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少年A 矯正2500日全記録

草薙 厚子/文藝春秋

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『絶歌』に関しての報道は、本の中身に問題があるかのように報道されていますが、実際の内容は、むしろ矯正教育が無事に行われたことの証明にもなっているような穏当なものでした。

わたしには、元少年Aが本を書いた罪は、メディアの本質を理解しなかったことだと思えてなりません。

ただ、彼が『絶歌』の中で何度も謝っているのは、被害者とその遺族だけではなく、なにかに他にも「謝っている」ようで、それが何なのか気になって、他の本も読んでみました。

本書の全体的な内容についてはこちらの参考記事を。

下記は、私が個人的に気になった箇所のメモです。

◎Aに再犯の恐れはない
 
「医療少年院でやるべきことはすべてやりました」少年院関係者が胸を張った。平成十五年三月二十五日、関東医療少年院の院長は、関東地方更生保護委員会に対してAの仮退院を申請した。
 
Aは両親や兄弟と住むことになるのか、その近くで一人住まいをするのか、それとも家族から離れて遠くに住むのだろうか。彼のすぐ下の弟は大学生で、三男は高校生。さほど広くないマンションで生活しているから、Aが割り込むスペースはないのかもしれない。A本人は「はやく社会に帰りたい」、「日本の一角で『匿名』で静かに暮らしたい」と望んでいるという。
 
ある少年院関係者は、ただひたすら生き続けてほしいと願っている。「被害者のニーズには極力応えてほしいと思います。社会に貢献するところまではいかないまでも、普通の人として七十歳、八十歳まで生き続けてほしい。それが私たちの願いです。逆に言えば、彼が生き続けることを社会が許容してほしいということ。その程度に余裕のある社会であれば非常によいことだと思っています。結果が出るのはずいぶん先のことだと思いますが、彼もまたその程度に余力のある人間であってほしいと思います」

時にはAと、結婚の話もするという。Aは、どう考えているのか?「結婚の話になると、『いいです、いいです。そこまではとても考えられません』と言っています。それどころか、『自分は生きていけるのか? 仮退院しても、実際に自分をケアしてくれる場所が……』と心配していた時期もあります。大人は子どもを産んで、育てて、先に死んでいくわけですが、彼のように性中枢が未発達なまま育つケースというのは、本当にわずかな割合でしか起こらない。そういう少年でも、社会がなんとか手をかけ、社会復帰させ、そして受け入れていってほしいのです」
 
Aが結婚して、子どもを作るかどうかは未知数だが、彼が希望するなら、それを阻む理由はないと関係者はいう。平成十五年五月、森山真弓法務大臣(当時)が、平成十五年内にAが仮退院するという見通しを述べた。「贖罪意識がつくられつつあり、社会の中で保護観察処分に移行するのが更生のために有効だとの報告を受けました」(中略)

ある関係者は「Aに再犯の恐れはない」と強く言い切った。

「退院したAが何者かに襲撃され、そのときに暴れて人に怪我をさせるという、その程度の恐れはあります。しかし、彼が以前と同じパターンで小さな子どもを殺す可能性はゼロです。なぜなら、もはや彼にはその『原因』がなくなったからです」ただし、Aを待ち受けるのは拉致や襲撃だけではないと、法務省は神経を尖らせている。

「たとえば、大金を債んで手記を書かせようとする者もいるでしょう。それで億単位のカネが入ったら、彼は自由に動き回れるようになってしまう。だから、一挙に押し寄せるであろう様々な誘惑をはね返すケアも必要なのです」 実際にそういう動きが出てきていると、法務省は警戒するのだ。被害者遺族への慰謝料、総順二債円という莫大な債務を抱えたAは、今後の生き方についてこう語っているという。

(yomodalite:これについては、この著者だけではなく、当然Aにも注意していたでしょう。手記を書くなというのは、Aをここまで導いた人々との約束でもあったわけですね。Aの本の中での「謝罪」には、それが出来なかったという意味もあるのだということと、おそらく事件に関わった他の同業者たちの怒りもその掟破りへの反発からなのでしょう)

「できることなら仕事をしたい。汗水垂らして働いて、償いのお金をコツコツと払っていきたいのです。そして、許されるならば、お墓参りをさせてほしい。あるいは、手紙を受け取ってもらえるならば送りたい。遺族の方と調整がつけば、できる範囲で精一杯のことをさせてもらいたいのです」
 
