<   2016年 01月 ( 8 )   > この月の画像一覧

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②の続き・・・

たった、数分足らずのショートフィルムを解読するのに、なんでこんなに一杯読まないといけないの?とお思いの方も大勢いらっしゃると思うんですけど、ただ、こういったことは、マイケルが意識していたに違いないことではあるものの、わたしたちにとっては前提となる知識も意識もないことなので、説明しようと思うと、どんなに短くしようとしても、これぐらいになってしまって・・・(大泣)。


それでも、同じ資料を、ただただ「頭がいいフリ」とか「わかったフリ」をするためだけに使用してきた数多のものよりは、よっぽどわかりやすくマシなものになっているという自負もあるのですが、そんな私の伸びた鼻をへし折ってくれる人もマジで感謝しますので遠慮なく!


では、今回は、歴史・政治との関連と、

あらゆる場面で成立しない「父と息子の関係」や「お笑い」もちょっぴり・・・



◎リンカーンの言う “心の天使”


ウィラードが、カーツ殺しを請け負ったときに司令部から言われた言葉、


この戦争ではいろいろな混乱が生じている。権力と理想、古い道徳観と現実の作戦行動、現地人の間に入り、自ら神となるのは、大きな誘惑に違いない。人間の心には戦いがある。合理と不合理、善と悪、善が勝つとは限らぬ。時には、悪が勝って、リンカーンの言う “心の天使” を打ち負かす。誰にも理性の限界がある。君にも、私にも。カーツは限界に達し、完全にイカレてしまった。彼の行動は良識による抑制を失い、人間の行ないとしていささかの容赦の余地もない。その彼が軍の指揮を取っている」


この、リンカーンの言う “心の天使”というのは、彼の最初の就任演説の最後の方で述べられた、


I am loathe to close. We are not enemies, but friends. We must not be enemies. Though passion may have strained, it must not break our bonds of affection. The mystic chords of memory, stretching from every battlefield and patriot grave to every living heart and hearthstone all over this broad land, will yet swell the chorus of the Union when again touched, as surely they will be, by the better angels of our nature.


私は演説を終えるのが残念です。われわれは敵同士ではなく、味方なのです。われわれは敵同士になるべきではありません。感情が高ぶっても、われわれの親愛のきずなを切るべきではないのです。思い出の神秘的な弦が、全ての戦場や愛国者の墓から、この広大な国の全ての生けるものの心と家庭へとのびていて、再び奏でられるとき、統一の音を高らかにならすことだろう。その音は確かに、われわれの本来の姿であるよい天使によって鳴り響くことだろう。


のことで、黒人奴隷の解放をめぐって争われた南北戦争後、南部が連邦から脱退できないことを述べたあと、彼らへのアピールとして語られた言葉のようです。


で、このあと、司令部を出たウィラードは、戦場でテンガロン・ハットをかぶり、未だに南北戦争を戦っているかのような、カリカチュアされた南部・テキサス人、将軍キルゴアに出会います(キルゴアはテキサスにある地名)。



◎ここは笑っていい


深刻な戦争を描いている映画でありながら、また、色々と《逆》になっている部分や、パロディでもあると言ってしまいましたが、そう言ってしまうと誤解されそうな部分も・・・


キルゴア登場シーンは、「笑いどころ」が多くあるものの、実は「真実」という場面もあります。


まず、島に到着したとき、「カメラを見ないで先へ進め。テレビだ!カメラを見ずに戦っているフリをしろ!」というカメラクルーが登場しますが、ベトナム戦争は初めてテレビカメラが入った戦争で、人々に「反戦」意識が高まったのもそれが原因だったと言われています。ですから、これは実際の話。


でも、典型的なテキサス人のキルゴアがサーフィンをやってるわけがないw。


これは《逆》になっているという例なんですが、キルゴアが遺体にトランプを配っているのは、死者数を数えたり、恐怖を与えるために、実際に使われた方法で、これは真実です。また、戦闘中に、牧師が祈っていたり、その祈りの言葉も真実で、爆撃したあとに、「我々は暖かい庇護の手を差し伸べる」というアナウンスなども、本当にバカバカしいのですが、こういったことは、すべての戦争で行われていることで、この映画で何度も繰り返し表現されている、攻撃しておいて、助けようとする。という偽善行為で・・・一番笑えないところです。


そして、爆撃を終えて、「DEATH FROM ABOVE」と書かれたヘリコプターから、キルゴアが降りると、テンガロンハットの正面についている「騎兵隊」のマークが、それまでの倍ほどデッカくなっているw(これに似たギャグ、マイケルもやってたよね)。



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(befor)


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(after)



また、本来、いかにも軍人らしいキルゴアのような人物は、戦場がどういうところかわかっていないサーファーのランスを、軍人として鍛えることが役目であり、その厳しさが、若者が成長するための《通過儀礼》になるというのが、『愛と青春の旅立ち』などでも、おなじみの構図なんですが、キルゴアは、戦場では、まったく役に立たないサーフィンのカリスマを尊敬するような態度で接し、戦場における《父と息子》の関係は築かれることなく、ランスの成長も阻害されています。



物資運搬船の乗員を虐殺する


船の中では、もっとも冷静沈着にみえた “チーフ” は、航海中に船を発見し、物資を運搬している船は調べなくてはならない、というもっともな理由から検問するのですが、武器を隠しているかもしれないという疑惑は、軍人として未熟な若者 “クリーン” を興奮させ、銃の乱射を招いてしまう。


このシーンは、ベトナム反戦運動のシンボルにもなった「ソンミ村虐殺事件」から発想したと、コッポラは述べていますが、私たちの国で問題になっている南京虐殺にも似ている点があるように思えますし、この映画よりもずっと後に起きた、イラクに大量破壊兵器があると信じたことから始まったイラク戦争のことも思い出されますね。


そして、ここでも、同じ黒人である “チーフ” と “クリーン” に築かれるはずの《父と息子》の関係が壊れていて、父である “チーフ” は、軍人としての経験と判断から行動を起こしたことで、息子 “クリーン”の致命的な行動を招いてしまう。



◎ふたりのL.B.ジョンソン


この映画にはふたりのL.B.ジョンソンが登場します。そのひとりが、サーファーのランス・B・ジョンソンで、もうひとりが、ベトナム戦争時のアメリカ大統領リンドン・ジョンソン(Lyndon Baines Johnson


この、ふたりのL.B.ジョンソンについては、地獄の黙示録のレヴューとして評価の高い、立花隆氏の『解読 地獄の黙示録』でも指摘されていて、


「L.B.ジョンソンと聞けば、誰でもすぐに、あの大統領を連想する。(…)カーツ大佐のドキュメントの中に、二人が肩を並べて撮った写真が出てくるし、ベトナム戦争の将来展望に関する参謀本部宛の特別報告書がジョンソン大統領にも提出されていたこと、また、カーツがウィラードに読んで聞かせるタイム誌の記事にも(特別編集版)、ジョンソン大統領の名前が出てきて、ベトナム戦争がジョンソン大統領の戦争であったことを、いやでも思い出すように仕向けられている。」


と、ここまでは完全に納得。ただ、このあとの記述、


ランスとジョンソン大統領を重ねることで、ラストシーンの意味的含みが現実のベトナム戦争と重なってくる。カーツを殺したウィラードが群衆の中にわけいり、ランスの手をつかんで、一緒にボートに乗る。そのとき雨が降ってくる。ランスは雨に顔を濡らして喜ぶ。このシーンは、病める漁夫王が癒されて、「荒地に雨が降り、世界が救済される」というシンボリックな表現である。ここで、「L.B.ジョンソン」の名前が意味を持ってくる。L.B.ジョンソンこそが病める王だったのである。


については「???」で、これについては、最後の「神話」との関連で説明する予定ですが、私は、コッポラは、ランスとジョンソン大統領を、ある意味において《類似形》として描いているのではないかと思います。


リンドン・ジョンソンの経歴は、


保守的な南部テキサス州(キルゴアと同じ)から、戦争で戦うことを公約して、南部では支持者の少ない民主党の上院議員になり、その後、実際に戦争に行って、名誉勲章を受章するほど活躍する。ケネディ政権では副大統領になり、ケネディが暗殺されたことで、大統領の座につき、次の選挙でも大勝するものの、ベトナム戦争への判断ミスによって、政治生命を断たれ、また、ケネディ暗殺の首謀者だという根深い疑惑ももたれた。


というようなものなのですが、これらは、一貫したイデオロギーがなく、その場その場で上手く世の中を渡ってきたようにも見え、戦地と政界というふたつの厳しい戦場で成功をおさめ、生き残った人物であるともいえます。


そして、またランスも、サーフィンのカリスマとしては、誰もが一目置くような人物だったものの、軍人としてはまったくの素人。にも関わらず、結局、戦場の波をも乗り切って、最期まで生き残る。


カーツは、自分のことだけではなく、他人のために生きること決断し、そのためには、現在の価値観を破壊することも厭わない「英雄」の道を目指した人間ですが、リンドン・ジョンソンや、ランスは、既存の価値観の中で自分の目標を見つけ、そこのみに邁進する。だから、世界を変えることはできないし、その意思は元々ない。


また、ふたりのL.B.ジョンソンが、共に、ジョンソン(ヨハネの息子)という名前だという点も重要なのではないかと思いますが、それについても後述。



◎カーツとリンドン・ジョンソン


カーツに関する最初のレポートで、マーロン・ブランドが、ドイツ軍の青年将校を演じている『若き獅子たち』の写真が使われていたり、サーフィンをしているランスが「サヨナラ!」というのも、ブランドが演じた映画のタイトルだという「遊び」のあと、


「輝かしすぎる、いや、完璧だ。軍の最高幹部となるべき男だった。大将にでも、参謀長にでも・・・しかし、ベトナムがつまづきとなる。ジョンソン大統領宛の報告書は握りつぶされた。問題があったのだ。続く数ヶ月空挺部隊を訓練課程を3回も志願して、やっと受理された。空挺部隊?38歳にもなって? そして、特殊部隊に加わって、ベトナムに戻る」


というカーツの経歴は、ジョンソンが、自身の上院選挙の運動時に、もし戦争が始まったら、戦地に赴き敵と戦うという公約を掲げ、実際に、第二次世界大戦に海軍少佐として従軍し、輝かしい叙勲を受けたという経歴にそっくりで、しかも、副大統領時代、ケネディ大統領に送った、「アメリカが迅速に行動すれば、南ベトナムは救われる」という予想が大きく外れ、悪化する一方の戦争の責任から政治生命を断たれた。という経歴と対比するものですが、


カーツは名誉勲章を受章して除隊した後、出世には、何の見返りも期待できないうえに、厳しい訓練を必要とするグリーンベレーに自ら希望して入り、実際の軍事行動として、適切な作戦を実行したにも関わらず、軍部に逆らったとして処罰されようとしている。つまり、カーツは、ジョンソン大統領と、ある地点から《逆》コースを行く人物として、造形されているんですね。



◎カーツとダグラス・マッカーサー


上記で、L.B.ジョンソンと対比したカーツですが、軍人として一旦退いたあと、再び、軍に復帰して、カンボジアに行ったという、カーツの人物造型に、アメリカ史上、一人の手にこれほど巨大で絶対的な権力が握られた例は無かった。と評されるほど、日本を占領したダグラス・マッカーサーを感じた人も多いでしょう。


ウィラードが、カーツの資料を読みながら、「陸軍士官学校を首席で卒業、朝鮮戦線、空挺部隊、叙勲の回数多々、見事な経歴だ。」という字幕の背景にある資料映像には、ハーバード大学で歴史を専攻し、その修士論文は、「Phillipines Insurrection: American Foreign Policy in Southeast Asia, 1898-1905(フィリピンの反乱:東南アジアのアメリカの外交政策1898-1905)」とあるのですが、



