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☆[2]のつづき

本書の紹介を続けます(省略して紹介しています)


エルサレムの靴直し「偏見のない人」

私はイエスという男を好いていたわけではなく、また嫌っていたわけでもない。あの男の説教を聞いていたのは、その言葉よりも、その声が音楽的で美しいと思ったためだ。彼の声は耳に心地よかった。

あの男が言ったことはすべて、私にはうすぼんやりとしかわからなかった。しかし、彼の声の音楽的な響きは、はっきりと聞き取ることができた。

もしあの男が何を教えているのかを私に教えてくれる人がいなかったならば、本当にあの男がユダヤに味方しているのか敵対しているのかさえ、私にはわからなかったろう。


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ユダの母キボレア

私の息子は品行方正で善良な子だった。私には親切で優しかったし、親族や同郷の者たちにも愛情深かった。あの子は私たちの敵、紫の衣をまとう忌まわしいローマ人を憎悪していた。

息子は17歳のとき、私たちの葡萄園を踏みにじって行軍していたローマ兵士に矢を射たせいで、捕虜された。あの子は私の子、唯一の息子だ。

あの子は、今や干涸びたこの胸から乳を飲んだ。今や震える葦のようにか細くなってしまった私の手の指を握りしめながら、あの子はこの家の庭で初めて歩いた。

私はあの子が自裁して果てたと聞かされた。あの子は、友人のナザレ人イエスを裏切ったという自責に駆られて、レバノンの岩山から身投げしたという。あの子が亡くなったのを知っている。だが、あの子が誰を裏切ったわけでもないことを知っている。なぜならあの子が憎んだのは、ただローマ人だけで、ユダヤの同胞をあの子は深く愛していたからだ。

通りであの子はイエスに出会い、この家を出て、彼に従って行った。そのとき私の心は、あの子が誰かに従うのは間違っていると思っていた。あの子が別れを告げたとき、私はあの子の判断が間違っていると指摘したが、あの子はそれを聞き入れようとはしなかった。

どうか私にこれ以上、息子のことを訊ねるのはおよしください。
私はあの子を愛していたし、これからもずっと愛するだろう。

私はもうこれ以上語りたくない。ユダの母親よりはるかに尊敬されている、別の女のところに聞きに行くがよい。イエスの母親のところに行くが良い。彼女の心にもまた剣があるだろう。

彼女はあなたがたに私の話もするだろう。それで私の言いたいこともわかるだろう。


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最後に、
マグダラのマリアが、イエスの死から30年後に語ったこと。



マグダラのマリア(30年後)「霊の復活について」

いま一度私は語りましょう、死にあってイエスは死を征服したと。墓から蘇り、霊と力をもって復活したと。あの方は私たちの孤独を歩き、私たちの情熱の庭を訪れました。

あなた方があの方を信じていないのを知っています。私もかつてそうでした。信じないあなた方は大勢います。でも、その数はこれからどんどん減っていくでしょう。

言葉を見つけるために、リラや堅琴を壊さないといけないものでしょうか。
果実がなると確信するまえに、樹木を切り倒さないといけないものでしょうか。

あなた方がイエスを嫌うのは、北国出身の誰かがあの方を神の子であると言ったからです。しかし、あなた方はそれぞれが己を誇り、隣人とは兄弟になどなれないと思っているために憎み合っています。

あの方が処女から生まれ、人の種でないと言う者がいるから、あなた方はあの方を嫌います。しかし、あなた方は、墓に赴いた母たちの処女性を知らない。

自らの渇きに咽びながらも、墓地に下りて行った男たちのことも知らない。

大地が太陽と結婚していることをあなた方は知らない。その大地が私たちを山に遣わし、砂漠へと赴かせるのだということをあなた方は知らない。

あの方を愛する者たちとあの方を憎む者たちの間には、そして、あの方を信じる者たちと、あの方を信じない者たちの間には、大きな深淵が口を開けています。

しかし、やがて年月がその隔たりを埋め、あなた方は私たちとともに生きたあの方が不死であることを知るでしょう。

私たちもまた神の子であるのとちょうど同じように、あの方が神の子であることを知るでしょう。あの方が処女から生まれたのは、私たちが夫のない大地から生まれたのと同様に真実です。