それは、Aが一生をかけて果たさなければならない当然の義務だろう。山下彩花ちゃんの遺族に寄り添ってきたジャーナリストの東晋平氏は、次のように話した。「A君の社会復帰について、山下さんには正直『怖い』という思いがあります。これは誰もが抱く感情でしょう。矯正されたといっても、それは矯正教育に関わった人の主観であり、客観的に証明しようがない。けれども、その上で『被が更生への道を歩き出していると信じたい』という思いがあるのではないでしょうか。単なる社会復帰ではなく、厳しい現実でよりよく生きる。ここからが被にとって、本当に厳しい道でしょう」(中略)

少年院関係者は、Aには社会を泳いでいけるだけの体力はつけたと強調する。
 
「世間が入院当初のような『殺せ! 殺せ!』の大合唱だったら、まさに暴風雨の海に子どもを投げ出すようなものです。その時期のことを思い出せば、世間の荒波も少しは静まったと思います。だから、少年院としてはAに、水泳でいうと千五百メートルを泳ぎきるだけの体力はつけました。ただし水泳でも、いきなり海に飛び込ませたら溺れてしまうから、少し練習させる。そのウオーミングアップの時期が仮退院なんです。ウォーミングアップさえさせていただければ、千五百メートル泳ぎきるだけの力は身についているはずです。プールに水を張らないとしたら、それは社会の責任です」
 
仮退院期間中、Aは社会からの語感や冷たい視線に晒されることになる。どれくらい打たれ強くなれるかが、出院後の波を左右するはずだ。法務省はAを社会復帰させるために、万全の処遇体制を整えるだろう。そして、何よりも重要なのは家族がどう対応するかだ。(中略)
 
Aの母親は、自分の息子が淳君を殺害したことを知っていたのではないか、と疑問を投げかける人も少なくない。(中略)報道された事実のみを追えば、母親がAの深夜の行動に気づかなかったというのも、甚だ疑問である。母親としての第六感が働き、「もしかしてウチの子が……」と思ったことはなかったのだろうか。
 
「酒鬼薔薇聖斗」事件が起こる四年前の1993年2月12日。イギリスのリバプール郊外で、当時十歳だった二人の少年、ジョン・ベナブルズとロバート・トンプソンが、当時二歳の男の子ジェームズ・バルジャーちゃんをショッピングセンターから連れ去り、殺害する事件があった。遺体は四キロ離れた線路上で、列車に轢断された状態で発見された。この事件はイギリスを震憾させ、凶悪事件が起こるたびに引き合いに出される。
 
ヨーロッパ諸国では、刑事責任が問われるのは大半が十四歳からだが、イギリスでは十歳からとなっている。通常、十七歳までの被告は少年裁判所で裁かれるが、殺人などの重罪は一般の裁判所で審理される。十七歳以下の未成年容疑者は、原則として匿名で報道しなくてはならないが、重大犯罪の場合、裁判官の権限で実名公表の禁止原則が解除されることもある。この二人の少年犯も、判決前から実名と写真が報道され、公判でも実名公表が許された。二人は誘拐・殺人罪で無期禁固刑となったが、二〇〇一年に仮釈放され、生涯にわたって保護観察下に置かれるという。仮釈放を決定したとき、高等法院は、社会復帰のため、二人に新たな名前と架空の略歴を使うことを許可した。以後、マスコミが写真や住所を公表することは許されない。犯人の一人は保護観察のもと、大学にも進学したという。ちなみにイギリスでは、「バルジャー事件」をきっかけに少年犯罪の危険性に関心が高まり、厳罰化の傾向が強まったとされる。(中略)


平成十六年三月十日、少年Aはついに仮退院した。Aは、たしかに改善の兆候をいくつも示し、完治に向かったことは事実だろう。しかし、本当に完治したかどうかは、誰にもわからない。この七年の間、彼に関わった教官たち、彼の家族、そして彼害者家族たちのためにも、彼が再び罪を犯さないことを祈りたい。法務教官たちの苦悩は、少年Aが出院してからも決恚て終わることはないだろう。
 
