とは逆に、グッとくる部分がいっぱいあるんです。

例えば、木彫十字架像の足についてしつこく言及したあと、

結論から言うと、死体を一定のリアリティをもって表現しようとするならば、個々の筋表現を抑制しなければならない。また、静脈を浮き立たせれば、その分だけ作品はリアルな死から乖離する。(中略)諸家が筋表現に乏しいこの木彫十字架像のキリストを評して「どうみても(ミケランジェロのような)解剖をした者の作品とは思えない像である」と書いたとしても不思議ではない。(中略)

しかし、私はこの際明確にしておきたい。解剖学者が日常的に見ている死体はサン・ピエトロ大聖堂のピエタにおけるキリストとは遠くかけ離れており、木彫十字架像のキリストにこそ似ているということを。(第4章 木彫十字架像〈二〉より)


ガレヌスの説では動脈ではなく静脈こそが生命の源である精気(Spirits)の主要な運搬路をなすことにも留意したい。つまり皮下静脈の怒張は現代我々が考えるような、単なる交感神経系の緊張表現ではない。怒張をもたらすに足る大量の精気=生命そのものが静脈内に横溢している状態を表象するのである。ダビデ、モーゼなどのミケランジェロ作品における静脈はこのような理解に立ってこそ、造形表現の意味に近づくことができるのである。(中略)

ピエタと呼ぶ図像では、憐れまれるのはイエス・キリストであるが、憐れむ側には必ず聖母マリアが含まれていなければならない。ピエタの主題は我が子に先立たれた母親の深い悲しみと苦痛、すなわち「聖母の受難」だからである。

不幸な病気や思いもかけない事故、あるいは戦争で愛する我が子を失った母親たちがピエタそのものの悲しみと苦痛を味わうことは、昔も今も変わりはしない。ミケランジェロの時代にピエタはそういった、幾多の母親たちの心を癒していたものと思われる。(第5章 木彫十字架像〈三〉より)

ここまでが第5章で、比較的、解剖学的な内容が多いのですが、このあと第6章からは、ミケランジェロの生い立ちについてなど、心理面へのアプローチも多くあります。

また本書が素敵なのは、彫刻作品のほとんどに言及がされているだけでなく、著者はそのどの作品についても、作品に相応しい丁寧さで扱っていて、、(そういう本が驚くほど少ないのだ)初期の浮き彫り(レリーフ)とか、最近、わたしが特に興味をもって見ているバッカス像(“あのひと” の2000〜2003年頃をバッカス期、80年代前半をダヴィデ期などと秘かに呼んでいるww)についても、他書では読めないような内容で、

また、とかく性的嗜好の話になりやすい、ミケランジェロの裸体表現についても、

男性と呼ぶ人間と女性と呼ぶ人間がもつ目印を描いているに過ぎない。彼にとって性器はそういった人間あるいは神の子の種類を識別するためのひとつの目印に過ぎなかった。つまりは彼が描く対象は男女を越えた、人間であった。(第16章 十字架をもつキリスト〈二〉)

など、何冊本を書いたところで、ミケランジェロには一向に近づけないような有象無象が好きそうなネタには一切なびかず、むしろ、通説となっているようなことには、敢然と異論が語られていて、随所で溜飲がさがるというか、胸がすくような思いがしました。

下記は終章「生きる形」から

サンタ・クローチェ教会の周囲には、連日世界中から観光客が集まり、賑わっている。教会内へ入るとすぐ右手にはヴァザーリ設計によるミケランジェロの墓廟がある。その隣にはミケランジェロが終生敬愛し、彼の創作の源泉とも言うべき作品「神曲」を著したダンテの墓廟がある。

ダンテはミケランジェロが生まれる210年前、1265年5月頃に生まれたフィレンツェ貴族である。政争により36歳のときにフィレンツェを追放され、望郷の思いを抱きながら1321年9月13日、異郷ラヴェンナの土となった。彼の遺体は今もラヴェンナにあり、このフィレンツェの墓廟の中にはない。

また、ミケランジェロの墓廟の筋向かいにはガリレオの墓廟がある。ガリレオはミケランジェロが亡くなる3日前、1564年2月15日にピサで生まれたフィレンツェ人である。そのガリレオは異端者としてフィレンツェ郊外に幽閉されたまま、1642年1月8日に生涯を終えた。ダンテ、ミケランジェロ、ガリレオ。

彼らは過去と闘い、未来を迎え入れるために、今を生きた。


(引用終了)


[目 次]
1. サン・ピエトロ大聖堂のピエタとダビデーキリストは死んでいるのか?
2. アカデミア美術館のダビデーミケランジェロはいつ人体解剖をしたか?
3. 木彫十字架像(1)抑制された筋表現とコントラポスト
4. 木彫十字架像(2)足と指
5. 木彫十字架像(3)右胸部の創は何を意味するか?
6. ミケランジェロの生い立ち(1)カプレーゼ,セッテニャーノそしてフィレンツェ
7. ミケランジェロの生い立ち(2)幼児期体験が脳に残したもの
8. ミケランジェロの生い立ち(3)徒弟時代とメディチ家の庭園時代
9. 初期の浮き彫り「階段の聖母」(1)聖母は静止しているのか?
10. 初期の浮き彫り「階段の聖母」(2)サヴォナローラの影響
11. 初期の浮き彫り「ケンタウロスの闘い」
12. バッカス(1)甘美な青春
13. バッカス(2)複視で彼は何を見ていたか?
14. ユリウス2世廟(1)ルーブル美術館にある2体の奴隷像
15. 十字架をもつキリスト(1)風変わりな造形
16. 十字架をもつキリスト(2)キリストの裸体は何を主張するか?
17. ユリウス2世廟(2)歴史の歯車
18. ユリウス2世廟(3)勝利とモーゼ
19. メディチ家廟(1)墓廟のプラン
20. メディチ家廟(2)真に価値あるもの
21. ブルータス:全体と部分,完成と未完成
22. ミケランジェロの生い立ち(4)家族の絆
23. バンディーニのピエタとサン・ピエトロ大聖堂
24. ロンダニーニのピエタ
終 生きる形

◎[Amazon]解剖学者がみたミケランジェロ


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by yomodalite | 2013-03-02 09:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(2)
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つまらない本が多い「ミケランジェロ本」ですが、本書はちょっぴり面白い本です。


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by yomodalite | 2013-02-09 12:19 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(3)
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ミケランジェロ本の個人的なメモです。

(序より)アスカニオ・コンディヴィの『ミケランジェロ伝』は、ミケランジェロを直接識っていた人物がその時代に書いた伝記として、歴史的に尊重されており、ミケランジェロ研究の基盤になっている。コンディヴィ自身はこの天才の弟子だったと言っているが、どの程度のものであったかは不明、ただ、同じ頃に出されたジョルジョ・ヴァザーリの有名な『美術家列伝』が興味中心の読みもので、それを不満としてコンディヴィが敢えて書いたという点に、意義があるだろう。五世紀後の今日のいわゆる「研究」とは意味が違い、当時の他の伝記と同様に、表面の事実を記述しただけの平板なものであるが…

と序にあるように、本書は、様々な本に引用されている基本書。翻訳をされたのは、これも基本書であるロマン・ロランの『ミケランジェロの生涯』も訳されていて、彫刻家でもある高田博厚氏。

厚みが4センチぐらいあるうえに、文字も小さく、見た目も中身もずっしりと重い。訳者による序文は16P、実際にコンディヴィが書いた部分は6ミリぐらいなんだけど、ジローラモ・ティッチァーティが書いた「補伝」が7P、コンディヴィはこう書いているけど、ヴァザーリはこう書いていて、ロマン・ロランは… というような「註」は、なんと本文よりも文字が小さい上に、長くて1センチほどあり、、その他「略年譜」までで、全体の半分ぐらい。

あとの半分が「ミケランジェロの詩と手紙」なんですが、詩に関しては、手紙の「注釈」のような感じで、挿入されていて、詩集として味わうには、あまり適当ではない印象。

基盤のコンディヴィ本+ミケランジェロ自身による手紙と詩がまとまって一冊に!。なっていることが、あまり嬉しくない。なぜなら、重いし、文字が小さいし、高価だから(定価10300円。中古価格はさらに高い)。

◎[Amazon]ミケランジェロ伝 ー 付・ミケランジェロの詩と手紙


コンディヴィの文章は、シンプルな内容なので、この部分だけ、もう少し現代語にアレンジして「文庫」にすればいいのに。と思う。(ていうか、古典の翻訳物は「絶版」にしてないで、すべて電子出版にすればいいのに。原書は、すでに無料でネットで読めるんじゃないのかな?)