不信者たちは大地から、その乳房を吸うために根を与えられず、高く飛ぶための翼を与えられず、この世界を満たす愛の滴を飲むこともできず、満たされることもない ー たいそう奇妙なことではありませんか。

しかし、私は自分が知っていることを知っています。それだけで充分なのです。


(引用終了)


なんとなくですが、私は、この本を読んでいるうちに、神を信じることが、
宗教でなくてもいいのではないかと思いました。



◎『人の子イエス』カリール・ジブラーン(アマゾン)
◎全国図書館蔵書検索サイト「カーリル」




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by yomodalite | 2011-12-25 12:09 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(5)
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Khalil Gibran



☆人の子イエス/カリール・ジブラーン (著)、小森健太朗 (翻訳) [1]のつづき

凡庸な伝記にありがちな「光と影」という描き方では、光が射し込む窓が、まるで1つしかないようなものが多く、凡庸なライターは、それを「二面性」と表現することにも躊躇しない。裏や表などという、そんな薄っぺらい人間などいるわけがないのに。。

でも、画家でもあるジブランは、光も影も多彩であることをよく知っていて、人が多面体であることがよくわかっている。洗礼者ヨハネ、マグダラのマリア、イエスの弟子ルカ....等々、さまざまな人物がイエスについて語っていて、

同じ人物が、人によってまったく異なるように見えていること、見る人の眼によって、見える顔は違うのだということが、カタログのようになっている点も興味深く、

また、ジブランは1883年生まれで『人の子イエス』は、1928年に出版されたものなんですが、ここで、イエスについて語っている人々は、現在とまったく変わらないようにも、私には見えました。

さまざまな人の中には、イエスを救世主として考えていない人や、批判者も多く含まれていますし、ルカやマタイといった福音書の語り手が、どう語っているかは、実際に本書で読んで頂きたい.....など色々迷った結果、下記に少しだけ紹介します。(かなり省略して引用してあります)


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Self Portrait and Muse, 1911



ナタニエル(イエスの使徒の一人)「イエスは柔和にあらず」

人々は、ナザレ人のイエスが柔和で謙虚だったと言う。人々が言うところでは、イエスは正しい義の人で弱者だったのに、しばしば力をもった強者と取り違えられているという。拘束されて衛兵たちの前に引き出されたとき、イエスは狼の群れに投げ込まれた羊にすぎなかったと人々は言う。

しかし、私は、イエスが人々に対して権威と力を持っていたと言おう。

従順で柔和な者が「我生命にして真実に到る道なり」と言うだろうか。
検挙で控えめな者が「我、父なる神の内にあり。父なる神、わが内にあり」と言うだろうか。

自らの力を自覚していない者が「我を信じざる者、この生命を信じず、永遠なる生命をも信じず」と言うだろうか。

心が貧しく思慮に乏しい者たちが、イエスのことを柔和で謙虚だと言うのを聞くたびに、私は胸がむかつき、腸が煮えくり返りそうになる。彼らは自らの弱さと貧しさをイエスに投影して、自らを正当化しようとしているにすぎない。

虐げられた者たちが、慰めを授ける仲間として、イエスを語るとき、そのイエスはまるで道ばたで日に炙られている虫けらのようだ。


そう、そのような者たちに、私は心底うんざりしている。私が認めるイエスは、強大な人であり、難攻不落の聳え立つ霊に他ならない。



イエスの信徒ダビデ「実際的なイエス」

あの方が語った説教やたとえ話の意味がわかったのは、あの方がもはやおられなくなってからでした。いやそれどころか、あの方の言葉が私の眼前で形をなし、体となって私が歩く道を歩くようになるまで、私はあの方が語ったことを理解しませんでした。

このことを私に話させてください。ある晩、私は机に向かって坐り黙考に耽りながら、あの方の言行を思い出して、それを記録に書き留めようとしていました。そのとき私の家に何人かの泥棒が侵入しました。泥棒たちが我が家の財物を盗もうとしていたのはわかっていましたが、イエスのことを夢中で考えていた私は、泥棒たちに剣をとって対峙することも「そこで何をしているのだ」と口にすることさえしませんでした。

