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追悼〈下〉

山口 瞳/論創社



『追悼〈上〉』に続いて下巻も読了。

上巻と同じく、本書で追悼されている方々は、知らない方が多いのですが、何冊かの本と、何本かの映画で知っている、寺山修司から読んでみました。

(以下、本書から引用)寺山修司に最後に会ったのは、1昨年の11月、府中の東京競馬場ゴンドラ席、ジャパンカップという国際招待レースの行われた日だった。

彼は、いきなり、私を指さしてケタケタを笑った。それは軽蔑と親近感のまざった笑いだった。彼が指さしたのは私の持っている競馬新聞だった。それに気づいて、私も笑った。

私は蛍光ペンでもって逃馬を黄色に、追込馬を桃色に塗り潰す。そうするとレース展開がよくわかる。だから、私の競馬新聞は、かなり派手なことになる。寺山修司は、それを笑ったのだった。

(引用終了)

競馬とかギャンブルというのは、わたしには一番わからない世界なのだけど、素敵だと思う男にはギャンブル好きが多くて、この謎はずっと解けそうにない。

山口氏の文章では、このあと、寺山が馬券を買うところを目撃したときのことが書かれていて、寺山がスポーツ新聞に書いていた競馬予想とはずいぶんと違う、正統派で生真面目な買い方をしていたことや、

地方都市から出てきて、俳句、短歌、詩、演劇、小説、評論、映画のいずれの部門でも大成しようとして、その無理を押し通そうとして夭折したのが寺山修司であり、「傑作」だった、その葬儀の場面が描写されている。

坂本九への追悼は「ウへホムフイテ」というタイトル。

永六輔氏の「ウへホムフイテアハルコフホフ・六から九への弔辞」という追悼文が出色だったとして、冒頭に紹介されている。(以下、引用)

ずっと昔のこと。「上を向いて歩こう」という曲が出来た時、
八大さんが坂本九という少年を、「この子に歌わせるから」と連れてきた。
少年は「上を向いて歩こう」を、ウへホムフイテアハルコフホフと、
妙な節回しで歌い、僕は不愉快だった。
そのコフホフホフが、あっという間に、ヒットソングになった時、
この少年に対する拒否反応が芽生え始めた。


追悼文というのは、特にそれが不慮の事故死であったとき、故人を褒め讃えるものときまっている。「死んだ人の悪口を言うな」と言う。

しかし、人間には長所と短所があり、その短所を書かなければ、故人の全体としての人間像が浮かび上がってこない。すなわち、本当の追悼文にはならない。
私はそう思っている。短所が長所につながる場合もある。

追悼文で故人の短所や欠点を書くときは胸が痛む。とても辛い仕事だ。永さんの追悼文からは永さんの痛みが伝わってくる。そうでなければ駄目だ。

九は「九ちゃん」といわれたい。そう言いながら「九ちゃん」でいることに、
心底疲れていた。
笑顔を見せ続けることに疲れていた。
九は嫌われることを恐れていた。
誰にでも好かれようと努力していた。
少なくとも、ファンの前では、そして、僕の前では。


このあたりを永六輔さんは泣きながら書いていたと思う。泣きながら書いたら良い文章になると言えないが、ちかごろ、特に小説では、この作者は泣きながら書いていると思われる文章にお目にかかることが少なくなった。心情を吐露するということが少なくなってしまった。

(引用終了)

注:上記も含めて、引用箇所は、これらの方の文章の導入部をメモしたかったからで、本書の内容のハイライトとは異なっています。氏の文章のスゴいところは一部分だけ抜粋すると、誤解を招きそうな深い文章なので。この坂本九の文章も、本書内では短く軽い内容ですが「深イイ話」という以上のギラリと光る部分あり。(三浦和義とその夫人、坂本九の奥さんへの優しさなどのエピソードが含まれている)

と、山口氏は書いている。小説ではどうかわからないけど、追悼文といった文章で、山口氏のように痛みを伴い、故人の命に寄り添ったような文章に出逢うことは、本当に無くなってしまったと思う。

この本に収められている「知っている人」の中で、わたしが実際に彼らが亡くなったときに泣いた人はひとりもいない。わたしは、そういった「有名人」をそれほど近しい者とも感じていなかったし、「死」についてもあまり考えていなかった。

それなのに、本書を読んでいて、上巻でも、下巻でも、何度も何度も泣かされた。

注:一般的に、泣かされるという感動の種類とは、異なる深い内容ではあるのだけど、誰からも愛されたかった男が、それ以上に多くのひとを愛そうとしたときの「無理」や「嘘」について、この2年間、何度も考えてきたからかもしれません。

山口氏も、泣きながら書かれたのだろうか。でも、泣きながらと言うよりは、血を流しながら、胸が張り裂けそうになりながら、書かれたのではないかと思う。

これらの文章は、週刊新潮の「男性自身」という連載コラムに書かれたもので、この連載は1963年の12月から1995年の8月まで、1614回書き続けられたもの。

上巻の向田邦子への文章はこのコラムの中で、8週にわたって書かれ、三島由紀夫への文章は7週、親友であった梶山季之へは過去最長の9週にわたって書かれた。下巻では、吉行淳之介への文章が7回にわたって書かれたもので、吉行氏出棺の日に前立腺肥大の手術を控えるという自身の闘病とも重ねあわせられたものでした。

上巻への感想で言ったことを繰り返しますが、

山口瞳が生きていた時代に、亡くなったひとは、幸せだったと思う。

これまで山口氏の作品を読んだことがなく、この作品を読もうと思ったきっかけが何だったのかも思い出せないのだけど、その幸運な出会いに感謝し、

これらをまとめて出版された、中野朗氏には、本当に本当に素敵な本を、どうもありがとうと言いたい。山口瞳の本をこれから読もうと思っただけでなく、何人もの素晴らしい人のことを知ることが出来ました。

まだ、8月だけど、本書の読書は今年一番記憶に遺ると思う。

☆☆☆☆☆(満点)

◎『追悼』〈下〉(アマゾン)

◎[西日本新聞] 故・山口瞳さんが残した追悼文を集めた「追悼 上」(論創社)が出た
◎[文壇高円寺]山口瞳『追悼』

_________________

〈下巻〉池田弥三郎、金原亭馬生、ロイ・ジェームズ、寺山修司、森安重勝、林達夫、今日出海、藤原審爾、守谷兼義、川口松太郎、坂本九、川上宗薫、岡田こう(銀座「はち巻き岡田」女将)、島田敏雄・円地文子、中村琢二、山本健吉、草野心平、大岡昇平、吉川忠直、色川武大、美空ひばり・尾上松緑、山田たね、徳田義昭、隆慶一郎、開高健、荻原賢次、池波正太郎、滝田ゆう、永井龍男・村島健一、井上靖、生江義男、山崎隆夫、虫明亜呂無、飯島小平、中村博直、吉田俊男、扇谷正道、大山康晴、中上健次、戸板康二、井伏鱒二、野口富士男、村松剛、神吉拓郎、吉行淳之介、日塔龍雄、高橋義孝




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by yomodalite | 2011-08-27 23:35 | 文学 | Trackback | Comments(0)

追悼〈上〉

山口 瞳/論創社



どうして、そんなことになってしまったのか、未だによくわからないのだけど、2009年の6月25日から、ずっと追悼のときを過ごしているような気がする。

家族や、知人ではなく、それほど熱心なファンでもなかった有名人の死が、どうしてこれほど長く心に突き刺さっているのか、自分でも不思議でならない。

49人の作家の追悼文をまとめた嵐山光三郎の労作に『追悼の達人』という名著があって、それを読んだとき、作家というのは亡くなった瞬間に、作品の価値が変化することもあれば、その死によって、作品が完成するということもあるんだなぁと漠然と思った。

また、いずれも自死した川端康成と三島由紀夫が、ふたりとも追悼文の名手だったことと、長生きした谷崎潤一郎の死が文壇に無視されたことが記憶に遺っていて、

松岡正剛がめちゃくちゃ弱いと告白したり、立川談志が日本一の喜劇役者と評した、森繁久彌というひとのことも、わたしはあまり知らないのだけど、弔辞の達人といったイメージがあって、森繁久彌が亡くなったとき、森繁には、森繁のように弔辞を読んでくれるような人も、その作品を正確に振り返ることが出来る同時代の戦友もいないのではないかと思えて、長生きが、なんだか気の毒に思えた。

今年の夏は、まったく想像もしていなかったひとが、2人も居なくなってしまった。特に松田選手のように若いひとが亡くなるのは、本当に耐えられないことだし、わたしは彼のことを思うと、マリノスのフロントのことも、サッカー協会のこともどうしても許せなくなってしまう。

