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和訳 SO THE elephant MARCH『Dancing the Dream』[36]

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マイケル・ジャクソンが1992年に出版した『Dancing the Dream』から
「SO THE elephant MARCH」の和訳です。



SO THE elephant MARCH
象たちが行進するのは

A curious fact about elephants is this: In order to survive, they mustn't fall down. Every other animal can stumble and get back up again. But an elephant always stands up, even to sleep.

象には興味深い事実がある。彼らは生きていくうえで、絶対に腰を下ろさないという。 他の動物は、つまずいても、再び立ち上がることができる。でも象は眠っているときでさえ、常に立ったままなのだ。

If one of the herd slips and falls, it is helpless. It lies on its side, a prisoner of its own weight. Although the other elephants will press close around it in distress and try to lift it up again, there isn't usually much they can do. With slow heaving breaths, the fallen elephant dies. The others stand vigil, then slowly move on.

もし、群れの中の一頭が足を滑らせたり、転んだりした場合、もうなす術はない。象は横に倒れたまま、その重い体を自分で動かすことはできず、他の象たちは集まって、押したり、持ち上げようとするが、彼らにできることはほとんどない。倒れた象は苦しそうな呼吸を長く繰り返して亡くなり、立ったまま見守っていた他の象たちは、またゆっくりと歩み始める。

This is what I learned from nature books, but I wonder if they are right. Isn't there another reason why elephants can't fall down? Perhaps they have decided not to. Not to fall down is their mission.
As the wisest and most patient of the animals, they made a pact -- I imagine it was eons ago, when the ice ages were ending. Moving in great herds across the face of the earth, the elephants first spied tiny men prowling the tall grasses with their flint spears.

これは、自然に関する本で読んだ話だけど、僕はそれが本当なのか少し疑問に思っている。象が腰をおろすことができない理由は別にあるのでは? おそらく、彼らは自分たちでそう決めたのだ。腰を下ろさないのは彼らの使命であり、僕の想像では、動物の中でもっとも賢く、辛抱強い象は、その昔、氷河期の終わり頃、そういった誓いをした。彼らは大きな群れで大地を移動しているうちに、小さな人間たちが、背の高い草を、石槍で突いているのを目にしたのだ。

"What fear and anger this creature has," the elephants thought. "But he is going to inherit the earth. We are wise enough to see that. Let us set an example for him.”

「なんて、怖がりで怒りっぽいやつらなんだ」象たちは考えた。「しかし、彼らはこの大地の支配者になっていくだろう。我々も賢いからそれはわかる。それならひとつ、彼らにお手本を見せてやろうじゃないか」と。

Then the elephants put their grizzled heads together and pondered. What kind of example could they show to man? They could show him that their power was much greater that his, for that was certainly true. They could display their anger before him, which was terrible enough to uproot whole forests. Or they could lord it over man through fear, trampling his fields and crushing his huts.

それから、象たちは灰色の頭をつきあわせて考えた。いったい 人間たちにどんなお手本を示せばいいのか? 自分たちの力が、人間よりはるかに素晴らしいということを見せるのもいいだろう。それは間違いのない真実だ。象たちには、すべての森を根こそぎにするほど激しい怒りを見せつけることもできるし、人間たちの畑を踏みつけ、小屋を押しつぶし、恐怖で支配することもできる。

In moments of great frustration, wild elephants will do all of these things, but as a group, putting their heads together, they decided that man would learn best from a kinder message.

野生の象が、激しい欲求不満に陥ったとき、こういったことをしてしまうのは事実だが、その場に集まった象たちは、もっと心のこもったメッセージを人間たちに送ることを決めた。

"Let us show him our reverence for life," they said. And from that day on, elephants have been silent, patient, peaceful creatures. They let men ride them and harness them like slaves. They permit children to laugh at their tricks in the circus, exiled from the great African plains where they once lived as lords.

