<   2015年 09月 ( 13 )   > この月の画像一覧

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(①の続き)ウィラ:実を言うとね、私は『意志の勝利』をこれまできちんと見たことがなかったんだけど、ようやくYouTubeで全編見ることが出来たわ(まったく、YouTubeには何でもあるのね!)。ナチスの活動すべてが、どれほどひどい過ちだったかわかっているだけに、この映像を見るのはすごく気が重かったのよね。。




Triumph of the Will 『意志の勝利』






エレノア:今回あなたと話すことになるまでは、私も見たことがなかったのよ、ウィラ。断片的にしかね。でも、見てみたら同じように感じたわ。私もヒストリー・ティーザーでさえ気が重かったんだから。



ウィラ:さっきあなたが言ったように、『意志の勝利』は、とても心が乱される作品ね。あのファシスト的なイメージも見るのをためらわせる原因のひとつ。でも、予想していたものとはまったく違っていて、驚くほど、マイケル・ジャクソンに直接つながるような面もあった。



HIStory Teaser






たとえば、あの映画は、ヒトラーがナチズムを若者主体の運動として構想したことを強調している。ヒトラーは、映画の中で5回とても短い演説をするのだけれど、おそらく最良の演説は、画面いっぱいに見える12歳の少年の集団に向けられたもので、(このシーンは45分くらいのところ)彼はこう言ってるの。


「我々は、ひとつの国民にならなければ。そして君たち若者が、その国民なのだ。階級による差別はない。君たちの中にそんなものがあってはならないのだ」


つまり、ヒトラーは自分のメッセージを子供たち、思春期前の子供たちに向けて発していて、彼らみんなが「ひとつの国民」になるのだと強調している。これは、マイケル・ジャクソンっぽい考えよね。さらにヒトラーはこう言うの。


「そして、そうでなければならないのだ。なぜなら、君たちこそ我らの肉の肉、我らの血の血なのだ。君たちの頭の中には、我々が従っているものと同じ精神が燃えさかっている」


これらの言葉、「君たちこそ純粋なる我らの肉の肉、我らの血の血なのだ」すごく私の心にひっかかったの。ふたつの理由でね。ひとつは、ヒトラーは「階級の差別なく」「ひとつの国民」だと言いながら、全ての人間が平等だとは思っていなかった、全てのドイツ人が平等だとさえ思っていない。むしろ正反対だった。彼は人をグループ分けし、明確な差を設けようとした。ユダヤ人と非ユダヤ人、黒人と白人、異性愛者と同性愛者、健常者と障害者、特に遺伝的な障害を持った者、というふうにね。


ヒトラーは、映画での最後の演説で、このことをそれとなく仄めかしている。「かつてバラバラだったこの国は、いまやひとつの高い理想に導かれている。我々は最良の血を継承するものなのだ」と言っているの。この「血」の問題は、ヒトラーにとってもの凄く重要な問題なのよね。なぜなら、彼は人種的純粋性という自分の考えを広めるためにこれを使ったのだから。



エレノア:そうね。今ふり返ると、これらの言葉に背筋が寒くなるわね。ヒトラーが言っているのは、単なる「血」ではなく、「最良の血」のこと。神によって作られた、「我が国民」の血。


「より優れた摂理に基づかなければ、何事も生まれはしない。この摂理は、地上にいる指導者から与えられるものではない。それは、我が国民を造り賜うた神から与えられたのだ」


これらの言葉で、ヒトラーは、自分の野望を裏付けるために、創世記にある創造の物語にふれ、ナチスが主張する社会的政治的秩序、つまりファシズムなんだけど、それは、神からもたらされたもので、ドイツ国民は(少なくともその一部は)神に似せて、完全なる姿で造られており、完全かつ超越的な精神を備えていると主張する。これが、リーフェンシュタールがヒトラーとナチスについて描いた方法では、「意志」として示されている。


ヒトラーは、カトリックの家に生まれたけど、彼には信仰心はなかった。でもドイツ国民の多くにはあった。だから、自分のやろうとしていることを正当化するために、ヒトラーは自分の主張を、キリスト教の信仰の枠組みに結びつけたのね。この映画をよく見ると(そしてヒトラーについて私が知っている一般的知識によると)、彼はドイツ人とナチ党と彼自身の野望を、神の意志の純粋な表現であると宣伝しているように見えるわね。



ウィラ:だから、タイトルが『意志の勝利』なのね?私はずっとこのタイトルの意味がわからなかったんだけれど。



エレノア:まぁ、それは私の推測なんだけど。


でも、意志というのは精神のはたらきであり、「あなたの意志はなされた」という場合の神の意志というのは、よく知られたキリスト教の重要なコンセプトよね。


また、「意志」という言葉は、ショーペンハウエルの著書名『意志と表象としての世界』をも思わせる。神話を造ることにきわめて優れていたリーフェンシュタールは、おそらく意識的、無意識的に、多くの連想を仕掛けている。ひとつの言葉で可能な限り大きな効果を生み出すというふうにね。


MJもまったく同じで、4分間のビデオの中にいろいろな連想を組み込んで、絶大な効果を生み出そうとした。『意志の勝利』は、リーフェンシュタールがヒトラーが抱いた優越性の神話を形にしたもの。ヒトラーの意志、ドイツ国民の意志、そしてドイツ国民そのものが、リーフェンシュタールによって神話化され、『意志の勝利』という形になったのよね。でも、今見てみると、ここにあるのはヒトラー自身の意志の勝利よね。


他の人間をコントロールするために自らの意志を行使する者は、つまりヒトラーの言うところの「支配民族」よね、そういう人たちは、(精神に対して)肉体と同一化される人たちよりも生まれつき、必然的に優位に立っていると見なされ、それが組織的な人間機械化、搾取、虐待、そして他者、特に他人種の撲滅(これはナチスの場合)の理屈づけとなる。ヒトラーの世界では、「最高の血」を受け継ぐアーリア人だけが、完全な人間として見なされ、他の人種は社会の害虫として駆除されるべきものになったわけ。



ウィラ:「最良の血」というその考え方が、どのように人種差別や大量虐殺を正当化していったかを思うと、背筋が寒くなる。で、一方マイケル・ジャクソンだけど、彼にとっても「血」のイメージというのはすごく重要なんだけど、それは真逆の理由、人々を人種や、他の人為的な区分けによって分断することを否定するために重要だといういう点が、特筆すべきことね。それこそ彼がヒストリー・ティーザーで比喩的に表現したことだと思う。ヒトラーが提唱した文化の物語を、まったく反対の意味にとらえるということ。


マイケル・ジャクソンの視点では、血というのは、私たちを(分断じゃなく)まとめる、ひとつの要素よね。


私たちはみんな、どんな人種だろうと、どんな宗教だろうと、国籍だろうと、みんな血管には血が流れている。傷を負えば、だれでも血を流す。人間の血液は、私たちはみんな、「ひとつの同じ仲間」、同じ人間であることを示すものなのよ。マイケル・ジャクソンはこのことを、「Can You Feel It」なかで美しく歌い上げている。「僕たちは皆同じ。そう、僕の体を流れているのと同じ血が、あなたたちの体にも流れている。僕の血管とあなたたちの血管には、同じ血が流れている」と。



エレノア:そうね。彼は、ある人が他の誰かよりも人間らしい、なんていう考え方を否定しただけではなく、分断ではなく協調という点から、人間であることの意味を問い直したのよね。精神と肉体、人間と自然を結びつけ直してね。


彼の考えには分断は存在しない。すべての人が同じ円の中に包まれる。



In my veins I’ve felt the mystery

Of corridors of time, books of history

Life songs of ages throbbing in my blood

Have danced the rhythm of the tide and flood


僕の血潮に感じる神秘

時の回廊、歴史を紡いできた書物

僕に流れる血の中で、幾時代もの生命の歌は

寄せては返す波のようなリズムを踊る


PLANET earth『Dancing the Dream』より



ヒトラーは、血をドイツ国民に特有の心と魂(そして意志)の象徴として使った(「君たちこそ我らの肉の肉、我らの血の血なのだ。君たちの頭の中には、我々が従うものと同じ精神が燃えさかっている」)マイケル・ジャクソンは、ヒトラーとは違って、血を、私たちみんなに共通した、生命の力を象徴するものとして使っている。人間を含めた全ての命は、自然の中にある聖なる力の表れであり、それは私たちの肉体に、血管に脈打っているものだと。


ヒストリー・ティーザーにおける彼の役割は、支配的な人々や、支配的な構造にかわるものを提示し、それらを否定すること。繰り返し「人間性」を表現してきた男という彼自身のイメージと、帝国のイメージ、もっと言えば、黒人である彼と同じく抑圧された人々を、ゲットーに押し込めるような(そしてもっとひどいことをした)帝国のイメージを並列することによって、ヒストリー・ティーザーは、帝国主義における「完全なる人間」がいかに非人間的であり、残酷であり、邪悪であり、生命よりも死をもたらすものであるかを明らかにしている。


マイケル・ジャクソンの世界では、誰かが他の人より「完全な」存在であることなどない。人種や性別や宗教や国籍によって、他よりも価値があるとか、価値がないとか、判断される人などいない。


マイケル・ジャクソンの世界では、人は分断されて、優位性を得ようとするのではなく、親族のようにつながって共感しあう。支配から共感へと転換するのよ。


もし、その人間の心からの願望が、「完全なる人間」のクラブに加わることなら、帝国主義の価値観や、既存の秩序を肯定するでしょう。でも、そのクラブへの入会や、そのクラブに関わるあらゆることを拒否するなら、その人にはマイケル・ジャクソンのパワーが備わっている。そういった人間は、既存の権力構造を打ち破ることができる。それゆえ、彼は危険だったのよ。



ウィラ:そうね。ただ、マイケルの「パワー」というのは興味深くて、彼はそのパワーの多くを私たちの欲求から得ている。彼は、私たちの欲求に反応することで、未来へのヴィジョンを描いている。それと、これはかなり突飛な意見なので、私が説明し終わるまで、少し待ってほしいんだけど、


ヒトラーと、マイケル、『意志の勝利』と『ヒストリー・ティーザー』には、もうひとつ重要な類似点があるのよね。


私が『意志の勝利』にすごく驚いたのは、そこに私が予想したような、ナチスの価値観を正当化するための長い演説など無かったこと。実際、ナチスのイデオロギーについてはそれほど詳しく言っていないし、ヒトラーの演説もすごく短くて、たいてい2,3分。最後の演説が一番長いんだけど、それでもたった9分くらい。プロパガンダ映画なんだけど、レトリックで見る人を誘導することに主眼を置いてないみたい。そうではなくて、この映画の目的は、欲求を生み出すことのように思える。主に、ヒトラーへの、そして生き生きとして、健康的で、強いドイツへの欲求ね。


『意志の勝利』の冒頭は、20分にわたる映像と音楽で、言葉はない。20分って長いわよね。特に2時間も無いような映画では。


そして、観客は、冒頭の20分間、ヒトラーを見ることは殆どない。そのかわり目にするのは、ニュルンベルグの美しい建造物の空撮映像(このとき観客はヒトラーと一緒に空からニュルンベルグへ舞い降りていく感じ)や、俯瞰画像、それから、ヒストリー・ティーザーに出てくるような、おびただしい数の兵士、数え切れないほどの隊列が、ヒトラーが演説するあろう場所に向かって行進していく姿よね。


それからヒトラーの乗った飛行機が着陸して、飛行機のステップを下りてくる彼の姿がチラッと映る。そして、彼の自動車パレードが街に入ってくる。でも観客が一番目にするのは、ヒトラーではなくて、群衆が熱狂的に彼を迎える様子よね。


これらの映像の目的は、期待感を煽ることであり、欲求をかき立てること。ヒストリー・ティーザーは、これとまったく同じやり方で始まる。


前半は軍隊が街の中心に行進したり、製鉄所労働者が主人公の到着に備える様子が出てくる。叫ぶファン、興奮する子供たち、失神する女性たちの姿も見える。でも、マイケル・ジャクソンその人は殆ど出てこない。彼の顔が見えるのは、前半も半ばを過ぎてから。それも、ほんのチラッと。