Aの矯正に関して、ある重要な立場にいた法務省幹部は振り返る。
 
「当時、神戸少年鑑別所を指導し、送致先、テストバッテリー、鑑別所スタッフ、予算等々のすべてにかかわる立場にいた者たちでさえ、ここまで成果を上げてくれるとは思っていませんでした。改めて、世界に冠たる日本の少年矯正の底力を見た気がします。世論を真摯に受け止めつつも、どんな批判があってもビクともしません。感情的な憶測や偏見では、被害者と加害者の将来にかかわる判断はできません。七年間にわたって悪戦苦闘してきた少年院の実感を信じるしかないと思います。我が国の臨床心理学をリードし、各種の心理テストを開発してきた鑑別所と、世界一の処遇効果を誇る少年院の総力を挙げての実践と判断は、単なる感情論を超えたものですから………」(P182〜200)


下記は、著者である草薙厚子氏に関してのメモ。

(このあと「奈良エリート少年自宅放火事件の真実」の際に起きた問題の要因が少しだけ透けて見えるような内容だったので)

「あとがき」

私が東京少年鑑別所法務教官を拝命したのは十数年前のことだ。およそ二年間の勤務だったが、法務省矯正局の人たちをはじめ、家庭裁判所の判事、調査官たちと知り合い、良い関係を築くことができた。大学を卒業したばかりの小娘を温かく指導して下さった方々には、今でも心から感謝している。
 
自分で言うのもロ幅ったいが、当時の私は矯正教育に高い志を待っており、社会のため、誰かの役に立ちたいと切望していた。非行少年の多くは幼少期に、親からの間違った躾、差別、虐待、いじめ、過干渉などを受けて苫しんでいる。彼らは、ある意味では被害者だと思う。彼らの人生を正しい方向に導いてくれる人が周囲にいたら、おそらく矯正施設に入らなくて済んだろう。
 
偉そうに聞こえるかもしれないが、私は彼らの社会復帰のため、少しでも役に立ちたいと思って毎日を過ごしていた。ところが残念なことに、一部の職員から受けたハラスメントをきっかけに、私は志半ばで辞めざるを得ない状況に追い込まれてしまう。悪夢だった。私は自分の気持ちを踏みにじった人を憎んだ。今でも思い出すと怒りがこみあげてくる。しかし、今回の取材を通して、私が志半ばで辞めてしまった矯正教育を、心ある職員たちが立派に成し遂げていることを知った。おそらく彼、彼女たちは、毎日のように心を痛め、悩み、汗や涙を流しながら、誰かのために自分を犠牲にして働いているに違いない。
 
「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」。鎌倉時代に親鸞が説いた悪人正機説である。私はこれを「自分の悪を自覚し、そのために泣き、悔いることのできる人間こそが教われる。自分の中の悪にも気づかず、うぬぼれ、心を固く閉ざしている人間は教う必要はない」という意味だと解釈している。教科書でしか習わなかったこの教えが、今、とても心に響いている。少年院の職員たちは、皆このような気持ちで非行少年たちに接している。矯正教育はいつも逆説的な発想から始まるのだ。
 
しかし、今回の取材では、ある少年院スタッフとの間で実に残念な事件があった。私にはこのスタッフが「自分たちこそ善人である」と勘違いしているとしか思えなかった。二〇〇三年秋、「週刊文巻」に第一回の「少年A 医療少年院矯正日記」が掲載された数日後のことだ。施設の外観を確認するため、関東医療少年院の周辺を見て回っていると、ある職員から隣の官舎の敷地に意図的に入ったと咎められ、強制的に名刺を奪い取られたのである。私が「矯正日記」の筆者だとわかったのか、たちまち職員の顔色が変わり、やがて私は十人ぐらいの男性職員に囲まれ、威圧的に罵倒され、怖くなって立ち去った後も無言で追跡されるという心理的妨害を受けた。後でわかったのだが、職員を牽引していた人物が統括専門官であり、平成16年には本省に戻って大きなポストに就くと聞いて、私は一層怒りを感じた。公務員の「密室性」は全く変わっていなかったのだ。

(引用終了)

◎マイケルとジェームス・バルガー事件の関連記事


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by yomodalite | 2015-06-22 06:00 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)
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マイケルとThree Stooges(2)のつづき

「Curly: An Illustrated Biography of the Superstooge」が出版されたのは1985年で「Vibe」誌のインタヴュー(2002年)より17年も前の話なんですが、その1年前の2001年「USA Today」のインタヴューで、MJは子供の教育について答えています。

彼は父親になり、5歳の長男と、4歳の長女、次男はこの雑誌が販売された頃はまだ生後1〜2ヵ月ぐらい。こどもたちの教育のことは、きっと彼の関心のかなりの部分を占めていたと思います。

