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ソニー ドリーム・キッズの伝説/ジョン・ネイスン

ソニー―ドリーム・キッズの伝説 (文春文庫)

ジョン ネイスン/文藝春秋



今頃「SONY伝説」という気持ちもありつつ、2012年に読んでもすごく面白い本でした。

本書は、多くの日本企業がグローバル戦略を考えざるを得なくなった現在より遥か前に、その先頭に立ち、輝かしいジャパン・ドリームをアメリカで成し遂げた「SONY」を、アメリカ人が描いたもので、その描き方は「プロジェクトX」的な創りとは、大きく異なり、日米のSONY関係者100人以上にインタビューを行い、それらの人々の感情のこもった言葉を引出した内的なドキュメンタリー。

SONYは、著者が希望する人物には誰でも会えることを保証したうえ、出来上がった原稿を検閲したり、承認する権利を放棄することにも同意しています。

また、著者のジョン・ネイスンは、ハーバード大学の学生時代にライシャワーに日本史を学び、三島由紀夫の評伝(『三島由紀夫―ある評伝』)や、大江健三郎の小説を英訳をし、ドキュメンタリー映画の作家として、エミー賞も受賞しています。日本から世界に羽ばたいた企業がたどった苦闘の歴史を、こういったレベルの人が描くという奇跡が、もうこの後、何年もないだろうということが、ひしひしとわかる人には、今からでも必読の書。

訳者のあとがきには、本書の紹介に「ニューヨーク・タイムス」は、大きなスペースを割き、評者は「何度も涙を禁じ得なかった」と告白、「素晴らしいシーンの連続で、終わるまで椅子にくぎづけにされた」との記述がありましたが、私は何度も涙ではなかったものの、釘付けは同感でした。(原著のタイトルは『SONY:The Private Life』

歴代のカリスマたちが、アメリカで成功するために歩んだ道は、文化の違いとの戦いで、それを、現在の日本企業が克服したかと言えば、むしろ、後退しているのではないでしょうか。そのことを、これほど教えてくれる本も他にはないような気がしました。

と、ここまでが、本書の検索で訪問された方用の紹介で、

ここからは、無理矢理(笑)、MJに関連づけて書きます!

本書は、“ソニーウォーズの別の意味”で引用させていただいたサイトで参考にされていた本で、それがきっかけで読んでみたのですが、こちらのとてもとても素敵なサイトでも、言われているように、MJはほとんど出てきません。また「ソニーウォーズ」に関して、マイケルとソニーは、5者の力関係の問題で、


・ソニー創業家(盛田家)


・日本のソニーの意思決定者


・ソニーアメリカ代表


・ソニーの音楽部門代表


・マイケル・ジャクソン



これらの関係は、3つの観点で説明でき、


①ソニー内の政治抗争の道具としてのマイケル・ジャクソン


②投資対象としてのマイケル・ジャクソン


③ソニー創業者とマイケル・ジャクソンの関係

単にトミー・モトーラとマイケルの個人的な諍いや、マイケルが勝ったと考えるのは間違い。というのは、とても素敵な解釈なんですが、私には、また別の感想が浮かびました。

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タイトルであるドリームキッズというのは、歴代のソニーのカリスマ達のことで、井深大を「トランジスタ・キッズ」、盛田昭夫を「ウォークマン・キッズ」、大賀典雄を「CDキッズ」、出井氏は「デジタル・ドリーム・キッズ」になろうとしたと、本書の最終章「出井社長はかく誕生した」には書かれているのですが、

1999年の原著の出版から、10年以上経っている今、出井氏は「デジタル・ドリーム・キッズ」になれず、SONYは、その輝きを取り戻せないまでに「落ちた」と、多くの人が感じているでしょう。本書には、なぜ、出井氏が「デジタル・ドリーム・キッズ」になれなかったのかについては、年代的に触れられていませんが、その判断を検証するうえでも、重要な示唆に富んでいるように感じました。

かつての、SONYが現在のアップルのような存在で、どれほどスティーブ・ジョブズが、盛田昭夫の死を悼み、AppleをSONYにしたかったか、

◎なぜAppleはSONYになれたのか?

小飼弾氏は、その理由を「個人が利用する製品を個人に売り、買った本人から代価を得ているから」で、

◎書評 - 僕がアップルで学んだこと

Jobsの一番えらかったのは、それを「自分の責任」にしたことにある、と言う。

出井氏は「デジタル・ドリーム・キッズ」を目指しつつも、ウィンドウズを搭載したPCを創り、ハードではなく、ネットでコンテンツを売るというモデルを構築するには至らなかった。

しかし、そのことを、たぶん、誰よりも深くわかっているからこそ、出井氏は、「スティーブ・ジョブズの死はマイケル・ジャクソンと似たところがある」と、言っているような気がします。

SONYの変換期に社長になった、出井元会長にとって、アップルにとってのジョブズが、SONYにとっての盛田昭夫と同様に感じられるのは、よく理解できますが、そのジョブズを、自社の子会社のアーティストと似ていると思うのは、MJが単に所属しているアーティストだったからではなく、

ソニーウォーズが起こった頃、SONY本体にとって、ソニー・ミュージックは赤字が増大した子会社でしたが、MJはSONYの「ドリームキッズ」で、出井氏にとって、井深や、盛田、そしてジョブズと同様に、超えられなかった「カリスマ」だったと感じるからではないでしょうか。

でも、出井氏も凡庸な経営者だったわけではなく、家電企業からIT企業への転進という大きな夢を追い、世界企業としてのSONYに相応しい「カリスマ」を備えていなかったわけではなかった。

1989年、SONYは60億ドル近くを要して、コロンビア映画を買収しましたが、それはハリウッドに撮影所を持ちたいという創業者、盛田昭夫の永年の夢でした。しかし、その夢に支払った金額は大きく、授業料は高くついた。この損失処理が長引いたことが、技術者出身でない出井氏に繋がった可能性は無視できないでしょう。

映画への夢は、ベリー・ゴーディーも、盛田昭夫も果たせなかった夢で、2000年以降のMJもそれを強く語っていました。

私は、グランジ全盛時代に、3億円の費用をかけた「You Rock My World」を創って、広告が足らないというのも「おかしな話」だと思いますし、また、ソニー・ミュージックが気づくよりも、ずっと前に版権の価値を知っていたMJが、トミー・モトーラを自分を意図的に貶めようとしているソニーの有力者だと認識していたというのは、SONY本体の社長だった、出井氏の発言から考えても「変」で、

辞めさせる力があったMJが、その力を行使したと考える方が、私にとっては矛盾が少ないですね。

また、2001年の「ロックの殿堂」スピーチでの「ベリー・ゴーディー!×4」「Tommy Mottola is a devil!」は、繋がっていると思っているので、その件はまたいずれ。

☆本書には、マイケル・ジャクソンがほとんど登場しないだけでなく、スティーブ・ジョブズも登場しないのでご注意ください。
◎ソニードリーム・キッズの伝説(アマゾン)

☆本書の参考サイト
◎藤沢烈 BLOG
◎中島孝志のキーマンネットワーク

☆関連記事
◎迷いと決断ーソニーと格闘した10年の記録/出井伸之
__________

[日経ビジネスによる紹介]伝説の男たちを米国人が描く/米国の日本研究者が今日のソニーを築き上げた故・井深大氏、故・盛田昭夫氏、大賀典雄氏、現社長兼最高経営責任者(CEO)出井伸之氏らの素顔を描き出そうと試みたドキュメンタリー。約2年間に及ぶ取材、大賀、出井両氏はもちろん国内外のキーマンに延べ105回のインタビューを敢行したという著者の執念が、ほかの「ソニー本」とは全く異質で、しかも感動的な「成功秘話」を浮き彫りにする。

「コロンビア映画買収の真相」の章にこんなくだりがある。「(撮影所をもつことが盛田氏の"夢"であったために、ほぼ言い値の買収を決定したことは)ソニー・コーポレーションが昔から仕事をしてきた環境が公的でなく私的であり、合理的でなく感傷的であったことの、さらなる劇的な証拠である」。

こうした視点は全編に貫かれ、盛田氏の章では家族との関係や盛田邸内の様子までを子細に追う。「伝説の経営者」の内面に迫る試みだ。

また、米国ソニーの成功に深くかかわった2人の外国人の足跡と日本サイドとの間に生じた信頼、確執を初めて紹介している点も興味深い。ビジネス書として、また一級の人間ドラマとして楽しめる1冊だ。単行本(2000年6月)、文庫版(2002年3月)


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by yomodalite | 2012-04-26 09:20 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)

本日の水木サン―思わず心がゆるむ名言366日/水木しげる(著)大泉実成(編)

わたしは、水木しげる氏の作品を読んだこともなく、そのキャラクターにも、そんなに魅力を感じたことはなかったのですが、最近「妖怪」に、興味が湧いてきて、

ていうか、なんだか「妖怪」になれそうな気がしてきたんですよねw。

というのは、、

こどもと老人はどこか似ていて、年寄りは「こども」に還るなんて昔の人も言ってたと思うんですけど、こどもと老人に共通しているのは「妖怪ぽさ」なんじゃないかと。(妖怪という言葉にどろどろとした怨念とか、暗さを感じる人はとりあえず「妖精」と言い換えてもいいと思う)

私が自分の「神」のように考えている方も2歳児の知能を取得され、尚かつ自分は80歳ぐらいのような気がするとか言ってましたし、確かに、こどもでも妖怪の匂いがするのは、2歳児までで、老人も80歳を超えないと、妖怪になれないような気もします。

わたしは、取得することによって、そこから「自由」になれるという「取得」の仕方が好きなので、例えば、

スリムな体を維持するのに、永遠に「ダイエット」するとか、

美人に生まれたのに、ずっと美人でいなきゃならないとか、

いっぱい仕事をして、お金持ちになったのに「死ぬまで働き続ける」とか、

ガンと闘うとか、、

最終地点が「自由」に繋がってないような気がすることには、なんだか興味がもてなくて、、

今はアンチエイジングが「是」ですけど、、でも、若返ったって「2歳児」にはなれないでしょう。せいぜい、実年齢から10歳とか、20歳若く見えるだけだったら、いつまで立っても中途半端な「中年」領域に留まるだけでつまんないし、それだと、次の「ステージ」に行くことも嫌になっちゃう。