でも、あのひとが亡くなったということを聞いたときは、哀しみや、怒りよりも、とにかく「しまった!」と思った。

それは、最後のコンサートが見られなかったからではない。今、過去に戻れるとしても、たぶん、あのコンサートのチケットは買わないと思う。わたしは彼のライブをVDで観るたびに、自分が倒れて運ばれて行く姿がリアルに感じられて、その場に行きたいと思ったことはなかった。

彼と同い年のクイーンの言葉は、わたしの気持ちを代弁してくれてはいたけど、わたしの気持ちを代弁してくれただけでは納得がいかなかった。わたしの気持ちなんかどうでもいいし、彼女はめったにないレベルの成功を収めたスターだけど、それ以上でも以下でもない。

わたしは、本当に稀な天才に対して、自分がこれまであまりにも冷静だったことが悔しくて「しまった!」と思ったのだと思う。

そして、本当にもう二度と会うことがない天才だったと、一瞬にしてわたしに気づかせたのは、彼の死が、彼の作品のように「完璧」だったからだと思う。

それは、あの瞬間に思ったわけではないのだけど、どんな疑惑があっても、彼が誰かに殺されたり、命を奪われたと思ったことはなくて、あの映画のあとは、もっとそう思うようになった。

『追悼』には、山口瞳が80人に捧げた追悼文が掲載されているのだけど(上巻には31人)、それらは今、誰かが亡くなったときに書かれているような「追悼コメント」とは全然違っていて、先に逝った者に対し、山口瞳が血を流し、命を削って書いたと感じるものばかりで、山口氏の魂を感じずにはいられなかった。

山口瞳氏の本をこれまで1冊も読んだことがなく、1995年に亡くなられたという記憶もないのだけど、氏は直木賞作家としてより、週刊誌の売上げを担うような、時代に密着して活躍された方ではないかと思う。そういう人の小説ではない本が、没後15年経って出版されるということは、きっと、その時代の読者に愛されて、読者の人生にも深く影響を与えていた人だったのだ、ということが、これを読むとよくわかる。

この本の中には、わたしがまったく知らない方も多くて、知っている方の、三島由紀夫、川端康成、向田邦子を真っ先に読んだ。三島由紀夫は33ページ、川端康成は35ページ、晩年もっとも近くにいたと言われる向田邦子は66ページ。

実際のページ数からは想像出来ないぐらい内容が濃く、それぞれ1冊の本を読んだぐらいの重みがあって、作品でしか知らなかったひとの素顔が立体的に浮かび上がってきて、息苦しくなるようなことが、これまでに全く知らなかった人も含めて度々あった。

息苦しく感じることが多かったのは、作家が編集者に殺されているような状況が感じられたからかもしれない。以前、橋本治が外国人に自分の作品の発行部数を言ったら、海外ではそれで一生食うことに困らないと言われたというようなエピソードを読んだときに思ったのだけど、日本の作家は、驚くほど多作で、優秀な作家が常に現われては、すぐに歴史から消えてしまうような気がする。

川端康成は言わずと知れたノーベル賞作家。でも受賞したのが三島でなかったことに、川端が負い目を感じるほど、三島も世界的な作家で、そういった作家が、出版社の依頼で、何度も追悼文を書いているというのは、日本的なのではないだろうか。

アメリカには、そういった文化があるのかどうかわからないけど、大江健三郎と、村上春樹が、何度も追悼文を書いている印象はなくて、なんとなく、狭い国の「文壇」と言われるような文学者の村社会が「追悼文」の文化を育んでいたような気がする。

その社会は、作家にとっても、文学にとっても、息苦しい部分もいっぱいあったような気もするのだけど、山口瞳のおかげで、その時代が遺されて、まったく知らなかった人ですら、出逢えたような気がする。

人には必ず「光と影がある」。

そのこと自体は間違いがないのだけど、光も影も類型的なストーリーばかりが巷に溢れ、それは「死」そのものよりも哀しいことのような気がする。


アメリカにも山口瞳がいて、「あのひと」の追悼文を書いてくれていたらと思った。

山口瞳が生きていた時代に、亡くなったひとは、幸せだと思う。

山口瞳が亡くなったとき、どのように追悼されたのかは知らないのだけど、亡くなってから15年を経て出版されたこの本は、とても素敵な「追悼」になっていると思う。

☆☆☆☆☆(満点)下巻も読まなくちゃ。。

☆『追悼』〈下〉へ

メモ:『山口瞳さんを偲ぶ会』は3回行われ、丸谷才一の『挨拶はたいへんだ』『あいさつは一仕事』に3つの会の冒頭に行われた丸谷氏の挨拶が収録されている。

◎『追悼』〈上〉(アマゾン)

______________

〈上巻〉川島雄三、三枝博音、梅崎春生、高見順、佐佐木茂索、山本周五郎、吉野秀雄、木山捷平、山田道美、三島由紀夫、徳川夢声、川端康成、古今亭志ん生、黒尾重明、梶山季之、きだ・みのる、檀一雄、武田泰淳、吉田健一、今東光、花森安治、平野謙、中野重治、五味康祐、野呂邦暢、梅田晴夫、フーショートン、樫原雅春、向田邦子、田辺茂一、関邦子


[BOOKデータベース]褒めるだけでは本当の追悼にならない。川端康成の死を哀惜し、山本周五郎の死に涙し、三島由紀夫の死に疑問を投げ、梶山季之の死を無念がり、向田邦子の死に言葉を失う。山口瞳が80人に捧げた追悼文を一挙集成。論創社 (2010/11)


[著者略歴 「BOOK著者紹介情報」より]山口 瞳/1926年、東京生まれ。麻布中学を卒業、第一早稲田高等学院に入学するも自然退学。終戦後は複数の出版社に勤務し、その間に國學院大學を卒業する。58年、寿屋(現サントリー)に「洋酒天国」の編集者として中途入社。62年に『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞、79年には『血族』で菊池寛賞を受賞する。95年8月、肺がんのため逝去

中野 朗/1951年、小田原生まれ。札幌東高校、明治大学政経学部を卒業。2001年、「山口瞳の会」主宰「山口瞳通信」(年刊)を七号まで、「山口瞳の会通信」を年数回発信するも、現在休会中(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)





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by yomodalite | 2011-08-16 08:52 | 文学 | Trackback | Comments(0)

日本再占領/中田安彦

心から思う。2011年3月11日の前にマイケル・ジャクソンと副島隆彦氏に出逢えていて本当に良かった。また副島氏の師匠である小室直樹氏から「アノミー」を教えてもらっていなかったら、わたしは確実にそれに侵されていたと思う。

本書は、副島国家戦略研究所(SNSI)の研究員であり、この震災の前後にもっとも注目してみていたツイートの発信者である中田安彦氏(bilderberg54 アルルの男・ヒロシ http://twitter.com/#!/bilderberg54)の最新本で、日本国民必読の政治研究本。

☆この間の注目ツイッターの抜粋は右欄「カテゴリ:日常」と「タグ:東電原発事故」にあります。

未だに「天皇制」などと言っている人、ポピュリズムを「大衆迎合主義」だと思っている人、イルミナティという言葉を知っているだけで「真実」がわかったような気分になっている人におすすめします。

著者の「おわりに」がとてもとても素晴らしいので、下記に省略して引用し、その後に、本書の目次を転載します(目次が素晴らしいので)。

(引用開始)

2011年3月11日、すべての日本人にとって「空気」が変わった。これは自身を取り巻く環境だけではなく、原発事故で放出された放射性物質により、物理的な意味でも空気は変わった。
 
震災が起きて4カ月半が経過した。本書では、一貫して「日本が統治能力を失ったので、日本はアメリカに再度占領されたのだ」と論じてきた。

日本が自国を自力で統治する能力を失った理由は幾つかある。まず、民主党政権が官僚機構の徹底的なサボタージュ(嫌がらせ)を受けて、マニフェストで掲げた重点政策の実現に行き詰まったことである。

この事実について、私は「ウィキリークス」による米流出公電を引用しながら、この官僚の政治家への・反逆行為・を裏付けた。

しかし、政治主導を目指した民主党の政治家にも問題がなかったわけではない。鳩山由紀夫前首相が重点政策に掲げた普天間基地移設交渉の見直しには、十分な事前の準備と根回しが必要だった。

同じく政治主導を目指して政治家と官僚との関係を根本から見直そうとした小沢一郎元民主党代表の苦闘についても触れた。この国を支配しているのは古代からの「律令制度の亡霊」であることも十分に論証できたと私は自負している。
 