私は泥棒の侵入に気づいてもなお、師の言動の覚書を続けました。
泥棒たちが去ったとき、私はイエスの言った言葉を思い出しました。

「あなたの上着を盗もうとする者には、別の上着をも与えてやりなさい」

そして、私は理解しました。私が師の言葉を書き綴っているとき、たとえ私の全財産を持ち去ろうとする者がいたとしても、私の筆を止めることはできなかったでしょう。

私とて、自分の身、自分の持ち物を守りたくないわけではありません。けれども、そんなものよりも貴重な宝がどこにあるのかを私は知っているのです。

(引用終了)

☆人の子イエス/カリール・ジブラーン (著)、小森健太朗 (翻訳) [3]につづく





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by yomodalite | 2011-12-24 20:03 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)
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本書は、マイケルの愛読書として知られている『預言者』の著者である、カリール・ジブランの英語で書いた著作の中では、唯一の長編で『預言者』に次ぐ、第二の代表作と言える作品。

この作品をMJが愛読していたという記事を読んだことはないのですが、ジョン・レノンは、箴言集『砂と泡』(Sand and Form)を『ジュリア』に引用し、ラジニーシは、「ジブランの著作は、真のイエスを表現することにおいて、きわめて近くまでいっている」と評価し、愛読書として9冊も挙げるなど、西洋の読書家にとって、ジブランの英語著作である7冊は必読本であること、

加えて『預言者』の著者が描いた「イエス」を、MJが読んでないわけがない。という私の判断から、本書を「MJの愛読書」と断定します。

下記は、訳者のあとがきから(省略して引用)


◎『預言者』の刊行

ジブランは、ニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』に出会っていたく感動し、詩的な表現の様式の理想をニーチェに見出した。書簡集でみても、この頃に知り合った女友だちには「ニーチェを読んでいないのなら、読んでから来てください。ニーチェの『ツァラトゥストラ』の話をしましょう」と書いている。


◎『人の子イエス』について

本書でのジブラーンの文体は、現代の口語文でなく、シェークスピアの時代に近い、古雅な英語で書かれている。翻訳に際し、文語調に訳すのが原著の味わいにふさわしいかもしれないが、本書では、主にイエスの語りを特化させるため文語調に訳すことで、コントラストをつけることにした。

本書は全部で79の小節からなり、イエスの同時代人による歌や証言で構成されている。ただし、この作品を「78人がそれぞれに語るイエス像」とするのは、いささか不正確で、重複する語り手を勘定すれば、語り手は72人である。

本書のイエス像は、新訳聖書の福音書を通して伝えられるイエス像と、似て非なるものがある。ジブラーンの描くイエスの教えには、苛烈な裁き手としての側面はほぼ払拭されている。本書のイエス像の特徴は「神の子」としてのイエスではなく「人の子」としてのイエスを強調する側面が大きいことである。

そのため、イエスの奇蹟などは描かれていない。「神の1人子」としてのイエスを否定し「人の子」としてイエスを肯定的に描くというのが、基本的なジブラーンのスタンスのようである。

このようなジブラーンのイエス像には、ジブラーンが傾倒していたニーチェのイエス観が反映されているだろう。たとえばニーチェは『善悪の彼岸』4章の164節で次のように述べている。

イエスは彼のユダヤ人たちに言った。「律法は奴隷のためのものであった。私が神を愛する如くに、神の子として神を愛せよ! われわれ神の子らにとって、道徳など何の関わりがあろう!」(木場深定訳)

道徳の教師として矮小化されているイエス像を、ニーチェは救い出し、道徳を超越して神を愛することを説いたイエス像を提示しようとしている。ニーチェを通してイエスは、神の1人子でなく、人みなが神の子であると宣べ、その姿勢は、ジブラーンを通した本書でのイエス像に受け継がれている。

ジブラーンの親友ナイーミによるジブラーン評伝中でも、本書のイエス像はニーチェの超人を模したものだと述べられている。

ジブラーンは種々あるイエス像がどれも気に入らないと列挙していて、キリスト教徒の描くイエスは従順な子羊のようで弱者にすぎるし、神学者の描くイエスは、あまりのジャーゴン、専門用語にイエスを閉じ込めすぎである。最近のアメリカ人作家によるイエス伝では、現代のアメリカのビジネスマンのようにイエスが描かれている。

どのようにしてイエスを描くつもりかというナイーミの問いに対して、ジブラーンは、何人もの同時代人の眼を通して語られる多面的なイエス像という構想を語った(引用終了)