それで、いつまでも20代や30代が最高だったなんて思って過ごすより、未知なる「ババアの世界」の方がなんだか面白そうだし、そこには「妖怪」というキーワードが重要なんじゃないかと、最近思い始めたんですね。

とはいえ、ただ年を取ったからといって、なかなか「妖怪」にはなれないですよね。とりあえず最終目標の「妖怪」の前には「オモロいババア」の通過地点があるような気がするし「ボケ方」にも「コツ」があるんじゃないかと思っているんですが。。。

「水木サン」が、どんなことを言っているかというと。(下記の太字が本書から引用)

みんな子供のときは妖怪です。(6月29日)

あ、、やっぱり、そうですか。。

目に見えないものが、神から妖怪にいたるまで、どのようにつながってるか、目に見える形で、レンガのように積み重ねていかないとならんわけです(7月1日)

ふむぅ。。

ホピ(ネイティブ・アメリカン)にはあんた、妖怪が “千” いるというんですよ。私が調べたところでは、中国にも千前後の妖怪がいます。日本にも千五百という人もいるが、だいたい “千” でまとまります。私はねぇ、これは皆共通した同じ妖怪だと思ってるですよ。私はこの驚くべき大発見は、ノーベル賞に値する、と思ってるんです。(2月7日)


霊の世界というのは、どうも非常に広いようですよ。丹波(哲郎)さんと宜保(愛子)さんの霊界というのも微妙に違います。ですから人間の知恵で考えると難しいんです。そこで「妖怪人類学」が必要になってくるわけですよ。「残忍だ」「野蛮だ」といった人間の知識で評価する必要はないんです。インディオやアポリジニの考えた霊との接触の仕方を客観的に記述するばいいことですからね。静かに眺めることが肝心ですよ。(2月11日)



自然界は「弱肉強食」で「死」は日常茶飯事だしね。。


(アポリジニの楽器ディジャリドゥについて)
あれいいですよ。あれがいいんです。精霊が来ますよ。あれは霊界楽器です。あの音楽は霊界音楽に相当します。いやむしろこのために音楽というものがあったのに…。(2月13日)

☆Didgeridoo(ディジャリドゥ)初めて聴きました。
◎[動画]Didgeridoo - Jeremy Donovan, Aboriginal Artist
◎[動画]Australian Aboriginal Music: Song with Didgeridoo


「うそぶく」という言葉があるでしょう。その音は、精霊が好きな音なんですが、現在では、それがどんな音だかわからないわけです。ところが、澤口瑞穂という学者の書いた本によると、清朝時代まではそれがどんな音であるかわかっていたそうですよ。こういった音や、儀式に関する音は、日本ではもう死んでしまっているんです。わたしは「うそぶく」は口笛に近い音なんじゃないかと思っておりますが。。。(3月6日)


(水木さんの家に大量の本が送られてくるという話を受けて)
送られてきた本の八割は捨てるんです。家内は文句を言うですが「開いたら死んでしまうぞ」と言ってます。(3月14日)


(仮面を買いながら)
同じものはいらない。同じものはいらない。(呪文のように繰り返す)(5月18日)


わたしは幸せのことしか考えないからよかったのです。今の人々は、わざと幸せにならないように努力している(2月16日)


われわれはもともと “霊霊(かみがみ)の世界” からやってきたものであり、そして “霊霊の世界” に去ってゆく存在なのだ。(4月24日)


しないではいられないことをし続ける(5月16日)



最近、なんだか幸せな気がするのは、きっと。。。


(アポリジニに「人が死んだらどうなるか」と聞かれて)
無に入るのではなく、未知の状態に入る。それは、人が生まれて、一歳か二歳の頃の、生きていると気づく前の状態です。(7月17日)


水木せんせ、アポリジニにも教えてる。。。


水木サンが長年にわたって古今東西の奇人変人を研究した結果、彼らには幸福な人が多いことがわかりました。(8月8日)


妖怪というのはね、くだらんものを一生懸命見る努力をして、
見えないものを無理矢理見るということなんです。(10月17日)



やっぱり、努力は必要なのね、、でも、見えないものを見たがる人の中でも、宇宙人を見たがる人に多いような気がするんだけど、宇宙人って科学的にいるとか、科学的に証明される可能性があるでしょ?それに、どーゆーわけか、宇宙人を見たがる人って、集団で見たがるよね。なんかね、そこが「弱い」んじゃないかとw、、、最近の横尾忠則氏から、ちょっぴり思ってみたり。。。


(メキシコ在住の画家・竹田鎮三郎さんの秘蔵のドクロ像を見て)
なるほどこりゃ死の神様だ。見てるだけで死にそうになる。やすらぐねー。死んだらわざわざ迎えに来てくれるんだ。(12月3日)

◎竹田鎮三郎 A small gallery of engraving


水木 幸福観察学会はですね、結局のところ世界妖怪協会に昇華すると思ってます。幸福には自分自身の力以外のものが働きますから。目に見えないものの作用っていうのは大きいですよ。幸福になるためには妖怪が要るんです。

荒俣宏 幸福観察学会は発展的解消をして世界妖怪学会に吸収されるということですか。

水木 幸福の追求と妖怪はつながっているんです。



(引用終了)


だそうです(笑)。

366日、うるう年にも対応したこれらの「お言葉」は、1988年から2004年までのもので、編者で、水木原理主義者でもある大泉実成氏は、少年時代に「エホバの証人」の信者で『説得ーエホバの証人と輸血拒否事件』で講談社ノンフィクション賞を受賞された方。水木センセイの本はこれからもっと読まなきゃ。

◎本日の水木サン―思わず心がゆるむ名言366日(アマゾン)
◎[幻冬舎文庫]水木サンの迷言366日(アマゾン)




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by yomodalite | 2012-03-26 17:31 | エッセイ | Trackback | Comments(0)

争うは本意ならねど/木村元彦

争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール

木村 元彦/集英社インターナショナル



木村元彦氏の本を1冊でも読んだことのある方なら、木村氏がめったにいない素晴らしいジャーナリストで、期待を裏切らない著者であることをご存知だと思います。

また、読書好きで知られる長谷部誠選手(日本代表キャプテン)も、本書を絶賛していました(勇気に感謝!)。

『争うは本意ならねど』というタイトルは、元サッカー日本代表・我那覇選手の言葉で、沖縄方言でもあるのだけど、多くの日本人のメンタリティに響く言葉だと思います。正当な理由もなく制裁を受けても、愛するサッカー、Jリーグ、そして、自らを貶めた人間に対しても、その罪を問うことを目的にしない.... そんなメンタリティに共感する日本人は多いでしょう。

また、素晴らしいプレイだけでなく、立派な人柄をもった我那覇選手の戦いには、多くの支援者が集まり、莫大な費用の寄付も、無償の好意も多く寄せられ、日本人の人情も捨てたものではないと思わされる部分も大いにありました。

でも、そんな立派な精神も、多くの人々の無私の行為によって得られた「結果」も、踏みにじられているという怒りが、著者の筆先から伝わって来るような本書は、我那覇選手のドーピング冤罪事件を知らなくても、サッカーに興味がなくても、スポーツを愛する人には、全員読んでもらいたいと思う本です。

その理由のひとつは、

◎ベストセラー『オシムの言葉』の著者が描く、我那覇ドーピング冤罪事件の真実!

上記インタヴューで、著者が語っているように「我那覇があのとき立ち上がらなければ、日本代表の南アW杯のベスト16も、なでしこのドイツW杯の優勝もなかったかもしれない」と言うように、我那覇選手が、自分の名誉のためだけでなく、多額の自己負担金(数千万!!!)を覚悟し、プロのサッカー選手としての将来への悪影響など、さまざまな葛藤を乗り越えて、立ち上がらなくてはならなかったのは、何故なのか?という理由を知ってもらいたいこと。

また、もうひとつは、

本書を、スポーツを愛していない人にも読んでもらいたいと思う理由なのですが、我那覇選手へのドーピング判定には、その当初から、我那覇選手を知る選手たちからも、Jリーグ各チームドクター全体からの強い反発があったにも関わらず、あまりにも杜撰な判定が覆されることなく、最後までミスを認めなかったのは、何故なのか?という理由について、著者が一歩踏み込んで「示唆」しているからです。

著者は、誰がどう見ても無罪の我那覇選手を、なぜ青木委員長(青木治人)はドーピング違反にしたのか?と問い、それは「意図的」で、故意にドーピング違反に仕立てられたのではないか?という疑惑を強めていく。

我那覇選手は、作為的なトラップによって、限りある選手生命を疲弊させ、何千万も投じて、日本の裁定機関でなく、海外の「CAS」にまで行かなくてはならなかった。。。我那覇選手の人徳とその判定へのあまりの理不尽に、支援の輪は拡大し、善意の資金も、無償で協力した大勢の有志にも恵まれ、正当な判定結果を得たものの、失ったものは大きく、覆った判定を真摯に報道したメディアも、間違った報道を謝罪したメディアもなく、青木委員長も、Jリーグも誤った判定で課した制裁金さえ、返金に応じようとしなかった。

◎CAS・スポーツ仲裁裁判所(ウィキペディア)

著者は、本書の終盤で、2007年のドーピングをめぐる事件とは「我那覇問題」ではなく、「青木問題」であり「鬼武問題」であり「川淵問題」であると言う。

川淵氏は日本サッカー協会名誉会長、鬼武氏はJリーグチェアマン、青木氏は、当時日本サッカー協会(JFA)スポーツ医学委員長と、Jリーグ・ドーピングコントロール委員長を兼任し、医科大学長を務める聖マリアンナ大学は、2007年アジア初のFIFAメディカルセンターに認定されていた。

権力をもつ者が、自分の思う通りの報道を流し、裁判さえ思う通りの結果が出ることに、驚くほど自信をもっているということは、川淵三郎、青木治人、鬼武健二といった、選手を食い物にしているサッカー関係者だけでなく、毎日の報道でも、すでにありふれた事態になっていますね。

著者は「エピローグ」の鬼武Jリーグ・チェアマン(当時)へのインタヴュー(川淵、青木両氏には断られた)で、鬼武氏から、こんな言葉を引き出しています。

ーーなぜ青木さんがここまで(JFAスポーツ医学委員会)委員長におられたんですか。わたしはそれが不思議なんですよ。こんな問題を起こしておいて、まだ2008年の9月ぐらいまでやられていましたよね。ほんと公正に、中立に書きたいものですから、青木先生にも取材を申し込んだんですよ。しかし、鬼武チェアマンのように逃げも隠れもせずに出てこられるのではなく、断られましたが(笑)。