コンディヴィが書いた部分に関しては、こちらの『ミケランジェロ伝』と同じだと思いますが、実際に確認はしてません。


下記は本書からのメモ

第五十六章

ミケランジェロは子供の頃から非常な努力家であった。天成に加えて叡知があり、これらをかれは徒らな労力や勉強から獲たのではなく、ひたすら自然そのものから学びとろうとし、つねに自然は真の鏡として自己の前に在った。それゆえ解剖してみようと思わなかった動物は一つもなかったし、人体においてはなおさらであった。

この勉強に全生涯を賭け、それを専門の職とする人も、かれほどには精通していなかったほどであった。ーーこれは絵画や彫刻の術に必要な知識をいうのであって、解剖学者が観察するような精密さをいうのではない。だからかれが制作した像は、どのような画家も模倣しえないような技術と智慧に充ちているのである。
 
自然の力、努力なるものは神によって定められ命じられた或る限られた圈をもっており、普通の力量をもってしてはこれを超えることは不可能だと、わたしはつねに考えていた。
 
これは単に絵画や彫刻においてばかりでなく、一般のあらゆる芸術や学においても同様である。自然がその力を或る一人に寄せるとき、かれはその技術における鏡となり規範となり、第一級の境が与えられる。こうしてその後に誰かが技術において、あるいは読まれあるいは見られるに価する何物かを生み出そうとするとき、それは最初の人がすでに生み出したと同じもの、あるいぱ少くともそれと似通ったもの、その道を行ったものでなければならない。

もしそこを歩まずに、真実の道を離れれば離れるほどかれは下落して行くだろう。プラトンやアリストテレスの後に、かれらに従わなくて、価値をもった哲学者が幾人あるか? デモステネスやキケロの後に幾人の雄弁家があるか? ユークリッドやアルキメデスの後に幾人の数学者があるか? ヒポクラテスやガレンの後に幾人の医者があるか? ホメーロスやヴィルギリウスの後に幾人の詩人があるか? 

そしてもし誰かが、これらの学の一つにおいて努力奮闘し、自ら第一級の境に到達すると同時に、その境がすでに占められているのを発見したとするならば、かれは先人がすでに示しているものが完全そのものに他ならぬことを認めて、自分はその仕事を去るか、あるいは判断力をもっているならば、完全なる理想として先人の模倣に身を委ねるであろう。


第六十一章
 
かれは遠近法や建築に専念した。これがどのような効果を与えたかはかれの作品が示している。ミケランジェロは建築の主要部分を知ったのみでは満足せず、それの利益と便宜になることならすべてを知りつくそうとした。たとえば繋材とか架梁あるいは足場などのこと。これらのことにかれは専業の者のように精通していた。これは次のようなユリウス2世の頃の事柄で解る。
 
ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の円天井を描かねばならなかったとき、法王はブラマンテに命じて足場を遣らせた。ところがかれはあのような建築家であったにもかかわらず、その造り方をまるで知らなかった。天井の方々に穴を穿って、そこから綱を垂らして足場を釣らせた。これを見てミケランジェロは笑った。そして穴のところへ来たら絵をどうするのだとブラマンテに訊いた。

ブラマンテは弁解の余地がなく、また他の方法でやるよりほかはないとしか答えなかった。これが法王のところへもって行かれた。ブラマンテは同じことを答えた。法王はミケランジェロの方を向いて、「これが駄目なら、お前が行って造れ」と言った。ミケランジェロは足場を取り除き、その沢山の綱をはずして、その手伝いをした或る貧乏な男にくれてやった。これで男は二人の娘の持参金をつくって嫁がすことができた。こうしてかれは綱なしで足場を迫ったが、どのように重いものを載せてもしっかりしているように巧く工夫して組み立てられた。これがブラマンテの眼を開けさせるもととなり、かれは足場の造り方を覚えたが、その後のサン・ピエトロの建築に大変役立った。
 
これらの事柄すべてにおいて、ミケランジェロは他に比肩を許さなかったが、かれは建築を自分の専門の仕事にしようとは少しも思っていなかった。


第六十三章
 
かれぱ、徳があり豊かな談話によってよき果実を亘られるような人たち、内部から美の光が輝き出るような人だちとは心から友情を保っていた。たとえば稀な良識と仁慈のゆえに交ったいと尊くいと署名なる君ポーロ(私註:レジナルド・ポール。イギリス史上最後のカトリックのカンタベリー大司教)のごときがあった。また中にすぐれてよきもの、加えて稀れに見る優れた批判力を見出して交ったわが最も尊敬する保護者クリスポ枢機卿があった。またかれは尊きサンタ・クローチェ枢機卿に親密な友情を抱いていた。

これは最も成敗あり最も謙虚な人なので、かれが心からあがめて語るのをわたしはよく聞いた。それにいと尊きマッフェイ、かれはこの人の仁慈と良識とをつねに語っていた。またかれは最高の尊敬の念を新たにしながら、つねによき聖老と呼んでいたパウルス法王を悟ぶ生きた記念として、ファルネーゼ家全部の人心あまねく敬愛していた。あるいはまたかつてチェゼナの司教であったいと尊きエルサレムの大司教の開放的な自由な性質を非常によろこんで、ごくうちとけてしばしば交際した。またわたしのいと尊き保護者、美わしぎ思い出の人、才能あるすべての人の港、リドルフィ枢機卿に密接な友情を抱いていた。

この他にも書き洩らしたーー面倒なためではなくーー幾人かがある。クラウディオ・トロメイ閣下、ロレンツオ・リドルフィ氏、ドナート・ジャンノッティ氏、リオナルド・マレスピーニ氏、ロッティーノという人、トンマーゾ・デル・カヴァリエーレ氏その他の名誉ある貴紳たち、これらの人々のことはここに詳しくは述べないが、最後にミケランジェロはアンニバル・カーロに非常な愛情を抱いていた。かれはこの人の中に自分にきわめて適うところを見出して、もっと以前から交らなかったのが悲しいとわたしに話していた。

けれども中でも特別にかれぱペスカラ侯爵夫人を非常に愛した。彼女も心からうちとけてかれを愛し、かれは彼女の気高い精神に魅されていた。今で心かれはなお、真にやさしい爰に充ちた彼女の手紙を沢山保存している。彼女の心から溢れ出た心ので、かれもまたいくたびとなく彼女に詩を書いた。

かれは彼女をほんとうに愛しており、こう言ったのをわたしは記憶している。

ーー彼女がこの世の生を終えたとき、彼女に会いに行った。そのとき、手には接吻したが、額と顔には接吻しなかった。それを思うほど悲しいことはない。ーーこの死のためにかれはしばらく茫然として、まるで意識を夫ってしまったようであった。

この夫人から希われて、かれは十字架から解き降される裸形のキリストを描いた。

キリストは、二人の天使から腕を支えられていなかったならば、捨てられた死体のように、いとも聖き母君の膝下に倒れ伏したであろう。そして彼女は涙と悲しみに充ちた顔で、十字架の下に坐り、両手を天に延ばし腕をひろげて叫ばれる。ーーそれは十字架の柱に書かれており、こう読まれる。

NON VI SI PENSA QUANTO SANGUE COSTA !
いくばくの血ながれしや
はかりしられず!
 
