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バンクシーとブランドと美味しい和菓子・・・

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いろいろと揺れる毎日・・・

そんな私の数日間をダイジェストでw



81分と短いし映画館で見ることもないか、と思いつつ、2013年の彼らの動きをさらに1年後に見るのもつまらない。そんな感じで見に行った『バンクシー・ダズ・ニューヨーク』は、予想以上に面白くて、帰り道の梅田のあちこちをストリートアーティストになった気分で見てしまうw。


ドキュメンタリーといえば、Amazonのおすすめで、速攻ポチった『マーロン・ブランドの肉声』についてもあれこれ書きたいと思いつつ、ずっとサボってるんだけど、、なんと、Marlon Brand Tapes があって、しかも、ブランドは自分の頭部のCGまで遺していたんだよね(驚)。ただ、この映画は、どこかでブランドが見ていたら、確実に文句つけまくりの出来ではあるんだけど・・・







そして、CSで見た映画で面白かったのは、長い間少しだけ気になっていた70年代の映画『ファール・プレイ』。


しょっぱなから、バニー・マニロウだったり、ダドリー・ムーアが、ビー・ジーズの「ステイン・アライブ」を踊ったりしていて、MJが『 オフ・ザ・ウォール』を創っていた時代を想いつつ、


『ミカド』というオペラが、思っていたよりもずっと長く重要な場面で使われていることに、「法王の暗殺だからね・・」なんて思ったり・・・とにかく、コメディ映画もミュージカルも傑作にするのは、もっとも難しいジャンルに思えてしかたないんだけど、その荒野に挑んだ、繊細で複雑な個性をもつ作り手が奇跡的に完成させた傑作だということだけは、ミュージカル音痴の私にもわかったかも。


週末は、格闘技本を読んでいれば、強くなれると思っている空手バカのダーリンが「お守り」が欲しいという神社に行く。


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宇野氏が、総理になったときに祈願したって・・・これを「晒し刑」としではなく、外塀に飾っておく神社なんだけど、大人気で入手困難なお守りは、この日も入手できず。お参りだけしてランチへ。


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(神社近くの公園で・・)




神社がある「新町」周辺は、オシャレで美味しい店がいっぱいある地域なんだけど、この日入ったのはここ。

◎[食べログ]ヌードルヤ MEーCHAーKUーCHA


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(次回はポルチーニ、と心に決める)



オシャレ系の店にもかかわらず美味しいラーメンを食べたあとは、新町に来たらどうしても避けられないお店「餅匠しずく」へ。


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何種類もあって、どれもこれも美しいうえに、おいしい和菓子はホント選ぶのが大変なんだけど、この日は、白い桜餅と、ほおづき大福と、黒ごま大福の3種類を1個づつ。


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(https://www.facebook.com/)




◎白い桜餅

◎ほおづき大福

◎黒ごま大福


すぐ近くには、いちご大福で有名な「廣井堂」もあって・・・

http://sweetsreporterchihiro.com/22249

私が餅匠しづくで長考してる間に、ダーリンはいちご大福をゲット。

◎餅匠 しづく(食べログ)

◎廣井堂(食べログ)


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いただいた後の「ほうずき」・・



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4種類の和菓子がすべて「大当たり」だなんて、

大阪の「くいだおれ」ホント恐ろしすぎる。

そして、昨日の夜は「わに風呂」を試してみたんだけど(「マツコの知らない世界」で、亜土ちゃんが絵を描く合間にやっていたのだ)、鼻とか耳とかわやくちゃになって、全然ワニ気分になれず・・・亜土ちゃんにもなれっこなかったことを実感w



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by yomodalite | 2016-04-20 11:35 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)

マイケルとハワード・ヒューズ[8]ヒューズが先生だった…?

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マイケルとハワード・ヒューズ[7]の続き

マイケルが、ヒューズを「僕にとって、彼はある意味、先生なのかもしれない」と言ったのは、彼が、エジソンや、ディズニー、ヘンリー・フォードのような人物に対しても、終生尊敬を失うことなく、笑われたり、無知だと批難され、たとえ全世界を敵に回したとしても、世界に自分の足跡の残した人々は、みんなそうだったのだから、自分を信じて進め。と言っていたことと同じような意味かもしれません。

でも、ヒューズについて調べてみたら、
あちらこちらで「ン?」と思うことがいっぱいあったので、

思いつくまま、半ば強引にw、こじつけようと思います(笑)


☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2014-05-21 08:46 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)

マイケルとハワード・ヒューズ[6]ヒューズの広報「ディック・ハナのファイル」

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☆マイケルとハワード・ヒューズ[5]の続き

マイケル・ジャクソンが旅立った後、彼への印象が変わったという人は多いと思う。

それまで、多数のメディアが報道していた堕ちたスターの姿とは異なり、他の誰ともちがう、まぎれもない天才だったことを、MJが、その一挙手一投足のみで覆したことへの衝撃は大きく、彼が「被害者」だったと印象づけられた人は大勢いると思います。でも、メディアが彼の秘密を暴こうと躍起になり、彼のイメージを貶めて行ったのは、マイケル自身の卓越した「戦略」が、永きに渡って功を博し、すでにこれ以上は考えられないほど成功したスターが、金にモノを言わせて、他にマネの出来ないプロモーションを行なうことへの反発があったということも忘れてはいけないと思います。

下記は、ヒューズの遺産によって創られた「Howard R. Hughes College of Engineering」がある、ネバダ大学ラスベガス校のサイトから、

MJが言っていた「僕にとって、彼はある意味、先生なのかもしれない。人を操る術っていうか、彼はみんなが興味を持ってしまう方法を知っていた」というヒューズのメディアコントロールに関連した文章を。


あの大胆不敵な飛行機乗りはどうなったのか?

破産に追い込まれてもいいから一発勝負してみたいという気持ちにかられて、あの現実離れした街、ラス・ベガスに行ったら、あなたはある日きっと次のような場面に出くわすことだろう。

痩せて、疲れ果てたような表情の男がいる。背が6フィート3インチあって、黒っぽい色の、どうということのないズボンに、胸元のボタンを開けた白いシャツのその男は、華やかなホテルのバーのテーブルで、ステーキとサラダをぼそぼそと食べている。贅沢と富にあふれた雰囲気に囲まれながら、ポケットの中で二枚の1ドルコインを擦り合わせることさえ、彼には不可能のように見える。その男こそ、ハワード・ロバード・ヒューズだ。間違えようがない。ハワード・ヒューズのような男は1人しかいないのだから。

その数週間前、ラスベガスで、八歳の娘を連れた女性が、ヒューズのテーブルにやって来て、サインをねだった。ヒューズが快く応じると、女性は感激して言った。「あんなにたくさんの有名な女優さんを世に送り出した方のサインがいただけたこと、娘はきっと自慢にするでしょう」ヒューズはサインし終わると、女性が人混みに隠れてしまうまで、彼女の姿を見送った。「さて」と彼は悲しげに言った。「あの大胆不敵な飛行機乗りのハワード・ヒューズはどこへ行ってしまったんだ」と。ーー スティーブン・ホワイト「ハワード・ヒューズ物語」(ルック誌1954年2月9日号掲載)

カール・バイオアール社は、ロサンゼルスの大手広告代理店で、顧客には名だたる有名人や企業がある。しかし、会社にとって最も手強く要求の多い顧客はなんと言っても、ハワード・ヒューズだった。

1996年、ネバダ大学のスペシャル・コレクションは、ラスベガスにあるハワード・ヒューズ・コーポレーションから、ディック・ハナの顧客関連ファイルを入手した。


ハナは、バイオアール社の副社長であり、顧客部の担当重役でもあって、ヒューズの広報を受け持っていた人物である。

ヒューズの他のエージェントと同じく、ハナは、自分に割り振られた役割をはるかに超える働きをした。数え切れないほどの発表記事を書き、「承認済み」の写真をセットにしたマスコミ用の資料を作成して広報活動を取り仕切っただけではなく、ヒューズについて書かれた記事や、ヒューズが興味を持っていることについて書かれた記事について、膨大な量の情報を集めることもやった。


ハナがヒューズのためにやる仕事は、ハワード・ヒューズに対する、そして世間からの厳しい目にさらされる彼のビジネスや政治的な指向についてのイメージをコントロールすることであり、ヒューズ本人について、あるいは彼が利害関係を持っているか、脅かされていると感じているものすべてについて、マスコミがどんな記事を書いているかチェックすることだった。


ハナが(仕事の)料金請求のために入念につけていた時間表は、彼が多岐にわたる、時には通常では考えられないような仕事を、顧客のためにやっていたことを示している。


1950年、12月:ヒューズ・ツール社のために、新聞と一般雑誌の記事のチェック、切り抜き、ファイリング。政府と民間の報告書から、関連するものをピックアップし、分析。

1950年、12月18日。独身男性に関する記事をのせる予定の国内誌とミーティング。ヒューズ氏の写真が1ページサイズで、レイアウトのトップにくること、好意的に扱われることを確認。

1950年、1月24日、26日。(流れから行くと、これはたぶん1951年の1月ではないかと思う)顧客の要請により、ある女性団体の資金源、活動、評判についての報告書を準備。

1951年、4月19日、20日、23日。顧客の要請により、全米黒人地位向上協会の活動、評判、資金提供元について、特別報告書を準備。

1951年、11月。ある国内誌の編集者たちと、執筆者及び全体的な雑誌の運営について話し合い。情報を西海岸に伝えること。

1952年、4月1日。ニューヨークの日刊新聞の編集委員と、ヒューズ氏の映画産業における共産主義との戦いについての社説が、どのような情報をもとに書かれたか話し合う。

1952年、7月24~25日、28日。8時間。顧客の要請により、過去の新聞に載った、あるミュージカルの批評記事をチェック。報告書を西海岸におくる。

1968年の、ハナによるヒューズのための報告書には、次のような見出しがついている。

「ヒューズ・オフィスのための特別業務 ---- 目的:この報告書は、種々雑多な内容を含んでいる。重要であるものも重要でないものもあるが、ハワード・ヒューズ氏は、(このようなことが)我々の仕事の中でもっとも重要な役割を持つものだ、という見方をしている」

1970年、9月の報告書の記述:ハナは、顧客の幹部で、高名なビル・ゲイ(ヒューズ関連のいくつかの会社の幹部)や、最近はそれほど重要メンバーではなくなっている、ボブ・メイヒューのための「特別調査プロジェクト」に少なからぬ時間を費やしてきた。これらの報告書には、広い範囲の噂話の追跡、現在進行中の訴訟およびこれから起こりそうな訴訟(たいていは、チェスター・デイヴィスとの)の把握、そして、時には何と表現して良いかわからない、顧客の要請による様々な事柄についての業務が含まれている」

