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遠藤周作の「沈黙」の映画化を、永年模索していたスコセッシ監督の映画がようやく完成したというので、期待して観に行きました。

トランプ大統領が誕生し、EUを離脱した英国のメイ首相も、「我々自身のイメージで世界を作り直そうと、独立国に介入する時代は終わった」(→記事リンク)というような発言をする時代に創られた「沈黙」には、今、本当に求められている欧米統治の歴史への自戒が込められているのでは・・・

そんな過大な期待をしていたせいでしょうか。ちょうどこの映画の公開にあわせて、CSで放送されていた、篠田正浩監督の『沈黙』(1971)も見ていたのですが、そちらとの出来栄えの差は圧倒的だと感じました。

ただ、見栄え以上の「差」はあまりなく、今、この作品を・・という意味においては、正直、がっかりしたというか、普通に原作どおりに作られた作品だと思いました。

俳優たちの演技は、ほとんどの場面を、英語で演技している日本の俳優陣も含めて、みな素晴らしいのですが、篠田作品と極端に違うのは、「井上さま(井上筑後守)」のキャスティング。

篠田作品では、アラン・レネ監督作品で主演も務めた、堂々たる二枚目俳優、岡田英次(ただし、篠田作品では「井上」は、あまり重要人物として描かれていない)なのですが、スコセッシ監督作品では、イッセイ尾形になっていて、彼の珍妙な演技によって、まさに、日本の「沼地」を象徴するような人物造形がなされています(その功績なのか、他の演技派俳優の中で、彼だけが、ロサンゼルス映画批評家協会賞で助演男優賞にノミネート!)。

彼が、『太陽』で昭和天皇を演じたときは、そうは思わなかったのに、今回の大名の演技には、うっかり、「反日俳優」という言葉が浮かんできて、そんな自分にも驚いてしまう・・・

公式サイトの予告編の最後には、長崎の遠藤周作文学館にある「沈黙の碑」の言葉、「人間がこんなに哀しいのに主よ、海があまりに碧いのです」が流れます。

これは小説にはない言葉で、遠藤周作が最後にたどり着いた、神への言葉のように思えるのですが、スコセッシの映画には、その視点は感じられず、日本の純粋な民への愛はあっても、民を虐める為政者を、常に海の向こうに求める気持ちは、相変わらずというか・・・

実際の映画の最後には、日本のクリスチャンへの言葉が流れます。

日本だけでなく、我々は「沼地」に敗北したのだ。という作品のように思えました。





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by yomodalite | 2017-01-27 12:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(5)
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マイケルとハワード・ヒューズ[2]映画『アビエイター』の続き


読んでくださっている方の中には、映画を観ていない方も多いと思いますが、日本ではあまり知られていない人物の伝記映画なので、ここからは、映画のあらすじを結末まで説明しようと思いますので、ご注意ください。

下記は『アビエイター通常版DVD』のコメンタリー字幕(監督、スタッフなどの解説)から、スコセッシが語っていることを抜粋して引用。

彼は世界最速の飛行機造りに挑戦しただけでなく、航空会社の経営や映画製作にも関わった。だが最大の関心事はやはり飛行機だった。ヒューズは我々の世界に多大な影響を与えている。科学者、挑戦者、パイロット… 彼はそのすべてだった。

人々は当時からヒューズの伝記を読んでは彼の言動や立場をあげつらい、あれこれ批判していた。だが本作で描いたのは、世界を変えようと息巻く若き青年の姿だ。そのプライドが最後には彼を苦しめ、強迫神経症にまで追いやるわけだが…

観客はレオ(ディカプリオ)という役者を媒介に、彼の苦悩を我がことのように感じるだろう。僕らはヒューズを1人の人間として描いた。病気が進行してからもその立場は変わらない。

彼(ヒューズ)が買収したRKO社の映画で初めて彼のことを知った。後には「世界一の大金持ち」と認識するようになる。ラスベガスのホテルに住み街の施設を次々に買収。やがて、あらゆる奇行の噂がささやかれるようになる。。。

