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最後の黒幕 朝堂院大覚 昭和、平成事件簿/大下英治

「悪党顔」のひとの本が続きますが、、隣でダーリンが読んでいたんです....

古典に手を出すようになってから、同時進行の本が倍増していて、ホントに、もうこんな「下品な感じの本」を読んでる場合じゃないって思ったんですけど、、

「フィクサー」って、大好きなんですよね。(読書としてw)

ただ、「フィクサー本」って、なかなか良書は少ないと思うんです。取材も難しいし、ほとんどの場合、フィクサーは自分からは語りませんし、これまで、このブログに記録した「フィクサー本」でも、これは面白いと思ったのは『田中清玄自伝』ぐらいでしょうか。

本としての、面白さだけでなく、本人の「大物感」や「魅力」という点でも、本書には期待していませんでした。

というのも、フィクサーは自分からはなかなか語らないものですが、朝堂院氏は、現在、youtubeにも多くの動画がありますし、そこで見る氏の風貌からも、どこか“マンガチック”で、これまでの「フィクサー」と言われた人に比べると、歴史的スケール感に乏しいという印象も持っていました。

(現在の活動を見ると、今は「フィクサー」ではないのだと思います)

著者の大下英治氏は、分業体制で大量出版を維持している、熟達のノンフィクション作家の方ですが、本書と同じ竹書房のシリーズは、そっち方面の方々よりの「物語」になっているような印象も強く、

まぁ、とにかく、そんな期待薄な感じで読み始めたところ、第一章にある「血判の儀式」(売上げ目標達成の決意を示すために、社員の前で、愛蔵の日本刀により、自らの前腕を突き刺すという行為)で「ドン引き」...期待度はさらに急降下し、

本書の半分くらいを過ぎても、なかなか引き込まれることがなかったのですが、そこから、だんだん朝堂院氏の印象が変わっていったのは、彼がオウム事件の黒幕として疑われ、それをきっかけに、ここまでの順風満帆な人生から、様々な活動が困難になっていき、ついに、松浦良右(まつうらりょうすけ)という名前を改名するまで追い込まれた後も、

商売人でありながら、検察や銀行に対しても、主義主張にブレがなく、確固とした信念を貫いていて、読了後、自分でも驚いたんですが、、朝堂院氏のことがちょっぴり好きになりました。

たぶん、わたしの中で評価がグンと上がったのは、他のフィクサーの方はすべて、アメリカ占領下の日本で、良くも悪くも、米国の日本統治に関わることで「利権」や「特権」を得てきた方々ばかりですが、朝堂院氏はそうではないようです(早合点かもしれませんが。。)

本書で特に注目したのは、朝堂院氏は暴力団を一切使ってこなかったにも関わらず、1997年の山口組N0.2の若頭、宅見勝が射殺された事件(「宅見事件」)の容疑者の弁護のために、優秀な弁護士を紹介したというところ(p216「司忍と後藤忠政」)

当時、若頭補佐だった司忍が、護衛の組員に拳銃を持たせていたとして銃刀法違反容疑をかけられ、指名手配される。司は翌年出頭し、逮捕、起訴され、後藤忠政は、司の力になるために朝堂院に力を求め、朝堂院は、有力弁護士で、元最高裁判事の横井へ依頼する。

なかなか首を縦に振らない横井に、朝堂院は、こう説得した。(以下省略引用)

「先生、今回の事件は、いちヤクザの問題ではないんです。共同正犯は、いつどこで親分が子分に拳銃を所持しておれを守れ、と指示したかが明確になってはじめて成立つ。ところが、ヤクザだから、親分が指示しなくても子分が拳銃を所持していれば、行動原理として同様だという理屈で逮捕した。

この法律はアメリカが強引に日本に押し付けている。これが日本の判例となり、社会全体に拡大すれば、大変なことになります。政界と秘書の関係も同じことになります。これは罪形法廷主義の原則をやぶることになりませんか」その後、朝堂院は、何度も横井を尋ね説得を続けた。(引用終了)


という部分です。

(この後、現在の小沢一郎の逮捕まで、実際「大変なこと」になってますよね)

このとき容疑者であった司忍が組長になり、後藤氏の山口組での株は上がったのですが、元々、戦後アメリカとの関係で成長してきた「ヤクザ」の世界で、その後、後藤氏は小泉内閣でも暗躍し、最終的にジャマになった米側から、移植手術のご褒美を最後に引退した氏と違い(この部分は後藤氏の著書『憚りながら』を読んだ私の個人的感想)ポーズだけではないなぁと思った点で、