2009年9月以来、官僚機構によって日本の統治能力が骨抜きにされていくなかで、この大地震が起きた。そして、日本は再びアメリカに占領された。
 
しかし、「なんだ、日本はもう再占領されてしまったのか。もう何をやってもアメリカの言いなりか」と悲観的になるのは早い。民主党政権がなぜ行き詰まっているのかを、本書では明らかにした。

その正体とは、戦後の日米関係を動かしてきた日米双方の官僚がつくる「日米事務方同盟」による不透明な「談合体制」だった。これを突き崩すことが重要である。
 
これを書いているとき、民主党政権の首相は菅直人である。震災直後は危機対応の不手際でバッシングされた菅だが、脱原発政策についてはじっくりと時間をかけてやっていくつもりのようだ。アメリカからの圧力もうまく利用しながら、国内の経団連や経産省といった20世紀の日本の経済発展の主役となった既得権益を相手にノラリクラリとうまくやっている。
 
むろん、菅政権が延命しているのは、米ホワイトハウスの原発・エネルギー専門家たちの意向をふまえて、福島第一原発の「封じ込め」のタイムテーブル(工程表)を実行しているからだ。

細野豪志に指示を与えているのは。ジョン・ホルドレンというホワイトハウスの科学技術担当補佐官だ。ホルドレンはジェイ・ロックフェラー上院議員が高く評価する一人だ。

確かに日本政府の「統治能力の消失」は必然的に日本再占領に繋がっている。しかし、その占領を行っている側のアメリカだって、いつまでも日本の面倒をみることができるわけではない。

アメリカでも日本と同様に、連邦政府の財政赤字が深刻だ。数年以内に、米国債の債務不履行(デフォルト)も確実に起きるだろう。そうなると、世界中にいつまでも軍隊を展開できる状況ではなくなる。つまり、世界覇権国アメリカの衰退は始まっている。

今、日本の真の意味での自立を阻んでいるのは、「アメリカに依存しておけば日本は大丈夫だ」と言い続け、結果的に日本独自の国益、それに基づいて編み出される国家戦略を定義してこなかった政財界人たちである。その人たちは、前原誠司という新しい自分たちの代理人を育てている。

戦後日本は、そのアメリカの「戦略」の意のままに動かされてきた。だが、そういうことはそろそろ終わりにしようではないか。これからの日本は「自立した国家」として国益を定義する。その際、アメリカとも友好国のひとつとして過度に敵対することなく、付き合っていけばいい。もちろん次の超大国・中国とも同様だ。

だから、「日米同盟の深化」の名のもとで主体的判断を政治家が放棄し、外務省にすべてを委ねてしまってはいけない。

国内の政治改革においても、小沢一郎が掲げた「自立した個人」を主体とする「1200年ぶりの政治革命」の意義を踏まえ、私たちが新しい世代の政治家を育てていく必要がある。国民のレベル(民度)以上の政治家は誕生しないからだ。

本書はそのような「新しい日本」を次の世代に残すための格闘をしてきた前の世代の政治家の成功と失敗に学ぶ本でもある。

最後に、アメリカの歴史家、ジョン・ダワーの言葉を紹介したい。『敗北を抱きしめて』(岩波書店)という本の中でダワーは、先の大戦の後、アメリカの庇護の下で復興した日本の社会の姿をありのままに記録している。

私は震災後、ダワーが朝日新聞のインタビューに答えているのを読んだ。ダワーは、「当初、この本の名前は『打ちのめされた国で最初からやり直す(Starting Over in a Shattered Land)』というタイトルで考えていた」と言う。

今の日本も、「原発震災で打ちのめされた国で最初から国づくりをやり直す」時であるだろう。そのように強く思う。2011年7月21日 中田安彦 (引用終了)



第1章〈日本再占領〉──日本は何に負けたのか

「天皇のメッセージ」は再びの玉音放送だったのか
アメリカが首相官邸に乗込んできた
日本支援の陰で進められる「復興プロジェクト」の思惑
「第三の敗戦」を象徴するアノミー状態
原子力をひたすら崇拝した「猿の属国」の日本人
「大東亜戦争」「マネー敗戦」に続いての「原子力敗戦」

第2章 ウィキリークス流出公電が暴いた〈官僚主導国家・日本〉

世界を震撼させたウィキリークスの衝撃
アメリカ大使館発・日本関連1660点の機密文書
たった4年で暴かれてしまった外交公電群
首相外交の武器となった日本の総理の「性格・性癖」詳細分析
元首相補佐官と北米局長が漏らした鳩山首相の「弱点とクセ」
流出した公電の内容ーー「新政権」「普天間」「原子力問題」の深刻度
日米「裏切り」外務官僚たちが陰で手を握り合っていた
[流出公電①]クリントン国務長官の東京訪問に向けた背景説明
[流出公電②]キャンベル次官補、岡田克也・民主党幹事長と会談
民主党議員たちが連発していた「ボタンの掛け違い発言」
[流出公電③]民主党に見る選挙前の対米観の多義性について
[流出公電④]鳩山側近が語る鳩山次期政権
民主党政権潰しに血道を上げた外務官僚たちの行状
[流出公電⑤]キャンベル国務次官補と斎木昭隆アジア太洋州局長が会合
[流出公電⑥]キャンベル国務次官補と日本政府当局者が米軍再編を巡る経緯について協議
[流出公電⑦]同盟管理の問題:キャンベル次官補が前原沖縄担当相と会談
親子二代で米流ソフトパワーに籠絡された世襲外交官
[流出公電⑧]日米同盟の当局者が、民主党政権の密約問題と普天間代替施設問題の取扱に憤慨
新たな密約の発覚が垣間見せた「日米の深層」
エリート事務次官は、国家指導者を「教育する」
[流出公電⑨]21日に開かれた大使と薮中三十二外務事務次官との昼食会
小沢側近・山岡賢次の「勘違い」発言、親米・前原誠司の「誤誘導」発言
[流出公電⑩]普天間代替施設、民主党が年内の「合理は無理」
[流出公電⑪]ルース大使と前原国交相会談
日本の官僚システムへの懸念が原発事故で現実になった
[流出公電⑫]日本における重大な社会基盤と危機対応
「日米事務方談合同盟」の行動から見えてきた亀裂

第3章 普天間交渉の失敗に見る〈世界観の衝突〉と〈時間軸概念の欠如〉

鳩山論文に襲いかかった日米の「内通ネットワーク」
鳩山論文に投げかけた「世界観の衝突」という重大問題
アメリカが危惧した「近衛文麿の“英米本位の平和主義を排す”」
鳩山一郎と「欧州連合の父」クーデンホフ=カレルギー
祖父・鳩山一郎も孫・由起夫も、手の内をすべて読まれていた
「鳩山アイスクリーム」を溶解させたアメリカの外交力
それでは小沢一郎と前原誠司の「世界観」はどんなものだろうか
[1]小沢一郎の世界観ー「国連中心主義」
[2]前原誠司の世界観ー「日米同盟の深化」
世界観の衝突を補うのは「時間軸」の概念
すべてを見抜いていたケント・カルダーの「駐留米軍論」
米議会が最後に持ち出してきた「嘉手納統合案」

第4章 政策的起業家・小沢一郎に立ちはだかった〈日本律令制とアメリカ〉連合軍

霞ヶ関・律令官僚と死闘を演じる「アテルイの末裔」
2009年2月24日ーーそれはアメリカに対する日本の「独立宣言」の日
「2007年大連立騒動」で暗躍した読売新聞社主
小沢辞任後の政局を協議した2009年の「三極委員会東京総会」
東京地検特捜部の「恐るべき出自」
「政治思想家」としての小沢一郎を考える
日本の歴史に連綿として影を落とす「律令制度」
天皇の代理人・藤原不比等が遺した「政治秩序」
律令制度が画策した陰謀は今年で1310年目
認証官らは小沢一郎を“格下”の反逆とみた
「北辰会」という新名称が暗示する小沢グループの深層意識

第5章 〈ポピュリズム現象〉としての民主党代表選と大震災後の日本

「小沢包囲網」に追いつめられた末の代表戦出馬
「国民の政治が第一」こそが真の意味のポピュリズム
「ポピュリスト・オザワを潰せ」を実行した検察審査会の匿名11人の市民
大震災が「日本の統治能力の真空」を直撃した
「ギブ・ミー・チョコレート」から「ギブ・ユー・キャンディ」へ
戦略国際問題研究所(CSIS)タスクフォースの顔ぶれと思惑

おわりに 「打ちのめされた国で、最初からやり直す」

☆☆☆☆☆(満点)
311を語るうえで必読の書。この本を読まずに情報収拾するのは時間の無駄です。

◎『日本再占領』(アマゾン)
◎著者による“日本再占領「原発アノミー」で大混乱した3.11後の日本”(1)〜(5)