◎USA Today Interview(スクリプト原文)
◎こちらのとてもとても素敵なブログに翻訳があります

(上記から抜粋して下記に引用)

歴史を振り返ってみると、素晴らしいことを成し遂げた人はいつも同じ目に遭ってきています。僕はディズニー家の人達と親しいんですが、ウォルトのお嬢さん達はいつも、学校時代は辛い思いをしたと話していました。同級生に「ウォルト・ディズニーって最悪だよな。つまんないもん。ディズニーなんか見ないよ」と言われ続けたそうです。

チャーリー・チャップリンの子供達とも親しいんですが、彼らも子供達を学校に行かせられなくなった。「おまえの爺ちゃん、アホか?全然面白くないよな!みんなあいつなんか嫌いだよね!」というふうにいじめられたせいです。チャップリンはあんな天才だったっていうのにです!(何かを達成した人の子孫は)みんなやっかみに対処していかなくてはならないんです。(引用終了)



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彼らとの交流は、父親として、自分のこどもを守るために、彼らの経験から学びたかったという理由も大きいのかもしれません。

このインタヴューでは、チャップリンやディズニーの娘とのエピソードが語られていますが、彼は、ジョン・レノンの息子や、また元妻のリサもそうですが、他にも多くの有名人の子供と交流しています。アメリカの象徴とも言える少女スターだった、シャーリー・テンプルと面会したとき、MJはひたすら泣いたという話もありました。

わたしは、リアルタイムで、この頃のMJの記事を目にしていたときは、彼が前人未到の成功を手にした後「チャイルド・スター」であった自分の辛かった思い出に、こだわり過ぎていて、自分のような、一般的なファンの気持ちから、どんどん離れていってしまっているような気がしていましたし、メディアの「マイケル・ジャクソン」のイメージもそうでした。

でも、2000年前後の彼の行動をよく見て行くと、彼が「チャイルド・スター」としての過去のトラウマや、得られなかった子供時代にやり遺した世界に、閉じこもっていたという見方は、違うのではないかと思うようになりました。



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彼が、多くの有名人の子供や子役スターと交流したのは「チャイルド・スター」であった自分のきもちをわかって欲しいという気持ちがなかったとは言えませんし、自分のこどもの教育を考えてという理由もあったと思います。

でも、MJには、彼らの心を癒したいという気持ちの方が強かったんじゃないかと、私には思えるんです。そして、彼が癒そうとしていたのは、チャイルド・スターや、芸能人の子供だけではありませんでした。

彼が「こどもの心」を癒そうとしていたのは、もうずっと前からですが、1993年にイギリス、リバプールでおこった2歳児誘拐殺害事件の加害者である、ふたりの10歳児にも会いに行こうとして、当時の妻だったリサ・マリーとも口論になったようです。

この事件は、当然のことながらイギリスで大問題になり、未成年としてはありえなかった実名報道や刑事罰があたえられるなど、メディアの過熱報道がなされた事件でした。

何もなくても、常にパパラッチにつきまとわれているMJが、こういった過熱状態のメディアから逃れることなど、まったく不可能にも関わらず、彼は、2人は愛のない家庭に育ったに違いないから、どうしても自分が会いに行かなくてはいけないんだと、強行に主張したようです。

◎オックスフォード・スピーチでも語られた「ジェームス・バルガー事件」
(=ジェイミ・バルジャー)


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MJはリサのことを、こどもたちの病院を一緒に訪問するのに、とてもふさわしい人だったと語っていますが、多くのこどもたちへの支援活動をしているような人であっても、幼いこどもの命を奪った「こども」に愛情をそそげる人は少ないでしょう。

オックスフォードでのスピーチも「USA Today」のインタヴューと同じ2001年です。

彼がそこで語ったのは「貧しさや病気から、こどもを救う」ことではなく、大人も含めて自らの内にある、こどものこころを「癒す」ことと「許す」ことでした。

◎オックスフォード大学での講演  

こどもの頃、大好きだったカーリーのモノマネや、コメディを人前で演じることを、彼は10代で一旦止めて(「ジャクソンズ・バラエティ・ショー」)、彼は代表作と言える傑作アルバムを何枚も創った後、彼らの素晴らしさと、自分が受けた影響を、何度も語るようになっていますが、それらは、未だに、真剣なメッセージとしては、捉えられていないように思えます。

☆2001年「USA Today」(再度上記のブログから引用させていただきます)

Q : 子供が教えてくれたことは?