マイケルへの興味から『聖書』を読んでみようと思われた方は少なくないと思いますし、私も、MJきっかけで読んでみて、ようやく、ちょっぴりわかったとか、理解が深まったという本が一杯あるので、今度こそ「よくわかる聖書」とか「面白いほどわかる聖書」とか「日本人にもわかる聖書」とか(不思議とこういった本に限って、さっぱりわからない本が多い)、そんな感じの本じゃなくて、実際の『聖書』を読んでやるぅ!という“野望”はあるんですが、

これまでの何十年間の読書経験でも、特に「新約聖書」に関しては、どーゆーわけか、旧約よりわかりにくいという印象がありました。(新約聖書を新書にした『新約聖書Ⅰ・Ⅱ』[文春文庫 解説:佐藤優]は、画期的だと思いました)

でも、

本書は、イエスのことを知りたいと思ったときに、聖書の難解なうえに「してはいけないこと」ばっかり言ってるイメージから逃れられ、尚かつニーチェの本質にも触れられるかもしれない....

そんな「お得な内容」については、

☆人の子イエス/カリール・ジブラーン (著)、小森健太朗 (翻訳) [2]につづく

☆ジブラン自身が描いたイエスの表紙も素敵。。
◎『人の子イエス』カリール・ジブラーン(アマゾン)
__________

[BOOKデータベース]同時代人七十数名の証言でえがくイエスの生涯。祈りの風土を知るレバノン生まれの詩人が甦らせた「地上を歩むイエス」。使徒たち、マグダラのマリア、総督ピラト、ペルシアの哲学者、ユダヤの大祭司、ナザレの隣人など、同時代人七十数名の証言のかたちで描くイエスの生涯。イエスの言葉と行いが、福音書の記述と異なっていたこともあったろう。

笑い、夢み、愛したイエス。その語りは人の心の中心を射抜いた。憎まれ、侮蔑され、十字架上で死んだイエス。彼は武装したローマ帝国と伝統を固守するユダヤ社会を前にひとり立った。「人の子」イエスは、人の飢え渇きをわが身で知っていた。本書の登場人物たちの孤独、苦痛と怖れ、悲しみ、執着、情熱と憧れは、わたしたちのものでもある。

著者ジブラーンは、初期キリスト教発展の地レバノンのマロン派の家に生まれ、渡米。ジョン・レノンにも愛唱された、米国で今も最も著名なアラブ系詩人である。読者は頁の中で、今も地上を歩む「人の子」イエスに出会うだろう。 みすず書房 (2011/5/21)




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by yomodalite | 2011-12-23 15:40 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback(1) | Comments(0)
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マイケルの愛読書『預言者』から
「罪と罰」“Crime and Punishument” の部分を少しだけ。

(「よく生きる智慧ー完全新訳版『預言者』」から省略して引用しています)


あなたが方が誤りを犯した犯人のことを、
自分たちの仲間でなく、あなた方の知らぬ人、
あなた方の世界に侵入してきたもののように話すのを、
私はたびたび聞いてきた。

しかし、言っておくが、どんな聖人でも正しい人間でも、
あなた方1人ひとりのなかにある気高いこころよりも
高く上ることはできないのだ。

おなじようにまた、いかなる悪人も弱い人も、
やはりあなた方のなかにあるもっとも堕落したこころよりも
おちることはできない。

正しい人々は邪悪な人々のおこないに関して潔白ではない。
そして潔白なものは重罪犯人のおこないと関係がないわけではない。
そう、罪人は怪我をした被害者であることさえ多い。

さらに、罪がなく非難されない人々の分も
重荷を背負わされる場合はもっと多い。
正しいものと不正直なもの、
善人と悪人をはっきりと区別することはできない。

あなた方の誰かが正義の名のもとに罰をあたえ、
邪悪な木に斧をふるうなら、その根を見せるがよい。
そうすれば善と悪の根、実のなる木とならない木の根が
大地の静かなこころのなかで、みなからみあっていることに気づくだろう。

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ジブラン自身によるスケッチ
“Sketch for Jesus the Son of Man”



すでに犯した罪よりも深く反省しているものを
どう罰するのか?
深い反省こそがあなた方のもつ法律の求めるものではないのか?
だが、罪を犯していないものに深い反省をさせることも、
罪を犯したものの心から反省を取り除くことも、
あなたにはできない。

深い反省は夜、招かれもせずにやってきて、
罪を犯した人々はそのために眠れずに
自分自身を見つめるかもしれない。

そして正義を理解するというあなたは、
白日のもとですべてのおこないを見定めなければ
どうしてこのようなことを理解できるだろう?