_______________

[内容紹介]日本は、再び、アメリカの占領下にある―。にわかには信じられない話だろうが、これが本書で展開される内容である。そのために私は、客観的と言い得る証拠を可能なかぎり集めた。日本が再占領されてしまったのは、同盟国アメリカが、東日本大震災後の菅直人政権の対応と与野党の右往左往ぶりを見て、「今の日本は事実上、軽度の破綻国家(フェイルド・ステート)である」と認定したからである。「今の日本政府に統治能力なし」と、アメリカが判断した結果が、現在の再占領なのだ。成甲書房; 初版 (2011/8/6)




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by yomodalite | 2011-08-13 18:56 | 311関連 | Trackback(1) | Comments(0)

永遠の0 (講談社文庫)

百田 尚樹/講談社





震災ショックの影響からか、3〜5月は頻繁にTwiitterを見ていて、そのなかで、東野幸治さんが「号泣」されたというツイートを見て興味をもった本。

文庫本でも2009年(単行本は2006年)という古い出版にも関わらず、未だに図書館でも予約がいっぱいで、なかなか借りられませんでした。

アマゾンレヴューでも、295件という驚異的なレヴュー数で、星4つ半というような評判のいい本は、わたしの場合、通常読むことも少ないし、ブログに書くことは、もっとないのですけど(そんなに知られていない、イイ本を紹介するのがモチベーションなので)、

久しぶりの小説で、今まで読んだことのない著者ということもあって、めずらしく手にとってすぐに「解説」をのぞいたら、本を読む前に涙が・・・

「解説」 児玉清

わたしは、子どもの頃から、筋金入りの「熟男」好きなんですけど、児玉さんは、わたしの中で「日本一スーツが似合う男」の常にNo.1でした。

オシャレにスーツを着こなしている方は大勢いて、そのディティールに目を奪われることは多いのですが、児玉さんは、いつも素敵だったにも関わらず、後から思い出そうとしても、シャツの色も、ネクタイの柄も、スーツの色さえ思い出せないぐらい、あまりにも自然にスーツが似合う、本当に本当にステキな方でした。

永年放送されていた、クイズ番組の方は見たことがなかったのですが、児玉さんが出演される『週刊ブックレヴュー』が大好きでした。児玉さんがいない『週刊ブックレヴュー』なんて、タモリがいない『タモリ倶楽部』よりありえなくて、わたしは、未だに、児玉さんがいない世界に慣れることができません。

以下は、児玉清さんの、13ページにわたる「解説」から、ほんの少しだけ。

心を洗われるような感動的な出来事や素晴らしい人間と出逢いたいと、常に心の底から望んでいても、現実の世界、日常生活の中ではめったに出逢えるものではない。しかし確実に出逢える場所がこの世にある。その場所とは、本の世界、つまり読書の世界だ。もっと場所を小さく限定すれば、小説の世界と言っていい。

作者がそれぞれの思いや願いをこめて、様々なテーマで、人物や舞台や時代を設定して物語を紡ぎだす小説。そこには当然のことながら、好むと好まざるとにかかわらず、作者の全人格が投影される。従って、常に読む者の心を清々しく洗うことのできる小説を書ける作家、素晴らしき感動をもたらす小説を書ける作者というのは自ずと限定されてくる。

今回、紹介することになった作家、百田尚樹氏は、まさにそうした範疇に入る作家の一人で、デビュー作である本書『永遠の0(ゼロ)』と出逢えたときの喜びは筆舌に尽くし難い。それこそ嬉しいを何回重ねても足りないほど、清々しい感動で魂を浄化してくれる稀有な作家との出逢いに天を仰いで感謝の気持ちを表したものだ。

さて、『永遠の0』とは、いったい何なのだろう? とタイトルの意味を計りかねて、本書を手にした方も沢山いるのではないか、と思うのだが、どうだろう。実を言えば、僕もその1人であった。ところが、読みはじめて暫くして零戦パイロットにまつわる話だと徐々にわかってきたとき、僕の胸は破裂するほどの興奮にとらわれた。零戦という戦闘機に戦争中の子どもの頃から憧れを抱いてきたこともあるが(このことは後述するが)、現代と戦争中を交錯する物語の面白さにぐいぐいと引き込まれ夢中になってしまったのだ。

しかも途中何度も心の底からこみあげてくる感動の嵐に胸は溢れ、突如うるうると涙し、本を閉じたときには、なにやらハンマーで一撃を喰らったような衝撃とともに、人間として究極とも思える尊厳と愛を貫いた男の生き様に深々と頭を垂れ、心の中を颯と吹き抜けた清々しい一陣の風とともにうるわしい人間の存在に思いっきり心を洗われたのだ。(中略)

戦争のことも、零戦のことも知らない若者たちが読んでも素晴らしい感動が彼らの心を包むであろうことは間違いないことをここで強調しておきたい。いや、むしろそういう若者たちにこそ、ぜひ本書を読んでもらいたいと痛切に思っている1人だ。作者の意図もそこにあったと思う。

事実、本書の中では、太平洋戦争とはどんな戦争で、どのような経過を辿ったのか。また、この戦争に巻き込まれた我々日本人は、軍人は、国民は、その間に、どのように戦い、どのように生きたのか。国を護るために戦わなくてはならなかった若者たちの心とは、命とは。彼ら若者たちを戦場に送り出したエリート将校たちの心は、といったことを作者はものの見事にわかりやすく物語の中にちりばめているからだ。

なまじの歴史本などより、はるかに面白く戦争の経緯とその実態を教えてくれる点でも実に秀逸な物語だと思うのは僕だけであろうか。(引用終了)


零戦にも、戦争にも、興味がない、少女から老女までと、すべての日本人に!
☆☆☆☆☆(満点)

◎『永遠の0』講談社文庫(アマゾン)
__________

[BOOKデータベース]日本軍敗色濃厚ななか、生への執着を臆面もなく口にし、仲間から「卑怯者」とさげすまれたゼロ戦パイロットがいた…。人生の目標を失いかけていた青年・佐伯健太郎とフリーライターの姉・慶子は、太平洋戦争で戦死した祖父・宮部久蔵のことを調べ始める。祖父の話は特攻で死んだこと以外何も残されていなかった。元戦友たちの証言から浮かび上がってきた宮部久蔵の姿は健太郎たちの予想もしないものだった。凄腕を持ちながら、同時に異常なまでに死を恐れ、生に執着する戦闘機乗り―それが祖父だった。「生きて帰る」という妻との約束にこだわり続けた男は、なぜ特攻を志願したのか?健太郎と慶子はついに六十年の長きにわたって封印されていた驚愕の事実にたどりつく。はるかなる時を超えて結実した過酷にして清冽なる愛の物語。 単行本:太田出版 (2006/8/24) 文庫版:講談社 (2009/7/15)

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by yomodalite | 2011-07-21 11:42 | 文学 | Trackback | Comments(0)
子供のころからフィギュアスケートを観るのが好きだったのですが、フィギュア関係の本を読むのは、本書が初めて。

著者は永年フィギュアスケートの取材、執筆をされている方のようで、これまでに起きたフィギュア界の様々な問題へも、当時のジャーナリズムに欠けていた視点から語られていて、評判どおりの素敵な内容でした(昨年末に文庫版も出版)

◎『氷上の光と影 知られざるフィギュアスケート』

プロローグ ー 五輪金メダルという魔物
トリノ五輪の荒川静香の金メダルを振り返る内容。イリナ・スルツカヤ、サーシャ・コーエン、安藤美姫....