この十字架は、一三回八年の受離日の誦経行列に自党によって遅ぱれ、その後フィレンツェのサンタ・クローチェ寺院に安置されたものに似ている。

彼女への愛のために、かれはまた十字架のイエス・キリストを描いた。これは普通描かれているような死せるすがたではなく、顔を神なる父に向け、気高いすがたで言っているかのようである。ーーエリー・ エリー・ 体は死んでぐったり落ちかかったようではなく、まだなお死の苦痛に悩み身をよじらせながら生きておられるようである。


第六十四章
 
かれは学識ある人との談話を非常によろこび、また散文や韻文の作者の研究によろこびをもった。特にダンテを讃美し、この人の驚くべき天才力をよろこび?その作の殆どすべてを暗記していた。ペーフルカにもまた劣らず感嘆し、これらを読んでたのしむばかりでなく、折りにふれて自分で作って楽しんでいた。

かれのものとされているいくつかの十四行詩(ソネット)で解るように、それはかれの偉大な創意と悟性のよき見本であるが、これらについてはヴァルキの解説と批評が出ている。しかし、かれはこれを自分の仕事とするより、むしろ感興のために作ったので、いつも自分を認し、その面での自分の無能をとがめていた。
 

第六十五章

旧新約聖書やそれについての解釈をした人々、たとえばサヴォナローナの書いたものなどを、かれぱ多大の研究と興味とをもって読んだ。(私註:サヴォナローナが熱烈な説教を開始したとき、ミケランジェロは15歳。ロマン・ロランは、ミケランジェロのいかなる書簡にもサヴォナローナとその事件についての痕跡はない。としている。が、変名を使って兄への手紙に書いているらしい)かれは、この人に非常な好意を抱いており、未だに胸中にサヴォナローナの生き生きした声の記憶をとどめている。またかれの体躯の美しさを特に愛し、その美を最もよく理解しつくした人のようである。このような愛ゆえに、淫狽な汚らわしいもの以外には美に対する愛を理解しえないような肉情的な人々ぱ、かれを憎み悪口の種とした。それはあたかもソクラテスと開会したとき、自分の父の傍で目覚め起きたのと違わなかったアルキビアデスが、ソクラテスから純な愛され方をしたのではなかったと言うに等しい。
 
ミケランジェロが愛について語り論じたのをわたしはいくたびとなく聴いた。かれはプラトンの作品中に見出される愛の他には語らなかったと現にいる人たちからも間いている。わたし自身はプラトンが言ってるものは何だか知らないが、しかしこのように長く親密にかれと交って来たわたしば、かれの口から真実の言葉より他にかつて聞かなかったことを承知している。それは若者に起りうべき抑えがたいあらゆる奔放な慾情を根絶させるほど力強いものであった。かれの中に汚い考えの生れなかったのは、これによっても認めることができよう。かれが愛したのぱひとり人間の美のみではなかった。ありとあるすべての美を愛した。

美しい馬、美しい犬、美しい田舎、美しい植物、美しい山、美しい森、すべての場所、それぞれに美しく類いないもの。これらを驚くべき愛情をもって讃美した。かくして蜜蜂が花から蛮を集めるように、自然から美を集め、それを作品の中に憂した。そしてそれらはつねにこれらのみなが絵の中で叫び声をあげているかのように描かれた。ヴィーナスを作った作者は、T入の処女を見るだけでは満足せず、沢山の処女を究めることを願った。そしてそのそれぞれから一番美しい一番完全な部分を取って、かれのヴィーナスに与えた。実にこの道によらずに(これのみによって真の理論は獲得しうる)芸術の或る境に到りうると考えるのは、大それた誤りである。


第六十七章

かれは自分のものを多く人に与えた。売ろうと思えばいくらでも金になるようなもので、たとえば他でもない、あの親友のロベルト・ストロッツィ氏に贈った二体の像である。自分の制作に物惜しみしなかったのみならず、しばしば財布で、文筆家、画家を間わず、何人かの貧しくして技倆を有する人や努力家の暮らしを肋けてやった。これをわたしは確言することができる。何故ならわたし自身それに俗したのだから。かれは、かれの主義としてよりもむしろその善良な性質からして、他人の働きをーーかれの芸術の領域においてさえーー決して嫉まず、いつもすべてにわたって賞讃していた。

かれが人にものを教えようとしなかったかのように多くの人が言っているが、これは事実ではない。かえって心からよろこんで教えた。わたし自身それをよく知っている。かれはわたしに芸術上のかれの秘密をすっかり開いて見せてくれた。けれども不運にも、かれはそれに価いしない弟子かあるいは価いしても辛抱力のない弟子しかもつことができなかった。

かれらはかれの訓練の下に2、3ケ月いると、もう大家になったように思い上がってしまう。かれはいつでも親切に教えてやろうとしたが、外見以上によくしてやろうとしたので、それを知られることをよろこばなかった。さらにかれがつねに古い慣わしどおりに芸術を庶民の中にではなく高貴な人々の間に育てることを望んでいたのを、知っておく必要がある。


第六十九章

ミケランジェロは立派な体つきの人である。肉太りにふとっているというよりは頑丈な骨太の体格である。生れつきという以上に、身体の鍛錬と、食物や、性における節制によって健康である。幼少のときには虚弱で病気がちで、太人になってからは二つの持病をもっていた。数年の間は尿水過剰で弱り切っていた。この病気は、前に言ったレアルド氏の手術と熱心な介抱によって癒されなかったら、結石にすすんでいたであろう。

かれはいつもいい顔色をしていた。そしてその体格は次のようである。中背で、肩幅はひろく、他の部分もこれによく釣合っており、どちらかと言えば細そりしている。頭蓋の形は、額の方で円く、耶より上の部分が頭の周縁の半分以上を占めるような具合になっている。だからこめかみが耳よりいくらか前へ突き出ており、耳は頬より出ている。頬は顔の残部よりは出ている。頭は顔の割合にしては大きいと言っていい。顔は前から見ると四角で、鼻は少し潰れている。これは生れつきではない。子供の頃、トッリジアーノ・デ・トッリジアーニという獰猛で横柄な男が拳骨でかれの鼻の軟骨を砕いたのである。そのときかれは死んだようになって家へ運ばれたが、このためにトッリジアーノはフィレンツェから消えてしまい、それから悪い死にざまをした。

それでもこのようなかれの鼻は顔や顔の部分と釣合っている。唇は薄い方だが、下の方は心持ち厚く、だから横から見るとわずか外へ突き出ている。顎は上述の部分によく伴っている。横から見た額は殆ど鼻より前にある。鼻は真中の小さな隆起を除けば殆ど砕かれていない。眉には僅かの毛があり、眼は他に比べてどちらかと言えば小さく、角色をしているが、黄や青にきらきら光る数個の斑点がある。整った耳、黒い頭髪、同じ髭。ーーーしかし七十九歳の今は灰色の毛が夥しく混っている。かれの肖像画で詳しく見られるように、髭は叉に分かれていて、指四、五本の幅の長さで、あまり厚くない。

この他多くのことが言い残された。けれどもわたしはこれの発表を急ぐ理由のために、これをそのままにした。或る人物が、わたしがかれらの手に委ねたわたしの労作の栄誉を奪おうとしていることをわたしは聞いている。それでもし他に崖かこの著述をやろうとし、同じ『伝記』を書こうとすることがあるならば、そのときわたしはわたしの知っているすべてをその人に語るか、あるいは心から好意をもってそれを書いて与えよう。
 
長年の間にかれやその他の人々からわたしが巣めておいたかれのソネットやマドリガルを近く公表できると思う。これは、その詩想のいかに尊いものであるか、かの聖なる精神からいかばかりに美しい意想が生れ出たかを、世に知らしめるであろう。これでわたしはおわる。






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by yomodalite | 2013-02-05 10:25 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(2)
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絶対に外国製のチョコって感じだけど、ロッテが販売してる「ギリアンツイスト」


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◎「ギリアンツイスト」プレスリリース

ロッテ、ベルギーの老舗チョコ会社買収してたのね。

味はね、うん、、まぁまぁって感じでリピートしたくなるほどじゃないんだけど、形がたまんないよね。どうしても、お口に入れてみたくなる感じだし、、

それと、ミケランジェロのこと一杯考えてるせいかなぁ・・・



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この子たちが、ビザンティン帝国から来た使者だって、気づいちゃって、、w


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そう、ロドス島から来たの。。なーんて話かけてみる。(大丈夫かっ自分!)


