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MJが完璧なアルバムとして、何度も挙げていたチャイコフスキーの「くるみ割り人形」(The Nutcracker)なんですが、そういえば、この曲は、ダンス(バレエ)のための音楽だったことに、今更なんですが、ふと気になって原作が読みたくなりました。

◎『くるみ割り人形とねずみの王様』(河出文庫)E・T・A・ホフマン、種村季弘訳
◎『くるみ割り人形』アレクサンドル・デュマ、小倉重夫訳

下記は、上記2冊を読んだメモです。

「くるみ割り人形」に関しては、ドイツロマン派の作家、E・T・A・ホフマン原作とか、フランスの文豪、アレクサンドル・デュマ原作とも言われたり、結局どっちなの?という疑問をもたれた方も多いんじゃないかと思うのですが、その件も含めて、デュマ版の翻訳者、小倉重夫氏の「あとがき」から省略して引用します。


1891年帝政ロシアの作曲家チャイコフスキーは、翌年12月に初演される彼にとって3番目で、最後のバレエ音楽『くるみ割り人形』の作曲に励んでいた。このバレエは前年に初演した『眠れる森の美女』に続き、フランス趣味をバレエに積極的に取り込んだもの。

振付けは、当時ロシア・バレエ界の大御所だったマリウス・プティバが担当することになっており、彼は上演のための台本をチャイコフスキーに手渡し、彼も有名な童話は充分に承知していたが、改めて読み直したりして、構想を練り始めた。

チャイコフスキーは、2歳年下の妹と特に仲が良く、彼女が嫁いだ後も、甥や姪たちとの団らんを楽しみ、『白鳥の湖』も『眠れる森の美女』も、この一家の家庭音楽界用のものとして作曲された。『くるみ割り人形』は、この妹の急死にショックを受け、2人の楽しかった思い出を回顧するとともに、彼女への追悼曲にしたもの。

前2作に見られるような小品の連鎖曲ではなく、少女とくるみ割り人形との出会いから、人形とねずみの戦闘の場に到るまで、彼は交響絵巻のように休みなく音楽を劇的に展開させたのである。全曲を支配するメルヘンチックな世界には、少女と妹が二重写しになって描写され、自らの体験から生み出されたと思われる幼き日の思い出が、生き生きとよみがえっているのである。

『くるみ割り人形』の原作は、一般にドイツ・ロマン派の作家、E・T・A・ホフマンが、1815年に書いた幻想童話として知られているが、バレエ版で使用されたのは、フランスの文豪、アレクサンドル・デュマの手になるもので、このアレクサンドル・デュマは、実は2人いて、父子の関係にある。父親はデュマ・ペール(一般に大デュマ)と呼ばれ『三銃士』や『モンテ・クリスト伯』の作者として広く知られている。

一方、息子はデュマ・フィス(一般に小デュマ)と呼ばれ、デュマ・ペールの庶子で、作家としては、娼婦の恋愛を描いた小説をイタリアの作曲家ヴェルディが名作オペラとした『椿姫』で有名である。

『くるみ割り人形』(原題は『くるみ割り人形物語』)は、1844年に息子、デュマ・フィスが、まだ20歳の若き日にE・T・A・ホフマンの『くるみ割り人形とねずみの王様』のフランス語訳に着手、やがて『三銃士』を完成し『モンテ・クリスト伯』を執筆中の父親も加わり、合作の形で完成させ、ペール、フィスの明記なく1845年に出版したものである。

研究者の間では、どちらの作品とすべきか、見解が分かれているが、フランスの作品リストでは父親の方に所収されてきている。また、彼らはこの同じ年に英語版もイギリスとアメリカ両方で同時に出版もしている。こうしたことからは、いかに一時期彼らがこの作品に執着していたかがうかがえる。

当時フランスのパリは、ヴィクトル・ユゴーをリーダーとするロマン主義の全盛期で、その影響はシェイクスピアやバイロンなどの文学と同時に、ドイツのそれからも顕著に受けていた。つまり、ドイツ文学のフランス化、あるいは新ドイツ主義とも言えることが盛んに行われていた時代で、文学、音楽、バレエなどの主題をはじめ、それぞれの創作活動にこれらは色濃く反映されていた。