ケリガン襲撃事件と賞金制度
ライヴァルであった、ターニャ・ハーディングの元夫が起こしたとされる、ナンシー・ケリガンへの襲撃事件。リレハンメル五輪(1994)の1ヵ月前におきた事件は、その後のフィギュア界に、どう影響を与えたのか。グランプリシリーズと賞金制度の設立、ISUとプロフェッショナル・ショーとの対立など。

判定スキャンダルと新採点方式
ソルトレイクシティ五輪(2002)の「2つの金メダル」。ペアの決勝、ミスをしたロシアのペアが、ノーミスだった、カナダのペアを敗って優勝したことから、沸き起こった判定への「疑惑」。果たして「正義」はどちらにあったのか。

北米メディアは、ジャッジの八百長を強調した報道を繰り返し、フィギュアの人気は急下降し「新採点方式」が導入された。

メディアが求める「正義」は、いったい何をもたらしたのか。。。

美の共演の内側
試合前の緊張、演技前のトラブル、選手たちが乗り越えてきたもの。。

世界一のジャンパー
日本人初めてのISUスペシャリストで、TV解説でもおなじみの天野氏は、織田信成のジャンプを賞賛し、理想とするジャンパーに1988年の金メダリスト、ブライアン・ボイタノを挙げた。

キミー・マイズナーがトリプルアクセルの練習をするようになったのは、日本女子から影響を受けたから。。女子シングルの公式試合でトリプルアクセルを成功させた5人のうち、3人が日本女子。安藤の4回転、男子の4回転への熾烈な挑戦。

日本女子フィギュアの永遠の伝説、伊藤みどりは、1992年アルベールビル五輪のフリーの1回目のトリプルアクセルで転倒した後、プログラム残り1分で、再び挑んだ。

男子フィギュア界のスター、スコット・ハミルトンと、トム・ハモンドは、
その瞬間叫んだ。

「信じられない!」
「3分10秒経過ですよ!」

☆あのアクセルは3:30〜。米国コメンテーターの興奮の様子
◎Midori Ito 1992 Albertville Olympics LP (USTV)

☆参考図書
◎『タイム・パッセージ』伊藤みどり著(紀伊国屋書店)
◎『タイム・パッセージ』が紹介されている、とてもとても素敵なブログ  

強さと、美しさと
滑りの美しい選手 ー スコット・ハミルトンは、佐藤有香がテレビに出て来るたびに、必ず「She is skater's skater」と繰り返す。天才ジャンパー、スリヤ・ボナリー、理想のスケーター、ジャネット・リン、2006年コネチカットのスケートアメリカ。

浅田のSP(ショパンの「ノクターン」)の滑りに、1952年の男子金メダリストのディック・バットンは「真央のSPは、ほかの選手の何光年も先にいた」と絶賛した。

◎Mao Asada 2006 Skate America SP

スケーターを支える人々
フェンスサイドのコーチたち。タチアナ・タラソワ、ニコライ・モロゾフ、アレクサンドル・ズーリン...「金メダルを育てることができるコーチは、世界でも数えるほどしかいません。タラソワ、アレクセイ・ミーシン。ペアならタマラ・モスカビナ。アメリカだったらフランク・キャロルと、あとはリチャード・キャラハンくらいでしょう。」コリオグラファーのローリー・ニコルはそう言って、ため息をついた。

「タチアナが見ているのと見ていないのでは、まったく違う。練習でも試合でも、彼女の前では最高のものを見せなくてはならない、という緊張感があるんです。それはタチアナが、それだけのものを与えてくるからです。」

タラソワは2001年の夏レイクプラシッドで、こう語っていた。
「ニコライには、私の後をつぐ準備がすでにできていると思う」

コリオグラファーの世界
フィギュアスケート界で、ベジックの名前を知らないものは誰もいない。彼女こそ、フィギュアスケートにおける「振付師/コリオグラファー」の重要性を世界に示した、史上初のスターコリオグラファーだった。

それは今から20年ほど前、1988年カルガリー五輪でのことだった。
男子シングルで繰り広げられた「バトル・オブ・ブライアンズ」は五輪史上に残る名勝負だった。金メダリスト候補は、カナダのブライアン・オーサーと、アメリカのブライアン・ボイタノという2人のブライアン。。

1996年は,女子シングルの振付けの当たり年だった。ミッシェル・クワンの振付けを担当したのは、ローリー・ニコル、僅差で2位だった陳露の振付けをしたのは、コリオグラファーの地位を確立したサンドラ・ベジック。。。ローリー・ニコルは2002年/2003年シーズン、村主章枝に「白鳥の湖」のプリグラムをあたえた。

五輪シーズンには「勝負曲」とも呼ぶべき名曲が勢揃いする。
トリノでは村主と高橋大輔が使用したラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」プッチーニの「トゥーランドット」は、トリノ五輪では、荒川のほかにもロシアのエレナ・ソコロワ、中国のペアがスタンディアング・オベーションと2つの満点を獲得したときに使ったのも、この曲だった。

有名なのは、1988年カルガリー五輪の「バトル・オブ・カルメンズ」、1999年夏の「カルミナ・ブラーナ」、2000年/2001年の「グラディエーター」。。

ジャッジと採点
ジャッジという人々 ー ジャッジといえばストライプのユニフォームを着て帽子をかぶった、汗まみれの大男というスポーツに慣れていた運動部の記者には、フィギュアスケートのジャッジは、とても近寄りがたい特権階級の人々という印象がある。女性は豪華な毛皮を羽織り、高価な香水のかおりが漂ってくる。。。

スイング・ジャッジという存在 ー その評がどちらにも転びうるジャッジは「スイング・ジャッジ」と呼ばれている。

採点の監視機関 ー 現在の新採点方式では、どのジャッジがどの得点をだしたのかレフェリーにもわからない。。。

長野五輪アイスダンスの論争 ー 1998年のアイスダンス論争が大きな騒ぎとなったのは、北米のテレビ放送だった。

北米メディアの与えた影響 ー CBSのコメンテーター、トレイシー・ウィルソンは1度もこの2組の演技を、アイスダンス専門家として技術的に比較しようとはしなかった。彼女がマイクの前で繰り返したのは、5カ国のジャッジが揃ってずっと同じ順位を出している、ということ。そしてアイスダンスでは最初から最後まで順位が変わらないのは不自然だ、ということだった。。この騒ぎは完全に、北米のマスコミの独走だった。。

エピローグ ー 新採点方式とフィギュアの未来
2004年から採点方式が変わったことにより、フィギュアスケートというスポーツそのものが、大きく変化しつつある。。。

出版されたのは、バンクーバー五輪の前ですが、「新採点方式」がいかなるものかという点への疑問にも答えてくれる本です。永年のファンにとっては、数々の感動的な「瞬間」が思い起こされますが、それらの記憶がなく、最近フィギュアを見始めた人にとっても、解説の手助けになり、

また、メディアが「正義」を求めることに過熱した米国が、結局、何をもたらし、何を破壊することになったのか、少し遅れて、影響を受けた日本のマスコミが現在抱える問題にも、重要な「警告」を感じる点が多い。

☆☆☆☆☆(満点)
__________

[BOOKデータベース]どこまでが芸術で、どこまでがスポーツなのか?美しき氷上の舞―その裏側にある闘いの深淵を描く。本邦初のフィギュアスケート・ノンフィクション。新潮社 (2007/2/24)

[著者略歴]田村 明子/盛岡市生まれ。1977年留学のため単身渡米し、現在まで米国在住。1993年からフリーランスライターとしてフィギュアスケートの取材をはじめ、長野五輪では運営委員として海外メディアを担当。ソルトレイクシティ五輪、トリノ五輪の取材をする(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)





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by yomodalite | 2011-02-06 15:04 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

A3/森達也

A3【エー・スリー】

森 達也/集英社インターナショナル




森達也氏に関しては、2006年に読んだ 『東京番外地』、2007年に読んだ『日本国憲法』から、すっかり興味を失っていたので、本書にはすぐに興味を持てませんでした。森氏は、すっかり「偽善系」の人になってしまったと思っていたんです。でも本書を読み出して、すぐにそれが大きな間違いだったことに気づきました。

『A』を観たひと、『A2』を読んだひとは、絶対にこの『A3』も読んだ方がいい。『A3』は、過去作の遥かに上を行く、森氏の最高傑作だと思いました。

まだ、どの作品にも触れていない方でも、オウム事件のことを覚えているなら、今からでも観て、読んだ方がいいと思う。

森氏は「プロローグ」で本書のことを、

かつて『A』と『A2』を発表したとき、タイトルの意味についてよく質問された。主要な被写体である荒木浩広報部長(当時)のイニシャルのAでもあるし、オウム(AUM)のAでもある。あるいは煩悶(Agony)や反命題(Antithese)もうひとつの代案(Alternative)などのAでもある。などと答えるときもあったけれど、実のところ自分でも、この答えに納得はしていなかった。なぜなら本音は「タイトルなどどうでもいい」なのだ。(中略)

でも、今回の『A3』は違う。意味を込めた。内容を凝縮した。麻原彰晃のAだ。


と述べています。

自分が良いと思うと、すぐ薦めたくなる質なんだけど、、、この本は今までとは比べようがないぐらい必読本だと思う。その最大の理由は、ここに書かれていることは、この本にしか、書かれていないし、今後追随する人もいないと思われるからです。

また、オウム本に関しては1番最近読んだ元アーレフ代表、野田成人氏の『革命か戦争か』のコメント欄でも「オウム タグ」には、お薦め本はないと言っているのですが(『A』に関しては、記録していたことを忘れていましたため。これは良書)本書を、それらに比べて評価するのは、著者がこの1冊に込めた「熱意」が、本の厚み以上に深く感じられるからで、事件の真実、登場人物の描写に関しての同意によるものではありません。