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Sea horse fountain, Rhodes Old Town


タツノオトシゴの学術名はHippocampus(ヒポカンパス)。この語源はギリシャ語のHippos(馬)と、Campos(海の怪物)に由来していて、英語で「sea horse」、ドイツ語(Seepferdchen)でも、フランス語(hippocampe)でも、イタリア語(ippocampo)でも、スペイン語(caballito de mar)でも、ラテン語(hippocampus)でも、、、

ぜーーーんぶ「海の馬」!


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ギリシャ神話のポセイドン(ネプチューン)がまたがってる馬に羽根が生えてるような、架空の動物も含めて、Hippocampus(海馬)と言われていて、


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脳の中の「海馬」も、タツノオトシゴの形に似ていることから名付けられているし、


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Hippocampus in carousel at Roger Williams Park in Providence, Rhode Island



トレヴィの泉にいっぱいいる、、


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こんなのとか、

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こんなのもの、

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“Arion on a Sea Horse” William-Adolphe Bouguereau


すべて「Hippocampus」 海の魔物!

といっても、パクついてるのは、私の方だけどね。一粒で66カロリーってことも忘れて。。(そこも早く気づけっ自分!)


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そ、そういえば、、Campos という名前の、スゴいひともいた。。

お時間がある人は、下記のEpisode 1〜Episode 4(全部で7分ぐらいのネタフリ) を
見た後に『Like Mike』をご覧になってください。

◎[動画]"The Mysterious Case" - Episode 1
◎[動画]"The Mysterious Case" - Episode 2
◎[動画]"The Mysterious Case" - Episode 3
◎[動画]"The Mysterious Case" - Episode 4


『Like Mike』



◎Daniel Cloud Campos──渾身のマイケル・トリビュート」
◎Daniel Cloud Campos──ヒップホップ時代のジーン・ケリー?

それと、、ここまでの話とまったく関係ないんだけど、

なんとなくタイトルが気になって録画することにした、TV東京の『テレビは○○で出来ている』という番組がすごく面白かった。

◎番組情報「テレビは○○で出来ている」

元AV女優のADが、TV業界の裏方に転身して苦労しつつ、あるドキュメント番組のチーフに抜擢される… という物語を追ったドキュメンタリなんだけど、、実は、、という、見終わって「流石、田原総一郎を生んだテレビ東京!」と、唖然としつつ膝を打ちました。

もし、再放送があったら、是非!という感じ。


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by yomodalite | 2013-02-01 08:47 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)
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2012年は、ルネサンスや、ミケランジェロと、ローマ帝国に関する本を、もうお腹いっぱい、吐き気がしそうなぐらい読んだ。と言いたいところなんですが、正確にいえば、大抵は途中で止めた。つまらなかったから。


☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2013-01-03 01:23 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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年末になると、ベートーヴェンの第九「歓喜の歌」がよく歌われるようになったのは、いつぐらいからだったでしょうか。

◎歓喜の歌(歌詞)

わたしには、この歌詞の内容はなかなか理解できないのですが、特に、

口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を

創造主は我々に与えた

快楽は虫けらのような弱い人間にも与えられ

智天使ケルビムは神の御前に立つ


という部分がむつかしいんですよね。

そもそも、智天使(ケルビム)というのが、なんだかよくわからないですし・・でも、そう思うのは、わたしだけではないらしく、ケルビムの表現は、時代によって様々に解釈されていて、いわゆるエンジェル、キューピッド系から、乙女ぽいもの、モンスター系までいろいろな表現があって、

「眠れるキューピッド」は、若きミケランジェロの失われてしまった作品なのだけど、その後に創った像が「バッカス」と言われると、なんだか、この情景に関係があるのかなぁと思ってみたり(ただし「歓喜の歌」の詩をかいたシラーは、ミケランジェロより200年以上後の人)

天使の階級として、上位の天使には3つの種類があり、

・熾天使(セラフィム / 単数形はセラフ)
・智天使(ケルビム / 単数形はケルブ)
・座天使(スローンズ / 単数形はスローネ)

古い聖書の記述では、ケルビムにはそれぞれ四つの顔があり、第一の顔はケルビムの顔、第二の顔は人間の顔、第三の顔は獅子の顔、第四の顔は鷲の顔である。とも言われていますが、ルネサンス時代のケルビムは、赤子に羽根があるものが主流のようです。

そんな階級だとか、なにを勝手に決めてワケわかんないことを・・ということになったのでしょうw


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Michelangelo's Putto, Sixtinische Kapelle



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Raffaello’s Putto



◎ケルブあるいはケルビム
◎ベートーヴェン 交響曲第9番- ケルブ(智天使)とは

で、、そんなことをぼんやり考えていたときに聴いていたのは、ベートーベンではなくて、

チャイコフスキーの「ケルビムの歌」



*他のキリスト教教会や、一般的にはケルビム(智天使)ですが、チャイコフスキーの信教であるロシア正教では(二コライ堂など、日本のハリストス正教会)「ヘルヴィム」という。ルネサンス絵画では、翼を持つ赤子として描かれている「Putto」と同一。

◎ヘルヴィムの歌(Wikipedia)

☆ヘルヴィムの歌は「聖金口イオアン聖体礼儀」の一部
◎聖金口イオアン聖体礼儀 (チャイコフスキー)

チャイコフスキーの「ヘルヴィムの歌」を聴きながら、ミケランジェロの「バッカス像」(ディオニュソス)に思いを巡らせつつ、MJのことを考えているとw、

ウーロン茶でも「ビリビリ」と酔いが回ってきて… お正月は、たぶん、そんな感じで過ごしそう。。

今年も東京にいるせいか、普段と全然変わらないけど。。


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by yomodalite | 2012-12-28 08:40 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

隠されたヨーロッパの血の歴史

副島 隆彦/ベストセラーズ



本書は、今年の夏に出版された『隠された歴史ーそもそも仏教とは何ものか?』のヨーロッパ版でもあり『日本のタブー〈悪魔の用語辞典2〉』の続編とも言える書で、サブタイトルは「ミケランジェロとメディチ家の裏側」。

下記は、本書の「あとがき」から(省略して引用)

私が芸術家ミケランジェロの名前を知ったのは中学2年生のときだった。1968年だったから、あれから45年の年月が過ぎた。田舎の公立中学校の一学年全員が、九州の地方都市の繁華街の大きな映画館まで整列してゾロゾロと歩いて行った。『華麗なる激情』(原題:The Agony and the Ecstasy)という何とも言いようのない邦題のアメリカ映画だった。

ミケランジェロと、システィナ礼拝堂の天井壁画「天地創造」の制作を命じたユリウス2世の2人の友情と葛藤を描いていた。天井画は1512年に完成している。奇しくも丁度500年前だ。ミケランジェロが7年かけて描いた。この映画を45年ぶりにDVDで観て勉強になった。分からないことがたくさん分かった。

システィナ礼拝堂の天井画を、私は35年ぶりに今年見に行った。私にとっては巡礼の旅だ。ただし私は無垢で善意の巡礼者ではない。この世の大きな悪の本体に向かって突進する巡礼だ。自分の45年の年月をかけて、ようやく人類の歴史の全体像の理解に到達したと思った。そのことで1冊の本を書けた。よし、もうこれぐらいでいい、という気にもなった。

(引用終了)

下記は、本書の「塩野七生問題」という文章から。

この本がどういう本かということがわかる文章だと思ったので
省略して紹介します。(P226~234)