たとえばゲーテの傑作『ファウスト』がフランス語訳出され、『ジューヌ・フランス』派の若きロマンティスティシズムの闘志集団に愛読され、ベートーヴェンらの交響曲作品が紹介され、ベルリオーズやリストが、フランス風に極めて標題的で、演劇的、絵画的な交響曲作品を作曲するようになり、そうした主題や背景には『ファウスト』などが使われ、

ゴーティエがアナトール夫人やハイネの著した民間伝承話や、死霊ヴィリからインスパイアされて製作されたバレエ『ジゼル』にも、フランス化現象が顕著に表れ、この頃の『ジューヌ・フランス』派の若人たちは、熱病に冒されたかのように、ドイツ文化がもつ神秘で幻想的な世界、疾風怒濤の精神運動(シュトゥルム・ウント・ドランク)に熱狂し、ロマンティズムを成熟させていった。

こうした傾向はゲーテのみならず、E・T・A・ホフマンにも及び、彼の幻想怪奇な小説は高く評価され、デュマ父子にも及んだ。翻案の形で進められたところから、随所にホフマンとの相違を見ることができるが、バレエと結びつけて読まれる場合は、デュマ版の方が有効である。

それはドイツ語よりもフランス語をたしなむことが多かった当時のロシアでは、ホフマン版よりも、デュマ版の方が広く流布していて、バレエ関係者はホフマン版を手にした形跡がないからである。バレエ版を製作するに際し、スタッフもダンサーも共に原作や台本が入手困難といったこともあってか、読み込み不足、かたこれらをもとに作曲された音楽にもかかわらず、それを軽んじる傾向が、昨今散見されるのは残念なことである。

バレエは憧れいずる魂を刺激するものでなければならないが、これでは舞踏劇としての醍醐味はそこなわれてしまうのではないだろうか。『くるみ割り人形』にしても、今日上演されている多くのバレエ公演に接するよりも、デュマ父子の翻案に触れ、舞台で欠落している部分を補うことで、作品の魅力を感受し、納得していただくことが望ましいのである。(引用終了)



ホフマン版と、デュマ版の両方を読んだ感想としてはデュマ版は、あきらかにホフマンのリメイクで両作はほぼ同じ話です。ただ、デュマ版の方が、より童話っぽいという感じでしょうか。。いずれにしても、私は、バレエの『くるみ割り人形』は、こどもバレエで見た記憶が強いせいか、原作を読むまで、こんなお話だったとは、全然知りませんでした。


以下は、ホフマン版『くるみ割り人形とねずみの王様』の訳者で、ドイツ文学者の種村季弘氏の「訳者解説」より(省略して引用)


『くるみ割り人形とねずみの王様』と聞いて真っ先に思い出すのは、ホフマンのこの物語ではなくて、同じ題名のチャイコフスキーのバレエ組曲のほう、という方の方が多いかもしれません。『眠れる森の美女』『白鳥の湖』に次ぐチャイコフスキーの3番目で、最後のバレエ。それ自体がクリスマスプレゼントのようなバレエとして知られています。

これはチャイコフスキーのバレエの原作ですが、ホフマン原作をかなり省略したデュマのフランス語訳から、マリウス・プティバが1892年に書き上げた台本にチャイコフスキーが作曲したのでした。ホフマン原作は1816年、80年近い年月のへだたりがあるうえに、デュマ、プティバの2人の手が入ったのでは原作ばなれもやむを得ません。

デュマの手が入ったために、ホフマン原作の不気味な雰囲気が消えてしまったのを残念がる人もいます。フランス的ブルジョア的に甘いお砂糖をまぶし過ぎたということでしょうか。この問題は「くるみ割り人形」のバレエ上演のたびに再燃するようで、バレエ評論家によると「くるみ割り人形」上演史では、少女クララを中心にした「かわいい」演出と、ドロッセルマイヤーを中心にした「不気味な」演出の2つの流れがあるということです。


yomodalite註 : 小倉訳の『くるみ割り人形』では、主人公はマリーで、マリーのお人形がクララ(ホフマン版の人形の名前はクレールヒェン“愛称クララ”)バレエ上演では、クララとくるみ割り人形(→あとから王子)が主役のヴァージョンの他に、熊川哲也のKバレエカンパニーなど、マリー姫が登場するヴァージョンでは、原作のマリーとクララが逆になっているものもあるような。。。

☆[動画]3分でわかる!くるみ割り人形(牧阿佐美バレエ団)