1972年、2月25日。顧客の要請で、1970年のマスターズ・ゴルフ・トーナメントの1時間版をチェックし、ジャック・ニクラウスのプレイに関して、特定の出来事が起こっていると言うことを確認。トーナメントの最終ラウンドにおけるニクラウスのすべての動作を二度チェック:顧客側の担当者に、発見したことを報告。


100立方フィートに及ぶコレクションは、マスコミがどのようにヒューズをあつかったか、彼についての記事がどれほど(ヒューズ側からの)演出と、管理をうけていたものであるか、を示す、最も説得力のある貴重なコレクションである。


しかし、その事を超えて、ヒューズの並外れた情報収集活動の全体像を見せるこのコレクションは、どんなものがヒューズの興味をひいたか、を表してもいる。コレクションはまた、ヒューズが広告代理店を通じて承認した「公式ハワード・ヒューズ写真」のほとんどを含んでいる。


執拗に、そして異常なほどに世間の目を避けていた男が、これほどにも広報活動に長けていたことは、ハワード・ヒューズがかかえる多くの逆説のひとつだ。


ルイ14世以来、公に知られた人物が、大衆の自分に対する認識をこれほど極端にコントロールした例はない。


ハワード・ヒューズがラスベガスにいた年月について、最も事実を明らかにし、人の興味をひくであろう証拠文書は、マイケル・ドロズニンの著書『市民ヒューズ(Citizen Hughes)』のもとになった、謎めいた大量のメモの中に見られる。

一方、ハナの残した文書は、生身のヒューズを表すものとしては少し弱いが、「知りたい、コントロールしたい」という偏執症的な衝動に駆られてヒューズがやった活動の、多くの部分を明らかにしている。ハナの任務は、マスコミや一般のイメージを監視し分析することであり、ヒューズにとって有利な流れを作ることであった。任務の大部分は、地道に新聞記事を切り抜くことだった。スプルース・グース(木製の世界最大の8発エンジン飛行艇)の建造と「飛行」の記事、あるいはヒューズの製作したRKOの映画の宣伝記事については、何箱もの切り抜きがある。


また、ラスベガスの資産についてのファイルや、ヒューズに影響や脅威を与える事柄、たとえば原子力委員会、クリフォード・アーヴィング、マフィア、ウォーターゲートの公聴会、果てには、ハワード・ヒューズの事を書こうとした作家やジャーナリスト、番組を作ろうとしたテレビ・プロデューサーなどについてのファイルがある。ハナが最も手をやいた問題のひとつは、ヒューズは実は亡くなっているという噂が、絶えず立つことだった。


メイヒュー事件で、ハナのオフィスには何箱ものファイルができることになった。メイヒューを、ヒューズの「ネバダ事業」の責任者からはずすという「政変」は、名誉毀損での訴訟と対抗訴訟に発展し、ヒューズの謎めいた「ネバダ事業」への、マスコミの関心を高めることになった。ファイルにおさめられているのは、宣誓供述書の写し、記者会見の記録、モーリー・シェイファーがどうしてヒューズのラスベガス資産は損失を出し続けているのかを調査したテレビ番組「60ミニッツ」の台本などで、それぞれ注釈がついている。ヒューズの陣営で、誰が誰から金を盗んでいるかという問題は、ウォーターゲートやヒューズとべべ・レボゾ(ニクソンの政治顧問)の関係と同じくらい、人々の興味をひく話だった。ヒューズ帝国の支配にむけてのビザンチン作戦が明らかになる中、ディック・ハナは静かに自分の仕事を遂行した。


ヒューズのイメージをコントロールする仕事は、ヒューズのウォール街の弁護士(金融担当弁護士?)であり、ヒューズ・ツールの副社長兼主任弁護士でもあったチェスター・ディヴィスがローズモント・エンタープライズ社を設立したころには、あり得ない域に達していた。ローズモント・エンタープライズは、ヒューズグループの子会社で、ハワード・ヒューズに関する、現在・過去・未来すべての文献をコントロールするためだけに設立された会社だった。


ヒューズに関わる記事、ニュース映像を、それがどこのものであろうとすべて探し出して、リストアップするためにスタッフが雇われていた。スタッフは、すべての映像や写真に対する独占権を手に入れようとした。情報提供者のネットワークを通じて、ヒューズについて調査し、何か書こうとしているライターについては、だれであろうとローズモントの「オフィス」に、つまり、ロサンゼルスのロメイン・ストリート本部にいるビル・ゲイのとこに、報告が行った。


ライターは身辺調査され、連絡を受け、ローズモントが、ヒューズから彼の画像や伝記についてのすべての権利を委託されており、ライターの持っている素材を「発展させ、有効に活かす」権利を独占させてくれるなら、金を出す用意があると、告げられるのだった。もし買収に応じなければ、ライターも編集者も出版社も、訴訟という形で脅かされた。ローズモントのファイルには、多くのジャーナリストについての報告書とともに、多くの出版されなかった作品が含まれていた。それらのいくつかは、ヒューズを完全なフィクションの形で描いたもので、ライターがローズモントからの支払いに応じたものだった。ライターの原稿を手に入れるのは、実際は「発展させる」ためではなく、世に出さないようにするためだった。

ヒューズがどれだけ自分について書かれたものを抑えようとしたか、プライバシーに踏み込まれることをどれほど激しく嫌悪したかは、1962年に「ライフ」が彼について書いた記事への対処の仕方に表れている。


その頃ヒューズは、TWA航空の経営に対しての訴訟に巻き込まれており、世評に関しては特に敏感になっていた。それでも、自分のところのスタッフや妻のジーン・ピーターズさえも動員して、「ライフ」にインタビューの申し出をしていた。訴訟の件で、騒がれるのを抑える、または引き延ばすもくろみで。


彼は弁護士のガイ・バウツァーや広報担当のディック・ハナ、そしてクラーク・クリフォードという、非常に影響力のあるワシントンの弁護士を、「ライフ」側に送り込んだ。記事について雑誌側と「話し合い」、訴訟についての記事はなくすか、少なくとも最終稿はヒューズの承認を受けるようにと、雑誌を説得するためだった。ライフ誌はヒューズに屈せず、記事を載せた。後になって、クラーク・クリフォードは、本心を隠して、記事が載ったのは良いことだったという意見を述べた。クリフォードの手紙をビル・ゲイに回したロバート・メイヒューは同意しなかったが。代理人たちが記事を差し止めることに失敗したことは、ヒューズを激怒させた。彼はその怒りをガイ・バウツァーにぶつけた。バウツァーは、温厚でハリウッドでは有名な弁護士で、このクライアントの爆発ぶりにはなれていた。


「以下のポイントについて、簡潔かつ迅速な返答を送るように」とヒューズはバウツァーに書いている。

「しかし、前もって言っておく。この週末に君と個人的に話がしたい。その目的はお互いをより理解するためだ。目下のところ、われわれの現在の関係はこれ以上にないほど、悪化し、敵対的になっている。この前に話し合った時は、病気が回復し始める前だったために私はせいでかんしゃくを起こし血圧が急上昇し、話し合いは中断してしまった。そのあと私はひどく落ち込んでいる。たしかに、私はほかの人と同様、議論の的になっている物事を、自分の側から見る傾向がある。しかし、同様に君も、物事を自分の側から見る性分ではないか。


私は君が、ほかの何よりもノース・ウェスト航空の経営に興味を持っているように見えるのが気に食わない。君はいつも「自分はきちんと仕事をしている」と答える。しかし、その仕事がノース・ウェスト航空に利するものであるなら、私にとっては何の価値もない。私がノース・ウェストを所有しているのは長くてもあと1ヶ月なのだから、君の労力をそちらに向けてほしくはない。今は、ライフ誌の件と、ほかの3つか4つの懸案が私の心身にナイフのように突き刺さり、健康を回復しようとする私の努力を無にし、信じられない速さと力で、日々私を墓場のほうへと押しやっているのだ。


君のノース・ウェストでの働きは、ホノルルにいるヘンリー・カイザーならたいした仕事だと言うかもしれない。しかし私は今磔にされるような苦しみを味わい、ジーン(ハワード・ヒューズ夫人。女優ジーン・ピーターズ)はマリリン・モンローと同じ道をたどるんじゃないかと、賭けが行われているくらいだ。


このような状況の下では、君が1分であってもノース・ウエストのために時間を割くことは、私に耐えがたい苦しみを与える。君の時間と労力はすべてライフ誌の件のために使われるべきなのだ。

返信を待っている。対応は、午前中のうちにできるかわからない。私はもう疲れ果てているからだ。


(こちらは、kumaさんに訳してもらいました


ヒューズが、「ライフ」など、メディアに登場した自分の記事を集めていたことについて、同じようにメディアに苦しめられていた、マーロン・ブランドの自伝にある文章も紹介しておきます。


マスコミが話を勝手につくった場合、私は他人からどう思われようと知ったことではないと、無関心をよそおった。われ関せすの態度を押し通したのだ。しかし、それは仮面でしかなかった。新聞や雑誌に事実無根で、わいせつな作り話を書きたてられ、ひどく頭にきたこともある。なかでも腹にすえかねたのが、『タイム』誌と『ライフ』誌の記事だ。親会社であるタイム社のしっぽをつかもうと、私はさる調査機関をだきこんで、あらさがしをさせた。8千ドルを投じ、タイム社のニュース歪曲の歴史を膨大な調査書にまとめた。


それから、次つぎにテレビやラジオに出演しては、『タイム』と『ライフ』をこきおろし、その広告をくさした。しっぺ返しがしたかったのだ。私の狙いは中傷だったが、タイム社には打つ手がなかった。私は同社のゆがんだ報道が社長ヘンリー・ルースの偏見にみちた政治思想を反映しているという事実を、そのままなぞっていたにすぎないからだ。タイム社の非愛国的な出版物はアメリカ合衆国の評判を落としており、海外で祖国の威信を傷つけている。社が事実をねじまげて、外国を誹謗したつけは、いずれ国家が払うことになるだろう。そのように私はテレビやラジオで主張した。私は復讐を心から楽しんだ。長い間、私はこうやって生きてきたのだ。不当な仕打ちを受ければ、かならず報復した。


タイム社は私のところに密偵を送りこんだ。友人の親戚にあたる女だった。口実をこしらえて訪ねてきた彼女を、私は食事に誘った。マーティニがきいたのか、家に戻ろうとする頃には、私はハンドルさばきもままならず、ハイウェーをジグザグ運転するほど酩酊していた。女はさらにひどい様子だった。私の家の車道に車をとめて、降りようとすると、女はまだけなげにも任務を遂行しようとした。まわらない舌で、こう言ったのだ。「マーロン、なぜタイムを攻撃するの? 何か目的なの? 一体どういうことになっているの?」