だから、ヒストリー・ティーザーの前半っていうのは、『意志の勝利』の冒頭20分間とほぼ一緒。どちらも、期待感をあおり、欲求をかき立てているの。よく似たタイプの欲求をね。それは、殆ど恋愛的欲求といってもいい、性的悦楽への欲求とさえいえる。だから余計に、「君らこそ我らの肉の肉、我らの血の血なのだ」という言葉にどきりとするのよね。


聖書の創世記において、アダムはイブに、おまえは「私の肉の肉」と言うんだけど、この言葉はよく結婚式でくり返される。


それで、ヒトラーがこの言葉を言う時、彼は巧妙なやり方で、彼と聴衆の関係は、男性と女性の結びつきと同じだとほのめかすわけ。そして、マイケル・ジャクソンは、自分の歌や映像の中でくり返し同じことをほのめかしている。つまり、マイケルとファンとの関係は、一種の恋愛関係だと。その考え方は、『意志の勝利』でも『ヒストリー・ティーザー』でも、群衆の様子が多く撮されていること、特に、愉悦の境地にいるかのように意識を失い、倒れる女性たちの様子が撮されていることで強化される。



エレノア:あなたの言うとおりだわ。リーフェンシュタールは、ヒトラーに恋していた。ドイツ人全部がそうだったんじゃないかしら。そして、ドイツ以外にもヒトラーの信奉者はいた。たとえばウインザー公爵夫妻とか(*1)。私は、Expressというサイトで、2009年に書かれたというこの記事に出会った時は本当にショックを受けたわ。記事には、「かつてその英国王族は記者に、ナチスの独裁者が失脚したら、それは世界にとって悲劇であると語っていた」とあるの。ヒトラーは、ドイツ国民にとっての正当なリーダーであるだけでなく、偉大な男だ、と英国の元王族が主張したのよ。



ウィラ:すごいわね。その記事にあることは、すべてがショッキングね。公爵が一時的にヒトラーを支持したことは知ってたけど、それは早い時期、戦争の前だと思ってたわ。戦争になってからもそれが続いていて、ドイツに情報を流し、英国を助けようとするルーズベルトの邪魔までしようとしたとはね。もしそれが本当なら、彼が王位を放棄したのは幸いだった。これについてはもっと調べたいと思うわ。



でも、リーフェンシュタールとヒトラーの関係は複雑ね。最近クインシー・ジョーンズが、彼女とランチを共にした時の話をしているインタビュー記事を読んだんだけど(*2)、彼が話している感じでは、彼女はナチスの指導者やヒトラーに対して、どちらかというと否定的で、誰もがコカイン中毒だったと語っているようね。(ジョーンズはさらに、「コカインは、恐れや困難を、暴力で解決させる」と言っていて、これはナチスの指導者との関わりで考えると非常に興味深い)


もっとも、クインシー・ジョーンズがリーフェンシュタールと会ったのは、第二次世界大戦が終わってから長い時間が経った後で、ナチスがやったことの恐ろしさも十分に明らかになった後だった。おそらく彼女の気持ちは、1934年に映画を撮ったときとは、かなり異なっていたはず。1934年には、まだ強制収容所や、その他の非道なことは起こっていなかったし、ヒトラーはドイツの新しい夜明けを約束してくれる一種の救世主のような存在だったんだものね。



エレノア:私もその記事は読んだわ。でも、クインシー・ジョーンズがリーフェンシュタールに会ってたなんて、面白いわよね。



ウィラ:ほんとよね。



エレノア:その記事で、クインシーはリーフェンシュタールの大ファンだと言ってるのね。MJは『意志の勝利』について、クインシーから教わったのかしら。私は、MJがチャップリンに興味をもっていたからかと思っていたんだけど。



ウィラ:私もまったく同じことを考えたわ。もしそうだとすると、マイケル・ジャクソンが『ヒストリー・ティーザー』に『意志の勝利』を使ったことに、新たな見方が出来るわね。



エレノア:あなたが言うように、二人が会ったのは、第二次世界大戦のずっとあと。『意志の勝利』を撮っていた頃の彼女はこう言っている。


「私にとって、ヒトラーは歴史上最も偉大な人物です。彼はまったく非の打ち所がなく、誠実でありながら、男らしいパワーに溢れています。彼は実に美しく、賢明です。光り輝いて見える。ドイツには、フリードリヒ、ニーチェ、ビスマルクなど素晴らしい男性たちがいましたが、彼らには欠点がありました。ヒトラーを慕う人たちにも欠点はあります。でも、彼だけは、純粋無垢。」


これらの言葉は、私には、恋する女性の言葉に思える。もしリーフェンシュタールの言葉が、大衆のヒトラーに対する感情を代表するものなら、ヒトラーの魅力によって欲求がかき立てられたわけよね。(③に続く)



訳者註__________


(*1)ウインザー公爵(=エドワード8世 イギリス王)

王位を捨てて結婚した「王冠を賭けた恋」など、ロマンチックなエピソードで有名ですが、人種差別的発言や、ヒトラーや、ムッソリーニなどのファシストへの親近感についても指摘されている。


(*2)Quincy Jones interview (The Telegraph)






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by yomodalite | 2015-09-29 06:00 | MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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☆この記事の「まえがき」はこちら

source : https://dancingwiththeelephant.wordpress.com/


ウィラ:おそらく、マイケル・ジャクソンの作品の中で私を最も当惑させるのは、アルバム『ヒストリー』のプロモーションビデオで、「ヒストリー・ティーザー」の名前で知られているものでしょう。

大まかなところでは、1934年に作られた、レニ・リーフェンシュタールによる、ナチのプロパガンダ映画『意志の勝利』を基にしているのですが、この映画がマイケル・ジャクソンのビデオの発想のもとになるなんて、まったくありえないというか、私には信じられなかった。それで、このビデオについてどう理解していいのかと何年も考えてはきたものの、納得のいく答えは見つけられず、なにか重要な意味が込められているのに、自分にはそれが見えていないという、もどかしさを抱えてきました。


そんなとき、私たちの友人エレノア・バウマンが、『The Algorithm of Desire(欲望のアルゴリズム)』三部作を書くに当たって資料を精査してみたら、この論議を呼ぶ映像について新たな考察が出来るようになったと言うのを聞いて、俄然やる気が湧いてきて・・・ありがとう、エレノア。あなたが新たに見つけたことをぜひ聞きたいわ。



エレノア:こんにちは、ウィラ。マイケル・ジャクソンについて現在進行中のとても重要な議論に参加させてくれてありがとう。すごくワクワクするし、学ぶことが多いわ。ヒストリー・ティーザーに頭を悩ませているのは、あなただけじゃない。実際私もどう考えていいかわからなかったし、表面的に見れば、あのビデオはMJが誇大妄想狂だということの証明になってしまいそうだものね。



ウィラ:多くの批評家はそう解釈したわよね。ダイアン・ソーヤーは、1995年にMJとリサマリー・プレスリーにインタビューしたとき、そういう批評を紹介している。


批評家は、あのビデオを「ポップシンガーが、かつてないほど厚顔無恥に、空虚な栄光に彩られた自己神格化を大真面目にやった例」だと言った


というふうにね。彼女はまた、ナチスのイデオロギーを広めているように見える軍隊のイメージの使い方を問いただすのだけれど、マイケルはそれを否定する。するとダイアン・ソーヤーは、例のビデオを見せて、そのあと、自分も批評家の言っている通りだと思うと、かなりはっきり言うのよね。




(その部分はインタビューが始まって21分くらいのところ)




☆こちらの記事の後半で、

インタヴューの主要な発言を紹介しています

http://nikkidoku.exblog.jp/14511016/




エレノア:当然そうでしょうね。批評家もマスコミもMJを「理解」したことなんてないもの。ダイアン・ソーヤーもそうだったように、彼があれを「大真面目に」やっていると思い込むっていうのは、あのビデオの意図をまったく理解していない証拠。MJという人間を、彼が何をめざしていたかを理解する点において、そういった批評はまるで意味をなさない。


ただ、それでも問題はのこる。私たちがMJについて知っていることを前提にすると、ヒストリー・ティーザーにはどんな意味があるか、っていうことよね。だって、意味があるのは確かなんだから。『ヒストリー(彼の物語)』は、主人公である男と同じように、謎だらけ。でも、その謎には手がかりが示されている、一見何でもないようなところにね。掘り下げて考えていくと、表面的には意味が無いように見える事柄の底に、隠されたロジックがあるということは、今までの経験でわかるのよね。



ウィラ:ええ、それは私も経験してきたつもり。最初は本当に訳がわからなかったり、不快感さえ感じたりするビデオ作品、たとえば『スムース・クリミナル』とか『ユー・ロック・マイ・ワールド』とかね、そういう作品は、理解するための鍵を見つけると、もの凄くパワフルな作品だとわかったもの。



エレノア:そうなのよね。そして、ヒストリー・ティーザーも例外ではない。アルバム『ヒストリー』のティーザー(まえふり広告)とされているけど、この映像はそれ自体がひとつの芸術的な作品になっている。これは、マイケル・ジャクソンのストーリー、「彼の(his)」ストーリーで、当時語られていた、ゆがんで偏見に満ちた彼についてのストーリーを、彼自身の側から語ったものよね。


『ヒストリー(彼の物語)』というタイトルが示すとおり、この作品はマイケル・ジャクソン自身の個人的な物語、彼の置かれている立場や、広い意味での歴史とどのように呼応しているか、もっと言えば何を象徴しているか、を示している。だから、この作品の中には『意志の勝利』を含め、いろいろな映画の引用があるんだけど、それらは、マイケルが自分の立場を説明し、私たちに理解してもらうのにふさわしいと判断したからこそ、取り入れられているのよね。


『デンジャラス』は、スーザン・ファストが『DANGEROUS(33-1/3)』の中で言ったように、大人のマイケル・ジャクソンを記念する作品であったわけだけど、『ヒストリー』は、アルバムもビデオも、文脈(コンテクスト)の中での、彼という人間を描き出している。その文脈とは、明確なビジョンを持ったアーティストとしての文脈であり、アフリカ系アメリカ人という文脈であり、帝国の文化としての文脈。痛烈な政治批評であり、文化についての鋭い分析であり、個人としての力強い宣言でもある。そこには、いままで隠されてきた、彼の複雑性、知識や、思考の深さなどが明らかになっている。


ウィラ、あなたや、このサイトに登場している人たちがしばしば指摘していることだけど、マイケル・ジャクソンの創り出す不調和は、多くの場合、私たちを不快にさせる。そして、私にとって、そういった不調和の中での最たるものが、ヒストリー・ティーザーに登場するマイケル・ジャクソンよね。現代史においてもっとも邪悪で、抑圧的な軍事独裁体制の象徴に囲まれて、これらのイメージとMJが並んで存在することと、自分の知っている彼の人物像や、彼の生き方とがかみ合わない。「いったい何考えてるの?」っていう感じ。そこには大きなリスクがある。でも、マイケル・ジャクソンという人は、常にリスクをとる人なのよね。



ウィラ:私もそう思うわ。そこが、アーティストとしての彼を決定づける特徴ね。



エレノア:でも、マイケル・ジャクソンが考え無しに何かをやるということは、一度だって無かった。だから、ヒストリー・ティーザーがリスクの高い作品だということはもちろんわかっていたはず。特に彼が直面していた状況を考えるとね。彼には、自分の声を人々に届ける方法が必要だった。そして、彼はそれを「HIStory(自分の物語)」に見つけ、「HIStory(彼の物語)」は私たちを挑発した。つまり注意を向けさせるということね。彼は、私たちを不快にすることで、疑問を投げかけ、表面以上のものを見せようとした。