この本をたった2週間で書き上げなければならなくなった2012年8月末に、担当編集者が塩野七生著『ルネサンスとは何であったのか』を私に渡した。「参考にしてください」と言いながら。この他に『ルネサンスと地中海』樺山紘一も読むべきだと考えた。樺山紘一はヨーロッパ中世史の偉い学者で、ルネサンスの専門家だ。だが、この2人でさえ、ルネサンスのことを300年間ぐらい続いた文芸・芸術・美術運動だと考えている。

フィレンツェで繰り広げられた1439年から60年間の新プラトン主義(ネオプラトニズム)の人文主義者(ウマニスタ)たちの激しい思想運動のことそのものだったのだ、という自覚が半分ない。だから、私はこの2人を批判する。

塩野七生の本を私の友人たちが、20年ぐらい前によく読んでいた。それなりに立派な読書人たちである(知識人にはなれない)。『ルネサンスとは何であったのか』を急いで読んで、私はかなり勉強になった。偉大なるフリードリッヒ2世のことが詳しく説明されていて感動した。ルネサンスはこの抜群に面白いドイツ王と「アッシジの聖フランチェスコ」の2人から始まったのだ、という塩野が書いている聖フランチェスコについては、私はこの本では触れない。

塩野七生がフリードリッヒ2世をおおいに褒めている理由が私にはわかる。本当に偉大な人物だったと思う。彼はヨーロッパ皇帝でありながら、イスラム教徒と理解しあい、共感しあい、13世紀の当時の最高度の思想と学問の水準を持っていたイスラム世界を尊敬した。今の欧米白人学者たちからでさえ、“闇に葬られている” 人物に、塩野七生が2000年ぐらいから行きついていることが重要である。

ニーチェは『アンチ・クリスト』の中で、フリードリッヒ2世を “ずばぬけて偉大な人” と書き、塩野がこれからイスラム思想・世界に、自分の残りの人生を賭けて分け入ってこうとするのを、私は大歓迎し、応援したい。

それでも「塩野七生問題」というのはある。

私たち文科系知識人、本読み(歴史の本を買って読まない理科系を含めた99%の日本国民には無関係)100万人ぐらいに対して、塩野が日本語で書いた多くのイタリア本の意味と影響についてここらで考えなければならない。

『ルネサンスとは何であったのか』から(塩野の発言を)要約すると「自分は田中美知太郎、林健太郎、会田雄二ら大御所たちには認められたが、その後の西洋史学者、イタリア美術史学者、文化史学者たちからは、嫌われていじめられた。小林秀雄ら文壇・論壇の大御所からも冷遇され、いい思いはしなかった」と石原慎太郎に向かって言ったと書いている。

なぜ、塩野は日本の知識人の世界で、本人の主観としてはいい思いをしなかったのか?

彼女の本は80年代、90年代にたくさん売れた。それでも、塩野の評価は定まらない。女だからか?それもある。ヨーロッパ美術、オペラ声楽を専攻してイタリア留学する女性たちなど、良家の子女たちが、高度成長経済の日本を背景にして多く存在した。そういう女性のひとりとして、塩野は『ローマ人の物語』を15巻も書いた。

大不況が続くこの哀れな日本で、誰があんな分厚いどころか、何十冊もある本を読んで暮らせるというのか。塩野は学者であるのか、作家、あるいは評論家であるのか、と言う問題がある。彼女と同世代の日本の西欧史学者たちから、彼女は今も嫌われているだろう。彼らは勉強秀才であるが、凡才たちで、翻訳学者たちだろう。塩野は「自分の本はすべて歴史物語(イストワール)です」と始めから学者たちと棲み分ければよかったのだ。

ところが、塩野は作り話をしていない。歴史の事実を、人物像を出来るかぎり正確に描写して、歴史事実を慎重に扱っている。だから学者たちと仕事がぶつかってしまう。

私は彼女の日本語でのイタリア歴史の語り部として、文化、教養の取扱者としての才能を認める。彼女はそれなりに詳しく調べていえ、人物描写の鋭さもある。だが、それでも私が「塩野七生問題」と言うのは、彼女がエドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』をどう取り扱ったか、という1点に関わる。

私は主に中野好夫訳のこの『ローマ帝国衰亡史』の第一巻だけを読んだ。残り9巻は手が出なかった。人生の忙しさのために、そんな悠長な読書家人生などやっていられない。

あとは金森誠也氏の書いた『30ポイントで読み解く「ローマ帝国衰亡史」』を読んで済ませた。

塩野七生はギボンの大書『ローマ帝国衰亡史』が欧米世界での定評ある古代ローマ史の通史なのだから、それを正確に翻訳すべきだったのだ。私はギボンの本に日本人としての新発見をこのように付け加えたとして書くべきだったのだ。「塩野(独自の)古代ローマ史」というのを、外国人である塩野が、独自にやっていいことだとは私は思わない。

塩野はギボンだけでなく、何百冊と本場の文献に当たった、と言うだろう。だったら、せめてイタリアの3人ぐらいの大御所たちの著作から、主に学びましたと書くべきだったのだ。日本人学者には輸入学問しかできないのだ。

私は塩野の本の良い読者ではなかったし、あの大部の本を何冊も買ったような素朴な読書人階級ではない。私は古代ローマ帝国史と、今のアメリカ帝国史の百年間を、徹底的に自覚的に、両者を類推・比較して、その衰と亡をドギツく書いてきた。それを何十冊もの金融・経済、政治の評論本にして生活の糧にしてきた日本人である。だから、私も決してローマ史の門外漢(素人)ではない。

過去の人類史の諸事実のあれこれを手際良く上手に並べて書いて、それを次々に本にしました、というほど生易しい本づくりは、男にはできないんだ。塩野さん、ここを分かってくれ。

これは、作家がひとり、自分の名誉と生活費を求めてもがき苦しんで苦労して、100冊の本を書きました、というだけのことである。

このイタリア作家も、私もやがて死んでゆく。「作家があまりに長生きすると、読者の方が先に死んでゆく」(山本夏彦)のである。

あまり自著が読まれなくなって、そして次の時代と世代がやってくる。やはり塩野七生は歴史作家なのであって、歴史学者ではない。私はこう断定することで、この問題にはこれで片をつける。

(引用終了)

◎[Amazon]隠されたヨーロッパの血の歴史

☆参考記事

三島由紀夫bot ‏@MISHIMA_ESSAY
ニイチェの強さが私には永遠の憧れであっても遂に私には耐え得ない重荷の気がします。おそらくきょうは一人一人の日本人が皆ニイチェにならねばならぬ時かもしれません。 昭和十八年 東文彦宛書簡


◎「塩野七生が叩かれる理由」
◎「人生を語ろう、愛を語ろう!」瀬戸内寂聴 vs 塩野七生「現代ビジネス」対談〔前編〕
◎「どうやって死にましょうか」瀬戸内寂聴 vs 塩野七生「現代ビジネス」対談〔後編〕

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by yomodalite | 2012-11-22 10:53 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)
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マイケルと神について考えるとき、ミケランジェロのことは、とても重要なファクターなのだけど、この考察を続けて、ミケランジェロまでたどり着くのに、あとどのくらいかかるのかなぁとか考えて気が遠くなりつつ、「ピエタ」のことをぼんやりと想っていた。




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ミケランジェロのピエタは、4種類あって、一番有名な「サン・ピエトロのピエタ」は、ミケランジェロが25歳頃に完成しているのだけど、後の3作品はいずれも未完成。

・「サン・ピエトロのピエタ」(1498年 - 1500年、サン・ピエトロ大聖堂)
・「ドゥオーモのピエタ」(1547年? - フィレンツェ、ドゥオーモ博物館)
・「パレストリーナのピエタ」(1555年? - フィレンツェ、アカデミア美術館)
・「ロンダニーニのピエタ」(1559年 - ミラノ、スフォルツァ城博物館)



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「サン・ピエトロのピエタ」は、若々しく美しいマリアが印象的で、イエスを膝に抱いているマリアは、イエスよりも神々しく「聖母」とは「女神」であるという印象。