「我々の生命に対する畏敬の念を人間たちに示そうじゃないか」そして、その日から、象たちは静かで、辛抱強く、平和的な生き物となった。彼らは装具をつけた背に人間を乗せて、まるで奴隷のように仕え、サーカスの芸では、子供たちに笑われることも受け入れ、かつて王者として生きたアフリカの大地から離れた。

But the elephants' most important message is in their movement. For they know that to live is to move. Dawn after dawn, age after age, the herds march on, one great mass of life that never falls down, an unstoppable force of peace.

でも、象たちのもっとも重要なメッセージは、彼らの行動にあった。彼らは生きることは動くことだと知っている。陽は昇り、年は過ぎても、象たちは行進を続ける。決して腰をおろすことのない偉大な生命の群れは、止めることのできない平和の力になる。

Innocent animals, they do not suspect that after all this time, they will fall from a bullet by the thousands. They will lie in the dust, mutilated by our shameless greed. The great males fall first, so that their tusks can be made into trinkets. Then the females fall, so that men may have trophies.

無垢な動物たちは、そのあと何千発という銃弾によって倒される日が続くとは思ってもみなかった。埃にまみれて倒れ、人間たちの恥知らずな欲望によって、バラバラにされるということも。最初に大きな雄の象が倒された。その牙を装飾品にするために。次は雌の象が倒された。人間たちの戦利品とするために。

The babies run screaming from the smell of their own mothers' blood, but it does them no good to run from the guns. Silently, with no one to nurse them, they will die, too, and all their bones bleach in the sun.

母親の血の匂いを感じた子供の象は、泣きながら逃げ惑うが、銃から逃れることはできず、子供の象たちもまた、静かに、誰にも看取られることなく死んでいき、太陽にさらされ白骨となる。

In the midst of so much death, the elephants could just give up. All they have to do is drop to the ground. That is enough. They don't need a bullet: Nature has given them the dignity to lie down and find their rest. But they remember their ancient pact and their pledge to us, which is sacred.

数多くの死の中で、象たちに出来たことはあきらめることだけだった。彼らがせざるを得なかったことは、地面にしゃがみ込む、それだけだった。象たちに銃弾は必要ない。大自然は、彼らを横たわらせ、休息させることで、尊厳を与えた。だが、彼らは大昔にした、人間たちへの神聖な誓いを忘れてはいなかった。

So the elephants march on, and every tread beats out words in the dust: "Watch, learn, love. Watch, learn, love." Can you hear them? One day in shame, the ghosts of ten thousand lords of the plains will say, "We do not hate you. Don't you see at last? We were willing to fall, so that you, dear small ones, will never fall again.”

だから、象たちは行進する。踏みしめた足跡から舞い上がる土埃に、言葉を残しながら。君に聞こえるだろうか?「見ること、学ぶこと、愛すること、見て、学んで、愛するのだ」ということ。いつの日か知るだろう、数えきれないほどの象たちの霊が「我々は、おまえたちを憎んではいない。おまえはまだわからないのか?おまえたち、小さな者が決してつまづくことのないように、我々は、倒れようとして倒れたのだ」ということを。

(訳:yomodalite)

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by yomodalite | 2015-07-31 14:22 | Dancing the Dream | Trackback | Comments(0)

陰謀の世界史/海野弘

海野弘氏の「陰謀論本」をもう一冊。こちらの初版は『世界陰謀全史』よりも前の2002年に出版され(あとがきによれば、著者が「CIA」について書いているときNYテロ事件があった。という時代)、2006年の文庫版は厚み2センチほどある大書で、参考文献や登場人物の索引や関連書籍の紹介も多い。