この本を読んでいると、今、小沢一郎やマイケル・ジャクソンを擁護することが、どんなに「楽」で、「安全」かということを思い知らされる。

未曾有の被害者を生んだ犯罪者の本に、上記のふたりを思い出すことに、違和感を覚えたひと、ごめんなさい。

多分、それは、わたしの現在の「ビョーキ」とも言えるMJ好きによるところが大きいとは思うけど、もうひとつだけ理由を考えると、それは、著者の90年代の捉え方に共感を覚えたからだと思う。

マイケルが亡くなったとき、わたしは悲しいという気持ちより「しまった。。」と思い、しばらくして、彼を拒絶した時代のことが、1番心に突き刺ささりました。

森氏は本書で、何度か95年、96年といった、オウムによる時代の文節点を挙げています。

あの事件だけでなく、90年代からを振替える時代のドキュメンタリーとして、
アマゾン評にある「ノンフィクション史上に残る傑作!」に完全同意します。

☆本書の講談社ノンフィクション賞受賞への滝本弁護士による抗議文

◎『A3』(アマゾン)
◎A(DVD)
◎A ー マスコミが報道しなかったオウムの素顔(角川文庫)
◎A2(ドキュメンタリー映画「A」の続編「A2」の撮影日誌)

☆現在は「ひかりの輪」の代表、上祐氏の近況↓
◎上祐史浩×ターザン山本×吉田豪×プチ鹿島の『新春時事放談』
◎上祐史浩氏のオフ会に参加・国松長官事件・村井刺殺事件を聞く
_______________

[内容紹介]なぜ「あの事件」から目をそむけるのか?「何でもいいから、早く吊るせ!」。それが大半の日本人の本音なのか。真相究明なしに「事件」は葬り去られようとしている。『A』『A2』の作者が、新しい視座で「オウム事件」と「日本人」の本質に迫る!

[BOOKデータベース]何か変だよな。おそらく誰もがそう思っている。でも抗えない。多くの謎と副作用ばかりをこの社会に残しながら、急激に風化されつつある一連の「オウム事件」。何も解明されないまま、教祖と幹部信者たちの死刑は確定した―。麻原彰晃の足跡を、新しい視点からもう一度辿る。浮かび上がるのは、現代日本の深層。
集英社インターナショナル (2010/11/26)


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by yomodalite | 2011-01-30 12:23 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

一色一生/志村ふくみ

本書は1982年(29年前)に出版され、これまでに何度も再版を重ねている名著。

著者は、染や織の世界で第一人者といわれ1990年に人間国宝にもなられた方ですけど、そんな肩書きをまったく知らないで本書を手に取ったとしても、著者の凄さは、1ページ目から伝わると思います。

でも、去年の秋頃から、少しづつ読んでいたのですが、実はまだ読了してません。著者の文章は、その織物と同様か、それ以上とも言えるほど魅力的で、染色や織物についての専門的なことも「苦」に感じることはないのですけど、、

本当にタイトルどおり「色」に一生を賭けている生き様に圧倒されて、自分の中にどう取り込めばいいのか、わからないという感じでしょうか。

「心が洗われる」という体験が、ときに「ひりひり」と痛みを感じるように、何度も「無理」って叫びそうになるのを堪えていたのですが、やっぱり、一旦「リタイア」することにしました。

著者は61歳でルドルフ・シュタイナーの人智学に出会ってから、62歳でゲーテの『色彩学』シュタイナーの『色彩の本質』に関する研究を始め、66歳で人智学による染色研究所「都機工房」を作り、70歳で、もうひとつの名著『織と文』を刊行されています。

ゲーテの『色彩学』から、再チャレンジしてみようかなぁと思ってみるけど、やっぱり、当分「無理」かもしれない。。。

わたしが大学生の頃は、今よりは「教養」が重要視されていたけど、それが壊されて行った時代でもあって、わたしも、本が好きなわりには「教養」が嫌いだった。でも、このところ、結局、筋を通した生き方にも、信念にも「古典」が重要なんだなってことが身に沁みてばかり。。。

下記は本書の冒頭「色と糸と織と」から引用

花は紅、柳は緑といわれるほど色を代表する植物の緑と花の色が染まらないということは、色即是空をそのまま物語っているように思われます。

植物の命の先端は、もうこの世以外のものにふれつつあり、それ故に美しく、厳粛でさえあります。

ノヴァーリスは次のように語っています。

 すべてのみえるものは、みえないものにさわっている。
 きこえるものは、きこえないものにさわっている。
 感じられるものは感じられないものにさわっている。
 おそらく、考えられるものは、考えられないものにさわっているだろう。

本当のものは、みえるものの奥にあって、物や形にとどめておくことの出来ない領域のもの、海や空の青さもまたそういう聖域のものなのでしょう。この地球上に最も広大な領域を占める青と緑を直接に染め出すことが出来ないとしたら、自然のどこに、その色を染め出すことの出来るものがひそんでいるのでしょう。(引用終了)



美しいものに出会いたいひとに
☆☆☆☆☆

◎『一色一生』講談社文芸文庫
______________

[出版社/著者からの内容紹介]染織家志村ふくみ、数十年、さまざまな植物の花、実、葉、幹、根を染めてきた。それらの植物から染まる色は、単なる色ではなく、色の背後にある植物の生命が、色をとおして映し出されているのではないか。それは、人と言葉と表現行為と、根本的に共通する。芸術と人生と自然の原点に佇んで思いめぐらす。深い思索とわがいのちの焔を、詩的に細やかに語るエッセイ集。

[BOOK」データベース]
植物の花、樹皮、実、根等から染液を作り糸を染める植物染料。百の植物があれば百の色が生れ、季節や産地、媒染の方法が異なればもっと多くの色が生れる。自然界の恵みの色に惹かれ、望みの色を生みだすためには一生をかけても悔いはないという、染織作家の様様な人や色との出会いを語ったエッセイ集。大仏次郎賞受賞 講談社 (1993/12/24)、求龍堂; 新装改訂版版 (2005/01)






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by yomodalite | 2011-01-19 12:01 | きもの | Trackback | Comments(0)

誰が日本を支配するのか!?検察と正義の巻

佐藤 優責任(編集),魚住 昭責任(編集)/マガジンハウス



映像夜間中学講義録 イエスタディ・ネヴァー・ノウズ(DVD付)

根本敬/K&Bパブリッシャーズ



ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

ワイルド/光文社



脳と日本人 (文春文庫)

茂木 健一郎,松岡 正剛/文藝春秋




12月は上記の本たちに、すごく心を動かされていたのですけど、ブログには書けませんでした。

『脳と日本人』は、どこをチョイスしたらいいか、わからないぐらい刺激的な箇所が多過ぎて、『夜間中学』にもお世話になって、すっかり生徒気分だったり、オスカー・ワイルドは、『古典を読みなおすぞ!』シリーズの手始めとして、ついでに、MJと、オスカー・ワイルドと、エドガー・アラン・ポーについてだらだら書きたいという野望もあったんだけど・・MJに関しては、ニューアルバムのせいで、それどころじゃなかったり・・(それにしても、まさか『VISION』を買うとは思わなかったなぁ....しかも国内版で)


武道的思考 (筑摩選書)

内田 樹/筑摩書房



下記は、内田樹氏の著書についてのメモ。

第二章 武道的心得より

真の賢者は恐ろしいほどに頭がいいので、他の人がわからないことがすらすらわかるばかりか、自分がわかるはずがないこと(それについてそれまで一度も勉強したこともないし、興味をもったことさえないこと)についても、「あ、それはね」といきなりわかってしまう。

だから、自分でも「ぎくり」とするはずなのである。何でわかっちゃうんだろう。そして、どうやらわれわれの知性というのは「二重底」になっているらしいということに思い至る。

私たちは自分の知らないことを知っている。自分が知っていることについても、どうしてそれを知っているのかを知らない。(中略)

それは、解答するに先立って、私たちの知性の暗黙の次元がそれを「先駆的に解いている」からである。


以前、他人の技を批判してはいけない、と多田先生に教えていただいたことがある。「どうして他人の技を批判してはいけないのですか」と先生にお訊ねしたら、先生は「他人の技を批判しても、自分の技がうまくなるわけではないからだ」と答えられた。そして、「批判して上達するなら、俺だって一日中他人の技を批判しているよ」と破顔一笑されたのである。


「自分のような人間は自分だけである方が自己利益は多い」という考えを現代人の多くは採用している。「オリジナリティ」とか「知的所有権」とか『自分探しの旅」とかいうのはそういうイデオロギーの副産物である。けれども「オリジナルであること」に過大な意味を賦与する人たちは、そのようにして「私のような人間はこの世にできるだけいない方がいい」という呪いを自分自身かけていることを忘れている。