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マッカーサーが、ウェストポイントアメリカ陸軍士官学校を首席で卒業し、フィリピンに陸軍少尉として派遣されたのは、1903年。このときが、マッカーサーとフィリピンとの長い関係の始まりなのですが、彼がフィリピンにこだわった理由には、マッカーサーの父親が、フィリピン総督だったという歴史があり、カーツが学んだ「フィリピンの歴史」も、マッカーサーの父親の外交政策といえるのかもしれません。また別の資料で、カーツの母親らしき女性が大きく写っているのも、マッカーサーのマザコンエピソードを思わせますし、独断で行った作戦に、上層部はカンカンになるものの、マスコミ人気によって、昇進したことなども・・・



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トルーマンや、アイゼンハワーの忠告を聞くことなく、終戦後、天皇に代わって日本の「王」となり、その後、仁川上陸作戦で、ソウルの奪回にも成功して、名声を高めると、米国の執行部は、ますます、マッカーサーに手を焼くようになり、最終的に解任されるという道のりと、この映画でのカーツの経歴には、重なる部分が少なくありません。


また、⑤でも取り上げた、元シェフのジェイが、ウィラードと一緒に船を降りて、マンゴーを探しに行ったとき、虎に襲われた、というシーンですが、


マッカーサーの有名なセリフ「I shall return(必ずや私は戻るだろう)」は、1942年に、ルーズベルトの命令で、フィリピンからオーストラリアへ脱出するよう命じられたときに発せられたものなんですが、その後の1944年から終戦までフィリピン・レイテ島で行われた、日本軍とアメリカ軍の戦闘で《マレーの虎》と呼ばれて恐れられた日本軍の大将、山下奉文とは敵対する関係で、


戦後、他のA級戦犯には同情的だったにも関わらず、フィリピン国民に「戦争犯罪人は必ず罰する」と約束したこともあり、フィリピン戦での戦争犯罪訴追には、非常に熱心に取り組み、山下は、フィリピンでの降伏調印式が終わるとすぐに逮捕され、部下がおこなった行為はすべて指揮官の責任だという理由で死刑判決が下されました。これには、山下に全責任を負わせ、アメリカ軍のおこなったマニラ破壊を日本軍に転嫁するためとの見方もあるのですが、マッカーサーは山下の絞首刑に際して、より屈辱を味わわせる様に「軍服、勲章など軍務に関するものを全て剥ぎ取れ」と命令し、山下は囚人服のまま《マンゴーの木で》絞首刑を執行された。ということがありました。


マンゴーを探しに行って、虎に殺されそうになった。というのは、《マレーの虎》を《マンゴーの木》で殺した。ことを《逆》にしたエピソードなのかもしれません。



◎カーツとジョンソンとマッカーサーの共通点


カーツの部屋で、ウィラードが発見したこちら・・


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これは、銀星章(シルバー・スター)と呼ばれる勲章なのですが、この章は、アメリカ合衆国の軍の勲章・記章の序列で、戦闘時における功績に限定すれば、シルバースターは名誉勲章、十字章に次ぐ第3位の勲章です。


しかし、名誉勲章の授与基準は「敵対する武装勢力との直接戦闘における任務の要求を越えた著しい勇敢さと生命の危険に際しての剛胆さ」とされるため、生存者の受章は非常に困難で、また、十字章は、「敵対する武装勢力への作戦行動における非凡な英雄的行為」なので、前線で戦った者への受章機会は少ない。


一方、シルバースターの叙勲は「敵対する武装勢力との交戦における勇敢さ」に対して贈られるため、上位の勲章よりも、前線将兵の受章機会は多く、実際に勇敢な行動に対して与えられる章であるとも言えます。


銀星章の受章経験者の中でも、7回受章というぶっちぎりの記録をもつのはマッカーサーで、あとから疑惑をもたれるものの、ジョンソンも歴代大統領の中で唯一この章を受章した人物。


カーツの人物像が、ジョンソンとマッカーサーを経由して出来ていることが、ここからもわかると思いますが、さらにわかりたい人は、カーツが、戦後の日本と大いに関係があり、この映画も・・ということも夜露死苦!



◎兵士のロボット化と、殺人ロボットの実用化


ウィラードが、司令部からカーツ殺しを命令される場面に戻りますが、こんなシーンがありました。



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抹殺するのだ。私情を捨てて」(字幕訳)
Terminate With Extreme Prejudice



このTerminateっていうのは「ターミネーター」と同じ言葉ですが、Extreme Prejudice というのは、通常使われない言葉だったそうで、当時かなりの流行語になったそうです。


直訳すると、「極端な偏見によって始末しろ!」といった感じでしょうか。マイケルファンとしては、彼の「Prejudice Is Ignorance(偏見は無知なり)」の方を深く噛み締めてしまうのですが、兵士たちは、実際に戦場に行くと、人を殺すことを嫌がり、なかなか立派な兵士にはならなかった。それで、兵士たちの発砲率を上げるために、色々と研究がなされ、ベトナム戦争では、それまでわずか15~20%にすぎなかった銃の発砲率が、90%に跳ね上がったということがあったようです。


◎参考図書「戦争における「人殺し」の心理学」


私情を捨てて目的をやり遂げる兵士は、これまでに紹介した、ヨハネの黙示録や、バガヴァッド・ギーターでも、理想の兵士だと考えられてきているわけですが、そこから、ロボット戦士が地球を救う『ターミネーター』へと繋がった可能性は大いにありそうですね。そして、最近では、「殺人ロボットの実用化」が実際に近づいてきたというニュースもありました。



次回は、神話や騎士道物語との関連について。






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by yomodalite | 2016-01-28 18:44 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

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①の続き・・・


欧米で、ほとんどの人が知っている典型的な神話といえば、《アーサー王と円卓の騎士》と、《聖杯探し》。これらは、どれが原型なのかわからないほど膨大な量の物語があり、また、お互いが混じり合うことで、《英雄》と《探求》の物語を形成していて、それは、イエスの英雄化にも、影響を与えてきました。


ハリウッドでは、ヒーローを描く物語が無数にありますが、それらは、与えられた試練を乗り越えて、どう成長していくかという《通過儀礼》がテーマになっています。そして、その通過儀礼のもっとも大きな要素は、私たちの国では、ほとんど見られない《父殺し》。


宗教学者の島田裕巳氏は、「アメリカ映画は、父を殺すためにある」と言う。父殺しという《通過儀礼》を果たすことによって、英雄(ヒーロー)へと生まれかわるのだと。また、映画評論家の町山智浩氏は、ヒーロー物語と父殺しの関係について、「ユダヤ・キリスト教では、聖書は神を「父」、キリストをその「息子」として描いていて、その父子関係が世界理解の基本になっている。イギリスに反抗して独立したアメリカという国は、常に自分を父と戦った息子としてイメージせざるを得ない」のだと指摘しています。


そして、父殺しは、『スターウォーズ』を思い出してもらうとわかりやすいのですが、歴史や、未来や、神話を舞台にした映画では《王殺し》の物語へと変化します。


元サーファーのランスは、「ディズニーランドよりも素敵なところが他に?」と書かれた手紙を読んで、「あるさ、ここにある」と答えますが、『地獄の黙示録』のジャングル・クルーズは、真実を求める「探索」の物語であり、カーツという《王》を殺しに行く物語でありながら、若者を成長させる通過儀礼にはならず、ここには、誰ひとり《ヒーロー》がおらず、誰もがみんな間違っていて、旅の果てには、《答え(聖杯)》も《宝(聖杯)》も見つからない。


『地獄の黙示録』は、戦いや、王殺しを行うだけでなく、実際の歴史や、これまでの黙示録に基づく物語、神話、王殺しの物語、アーサー王や、聖杯探しといった騎士道物語や、宝探しのすべてを 解体” した物語で、とてもシリアスではあるものの、ある意味、それらのパロディになっているんですね。


この構造は、マイケルのショートフィルムに、とても大きな影響を与えているので、そういった例を出来るだけ多く紹介していきたいと思いますが、

まずは、聖書や、黙示録との関連から・・



◎ヘリコプターと「イナゴの群れ」


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この映画は、ヘリコプター集団の映像がよくあるのですが、これは、黙示録の「イナゴの群れ」ですね。


煙の中からは、イナゴの群れが地上へ出て来た。(...)「額に神の刻印を押されていない人には害を加えてもよい」と命じられ・・・そのイナゴの姿は、出陣の用意を整えた馬に似ていた。そのイナゴの姿は、出陣の用意を整えた馬に似ていた。頭には金の冠に似たものを着け、顔は人間の顔のようでもあった。(...)胸には鉄の胸当てのようなものを着け、その翼(つばさ)の音は多くの馬に引かれて戦場に急ぐ戦車の響きのようであった(黙示録・第九章より)



◎炎と、紫と黄色の煙


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私は幻の中で、馬と騎兵たちを見た。彼らは、・・・口からは炎、紫、および硫黄の色の・・・口から吐く火と煙と硫黄、この三つの災難で人間の三分の一が殺された。(黙示録・第九章より)


戦場を描いているので、爆発シーンや、煙が多いのは、普通なんですが、それ以外のシーンでも、紫と硫黄の色(黄色)の煙が何度も象徴的に登場したと思います。



◎ヘリコプターと『ワルキューレの騎行』


キルゴアが、「俺たちは空の第一騎兵隊」だといった翌朝、ラッパが吹かれ、ヘリコプターは離陸し、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』を大音量で鳴らしながら、ミサイルが打たれる場面は、


第五の天使がラッパを吹いた。・・・この星に、底なしの淵に通じる穴を開く鍵が与えられた。深い淵の穴を開くと、大きな炉から出る煙のようなものが地上に広がり、太陽も空もその穴からの煙のために暗くなった。(ヨハネの黙示録より)


という場面ですね。黙示録の7人の天使たちは、何かを成す前に、ラッパを吹くことになっていて、交響曲のファンファーレも、このラッパから影響を受けているんですが、


「ワルキューレの騎行」は、アーサー王の物語を原型としている、ワーグナーのオペラ『ニーベルングの指輪』4部作の二作目で、騎行とは馬に乗って行くことです。ワルキューレは、北欧神話(ルーン文字で書かれている)に登場する半神のことで、「戦死者を選ぶ者」とされていて、一般的に、鎧と羽根のついた兜で身を固め、槍(もしくは剣)や盾を持ち、翼の生えた馬(ペガサスなど)に乗る美しい乙女の姿で表されています。



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『ニーベルングの指輪』では、神々の長ヴォータン(=オーディン。北欧神話の主神で、戦争と死の神)と知の神エルダの間に生まれた9人の娘達として登場し、天馬にまたがり槍と楯を持ち天空を駆け巡るワルキューレたちが、戦死した兵士の魂を岩山へ連れ帰る場面の前奏曲として『ワルキューレの騎行』が流れます。

『地獄の黙示録』では、この戦闘シーンから、しばらくして、武器をもって踊る、カウガールファッションの『PLAYBOY』のバニーガールたちが、ヘリコプターで、空から登場するのですが、彼女たちは、《ワルキューレ》としては、早々に兵士たちの前から立ち去っていき、黙示録の《バビロンの大淫婦》のように、裁かれて、焼かれることもなく、2000年版では、淫婦とは正反対の少女のようにも描かれています。



◎ウィラードに送られてくるレポート

船上にいるウィラードに次々に送られてくるレポートは、黙示録で、小羊(イエス)が開くのがふさわしいとされる巻物を指していますが、ウィラードはイエス的な人物としては描かれていない。



第五の天使は《アバドン》を呼び出し・・・


ヨハネの黙示録では、第五の天使がラッパを吹くと、地獄の蓋が開き、《アバドン》と《イナゴ》を呼び出す。ことになります。アバドンというのは、奈落の王のことで、ルシファーや、サタンと同一視され、「破壊の場」「滅ぼす者」「奈落の底」の意味をもっているのですが、ここでは「カーツ」を指しているようです。


また、このあと、第六の天使がラッパを吹くと、ユーフラテス川のほとりにつながれている《四人の天使》は、人間の1/3を殺すために解き放される。のですが、カーツは、ベトナム人の《4人のスパイ》を殺害するという最小の攻撃で、最大の効果をあげる作戦を選択します。