そうしてはじめてあなたは気づくだろう。
立っているものも倒れているものも、
どちらもおなじ人間であり、小さきものの夜と
神となる昼とのはざまの黄昏にたたずんでいることを。


(引用終了)

マーレーの子供たちが、不幸にならないようにするには、、
どうすればいいんだろう?



この裁判の争点では、マーレーが無罪になれば、MJが薬物を乱用していたということになってしまう。マーレーは自分の仕事を失わないために(彼だって自分の子どもを養わなくてはいけないでしょう?)、MJの自殺行為を主張するしかなかった。

大好きなMJの姉のことも、ずっとハラハラして見てきたけど、遺族感情は複雑で、ファンが出来るのは、家族が癒されるときまで一緒に見守ることで、家族の加害者への感情に同調しすぎると、結局、家族も後になって苦しむんだって、昔ある人から教えられた。(このケースは故意ですらないし....)

報道は、本村洋さんがあれから辿った年月なんて、追わないからね。。。

家族のひと以外は、自分を癒すことを第一に考えないと、悲しみの連鎖を担うことになってしまう。。






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by yomodalite | 2011-11-09 09:36 | always happy | Trackback | Comments(4)
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そういえば『恥ずかしい読書』に、本を逆さにして読むことの効能が書いてあったかも・・・

さて、[1]では『預言者』は読んだだけでは「来ない」本だと言いましたが、柳澤氏の『よく生きる智慧ー完全新訳版「預言者」』は読むだけで「かなり来ます!」

『預言者』の翻訳に至るまで(冒頭のエッセイより省略・要約して引用)

“The Prophet”は、この80年のあいだに、世界の20カ国以上の国で翻訳され、じつに2000万人以上の人々に読まれていると言われています。しかし、日本では何度か翻訳を試みられながら、いまだ世の耳目をそばだたせたことはありません(中略)

世界の国々で、教養のある人は皆読んでいるような本を日本でも広く知らせたいという私の気持ちは強くなる一方でした。その気持ちを、小学館の編集者に話したところ、彼は、こともあろうに、わたしに般若心経の現代語訳を銘じてこられました。

尋常を絶する直感力で、私と『預言者』の結びつきの前に、私と般若心経の運命的つながりを洞察されたようです。


『よく生きる智慧』より前に出版されて大評判になった、現代詩訳の般若心経本!

◎『生きて死ぬ智慧』(アマゾン) 

般若心経では現世を超越する死生観、つまり「生きて死ぬ智慧」がテーマでした。これに対し『預言者』ではあくまでもこの人間社会の普遍的な倫理、この世のこの生 ー 私たちの日常の日々を「よく生きる智慧」がテーマです。(引用終了)

さらに、冒頭のエッセイで、柳澤氏は、コロンビア大学大学院で博士課程終了、Ph.Dを取得された生命科学者でしたが、ES細胞やiPS細胞の研究に関連した遺伝子研究で、世界をリードしていた矢先に、原因不明の病気に襲われ、研究者としての道を閉ざされ、

また、病気の原因がわからず、様々な病因をたらい回しにされたことで、芽生えた医学への不信、苦痛への周囲の無理解から孤独の奈落に突き落とされ、その絶望をジブランの詩が、いかに救ってくれたかが語られているのですが、

このエピソードは、柳澤氏の個人的な物語としてだけでなく、読者の心の扉を開ける準備運動になっていて、これに続く、ジブランの思想説明も、わたしが何度か読んで、長い間に、ようやく「そうなのかなぁ」と思ったことに近い説明がされていて

「最初から、柳澤訳で読みたかった...」と思う内容だったので、一部引用します。

彼の宗教面での思想は、すべての生き物は神聖に存在し続け、生命は再生するという確信です。これは一見、ニーチェ哲学に影響を受けているかに見えます。しかし、ニーチェのようなニヒリズムとは無縁です。

