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陰謀の世界史/海野弘

海野弘氏の「陰謀論本」をもう一冊。こちらの初版は『世界陰謀全史』よりも前の2002年に出版され(あとがきによれば、著者が「CIA」について書いているときNYテロ事件があった。という時代)、2006年の文庫版は厚み2センチほどある大書で、参考文献や登場人物の索引や関連書籍の紹介も多い。

『世界陰謀全史』とよく似たタイトルですが、こちらは、フリーメーソン、ユダヤ、イリュミナティ、ロスチャイルド、ロックフェラー、ルーズヴェルト、英国王室、フェビアン協会、三百人委員会、外交問題評議会(CFR)、財団、銀行、アレン・ダレス、CIA、ケネディ、ニクソン、キッシンジャー、レーガン、ブッシュ、クリントン、KGB、MI5とMI6(英国情報部)、モサド、ヴァチカン、マフィア、ハワード・ヒューズ、マーチン・ルーサー・キング、超古代史、エイリアン・UFO、ナチ・第4帝国。という30項目から書かれているものの、主にアメリカの陰謀論について書かれています。

海野弘氏の本といえば、これまで『モダン都市東京』とか『ヨーロッパの装飾と文様』など美術やデザインをテーマにしたものしか知らなかったので、陰謀論系の本を書かれていたことが意外だったのですが、こちらは、よくある対象に憎しみを抱かせるような内容ではなく、著者のこれまでの本と同じように、テーマについて広く散策してまわるような視点が健在で、さまざまな陰謀論の定番を楽しむことができます。

個人的には「ハワード・ヒューズ」の章に期待していたのですが、彼に関しての〈陰謀論〉が膨大すぎるわりには、記述が短かすぎて、期待をこえるものではありませんでした。ヒューズの場合は、彼の超人ぶりがあらゆる物語を飲み込んでしまうためなのか、〈解釈〉の方に新鮮味や真実味が感じられなくなるということもあるのかもしれません。


下記は「プロローグ」より(省略・要約して引用しています)

コンスピラシーの資料を集めだしたときにぶつかったのが、デヴォン・ジャクソンの『コンスピラノイア!』(1999)である。コンスピラシーとパラノイアを合成した言葉で、副題に「すべてのコンスピラシーの母」とあり、多くのコンスピラシーが網の目のように絡み合っている見取図をつくりあげていて、実に面白い。この本に刺激されて、コンスピラシー論を書いてみたくなった。ティモシー・メリー『コンピラシー帝国』は、戦後アメリカのパラノイア文化という副題で、トマス・ピンチョンなどの小説を中心として、現代アメリカの陰謀妄想をとりあげ、ピーター・ナイトの『コンスピラシー・カルチャー』(2000)は、「ケネディからXファイルへ」と題され、マスメディア、テレビなどによって増幅されるコンスピラシーが一種の〈文化〉となっている状況を分析している。1997年には『陰謀のセオリー』という映画もつくられた。

なぜ私たちはコンスピラシー・セオリーにとりつかれるのだろうか。ティモシー・メリーは〈エージェンシー・パニック〉からだ、としている。私たちは多くのことをエージェンシー(代理)にまかせなければならない。エージェンシー・パニックとは、自律性、自由意志が奪われることへの大きな不安を意味している。ある人の行動はだれかにコントロールされ、強力な外部のエージェントによって仕組まれている(『コンピラシー帝国』より)。エージェンシーパニックは、自分が外の力に操られている、と感じるだけでなく、その直接のエージェントは、さらにその影の力に操られているとエスカレートしていく。

コンスピラシーの本場はなんといってもアメリカである。どこの国にも陰謀はあるが、陰謀が大衆文化にまでなって、人々に親しまれている国はアメリカしかないのではないだろうか。なぜ、アメリカの陰謀は面白く、アメリカ人は陰謀のセオリーが好きなのだろうか。20世紀の終わりのアメリカでは、コンスピラシー・セオリーがいたるところにあり、ファーストレディでさえ、コンスピラシーの語を全国テレビでくりかえした。とにかくアメリカでは陰謀が多く、建国以来、陰謀だらけであったともいうが、さまざまな人種の集まりであるアメリカは、いつもなにかの〈敵〉をつくり、そのイメージに対してまとまり、アンデンティティをつくってきたのだそうだ。しかし〈陰謀〉が文化になり、日常会話に入ってくるようになったのは、1960年代になってからである。

(引用終了)


下記は、「エピローグ」より(省略・要約して引用しています)

アル・ハイデル、ジョーン・ダーク編『コンスピラシー・リーダー』は「パラノイアマガジン」に載った陰謀のセオリーのアンソロジーで、この本の序文は〈陰謀〉がいかにカウンターカルチャーになったかをよく伝えている。90年代にはコンスピラシー・ウェブサイトもあらわれ、1997年、陰謀パラノイアは最高潮に達した。

ジョージ・E・マーカス編『理性的パラノイアー説明としてのコンスピラシー』(1999)は、パラノイアとコンスピラシーのカルチュラル・スタディーズ集で、まず陰謀史研究の出発点として、リチャード・ホーフスタッターの『アメリカ政治のパラノイアスタイル』がとりあげられている。この先駆的論文は今読んでもすばらしく、アメリカには陰謀史観の伝統があることを明らかにしている。

しかし、90年代にはそれまでにはなかった新しい状況があらわれた。ジョージ・E・マーカスは、パラノイド・スタイルとコンスピラシー・セオリーが根拠があると見られるようになったのは、2つの理由があるという。

ひとつは冷戦時代の米ソの対立で、政府までもがパラノイアックな陰謀を信じたので、社会全体、体制側、マスメディアまでもが、パラノイアになり、国際政治もそれに浸ってしまったこと。もうひとつは、政治や経済の世界に、ゲーム的な枠組みが入ってきて、戦略、戦術が重要になり、パラノイアスタイルが使われるようになったからだ、という。

しかし、ゲーム化はひとつの危機をもたらす。ゲームは現実世界や本質から遊離させてしまう、見えているものだけで、その背後は空虚なのだ。マーカスはそれを「写実の危機」といっている。ゲームとしての歴史は相対的なものなのだ…






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by yomodalite | 2015-07-29 16:02 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(2)

Summerlin(べガス旅行記)

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『ONE』を観るという目的を果たし、ここまでの疲れもあって、すっかりお寝坊した翌日、べガスに来る前はショーを観る以外の時間は、ストリップのホテル巡りをしようって思ってたんだけど、

◎[Wikipedia]ラスベガス・ストリップ

いくつかのホテルを見て回ったら、ストリップの外に行ってみたくなって、でも、グランド・キャニオンとか、ネバダの大自然を体験するには時間が足りないし、レンタカーでドライブするのもいいなって思ったんだけど、数時間で2、3万とか高すぎるしぃ、

それで、立ち寄ったAriaホテルのコンシェルジュに「タクシーで簡単に行ける距離で、ストリップの外に行ってみたいんだけど、どこがいい?」って聞いたら、「Summerlin(サマーリン)なら、レストランやショッピングも出来ておすすめですよ」って言われて、出かけてみた。


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(この住宅エリアに入っていった「Jetta」
ウィンドウから、ちらりと見えた横顔で
久しぶりに「ヤンエグ」という言葉を思い出した)




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「Paforminng Arts Center」と書かれた看板に引寄せられて歩いて行ったら、モーガン・フリーマンをひと回り大きくしたような警備員に声をかけられた。



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kumaさんが、とっさの機転で「バス乗り場を探しているんですが、、」と質問したら、「それなら、この図書館の人に調べてもらえばいい」と、ダンススクールを見学しようと思っていたのに、隣接していた図書館へと導かれた。



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(こっそりスマホで撮った図書館内)


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ヤング向けのコーナー)


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(日本語の絵本も。。)



本気で、バスに乗ってみたくなったkumaさんが、ストリップ行きのバスについて、図書館中の人に聞きまくっている間、ひとりでブラブラしていたら、図書館の至るところに、ハワード・ヒューズの写真が飾られていることに気づいた。



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MJのヒューズ大好き発言から(「MJ Tapes 第3章 “神秘性を操るということ”」)、彼に興味を持ち、調べはじめたのは、今から1年ほど前。ヒューズが、今のべガスの繁栄に大きく関わったことは知っていたものの、今回の旅行で、その痕跡を感じられるとは思ってもみなかったんですが、



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私が興奮していることがわかると、モーガン(さっきの警備員さんね)は、写真1枚1枚を解説せずにはいれらない様子で、ヒューズに会ったことがある。ものすごく背が高くて、、2度目にあったときは、映画のロケで、、とかなんとか、落ち着いた口調ながらも(本当にモーガン・フリーマンみたいな感じ)、しゃべりたくて仕方がないという感じて、語りだしたのだけど、私のヒアリング能力では、2、3割しかわからない。

しばらくして、映画『アビエイター』をどう思いましたか?と聞いたら、「その映画のことはよく知らない。でも、彼の真実はここにある」みたいな感じで、さらに展示写真の説明が続いた。



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帰国してから、調べてみたら、サマーリンは、住民の平均年収が1500万円以上の、ネバダ州でもっとも裕福なコミュニティで、お金で買える「アメリカ最高の場所」などと言われているらしい。ヒューズ・コーポレーションが街の開発をしていて、Summerlinという街の名も、ヒューズのおばあちゃんの名前から名づけられていた。



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(この図書館はヒューズの寄付によって出来たみたい)


バスが来るのを待っていると、『O』の開演に間に合わなくなりそうということが分かってきて、今度はタクシーを呼ぶのに四苦八苦していたら、子供のぬり絵のように青一色だった空が暮れてきた。


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モーガンは、人生の何もかもを知っているのに、それを人に伝える機会に恵まれていないせいなのか、旅人の私たちに、バスについても、ヒューズについても、電話をかけるときも、すごく親切にしてくれた。

夕陽をバックに彼の写真が撮りたくなって、お願いしてみたけど、「私は警備会社の人間ですから。。」と断られたことが、唯一残念だった。


(べガス旅行期はこれで終了)

後日追記:MJのラスベガスの家もサマーリンでした!