そして、第七の天使がラッパを吹くと、この世は、我らの主と、そのメシアのものとなり、主は限りなく統治される。というのですが、映画では、このあと不気味な「カーツの王国」へとたどり着く・・・



◎「船を離れるな」


マンゴーを取るために、船を降りて、ジャングルに向かったことで、トラに襲われそうになった場面で、元シェフは、船から離れたことを何度も後悔し、ウィラードも、教訓のように「船を離れるな」(Never get out of the boat. というシーンがあります。


これは、おそらくマタイ伝14章22-33で、イエスに「来なさい」と言われて、ペトロが、船から降りて、水の上を歩き、イエスの元に進むのですが(Peter got down out of the boat, walked on the water and came toward Jesus. )、途中で強風に会って、沈みかけ、助けを求めると、イエスが「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と言われる。という場面を《逆》にしているのだと思います。



◎ラザロからの襲撃


ふざけた味方のボートから襲撃を受け、ボヤが起き、船長がリーダーらしき男を見て「お前か?ラザロ」と名前を呼ぶシーンがあります。ラザロといえば、コールドプレイのクリス・マーティンが、MJのTHIS IS ITでのカムバックを「ラザロ以来の復活劇」だと称したように、イエスによって、死から蘇った人物として有名なのですが、この場面でのラザロが、それとは正反対の下品な行為をしているのは、軍事行動と医療行為の両方を行っている「聖ラザロ騎士団」を揶揄する意図からだと思います。


マルタ騎士団、テンプル騎士団、ガーター騎士団、ラザロ騎士団といった騎士団の本来の使命は、巡礼者がキリスト教の聖地を旅するのを守ることだったのですが、現代では、キリスト教の慣習に基づき、慈善活動に取り組み、貧しい人々や病気に苦しむ人々を助けることに置かれていて、故レーガン元大統領や、ヒラリー・クリントンといった素晴らしいメンバーがいることで知られる現代のラザロ騎士団は・・・要するに偽善を行う「悪の秘密結社」なんですね(笑)


これは、聖書からの由来でありながら、歴史であり、騎士物語であり、現代の政治の話でもあるわけですが、こんな風に、この4つは実際に混ざり合っています。



黙示録と聖書に関連する場面は、まだまだありそうなんですが、


次は、歴史・政治との《関連》について・・・






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by yomodalite | 2016-01-25 09:35 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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HIStoryと黙示録:『ターミネーター2』の続き


さて、いよいよ、HIStoryティーザーに引用された最後の映画である『地獄の黙示録』について考えたいと思います。


1979年の作品ですが、今見てもまったく古さを感じない名画で、AFIが選んだ『アメリカ映画ベスト100』で、実際の戦争を描いてベスト30に選ばれた映画は、すべて他国の話か、アメリカが勝利した戦争の映画なのですが、


『地獄の黙示録』は、唯一アメリカが勝てなかった戦争をテーマにしてランクインしています。


また、ヨーロッパが起こした戦争に参加したといえた第二次大戦までの戦争とは違い、資本主義陣営の盟主となったアメリカと、共産主義陣営の盟主であるソ連、この二大国の代理戦争ともいえるベトナム戦争を舞台にしながら、これまでのヨーロッパの戦争の歴史そのものを問い、戦禍の中での「愛と友情」を描いたり、戦争の悲惨さや無意味さから「反戦」をテーマにした多くの戦争映画とも異なり、


『地獄の黙示録(原題:Apocalypse Now)』は、ヨハネの黙示録(The Apocalypse of John)の「最終戦争」や「千年王国」、「善と悪との戦い」といったプロットを採用して、未来を描いた『レッド・オクトーバーを追え』や、『ターミネーター2』のような映画とも違っていて、「今の黙示録(Apocalypse Now)」を描いているんですね。


マイケルは、『HIStory : Past, Present and Future, Book I』において、ヨハネの黙示録(別名:The Book of Revelation)や、聖書(通称:The Book)への間違った解釈に基づいた「HIStory(歴史)」を「Past(過去)」のものとし、「Present(現在)」と、「Future(未来)」を「Book I(新たな本の第1巻)」とするために、この映画を最後に引用したと思われるので、まずは、『地獄の黙示録』の解説から始めてみたいと思います。



◎ヨハネの黙示録と『地獄の黙示録』の違い


ヨハネの黙示録の最初の方には、わたしはアルファであり、オメガである」とあり、また、終わりの方で、わたしはアルファであり、オメガである。最初の者であり、最後のものである。初めであり、終わりである」とあります。これは、ギリシャ文字の最初のΑ(アルファ)と、最後の文字Ω(オメガ)が、最初と最後、すなわち、「全て」と「永遠」という意味を持つと考えられ、伝統的な聖書の解釈では、この人物をイエスだとしてきたのですが、


『地獄の黙示録』は、ドアーズの「The End」で始まり、また、「The End」で終わる映画なんですね。



◎なにもかもが「矛盾」したストーリー


ウィラとエレノアの会話では、ヒストリー・ティーザーは「情景と音」が逆になっている、と表現されていましたが、地獄の黙示録では、常に「理性と感情」や、「感情と行動」が逆になっていて、・・・


オープニング、ジャングルが燃える風景をバックに「The End」が流れる。


これで終わりだ 美しい友よ これで終わりだ ただ一人の友よ 築きあげた理想はもろくも崩れ 立っていたものはすべて倒れた 安らぎは失われ 驚きは去って もう二度と君の瞳を見ることはないだろう 心に描けるだろうか 限りなく自由なものを あえぎながら見知らぬ人の助けを求め 絶望の大地をさまよう・・・果てしない苦悩の荒野に進むべき道を失い すべての子供たちは狂気に走る すべての子供たちは狂気に走る・・・  夏の雨を待ちわびて(字幕訳)






ジャングルに主人公の男(ウィラード)の顔がオーバーラップする。ウィラードは、厳しい戦場を離れ、愛しい故郷へ戻ったとたん、戦場が恋しくなり、妻と離婚し、軍に戻っていた。戦地とは離れた安全な部屋の中で、司令を待っているうちに、恐怖を感じ、鏡に映る自分を殴って、手に怪我を負う。翌朝、泥酔して目覚めたウィラードは、司令を届けにきた二人の男に抱えられて身支度され、司令部へと送られる。


ウィラードに与えられた任務は、人間として優れ、優しく、ユーモアを解し、非のうちどころのないエリート軍人だったカーツの殺害。


司令部の人間はいう。「彼は、特殊部隊に入って、考え方や作戦手段が変わった。カンボジアに入り、彼を神と崇め、絶対服従を誓う人々を意のままに動かしている。カーツ大佐には、殺人罪で、逮捕命令が出ている。彼は数名のベトナム人スパイを二重スパイだと決めつけ、独断で処刑した。


この戦争ではいろいろな混乱が生じている。権力と理想、古い道徳観と現実の作戦行動、現地人の間に入り、自ら神となるのは、大きな誘惑に違いない。人間の心には戦いがある。合理と不合理、善と悪、善が勝つとは限らぬ。時には、悪が勝って、リンカーンの言う “心の天使” を打ち負かす。誰にも理性の限界がある。君にも、私にも。カーツは限界に達し、完全にイカレてしまった。彼の行動は良識による抑制を失い、人間の行ないとしていささかの容赦の余地もない。その彼が軍の指揮を取っている」


ウィラードの心は揺れる。戦場の英雄に与えられた罪は「殺人罪」。レース場でスピード違反を取りしまるか? 彼は大きな疑問を抱きながらも、その任務を引き受け、船に乗り込む。


「行き先が地獄だってことを、おれは知らなかった。彼の物語は、俺の物語、彼の物語が懺悔録なら、俺のも同じだ」(事を成し遂げた後のウィラードの回想)


最初に降りた島では、米軍による空爆が行われた直後で、夥しい死体が転がっている。生き残った人はトラックに誘導され、「我々は暖かい庇護の手を差し伸べる」とアナウンスが響いている。将軍(キルゴア)は、大怪我をしているベトナム人に、自分の水筒から水をやろうとするが、ウィラードが乗りこんだ船に、有名サーファーがいることを知ると、貴重な水をあげずに捨て、その場から去っていく。死体の処理に追われる兵士、ヘリコプターで救助される牛・・・


牧師が祈る声が響く「栄光は天なる父のものなり、我々を救いたもう主に祈りを捧げよう。天にまします、我らの父よ、御名を崇めさせたまえ、御国を来たれせたまえ、御心の天になるごとく・・」


翌朝、ラッパが吹かれ、ヘリコプターは離陸する。現代の騎兵隊たちは、サーフィンの高波を目指し、ベトコンの拠点へと向かう。キルゴアは島の人々に脅威を与えようと、ヘリコプターから、ワーグナーの『ワルキューレの騎行』を大音量で鳴らし、ミサイルが打たれる。


学校が爆撃を受け、子供たちが犠牲になり、アメリカ軍兵士も大勢犠牲になる。攻撃は、さらなる攻撃を生みだし、その惨劇の中、キルゴアは、サーフィンのために、波の高さを確認し、ナパーム弾を搭載した爆撃機に、ヤシ畑への破壊司令を出す。燃え上がるヤシ林。「朝のナパームは格別だ」そう言い放つ彼は、「この戦争もいつかは終わる」と仲間を励ます。


キルゴアが許されて、なぜカーツが・・ ウィラードの自問自答は続くが、船は進んでいく。船の乗組員たちは、誰も目的地を知らず、目指してもいないが、誰もが船を降りられない。カーツ殺しを請け負ったウィラードは、カーツを知れば知るほど、尊敬すべき男に思えてくる。カーツは将官になれたのに、その道を捨て、前線を志願していた。カーツは何を目指しているのか?


船が進んで行くたびに、戦場は混乱を極め、乗組員の命はひとり、またひとりと奪われていく。そして、ウィラードは、ついに、これまでに目にした戦場以上に混乱した、カーツが支配する島(王国)へとたどり着く。


ここに住む米国人カメラマンは、ウィラードたちを出迎えて言う。俺たちは皆、彼(カーツ大佐)の子供だ、と。ウィラードが彼と話したいというと、「話を聞くんだ、心を拡げて、彼は軍人であり、同時に詩人だ」と言う。数え切れないほどの処刑された死体と生首があふれているその島の人々は、ウィラードをカーツの元へと運んでいった。


捕らえられたウィラードに、カーツは尋ねる。「君は考えるか? “真の自由”とは何か 他人の意見にとらわれぬ自由、自分からも解きはなれた自由、彼らは理由を言ったか?ウィラード なぜ私を殺して、私の指揮を断ち切るかを」


ウィラード「私の任務は軍の機密です」

カーツ「今更、機密ではなかろう 彼らはなんと?」

ウィラード「彼らはこう言いました。あなたは完全におかしくなり、作戦手段が不健全だと」

カーツ「私の作戦が不健全だと?」

ウィラード「私の目には作戦手段など・・どこにも・・」

カーツ「君のような人間が来ると思っていた。君は何を期待してた?