「私のような人間ばかりの世界」で暮らしても「平気」であるように、できれば「そうであったらたいへん快適」であるように自己形成すること、それが「倫理」の究極的な要請だと私は思う。

「世界が私のような人間ばかりだったらいいな」というのが人間が自分自身に与えることのできる最大の祝福である。

でも、これはむずかしい課題である。

ふつうに人は「世界が私のような人間ばかりだったら」気が狂ってしまうからである。他者のいない世界に人間は耐えられない。だから、論理的に考えれば、「私のような人間ばかりでも平気な私」とは「一人の人間の中に多数の他者がごちゃごちゃと混在している人間」だということになる。

一人の人間の中に老人も幼児も、お兄ちゃんもおばさんも、道学者も卑劣漢も、賢者も愚者も、ごちゃごちゃ併存している人間にとってのみ、「自分みたいな人間ばかりでも世界はけっこうにぎやかで風通しがいい」と観じられる。

倫理的とはそういうことだと私は思う。

つねに遵法的で、つねに政治的に正しく、つねに自己を犠牲にして他人のために尽くし、つねににこやかにほほえんでいる人間のことを「倫理的」だと思っているひとがいるが、それは違う。

だって、そんな人で世界が充満していたら私たちはたちまち気が狂ってしまうからだ(少なくとも、私は狂う)だから、「そんな人間」は「倫理的」ではない。「倫理」というのは、字義どおりには「集団を成立たせる理法」のことである。

(引用終了。でも、このあとも重要な文章が続きます)

嫌になるほど、ためになることがてんこもりで、困ってしまう名著。

☆☆☆☆☆(満点)

[目次]
第1章 武道とは何か?
第2章 武道家的心得
第3章 武道の心・技・体
第4章 武士のエートス
第5章 二十一世紀的海国兵談
あとがき 「武道的」ということ

(本書のことを、ブログ掲載の文章から、武道的文脈を編集、加筆したから、とりとめがないとか言うような「バカ」なひとは、わたしの周囲に来ないで!っていう「呪い」をかけておこうっと。そういう「呪い」は、かけてもいいって書いてなかったかな? あれ、逆だったかな.....)
________________

[内容紹介]「いのちがけ」の事態を想定し、高度な殺傷術として洗練されてきた日本の武道。幕末以来、武道はさまざまな歴史的淘汰にさらされ、それに耐え、そのつど「変身」を遂げつつ生き延びてきた。本来の意味は失われても、「心身の感知能力を高め、潜在可能性を開花させるための技法の体系」である武道には、今こそ見るべき叡智が満ちている。──読めば読むほど気持ちがシャキッとして丸くなる、達見の武道論。筑摩書房 (2010/10/15)


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by yomodalite | 2010-12-26 12:40 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(5)

悪魔の用語辞典 これだけ知ればあなたも知識人

副島 隆彦,SNSI副島国家戦略研究所/KKベストセラーズ




多くの方が『日本のタブー』というタイトルから、想像する内容とは、すこし異なっていて、

本書は、昨年末に出版された 『悪魔の用語辞典』の第二弾で、巻頭に副島氏の「ヒューマニティーズ(人文)、そしてルネサンス(人間復興)とは何か」という文が、60ページほどあり、その後、副島氏の弟子にあたる方々が、それぞれ、下記のテーマを、通常の辞書ではわからない部分に踏み込んで、解説されているという構成になっています。


【優生思想】eugenics ― 人口削減思想の生みの親(崎谷博征)
【安楽死】euthanasia ― 安楽死は功利主義から生まれた(石井利明)
【薬】drug/medicine ― クスリの大部分は疚しさで出来ている(六城雅敦)
【不老不死】immortal ― 魂だけが不死である(足助友子)
【金融工学】financial engineering ― 市場価格を操作する八百長理論(根尾知史)
【ポジティブ】positiv ― ポジティブ思考を解剖する(中田安彦)
【論理的思考】logical thinking ― 論理(logic)とは“連想”である(下條竜夫)
【教育】education ― 教育とは洗脳である(藤森かよこ)
【リベラル】liberal ― リベラルとは友愛である(吉田祐二)
【説明責任】accountability ― 誰もこの言葉の真の意味を知らない(廣瀬哲雄)
【税金】tax ― 税金は悪であり、廃止されるべきである(佐藤研一朗)
【法の支配】rule of law ― 支配階級の冷徹な意思(中谷央介)
【ロビー活動】lobby ― 薄汚いものだがデモクラシーには必要なもの(古村治彦)
【正規分布】normal distribution ― 平均値という幻想(原岡弘行)
【人口】population ― 本当は恐ろしい「持続可能な社会」(高野淳)
【石油】petroleum / hydrocarbon ― 石油は生物(化石)起源ではない(桑原義明)



「愛」や「正義」といった内容や「悪魔の用語辞典」というわりには、極一部、多少青臭かったり、若さが感じられた、第1弾より、現代的な言葉が並んでいるせいもあり、より洗練された「辞典」になっているように感じました。

本家アンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」のような、風刺精神とか、アイロニカルな雰囲気ではありませんが「オックスフォード英語辞典」を、日本人が理解するための最良ガイドになっていると思います。

帯で見えにくくなっていますが、カバー画は、ロダンの「悪魔の手」が使われています。

また、帯に書いてある、

ランボーの「酩酊船」とは精神病者用の病院船だ

川端康成の『伊豆の踊り子』は少女売春の話だ

ミケランジェロは共和政のために命懸けで戦うフィレンツェ防衛隊長だった。
しかし、自分だけヴェネチアに逃げた思想転向者である。そして偉大な芸術家になった。


という内容は、巻頭の、副島氏による「ヒューマニティーズ(人文)、そしてルネサンス(人間復興)とは何か」という文章にあるのですが、

これは、日本の文学部では教えない、世界文学の真実から始まり、神秘主義とは何か、宗教から、発生した権利、自由思想とは何かを、日本の文学や歴史をも含めて語られていたり、マックス・ウエーバーによる、プロテスタンティズムが、近代資本主義をつくったという「嘘」から、「メディチ家とは何か」、ダンテの「神曲」、ルネサンスとは何かという話題につづきます。

メディチ家の話は、塩野七生さんの多くの本や、マンガの題材としても、また、ダヴィンチを筆頭に、ルネサンス芸術も、日本で人気があるはずなんですが、ミケランジェロについての良書には、これまで出会ったことがなく、この中で挙げられていた、羽仁五郎氏の『ミケルアンヂェロ』と『都市の論理』は読んでみなきゃと思いました。

「ルネサンス」という言葉の意味についての解説があり、ミケランジェロとマキャベリ、コジモ・メディチ、ロレンツォ・メディチ、プラトン・アカデミーから、カバラ、グノーシス派。。。芸術家として、最後にボッティチェルリが登場する、これらの流れが60ページほどで語られています。

この巻頭文は、本当に凝縮した内容で、神と人間という考え方に慣れていない日本人には「ヒューマニティーズ」を、こういった流れで解説された経験がない人が、ほとんどではないかと思いますが、もし、これを読んで、それぐらいのことは知ってたなどと思った人は、鮮やかな解説を読むと、すぐに納得して、共感してしまう、おっちょこちょいな方ではないでしょうか(笑)。

わたしは、副島氏の本を読んでいたおかげで、マイケル・ジャクソンが、めったにいないレベルの相当な読書家だったことに、気づくことが出来、彼がミケランジェロをどう理解していたかが、多少でも想像できるようになったので、彼の絶望の深さも、芸術家として見据えていた山の高さも、少しは把握できたように思います。

一年前の『悪魔の用語辞典』のときと、同じことを、もう一度言います。

My Brother & Sister!2011年は、この本から始めましょう!!!

_________

[出版社による紹介]本当のことこそ、語られない。巧妙に隠される。なぜなら、本当の真実は、たいていの場合、目をそむけたくなるような、恐ろしいことだからだ。

本書のタブーの題材は日本に限定されない。世界、とくに欧米において「常識」であることで、日本人には知らされていないことをたくさん「日本のタブー」として取り上げてある。

それらの真実を知ることは、日本人が生き延びるために必要なことだからだ。

アホな文学好きたちは真実を知らない。世の中は差別と排除とカネの論理で動くのだ。
それなのに、その真実を見ようとしないで、キレイごとだけですませてしまおうとするのは、つまり善人とはただのアホの別名だからだ。

禁忌を破れ! 目を見開いて、この真実を見よ!
この世は本当に、穢〔きたな〕らしいのだ!