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by yomodalite | 2015-03-15 20:59 | 日常と写真 | Trackback | Comments(2)
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マイケルとハワード・ヒューズ[7]の続き

マイケルが、ヒューズを「僕にとって、彼はある意味、先生なのかもしれない」と言ったのは、彼が、エジソンや、ディズニー、ヘンリー・フォードのような人物に対しても、終生尊敬を失うことなく、笑われたり、無知だと批難され、たとえ全世界を敵に回したとしても、世界に自分の足跡の残した人々は、みんなそうだったのだから、自分を信じて進め。と言っていたことと同じような意味かもしれません。

でも、ヒューズについて調べてみたら、
あちらこちらで「ン?」と思うことがいっぱいあったので、

思いつくまま、半ば強引にw、こじつけようと思います(笑)


☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2014-05-21 08:46 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)
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ハワード・ヒューズのことは、アウトラインの把握で精一杯ではあるのですが、「こんな男はじめて!」とすっかり夢中になって短期間で調べた範囲で、MJとの相似点について、少しだけまとめておきたいと思います。

まずは、ふたりの相似点を、彼らを評した人の側から。

ジョー・ジャクソンが「息子はハワード・ヒューズのように扱われてきた」と言ったのは([1]参照)、当時のマイケルが家族とあまり行き来していなかったという話を司会者から振られ、「マイケルの周りの人間が壁をつくって取り囲んでしまい、家族が近づけないようにしてしまった」というような意味だったのですが、

マイケルをヒューズのように扱ったのは、側近だけでなく、
彼らを話題にした人々の多くもそうでした。

マイケルの側近たちも、様々なことが言われましたけど、彼らのように会いたがる人々が多過ぎる場合、不自由に感じることがあっても、側近たちのせいにしたいことは多かったでしょうね。

また、映画『アビエイター』で、随分とクローズアップされていた「細菌恐怖症」について、マイケルも同じように言われていたことを覚えている人も多いでしょう。

「THIS IS IT」とほぼ同時期に進行していた、クラシック音楽のアルバムを一緒に制作していた、ディヴィッド・マイケル・フランク氏は、MJと始めて会ったとき、「彼が細菌を心配していたと聞いていたため、握手することが気が重かった」と語っていましたし、


対談本を出版した、ラビ・シュムリーも、そういった報道を知っていました。ふたりのようなゴシップ紙を読むタイプではないような人にさえ、広く知れ渡っていたMJの細菌恐怖症の「元ネタ」も、ヒューズだったようですね。

MJがそうでないことは、ファンの多くが知っていましたが、ヒューズに関しては、私がこれまでに駆け足で見た資料のすべてでその記述がありました。(年号は本国での出版年)

◎書籍
ジョン・キーツ『ハワード・ヒューズ』(1966)
谷崎一郎『ラスベガス物語』(1999)
ノア・ディートリッヒ、ボブ・トーマス『ハワード・ヒューズ』(1972)
クリフォード・アーヴィング『ザ・ホークス』(上・下)(1981)
藤田勝啓『ハワード・ヒューズ ー ヒコーキ物語』(2005)

◎映像
TVスペシャル『ハワード・ヒューズ物語』(1977)
映画『アビエイター』(2005)
映画『ザ・ホークス』(2006)
映画『地獄の天使』(1930 ヒューズ監督・制作)
映画『暗黒街の顔役』(1930 ヒューズ制作)

(その他、ニクソンついて、ジョン・ディーン著「陰謀の報酬」(2006)とか、永年、ヒューズの映画を創ることに情熱を燃やしていた、ウォーレン・ベイティの制作・監督・脚本・主演作である『レッズ』を観るなどの迂回や、ネット検索も大いにしましたが、ヒューズの英語資料は、MJ関連の何倍もむずかしく、重要な著作でも日本語では読めない本も多い。1999年の谷崎一郎氏、2005年の藤田勝啓氏の著作は、いずれも、その時代までの英語資料の多くが、巻末に記されている真摯な本でしたが、

特に、谷崎一郎氏の『ラスベガス物語』で、

筆者は、多くの過去の文献を読み、自分なりにハワード・ヒューズという人間像を理解したつもりであるが、その人間像からは巷で噂されるような「マフィアと対決するためにラスベガスに乗り込む」ようなイメージは湧いて来なかった。

という「巷の噂」が記されているものは、まったくヒットしませんでした。

大勢の人が興味を抱き、これだけ多くの資料が、50年近く出版されていても、未だに1人の人物に対して、光が当てられていない部分や、忘れられている部分があることに驚きますが、おそらく、MJに対しての興味が尽きないのも、同じ理由によるものだと思います)

ただ、多くの資料で繰り返し言及されていても、それは、単に情報として受け継がれているだけで、何度も検証されたわけではありません。

私がそれらを鵜呑みには出来ないと思うのは、アイゼンハワーが軍産複合体を批判し、ケネディが暗殺され、ニクソンが盗聴事件で失脚した、そんな時代に、軍事機密に関わる最先端の飛行技術に関わり、ライヴァル会社と熾烈な戦いをしながら、個人主義を貫こうとする世界一のお金持ちが、盗聴や、暗殺を怖れるのは当然にも関わらず、

そういったことにはほとんど触れず、様々な彼の決断を「彼の病気」を原因とするものが多いからです。

彼が強迫性障害で、不潔強迫だったと断定的に書かれているものは数多くあります。またその原因は、

・幼いころの潔癖症の母親の影響
・墜落事故のとき痛み止めとして使われた麻薬中毒による精神衰弱

であるとされています。

トラウマはフロイトが用いたことで有名になった用語ですが、私は、こういったことを原因と断定し、医学的・科学的といった断定の仕方をする人ほど、フロイトの本など読んでおらず、自分と同じように読んでいない人や、科学的思考のできない人を騙ます人ではないかと疑いますね(トラウマ理論が大好きな割には、現代心理学ではフロイトの評価は低い、、とか、何でも受け売りで済ませているくせに、エラそーなことだけは言いたいタイプw)。

偉人を「病気」や「症例」として語るようになったのもヒューズの時代からでしょうか。精神医学や心理学といった、今では「疑似科学」として疑われるようになった分野はこの頃から大いに発展し、信じている人も多いですが、それで精神病の治癒率が上がり、人の心が癒されましたか? どれだけ他者を理解できるようになったんでしょう? 

多くの普通の人に「病名」や「症例」を与え、薬の消費量を上げ、社会全体を病気にしただけではないですか? 

分類しただけで、なにか解ったような気になって、その方法をあてはめることが流行しているだけではないですか?

それらは、歴史上の偉人たちを「等身大」として理解する物語に寄与し、マイケルが尊敬していたチャップリンや、ピーターパンの作者のJ・Mバリは、いつしか幼児性愛者に「分類」されるようになり、マイケルも同様の疑いをかけられるようになりました。

また、ハンサムな青年として人々の注目を浴びて、(MJの場合、幼少時からですが)お金持ちになり、多くの女性にもて、大成功をおさめたあと、社会から身を隠し引き籠もった。ということも、一般的なイメージでは、ふたりに共通していますが、MJの場合は、TV出演やステージを行なわなくなっただけで、後輩のミュージシャン達とのレコーディングも続けられていますし、晩年親しくつきあいがあった人は大勢います。

ヒューズに関しては、自分の会社をまかせているような人物でさえ、彼とのミーティングは困難を極めたという話は確かに多く、上記の本の中で、唯一ヒューズの側近であったノア・ディートリッヒの本にも、それは記されています。

でも、ジョン・キーツ本で、「ヒューズの事業は、80%がノア・ディートリッヒの才能、20%がハワード・ヒューズの賭博師魂」と評された、ヒューズ帝国のNo.2だったディートリッヒ本を読むと、その20%の重要さや、また、永年近くにいたからと言って、知っている部分は極限られるということもよくわかりました。

それは、よく考えてみればあたりまえのことで、結婚して10年以上一緒に暮らしている夫婦だって、相手のことを「よく知っている」なんて言えませんし、それは仕事現場での評価や見られ方とは正反対の場合も多いですよね。

ディートリッヒが話した内容は、公認会計士として、ヒューズがどれだけ損失を出したかについて、おそらく正確なのでしょうが、彼が世界一のお金持ちになったのは、自分のおかげだと終始言わんばかりの内容で、日本版の翻訳者あとがきには、