鬼武 だから、それは時間の問題だったんじゃないですか。

ーー時間の問題でしたか(笑)

鬼武 だからタイミングというのがあったんじゃないですか。時間の問題というのは変な意味じゃないですよ。タイミングの問題があったんだろうと思いますよ。私の記憶ではそうですよ。

ーーこのCASの裁定後の、会長ご自身に対する処分は、譴責処分という処分だったと。

鬼武 うん。

ーーこれは、当時のJリーグ広報の方に聞いたんです。なぜチェアマンの処分がこんなに軽いものなのかと。で、当時の広報の方が言うには、これはお一人で決めたわけでなく、法務委員長の堀田力(ほったつとむ)とご相談されて決めたと。これは事実でよろしいでしょうか。

鬼武 いいです。

ーーご自身はどう思われました。この譴責処分について。

鬼武 (前文省略)でも私は堀田先生を信用していましたし、裁定委員長としてすばらしい人だ。過去もそれはすばらしい実績をお持ちの方だから。

ーー田中角栄を論告求刑で追い込んだ特捜部検事のね。



下記は、著者が「あとがき」で、我那覇と彼を支えてともに美らゴールを決めた人々のことを思って記したゲーテの言葉。

財産をなくしたら、また働けばよい。名誉を失ったら、挽回すればよい。しかし、勇気を失えば、生まれてきた価値がない 2011年11月 木村元彦

誰が見ても無罪で、優秀で、一途なサッカー選手を襲った悲劇。
もはや裁判では「正義」は争えない!

☆☆☆☆☆(満点)

☆参考サイト
◎ウエストコースト日日抄

☆『争うは本意ならねど』書評
◎ドーピング冤罪証明 元川崎F我那覇が負担した費用3500万円

☆本書の収益の一部は、CAS裁定費用を援助するために再度開設された
「ちんすこう募金」の一環として我那覇選手に送られるそうです。

◎『争うは本意ならねど』(アマゾン)

☆我那覇選手の自己負担金はまだ600万円余...
◎これまでの「ちんすこう募金」の報告

☆選手を食い物にする、ク☆ジジイたちの参考記事
◎Jリーグバブルを崩壊させ日本代表人気も絶惨破壊中の川淵三郎会長は
院政に向けて今日も元気です


◎[川淵三郎]Jリーグが非を認めないのは次期会長選のため
◎[青木治人]今さらながら我那覇ドーピング問題を考える(2007.9.6)



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ロッキード事件でアメリカの手先となり、その後の「売国=出世の道」というお手本の先頭に立って、絶大な権力を得ただけでなく、司法を私物化・腐敗させ、公益ではなく私益を目的とした「さわやか福祉財団」(おぇっーー!!!)の理事長として、国民の税金を交付金という形で高額な報酬を受けとり、復興推進委員会委員として、震災義援金をも懐に入れ、まだ足りないと増税まで主張する、ク☆ジジイたちの中でも最も「極悪人」のような気がする・・・堀田力(ほったつとむ)氏。

[内容紹介]2007年5月、サッカーJリーグ、川崎フロンターレ所属の我那覇和樹選手がドーピング禁止規程違反として6試合出場禁止、チームは罰金1000万円の制裁を受けた。風邪で発熱、脱水状態で治療を受けただけなのに……。そんな我那覇のもとに、一通の手紙が届いた──。

ベストセラー『オシムの言葉』の著者が4年にわたる取材を経て読者に贈る渾身のノンフィクション!自らの手で無罪を証明した我那覇和樹選手と、組織の枠を超えて彼を支えた人々の、勇気と友情の物語。 集英社インターナショナル (2011/12/15)


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by yomodalite | 2012-02-20 22:47 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

時代を生きる力/高城剛

時代を生きる力

高城剛/マガジンハウス

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高城剛氏は、マスメディアでの評判の悪さとは逆に、読書界では評判の高い方。

本書は、昨年出版されたもので、大好評だった『私の名前は、高城剛。住所不定、職業不明』と同じく、Q&Aになっていて、震災後の日本のエネルギー問題、マスメディア、政治....など、日本の現状と未来について、高城氏がガンガン答えて行くというもの。

現在の高城氏の考えがよくわかり、多くの人にとって学べる点や、ヒントに溢れている本で、コンパクトな体裁も2色使いの本文も、忙しい人でも読める親切設計になっています。


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☆写真は、体裁を説明するもので、内容の「ポイント」ではありません。想像よりずっと濃い内容なので、ぜひ本書で!



こういう人をツブそうとするのは、何故なんでしょうか?高城氏は、日本の有名人では、たぶん最も速い時期に『ショック・ドクトリン』を紹介されていた方のような気がするのですけど、そんなことなども「三宝会」に嫌われる要因だったのでしょうか?

◎「三宝会/小沢潰しを狙う組織」


以下は「まえがき」から(大幅に省略して引用しています)

本書は、どのように21世紀を生きたらいいのだろうか、について僕が考えた現状分析と今後の展望、そしていくつかの提言である。世界に目を向けると、とっくに冷戦が終わり、共産主義である隣国中国は経済大国になって、新興国は続々台頭し、インターネットが世界を網羅し、どこでも瞬時に情報をやり取りすることが可能になって、その風景は「フラット化された世界」と呼ばれることになる。

『第三の波』で有名なアルヴィン・トフラーは、国家や企業ではなく、個人の力が増大するのが21世紀の象徴的現象である、と言う。トフラーは発言力があり、行動力がある個人の力の増大を「インディビジュアル・エンパワーメント」と呼んでいる。マスという大きな集合体から、力を持った個々の集合体へ。実はこれが、大きなエネルギーを必要とした大量生産社会からの脱却を意味し、この動きが21世紀の力の鍵となると僕は思っている。

残念ながら、我が国では、まだまだ圧倒的にテレビの力が強く、結果、20年前までの日本式システムをいまだに強固にし「情報談合」が日々行われている。この日本の「情報の壁」を突破しない限り、日本が自ら大きく変わることはできないだろう。

少し先の未来は、どうなるだろう? 可能であればふたつのところに住んで行き来し、できればふたつの仕事をし、そのふたつを合わせると力が倍増するようなことが可能かどうか、徹底的に追求してみるのは、いまなのではないか。

成熟した国家は、個々があたらしい自己を追求することで強い個人が生まれ、その集合体でしか、次のヴィジョンはないのではないか、そのような個性的であり責任感がある政治家や官僚が増えなければ外交すらまともにできないのではないか.....世界的な俯瞰した目をもつあたらしい強い日本人が増えることになり、日本そのものがよりあたらしく強固になるのではないか、と思っている。

どちらにしろ、311以降は、あらゆる人たちがあらゆる関係を見直す時期に来ているのは間違いない。家族や友人、会社や国家に至るまで、その間の見えづらくなっていた関係が思わぬ浮上をしたため、多くの人々があたらしい現実に直面しているからである。

今年は、奇遇にも年初に自分の執筆年とした。数多くの提言を続けていきたいと思っている。いまこそ、21世紀の生き方を皆で考え追求すべき時だから。 高城剛


(引用終了)

今まで1冊も高城氏の本を読んだことのない人、もしくは、大分前には読んだことがあるけど....と言う方に最適。特に“ハイパーメディアクリエイター”に苦笑した経験がある方は必読!

☆☆☆☆☆(満点)

◎ポッドキャスト『私の名前は、高城剛。住所不定、職業不明』出版時のインタヴューについて、吉田豪氏が語っています!

◎時代を生きる力(アマゾン)
____________

[内容紹介]大好評を博した、高城剛さんの著作本第2弾。今回は、東日本大震災後の日本のエネルギー問題、マスメディア、政治、ライフスタイルに関しての特別寄稿。前回同様、Q&Aの形で高城さんが“日本の未来”をどう考え、何をすべきか考えているかが明らかに。 Q 東日本大震災や原発事故を通して、いかがお考えですか? Q 政府や東電が情報を隠していると言われていますが? Q 震災復興は、どのような手だてがいいでしょうか? Q エネルギー政策については、いかがですか? Q 具体的な代替エネルギーは、どのようなものがいいと考えますか? Qエネルギー産業は、今後どうなるのでしょう? ずばり、日本が良くなるには、どうしたらいいのでしょう? Q もし、具体的に発電をしているのなら、問題点も含め教えてください。Q 外交に関しては? マガジンハウス (2011/6/23)

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by yomodalite | 2012-02-08 12:39 | 311関連 | Trackback | Comments(1)

青春 この狂気するもの/田原総一朗[2]

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☆青春 この狂気するもの/田原総一朗[1]のつづき

[1]で、第一章の内容を少しだけ書き出してみましたが、本書のスゴさというか「魔力」を言葉にするのは、ものすごく難しいです...(本自体は全然難しくないのに)

どんなテーマで書かれているか?といった感じで本書を見ると「ありきたり」な表現になってしまったり、エピソードの裏側だけ紹介することになってしまったりしそうで....

本書の「あとがき」では、友人のカメラマンが、新宿西口のフォーク集会を取材しろうとしたら「マスコミ帰れ」のシュプレヒコールを浴びたことで逆上して「君たちのためにブラウン管で代弁してやるのじゃないか」と怒鳴ったら「反体制を商品にする告発ごっこは止めろ」と逆襲され、社名人りのジャンパーを破られカメラを壊された。ということが紹介されています。

これは、この「時代」の若者の記録映像でよく見られる「怒れる若者」の姿ですが、一方で、[1]でも紹介した「はじめに」の冒頭は、

テレビはつまらなくなった」「全然だめになった」

この言葉は、いまでは「東京の空は汚い」「いまの若者はわからない」などという言葉と同じく挨拶のような常套句になっている。紛争中の大学や新宿で会う若者たちは、テレビについて発言を求めると、ただ、薄笑いを浮かべるだけで真剣には攻撃さえしようとしないし、いわゆる〈文化人〉たちの中には「テレビは野球しか見なくて」とか、「テレビがないんで....」とはにかんでみせるのが、無難なポーズのようにさえなっているようだ。


で始まっていて、こういった「若者の醒めた目線」というのも、確実に存在していたようですが、この年に始まったTV番組には『8時だョ!全員集合』や『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』『NTV紅白歌のベストテン』、TVアニメでは『ひみつのアッコちゃん』『忍風カムイ外伝』『どろろ』『タイガーマスク』『アタックNo.1』など、その後何十年も影響力があった番組が多く生まれた年でもあり、映画「ALWAYS三丁目の夕日'64」に描かれた頃から、たったの5年後なんですが、

◎『ALWAYS三丁目の夕日'64』公式サイト


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当時のテレビや新聞では「怒れる若者」とか「若者の狂気」といったテーマが流行っていたようで、田原氏のTVドキュメンタリー『青春』も、そのラインに一応は沿ったものだったと思われるのですが、この本は、自ら制作し、高い評価を受けたドキュメンタリーでの「若者の狂気」が、どのように製作されたものだったのか?