ウィラード「・・・」

カーツ「君は殺し屋か」

ウィラード「私は軍人です」

カーツ「どっちでもない 使い走りの小僧だ 店の主人に言われて、勘定を取りに来た」


この後、牢に入れられたウィラードに、カメラマンが言う。「なぜだ?、なぜ君のようないい奴が天才を殺す・・・知ってるか? あの人は君のことを好いてる。君を気に入って、処置を考えてる。知りたいだろ? 俺は知りたいね、どうする気か・・君は知らないだろうから、教えてやる。彼の頭は正常だ。彼の魂がイカれてる。わかるか? 彼はじき死ぬ。このすべてを憎んでる。時々・・彼は詩を朗読する。生き延びた君を彼は評価し、処置を考えてる。俺は君を助けない、君が彼を助ける 彼が死んだらどうなる? 彼が死ねばすべてが死ぬ 人々は彼について何と言う? 優しい男だった、賢い男だった、理想を持っていた。たわ言だ!俺が真実を証言するのか? ご免こうむる!それは、君の役目だ」


夜になり、ウィラードが意識を取り戻すと、目の前には、顔をカモフラージュにメイクしたカーツが立っていて、船に残してきた仲間の「首」を置いていく。激しい恐怖に意識を失ったウィラードは牢から出され、身を清められ、食事を与えられて、再び、カーツがいる場所へと連れて行かれる。カーツは詩を読んでいた。


空ろな人間たち 

互いにもたれ合ってるわら人形

頭の中にはわらが詰まってる・・(字幕訳)


カメラマンはウィラードに言う。「何を言ってるかわかるか ごく基本的な弁証法だよ・・弁証法理論には、 “愛” か “憎しみ” しかない。


(ウィラードの独白)「彼に会えば、すぐに任務を果たせると思っていた。」


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(カーツの軍服の「鷲のマーク」がクローズアップされる)



彼は俺の心を見通していた。将軍たちが俺の見たものを見たら、彼を殺すだろうか。もちろん殺すだろう。彼の家族が今の彼を見たら、どうするだろう。彼は家族を捨て、自分をも捨てた。彼ほど苦悩に引き裂かれた男を俺は知らない。



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(カーツのデスクには、聖書とゲーテの本、フレイザーの『金枝篇』、ウェストンの『祭祀からロマンスへ』が置かれていた)



「私は地獄を見た。君が見た地獄を。だが私を殺人者と呼ぶ権利はない。私を殺す権利はあるが、私を裁く権利はない。言葉では言えない。地獄を知らぬ者に、何が必要かを、言葉で説いて分からせることは不可能だ。恐怖だ。地獄の恐怖には顔がある。それを友とせねばならぬ。恐怖とそれに怯える心、両者を友とせねば一転して恐るべき敵となる。真に恐るべき敵だ・・・持つべき兵は、道義に聡く、だが同時に何の感情も感情も興奮もなく、原始的な殺人本能で人を殺せる男たちだ。理性的な判断を持たずに、理性的な判断が敗北を招く・・・


私は気がかりだ。息子が私の行動を理解できるかどうか。もし私が殺される運命にあるのなら、誰かをやって息子にすべてを伝えてほしいのだ。私が行い、君が見たすべてを。何よりも嫌悪すべきは「偽り」が放つ悪臭だ。君が私を理解するなら、君がやってくれ。


(画面が変わって)村人が、神への生贄として、牛を殺そうとしている


牛を生贄に捧げる祭りの夜、ウィラードは、カーツ殺しに向かう。再びドアーズの「THE END」が流れ始め、ウィラードは、村人が牛を殺すのと同じタイミングで、カーツに鎌を振り下ろす。


倒れたカーツの最後の言葉は、「地獄だ、地獄の恐怖だ(Horror Horror)」。


カーツが最後まで書いていた分厚い原稿・・(原作の『闇の奥』では、国際蛮習防止協会から、野蛮な行動を防止するための報告書を求められていた)しかし、理想を書き連ねてあるはずの、その原稿の中には、大きく赤い文字で、「爆弾を投下してすべてを殲滅せよ」の文字が。


(ウィラードの独白)これで俺は少佐に昇進。だが軍隊などどうでもいい。皆が殺る時を待っていた。特に彼が・・俺が苦痛を取り除くのを彼は待っていた。軍人として死ぬことを願っていた。みじめな脱走将校としてではなく・・ジャングルも彼の死を求めてた。彼の城であったジャングルも。


カーツが殺されたことが村人にも知れ渡り、全員がウィラードに向かって、頭を下げる。王を殺した者は、新たな王だと見なされる。しかし、ウィラードは村人の間を割って進んで行き、ランスと共に船に乗り込む。ウィラードは村を爆破することなく、島を立ち去った。(続く)


____________


[補足情報]ご覧になったことがない方に参考までに付け加えると、この映画には、現在「劇場公開版」(1979年版)と「特別完全版」(2000年版)と呼ばれている2種類のヴァージョンがあるのですが、コッポラ自身が制作費をまかなっていることもあって、1979年版から「ディレクターズ・カット」であり、特別完全版(原題:Redux)は、迷いに迷って振るい落とした場面を「復活」させたもので、いわゆる「最終版」とは違うんですね。


そんなわけで、「劇場公開版」では、まるごと削られたエピソードなども、「特別完全版」にはあるのですが、最初に「劇場公開版」で、作品全体を味わい、次に「特別完全版」を観ることを、私はオススメします。これは、マイケルの再発アルバムと同様で、追加された曲は、どれもとても魅力的だけど、最初のカットの重要性は変わらないといった感じでしょうか。


また、特別完全版は、HIStoryティーザーよりも後に公開されたものなので、この考察では、オリジナル版のエピソードを基本にします。





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by yomodalite | 2016-01-20 12:11 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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『HIStoryと黙示録:レッドオクトーバー』の続き


黙示録や、キリスト教や、ヨーロッパの歴史について、いろいろと面倒くさい説明をしていますが、自分の「信仰」や「主義」や「感覚」を説明するために、文字数を使っているわけではなくて・・・あふれるほどの知識や知性がありながら、それだけで、結論を出すことを良しとせず、あらゆる人々の考えに、すべて耳を傾けているマイケル・ジャクソンを言葉にするのは、本当に困難で、ウィラやエレノアと同じく、彼がやっていることは複雑で、ものすごい量の情報を詰め込んであるこのショートフィルムを語るのは難しいと思うのですが、他にいい方法も思いつかないので・・・続けます(泣)


* * *


『ターミネーター2』は、ソヴィエト連邦が崩壊した1991年の映画。引用された映画の中では、この作品をご覧になった方が一番多いと思いますし、会話でも紹介されているので、映画のあらすじを紹介することは省きますが、この映画の副題は「Judgement Day(審判の日)」ということもあり、HIStoryに引用された映画の中では、もっとも聖書の物語や、伝統的な「ヨハネの黙示録」の解釈に忠実で、また、ウィラとエレノアの会話で「新たなヒーロー像」だと評された中でも、『ターミネーター2』は、ミカエルを描くことがストーリーの主軸になっています。



◎『ターミネーター2』とヨハネの黙示録
「廃墟と化した2029年ロスアンジェルス、30億の人命が核戦争で失われた1997年8月29日、生存者はこの日の事を “審判の日” と呼んだ。彼らの悪夢はさらに続いた。機械との戦争である。ーー 敵の頭脳、コンピューターの“スカイネット”は、二体の殺人機(ターミネーター)を派遣。
殺害の目標は、人類の“抵抗軍のリーダー” 私の息子ジョンである。最初のターミネーターは、ジョンが生まれる前、1984年の私の命を狙い失敗した。第2のターミネーターの目標は少年に成長したジョン。抵抗軍はそれに対し、またも1人の戦士を送り出した。こうしてジョンをめぐる死闘が始まった。」(日本語字幕より)


ロスアンジェルスは、スペイン語で「天使の街」の意味をもち、このナレーションをしている、ジョンの母親の名前は、サラ。サラは、唯一神であるヤハウェ(=エホバ)が、人類救済のために最初に選んだ預言者で、イエスの先祖であるアブラハムの妻の名前で、高貴な母を示す名前としてよく使用されています。


そして、その息子のジョンというのは、「ヨハネ」の英語読みです。


聖書には、洗礼者(パブテスマの)ヨハネと、使徒ヨハネという二人の有名人がいるのですが、洗礼者ヨハネは、イエスの少し前に誕生し、イエスに洗礼を授けた預言者で、キリスト教では、伝統的にイエスの先駆者として位置づけられ、絵画や物語おいて、しばしば、イエスと同じような存在として描かれ、ちなみに、


「30億の人命が核戦争で失われた」という8月29日は、私たちにとっては、マイケル・ジャクソン聖誕の日ですが、洗礼者ヨハネが斬首された日として知られている日なんですね。


で、もうひとりの使徒ヨハネが、ヨハネの福音書とヨハネの黙示録を書いた、ヨハネだと伝統的に考えられてきたのですが、最近の解釈では、それぞれ別人が書いたという解釈が優勢になっているようです。


また、『ターミネーター2』には、関係ないのですが、①から続く「鷲のシンボル」について、付け加えておくと、ヨハネはしばしば「鷲」のシンボルであらわされています。


これは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネという、4人の福音書の著者が、それぞれの福音書で、マタイは獅子(王)、マルコは犠牲者(獣・牛)、ルカは罪なき人(天使)、ヨハネは神の子(鷲)として、イエスを描いている、と言われていることから来ていて、そこから、鷲と剣(武具)が「神の軍隊」としてのマークになっているんですね。



◎『ターミネーター2』と大天使ミカエル


オープニング、タイトルロールで映しだされる、廃墟と化したロスアンジェルスは、ブランコや乗り物といった子供の遊園地が燃え上がるような風景がメインに映し出され、その火の中から、不動明王のようなターミネーターの顔の骨格が浮かび上がるのですが、未来の救世主を守る最強の戦士ターミネーターが、「ミカエル」役を担っていることは明らかです。



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上で、洗礼者のヨハネも、イエスと同じような描かれ方をしていると書きましたが、黙示録を基にした物語の中では、ミカエルとイエスのイメージも混在していて、


人類のために、地球に「人間の姿」で送りこまれたというのは、イエスと同じ「受肉」を思わせますし、また、ターミネーターが裸で登場して、店の客から、ブーツや、革ジャン、オートバイや、ライフルを奪うというのは、『レッドオクトーバーを追え』で、KGBが読み上げた部分(字幕では省略されているので、新共同訳を記しますが)、


見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて、恥をかかないように、目を覚まし・・・


という部分ですね(笑)。


彼の「アイル・ビー・バック」と言う言葉は、「復活」をイメージさせるものですし、また、人間以上の力をもった最強の敵と戦って、勝利したあと、未来のために、溶鉱炉に消えていく姿は、イエスが十字架にかけられたことで、人類の罪を償ったということによく似ています。


ラストで、ターミネーターとジョンは抱き合い、「人間が泣く気持ちが分かった、俺は泣く事はできないけど」と言うシーンは、ターミネーターのような、ロボットの話ではありがちな展開ですが、人間が「人間のようなもの」を創るという物語は、ユダヤ教の「ゴーレム」から存在していて、天地創造において、神がアダムを創ったことを再現したいという、人間の欲望から来ているのだと思います。


聖書の世界では、神が、塵から人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれたことで、生きものになった。という創造神話があるのですが、このとき、人間を「神のロボット」として造らなかったのは、神が人に「自由意志」を与えたからだ。と考えます。それで、人が創るロボットに「自由意志」を与えたり、「自由意志」を徐々にもつだろう。という話が多いんですね。そして、人々が、最強の戦士を「天使」に求めた最大の理由は、


人間が、人間の死に堪えられないからではないでしょうか。人々が「復活」を求めてきた気持ちもまさにそうだと思います。


現実の戦争は、それぞれの人々にとってかけがえのない命を、無残で軽々しく奪っていきますが、どんなに、かけがえのない命であっても、人には必要な戦いや、死もあるのではないか、という思いから逃れることも、国の運命から逃れることも容易ではありません。


ギリシア彫刻のような肉体美を誇るボディ・ビルダーの最高峰「ミスター・オリンピア」(『意志の勝利』の監督リーフェンシュタールのもうひとつの傑作は、ベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア』)で無敗の記録をもつほど成功し、世界中でボディビル人気に火をつけた。そんな経歴をもつシュワルツェネッガーが、機械で出来ていて、何度でも再生できる最強戦士だというところが、この映画の最大の魅力だと思いますが、


そのターミネーターを演じたアーノルド・シュワルツェネッガーの父親は、オーストリア=ハンガリー帝国に生まれたナチス党員で、父の除隊後に生まれたシュワルツェネッガー、オーストリアの徴兵で、史上最年少記録の18歳で戦車兵として任務に就き、その後、本格的なボディビルをするために、21歳で、アメリカに移住したそうです。シュワルツェネッガー自身も新天地アメリカで「復活」のチャンスを与えられ、その後、政治家に転身するなど、多くのチャンスを与えられていたんですね。


ウィラとエレノアの会話では、


『ターミネーター2』とマイケル・ジャクソンと彼の物語には、他にもすごく興味深い関連がある。(…)「かつて彼は未来を破壊するようにプログラムされていた。しかし今、彼の使命は未来を守ること。彼の忠誠はひとりの子供に…」そしてターミネーターを演じるアーノルドは言う。「おれを信じろ(Trust me)」(…)ターミネーターは脅威のように見えて実は「未来と子供を守っている」それは、マイケル・ジャクソンがこの映画を引用した大きな意味よね。


とありましたが、確かに、子供を守るというミッションにおいては、ターミネーターと、マイケルには共通点がありますし、マイケルも「I’ll be Back!」や「Trust me」と言いたかったでしょう。でも、ターミネーターや、ジョンの母親であるサラが、誰かの命を奪ってもいいと信じ、非情な行動を起こすのは、人類の未来がかかっている、という「終末」への危機感からです。


私は、ロボットや、科学技術が好きで、意外ではあっても、マイケルとの関連性がわかりやすいこの映画の引用が、一番わかりにくくなっているのは、そこに原因があると思います。


なぜなら、マイケルは、「僕たちが犯した傷を直すために、変わろう」


と言っていたのであって、どこかに存在する、地球を滅ぼすかもしれない「敵」の脅威について、語ったことはないはずです。


彼が、変えよう、変わろうそして、始めよう、と言っていたのは、常に「自分自身」、「あなた自身」のことで、自分の主義や、有利な条件や、権利や、名誉を求めて、政府や法律といった社会を変えることだったでしょうか?


