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☆註を追記修正しました

(③の続き)

ウィラ:あなたが言うように、彼は自分の芸術を通して、繰り返し私たちに「自分の歴史を作るんだ」と呼びかけていた。そして、自分たちの歴史を知ることの重要性も考えていたのね。この春の記事で、ライシャとジョイエと私が話したように、アルバム『ヒストリー』にも「ヒストリー」という曲にも、歴史に言及した部分がたくさんあるのよね(*1)。そして、「ヒストリー」のプロモーションフィルムにも、歴史に触れた重要な部分があって、特に撮影された場所についてはね。それについては、あなたもかなり調べてると思うんだけど、わかったことを話してもらえるかしら。



エレノア:そうね、このショート・フィルムで証明されたのは、MJがたいていの人よりもはるかに歴史をよく理解していたということ(ずっと言ってることだけど、私にとっては「HIStory」について調べること自体が、歴史の勉強になった)。そして、彼は、歴史から学ばない人々は、過ちをくり返すという考えを強く支持していた。


「ヒストリー・ティーザー」の舞台を、長いソビエト支配が終わった1994年のハンガリー・ブダベストにしたことや、ソ連をイメージさせるような映像を使ったことで、その当時のマイケル・ジャクソンの歴史や、アメリカにおけるアフリカ系アメリカ人の歴史、世界中の抑圧された人々の歴史を、ソ蓮の支配下で、「拷問にかけられ、糾弾され、強制収容所に入れられ、多くの人が死んだ集団農場で強制労働を担わされた」ハンガリーの人々の歴史に結びつけている。


そのつながりが明確なのは、「ヒストリー・ティーザー」で行進している兵士たちが、ソ連の制服を着て、ブダペストの英雄広場(*2)に向かっているということ。その中心には、896年のハンガリー建国を記念して、1896年(ハンガリーがオーストリア・ハンガリー帝国に属していた時代)に建てられた、千年記念碑があるのよね(*3)


意義深いことに、千年記念碑は英雄広場の中心を占めているけど、建築として広場の角に位置しているのは、国立西洋美術館と現代美術館で(*4)、広場には、芸術と英雄という二つのテーマが融合していて、英雄的な芸術というか、英雄としての芸術家は、帝国の遺産として存在しているのよね。



ウィラ:そういうの、いいわよね。「英雄としての芸術家」というのは、新しいタイプのヒーローと言えるわね。そしてこの考え方を視覚的に表現したのが、「ヒストリー」においてそびえ立つマイケル・ジャクソンの彫像ね。


英雄広場は戦場の英雄や、政治の英雄を讃える像がたくさん建てられている場所だけど、「ヒストリー・ティーザー」で私たちは、もうひとつ、他のものをすべてを見下ろす像を目にする。でも、その像は新しいタイプのヒーローの像で、彼は、地図上の境界線を変えようとする軍のリーダーや政治のリーダーではない。私たちの考え方を変え、違う文化や、違う民族の、世界中の人々と共感し合おうと私たちを鼓舞する、パワフルな芸術家。だからこの像は、あなたの言う「ヒーローとしての芸術家」を真に表現したものなのよね。



エレノア:「レッド・オクトーバーの賛歌」をソ蓮の制服を着た兵士たちの映像に重ねて見てみると、その「レッド」と関わりのある2つの「十月革命」が思い浮かぶ。1917年、皇帝が支配するロシア帝国を倒し、ソビエト連邦を権力が移った10月のボリシェヴィキ革命と、第二次世界大戦以後、ハンガリーを支配していたソビエトを打倒しようとして失敗に終わった、1956年のハンガリー革命。この革命は、数十年後に起こるソビエト連邦崩壊の原因にもなった。マイケルは、歴史をふり返ると、ひとつの革命は、多くが次の革命に、そして、そのまた次の革命にもつながっていくと考えていた。それは消えることのないパターンなのよね。



ウィラ:それは興味深い解釈だわ、エレノア。ロシアの十月革命については、「レッド・オクトーバー賛歌」でもふれられている。


Sail on fearlessly

Pride of the northern seas

Hope of the Revolution

You are the burst of faith of the people

In October, in October

We report our victories to you, our Revolution

In October, in October

And to the heritage left by you for us


恐れを知らず海を行け

北の海の誇りを胸に

革命の希望を胸に

君たちは人民の信念をみなぎらせ

十月に、十月に

我らの革命の勝利を君に告げよう

十月に、十月に

君たちは我らの遺産となるだろう



エレノア:新たな軍隊(私たちや、彼のファン?)は、マイケルが、殴ったりしないのに、腕にしていた、あの「バンデージ」(アームカバー?)のように、撃つことの出来ない木製の銃を持ち、旗やプラカードに彩られた英雄広場を行進していく。「握りこぶし」で鼓舞するのではなく、「開いた手」で投げキッスをするマイケルは、新しい時代のヒーローを表していて、彼は、征服~革命~征服という連鎖を終わらせ、すべての人の幸福のために、一緒に働くことができる、そんな人類の新しいイメージを提示することを目標にしている(*5)。ロシア語がわかればいいんだけど、残念ながら私には、旗や制服の腕章になんて書いてあるかわからないのよね。



ウィラ:実は、Google翻訳や、Babefishを使って旗のメッセージを翻訳しようと思ったんだけど、うまくいかなかったわ。(ロシア語として)認識可能な文字でないのかも。それで、私の大学のヨーロッパ言語の専門家である Bjørnに、旗と兵士の腕章のことを訊いてみたんだけど、彼の答えが素晴らしかったの。


兵士の腕章にあるのはキリル文字(ロシアの文字)ではなく、むしろ、ルーン文字に似ている。おそらく、ナチのSSのロゴに発想を得たのだと思う。調べてみたところ、腕章にある文字をルーン文字のアルファベットの中に見つけることはできなかった。このフィルムのために新たに作られたものではないだろうか。三人の兵士のアームバンドもこのパターンのバリエーションだと思う。
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その他の不明の文字は、判読できるともできないとも言いがたい。そういうわけで、兵士たちは、ロシア人かも知れないけど、ドイツ人でも、アメリカ人でもあり得る。はっきりとした印がついていないということだね(*6)


だから、私たちは、兵士をロシア人と決めつけるのではなくて、もっと広範囲にとらえた方がいいのかもね。腕章が「新たに作られた」ということは、そういうことではないかしら。 Arcadio Coslov が先週のコメントに書いていたわね。


軍事パレードはロシア、フランス、ドイツ、中国、そしてアメリカでも開催される。それは、多くの国でミリタリーカルチャーの一部だ。でも、たとえば、パレードに紙吹雪がひらひら降り注いでいるのは、きわめてアメリカ合衆国っぽい。


Arcadioや Bjørnによれば、これらの兵士たちの国籍については、いろいろと混ざっている印だと考えられるのね。マイケル・ジャクソンは、ロシア風の制服とナチ風の腕章、そしてアメリカ風の軍事パレードを合体させて、私たちがこの軍をどう「読み取る」べきか、あえて、わかりにくくしているのよ。考えれば考えるほど、そう思えてくるのよね。腕章に、特定の国を表すような言葉やシンボルをつけるのではなく、「新たに作られた」言葉をつける事によって、兵士たちの国籍は、意識的に曖昧なままにされている、と。



エレノア:これは興味深い事実が満載の記事で読んだんだけど、実は、ハンガリー人は、ソ連の軍隊の制服を誰も着たがらなくて、それで、イギリス人を雇うことになったんですって。



ウィラ:それは、面白いわね!兵士役の人々に、ソ連のユニフォームを着てもらうために、様々な障害があったってこと? 記事の英語訳では、


マイケルは、このショート・フィルムを特別なものにするために、彼の命運を賭け、5百万ドルの私財を投資した。数百人の若いハンガリー人が、ビデオの出演者として働くことを希望したが、彼らは全員平和のメンバーを演じたがった。
第二次世界大戦の始めにヒトラーの軍隊が集結して、凱旋の行進をするシーンを再現するために、ハンガリー人のエキストラたちは、赤軍の兵士のユニフォームを着ることを拒否した。そのため、本当の兵士を雇うために、イギリスの新兵募集のサービスを利用しなくてはならなかった。100人の英国海兵隊と何人かの落下傘兵が集まり、これらの兵士は、1日あたり135ドルをもらい、四つ星ホテルに泊まって、無料の旅行も楽しんだ。兵士を雇うだけで、約150,000ドル以上もかかっていた。


マイケル・ジャクソンは、そういったトラブルや出費を考慮しても、ソ連のユニフォームを着てもらうことが重要だと考えていたにちがいないわね。ということは、私たちにも、彼らをソ連の兵士とみてほしいということでしょう。これは興味深い点ね、エレノア。(「5」に続く)



註)_____________



(*1)「HIStory」の歌に込められた歴史については、この会話が終わったあとの記事で紹介します。


(*2)英雄広場/ハンガリーの首都ブダペストにある広場。


(*3)千年記念碑/英雄広場の中央にある記念碑。イシュトヴァーンへの王冠と大主教十字を持つ聖ガブリエルを戴く円柱の台座には、7部族の長の騎馬像がある。また、その左右の英雄像の中には、建立当初は、ハプスブルク朝の人々の像もあったが、第二次世界大戦後、ハプスブルク朝の像は建て替えられ、現在は、左側に、イシュトヴァーン1世からラヨシュ1世までのハンガリーの国王の像があり、右側には、政治家や将軍たちの像がある。


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(王冠と大主教十字を持つ聖ガブリエル)


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(*4)「千年記念碑」の左右には、ブダペスト西洋美術館と、ブダペスト現代美術館が建っている。


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英雄広場/千年記念碑・聖ガブリエル像(中央右)

国立西洋美術館(左上)、現代美術館(右角)




(*5)原文は、Leading a new kind of army (us, his fans?), whose rifles (arms) are “bandaged” in white (like his arm is bandaged?), marching into Budapest’s Heroes’ Square which is festooned with banners, opening his “not-iron” fist to throw kisses,・・・


bandaged in whiteは、通常は包帯を巻いていることを表すのですが、この文章は、腕(の複数形)と武器が同じarmsという言葉であることから、マイケルが殴り合いをしないのに着けていた「bandage(日本ではアームカバーとも呼ばれていますが)」と、発砲することが出来ない、銃身が木で出来た銃(in whiteには「白木で」という意味がある)を「同じ意味」にとらえ、また、戦いを鼓舞する「こぶし(fist)」や、「鉄拳ではなく(not-iron)」、「(手を開いた)投げキッス」という対比を文章にしているのだと思います。


さらに、会話では触れていませんが、ライフルドリルをしている兵士達の左腕に施された白いアームバンドは、よく見ると包帯をぐるぐる巻いたもののように見えます(そのせいで、通常は腕章部分に縫い付けられるバッジが腕から浮いている)。



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兵士の腕も武力を行使するためにあるのではない、あるいは兵士の腕も傷ついているということが連想されるのですが、いずれにしても、銃やマイケルの腕が戦いのためのものではない、ということとつながっているのではないでしょうか。つまり、2:00~2:10のこの場面には、すべてのarm(s)が包帯で巻かれているという、重層的な意味が込められているようです。


映像の2分過ぎに、ライフル・ドリルと呼ばれる動作がでてくるのですが、兵士が回しているライフルは木製で、金属で出来た銃身部分がなく、武器にはならないものです。



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マイケルの「bandage」



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格闘家の「bandage」



(*6)文字に関しては、以前「マイケルとチャップリンのエスペラント(2)」でも言及しましたが、その後さらに調べた結果も、これと同じ結果でした。




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by yomodalite | 2015-12-26 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

「Part 3」を訳し終えて

ウィラとエレノアの会話の途中ですが、この記事の翻訳を手伝っていただいたchildspiritsさんからメッセージをいただきました。

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yomodaliteさんから、この記事の話を聞いたのは、かなり前だったような気がします。訳そうと思いながらずっと手をつけられないでいたのは、怠け癖のせいもあるのですが、いったん手をつけてしまうとエラいことになりそうな気がしたからです。実際、エラいことになりました。