「ああ、あそこの雑誌はすばらしいよ」私は言った。「だが、少々訂正すべきところがあったんで、テレビに出てそう言ったまでさ。歴史はきちんと伝えないと、まずいからね。ぼくはマスコミの誤報をただすのが国民の務めだと思っているから、このまま続けるつもりだよ。実際、感謝してほしいくらいだね。雑誌には『読者の声』の欄があるだろ。ぼくのしていることは、ある意味で『読者の声』と同じだよ。アメリカの評判を傷つけてはいけないとタイムがさとるまで、ぼくはえんえん、手紙を書きつづける……」


 そこで、私は女を茂みのなかに押し倒した。敵の密使と一戦交えようという魂胆だった。だが私は満足に動けないほど泥酔していて、女の耳たぶと蔦の区別さえつかない状態だ。女は貞操を失うことなく、無事ニューヨークに帰っていった。しかし、その夜を境に、タイムはほとんど私の名前を出さなくなった。もし記事にしたとしても、ぞんざいな書き方だ。タイム社は大会社である。しかし、これはダビデとゴリアテの物語だ。眉間にぴしっと石を当てれば、強大な敵もいちころなのである。(『母が教えてくれた歌』P253〜254)


(引用終了)


☆マイケルとハワード・ヒューズ[7]ふたりの相似点 に続く



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by yomodalite | 2014-05-09 22:49 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)

クインシー・ジョーンズ自叙伝/Quincy Jones、中山啓子 (翻訳) [1]

クインシー・ジョーンズ自叙伝

クインシー ジョーンズ/河出書房新社

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新たな読書がほとんど出来ないので、再読したかった本をこの機会に!という主旨でセレクトした本。以前読んだときは、目線がマイケルにばかり集中してしまって「もったいない」読み方をしてしまったという思いがあり、再読時には、アメリカ音楽界の巨匠による、音楽史をたっぷり味わおうと思っていました。

今回は、たっぷりというほど気持ちに余裕がないものの、本書は360ページで「2段組み」、登場する有名人も数多いので、記憶に残る箇所は読者によってかなり異なるとは思いますが、わたしが再読して意外だったのは、マーロン・ブランドの名前が頻繁に登場していたことでしょうか。

クインシーは、精神的に一番辛かった時期をブランドのプライヴェート・アイランドである「テティアロア」で休養していましたが、ブランド自身は晩年のほとんどを、マイケルの「ネヴァーランド」で過ごしていて、

クインシーの自叙伝は、マーロン・ブランドの自伝と同じぐらいアメリカの歴史と繋がっていて、特に黒人音楽に興味がある人なら、必読といっていいほど中身が濃く、また、ブランドに負けないほど女性にモテているという点でも華麗な内容なのですが、、

下記は、ブランドにも彼の恋愛遍歴にも関係のない、第44章「ビバップからヒップ・ホップヘ」という章から省略してメモしておきます。

(引用開始)

私は根っからのビバッパーだ。ありとあらゆる音楽を愛し、また創り出してもいるが、私の魂と音楽的宿命を定義するうえで、ビバップは不可欠のものだった。
 
ビバップといわれるジャズは、音楽にとどまらず、ひとつの姿勢であり、視点であり、ライフ・スタイルであり、人々、とくに黒人が芸術的に知的に自己表現する手段であり、同時にそうしたすべてを可能にする沈着さを維持する術でもあった。ビバップは、表現形式というよりも感じ方、つまり全世界に及ぶ支持者の共感のネットワークだった。

ビバップの世界では、曲のタイトルそのものが認識の変化を示した。たとえば《ハズ・エニバディ・シーン・マイ・ギャル?》(誰か僕の彼女に会ったかい?)というような従来のタイトルではなく、チャーリー・パーカーは(オーニソロジー》(鳥類学)を思いつき、セロニアス・モンクは《エピストロフィー》(回帰)を書いた。
 
シアトル時代、私や友人たちは、いわゆる知的スノッブだった。周囲には好奇心の強いミュージシャンが犬勢いた。私たちは13、14歳のころに『カーマ・スートラ』、オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』、カリール・ジブランの『ザ・プロフェット』、L・ロナルド・ハバードの『ダイアネティックス』などを読んでいた。

◎[Amazon]バートン版「カーマ・スートラ」(角川文庫)
◎[Amazon]ルバイヤート(岩波文庫)
◎[関連記事]カリール・ジブラン
◎[Amazon]ダイアネティックス
◎[Wikipedia]サイエントロジー

ブラック・ミュージックには、常に公民権を奪われた人々が心理的・精神的・創造的に生き残る支えになるためのサブ・カルチャー、私たち白身の社会を生み出す必要があった。私たちは私たち白身のスラング、ボディ・ランゲージ、イデオロギー、感性、音楽と共存する生き方をみつけた。ビバップはサブ・カルチャーをもたらしたが、ヒップ・ホップはカルチャーそのものになった。

ヒップ・ホップはいたるところにある。それは新しいジャンルの例にもれず、ストリートから生まれた。そして、技巧的な西欧のコンサート・ミュージックと対照的な、生命力あふれるアフリカン・ミュージックの伝統を引き継ぐ、それなりに強烈な表現形式だ。チャック・Dの言葉を借りれば、“ヒップ・ホップはストリートのCNN”となる。

私はヒップ・ホップを旧世代のコミュニケーションの継続と提えている。40年代にレスター・ヤング、カウント・ベイシーやサブ・カルチャーを形成した人々は、“ホームボーイ” あるいは “ラップ” という言葉を使っていた。また、ビバップは器楽編成ばかりか、スキャット、ヴォーカリーズや生き方や姿勢でもあった。ヒップ・ホップは、ときには荒廃した社会の末端で発生し、なかにはさまざまな闘争によって、最悪の場合、ブラザーがブラザーを殺す暴力によって汚されたものもある。そうしたヒップ・ホップのほとんどは、ラッパーではなく “現実感” という名のもとに音楽を私物化したチンピラによって残された。
 
私たちの国のもっとも大きな文化的貢献は、ジャズやゴスペルであれ、ブロードウェイ・ミュージカルやバーバーショップ、ドゥワップであれ、ビバッブやリズム&ブルースであれ、私たち自身の多様性を反映している。現在では、きわめてハードコアなラップでさえ、エストニア、パリ、アフリカ大陸、東京はいうまでもなく、ダラスのショッピング・モールでさえ流れている。私とクラレンス・アヴァン夫婦がはじめてドイツのプリンセスの城に招かれたとき、彼女の12歳の息子は、スヌープ・ドギー・ドッグとドクター・ドレを聴いていた。それは、アフリカの原動力と趣をもつ私たちの “作り立てのガンボ″ だ。
 
現在ラップと呼ばれるものがはじめて私のレーダー・スクリーンに現れたのは、1960年代のことだった。私は、ラスト・ポエッツやギル・スコット・ヘロンといったパフォーマーに注目した。そして1975年には、アルバム『メロウ・マッドネス』で、人気グループ、ワッツ・プロフェッツによるラップ、《ビューティフル・ブラック・ガール》をフィーチャーした。ワッツ・プロフェッツは、いわばロサンゼルス版ラスト・ポエッツやギル・スコット・ヘロンだった。彼らは詩的なコール・アンド・リスポンス(応答形式)のチャントを使った。私はそれにアフリカのファンキーなパーカッションをちりばめた。


◎QUINCY JONES & THE WATTS PROPHETS - Beautiful Black Girl





1979年には、ショーとシルヴィア・ロビンソンのレーベルがシュガー・ヒル・ギャングの『ラッパーズ・ディライト』を!100万枚売り、ラップが商業的成功を収めうることを音楽業界全体に知らしめた。私は1980年にアルバム『ザ・デュード』で7度目のグラミー賞を受賞した。その10年後、私にとっての音楽的融合における実験作「バック・オン・ザ・ブロック』で、アメリカのゲットーのどの街角にもいるデュード(気取り屋)、誰もが手本にしたボスの記憶を甦らせた。だが業界の主流派からは、私が行きづまっていると口々に言われた。彼らはいちように “ラップは終わった” とみなした。1989年のことだ。(p298 - 300)


◎Sugar Hill Gang - Rappers Delight





◎Quincy Jones - The Dude





◎Quincy Jones - Back On The Block






『ヴァイブ』のキース・クリンクスケールズ、そして、ドクター・ドレ、ア・ドライブ・コールド・クウェストやパブリック・エネミーのメンバーをはじめ多くのラッパーの姿があった。
 
クラレンス・アヴァンとコリン・パウエルは、ヒップ・ホップによって解放された怒りは、堕落でなく解決という、よりポジティブな方向に向けられる必要があると訴えた。パネリストたちは、たとえ怒りが行動を起こすきっかけになるとしても、そのパワーは破壊や抹殺につながる使い方をするものではなく、良心に委ねるべきものであり、表現の仕方には責任を負うべきであると口々に語った。あきらかにラッパーたちは、彼ら白身の運命を管理するためにも結束を図る必要があった。
 
ラップ界には、“エンターテインメントはエンターテインメント”とラップしつづける若者たちがいた。そのひとり、デフ・ジャム・レコードの重役ジェイク・ロウブレズは、1週間後、アトランタで射殺された。だが、私にとってビバップとラップの関連性は、知識で培われるという点だ。

ヒップでいるためには、さまざまな事情に通じていなければならない。シンポジウムは、それを意識したヒップな企画だった。私たちはラップ以外にビジネス、テクノロジー、影響力を急速に拡大するインターネットをテーマとして取り上げた。
 
だが、その余波は、ラップがさらに商業的成功を収めると同時に、暴力による抗争が激化するというほろ苦いものだった。東海岸のグループと西海岸のグループの対立関係は、心理劇の様相を帯びた。


☆クインシー・ジョーンズ自叙伝[2]2PAC に続く



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by yomodalite | 2013-03-28 09:18 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

闇の奥/ジョセフ・コンラッド[2]黒原敏行(訳)

闇の奥 (光文社古典新訳文庫)

ジョゼフ コンラッド/光文社



藤永氏の『闇の奥』は、以前に読んだ中野訳に比べると、とても読みやすく解説もわかりやすかったのですが、そこから更に、同氏の 「『闇の奥』の奥―コンラッドー植民地主義ーアフリカの重荷」を読んだことで、氏の解読に惹き込まれすぎたのでは?と思う点もあり、また、わたしにとって『闇の奥』は、映画『地獄の黙示録』の原作という意識が強過ぎるので、