日本の右翼は、その源流から現在までに、完全に変節していますが、老師系の方から、行動派の方まで含めて、これほどの経済力を基盤にして行動できた方も、他には見当たらないように思えますし、

朝堂院氏は、天皇家や菊の紋章のブランドにも頼らず、武道を通じて、日本の歴史や精神性を受継ごうとされていたり、

その経済力の源も、急速冷凍の技術力による実体のある「商品」で、これまでの「フィクサー」と呼ばれた人と比べて、独占的な権益などではなく、お金の生み出し方に、卑怯な手口が感じられないというか、、

わたしは、この人と、MJの繋がりというのはすんなり納得できました。帽子、サングラス、オリジナルデザインによるオーダーメイドファッションなど、朝堂院氏のファッションに関しての感覚は、どこかMJに似てますしねw

そんなわけで、朝堂院氏のマイケル本も、やっぱり読まないとって思いました。

☆読みました!『マイケルからの伝言』
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◎[音声による解説]最後の黒幕・朝堂院大覚
◎MJJAPAN設立記者発表会レポート

[目 次]
序章 フィクサーの系譜
第1章 血判の儀式 ー 父の会社再建
第2章 親・後藤田‐反・中曽根
第3章 検察が狙った後藤田の首
第4章 石原慎太郎 ー 尖閣列島 ー アキノ
第5章 ニカラグア巨大運河計画
第6章 オウム事件黒幕説
第7章 山口敏夫に渡した拳銃
第8章 裏社会コネクション ー 許永中の頼みごと
第9章 TSKCCCビル争奪戦
第10章 朝鮮総連詐欺事件
第11章 マイケル・ジャクソンの亡霊
第12章 生まれた子供が57人
________________

朝堂院大覚/本名、松浦良右。大阪枚方で400年続いた名家に生まれ、父方の祖父は枚方の大地主で不動産業を営み、米相場でも成功した。父は満州へ陸軍大尉として出兵し、帰国後は朝日新聞の傍系会社の朝日ビルディングの経理担当重役に就任。母は、戦前、松下乾電池(松下電工の当時の稼ぎ頭)の代表取締役専務。乾電池事業は、母キノの父である吉田幸太郎が支えた事業だった。

同志社中学校・高等学校を経て、同志社大学を卒業。1982年3月、当時空調設備工事会社ナミレイの会長であったが、空調設備工事業界の大手高砂熱学工業の株式を買い占め、筆頭株主の力を盾に高砂熱学工業の社長等を脅して業界提携やナミレイ発行の株式引き受けを押しつけたとして、当時ナミレイ社長だった実兄の松浦幸作ほか、ナミレイの他の役員等と共に強要罪で逮捕される(執行猶予判決)。

1996年、オウム事件の黒幕に仕立て上げられたことから、松浦良右から「朝堂院大覚」に改名。「朝堂院」は政務・儀式の中心となる建物群のことで、平安時代の国家的儀式や政治を司る場。大覚は、仏語で「悟りを開くこと、大きな悟り、大悟」のことを指す。

ファッションも「和装」スタイルに変わったが、これも、長着、羽織、袴と3つに分かれている和装品を1つに縫い上げたオリジナルデザインによるもの。また草履のつま先には、護身のため、鉄でできた銀色の金具が取り付けてあり、「刀」も袋に入れて持ち歩いている(居合道の家元として警察より所持を許可されている)

1998年7月に来日したマイケル・ジャクソンに士道館空手道名誉五段を授与する。更に「マイケル・ジャクソン・ジャパン」を立ち上げマイケル・ジャクソンのレジャーランド設立構想を仕掛けるが、頓挫した模様。

2007年にTSK・CCCターミナルビルのテナントとして、所有者と立ち退きについて争う(同ビルは最終的には2008年3月に解体された)。 また、狂言師の和泉元彌が能楽協会より「退会命令」処分を決定した際、和泉元彌の後見人として能楽協会の対応に介入する 。

政界から武道界まで幅広い交友を持ち、田中角栄や後藤田正晴と懇意であった。他にも亀井静香・石原慎太郎・小池百合子とその父の小池勇二郎や、高市早苗らとも親しい[要出典]。また空手道家同士ということで、添野義二や真樹日佐夫などとも懇意であり、杉原正康が館長を務める白蓮会館が主催する全日本空手道選手権大会も支援している。