著者のノア・ディートリッヒは、ヒューズを奇人・変人・矛盾人間で片付けているが、読む人によってそれぞれ異なるのではなかろうか。訳者の印象では「ヒューズ帝国」の80%は自分が築いたと自慢しないとはいいながら自慢している著者より1枚役者が上であり、ひょっとすると、30余年間ディートリッヒが悩まされ続けた、ヒューズの矛盾だらけで、支離滅裂で無軌道な行動の陰には冷徹な計算ーーまで行かぬまでも、本能的な勘もしくは判断が働いていたのではないかと思われる。。。

と書かれていて、私は大いに共感しました。

ディートリッヒは、個々の取引においての損得を、年間の会社収益として見ていただけで、多くの人がヒューズに感じた「魅力」については悉く覆すような内容なのですが、それなら、なぜ彼が理不尽な要求に永年耐えてきたのか。という読者の疑問については、最初は魅力的だったけど、後年の彼からは魅力が消え失せ、耐えがたいものになったと、彼の容姿が衰えたことなどが書き連ねてあって、そこからわかるのは、ディートリッヒが極普通の嫉妬深い男だということだけです(笑)。

歴史を書き変えようとする天才たちの日常は、普通の人にとって理解しがたいことの連続で、親しい人間や、その場にいた関係者ほど見誤るというのは、マイケル研究で何度も経験したことです。

読者の多くは、天才のことを知りたくて、こういった本を手に取るものですが、それに相応しい書き手というのはほとんどいません。

1977年のTV番組『ハワード・ヒューズ物語』には、ヒューズが操縦する飛行機の中で、彼が自分の映画の脚本家と話をするシーンがあります。

脚本家 「主人公が最後に憂き目に遭うという話です」

ヒューズ 「その結末は気に入らない。主人公は仕事も恋人も自信も失う。

脚本家 「人生は甘くないですから」

ヒューズ「彼は浅はかで根性なしだ。映画の結末にはふさわしくない。変えてくれ。この世は特異なものだ。大抵の人間は他人に興味を示すものだ。でも、僕は他人には興味がない。興味はもっと他にある。

我々を取り巻くすべてが興味深い。地球とその神秘さ。空、そしてその先に広がる宇宙。隣人を理解したいという気持ちより、なぜ季節が移り変わるのか知りたい。退屈な人間が多すぎるんだ。

でも、どの人間にも価値がある。古臭いかもしれんが、真実だ。どんな人間にも価値がある。これが真実でなければ、僕は失業している」

このセリフは、実際にヒューズと仕事をした脚本家からのものではなく、「創作」なのかもしれませんが、世の中の多くは、スコセッシの映画『アビエイター』のように「人生は甘くない」方の真実を描こうとして、成功者の人生の最後を寂しいものにしたがります。それが自分の人生以上の悲哀でなくても。。

また、歴史を創ったような天才たちに対しては、彼らを尊敬している人でさえ、壁を築いたり、王座の孤独を「勝手に」想像するものですが、それらは例外がないほど「類型的」で、共演者たちを死ぬほど笑わせていた、マーロン・ブランドも同じように見られていたことを思えば、ヒューズが表に出ようが出まいが、おそらく言われたことは同じだったでしょう。


青年時代から、女にモテ尽くし、食べることにも興味がなく、様々なことに挑戦してきたヒューズが、60代から、さらに大事業を成し遂げようとしたとき、社交にかける時間の一切を切り捨てる決断をしたとしても、彼が実際にそれを成し遂げたことを思えば、それは病気ではなく「合理的」だったのではないでしょうか。

天才とは、そういった現実に反抗しようとする人への称号で、真の天才とはそれを本当に成し遂げた人のことでしょう。

安定した普通の幸せに満足し、その価値観で天才たちを見ると、彼らが苦しんでいる姿に耐えられず、理解もできないものですが、天才たちには、それが退屈にしか見えず、そのような日常に埋没して生きることを徹底して嫌う。

多くの人を自分の人生に巻き込む力があったヒューズや、MJには「どんな人間にも価値がある」ことは、わかっていたでしょう。

人生は甘くない。と何度も言いたがる人々は、自分に見える現実以外は認めようとはしませんが、

真実は、選び取る人の目によってどうにでも見えるものです。





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by yomodalite | 2014-05-15 09:46 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)
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☆マイケルとハワード・ヒューズ[5]の続き

マイケル・ジャクソンが旅立った後、彼への印象が変わったという人は多いと思う。

それまで、多数のメディアが報道していた堕ちたスターの姿とは異なり、他の誰ともちがう、まぎれもない天才だったことを、MJが、その一挙手一投足のみで覆したことへの衝撃は大きく、彼が「被害者」だったと印象づけられた人は大勢いると思います。でも、メディアが彼の秘密を暴こうと躍起になり、彼のイメージを貶めて行ったのは、マイケル自身の卓越した「戦略」が、永きに渡って功を博し、すでにこれ以上は考えられないほど成功したスターが、金にモノを言わせて、他にマネの出来ないプロモーションを行なうことへの反発があったということも忘れてはいけないと思います。

下記は、ヒューズの遺産によって創られた「Howard R. Hughes College of Engineering」がある、ネバダ大学ラスベガス校のサイトから、

MJが言っていた「僕にとって、彼はある意味、先生なのかもしれない。人を操る術っていうか、彼はみんなが興味を持ってしまう方法を知っていた」というヒューズのメディアコントロールに関連した文章を。


あの大胆不敵な飛行機乗りはどうなったのか?

破産に追い込まれてもいいから一発勝負してみたいという気持ちにかられて、あの現実離れした街、ラス・ベガスに行ったら、あなたはある日きっと次のような場面に出くわすことだろう。

痩せて、疲れ果てたような表情の男がいる。背が6フィート3インチあって、黒っぽい色の、どうということのないズボンに、胸元のボタンを開けた白いシャツのその男は、華やかなホテルのバーのテーブルで、ステーキとサラダをぼそぼそと食べている。贅沢と富にあふれた雰囲気に囲まれながら、ポケットの中で二枚の1ドルコインを擦り合わせることさえ、彼には不可能のように見える。その男こそ、ハワード・ロバード・ヒューズだ。間違えようがない。ハワード・ヒューズのような男は1人しかいないのだから。

その数週間前、ラスベガスで、八歳の娘を連れた女性が、ヒューズのテーブルにやって来て、サインをねだった。ヒューズが快く応じると、女性は感激して言った。「あんなにたくさんの有名な女優さんを世に送り出した方のサインがいただけたこと、娘はきっと自慢にするでしょう」ヒューズはサインし終わると、女性が人混みに隠れてしまうまで、彼女の姿を見送った。「さて」と彼は悲しげに言った。「あの大胆不敵な飛行機乗りのハワード・ヒューズはどこへ行ってしまったんだ」と。ーー スティーブン・ホワイト「ハワード・ヒューズ物語」(ルック誌1954年2月9日号掲載)

カール・バイオアール社は、ロサンゼルスの大手広告代理店で、顧客には名だたる有名人や企業がある。しかし、会社にとって最も手強く要求の多い顧客はなんと言っても、ハワード・ヒューズだった。

1996年、ネバダ大学のスペシャル・コレクションは、ラスベガスにあるハワード・ヒューズ・コーポレーションから、ディック・ハナの顧客関連ファイルを入手した。


ハナは、バイオアール社の副社長であり、顧客部の担当重役でもあって、ヒューズの広報を受け持っていた人物である。

ヒューズの他のエージェントと同じく、ハナは、自分に割り振られた役割をはるかに超える働きをした。数え切れないほどの発表記事を書き、「承認済み」の写真をセットにしたマスコミ用の資料を作成して広報活動を取り仕切っただけではなく、ヒューズについて書かれた記事や、ヒューズが興味を持っていることについて書かれた記事について、膨大な量の情報を集めることもやった。


ハナがヒューズのためにやる仕事は、ハワード・ヒューズに対する、そして世間からの厳しい目にさらされる彼のビジネスや政治的な指向についてのイメージをコントロールすることであり、ヒューズ本人について、あるいは彼が利害関係を持っているか、脅かされていると感じているものすべてについて、マスコミがどんな記事を書いているかチェックすることだった。


ハナが(仕事の)料金請求のために入念につけていた時間表は、彼が多岐にわたる、時には通常では考えられないような仕事を、顧客のためにやっていたことを示している。


1950年、12月:ヒューズ・ツール社のために、新聞と一般雑誌の記事のチェック、切り抜き、ファイリング。政府と民間の報告書から、関連するものをピックアップし、分析。

1950年、12月18日。独身男性に関する記事をのせる予定の国内誌とミーティング。ヒューズ氏の写真が1ページサイズで、レイアウトのトップにくること、好意的に扱われることを確認。

1950年、1月24日、26日。(流れから行くと、これはたぶん1951年の1月ではないかと思う)顧客の要請により、ある女性団体の資金源、活動、評判についての報告書を準備。

1951年、4月19日、20日、23日。顧客の要請により、全米黒人地位向上協会の活動、評判、資金提供元について、特別報告書を準備。

1951年、11月。ある国内誌の編集者たちと、執筆者及び全体的な雑誌の運営について話し合い。情報を西海岸に伝えること。

1952年、4月1日。ニューヨークの日刊新聞の編集委員と、ヒューズ氏の映画産業における共産主義との戦いについての社説が、どのような情報をもとに書かれたか話し合う。