という〈裏側〉を描いただけではなく....

「まえがき」で、ドキュメンタリーは「やらせ」であり〈やらせ〉のドキュメンタリーだけが、実像を捉えることができ〈やらせ〉でない〈ありのまま〉のドキュメンタリーなどは、まやかしか〈やらせ〉さえする価値のない.....

と言っているように、撮る前から徹底的に〈やらせ〉を意識していて〈やらせ〉の実体を見せることや、そこでは描ききれなかった〈エピソード〉によって、

より〈真実〉に迫ろうとしているだけでもありません。


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本書で取りあげた5つの番組は、

第一章・青春との出会い ー 彼女の内なる狂気へ
第二章・狂気のレッスン ー “怒れる” を演技するタレントたち
第三章・新宿ラリパッパ ー この華やかな騒乱ごっこの主役たち
第四章・少年院優等生 ー かれらの狂気は生きのび得るか
第五章・狂気を失った青春たち ー いまあなたが一番殺したいヤツは?


それぞれ「青春の狂気」をテーマにしていて、それらを、なんとか短い言葉でまとめるしかないとすれば、

第一章は、若い女性の内面の不可解さ、
第二章は、同世代の若者を熱狂させているバンドメンバーの「怒りの演技」の裏側にある繊細なサービス精神
第三章は、フーテンと呼ばれた、若者たちの「革命ごっこ」
第四章は、「ヤクザもどき」の「ヤクザらしさ」に生きる活路を見出す若者

を描いているのかもしれませんが、やはり、それだけではなくて、



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最後の「狂気を失った青春たち」は、

あなたは敵はいますか?
誰?
どうして?
殺したいヤツは?
いままでやった最も悪いことは?
セックスをいう言葉で何を想像しますか?
最初の体験は?
どこで?
セックスが何かの力になると思う?
オナニーはする?
どのくらい?
あなたの英雄は?
最後に青春とは?


という、街頭インタヴューのレポートになっていて、その報告によれば、30歳以上の人々にインタヴューをしかけてみたら、10人中6人は頭から拒否し、2人は途中で去り、残った2人は宗教団体の役員とひなたぼっこの浮浪者だったが、23歳以下の若者では、拒否をしたのは1人もなく、露骨すぎる質問に腹を立てた若者も結局最後まで答えた。この報告に対し田原氏は、

気の短い大人と、気の長い若者たちばかりに、ぶつかったわけではなく、大人たちが時間に追われているわけでもない。新宿でフーテンのハプニングや、交通事故でもあると、やじ馬の中でしつっこいのは、むしろ年配者に多く、

根気よくインタヴューに応じ、長々と相手になってくれるのは、若者たちの「サービス精神の豊かさとバイタリティーであり、若者とは、サービス精神にあふれ〈怒らぬ〉たくましさ、〈怒らぬ〉バイタリティーをもった種族と考えるべきだと述べ、

若者たちに、そういった(怒りの)サービスの演技を強いているのは大人たちで、それは「教育」という言葉に置き換えてもさしつかえなく、

では、大人たちはなぜ若者たちに演技を強いるのか?

ひたむきで、エネルギッシュで、ほとばしるような純粋な情熱 ー 演技

という問いに、わたしは、それを大人たちの青春への郷愁、あるいは青春をまっとうしなかった悔恨から、若者たちに夢を託しているのか、と考えたことがあるが、むしろ若者の素顔、若者そのものに対する不安、恐怖のためと考えるのが正しいようだ。

そこで、大人たちは、若者を〈理解しやすく〉〈安全な〉〈期待される人間〉に調教しようと考えた。大人たちは周到な準備と綿密な計画のもとに調教を実施した。

若者たちの間を吹き荒れている怒りと敵意のゲバルト旋風は、若者たちが、あまりに素直で、大人の仕掛けた罠に見事にはまったために生じたもの、その意味では、大人たちの調教が見事に成功したのだというべきだろう。

だが、どういうわけか拍手、喝采は起こらない。喝采どころか、きこえてくるのは、大人たちのためらいと非難の声ばかり。しかし、ためらいたいのはむしろ若者たちの方だろう。要求されるとおり、調教されるままに、ひたむきに演技しつづけてきたのだから.....。それでも、若者たちは演技をしつづける。彼らは何しろ若い。サービス精神にあふれている。

それに演技することしか知らず、迫真の演技をすることでのみ大人たちの期待にこたえられるのだと信じきっているからだ。拍手・喝采がないのは、まだ迫真力がないためだと彼らは考え、若さのかぎりを打込んで演技をしつづける。(引用終了)



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冒頭の「あとがき」の続きから。

わたしの知人たちの間では〈報道〉腕章や社名の入ったジャンパーに抵抗を感じ、マスコミ人間である印をつけずに取材に行く連中がふえている。若者たちのいう〈体制側ジャーナリズム〉の人間であることにうしろめたさを感じるのだ。

わたしにも確かにうしろめたさはある。だが、それは、商業テレビ局という組織にいるためというよりも、むしろドキュメントすること自体のうしろめたさである。対象を映像化するためにドキュメントするということに対するうしろめたさである。

わたしが、この本をまとめようとしたのは、書くということで、一度〈映像化〉ということをつっぱなし、のめり込みすぎて見逃したり、あるいは故意に目をそらしてきた事柄をできる限り執拗に見つめ直し、わたし自身を問い直し、再び歩き出すための起爆剤にしたいと考えたからである(引用終了)


こういった「うしろめたさ」は、この後に登場した、原一男氏や、森達也氏にも見られるものですし、また、ドキュメンタリー作家だけでなく、実在人物をモデルにした小説を書かれた作家にも感じられるものですが、

わたしは、本書が1969年出版であることに驚いただけでなく、これほど、その問題から目をそらしていない本も、また、テレビ全盛期に目覚ましい活躍をした、脚本家やディレクター、評論家らの回顧録や現代への警鐘をテーマにした本には、本当に時間の無駄と思える本や、真実を求めて別の「洗脳」に導かれてしまうなど、がっかりすることが多かったのですが、田原氏はそういった方々とは比べようがないほど、強靭な魂の持主というか、

テレビの〈やらせ〉の問題など、いまや「問題」と受けとることすら難しいほど「あたりまえ」で「お約束」という用語も広く一般的ですが、それでも、この本の「魔力」が失われていないのは、田原総一郎の「天才」によるとしか言いようがないです。

また、テレビの黎明期を担い、永年第一線で活躍し、未だにその力を維持している、現在の田原総一郎氏に関しては、元々、視聴者としてあまり接しておらず、数年前、小泉純一郎への応援に、その権力を行使した姿を垣間見た後は、ますます、テレビで拝見していないのですが、

田原氏は、この本だけでなく、激動のテレビ時代を生きながらも、これまでも先鋭的な著作を何冊も書いてこられていて、

『原子力戦争』『通貨マフィア戦争』『穀物マフィア戦争』『鉄神話の崩壊』『エネルギーマフィア』『遺伝子産業革命』『電通』 『巨大な落日 大蔵官僚、敗走の八百五十日』『ドキュメント東京電力』『IT革命のカラクリ 東大で月尾教授に聞く!』『脱「ダメ日本」宣言(田中康夫との共著)』『それでも、小泉純一郎を支持します』『Twitterの神々 新聞・テレビの時代は終わった 』など.....

わたしは、まだ、そのほとんどを読んでいませんが、3.11後の専業作家に現代が見えていないと感じることが多い今日このごろ、作家としての田原総一郎は、相当「スゴい」と感じたので、

この本の紹介も、とても難しかったです。抜粋したり、言葉として拾った箇所以外に漂う「妖気」がスゴいので....

★★★★☆「名著!」

[参考・関連]

◎1969年(ウィキペディア)
◎1969年[ザ・20世紀]
◎1969年の映画『薔薇の葬列』

◎田原総一朗(ウィキペディア)
◎封印なし!田原総一郎テレビ劇場
◎田原監督と私(原一男)
◎田原総一郎監督インタヴュー
◎ドキュメンタリー《やらせ》論1(1〜7まであります)


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by yomodalite | 2012-01-30 17:02 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

青春 この狂気するもの/田原総一朗[1]

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水道橋博士は、著書『本業』で、田原氏のことを「日本で初めてのAV男優である」(詳細は『濃厚民族』)と紹介していますが、その本にも登場し、あのマイケル・ムーアにも多大な影響を与えたという、原一男氏は「この本を読んでショックを受けた」ことから、ドキュメンタリー作家となったと言う........

(ふぅーーー)読むしかないじゃん!

で、探してみたところ「アマゾン」にも「日本の古本屋」にも「カリール」にも東京都立図書館の「統合検索」でも見つからなかったんですが、なぜか東京都中央区の京橋図書館で借りられました(京橋図書館でも「書名検索」には出てこなくて「田原総一朗」検索でようやく発見....《別置》だからなんでしょうか?)