竹書房 (2011/4/7)




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by yomodalite | 2011-10-30 00:14 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

工藤美代子『悪名の棺 笹川良一伝』

わたしがこどもの頃、このひとのCMを見ない日はなかったかもしれない。

笹川良一氏は、「黒幕」「フィクサー」といった表現で、メディアでの良い扱いを見たことがない方なのですが、本書は、笹川氏の「悪名」の裏側にあった素顔を掘り起こした力作。

昭和の傑物の素顔は、今の時代にあっては、その世界的なスケールの大きさに惹き付けられ、身近な人間への考えられないほどのケチぶりにも驚かされる。

ただ、すでに、これまでの笹川氏への悪評のほとんどが、非常に「小柄」であったと感じているものにとっては、この物語では、ちょっぴりもの足りなさも感じました。

競艇事業を始める前の笹川氏の莫大な収入に対して、相場や先物取引という表現だけだったり、巣鴨プリズンに入るきっかけや出るきっかけ、『田中清玄自伝』が面白かっただけに、田中氏との関係に関して、ほとんど触れられていないのところや、児玉誉士夫氏との関係も。。

「悪名」という名の汚名返上に力が入りすぎていて「悪の魅力」に乏しいところが、ちょっと残念というか、昭和の傑物を平成テイストで扱ってしまった感じ。

◎作家・工藤美代子氏が『悪名の棺』で明かした日本の黒幕・笹川良一「艶福家の私生活」

[BOOKデータベース]メザシを愛し、風呂の湯は桶の半分まで。贅沢を厭い、徹底した実利思考と天賦の才で財を成すも、福祉事業に邁進し残した財産は借金ばかり。家庭を顧みず、天下国家、世のために奔走。腹心の裏切り行為は素知らぬ顔でやり過ごし、悪くは“有名税”と笑って済ませた。仏壇には、関係した女の名が記された短冊を70以上並べ、終生、色恋に執心した。日本の首領の知られざる素顔。書き下ろしノンフィクション。幻冬舎 (2010/10)





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by yomodalite | 2011-08-15 08:37 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

憚りながら/後藤忠政(得度名:忠叡)

憚りながら (宝島社文庫)

後藤 忠政/宝島社

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日本女子として、今、やくざの本は、猪木の本より読まなくてはと思っているのですけどなかなかイイ本がありません。どうして読まなくてはならないかは、

松岡正剛「千夜千冊」で語られているように

・日本の「侠」の歴史と動向と思想
・「侠」や「組」の発想は、アジアに通じる本質のひとつ。
・ヤクザが明治政府にも戦後の保守政治にも深く絡んでいたこと

と、現在9冊ある“やくざ”タグの中で、唯一の良本、猪野健治氏の『山口組概論ー最強組織はなぜ成立したのか』で、語られた、山口組の1人勝ちが、現在の官吏との最終局面において、これまでとは違った意味を帯びてきていることに対しての危惧からです。

本書は、山口組内で、マスコミ的にもっとも有名だった、後藤組元組長による、回想録。聞き書きの形式で、「○○の野郎も....ヤるだけヤって....グズグズした話を...バチっとかまされ、最後にはギャンと言わされて、クシュってなってたんだよ(笑)。。」みたいな感じの文章で、1942年生まれの、後藤氏の極道人生が語られています。

◎第一次頂上作戦(1964年の暴力団壊滅作戦。1940年頃まで国家も警察も必要悪として認めていた“やくざ”に対して、博打を非合法化などから国家の締め上げが激しくなった。山口組は、次々と解散に追い込まれる組織に反比例して、拡大していく。)

◎年末に行われた3つの格闘技イベント。(2003年)

◎「日韓青年交流」で、自民党の静岡県連と一緒に、当時の韓国大統領、朴正煕と会う(祖父とも知りあい)

◎富士宮における、創価学会との攻防

◎「山一抗争」(戦後最大の抗争事件。1981年。後藤組は、この抗争のきっかけとなった四代目、竹中組長の杯により、山口組直系組長になっている。)

◎廣済堂(櫻井義晃)、地産グループ(竹井博友)との出会い。経済ヤクザと呼ばれるようになる。

◎野村秋介との出会いにより、石川重弘カメラマン救出に関わる。糸山栄太郎襲撃事件も野村氏との関係が大きい。

憚りながら、として、実名で激しく批判されているのは、
・池田大作
・糸山栄太郎
・武井保雄(元「武富士」会長)
・御手洗富士男(経団連・キャノン会長)
・小泉純一郎、など。