1952年、7月24~25日、28日。8時間。顧客の要請により、過去の新聞に載った、あるミュージカルの批評記事をチェック。報告書を西海岸におくる。

1968年の、ハナによるヒューズのための報告書には、次のような見出しがついている。

「ヒューズ・オフィスのための特別業務 ---- 目的:この報告書は、種々雑多な内容を含んでいる。重要であるものも重要でないものもあるが、ハワード・ヒューズ氏は、(このようなことが)我々の仕事の中でもっとも重要な役割を持つものだ、という見方をしている」

1970年、9月の報告書の記述:ハナは、顧客の幹部で、高名なビル・ゲイ(ヒューズ関連のいくつかの会社の幹部)や、最近はそれほど重要メンバーではなくなっている、ボブ・メイヒューのための「特別調査プロジェクト」に少なからぬ時間を費やしてきた。これらの報告書には、広い範囲の噂話の追跡、現在進行中の訴訟およびこれから起こりそうな訴訟(たいていは、チェスター・デイヴィスとの)の把握、そして、時には何と表現して良いかわからない、顧客の要請による様々な事柄についての業務が含まれている」

1972年、2月25日。顧客の要請で、1970年のマスターズ・ゴルフ・トーナメントの1時間版をチェックし、ジャック・ニクラウスのプレイに関して、特定の出来事が起こっていると言うことを確認。トーナメントの最終ラウンドにおけるニクラウスのすべての動作を二度チェック:顧客側の担当者に、発見したことを報告。


100立方フィートに及ぶコレクションは、マスコミがどのようにヒューズをあつかったか、彼についての記事がどれほど(ヒューズ側からの)演出と、管理をうけていたものであるか、を示す、最も説得力のある貴重なコレクションである。


しかし、その事を超えて、ヒューズの並外れた情報収集活動の全体像を見せるこのコレクションは、どんなものがヒューズの興味をひいたか、を表してもいる。コレクションはまた、ヒューズが広告代理店を通じて承認した「公式ハワード・ヒューズ写真」のほとんどを含んでいる。


執拗に、そして異常なほどに世間の目を避けていた男が、これほどにも広報活動に長けていたことは、ハワード・ヒューズがかかえる多くの逆説のひとつだ。


ルイ14世以来、公に知られた人物が、大衆の自分に対する認識をこれほど極端にコントロールした例はない。


ハワード・ヒューズがラスベガスにいた年月について、最も事実を明らかにし、人の興味をひくであろう証拠文書は、マイケル・ドロズニンの著書『市民ヒューズ(Citizen Hughes)』のもとになった、謎めいた大量のメモの中に見られる。

一方、ハナの残した文書は、生身のヒューズを表すものとしては少し弱いが、「知りたい、コントロールしたい」という偏執症的な衝動に駆られてヒューズがやった活動の、多くの部分を明らかにしている。ハナの任務は、マスコミや一般のイメージを監視し分析することであり、ヒューズにとって有利な流れを作ることであった。任務の大部分は、地道に新聞記事を切り抜くことだった。スプルース・グース(木製の世界最大の8発エンジン飛行艇)の建造と「飛行」の記事、あるいはヒューズの製作したRKOの映画の宣伝記事については、何箱もの切り抜きがある。


また、ラスベガスの資産についてのファイルや、ヒューズに影響や脅威を与える事柄、たとえば原子力委員会、クリフォード・アーヴィング、マフィア、ウォーターゲートの公聴会、果てには、ハワード・ヒューズの事を書こうとした作家やジャーナリスト、番組を作ろうとしたテレビ・プロデューサーなどについてのファイルがある。ハナが最も手をやいた問題のひとつは、ヒューズは実は亡くなっているという噂が、絶えず立つことだった。


メイヒュー事件で、ハナのオフィスには何箱ものファイルができることになった。メイヒューを、ヒューズの「ネバダ事業」の責任者からはずすという「政変」は、名誉毀損での訴訟と対抗訴訟に発展し、ヒューズの謎めいた「ネバダ事業」への、マスコミの関心を高めることになった。ファイルにおさめられているのは、宣誓供述書の写し、記者会見の記録、モーリー・シェイファーがどうしてヒューズのラスベガス資産は損失を出し続けているのかを調査したテレビ番組「60ミニッツ」の台本などで、それぞれ注釈がついている。ヒューズの陣営で、誰が誰から金を盗んでいるかという問題は、ウォーターゲートやヒューズとべべ・レボゾ(ニクソンの政治顧問)の関係と同じくらい、人々の興味をひく話だった。ヒューズ帝国の支配にむけてのビザンチン作戦が明らかになる中、ディック・ハナは静かに自分の仕事を遂行した。


ヒューズのイメージをコントロールする仕事は、ヒューズのウォール街の弁護士(金融担当弁護士?)であり、ヒューズ・ツールの副社長兼主任弁護士でもあったチェスター・ディヴィスがローズモント・エンタープライズ社を設立したころには、あり得ない域に達していた。ローズモント・エンタープライズは、ヒューズグループの子会社で、ハワード・ヒューズに関する、現在・過去・未来すべての文献をコントロールするためだけに設立された会社だった。


ヒューズに関わる記事、ニュース映像を、それがどこのものであろうとすべて探し出して、リストアップするためにスタッフが雇われていた。スタッフは、すべての映像や写真に対する独占権を手に入れようとした。情報提供者のネットワークを通じて、ヒューズについて調査し、何か書こうとしているライターについては、だれであろうとローズモントの「オフィス」に、つまり、ロサンゼルスのロメイン・ストリート本部にいるビル・ゲイのとこに、報告が行った。


ライターは身辺調査され、連絡を受け、ローズモントが、ヒューズから彼の画像や伝記についてのすべての権利を委託されており、ライターの持っている素材を「発展させ、有効に活かす」権利を独占させてくれるなら、金を出す用意があると、告げられるのだった。もし買収に応じなければ、ライターも編集者も出版社も、訴訟という形で脅かされた。ローズモントのファイルには、多くのジャーナリストについての報告書とともに、多くの出版されなかった作品が含まれていた。それらのいくつかは、ヒューズを完全なフィクションの形で描いたもので、ライターがローズモントからの支払いに応じたものだった。ライターの原稿を手に入れるのは、実際は「発展させる」ためではなく、世に出さないようにするためだった。

ヒューズがどれだけ自分について書かれたものを抑えようとしたか、プライバシーに踏み込まれることをどれほど激しく嫌悪したかは、1962年に「ライフ」が彼について書いた記事への対処の仕方に表れている。


その頃ヒューズは、TWA航空の経営に対しての訴訟に巻き込まれており、世評に関しては特に敏感になっていた。それでも、自分のところのスタッフや妻のジーン・ピーターズさえも動員して、「ライフ」にインタビューの申し出をしていた。訴訟の件で、騒がれるのを抑える、または引き延ばすもくろみで。


彼は弁護士のガイ・バウツァーや広報担当のディック・ハナ、そしてクラーク・クリフォードという、非常に影響力のあるワシントンの弁護士を、「ライフ」側に送り込んだ。記事について雑誌側と「話し合い」、訴訟についての記事はなくすか、少なくとも最終稿はヒューズの承認を受けるようにと、雑誌を説得するためだった。ライフ誌はヒューズに屈せず、記事を載せた。後になって、クラーク・クリフォードは、本心を隠して、記事が載ったのは良いことだったという意見を述べた。クリフォードの手紙をビル・ゲイに回したロバート・メイヒューは同意しなかったが。代理人たちが記事を差し止めることに失敗したことは、ヒューズを激怒させた。彼はその怒りをガイ・バウツァーにぶつけた。バウツァーは、温厚でハリウッドでは有名な弁護士で、このクライアントの爆発ぶりにはなれていた。


「以下のポイントについて、簡潔かつ迅速な返答を送るように」とヒューズはバウツァーに書いている。

「しかし、前もって言っておく。この週末に君と個人的に話がしたい。その目的はお互いをより理解するためだ。目下のところ、われわれの現在の関係はこれ以上にないほど、悪化し、敵対的になっている。この前に話し合った時は、病気が回復し始める前だったために私はせいでかんしゃくを起こし血圧が急上昇し、話し合いは中断してしまった。そのあと私はひどく落ち込んでいる。たしかに、私はほかの人と同様、議論の的になっている物事を、自分の側から見る傾向がある。しかし、同様に君も、物事を自分の側から見る性分ではないか。


私は君が、ほかの何よりもノース・ウェスト航空の経営に興味を持っているように見えるのが気に食わない。君はいつも「自分はきちんと仕事をしている」と答える。しかし、その仕事がノース・ウェスト航空に利するものであるなら、私にとっては何の価値もない。私がノース・ウェストを所有しているのは長くてもあと1ヶ月なのだから、君の労力をそちらに向けてほしくはない。今は、ライフ誌の件と、ほかの3つか4つの懸案が私の心身にナイフのように突き刺さり、健康を回復しようとする私の努力を無にし、信じられない速さと力で、日々私を墓場のほうへと押しやっているのだ。