なにせ対談が長い!ということもあるのですが、そこに出てくる映画、歴史、思想に関する知識のバックグラウンドが自分に欠けていることを痛感させられまくりで、参りました。なにしろ、撮影の舞台がブカレストの英雄広場であることも、それがどんなところかさえ知らなかったのですから。ひとつの言葉、一行の表現に、延々と悩んだり、調べたりすることの連続。けれど、それを繰り返しながらでも、パート3まで連続して訳して、本当に良かったと思います。連続して訳さなければ、わからなかったことがありましたから。

パート1,2で、『意志の勝利』や『独裁者』と「ヒストリー・ティーザー」の関わり、その引用の仕方が論じられている時点では、映像の歴史の中で特別な位置を占めるこれらの作品について、自分は実は何も知らなかったということを認識させられましたし、MJの知識や教養の広さと深さに改めて感心していました。この対談でエレノアが言ってるように「彼はどうやってこんなに勉強したの?」という感じです。ただ彼を見上げている感じ。

でもパート3を読み終えた今私が感じているのは、自分にとって、「彼はどうしてこんなに優れた教師なんだろう?」ということです。それはMJをただ見上げるだけではなく、彼が与える課題を自分はどう考えるか、という相互作用的な関係です。

パート3には、「ヒストリー・ティーザー」に引用されている作品が新たに三本論じられていていますが、ここまで来て私はやっと、MJがヒストリーでいろいろな作品を引用していることの意味が納得できたような気がします。知識の披瀝などではもちろんなく、単なるオマージュでもなく、そこに浮かび上がってくるのは、人や物事を見る目の多様性、つまり「歴史」を見る目の多様性というメッセージでした。

そして、歴史を一つの切り口ではなく、多様な観点で見るためには、どんな相手も理解しようとする共感力が必要だということ。MJというと、「その人のモカシンを履いて二つの月を歩いてみるまでは人を判断してはならない」という言葉がファンの間で引き合いに出されますが、「ヒストリー・ティーザー」は、意外なことに、その精神をもっとも強く伝えているショート・フィルムではないかと、今では思います。

先に、「連続して訳して」良かったと書きました。「ヒストリー・ティーザー」という作品について、上に述べたような自分なりの納得や感動に至ったのは、訳しながら読んだからだと思います。

もし英語で読んでいたら、本当はよくわかっていない部分でも「そうなんだとか「そういうもんか」と読み飛ばしてしまい、対談者たちの考えはだいたい解った、という地点にとどまったでしょう。でも、訳すという作業は、そこに出てくる物事についての理解が曖昧だと日本語が作れないので、yomodaliteさんとともにずいぶんと調べものをすることになりました。

Aという事柄を調べれば、芋づる式にBもCもということになり、時間もかかりましたが、いままで他ではしなかったような勉強ができましたし、二人であぁだこうだと議論を進めながらやることで(ウィラとエレノアが語りあうことで作品への理解を深めていったように)、以前には考えたこともなかったような見方にたどり着くことが出来ました。それはとてもわくわくする体験です。
なぜならMJが「ヒストリー・ティーザー」に込めた思いが、2015年の冬の日本に生きている私たちにも、身にしみて伝わってくるような気がしてくるからです。

対談に出てくる通り、「ヒストリー・ティーザー」は「怖くて不気味な感じで、誇大妄想の産物のように見える」作品です。それは、MJに批判的な人たちだけでなく、多くのファンにとっても、もちろん私にとってもそうでした。でも、この作品が一見してメッセージのわかりやすい作品だったら、ウィラやエレノアがこんなに議論することはなく、私たちも考えたり学んだりさせてもらえなかったし、そこにあるメッセージは頭の中にちょっととどまって去っていったかもしれません。

製作から20年経っても私たちが「歴史をどう見るか」ではなく、「歴史ってなんだろう」みたいなことを考えられるよう、MJがたった3分弱のなかに凝らした無数の仕掛け。私たちがあぁだこうだと言ってるのを見て、MJが「やっとわかった?でもまだまだ」と笑っているような気がします。ほんとにすごい教師です。

(childspirits)



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by yomodalite | 2015-12-25 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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ウィラ:それは本当に重要なポイントね。それでもうひとつ、そういった繋がりを思い出したんだけど、『ターミネーター2』と『レッド・オクトーバーを追え』と「ヒストリー・ティーザー」、実は『独裁者』もそうなんだけど、これらはすべて、新しいタイプのヒーローを中心にした作品だということ。『ターミネーター2』のヒーローはジョン・コナーでもサラ・コナーでもない。二人とも勇敢だけど、ヒーローはターミネーターという、人の命を守るためにプログラムし直された、暗殺サイボーグなのよ。型にはまらないヒーロー像について話をしなくてはね!


ある意味では、『レッド・オクトーバーを追え』はより型破りと言えるわよね。そこには二人のヒーローがいる。ソ連の原子力潜水艦の艦長とCIAのアメリカ海軍分析官。艦長は亡命し、新しいテクノロジーを西側と共有するのを望んでいるんだけど、ソ連首脳部はこれに気づき、敵の手に渡すくらいなら彼の潜水艦を沈めてしまえと、海軍に命令を出す。そして合衆国上層部に、艦長はならず者で危険人物だと伝え、アメリカ軍に潜水艦を攻撃するように要請する。これはたいていのアメリカ人なら喜んでやりそうな任務よね。



エレノア:「ならず者で危険人物」というのは「武装した危険人物」と似てるわよね! 『ターミネーター2』でサラとジョンとターミネーターが、コンピューター会社を爆破することで、スカイネットを破壊し、迫り来る核のホロコーストを未然に防ぐシーンを思い出したわ。警察は、彼らが「武装した危険人物」だと警戒する。でも、どちらかと言えば、完全武装して、ターミネーターを破壊しに行っている警察の方が危険なのよ。『レッド・オクトーバーを追え』のプロットでもそうだけど、もし「善(アメリカ軍とか警察)」が「悪(ロシアの潜水艦艦長とかターミネーター)」を殺していたら、それで終わりよね。だから、マイケル・ジャクソンが言っているのは、「彼らは僕を指さして、怖がったり、危険人物だと言っている。僕はただ地球を癒やして、僕たちが生き方を変えなければやって来てしまう悲惨な結果を、避けようとしているだけなのに」ということ。



ウィラ:たしかに。どちらの作品も、「善」と「悪」に対する従来の考え方に、大きく挑戦しているわよね。両方とも、従来の「悪」が最終的にはヒーローになる。


さらに通常と違うのは、『レッド・オクトーバーを追え』という映画では、まったく違った境遇の人の身になって考えてみることや、想像力を働かせて世界を見ることで、最終的に他者への共感がおこること。通常のアクション・アドベンチャー映画では、他者への共感に重きが置かれることはない。でも『レッド・オクトーバーを追え』では、それが物語の核になっている。CIAの分析官は、艦長のことを調べ、一度顔を合わせてもいて、彼を理解し、彼が何を大事にしているかも理解している。もっと重要なのは、分析官は人の身になって考える性格で、自分を艦長の立場に置き、艦長がどのような動機で、何をしようとしているかを理解する。このずば抜けた共感力で、彼は艦長の行動に対して、他の人たちとはまったく違う解釈をする。攻撃しようとしているのではなく、援助しようとしているのだと。



エレノア:サラとジョンがターミネーターを理解したこと。そして、マイケル・ジャクソンのファンがMJを理解し、今も理解しようとしているのと同じね。



ウィラ:確かにそうね。マイケル・ジャクソンのファンたちは、彼のことを、一般的な人たちとは非常に違った目で見ている。なぜなら、私たちは、彼に共感し、彼の視線でものを見るから。それはいい点よね。


とにかく、『レッド・オクトーバーを追え』では、非常に異なる文化圏のまったく違う二人の男が、両方とも、従来の常識や指導者たちを否定する。心情の違いを大きく飛び越えて、大西洋の中立地域で会い、相互理解に至る。だから、彼らをヒーローにしたのは、戦いにおいての行動ではなく、むしろ共感して、理解することや、自分とまったく異なる誰かを信用する勇気と、戦争を避ける知恵なのよね。それはまさに、チャーリー・チャップリンが『独裁者』の最後、パワフルで感動的な演説で訴えていたこと。そしてもちろん『独裁者』も、通常とは違うヒーローを登場させた映画よね。自分の意志に反して世の注目を浴びる場所に押し出されてしまった、シャイで心優しい床屋が、その立場を使ってファシズムを批判し、戦争を避けようとするのだから。


そう考えると、他者への感情移入は、私たちが「ヒストリー・ティーザー」を理解する際にも深く影響があったと言えるわね。 この作品は、一見すると怖くて不気味な感じで、誇大妄想の産物のように見える。「ポップシンガーが、かつてないほど厚顔無恥に、空虚な栄光に彩られた自己神格化を大真面目にやった例」だと、ダイアン・ソーヤーが批評家の言葉を借りて言ったようにね。でも、「ヒストリー・ティーザー」が作られた前年の1993年に彼に起こったことや、彼がキャリアを通して成し遂げようとしたことを、マイケル・ジャクソンの側に立って考え、この作品が創られているときから続いていることを、細部まで注意深く観察して見てみれば、私たちも、冒頭のエスペラント語の意味や、その後のロシア語の歌詞の意味、『独裁者』や『意志の勝利』やその他の映画が反映されていることに気づいて、『レッド・オクトーバーを追え』のCIA分析官と同じように、違った解釈が出来るようになる。



エレノア:まったくその通り。マイケル・ジャクソンについてあらゆることを学んで、何が彼を動かしていたかについて、私が確信しているのは、彼は、私たち人間が、自分たちを救うために必要な変化を成し遂げる能力を持っていると信じていたということね。争い合い、地球から文化を奪い取るというパターンに、救いようがないほど囚われているわけではない、と。


『ターミネーター2』でジョン・コナーと母親とターミネーターは、これ以上存在し続ければホロコーストを引き起こすことになるコンピューター・テクノロジーを破壊するんだけど、その直前、ジョンはこう言うのよ。「未来は書かれていない。運命なんてものはない。それは、私たち自身で作るものだ」 これは、もちろんマイケル・ジャクソンが「ヒストリー」という曲に込めたメッセージよね。



Every day create your history

Every path you take you’re leaving your legacy ….

All nations sing

Let’s harmonize all around the world


毎日、あなたの歴史が創られる

どんな道に進んでも、人は何かを残していく

すべての国々が歌う

そのハーモニーを世界中に響かせよう



どの歌でも、マイケル・ジャクソンは、世界のハーモニーを導く変化、というテーマに戻っていく。彼は人間は自分自身を変え、自分たちの歴史を作り、過去で未来を縛ることを拒否する力を持っている、と信じていた。



ウィラ:そうね。この考え方は、彼の生き方や仕事を貫くものだった。たぶん80年代前半に書かれたと思うんだけど、「Much Too Soon」でも、彼はこんな風に言っている。



I hope to make a change now for the better

Never letting fate control my soul


さあ、より良い方向へ変わろう

決して運命に魂を左右されずに



そして、死の前日か前々日に撮られたThis Is Itの「Earth Song」の場面でも、彼はこう言ってる。



The time has come. This is it. People are always saying, “They’ll take care of it. The government’ll … Don’t worry, they’ll …” They who? It starts with us. It’s us, or else it’ll never be done.