『世界陰謀全史』とよく似たタイトルですが、こちらは、フリーメーソン、ユダヤ、イリュミナティ、ロスチャイルド、ロックフェラー、ルーズヴェルト、英国王室、フェビアン協会、三百人委員会、外交問題評議会(CFR)、財団、銀行、アレン・ダレス、CIA、ケネディ、ニクソン、キッシンジャー、レーガン、ブッシュ、クリントン、KGB、MI5とMI6(英国情報部)、モサド、ヴァチカン、マフィア、ハワード・ヒューズ、マーチン・ルーサー・キング、超古代史、エイリアン・UFO、ナチ・第4帝国。という30項目から書かれているものの、主にアメリカの陰謀論について書かれています。

海野弘氏の本といえば、これまで『モダン都市東京』とか『ヨーロッパの装飾と文様』など美術やデザインをテーマにしたものしか知らなかったので、陰謀論系の本を書かれていたことが意外だったのですが、こちらは、よくある対象に憎しみを抱かせるような内容ではなく、著者のこれまでの本と同じように、テーマについて広く散策してまわるような視点が健在で、さまざまな陰謀論の定番を楽しむことができます。

個人的には「ハワード・ヒューズ」の章に期待していたのですが、彼に関しての〈陰謀論〉が膨大すぎるわりには、記述が短かすぎて、期待をこえるものではありませんでした。ヒューズの場合は、彼の超人ぶりがあらゆる物語を飲み込んでしまうためなのか、〈解釈〉の方に新鮮味や真実味が感じられなくなるということもあるのかもしれません。


下記は「プロローグ」より(省略・要約して引用しています)

コンスピラシーの資料を集めだしたときにぶつかったのが、デヴォン・ジャクソンの『コンスピラノイア!』(1999)である。コンスピラシーとパラノイアを合成した言葉で、副題に「すべてのコンスピラシーの母」とあり、多くのコンスピラシーが網の目のように絡み合っている見取図をつくりあげていて、実に面白い。この本に刺激されて、コンスピラシー論を書いてみたくなった。ティモシー・メリー『コンピラシー帝国』は、戦後アメリカのパラノイア文化という副題で、トマス・ピンチョンなどの小説を中心として、現代アメリカの陰謀妄想をとりあげ、ピーター・ナイトの『コンスピラシー・カルチャー』(2000)は、「ケネディからXファイルへ」と題され、マスメディア、テレビなどによって増幅されるコンスピラシーが一種の〈文化〉となっている状況を分析している。1997年には『陰謀のセオリー』という映画もつくられた。

なぜ私たちはコンスピラシー・セオリーにとりつかれるのだろうか。ティモシー・メリーは〈エージェンシー・パニック〉からだ、としている。私たちは多くのことをエージェンシー(代理)にまかせなければならない。エージェンシー・パニックとは、自律性、自由意志が奪われることへの大きな不安を意味している。ある人の行動はだれかにコントロールされ、強力な外部のエージェントによって仕組まれている(『コンピラシー帝国』より)。エージェンシーパニックは、自分が外の力に操られている、と感じるだけでなく、その直接のエージェントは、さらにその影の力に操られているとエスカレートしていく。

コンスピラシーの本場はなんといってもアメリカである。どこの国にも陰謀はあるが、陰謀が大衆文化にまでなって、人々に親しまれている国はアメリカしかないのではないだろうか。なぜ、アメリカの陰謀は面白く、アメリカ人は陰謀のセオリーが好きなのだろうか。20世紀の終わりのアメリカでは、コンスピラシー・セオリーがいたるところにあり、ファーストレディでさえ、コンスピラシーの語を全国テレビでくりかえした。とにかくアメリカでは陰謀が多く、建国以来、陰謀だらけであったともいうが、さまざまな人種の集まりであるアメリカは、いつもなにかの〈敵〉をつくり、そのイメージに対してまとまり、アンデンティティをつくってきたのだそうだ。しかし〈陰謀〉が文化になり、日常会話に入ってくるようになったのは、1960年代になってからである。

(引用終了)


下記は、「エピローグ」より(省略・要約して引用しています)