MJ : 沢山あります。子供に接していると、聖書の教えを思い起こさせられます。 聖書によれば、弟子たちが、誰が一番すぐれているとイエスはお考えだろうかと言い争っていた時、イエスは「お前たちのうちの一人ではない」と言って一人の少年を呼び、「この子供のように謙虚になるまでは、、、」と述べられたということです。

このことは、私達は、親切で謙虚でなくてはならず、子供のように開かれた素直な目で驚きをもって世の中を見ることが大切だと教えてくれます。僕にはまだそういう面があると思います。今でも僕は雲の様子や日没の素晴らしさに我を忘れます。昨日も虹を見た時、願いを唱えました。流れ星も見て、その度に願いを唱えたんです。(引用終了)



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こどものように素直に世の中を見ることは、大人にとって、ときどき思い出して見た方がいいと思いますが、こどもの心を大事にして「許す」ことは、むつかしくないですか?

「許す」ことは、こどもには、なかなか出来ないし、こどもっぽさを大事にして、大人になるのも、むつかしいですよね。

Q : 父親になってどんなふうに変わった?

MJ : とても大きな変化を経験しました。時間の使い方を今までとはすっかり変えなくてはいけないでしょう。子供達の世話を行き届かせ、正しいマナーを教え、きちんと育てるのが僕の務め。とはいっても、それを自分の音楽やダンスやパフォーマンスの妨げにはさせない、とも心に決めている。

ですから、僕は二つの異なる役割を演じなくてはならないんです。

(引用終了)

わたしは、MJが旅立ってから、彼を拒絶し始めた時代のことを、何度も思い返してしまうのですが、あの頃から、世の中は、どんどん「不寛容」になっている気がします。

ジェームス・バルガー事件は、イギリス全土に警備カメラが設置されるという結果を招き、10歳の少年に終身刑を求める声も激しかった。

不寛容で、疑い深い世の中になると、なぜか世の中は「こどもっぽく」「単純」になり、画一化されましたが、人の「こどもっぽさ」は、許されなくなっているようです。



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MJがカーリーのことを好きなのは、映画『スリング・ブレイド』もそうでしたが、自分を犠牲にしてもというところに、親近感があるように思います。

でも、彼がキングになってから、メディアに「ストゥージズ」が好きだと、何度も語るようになったのは、芸能人の鏡としてのリスペクト以外に、2つの意味があるのではないでしょうか。

ひとつは、マイケル・ジャクソンの顔について(16)でも書きましたが、

90年代以降、世界が「笑えない」方向に進もうとしていたことを、
敏感に察知していたから。

もうひとつは、内田樹氏の『武道的思考』で、これは、MJのことではないかと思ったのですが。。。(グレー部分。再度省略して下記に引用)

「世界が私のような人間ばかりだったらいいな」というのが人間が自分自身に与えることのできる最大の祝福である。でも、これはむずかしい課題である。

ふつうの人は「世界が私のような人間ばかりだったら」気が狂ってしまうからである。他者のいない世界に人間は耐えられない。

だから、論理的に考えれば、「私のような人間ばかりでも平気な私」とは「一人の人間の中に多数の他者がごちゃごちゃと混在している人間」だということになる。

わたしが、内田氏の言葉を本当に理解しているかどうかわかりませんが、MJが「ストゥージズ」への愛を語ることが多くなっていったとき(ヒストリー〜インヴィンシブル期)、彼自身からスマイルが消えていったのは、あの頃の「逆風」からではないと思います。

なぜなら、彼は、あの「裁判」のときですら、笑うことが出来るほど「強く」、
それから何年も準備を怠らず「THIS IS IT」で復活することができたのだから。



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MJとThree Stooges(1)で紹介した「序文」は、追悼式が行われた日の
「The NEW YOKER」でも、記事になっていました。

元記事内の「message board」にリンクがあって、Three Stoogesのファンサイトに飛びます。Stoogesの熱心なファンが、MJのためにあたたかいメッセージをくれていると思って行くと、そうでないものもたくさんあるので、そんなにお薦めできませんが....

「The NEW YOKER」の記事の締めの言葉。。。
Curly, like Jackson, outperformed the pessimists.

著者のジョーンによる、娘たちへのインタビューのことなどは、また気が向いたら。。




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by yomodalite | 2011-02-13 21:42 | MJ考察系 | Trackback | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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