時は来てる。今しかないんだ。みんないつも言うよね。「誰かがやってくれる。政府がやってくれる。心配しなくても、誰かが…」って。誰か、って誰? 自分から始めなきゃ。自分から。じゃなきゃ、なにも始まらないんだ。


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(DVDでは、1:28:44〜)


人生の最後の瞬間までずっと、彼は、私たちの運命は私たちの手にあるんだ、自分で歴史を作るんだ、そして「世界を癒やそう」、とみんなを励まし続けていたのよね。



エレノア:彼は音楽をその変化をもたらすための手段だと考えていたのよね。私たちの感情に訴える力があるんだと。実を言うとね、ウィラ、人間の性質や私たちの選択を変えることも、私たちが新たな道に向かうという望みも、マイケル・ジャクソンと彼の音楽の力に対する強い信頼がなければ、私はいまごろすべての望みを失っていたかも知れない。


私は、マイケル・ジャクソン自身が、新しいタイプの人間像を体現していたと思うのね。完全なる人間の形、戦争ではなく、平和を呼びかける新しい種類のヒーローを。あの彫像と、作り変えられたサイボーグを結びつけることで、「ヒストリー・ティーザー」は、マイケル・ジャクソンこそが革命だと言っている。でも、それは心の内にあるもので、思考や感性、特に、感性に革命を起こすことで、武力行動ではない。そして、彼は、私たちの心に触れ、共感力を養うために、あなたが変化をもたらすための手段だという芸術の力を深く信じていた。(④に続く)






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by yomodalite | 2015-12-23 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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(①の続き)

エレノア:そのあと「ヒストリー・ティーザー」では、歴史と映画作品の両方が引用されていて、画面と音の関係は、私たちが何を見ているかを音が解説してくれるようになっている。非言語的で、時に遠回しに説明するような。たとえば、私たちが最初に目にするのは、トゥルルの像(→Part 2)なんだけど、これはハンガリーの「国鳥」であり、ハンガリーの国家主義を象徴している。そして、エスペラント語の言葉の後に聞くのは、軍靴の音。



ウィラ:それらはなにか不穏な空気を表現しているのよね。ヘリコプターの音のような・・さっきあなたが言っていたように『地獄の黙示録』のオープニングの音ね?



エレノア:そう。一連のオープニングシーンは、マイケル・ジャクソンの歴史を、帝国支配の歴史を象徴するようなハンガリーの歴史の中に組み込んでいる。そして、エスペラント語の直後に軍靴の音があることで、マイケル・ジャクソンの物語と、彼の世界観は、情景と音の対比と、平和と戦争を並列させることで、語られる。



ウィラ:すごく興味深いわ、エレノア。「情景と音」がかみ合っていないように見えるのは確かよね。Bjørn Bojesen が去年の記事で私たちのために翻訳してくれたけど、男性は、エスペラント語で「世界共通の母と、愛と、音楽の癒やしの力」について叫んでいるけど、目に映るのは軍国主義的な、恐い映像よね。だから、叫ばれているエスペラント語の意味がわかると、あなたの言う「平和と戦争の並列」が強烈にわかるわね。



エレノア:そうね。次に、労働者たちが巨大な像のようなものを建設している場面では、溶けた金属のシャーッというような音や、ハンマーを打つ音、工場内の音が聞く者をおびやかすように大きく流れていて、『ターミネーター2』で、サイボーグが組み立て直され、新たなミッションをプログラムされている場面を思い起こさせる。



ウィラ:確かに、その場面では、『ターミネーター2』の対決場面でかかる工場の音のような音楽が、しつこく繰り返し流れている。このクリップでわかると思うけれど。(最初の動画が削除されたので、代用動画です)






0:35から0:50のところが特にわかりやすいわね。「ヒストリー・ティーザー」の0:15から0:40でも、まったく同じような、うなるような工場音がくり返し流れている。






エレノア: そして、そういった情景と音が赤いユニフォームを着た軍隊のイメージに重なっていき、「ヒストリー・ティーザー」のサウンドトラックは、「レッドオクトーバーの賛歌」という『レッドオクトーバーを追え』の音楽に変化して、それは、その映画だけでなく、ソ連と冷戦の脅威との関連をも思い出させる。



ウィラ: そうね。この引用はとても大事だと思う。ここに、「レッド・オクトーバーの賛歌」の、ロシア語と英語の歌詞がついたリンクを張るわね。この歌詞を読むと、家から遠く離れて何ヶ月も過ごす、兵士や戦艦乗組員の気持ちになるわね。「ヒストリー」で流れるロシア語の部分の訳はこんな感じ(この動画は削除されたので動画には歌詞はありません)。







Cold, hard, empty

Light that has left me

How could I know that you would die?

Farewell again, our dear land

So hard for us to imagine it is real and not a dream

Motherland, native home

Farewell, our Motherland


寒く、つらく、虚しい

光は私を置き去りにした

君が死んでしまうなんて、どうして私にわかるだろう?

今また旅立つ、懐かしき我らの国

これが現実で、夢ではないなんて

想像することもできない

母国、わが故郷

さらば、我らの祖国よ



最初の部分は、艦長の境遇を語っている。彼の妻は前回の任務中に自殺してしまった(君が死んでしまうなんて、どうして私にわかるだろう?)。彼は妻といるべき時間を海で過ごしてしまったのね。「私は結婚したその日から、妻を未亡人にしてしまった」そして、彼は大きな葛藤を感じながら、再び海に赴くのよ。


でもそのあと、人称代名詞は「私」から「我ら」に変わり、続く歌詞は、故郷から離れて何ヶ月も過ごす兵士たちや乗組員たちみんなの感情を表しているように見える(今また旅立つ、懐かしき我らの国/これが現実で、夢ではないなんて、想像することもできない)。つまり、前回の記事で話したように、マイケル・ジャクソンは(先駆者であるチャーリー・チャップリンのように)根本的には戦争や帝国主義に批判的なんだけど、上からの命令を遂行している兵士や戦艦乗組員をけなしたりはしない。そうではなくて、彼らの置かれた複雑な状況を理解し、彼らに心を寄せているのよ。この部分の歌詞でそれがよくわかる。



エレノア: 歌詞を見つけてくれてありがとう、ウィラ。いまのあなたの解釈には100パーセント同意するわ。



ウィラ: この曲は40秒くらいのところから、「ヒストリー・ティーザー」の前半部分ずっと流れるんだけど、『ターミネーター2』の音楽を引き継ぐ形で「レッド・オクトーバーの賛歌」が入ってくるのよね。


そしてあなたが言ったように、エレノア、ここも「情景と音」がかみ合っていない例よね。と言うか、音が情景を攪乱しているところがある。表面的には、兵士たちが誇らしげに英雄広場に行進しているけれど、ロシア語の歌詞は、兵士たちが感じているかも知れない、嘆かわしさや、人間的でもっと微妙な感情を伝えているのよね。


ところで、この曲はベイジル・ポールドゥリスの作曲なんだけど、この人は『フリー・ウィリー』の最初の2作のサウンドトラックも書いているのよね。そしてもちろん、マイケル・ジャクソンもこの2作に関わっている。彼が作曲して歌った「Will You Be There」は第一作のテーマソングだし、「Childhood」も二作目に使われている。第一作は1993年、二作目は1995年に公開されていて、これはちょうどアルバム『ヒストリー』を作っていた頃なのよね。だから、1990年代の中頃、マイケル・ジャクソンとベイジル・ポールドゥリスには多くの接点があったのではないかしら。



エレノア:それは知らなかった。興味深いわね。



ウィラ:でしょう? それで、『ターミネーター2』についてあなたが言っていたことに戻るけど、予告編を調べてみたら、いくつかのバージョンがあることがわかった。実際、ディレクターズカット版DVDには8種類の予告編が入っているの。大々的に宣伝された映画だったものね!でも、これは初期のバージョンで、「ヒストリー」にもっとも近いものではないかしら。あなたが言ってるのは、これよね、エレノア?(こちらの動画も削除されたので、感じがわかるものを貼ってます)







エレノア: そう、それよ。1:03くらいから、ターミネーターが組み立て直されるシーンが始まる。ターミネーターは、アーノルド・シュワルツェネッガーが演じていて、彼が第1作目の『ターミネーター』で初めて言った「アイル・ビー・バック」という言葉は、彼のトレードマークになった。その映画で彼は、あらゆるものを投げつけられるんだけど、『ターミネーター2』の予告編で、生き残った彼はもう一度戦うために、帰ってくる。


これが、「ヒストリー」を作っている時のマイケル・ジャクソンの心情の手がかりでないとは思えないわよね!『ターミネーター2』は、マイケル・ジャクソンへのバッシングがエスカレートしていく直前の1991年公開だけど、映画本体と同じく予告編も、MJの物語を語る助けになる。『ターミネーター2』の要素を「ヒストリー・ティーザー」に入れることで、激しい怒りに燃えていたマイケル・ジャクソンは、誰にも自分を引きずり下ろせない、と宣言していた。マイケル・ジャクソンは、華々しく復活していたのよ。



ウィラ:面白いわ、エレノア! つまり、彼はターミネーターのように、「アイル・ビー・バック」と言ってたわけね。



エレノア:そう。そして『ターミネーター2』とマイケル・ジャクソンと彼の物語には、他にもすごく興味深い関連がある。たとえば、ナレーターは言う。「かつて彼は未来を破壊するようにプログラムされていた。しかし今、彼の使命は未来を守ること。彼の忠誠はひとりの子供に…」そしてターミネーターを演じるアーノルドは言う。「おれを信じろ(Trust me)」。これも彼を有名にしたフレーズね。MJがこの予告編を参考にしたのは不思議ではないわ。この映画の未来と子供を守るということ、それは、あのときの彼の人生そのものだもの。彼には、児童虐待の疑惑に面と向かって罵倒し返すような方法はなかった。そして、疑惑をかけられたことによって、信用(trust)という言葉は、彼にとって大きな課題となった。



ウィラ:確かに、そういう見方をすると、つまりターミネーターは脅威のように見えて実は「未来と子供を守っている」それは、マイケル・ジャクソンがこの映画を引用した大きな意味よね。そして、「おれを信じろ」というセリフも、私たちが以前に話した問題を思い起こさせるわ。誰かを信用するとか(サイボーグや、ソ連の潜水艦艦長や、姿を変え続けるポップスター)、誰が世界を脅かしているとか、私たちにわかるのか?という問題。



エレノア: そうね。そしてここで話しているようなつながりから言えば、MJは高らかに宣言している。「もちろん、僕を信じていい、僕の音楽を信じていい」と。「本心でなければ歌わない」(訳者註:ヒストリーという曲のイントロ部分)と言っているわよね。彼の曲の力というのは、彼の生の感情が吐露されていることにあり、自身の奥深いところから湧き上がってくる真実を音楽で表現し、私たちの奥深いところに訴えかける、彼の飛び抜けた能力にある。その真実は、ある人にとっては解放であり、ある人にとっては脅威になる。だから、主流派は、その名前を貶め、力を奪うために、彼に「あらゆるものを投げつけた」のよ。



ウィラ:さらに興味深いのは、その予告編のなかで、金属を溶かして、ターミネーターの骨格を作っているシーンよね。それは、「ヒストリー・ティーザー」で、溶かした金属を流し込んで巨大な像とエスペラントの星を作っているシーンとすごく似ているんじゃないかしら。



エレノア:そうね。ターミネーターを作り直している場面を元にしたといっていいんじゃない?ターミネーターは人類を救うために戻ってくる(人類自身から守るため。人間を破壊するスカイネットや手下のサイボーグたちを生み出したのは人間だから)。そしてマイケルが、彼のキャリアでもっとも政治的なアルバム『ヒストリー』発表と共にアーティストとして戻ってきたのも、このひどく狂った世界を癒やすために全力を尽くしていることや、私たちを私たち自身から救い出す、という彼の意図を強調し再確認するものだった。


それに、MJとロボットが結びついているというのも興味深いわよね。彼のロボットダンスは有名だから。チェコの劇作家が作ったロボットという言葉は、チェコ語の「robotnik(ロボトニク)」からきているんだけど、robotnikは、強制労働を意味する言葉で、奴隷を表す古いスラブ語から派生し、かつてのオーストリア=ハンガリー帝国では(「ヒストリー・ティーザー」はハンガリーで撮影されている)、19世紀後半、裕福な地主層に対して反乱を起こした小作人たちを言うのに使われていたって、知ってた? すごくない?