アル・ハイデル、ジョーン・ダーク編『コンスピラシー・リーダー』は「パラノイアマガジン」に載った陰謀のセオリーのアンソロジーで、この本の序文は〈陰謀〉がいかにカウンターカルチャーになったかをよく伝えている。90年代にはコンスピラシー・ウェブサイトもあらわれ、1997年、陰謀パラノイアは最高潮に達した。

ジョージ・E・マーカス編『理性的パラノイアー説明としてのコンスピラシー』(1999)は、パラノイアとコンスピラシーのカルチュラル・スタディーズ集で、まず陰謀史研究の出発点として、リチャード・ホーフスタッターの『アメリカ政治のパラノイアスタイル』がとりあげられている。この先駆的論文は今読んでもすばらしく、アメリカには陰謀史観の伝統があることを明らかにしている。

しかし、90年代にはそれまでにはなかった新しい状況があらわれた。ジョージ・E・マーカスは、パラノイド・スタイルとコンスピラシー・セオリーが根拠があると見られるようになったのは、2つの理由があるという。

ひとつは冷戦時代の米ソの対立で、政府までもがパラノイアックな陰謀を信じたので、社会全体、体制側、マスメディアまでもが、パラノイアになり、国際政治もそれに浸ってしまったこと。もうひとつは、政治や経済の世界に、ゲーム的な枠組みが入ってきて、戦略、戦術が重要になり、パラノイアスタイルが使われるようになったからだ、という。

しかし、ゲーム化はひとつの危機をもたらす。ゲームは現実世界や本質から遊離させてしまう、見えているものだけで、その背後は空虚なのだ。マーカスはそれを「写実の危機」といっている。ゲームとしての歴史は相対的なものなのだ…






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by yomodalite | 2015-07-29 16:02 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(2)

世界陰謀全史/海野弘

先日、「陰謀論」をテーマにした本を何冊か読んだ。といった本のなかの一冊。

タイトルは陰謀全史ですが、世界におこった陰謀の歴史ではなく、陰謀論の主役になった集団を年代別に紹介してある。といった内容。

著者は、「陰謀論がなくならないのは、現代世界に霧がかかり、はっきり見えなくなっているからではないだろうか、私たちはそれをはっきり見たいと思い、そのための眼鏡を必要とする。その眼鏡のひとつが陰謀論なのである」とし、

「世界は謎である。世界は秘密と陰謀に満ちている。そのような世界を解読したい、はっきり見たいと思う時、陰謀論という〈アプリ〉が必要となる」と。

マーク・ブース(『世界の秘密史ー秘密結社に操られる』)は、小説はエゴイストに関するものだといっている。つまり個人としての視点から世界を眺めるのである。個人が世界を彼自身の視点から眺め、解釈すること、逆に言えば、世界を解釈しようとする個人がたくさん、すなわち大衆としてあらわれたことと、陰謀論の一般化とは関連している。一般の人が個人として、世界に対してそれぞれ意見を申し立てることができるようになったことが陰謀論の流行とつながっている。すなわち、権力、体制側の解釈としての「大説」に対する個人の抵抗としての「小説」なのである。

世界は複雑化し、部分化していくが、細部へのこだわりは全体を失わせ、世界はバラバラに見えてくる。そのばらばらの部分をつないだ統一的な理論が求められ、陰謀論は呼び出される。

陰謀論者は、さまざまな陰謀説を自在に呼び出すことができ、自在に組み合わせて自説をつくりだすことができる。第一の法則は、陰謀説は、あくまで、今、ここ、にかかわっていることを示し、その説が起源が何万年前のものであろうと、その血脈は受け継がれ、今、ここに生き続け、今なお有効であると考えられるのである。