君のノース・ウェストでの働きは、ホノルルにいるヘンリー・カイザーならたいした仕事だと言うかもしれない。しかし私は今磔にされるような苦しみを味わい、ジーン(ハワード・ヒューズ夫人。女優ジーン・ピーターズ)はマリリン・モンローと同じ道をたどるんじゃないかと、賭けが行われているくらいだ。


このような状況の下では、君が1分であってもノース・ウエストのために時間を割くことは、私に耐えがたい苦しみを与える。君の時間と労力はすべてライフ誌の件のために使われるべきなのだ。

返信を待っている。対応は、午前中のうちにできるかわからない。私はもう疲れ果てているからだ。


(こちらは、kumaさんに訳してもらいました


ヒューズが、「ライフ」など、メディアに登場した自分の記事を集めていたことについて、同じようにメディアに苦しめられていた、マーロン・ブランドの自伝にある文章も紹介しておきます。


マスコミが話を勝手につくった場合、私は他人からどう思われようと知ったことではないと、無関心をよそおった。われ関せすの態度を押し通したのだ。しかし、それは仮面でしかなかった。新聞や雑誌に事実無根で、わいせつな作り話を書きたてられ、ひどく頭にきたこともある。なかでも腹にすえかねたのが、『タイム』誌と『ライフ』誌の記事だ。親会社であるタイム社のしっぽをつかもうと、私はさる調査機関をだきこんで、あらさがしをさせた。8千ドルを投じ、タイム社のニュース歪曲の歴史を膨大な調査書にまとめた。


それから、次つぎにテレビやラジオに出演しては、『タイム』と『ライフ』をこきおろし、その広告をくさした。しっぺ返しがしたかったのだ。私の狙いは中傷だったが、タイム社には打つ手がなかった。私は同社のゆがんだ報道が社長ヘンリー・ルースの偏見にみちた政治思想を反映しているという事実を、そのままなぞっていたにすぎないからだ。タイム社の非愛国的な出版物はアメリカ合衆国の評判を落としており、海外で祖国の威信を傷つけている。社が事実をねじまげて、外国を誹謗したつけは、いずれ国家が払うことになるだろう。そのように私はテレビやラジオで主張した。私は復讐を心から楽しんだ。長い間、私はこうやって生きてきたのだ。不当な仕打ちを受ければ、かならず報復した。


タイム社は私のところに密偵を送りこんだ。友人の親戚にあたる女だった。口実をこしらえて訪ねてきた彼女を、私は食事に誘った。マーティニがきいたのか、家に戻ろうとする頃には、私はハンドルさばきもままならず、ハイウェーをジグザグ運転するほど酩酊していた。女はさらにひどい様子だった。私の家の車道に車をとめて、降りようとすると、女はまだけなげにも任務を遂行しようとした。まわらない舌で、こう言ったのだ。「マーロン、なぜタイムを攻撃するの? 何か目的なの? 一体どういうことになっているの?」


「ああ、あそこの雑誌はすばらしいよ」私は言った。「だが、少々訂正すべきところがあったんで、テレビに出てそう言ったまでさ。歴史はきちんと伝えないと、まずいからね。ぼくはマスコミの誤報をただすのが国民の務めだと思っているから、このまま続けるつもりだよ。実際、感謝してほしいくらいだね。雑誌には『読者の声』の欄があるだろ。ぼくのしていることは、ある意味で『読者の声』と同じだよ。アメリカの評判を傷つけてはいけないとタイムがさとるまで、ぼくはえんえん、手紙を書きつづける……」


 そこで、私は女を茂みのなかに押し倒した。敵の密使と一戦交えようという魂胆だった。だが私は満足に動けないほど泥酔していて、女の耳たぶと蔦の区別さえつかない状態だ。女は貞操を失うことなく、無事ニューヨークに帰っていった。しかし、その夜を境に、タイムはほとんど私の名前を出さなくなった。もし記事にしたとしても、ぞんざいな書き方だ。タイム社は大会社である。しかし、これはダビデとゴリアテの物語だ。眉間にぴしっと石を当てれば、強大な敵もいちころなのである。(『母が教えてくれた歌』P253〜254)


(引用終了)


ヒューズの人生と業績がざっくりわかる優れた日本語の動画!
MJがヒューズと同じように語られていることがよくわかる?





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by yomodalite | 2014-05-09 22:49 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)
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名古屋旅行で中断していましたが、ヒューズ探求の旅は、まだまだ終えられそうにありません。

私も知らないうえに、おそらく読んでくれている人も知らない。資料は少ないうえに、古いものばかりというヒューズについては、調べることだけでなく、どう書けばいいのかもわからないんですが、

でも、、MJから「大好きなんだ」「ぼくの先生かもしれない」を聞いてしまうと、それもちょっと秘密なんだけど。というニュアンスで漏らされると、もうどうしようもなくて、あっという間に、デスク周りは、ヒューズ関連のものばかりになり、暇な時間のすべてをどっぷりとヒューズに浸かっています。

彼が「大好きだ」というヒューズに辿り着けるのは、まだ先のことかもしれませんが、ひとつひとつ、ツブしていく感じで、この映画も観てみました。





『ザ・ホークス』の監督は、『ギルバート・グレイブ』や『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』のラッセ・ハルストレム。

ディカプリオが最初にオスカーに近づいた作品を撮ったハルストレム監督も、ヒューズに関しての映画を撮っていたんですね。こちらが公開されたのはイタリアでは2006年、米国では2007年。『アビエイター』は2004年末の映画でした。

『アビエイター』は、TWA(トランス・ワールド航空)が国際線に進出するといった1950年あたりで終わるのですが、『ザ・ホークス』で描かれているのは、それからずっとあとの1970年代。

この2作の映画を観てつくづく思ったのですが、2時間映画でヒューズを描くのは至難の業で、両方見ても、元々ヒューズについて知らない人が彼を理解するのはむずかしい。


この頃のヒューズは人前に出なくなっていたものの、人々の彼への関心は強く、ヒット作を探していた、売れない作家アーヴィングは、贋作画家の伝記を取材していた経験から、ヒューズの伝記を「創作」することを思いつき、

企画を持ち込まれた出版社の編集者は、ヒューズの自伝は、聖書よりも売れることを確信し、出版社も、連載を見込んだ「LIFE」誌も、その興奮の渦に巻き込まれて行く。

物語の終盤では、その本が「ニセモノ」であると、ヒューズ自身が語っている電話の音声が流れ、アーヴィングは「ニセ伝記」を創作する過程で送られてきた資料から、ヒューズとニクソン大統領の関係において、自分の「ニセ伝記」が利用されたことを示唆し、また、アーヴィング自身がヒューズと同化していく様子や、彼の一番の理解者のつもりでいたことなども。。

アーヴィングはこの詐欺事件の主犯でありながら、この事件の真相本も出版していて、それがこの原作なんですが、この事件以前にアーヴィングが取材して本にした贋作画家の話も、あのオーソン・ウェルズが『フェイク』という映画にしていたり、







上の動画で、町田氏が語っている以外にも、アーヴィングは詐欺事件で服役後、日本でも翻訳されるほどヒットした小説も書いてたり、彼自身も、何人もの女や、男を虜にしてしまう人物のようです。

この映画を観ただけでは、この「ニセ自伝」に老舗の出版社や、マスコミ人が惹き付けられた事情についても、アーヴィングがこの大胆な計画に突き進んでしまった理由についても理解しにくいのですが、

私が、原作本の『ザ・ホークス』を駆け足で読んだ印象では、アーヴィングは、当時人々がヒューズに抱いていた「奇行で人生に落ちぶれた大富豪」というイメージに疑問を抱き、小説家の空想力によって、むしろ「真実」にせまろうとしていたように思いました。

(原作本は上下刊で長いうえに、中古本でしか手に入れられませんが、ヒューズに興味がある人にはオススメの面白い本です)

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下記は、アーヴィングが「創造した」ヒューズのインタヴュー

ヒューズ「わたしは奇行で有名らしいが、その点はなんとも思っていない。奇行は卓越した知性の証だ。いや、自分に卓越した知性があると言いたいのではない。自分にそんなものがあるとは信じていないからな。本当だ。ただ、わたしは、、、そうだな、このように表現しようか。奇行を嘲る者は、、、奇行を嘲ることは、劣る知性の証だと。(中略)わたしの奇行は注意深く見てみれば、人生にはありふれた危機に対する知的な防御に過ぎないことだ。

それ以上に、どんな人間でも奇行はやるものだ。どんな人間も、いわゆる変わった態度を取ることはある。必ずしも、わたしの行動と同じではなくても、その人間なりの変わった態度があるんだ。その人間に勇気さえあればな」

アーヴィング「そして金があれば」

ヒューズ「そう、金だ。欲望の思いのままにふけることのできる金、気に入らなければ他人に地獄へ堕ちろと言えるだけの金だな。(中略)わたしの変人ぶりだけがわたしの個性だ。ほかの者が表現不可能、あるいは肝っ玉が小さ過ぎて表現できないときでも、わたしには表現できる余裕がある。(中略)正直に表現していればーーどれだけ変わっていても構わない。芸術家に近い考え方だな。そのあたりの感覚から見ると、芸術家はわたしのように裕福な男に近い。芸術家は個性の感覚を高度に磨き上げているし、ためらわずに世界にくそくらえを言える(後略)」