善と悪について語るとき、彼はそれがわれわれ全体の一部なのだといいます。彼は絶対的な善や悪を否定します。彼は書きます。

「直立している彼と倒れている彼は、夜の小さな自己と昼の神の自己の闇の薄明かりの中に立っている1人の男に過ぎないのだ」

ですから、アルムスタファは、いかに凡俗に絶した叡慮を示したとしても、ニーチェが仮想したツァラトゥストラのような超人ではありません。ニーチェ哲学特有の宙返りするような思考の飛躍や、錐もみするような論理の迷宮はありません。

すべての人は、この世にあるべきようにあればいい。そういう単純きわまりない我が身の養い方だけを告げます。いたずらに宗教がかった啓示で驚かせることは決してありません。(中略)

ジブランは、いのちを黒白に分ける一本の線で見ない。いのちを白地一色の面で見る。いい人、悪い人の別はない。好きな人、嫌いな人の分け隔てもない。哲学者や裁判官のように善悪・正義の峻烈を定めることもなく、誰もができる「よく生きる」法だけを諭す。

そして知らず知らずのうちに、聴く者に無類の倫理性と智慧の深みを伝染させてしまう。人の善性に対する、しんじつ心を尽くした信頼の完璧さは、胸がすくほどにいさぎよいと思います(本書タイトルの『よく生きる智慧』を名づけた理由を、このリフレーン幻聴体験から推測していただければ幸いです)(引用終了)


ね!なんか、「マイケル来たーーー!」って感じしません?

この「エッセイ」は30ページほどあって、『預言者』の世界に、読者を導くうえで必要な説明が過不足なくされている無駄のない文章で、わたしはこの本からスタートするのが、もっとも「近道」だと思いました。

エッセイによる説明だけでなく、詩の訳し方も、もっとも普通の文章で、そこも、わたしは重要だと思いました。多くの人が、ジブランの文章の美しさを称えていますが、ステラが言うように、この本で真っ先に重要なのは「わかりやすく自分なりに言い換える」ことだと思うんです。

有枝 春氏の『預言者のことば』では、冒頭に、デヴィッド・ボウイやジェイソン・ムラーズが曲や著書の中で一部を用いていること、また写真家の星野道夫氏もエッセイ『長い旅の途上』で、詩の一部を紹介していることなどが書かれています。(星野道夫氏は、MJが旅立ったときに、わたしが一番最初に思い出した人です)

最初の詩編「船の訪れ」の冒頭部分を引用します。

あらゆるものを誘う海が私を呼んでいる。旅立ちの時だ。

選ばれし者、愛されし者、自らの日々を照らす太陽、アルムスタファ。彼は遠いオルファリーズの町で12年間、故郷の島からやってくる迎えの船を待ち続けていた。そしてついに、その12年間の収穫の月、アイルールの7日。彼が町の城壁を出て丘を登り、海のかなたを眺めると、薄もやのなかから船が姿を現した。


下記は、柳澤氏の本の同じ部分「決別の船出」。

どうしたら悲嘆にくれずにおだやかな気持ちで、この街を去ることができるだろうか....

アルムスタファは誰からも好かれ愛されていました。時代の夜明けを告げるように、若く輝かしいアルムスタファ。かれはオーファーリーズの街で船を待っているのです。その船はかれを生まれ故郷の小島へつれて帰るために、こちらに向かっているのでした。

この街に来てから12年目の刈り入れの月であるアイリールの7日目に、アルムスタファは、塀のとぎれている街角から丘に登り、海のかなたを眺めました。海のかなたから霧に包まれて進んでくる船が見えるではありませんか。


有枝氏の訳は、船井氏、池氏と大雑把に言えば同じで、前述の神谷氏の文章は柳澤氏にやや近いのですが、神谷氏の訳は『預言者』全文ではなく(それと『予言者』でなく『預言者』の方がいいと思う)柳澤氏訳の方が「わかりやすく自分なりに言い換える」ことにおいて、より確信的で、

柳澤氏の強い想いに助けられた方が、この物語の扉が開きやすいと、私は思いました。

◎『よく生きる智慧ー完全新訳版「預言者」』(アマゾン)