ウィラ:そして、ダイアン・ソーヤーのインタビューで言っているように、それこそが彼の目的で、マイケルは「みんなの注意をひきたかった」と言っている。



エレノア:ほんと、たしかに私の注意はひいたわ。それで、この作品を考察するにあたって、丁寧に、映像のひとコマひとコマの行間を読むようにしていくと、これを作った人がどんな人間であり、どんなことを訴えようとしたか、より深く理解することが出来た。そして、彼が成し遂げようとしている仕事の凄さ、大きさもより理解できて、最終的には、この作品が彼の不屈の精神と未来への揺るぎない希望の証だということがわかった。


彼は、他の人なら完全につぶされていたような、世間をあげてのバッシングの的になり、警察からの暴力を受け、サンタ・バーバラ郡の検察からは執拗につきまとわれ嫌がらせを受けた。検察は、有罪の証拠は不足し、無罪の証拠は山とあるなかで、一見してまったく意味をなさないような攻撃をしたのよ。彼は、文化の歴史という観点から、自分に押し寄せたそれらの事柄を分析して、その背後にあるものを見つけようとした。『ヒストリー』はその分析の結果を私たちに見せてくれている。『ヒストリー』で、マイケル・ジャクソンは、自分を告発する人たちと自分の立場を逆転させている。つまり、自分を罪人にしようとしている社会の罪を問うているのよ。


悪の帝国と結びついたイメージを使いながらも、そのイメージと、世界を癒やすことを心の底から望んでいる男のイメージとを並立させることによって、『ヒストリー』はマイケル・ジャクソンの価値観と、彼を追い詰めていく人々の価値観を対比させ、それらの異なった価値観を明らかにし、新しい種類、新しい種族の文化的ヒーローを表現することによって、マイケル・ジャクソンへの悪意に満ちた攻撃は、恐れから発しているのだ、という議論を引き起こしている。


その恐れとは、マイケル・ジャクソンは、生き方においても芸術においても、帝国主義的な社会、つまり、人々を統合するより、分割していくこと(*1)、多くの場合、人種で人を分割していくことによって支えられている社会の前提を崩してしまうのではないか。という恐れよね。


『ヒストリー』は、マイケル・ジャクソンへの攻撃がどんな性格を帯びていたかを、政治的文化的な見地から、断固としたアプローチで明らかにした。それは、彼の政治的文化的パワーの証明になり、彼が象徴した、そして象徴し続けている体制への脅威の大きさを表しており、そのパワーと脅威は、スーザン・ウッドワードが、彼女自身の興味深い著書『Otherness and Power』で認知し分析したものね。



ウィラ:スーザンの著書からは、私も多くを学んだわ。実を言うと、彼女はその著書について私と話をしてくれることになっているの(*2)。でも、『ヒストリー』についてあなたが言ったことに戻ると、たしかにこれは1993年の疑惑後、初めてのアルバムで、ヒストリー・ティーザーは、その発売の幕開けとなるものだった。そして驚くべきことに、彼は自分のことをなんと言われようと、警察やマスコミからどんな目に遭おうと、恥じて沈黙することなど決してしない、ということをはっきりさせたのよね。ヒストリー・ティーザーは、大胆な挑戦状なのよ。


でも、あなたもこのフィルムの「政治的かつ文化的」イデオロギーの背景に、彼が真っ向から挑戦したと考えているのは興味深いわ。とにかく、彼の主張そのものではなく、その主張方法というか、既存の偏見を利用することで、文化的な怒りを引き出すという方法について、まず、聞きたいんだけど。



エレノア:ではウィラ、私の考えを述べさせてもらうわね。あなたが言ったように、この夏、本を書いている時、帝国主義と人種差別の関係について考えていた。もっと詳しく言うと、マイケル・ジャクソンを論じるに当たって、帝国主義的な文化的価値観が果たした役割について考えていたんだけど、このヒストリー・ティーザーの「帝国主義的」イメージが頭から離れなかったの。


私の本は、全体としては、社会のあり方を形成していく神話の力について述べているんだけど、特に論じているのは、


「創世記」にある創造神話が、肉体を持たない神が、物質を超越するという考えを浸透させることで、いかに帝国主義的な社会を形成し、維持していく力になったか、ということ。


「創世記」は、神という超越した存在を、自然や物質的な世界と切り離して、神聖なものとする。神は全てを見守り、自分と似た姿の人間を作り、その優越性に基づく世界観や価値観を、分離と階層を基本に構築する。自然から人間を切り離し、肉体を精神と分離してね。


西洋キリスト教社会の歴史では、どの帝国も次々とこの世界観、つまり、ある選ばれたグループや人種が、完全な「神の似姿」として作られ、それゆえ「完全な人間」だとする考え方を利用してきた。


選ばれた者たちは、その他大勢の上に位置し、他を支配し、物質よりも精神と強く結びつくと考えられ、支配される側は、肉体と結びつけられる、精神なき肉体というわけね。そういう者たちは、総じて文化的に価値の低いことや、肉体労働を引き受け、半人前の人間として扱われる。人間扱いされない場合さえある。たとえば、アメリカの憲法では(第一条第二項)奴隷は、自由人の16分の1の価値しかないとされていたのよ。



ウィラ:ちょっと前の記事で、あなたと話したのは、この「優越性」のイデオロギーと、それがどのように女性嫌悪や人種差別に結びつくかという話だったわね(*3)。その記事の中で私たちは、


「優越性」がキリスト教・ユダヤ教文化における中心的コンセプトだということを議論し、マイケル・ジャクソンは文字通り新しいイデオロギーを体現していて、それは、「神の内在性」ということだった。


あの議論はすばらしかった。あれで私の世界を見る目が変わったくらい。あなたはまた、この優越性のイデオロギーが、人間と環境にもたらす恐ろしい結果についても説明してくれたわよね。



エレノア:ええ、私にとっては、マイケル・ジャクソンの文化的重要性は、彼が神の内在性を体現していたという事実なの。優越性に基づく世界観に対抗するものを体現することで、彼は反帝国主義をも体現していた。だから、『ヒストリー』において彼が、今までに作られた帝国主義のプロパガンダとしてもっとも有効な作品であった『意志の勝利』にふれたことは、すごく重要なこと。


私は、『意志の勝利』はナチ体制がその権力の頂点にあったときに製作されたもので、ナチスの重要な集会をそのままドキュメンタリーにしたものだと思っていたのね。でも実際は、あなたが指摘したように、あれは1934年という早い時点で撮られていて、あの集会は撮影用にリハーサルを行った上で構成されている。だから、


リーフェンシュタールは事実を記録したのではなくて、映像を使って事実の構築をしている。その映像は、ナチの世界観を反映しているだけではなく、創り出してもいる。リーフェンシュタールはナチスドイツを創造し、維持していくための神話を創り出そうとしたのよ。



ウィラ:エレノア、それはすごい指摘ね。



エレノア:2003年の彼女の死去のすぐ後に書かれた記事によれば、「いまの社会主義国国家が発表するドキュメンタリーは、必ずこの映画のシーンを取り入れている。この映画ほど、私たちの社会主義国家に対する視覚的イメージを作り上げたものは無い」とのこと。



ウィラ:それはすごく興味深い問題で、私が長い間深い関心を持ち続けてきたことと結びついているわ。事実を反映するだけでなく、事実を生み出す、芸術の力ということにね。



たとえば、18世紀に、ふたつの非常に重要な潮流が同時に起こっている。それまでにはなかった新しい社会階層(中産階級)の隆盛とそれまでなかった新しい芸術形式(小説)の隆盛ね。『Desire and Domestic Fiction(欲望と家庭のフィクション:小説の政治的な歴史)』(*4)の中で、ナンシー・アームストロングは、この新しい文学形式は、単にこの新しい社会階層の興味を反映しているのではなく(評論家は小説を中産階級の複雑な歴史を表すものと見る傾向があるけれど)、小説が新しい階級の形成を助けていく側面があった、と言っている。アームストロングが言っているのは、


小説が、人間は社会的な地位でなく精神のありようで判断されるべきだという新しい社会認識を生み出し、この新しい認識が社会の流動性へのイデオロギーを生み出し、それが中産階級の登場につながった、ということ。


このプロセスは、『意志の勝利』についてもまったく同じことが言える。あの作品は、現実にナチのイデオロギーが民衆に受け入れられている場面を記録していると言うよりも、ナチが勝利をおさめればこのようになるだろうというビジョンを提示している、それによって、勝利が現実になることを助けているわけ。


マイケル・ジャクソンにもすごく近いところがあるんじゃないかと思うのね。作品を通して、彼はパワーのある芸術を創造しているだけじゃなく(それはもちろんやっているのだけれど)、社会的な変革を可能にするための新しい文化的覚醒を生み出そうとしたんじゃないかって。彼が私たちに見せてくれるのは、いかに今の社会の構造がいかに失敗しているか、特に社会から排除され無力な状態に置かれている人たちにとってはね。そして彼は、新しい文化の可能性を提示している。



エレノア:まったくその通りね。彼は、あなたが言ったように、「社会的な変革を可能にするための新しい文化的覚醒」を生み出そうとしている。マイケル・ジャクソンは、リーフェンシュタールと同じく、私たちの世界観に影響を形成し、影響をあたえる芸術の力、この場合は映像の力を理解していた。


『ヒストリー』にリーフェンシュタールを引用したことで、彼は自分もまた神話を作ること、それも新しい現実を生み出す、新たな神話を作ることを宣言している。


でも彼は、メディアや評論家が考えたように(ダイアン・ソーヤーのところの引用参照)お祭り気分で新たな帝国の建設準備をし、自分を神格化しようとしたわけじゃない。


彼の神話の最も重要な点は、誰もが平等であるということで、彼は帝国主義の神話を根こそぎ否定しているのよね。


『ヒストリー』のリーフェンシュタール風の映像、つまり記念碑的建造物や、広大な大通り、広場、ビッチリと密度の高い長い列を作って行進していく男たち、そういうものが多くの人に、帝国の栄光ではなく、ナチスの残虐行為を思い出させるということを、彼はわかっていたはず。それでも彼は、批評家やメディアはだめでも自分のファンたちは、マイケル・ジャクソンの信念とアドルフ・ヒトラーの信念の違いを理解してくれるだろうと信じていたのよ。


興味深いことに、アフリカ系アメリカ人のミュージシャンであるMJは、ナチスがユダヤ人と同じくらい見下していた人々の代表でもある。退廃的なアフリカ系アメリカ人の音楽(当時はジャズのこと)を聴くことは、ナチスによって禁止されていたし、拘留や、ときには死刑で罰せられることもあった。いわゆるアーリア人とその文化を純粋なものにする運動の一環としてね。ここにナチスのジャズに対する恐れや嫌悪についてのすごく面白い論文があるんだけれど、それによるとね、「ナチスに占領されたヨーロッパでは、…ジャズは抑圧された…それは不道徳と革新と情熱の象徴であり…全体主義者が眉をひそめたくなる全ての資質を兼ね備えていた(反ファシストの理論家セオドア・アドルノもジャズに関してはあからさまな嫌悪を持っていた)」とあるわ。



ウィラ:それはとても重要な問題ね。この6月のコメント欄で(*5)Midnight Boomerさんと Ultravioletraeさんが話してくれるまで、私もよく知らなかった。このことをもっと深く議論して、いつかみんなで記事を作りたいわ。。。でも、まずは、


ヒストリー・ティーザーで、マイケル・ジャクソンは、帝国と帝国主義についての物語を呼び起こし、その書き換えを行ったという話よね。



エレノア:そうね。「ヒストリー」は、兵士たちにソビエト連邦の制服を着せて、グーラグ(旧ソ連の矯正労働収容所)やKGB(Stranger in Moscowで「僕をつけまわしてた」と歌った)の記憶を呼び戻した上で、あらためて帝国主義を葬ろうとした。そこに、のちにアフリカ系アメリカ人の居住区で、ドアをぶち破り、職務質問をかけることで悪名をはせた、アメリカの特別機動隊を加えることで、ヒストリー・ティーザーはさらに一歩踏み込んで、帝国の悪を、身近な、ひとりひとりに関係あるものとして描き出す。