第十章「渡米肝移植」では、日本のやくざが、アメリカに入国して移植手術を受けられた奇跡に関して、日米両国で汗をかいてくれた人たちがいると書かれている。戦後の占領統治に“やくざ”と“在日”と“元A級戦犯”は、重要な役割を果たしていた。後藤氏は、山口組の急成長時代をきっかけに、その歴史の一端を担い、統治側の“やくざ”切り捨てに、肝臓移植という「取り引き」が行われたのでは。という印象をもちました。

小泉氏のブッシュへの媚の売り方、御手洗氏の売国を、情けないと感じ、自分と同じ「チンピラ」だと言うのは、同族嫌悪の感情からでしょうか。

ナルシズム溢れる憂国的主観にも、元やくざの奔放な物語にも、チューニングを合わせることなく、冷静に読んでいたつもりでしたが、第6章「生涯の友・野村秋介」で、野村氏が27、8歳の頃、河野一郎宅への放火により、千葉刑務所に収監されたときの“句”が、目に飛び込んできたときは、思わず涙が溢れました。

「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」

_________

[内容紹介]かつて伊丹十三監督・襲撃事件などで日本社会を震撼させた武闘派団体・後藤組の後藤忠政組長。08年10月に山口組を電撃引退し、翌年には天台宗系の浄発願寺で得度(得度名=忠叡)。日本中をあっといわせたのは記憶に新しい。それから1年……財界・政界にも大きな影響力を発揮し、山口組の直参として、日本の深層を生き抜いた後藤忠政とは、いかなる人物なのか?
本書は、半年にわたる延べ50時間のインタビューを構成したもので、これまでその人物像が明かされることのなかった伝説の組長の生い立ち、静岡県富士宮を舞台にした愚連隊時代、山口組直参昇格、竹中正久4代目の思い出、山一抗争、伊丹十三襲撃事件、孤高の民族派・野村秋介との交友、企業社会への進出、政界との交流、武富士との攻防、山口組引退の真相、そして自身の人生哲学から女性哲学までが、たっぷりと語られる。
激動の半生を送ってきた人物が語り下ろす、今年、注目度ナンバーワンのノンフィクション!!宝島社 (2010/5/15)



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by yomodalite | 2010-07-02 14:26 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(5)

猛牛(ファンソ)と呼ばれた男—「東声会」町井久之の戦後史/城内康伸

猛牛(ファンソ)と呼ばれた男―「東声会」町井久之の戦後史

城内 康伸/新潮社




元公安調査庁の菅沼光弘氏は、日本の裏社会の構成要素として「やくざ・同和・在日」の3つを挙げて、その経済力に関しても、トヨタ自動車の純益が1兆円だったのに対し、山口組は8000億円の収入と語られたとか。。。

町井久之(本名:鄭建永)は、在日のヤクザの大物として、戦後の昭和史に度々名前が登場する人物ですが、まとまった本としては、こちらが初めてのもののようです。

ただ、残念ながら、山口組や、保守(右翼)系人物との関係にしても、登場人物が少な過ぎて、南北朝鮮の政治家との交流に関しては、大統領にまで及んでいるにも関わらず、在日社会は、力道山や張本(巨人)などスポーツ界が主で、日本国内の財界や政界との交流に関しては、ほとんど書かれていません。

著者は、88歳の町井の未亡人 保予(やすよ)への面会から、取材を進めているのですが、夫人の話はどうも素直に納得できないというか、違和感を感じる点が多い。

p67で、傍聴席の最前列で見守っていた保予のことに触れ、弁護士が町井に「わたしに礼はいいから、奥さんに感謝しなさい」というくだりなど、どこか唐突で、著者が未亡人への感謝を表すことにページを使っているように感じました。

また、町井の親分のような存在であった児玉誉士夫と同じく、町井もアメリカが育てた人材であったことを示すエピソードとして、

(P57)
町井の事件を担当した検事(伊藤栄樹。後にロッキード事件など大事件を手がける)は、
他界する直前に朝日新聞に寄せた回想録「秋霜裂日」で次のように振り返っている。