『闇の奥』に関して、もう一度頭を冷やす意味でも、他の翻訳本にも興味がわいて来て、一番新しい訳書である、黒原敏行訳の『闇の奥』にも目を通してみました。

下記は、解説(武田ちあき・埼玉大準教授)より、要約引用。

英語文学の古典とされていても、なんだか難しそうと一般読者はひいてしまいがちだった『闇の奥』に、原文の緩急自在な語りの生気と勢いをのせた新訳が誕生した。落語そっくりとよくいわれるディケンズのノリのいい語りに、幼少から親しんでいたコンラッド(語り手であるマーロウは、その名からしてもディケンズを意識している)は、

その重厚ながら軽快な、自分で自分にボケやツッコミを入れたり、聴き手に話しをふったりしながら、ぐいぐい読者を引込む芸達者な語り口を、本書は日本語でたっぷりと読ませてくれる。

「人類の文明の歴史への深遠なる洞察」「帝国主義による植民地経営の残虐非道極まる実態への先鋭な告発」「人間性の深奥に潜む悪・道徳的腐敗の発見」ー

この小説はいままでずっと、こうした重量級のフレーズで評されて来た。しかし、その中心に描かれた苛烈なアフリカの現実は「何でも見てやろう」と勢い込み「若さとバカさの挑戦」に浮き立つ青二才だったマーロウ(著者コンラッドが投影されている)のうぶな目だからこそ、のけぞるばかりに圧倒的な闇の深さがいっそうの迫力で映るのだ。

コンラッド好きには、中野好夫、岩清水由美子、藤永茂のそれぞれ渾身の訳業と読みくらべるのも愉しい。だがなによりも、今の若い人、とりわけ社会の矛盾や将来の不安にへこみながらも、なんとか希望をみつけだし、自分らしい人生を歩んでいこうとする世代、いままさに冒険に出かけようとする現代の若きマーロウたちにこそ、本書をめくって欲しい。(引用終了)


ホントにもう「ノリのいい語りに、幼少から親しんでいた」とか「自分で自分にボケやツッコミを入れたり、」とか「若さとバカさの挑戦」とか、、、

マジですかーーー!これまでの2冊からは、そんな気配は、微塵も感じたことなかったんですけど...... (これだから、翻訳本はむつかしい。。武田氏の解説はここから先もとても興味深い内容なので、是非、本書でお読みくださいませ)

ただ、実際に読んでみた感じでは、残念ながら、そこまで言うほどの若々しい訳ではなくて、難しい漢字の量や、文語的な表現も、そんなに変わらないかなぁ。

下記は、訳者のあとがきから(省略引用)

コンラッドの『闇の奥』は、ただならぬ魔力で人を惹き寄せる小説だが、原文も翻訳も読みにくい、というのが世の共通理解だと思う。原文が読みにくいのなら、翻訳が読みにくくても仕方がない。いや、むしろ読みにくくなれればならない。そんなふうにもいえそうだ。しかし本当にこれはそんなに難解な小説なのだろうか。

これはごく少数の人間にだけわかってもらえればいい前衛的な実験小説として書かれたわけではないだろう。

密林の奥で進行する奇怪な事件を語る伝奇的な冒険小説であり、ぞくぞくしながらページを捲る手ももどかしく読んでもらおうとした物語のはずだ。途中で行き悩んで放り出してしまう難読書になるのはおかしいのではないか。(中略)

ということで、まず行ったのは、語学的解釈の不備をできるだけなくす努力だ。

たとえば、3つの既訳には、「クルツはドイツ語で、“短い”という意味だが、その名前は彼の人生のほかのすべてのことと同様に真実を語っていた」という論旨の訳文がある。これを私は、「真実を語っていなかった」と逆にした。

原文は、the name was as true as everything else in his life もちろん普通は「〜と同様に真実だった」でいいが、その直後に He looked at least seven feet long. (身長が少なくとも2メートル10センチあるように見えた)とある。つまり「短い」という名前は真実を語っていないのだ。こういう場合は否定的に訳さなければ論理が通らない。たとえば、a monkey as big as a mouse は「鼠と同じぐらい大きな猿」ではなく「鼠ぐらいの大きさしかない猿」なのである。

もうひとつ例をあげてみる。瀕死の黒人たちが大勢横たわっている暗い林の中で、河の早瀬の音が響いている。その音を、マーロウは、as though the tearing pace of the launched earth had suddenly become audible と表現している。それぞれの訳は次の通りである。

まるで動き出した大地の激しい足音が、にわかに聞こえだしたかのそうな(中野訳)

まるで動き出した地球の激烈な足音が、突然聞こえたかのようにね。(岩清水訳)

あたかも、猛烈な勢いで動き出した大地の足音が突然聞こえだしたかのような(藤永訳)

まるで地球がすさまじい速度で宇宙の中を飛ぶ音が、不意に聞こえ始めたかのようだった。(本書43P)

既訳はいずれも大地ないし地球の足音と解釈しているが、しかし大地や地球がどこを歩いて音を立てるのか、イメージが浮かばない。それにこの早瀬の音は、uninterrupted(途切れることのない)と形容されている。ザッーという連続音なのだ。足音なら、ズシン、ズシンという断続音だろう。

launched earth の launch は「投げる」「放つ」「発射する」という意味。つまり地球が投げ出され、あるいは発射されて、飛んでいるイメージだ。もちろん宇宙空間には空気がないので、公転する地球がザッーと音を立てるはずはないが、そういう音が突然聴こえだしたかのようだ、と言っているのだ。

突飛な解釈と思われるかもしれないが、じつはコンラッドは天体の運動のイメージをよく使う。『闇の奥』にも、「動いているとはわからないほどゆっくりと曲線を描いて降りてきた太陽が、ようやく空の低い所まで来て」とか.....もっと重要な例は『闇の奥』の姉妹編ともいうべき『ロードジム』(これもマーロウが語る物語だ)に見られる。(中略)

さて、個々の訳語でまっさきに注目されるのは、有名な「The horror!The horror!」というクルツの囁きかもしれないが、これはそれほど悩むこともなく「恐ろしい!恐ろしい!」というごく普通の選択肢をとった。藤永氏が訳註で説明しているとおり、日本語の「地獄」は幅広いニュアンスを持っているので勇み足になっているわけではないと思う。

それよりも、最後まで悩んだのは、何と言ってもwilderness(ウィルダネス)の訳語だ。結論からいうと、本書では基本的に「魔境」という古めかしくもおどろおどろしい訳語をあてることにし、その一部は、原語は wilderness の一語であるけれども、「魔境ともいうべき原始の自然」とか「緑の魔境」という説明つきの言葉にした。

しかし、どういう訳語をあてるにせよ、若干の解説が必要だろう。wilderness とは人間の手が入っていない自然の土地を指し、英和辞典には「荒野」「荒れ野」「荒地」「未開の地」「無人の地」「原始の自然」などの訳語が載っている。ただ『闇の奥』は植物が氾濫する密林が主体なので「荒野」「荒れ野」「荒地」は合わない。

一方、「未開の地」「無人の地」「原始の自然」はクルツを狂わせ、マーロウに深い恐怖を覚えさせる魔性に欠ける。人が住まない所ということでは「人外境」という言葉もあり、これと「魔境」を合わせた「人外魔境」という言葉もある。後者は小栗虫太郎の伝奇冒険小説「人外魔境シリーズ」の第1作がコンゴを舞台にしていることから捨てがたいのだが、語感があまりにも伝奇小説的すぎるので採らなかった。

ついでにいうと、漱石の『草枕』にいう「人でなしの国」は『闇の奥』の wilderness を実感するのに多少役立つかもしれない。

ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう(夏目漱石『草枕』)

どういう国なのかよくわからないが、とにかく人間的な価値尺度が通用しないのだろう。魑魅魍魎が棲んでいそうな恐ろしげなイメージがある。マーロウは「ただの人が作った人の世が住みにくい」と感じる漂泊の冒険家だが、その彼にも「人でなしの国は人の世よりもなお住みにく」いと骨身に染みたというのが『闇の奥』の話だといえなくもない。

もう1つ、聖書で wilderness といえば、パブテスマのヨハネが人々に悔い改めよと呼ばわる「荒野」(あらの)であり、人の世に汚されていない場所というイメージも持っている「原始の自然」と捉えた場所の wilderness にも無垢のイメージがあり、憧憬の対象にもなるわけだ。(中略)

14歳で日本中を震撼させたあの事件を起こした少年は、「俺は真っすぐな道を見失い、暗い森に迷い込んでいた」と作文に書いた。あれはダンテの『神曲・地獄篇』から取ったものだが、少年の「暗い森」は『闇の奥』の密林とも地続きだったかもしれない。『神曲』の英訳の中には「暗い森」を dark wilderness と訳しているものもあるのだ。(中略)

この普遍性から、ウィリアム・ゴールディング『蠅の王』、コッポラ監督の『地獄の黙示録』、ヴェルナー・ヘルツォーク監督の『アギーレ/神の怒り』、村上春樹『羊をめぐる冒険』に『闇の奥』の影響があることはつとに指摘されているが、最新作の『IQ84』にもクルツとの対面に似た場面が出てきた。伊藤計劃の『虐殺器官』は『地獄の黙示録』経由のSF版『闇の奥』である。(中略)

コンゴでの植民地支配という時代背景に押し込めれば、クルツはすでに、幽霊の正体見たり枯れすすきだろう。しかし『闇の奥』が意図的に曖昧化し普遍化した闇に目を凝らすなら、21世紀の世界でも、クルツの幽霊はまだまだ色々な所にに現われるに違いない。(引用終了)


以前に挫折経験のある『闇の奥』を、もう一度読んでみようと思ったのは、マーロン・ブランドが『地獄の黙示録』のカーツ役を、どのように創造したかに興味があったことが大きく、映画でのカーツ大佐のシーンが、原作にはない部分が大半ということを知り、実際の原作を確認したかったからというのが、最大の理由でした。

この理由は『闇の奥』を小説として味わうことにおいて、不純な動機だったかもしれないのですが、何かしら、強い思いがなければ、この作品を最後まで読んで味わうのは困難なことも確かで、2冊の翻訳本を読んで、あらためて思うのは、やっぱり、この作品は「とてももやもやとした作品」だということです。

黒原氏が、藤永本の小説終了後の解釈にある、帝国主義や植民地支配への批判から、『闇の奥』のコンラッドの植民地支配の描き方をも批判するのはどうかということも一理はあるのですが、この作品に対して「すでに正体見たり」とするのも、やはり「あとがき」の中でのことで、

本文中は、どちらも「もやもやとしている」ことには変わりはなく、黒原氏が言われるように「密林の奥で進行する奇怪な事件を語る伝奇的な冒険小説」として読むことにもストレスを感じる人は多そう。