そういえば、チャイコフスキーのバレエは、現にこどもである、こどもに見せるより、昔こどもだったことのある大人に見せるように構成されているように思えないこともありません。お行儀が良くて、エレガントです。ではホフマンの方はどうでしょう。そんなにお行儀が良くはありません。

こどもたちはマリーもフリッツもやんちゃそのもの。くるみ割り人形も、一皮むけば白馬の騎士といった単純なでくの坊ではありません。みにくさも、人の良さも、そのくるみ割り人形の伯父さん、ドロッセルマイヤーおじさんにしたって、素敵なクリスマス・プレゼントを贈ってくれる、こっけいで気のいいおじさんというだけでなく、何だか向こう側の世界の回し者めいた、うさん臭い不気味な感じがしませんか。(引用終了)


チャイコフスキーが、ホフマン版を読んでいたかどうかは、微妙ですが、バレエ版のお菓子の国のイメージからは、まったく想像していなかったような物語で、種村氏が言われるように、ホフマン版には不気味な味わいがあり、文庫本で5ミリ厚ぐらいの話なんですが、深みのある濃厚な描写力で、こども向けとは言えない物語が展開されています。

バレエ版では、人形が「くるみ割り人形」という、お父さんのツマミのための道具?のようなものが、少女のおもちゃとして、あまりイメージ出来なかったこともそうですし、なぜ王子が人形に変身したのかについても、納得のいくストーリーではなかったような気がするのですが、

ホフマンの原作では、「くるみ割り人形」の大きく口が避けている(?)顔を、元々カワイイ顔とは考えておらず、「王国」には、決して甘くない人間模様があり、それらから真実を見抜き、利発で、勝ち気、信念を貫き、くるみ割り人形を助けることになる、主人公のマリーは、まるで、幼い頃のパリスちゃんを彷彿するようなおてんば少女で、不気味な味わいはあるものの、このお話は、こどもの「真実を見る眼を養う」ことに繋がるのかも。。。

(引用開始)

こっけいで不気味、気が良くて残酷、美しくて醜悪、エレガントでうさん臭い。そのどちらかではなくて、どちらでもあるのがホフマンの作中人物のようです。「かわいい」か「不気味」か、どちらかに局限されるわけではなく ー むろんバレエ演出はそれでいいのですが ー 善と悪、美と醜がまだ分かれていなくて、なにもかもがまるごとそのままにある、子供の世界、それも腕白小僧やおちゃっぴいの女の子の世界が、ホフマンの「くるみ割り人形」の世界だといえばよろしいでしょうか。(中略)

「くるみ割り人形」のマリーも、ねずみの大群にお菓子やお人形をみんな食べられてなくしてしまってから、くるみ割り人形のお菓子の王国へ招待されたのでしたね。


見た目においしそうなもの、きらびやかなものを、まずすべて失ってしまうことが、この世にありうべくもない夢の世界に招かれる条件なのですね。(引用終了)


ホフマンのことは、同じ文庫に納められた『見知らぬ子ども』『大晦日の夜の冒険』という3編の短編を読んだだけなのに、ウィキペディアの

ホフマンの評価はむしろドイツ国外で高まり、1828年にフランスに初めて翻訳されて以降バルザック、ユゴー、ゴーティエ、ジョルジュ・サンド、ミュッセ、ヴィリエ・ド・リラダン、デュマ、ネルヴァル、ボードレール、モーパッサンなど、中でも特に小ロマン派と呼ばれる作家達に大きな影響を及ぼし、

ロシアではプーシキン、ドストエフスキーなどがホフマンの物語を愛好し、その影響はエドガー・アラン・ポーにも及んでいる。ドイツではリヒャルト・ヴァーグナーがホフマンから霊感を得ており、『ニュルンベルクのマイスタージンガー』『タンホイザー』は『ゼラピオン同人集』のなかのパリを舞台にした小説群に多くを負っているほか、

『さまよえるオランダ人』もホフマン作品の暗鬱で神秘的な人物像から影響を受けている。またジークムント・フロイトはホフマンの『砂男』を題材にして「不気味」という感情の源泉を分析した『不気味なもの』という論文を執筆している。


という文章に、大いに「納得」してしまいました。

また、今まで「ロマン派」とか「ロマン主義」とか、何度か説明されても、今イチ、ピンと来なくて、よくわからなかったのですが、MJが創りたかった映画のことを、色々考えているうちに、なんだかすごく気になってきて.....だって、ハリウッドは、ストーリー、音楽、ダンスも含めて、現代のロマン派がもっとも結集した場所ですし、、