引用終了(『ザ・ホークス』上巻、275〜277ページから)

この映画は、ヒューズを描いた映画ではなく、

ヒューズをネタにした詐欺事件を描いているのですが、ディカプリオがヒューズを演じるために、若くして神経症にかかり、早々に破滅したかのような『アビエイター』に比べれば、

MJが仕掛けをしたと言っている「ヒューズの策略」についてや、人々のヒューズへの関心や、ねじれた愛情をも織り込まれ、わずかではあるものの、実際のヒューズの映像や彼の声も記録され、ヒューズ現象の一端が垣間みれます。

ハルストレムは、この映画を「コメディ」と捉えていて、ニクソンとの関係についても、アーヴィングの妄想や、70年代に作家が飛びつきそうなネタとして扱っているように思えますが、そんなところも、私には、社会派として骨太さがなくなっているスコセッシよりは「大人向け」の映画に思えました。

私が観た「レンタル版DVD」に納められた関係者インタヴューで「作品の教訓について」聞かれた、アーヴィングの妻を演じたマーシャ・ゲイ・ハーデンは、

ウソをつくな、なんて言うつもりはないわ。伝えたいのは、そんな平凡なことじゃなくて、人は自分の信じたいものを信じるということよ。

と答えていました。マーシャ・ゲイ・ハーデンの言っている意味とは違うかもしれませんが、私にとって、この映画では、何が正しいかをジャッジせずに描かれているところが魅力的で、マイケルのヒューズに対しての感情に、スコセッシよりは、近い人々によって創られているようにも思えました。


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クリフォード・アーヴィング(Clifford Irving)


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by yomodalite | 2014-04-26 10:26 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)
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ヒューズの人生を「神経症」で埋め尽くしてしまったのは、
この映画を製作・総指揮し、彼の神経症を見事に演じることで、
オスカーを取りたかったレオ様のせいなのか。

自分にオスカーをもたらせてくれた主演俳優のプランに乗った、
スコセッシの罪は…

脚本に使われた資料の不正は、制作を急いだためなのか(笑)

ヒューズの描き方について、なにか圧力があったのか(笑)

名匠と言われる監督や、ベテランスタッフなど、
映画界の先輩たちが見守っていながら、どうしてこんな結果になったのか(笑)

いったいどこが捏造なのか、今回は画像で検証します!(笑)

ヒューズは、リンドバーグと同世代で、飛行機の操縦は、身体的能力や、勇気だけでなく、科学的頭脳も有しているような人々による未来への挑戦で、リンドバーグも、人工心臓の開発をするなど、当時の飛行家はまさしく「英雄」でした。

リンドバーグの大西洋単独無着陸飛行は、ビリー・ワイルダーによって映画化(邦題『翼よ、あれがパリの灯だ』)されていますが、ヒューズは飛行家であるだけでなく、世界最速の記録をつくった飛行機を制作する会社を経営し、実際の飛行機が空を飛ぶ姿を、初めて映像におさめた映画の制作・監督までつとめました。

また、その映画の主演は、ヒューズ自身ではありませんが、彼を見た誰もが、主演俳優よりも、華やかな美男子ぶりに目を奪われた。

世界一の億万長者で、飛行の世界記録樹立、制作・監督した映画の記録的な大成功、数多くの女優たちとの交際…

下記は、人々に、彼がやることすべてが羨望のまなざしで受けとめられていた1930年代のヒューズの写真です。


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1930年、監督も兼ねた『地獄の天使』が記録的な大ヒット。写真はヒューズが見いだした主演女優ジーン・ハーローと。


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1935年9月、自社で開発したH‐I機に試乗したヒューズは、時速567キロの世界新記録を樹立。


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1936年1月、単身大陸横断無着陸飛行の新記録樹立。翌37年、その記録をさらに短縮。


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同年、のちのトランス・ワールド航空(TWA)の実質的なオーナーとなる。買収金額は700万ドルとも1500万ドルともいわれている。

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1938年8月、世界一周早まわり飛行。従来の記録を半分に短縮する記録を樹立。TWAの国内線、国際線の拡充の布石とする。


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ひげ剃り中に電話をうけるヒューズ。

ここからは、『アビエイター』では破滅の序章のように描かれた1940年代のヒューズ。


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1941年、映画『ならず者(The Outlaw)』のロケ現場を訪れる(36歳)


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1946年、女優エヴァ・ガードナーとボクシング観戦(41歳)


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1946年、親友ケーリー・グラントとTWAの飛行機内で。


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1946年、XFー11機のテストフライを終えたところ。


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1946年7月、XFー11機試乗中大事故をおこし、五週間入院。


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体の状態はわからないものの、顔の損傷はそれほど激しいものではなさそう。


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1947年、受注契約上の不正をめぐって公聴会に召喚される。(42歳)


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1947年、少年ファンに握手でこたえるヒューズ


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1948年「TIME誌」の表紙を飾る。(43歳)


若い頃から、病的な潔癖性に描かれていた、映画『アビエイター』ですが、自分から握手を求めていることも多い彼は、このあと必死で手を洗っていたのでしょうかww

また、エンジニアたちと一緒になって、油まみれになることも厭わず、いつもゴミと間違えられそうな作業着を着用していたとも言われていますし、ロケ現場の厩舎でも落ち着いて見え、細菌への恐れなど特に感じられないのですが...


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事故で顔におった傷を隠すために、髭をはやすことになり、徐々に人前に出なくなったと言われていますが…


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こちらも公聴会と同年の1947年。



映画では、公聴会(上院調査委員会)のあと時を経ず、破滅していったような描き方でしたが、翌年、1948年、ヒューズ工作機械、ガルフ醸造所、ヒューズ航空機は順調に発展し、同年赤字の映画会社RKOも買収。またヒューズ航空機の重要部門としてエレクトロニクス企業をおこし、カルヴァーシティに大研究施設も建造しています。

タイトルの「I'm not a paranoid」は、彼が言ったとされる下記の言葉から。

I'm not a paranoid deranged millionaire. Goddammit, I'm a billionaire.
私は誇大妄想の狂った百万長者なんかじゃない。いいか、私は億万長者だ。

彼がいつどこで言った言葉なのか、本当にそう言ったのかもわかりませんでしたが…、次は、ディカプリオではなく、リチャード・ギアが主演した、ヒューズに関する映画について。



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by yomodalite | 2014-04-14 08:28 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)
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マイケルとハワード・ヒューズ[2]映画『アビエイター』の続き


読んでくださっている方の中には、映画を観ていない方も多いと思いますが、日本ではあまり知られていない人物の伝記映画なので、ここからは、映画のあらすじを結末まで説明しようと思いますので、ご注意ください。

下記は『アビエイター通常版DVD』のコメンタリー字幕(監督、スタッフなどの解説)から、スコセッシが語っていることを抜粋して引用。

彼は世界最速の飛行機造りに挑戦しただけでなく、航空会社の経営や映画製作にも関わった。だが最大の関心事はやはり飛行機だった。ヒューズは我々の世界に多大な影響を与えている。科学者、挑戦者、パイロット… 彼はそのすべてだった。

人々は当時からヒューズの伝記を読んでは彼の言動や立場をあげつらい、あれこれ批判していた。だが本作で描いたのは、世界を変えようと息巻く若き青年の姿だ。そのプライドが最後には彼を苦しめ、強迫神経症にまで追いやるわけだが…

観客はレオ(ディカプリオ)という役者を媒介に、彼の苦悩を我がことのように感じるだろう。僕らはヒューズを1人の人間として描いた。病気が進行してからもその立場は変わらない。

彼(ヒューズ)が買収したRKO社の映画で初めて彼のことを知った。後には「世界一の大金持ち」と認識するようになる。ラスベガスのホテルに住み街の施設を次々に買収。やがて、あらゆる奇行の噂がささやかれるようになる。。。

潔癖性のこと、“取り巻き” たちの黒い噂など… 彼の大空への情熱など子供のころは知らなかったが、それを本作では描いてみたかった。

僕の頭の中には常にあるイメージがあった。ギリシャ・ローマの文学や、神話が好きでよく読むんだが、ヒューズは蝋の翼をつけたイカロスのように思える。イカロスの父は翼をつくり、ヒューズの父は翼を作るだけの金を遺した。なのに彼は迷宮から永遠に逃れられない。迷宮の正体は彼自身の狂気と執着、欲望、そして何よりプライドだった。彼の欲望には限度がなかった。

英雄には必ず暗い一面があるものだ。もっと革新者、開拓者としての彼の姿を見て欲しい。

ヒューズがかつてどれほどの高みにいたのか、僕は考えたこともなかった。アイデアに満ちた優秀な若者が少しづつ追いつめられ、それでも必死で何かを生み出し自分らしくあろうと奮闘する。彼は病いと闘いながら航空界に貢献するが、最後には自分自身の内に囚われてしまうんだ。

(引用終了)





予告編は、アビエイター(飛行機乗り)というタイトルらしく、ヒューズの力強さなども感じられるのですが、本編はそうではなく… 

ディカプリオが演じることで、ヒューズが身近に感じられるという意図は理解できます。難聴、潔癖性、強迫神経症といった持病を抱えながらも、少年のような純粋さで夢を追い続ける、そんな人物の繊細さを演じるには、ディカプリオはぴったりで、