文庫のお手軽さは魅力的なものの、手軽に読み終わったところで「もやもやした感じが一向に解決しない」ことを考えれば、藤永訳の豊富な注釈とともに、険しい密林を分け入るように、読みすすんでいく方が、読み終わった後の充実感が感じられる可能性が高く、1冊だけ読むとしたら、冒頭に解説があり、また読了後の「もやもや」に関して「アフターフォロー」がある、藤永本がもっとも満足度が高いと思われますが、

いずれにしても、1回読んだから...という作品ではないので、両方読むのがベターだと思いました。

◎[参考サイト]うただひかるまだがすかる(4人の訳の比較があります)

☆こちらのレヴューは、3者の訳本すべてに共通なのでご注意ください。
◎『闇の奥』黒原敏行訳(アマゾン)


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by yomodalite | 2011-12-17 23:17 | 文学 | Trackback | Comments(0)

『闇の奥』の奥/藤永茂

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☆[1]のつづき

下記は、本書の冒頭「『地獄の黙示録』のエンディングをめぐって」より省略引用。

映画『地獄の黙示録』はベトナム戦争の、小説『闇の奥』は白人のアフリカ侵略の核心に迫った優れた芸術作品とみなされている。奇才オーソン・ウェルズは『闇の奥』をラジオドラマ化し、その後映画化しようとするものの断念して『市民ケーン』を制作。小説のクルツは丸禿げだが、ウェルズがクルツに扮した写真では髪がある。ウェルズはヒトラーをクルツに重ねて考えていた。

それから、40年後、コッポラは『闇の奥』を翻案した『地獄の黙示録』を撮影し、カーツを演じたブランドは丸禿げの男として現われる。この翻案されたクルツは映画の終わりの30分ほどの間に出てくるのだが、このエンディング、そしてブランドの演技が多数の評論家から「むしろない方がよかった」などと、散々にこき下ろされた。『ニューヨーク・タイムス』の映画評がその代表例である。

ほとんどすべての批評家が認める、この映画の最高の見せ場は、ワグナーの「ワルキューレ」の音楽を空から大音響で鳴らしながら(映画の背景音楽ではない)ベトナムの村落に襲いかかる米軍ヘリコプターの大群と、その指揮をとるキルゴア中佐の描写だ。


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『ニューヨーク・タイムズ』の映画評論家キャビーはこのキルゴア中佐をベタ褒めにし「息をのむような迫力と魅力でロバート・デュバルが演じ切ったキルゴアは、この映画の中のカーツの馬鹿臭い仰々しさの中に全く欠けている優れた資質のほとんどを備えている。カーツの方と言えば、結局のところ、彼の行動もセリフもこの映画の他の部分とはおよそ何の関係も持っていない。

米国のベトナム戦争介入を批判した著書『ベスト&ブライテスト』で有名なハルバームスタムも『地獄の黙示録』をベトナム戦争についてのベスト映画と呼んでいるが、エンディングについては「ブランドが出てくる終わりのところのたわ言はない方がいい」などと手厳しい。(yomodaliteのつぶやき:NTってどんだけバカなの?)

この映画の解説として日本でもっともポピュラーなのは立花隆『解読「地獄の黙示録」』だろうが、そのページ数の大部分が映画のエンディングを語ることに費やされているのはいささか異常である。(yomodaliteのつぶやき:立花氏が参考にしているのは、主に海外の雑誌と夫人の本だけで、国内の英語弱者のマスコミと読者に「上から目線が出来れば」それでOKだからw。

追記:立花氏の解釈については、私のマイケル・ジャクソンのショートフィルム解釈の前段「HIStoryと黙示録」の④〜⑧の中でも触れました。


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Lieutenant Colonel “Bill Kilgore” Robert Duvall



エンディングに悩みつづけたコッポラは、それから、23年もたった2001年に新たに編集した『Apocalypse Now Redux』(邦題「特別完全版」)を発表する。しかしエンディングの大きな変更はなく、この完全版の公開後もコッポラは満足できずローリング・ストーンズ誌のインタヴューで「あれは嘘のエンディングだ。僕の中には本当の結末がある」と奇妙な発言をしている。

果てしなく続くエンディングの腰の定まらなさは、一体何に由来し、何を意味するのか?アメリカの著名な文学評論家ハロルド・ブルームは、それを、コンラッドの『闇の奥』の意図的な曖昧性に求めている。

しかし、クルツにまつわる曖昧さ、晦渋さは読者向けのものであり、その創造者コンラッドの内心ではクルツの担う意味が明確にされていたとは、私は考えない。言い換えれば、多くの論者がヨーロッパの帝国主義的アフリカ侵略の核心を摘出する文学作品とみなす『闇の奥』には、本質的な曖昧さ、したがって、欠陥があると私は考えるのである。

そして、この根本的な欠陥がそのまま『地獄の黙示録』に移植されざるを得なかったことが、コッポラの終わることのない懊悩苦難の源泉であり、この映画が遂にベトナム戦争の本質の剔出に成功しなかった理由でもあると私は考える。


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映画『地獄の黙示録』の最初の脚本は、ジョン・ミリアスによって書かれているが、映画の完全版脚本とのもっとも大きな違いは、自分を殺しにきたウィラードを前にして、静かに死を覚悟し、カーツが訥々と語る告白の有無である。エレノア夫人その他の証言からも、コッポラは映画のエンディングをミリアス脚本よりも『闇の奥』に近くしたいと考えていたことが知られている。

表面的には、ミリアス脚本の方が完全版よりもはるかに小説に忠実で、コンラッドの原文そのものの科白がたくさんある。ウィラードにあたるマーロウが、クルツの死後、故国に戻ってクルツの婚約者に面会する場面が、小説の終わりにあるのだが、ミリアス脚本もウィラードがアメリカに帰って、カーツの妻に会う場面で終わっている。これは完全版のエンディングには全く欠けている。

では、コッポラが完全版の方をコンラッドの原作により近いものと考えたのはなぜだろうか? その答えはカーツ大佐の最期の告白に伏せられているとしか考えようがない。その重い告白の全文を読んでみよう。

俺はずっと恐怖を見てきた......お前も見てきた恐怖だ。だが、お前は俺を人殺しと呼ぶ権利はない。俺を殺す権利はある。お前にはそれをやる権利はあるが......しかし、この俺を裁く権利はない。恐怖が何を意味するかを知らない連中に、何が必要不可欠かを言葉で描いてみせるなんて出来やしない。恐怖。恐怖には顔がある......そして、お前は恐怖を友にしなければならぬ。恐怖と精神的な戦慄はお前の友なのだ。そうならなければ、恐るべき敵になる。恐怖と心を襲う戦慄は真に恐るべき敵なのだ。

特殊部隊と行動を共にしていた時のことだ......もう遠いはるかな昔のことのように思える......我々はある難民収容所に入って子供たちに予防接種をした。子供たちにポリオの予防接種をした後、そこから引き揚げたのだが、老人がひとり、泣きながら走って追っかけてきた。だまって見てはおれなかったのだ。すぐに取って返してみると、ベトコンがやって来て、予防接種をした腕を1つ残さず切り落としてしまっていたのだ。

山積みになってそこにあった......子供たちの小さな腕が山積みになっていたのだ。忘れもしない。俺は.....俺は.....俺は泣いた.....まるでどこかの老婆みたいに泣いた。俺の歯をむしり取って捨ててしまいたかった。何をしたいのか、自分でも分からなかった。ただ、これは心に刻んでおかなければ、絶対に忘れたくない、決して忘れてはならぬ......と思ったのだ。

次の瞬間、俺は悟った.....撃たれたように.....そう、ダイアモンドで......一発のダイアモンドの弾で額を撃ち抜かれたように.....そして思ったのだ。何とまあ、あの大した根性。あの精神。あの行為をやってのける意志。完璧で、真正で、完全で、透明で、純粋な意志。そして、ベトコンは我々より強いのだということを、俺は理解した。なぜなら、あれをやったのはモンスターではないと彼らは言い切ることができたからだ。

彼らはれっきとした人間たち......鍛え抜かれた精鋭であり、心底から戦う男たちだ。家族もあり、子供もあり、愛情にもあふれ、しかも、彼らは、あの強さ、あの残忍行為をやってのける......強さをもっていたのだ。もし、ああした男たちでできた十個師団が俺の指揮下にあったなら、ベトナムでの我々の困難は立ち所に片が付いてしまっただろう。

道義心があって......しかも同時に、無感情に、激情にも走らず、思慮もなく......そうだ、思慮分別なしに、原始的な殺戮本能を行使できる男たちが必要なのだ。なぜなら、思慮分別というやつが我々を打ち負かすことになるからだ。


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Colonel “Walter E. Kurtz” Marlon Brando


米軍最高幹部への昇進を約束されていたカーツは、その栄光のコースをかなぐり捨てて、密林の奥に分け入り、先住民に君臨する王となり、原始そのままの殺人鬼となった。その変貌の転機となった劇的事件を刺客ウィラードに語っているのである。しかし、コンラッドの『闇の奥』には、このカーツの告白に結びつけることが出来そうなクルツの発言は見当たらない。それでもなお、コッポラが完全版脚本の方がコンラッドの原作に近いと考えたとすれば、私たちはカーツの告白をさらに深く読み解く必要があるようだ。

西欧文学には、墜落(フォール)をテーマとする執拗な伝統がある。定冠詞をつけてザ・フォールとすれば、アダムとイブの物語、神の恩寵を失った人間の地獄落ちを意味する。エリオットの詩『虚ろな人々』もこの系譜に属する。人間と文明の本質的な空虚さと堕落というテーマの20世紀的寓話をコンラッドの『闇の奥』に読んだエリオットは、『闇の奥』の中の黒人ボーイの言葉「ミスター・クルツ ー 彼、死んだ」(Mistah Kurtz - he dead)を『虚ろな人々』の冒頭の題詞に選んだのである。だから、この2つの作品の内容は密接にからみ合っている。

『地獄の黙示録』のエンディングで、カーツ大佐は最後の告白の前に『虚ろな人々』の最初の二行までを読み上げる。

われらは虚ろな人間
われらは剥製の人間
互いにもたれかかり合って
頭には藁がつまっている。ああ!
われらの乾いた声
互いに囁き合うときのその声は
ひそやかで意味もない
枯れ草の中の風のように、あるいは
ワインの絶えたわれらの地下倉の中で
砕けたガラスを踏むネズミの足音のように
形のない形、色のない陰
麻痺した力、動きのないジェスチャー

ここで、一人称で語るエリオットを含めて、この詩を読む者が「われら」であり『地獄の黙示録』のカーツ大佐も「われら」の1人と考えるのが自然だろう。だから、立花隆氏も「独立王国のトップまで登り詰めたところで、発見できたのは自己の空虚さでしかないということになったのである。だから、We are the hollow men(「我らは空ろなり」)とつぶやきながら、自分の空しさを終わらせるために、自分を殺してくれる人間の出現を待つということになってしまったのだ」と結論する。