歴史について、深く学んでいたマイケルは、社会改革における「危機感」や、終末思想の「恐怖」が、さらなる悲劇を生むことについても、本当によく考えていたと思います。上記で、


洗礼者のヨハネや、ミカエルが、イエスと同じように描かれてきた、と書きましたが、マイケルはどう思っていたのでしょうか?


これについては、「HIStoryと黙示録」の一番最後に書く予定ですが、次の『地獄の黙示録』では、「王」についての話が中心になる予定なので、もう少しだけ、ヨハネについて続けると、、


聖書には、黙示録のような夢で見た話(預言)や、手紙なども収められているのですが、よく知られているのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4種類の福音書ですよね。福音書というのは、すべてイエスとは面識のない後世の信者が書いたものなんですが、イエスの誕生から、イエスの発言や布教活動、最後の晩餐、裁判、そして、十字架刑のあと復活したことで、イエスが神の子であり、真の救世主だったことが証明された。このことを「福音(良い知らせ)」だとするための書です。


この中で、マタイ、マルコ、ルカの3つの福音書は「共観福音書」と呼ばれ、共通する記述や同じような表現があって、互いに内容の真実性について補完し合っていると言われているのですが、


「初めに言葉(Logos)があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった」


から始まることで有名なヨハネの福音書は、それらとはかなり異なっていて、福音書を書いた人たちは全員イエスに会ったことがない人たちなのですが、中でも、ヨハネのものは一番後に書かれたにも関わらず、イエスの言葉が最も多く書かれていてw、イエスをより「神の子」として強調してあるんですね。


また、福音書を書いたヨハネは、「悔い改めよ、神の国が近づいた」という、イエスの先駆者だと言われる洗礼者ヨハネの「終末思想」に深く影響を受けていると言われ、そもそも、記述者が、自分をヨハネだと名乗ったのも、洗礼者ヨハネの言葉として聞いてほしいという思いからだった、という解釈や、また、ヨハネの福音書には「イエスの愛しておられた弟子」という表現があって、それがヨハネであるとする説などもあり、


黙示録に限らず、「救世主イエス・キリスト」を創り上げるうえで、ヨハネ(洗礼者ヨハネ+福音書を書いたヨハネ)という人物の影響力は大きいものがあるようです。


しかし、イエスが、自分に洗礼を授けたヨハネを尊敬していたことは確かであっても、イエスが、ヨハネの信者に留まっていたなら、キリスト教にはならなかったわけですし、キリスト教ヨハネ派の誰かによって書かれた「ヨハネの福音書」が、一番愛した弟子をヨハネだとしただけとも言えるでしょう。


当時流行していた「千年王国(神の国)」や、「終末思想」について、最近の研究によって、福音書の中で最古のものとされる、マルコの福音書では、終末に熱狂する人々に対して、冷静さを保つことを呼びかける、こんな言葉もあります。


ペトロ、ヤコブ、ヨハネ、アンデレが、ひそかに尋ねた。「おっしゃってください。そのこと(終末のこと)はいつ起こるのですか。また、そのこと(神の国のこと)がすべて実現するときには、どんな徴(しるし)があるのですか?」イエスは話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、「わたしがそれだ」と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争の噂を聞いても、慌ててはいけない。そういうことは起こるに決まっているが、まだ世の終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる、これらは産みの苦しみの始まりである。あなたがたは自分のことに気をつけていなさい」(マルコの福音書13章より。マタイ24章、ルカ21章にも同様の記述があります)

自分が住んでいる地域の牧師の話や、テレビ伝道師の説教を信じることが、神を信じることだと思う人がいる一方で、


キリスト教には、福音書の記述者だけを比較しても、それぞれの解釈の違いがあり、異文化や異なる言語の大きな違いを乗り越えて、この書物から何かを得ようとしてきた長い歴史から、様々なことを感じ、現代の常識から考えれば、荒唐無稽な記述があっても、依然として、地球も、人類や他の動植物も、被造物には違いないという思いから、神への畏敬の念を失わず、学び続けるマイケルのような人まで千差万別なんですよね。


ヨハネについて長くなりましたが、


次は最も難題な『地獄の黙示録』へと続きます。



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by yomodalite | 2016-01-13 16:33 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(4)
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有名人の死はいつも突然で、亡くなったその日にお悔やみの言葉を書くなんて私には無理すぎる。マイケルのことも旅立ちから1ヶ月以上過ぎてから、ようやく書き始めた。でも、ボウイに、ありがとうを言うのは、きっと今日しかない。



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彼のアルバムは、小学生の高学年の頃、LPで3枚持っていて、ボウイというすごくかっこいい人を自分の物にしたような気がしていた。

それぞれ好きな曲があったけど、『Hunky Dory』に収められた「Oh You Pretty Things」を一番よく聴いていて、♪ Mamas and Papas insane〜You gotta make way for the Homo Superior〜ってとこだけ、よく歌っていた。

当時は、ボウイが、「君は間違ってなんかない。オカシいのは、君のパパとママの方だ」と言ってくれていると思っていて、勝手に力づけられていたのだ。

『地球に落ちてきた男』は、初めて2回見に行った映画で、ボウイから、イギーポップや、シド・バレットのことを知って、彼らのことも大好きになったけど、自分がボウイのような人になったり、彼のガールフレンドになることも出来ないとわかる年頃になり、どこに行っても「Let’s Dance」がかかっていた時代から、彼は、私にとって特別興味がある人ではなくなった。

数日前に新作ヴィデオを見て、ボウイが亡くなるなんて想像してなかったけど、でも、私の中では、彼はずっと「あの時代」のままで、いつでも「Oh You Pretty Things」を歌ってくれているし、

ずっとスターだった人が、本当のスターになり、しばし地球にいてくれた人が、宇宙のどこかに帰っていっただけだと思う。

Thank you David Bowie.

私はこの曲を聴くと、いつでも少女時代を思い出せるよ。あなたがどんな気持ちだったのかは、わからないけど・・私はとにかく励まされてた。






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by yomodalite | 2016-01-12 01:55 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(4)
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HIStoryと黙示録:『意志の勝利』の続き


プロテスタント革命が、論理の解明を求める人を増やす一方で、「ロマン主義」と呼ばれる庶民文化が発展したと、①で書きましたが、人々が、キリスト教に抱いたイメージは、音楽・文学・演劇の中に多くの物語を生みだし、イエスは「革命によって人々を救済する若者」というヒーローの原型となり、ミカエルは勇者のイメージとして、その他、大勢の聖書の登場人物たちが、物語によって語られ、「美」や「正義」や「愛」を一体化した物語への欲望は高まっていきました。


そして、ヨーロッパの帝国が崩壊したあと、「ロマン主義」は、20世紀のアメリカ、ハリウッドへとその中心地を移し、美術と音楽と物語を一体化した「映画」は巨大産業へと発展しました。


アメリカはピューリタン(清教徒)が創った国だと言われることもありますが、大雑把に分けて、3つの宗教勢力がありました。


・清教徒に代表されるクリスチャン(プロテスタント)

・フリーメーソン

・ユダヤ教


アメリカ建国時のヨーロッパは、神の国を求める潔癖なプロテスタントにとっては、堕落した国(=自由の国)になっていて、そこに不満をもったクリスチャンと、


世界第一の都市が、ニューヨークに移転する前は、パリがその地位にいましたが、フランスが革命によって手に入れた「自由、平等、博愛」というのは、労働者の権利もそうなのですが、「(教会からの)自由」という意味も大きかった。「自由、平等、博愛」に、「寛容」と「人道」も基本理念に加えたメイソンリーは、自由の女神像を送るなど、アメリカに希望を見出していたが、それがナチスによって、フランスが占領されたことで、彼らの移住をも加速させた。また、自由主義者である芸術家たちも、アメリカを目指すことになった。


そして、ヨーロッパで迫害されていたユダヤ人もアメリカに新天地を求め、ナチスによって迫害されたことで、ますます、アメリカへの移住が進んだ。


アメリカの都市文化を作ったのは、宗教的には、後者2つの勢力で、フリーメーソンは、フランスにあった「自由の女神像」をニューヨークにも建て、政界に力を持ち、ユダヤ人たちはハリウッドで映画産業を興し、巨大財閥を形成し、グレートファミリーと呼ばれる一族もユダヤ系だと言われています。


宣教師の教えを信じることで「神の王国」を目指し、清貧を重んじてきたクリスチャンたちが、この2つの勢力が拡大することを、どれだけ嫌ったかは容易に想像がつくと思いますが、これが「ユダヤ陰謀論」の原動力となり、また、当初ナチスに好感をもった理由でもあった。


第二次大戦では連合国だった米国とソ連は、互いに戦勝国となると、資本主義と共産主義に分かれて争うことになりました。米国が、戦後のドイツやフランスのように、社会民主主義政党が強い影響力を持つ形で経済体制を構築できず、現在に至るまで「反共主義」が、ヨーロッパとは比較にならないぐらい強いのは、


アメリカが、政治から宗教を切り離すことができず、共産主義が、宗教否定につながるという面が大きいんですね。


では、そんなことを踏まえつつ、ハリウッドが生んだ3本の映画と黙示録との関わりの最初は、


『レッド・オクトーバーを追え!』について。


この映画が公開になったのは、ソ連が崩壊する1年前の1990年。民主主義と自由経済の最終的な勝利によって、社会の平和と自由と安定無期限に維持され、歴史は終わったという、米国の政治思想家フランシス・フクヤマの『歴史の終わり』は、その1年前に論文として発表され(’92年に出版)、民主政治が政治体制の最終形態で、今後は安定した政治体制が構築され、政治体制を破壊するような戦争やクーデターのような歴史的大事件はもはや生じなくなる。と予測し、この時代を「歴史の終わり」と呼びました。


強権的な支配で覇権を極めた国家はすべて崩壊し、歴史を脱却した民主国家は、崩壊せず永久に存続するという、フランシス・フクヤマの主張はさておき、米国人にとっては、「悪の帝国」だったソビエト連邦が崩壊し、自由主義の盟主である我がアメリカ合衆国が勝利したという意識は、この映画のストーリーを米国にとって、楽観的なものにしただけでなく、1991年からの湾岸戦争や、その後のイラク戦争への楽観につながりました。


冷戦後のCIAの「第1の敵」が、ソ連から、日本の経済界へと移り、第二次大戦後の占領下以上に、米国の支配を受けることになった今の日本で、この映画を見ると、二大大国が拮抗しているという「冷戦時代」の良さばかりが思い出され、独裁政権や、社会主義国家以上に、アメリカの民主主義について、いくつもの疑問を感じずにはいられなくなるのですが・・・