ソビエトの全体主義と、身近な存在であるアメリカの国家警察を、ナチスのファシズムと結びつけることで、ヒストリー・ティーザーは、過去、現在にわたる、3つの帝国的な抑圧の形を組み合わせた。その組み合わせに、並外れた洞察力と偉大な精神を持った黒人アーティストであるマイケル・ジャクソンと、彼の個人的、人種的な歴史を加えることで、この作品は、私たちに過去を思い出させ、それは彼の過去も含めてね、未来への希望を与えるものになっている。



ウィラ:そして、私たちは彼の他の作品から、この帝国主義の問題が、彼にとって重要なものだとわかる。彼は繰り返し、私たちの過去の植民地主義をさりげなく思い出させるということをやっていて、植民地主義や帝国主義の、後々まで続く結果を批判している。たとえば、そのことについては、『Black or White』や『They Don't Care About Us』や『Liberian Girl』のショートフィルムについての記事で、少し話したことがあったわよね。彼が、帝国主義の影響が長く尾を引くことをずっと懸念していたということは、ヒストリー・ティーザーを考察する上で非常に重要な背景だと思うのね。


それで、あなたは、ヒストリーのなかで、彼は、それまで抱き続けてきた帝国主義への懸念を、ファシズムやその他の独裁主義的な社会構造へと広げていったと思っているわけね?すごく面白いわ。それがわかると、どうして彼が『意志の勝利』を手本にしたか、説明しやすくなるわね。(②に続く)


訳者註__________


(*1)人々を統合するより、分割していくこと… ここでは、「分割」という言葉にしましたが、この文章の中で、度々登場する帝国主義の基本原理である「分断して統治する」と同じ意味です。他の国と比べ、アメリカは世界覇権国として、他の国を統治し、戦争を遂行するために、国内政治においても「分断政治」を基本とし、社会主義を徹底して嫌い、人々を、人種、宗教、イデオロギー、性別、性的嗜好、経済力・・・だけでなく、自由や、個性といったことまで含めて「違い」を強調することが前提となっています。アメリカニズムと同じ意味だとも言われるグローバリズムによって、同質社会傾向が強かった日本も急速に「分断」が進みつつあります。


(*2)Michael Jackson’s Otherness and Power

(*3)In My Veins I’ve Felt the Mystery

(*4)日本語の参考記事:http://d.hatena.ne.jp/toshim/20060601

(*5)Lessons in HIStory



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by yomodalite | 2015-09-28 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(5)
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今年(2015年)はヒストリー20周年。


スリラーも、バッドも時代を超えた傑作アルバムだと思います(MJのアルバムはすべてそうですが)。でも、ヒストリーは、「They Don't Care About Us」や、「Earth Song」など、世界中の人々にとって、まさに “今ここにある” 危機感が歌われていて、20年も経ったとはまったく思えないぐらい「現代」に生きている作品ではないでしょうか。


1995年は、アメリカにとって時代の分岐点だったのだと思います。そして、アメリカに起こったことは、10年、20年の時間差で、日本にも起こるという法則のためか、あの頃、マイケルが感じた感覚は、当時よりも、今の方が身にしみてわかるような気がします。


そして、そんなことを思い始めた頃、「Dancing With The Elephant」で、ヒストリー・ティーザーについての長文の記事(Part 3まである)が目にとまりました。


それは、2014年の後半にアップされ、それまでに、私のブログでもとりあげていた、リーフェンスタールや、チャップリンとの関係、そして、マーロン・ブランドと『地獄の黙示録』といった、マイケル・ジャクソンを考え直すときに、欠かすことのできない話題が詰まっていて、すぐにでも紹介したかったのですが、日本語にするのがすごく大変で、、、


今回も、childspirits先生に多大なご協力をいただいたのですが、、色々と難しい点がいっぱいあって、もたもたしているうちに、結局、一年近く経ってしまいました。


その間、「これを訳すより、こーゆー内容を自分で書いた方が早いのでは?」と何度か思うこともあったのですが、やはり、MJと同じ国に生まれた、同世代のアカデミックな女性二人の会話を紹介する方が価値がある。と思い直し、なんとか、Part 1の訳が出来上がりました。


今回、ウィラと会話しているのは、前回「We've had enough」についても語ってくれたエレノア・バウマンで、マイケル・ジャクソンの文脈(コンテクスト)、帝国主義や「分断して統治する」という、その基本原理に、彼がどう立ち向かったのか。そして、マイケルが体現した「神の内在性」(immanence)、、といった話題にも少しだけ触れています。


ヒストリーがプロモーションされていた頃の私は、『意志の勝利』を大胆にリメイクしたティーザーに興奮し、ヒトラーという悪のカリスマに対して、マイケルは善のカリスマとして、私たちの理想の世界に君臨するのだと理解していただけで、


帝国主義を身近に考えたことも、日本がアメリカに統治されていることさえ意識することなく、帝国が「分断」を求める理由も、日本の中で、様々な組織が「分割」されていくことが、人々のまとまった力を削ぐことだということにも無頓着で、1987年に、中曽根内閣がすすめた国鉄民営化という「分割」が、労働者から「ストライキ」という手段を奪い、労働組合というまとまった勢力をつぶしたことで、その後の自由主義経済への移行がスムーズになり、それが、今の安保法案成立にもつながっていくだなんて、想像もしていませんでした。


そんな風にいうと、政治の話をしているようですが、私は、マイケルが帝国主義を打倒するために立ち上がったのだと言いたいわけではなく、エレノアが話していることの主眼点もそうではないと思います。私はつくづく、マイケルが一度も政治の話をせず、終始、イデオロギーの人ではなかったことを、今、とても重要なことだったと感じています。なぜなら、それも結局「分断」へとつながっていくからです。


(追記:人々の心が「分断」されていくことへの危惧と、私たち自身のことに引きつけて考えたいという主旨から、訳者註は、「分断政治」について、より具体的な内容にしてありますが、私の考えとしてはっきりしていることは、どんな考え方にしろ、「相手の方が、悪であり、敵であり、愚かである」という場に身を置きたくない。ということです。)


その他、ここで取り上げられたテーマの中には、私もおしゃべりしたくなる話がいっぱいあって、それも、またいつか。。と思っているのですが、


とにかく、


明日から「Part 1」の内容を3回に分けて紹介しますね。






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by yomodalite | 2015-09-27 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(2)
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マイケル・ジャクソンが1992年に出版した『Dancing the Dream』から

「WILL you BE THERE?」の和訳です。


前回の「HEAL THE world」と同じく、アルバム『Dangerous』の収録曲。


この詩は、歌詞とは異なる文章なのですが、何度も聴いた曲であり、一度は読んだことがある詩でしょう。


私は、この詩の「you」が、マイケルの「神」だということは前から感じてはいましたが、自分で訳してみて、あらためて、ああそういう内容だったんだと思いました。


毎回、そんな風に驚くんですよね。不思議なことに。。




WILL you BE THERE?

あなたは、そこにいるのか?



Hold me like the River Jordan

And I will then say to thee

You are my friend

Carry me like you are my brother

Love me like a mother

Will you be there?


ヨルダン川に抱かれて

僕は言う

あなたは僕の友だちだと

兄弟のように、僕を支えて

母のように、僕を愛して

あなたは、そこにいてくれたのか?


When weary tell me will you hold me?

When wrong, will you mold me?

When lost will you find me?

But they told me a man should be faithful

And walk when not able

And fight till the end

But I’m only human


疲れたときは、抱いて

間違っているときは、直してくれ

あなたは、道に迷った僕を探してくれたのか?

人は誠実でいつづけなければならないと言う

歩けないときでも歩き

最後まで闘わなければならないのだと

僕は人間らしくありたいだけなのに


Everyone’s trying to control me

Seems that the world’s got a role for me

I’m so confused

Will you show to me

You’ll be there for me

And care enough to bear me?


世界が僕に役目を与えたかのように

誰もが、僕を支配しようとして

僕はひどく混乱している

どうか、姿を見せて欲しい

あなたは、僕のそばにいて

しっかりと支えてくれているのだろうか?


Hold me, show me

Lay your head lowly

Gently and boldly

Carry me there

I’m only human


姿を見せて、僕を抱いて

僕にゆっくりと頭を近づけて

優しく、そして力強く

僕をひとりの人間として

そこに連れていって欲しい


Carry, carry

Carry me boldly

Gently and slowly

Carry me there

I’m only human


支えて、導いて

強い力で、僕を連れていって

優しく、そしてゆっくりと

そこに連れていって欲しいんだ

僕をひとりの人間として


Knead me

Love me and feed me

Kiss me and free me

And I will feel blessed


僕を修練し

愛し、食べさせ、

キスし、自由にしてくれた

それで、僕は恩恵を感じたんだ


Lonely

When I’m cold and lonely

And needing you only

Will you still care?

Will you be there?


孤独で

寒く、寂しいときも

必要なのは、あなただけ

あなたは、今でも僕を見守ってくれて

そこにいてくれるのだろうか?


Save me

Heal me and bathe me

Softly you say to me

I will be there

But will you be there?


守ってほしい

僕の傷を癒し、身体を清めて

やさしく僕に言ってほしい

私はここにいると

でも、あなたはそこにいるんだろうか?


Hold me

Hug me and shield me

Touch me and heal me

I know you care

But will you be there?


抱いて

僕を抱きしめ、保護してくれて

肌に触れ、そして、癒してもくれた

あなたがしてくれたことはわかってる

でも、あなたはそこにいたんだろうか?


Lonely

When I’m cold and lonely

(I get lonely sometimes, I get lonely)

And needing you only


寂しい

心が寒く、孤独なとき

(僕はときに孤独で、寂しくなるんだ)

必要なのは、あなただけ


Will you still care?

Will you be there?


あなたは、まだ僕を見守ってくれて

そこにいてくれるのだろうか?


Carry

Carry me boldly

Gently and slowly

Carry me there


連れていって

強い力で、僕を支えて

優しく、そしてゆっくりと

そこに連れていって


Knead me

Love me and feed me

Kiss me and free me

And I will feel blessed


僕を修練し

愛し、食べさせ、

キスし、自由にしてくれた

それで、僕は恩恵を感じたのだ


Call me

Save me and face me


僕のことを呼んで

僕の顔を見て、そして、助けてほしい


Bless me and say to me

I will be there

I know you care


僕を祝福して、言ってほしい

私はここにいると

あなたがしてくれたことはわかっているんだ


Save me

Heal me and bathe me

Softly you say to me

I will be there

But will you be there?


守ってほしい

僕の傷を癒し、身体を清めて

やさしく僕に言ってほしい

私はここにいると

でも、あなたはそこにいるんだろうか?


Feed me

Feed me and soothe me

When I’m lonely and hungry

Will you still share?

Will you still care?


食べさせて

僕が寂しく、空腹なとき

僕を食べさせ、そして、なだめ

あなたは、今でも僕と分かち合い

見守ってくれているのか?


Nurse me

Soothe me, don’t leave me

When I’m hurting and bleeding


僕を世話して

傷つき、血がにじむほど苦しいときも

僕をいたわり、そばを離れないで


Bruised and bare

Will you still care?


傷だらけの生身のときも

あなたは、見守ってくれている?


Kiss me

Face me and kiss me

And when my heart is breaking

Will you still care?

Will you be here?


キスして

僕の顔を見て、キスして

そして、僕の心が壊れそうなときも

僕を見守り

そこにいてくれるのか?


Lift me

Lift me up carefully

I’m weary and falling

I know you’re there

But do you still care?


引き上げて

疲れて、倒れそうなとき

僕をそっと抱き上げて

あなたがそこにいることはわかってる

でも、今でも見守ってくれているんだろうか?