そうだとすると、カーツ大佐はコミカルな存在になる。虚ろな「われら」の1人と自覚して自己嫌悪に落ち入り、挙げ句の果てにウィラードに殺してもらうとは何とも冴えない結末ではないか。だが、別の解釈も可能のように思われる。問題は、カーツが口ずさんだ1、2行に続く次の6行にある。

真っすぐに前を見据えて
死の彼岸の王国へと渡って行った者たちが
たとえ、万一、われらを覚えていようとも
破滅した烈しい魂としてではなく
ただ単に、虚ろな人間
剥製の人間としてでしかない。


ここで、エリオットはクルツを「真っすぐに見据えて、死の彼岸の王国へと渡って行った者たち」の中に数え、虚ろな「われら」とはっきりと区別している。こうなると、1、2行まで口ずさんだところで、虚ろな言葉を並べ立てるカメラマンに本を投げつけるカーツ大佐は、人間の邪悪さと悲惨さを正面から見据えながら従容と死を迎える自分をクルツと同定していたのだと解釈できるかもしれない。

コンラッドのクルツを何らかの意味で英雄的と考えるか、考えないか ー これは『闇の奥』解釈の中核の問題である。『闇の奥』を下敷きにして『地獄の黙示録』の制作をきめた時、コッポラは同じ問題をそっくりそのまま抱え込んでしまった。カーツ大佐をある意味で悲劇的英雄として描くか、描かないか ー この決断がコッポラには最後まで下せずに終わってしまった。これが映像的には輝かしい成果を上げながら、思想的メッセージとしては『地獄の黙示録』が名作ならぬ一種の「迷作」に止まったと考えざるを得ない理由の1つである。

しかし、その失敗した根本的理由は別にあり、しかも、その理由もまた、コンラッドの『闇の奥』から必然的に移ってきたウィルスに『地獄の黙示録』が冒されたからだと考える。その症状はカーツ大佐の最後の告白の中に見ることができる。

(引用終了)


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ここから、藤永氏は『地獄の黙示録』の初期の脚本にはないカーツの告白が、どのような経緯で映画に組み込まれていったのか?という疑問を抱き、カーツが語った切り落とされた腕のエピソードの真偽に迫り、100年前のコンゴの蜜論で何があったのか?を綿密に探り、表題にある、コンラッド、植民地主義、アフリカの重荷に対して、これまで為されてきた論考から、さらに先鋭化した「闇の奥」のまさに奥を著されています。

それは、本書の核となる論考ですが、こちらにメモすることは控えます。

☆参考サイト『本と奇妙な煙』
◎『闇の奥』の奥[1]
◎『闇の奥』の奥[2]

わたしが引用した箇所は、冒頭部分の極一部で、本書は「腕切り落とし事件」の真相を追った部分や、レオポルド2世の虐殺・収奪の歴史を軸に、西欧中心の歴史の横暴の告発を主内容としたものなんですが、氏が物理化学者のためか、凡庸なジャーナリストが社会告発をするような手触りとは異なり、『闇の奥』の文学論としても、また、この作品が優れた文学作品として、長く研究対象とされてきた理由すらも見えてくる、大変な力作だと思いました。

藤永氏は、カーツ大佐を演じたマーロン・ブランド自身には触れていませんが、立花氏の本を読んだときのように、気分が悪くなることがないどころか、ここまでの藤永氏の真摯な作品追求に胸が熱くなり、

扱われているテーマのシリアスさに対して相応しくないことは、よぉく分かっているのですが、読んでいて清々しい興奮を味わってしまうのは、きっと本物の「知の巨人」に出会えたからだと思いますっ!

藤永氏は現在85歳で、紹介した著書2冊の執筆時も80歳....他にも、『ロバート・オッペンハイマー』の本も書かれてて、まだ読んでないのに...なぜか...すでに涙が...

☆追記:読了しました!『ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者』


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ちなみに、藤永氏が疑問とされている「カーツ大佐の科白はどこから来たのか?」ですが

ブランドの自伝にはこう書かれています。

1976年の夏、私は『地獄の黙示録』に出演するためにフィリピンに行った。ところが到着してみると、監督のコッポラは鬱になったかと思うと、次にはパニックに陥るという有様で、撮影は遅れ、物語の結末もきまっていなかった。脚本の出来も話にならず、全編ドラマ性に欠けていた。

そこで「このまま、脚本を使うのもいいかもしれないが、変えないと我々が損するんじゃないかな。『闇の奥』では、コンラッドはクルツという男をイメージばかりが肥大した、ほとんど神話的な人物として書いている。映画でもここを押さえないといけないよ。カーツ大佐は孤高で謎に満ちていなければだめなんだ。その姿が見えるのは、ぎりぎりまで私たちの想像の中だけにしておくのさ」

オリジナルの脚本のカーツ像にしがみついていたら、彼にまつわる不吉な謎に焦点をしぼることができないと私は主張した。私の申し出にコッポラは賛成し、私はハウスポートにこもって脚本をまるまる書き直し、カーツ大佐の風貌について思いをめぐらせた。コンラッドはクルツの特徴をこう記している。

「頭は見事に禿げている。未開のジャングルが磨きあげたのだ。見よ!あれは玉、象牙の玉である......」

私はコッポラに告げずに、頭をツルツルに剃りあげ、カメラマンと照明部にエキセントリックな照明を当ててもらい、心ここにあらずといった口調で科白をしゃべり、そうして撮影したテストフィルムをコッポラに見せて、観客の耳に初めてとどくカーツの声は、暗闇から聞こえてくるべきだと言った......

プロットを再構成するだけでなく、カーツの科白も書いた。その中の死を目前にしたモノローグは、45分間という長セリフで、自分を見失いそうになるまでのめり込んだ役といえば、このカーツ大佐ぐらいである。自分を極力コントロールしなければならなかった独白シーンは、私が演じたものでは最高の部類に入ると自負している。

即席で創りあげた演技だった......コッポラは2回撮影したが ー 45分間のアドリブ演技を2回である ー そのフィルムはほとんど使わなかった。インパクトがあると私は思ったのだけれど、映画全体のなかでは浮いてしまったのかもしれない。モノローグのフィルムは部分的にしか見ていないので、はっきりしたことは言えないが。


(上記は、P432〜P446までの文章を省略して引用。わたしは、個人的にも莫大な資金を投入し、映画製作の全責任を負わなくてはいけない監督コッポラに気遣いをしつつも、エンディングへの不満を述べた文章だと思いました)


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私は、本書を読んでいるうちに(冒頭部分だけでなく)、なぜ、ニューヨーク・タイムスや、ローリング・ストーンズ誌に映画評を書いているような人に、ブランドの演技がこれほどまでに貶されたのか?という理由とか、夫人の本に記された、コッポラの映画製作の実務的苦悩とはまた別の苦悩があったことなども透けて見えてきました。

yomodalite註:これらの感想は、個人差があり...というか、むしろ、そのような効果は、私だけに見られるおそれがありますので、ご注意ください(笑)。

また、立花氏の『解読「地獄の黙示録」』では、通常の映画製作とは比較にならないほど監督が苦悩して制作したという事実から、その苦労を「上からねぎらうような態度」で傑作としているものの、

「世界文学に匹敵するレベルで作られた映画」という意味において、そこに、世界文学が引用されていること以外、本質的なことは何もわかっていないじゃん!とか、

「闇の奥」が語られて来た文脈を多少はわかっていたなら、ブランドの「カーツ」への批判が、その議論と関係ないわけないってことに「ピン」と来て!とか、

映画『地獄の黙示録』の解読と言っても、実際の映画の解読ではなく、原作本の訳者と、字幕職人(戸田奈津子氏)への、自分の方が英語デキル自慢ばっかりじゃん!とか、

アメリカ人が、ベトナムや黒人を見る目に「日本人」をまったく感じないって(呆)などと思うのも、きっとわたしだけだと思いますが(笑)、

『地獄の黙示録』のウィキペディア「撮影中のトラブル」に記述されているような、俳優たちのエピソードは、俳優たちに責任を負わせようとする、予算に関して本来責任を負うべき人のリークと、無責任なマスコミの合わせ技で、無声映画時代に溯るほどの伝統的手法であり、そういったことに未だに無自覚で、うかつに信じてしまうのも、どんなものかと.....

☆☆☆☆☆(満点)

yomodaliteのつぶやき:今頃になって気づいたんだけど、、私が『闇の奥』を理解しようとする気持ちのほとんどは、おバカメディアやブロガーによる、ブランドへの名誉毀損が許せないからなんだなぁ。。。

◎『闇の奥』の奥―コンラッド・植民地主義・アフリカの重荷/藤永茂(著)
◎[参考サイト]さてはてメモ帳 Imagine & Think!

☆「私の闇の奥」(藤永氏のサイト)にコメントされた、
高名な理論物理学者、川崎恭治氏と藤永氏のやりとり

◎白人にも黒人にも公平にする?(1)
◎白人にも黒人にも公平にする?(2)
◎白人にも黒人にも公平にする?(3)
◎白人にも黒人にも公平にする?(4)
◎白人にも黒人にも公平にする?(5)

☆闇の奥/ジョセフ・コンラッド[3](翻訳:黒原敏行)につづく


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by yomodalite | 2011-12-09 18:06 | 文学 | Trackback | Comments(2)

闇の奥/ジョセフ・コンラッド[1](翻訳:藤永茂)

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この本は、わたしが「古い本を読まなきゃ!」って思ったときから、頭の片隅にあった本でしたが、今年最大のマイブーム「マーロン・ブランド」への興味(彼が主演した『地獄の黙示録』の原作なので)がトリガーになり、ついに読んでみることにしました。

『闇の奥』は、以前、中野好夫氏訳のものに挑戦して挫折しているので、新訳として、最初「藤永訳」(2006年)を読み、その後、さらに新しい訳本があることに気づいて「黒原訳」(2009年)を読みました。

下記は、藤永茂氏の翻訳本からのメモです。
「訳者まえがき」より、省略して引用。

1890年6月ベルギー領コンゴに渡ったコンラッドは、思惑に反して精神的にも肉体的にも散々な目に遭い、翌年病の身で帰ってきた。それから、ほぼ10年後、体験に基づいて『闇の奥』は書かれた。

この小説は文学的にも思想的にもたいへん興味深い作品で、英文学史上屈指の名作とみなされ、世界の英語圏諸国の大学で、教材として、20世紀で最も多く使用された文学作品とも言われる。

yomodalite註:この作品以外でも、英語圏で大学生によく読まれている文学作品って、いつも日本では全然読まれていない。何かの陰謀でしょうかw。

『闇の奥』の始まりと終わりの場面は、イギリスのテムズ河、物語の舞台はアフリカの中央部を流れるコンゴ河である。小説はグレイブゼンドよりなお下流の河口付近に錨を下ろしている小型帆船ネリー号の上で、イギリスの船乗りチャーリー・マーロウが4人の友人を相手に、アフリカの奥地で味わった悪夢のような体験を語る形で展開されていく。