ウィラ:全然知らなかったわ。



エレノア:実は、私も知らなかった。ひとつの言葉に、これほど多くの歴史が含まれているなんて!でも、私が調べた経験から言えば、MJはこういったことをすべて知っていたと思う。「ヒストリー・ティーザー」は、MJや、彼の彫像とロボットを結びつけ、アフリカ系アメリカ人が奴隷であったことと、オーストラリア=ハンガリー帝国における小作人たちの強制労働を結びつけ、同時に、ロボットのような存在から自由の身へと変化するという考え方にも触れているのよね。


「ヒストリー・ティーザー」に『ターミネーター2』を反映させたのは、マイケル・ジャクソンが戻ってきたということを私たちに告げるため。そして、ターミネーターが「おれを信じろ」と言ったのと同じように、私たちに、「彼らが語る物語」ではなく、実際に起こったことに対するMJの解釈を信じろ。と言っている。


それだけではなくて、『ターミネーター2』に言及することは、私たち自身について語ることでもある。それは、人類は絶え間なく戦争をくり返し、自己破壊のループに陥っているとしても、我々は変わることが出来る、真の変化は可能なのだ、ということ。『ターミネーター2』の最後で「もし機械や、ターミネーターに、人の命の大切さを学ぶことが出来るなら、たぶん私たちにも出来るでしょう」と、サラ・コナーが言っているようにね。(③に続く)





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by yomodalite | 2015-12-22 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

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新年まであと十日余り、慌ただしさも増してきた今日この頃ではありますが、ついに、「HIStory Teaser」の会話の最終編です。


時節柄、相応しい話題ではないのかもしれませんが、今日からお正月にかけて、会話終了後の補足記事も含め、HIStory関連の記事を随時アップしていきたいと思いますので、気が向いたときに、ご覧になってください。


意外にも『Michael Jackson Tapes』と『Honoring the Child Spirit』の2冊合わせたよりも、悩んだ箇所がたくさんあって、childspiritsさんと私は、今年中にこれを紹介することができて、「自分で自分のことを褒めてあげたい」ような気分も味わいましたが、これまで気がつかなかったこともたくさん見えてきて、マイケルがどれほど多くの歴史を意識していたかについて、愕然としたことも一度や二度ではありませんでした。


今回は、『意志の勝利』や『独裁者』という、このショートフィルムの前面に現れている映画ではないので、その引用は瑣末なものだと思われるかもしれませんが、それらは、いわゆる「オマージュ」とは違って、まさに「歴史」を意識したものです。


何かを説明するとき、そこに物語がないと、私たちはなかなか理解することができないものですが、物語というのは、意味のある断片が、いくつか組み合わさって、おのずと出来上がってくるものではなく、物語をつくるために、必要な断片を、組み合わせて、意味をつくるものです。歴史は、勝者が創ると言われていることもそれと同じことですが、事実から報道をつくるときも、ブロガーも、方向性を決めなければ、文章を書くことはできないものです。


ウィラが自分のブログを会話という形にしているのは、ひとりで書く形式では、マイケルを利用して、自説を語ることにしかならないということを、よくわかっているからだと思います。エレノアも、このフィルムを説明するための筋を作ることを避け、ひたすら読み取ることに専念しています。それで、私はこれをすべて紹介したいと思ったんですね。(前回の補足記事で、少し先走ってしまって、今回の会話と一部カブっている部分もありますが・・)


マイケルがこのフィルムに膨大な引用をしている意味はなんなのか? それは、彼が、どういった歴史をピックアップしたかを知ることから、ようやく始まるのではないでしょうか。


これが、『HIStory』ともう一度出会うきっかけになってもらえたら、と願いつつ。。



☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2015-12-21 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

(1)の続き


ヒストリー・ティーザーのエスペラント語は、オープニングで男が叫んでいる、







“Diversaj nacioj de la mondo konstruas ĉi tiun skulptaĵon en la nomo de tutmonda patrineco kaj amo kaj la kuraca forto de muziko”


“Different nations of the world build this sculpture in the name of global motherhood and love and the healing power of music.“


「さまざまな国が、世界共通の母と、愛と、音楽の癒やしの力の名のもとに、この像を建てよう!」


と、そのあと溶鉱炉のようなところで、


“Venu ĉi tien!”

Come over here!


こっちへ来い!


という音声の二カ所のみで、


『独裁者』と違って、エスペラント語が文字として登場するところはありません。



このフィルムに登場する文字を見てみると、



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これは、ロシア語っぽくて、私はロシア語なんてチンプンカンプンなんですが、でも、少し違っているというか・・・ロシア語に使われているキリル文字の「З」「Ж」「Є」「У」を、ちょっぴり変えて造ったんじゃないかなぁ・・・

一番上部に並んでいる4文字も、「И」「Ф」「Я」までは、ロシア文字ですが、一番右側の三角みたいなのは、「Д」ではないような・・ロシア語だけじゃなく、おそらく非スラブ系文字で探しても少し違うんじゃないでしょうか? 

https://ja.wikipedia.org/wiki/キリル文字一覧

でも、、「Д」は「デルタ」だから、やっぱり文字デザインとして「△」もアリ??・・(ロシア語だとして、英語変換すると「IFAD」?)

なんてことを思っていたら、同時進行で調べていたティーザーの音楽に『レッド・オクトーバーを追え』のサントラが使われていることが判明!(kumaさん、moulinさんありがとーーー!!!!)

ちなみに、この曲の前にかかっている音楽については、「ターミネーター2」を加工してあるとか、後半は「レッドオクトーバー」と同じ作曲者の「Honor and Glory (1996 Olympic Games)」じゃないかとか、いや、1996年って『HIStory』よりも前じゃん・・などの話があったものの、結局、この前後の音楽は、MJの音楽チームが適当に創ったのではないか・・という感じになってきているんですけど、どなたか、わかる方はおられますか?(ブラッドさんは何か言ってないのかな・・)






この曲は、Hymn To Red October(レッドオクトーバーの賛歌)という題名なんですね。


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じゃあ、やっぱりロシア語だったのかな?と思いつつ、『レッド・オクトーバーを追え』の「Wikipedia」を見てみたら、

映画の冒頭では「КРАСНЫЙ ОКТIАВR」と赤い文字で表記される(一見ロシア語かと思うが、いわゆる偽キリル文字表記の一種)。

と書かれていて、


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こちらは、ティーザーと違って、私にはまったく「偽」っぽく見えなかったんですけど・・REDは「КРАСНЫЙ」だけど、Octoberは「октября」だったんですね。いずれにしても、ティーザーの文字がロシア語なのかどうかは、よくわかりませんが、

ソヴィエトの「十月革命」を指すレッド・オクトーバーは、“革命” という意味を感じさせますよね。

ベルリンの壁が壊れ、ソヴィエト連邦が崩壊したのは、ヒストリー発売の4年前(1989年)ですが、同じ年、撮影が行われたハンガリーでも、MJが、社会主義崩壊後にいち早く公演を行ったルーマニアや、自分の家として国宝のような城を買おうとしていたり、「ジャクソン・ランド」を建設する計画もあったポーランドでも(→参考記事)、東ヨーロッパ諸国の共産主義国家が次々に崩壊しました。「ヒストリー・ティーザー」の社会主義的な雰囲気からは、そういった国々に新たな光をもたらそうとしていた、MJの意志が感じられます。



また、その他の文字に目を向けてみると、


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(兵士たちは上部の星がないデザインではあるものの
MJと同じバッジ)



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(袖の部分もMJのバッジと同じ文字?)



よくはわからないものの、これらは、現在の主要な言語よりも古い、文字の根元を思わせるような、架空の文字ではないでしょうか。。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ルーン文字
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘブライ文字
https://ja.wikipedia.org/wiki/古ヘブライ文字


そして、この隊を率いているMJは、エスペラント語を話す溶鉱炉にいた男たちが造っていた「丸の中に星」のバッジをつけてはいるものの、

彫像とは異なるデザインになっていて、使われている文字も違います。


ちなみに、MJの逆側の腕のバッジはデザインが違っていて文字はなく、「777」のみです。


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では、

この隊を率いているMJは、彫像の男ではないのでしょうか?

というか、

エスペラント語で、「あらゆる国に共通した母と愛と音楽の力の名のもとに、この像を建てよう!」って言ってた像に、どうしてエスペラント語ではなく、英語で「POLICE」って入っているんでしょうね?(笑)

全然「エスペラントの星」じゃないじゃないですか(笑)

あの蒸せ返るような溶鉱炉で作業していた、エスペラント語を話す男たちも、出来上がった像を見て、( ゚д゚)ポカーン て感じでw、「話が違う!」と、MJに文句を言っても不思議でないような・・

隊を率いているMJが「POLICE」で、彫像とバッジを逆にした方が、しっくりくるような気がするんですけどねぇ・・

まだ、Part 3もあることですし、とりあえずこの疑問は、保留にしておきますが、

このティーザーの中で、架空ではない文字は「KING OF POP」などのプラカード以外に、もうひとつあるんですよね。

それは、MJのブーツの前面にはっきりと入っている

「DOMINICAN」という文字。


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えっーーー、ドミニカ共和国・・・せめてハイチにしてくれないかな(なんでw)とか、一瞬、頭が混乱したんですが、これは、おそらく、

「最近、リサ・マリーと結婚したんだよね、ドミニカ共和国で

という、MJの人生の1ページというか、歩みwを記念したものではないかと。

それは、確かに「HIStory」ですからね(笑)

そんなところで「Part 2」の補足もこれで終了(ふぅーーー)





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by yomodalite | 2015-10-30 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(4)
これは、HIStory Teaser, Part 2「独裁者」の内容への私の補足です。

エスペラント語に関する記事で、MJはなぜ、あの映像作品のオープニングで、作品のテーマを紹介するために、殆どの人が知らないような言葉を使ったのだろうという疑問が持ち上がったわよね(チャプリンが『独裁者』でエスペラント語を使ったことにも同じ問いができる)。(→ ③)

この問いについて、チャップリンの場合を先に考えてみたいんですが、

『独裁者』でエスペラント語が使われているシーンは、


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例えば、このナチを思わせる兵士たちの後ろにある看板には「TABAKBUTIKV」と大きく書かれていますが、その下左「CIGAROJ(葉巻)」や、下右「CIGAREDOJ(煙草)」がエスペラント語で、TABAKBUTIKV(Y)は、エスペラント語では変換できないのですが、TABAKは、ドイツ語その他の言語で「煙草」という意味のようです。


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こちらの写真の看板は、vestajoj = clothing(服)、malnovaj = old(古)「古着屋」と、D]olcj fresaj legomaj = Sweet fresh vegetables(甘くて新鮮な野菜)「八百屋」のようで、これ以外にもいくつかエスペラント語の看板が見られます。



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『独裁者』では、ナチスと思われる兵士や国は架空のものですが、チャップリンが演じている床屋はユダヤ人で、この場所は、ユダヤ人居留地(ゲットー)と思われますが、当時、ヨーロッパ各地にあったゲットーでは、通常、その国の言葉とイディッシュ語や、ヘブライ語が使われていて、看板に「エスペラント語」が普通に使われている場所があったのか、少し調べてみたんですが、そういった場所は見当たらず、


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(ゲットーのポーランド語とヘブライ語の看板)



私の最初の想像では、

ザメンホフの祖国ポーランドで、ナチが造った最大のゲットー、ワルシャワ・ゲットー(「ザメンホフ通り」と呼ばれる通りもあった)を象徴するために、街の看板にエスペラント語を潜ませたのではないかと思ったのですが、ザメンホフ通りにエスペラント語の看板があったかどうかについてもわかりませんでした。


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(ゲットーのポーランド語とヘブライ語の看板)


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(1940年10月のワルシャワ・ゲットーでは、
標識にドイツ語とポーランド語が書かれている)




最後のスピーチ部分や、ハンナに希望のメッセージを送っている部分などに「エスペラント語」が使われているのなら、その言語がもっていた「希望」という意味や、チャップリンの国際主義的な意識というのもわかりやすいのですが、

ユダヤ人であることをボカして表現したわけでもないのに、なぜ、ゲットーにエスペラント語が使われているのか?