父の事業を受け継いだ頃を演じている彼は、本当の少年のようで、『ギルバート・グレイブ』や『ロミオとジュリエット』の頃の、あの繊細なレオ様が帰ってきたという感じがしました。

でも、実際のヒューズの印象とは異なっていて・・・

革新者、開拓者として世界を変えようとした青年の姿を描くはずの場面ひとつひとつに、いちいち神経症の演技プランだけがしっかりと挟み込まれていて、

ヒューズの本当に輝かしい瞬間、物語の山場であるはずの『地獄の天使』のスゴさも「公聴会」についても、説明不足でまったく伝えられていません。

奇人変人として流布されてしまった、ヒューズのイメージを回復させようとして、彼の奇行の理由を「病気」に求めているのでしょうけど、それが、彼の偉業よりも強調され過ぎていて、結局、この映画では、ヒューズの難聴や強迫神経症ばかりが印象に残ります。

下記は、プロデューサーのマイケル・マンのコメンタリー。

本作は悲劇的な結末をもつ壮大な叙事詩だ。僕ら現代人にはヒューズのヴィジョンに親しみと共感を覚える。飛行機に対しても映画に対しても彼の読みはすべて正しかった。誰よりも未来を見通していたんだ。

今日では当たり前に感じるが、TWAは国際線・国内線を扱う最初の航空会社だった。(中略)J・ラッセルのための特製のブラジャーもデザインした。役者の演出に際しては、現在「メソッド演技」と呼ばれるスタニスラフスキ・システムを採用。『暗黒街の顔役』のP・ムニの演技はR・デニーロやA・パチーノ、M・ブランドに引き継がれる。

すべての始まりはヒューズだったんだ。

彼は病いに侵されながらも多方面に偉大な革新をもたらした。

(引用終了)

映画を見た人には、ヒューズがそこまで偉大には見えなかったでしょう。この映画で描かれたような精神状態で、どうしてそこまでの仕事ができたのか?と疑問に思った制作者は誰もいなかったんでしょうか?

彼が成した仕事は、ひとりの人間がやったこととは思えませんが、すべて「事実」です。でも、彼の奇行や、神経症と言われるようなことについては、人々が創った「物語」ではなかったかと。

映画では、ヒューズの母親の細菌への怖れが、ヒューズに潔癖性を発症させたトラウマだと捉え、また、彼が引きこもったり、孤独な生活を好むようになったことも、難聴や、強迫神経症と強く関連づけ、重度の神経症に陥っていく姿でエンディングを迎えます。

理想を追求し続けるような超人が、「ロマンティックな破滅」を迎えなければ、観客にとって「失われた個人主義への郷愁」に、安心して浸ることができないかのように。

「未来への道だ…(the way of the Future…)」と、言い続ける人間を、まるで精神患者のように。






下記は、スコセッシ映画の多くを編集しているセルマ・スクーンメイカー

飛行記録をつくって、TIME紙の表紙を飾ったヒューズの本当に輝いていた頃を、今の若い人にも知ってもらいたかった。

心臓が体の右側に移動するほどの大怪我を追っても、奇跡的に生き延びたのは、強い気力と野心があったからこそと思う。ただ、手術は成功したものの、彼の外見は大きく変わってしまった。口ひげを生やすようになったのも、この影響によるもので、事故は、彼の病気にも悪影響を与えたと。

そこあと、ヒューズは松葉杖と格闘し、自ら公聴会に出向くまでに回復したものの、肉体的なダメージは彼の精神を消耗させた。体の回復は確かに早くて、実際にハーキュリーズに乗る彼の映像を見て、本当に驚いた。

(引用終了)

どんなに映像や写真で、実際の彼の元気な姿を見ても、その裏面を執拗に悪い方に想像していると思うのは、私だけでしょうか。

スクーンメイカーは、こうも言っています。

偉大な芸術家と呼ばれる人々は見ていて辛い存在だと思う。彼らが芸術家として優れているのは、人生に対して異常なまでに感じやすいからだもの。ヒューズは才能に溢れながらも常に苦しみ続けた。多くの天才たちと同じように。マーティン(スコセッシ)が素晴らしいのは、こういう難しい人物を愛すべき存在だと感じさせてくれることね。

(引用終了)


感動的で、たしかにそのとおりだと言いたくなる言葉なんですが、ヒューズのように、ありえないレベルの優れた人間を「愛すべき存在」をするために、病気ばかりに注目し、成功よりも、破滅を描きたいのだとすれば、

そういった精神こそが「病んでいる」のではないでしょうか。

[1]で紹介したキーツ本を「つまらなかった」とか、文章家の貧弱な空想力だなどと、言ってしまったことを、撤回しようか迷っています。

読んでいるときは、MJが言っている意味が書かれていないと感じ、ヒューズにまつわる混乱の何もかもがよくわからなかったのですが、あまりにも「単純化」され、恣意的に描かれている映画を観終わったあとでは、キーツが言わんとしていたこともわかってきて、映画を観る前に、読んでおいて本当に良かったと今は思っています。

ヒューズの偉業については知らないけど。。

というMJファンの人に、この気持ちを説明するなら、少なくとも、キーツは『インヴィンシブル』までMJがやったことを描いているけれど、

映画は、マイケルの偉業を『スリラー』期に限定し、『デンジャラス』までのマイケルを描いて、そこから破滅に向かったと決めつけ、そのすべてを「病気や怪我」や「幼少期のトラウマ」で説明しているようなものです。

ここで紹介した制作者たちのコメントからは、彼らがヒューズに対して悪意などなく「善意」や「愛」をもっているように見えます。でも、彼らが描いたヒューズの姿は、その後も、財産を殖やし続け、TWAを去ったあと、60歳から、新たな事業で大きな業績を遺した彼の「事実」と照らし合わせれば、私には「捏造」と思えてなりません。



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by yomodalite | 2014-04-12 08:56 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)
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マイケル・ジャクソンが語ったヒューズを求めて、マーティン・スコセッシ監督の2005年の映画『アビエイター』も観てみました。

スコセッシ監督といえば、名匠というだけでなく、MJの長編ヴィデオ第2作である『BAD』の監督でもあり、MJが尊敬する俳優として名前をあげたデ・ニーロの代表作を何作も創り、コッポラ、ルーカス、スピルバーグといった、MJとも親交が深い監督たちとの絆も含めて、とかく縁の深い監督。

この絆には、黒澤映画と三島由紀夫の糸も絡んでいて、黒澤に関しては有名なので、三島との繋がりに関してだけいうと、コッポラは、MJが信頼していた監督というだけでなく、彼の先生でもあり、親友でもあったブランドの傑作であり、彼自身も最高の仕事をしたと自負する映画『地獄の黙示録』を監督していたとき、三島の『豊穣の海』を強く意識し、

また、スコセッシ監督の『タクシードライバー』の脚本家である、ポール・シュレイダーは、日本未公開の映画『Mishima : A Life In Four Chapters』の脚本家で、また、この映画の製作総指揮は、コッポラとルーカスが務めています。


MJの映画への強い関心は生涯にわたるものでしたが、彼が大好きな30年代のギャング映画の代表作『暗黒街の顔役(Scarface)』は、ヒューズが制作し、同じハワードと言う名のハワード・ホークスに監督を依頼した映画です。

このときヒューズの頭の中にあったのは「あたかもシカゴを舞台にしたボルジア家のような、カポネ一家の物語」でした。

ボルジア家は、しばしば歴史物語や、映画の中で悪役として登場する貴族ですが、ルネサンスを生んだという評価もあり、華やかな当時の文化を担っていました。貴族のような生活と残忍な冷酷さ、カトリック教会との軋轢・・という物語は、イタリア系ではなく、貴族的な顔立ちのブランドが「カポネ(のような人物)」を演じることで始まった、後のコッポラの『ゴッドファーザー』に受け継がれ、完成したと言えるでしょう。

また、MJが最大級に尊敬しているチャップリンは、ヒューズが制作し、監督も務めた『地獄の天使』を観た翌日、「ツェッペリン炎上の場面はこれまで観たもののうち一番ドラマティックなシーンでした」と電報を打ちました。

この映画が、ツェッペリン炎上という歴史を、映像として深く印象づけたことは、「going like lead balloon」というキース・ムーンの口癖から、lead を led に、balloon を zeppelin に変え「レッド・ツェッペリン」というバンド名に繋がった理由かもしれません。

スコセッシはこの映画を大学の映画の授業で初めて見たときのこと、また、極普通の労働者だった彼の父親が、いつもこの映画のことを感心して話題にしていたことを語り、スコセッシ自身もこの2作を何度も観たそうですが、

映画評論家の町山智浩氏も、父親が『暗黒街の顔役』を観て、アメリカ映画に狂ったというエピソードを語っています。



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永い間大勢の人々の記憶に遺り、語らずにはいられない映画となった理由のひとつは、この映画がチャップリンが賞賛するほど素晴らしい映画だっただけでなく、記録的なヒットを飛ばした映画を、ヒューズ自身がある時期から「封印した」からです。

スコセッシと同世代の映画ファンは、この作品が見られる数少ない機会を、そわそわして待ったそうです。

当時、スコセッシが自宅で『地獄の天使』の上映会をしたときも、そこにはスピルバーグや、ロイ・シャイダー、地獄の黙示録の脚本家であるジョン・ミリアス、ポール・シュレイダーや、デ・パルマもいて、皆このシーンに感嘆し、夢中でみていたそうです。