どんなに古いものでも、すべてを今のこととして考える。今をどう説明するかが重要なのである。それが、「すべてのものは、今につながっている」という法則になる。

というのが、プロローグの要約で、

ここから、隠謀全史の本編となるのですが、それらはウィキペディアの文章にも似て、陰謀論がもつ「解読」の魅力には乏しく、またそれらの真実を覆そうという意図もなく、

21世紀の『秘密結社の手帳(澁澤龍彦)』のような、
夏の読書にふさわしい暑苦しさのない「陰謀論本」だと思いました。

個人的には、第2章の「W・B・イエイツのケルト薄明」、第3章の「ユング・カルト」に興味があったのですが、本書は、まずは妄想全史を俯瞰的にながめてみる。ための「アプリ」のようです。

《第一章》陰謀マトリックスの三つの軸
――フリーメイソン、テンプル騎士団、薔薇十字団
●陰謀論の三つの神話
●フリーメイソン――秘密結社の原型
●テンプル騎士団――秘密の戦士たち
●薔薇十字団――魔術と革命

《第二章》十九世紀末――オカルト・ルネサンス
●現代陰謀論の開幕――フリーメイソンとフランス革命
●十九世紀の心霊主義――フォックス姉妹、ブラヴァツキー夫人の神智学
●フランスの魔術ルネサンス
●黄金の夜明け団
●W・B・イエイツのケルト薄明
●アレイスター・クロウリー 大いなる野獣

《第三章》アーリア神話 大陰謀
――1900年から第二次世界大戦まで
●オカルティズムと戦争――世界征服の陰謀<ナチズム>
●ユング・カルト――陰謀史のユング
・フロイトとの訣別とユングフラウ
・大戦とユング
・ロックフェラーと<心理学クラブ>
・オットー・グロス
・古代異教カルト、そしてアメリカへ

《第四章》アメリカ大陰謀時代――第二次世界大戦以降
●コンスピラシー・アメリカン
●カリフォルニア・コネクション
●アシッド・ドリーム
●カルト戦争

エピローグ
・二十一世紀の陰謀論





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by yomodalite | 2015-07-28 14:00 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

Summer Greetings

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暑中お見舞い申し上げます。

ラッコみたいに、
なんでも、
冷たい水のなかで出来たらいいのになぁ・・









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(大阪「海遊館」のラッコ)





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by yomodalite | 2015-07-27 07:00 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)

美しき「愛従姉妹」たち(其の三)

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DOLL編は、今回で最後。。。


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by yomodalite | 2015-07-26 15:00 | 芸術・文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(7)

美しき「愛従姉妹」たち(其の二)

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美しき「愛従姉妹」たち、DOLL編... まだ続きます


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by yomodalite | 2015-07-26 06:00 | 芸術・文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

美しき「愛従姉妹」たち(其の一)

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そんなわけで、、


「愛従姉妹」ビジュアル編!



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by yomodalite | 2015-07-24 06:00 | 芸術・文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

大阪レトロ建築探訪「大丸心斎橋店」(2015.7.11)

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つい最近もその美しさに見惚れて撮影したところだったのに、「完成から80年以上たつ大丸心斎橋店の本館が年内に営業をやめ、建て替えられることに」というニュースを数日前に聞いてがっくり。

大阪には、ヴォーリズ設計の素敵な建物がまだ多く見られるけど、こちらは外観以上に内装が素敵で、、この良さをできるだけ残して欲しいものです。

そんな願いを込めて!(今月撮影した写真全15枚)


☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2015-07-23 06:00 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)

和訳 WISE little GIRL『Dancing the Dream』[35]

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マイケル・ジャクソンが1992年に出版した『Dancing the Dream』から
「WISE little GIRL」の和訳です。

気になる点や間違いは、

いつでも遠慮なくご指摘ください。



WISE little GIRL
賢い少女

I know a wise little girl who cannot walk. She is confined to a wheelchair, and she may spend the rest of her life there, since her doctors hold out almost no hope of ever making her paralyzed legs better.