◎『レッド・オクトーバーを追え!』とヨハネの黙示録


ストーリーは、1984年11月、ゴルバチョフ政権の前夜、ソ連の最新鋭の原子力潜水艦レッド・オクトーバーが深海に姿を消したことから始まります。艦長と乗組員の一部は、戦艦を手土産にアメリカへの亡命を希望していて、その真意を読み取る英知をもつ者がいると信じて、アメリカに向かうものの、第三次世界大戦の引き金になり得る状況に両国では緊張関係が高まり、原子力潜水艦を攻撃すべきだという意見でまとまりそうになる。しかし、ゆいいアメリカCIAのアナリストが、艦長の真意に気づいたことで、亡命は成功します。


映画の冒頭では、自国の艦長の調査に来たKGB(ソ連国家保安委員会)のエージェントが、艦長の部屋で、ある本を発見し、読み上げる。


その時来たりならば、心してみよ。我は盗賊としてあえて行くなり。ともに集わんとする者たちが、あまねく目指したる場所はアルマゲドン。7番目の天使が鉢を空けると、天国から声が響いた。「業はなされた」日本語字幕より)


これは、全部で22章あるヨハネの黙示録の16章の文章です。


聖書は翻訳によって解釈の幅が大きく、印象が変わることが多いので、この箇所を新共同訳で見てみると、


見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩くのを見られて、恥をかかないように、目を覚まし、衣を身につけている者は、幸いである。汚れた霊どもは、ヘブライ語で「ハルマゲドン」と呼ばれる所に、王たちを集めた。第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると、大きな声が聖所の中から、御座から出て、「事はすでに成った」と言った。


さまざまな解釈の中で、共通しているのは、最終決戦を戦う者たちが、盗賊のようであることと、アルマゲドン(=ハルマゲドン)という場所に集められたこと。字幕訳では、自分の意志で集まっているようですが、新共同訳では、汚れた霊たちが、王たちを集めたことになっていますが、映画では、船長が「善」なのか、「悪」なのかわからない人物で、不穏な計画を疑わせるために、『ヨハネの黙示録』が使われているようです。


KGBエージェントは艦長に


「責任を負うあなたが、世界終焉の本を?」


と尋ねます。ロシアのキリスト教であるロシア正教の中には、ヨハネの黙示録に相当する「イオアンの黙示録」があるんですが、ソ連時代は、共産革命によって、世俗主義、無神論、唯物論を奉じているので、キリスト教自体が禁止されている状態でした(これは中国でも同じで、社会主義国家は、どこも宗教を弾圧しています)


これに対し艦長は、


「我は《死》となり、世界を破滅に導く」アメリカ人が引用した古代ヒンズー教の教えだ。(彼は)原爆を発明。後日、共産主義だと疑われた。


と答えます。このアメリカ人というのは、原爆の父と言われるオッペンハイマーのことです。原爆の破壊力を目の当たりにして、それを兵器として使ってしまったことを、ヒンズー教の経典である『バガヴァッド・ギーター』の一節を引用して、


闘いに消極的な王子アルジュナを説得するために、ヴィシュヌ神の化身クリシュナが、任務を完遂するために恐ろしい姿に変身し、「我は死神なり、世界の破壊者なり」と言ったことに例え、自分がクリシュナになったことを悔やんでいった言葉です。






米国の異常なまでの「反共」意識はさておき、なぜ「共産主義者」だと非難されたのか?


オッペンハイマーは、ドイツから移民したユダヤ系アメリカ人で、ヒンズー教徒だったわけではないのですが、最高峰の知性をもっていると思われている物理学者にも、実は無神論者より、「神の存在」について深く考えている人々が多く、さまざまな宗教書を読んでいる人も多い。オッペンハイマーもそういった人で、国や民族に縛られることのない「神」を考え、世界を破壊してしまう武器を根絶するためにも、世界中の人々との連帯を重要視し、労働者の国際組織を目指した共産主義を信じる人々とも接点をもっていたようです。


艦長の意図は、はっきりとはわかりませんが、


第二次大戦で味方だった、アメリカ人が、大戦後は敵となったことが示唆されているだけでなく、ヒンズー教のエピソードは、細かい点は違っていても「ヨハネの黙示録」と同じ構造になっていて、それは、


「(神の)勝利のために、悪になる」


ということです。


このシーンは、観客に、船長が狂っているのか、善なのか悪なのか、を考えさせようとするオープニングでもあり、このあと、艦長の答えに納得できなかったKGBを、艦長は殺害するのですが、この行動も、亡命を希望する他の乗務員たちの夢をかなえるリーダーとして、


「勝利のために、悪になる」という例ですね。


キリスト教聖書全体も、ヨハネの黙示録でも、それほど単純な善悪二元論ではないのですが、戦いに勝利し、理想の国家を創るというマインドにあふれた米国では、ヨーロッパや日本と違って、現在でも「ヒーロー物語」が数多く創られています。


ウィラとエレノアの会話では、『レッド・オクトーバーを追え!』の新たなヒーロー像として、ショーン・コネリーが演じる、命令に背き、新しい技術をアメリカと共有しようとする艦長のことが言及されていましたが、アメリカ側の、もうひとりの主役であるCIAエージェントは、軍をイメージさせないスマートさで、アレック・ボールドウィンが演じています。


このキャスティングには、007シリーズで英国秘密情報部(MI6)のジェームズ・ボンド役で有名なショーン・コネリーを、冷戦下のオールドタイプのスパイへと押しやり、冷戦に勝利したCIAエージェントを、スマートなヒーローにしようとしている意図も感じられるのですが、


ショーン・コネリーは、この映画の数年前、フランス、イタリア、西ドイツ合作映画『薔薇の名前』で、粗末な衣服を身につけた清貧派の修道士として登場し、中世ヨーロッパ教会の文書庫の秘密を暴く役柄を演じていたり、年を重ねてからのコネリーには、賢者や預言者の風格があって、この映画のように、乗組員を引き連れて、アメリカに亡命するというのは、「モーセ」をも彷彿させます。


この物語は、ロシアの原子力戦艦の艦長と、アメリカCIAエージェントが、お互いに、高い知性と教養を備えたエリート軍人ゆえに、最終的に理解しあえた。という結末なんですが、


知性によって、ウィラが言うように、「まったく違った境遇の人の身になって考え、想像力を働かせて世界を見ることで、最終的に他者への共感がおこる」ことはあまり多くはありません。

 

艦長が引用したのは、まさにその最も大きな例で、


オッペンハイマーや、アインシュタインといったユダヤ系の人々は、ナチスドイツが先に原爆を開発してしまうことに恐怖を感じ、アメリカ国民として、自国の勝利を「最善」と信じ、また、その成果によって、アメリカは第二次世界大戦に勝利しました。


このとき、アメリカとソ連は同じ「連合国」ですが、勝利した連合国はその後、資本主義と共産主義に分裂し、米ソの「冷戦時代」となります。


原爆が実際に使われたことを後悔したオッペンハイマーは、国から監視される身分となり、その後の水爆の開発は、エドワード・テラーが中心になりました。エドワード・テラーは、ドイツによって、より複雑な立場に立たされ、マイケルが「ヒストリー・ティーザー」の舞台に選んだハンガリーの首都ブダペストで生まれたユダヤ人でした。



「水爆の父」と呼ばれたエドワード・テラーの生涯

①で端折ったことや、

マイケルがハンガリーを選んだ理由もちょっぴりわかる

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ソ連とアメリカの冷戦構造が敗れたのは、拡大する一方の軍事開発(+宇宙開発)費が、社会主義国では賄えないきれなくなったことが大きな原因でした。だとすれば、アメリカが冷戦に勝利して、唯一の「世界覇権国」になれたのは、ユダヤ人の貢献が大きかったと言っても過言ではないはずです。


原爆を投下した飛行機には、キリスト教宣教師が同乗し、異教徒は殺していいのだと、宣教師にお墨付きをもらって、原爆を落としました。


しかし、アメリカの勝利を望んで、原爆投下を支持し、実行もしたクリスチャンたちの中には、戦後、自らの罪悪感から逃れるために、その罪をユダヤ人になすりつけ、原爆投下は間違っていないけど、開発したユダヤ人たちは「悪魔」だという考えを支持するようになり、その多くは、共産主義にも反対の立場をとりましたが、冷戦を勝利に導いた資本家たちに対しても、やはり「悪魔」だと罵りました。


また、私たちは、悲惨な事件を何度も起こしながら、アメリカ社会が「銃規制」をしないことを不思議に思っていますが、そこには、独立精神を重んじ、自分の身は自分で守り、狩りによって、食料である肉を調達することで、国に頼らない。数々の間違いを犯してきた「国家」に縛られない自由を求める人々の権利が守られている、という側面もあります。


こういった人々のことを、「反知性主義」と呼ぶのですが、そこには、知的権威や、エリート側への正当な批判も存在しています。


実際のところ、現在の日本で「反知性主義」だと相手を批判している人は、自分の「知性」と「正しさ」に自信をもって表明しているだけで、相手を説得することはまるで考えていない人がほとんどです。彼らは、相手の馬鹿さ加減を、発見して罵ることで、それに共感する人を集め、選挙に勝てると思っていますが、正しさを主張するだけでは勝てないだけでなく、どんな政権であっても、間違いを起こしてきたことは、歴史が表明していることではないでしょうか。


「善」と「悪」が入れ替わるだけではなく、「知性」と「反知性」も常に入れ変わる・・・


ウィラとエレノアの会話にもあった、「誰かを信用するとか、誰が世界を脅かしているとか、私たちにわかるのか?」というのは、本当に重たい問題です。


さて、


①で、ルネサンスがギリシャ文化を復活させ、宗教革命が、神と人との間の教会の権威を失くしたことで、カトリックが、人々にイメージさせていたガブリエルのような「天使」から、古代の神話にあるように「鳥」が神のメッセンジャーとして復活し、ヒトラーのナチスのマークや、様々な紋章に鷲(鳥)が再び登場することになった。と書きましたが、


Part 2で対比した『意志の勝利』と『HIStoryティーザー』に登場した鷲の像は、


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『レッド・オクトーバーを追え』では、CIA長官の部屋に登場します。



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(実際のCIA長官の部屋にも、これとほぼ同じ像があった)


Part 2の会話では、『HIStoryティーザー』の鷲は、ロケ地であるハンガリーの「トゥルルの像」だと言われていますが、この鷲の足元に剣がある像は、0:41~で、もう一度登場します。



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このときも、特にハンガリーの「トゥルル像」の特徴を捉えているというよりは、ローマ帝国や、オーストリア=ハンガリー帝国、ナチス・ドイツも、ロシア、アメリカ、その他アラブ諸国でも国章や国旗になっている「鷲と剣(武具)」の像として撮られていますね。



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参考)https://ja.wikipedia.org/wiki/鷲_(紋章)


『HIStoryティーザー』で、ガブリエル像が登場しないのは、この鷲の方が、世界の人々の根元に共通して関わっている。と、マイケルが考えていたからでしょう。民族や宗教や国家が違っていても、人には、共通している点がたくさんある。ということを、マイケルは世界ツアーで経験していました。


マイケルはミケランジェロを大変尊敬していましたが、ギリシャ文化のように、肉体を通して表現することが、人種差別に繋がることを、彼は、ヒトラーの経験から学んだのかもしれません。


ミカエルの話は、次の『ターミネーター2』で!