そんな感じで、ちょっぴり苦労して探し出した本書なんですが、、

田原総一朗氏のドキュメンタリー番組は『田原総一朗の遺言』(水道橋博士や、時代の証言者であるゲストと討論をした番組などシリーズ全7作)として、最近DVDで発売され、

◎『田原総一朗の遺言』(アマゾン)

わたしは、このDVDの元になった番組で、映像による「ドキュメント」を見たときは、昔のテレビは自由で過激だったんだなぁというのが第一印象で、フィルムに移っている「若者」にも「風俗」にも、その時代が描かれていると感じました。

ところが、本書から感じたのは、驚くほど現代的で、1969年という「カラーテレビ」が一般家庭に普及して間もないTVの黎明期にも関わらず、田原氏が、ここで語っていることは、現代の新書として発売になっていても特に違和感がない部分が多くて....(そんなことあると思います?)。

DVDにまとめられているのは「永田洋子と連合赤軍」「一線を越えたジャーナリスト達」「永山則夫と三上寛/田中角栄」「藤圭子/べ平連 小田実」....など、その時代の有名人や、歴史的事件に関わっているものなのですが、

本書は、田原氏が上記と同じく、東京12チャンネル(現・テレビ東京)で、製作していたドキュメンタリーで「青春」をテーマにした5つの番組の裏側を綴ったもので、登場するのは、すべて無名の若者たち。


「はじめに」テレビ・ドキュメンタリー・わたし(省略・要約して引用)

......ドキュメンタリーとは、ものごとをありのままに捉えるべきだという、もっとも根源的な誤りが、いまだに大きな顔をしてまかりとおっている。そのよい例が、ドキュメンタリー番組に登場する若者たちのしらじらしさだ。現実の世界では造反をくり返しているのに、ブラウン管の若者たちは、レディメードの古びた〈青春像〉を忠実になぞっているばかり。(中略)

ドキュメンタリーとは、実はすべて〈演出〉されたもの、つまり〈やらせ〉なのだ。〈やらせ〉のドキュメンタリーだけが、実像を捉えることができ〈やらせ〉でない〈ありのまま〉のドキュメンタリーなどは、ことごとくとんでもないまやかしか〈やらせ〉さえする価値のないドキュメンタリーだとわたしは考えている。

あなた自身を素材にしてカメラとマイクを向ける、あなたの行動にカメラとマイクがつきまとう。そのとき、あなたはどうする?

あなたは演技をするに違いない。

〈かくし撮り〉あるいは〈盗み撮り〉相手にまったく気づかれずに撮影する。それが、奇妙に現実感があるためにフィクションであるテレビドラマや映画にもずいぶん活用されている。しかし、〈かくし撮り〉でありのままのあなた自体を捉えられるかということになると、答えは「否」である。

いくら〈かくし撮り〉をしようが、取材すると宣言された以上、あなたの意識は金輪際カメラとマイクから離れることはないだろう。そして〈かくし撮り〉があなたにとって一番見せたくないあなたを捉えたとしても、あなたがそれを公開することを拒否するだろう。

つまり〈かくし撮り〉で捉えられるものは、わざわざ〈かくし撮り〉にしなくても捉えられるあなたなのであって、それにもかかわらずドキュメンタリーが〈かくし撮り〉を多用するのは、多くの場合、より現実感を強くする、つまりニセものを少しでもありのままらしく見せる〈だまし〉のテクニックに過ぎないのである。

それでは、カメラとマイクを武器にしたドキュメンタリーで人間の内部を捉えることは不可能なのか。可能だとわたしは考えている。わたしは、むしろ、カメラとマイクがあるからこそ、人間のポーズの内側を捉えられるのだと考えている。(引用終了)


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(下記は、大幅な省略や、要約を交えて引用していて、あくまでの私が記憶を呼び起こすためのものです。田原氏の言わんとするところを押さえているとは言えないこと、また、その魅惑的な文章とも異なることを、ご了承くださいませ)

「青春との出会い」彼女の内なる狂気へ

1966年、S・Yという二十歳のバスガイドを取材した『S・Y 二十歳』いわば、わたしに悪魔的影響をおよぼした女。しかし、彼女は、むろん希代の悪女でも、英雄的な女性でもなかった。彼女を私に紹介してくれたのは、友人であるディレクターだが、わたしがそのディレクターに出した注文は「平凡で明朗な女性であること」。

ただし、彼女との初対面では「平凡も程度問題だ」と八つ当たりをはじめ、ひそかに、カメラマンが素材の変更を要求するのを期待したほどだった。

彼女は日の出前に出社し、運転手が来る前にバスの掃除を終え、食事をする前に、裸足でバスを水洗いする。そんな彼女だったが、他のガイドたちがおしゃベリをしているところへS・Yが入って来ると、なんとなくその場がしらけてしまう。

わたしは、彼女たちの城の中に闖入したためのぎこちなさだろうと思っていたが、それだけではなさそうだった。S・Yの周囲にある違和感の原因は一体何なのか?その謎を解明しようとするカメラマンの眼は次第に〈殺意〉を帯びて来た。

わたしは、思いきって、S・Yの部屋にガイドたちを集め「S・Yをどう思うか」という問いから取材を開始した。ガイドたちの顔色が変わり、ひとりはわたしを睨みつけて立とうとした。わたしが、黙って彼女たちが「おちる」のを眺めていると、S・Yは感情をむき出しにし「やめて!」と叫んだ。S・Yを誘い、2人だけで行ったビアガーデンで、

「本当は、あたし、田原さんたちの取材を利用しようとしていたのです」

「あたし、原爆ッ子なんです」

「原爆なら、隠すも隠さないも.....、あなたは犠牲者なんだし、
みんなは同情するはずで......」

「同情なんて言葉を聞くとぞっとします。こわいんです。その同情がわたしの家族をめちゃくちゃにしてしまったのですから..... 姉も、そのために死にました」


歩きながら、わたしは〈話して貰ってよかった〉というための格好のつく言葉を探そうとした。信頼、勇気、連帯、愛......。だが、ぴったりとくる言葉が思いつかないまま、黙って肩を並べているうちに、彼女の存在がしだいに重くなってきたような気がした。

彼女はわたしの手を握った。その手にほんの少し力を入れさえすれば.....。しかし、わたしは手に力を入れるかわりに、そっと彼女の掌から抜きさった。

一時間後、わたしはカメラマンに電話をして「広島に行くことになるかもしれない」とだけ伝えた。だが、次の日、あらためてS・Yの告白を取材しようとしたら、彼女は「もう一度話をしたい」と言い出したのである。

その夜、十時、赤羽駅東口の喫茶店〈T〉。

「わたしのいったことは、全部ウソです」

S・Yは、いきなり言った。胎内被爆も、姉の被爆者手帳もすべてウソだという。

S・Yは、しばらく唇を噛み締めて1冊のノートをテーブルの上に出した。かなり汚れたノートで『日記Ⅳ』と記してある。その夜『日記Ⅳ』を読んだ気持ちをひと言で言えば〈後悔〉だった。見なければいよいものを見てしまったという気持ちだった。その日記は、N観光へ務めてから、ずっと書き続けたものらしく、そのノートを見るかぎり、一日も欠けてはいない。

一番量の多いのは、7月20日の、ガイドをやめた友人との男性論議で5ページ。一番短いのは、8月6日〈黙祷〉の二字。ところが、8月26日、突然日付けだけで空白のページが現われる。つづいて27日も空白。そして28日。

「なぜ、あんなに空がきれいだったのだろう。部屋は静かだし、窓の外の道路を毎日同じ時間に通る豆腐屋さん。(中略)

事件が起きたのは、25日の夜10時過ぎ、荒川のKS橋の上......(後略)」


事件の翌日、N観光ではすでにひとつの噂がかたまりはじめていた.....

だが、こうして事情がわかったところで、わたしが感じたものは「困惑」だった。知りすぎてしまった。知りすぎてしまったために動きがとれなくなってしまった、というのがいつわりのない気持ちだった。もし、ノートを見せられていなかったら、彼女を〈原爆の犠牲者〉として描くこともできた。

2日後、8月6日、21回目の原爆記念日、わたしたちは、荒川の堤防でこの取材最後のシーンの撮影をした。夕日を背に堤防を歩くS・Y、その顔のアップ。風にひるがえる髪、その髪ににじむような太陽のハレーション。彼女の日記のナレーションバックになる映像....

それから、2週間後の放送後、視聴者から3本の電話があった。1本は、S・Yをわたしに紹介してくれたラジオのディレクターからだった。「なかなか面白かったよ」「それにしても、大テレビ局の大ディレクターが、小娘のPRの片棒をかつがされたみたいだな」とつけくわえた。

わたしに「もしや」という疑問が起こってきたのである。こう考えると、いくつも思い当たるふしがある。

わたしは、見つめることだけに終始しようと思って、素材を選んだのに、どうやら、見事に見つめることを放棄して、彼女のために旗をふってしまったようだ。S・Yにしてみれば、危険度の大きいバクチだったに違いない。そのバクチに彼女は賭けた。最後にはわたしにゆだねるという捨身の勝負にでた。ドライに計算した行為の中に、そんなひたむきな若さゆえの手応えを、はっきりと身体に感じたからである。

そのとしの11月。わたしは取材でN観光の近くまで行ったとき、S・Yを訪ねてみた.捨身のバクチに勝って、再び女の住居権を与えられ、文字どうり「平凡で明朗な」女性に戻っているはずの彼女に会って「してやられたよ」とひと言憎まれ口をたたいてやろうと思ったからである。

ところが、S・Yは3ヵ月前にN観光を辞めていた。わたしたちが取材した直後である。顔見知りのガイドに聞くと「あのテレビの放送も見ないで行ってしまったの」ときょとんとした表情で言った。

すべてが、一挙に謎に戻ってしまった。

S・Yの消息はそれっきりわからない。だが、近頃になって、わたしは、彼女もわたしたちの取材の中で何かを確かめようとしていたのではないかと思えてきた。

わたしたちが彼女を見つめ、彼女を追いつめることで〈何か〉を確かめようとしていたとき、彼女も見つめられること、追いつめられることで〈何か〉を確かめようとしていたのではないか。だからこそ、彼女は、わたしたちの執拗な追いつめ方にも耐えたのではないか。

彼女は、わたしたちにはわからない〈何か〉を確かめ得た。だからこそ、新しい生活にとびこんでいったのではないだろうか。しかし、わたしがこう考えるのは、べつに根拠があってのことではないし、わたしたちの取材が彼女に何を与えたのかもさっぱりわからないままだ。

☆青春 この狂気するもの/田原総一朗[2]につづく



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by yomodalite | 2012-01-27 15:05 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

小さな白い鳥/ジェイムズ・M・バリ、鈴木重敏(翻訳)

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☆Rubberhead Club 会員連絡「ピーターパン」はじめました!

