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(5)の続き・・・

しばらく間があきましたが、マイケルとヒップホップについて、目一杯寄り道をしながら考察するシリーズ。

『Bad』から『HIStory』期までの音楽業界にヒップホップが与えた影響や、時代背景をひととおり見たところで、今回は、ようやくマイケルが2度もラップを使ったノトーリアスB.I.G(別名ビギー・スモールス)について。

* * *

マイケルが、はじめてビギーのラップを使った「This Time Aound」(『HIStory』収録)について語っているインタビューは見当たらず、「Unbreakable」(『Invincible』収録)に、ビギーのラップを使うことになった理由については、

それは僕のアイデアではなくて、このアルバムの作曲家でプロデューサーでもあるロドニー・ジャーキンスのものだったんだ。 僕がこの曲にラップを入れようと思っていたら、「ピッタリなのがある、ビギーのだ」ってロドニーが言ってね。それで、彼のラップを取り入れることになって、この曲は完成したんだ。(→ 2002年VIBEインタビュー)

と、答えているのみ。

VIBE誌は、ヒップホップの雑誌ですから、ビギーについてもっと聞きたかったと思うのですが、マイケル側でこれ以上の質問を許可しなかったのでしょう。でも、毎回うんざりする整形や皮膚の色、少年虐待疑惑などとは違って、このアルバムの中で、マイケル自身が最も強くシングルカットを望んだ曲に関する話題であり、

ヒップホップの東西対立抗争の中で、撃たれて亡くなったビギーのラップを取り入れた理由について、いくらインタビュー嫌いのマイケルでも、もう少し言葉があっても・・と思うのは私だけではないでしょう?

しかも、マイケルは、ロドニー・ジャーキンスが「ぴったりなのがある」と奨めてきた、とプロデューサーのせいにしていますが、これはマイケルの癖でw・・・すでに銃撃で亡くなっていたビギーのラップを、I’m unbreakable(僕は不死身)だという曲で使うなんて、マイケル自身にしか決められないことです。

ラップは、黒人のCNNと言われるように、ヒップホップのアーティストたちは、実際に起こったことを音楽に取り入れることが得意ですし、期待もされていて、評論家のような人々が、音楽を語るための材料になったり、アーティスト自身が大いに語ることで、宣伝にもなるのですが、ビギーが亡くなったのは1997年3月で、『Invincible』が発売された2001年10月よりも、4年以上も前のこと。

何度も延期になった『Invincible』の発売ですが、何ひとつリップサーヴィスをしないマイケルのことを考えると、SONYが「Unbreakable」をファーストシングルにしなかったことを責めることは、わたしには出来ないのですが、どうして、マイケルは、2度もラップを使ったビギーについて何も語っていないのでしょう?

私は、とりあえずビギーの魅力に触れたくて、彼が遺した2枚のアルバムを、歌詞を見ながら何度も聴いて思ったのですが、マイケルが基準とし、達成もしてきたレベルを考えると、現在でも多大なリスペクトを受けているビギーでも、マイケルにとっては少し「足らない」と感じるところがあったんだと思うんです。



album "Ready To Die" より


両親ともにブラック・パンサー党のメンバーという出自に、主演俳優になれるほどのカリスマ性、加えて、ヒップホップ史上、最高のプロデューサーと言われるドクター・ドレがプロデュースしたヒット曲をもつ2パックの楽曲の完成度と比較すると、

幼い頃に、父親が蒸発し、保育園で働く母によって育てられ、犯罪とクラックが蔓延するブルックリン(ベッドスタイ地区)で成長し、ドラッグディーラーになったビギーには、貧しく、ハンサムでもないという、多くの普通の黒人に訴える普遍性に、素晴らしいラップスキルが共存するという幸運があっても、マイケルが考える「素晴らしい音楽」には、ほんの少し足らなかったのではないか、と。



album "Life After Death"より


上記と同じインタビューの中で、マイケルはこうも語っていました。

VIBE:現在のR&Bの状況をどう思いますか?

MJ:僕は音楽をカテゴリで分けたりしない。音楽は音楽だよ。R&Bがロックンロールという言葉に変わっただけ。ファッツ・ドミノや、リトル・リチャード、チャック・ベリーなんかが、ずっとやってきたことと同じさ。区別してどうするの?素晴らしい音楽は、素晴らしい。それが現実さ、そうでしょう?

ヒップホップが流行した時期、黒人たちは「黒人」にしかわからない世界を表現しようとし、音楽業界はこれまで以上に、音楽をカテゴリで分類し、音楽ファンも自分の好きな音楽を、分類されたカテゴリから選んで聴くようにになっていました。

KING OF POPであるマイケルは、テディ・ライリーの才能を「ニュージャックスイング」からすくい上げたように、自分がラップや、ヒップホップに関わることで、黒人という枠を飛び越え、カテゴリに埋没しない、時流にのった言葉以上の意味と、音を創造しようとしていたんじゃないでしょうか。


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(3)では、N.W.A.以降のラップミュージックは、それぞれ自分がいる場所を語るという考え方があるにもかかわらず、基本的に「西海岸」の住人だったマイケルが、「東海岸」のアーティストとばかり仕事をしているのはなぜなのか?と書きましたが、



音楽的には、ヒップホップを嫌っていたプリンスは「My Name Is PRINCE」のように、「自分語り」が得意なアーティストですが、マイケルは「自分語り」をほとんどしないアーティストですよね。

何事も「原点から探求する」ことが好きなマイケルは、ヒップホップ発祥の地であるハーレム(東海岸)により興味があり、また、デスロウ・レコーズ(西海岸)のアーティストと関わるには、代表のシュグナイトが怖すぎたw。ということも多少はあったのかもしれませんが(笑)、

プリンスのミネアポリス出身という「アイデンティティ」とは異なり、マイケルにとって、インディアナ州ゲイリーで生まれたことは意味があることではなく、そういったすべての「境界」と関係なく、誰もが素晴らしいと感じる音楽を創ることが、彼の「アイデンティティ」だったと思います。

マイケルはこれまで、ポール・マッカートニーのような伝説的なアーティストをはじめ、フレディ・マーキュリーや、プリンス、マドンナといったライヴァル関係ともいえるアーティストと直接対決するようなコラボレーションも考えてきましたが、

ラップについては、新しい時代感覚を取り入れることで、世代や、音楽のジャンルにもこだわらない「いい音楽」が作りたかった、ことと、今をときめくラッパーに「自分のやり方」を見せたかったのではないかと思うんですね。

マイケルは、ビギーのラップのスキルを使って、自分ならこうする、という音楽を創りたかったのではないでしょうか。



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# by yomodalite | 2017-07-10 07:00 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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