潔癖性のこと、“取り巻き” たちの黒い噂など… 彼の大空への情熱など子供のころは知らなかったが、それを本作では描いてみたかった。

僕の頭の中には常にあるイメージがあった。ギリシャ・ローマの文学や、神話が好きでよく読むんだが、ヒューズは蝋の翼をつけたイカロスのように思える。イカロスの父は翼をつくり、ヒューズの父は翼を作るだけの金を遺した。なのに彼は迷宮から永遠に逃れられない。迷宮の正体は彼自身の狂気と執着、欲望、そして何よりプライドだった。彼の欲望には限度がなかった。

英雄には必ず暗い一面があるものだ。もっと革新者、開拓者としての彼の姿を見て欲しい。

ヒューズがかつてどれほどの高みにいたのか、僕は考えたこともなかった。アイデアに満ちた優秀な若者が少しづつ追いつめられ、それでも必死で何かを生み出し自分らしくあろうと奮闘する。彼は病いと闘いながら航空界に貢献するが、最後には自分自身の内に囚われてしまうんだ。

(引用終了)





予告編は、アビエイター(飛行機乗り)というタイトルらしく、ヒューズの力強さなども感じられるのですが、本編はそうではなく… 

ディカプリオが演じることで、ヒューズが身近に感じられるという意図は理解できます。難聴、潔癖性、強迫神経症といった持病を抱えながらも、少年のような純粋さで夢を追い続ける、そんな人物の繊細さを演じるには、ディカプリオはぴったりで、

父の事業を受け継いだ頃を演じている彼は、本当の少年のようで、『ギルバート・グレイブ』や『ロミオとジュリエット』の頃の、あの繊細なレオ様が帰ってきたという感じがしました。

でも、実際のヒューズの印象とは異なっていて・・・

革新者、開拓者として世界を変えようとした青年の姿を描くはずの場面ひとつひとつに、いちいち神経症の演技プランだけがしっかりと挟み込まれていて、

ヒューズの本当に輝かしい瞬間、物語の山場であるはずの『地獄の天使』のスゴさも「公聴会」についても、説明不足でまったく伝えられていません。

奇人変人として流布されてしまった、ヒューズのイメージを回復させようとして、彼の奇行の理由を「病気」に求めているのでしょうけど、それが、彼の偉業よりも強調され過ぎていて、結局、この映画では、ヒューズの難聴や強迫神経症ばかりが印象に残ります。

下記は、プロデューサーのマイケル・マンのコメンタリー。

本作は悲劇的な結末をもつ壮大な叙事詩だ。僕ら現代人にはヒューズのヴィジョンに親しみと共感を覚える。飛行機に対しても映画に対しても彼の読みはすべて正しかった。誰よりも未来を見通していたんだ。

今日では当たり前に感じるが、TWAは国際線・国内線を扱う最初の航空会社だった。(中略)J・ラッセルのための特製のブラジャーもデザインした。役者の演出に際しては、現在「メソッド演技」と呼ばれるスタニスラフスキ・システムを採用。『暗黒街の顔役』のP・ムニの演技はR・デニーロやA・パチーノ、M・ブランドに引き継がれる。

すべての始まりはヒューズだったんだ。

彼は病いに侵されながらも多方面に偉大な革新をもたらした。

(引用終了)

映画を見た人には、ヒューズがそこまで偉大には見えなかったでしょう。この映画で描かれたような精神状態で、どうしてそこまでの仕事ができたのか?と疑問に思った制作者は誰もいなかったんでしょうか?

彼が成した仕事は、ひとりの人間がやったこととは思えませんが、すべて「事実」です。でも、彼の奇行や、神経症と言われるようなことについては、人々が創った「物語」ではなかったかと。

映画では、ヒューズの母親の細菌への怖れが、ヒューズに潔癖性を発症させたトラウマだと捉え、また、彼が引きこもったり、孤独な生活を好むようになったことも、難聴や、強迫神経症と強く関連づけ、重度の神経症に陥っていく姿でエンディングを迎えます。