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一方、「ドゥオーモのピエタ(別名フィレンツェのピエタ)」には、母マリアとマグダラのマリアと思われる二人の女性と、一般的にはニコデモだと言われている(父ヨゼフだという説もある)男性1人に支えられ、ミケランジェロ自身の真作かどうか議論もある「パレストリーナのピエタ」でも、マリアと思われる女性は、現実的な描写となり、神ではなく「人間イエス」を描こうとしているように見える。



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最後のピエタであり、遺作と言われる「ロンダニーニのピエタ」では「サン・ピエトロのピエタ」と同じくマリアと二人きりで描かれているのだけど、このマリアもやはり人間的で、、


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未完に終わった作品はどれも、イエスにも、マリアにも、神々しさが欠けていて、ミケランジェロは20代で制作し、最高傑作ともいわれる「サン・ピエトロのピエタ」以降、ピエタを、聖母子としては描いていないように思う。

また、最初に創られたイエスを膝に抱いている「サン・ピエトロのピエタ」以外は、いずれも、傷ついたイエスを立たせようとしているように見える。

「ロンダニーニのピエタ」は、十字架刑の後なのかどうかはわからないけど、イエスの背後にいるマリアは、イエスの肩より上に見え、これはマリアを「背負っている」からだとも言われているけど、

イエスの足は地に着いているようには見えないし、この足の状態からは自力で立っているとは思えず、やはり、先の2作品と同じく、マリアがイエスの体を引き上げようとしているか、もしくは、飛翔しつつあるのではないだろうか。


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Wikipediaに書いてある「イエスを亡くして悲しむマリアをイエスの霊が慰めている様を表現するために、両義的な解釈が可能となるようミケランジェロが意図した」という解釈も、なんだかよくわからないのだけど、でも、どうして、ミケランジェロは「サン・ピエトロのピエタ」以外、イエスを立たせようとしているんだろう。とぼんやり考えながら、

「ダヴィデ像」から、ずっと裸体の男を描いてきたミケランジェロの作品を見ているうちに、ふと思い出した。

あの医師の裁判のときに公開された、MJの最後の写真を。



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あの時、マイケル・ジャクソンという人は、どうして、こんなにもメディアによって、どんな姿もすべて公開されなければならないのかと、胸が張り裂ける思いがしたひとは、私だけではないと思う。

私はそのときは見られなかったし、一生見ることはないと思ったのだけど、

つい最近、そうではなくなった。

そこには、女神も聖母もいなかったけど、必要ともしていないように見えた。

☆『ロンダニーニのピエタ』(Pietà Rondanini)に関する参考記事 
http://www.geocities.co.jp/kaztan0929/italy-92.html
http://www.asahi-net.or.jp/~mf4n-nmr/yorokobikanasimi.html


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by yomodalite | 2012-11-04 08:41 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)
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☆黄金律に従おう『The Michael Jackson Tapes』の続き

カルマを完全に否定したことも、ここで、あらためて正義を信じないと言いきったのも、MJがこれほど信念を持っているのは、彼が「思想」レベルで物事を考えているからで、この会話は、彼の2万冊におよぶ読書がどのようなものだったかが透けて見えるような内容だと思いました。

そして、この会話の後に起こった裁判のときの態度も、言葉だけではなく、全身でそれを表現するものだったと思います。

人種差別、宗教、反ユダヤ主義[1]で、シュムリーは「マイケルはユダヤ人に直感的に親近感を抱いていた」と言っていました。それは裏を返せば、シュムリーが、MJに親近感を抱いていたということだと思いますが、2人の「正義」に関する考え方には、かなりの隔たりがあるようです。

正直なところ、シュムリーの「ホロコースト絶対主義」による、度を超えたユダヤ擁護を聞いていると、わたしもちょっぴり「反ユダヤ」的な心情に傾いてしまいそうになるのですが、、

MJは人種で差別することは絶対にするべきではないということを「理想主義」でなく「現実主義」として語ろうとし、また、シュムリーは、人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]で「MJが、ヒトラーのような邪悪な人間を許すことができるのは、彼が純真だから」と言っていますが、私には、MJの考えは歴史をよく学んでいるからとしか思えません。

信仰者が少ない日本では、宗教と言えば「魂の救済」という印象が強いですが、歴史好きのMJからは、宗教の、思想、法律、政治のツールとしての視点が強く感じられます。

彼の固い信念がどのように育まれたかについて、多少でもお届けしたいという気持から、少々メンドクサイ感じのことを書いちゃいますけど、、、

夜露死苦っ!


☆註1

SB:君は、正しいことをした人には報酬が与えられ、犯罪者は罰せられるべきだと思わないの?善良な人は繁栄し、悪人は失脚し落ちぶれるべきだとは思わないということ?

ほとんどのMJファンでも、MJではなく、シュムリーと同じく「正しいことをした人には報酬が与えられ、犯罪者は罰せられるべき… 」と考えていませんか? そして、そうでなければ、人類も、地球の未来もないと考えていませんか?

これに関して、下記も含め、今後もなんとかMJの考えを「解説」したいと思っているんですが、、、

☆註2、3

A famous Jewish philosopher named Maimonedes said "Habit becomes second nature" and they have done. They become evil.

SB:有名なユダヤ人の哲学者マイモニデスは言った。「習慣は第二の天性なり」


"Habit becomes second nature" で、検索すると、カバラー(ひと言でいうと、ユダヤ教の伝統的神秘思想)系のサイトが上位に並び、私の訳語「習慣は第二の天性なり」で日本語検索すると、この言葉は、古代ギリシャの哲学者・ディオゲネス(Diogenes)の言葉として紹介されていることが多いようです。

ディオゲネスは、紀元前412年 - 紀元前323年の人で、マイモニデスは、1135年 - 1204年なので、オリジナルは、やはりディオゲネスの可能性の方が高いのかもしれません。

わたしが、ここまでに仕入れた知識をもとに、たぶん、こうなんじゃないかなぁというレベルで、話を進めると、

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は「聖書」を同じくする宗教で、ユダヤ教は旧約聖書をバイブルとし、キリスト教は、旧約聖書と新約聖書の2つをバイブルとしていますが、ユダヤ教では新約聖書を認めておらず、旧約聖書の編集内容も異なっていて、ユダヤ教では、聖書は『タナハ』『ミクラ』と言い、

『タナハ』は、下記の3つで、それぞれの頭文字「TNK」に母音を付けて、タナハと呼ばれている。

・トーラー(「モーセの五書」と呼ばれる。Torah)
・ネイビーム(預言者。Nevim)
・クトビーム(諸書。ヨブ記、箴言、ダニエル書を含む11巻が含まれる。Ketubim)

マイモニデスは「中世の最も偉大なユダヤ哲学者」と呼ばれている人なんですが、彼の著作でもっとも有名なのは『迷える者たちへの導きの書』(「迷える者の手引き」)で、この著書により、彼はユダヤ教にアリストテレス主義(事物や物事にはすべて原因と結果がある)を導入したと言われています。

◎アリストテレス(紀元前384年 - 紀元前322年)Aristoteles
◎マイモニデス(1135年 - 1204年)Moises Maimonides

これは、現実主義(リアリズム)の元祖であるアリストテレスの支持者たちによる、一神教批判に対し、神の実在は証明可能で、アリストテレスの論理によって証明可能である。とする思想書で、ギリシャ哲学とユダヤ教神学との調和を目指したもの。

シュムリーが「正義判断」に関して、審判にとても熱心なのは、この物事にはすべて「原因」と「結果」があるという考えから来ていて、それは、彼の神の存在意義にも関わる根幹です。

アリストテレスは、イスラム教にも大きな影響を与え、また、ダンテの『神曲』にも多大な影響を与えていて、3大宗教は、それぞれ「聖書」を、どう現実にあわせていくかを巡って、工夫をこらしているというか、苦悩していくわけですが、