(訳:yomodalite)




WILL YOU BE THERE

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by yomodalite | 2015-09-24 12:03 | Dancing the Dream | Trackback | Comments(0)
下記は、副島隆彦氏が、自身のサイトの掲示板に書き込まれた文章ですが、読みやすく掲載するため、親切すぎる「よみがな」を省いたり、一部、言葉を省略したり修正した部分があります。

(転載開始)

[1817]さて、これから何が起きるか。それに備えましょう。

副島隆彦です。今日は、2015年9月21日です。

19日の未明、午前2時18分に、安保関連法案が参議院を通過しました。これで、安倍内閣は、アメリカの命令通りに、東アジア(から中東にまで)における戦闘行為に参加できる法律を手に入れた。

私は、条文を細かく読んでいないので、よくは分からないが、概要は次のとおりだ。

①「武力攻撃事態法」と 
②「重要影響事態法」(これまでの周辺事態法の代わり、拡張)と、
③「国際平和支援法」と 
④「国連平和維持活動(PKO)協力法」の4つの法律からなる

ということが、私の頭で分かった。

①は、日本国の「存立危機事態」という言葉を新設して、他国、つまり、中国、ロシア、北朝鮮からの(アメリカからも含むのか?) 日本国領土への侵略があったときに、「自衛隊が武力行使できる」とする法律である。これに規制をかけて「他に取りうる手段がないときに」としている。これで、憲法9条の「交戦権の否定」を脱法した。

②の「重要影響事態」というのは、これまでの「日本の周辺(東アジアの海域ぐらいまで)の戦争事態だった」ものを、インド洋から先のホルムス海峡(イラン、中東)にまで、自衛隊を派遣できる。これまでのような、掃海艇(マイン・スイーパー、機雷除去作業)だけでなく。

③の「国際平和支援法」で、これまではそのたびに特別法を通していたのに、それをやめて、包括法で、「世界各地で戦争している他国軍(=アメリカ軍)を、いつでも自衛隊が後方支援できる」とした。これが、いわゆる後方支援活動の中心だ。つまり歴史的には、戦場人足であり、荷物運び係や、輜重兵(しちょうへい)を日本の自衛隊がやる、ということだ。

④の「PKO協力法の改正」は、国連のPKOへの参加につき、これまでは、後方での各国軍隊のウンコ処理(ゴラン高原PKOでやっていた)とか、水運び(イラク戦争で、東レの技術で海水真水化したものを、南部バスラの港から日本の航空自衛隊のC130輸送機で、米軍のイラク中の各基地に運んだ。ものすごく感謝された)だけでなく、今後は、自衛隊員が自分の機関銃を撃ち、「他国軍(=アメリカ軍)の“駆け付け警護”」が出来るようにした。

だから、③と④は米軍の補助機関となって、「他国軍(=アメリカ軍)を、いつでも自衛隊が後方支援できる」というコトバで総称して使うようになる。

ここまでの私、副島隆彦の説明をぎゅっとまとめると、以下の朝日新聞の最近の記事の一部になる。

(転載貼り付け始め)

・・・・安保関連法は、改正武力攻撃事態法、改正周辺事態法(重要影響事態法に名称変更)など10本を一括した「平和安全法制整備法」と、自衛隊をいつでも海外に派遣できる恒久法「国際平和支援法」の2本立て。「日本の平和と安全」に関するものと「世界の平和と安全」に関係するものにわかれる。

「日本の平和と安全」については、改正武力攻撃事態法に集団的自衛権の行使要件として「存立危機事態」を新設した。日本が直接、武力攻撃を受けていなくても、日本と密接な関係にある他国が武力攻撃されて日本の存立が脅かされる明白な危険がある事態で、他に適当な手段がない場合に限り、自衛隊が武力行使できるようにする。

また、朝鮮半島有事を念頭に自衛隊が米軍を後方支援するための「周辺事態法」は「重要影響事態法」に変わる。「日本周辺」という事実上の地理的制限をなくし、世界中に自衛隊を派遣できるようにした。後方支援の対象は、米軍以外の外国軍にも広げる。

「世界の平和と安全」では国際平和支援法で、国際社会の平和と安全などの目的を掲げて戦争している他国軍を、いつでも自衛隊が後方支援できるようにする。この際、国会の事前承認が例外なく義務づけられる。

 これまでは自衛隊派遣のたびに国会で特別措置法を作ってきた。国連平和維持活動(PKO)協力法も改正。PKOで実施できる業務を「駆けつけ警護」などへ拡大。自らの防衛のためだけに認められている武器使用の基準も緩める。   

(朝日新聞 2015年9月20日 午前2時20分)

副島隆彦です。それで、ここで必ず、「日本はこれで集団的自衛権が行使できるようになった」という主張が出てくる。アメリカ政府や、米軍の幹部たちは、日本政府(安倍政権)が、「これで集団的自衛権の行使を可能にする」というコトバを使うものだから、イヤがっている。 

「なんで、日本軍ごときが、我が米軍と共同行動とかできるんだ。そんなことができるわけがないだろ。お前たちは、荷物運びの、私たちの後方支援活動で十分だ」、「集団的自衛権 ( collective defense right 国連憲章51条にちょろっと2行書いてある)というのは、欧州のNATO軍のようなものを言うのであって、敗戦国である日本政府が行使していい権利ではない」と考えている。 そういうものなのだ。

同じく、日本側の官僚トップの、内閣法制局の横畠裕介(よこばたけ・ゆうすけ)長官やら、元最高裁の長官だったちょっとは頭のいい、まだ良心のある 法律専門家や体制派の憲法学者たちがたちが、今度の安保法制をものすごくイヤがったのだ。

彼ら法律家たちは、「日本には、個別的自衛権しかないし、これを十分に活用する法律改正でいい。それなら私たちは法律作りに従う。もし、どうしてもというのなら、どうぞ憲法改正をしてください。そうすれば私たち法律屋は、憲法の下僕ですから、それに従います」という態度だ。

だから、彼ら法律屋たちは、「法の “法的安定性” がない」、「 “立法事実” がない」、「だから条文の案を作れない」という専門用語を使って激しく抵抗した。だから、今度の安保法制は、誰(法律家たち)が作ったのか、今も不明だ。

このあと、安倍政権は、アメリカの凶暴な日本操り班のアーミテージ(タコ坊主 世界の真の麻薬王。米軍とCIAのウラ資金を作っている)や、ジョセフ・ナイや、マイケル・グリーンたちの命令で、中国の公船(中国海洋局)の船に、日本か、フィリピンか、ベトナムの公船(日本なら海上保安庁の船)をぶつけて、それで、軍事衝突を起こすだろう。それはもうすぐだ。

軍事衝突で、双方で4,5人ずつの兵隊が死んで、日本国民が震えあがる。日本は、安倍政権とタコ坊主の予定通り、一気に準軍事国家になる。この第1段階である軍事衝突のあとが、第2段階の「事変」になる。

ここで数百人の兵隊が死ななければいけない。それが、「事変」という段階だ。ノモンハン事変とか、満州事変、日華事変、とかと同じ水準だ。これは今から数年先だ。

そのあと、ようやく、いよいよ、第3段階の本格的な、本当の戦争(warfare)になる。

私たちは、着々とこの道を歩かされている。「中東(ミドルイースト)だけでなく、極東(ファーイースト)でも戦争を起こさせろ。そうしないと、アメリカが帝国として生き残れない」という考えである。

この9月の25日、26日に、習近平が訪米してオバマに会いにゆく。この米中首脳会談で、今後一年間の世界が決まる。いろいろと駆け引きが有るようだ。アメリカの金融崩れを中国が引き金を引く(すなわち、中国が持っている米国債を売る)ことを「やめてくれ。その代わりに」という交渉をする。

それでもオバマと習近平(それから韓国の朴槿恵=パク・クネ)は、仲がいい。だから、世界政治の王道に従って、「北朝鮮の核兵器を取り上げる」というアジア戦略で動く。

この平和派(ハト派)のオバマの決断を、アメリカの軍事凶暴派は、どうしても阻止したい。だからイスラエルとネオコン派は、オバマを殺したい。オバマが大統領でいる間(来年末、再来年の2月まで)は、オバマは、絶対に大きな戦争へのOKの署名はしない。

軍事凶暴派が、たとえ、オバマを暗殺してもバイデン副大統領がいる。バイデンは、11月までには大統領選挙に立候補するだろう。アメリカの軍事凶暴派(タカ派)の勢力は、なんとしてもヒラリーを勝たせたい。

アメリカ共和党(リパブリカン)は、ドナルド・トランプという下層白人大衆にものすごく人気のある、本音や本気で大衆政治をやろうとする、まさしくポピュリスト (下から吹き上げる民衆の怒りと熱狂の政治)の男が出てきて、毎日、ゲラゲラの大衆政治をやっている。 

トランプの、まるで、漫才そのものの劇場政治に、今のアメリカ人は酔っている。トランプ(NYの不動産王の、一代で這い上がった泥臭い男)を、テキサス州の上院議員のテッド・クルーズが支持表明した。リバータリアンの根性の有る、旦那とサケ漁の漁船にも乗っていた、元アラスカ州知事のサラ・ペイリンも「私もトランプの政権に入れてくれ」と支持表明した。どうやって、来年の4月前までに、トランプたちポピュリストの勢力を、世界権力者たちが、押さえ付け、脅し上げ、叩き潰すのか。私は、今、その手口をシミュレーションしている。

アメリカ国内が弛緩したお笑い政治をやっている間に、冷酷な軍事凶暴派が戦争の2歩手前を仕組んでいる。それに私たち日本国民は引きづられて利用される。たまったものではない。

私は、以上のことを、自分の世界政治分析と近未来の予測の本である、『日本に恐ろしい 大きな戦争(ラージ・ウォー)が迫り来る』(講談社、2015年3月刊)に詳しく書いた。日本を含めた今後の世界の政治の動きのスケジュールを知りたい人は、私のこの本を読んでください。 


あるいは、北朝鮮が弾道ミサイル(核兵器の模擬爆弾)を日本海の、福井県の若狭湾の、領海(領土から22キロ)ぐらいのところに打ち込むかもしれない。北朝鮮の軍の中にも、アメリカのネオコン派や特殊な宗教団体の、凶暴な軍人スパイたちが入り込んで、世界戦争(ラージ・ウォー)が起きるように仕組んでいる。もし凶悪なヒラリーが、次の米大統領(2017年の2月から)になると、世界は確実に第三次世界大戦である。そのように、私は、私の前掲書の一行目に書いた。 

「これからこうなる。その次はこうなる。日本はこうなる。アイツらは、その次はこういう手に出てくる」と私は書いた。先へ先へ、近未来を予測、予言、先見することで、私は、日本国民が、急に慌てないで済むように、書いた。

次に起きることを十分に予測して、それに備える、準備する、用心するべきだ。突発的に起きる(ように権力者たちは、見せかける)ことに対して私たちがあらかじめ、注意深く、懸命に対処することによって、私たちは自分自身の危機を乗り切ることが出来る。

急に起きる、たかが、軍事衝突で、南シナ海や東シナ海(尖閣諸島の海域)で、海上保安庁や自衛隊の軍事公務員が、数人、死ぬぐらいの事件で、私たちが、気が動転したり、狼狽(うろた)えて、冷静な判断力を失うことは、彼らタカ派権力者、軍事凶暴派の思う壺だ。

それに載せられたときが負けだ。アイツラは始めから着々と、そういう手順で軍事衝突を画策し実行する。その突発ニューズに嵌められて自分が錯乱状態になって取り乱して、根拠の無い恐怖心に捕われたら負けだ。その時が、日本国民の側の大敗北だ。

私、副島隆彦は、そのように前掲書『日本に恐ろしい大きな戦争が迫り来る』に徹底的に詳しく一冊まるまるで書いた。

この本では、大震災や、戦争2歩手前の、大惨事(ディザスター)型の突発事故を起こさせて、国民にショック(衝撃)を与えて、それで、国民を脅しあげて、恐怖のどん底に叩き落として、それで、自分たち権力者が、いいように、緊急事態での支配と統制(コントロール)を行う。これを“ショック・ドクトリン ”という。