「彼(町井)には、連合国軍の庇護があて、それまで二度殺人などで逮捕されても、すぐに釈放され、起訴されても一度は無罪になり、一度は執行猶予となっていた。そこで、長い兼治生活の中で一度だけうそをつかせてもらった。すなわち、傷害にあたるものに、殺人未遂の罪名を、傷害・恐喝にあたるものに強盗傷人の罪名を与えるなど、本来の法律的評価よりも一段ずつ上の罪名にすることにより、連合国軍からの干渉を防ぐとともに、保釈を阻止しようとしたのである。」 朝日新聞 1988年5月11日朝刊

伊藤本人がいささか強引な手法を用いたことを認めているのだが、保予によれば、町井はこの記事が載った当時これを読んでおり、「他の作り事はいいとしても、私に連合国軍の庇護があったとは・・・・」と憤り半ばにあきれ果てていたという。

 
この町井の反応は、保予の真実の記憶だろうか。一度目の殺人は、保予にからんだ酔漢を蹴飛ばしたところ酔漢が転倒し頭を打って死亡した、というもので、二度目は差別的な発言を投げつけた人力車夫を勢い余って殴殺した、というもの。これで、無罪や執行猶予とは、庇護でなければ、生まれついての「在日特権」か、と言いたくなる内容。保予が日本人なら疑問をもたなかったとは考えにくい。

保予が1946年に、函館の実家を離れて、東京で予備校に通っていたというのも、比較的裕福な家庭を想像させるが、拉致誘拐のような形で、町井と結婚することになったエピソードなど、著者は「ストックホルム症候群」を思い出したと説明しているが、私には、よど号の妻たちの結婚エピソードが思い出された。ちなみによど号妻たちは、チュチェ思想研究会や統一協会であったが、保予は熱心は創価学会員である。

その他、町井の市井のイメージを覆すとして紹介しているエピソードも、在日社会の裏のヒーローとして君臨した人物のエピソードとしては、物語の厚みに欠ける。

生前、半世紀執筆の要請を何度受けても、町井は、「自分のやってきたことを決して、表に出すな」と在日社会に至上命令を出していたらしい。取材対象が難しいことは理解できるものの不満が残る内容。

__________

【BOOKデータベースより】“アンダーグラウンド”から照らし出す昭和史。復興著しい東京で、1500人の構成員を束ね夜の六本木を闊歩した鄭建永(チョン・コンヨン)=日本名・町田久之。右翼の大立者・児玉誉士夫と日韓を股に掛けて暗躍し、ヤクザでありながら政財界に根深く食い込んだその存在は、やがて「フィクサー」と畏れられるまでになった—。盟友・力道山との絆、芸能・スポーツ界でのタニマチぶり、ようやく語られた秘話の数々。急成長を遂げる日本と共に生き、そして消えていった男の人生を描く。 新潮社 (2009/02)




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by yomodalite | 2009-03-08 23:09 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

ロックフェラー回顧録/デイヴィッド・ロックフェラー、楡井浩一 (訳)

ロックフェラー回顧録

デイヴィッド ロックフェラー/新潮社

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本著は図書館レンタル期日あと一日になってようやく慌てて1日で読みました。ちなみに厚みが5センチほどもあるので1日で読むのは全くおすすめできません。世界皇帝に相応しいポートレイト写真とインテリアの邪魔にならない美しい装幀なんですが、購入を躊躇わせたのは、年表や、家系図など資料に乏しいところ。

この本によってD・ロックフェラーの印象が変わったという点はありませんが、収益追求と慈善事業や現代美術、妻の好みなどが双子座ぽいなぁと思ったぐらいでしょうか。そういえば、この本には同じ双子座であるキッシンジャー氏の話はほとんど出てきません。

[目 次]
祖父
父と母
子ども時代
旅行
ロックフェラー・センター
ハーヴァード大学
偉大な経済学者に学ぶ
論文、結婚、就職
戦争
チェース銀行への就職
第二の本職のはじまり
チュース・マンハッタン銀行の誕生
対立
困難な過渡期
グローバルな銀行を創る
舵取り
ソ連との関わり
竹のカーテンを越えて中国へ
中東の“バランス”を保つ使者
生き残るOPEC
仕事上の動乱
家庭内の悩み
兄弟間の対立
シャー
目標の履行
ニューヨーク、ニューヨーク
誇り高き国際主義者
国境の南
近代美術への情熱
帰ってきたロックフェラー・センター
パートナーシップ
_____________