MJが「インストュルメント・アルバム」を計画していたときに、好きな音楽として挙げられていた作曲家たち(2人のバーンスタインとか...)も、まさに、その源流の人々だったり、、MJが「くるみ割り人形」がお気に入りの理由は、チャイコフスキーの「リズム」にあるのかもしれませんが、

ホフマンの世界と、その継承者たちの精神には、MJが「狼男」にこだわった理由や、おとぎ話の意味が詰まっているように思えました。

そんなわけで、古い本だけでなく、古い映画も観なくちゃという気持ちに、ますますなってきてます。

☆一番上の写真には「新刊」てあるけど、全然新しくないです!
◎『くるみ割り人形とねずみの王様』(アマゾン)
◎『くるみ割り人形とねずみの王様』(本が好き!)

◎『くるみ割り人形』アレクサンドル・デュマ、小倉重夫(訳)は、アマゾンでは現在取扱いなし。私は図書館を利用しました。

《下記は、ホフマンの生年を大雑把に把握するためのメモ》

◎ゲーテ(1749年8月28日 - 1832年3月22日)
◎モーツァルト(1756年1月27日 - 1791年12月5日)
◎ベートヴェン(1770年12月16日ごろ - 1827年3月26日)
◎ノヴァーリス(1772年5月2日 - 1801年3月25日)

◎E・T・A・ホフマン(1776年1月24日 - 1822年6月25日)

◎ユゴー(1802年2月26日 - 1885年5月22日)
◎エドガー・アラン・ポー(1809年1月19日 - 1849年10月7日)
◎ワーグナー(1813年5月22日 - 1883年2月13日)
◎ドストエフスキー(1821年11月11日 - 1881年2月9日)
◎ボードレール(1821年4月9日 - 1867年8月31日)
◎ルイス・キャロル(1832年1月27日 - 1898年1月14日)
◎チャイコフスキー(1840年5月7日 - 1893年11月6日)
◎ニーチェ(1844年10月15日 - 1900年8月25日)
◎オスカー・ワイルド(1854年10月16日 - 1900年11月30日)
◎T・S・エリオット(1888年9月26日 - 1965年1月4日)


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by yomodalite | 2011-12-27 10:41 | 文学 | Trackback | Comments(6)

驕れる白人と闘うための日本近代史 (文春文庫)

松原 久子/文藝春秋

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1989年にミュンヘンで出版され、2005年8月に日本で出版された本。著者は日本人ですが、これをドイツ語で書くことに専心し、日本語版は、田中敏の翻訳による。

下記は、「Let's Blow! 」より引用・・・・・

この人、ドイツで、ドイツ語で小説、戯曲、短編、評論を執筆してたらしい
で、ドイツの全国テレビで毎週五カ国の代表が出演して行われる討論番組に、彼女がレギュラーとして出演してた時のこと

そのときのテーマは、案の定「過去の克服‐日本とドイツ」
相変わらずドイツ人は、日本軍がアジア諸国で犯したという「蛮行」をホロコーストと一緒くたにするわ、イギリス人は代表は捕虜虐待を、アメリカ人は生体実験とか南京事件を持ち出すとかして日本を攻撃非難した

こっからが、松原さんの偉いところ。彼女は1人でそいつらの批判を真っ向から受けて立って、ドイツ代表には、 ホロコーストは民族絶滅を目的としたドイツの政策であって、戦争とは全く無関係の殺戮であること、そういう発想そのものが日本人の思惟方法の中には存在しないって反論

イギリス代表には、 イギリス人による日本人捕虜虐待、アメリカ代表には100以上の日本の都市に対する無差別爆撃を指摘した。 で、その後がすごい

番組終了後 「テレビ局からケルン駅に出てハンブルク行きを待っていると人ごみの中から中年の女性が近づいてきた (中略) 彼女は私の前に立ち、『我々のテレビで我々の悪口を言う者にはこれだ。日本へ帰れ』と言うなり私の顔にぴしゃりと平手打ちをくらわし、さっさと消えていった」(雑誌「正論」平成十三年一月号より)

日本で「日本」のいいこと言う人はいくらでもいるけど、彼女みたいに、まわり全部が外人で、討論相手も全部欧米人・・・なんてなかで袋叩きに遭いながら反論して・・・番組終わってから、平手打ちをくらうほど自国を、この日本を弁明した人がいるか?