☆皇后陛下も愛読されてます。
◎カリール・ジブラン(ハリール・ジブラーン)ウィキペディア


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by yomodalite | 2011-11-04 11:29 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(4)

よく生きる智慧~完全新訳版『預言者』

柳澤 桂子/小学館

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これから『預言者』を読もうと思っている人と、一応読んでみたけど....という人へ。

マイケルも、ステラ・アドラーも、読めと言っていた『預言者』ですが、この本を読んで『Dancing the Dream』を読むと『Dancing the Dream』がより味わい深くなると思います。

と言っても、わたしも『預言者』を、『Dancing the Dream』 よりもずっと前から読んでいたにも関わらず、なかなかわからなかったんですが、永江朗氏がインタヴューで「なるべく断定して、間違っていたら謝れ」と言われていたことを見習って『預言者』のベスト翻訳本を断定することにしました。

では....

『魂の演技レッスン22』の編者であるハワード・キッセルは「あとがき」で、こう語っています。

本書はステラ・アドラーと出版社アプローズ・ブックスのグレン・ヤングとの交流から生まれたものだ。(中略)以下、ヤングの言葉を引用しよう。

「僕はいつも、戯曲に書かれていることの本当の意味や、この場面でこうなるのはなぜなのか、この人物はなぜこうなるのか、ということを考えていた。ただ漠然と興味があったのではなく、具体的な疑問がいくつもあった。それらを重ね、目に見えない粒子のようなレベルで戯曲を分析したかった。だから彼女の興味を引けたのだと思う。僕たちは分子レベルで理解し合い、深い交流ができた。

僕たちの関係が変化したのは、僕が彼女の本に意見を出した時だ。当時、ステラ・アドラー名義で本が出版されようとしていた。それより、もっといい本ができるんじゃないかと僕が言ったのだ。

ステラを知る人は皆、彼女の精神の豊潤さ、バロック的なところに、たくさんの方面に同時に手を伸ばそうとする大胆さを知っている。演劇は歴史や哲学、経済、心理学、色彩と光の合流点。そう主張したのが、ステラ・アドラーだ。

彼女の思考はこれ以上ないほど研ぎすまされ、安っぽくされるのを拒む。何に対しても、非常に堅古な思考が返ってくる。

また、彼女には華やかさがある。彼女は生徒にも華やかさを求める。知性の面での華やかさ、贅沢を持ちなさいと生徒を導く。ところが、目の前にある本は、僕が思うに、それとは正反対の内容だった。

冷たくて、ちっちゃくて、メカニカルな感じのする本だった。ステラが放つ炎のような感じや、冒険的なところも全部抜け落ちていた。過激な言葉はみな、お行儀の良い表現に書き換えられていた。

彼女を取り巻く全員がその本を賞賛していた。反対意見を唱えたのは僕が初めてだと思う

そして、グレン・ヤングの使命は僕の使命にもなった。ステラ・アドラーの教えを書き起こすだけでなく、彼女の声のトーンまで伝えろと。(中略)

本書は普通の「ハウツー」本ではない。ステラ・アドラーが最も嫌うのがハウツーだ。彼女にとって、演技の技法は世界についての思索と一体である。彼女いわく、この世界は堕落している。旧約聖書の預言者も、同じことを言うかもしれない。(引用終了)


彼女の素敵な言葉は、他にもいっぱいあって、ホント紹介しきれないんですが.....この本であらためて実感したのは、

偉大なひとのことは、偉大なひとを通してでしかわからないということと、
偉大なひとは、偉大なひとから学んでいるということ。


マイケルのことを最初に「もの凄い読書家」だと思ったのは、2005年の裁判のときの写真を見たときなんですが、それは、大きな苦しみや逆境を乗り越えていけるひとは、必ず、偉大な先人の教えを学んでいるということと、

あのときの彼の態度は、逆境を冷静に乗り切る以上に、スゴく魅力的だったことから、彼の読書について、ますます興味が尽きなくなってしまいました。

『預言者』は「世界的なベストセラーで、聖書の次に世界中で読まれている」という本なので、わたしも一応、佐久間 彪氏訳のヴァージョンで読んでいて、2年ほど前に、この本がMJの愛読書だと知って「ああ、そうかぁ」とは思ったんですね。