暗記するぐらい読まなくてはならない『ピーターパン』なんですが、実はわたし、子どもの頃も、大人になってからも『ピーターパン』を一度も読んだこともなくて、、でも、とにかく「小さなことからコツコツと(by : 西川師匠)」始めようと、読むべき『ピーターパン』を探してみたところ、こちらが見つかりました。

本書について「訳者まえがき」から、要約して引用します。

永遠の少年「ピーターパン」を主人公とするジェイムズ・M・バリの作品は、主要な3つが公刊されている。

①『ケンジントン公園のピーター・パン』(公園のピーター)
②『ピーターとウェンディ』(劇のピーター)
③『ピーター・パン』(劇のピーター)


②は1921年の「Peater Pan and Wendy」と改題されたが、1987年の著作権が消滅してからは単に「Peater Pan」という標題で出版されるのが普通になっている。

③は〈ト書き〉とセリフから成る台本の形をとっている。ただし、6千語におよぶ長い序文が添えられ、全体としては台本というより読まれるための戯曲という感じになっている。

三者はそれぞれ独立した作品ではなく、共通するのは「ピーター・パン」という主人公の名前と、年をとらないという点で、身体的特徴も行動の形態も全く別人のそれと言える。

②と③は、1枚のコインの両面で、②は1904年初演の劇『ピーター・パン』を物語の形に改めたもので、③は再演のたびに手直しされ完成の域に達したとバリ自身が認めた1927年上演の同じ劇『ピーター・パン』の決定版を戯曲の形で出版したものである。

②が初演から7年も経って書かれたのは『ピーター・パン』が、演劇関係者が驚くほどの大当たりをとり、一儲けを企む群小出版社による俗悪な作品が大量に売り出されたため、原作者自身の手による本格的な物語を発表することになった。

①は、1902年に出版され、本書『小さな白い鳥』(The Little White Bird)の一部として書かれたものである。ピーター・パンというキャラクターは『小さな白い鳥』という作品の中で、3分の1にあたる一連のエピソードの主役として活躍するが、決して全編の主人公ではない。

『小さな白い鳥』は、小説家としてのバリの最後の作品であると同時に最高の傑作でもある。人間性への透徹した洞察とそれを包み込む温かい愛情、そしてその甘さを適度に抑える軽妙な皮肉とその鋭さを和らげるユーモアなど、すべてがバリの到達した円熟の境地を示している。

しかし、その高度に洗練された文学の妙味を十分に味わい得る読者の層はあまり厚くはなく、出版後数年間で5万5千部という売行きは、今世紀初頭のものとしては第一級のベストセラーではあったが、人気作家バリの新作としては比較的冷静な一般の反応だった。

ところが、その発表から2年後に初演された『ピーター・パン』は爆発的な人気で迎えられた。この人気を利用しようと考えた出版社が(バリの同意のうえ)『小さな白い鳥』からピーター・パンの登場する6つの章だけを抜粋し、出版した。

これが①が世に現われるに至った真相である。

今日、我が国では青少年から成人に至るまで広い範囲の人々の精神的・心理的諸問題に関して「ピーター・パン症候群」といった恣意的な概念による説明が試みられるなど、原作者の意図とは遠く離れたところで「ピーター・パン」への関心が高まっているように見られる。

しかし「ピーター・パン」の真の姿を知るためには「劇のピーター」よりも先に「公園のピーター」を知ることが必要であり「公園のピーター」を正しく理解するためには『小さな白い鳥』全体との関係においてこれを読むのが正しい態度ではなかろうか。

(引用終了)


本書を最初に手にしたときは、表紙の絵も好みの範疇とは異なるうえに、その厚さにも重みを感じた私ですが、読み始めると、ジェイムズ・M・バリの熱心な研究家である鈴木重敏氏の翻訳が本当にスムーズで、実際のバリの文体を感じさせるような、魅惑的な文章に夢中になり、

これまでの「ピーター・パン」のイメージを完全に覆され、ファンタジーとか、メルヘンとか、おとぎ話が、全然好きではないにも関わらず、冒頭からワクワクし、何度も笑えるほど、楽しく読むことができ、訳者の「まえがき」にある

人間性への透徹した洞察とそれを包み込む温かい愛情、そして、その甘さを適度に抑える軽妙な皮肉とその鋭さを和らげるユーモアなど、すべてがバリの到達した円熟の境地で、その高度に洗練された文学の妙味....

にも完全に同意。これほど完璧な物語を読んだのは、人生で初めてのような気がします!(私の記憶を信頼したことは、私自身はほとんどありませんが....)

ピーターは、厚さ4センチほどの本書を半分読み終えても、まだ登場しませんし、主人公は元軍人の中年男性で、会員である紳士クラブでは「意地っ張りのオールド・ミス」と呼ばれるような偏屈で皮肉屋の男性。

でも、その中年男性が、紳士クラブから、ケンジントン・クラブ(ケンジントン公園)へと、社交場を変化させていく過程は、わたしが「ネバーランド」にたどり着くためにも、絶対に必要な物語で、ジョニー・デップ主演の映画『ネバーランド』で彼が演じたバリよりも、遥かにステキな(「Rubbers」的な意味で)著者の姿も見えてきました!

そんなわけで、マイケルがバリを熱心に研究していたことをよくご存知の、Rubberhead Club 関係者にとって「Must Read」は言うまでもないと思いますが、忙しい会員に、さらに「しつこく」奨めるために、バリのお茶目なおとぼけぶりが伝わる、

不思議な「序文」も引用しておきます。

(これは1930年の全集刊行時に書かれたもの。バリは自作を解説することをとことん拒否し続けた作家で....)


「序」 ジェイムズ・M・バリ

大戦が始まって2ヵ月、私はアメリカを訪れた。ニューヨーク・タイムズがインタヴューを申し入れてきたが、私は断った。

ところが、それでもインタヴューの記事が同誌に掲載された。執事のブラウンが私に代わってインタヴューを受け、私や私の日常生活について、いろんなことを喋ったことになっている。もちろん署名はなかったが、私は今に至るまで、自分で書いたのかも知れないと思っている。

とにかくブラウンが話したことになっているのだが、それによると私は、当時まだ中立を守っていたアメリカのウィルソン大統領の要望に背くまいと、非常に気を遣っていたことが分かる。私はブラウンに命じて、戦争そのものに関してはもちろん、それ以外のあらゆる面でも厳正な中立を守らせたようだ。

例えば食べる物にしても、今日牡蠣を注文すれば明日は蛤にする、といった具合で一切の偏向を避けさせたし、ニューヨークの摩天楼を見ても、ある1つが他の1つよりも高いなどとは、口が裂けても言わせなかった。

ブロードウェイを通るにしても、左右どちらの歩道の肩を持つと思われても困るので、危険は承知の上で道の真ん中を歩かせたほどだった。

ブラウンは、また、私が自分の作品を、それが出版されるや否やすっかり忘れてしまう、というようなことも話したらしい。全く酷いやつだ、客が来ると分かっているとき、話題が自分の作品に及ぶ場合に備えて、私は最近の自作を大急ぎで読み返すことがある ー その現場を見たことも1度や2度ではない ー そんなことまで彼は証言している。

この最後の点に関しては、ブラウンの話も満更作り話ではないと認めねばなるまい。なぜなら、主イエス・キリストの御降誕紀元1930年というこの年、私はこの『小さな白い鳥』に関しては、どんな質問を受けることも拒絶せざると得ないからだ。私が覚えているのはただ1つ、それが他人を脅迫した結果の、自業自得の産物だということだけだ。

それまで一度も本を書いたことの無いある女性が、ずっとまえからこの題名で本を書こうと考えていた、と私に話したのだ。私はその女性を励ますつもりで、貴女が書かなければ私が書きますぞ、と脅したのだが、結局はその脅しを実行する破目に陥ってしまった。

こんな事情で本を書いたことなど、この他には一度も無い。だがひょっとすると、だれでも同じようなことをしているのかも知れない。



◎小さな白い鳥(アマゾン)

◎ジェイムズ・M・バリ《ジェームス・マシュー・バリー》(ウィキペディア)
◎ネバーランド《映画》(ウィキペディア)

[参考記事]
◎松岡正剛の千夜千冊『ピーターパンとウェンディ』


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by yomodalite | 2012-01-19 12:34 | マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(21)

ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者/藤永茂

ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者

藤永茂/朝日新聞出版




『闇の奥』と『「闇の奥」の奥』を読んで、藤永茂氏の本をもっと読みたくなったのですが、氏の著作の中に、この名前を発見して読む前から胸が熱くなりました。

オッペンハイマーの名前は、もう記憶のない人の方が多いのかもしれません。でも、3.11後に行われた、村上春樹氏のカタルーニャ国際賞スピーチを読んだ人は、そこで思い出された方もいるでしょう。

ロバート・オッペンハイマーは「原爆の父」と言われている人です。
私は、少女時代にその名前を知ったものの、マンハッタン計画とトリニティ実験、ロスアラモス研究所と、そのメンバーで「水爆の父」と言われたエドワード・テラーの名前を覚えただけで、それ以上考えたこともなく、

エドワード・テラーの息子がアストロ・テラーという名前だと知って、テラーは息子にアストロと名づけるようなタイプなんだなぁと驚き、その彼が書いた小説(『エドガー@サイプラス』 )を読むという、どうでもいい迂回をしただけで、ずっと忘れていました。

註)上記は当時の記憶で、今、調べてみたところでは、アストロ・テラーは孫らしく、アストロという名もエドワードが名づけたわけではないようです。


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Robert Oppenheimer



そんなわけで、本書に書かれてあることは、私にとって初めて知ることが多く、オッペンハイマーへの評価の変節も、原水爆の開発や研究に対する議論もよく知らないのですが、それでも、本書が「オッペンハイマー伝」の決定版であると思うのは、

著者が「おわりに」で

本書は多数の文献にもとづいて書かれた。オッペンハイマーと面識のあった方々にも接触したが新しい事実は得られなかった。私が、会話や状況の叙述を勝手に創作した箇所は1つもない

と書かれているように、本書は、これまでの様々な文献から多くを引用し、それらをまた別の文献で補強したり、反論するという手法に徹底し、これまでの著者がくり返してきた「安易な想像による物語」を許さないという姿勢が貫かれていること、