【出版社/著者からの内容紹介】石油で巨万の富を築いた祖父、慈善家として有名な両親、副大統領で夢絶たれた兄、資本主義に反発する子供たち----「アメリカ史上最強の一族」によって初めて書かれた貴重な自叙伝。長年にわたってロックフェラー家の党首をつとめ、またチェース銀行の頭取として歴史を動かしてきた著者が、九十余年の人生を振り返った。米国でのベストセラー、待望の日本版発売。新潮社 (2007/10)

デイヴィッド・ロックフェラー/1915年6月12日、ニューヨークで六人兄弟の末っ子として生まれる。祖父はスタンダード・オイル社を設立したジョン・D・ロックフェラー、父はロックフェラー・センターを建てたジョンJr.。ハーヴァード大学を卒業後、同大大学院とロンドン・スクール・オブ・エコノミクスで学び、シカゴ大学で経済学の博士号を取得。第2次世界大戦で従軍後、チェース・ナショナル(後にチェース・マンハッタン銀行)銀行に入行。1969~81年まで同銀行の頭取兼最高経営責任者を務めた。現在にいたるまで数多くの国家元首や指導者と交流し国際問題に関与するとともに、近代美術館やニューヨーク市の復興など、さまざまな事業や寄付活動を行っている。
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by yomodalite | 2008-01-23 14:28 | ビジネス・経済・金融 | Trackback | Comments(0)

田中清玄自伝(インタヴュー 大須賀瑞夫)

田中清玄自伝 (ちくま文庫)

田中 清玄,大須賀 瑞夫/筑摩書房

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右翼、国士という印象を遥かに超えた、最大級の「大物」の自伝! 面白いことは間違いありません。

第1章/会津武士と武装共産党
第2章/昭和天皇と玄峰老師
第3章/オットー大公と田岡一雄
第4章/世界の石油と鄧小平
第5章/ハイエク教授と今西錦司教授

下記は、松岡正剛「千夜千冊」より引用。

昭和20年10月、田中清玄は朝日新聞の高野信に頼んで、「週刊朝日」に天皇制護持についての一文を書いた。「諸民族の複合体である日本が大和民族を形成できたのは天皇制があったからだ」という主旨だった。この一文を、元静岡県知事で当時は禁衛府長官になっていた菊池盛登が陛下に見せた。菊池は田中清玄を天皇に会わせたいと思った。『入江日記』によれば、12月21日に田中清玄は生物学御研究所の接見室に招かれ、石渡荘太郎宮内大臣、大金益次郎次官、入江侍従らとともに天皇に会っている。小一時間、清玄は退位なさるべきではないことを懸命に申し上げたという。
このことを聞いた安岡正篤が田中清玄に会いたいと言ってきたらしいが、田中はこれを断っている。田中は安岡や近衛文麿が大嫌いだったのである。 (中略)

〜田中によれば、GHQのアーモンド参謀長に朝鮮戦争を予言したときは、かれらは信じなかったというくらいだったという。田中は朝鮮戦争も、三鷹事件・松川事件も、ソ連の策謀だったという推理なのである。 (中略)

〜田中は島から反スターリン主義の運動思想のこと、自衛隊導入時の対策、次期委員長に函館出身の唐牛健太郎を推したいということなどを聞いていて、この連中を応援しようと思った。反代々木・反モスクワ・反アメリカが気にいった。田中の秘書だった藤本勇が日大空手部のキャプテンだったので、武闘闘争のイロハも伝授したらしい。いったいどれくらい資金提供したのかはわからない。〔機会あるたび、財布をはたいてやっていましたよ。まあいいじゃないですか、それはそれで〕。
こうした田中の動きが気にいらなかったのが、自民党の福田篤泰や右翼の児玉誉士夫だった。 (中略)

〜田中清玄が田岡一雄と仲がよかったのは、事実のようだ。
田岡は政治的なことは田中清玄さんのような人に任せ、自分はヤクザのほうを取り仕切ると決めたらしい。

ここで二人のコンビが成立したようだ。このとき児玉誉士夫が東亜同友会によって全国の右翼と博打打ちを大糾合する計画が動いていて、二人はこれに立ち向かうことになる。すでに右翼の一部とヤクザは麻薬を財源にしていたので、二人はこれを標的に「麻薬追放・国土浄化連盟」をつくり、菅原通済・山岡荘八・ 福田恆存 ・市川房枝を立ててキャンペーンに入った。 (中略)マスコミは「山口組全国制覇のための巧妙なカムフラージュ」と書き立てた。が、田中は反論している。〔これだけ麻薬がはびこったのは、警察とジャーナリズムと、そして政治家の責任だと言いたい。世の中に悪いことをやっているのはごまんとおります。暴力団にも警察官にもおる。しかし一番許せないのは政治家だ。竹下、金丸、小沢と、こういう連中に牛耳られた自民党の国会議員は、いったいどうなんだ〕。 (中略)