そこが「なぜ、チャップリンはエスペラント語をつかったのか?」というウィラとエレノアの問いであり、私の疑問でもあったのですが、結局その答えはよくわかりませんでした。

ただ、ゲットーが「エスペラント語」で溢れているというのは、おそらく、ヒトラーをおちょくる映画として先行していた、ユダヤ人である三バカ大将の映画にはない発想だったのではないでしょうか。

私は、チャップリン自身がユダヤ人ではなかったからこそ、このゲットーを、伝統的なユダヤ色ではない風景にしたような気がします。

チャップリンのスピーチにある、

すべての人を助けたい。ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、黒人も、白人も。

それは逆にいえば、ユダヤ人だけが被害者ではない。ということでもあるでしょう。

共通の言語があれば、民族グループの不和に苦しまず、新たなコミュニケーションの道具になると考えたザメンホフに、チャップリンは自分に近い精神を見出し、その気持ちが、伝統的なユダヤ・コミュニティではなく、エスペラント語が看板に書かれている街を創造させたのではないでしょうか?

チャップリンは「エスペラント語」に希望があると思ったのではなく、民族的・言語的な基盤が異なっていることが、憎しみや偏見の主な原因になっている。と考えたザメンホフに共感し、すべての人の団結を訴えた。

マイケルがチャプリンから引き継いだのは「エスペラント語」というよりは、チャップリンの「団結」への気持ちであり、

それが、マイケルの「JAM」になったのではないでしょうか。


ヒトラーについても、特に戦争が絡んだ歴史については、中立的な態度で学ぶのはとても困難なものですが、『The trump and dictator』というドキュメンタリー映画の製作者のひとりが、ガーディアン紙に書いていた記事に、チャップリンが『独裁者』を創っていた時期のことが少し載っていたので、要約でちょっぴり紹介します。



ヒトラーが政権を取った1933年、スタジオの多くがユダヤ移民によって経営されているにもかかわらず、ハリウッドは彼の政策を批判しなかった。


批判することでヨーロッパのユダヤ人がさらなる苦境に陥ることを懸念し、ヨーロッパでハリウッド映画が不評になることも避けたかった。また、1939年に、英仏が参戦したとき、アメリカでは90パーセント以上が参戦に反対だった。


1931年にチャップリンがドイツを訪れたとき、大変な人気だったことを、ナチスは懸念していたが、これは、チャプリンが『独裁者』を撮る発端になったかもしれない。


チャップリンは「私の映画に政治的なものは一本も無い」と語っていたが、ある意味ではすべての彼の映画が政治的だとも言える。堅苦しい社会の中で、彼の存在は「反抗」を表すものだった。ナチスが彼を嫌悪したのは、そういった権力者を茶化すような姿勢だった。


1938年、チャップリンが『独裁者』の脚本を書き始めた時、アンチ・ナチの映画はハリウッドの本流ではまだ無く、ようやく38年に出てきたときも、現実に起こっていたことを考えればリアリティはなかったが、「独裁者」の製作が発表された時、


イギリスはヒトラーを怒らせるのをさけて上映禁止にし、ハリウッドのユダヤ人プロデューサーたちはチャップリンに製作を辞めるように言ったが、当時の大統領フランクリン・ルーズベルトの介入もあって、続けることになった。


チャプリンは二役を演じることに決め、バクテリア国の独裁者ベンツィーニ・ナパロニを演じていたジャック・オーキーは、当初、Benzino Napaloniというイタリアの独裁者役だった。チャプリンの仕事は進まず、


ようやく撮影が始まったのは1939年の9月で、第二次世界大戦勃発の数日後だった。撮影は秘密裏に進められたが、最後にシーンを撮る頃は、すでに、フランスもデンマークも陥落寸前で製作を中断することも考えた。ヒトラーの存在は、もう笑っていられる場合ではなかったから。


でも、彼は中断せず、エンディングを変えた。


元々は、グリフィスの『イントレランス』にならって大々的な平和主義のモンタージュで終わるつもりだったが、撮れば撮るほど納得がいかなくなり、チャプリンは、映画をスピーチでしめることを決意した。そのスピーチは、独裁者のものでも、床屋のものでもなく、チャプリン自身のもので、スピーチは賛否両論を引き起こし、今でもそれは続いている。


映画は大当たりしたが、占領下のヨーロッパ、南米の一部、アイルランドで上映禁止となり、アメリカにおいては、チャプリンの終わりの始まりとなった。


(要約引用終了)


では、マイケルのエスペラントに続きます。。






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by yomodalite | 2015-10-29 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

マイケルとPOLICE

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これは、HIStory Teaser, Part 2「独裁者」の内容への私の補足です。


みなさん、③の記事にあった

あの巨大な像が除幕されたとき、私たちには片方の腕についた腕章が見える。そこには、エスペラントの星の下に、太字でPOLICEと記されている。

という部分、確認されました?





動画の(3:13〜)


本当に一瞬で、なにが書いてあるんだろうと注目させるように、ズームアップしておきながら、ほとんど読めないようにするという、隊長のイケズな性格というか、乙女心を鷲掴みにする、焦らしのテクニックというか、後々まで考察したがる人にちょいと餌をまいてやったみたいな、そんなこんなが入り混じった「よくあるやつw」にホイホイとハマって何度も見てみたんですが、

右から「ECIL~」と来て、その次は、私には「U」に見えて、もしかしたら、「POLICE」に見せかけて、ちょっぴり違うんじゃないかと。


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それで、実際の彫像の写真を探してみたんですが、なかなかその部分の文字がはっきり見えるものが見当たらなくて、

「ヒストリー」のプロモーションでは、ティーザーの映像だけでなく、川を横断する彫像とか、何体かの彫像が造られているのですが、映像で使われている彫像を造った人の写真によると、


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実際のバッジを参考にしているようですね。それで、気付いたんですけど(遅っ!)、この彫像は、デンジャラス・ツアーのときのMJを模して造られていますよね。それなら、ツアー衣装はどうなってたんだっけ?



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と、確認してみたところ、
はっきり「POLICE」って書いてありますね。

自分でもびっくりしたんですけど、私、この衣装のバッジが「POLICE」だったことに初めて気づきました(大汗)


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(黒Verの衣装も同じ)



MJのミリタリー好きも、警察関係のグッズが売っている店によく行っていた話なども知ってはいましたが、専属デザイナーを抱え、いくらでもオリジナルの衣装が創れるMJは、そういったものを参考にしてバッジを造っていても、何人ものカメラマンを雇って、後世に記録されることを大いに意識していた、あの世界ツアーの衣装のバッジが「POLICE」だったなんて・・・

あのサングラスを外すまでの長い長いあいだ、ずっーーーと凝視してたはずなのに、一体どこを見てたのか(でもね、大画面でブカレスト見ても、その文字はなかなか見えないんだってば・・再度言い訳w)、とにかくあのステージ上のMJは「POLICE」として登場して、サングラスでみんなを見回したあと、”JAM” を歌っていたんですね。


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(両腕のバッジは同じデザインで、アームバンドの星と月のデザインは「Man In The Mirror」のCTEシャツと同じ)。


ちなみに、
バッドツアーの衣装のバッジは「Special Officer」なんですよね(ヒストリーツアーのベルト部分にもついてますが・・)


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こちらは、マイケル・ブッシュの『キング・オブ・スタイル』(ただし、この衣装についても、ティーザーの衣装についても参考になる言及はなし)の表紙にもなってる、あの衣装の前面にいくつもついてて(ヒストリー・ツアーの衣装のベルトにも)、


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赤と黒とシルバーのこちらのスーツの腕部分にも同じ形の「Special Officer」が付いてます。


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Special Officerは、POLICEと違って、仕事内容がはっきりしているわけじゃなくて、仕えている場所によって異なるようなものだと思うんだけど、MJの場合は、世界中の人々を守るために特命を受けた大佐?みたいな感じかなぁ。。

でも、「POLICE」は、、

マイケル・ジャクソンは、兵士にも警察にも敵意を持っていないように見える。・・あのとても表情豊かな兵士たちへの敬礼は、ひとつのメッセージ・・抑圧者の意志を遂行する使命を負わされた人たちに・・敵意や憎しみではなく共感や尊敬・・(→ ④)

というのは、もちろんそのとおりで、MJは、2007年に来日したときも、米軍基地に慰問に行って、彼らに感謝のきもちを述べています。平和主義者であっても、軍の仕事についた人々や、主義主張がちがう人を馬鹿にしたり、批判や、敵意を見せることはしなかったですよね!

ですから、ここで警察官に対してそういった意味合いがあることは不思議ではないですし、アルバム『ヒストリー』で、トム・スネドンを歌ったと思われる「D.S」にしても、憎しみを昇華しなければ、時間をかけてあんなカッコイイ曲にできませんからね。

ただ、そういった理由で、デンジャラス・ツアーのオープニング衣装すべてと、ヒストリーティーザーまで、「POLICE」バッジというのは、ちょっと違和感ないですか?

この彫像の除幕式も、集まった人々は歓喜の表情を見せていますが、覆いを外す爆薬の指示を出している人物とか、夜空を飛び交うヘリコプターも、その物々しさは、世界共通の母と愛と音楽の癒やしの力を象徴して建てられた像への「祝祭」というよりは、

常にメディアに追われ、激しい取材合戦に巻き込まれ、そして、このあと起こった、裁判のときの史上最大のメディアの狂乱を「予告」しているかのような、、

そんなことを思って、「Special Officer」や、「POLICE」のバッジを付けているMJを見ていると、

僕は正義は信じてない。正義は信じているんだけど、司法の《正義判断》は信じていないんだ… MJTapes「黄金律に従おう」より

と言っていたこととか、「大審問官」(→要約リンク)のことなどが脳内をうずまき、ますますデンジャラス・ツアーの ”JAM” がカッコ良く見えてきたり、何度も仄めかしつつも、それ以上は言えないギリギリで書いた「この記事」にいただいた、ちいちゃんママさんのコメントの言葉を借りれば、「キリストの受難から殉教への道をなぞらえるスキーム・・」とか、あらゆるところにみられるMJの驚くべき計画性・・てなことも考えてしまって、しばし呆然となってしまったのですが、

ヘリコプターのシーンについては、「Part 3」でも言及されていますので、次回、そちらもお楽しみにぃーーー!

とりあえず、「エスペラント語」についての補足に、続きます!