また、同じく「おわりに」では、

村山馨著『オッペンハイマー』については感謝の意を表しておきたい。10年ほど前、すでにオッペンハイマーに強い関心を持っていた私には、村山氏の著書がオッペンハイマーに対して心情的に好意的すぎるように思われた。私には別のオッペンハイマー伝が書けると思ったのである。

それから、10年、私はかなり広く読み漁り、絶えずオッペンハイマーのことを考えて続けてきた。その結果、私が見出したことは、私も、まわりまわって、結局は村山さんが立っておられた場所に戻ってきてしまったという事であった。


という記述もあるのですが、読者にとって、著者の20年以上に渡る「まわりまわった」結果を1冊の本で読めることは、とても幸せなことだと思いました。


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村上春樹氏は、カタルーニャ国際賞スピーチで、オッペンハイマーについてこう語りました。

ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
 
「大統領、私の両手は血にまみれています」

トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。(引用終了)


◎村上春樹・カタルーニャ国際賞スピーチ全文



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このとき、村上氏が、過ちを犯した科学者の代表として引用したオッペンハイマーの言葉は、反原発を叫ぶ人々にとって、わかりやすい科学者像であり「物語」でしょう。

この場面だけでなく、オッペンハイマーの言葉は、被爆国であるがゆえに、原爆の罪を追求できなかった日本以外では、様々な人によって厳しく追及され、多くの「物語」で「セリフ」として切り取られています。

日本には「原爆の日」も「終戦記念日」もあるのに、これほど、オッペンハイマーのことが忘れられているのは、日本の敗戦をどうするかを考えた人たちの「戦略」によるものなのでしょう。私は今その戦略を否定する気にはあまりなれない。

下記は、村上氏のスピーチ後半部分から。

壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。

それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
 
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。(中略)
 
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
 
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。

我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。(引用終了)



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全文を読むと、安易な科学者批判ではなく、多くの人々へのメッセージと、文学者としての自分の今後を述べた部分に力点があるのだと思いますが、

村上氏は、すべての人々が、被害者であると同時に加害者で、その過ちは「効率」であり「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」を、もう一度心に刻み、そのことを厳しく見つめなおさなくては、またどこかで同じ失敗が繰り返されると述べ、

オッペンハイマーの「過ち」を語り、私たちは、核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの中心命題に据えるべきだったと言う。

全体的に素敵なスピーチなのですが、私はこれを読んだとき、なぜか、あまり感動することができませんでした。それは震災のショックが大きかったせいもありますが、

過ちの理由は簡単で「効率」と言い切られたことと、

被害者であり、加害者であるのは「日本人」全体であるのに対し「小説家」として未来の希望を語るだけで「小説家の責任」については語られなかったことに対してなのかもしれません。

時刻通りに動く電車など、勤勉で真面目な仕事ぶりで世界的に認知され、優れた科学者に恵まれた日本が、なぜ、2度も被爆国にならなければならなかったのか?

それは、人が必ず「過ち」を犯すものだからではないんでしょうか?

わたしは、村上氏の「過ちは繰り返しませんから」よりも、日本人が声をあげることなく、世界に伝わった「メッセージ」は、そうであっただろうと思います。

私は、過ちを繰り返さないという「言葉」が、文学者として、大きな「過ち」ではないかと思う。

震災で傷ついた人々が見られる夢は「非現実な夢」なんでしょうか?

原爆や、原発事故のように、多くの人が1度に甚大な被害にあうことはなかっただけで「言葉の過ち」は、大勢を不幸にし「死」をも招いてきたはずです。

本書は、これまで大勢の小説家や文筆家が描いてきた、科学者や政治家の責任を問う「物語」とは異なり、誇り高い科学者が「本当の人の愚かさ」について書いた「物語」です。


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藤永氏は、大江健三郎が『ヒロシマノート』で述べた、

ロスアラモスの有刺鉄線の中でひたすら働いた6000人の人間たちには原爆地獄への想像力が欠けていた。

について、

それが人間というものである、と私は考える。人間は想像力の欠如によって、容易にモンスターとなる。このことが他人事ではないという自覚から、私はオッペンハイマーという“モンスター”について書き続けているのである(p160)

と言い、物理学者にとって永遠に魅力を失うことのない学術都市「ゲッチンゲン」に現れた、若き日のオッペンハイマーのほっそりとした若い詩人を思わせる容姿や、現代詩、特にT・S・エリオットの『荒地』を愛誦し、高等学術研究所の所長として、エリオットを招き、ヒンズー文学にも強い関心を寄せ、その聖典『バガヴァド・ギーター』を原語で読むためにサンスクリットを学んだという「オッピー」(オッペンハイマーの愛称)の人物像を、様々な証言から「立体化」していく。

わたしには、ここで描かれたオッペンハイマーが、大江健三郎氏より、想像力がないと思えなかっただけでなく、政治家がその国民の民度と同様であるということと同じく、原爆を落とした国が「12歳ぐらい」と判定した基準を、大江氏の文章から感じました。

村上春樹氏は、私たちが等しく「非現実的な夢想家」になるべきだと言う。

私に想像力がないせいか、それが素晴らしいことなのかどうかよくわからないのですが、

「過ち」が許されない「計算」を基礎とする科学者たちが、どんな「夢」を紡ぎ、そして「過ち」に気づいたとき、それを修正するために、どのような「政治」があったのか。

それらの「現実」は、小説家の想像よりも「夢」のないものだったのでしょうか。

藤永氏が、科学者の愚かな過ちに対し、同じ科学者として、オッペンハイマーを洞察する「眼」には、久しく出会った事のない「ヒーロー」を感じ、村上氏のスピーチに感動できなかった理由も、この本には書かれているように思えました。

数学も科学も苦手なので、本書の物理学用語を難しく感じる点は多々ありました。それでも、私にとって、この本は「現実」に光が感じられるものでした。

日本が戦後と呼んだ時代は、確実に遠くなっていますが、新たな戦争は確実に近づいているでしょう。原爆も、原発も、人の愚かさも、過ちは常に繰り返されることを確認するために、

日本人必読の書だと思いました。

1996年出版の本ですが、決して古くなることのない名著です!
◎[Amazon]『ロバート・オッペンハイマー』オンデマンド版
◎[Amazon]『ロバート・オッペンハイマー』朝日選書版(レヴューあり)

アメリカでは、オッペンハイマーについて、活発な議論があり、ドキュメント映画も、彼をテーマにしたオペラ作品もあるようで、戦後、日本の教育が戦争責任という言葉で、ひたすら「反省」してきたことに比べると、米国の方が原爆投下を「戦争の早期終結のため」という理由に集約されているわけではないようです。

◎ロバート・オッペンハイマー(ウィキペディア)
◎エドワード・テラー(ウィキペディア)
◎ドキュメンタリー映画『The day after Trinity』
◎メトロポリタンオペラ「ドクター・アトミック」(徒然なる all over the World)

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by yomodalite | 2012-01-03 23:35 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

魂の演技レッスン22 ー 輝く俳優になりなさい!/ステラ・アドラー

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つい最近まで、わたしは、映画は、映画監督のものだと思ってました。

ほとんど、すべての映画に、そーゆー表記がありますし....

お気に入りの監督の映画を全部観てみようと思ったことはあっても、お気に入りの俳優が出演している作品を全部観たいと思ったことはなくて、俳優の存在がより感じられる芝居や舞台が今も苦手です。

この俳優が出演しているんだったら、きっとイイ映画なんじゃないかな?と思って、映画を観たことは、もちろんあります。例えば、ロバート・デ・ニーロとか、エドワード・ノートン、ジョニー・デップもそうですね。

デ・ニーロ、ノートン、ブランドが共演した『スコア』(The Score)は、“You Rock My World”と同年の、ブランドの遺作映画で、アマゾンの紹介にもあるように、ノートン、デニーロの共演が話題で、ブランドは3番目の役。出演シーンも2人より遥かに少なく、この映画を最初に観て、ブランドの素晴らしさを認識する人はかなり少ないと思いますし、わたしもそう思います。

ただ、私がわかったのは、やっぱり、ブランドは彼らとは全然違うということでした。

(アマゾン評では、デ・ニーロとノートンの演技決戦の軍配にはいろいろ見方があるようですが、わたしには、これほどノートンがつまらなく見えた映画は初めてで、それが、どういうことなのかも、まだよくわからないのですが....)

これまで、わたしは『ゴッドファーザー』は、“パートⅡ”が一番傑作だと思っていて、最近、ブランド愛から“パートⅠ”を観直したんですが、やっぱり作品としては“パートⅡ”の方が、素晴らしいと思いますし、デ・ニーロは本当に素晴らしい俳優だと思いますが、

デ・ニーロの演技が素晴らしかったというような感動と、ブランドが私に与えてくれた感動とは、桁が違うというか、もう、まるで違うんですよね。

でも、どう違うのか、どうして、ブランドだけにこんなに感動してしまうのかも、まだ、どう説明していいのかわからないんですが、MJが、Singer、Dancer、Entertainerよりも、先に「Greatest Actor」 と書いたことは、ブランドという存在なしにはありえなかったということはますます確信し、(参照:マイケル・ジャクソンの顔について[39])

ジョニー・デップが、his mind is much more important than the acting thingや、He's as important as, uh... who's important today? と言ってるのも本当にそうだと思うんです。(参照:Johnny Depp talking about Marlon Brando[1])

全部にはまだほど遠いんですが、ブランドの初期から晩年までの作品を観て、彼は、デ・ニーロよりも、最後まで様々な役に挑戦してきたように感じていますが、それでいて、デップが言うように、ブランド自身の精神性を強く感じるとは、どういうことなんだろう?