ネリー号の持主である会社重役、老弁護士、会計士、それに、この小説の始まりの口上を述べ、マーロウを導入する第一人称無名の「私」。この4人がマーロウの話の聴き手であり「私」は始めから終わりまで熱心に話に聞き入り、小説を締めくくる役も果たす。

この無名の「私」と、マーロウの2人が、作者コンラッドの分身だと考えるのが自然だろうが、この2人の物の考え方、感じ方がそのままコンラッドのそれだとはとても言い切れない。

『闇の奥』は、ブラックウッズ・エジンバラ・マガジンという雑誌に、1899年、3回に分けて連載された。この雑誌は、当時どこの紳士クラブでも備えられていたもので、読者層は大英帝国の植民地政策を支持する保守的男性一般(批評家によっては、ウルトラ保守とも)、読者は探検物語や怪奇小説として手にしたと思われ、そうした読まれ方は、スウェーデンでは20世紀の半ば過ぎまで保たれた。

コンラッドがコンゴ河を渡った頃は、アフリカ中央部は、ベルギー王レオポルド2世の私有地になっていて、象牙や生ゴムなど資源の仮借なき収奪が行われていた。マーロウ/コンラッドを雇った会社の実名は「北部コンゴ貿易株式会社」、しかし実体は、ベルギー本国の80倍の広さを持つ国王私有地を支配するための実務機関であり、社長のアルベール・ティースは国王の実務を総括していた。


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マーロウはフランス船でアフリカの西海岸に沿って南下し、長い急流域の上流終点はキンシャサ、マーロウの物語の頃は「レオポルドビル」と呼ばれていて、会社の中央出張所があった。

マーロウは蒸気船の船長として中央出張所を出発し、2ヵ月かけて、危険をしのぎながら、話題の怪人物クルツがいる奥地出張所にたどり着く。クルツはコンゴ河上流域の奥地原住民を神のような権威で支配し、その権力を乱用し、暴力で狂ったように象牙を集めていたのである。

このクルツが、物語の焦点的キャラクターだが、コンラッドの筆の曖昧さから、読者にとってピンぼけのままで残ってしまう。真の主役はマーロウであり、彼の〈闇の奥〉への旅とそこからの生還によって達した開眼の境地が、この小説の意義を担っているように見える。これは、船乗りマーロウの「オデュッセイア」であると考えるのが、まずは素直なアプローチだろう。

マーロウ、クルツに加えて、4人の重要なキャラクターが登場する。まず、マタディで出会うお洒落の会計主任、次にレオポルドビル(キンシャサ)の中央出張所の支配人、それに寄りそう「煉瓦造り」の男、クルツの奥地出張所でマーロウの蒸気船を迎える若いロシア人。

この4人は『闇の奥』で重要なシンボルの役を担っている。シンボルと言えば、クルツがブリュッセルに残した婚約者、クルツがアフリカの奥地で捨てた黒人の情婦、この2人も重要である。(引用終了)

本書は、本文終了後に、訳註「第一部」「第二部」、また訳者の感想がまとめられた「訳者あとがき」があり、その部分だけで79ページという充実した内容。

下記は「訳註」と「訳者あとがき」より省略して引用。

「訳註 第Ⅰ部」

この小説でマーロウ、クルツなどのキャラクターと並んで、もうひとつ重要な役割を担っているのは、アフリカのウィルダネス(wilderness)である。困ったことに、このウィルダネスという英語の含意を正確に表わす日本語がない。荒野、荒地、原野、未開地.....としてみてもピッタリこない。

アフリカに踏み込んでくる白人たちに傲然とした沈黙で対峙し、無視するかと思えば、魔神のように復讐するアフリカの大自然、白人たちの侵入を拒否するジャングル、死臭をたたえて流れる大河、強烈に照り渡る非常な太陽、白人をその懐深く抱擁して悪鬼と化す森林、野獣とも見まがう黒人の群れを大挙吐き出してくるかと思えば.....その黒人たちもまたアフリカのウィルダネスの一部なのである。

名案もないままに、一度は「荒野」という訳語を一貫して当ててみたが、それでは原意が伝わらないので、原則として始めから3分の1ほどの間は、未開の大自然とか、原始の大自然とかに訳し変え、それから先は「荒野」という訳語を使った。これはもちろん芭蕉の「枯野」ではないし、T・S・エリオットの「荒地」(waste land)でもない。

ウィルダネスは日本人の自然感覚のなかには存在しない。しかし、この小説を冒険潭、恐怖小説として読むにしろ、奥深い文学作品として読むにしろ、この圧倒的なウィルダネスの存在を絶えず意識しながら読み進んで頂きたい。

◎訳註(48)
原文では「The horror! The horror!」これは『闇の奥』で最も有名な言葉だ。「恐怖だ!恐怖だ!」「恐ろしい!恐ろしい!」「恐ろしや!恐ろしや!」等々と訳せようが、やはり中野好夫氏の名訳「地獄だ!地獄だ!」に従っておく。日本語の「地獄」は幅広いニュアンスを持っている。

クルツが、そしてコンラッドがこの叫びに込めた意味は不分明であり、したがって批評家たちの解釈も実に多種多様、読んでいると何やら空しくなるほどだ。クルツはこれをフランス語で叫んだはずで、恐怖を意味していたのではなく、黒人の情人を淫乱女(古い英語で hore = 欲望する者)と呼んだのとする穿った解釈もある。

◎訳注(49)
「ミスター・クルツ ー 彼、死んだ」原文では「Mistah Kurtz - he dead」これは「地獄だ!地獄だ!」に続いて有名な言葉だろう。エリオットがその詩「The Hollow Men」の題辞として引用したことが『闇の奥』の宣伝にもつながった。しかし、これがブロークン・イングリッシュとして発音されたと考えるのは無理である。

このボーイは英人嫌いの英語嫌いの支配人(実名はDelcommune)がアフリカ西海岸から連れてきた黒人少年で、しかも、ベルギー人たちが食事をしている所にやってきて、英語を喋るとは考えにくい。

「訳註 第Ⅱ部」(こちらは、日本語訳を参照しながら英語原文を読まれる方向け)

『闇の奥』が初めて世に出たのは1899年だが、英文学者や批評家たちから精緻な視線を注がれるようになったのは、1950年前後からで、それから50年ほどの間に、コンラッドについて夥しい数の研究、評論、伝記の類が出版され、私(藤永氏)が手にしたものだけでも、優に100冊を超える。私が翻訳の底本に使ったのは

Joseph Conrad : Heart of Darkness with The Congo Diary. Edited with an Introduction and Notes by Robert Hampson ( Penguin Classics 2000 )

このあと、原文、中野訳、藤永訳という比較解説があります。

「訳者あとがき」(訳者による作品解説)

この小説を読んで、何か霧のなかにでも取り残された感じを持った読者もあるだろう。コンラッド本人がその foggishness(彼自身の言葉)は意図的なものだと言うのだから仕方がない。マーロウが語り始める所にも

the meaning of an episode was not inside like a kernel but outside, enveloping the tale which brought it out only as a glow brings out a haze, in the likeness of one of these misty haros that sometimes are visible by the spectral illumination of moonshine.

「1つの話の意味は、核のように話の内側に納まっているのではなく、その外側、つまり、白熱光がそのまわりに生み出す陽炎のように、そう、時おり、月の光に妖しく照らされて見えてくる朦朧とした月の暈にも似た、物語を包む雰囲気のなかにこそあったのだ」

とある。この「もやもや」が訳分の拙さの故なのか、それともコンラッドの意図的な不明晰さの所為なのか、英語原文に当たって確かめてみることをお勧めしたい。例えば「だらしのない悪魔(a flabby devil)」とは、中央出張所の支配人を指し、クルツは含まないにしても、虚ろな男たち(hollow men)のなかにはクルツも含まれるのか?

yomodalite註:hollow men(現在日本で入手しやすい本は、T・S・エリオット「空ろな人間たち」)

こうした曖昧さや多義性ははじめマイナスとして評価されたが、20世紀中頃からの文学批評の華々しい展開につれて、大きなプラス要素として持ち上げられるようになり、時代に先んじた画期的な文学作品としての名を高めた。

この100年間の『闇の奥』解釈の歴史をたどると、クルツの最期の叫び「The horror!The horror!」に込められた意味、マーロウの「嘘」、マーロウと無名の「私」とコンラッドの相互関係、等々について『闇の奥』の定番の読み方などありそうもないような印象を受ける。

1975年、ナイジェリアの著名な黒人作家で、当時マサチューセッツ大学の英文科で教鞭を取っていたチニュア・アチュベは『闇の奥』を「侮辱的で全くけしからぬ書物と決めつけ、コンラッドを「べらぼうな人種差別主義者」と呼んだ。

アチュべ以前の『闇の奥』の読み方として、有名な社会学者ハナ・アーレントは『闇の奥』を彼女一流の明敏さで的確に読み取り、『全体主義の起源 2 帝国主義』で、その人種論を展開した。これを高橋哲哉氏は『記憶のエチカ』の中で「〈ヨーロッパ人がアフリカで行った恐るべき殺戮〉はヨーロッパ人でなく、アフリカ化したヨーロッパ人が行った」と要約した。

これほど都合の良い責任転嫁があるだろうか。訳註でウィルダネスに注意を喚起したように『闇の奥』でコンラッドがそれに振り当てた役割、ヨーロッパ白人の悪魔化の役割の意義はまことに重いのである。

『闇の奥』に対する1975年のアチュベの攻撃を迎えて、英米のコンラッド学者たちは総力を挙げて反撃を開始し、それから30年後の現在、アチュベの異議申し立ては彼の偏向した「読み違え」として却下された。

その判決を要約すれば『闇の奥』はヨーロッパ白人による植民地支配と搾取の一般に対する仮借のない批判攻撃であり、その残虐行為の対象となった黒人たちに注がれた同情と賞賛を含んだ眼差しを、彼が「だらしのない悪魔」と呼んだ白人たちに対する軽蔑の眼差しと較べれば、コンラッドは、アチュベの断定とは全く裏腹に、むしろ反人種主義者であった。というものである。

しかし、果たして、これで良いのだろうか?ヒトラーとユダヤ人大虐殺は誰もが知っている。しかし、ベルギー王レオポルド二世とコンゴ大虐殺と知る人が、どれだけいるだろうか?