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by yomodalite | 2015-10-28 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(2)
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(②の続き)エレノア:でも、マイケルとヒトラーをこんなふうに比較するというのは、やっぱり、あまりやりたくないわよね。この映像の持つ毒気にあてられてしまいそう。マイケルがヒストリー・ティーザーでやったことは、それだけリスクが高いことなのよね。


ウィラ:わかるわ。マイケル・ジャクソンとヒトラーを比較するなんて、間違ってるっていう気がするもの。あらゆるレベルにおいてね。信仰心、見識、未来へのビジョン、人の苦しみへの感情的な反応、全てにおいて二人は正反対に見える。でもマイケル・ジャクソン自身、2009年に『マイケル・ジャクソン・テープス』として出版されたラビ、シュムリー・ボテアック(*1)との対話の中で、その比較の話を持ち出していて、彼は、ラビと、ヒトラーやホロコーストについて話している時、恐怖感をあらわにする。

ホロコーストだけでどれだけたくさんの子供たちが死んだか、その数を知ったとき…[泣き崩れる]人は何故そんなことができるんだろう? 僕には理解できない。人種がどうであろうと関係ない。わからない。ちっとも理解できないんだよ。どんな事情があろうと… そんなことは、全く理解できない。誰かに言われて、それほどまでの憎悪に駆り立てられることってあるだろうか。人の心にそんな害をあたえることは、可能なのだろうか。

(マイケルがホロコーストのことを話していて「泣き崩れる」と挿入されているのは、ラビによるもの)このように、マイケル・ジャクソンはナチズムにはまったく反対だった。当然ではあるものの。


エレノア:もちろんそうよ。そうではないと信じることなんて、出来るはず無い。でも、信じた人もいたのよね。そういう人たちは、『They Don't Care About Us』における "kike me" などの歌詞が反ユダヤ的だ(だから彼は「ナチス支持」にちがいない)と信じようとした。マイケルは反ユダヤ人なんかじゃなく、むしろユダヤ人の側に立って発言してたのにね。評論家とかメディアとか、つまり既存のシステムを支持し、そこで成功している人たちは、そのシステムを守ろうとする。マイケルのパワーを弱めるために、彼らはそれを否定し、彼を頑固で頭の空っぽなポップスターと呼び、自分自身を祭り上げ、自分と皇帝を同一視するような高慢で愚かなポップスターだと嘲笑った。マイケルは、明らかに帝国の権力を、憎悪の思想として批判しているのにね。


ウィラ:「憎悪の思想」ね。マイケルもボテアックに言っているように「誰かに言われて、それほどまでの憎悪に駆り立てられることってあるだろうか」ってことよね。憎悪の思想は、マイケルの信条や信念に、100パーセント反しているのよね。でも、そのラビとの会話の続きで、マイケルはこんなことも言っている。

「ヒトラーは天才的な演説家だった。彼はあれほど多くの人々の心を変化させ、憎しみに向かわせた。彼はショーマンの才能があり、実際それを発揮した。彼は演説の前に、少し間をおいて、少量の水を飲み、のどをすっきりさせ、周囲を見回す。それは、エンターティナーが観客を惹き付けるためにやることと同じなんだ。」

エレノア:どうする、ウィラ!これから、MJが1分以上微動だにせず、そのあとゆっくりとレイバンを外そうとする動作を見られなっちゃうわ!


ウィラ:まぁねぇ、期待をかき立てるために「演技」に入るのを遅らせる、というのはヒトラーが発明した手法だとは思わないけど、彼がそれを非常に効果的に利用したのは確かで、マイケル・ジャクソンもそうしたのよね。そんな風に考えると、確かに動揺するけど、でも事実なのよね。

だからって、マイケル・ジャクソンを、ナチス支持者だと考えるのは、全くの間違いで、一部の批評家は、先述のラビの本にあるような一節を根拠にそう言ったけど、実際は、シュムリー・ボテアック自身が、繰り返しマイケル・ジャクソンを擁護していて、マイケルを糾弾している人たちは、自分の発言を曲解していると述べている。2009年11月にハフィントン・ポストに載った記事でも、2012年の記事でも彼はそう言っているのよね。

ただ、マイケル・ジャクソンをナチス支持者と呼ぶのは間違いにしても(大間違いで、彼は全く正反対の立場だった)マイケルが、良い目的にしろ、悪い目的にしろ、観客を惹きつけ、操ることのできるパフォーマーの力を理解していたのは確かで、彼がヒトラーをそのような観点から、つまり「天才的な演説家」「ショーマン」といったパフォーマーとして見ていたというのが、すごく興味深いことよね。シュムリー・ボテアックはこのことについて、確認のためにこう尋ねている。

「君はヒトラーとは真逆なんだろうか? 神は驚異的なカリスマ性を君に与えた。ヒトラーが、人間の獣性を引き出すとしたら、君は人間の純真さや善良さを引き出したいと考えている。」

マイケルはボテアックの言うことにうなずいて「僕はそう信じている」と言うのよ。


エレノア:そう。彼は幼い頃から、自分には果たすべき役割、使命があると信じていた。私もそうだっただろうと思う。


ウィラ:それが使命だったのかどうかは、私にはわからないけど、確かに彼は、文化的に驚くほどパワフルな存在になったわ。文字通り、世界を変えるようなね。

だから、扇動者としてのヒトラーの技術と、彼のイデオロギーを切り離して考えることが重要ね。マイケル・ジャクソンは、ヒトラーのメッセージに対しては嫌悪しか感じていないけど、ヒトラーの持つカリスマ性やメッセージを伝える能力については、高く評価せざるを得ないと言っているのよ。ヒトラーは自分の才能を、偏見や憎悪を広めるために使った。自身がダイアン・ソーヤーに語ったように、マイケルはヒストリー・ティーザーで、同じテクニックを、「愛」を広めるために、正しく使おうとした。あるいは「欲求」を広めるために、かな。実際は「欲求」の比重が重いかも。でも、欲求(欲望)というのは愛と密接に結びついたものだから。


エレノア:そうね。そして、欲求(欲望)は明らかにカリスマと結びついている。カリスマとは神秘性なんだけど、その神秘性を理解することにMJは非常に強い興味をもっていた。

カリスマ性というのはテクニックを超える。伝えるべきメッセージと、伝える人のパワーが両方あって、初めて成立する。

そのパワーとは、集まった人々の心の深くに入り込み、深いところにある欲望や願い、あなたの言う欲求(欲望)のことだけど、生存本能とも結びついた魂の奥底にある気持ちを、満足させる力ね。ヒトラーは、ドイツ国民の中にある欲求をかき立てた。彼らの中にある生存本能に訴え、生き残れるかどうかは彼にかかっていると思わせてね。そして、彼がリーダーになれば、生き残れるだけではなく、第一次世界大戦の荒廃の中から、立ち上がり再び輝くことが出来ると。


ウィラ:それはすごく重要なポイントね、エレノア。それは、『意志の勝利』と『ヒストリー・ティーザー』のもう一つの類似点を明らかにする。どちらも、深い屈辱と敗北の余韻のなかで撮られた映像作品ということ。『意志の勝利』の最初の画面には、次の言葉がある。


1934年9月5日

第一次世界大戦の勃発から20年

ドイツの苦難の始まりから16年

ドイツの再生の始まりから19年

アドルフ・ヒトラーは再びニュルンベルグに降り立ち軍事パレードを行った。


つまり映画は、ドイツの第一次世界大戦敗北と、それに続く困難な経済状況という、ドイツにとって本当に大きな苦難の時代を背景にして作られたわけ。

そしてマイケル・ジャクソンは、偽りの児童虐待の申し立てがあった後の1995年にヒストリー・ティーザーを作った。それはマイケルにとって、大きな苦難の時代で、世界中の人が彼のメッセージを曲解し、彼を小児性愛者と呼んでいる時期だった。

でも、屈辱や苦難にもかかわらず、どちらの作品も、自分は負けない、下を向いたりしないと宣言している。

マイケル・ジャクソンは、他の人間が自分にレッテルを貼ることを許さない。自分のレッテルは自分で貼ると。そして、ドイツ人も同じ宣言をしている。マイケルとドイツ、両者とも自分の力で再び立ち上がるのだ、とね。『意志の勝利』の最初の記述が示すように、この映画は「ドイツの再生の始まり」を記録し、祝福している。


エレノア:でも、ヒトラーが見せたのは、単なる再生の未来図ではない。それは、征服の未来図でもあった。生まれ変わったドイツが、その優位性を他の国々に見せつけるという未来図。その結果がどうなったか私たちは知っているわけだけど。


ウィラ:まったく、その通りね。だから今この映画を見ると、このあと何が起こったか知っているから、ぞっとするのよね。


エレノア:そしてリーフェンシュタールの映画は、ヒトラーの示した未来予想図が現実のものになって欲しいという欲求を生み出すために、つまりヒトラーの構想はすなわちドイツ国民が生きのこる道であることを示し、ヒトラーを彼らの英雄、救世主に見せるために、とても重要だった。そして欲求は生み出され、それはあなたの言うように「殆ど恋愛といってもいいし、性的悦楽ともいえる」

集団として生き残る、民族あるいは国家として存続していくには、他の国や民族との関係だけ考えていてもだめよね。世代から世代の生存を確実にするのは、性的な関係によるのよ。

だから、生き残りを呼びかけることは、性的な欲求を持とうと呼びかけることでもあるわけ。ヒトラーは「肉の肉」という言葉を使っていて、リーフェンシュタールはそこを取り上げているわけだけど、これは、アダムとイブ、そして性愛を呼び起こさせるために、彼が意図的に使ったんじゃないかな。

つまり、『意志の勝利』はある種の性的表現としても解釈できる。そこに出てくる映像は全て、優越性と力と強さに関するもので、言い換えれば、マッチョ的なもの。

冒頭には、上半身裸の美しい青年たちが早朝の霧の中に姿を現す場面があるわよね。男性の美しさを政治的軍事的パワーを結びつけることで、戦場での武勇と性的逞しさを結びつけている。


ウィラ:なるほど。それは考えたことがなかったわ。でも確かに、『意志の勝利』は、いろいろな形の男性パワーを見せた場面にあふれている。


エレノア:で、あなたが言ったように、『ヒストリー・ティーザー』は、『意志の勝利』と同じように、期待を呼び起こし、性的欲求をかき立てる

『意志の勝利』の冒頭でヒトラーが殆ど登場しなかったように、MJも殆ど姿を現さない。本当に、MJが見えるところは少ないわよね。でも、彼が現れるところは本当に面白いの。彼の美しい笑顔が大写しになる前に私たちが見るのは、セクシーなブーツとぴったりしたパンツ。それから彼が歩くところが見えるのだけど、その歩き方がすごい。もう威風堂々って感じで、圧倒的な自信に満ちているのね。

そして、彼は兵士たちに共感と敬意を示すために敬礼をして、場面は転換ていくんだけど、その敬礼の直前にカメラがフォーカスするのは… 彼の股の部分よ!すごく独特で、でもすごく効果的な、男らしさの表現よね。

でも、マイケル・ジャクソンによって体現される男らしさは、人間らしさもそうだけど、他の人間を征服することとはまったく関係なく、彼に対する欲求も、“bodice-rippers”(ヒロインが性的に暴行されるシーンを含む恋愛小説)に見られるような、征服されたいという欲求とも関係しない。

ナチス第三帝国の元にもなった帝国主義の根本原理が掘り起こされ、社会に急進的な変化がもたらされること、それは、地球や人類の生存を脅かし、人類の一員である彼自身の生存をも脅かされることであり、マイケル・ジャクソンは、自分のアートの力で、生き残るための新たな方法論、つまり、人々にとっての新しい欲望のありかたを生み出さなくてはならなかったのね。


ウィラ:それがあなたの本のタイトル『The Algorithm of Desire(欲望のアルゴリズム)』に結びつくわけね。つまり、私たちは一回りして同じところに戻ると…


エレノア:そう。どうしてそうなるかっていうと、欲求(欲望)の形が集団の存続を規定する。時代から時代、世代から世代への存続をね。

帝国はそのような存続の基礎を、「分断して統治する」(*2)というアイデアの元に作る。

急進的な変化に対して、マイケル・ジャクソンは、生存のための道(他国や他の国民への関与や性的欲望)を、「分断して征服する」という観念から、切り離さなければならなかった。そして、そのためには、性愛の観念も定義し直さなくてはならなかった。

私は、彼はそうして見せたと思ってる。私たちの感情の奥深くに届き、影響をあたえる自らの芸術の力を通して、彼は新たな連帯を生み出した。彼は私たちの脳の配線を変え、人々が惹きつけられるものに変化をもたらした。一人のスリムな若い男性が引き受けるには大きすぎる任務よね。それでも、彼はやり遂げた。


ウィラ:そうね。でも、性愛の観念を定義し直すということは、彼のキャリアの中で、ずっとやり続けてきたことよね。つまりね、彼は最初は黒人のティーン・アイドルで、世界中の何百万というティーン・エイジャーの欲求の対象だった。白人、黒人、アジア人、全ての人種のティーンたちが、彼を求めたのよ。それ自体が、とても力強い、性愛の新しい定義だったと思うの。

それと、彼は、先人たちとは非常に異なったやり方で、セクシーな存在になった。彼はこの上なく魅力的だったけど、マッチョ的な要素はなかった。男性がセクシーであるということの定義を変えたのよ。


エレノア:そう。女性たちもそれを肯定した。(*3)


ウィラ:面白いわね。じゃあ、あなたは、『ヒストリー・ティーザー』の中でマイケルがやろうとしたことは、軍事力や、性的暴力性といった、帝国主義の男らしさに結びついているものを壊すことだったと思うの?