[巻頭文の内容]
ヒューマニティーズ(人文)、そしてルネッサンス(人間復興)とは何か ー 副島隆彦
  
・この世で隠されている本当のこと
・言葉を隠して真実を隠そうとする
・文学の世界に隠された差別
・ランボー「酔いどれ船」に隠された真実
・人類の歴史は病原菌との闘いだった
・温泉宿の真実が伝わらない
・ルターが始めた、真実を隠そうとするローマ教会への抵抗
・自由には「貧乏人たち用の自由」と「金持ちたち用の自由」がある
・私、副島隆彦が資本主義の精神のユダヤ先祖返りを解明した
・なぜ日本人はヨーロッパが分からないのか――それはメディチ家を理解しないからだ
・フィレンツェを理解しないとヨーロッパが分からない

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by yomodalite | 2010-12-23 00:13 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)
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89年版『座頭市』のサントラが欲しくて仕方ないんだけど、なかなか見つからない。。

3本の映画の感想に続いて、今度は「自伝」です。

勝新のスゴさに気づいたのも、まだ、ほんの数日前ですけど、この本は、3本の映画を見終わってから、そういえば、まだ読んでいなかったということに気づき、軽い気持ちで、読み始めました。このブログで、勝新太郎が初めて登場したのは、2007年に読んだ、森繁久彌の『品格と色気と哀愁と』という本で、松岡正剛氏が言っている、

勝新太郎と森繁久弥の関係は、日本の男と男が組合わさった最高の「バサラ数寄」をしでかせる無類の組み合わせなのである。

という感じを実感したいとずっと思っているのですが、森繁久彌氏のことはまだ全然わかりません。

その次が、同じ2007年の水道橋博士の『本業』で、そこで、紹介されていた、山城新伍氏の『おこりんぼ さびしんぼ』で、勝新太郎と若山富三郎の兄弟の物語に感動し、吉田豪氏にも、間接的に影響を受け、春日太一氏の『天才 勝新太郎』と、根本敬氏の『特殊まんが家-前衛の-道』を経て、ようやく、本当に『座頭市』に出会うことができました。

だから、これらの方すべてがバトンを繋いでくれたおかげで、『座頭市』には、出会うことができたんだって感謝していて、水道橋博士が、吉田豪氏を、

吉田豪は相手の99の力を引き出し、100の力で書く、
そして読者に200以上を夢想させる。
 
だからこそ、芸能本史上、最強の聞き手として、300%推薦するしだいである


と評しているように、勝新太郎のスゴさを「本」にするには、きっと、本書きのプロの力が必要だよねって思い込んでいて、本人が書いた「自伝」のこと、すっかり忘れてたんですね。

☆この感想は、図書館で借りた、単行本によるもので、文庫本にある、吉田豪氏の解説はまだ目にしてません(現在、注文中)

ところが、読み始めたら、、、

上記の方々の本はすべて、すごく面白かったのですが、この本はそれらとは別次元。89年の『座頭市』に、どれほど感動したか、表現できないぐらいだって、言った、その感動すらも上回るかと思うぐらい感動してしまって.....

ホントに、もう、どうしたら、いいんだろう。。。(笑)

いったい、どこがって思われている方も多いと思いますけど、勝新がどれほどの「天才」だったかって考えると、比較したくなるのは、もう、あの人ぐらいで、まさか、そこまで天才だったとは====!!!!って、いう感じなんですよねぇ。。。

Usherや、NE-YOは、本当にMJのことリスペクトしてると思うし、真面目だし、ダンスもめちゃくちゃ上手いと思うんですけど、どうして、MJのように感動できないんだろうって不思議に思ったことないですか?

同じ動きの、キレの良さだけなら、Usherの方が、MJより、キレイなんじゃないかと思うこともあるんですけど、でも、どういうわけなのか、MJを観たときと同じような「感動」を得ることはできない。。。(ごめんね。アッシャー♡)

彼らだけじゃなくて、ダンスミュージックの人はみんな「振付け」をこなしているけど、MJだけが違うっていうのは、ファンならわかりますよね?

勝新が、座頭市でやろうとして、実際に完成させたことは、通常の「殺陣」とは、全然ちがっていて、「殺陣」だけじゃなく、セリフも、映像にしたかったものも、音も、とにかく、MJの感覚に限りなく近いと、映画を観終わってから思っていたんです。でも、勝新自ら書いた本から、さらに、そのことが、はっきりと伝わって来ました。

それは「音楽に思考をはさんではダメだ」とか「僕はリズムの奴隷......僕は音になる。ベースになったり、とにかく聴こえてくるいろんな音になって、それを体で表すんだ」とか「ダンスは作るんじゃなく、勝手にできあがる」というようなことが、勝新流に「書いてある」からなんじゃなくて、

この本自体から、「音」が聴こえてきて、「リズム」があって、尚かつ、勝新が綴る文章が、歌舞伎座で、中村吉右衛門を観るよりも、遥かに、うっとりできる「芝居」になっているからなんです。

この、文章から音が聴こえて来るというのは、どうやら、わたしの“電波”によるものだけではないらしく「あとがき」で、勝新自身も語っています。

活字を映像にしたことはある。
映像も活字にすることが出来るだろう。そう思って書き始めた。
勝新太郎の映像が、なかなか現れてこない。
勝新太郎って、どんな人間か、
想像したら、子供のころの俺が、逆回転のフィルムのように現れてきた。
逆回転で書いてみよう。
こんな書き方でまとまるのかな。まとまったらおかしいよ。
勝新太郎を書いて、まとまるなんておかしいよ。

祭り囃子の音が、頭の中で鳴っている。

テレツク テレツク スッテンテン

ドーン ドーン ドンカララ

ヒーリャリャ ヒーリャリャ テレツクテン

こんな音に乗って、赤ん坊の頃から書き始めた。
俺の文章を読んだ人が言った。

「うまく言えませんけど、どうも文章から、なんか音が聴こえてくるんです」

どういう意味なんだろう。
活字から、どんな音が聞こえて来たんだろう。皆さん、教えてよ。

平成4年10月22日 あとがきじゃないよ、音書きですよ。 勝 新太郎


この「あとがき」で、わたしは、もう完全にとどめを刺されたんですが、
(“だじゃれ”でも感動できることってあるんですね)

その4ページ前でも、すでに7インチほど突き刺されていました。

(以下、そのページから抜粋引用)

神が世界を不幸にしたのではない。
神が世界を幸せにするのではない。
神が人間をつくったのではない。
人間が神をつくり、平和をつくり、戦争を起こす。
日本が勝っていたら、
マイケル・ジャクソンが今頃、『佐渡おけさ』を歌わされていたかもしれない。
ぞおっとするね。


勝新、やっぱりMJを意識してた=======!!!

これが書かれた頃、MJはデンジャラス期で、89年は、エリザベス・テーラーが、彼を「The True King of Pop, Rock And Soul」と称した年なんですが、同じ頃、勝新は、プリンスからPVへの出演依頼も受けています。

たしかに、MJの「佐渡おけさ」は、ぞおっとするような気もしますが、日本が負けて、日本ではなくなって行く、そんな時代に、日本の伝統文化を背負っていた「最後のひと」が勝新で、彼は、それを背負いつつも、新たな試みを、たくさん成し遂げ、世界から絶賛された「スター」だったと思います。

この本は、最後の映画『座頭市』から1年後の、拘置所の中から書きはじめられた、
勝新太郎の『獄中記』と言えるもの。

この本の表紙写真も、数々の勝新伝説も、一旦すべて忘れて、
眼を閉じて読んでみてください。


勝新太郎の三味線を聴く
バルテュスと節子・クロソフスカ・ド・ローラ




◎[動画]バルテュス&勝新太郎 Balthus&Shintaro Katsu
◎[動画]竹中労語る 勝新太郎
◎[動画]竹中労語る 勝新太郎 / 芸人論

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[単行本・BOOKデータベース]執行猶予四年という手打ちをした俳優が、拘置所の中で、もう一人の自分を見た。真・間・魔・麻…。社外人として書いてみた。痛快・劇薬の書。廣済堂出版 (1992/11)

[文庫版・内容紹介]昭和の名優・勝新太郎の人生録。強烈な人生を駆けぬけた「かつしん」が、ハワイでの逮捕以後、自らの幼少期や役者時代を振り返り、書き下ろした1冊。解説はプロ書評家の吉田豪。

[文庫版・BOOKデータベース]稀代の名優・勝新太郎が書き下ろす破天荒で強烈な人生録。幼少期からの貴重写真も多数掲載。新装版刊行に際して、解説は吉田豪(プロ書評家&プロインタビュアー)が特別寄稿。4000字を超える情報量で、さらなる勝新の魅力に迫る。文庫、改訂版 (2008/8/25)





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by yomodalite | 2010-12-12 19:05 | エッセイ | Trackback | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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