それが知りたくなったので、舞台とか、芝居とか、演技にも、ほとんど興味がなかったにも関わらず、こんな本も読んでみました。


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著者のステラ・アドラーは、ブランドの自伝で「50年代から60年代にかけて演技は完全に変化した。ステラに導かれた世代が台頭するまで、俳優の多くは、私が常に思うところの“個性派”俳優」で、メソッド演技を確立したと言われ「アクターズ・スタジオ」の指導者として高名なリー・ストラスバーグに対しては、「メソッド・アクティング」という言葉はストラスバーグによって通俗化され、汚され、誤用されてきた。

私が成功を修めると、自分の教育の成果だと言い出したことや、通るものなら、太陽や月にさえクレジットを要求する奴だった」
と、かなり激烈な表現で批判し、何もかもステラから教わったことと、彼女への感謝のきもち、彼女の素晴らしさに多くのページが費やされています。(P85〜)

本書の原題は『The Art of Acting by STELLA ADLER』で2000年に出版されたもの。

以下は、ブランド(当時76歳『スコア』公開1年前)による序文


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ステラ・アドラーは私にとって、演技教師以上の存在だ。

彼女が私に伝えてくれたことはこれ以上ないというほど尊く、価値がある。自己の感情が生まれるしくみと、他者の感情が生まれるしくみをいかに見出すか。

いわゆる「メソッド」演技の流行に乗じてまやかしの技法が横行しても、彼女はけっしてそれに組することはなかった。その結果、彼女の演劇文化に対する貢献は世に知られることなく埋もれていった。

私が知る限り、パリに渡ってコンスタンティン・スタニスラフスキイから直接教えを受けた米国人アーティストはステラ・アドラーただ1人だ。スタニスラフスキイはロシア演劇界で最も偉大な存在であり、卓越した人間観察力を持っていた。

彼女は氏のテクニックをアメリカに持ち帰り、自らのレッスンに組み込んだ。それが世界中の演劇文化に影響を与えるとは、彼女自身夢にも思わなかっただろう。

アメリカ映画は世界中の映画に影響を与えている。
そのアメリカ映画に影響を与えたのは、実はステラ・アドラーの演技に対する教えなのだ。
彼女は多くの人に愛され、貢献している。

私の人生に言い尽くせないほど大きな助けを頂いたことを感謝している。また公私にわたり、生涯おつきあいさせて頂いたことを光栄に思う。

マーロン・ブランド


彼女が「俳優」に求める理想は、とてもとても高いので、本書は演技を真剣に学ぼうと思っている人にとっても、厳しい本だと思いますし、ましてや、わたしは、今まで1度も俳優になりたいと思ったこともありませんし、もちろん、今はもっとそう思っていますけど、

ステラ・アドラーは、ブランドが尊敬するだけあって、完全に「思想レベル」の人で、そのせいか、わたしはすごくいっぱい付箋を貼りながら読みました。

また、彼女が「俳優」とは何かについて書いていたことを知ると、MJの「Greatest Actor」や、「映画を撮っていくことの芸術的価値について彼が抱いている想いを知ると、僕は畏怖の念を抱いてしまいます」(参照:映画『ブレイブ』監督・脚本・主演:ジョニー・デップ[2])

と言っていたことや、日々努力を重ねていたことが少し感じられたというか、わたしもますます彼に畏怖の念を抱いてしまいました(って、もうすでに抱き過ぎなんですけど...)

わたしは以前は、MJの映画への思いは、自ら主演するとしても、監督業への興味が大きいんじゃないかとずっと思っていたんですね。彼は2000年頃のインタビューでも、エンターティナーというイメージが強いけど、作曲家としてや、SFの製作においても、クリエーターとして過小評価されているといった不満が感じられたので、

総合芸術と言える映画製作では、監督や、プロデューサーなど、KING OF POPとして以外で、色々とアイデアを実現させたかったことがあったんじゃないかと思っていました。でも、まだ結論を出せる段階ではありませんが、ブランドのことを知って、あの「メモ」を見てから、かなり考えが変わりました。


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◎ステラ・アドラー(ウィキペディア)

詳しいことはわかりませんが、本書はステラが亡くなって8年後に出版されていて、もしかしたら、この出版もブランドの尽力により実現したのかもしれません。

ブランドの序文では「彼女の貢献は世に知られることなく埋もれていった」とありますが、本書の出版が経緯になったのでしょうか?現在、彼女の功績は2006年に「ハリウッド・フェーム」にも刻まれ、ステラ・アドラーの名を冠した演技スクールは今も健在のようですが、そのスクールの名誉会長は生前ブランドが努めていたようです。

☆☆☆☆☆(満点)

◎『魂の演技レッスン22』(アマゾン)

☆「ステラ・アドラーの言葉」につづく

____________

[内容紹介]世界的に多大な影響を与えた俳優教育法で知られるロシア・ソ連の巨匠、スタスフラフスキーから教えを受けた唯一のアメリカ人として、マーロン・ブランド、ロバート・デ・ニーロ、ハーベイ・カイテル、ベニチオ・デル・トロ…など、多くの優れた俳優を育てたステラの魂が宿る、演技のHow-to本ならぬWhat-to本。と同時に、世界を一つの劇場とするならば、その登場人物である全ての人に向けた人生哲学書でもある フィルムアート社 (2009/4/22)

[著者について]1901年、ニューヨークの俳優一家に生まれ、幼少の頃から舞台に出演。1931年、米国の演劇界に新風を吹き込んだグループ・シアターに参加したが、リー・ストラスバーグが唱える感情の記憶を中心とした「メソッド」の解釈に反発。提唱者スタニスラフスキイ本人に教えを乞い、「状況を想像することの大切さ」が氏のメソッドの本意であることを確認した。1947年、自身の名を冠した演劇学校を設立。20世紀最大の俳優といわれるマーロン・ブランドの可能性をいち早く見抜き、『欲望という名の電車』の歴史的名演に導くなどしてアメリカの伝説的演技教師となる。1992年没。


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by yomodalite | 2011-10-21 18:43 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)

0311再起動 ー 君たちに東日本大震災後の世界を託す/堀江貴文

やっぱり、ホリエモンの本は面白い。

今回はじめて「タカポン」と呼んでみようかなぁと思ったけど、最終章で2013年には「ニューホリエモン」をお見せしたいと堀江氏が語っていたので、やっぱりホリエモンで。

現在長野刑務所で服役中の堀江氏は、元々精力的に出版活動されていた方ですが、2011年は、6月20日に収監されるまでに、本書を含めて下記の10冊を出版されていて、

◎成金/画:佐藤秀峰(2011/2/16)
◎儲けたいなら科学なんじゃないの?/成毛 眞 共著(2011/3/18)
◎ホリエモンの宇宙論/堀江 貴文(2011/4/19)
◎わたしの3.11ーあの日から始まる今日/茂木 健一郎、山田スイッチ他(2011/5/20)
◎収監 僕が変えたかった近未来(2011/6/7)
◎嫌われ者の流儀/茂木 健一郎共著(2011/6/14)
◎お金はいつも正しい(2011/6/21)
◎再起動 ー 君たちに東日本大震災後の世界を託す(2011/6/25)
◎田原総一朗責任編集 ホリエモンの最後の言葉(2011/7/25)
◎だからテレビに嫌われる/上杉 隆共著(2011/9/16)

わたしは『成金』『わたしの3.11』『嫌われ者の流儀』に続いて本書を読みました。

第1章・第2章 ドキュメント3.11

震災当時の怒濤のツイッターを、ドキュメントとして振り返る内容。わたしが、震災直後に、ホリエモンのツイートを見たのは、とにかく死ぬことが怖いと言っていたほりえもんが、同じ東京都民としてどんな行動を取るかに興味があったからです。でも予想に反し、彼は「東京は絶対にだいじょうぶ」と言い切り、

大量フォロワーをもつ社会的責任として、膨大な量の安否確認ツイートを繰り返し、義援金の窓口を設定し、また情報ボランティアだけでなく、被災地に直接出向くなど、驚くほどの行動力を発揮されていました。

なにをすればいいのかも、状況への判断も難しかった、あの頃のホリエモンの行動は、非常に迅速でありながら、適確だったと今から考えても思う。わたしは、以前からボランティア基金の使われ方に興味があったので、多くのブログが採用していた基金のバナーや、日赤には疑問があったけど、

具体的に、震災直後に確実に必要とされるお金をどうすればいいかについては、まったく考えておらず、堀江氏の行動から、本当にいざという時の行動力は、日頃から蓄えられるものだということに、あらためて気づかされました。

第3章 シュミレーション「東北独立特区」

震災後の日本がこれからどうすればいいのか。これからそれを向き合わなくてはいけないと思うことで、結果フリーズしてしまう。そんな震災鬱から抜出すには、どうすればいいのか。その答えはイメージすることに尽きると堀江氏は言い、具体的なヴィジョンが紹介されている。

そのイメージとは、1人のジャーナリストが「生まれ変わった新しい東北」をルポルタージュしているという設定で、テーマは「出所後、私が住んでみたい東北」。

第4章 東北から日本の未来を拓こう

原発エンジニアの海外流出を防くことから、産業再生による復興プランが非現実的であること、東北から新しいジャパンモデルを発信するために重要なこと、集合知による逆転の発想について。

第5章 新国家計画

東北復興について考えているとき、堀江氏の頭を占めていた、国家とは何か。どうあるべきかについて。現在の日本の問題点を鋭く指摘する内容。

さいごに

2011年5月28日、六本木ヒルズで書かれた文章。2013年、みんなにニューホリエモンを見せられることを楽しみにし、みんなも、みごとに日本を再起動したことを、自分に見せて欲しいと書かれています。

特別対談 2010年10月9日に行われた瀬戸内寂聴との対談

わたしはこの対談で、堀江氏が東大で宗教学を専攻されていたことを初めて知りました。寂聴氏は、死が怖いという堀江氏に、遠藤周作氏の話や、自身の様々な説教体験を語りますが、意外にも堀江氏が非常に宗教的であったことに気づかされ、氏のこれまでのイメージとは異なる、古典的人物像が浮かび上がります。


震災直後の氏のツイートを目撃し、すでにライブドア裁判に疑問を持っている人にとっても、本書の内容は、あらためて読む価値のある内容。氏の発想には、議論を呼び起こす力があり、有意義な反論や、質問を投げかけたくなる魅力が詰まっている。

単行本の厚み(12ミリぐらい)以上の内容の充実は、ホリエモンの深さから来ていると思いました。


☆☆☆☆☆(満点)
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[内容紹介]東日本大震災後、東北そして日本はどう進むべきか。その道筋を照らすのはこの国で暮らすみんなの集合知。本書は「ソーシャルメディア」「経済」「心」の3テーマを軸に、ポスト3・11の希望あふれる未来像を提示するロードマップだ。著者の独創的な東北独立特区シミュレーションは必読。瀬戸内寂聴さんとの特別対談も収録。ホリエモン渾身の書下ろしラストメッセージ。新生ニッポンの主役は君だ! 
徳間書店 (2011/6/25)





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by yomodalite | 2011-10-02 11:55 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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