〜田中清玄は長らく右翼の大物とみなされてきたが、本書によるかぎりはそういう痕跡は少ない。田中自身は、私が本当に尊敬している右翼は橘孝三郎と三上卓だけだと言う。とくに児玉誉士夫には敵意を剥き出しにする。赤尾敏や野村秋介は相手にしていない。
最も田中に近かったのは四元義隆で、三幸建設を譲っている。 (中略)

〜それにしても田中清玄には意外な人物が内外を問わず親しくかかわった。オットー・フォン・ハプスブルク大公やフリードリッヒ・ハイエクもその一人である。 (中略)ハイエクがノーベル賞を受賞したとき、メインテーブルに招かれたのは日本人は田中清玄だけだった。(中略)そのハイエクと 今西錦司 が出会ったときも、田中は同席していた。今西の棲み分け理論は、田中がこれは政治や社会に適用できるのではないかと考えていた理論だったようだ。(中略)

〜本書は、田中がどのように石油買い付けの裏側で動いていたかということについても、かなり聞きこんでいる。 (中略)日本に油田をもたせないというのが石油メジャーの方針である。
インドネシアとは、すでに岸信介・河野一郎らがスカルノと組んで利権を得ようとしていた。 (中略)

〜田中はこうも言っている、〔日本には政治家はだめだけれど、財界人はいいという考えがあるけれど、これは間違いです。政治家と同じです。甘さ、のぼせ上がり、目先だけの権力欲。それを脱していない〕。
田中が認めた財界人は、池田成彬、松永安左エ門、経済同友会の代表幹事をつとめて新自由主義を唱えた木川田一隆、大原総一郎、土光敏夫くらいなものだったようだ。 (中略)

〜昭和55年(1980)、田中清玄は50年ぶりに中国に行く。鄧小平と話しこんだ。日中友好協会の孫平化会長が「そもそも天皇陛下の訪中を中国側にもちかけたのは田中清玄さんだった」と1992年にあかすまで、この事実は正確なことが伝わっていなかった。 (中略)

〜曰く、児玉誉士夫を最初につかったのは外務省の河相達夫だろうが、それに鳩山一郎・三木武吉・広川弘禅・大野伴睦がくっついたのはどうしようもない。曰く、岸信介がだめになったのは矢次一夫(国策研究会の中心人物で、岸の密使として李承晩と会談した)のような特務機関屋をつかったことだ。

曰く、中曽根康弘とは首相になってから会ったが、中国の胡耀邦と親交を結ばなかったのが落ち度だ。安倍晋三、竹下登、宮沢喜一なんかを総理大臣にしようとしたところも、瀬島龍三や越後正一(伊藤忠会長)を登用したのも、日本をだめにするだけだった。宮沢にはやってやるぞという気迫がない。

曰く、伊東正義には首相の腕を見せてほしかった。後藤田正晴にはとくに魅力を感じないが、応援演説ではアジアに関心があるかぎりは応援すると言った。 (中略)

〜曰く、日本はあと50年アメリカと組んでいくなどと言っている小沢一郎のような考え方と正面から対決していくべきだ。曰く、靖国神社に政治家が大挙して参拝するのはとんでもないことだ。まして天皇陛下の参拝を要請するなんてのは愚の骨頂だ。 (中略)

〜〔政治家なら国になりきる、油屋なら油田になりきる、医者なら バクテリアになりきる 。それが神の境地であり、仏の境地だ〕と。
このとき田中清玄は88歳だった。「今は何に関心がありますか」と問われて、田中は即座に言っている、〔いま最も知りたいことは ビッグバンがこの世に本当に存在したのか どうかということです。もうひとつは 遺伝子工学に関すること です〕と。
__________

【内 容】特高との武装闘争、昭和天皇への直言、米ソ情報機関との暗闘、山口組組長への友情、岸信介・児玉誉士夫一派との死闘、国際石油戦争での活躍、そして今…。 日本でいちばん面白い人生を送った男。


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by yomodalite | 2007-04-06 11:33 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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