あるいは、「大惨事便乗型の資本主義(ディサスター・キャピタリズム)」という。これは、能力と勇気ある、カナダ人のジャーナリスト、ナオミ・クライン女史が書いた本の書名だ。日本では、2012年に、東日本大震災の後に岩波書店から翻訳書が出版された。まさしく『ショック・ドクトリン』であり、『ショック(を与えて、支配する)ドクトリン』である。

今の日本国民の多数意思は、「備えあれば憂いなし」と「しっかり戸締まりする必要がある。隣りに、中国と北朝鮮戦というヘンな、危険な隣人がいるから」という感情操作で、出来上がっている。 

私、副島隆彦が、長年、唱えてきた「アジア人どうし、戦わず。戦争だけはしてはいけない」と「日本は、アメリカの属国である(『属国・日本論』1997年刊)。出来る限りの努力をして、敗戦によるアメリカの支配から徐々に徐々にしなければいけない」からは、ほど遠いところに今もいる。だが、私たち日本人の不屈の独立自尊(偉大だった福澤諭吉先生のコトバ)への努力は続いている。

最後に、書いておくが、9月19日の安保法制法の可決に与党として賛成した公明党(創価学会)は、池田大作名誉会長を始め、大きく脅迫されていて、とても法案に反対できないように、始めから出来上がっているのだ。反対に回ったら、組織を叩き壊してやる、という大きな脅迫だ。 

現実政治(リアル・ポリティックス)というのは、それぐらいに恐ろしいものなのだ。日本共産党であっても、元気よく、法案に反対しているように見えるが、「それ以上やったら、幹部たちを一斉逮捕で、組織を潰すぞ」という長年の脅迫が有る。だから、志位和夫委員長以下、威勢は良さそうでも、なにもやらない。自分たちも、小沢一郎が、やられたように、東京地検特捜部と最高裁判所の ”法の番人”のアメリカの殺しの刃物で、やられたくないからだ。だから、共産党も、「アメリカは日本から出てゆけ。帰れ。対米従属論は、共産党の十八番だぞ」とは、一言も言わない。

日本の大企業の労働組合も、「あんまり騒いだら潰すぞ」と脅されているから組織としては動けない。

あとの国民政党の皆さんは、お上品で立派な人たちだが、勢力としては力にならない。彼らは、立派なリベラル派の賢い国民だから、脅されることはない。だが、現実政治なるものの泥臭い、真の恐ろしさを知らない。

今度の反対運動で、シールズ SEALDsという名で、団結して現れた、生来、優れた学生たちが、自分たちの組織を、内部から、奇妙な人間たちと、政治活動で、怨念を背負った人間たちに、壊されないように、私たち、年長組の、ここの自覚有る、強い人間たちが、しっかり見守って育てて守ってあげなければいけない。 

私、副島隆彦は、「60年安保闘争」(今から55年前)の時に、国会正門前どころか、西門から、議事堂の内部もおびき寄せられて、そのあと、警官隊の一斉襲撃で、蹴散らされて、皇居のお堀の方に、雪崩を打って潰走(かいそう)させられた 学生たち2万人の指導者だった者たち、ひとりひとりの運命を、ずっと調べてきた人間だ。この40年間の間に、会って、ズケズケと話し込んだ人間だ。

安保ブントの最高幹部だった、島成男(しましげお)に向かって、彼が沖縄の精神病院の医師として死ぬ2年前に、「島さん。安保ブント(いわゆる、全学連という、過激派の日本での始まりの団体の上部組織)は、CIAから資金を貰いましたか」と、聞いた。島成男は、「今は言えない。迷惑をかける人たちがいるから。それでも、私たちは、ソビエトの大使館にいる、KGBから殺されると思っていた」と、私に、証言している。

こういう おそろしい真実を、私は、『日本の秘密』(2010年6月刊、PHP研究所から復刊)に書いている。本当の政治の片鱗の、おそろしい裏側を知りたい人は読んでください。私のこの本を読んで、外務官僚上がりのイギリス派の国家情報官を務めた孫崎享氏が、大いに参考にしてくれたのだ。


今から、55年前の60年安保闘争(その10年後が、1970年「大学闘争」で、これで日本の学生運動は終わり。自滅、崩壊していった)の中から、出てきた、日本の政治人間たちの過激派の学生運動の指導者たちに、私の先生である 吉本隆明は、「そこらに、商店街のオヤジたちからさえ、ただの青二才の若造としか思われていない程度なのに、自分たちの頭の中でだけ、思い上がって、革命家を気取る、このタルチョフたちは」と、厳しく批判された。

学生運動が、大衆や労働組合と連帯できるのは、自分たちが、知識人として自立したときだけだ。知識人として(職業として)自立せよ。そうするしかないのだ、と思想家・吉本隆明は言った(2012年3月16日、87歳で逝去)。私、副島隆彦は、この吉本のコトバを今も守っている。

この吉本の家の千駄木の家に、のちに日本の過激派の幹部になった者たちのほぼ全員が顔を出していたのだ。吉本隆明は、文字通り、”日本の過激派の教祖”と呼ばれた人だ。たった数人しかいない私の先生のひとりだ。私は、この人はすごい、と自分が判断した、よっぽどの人物しか、自分の先生とは呼ばない。

副島隆彦拝




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by yomodalite | 2015-09-21 18:50 | 政治・外交 | Trackback | Comments(0)
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マイケル・ジャクソンが1992年に出版した『Dancing the Dream』から

HEAL THE world」の和訳です。


アルバム『デンジャラス』の収録曲の中でも「Heal The World」は、ある意味、もっとも「危険」な曲だったのかもしれません。私にとって、80年代の「We Are The World」は、アメリカの偽善としか思えなかったのですが、90年代にこの曲を聴いたときは、本当に心が癒されて、なんて美しい曲なのかと、聴くたびにそう思いました。


今は、誰もが常に「癒し」を求めていますが、私の記憶では、「癒される」とか「ヒーリング」と言った言葉は、その当時まで日本では、あまり聞いたことがなく、この曲の感覚そのものが、とても静かではあるものの、なにか衝撃を含んでいたように覚えています。


その歌詞と、この本の詩のどちらが先に完成したものなのかはわかりませんが、歌詞と、異なっている部分には(*)印をつけました。ほとんどがわずかな違いですが、冒頭のパラグラフの、In this place~の部分は、楽曲では、You’ll feel ですが、この詩では、I feel ~になっています。




HEAL THE world

世界を癒そう


There's a place in your heart

And I know that it is love

And this place could be much brighter

Than tomorrow

And if you really try

You'll find there's no need to cry

In this place I feel there's no hurt or sorrow(*1)


君の心の場所にあるものは

愛だと僕は知っている

その場所を

未来はもっと輝かせることができる

君がその気になれば

もう泣くことはなく

僕は、そこで苦しみも悲しみも感じていない


There are ways to get there

If you care enough for the living

Make a little space

Make a better place.

Heal the world

Make it a better place

For you and for me

And the entire human race


君が日々懸命に生きるなら

そこにたどりつける

ほんの小さな空間を

より良い場所にできたら

世界は癒される

より良い場所をつくろう

君と僕のために

そして人類みんなのために


There are people dying

If you care enough for the living

Make a better place

For you and for me


人々はそこで死にゆくけど

君が日々思いやりをもって生きるなら

君と僕のために

もっと良い場所になる


If you want to know why, there's a love that cannot lie

Love is strong, it cares for only joyful giving(*2)

If we try, we shall see

In this bliss we cannot feel

Fear or dread


もし、君が偽ることのない愛を求めるなら

ただ与える喜びだけが、強い愛なんだ

その気になれば わかるはず

僕たちには感じられないほどの無上の喜びには

恐れも不安もないんだと


Then we just stop existing and start living(*3)

Then it feels that always

Love's enough for us growing

Make a better world(*4)

Make a better world.

Heal the world

Make it a better place

For you and for me

And the entire human race


そのとき、ただ生きているのではなく、本当の人生がはじまったと

いつも感じられるようになるだろう

愛さえあれば、僕らは輝ける

より良い世界を

もっといい世界をつくろう

世界を癒すんだ

より良い場所をつくろう

君と僕のために

そして人類みんなのために


There are people dying

If you care enough for the living

Make a better place for you and for me.


人々はそこで死にゆくけど

君が日々思いやりをもって生きるなら

そこは、君と僕のためのもっと良い場所になる


And the dream we were conceived in

Will reveal its joyful face(*5)

And the world we once believed in

Will shine again in grace


そして、僕らが生んだ夢は

喜びに輝く笑顔にあらわれ

僕らが信じた世界はふたたび輝きをとりもどす


Then why do we keep strangling life

Wound this earth, crucify its soul

Tho it's plain to see(*6)

This world is heavenly

We could God's glow.(*7)

We could fly so high

Let our spirit never die(*8)


それなのに、僕らはなぜ息の詰まる人生に耐え

大地をねじ曲げ、その魂をも苦しめるのか

それは平凡にみえても

楽園のような世界

神の輝きのままにできたら

空高く舞いあがることもできる

僕らの精神を永遠のものにしよう


In my heart I feel you are all my brothers

Create a world with no fear

Together we'll cry happy tears

So that nations turn their swords into plowshares(*9)

We could really get there

If you cared enough for the living

Make a little space

To make a better place

Heal the world

Make it a better place

For you and for me

And the entire human race


僕にとってはみんなが兄弟なんだ

恐れることのない世界を創造しよう

僕らがともに幸福の涙を流せば

国々は自分たちの武器を農具に持ち変えるだろう

僕らは本当にそこに行ける

君が日々思いやりをもって生きるなら

ほんの小さな空間を

より良い場所にできたら

世界は癒されるんだ

より良い場所をつくろう

君と僕のために

そして人類みんなのために


There are people dying

If you care enough for the living

Make a better place

For you and for me

Heal the world

Make it a better place

For you and for me

And the entire human race


人々はそこで死にゆくけど

君が日々思いやりをもって生きるなら

君にとっても、僕にとってもより良い場所になる

世界を癒そう

もっと良い場所をつくろう

君と僕のために

そして人類みんなのために


There are people dying

If you care enough for the living

Make a better place

For you and for me


人々はそこで死にゆくけど

君が日々懸命に生きるなら

より良い場所をつくろう

君と僕のために


Heal the world

Make it a better place

For you and for me

And the entire human race


世界を癒そう

より良い場所をつくろう

君と僕のために

そして人類みんなのために


There are people dying

If you care enough for the living

Make a better place

For you and for me


人々はそこで死にゆくけど

君が日々思いやりをもって生きるなら

より良い場所をつくろう

君と僕のために


There are people dying

If you care enough for the living

Make a better place

For you and for me


人々はそこで死にゆく

もし、君が日々懸命に生きるなら

より良い場所をつくろう

君と僕のために


There are people dying

If you care enough for the living(*10)

Make a better place

For you and for me

For you and for me

For you and for me

For you and for me

For you and for me

You and for me

You and for me


人々はそこで死にゆく

もし、君が日々思いやりをもって生きるなら

より良い場所をつくろう

君と僕のために

君と僕のために

君と僕のために

君と僕のために

君と僕のために

君とそして僕のために

君とそして僕のために


(訳:yomodalite)



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下記は、楽曲の歌詞(CDの歌詞を参照)


(*1)In this place You’ll feel

(*2)Love is strong, it only cares of joyful giving

(*3)We stop existing and start living

(*4)So Make a better world

(*5)Will reveal a joyful face

(*6)Though it's plain to see

(*7)Be God's glow.