ユダヤ教よりも早くから、アリストテレスの影響が大きかったイスラム教と、マイモニデスによって、リアリズムが導入されたユダヤ教は「拝金」を肯定し、合理主義思想に傾いていくのですが、キリスト教はそこにもっとも苦悩し、今に至るまで「合理主義」を教義に導入できないようです。

マイモニデスの話に戻りますが、

ユダヤ教では、タナハ(聖書)の中の「トーラー」(モーセの五書)以外に、他にも「タルムード」というものがあって、これは現実の生活を規律する書で、その基本部分を「ミシュナ」と言うらしく、そのミシュナ形式で書かれ、従来の膨大なユダヤ法に関する諸資料を体系的に分類し、かつ法典化したものが、

マイモニデスが書いた「ミシュネー・トーラー」

ですから、マイモニデスは哲学書『迷える者たちへの導きの書』を書いて、それを立法化し、ユダヤ教の「聖書」に組み込んだ人なんですね。

そんなわけなので、色々余計なことまで書きましたが、シュムリーが、 "Habit becomes second nature" を、マイモニデスの言葉と言ったのは、間違いとは言えないというか、たぶん「ミシュネー・トーラー」にそういった記述があるからでしょう。

さらに、その件には関係ないのですが、

当時、マイモニデスはアラビア語でこれを書いたので、セム語圏にはすぐ伝わりました。当時の知識人層の言葉はアラビア語で、ここから、ヘブライ語 → ラテン語 → と聖書は翻訳されていったので、当時のローマでは、聖書は教会関係者しか読むことが出来ず(というか、教会関係者もあまり読めなかった可能性がある)、

これを、マルティン・ルター(1483年 - 1546年)がドイツ語に翻訳したことで、初めて市民層に広がり、これまでの「聖書の嘘」への怒りによって、宗教革命が起きる。

それが「プロテスタント」の始まりで、新約聖書しか信じない!はずだったんだけど、教会の権力はスゴいので、折衷しているうちに、キリスト教は教義としては整合性にかけ、矛盾が多いものとなっていく。

一般的に、3大宗教は、イスラム教がもっとも新しく、預言者として一番新しいのもムハンマド(マホメッド)だと思われていますが、

・ムハンマド(570年頃 - 632年 別名、マホメッド、モハメッド)
・マイモニデス(1135年 - 1204年)
・マルティン・ルター(1483年 - 1546年)

と考えれば、キリスト教が、もっとも発展途上にあり、文化的にも未熟であると考えられなくもないでしょう。

『米国 ユダヤ キリスト教の真実』という本から引用します(省略・要約して引用)

私が、Enlightenmentに「啓蒙」という公式の訳語をつけないのは、この訳語が「Enlightenment(エンライトメント)」の思想詩的な意味をまったく伝えていないからです。Enlightenmentの文字通りの意味は、闇に「灯り」をともし、明るくすることです。権力化したキリスト教のもと、理性的思考が抑えられ、恐怖だけが支配していた闇を吹き飛ばし、フランス革命を実現して、世界を近代に変えたのが Enlightenment です。その内容から見て「理性革命」と訳すことにします。

(yomodalite註:フリーメーソン、イルミナティもこの流れから生まれたものです)

理性は、世界中の人間が本来持っているもので、宗教的な精神操作で抑圧されない限り、自律的に発達します。それはギリシャ時代には、一つの頂点に達し、それに続くローマ帝国時代にも「ヘレニズム」(ギリシャの意味)文化として頼もしい発展をしました。

この「自然な理性」がほとんど突然に断ち切られるのは「キリスト教の一宗派」だけを絶対化し、他を消滅させるために開かれた「ニケア宗教会議」で、ここで、三位一体を絶対の信仰とすることが定められました。この「三位一体信仰」に徹するには、徹底して理性を抑圧する必要がありました。

ギリシャ時代の「理性的哲学者」の文献はすべて破壊し尽くされました。今残っているのは、イスラム世界から近世になって移入されたものです。(中略)

スファラディと呼ばれるユダヤ人はイスラムの人々と平和共存し、イスラム世界の物資や文化をヨーロッパに仲介導入する役を果たしていました。仲介として果たした最も大きな役割は、ギリシャ文化の原典をイタリアに伝え「ルネッサンス」が起こる手助けをしたことです。(引用終了。p94~96)


この章に直接関係しない部分も含めて引用しましたが、MJがどうしてあんなにもミケランジェロが好きだったのか?についての重要ポイントなので… 

中世ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の国々が、聖地エルサレムをイスラム教国から奪還することを目的に派遣した「十字軍」の最初は、1096年 – 1099年で(諸説ありますが)、最後が、1271年 - 1272年。

これらの戦争は、もし兵士が聖書を読めていたら起こらなかったのではないでしょうか。

圧政に苦しむ民の不満を、常に他国へと向けるという権力者の戦略は、今現在もまったく変わっておらず、どーゆーわけだか、日本でも、原発を落とした国を憎むより、隣国と争うように常に仕向けられていたり、宗教が政治にもっとも利用されている米国では、今も十字軍のようなことが続けられていますが、

「反ユダヤ」の起源も「十字軍」遠征から始まったようですが、現在のアメリカ・ユダヤによる「イスラエル政策」も、これの裏返しかもしれません。

ユダヤ人のタルムードには、異国の民は「ゴイム」(家畜、豚、獣などと訳されている)と記されていると「反ユダヤ」の人はよく主張しますが、それが事実だとしても、

日本人が「鬼畜米英」と言っていたこととどこが違うのでしょう?

米国が、日本人を「ゴイム」と思っていなかったら、無差別の空爆や、原爆投下が出来ると思いますか?

私には、ユダヤ人をかばう理由は何もありませんが、書いてあって実行しているなら、それは「正直」であって、まったく正反対のことが書かれているのに、やってることが同じなら、それは「大嘘つき」で「偽善者」ですが、実体としても、多くのキリスト教会で、中世から、現在まで、ユダヤ人を「ジーザス・キラー」と教えてきました。

MJが「正義」の心は大事だけど、正義判断は信用しないと言っているのは、自分の正義を人が判断する必要はないということで、正義は神とは関係ないという考えです。また歴史を冷静に遡ってみて、対立しているどの場面においても「絶対悪」が存在しなかったことが、よくわかるからでしょう。

十字軍はいずれの戦いにも破れ、エルサレム奪還という目的にも「正義」はありませんでした。キリスト教の合理思想への嫌悪と「正義」への執着は、このあたりに「トラウマ」があるのかもしれません。

一方、最初の「律法」を作ったのはセム族ですし、あらゆる正義判断のために、さまざまな「法律」が必要ですが、法律にはそれを創る「技術力」というものが必要です。正義に絶対的な「正しさ」を求めてしまう人に天秤を調整するということはできませんからね。

またまた、マイモニデスの話に戻りますが、

ユダヤ教が、これまで現代思想を取り込むことにあまり躊躇せず、ラビの学者としての性格を重要視したのも、聖書を、ラビの柔軟な知性によって読み解くというマイモニデスからの影響が強いからだと思います。

中世キリスト教の暗黒と比較すると、ユダヤ教では、当時の世界一の哲学者による考えが「聖書」に反映されましたが、一方、キリスト教では「三位一体」信仰により、多くの科学者、思想家が「無神論者」「反キリスト」と厳しい批判を受けました。

MJの神の考え方は、そういったキリスト教会に激しく批判されてきたスピノザや、ニーチェの思想に近く、

また、教会の意向は、芸術家の仕事にも強い影響を与えていましたが、それに反旗を翻し、ギリシャの神々を復活させようとしたのが、

MJが常に意識して来たミケランジェロです。

MJがミケランジェロこよなく愛し、自分の作品を「システィナ礼拝堂」と比較するように創って来たことが、彼のカルマや正義に関する考えと繋がっていて、彼の考えが「ブレない」のは、彼が子供っぽく理想を語っているからではなく、深い歴史への洞察によるものだということを、ちょっぴり説明したくて、

マイモニデスの註期が長くなってしまいました。

☆黄金律に従おう(註釈2)に続く。



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by yomodalite | 2012-09-02 14:52 | マイケルと神について | Trackback | Comments(2)
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☆(28)のつづき

「You Rock My World」のショートフィルムは、MJが、整形によって、自分で、自分の顔をめちゃめちゃにしてしまった。という印象を多くのひとに与えた作品だったと思います。それまで、メディアによる印象操作や、タブロイド情報をくだらないと思っていたファンにとってさえも。。

こちらのコメント欄での、モスクワさんの意見のように、さらに、この後、頬骨を高くして、体重が増え顔が丸くなったため、頬をこけさせ、不自然にこけた頬と盛り上がった頬骨のせいで、人相が変わってしまい、それをカバーするために、エラと顎と鼻の無限ループに陥って行った....