コンラッドの『闇の奥』には、コンゴ自由国もコンゴ河の名も出てこない。物語が始まり、終わるベルギーの首都ブリュッセルも「白く塗った墓をいつも連想させられる都市」とされ、レオポルド二世に対応する人物も登場しない。これをナラティブの技巧とみるかどうか。

高橋哲哉氏の『記憶のエチカ』の第二章「〈闇の奥〉の記憶」では、コンラッド、アーレント批判が提示され、アチェベの名も、その批判を手ぬるいとしたエドワード・サイードの名も顔を出している。

もし、コンラッドがレオポルドのコンゴをヨーロッパによるアフリカ侵略の例外と考えて執筆したのなら.... この小説をめぐるアチュベ以来の植民地主義の論議、そしてコンラッド自身が「a bloody racist」であったか否かという問題も、あらためて検討の必要があるだろう。(引用終了)

この「訳者あとがき」での問いかけを発展させたのが、藤永氏の著書『「闇の奥」の奥』そこで藤永氏はベルギー国王レオポルド2世によるコンゴでの黒人虐殺・収奪の悲劇を中心にすえて、西欧中心の歴史の検証をされています。

◎『闇の奥』藤永茂訳(レヴューはどの翻訳本もすべて同じなのでご注意ください)





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by yomodalite | 2011-12-08 13:59 | 文学 | Trackback | Comments(19)

ひとりごと(2011.11.18)『熱砂の舞』

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ラミーの季節! でも、森永のことを忘れてたことに気づいちゃって。。。

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by yomodalite | 2011-11-18 13:13 | MJ系ひとりごと | Trackback | Comments(3)

ステラ・アドラーの言葉(「魂の演技レッスン22より」)

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ジョニー・デップのことをあれこれ書き始めたときに、MJを演じる可能性...という理由を挙げてしまいましたが、私は、MJとジョニー・デップ本人が似ていると思っているわけではないんです。ジョニー・デップは今の時代を象徴する俳優の1人だと思っていますが、それは、MJやブランドから感じる「歴史的スケール感」とは違う気がします。


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by yomodalite | 2011-10-24 14:56 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)

魂の演技レッスン22 ー 輝く俳優になりなさい!/ステラ・アドラー

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つい最近まで、わたしは、映画は、映画監督のものだと思ってました。

ほとんど、すべての映画に、そーゆー表記がありますし....

お気に入りの監督の映画を全部観てみようと思ったことはあっても、お気に入りの俳優が出演している作品を全部観たいと思ったことはなくて、俳優の存在がより感じられる芝居や舞台が今も苦手です。

この俳優が出演しているんだったら、きっとイイ映画なんじゃないかな?と思って、映画を観たことは、もちろんあります。例えば、ロバート・デ・ニーロとか、エドワード・ノートン、ジョニー・デップもそうですね。

デ・ニーロ、ノートン、ブランドが共演した『スコア』(The Score)は、“You Rock My World”と同年の、ブランドの遺作映画で、アマゾンの紹介にもあるように、ノートン、デニーロの共演が話題で、ブランドは3番目の役。出演シーンも2人より遥かに少なく、この映画を最初に観て、ブランドの素晴らしさを認識する人はかなり少ないと思いますし、わたしもそう思います。

ただ、私がわかったのは、やっぱり、ブランドは彼らとは全然違うということでした。

(アマゾン評では、デ・ニーロとノートンの演技決戦の軍配にはいろいろ見方があるようですが、わたしには、これほどノートンがつまらなく見えた映画は初めてで、それが、どういうことなのかも、まだよくわからないのですが....)

これまで、わたしは『ゴッドファーザー』は、“パートⅡ”が一番傑作だと思っていて、最近、ブランド愛から“パートⅠ”を観直したんですが、やっぱり作品としては“パートⅡ”の方が、素晴らしいと思いますし、デ・ニーロは本当に素晴らしい俳優だと思いますが、

デ・ニーロの演技が素晴らしかったというような感動と、ブランドが私に与えてくれた感動とは、桁が違うというか、もう、まるで違うんですよね。

でも、どう違うのか、どうして、ブランドだけにこんなに感動してしまうのかも、まだ、どう説明していいのかわからないんですが、MJが、Singer、Dancer、Entertainerよりも、先に「Greatest Actor」 と書いたことは、ブランドという存在なしにはありえなかったということはますます確信し、(参照:マイケル・ジャクソンの顔について[39])

ジョニー・デップが、his mind is much more important than the acting thingや、He's as important as, uh... who's important today? と言ってるのも本当にそうだと思うんです。(参照:Johnny Depp talking about Marlon Brando[1])

全部にはまだほど遠いんですが、ブランドの初期から晩年までの作品を観て、彼は、デ・ニーロよりも、最後まで様々な役に挑戦してきたように感じていますが、それでいて、デップが言うように、ブランド自身の精神性を強く感じるとは、どういうことなんだろう?

それが知りたくなったので、舞台とか、芝居とか、演技にも、ほとんど興味がなかったにも関わらず、こんな本も読んでみました。


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著者のステラ・アドラーは、ブランドの自伝で「50年代から60年代にかけて演技は完全に変化した。ステラに導かれた世代が台頭するまで、俳優の多くは、私が常に思うところの“個性派”俳優」で、メソッド演技を確立したと言われ「アクターズ・スタジオ」の指導者として高名なリー・ストラスバーグに対しては、「メソッド・アクティング」という言葉はストラスバーグによって通俗化され、汚され、誤用されてきた。

私が成功を修めると、自分の教育の成果だと言い出したことや、通るものなら、太陽や月にさえクレジットを要求する奴だった」
と、かなり激烈な表現で批判し、何もかもステラから教わったことと、彼女への感謝のきもち、彼女の素晴らしさに多くのページが費やされています。(P85〜)

本書の原題は『The Art of Acting by STELLA ADLER』で2000年に出版されたもの。

以下は、ブランド(当時76歳『スコア』公開1年前)による序文


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ステラ・アドラーは私にとって、演技教師以上の存在だ。

彼女が私に伝えてくれたことはこれ以上ないというほど尊く、価値がある。自己の感情が生まれるしくみと、他者の感情が生まれるしくみをいかに見出すか。

いわゆる「メソッド」演技の流行に乗じてまやかしの技法が横行しても、彼女はけっしてそれに組することはなかった。その結果、彼女の演劇文化に対する貢献は世に知られることなく埋もれていった。

私が知る限り、パリに渡ってコンスタンティン・スタニスラフスキイから直接教えを受けた米国人アーティストはステラ・アドラーただ1人だ。スタニスラフスキイはロシア演劇界で最も偉大な存在であり、卓越した人間観察力を持っていた。

彼女は氏のテクニックをアメリカに持ち帰り、自らのレッスンに組み込んだ。それが世界中の演劇文化に影響を与えるとは、彼女自身夢にも思わなかっただろう。

アメリカ映画は世界中の映画に影響を与えている。
そのアメリカ映画に影響を与えたのは、実はステラ・アドラーの演技に対する教えなのだ。
彼女は多くの人に愛され、貢献している。

私の人生に言い尽くせないほど大きな助けを頂いたことを感謝している。また公私にわたり、生涯おつきあいさせて頂いたことを光栄に思う。

マーロン・ブランド


彼女が「俳優」に求める理想は、とてもとても高いので、本書は演技を真剣に学ぼうと思っている人にとっても、厳しい本だと思いますし、ましてや、わたしは、今まで1度も俳優になりたいと思ったこともありませんし、もちろん、今はもっとそう思っていますけど、

ステラ・アドラーは、ブランドが尊敬するだけあって、完全に「思想レベル」の人で、そのせいか、わたしはすごくいっぱい付箋を貼りながら読みました。

また、彼女が「俳優」とは何かについて書いていたことを知ると、MJの「Greatest Actor」や、「映画を撮っていくことの芸術的価値について彼が抱いている想いを知ると、僕は畏怖の念を抱いてしまいます」(参照:映画『ブレイブ』監督・脚本・主演:ジョニー・デップ[2])

と言っていたことや、日々努力を重ねていたことが少し感じられたというか、わたしもますます彼に畏怖の念を抱いてしまいました(って、もうすでに抱き過ぎなんですけど...)

わたしは以前は、MJの映画への思いは、自ら主演するとしても、監督業への興味が大きいんじゃないかとずっと思っていたんですね。彼は2000年頃のインタビューでも、エンターティナーというイメージが強いけど、作曲家としてや、SFの製作においても、クリエーターとして過小評価されているといった不満が感じられたので、

総合芸術と言える映画製作では、監督や、プロデューサーなど、KING OF POPとして以外で、色々とアイデアを実現させたかったことがあったんじゃないかと思っていました。でも、まだ結論を出せる段階ではありませんが、ブランドのことを知って、あの「メモ」を見てから、かなり考えが変わりました。


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◎ステラ・アドラー(ウィキペディア)

詳しいことはわかりませんが、本書はステラが亡くなって8年後に出版されていて、もしかしたら、この出版もブランドの尽力により実現したのかもしれません。

ブランドの序文では「彼女の貢献は世に知られることなく埋もれていった」とありますが、本書の出版が経緯になったのでしょうか?現在、彼女の功績は2006年に「ハリウッド・フェーム」にも刻まれ、ステラ・アドラーの名を冠した演技スクールは今も健在のようですが、そのスクールの名誉会長は生前ブランドが努めていたようです。

☆☆☆☆☆(満点)

◎『魂の演技レッスン22』(アマゾン)

☆「ステラ・アドラーの言葉」につづく

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[内容紹介]世界的に多大な影響を与えた俳優教育法で知られるロシア・ソ連の巨匠、スタスフラフスキーから教えを受けた唯一のアメリカ人として、マーロン・ブランド、ロバート・デ・ニーロ、ハーベイ・カイテル、ベニチオ・デル・トロ…など、多くの優れた俳優を育てたステラの魂が宿る、演技のHow-to本ならぬWhat-to本。と同時に、世界を一つの劇場とするならば、その登場人物である全ての人に向けた人生哲学書でもある フィルムアート社 (2009/4/22)

[著者について]1901年、ニューヨークの俳優一家に生まれ、幼少の頃から舞台に出演。1931年、米国の演劇界に新風を吹き込んだグループ・シアターに参加したが、リー・ストラスバーグが唱える感情の記憶を中心とした「メソッド」の解釈に反発。提唱者スタニスラフスキイ本人に教えを乞い、「状況を想像することの大切さ」が氏のメソッドの本意であることを確認した。1947年、自身の名を冠した演劇学校を設立。20世紀最大の俳優といわれるマーロン・ブランドの可能性をいち早く見抜き、『欲望という名の電車』の歴史的名演に導くなどしてアメリカの伝説的演技教師となる。1992年没。


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by yomodalite | 2011-10-21 18:43 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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