(*8)Let our spirits never die

(*9)See the nations turn

(*10)If you care enough

Make a better place for the living










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by yomodalite | 2015-09-18 08:50 | Dancing the Dream | Trackback | Comments(0)
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[急遽、日夏耿之介の霊が降りてきたためw、後半に追記]


出張で京都にきた友人と会ったときのこと。


y:そうそう、、あの「愛従姉妹」でね、最初に思い出したのがマンディアルグの『満潮』っていう小説で、、生田耕作が翻訳で、今は亡き京都の「アスタルテ書房」で買ったステキな装幀の本なんだけど、、久しぶりに手にとって、少し読んでみたら、思った以上にエロくてさw ちょっとブログにはアップ出来ないって思って、それで人形に走ったんだ(笑)



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で、マンディアルグだけじゃなく、なんか甘美で、悦楽的で、、最近ていうか、この数年、あのKINGのおかげで、そーゆー感じの文学って全然読んでなかったなぁ、、とか思ってるうちに、ふと、日夏耿之介のことを思い出して、、知らない? 詩人で翻訳家なんだけど、すっごく高踏的っていうか、荘厳華麗な翻訳をするひとで、、、私ね、何度もいうようだけどw、例のKINGのせいで「散文的に訳さねば!」とか、もう必死で自分に言い聞かせてたじゃんw。それで、まるっきり真逆の世界のものが恋しくなってきたこともあって、日夏耿之介訳の本を片っぱしから借りてみたのね。


そしたら、、もう思ってた以上にすごくてさ、、


特にスゴかったのが、ポーの「大鴉(The Raven)」の翻訳で、英語よりも、日本語の方が、さっぱりわかんないの。うん。もうね、何度読んでも、さっぱり!英語と並べてみないと


本当にまるっきり意味がわかんないの(笑)


で、ブログアップしようにも、もう部首もわかんない、絶対に変換できないような漢字もいっぱいあって、ルビも一字一字打たなきゃいけなくなりそうで、そうなると、すべての文字にカッコつきになっちゃって、とにかく無理なの。


それで、ああ、昔はこういうの「視覚的」に読んでたんだなぁって、つくづく思ったのね。今は、それを禁じてるけど、、英語って視覚的に読めないから、、、


(と、言ってたのが下記で、太字は変換不可の漢字、最初のパラグラフのみ)


The Raven

大鴉 


Once upon a midnight dreary, while I pondered weak and weary,

Over many a quaint and curious volume of forgotten lore,

While I nodded, nearly napping, suddenly there came a tapping,

As of some one gently rapping, rapping at my chamber door.

`'Tis some visitor,' I muttered, `tapping at my chamber door -

Only this, and nothing more.'


むかし荒涼たる夜半なりけり いたづきみつれ黙坐しつも

忘却の古学のふみの奇古なるを繁(しじ)に披(ひら)きて

黄奶(くわうねい)のおろねぶりしつ交睫(まどろ)めば

忽然(こちねん)と叩叩の欵門(おとなひ)あり。

この房室(へや)の扉(と)をほとほとと 

ひとありて剥啄(はくたく:啄は旧字)の声あるごとく。

儂(われ)呟(つぶや)きぬ

「賓客(まれびと)のこの房室(へや)の扉(と)をほとほとと叩けるのみぞ。

さは然(さ)のみ あだごとならじ。」


沖積社『大鴉』日夏耿之介訳より


* * *


まさかと思って調べてみたら、

日夏訳の「大鴉」をアップしてくださっている方を発見!

こちらの講談社版の訳は、

4段目から6段目までの訳ですね

http://kusakai.jugem.jp/?eid=295


ちなみに、「サロメ」の方は、希律(ヘロデ)とか、希羅底(ヘロデア)とか、色々面倒くさいけどw、戯曲だから「大鴉」よりはわかりやすいかも。。



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河原町から、JP京都駅への乗換え駅「東福寺」のカフェ(ここはな)は、冷房だけでなく、なぜか暖房まで効いていた


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トイレの写真撮ってきてって、moulinさんが言うからぁ。。


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私はアイスコーヒーだったけど、
どこでもワインのmoulinさんはこの日二杯目。。


そんな、moulinさんの「その日の思い出」はこちらです。

http://yasukuni0423.blogspot.jp/2015/09/yomodalite.html




追記)日夏氏の本をみていたら、氏の霊が降りてきたーーーww



KING OF POP

衆生悉皆(ひとみな)の国王(おほぎみ)


嗟呼(ああ)、彌額爾釈尊(みかえる・しやくそん)の

真名(まな)を何と称(よ)ぼうか

その肉体は、たくましきかの埃及(えぢぷと)の若者のやうで

鋼(はがね)の彫像のやうでありながら

象牙のやうに白く耀き、月のやうに浄らか

黝(かぐろ)きその睫毛の先には

長い長い真暗な夜、その夜とても

彼の眼(まなこ)のやうには黒くなく

然ても柔媚(しをらし)い眼光(まなざし)よ


血汐の上で舞を舞う

紅色(こうしょく)の衣(きぬ)の嬋娟(あてやか)さも

彼の魂(たま)の底(そこひ)のやうに絳(あか)くはなく

その仁(ひと)が現れれば、荒蕪(こうぶ)した諸所にも歓声が上がる

その音色は、聾者(みみしいたるもの)の耳にも通じ

その声音(こわね)は、楽の音色のやうで

主なる神の御声か 天球の音楽か

現世(うつしよ)の救ひ主とは、そなたのこと


(作:日夏耿之介じゃなくて、yomodalite!)


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by yomodalite | 2015-09-16 08:00 | 日常と写真 | Trackback | Comments(6)
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私が初めて、マイケルとシャーリー・テンプルとの関係について知ったのは、オックスフォードスピーチだったと思います。そこでは、「ふたりは会ってしばらくの間、言葉も交わさず、ただ涙した」と言うような表現がされていて、シャーリーのことを巻き毛の金髪がかわいい1930年代頃の子役スターというイメージしかなかった私は、マイケルが会いに行ったとき、すでに彼女は人々から完全に忘れ去られ、消息を探すことさえ困難で、財政面でも精神的にもとても悪い状態だったのでは… と想像していました。

それで、数年前に初めて『MJ Tapes』で、シャーリーとの出会いの部分を読んだときも、マイケルが、かつての子役スターを慰めるために、彼女を訪問したのだと思って飛ばし読みしていたんですが、翻訳を公開するうえで、再度読み直してみたら、まるっきり逆だったので驚いたんですよね(自分の英語力のなさが怖い)。(→「マイケルとシャーリー・テンプル:深くつながる心」

そんな反省もありつつ、数年ごしで、マイケルとシャーリーの出会いの部分を公開することになった、この機会に、マイケルが最後の最後まで「心の糧」とした女性の魅力について、ちょっぴり知りたくなったので、会話の中に登場した『Child Star』を読んでみました。

『MJ Tapes』では、「僕はまだ読んでいないんだ」と言っているので、正確には、愛読書の認定はできないのですが、この会話のあと、MJはより大きな困難に見舞われ、また、それを乗り越えたあとのステージを準備していた2009年でさえ、彼女のことを「心の糧」としていたことを考えると、やっぱり、その後に読まなかったとは思えないんですよね。


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THIS IS ITのリハーサルでも彼女のバッジが胸に



では、前置きが長くなりましたが、

本書は、1988年に出版されて、アメリカで大ベストセラーになった本で、、、

(下記の青字は本書を要約して抜粋したもの)

ふたりの男の子のあと、女の子を熱望した母親、ガートルードは34歳でシャーリーを妊娠し、女性的本能のありったけを総動員して、ラジオのクラシック音楽を聴き、文学書を声高に読み、美術館をめぐり歩き、途中わざわざ立ち止まってはその建築的な美しさを称賛し、映画館では、同情の涙をそっとぬぐいながら、ロマンティックな映画の音響や刺激に、まだ生まれていない子供をさらしただけではまだ飽き足らず、花々や自然の美しさについて感想を述べながら海まで歩き、うちよせる波のリズミックな音、太平洋の風に鳴る椰子の美しい景色、、

などなど、とにかく胎教を最大限、重視した母親によって生まれたシャーリーは、プロのダンサーとして訓練をさせたいという母の願いによって、3歳になるとすぐに、ミセス・メグリンのダンス教室に通うようになる。

私は彼女の映画を見たことがなく、『MJ Tapes』の翻訳のために、動画を断片的に見ただけなのですが、その中で印象に残った、伝説のビル・“ボージャングルス”・ロビンソンは、シャーリーよりもずっと前から有名人だと思っていたのですが、当時7歳だったシャーリーは、彼をほぼ同時期に映画出演のチャンスを手にいれた、もっとも相性のよかった「相方」と考えていて、

その頃、映画界で黒人が活躍する機会は限られていたが、この不利な点にさえ彼の気はくじけなかった。賭け事好きのスポーツマンタイプの男で、酒も飲まず、女を追いかけもせず、幸せな結婚をしており、幸運の女神を絶対的に信頼していた。大きなチャンスを狙って西の方にウィンクを送りながら、彼の職業上の救いが、ミセス・メグリン・ダンス教室の「一群の子供たちが作り出すさざめきと混乱のなかにあろうとは、誰にも予想できなかった。とりわけ、ビル・“ボージャングルス”・ロビンソンその人にとっては、思いもよらぬことだった、と。

また、ビル・ボージャングル・ロビンソンは、「神様はシャーリーを唯一無二の存在として創られた。あの子に続く者は二度と現れないであろう」と述べているそうです。引退後に外交官となり、ガーナ大使となった彼女には、成人後も人種的な偏見がなかったように感じられ、そういったところもマイケルが愛した理由だったように感じました。

シャーリーはデビュー前にかなりのダンス訓練をうけていて、子役の可愛らしさでスターになっただけでなく、今でも彼女の歌が教科書に載っているほど、彼女は歌と踊りで魅了したミュージカルスターだったのですね。







その他、この本に書かれていることは、私にとっては知らないことが多すぎて、また、彼女のような女性が自分のきもちを表現しようとしたエッセイを、魅力的な日本語にするのはむずかしいからか、意味が通じない箇所がかなり多いうえに、上下巻のボリュームがあり、最後までかなりガマンを強いる読書だったことは確かで、おすすめすることはできません。

彼女について知るうえでは、シャーリーのWikipediaは詳細で、自伝を読んだあとでも、概ね、客観と主観の違いしかないように感じました。


清教徒として生まれ、明るく健気、楽天的で清楚というイメージのシャーリーは、国民の誇りとして、二度目の結婚の際は、懇意にしていたFBI長官が部下に素行調査をさせるほど、アメリカ社会の上流階級から守られた存在で、85年の生涯すべてにおいて彼女の地位は揺らくことはなかったと、そこにはあるのですが、

しかし、ダイアナ妃や、ジャクリーヌ・オナシスなど、マイケルには上流階級の女性の優雅さを好むところがありましたが、ふたりはいずれも世紀の悲劇に見舞われ、ダイアナ妃はメディアの魔の手から逃れられなかったことで生涯を閉じました。

恵まれた生まれであっても「悲劇のヒロイン」になったプリンセスはめずらしくありません。

また、MJの親友、エリザベス・テイラーも、少女時代からスターとして、晩年まで過ごしましたが、彼女が本当に「大女優」になったのは、成人後のことであって、シャーリーのように少女時代に、その「子供らしさ」で、アメリカを代表するような国民的スターになり、そこから最後まで道を外れなかったというのは、これまで誰も成し得なかったことです。

彼女の輝かしい人生は、差別を受ける黒人として生まれ、メディアから最大限の逆風をうけたマイケルとはかなり異なっているようにも思えます。

「ほとんどの子役スターは、ハリウッドの子役時代に対して何らかの心の傷を抱えている。しかしシャーリーは、ハリウッドという危険な虎の穴に入って、その体験を楽しみ、けろりとして無傷で出てきたほとんど唯一の存在であった」(Wikipediaより)

この「けろりと無償」の裏に、どれほどの辛さがあったか、それは、彼女を生涯「心の糧」としたマイケル以外にはわからないことなのかもしれませんが、

どんなビッグスターとも比較にならないほどの飛び抜けた売り上げを誇ったシャーリーには、仕事のプレッシャーだけでなく、誘拐をはじめとした、他の子役スターが経験しなかったほどの様々な恐怖があったはずです。