僕は歩けないけど賢い少女を知っている。彼女は車椅子でも生活に縛られ、医者は彼女の麻痺した足が良くなる見込みはなく、車椅子で残りの人生を過ごすことになるだろうという。

When I first met this little girl, she flashed me a smile that burned me with its blazing happiness. How open she was! She wasn't hiding out from self-pity, or asking for approval or protecting herself from a sense of shame. She felt completely innocent about not being able to walk, like a puppy that has no idea if it is a mongrel or champion of the breed.

初めて会ったとき、彼女は輝くような笑顔で僕を見て、まばゆいほどの喜びでいっぱいだった。彼女はとても素直だったんだ!自己憐憫に陥ったり、引きこもったり、誰かに認められようとか、羞恥心から自分をかばおうとするようなことがなくて、彼女は歩けないことに関して、まったく無邪気に受けとめていた。まるで、子犬が自分が雑種なのか、コンテストのチャンピオン犬なのか知らないように。

She made no judgments about herself. That was her wisdom.

彼女は自分自身に成績をつけるようなことはしなかった。それは彼女の知恵だった。

I have seen the same wise look in other children, "poor" children as the society sees them, because they lack food, money, secure homes, or healthy bodies. By the time they reach a certain age, many of these children grasp just how bad their situation is. The way adults look at their lives robs them of that first innocent that is so precious and rare. They begin to believe that they should feel bad about themselves; that is "right”.

僕は彼女以外にも、同じ知恵をもった子供たちに会ったことがある。食べるものが不足し、お金や、安全な家もなく、健康な体にも恵まれていない、社会から「かわいそう」だと思われている子供たちだ。彼らの多くはある年齢に達すると、自分たちの状況について把握するようになる。大人たちが、彼らを見る目が、子供たちの希少な感覚や、無邪気さを奪ってしまい、子供たちは、自分を卑下することが「正しい」のだと思い始めるのだ。

But this wise little girl, being only four, floated above pity and shame like a carefree sparrow. She took my heart in her hands and made it as light as a cotton puff, so that it was impossible for me to even begin to think, "What a terrible thing." All I saw was light and love. In their innocence, very young children know themselves to be light and love. If we will allow them, they can teach us to see ourselves the same way.

でも、この賢い少女は、たった4歳で、のんきなスズメのように、哀れみや、恥ずかしさを乗り越えて、まるで綿毛をひと吹きするように、僕の心を軽くしてくれたので、僕は「なんて大変なことなんだ」などと思うことはなく、僕が見た彼女は、いつも明るくて、かわいらしかった。幼い子供たちは、自分で、明るくかわいらしくなれることを知っている。僕たちも子供たちを見習えば、彼らと同じような自分に出会うことができるんだ。

One spark from a little girl's gaze contains the same knowledge that Nature implants at the heart of every life-form. It is life's silent secret, not to be put into words. It just knows. It knows peace and how not to hurt. It knows that even the least breath is a gesture of gratitude to the Creator. It smiles to be alive, waiting patiently for ages of ignorance and sorrow to pass away like a mirage.

少女がじっと見つめる瞳の中には、すべての生態系の心に、自然に埋め込まれているのと同じ知恵がきらめいていた。それは言葉にあらわすことのできない、人生の無言の秘密、それはただ、平和を知り、傷つかない術や、ほんのわずかな息づかいにさえ、創造主への感謝を感じ、微笑みとともに生きて、無知と哀しみの時代が蜃気楼のように過ぎ去るのを、辛抱強く待つということ。

I see this knowledge showing itself in the eyes of children more and more, which makes me think that their innocence is growing stronger. They are going to disarm us adults, and that will be enough to disarm the world. They feel no reason to spoil the environment, and so the environment will be cleaned up without a quarrel. A wise little girl told me the future when she looked at me, so full of peace and contentment. I rejoice in trusting her above all the experts. As light and love drive away our guilt and shame, her prophecy come true.