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by yomodalite | 2016-01-08 21:00 | ☆MJアカデミア | Trackback(2) | Comments(8)
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新年早々ですが、去年に引き続いて、「HIStory」について考えたいと思います。


ウィラとエレノアの会話をPart 3まで紹介してきましたが、引用された映画で納得できたのは『独裁者』だけで、『意志の勝利』『レッド・オクトーバーを追え』『ターミネーター2』『地獄の黙示録』といった映画とマイケルの『HIStory』との繋がりや、「ハンガリー」という場所の意味について、すんなりわかった。という人は少ないのではないでしょうか。


その理由のひとつは、私たち日本人には、世界の歴史に、宗教と政治が絡まっていることを、なかなか理解しにくいということがあるように思います。


会話には直接登場しませんでしたが、この4本の映画は、すべて「ヨハネの黙示録」で繋がっています。これは、会話に登場した「マイケル(=ミカエル)が軍を率いているシーンの重要性」にも関係があります。ミカエルは「黙示録」で活躍する天使ですからね。


このフィルムにこれほど多くの引用を詰め込んで、「歴史」を表現した理由、そして、マイケルの「大天使ミカエル」の解釈や、彼が「KING(王)」にこだわった理由について、それぞれの映画に潜むヨハネの黙示録の「糸」をほぐしていくことで、あと一歩「HIStory」が示した歴史に触れたいと思います。


マイケルのティーザーで、MJが率いた軍隊は人々にナチスを思い出させ、HIStoryツアーオープニングのジェットコースター映像で、一際ゆっくりと映し出されたのは、ミケランジェロによるシスティナ礼拝堂の天井画でした。


①では、『意志の勝利』の背景から、ヒトラーとシスティナ礼拝堂、そして、ティーザーのロケ地であるハンガリーとマイケルを繋ぐ「糸」についても言及したいと思います。



◎「ヨハネの黙示録」の基本情報


黙示というのは、「隠されていた物事が、神によって明らかにされる」という意味で、預言者が幻の中で神の啓示を見聞きしたという体裁で書かれていて、主に「終末」のことが語られています。旧約聖書には複数ありますが、新約聖書では「ヨハネの黙示録」だけです。


「ヨハネは神の啓示を受け、アジアの7つの教会に決起をうながす手紙を送る。彼は、天でキリストが、7つの巻物を受け取るのを見た。封印が解かれるたびに、様々な事態が起こり、第7の封印を解くと、7人の天使が現れ、その天使たちがラッパを吹くと、また様々なことが起こり、第7のラッパが吹かれると、子を産もうとする女、その女を食おうとする竜、その竜と戦うミカエル、獣、7つの災いをもたらす天使などが現れた。竜と、獣と、偽善者たちの口から出た3つの穢れた霊は全世界の王を、“ハルマゲドン(アルマゲドン)”の地に集合させ、大淫婦は獣に食われ、獣と、地上の王、偽預言者は火の池に投げ込まれ、竜は底なしの深淵に投げ込まれるが、キリストを信じる者は復活し、キリストによる千年間の統治が始まる。それから、千年後にサタンが解き放たれ、ゴグとマゴクを招集するが、天からの火で焼き尽くされ、獣や偽預言者と同じく燃える池へと投げ込まれる。死人たちは、神の前で裁かれ、“生命の書” に名が書かれていない者も火の池に投げ込まれる。新たな地エルサレムが、天から与えられ、神と玉座に座る小羊によって永遠に統治される。ヨハネが見た幻はそのようなもので、天使から、これらが実現するのは間近であると告げられた」


上記は、よく見かける説明をまとめてみたものなんですが、ここには、当時流行していた「千年王国」の思想が強く打ち出されています。その思想では、「世界の終末」は2度訪れることになっていて、最初の終末時に世界が滅び、救世主が統治する千年王国が樹立される。そこから千年の後、サタンは復活するが、最後の決戦によって完全に滅び、最終的な終末が訪れる。この「最終決戦」で、勝利したのが、大天使ミカエルで、このあと、最後の審判が行われ、新天地が出現して、永遠の世界が続くことになる」というのがその思想です。


でも、実際の聖書の記述を読むと、こんな風に読める人は少ないと思えるほど難解で(上記の説明でさえよくわからないと思いますがw)、天使たちがラッパを吹くと、海の三分の一が血になって、生物の三分の一が死に、四人の天使は、人間の三分の一を殺した。という記述もあり、天使たちは残忍で、善や正義を表しているようには思えません。また、生き残った人間たちに対しても、「相変わらず悪霊や、金や、偶像を拝んだ」とか、とにかく偶像を崇拝するものを地獄に落とす気がハンパないので、天使の絵が好きな人は相当ヤバいですしw、上記でキリストとされている部分は、プロテスタントとカトリックの神学者が共同で翻訳した、日本でもっとも普及している新約聖書・新共同訳では「小羊」なんですが、その描写は、「屠られているような小羊で、7つの角と7つの目を持っていた」とか、まるで、マッドサイエンティストが造った「モンスター」が、「ゾンビ」になって現れたとしか思えないような姿なんですね(笑)。


ヨハネが、7つのアジアの教会に「決起せよ」といった内容の手紙を送っていることから考えても、「竜」は「敵国」ぐらいの意味で、崩壊したと書かれている「バビロン」は、ローマ帝国のことではないかとか、近代聖書学では、さまざまな解釈があり、聖書の正典への受け入れをめぐっても多くの論議があったようですが、世界の終末に起こる戦いにおいて、キリスト教を信じるものが最終的に勝利し、キリストを信じるものは、天国に行くことができ、彼らに「理想の国家」の建設という目的を与えました。


二千年以上前に書かれていることなので、「まだなの?」と思う人も、「すでに起こったこと」だと考える人もいますが、


終末の日が近づき、神が直接地上を支配する千年王国(至福千年期)の到来が間近になった。しかし、そのためには「悔い改め」が必要であり、サタンとの最終戦争のあとには、最後の審判が待っている。といったことを、これから間もなく起こることだと喧伝し、「救済」のために、信仰を先鋭化させる宗教集団が現れたり、世界を巻き込む壮大な戦いを描いた物語の原型として、多くの絵画やストーリーに影響を与えただけでなく、現実の戦争に多大な影響を及ぼしました。


海に囲まれたおかげで、侵略の恐怖に直面することなく、信仰を内面の問題と捉える傾向がある日本人と違い、キリスト教は、隣国との戦いに明け暮れた時代に必要とされた「帝国主義の道具」という側面が強く、宗教的リーダーである「教皇」が、軍隊のリーダーでもある。というのは、最初のキリスト教徒皇帝として有名な、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世から始まっていて、コンスタンティヌス1世が、神の予兆によって、それまで迫害されていたキリスト教に改宗し、彼が率いるローマ帝国が世界覇権国になったことで、キリスト教は世界を席巻しました。


会話に登場したハンガリーの千年記念碑にみられたように、君主であるイシュトヴァーン1世が、神のメッセンジャーである天使(ガブリエル)によって、「王」として認められ、キリスト教の布教に努めるというのは、当時のキリスト教(カトリック)の国々の建国神話の「典型的なパターン」で、そこから千年経ったことを記念するというのは、ヨハネの黙示録にもある「千年王国」と同じ思想によるものです。


しかし、これは、結局のところ、神ではなく、ローマ教会が任命しているわけです。キリスト教をつくったパウロは、ユダヤ教の律法によって差別され、救われない人々を救済しようとしたイエスに学び、ユダヤ教会が権威と法律によって、人々を縛っていることを批判して、キリスト教を作ったはずなんですが、その旗印を挙げ、神の勝利によってできたはずのローマ帝国は、その繁栄と同時に、当初批判したユダヤ教以上に人々を権威で縛り、腐敗していました。



◎宗教革命(カトリックとプロテスタントの分離)


教会は人々に神の教えを説くために、芸術家を使っていましたが、ミケランジェロ(1475 - 1564)らによる「ルネサンス」は、それ以前の文明であるギリシャから哲学や神話といった古典を学び直し、神が人を創ったという「受肉」を、解剖などの科学的な探求によって理解し、イエスや、モーセを「生きた人間」として描き出し、教会が批判してきたユダヤ人たちを、イエスと同じくアブラハムを祖先とする人々として、システィナ礼拝堂(ローマ教会)の天井画に描きました。


聖書が読めない時代、人々は「美術」に神を感じていました。


その後、聖書が、ドイツ語や、その他のヨーロッパ語に翻訳することができるようになり、大勢の人が聖書を読めるようになると、教会が言っていることと、聖書の矛盾がはっきりと露呈することになり、マルティン・ルターによる宗教改革(1517~ 後にプロテスタントと呼ばれる)に繋がりました。


プロテスタントが重要視したのは、「言葉」でした。


しかし、戒律宗教であるユダヤ教とちがい、イエスという人の姿をもった救世主を信仰に取り入れ、神を、心や内面の感覚と繋がっていると考えるキリスト教では、聖書が読めるようになったことで、むしろ、神に対して、言葉にできない感覚に対しての欲求が強くなり、


人々は「音楽」に神を感じるようになりました。


キリスト教聖書の矛盾は、論理の解明を求める人を増やす一方で、庶民文化の発展にも繋がり、それは「ロマン主義」と呼ばれ大きく発展していきました。隣国との戦争により、ヨーロッパ諸国の発展と衰退が繰り返された時代は、さまざまな文化が華開いた時代でもあり、1517年から始まった宗教改革の168年後に、音楽の父と言われるバッハ(1685 - 1750)が生まれ、その後、モーツァルト(1756 - 1791)とベートーヴェン(1770 - 1827)、また、文豪ゲーテ(1749 - 1832)も、同時期に登場し、彼らはすべて、ドイツ、オーストリアに生まれているのですが、この時代、それらの国は「神聖ローマ帝国」と呼ばれていました。



◎「神聖ローマ帝国」


ここで、ヒトラーがなぜ「第三帝国」を標榜したかを説明するために、「神聖ローマ帝国」について説明します。この国は、ローマ帝国といっても、現在のドイツ、オーストリア、チェコ、イタリア北部を中心とした国で、その中でも、いくつかの時代に分かれていて、


・「ローマ帝国」期(800 - 911 カール大帝の皇帝戴冠から東フランクにおけるカロリング朝断絶まで)

・「帝国」期(962 -1254 オットー大帝の戴冠からシュタウフェン朝の断絶まで)

・「神聖ローマ帝国」期(1254 -1512)

・「ドイツ国民の神聖ローマ帝国期(1512 - 1806)


最後に「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」という国があるので、ややこしいのですが、オットー大帝が戴冠した962年から、すべてドイツ(ゲルマン)系が支配していた国なんですね。


「神聖(Sacrum)」の形容詞は、1157年にフリードリヒ1世がドイツの諸侯に発布した召喚状に初めて現れ、彼らは古代ローマ帝国やカール大帝のフランク王国(5世紀から9世紀にかけて西ヨーロッパを支配したゲルマン系の王国)の継承国を自称した。フランク王国は西ローマ帝国の継承国を自認しており、「神聖ローマ帝国」の名は、西ローマ帝国からフランク王国へと受け継がれた帝権を継承した帝国であるということを標榜していた。帝位にふさわしいと評価された者がローマ教皇によりローマで戴冠し、ローマ皇帝に即位した。しかし、「神聖」の定義や根拠が曖昧で、現在のドイツからイタリアまでを領土とし、「ローマ帝国」と言っても、ローマは含まれていなかった。また、古代ローマ帝国の正統な継承国としては、15世紀中期まで東ローマ帝国が存続していた。当然のことながら、東ローマ帝国側は神聖ローマ帝国が「ローマ帝国」であることを認めず、その君主がローマ皇帝であることも承認しなかった。一方、神聖ローマ帝国側でも、東ローマ皇帝のことをローマ帝国であると認めず、「コンスタンティノープルの皇帝」「ギリシア人の王」などと呼ぶようになっていた。(Wikipedia「神聖ローマ帝国」より要約)


ルターが、神と人間のあいだに教会はいらない。と説いたことで、キリスト教は「内面的」な信仰を重視することになり、プロテスタント教会には、絵や像がなくなり、教会の外で、文化が華開くきっかけになったのですが、その一方で、神の声を人が直接聞くことで「王」になれる「王権神授」にも繋がり、ヨーロッパ諸国は、カトリックとプロテスタントに分裂し、血で血を洗う激しい宗教戦争時代へと突入していきます。


ハプスブルク家が帝位をほぼ独占するようになったドイツ国民の神聖ローマ帝国時代、帝国はヨーロッパ諸国の連合体となり、16世紀から始まった宗教改革によって帝国はカトリックとプロテスタントに分裂し、諸国の独立性が更に強化されることになる。ハプスブルク家は帝国内に官僚として君臨し、神聖ローマ皇帝(レオポルト1世)の意見よりオーストリア王朝の利益を優先するようになるが、帝国の集団防衛という神聖ローマ帝国独特の制度が確立した。しかし、その後スペイン継承戦争をきっかけに、諸侯のバランスは崩壊し、帝国は機能不全に陥り、分裂する。