無垢で明るい魅力を保ち続けることほど「強さ」を必要とすることはないのだ。と彼は感じていたのではないでしょうか。

私は、シャーリーの自伝を読んでいて、ダイアナ・ロスの自伝のことも何度か頭をよぎりました。翻訳のむずかしさはあるものの、シャーリーの自伝は、彼女の文才や知性を感じさせるものでしたが、ダイアナの自伝はどちらかといえば、その逆で、読者が聞きたいと思う部分を避けたというだけでなく、感情をそのまま綴ったような文章からは、彼女が矛盾を抱えたまま、ただ前を向いて突き進んできたことだけが伝わるようなものでした(特に公私ともに関係の深かったベリー・ゴーディへの記述は二転三転し、矛盾に満ち溢れている)

ただ、マイケルが生涯尊敬し続けたふたりの女性には、共通点もあるようにも感じられたんですね。

シャーリーは、生涯アメリカ社会の富裕層の一員として過ごし、彼女の生きかたには国家が奨める「模範」と言っていい「正しさ」が感じられる一方、ダイアナは、貧しい黒人家庭に育ち、シンガーとしての成功だけでなく、不倫や、奔放な恋愛で世間を騒がせ、芸能界の熾烈な争いから、彼女の周囲で傷ついていったライヴァルたちのことも度々取り上げられてきた。

その生き方に憧れ、真似したいと思うとき、彼女たちの支持者は、それぞれ重なっているようには思えないのですが、シャーリーはアメリカ社会の富裕層にふさわしいと思って、自分のスタイルと決めたわけではなく、また、ダイアナも、どんなに後ろ指を指されても自分の選択に恥じるところはないと思っていた。

人は様々なものさしで、自分が信じる「正しさ」を判断するものですが、マイケルにとって、もっとも重要なのは、大人の良識ではなく「無垢な心」で、それは、誰にとってもこうするのがいい。という規範があるものではなく、激しく批判されても、貫き通す「強い心」を養うことで守られるものであり、ひとり歩んでいく孤独に耐えることだと、彼は考えていたのではないでしょうか。

彼は、実の母とダイアナの両方を、自分の子供の後見人に指名していましたが、熱心な信者としての生活を第一に考え、何度夫が浮気をしたり、外に子供を作っても離婚しなかった母親と、ダイアナも180度違った生き方をしているようですが、マイケルの母も、自分の信仰を子供や、ほかの誰にも押し付けることはなく、「ただ、自分が信じる道を、ひたすら自分の努力によって進んでいく人生」という意味では共通していて、それは、マイケル自身にとっても、自分の子供たちへのメッセージとしても、そうあるべきだと思っていたのではないでしょうか。

また、シャーリーとダイアナは、ふたりとも母親からの教えをとても大事にしていて、マイケルも母への感謝を常に語っていましたが、彼自身は自分の子供に母親を与えなかった。マイケルには「そうでなければならない」条件のようなものより、なにかもっと「大事なもの」を瞬間瞬間で感じとるセンサーがあって、私は、そこにいつも行き当たりばったりの「感性」と呼ばれるものではない、どこか一貫した「論理性」を感じるんですね。

そして、読みにくく、決して理解できたとは言えないシャーリーの自伝にも、ときおり、それと同じ類いの知性が感じられました。


______________

註)この上下巻には、シャーリーが生まれてから、22歳で二度目の結婚をし、映画界を引退するまでが描かれています。『MJ Tapes』の中で、マイケルが「いま彼女は2冊目の本を書いている」と言っていた本は、政界に入って外交官を務めていた頃からを取上げて執筆していたようで、二巻になる予定だったそうですが、最終的に出版されなかったようです(要確認)。






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by yomodalite | 2015-09-15 06:00 | マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)

ホイットマン詩集―対訳 (岩波文庫―アメリカ詩人選)

ホイットマン/岩波書店




マイケルは、インヴィンシブル期といっていい1999年後半、「TALK magazine」のインタヴューで、気に入っている作家を聞かれ、「サマセット・モーム、ホイットマン、ヘミングウェイ、トウェイン」と答えています。

MJ : "I watch cartoons. I love cartoons. I play video games. Sometimes I read."

Q : "You mean you read books?"

MJ : "Yeah. I love to read short stories and everything."

Q : "Any in particular?"

MJ : "Somerset Maugham.. Whitman. Hemingway. Twain."



そんなわけで、この中で一度も読んだことがなかったホイットマンを読んでみようと思い、岩波文庫の『対訳・ホイットマン詩集』を購入。

岩波の対訳文庫といえば、ウィリアム・ブレイク、エドガー・アラン・ポー、イェイツと、これまで疑問ばかりが増幅することが多かったのですが、


本書には、ホイットマン自身による全詩集『草の葉』から33篇が収録されていて、訳者である木島始氏の素敵な「まえがき」により、ホイットマンの世界に惹きこまれ、これまでのように読み出して数秒で「マジ?」と言いたくなるようなこともなくw、私にとって最適な入門書になりました。



以下は「まえがき」から抜粋。


詩集『Leaves of Grass “草の葉”』をよんで、こういう作品をイギリス文学は生み出したことがない、という意味のことを、今世紀のもっとも批評眼のある女流作家ヴァージニア・ウルフが述懐しているのにふれたとき、ああ英語文化の生え抜きのひとにしてそうなのだ、とわたしは思ったものだ。

『草の葉』こそ、アメリカが生み出したものであり、アメリカをしてアメリカたらしめている根源ではないかと。岡本太郎風にいえば、アメリカの土壌からの「爆発」が『草の葉』となったのではないか。

1855年の初版から、1892年のいわゆるDeath Bed Edition 臨終版にいたるまで、詩人自らが活字、造本、宣伝と自分の意思を可能なかぎり詩集出版で実現しようと全力を尽くした。詩の編成や、改訂、改題も数多く、受け取る人によって何年版を最良とみなすかも、異なってくる。


このあと、木島氏は、初版につけられた序文を、対訳付きでいくつか紹介してくださっています。すべて素敵なのですが、今日の気分でほんの少しだけ抜粋します。


The art of art, the glory of expression and the sunshine of the light of letters is simplicity. Nothing is better than simplicity … nothing can make up for excess or for the lack of definiteness.

わざのわざ、表現の栄光、文学の光の太陽の輝きとは、単純さだ。単純さにまさるものは、何もない・・・過剰とか、明確さの欠如とかをつぐなうことができるものは、何もない。


読んでいるうちに、自分でも訳してみたくなったので、原文を探してみたところ、


想像以上に長い序文で、、速攻コピペして「いつかやる」フォルダにしまい込んだのですがw、とりあえず、この部分の続きを含めてパラグラフで抜粋したものをメモ。。


The art of art, the glory of expression and the sunshine of the light of letters is simplicity. Nothing is better than simplicity … nothing can make up for excess or for the lack of definiteness. to carry on the heave of impulse and pierce intellectual depths and give all subjects their articulations are powers neither common nor very uncommon. But to speak in literature with the perfect rectitude and insouciance of the movements of animals and the unimpeachableness of the sentiment of trees in the woods and grass by the roadside is the flawless triumph of art. If you have looked on him who has achieved it you have looked on one of the masters of the artists of all nations and times.

You shall not contemplate the flight of the gray gull over the bay or the mettlesome action of the blood horse or the tall leaning of sunflowers on their stalk or the appearance of the sun journeying through heaven or the appearance of the moon afterward with any more satisfaction than you shall contemplate him. The greatest poet has less a marked style and is more the channel of thoughts and things without increase or diminution and is the free channel of himself.

He swears to his art, I will not be meddlesome, I will not have in my writing any elegance or effect or originality to hang in the way between me and the rest like curtains. I will have nothing hang in the way not the richest curtains. What I tell I tell for precisely what it is. Let who may exalt or startle or fascinate or soothe I will have purposes as health or heat or snow has and be as regardless of observation. What I experience or portray shall go from my composition without a shred of my composition. You shall stand by my side and look in the mirror with me.



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by yomodalite | 2015-09-11 12:00 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)
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こちらは、スティーブ・ハーヴェイ、 D・L・ヒューリー、セドリック・ジ・エンターテイナー、バーニー・マックという4人の黒人コメディアンによるツアー「Kings of Comedy」の評判を聞きつけたスパイク・リーがドキュメント映画にしたもの(2000年公開)。

スティーブ・ハーヴェイは、1996年から2000年まで放映されていたコメディ番組「The Steve Harvey Show」や、2013年から始まった各界の著名人とのトーク番組「Steve Harvey」のホストとして、現在も大人気なんですが、

MJへの疑惑がどのように創られて行ったかを詳細に著した、雑誌『GQ』の特集記事「マイケル・ジャクソンは嵌められたのか」を熱心に紹介してくれて、


マイケルは、2002年にスティーブのラジオインタヴューで、

「君のショー “Kings of Comedy” でやったタイタニックのネタは、僕が見た中で最高におかしかったものだよ」「僕は、君の番組を見て、いつも爆笑してる、いつも見てるよ」

と答えていて、その後、2003年の誕生日パーティーの司会や、また2005年の裁判のときなど、幾度となくMJの側で支えてくれた方。


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MJ好きで、コメディ好きな私は、このショーがずっと見たかったんですが、日本版のDVD販売はなく、海外版のDVDは英語字幕もないうえに高額で、日本版のVHSもなかなか手に入らないし、、ということで、しかたなく、聞き流しているうちに、何を言っているかわかるようになる。という遼君の言葉を信じて、英語版のVHSを何度も見てたんですけど、

ちょっぴりわかったのは、テーブルをひっくり返して、ハンカチ、、あ、これが「タイタニック」ネタだ。。とか、テンプテーションの「ワン・マイク」と、ヒップホップのショーの違いぐらいで、あとは「ガッデム」と「マザーファッカー」しか聴き取れなかったんですけどw

最近ようやく日本版のVHSを手に入れて、念願の「字幕つき」で、爆笑することができました!

ショーは、私がこれまでに見た黒人コメディアンのショー中でも、最高に「黒いネタ」が満載で、4人のコメディアンは、すべて、白人はこうだけど、俺たち黒人は、、というネタに徹していて、9割が黒人客という中、人種差別や、自虐ネタ、SEXから、幼児虐待までw、これでもかっていうぐらい「アンチMJな世界」が、怒涛のごとく繰り広げられ(笑)、最後に登場するバーニー・マックは、私たちにはなかなかわからない、黒人の「マザーファッカー」という言葉の使い方についての解説もしてくれます(笑)

スティーブ・ハーヴェイはMCなので、何度も登場し、その度に、神や、音楽の素晴らしさ、そして一番大事なのは「愛」だということを人々に説きます。彼なりのやり方で(笑)。そして、「俺はオールドスクールの音楽が好きだ」と言って紹介された中でも、最高のラブソングとして、もっとも会場が盛り上がった曲は、私の知らない曲でした。






この曲をサンプリングして、
カニエ・ウェストがプロデュースした曲。






スティーブ・ハーヴェイと、リチャード・プライヤーは同一人物かと思うほど顔が似てるけど、エディ・マーフィーっぽいネタはないし、コメデイファンならずとも笑っぱなしかどうかは、差別ネタや下ネタへの耐性にもよるかと。。ちなみにMJネタはありません。



《おまけ》
こちらはスティーブの番組の人気コーナー
「スティーブに聞いてみよう」で、
マイケルについてのエピソードを
語っている動画(2014年)




(動画の内容)MJファンらしい質問者から彼とのエピソードに求められ、スティーブは『You Rock My World』の撮影現場に遊びにいった話を披露。MJは大きなトレーラーでそこに来ていて、案内されて中に入ると、そこはディズニーランドのような装飾がなされていて、テーブルセットの椅子は、なんと「きのこ」の形だったそうです(笑)。マイケルが優しく笑ってすすめるので、座ってはみたものの、きのこの傘の部分が尖っててケツが痛くて(笑)すっごく居心地悪かったと(笑)。外では、ヘンゼルとグレーテルのような白人ぽい子供たちが走り回ってたんだけど、それがマイケルの子供でさ。。みたいなことを言ってるようです。。




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by yomodalite | 2015-09-10 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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