(中略)

なんで日本人は「日本の弁明」をしないのか 西洋崇拝?西洋人の歴史観に洗脳<汚染されてる? 語学力がないのか? それとも言挙げしないって美学かな

それじゃ、ダメだよ・・・黙ってたら、認めたことにされちまう、外国では

松原さんはね、「傷ついて、傷ついて、悔し涙を流して」(本人談)日本の弁明してくれてる、変なサヨク言うところの、ことさらに美点を強調した「修正史観」じゃなくていい、日本民族の優越性を主張しなくてもいい、まともな「事実」を海外に知らしめてくれたら、もうそれだけでいい

この話、後日談があるんだって。それで、ドイツ人をちくっと見直した

松原さん、次のテレビ出演のとき、平手打ちされたことを番組のはじめに話して「ドイツには今もって言論の自由がないから身を守るため沈黙する」 と宣言したらしい

そしたら、放送中視聴者からの電話がいっぱいかかってきて・・・花束がお見舞いとしてたくさん送られてきたんだって

その中に、こんなカードが入ってた 「あなたの言うことは腹立たしい。でも本当だから仕方ない」 訳者の田中敏さんによると、松原さん曰く「この本は、どうしても彼らに言わぬば我慢できないという『激怒』と『使命感』 に燃えて書き上げた」

田中さんはそれについて「深いところで東西の対決を試みる日本人だけが自己正当化の渦のなかに巻き込まれ、毅然とした日本人だけが彼らから冷酷な扱いを受けるのである」と言ってる

松原さんが「出版にこぎつけるまでの闘いで、一度に十歳くらい歳をとった」っていう本

(引用終了)

だそうです。
______________

【出版社 / 著者からの内容紹介】 近代史を見れば、白人が野蛮だったのは明らかだ!
欧米人の優越意識を覆すためにドイツで刊行され、あまりにもはっきりと「日本の優越」を展開したため、大きな物議をかもした書

【BOOKデータベースより】 欧米においては、自分たちの歴史こそ世界史であり、自分たちの生き方にこそ文明の名にもっとも相応しく、地球上のあらゆる民族は欧米文明の恩恵に浴することによって後進性から救われたと教えられてきた。だから彼らの潜在意識の奥深くには、確固たる優越感が入り込んでいる。これに対し、著者は、江戸期の鎖国日本は経済的社会的にみごとなまでのバランスのとれた「小宇宙」社会を形成しており、人間と自然の共生に心を砕いていたと史実を示す。それは同時代ヨーロッパの、すべてを侵略征服せんとする拡張謳歌精神とは正反対だと指摘する。ヨーロッパの世界侵略は、その「小宇宙」を壊したのであり、それを「文明開化」と解釈するのは大間違いだと言う。この、ヨーロッパのほうが野蛮だった、とういう主張は、ドイツで大きな物議をかもしたが、同時に今や、世界人口の急増と資源の枯渇を前にして、欧米でも「小宇宙」日本の共生思想に目覚め始めている。欧米人の優越意識を覆すためにドイツ語で刊行された書を、今度は日本人の劣等感を打ち破るために、邦訳出版する。大航海時代の到来以後、全世界を発見、征服した「偉業」に対する欧米人たちの誇りを根底から覆す書。

■松原久子/京都市出身。1958年国際キリスト教大学卒業後、米国ペンシルヴェニア州立大学院舞台芸術科にて修士号取得。同時に日本演劇史を講ず。西独ゲッティンゲン大学院にてヨーロッパ文化史専攻。1970年日欧比較文化史において博士号取得。週間新聞 DIE ZEIT にコラムを持ち、西独国営テレビの番組で日欧文化論を展開。ドイツペンクラブ会員。ドイツ語による著書多数(小説、戯曲、短編、評論)。1987年より米カリフォルニア州に移住。スタンフォード大学フーヴァー研究所特別研究員を経て、現在著作に専念。 [主要著書]『日本の知恵 ヨーロッパの知恵』(三笠書房)、『和魂の時代』(三笠書房)その他、ドイツ語による著作(一部は世界8カ国で翻訳出版)多数。

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by yomodalite | 2007-05-28 20:07 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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