この頃、彼らが観た『地獄の天使』は白黒でしたが、スコセッシは、その後着色され、カラフルになったことで、より空中戦の激しさが伝わったとも。制作時に、無謀なほどの予算と時間をかけた『地獄の天使』は、その後の映画の技術革新にも耐え、長く名作としての位置をキープし続けたわけです。

そして、スコセッシは、自分が映画製作の道に進んだ頃、この映画が持っていたロマンティックな時代は終わったと感じたようです。未来への夢に進んでいたはずのアメリカは、いつのまにか泥沼のベトナム戦争に傷つき、夢を実現した人物を素直に受け入れられない多くの観客を生み出していました。

とにかく、そんなスコセッシが撮ったヒューズなら観ないわけにはいかないのですが、長くなったので、次に続きます。


上記でスコセッシが語ったと言っている内容は、『アビエイター(通常版DVD)』に入っていた「コメンタリー字幕(監督、スタッフなどの解説)」からのものです。

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by yomodalite | 2014-04-09 11:08 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)
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マイケル・ジャクソンの死後、父であるジョー・ジャクソンは、CNN「ピアース・モーガン・トゥナイト」のインタヴューで、息子はハワード・ヒューズのように扱われてきた。と語ったそうです。






また、MJの死後、彼との対話を出版したユダヤ教のラビは、彼の死は単なる個人の悲劇でなく、アメリカの悲劇である。と言い、その対話本の中でマイケルは、

ハワード・ヒューズは自分の所有するホテルの最上階にいるって、みんなが言ってた。そのフロアにずっといて下りてこない。暗がりの中、部屋の隅っこのベッドにいて、爪や髪をこんなに長く伸ばして、点滴に繫がれてるってね。

そんな感じで、脳はおかしな考えを色々かき集めて、とんでもない話しを作り上げる。僕はそういうのが大好きだから、ハワード・ヒューズのことも大好きなんだ。彼は大きな仕掛けをしたからね。僕にとって、彼はある意味、先生なのかもしれない。こんなことを話すのは、初めてなんだけど、ハワードのことが大好きなんだ。彼は天才だよ。人を操る術っていうか、彼はみんなが興味を持ってしまう方法を知っていて、P. T. バーナムもそういったことが得意だった。

と、語っていました。

多くの日本人にとっても、ヒューズのアメリカでの絶大な存在感については想像しにくいとは思いますが、父の事業を10代で引き継いで実業家として大きく拡大させ、「地球の富の半分をもつ男」「資本主義の権化」と評されるほど、20世紀を代表する億万長者となった人物。


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長身のハンサムで、何人ものスター女優と浮き名を流しただけでなく、自分の映画の主演女優をも発掘し、ハリウッド黎明期の名作に監督・プロデューサーとしても名を残した。また、世界一の飛行機を創る会社を経営しただけでなく、自らも飛行機乗りとして世界記録をつくった。そんなヒューズのことを、MJのような「超人志向」の男が目標としたのは、不思議ではないかもしれません。


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彼がヒューズのような偉大な男になりたいと思っていたのは、少年時代より幾分落ちついた人気と評価の中にいて、新生マイケル・ジャクソンとして、自分の今後の戦略を練り上げていた、ジャクソンズを解散する前ぐらいのことなんでしょうか。

しかし、それを語った2000年前後、彼はすでに億万長者になっただけでなく、ヒューズが経験した以上の有名税を払ってきたはずです。それなのに、父が名声による悲劇的人物として名を挙げたヒューズを、当時もMJは「大好き」「先生」だと言い、ヒューズと同じような天才として、P.T.バーナムをあげていた。。。

この人物も日本では知名度が低く、調べにくい人物ではありますが、史上最大のサーカスを主催し、広告・宣伝の達人で、「バーナム効果」という心理現象にも名前を残したバーナムと、

秘密主義者で、マスコミ嫌いという印象のヒューズを、ともに「人心を操った偉大な人物」と考えている、MJ自身の「人心術」への興味から、米国で1967年に出版された本書を読んでみました。

下記は、2005年に書かれた「訳者あとがき」から、省略して引用。

1976年、非常な死亡記事によってハワード・ヒューズの名がニュースとして報じられたとき、多くのアメリカ人は、民間伝説の最後の英雄の死という受けとめ方をしたにちがいない。ヒューズを現代の悲劇の英雄に仕立て上げたものは、失われた個人主義への果てしないアメリカ人の郷愁である。

1968年のニューズウィークの表紙になったあと、それまでの14年間、人前に一度も姿を見せず、1枚の写真も撮られていなかった隠遁者が、まさに時の人のあつかいを受けた。それは、1967年末からヒューズが手がけた、有名な「ラスベガス乗っ取り」計画が明るみに出たあとのことだった。しかし、話題の人物ということであれば、半世紀前にアメリカの実業界にデヴューして以来、ヒューズはたえず、知名度ナンバーワンの生きた伝説上のアメリカ人だった。

ラスベガス乗っ取りも、『ヒューズ正伝』の贋作をめぐる一大ペテン劇も、とつぜんの死にまつわる数多くの逸話も、無数のヒューズ伝説に新たなエピソードをひとつふたつ添えたに過ぎない。本書の筆者、ジョン・キーツは1966年に付した「まえがき」のなかで本書をたんなる中間報告とよんでいるが、ヒューズの死後あわただしく刊行された数作の “ヒューズ伝” もふくめて、本書『ハワード・ヒューズ』が最もオーソドックスな風格を備えたすぐれたノンフィクションであることは、類書と読みくらべてみればおのずと明白だろう。

数々のエピソードのなかには、本書に納めきれなかったものもあるだろうし、その後も、数多くのエピソードが生産されてきた。まず、本書刊行後の最大の事件といえば、あれほど執着を示していたTWAの持株を、ヒューズが1966年に売却し、5億ドル以上の巨額の金を手中におさめたことだろう。筆者ジョン・キーツは、ヒューズが最大の夢を託していたTWAの実権を失ったことをさして “夢の終わり” といっている。そしてその予言どおり、ヒューズはTWAを去った。ヒューズが70歳の生涯を終えた後になって考えてみれば、キーツの言葉はたんなる中間報告ではなく、正しく的を射抜いた予言の言葉であったといえる。

本書はヒューズ陣営との激しいトラブルのあとに刊行された曰く付きの書である。自分自身のことに触れたあらゆる報道を極端に嫌ったヒューズは、本書の刊行以前にも何度となく出版物に関する問題をおこしていた。彼の死後はじめて、生前身近にいた人物たちによる評伝が刊行された事実だけをみても、その絶大な影響力が測り知れるだろう。絶対に出版しないという条件で、終生前払金をもらいつづけながら暮らす “幻のヒューズ伝” 作家さえいたということである。

あやるゆ妨害や起訴を覚悟の上で本書の刊行を決意したランダムハウス社の会長ベネット・サーフは、ヒューズ陣営との話し合いを拒絶し、筆者のジョン・キーツをはげましつづけた。ヒューズ陣営は事前の検閲を申し出たり、協力すればランダムハウス社を援助するといった話までもちかけたが、ベネット・サーフは「金儲けのためだけに出版事業をやっているのではない」とはねつけたという。

(引用終了)

この本のあと、様々な類書を読みましたが、「オーソドックスな風格を備えたノンフィクション」という評価に賛同します。本書で取り上げられたエピソードは「客観的事実」として認定されているもので、著者は感情を抑え、慎重に筆を進めていると思いました。

ただ、多くの評伝がそうであるように、枠を越えたような人物でも、枠におさめないと、物語としては完成しない。という「つまらなさ」も感じました。

ヒューズが出版を妨害した理由など、もちろん、私にわかるわけはないのですが、俗世間から姿を隠しつつ、巨大帝国を支配し、“ラスベガス乗っ取り” を開始した1967年の前年に出版されるというタイミングも影響したのでしょう。

残念ながら、本書からは、マイケルが言った「ヒューズがした大きな仕掛け」はあまり感じられませんでしたが、ただ、ヒューズが書かれることを強く拒否していた気持ちは、MJにはよく理解できたのではないでしょうか。

おそらく、それは、プライヴァシーの侵害という以上に、常にまだこれからだ。と思い続ける人間にとって、客観化という作業は、凡人が納得するための物語でしかなく、

世界一という高みからの風景を一度も見ることなく、俯瞰しているつもりになっている文章家の貧弱な空想力の中で主人公にさせられることが耐えられないからではないでしょうか。

並外れた読書家だったマイケルは、歴史の本をよく読むけど、自分が描かれて来た経験から、歴史の本は信用できないとも語っていました。

歴史は繰り返すという、その歴史は、

歴史を変えようとはせず、偉人を「変人」や「病気」としてしか納得することのできない、多くの凡人によって書かれているからだ。ということは、私がマイケルへの熱狂から学んだことのひとつです。

ヒューズへの興味は、1966年に出版された本書が、2005年に再販されるきっかけとなった、映画『アビエイター』へと続きます。


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by yomodalite | 2014-04-08 10:24 | MJ考察系 | Trackback | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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