『THIS IS IT』後でさえ、そういった印象が拭えず、決定的な事実と感じている方は依然として多いようです。

わたしもある時期までは、そんな風に思っていました。でも、インヴィンシブル期から『THIS IS IT』までのMJを知りたくなって、年月順にしつこく見ていったところ、そうでないことはあっさりわかりました。

あっさりわかる写真に関しては、これまでも「カテゴリ」の「マイケルジャクソン裁判」(2005年)や「MJの顔について」で、豊富に「証拠」を揃えたつもりなので、ここでは、「You Rock My World」から1年後の動画を1点だけ紹介しておきます。


2002年12月1日
ディズニーランドでのプライヴェート動画 




「整形」だけではなく、MJには、こどもの頃から大人の世界にいたために、成長後、こどもの世界に逃避するようになったという、強固に信じられた「イメージ」もありました。

わたしは、インヴィンシブル期からのMJに興味をもってから、どうして、彼が、何度もミケランジェロのことを言っていたのか、少しだけわかるようになったのですが、

こどもにも、そして、こどもの感性をもった大人でも、システィナ礼拝堂の天井画を見て、感動する「心」はあるかもしれませんが、それを描く技術も、また、技術があったとしても、あの過酷な作業に耐えることはできないと思いませんか?


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天井から、滴り落ちる絵の具を顔に受け、本当に無理な姿勢による肉体的苦痛に耐え、途方もない時間をかけ、天井に絵を描くという行為は、心の底からの激しい怒りと、また、その怒りが、自分にとってだけでなく「人類にとって正当なものである」という確信がなければ、絶対に出来ないレベルのものです。

ミケランジェロは、それまでの教会に激しい怒りを抱きつつも、その教会に自ら絵を描くことで、教会を正し、本来の「神」を復興しようとした。わたしは、ルネサンスの「人間復興」を、教会の民衆への不誠実と反知性に対して起こったものと理解していますが、ミケランジェロの絵も彫刻も、どうして、あれほどまでに「筋肉」にこだわったのか、最近までよくわからなかったし、

筋肉を感じさせない、反マッチョイズムのダンサーだったMJが、どうして、ラファエロや、ボッティチェッリでなく、あんなにもミケランジェロを尊敬していたのかも、なんだか不思議だったのですが、ミレニアムからのMJのことを考えているうちに、ようやく、少しだけ腑に落ちてきました。


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MJは、こどものように、ミケランジェロの作品に感動しただけではなく、歴史をよく学んだうえで、その「怒り」を手本にし、常に、それを自分のものにしようとして、作品を創ってきたんだと思います。

アステアが、MJに電話をかけたときの言葉をもう一度、思い出してください。

「君は怒れるダンサーだ。私とおんなじだよ。」

そして、サミー・ディヴィス・ジュニアが言った、

「パンが人類の食卓に載った時以来のすごいやつになる」

MJの「怒りの激しさ」は、常にサーヴィス精神に溢れ、心優しく妖精のような身の軽さを備えた2人のレジェンドには、すぐにわかったみたいですが、ただの音楽ファンである私にはものすごく時間がかかりました。でも、次元上昇とか、宇宙エネルギーなどのスピリチュアル風味で、MJのことを「神」や「メッセンジャー」だと感じたところで、もうすでに歴史上起こったルネサンスのような「変化」でさえ訪れないと思うんです。

MJは、変革というものが、どれほど困難かを歴史を通してよく学んでいたから、何度も同じメッセージを繰り返すことを厭わず、長い間のメディアの攻撃に耐えられたのであって、それは、こどものような精神ともキレイごとばかりのボランティア精神とも異なるものだと思います。だからこそ彼は、自分のこどもに大人になるための教育も出来たのだと思います。

アーティストが、こどもの感性を大事にするのは極普通ですが、彼らとMJが決定的に異なるのは、深い叡智と、変革に対しての「本気度」の差ではないでしょうか。


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再度、下記のとてもとても素敵なサイトからの引用。
◎『STRONGER THAN PARADISE』マイケルの最強ショート・フィルム【第9位】

どんどん人種不詳化するルックス、曖昧さを増すセクシュアリティ、年齢不詳化するメンタリティ、その他、様々に報じられる奇行などによって、マイケルは我々の前で、ひとりの黒人男性から、人間離れしたミッキー・マウス(あるいはモンスター、すなわちファンタジー)へと変貌を遂げていった。

脱・人間を標榜する「Thriller」を自分の表現の頂点としてしまったことは、マイケルにとってあらゆる意味で不幸なことだったと思う。マイケルが「Thriller」を克服する唯一の方法は、人間ミッキー・マウスと化す前の普通の黒人男性に戻ることだったと思うが、それは残念ながら、肉体的にも精神的にも不可能なことだったように思える。(中略)

ほぼ無味無臭に近い、空虚とも言える平面的な男性像。だからダメだ、というわけではない。それをどう享受するかは、もちろん観る人次第なのだが、肉体のミッキー・マウス化を完遂していったその後のマイケルに関して言えば、パフォーマーとしての唯一無比の凄みに圧倒される一方、何か言いようのない寂しさと物足りなさを感じる、というのが、いちマイケル・ファンとしての私の正直なところだ。

執拗に変身を繰り返すマイケルを見ていると、彼は本気でマンガになってしまいたかったのかもしれないとも思う。

一体何がそこまでマイケルを変身に駆り立てていたのかという問題には、ここでは踏み込まない。かつてひとりの黒人青年が放っていた肉体の神々しい官能こそを私はこよなく愛する、とだけ書いて、その点は留保したいと思う(私はこの文章を飽くまでミュージカル映画ファンとして書きたい)。(引用終了)



「You Rock My Would」のSFを、初めて見たときの感情を代弁してくれた言葉だと思いましたが、それを残念だと思っていた頃は、彼が「世の中の子供を助けるため、という望みがなかったら、生きてこられなかっただろう」という気持ちも理解できなかったし、

もうすっかりこどもではなくなっていた、わたしのことを救ってくれるとは、もっと思っていませんでした。



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TVG : I found it jarring to read a recent quote in which you said that if it weren’t for your desire to help the children of the world, you would throw in the to well and kill yourself. Do you really feel that way?

あなたが「世の中の子供を助けるため、という望みがなかったら、頑張って生きてこられなかっただろう」と言ったのを読んで違和感を覚えたんですが、本当にそんな風に感じているんでしょうか?

MJ : I always have, ’cause I would feel I have nothing to live for.

いつもそんな気持ちでした。そういう望みがなかったら、何のために生きていけるだろうと言う風に感じるんです。

TVG : Not even for yourself and your own creativity?

自分自身とか、自分の創造性のためという動機ではだめなんですか?

MJ : I wouldn’t care. Everything I create is inspired by that kind of innocence. And nature, it’s everything. It has to be. I mean, that’s it.

そういうことはどうでもいいんです。僕が創り出すものは、純粋さや自然からインスピレーションを受けて生み出されるんです。それがすべて。(創造とは)そういうものから生み出されるもので、そうでなければならないし、それ以外はありえないんです。(1999年「TVガイド」インタビューより)

☆(30)につづく



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by yomodalite | 2011-06-11 00:36 | マイケルの顔について | Trackback | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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