エレノア:まさに、とてつもなく素晴らしい方法でね。だって、現代の記憶の中で、優越性を利用した体制としてもっとも悪名高いナチスドイツを引用するというのは、帝国主義を批判する最高の方法じゃないかしら。ナチスドイツを表現するとき、ヒトラーの演説と、リーフェンシュタールの芸術の両方のテクニックが見られる『意思の勝利』を、自分の言いたいことを表現するために使う以上の方法はないわよね。

私たちが話してきたように、『ヒストリー・ティーザー』は、マイケルの人生の中でも特に困難な時期に作られてはいるけど、もっと大きな視点で見ることもできる。マイケル・ジャクソンが世に出てきたのは、人々がこれまでの解決方法に自信を失い、新しい何かを探していたときだった。彼は、潮目が変わったことに気づいていた。「潮をよめ。満ち潮にのれば、幸運に通じる」(*4)彼は、その流れを捉えたのよ。

『ヒストリー・ティーザー』が私たちに見せてくれるのは新しいタイプのヒーロー、征服よりも慈悲に身を捧げるヒーローの姿ね。彼の芸術の力は、見るものの生き方を変えるほどに、心の奥底を揺さぶる。目も心も開かれて、私たちは物事を違ったふうに感じたり見たりすることが出来るようになる。死の舞踏ではなく、生命のダンスを踊りたくなるのよ。


ウィラ:そしてこの「新しいタイプのヒーロー」像はチャーリー・チャップリンの素晴らしい風刺映画『独裁者』にも見ることが出来るわね。この映画もまた、『意思の勝利』を引用しつつ批判する形で作られていて、『ヒストリー・ティーザー』に多大な影響を与えている。次の記事では、この映画に焦点を当てながら議論を続けていきましょう。

ではひとまず、ありがとう、エレノア。あなたのおかげで、たくさんのことが議論できたわ。


(ティーザーについての会話Part①を終了)


この会話の続き・・・


訳者註 ____________________


(*1)ラビ・シュムリーの名字

現在のワード検索では「シュムリー・ボティーチ」という表記も多いのですが、英語圏の発音として「ボティーチ」は遠すぎます。アメリカの番組などで彼が紹介されている際の発音に会わせて「ボテアック」を推奨します。


(*2)分断して統治する

分断統治の手法は、ローマ帝国時代や、あるいはそれ以前から存在したと言われるほど、歴史のあるもので、もっとも大きな統治としては、世界覇権国(帝国)が、各国を統治するため、各隣国との交流を制限し、周辺諸国がまとまって、帝国に襲い掛かることを防ぐための方法。

◎参考記事[世界史の窓]分割統治

http://www.y-history.net/appendix/wh0103-023.html

たとえば、現在の世界帝国であるアメリカと敵国関係にあった日本の場合、敗戦後、中国、韓国・北朝鮮、ロシアと独自に交流をもつことは、米国によって厳しく監視されている。また、国内政治においては、権力者層が社会を統治しやすくするため、外交問題をクローズアップし、内政に対する民衆の批判を、国の外側に攻撃の矛先を向けるため、仮想敵国を演出するという方法や、経済格差、人種、宗教、イデオロギーや、性的嗜好など、さまざまな分類を利用したり、また新たな枠組みをつくるなど、市民の結束を分断し、弱体化させるといったことが、反乱を防ぐために使用されている。分割統治の手法は、政治だけでなく、経済分野においても、さまざまに利用されています。

◎参考記事「サラミ戦術」

https://ja.wikipedia.org/wiki/サラミ戦術

右翼、中道主義、左翼、それぞれの中で意に沿わない者を分類し、より細かく(分割)していくことで、各勢力の弱体化を図り、独裁体制を完成させていくような手法。

ヒトラー率いるナチスも、潜在する反対勢力に対し部分戦略を用い続け、対立政党だけでなく労働組合も滅ぼし、既存の組織は次々に、ナチ党の傘下組織に取って代わり、最高法官として全権が委ねられたヒトラーは、最終的に全市民に対する生殺与奪の権利を掌握した。

また、安倍内閣不信任決議案の演説で、枝野幸男氏は、平成25年7月29日に開催されたシンポジウムでの麻生副総理の発言を引用し、こう述べています。

「3分の2という話がよく出ていますが、ドイツは、ヒトラーは、民主主義によってきちんとした議会で多数を握ってヒトラーは出てきたんですよ。ヒトラーは選挙で選ばれたんだから、ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。だから静かにやろうやと。憲法はある日気づいたら、ワイマール憲法が変わってナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった、あの手口学んだらどうかね、ワーワー騒がないで。本当にみんないい憲法だとみんな納得してあの憲法変わっているからね」。

結論部分を除けば、私も認識は一緒です。まさにナチスドイツは武力クーデターで独裁を作ったのではないんです。ワイマール憲法という、当時の世界においてはもっともと言っていいくらい進歩的な憲法のもとで民主的なプロセスを経て権力を握り、そうやって得た国会の議席の力で、いわゆる権力委任法という法律でワイマール憲法を事実上停止をし、そして独裁に走った、まさに時代認識はそのとおりです。その手法に学ぶというようなことを堂々とおっしゃっている。まさに今やっていることは、それそのものではないのでしょうか。

演説の動画)

https://www.youtube.com/watch?v=EtY6P7aj0gc

テキスト書き起こし)

http://tekitoeditor.hatenadiary.jp/entry/2015/09/20/183144


(*3)原文では、Eleanor : Yes, she said yes….で、ウィラの反応は、「Ha! That’s funny. 」なので、The Girl is Mineの台詞、Michael : Well, After Loving Me, She Said She Couldn't Love Another → Paul : Is That What She Said → Michael : Yes, She Said It, You Keep Dreaming と関連しているのかも。。


(*4)シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』の4幕3場、

There is a tide in the affairs of men. Which, taken at the flood, leads on to fortune; Omitted, all the voyage of their life. Is bound in shallows and in miseries. 

人の成すことには潮時というものがある。うまく満ち潮に乗れば成功するが、その期をのがすと、一生の航海が不幸災厄ばかりの浅瀬につかまってしまう。

というセリフを下敷きにしていると思われる。


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by yomodalite | 2015-10-01 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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(①の続き)ウィラ:実を言うとね、私は『意志の勝利』をこれまできちんと見たことがなかったんだけど、ようやくYouTubeで全編見ることが出来たわ(まったく、YouTubeには何でもあるのね!)。ナチスの活動すべてが、どれほどひどい過ちだったかわかっているだけに、この映像を見るのはすごく気が重かったのよね。。



Triumph of the Will 『意志の勝利』






エレノア:今回あなたと話すことになるまでは、私も見たことがなかったのよ、ウィラ。断片的にしかね。でも、見てみたら同じように感じたわ。私もヒストリー・ティーザーでさえ気が重かったんだから。


ウィラ:さっきあなたが言ったように、『意志の勝利』は、とても心が乱される作品ね。あのファシスト的なイメージも見るのをためらわせる原因のひとつ。でも、予想していたものとはまったく違っていて、驚くほど、マイケル・ジャクソンに直接つながるような面もあった。


HIStory Teaser





たとえば、あの映画は、ヒトラーがナチズムを若者主体の運動として構想したことを強調している。ヒトラーは、映画の中で5回とても短い演説をするのだけれど、おそらく最良の演説は、画面いっぱいに見える12歳の少年の集団に向けられたもので、(このシーンは45分くらいのところ)彼はこう言ってるの。

「我々は、ひとつの国民にならなければ。そして君たち若者が、その国民なのだ。階級による差別はない。君たちの中にそんなものがあってはならないのだ」

つまり、ヒトラーは自分のメッセージを子供たち、思春期前の子供たちに向けて発していて、彼らみんなが「ひとつの国民」になるのだと強調している。これは、マイケル・ジャクソンっぽい考えよね。さらにヒトラーはこう言うの。

「そして、そうでなければならないのだ。なぜなら、君たちこそ我らの肉の肉、我らの血の血なのだ。君たちの頭の中には、我々が従っているものと同じ精神が燃えさかっている」

これらの言葉、「君たちこそ純粋なる我らの肉の肉、我らの血の血なのだ」すごく私の心にひっかかったの。ふたつの理由でね。ひとつは、ヒトラーは「階級の差別なく」「ひとつの国民」だと言いながら、全ての人間が平等だとは思っていなかった、全てのドイツ人が平等だとさえ思っていない。むしろ正反対だった。彼は人をグループ分けし、明確な差を設けようとした。ユダヤ人と非ユダヤ人、黒人と白人、異性愛者と同性愛者、健常者と障害者、特に遺伝的な障害を持った者、というふうにね。

ヒトラーは、映画での最後の演説で、このことをそれとなく仄めかしている。「かつてバラバラだったこの国は、いまやひとつの高い理想に導かれている。我々は最良の血を継承するものなのだ」と言っているの。この「血」の問題は、ヒトラーにとってもの凄く重要な問題なのよね。なぜなら、彼は人種的純粋性という自分の考えを広めるためにこれを使ったのだから。


エレノア:そうね。今ふり返ると、これらの言葉に背筋が寒くなるわね。ヒトラーが言っているのは、単なる「血」ではなく、「最良の血」のこと。神によって作られた、「我が国民」の血。

「より優れた摂理に基づかなければ、何事も生まれはしない。この摂理は、地上にいる指導者から与えられるものではない。それは、我が国民を造り賜うた神から与えられたのだ」

これらの言葉で、ヒトラーは、自分の野望を裏付けるために、創世記にある創造の物語にふれ、ナチスが主張する社会的政治的秩序、つまりファシズムなんだけど、それは、神からもたらされたもので、ドイツ国民は(少なくともその一部は)神に似せて、完全なる姿で造られており、完全かつ超越的な精神を備えていると主張する。これが、リーフェンシュタールがヒトラーとナチスについて描いた方法では、「意志」として示されている。

ヒトラーは、カトリックの家に生まれたけど、彼には信仰心はなかった。でもドイツ国民の多くにはあった。だから、自分のやろうとしていることを正当化するために、ヒトラーは自分の主張を、キリスト教の信仰の枠組みに結びつけたのね。この映画をよく見ると(そしてヒトラーについて私が知っている一般的知識によると)、彼はドイツ人とナチ党と彼自身の野望を、神の意志の純粋な表現であると宣伝しているように見えるわね。


ウィラ:だから、タイトルが『意志の勝利』なのね?私はずっとこのタイトルの意味がわからなかったんだけれど。


エレノア:まぁ、それは私の推測なんだけど。

でも、意志というのは精神のはたらきであり、「あなたの意志はなされた」という場合の神の意志というのは、よく知られたキリスト教の重要なコンセプトよね。

また、「意志」という言葉は、ショーペンハウエルの著書名『意志と表象としての世界』をも思わせる。神話を造ることにきわめて優れていたリーフェンシュタールは、おそらく意識的、無意識的に、多くの連想を仕掛けている。ひとつの言葉で可能な限り大きな効果を生み出すというふうにね。

MJもまったく同じで、4分間のビデオの中にいろいろな連想を組み込んで、絶大な効果を生み出そうとした。『意志の勝利』は、リーフェンシュタールがヒトラーが抱いた優越性の神話を形にしたもの。ヒトラーの意志、ドイツ国民の意志、そしてドイツ国民そのものが、リーフェンシュタールによって神話化され、『意志の勝利』という形になったのよね。でも、今見てみると、ここにあるのはヒトラー自身の意志の勝利よね。