MJの愛読書として公表されているものは、どれも納得できるものでしたが、『預言者』は『ムーンウォーク』や『Dancing the Dream』 と思想的にも、全体的な雰囲気も一番近い味わいをもつ作品に思えたので。。

とはいえ、それは「そんな感じがした」と言うだけで、何種類かあるアマゾンレヴューを見てもそうなんですが、『預言者』が、MJの他の愛読書に比べると人気がないのは、

この本は、難解ではないのですが、感動することは、むずかしいからだと思うんです。

それで、『預言者』は、わたしの中で「いつかはきっと」のコーナーにずっと置いてあったんですが、ステラの言葉、

このエッセイの中からあなたが引きつけられる章をひとつ選び、わかりやすく自分なりに言い換えてきてください。自分の言葉を使って書き直してみましょう。

で、精神にキックが入ったので、全部の翻訳本を読み比べてみました。

古典の翻訳物には、2、3行であっても、何を書いてあるのかわからないような、難解な文章も多いのですが、こちらは、どれを選んでもそんなことはないですし、薄い本なので原書で買われた方も多いと思います。

たしかに、英語が苦手なわたしでも「MJ愛」と「聖書の次にベストセラー」の理由があれば、なんとか・・と思うぐらいの厚みなんですが、よほど、英語に堪能でなければ、これは日本語で読んだ方がいいと思います。だって、そうじゃないと、

テキストを読みこなし、作者の思考に取組みなさいということよ。思考のないテキストなんて存在しない。読んで、読んで、読んでいるうちに意味がわかり始めて来ます。

ということが出来ないでしょう?

ステラの言葉でようやく気づいたんですが、母国語で読んでいる人でも「わかりやすく自分なりに言い換える」ことが必要なんだから、そうでない人は、もっと「自分なりに言い換えることが必要」で、

何度か読んで思ったんですけど、、これは読んだだけでは「来ない」本なんです。

古典にはそーゆーの多いですよね。そもそも、聖書がすんなり読めたら、教会もいらないですしね。

『預言者』の翻訳本は下記の6種類(タイトルと翻訳者のプロフィール)

◎船井幸雄(『預言者』有名経営コンサルタント、スピリチュアル系の著書多数)
◎佐久間 彪(『預言者』カトリックの神父)
◎有枝 春(『預言者のことば』)
◎柳澤桂子(『よく生きる智慧』生命科学者、エッセイスト)
◎神谷美恵子(『ハリール・ジブラーンの詩 』ハンセン病治療に生涯を捧げた精神科医)
◎池 央耿(『ザ・プロフェット』)

この中で、物語の導入部に効果的な「ことば」があるのは、柳澤氏と、神谷氏のもので、神谷美恵子氏の『ハリール・ジブラーンの詩』は、預言者だけでなく、他のジブランの作品からも抜粋した本で(神谷氏の訳では『予言者』)、この本には、最初に本書の構想が説明されているので、下記に一部引用します。

初めの「船の到着」のところで意味が深いと思ったのは、巫女の願いに対して予言者が次のように答えていることです。

「オルファリーズの人々よ、あなたがた自身の魂の中で今、動いているものについて語るほか、ほかの何について私が語ることができようか」

人生についての知恵とは結局、万人の心にあるものにほかならない。ただ一般の人はそれをうまく自覚することも表現することもできない。みなに代わって自覚し、これを新しく表現するのが予言者、詩人の役割だというのでしょう。(引用終了)


『預言者』を未読の方は、ピンと来ないかもしれませんが、この最初の「船の到着」の意味を、自分に惹き付けて読むことができない本が多いんですね。

柳澤氏の本は、冒頭がエッセイになっていて、神谷氏の本よりも、ずっと長い導入部分があるのですが、

わたしは、柳澤桂子氏の本をお奨めします。

紫の表紙に白い薔薇の装幀も、邦題「よく生きる智慧」も、なんだか宗教くさくて、最初の印象では、もっとも感覚的に違うなぁと思いましたし、本文が始まる前に氏の闘病期も交えて語られていたりして、わたしは通常、映画でも本でもあまり解説を見たくない方ですし、特に、自分が見たり読む前は避ける方なんですが、

この本に関しては、この導入部の説明はすごく必要だと思いました。

☆よく生きる智慧 ー「預言者」[2]につづく


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by yomodalite | 2011-11-03 11:37 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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