僕は、この知識が、子供たちの瞳に表れているのを見ると、彼らの無垢な力がより成長しているのだと思う。子供たちは、僕たち大人から武器を捨てさせ、世界の武装をも解除させるようになる。子供たちは環境が損なわれることに理由を見出さず、それは、争われることもなく浄化されていくだろう。賢い少女は、僕に会ったとき、平和とそれが満たされた未来についての話をしてくれた。僕はどんな専門家よりも、彼女を信じられることがうれしい。光と愛が、僕たちの罪と恥を追い払うとき、彼女の予言は実現するだろう。

(訳:yomodalite)



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by yomodalite | 2015-07-22 12:00 | Dancing the Dream | Trackback | Comments(0)

陰謀論にダマされるな!/竹下節子

最近、タイトルに「陰謀論」が入った本を何冊か読みました。そのきっかけは、『無神論』『ユダ ー 封印された負の符号の心性史』の竹下節子氏の著作ラインナップにこのキーワードを見つけたからで、氏が「陰謀論」をどのように扱われたかに興味があったんですね。


本書は2010年の出版なので、出版界での「陰謀論本」ブームも、まだ勢いがあった頃ではなかったかと思いますが、2015年の今、出版界のブームは去っていても、取材や裏取りを一切行わないネットニュースでは、人を惹きつける楽な手法として、いまだにフリーメーソンやイルミナティなどの古典的なネタが使われていますし、あらゆる情報を陰謀論的な「プロット」にあてはめることに夢中になる個人ブロガーは、今もあとを絶たない。


マネしやすいものは、ネットではより増幅するからですね。


竹下氏は、フランス在住で、東京大学大学院比較文学比較文化修士課程修了。同博士課程、パリ大学比較文学博士課程を経て、高等研究所でカトリック史、エゾテリズム史を修めておられる方。これまでに読んだ2冊の本も学者らしい内容で、精読するにはしんどい内容でしたが、そのなかで、私が理解できた数少ないことのひとつは、ヨーロッパの無神論はアンチ・カトリックから生まれている。ということ。


つまり、ヨーロッパでは宗教=権威で、そこから自由になることが「革命」であり、同時に、様々な「啓明思想」や、聖書を読み変える「神秘思想」も流行した。欧州では、民衆の思いと無神論が一体化していて、知識人以外の無神論の歴史がすごく長いわけです。


ところが、アメリカは、プロテスタンティズムによって創られた国ですから、人々が神の国の理想を追い求め、宗教自体が改革をし続けるため、無数の宗派が生まれることになった。そして、それらの宗派を信じる誰もが、なぜ理想の国へとたどり着けないのかという疑問をもち、その謎を解明したいと思う民衆の要求が、フリーメーソンなどの「啓明思想」や、古い魔術や「神秘思想」などを現代に蘇らせることに繋がった。


と、ここまでは、前書2冊を読んでいるときに思ったことなんですが、


下記は、本書の「プロローグ」から(省略して引用しています)、


陰謀論や終末論は逆説的な現象である。「謀略者」は時として、普通人の理解を拒む少数の強力なグループであったり、実在の巨大権力であったりする。陰謀を「暴く人々」も、少数エリートのグループとして「陰謀の真相」を守りながら、ヒーローのように戦ったり、逆に自分達だけの危機回避を図ったりするし、できるだけ多くの人と連携して「真相」を分け合う一種の布教活動に熱心であったりする。


私たちは自分がいつか死ぬことを「知っている」けれども死がいつどのようにやってくるのか分からない。その実存的な不安は、昔は宗教や民族や家族の大きな物語に組み込まれていた。けれども、今や分断され「自己実現」や「自立」を期待される個人の人生プランの中で、死は想定されていない。「私の死」が、「世界の終わり」に投影されているのだろうか。終末予言とは、自死のメガ・ヴァージョンなのかもしれない。