理想を追求し続けるような超人が、「ロマンティックな破滅」を迎えなければ、観客にとって「失われた個人主義への郷愁」に、安心して浸ることができないかのように。

「未来への道だ…(the way of the Future…)」と、言い続ける人間を、まるで精神患者のように。






下記は、スコセッシ映画の多くを編集しているセルマ・スクーンメイカー

飛行記録をつくって、TIME紙の表紙を飾ったヒューズの本当に輝いていた頃を、今の若い人にも知ってもらいたかった。

心臓が体の右側に移動するほどの大怪我を追っても、奇跡的に生き延びたのは、強い気力と野心があったからこそと思う。ただ、手術は成功したものの、彼の外見は大きく変わってしまった。口ひげを生やすようになったのも、この影響によるもので、事故は、彼の病気にも悪影響を与えたと。

そこあと、ヒューズは松葉杖と格闘し、自ら公聴会に出向くまでに回復したものの、肉体的なダメージは彼の精神を消耗させた。体の回復は確かに早くて、実際にハーキュリーズに乗る彼の映像を見て、本当に驚いた。

(引用終了)

どんなに映像や写真で、実際の彼の元気な姿を見ても、その裏面を執拗に悪い方に想像していると思うのは、私だけでしょうか。

スクーンメイカーは、こうも言っています。

偉大な芸術家と呼ばれる人々は見ていて辛い存在だと思う。彼らが芸術家として優れているのは、人生に対して異常なまでに感じやすいからだもの。ヒューズは才能に溢れながらも常に苦しみ続けた。多くの天才たちと同じように。マーティン(スコセッシ)が素晴らしいのは、こういう難しい人物を愛すべき存在だと感じさせてくれることね。

(引用終了)


感動的で、たしかにそのとおりだと言いたくなる言葉なんですが、ヒューズのように、ありえないレベルの優れた人間を「愛すべき存在」をするために、病気ばかりに注目し、成功よりも、破滅を描きたいのだとすれば、

そういった精神こそが「病んでいる」のではないでしょうか。

[1]で紹介したキーツ本を「つまらなかった」とか、文章家の貧弱な空想力だなどと、言ってしまったことを、撤回しようか迷っています。

読んでいるときは、MJが言っている意味が書かれていないと感じ、ヒューズにまつわる混乱の何もかもがよくわからなかったのですが、あまりにも「単純化」され、恣意的に描かれている映画を観終わったあとでは、キーツが言わんとしていたこともわかってきて、映画を観る前に、読んでおいて本当に良かったと今は思っています。

ヒューズの偉業については知らないけど。。

というMJファンの人に、この気持ちを説明するなら、少なくとも、キーツは『インヴィンシブル』までMJがやったことを描いているけれど、

映画は、マイケルの偉業を『スリラー』期に限定し、『デンジャラス』までのマイケルを描いて、そこから破滅に向かったと決めつけ、そのすべてを「病気や怪我」や「幼少期のトラウマ」で説明しているようなものです。

ここで紹介した制作者たちのコメントからは、彼らがヒューズに対して悪意などなく「善意」や「愛」をもっているように見えます。でも、彼らが描いたヒューズの姿は、その後も、財産を殖やし続け、TWAを去ったあと、60歳から、新たな事業で大きな業績を遺した彼の「事実」と照らし合わせれば、私には「捏造」と思えてなりません。



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by yomodalite | 2014-04-12 08:56 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)
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マイケル・ジャクソンが語ったヒューズを求めて、マーティン・スコセッシ監督の2005年の映画『アビエイター』も観てみました。

スコセッシ監督といえば、名匠というだけでなく、MJの長編ヴィデオ第2作である『BAD』の監督でもあり、MJが尊敬する俳優として名前をあげたデ・ニーロの代表作を何作も創り、コッポラ、ルーカス、スピルバーグといった、MJとも親交が深い監督たちとの絆も含めて、とかく縁の深い監督。

この絆には、黒澤映画と三島由紀夫の糸も絡んでいて、黒澤に関しては有名なので、三島との繋がりに関してだけいうと、コッポラは、MJが信頼していた監督というだけでなく、彼の先生でもあり、親友でもあったブランドの傑作であり、彼自身も最高の仕事をしたと自負する映画『地獄の黙示録』を監督していたとき、三島の『豊穣の海』を強く意識し、

また、スコセッシ監督の『タクシードライバー』の脚本家である、ポール・シュレイダーは、日本未公開の映画『Mishima : A Life In Four Chapters』の脚本家で、また、この映画の製作総指揮は、コッポラとルーカスが務めています。