他の人間をコントロールするために自らの意志を行使する者は、つまりヒトラーの言うところの「支配民族」よね、そういう人たちは、(精神に対して)肉体と同一化される人たちよりも生まれつき、必然的に優位に立っていると見なされ、それが組織的な人間機械化、搾取、虐待、そして他者、特に他人種の撲滅(これはナチスの場合)の理屈づけとなる。ヒトラーの世界では、「最高の血」を受け継ぐアーリア人だけが、完全な人間として見なされ、他の人種は社会の害虫として駆除されるべきものになったわけ。


ウィラ:「最良の血」というその考え方が、どのように人種差別や大量虐殺を正当化していったかを思うと、背筋が寒くなる。で、一方マイケル・ジャクソンだけど、彼にとっても「血」のイメージというのはすごく重要なんだけど、それは真逆の理由、人々を人種や、他の人為的な区分けによって分断することを否定するために重要だといういう点が、特筆すべきことね。それこそ彼がヒストリー・ティーザーで比喩的に表現したことだと思う。ヒトラーが提唱した文化の物語を、まったく反対の意味にとらえるということ。

マイケル・ジャクソンの視点では、血というのは、私たちを(分断じゃなく)まとめる、ひとつの要素よね。

私たちはみんな、どんな人種だろうと、どんな宗教だろうと、国籍だろうと、みんな血管には血が流れている。傷を負えば、だれでも血を流す。人間の血液は、私たちはみんな、「ひとつの同じ仲間」、同じ人間であることを示すものなのよ。マイケル・ジャクソンはこのことを、「Can You Feel It」なかで美しく歌い上げている。「僕たちは皆同じ。そう、僕の体を流れているのと同じ血が、あなたたちの体にも流れている。僕の血管とあなたたちの血管には、同じ血が流れている」と。


エレノア:そうね。彼は、ある人が他の誰かよりも人間らしい、なんていう考え方を否定しただけではなく、分断ではなく協調という点から、人間であることの意味を問い直したのよね。精神と肉体、人間と自然を結びつけ直してね。

彼の考えには分断は存在しない。すべての人が同じ円の中に包まれる。


In my veins I’ve felt the mystery

Of corridors of time, books of history

Life songs of ages throbbing in my blood

Have danced the rhythm of the tide and flood


僕の血潮に感じる神秘

時の回廊、歴史を紡いできた書物

僕に流れる血の中で、幾時代もの生命の歌は

寄せては返す波のようなリズムを踊る

ヒトラーは、血をドイツ国民に特有の心と魂(そして意志)の象徴として使った(「君たちこそ我らの肉の肉、我らの血の血なのだ。君たちの頭の中には、我々が従うものと同じ精神が燃えさかっている」)マイケル・ジャクソンは、ヒトラーとは違って、血を、私たちみんなに共通した、生命の力を象徴するものとして使っている。人間を含めた全ての命は、自然の中にある聖なる力の表れであり、それは私たちの肉体に、血管に脈打っているものだと。

ヒストリー・ティーザーにおける彼の役割は、支配的な人々や、支配的な構造にかわるものを提示し、それらを否定すること。繰り返し「人間性」を表現してきた男という彼自身のイメージと、帝国のイメージ、もっと言えば、黒人である彼と同じく抑圧された人々を、ゲットーに押し込めるような(そしてもっとひどいことをした)帝国のイメージを並列することによって、ヒストリー・ティーザーは、帝国主義における「完全なる人間」がいかに非人間的であり、残酷であり、邪悪であり、生命よりも死をもたらすものであるかを明らかにしている。

マイケル・ジャクソンの世界では、誰かが他の人より「完全な」存在であることなどない。人種や性別や宗教や国籍によって、他よりも価値があるとか、価値がないとか、判断される人などいない。

マイケル・ジャクソンの世界では、人は分断されて、優位性を得ようとするのではなく、親族のようにつながって共感しあう。支配から共感へと転換するのよ。

もし、その人間の心からの願望が、「完全なる人間」のクラブに加わることなら、帝国主義の価値観や、既存の秩序を肯定するでしょう。でも、そのクラブへの入会や、そのクラブに関わるあらゆることを拒否するなら、その人にはマイケル・ジャクソンのパワーが備わっている。そういった人間は、既存の権力構造を打ち破ることができる。それゆえ、彼は危険だったのよ。


ウィラ:そうね。ただ、マイケルの「パワー」というのは興味深くて、彼はそのパワーの多くを私たちの欲求から得ている。彼は、私たちの欲求に反応することで、未来へのヴィジョンを描いている。それと、これはかなり突飛な意見なので、私が説明し終わるまで、少し待ってほしいんだけど、

ヒトラーと、マイケル、『意志の勝利』と『ヒストリー・ティーザー』には、もうひとつ重要な類似点があるのよね。

私が『意志の勝利』にすごく驚いたのは、そこに私が予想したような、ナチスの価値観を正当化するための長い演説など無かったこと。実際、ナチスのイデオロギーについてはそれほど詳しく言っていないし、ヒトラーの演説もすごく短くて、たいてい2,3分。最後の演説が一番長いんだけど、それでもたった9分くらい。プロパガンダ映画なんだけど、レトリックで見る人を誘導することに主眼を置いてないみたい。そうではなくて、この映画の目的は、欲求を生み出すことのように思える。主に、ヒトラーへの、そして生き生きとして、健康的で、強いドイツへの欲求ね。

『意志の勝利』の冒頭は、20分にわたる映像と音楽で、言葉はない。20分って長いわよね。特に2時間も無いような映画では。

そして、観客は、冒頭の20分間、ヒトラーを見ることは殆どない。そのかわり目にするのは、ニュルンベルグの美しい建造物の空撮映像(このとき観客はヒトラーと一緒に空からニュルンベルグへ舞い降りていく感じ)や、俯瞰画像、それから、ヒストリー・ティーザーに出てくるような、おびただしい数の兵士、数え切れないほどの隊列が、ヒトラーが演説するあろう場所に向かって行進していく姿よね。

それからヒトラーの乗った飛行機が着陸して、飛行機のステップを下りてくる彼の姿がチラッと映る。そして、彼の自動車パレードが街に入ってくる。でも観客が一番目にするのは、ヒトラーではなくて、群衆が熱狂的に彼を迎える様子よね。

これらの映像の目的は、期待感を煽ることであり、欲求をかき立てること。ヒストリー・ティーザーは、これとまったく同じやり方で始まる。

前半は軍隊が街の中心に行進したり、製鉄所労働者が主人公の到着に備える様子が出てくる。叫ぶファン、興奮する子供たち、失神する女性たちの姿も見える。でも、マイケル・ジャクソンその人は殆ど出てこない。彼の顔が見えるのは、前半も半ばを過ぎてから。それも、ほんのチラッと。

だから、ヒストリー・ティーザーの前半っていうのは、『意志の勝利』の冒頭20分間とほぼ一緒。どちらも、期待感をあおり、欲求をかき立てているの。よく似たタイプの欲求をね。それは、殆ど恋愛的欲求といってもいい、性的悦楽への欲求とさえいえる。だから余計に、「君らこそ我らの肉の肉、我らの血の血なのだ」という言葉にどきりとするのよね。

聖書の創世記において、アダムはイブに、おまえは「私の肉の肉」と言うんだけど、この言葉はよく結婚式でくり返される。

それで、ヒトラーがこの言葉を言う時、彼は巧妙なやり方で、彼と聴衆の関係は、男性と女性の結びつきと同じだとほのめかすわけ。そして、マイケル・ジャクソンは、自分の歌や映像の中でくり返し同じことをほのめかしている。つまり、マイケルとファンとの関係は、一種の恋愛関係だと。その考え方は、『意志の勝利』でも『ヒストリー・ティーザー』でも、群衆の様子が多く撮されていること、特に、愉悦の境地にいるかのように意識を失い、倒れる女性たちの様子が撮されていることで強化される。


エレノア:あなたの言うとおりだわ。リーフェンシュタールは、ヒトラーに恋していた。ドイツ人全部がそうだったんじゃないかしら。そして、ドイツ以外にもヒトラーの信奉者はいた。たとえばウインザー公爵夫妻とか(*1)。私は、Expressというサイトで、2009年に書かれたというこの記事に出会った時は本当にショックを受けたわ。記事には、「かつてその英国王族は記者に、ナチスの独裁者が失脚したら、それは世界にとって悲劇であると語っていた」とあるの。ヒトラーは、ドイツ国民にとっての正当なリーダーであるだけでなく、偉大な男だ、と英国の元王族が主張したのよ。


ウィラ:すごいわね。その記事にあることは、すべてがショッキングね。公爵が一時的にヒトラーを支持したことは知ってたけど、それは早い時期、戦争の前だと思ってたわ。戦争になってからもそれが続いていて、ドイツに情報を流し、英国を助けようとするルーズベルトの邪魔までしようとしたとはね。もしそれが本当なら、彼が王位を放棄したのは幸いだった。これについてはもっと調べたいと思うわ。

でも、リーフェンシュタールとヒトラーの関係は複雑ね。最近クインシー・ジョーンズが、彼女とランチを共にした時の話をしているインタビュー記事を読んだんだけど(*2)、彼が話している感じでは、彼女はナチスの指導者やヒトラーに対して、どちらかというと否定的で、誰もがコカイン中毒だったと語っているようね。(ジョーンズはさらに、「コカインは、恐れや困難を、暴力で解決させる」と言っていて、これはナチスの指導者との関わりで考えると非常に興味深い)

もっとも、クインシー・ジョーンズがリーフェンシュタールと会ったのは、第二次世界大戦が終わってから長い時間が経った後で、ナチスがやったことの恐ろしさも十分に明らかになった後だった。おそらく彼女の気持ちは、1934年に映画を撮ったときとは、かなり異なっていたはず。1934年には、まだ強制収容所や、その他の非道なことは起こっていなかったし、ヒトラーはドイツの新しい夜明けを約束してくれる一種の救世主のような存在だったんだものね。


エレノア:私もその記事は読んだわ。でも、クインシー・ジョーンズがリーフェンシュタールに会ってたなんて、面白いわよね。


ウィラ:ほんとよね。


エレノア:その記事で、クインシーはリーフェンシュタールの大ファンだと言ってるのね。MJは『意志の勝利』について、クインシーから教わったのかしら。私は、MJがチャップリンに興味をもっていたからかと思っていたんだけど。


ウィラ:私もまったく同じことを考えたわ。もしそうだとすると、マイケル・ジャクソンが『ヒストリー・ティーザー』に『意志の勝利』を使ったことに、新たな見方が出来るわね。


エレノア:あなたが言うように、二人が会ったのは、第二次世界大戦のずっとあと。『意志の勝利』を撮っていた頃の彼女はこう言っている。

「私にとって、ヒトラーは歴史上最も偉大な人物です。彼はまったく非の打ち所がなく、誠実でありながら、男らしいパワーに溢れています。彼は実に美しく、賢明です。光り輝いて見える。ドイツには、フリードリヒ、ニーチェ、ビスマルクなど素晴らしい男性たちがいましたが、彼らには欠点がありました。ヒトラーを慕う人たちにも欠点はあります。でも、彼だけは、純粋無垢。」

これらの言葉は、私には、恋する女性の言葉に思える。もしリーフェンシュタールの言葉が、大衆のヒトラーに対する感情を代表するものなら、ヒトラーの魅力によって欲求がかき立てられたわけよね。


訳者註__________


(*1)ウインザー公爵(=エドワード8世 イギリス王)

王位を捨てて結婚した「王冠を賭けた恋」など、ロマンチックなエピソードで有名ですが、人種差別的発言や、ヒトラーや、ムッソリーニなどのファシストへの親近感についても指摘されている。

(*2)Quincy Jones interview (The Telegraph)




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by yomodalite | 2015-09-29 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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