終末論において、死が生から切り離されて忌むべき「悪」のレッテルを貼られたように、陰謀論においては、無数の謀略や謀議に、常に過大で邪悪な意図が付与されている。


小さな子供たちの顔が輝くならば、それは「善」なのである。反対に、それがたとえジョークや悪ふざけであろうとゲームであろうと、小さな子供たちの顔を曇らせるような陰謀論や「神話」は「悪」なのであり、私たちはそれに加担するべきでない。


陰謀論の多くは、まるでそれ自体が陰謀であるかのように、そっと耳でささやかれ、世界の終わりが、「あなたの終わり」のようにささやかれるのに震えたり、陰謀論という仮想世界の見かけの整合性に感動したり、「謀略者」の悪意に共振したりする。


「陰謀」という名の悪が外にあれば、私たちは相対的に自分を犠牲者として憐れむこともできるし、見えない世界の論理で、見える世界を説明する手際によって世界を理解したい気分になれるかもしれない。けれども、そんな「安心」を得ることで満足していてもいいのだろうか。


(引用終了)



私がここまでマイケルについて書いている理由の中には、そういった思考方法に流されたくないという思いが強くあったのですが、それとは逆に、自分が書いたものが、彼らへの養分になっている例を発見して、何度もブログをやめようと思ったり。。


「謎をとく」とか、「解明したい」というきもちは共感できますが、自分が発見したい内容を無理やり「隠されたメッセージ」だと言ってみたり、結論ありきで、情報をパズルのように組み立てて「謎が解けた」と思えるだなんて、私には、自分に酔っているか、本末転倒としか思えないのですが。。。



本書の「あとがき」より(省略して引用しています)


「陰謀論にダマされるな!」というのは、出来合いの答えに騙されるなということでもあるし、逃亡や攻撃に惹かれる自分自身の心に騙されるなということでもある。この本はその呼びかけの一つだ。現代の終末論や陰謀論のルーツがヨーロッパやアメリカにあることを明らかにしたが、それを肥大させてきたのは、日本を含むグローバルな現代社会に共通したエゴイズムだ。


私たちはみな、少しづつ加害者であるし、被害者でもある。でも、だからこそ、同じ「よりよい世界」を描くこともできると、信じたい。


(引用終了)



正直にいうと、本書で、個々の陰謀論に反証を試みている内容は、力のある論理だとは思いませんでした。様々な陰謀論への本当に有効な反証というのは、ほとんどの場合不可能なものですから。


でも、著者が「ダマされるな!」という姿勢には、なにかにつけて「隠されたメッセージ」を発見してしまう人とは比較にならないぐらい、真実への真摯な姿勢を感じました。


陰謀というか、共同謀議は、いつの時代の、どのグループにもあるもので、それを陰謀論という「筋」にすることで「真実」から遠ざかるということに、陰謀論者は、あまりに無自覚で、


自分の正義だけを信じ、人々から信じる力を奪っていることにまったく気づいていない。


今を読み解くためや、なにかわからないことを解明するために、科学のふりをした精神分析を用いたり、さまざまな過去のピースを集め、パズルのように組み立てるという思考方法は、日々書くネタを探してしまうブロガーには便利な方法です。


筋(プロット)があると、読者は「次はどうなるのだろう?」と思うことができる。とマイケルも言っていましたが(→2007年「EBONY」インタビュー)、「陰謀」や「隠されたメッセージ」という筋は、バラバラのピースをまとめるのに、もってこいなんですね。


その手法に目新しさはないのですが、書き手は、ミステリ小説の結末のように、謎が解明できたという快感で書かずにはいられないのでしょう。


本当にダマされてはいけないのは「陰謀論」ではなくて、「自分」になんですよね。


そう考えると、「自分」にダマされやすい人とは、


誰かを「バカ」や「悪」と断定しやすい人なのかもしれません。



◎[Amazon]陰謀論にダマされるな!





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by yomodalite | 2015-07-21 15:27 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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