MJの映画への強い関心は生涯にわたるものでしたが、彼が大好きな30年代のギャング映画の代表作『暗黒街の顔役(Scarface)』は、ヒューズが制作し、同じハワードと言う名のハワード・ホークスに監督を依頼した映画です。

このときヒューズの頭の中にあったのは「あたかもシカゴを舞台にしたボルジア家のような、カポネ一家の物語」でした。

ボルジア家は、しばしば歴史物語や、映画の中で悪役として登場する貴族ですが、ルネサンスを生んだという評価もあり、華やかな当時の文化を担っていました。貴族のような生活と残忍な冷酷さ、カトリック教会との軋轢・・という物語は、イタリア系ではなく、貴族的な顔立ちのブランドが「カポネ(のような人物)」を演じることで始まった、後のコッポラの『ゴッドファーザー』に受け継がれ、完成したと言えるでしょう。

また、MJが最大級に尊敬しているチャップリンは、ヒューズが制作し、監督も務めた『地獄の天使』を観た翌日、「ツェッペリン炎上の場面はこれまで観たもののうち一番ドラマティックなシーンでした」と電報を打ちました。

この映画が、ツェッペリン炎上という歴史を、映像として深く印象づけたことは、「going like lead balloon」というキース・ムーンの口癖から、lead を led に、balloon を zeppelin に変え「レッド・ツェッペリン」というバンド名に繋がった理由かもしれません。

スコセッシはこの映画を大学の映画の授業で初めて見たときのこと、また、極普通の労働者だった彼の父親が、いつもこの映画のことを感心して話題にしていたことを語り、スコセッシ自身もこの2作を何度も観たそうですが、

映画評論家の町山智浩氏も、父親が『暗黒街の顔役』を観て、アメリカ映画に狂ったというエピソードを語っています。



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永い間大勢の人々の記憶に遺り、語らずにはいられない映画となった理由のひとつは、この映画がチャップリンが賞賛するほど素晴らしい映画だっただけでなく、記録的なヒットを飛ばした映画を、ヒューズ自身がある時期から「封印した」からです。

スコセッシと同世代の映画ファンは、この作品が見られる数少ない機会を、そわそわして待ったそうです。

当時、スコセッシが自宅で『地獄の天使』の上映会をしたときも、そこにはスピルバーグや、ロイ・シャイダー、地獄の黙示録の脚本家であるジョン・ミリアス、ポール・シュレイダーや、デ・パルマもいて、皆このシーンに感嘆し、夢中でみていたそうです。

この頃、彼らが観た『地獄の天使』は白黒でしたが、スコセッシは、その後着色され、カラフルになったことで、より空中戦の激しさが伝わったとも。制作時に、無謀なほどの予算と時間をかけた『地獄の天使』は、その後の映画の技術革新にも耐え、長く名作としての位置をキープし続けたわけです。

そして、スコセッシは、自分が映画製作の道に進んだ頃、この映画が持っていたロマンティックな時代は終わったと感じたようです。未来への夢に進んでいたはずのアメリカは、いつのまにか泥沼のベトナム戦争に傷つき、夢を実現した人物を素直に受け入れられない多くの観客を生み出していました。

とにかく、そんなスコセッシが撮ったヒューズなら観ないわけにはいかないのですが、長くなったので、次に続きます。


上記でスコセッシが語ったと言っている内容は、『アビエイター(通常版DVD)』に入っていた「コメンタリー字幕(監督、スタッフなどの解説)」からのものです。

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by yomodalite | 2014-04-09 11:08 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)
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(あらかじめ、お断りいたしますが、この感想は、わたしの日記として書いたもので、映画の感想としては、きっと“的”を外していると思います)

デニーロが主演で、スコセッシ監督による、コメディがテーマの映画。ずっと観なくてはと思ってはいたのだけど、なかなか観られなかった。というのも、デニーロ+スコセッシという組合せによって、わたしの心の糧である“コメディ”に、なにか暗い影が忍び寄って来られたら困ると思っていたから。

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by yomodalite | 2010-06-01 22:16 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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