・ドイツ国民の神聖ローマ帝国(1512 - 1806)

・オーストリア帝国(1804 - 1867)

・オーストリア=ハンガリー帝国(1867 - 1918)

・ドイツ帝国(1871 - 1918)


そして、ドイツ国民の神聖ローマ帝国が崩壊したあとの、オーストリア=ハンガリー帝国に生まれた、ワーグナー(1813 - 1883)は、作曲と歌劇の台本の両方を創作し、音楽界だけでなく19世紀後半のヨーロッパの中心的文化人となります。


モーツァルトとベートーベンの時代は「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」、ワーグナーが生まれたときは「オーストリア=ハンガリー帝国」だったハプスブルグ家の帝国は、そのあと、さらに戦争によって翻弄され、19世紀初頭、フランス皇帝ナポレオン・ボナパルトの侵攻を受け、帝国内の全諸侯が帝国からの脱退を宣言すると、オーストリア皇帝で、神聖ローマ皇帝だったフランツ2世は退位し、ワーグナーが亡くなった数年後に生まれたヒトラーが29歳の頃、ヨーロッパの中心に君臨したドイツ系名門貴族ハプスブルク家の帝国は終焉を迎える。


ワーグナーと同じく、オーストリア=ハンガリー帝国に、税関管理の子供として生まれ、画家や建築家を夢見たヒトラーは、第一次大戦(1914 - 1918)でのドイツ帝国の敗戦を目の当たりにし、失われたゲルマン民族の栄光を取り戻すために、武力による政府転覆計画を起こし、投獄されます。


そして、自分の誇りを、民族の誇りに求め、民族の誇りを、過去の歴史に求め、自分の行いによって、世界の運命も変わると信じたヒトラーは、獄中で『わが闘争』を執筆する。


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◎『意志の勝利』とヨハネの黙示録


上記の神聖ローマ帝国の存亡が、下記の『意志の勝利』の冒頭の年号より前のドイツの歴史なんですが、

1934年9月5日

第一次世界大戦の勃発から20年(1914年)

ドイツの苦難の始まりから16年(1918年)

ドイツの再生の始まりから19年(1915年)

アドルフ・ヒトラーは再びニュルンベルグに降り立ち軍事パレードを行った。

(Part 1「意志の勝利」③)


繁栄を誇った帝国が、第一次大戦の敗戦によって借金に苦しみ、誰もが絶望の淵にいるとき、ヒトラーは「再生」を掲げて人々を鼓舞しました。彼にもっとも惹きつけられたのは、若者だったそうです。


1933年にナチスが政権を握り、自らを「第三帝国」と呼んだのは、上記の「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」と、1871年からの「ドイツ帝国」に次ぐ第三のドイツ人帝国という意味で、「意志の勝利」というのは、「(神の)意志」であり、「神の意志による王国の最終的な勝利」を宣言しているんですね。


「君たちこそ我らの肉の肉、我らの血の血なのだ。君たちの頭の中には、我々が従っているものと同じ精神が燃えさかっている」


肉の肉とか、私たちには、ピンと来ないどころか、キモって感じすらするわけですが、これは、「神は、イエス・キリストを受肉して・・」という聖書の言葉から来ています。「神の子を、人間として地上に降誕させた」という意味なんですが、これにならって、ヒトラーが、我らの精神が、君たち少年の「血と肉」になっている。というのは、彼がこのとき神の代理人である「王」になったからです。


『意志の勝利』で、ヒトラーは、ひとつの民族、ひとりの総統、ひとつの帝国を掲げ、「千年王国」が樹立した。と宣言します。


人が常に「終末」に惹きつけられてきたのは、人の生命に限りがあるからだと言われています。自分の命運と、世界の命運が同じに見え、世界の神は、我らの神に結びつく。どの民族も、すべて神が創造したものに違いないのに・・


しかし、古代ローマ帝国の復活を目指したのは、ヒトラーだけではなく、第一次大戦の戦勝国でありながら、領土拡大に至らなかったイタリアでも、ムッソリーニがファシスト党による一党独裁を強いていて、イギリス・ファシスト連盟のオズワルド・モーズリーも大英帝国の復活を目指し、フランスでは、火の十字団(クロア・ド・フー)が支持を集めました。世界中でファシズムが燃え上がり、民族の誇りを口にしましたが、彼らの背後には、勢いを増すユダヤ系財閥と利権を争い、共産主義が邪魔だった大資本家の支援がありました。


これらの民族主義は、いわゆる「ナショナリズム」とは少し異なっています。


ヨーロッパ全土にひろがる宗教改革を起こし、交響楽を生み、発展させ、文豪も生み出した「神聖ローマ帝国」がゲルマン系の人々によるものならば、ヒトラーはゲルマン民族の優秀性や、大ドイツ主義を標榜すればいいはずなのですが、彼は『我が闘争』から、「アーリア民族の人種的優越」を主張し始める。どうして、ゲルマン民族が、インドやイランにルーツをもつアーリア人種になるのか、その理屈を説明することは私にはできませんが、当時のヒトラーはアーリア人種=白人と信じていたようです。


キリスト教の元であるユダヤ教には、ユダヤ民族が神に選ばれたという選民思想があり、ヨーロッパの王たちがユダヤの宗教に惹かれ、キリスト教を国教としたのも、唯一の神から選ばれ、最終的に勝利する民という立場を自分たちのものにし、聖地エルサレムの周辺である、中東やアジアにまで勢力を伸ばしたい、そのために、ヨーロッパの白人同盟を基本にしたんですね。


これは、同じく古代ローマ帝国の復活を目指したムッソリーニや、フランスが十字軍を持ち出したことと同様で、


キリスト教が、神から選ばれたという立場と、その証である聖書をユダヤ人から奪って(これが本当の原罪w)、ヨーロッパ人全体に拡大解釈し、世界覇権をめざすという歴史の繰り返しです。


ただ、残念ながら、これは一神教に限ったことではなく、平和な時代に仏教徒のようなふりをしていた私たちの国が、道義的に天下を一つの家のようにするという「八紘一宇」の精神を古代中国から盗んで、民族主義の隠れ蓑にしたのも、ここから大いに参考にしたことですし、日本、ドイツ、イタリアの3国はそれぞれの民族主義を拡大解釈し、地域覇者となるべく、三国同盟を結ぶ。


しかし、「宗教革命」がおこったドイツの精神主義によって、ヨーロッパが統一されそうになると、「産業革命」によって、ローマ帝国以上に植民地をもった、かつての大英帝国イギリスは、ナチスによってヨーロッパからはじき出されたユダヤ系や、共産主義国家と手を組み、アメリカ、ソビエト連邦、中華民国と同盟を結んで勝利することになる。


戦後、ヒトラーの狂気やファシズム政権の恐ろしさが知られるようになると、ヒトラーにすべて責任を押し付け、彼がやったことはすべて否定されるようになりましたが、マイケルは、若者がヒトラーに惹きつけられた理由について、よく研究したようです。


さて、「オーストリア=ハンガリー帝国」と、マイケルを繋ぎ、「HIStoryに込められた歴史」を補足するために、再びヒトラー以前のドイツの話に戻りますが、


ルターは、聖職者に導かれるのではなく、個人の信仰によってのみ救われるとし、神と個人の一対一の関係を重視しました。その革命によって、神と人々の間にいた天使たちは、徐々に整理され、非科学的な処女マリアへの受胎告知や、王の任命の伝達を担っていた大天使ガブリエルも、「王権神授」によって、その存在意義が薄くなり、新約聖書の「ヨハネの黙示録」には、キャスティングされなくなりました。


ルネサンスがギリシャ文化を復活させ、宗教革命が、神と人との間の教会の権威を失くしたことで、カトリックが、人々にイメージさせていたガブリエルのような「天使」から、古代の神話にあるように「鳥」が神のメッセンジャーとして復活し、ヒトラーのナチスのマークや、様々な紋章に鷲(鳥)が再び登場することになりました。


最終的に勝利を勝ち取ってくれるミカエルだけが重要になったわけです。


元々の聖書が書かれていたヘブライ語から、ヨーロッパ語への翻訳は困難で、誤訳も多く、難解な聖書の内容を読んでも、まず、どう解釈するかが重要になり、神と聖書を信仰のよりどころにしたことで、プロテスタントは現在に至るまで、聖書の解釈をめぐって、数え切れないほどの宗派を生みだしただけでなく、神とは何か?という問いは、無神論や、フリーメーソンや、世俗主義、共産主義といったキリスト教の枠をもこえて革命を起こしました。


音楽の世界では、モーツァルトがフリーメーソンに大きな影響を受け、ベートーヴェンがシラーの詩に音楽をつけた「第9」も、自由主義(フリーメーソン)に影響をうけたものですが、これらは、神を説くものが利用する「権威」から、人間中心主義を標榜しているんですね。


ベートーヴェンの「第九」にも登場する智天使ケルビムは、旧約聖書では、


それぞれ四つの顔を持ち、四つの翼をおび… その顔は人間の顔のようであり、右に獅子の顔、左に牛の顔、後ろに鷲の顔… かたわらには車輪があって、それは車輪の中にもうひとつの車輪があるかのようで… ケルビムの全身、すなわち背中、両手、翼と車輪には、一面に目がつけられていた… 


とか、またもや、マッドサイエンティストが造った「モンスター」としか言いようのない記述だったのですが、ルネサンス期には、天使から階級をなくし、「翼をもった裸の幼児」として描かれるようになりました(puttoと言う)。これは、マイケルが信じていたことと同じで、イエスが、「子供を見習い、子供のようにならなくてはならない」と言ったことから、賢い天使とは、子供のようなものだという理解が、ルネサンスの芸術家たちに広まったからで、第九の合唱曲として有名な「歓喜の歌」の精神は、マイケルの詩集に納められた「ecstasy」に近いものです。


◎「歓喜の歌」歌詞

◎ Dancing The Dream「ecstasy」


宗教改革から200年前後に、バッハや、モーツァルトやベートーヴェンが生まれたように、ドイツと同じプロテスタンティズムの精神を強く受け継いだアメリカ合衆国は建国から182年後に、マイケル・ジャクソンを生み出します。『HIStory』でエジソンの録音技術と、それを発展させたベリー・ゴーディをマイケルが取り上げたのは、活版印刷による聖書の普及が、ルターらによる宗教改革につながり、翻訳によって世界中に拡がったことを意識したものでしょう。


マイケルが米国から離れて、大規模な世界ツアーを行ったデンジャラス・ツアーで使用された、カール・オルフの「カルミナ・ブラーナ」(初演1937)も、運命とか、女神といった言葉から誤解している人が多いのですが、「永遠の救いよりも官能だ」というカトリックの教義に反しているだけでなく、生命の書に名前が書いていない者は、天国に行けないとか、プロテスタントの「予定説」にある、神の救済にあずかる者と、滅びに至る者が予め決められているとする教義に反旗を翻した歌なんですね。


マイケルの「Brace Yourself(覚悟せよ)」とは、自分の運命を神に委ねるな、運命は自分自身が切り拓くもの、それを覚悟せよ。ということです。






マイケルの「KING(王)」や、「天使」については後述ということで、


次は『レッド・オクトーバーを追え』と、黙示録の関係に移ります。






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by yomodalite | 2016-01-06 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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自分だけ見えるものと

大勢で見る世界の

どちらが嘘か選べばいい

君はどちらをゆく 

僕は真ん中をゆく


意味の外へ連れて行って

そのわからないを認めて

この世は光 映す鏡だ


― 星野源「夢の外へ」より



みなさま、あけましておめでとうございます。


星野源さんの2012年の曲ですが、

私も、星野さんや、J.M.バリのように、

両極をよく見ながら、真ん中を歩いていきたいと思います。






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by yomodalite | 2016-01-02 10:34 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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