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21世紀の自由論: 「優しいリアリズム」の時代へ (佐々木俊尚)

佐々木俊尚



21世紀の自由論 「優しいリアリズム」の時代へ (NHK出版新書)

佐々木 俊尚/NHK出版



元々政治に疎く、ずっと長いこと政治に期待を感じられずにきた私だが、昨今の政治状況が一段と行き詰っていて、来るところまで来ていることくらいはわかる。最近では選挙があるたびに、投票したくなる候補とてなく、脱力感にさいなまされる。ただ、どうやら私一人感覚が歪んでいるということでもないようだ。誰に聞いても、判で押したように同じような感想が返ってくる。ここ数年は、疎いとばかりも言っていられないため、自分なりに日本だけではなく、国際政治についても多少は勉強してみたつもりだが、知れば知るほど混乱の極みにあることがわかってくる。自分なりの政治思想というか、政治スタンスを確立しようと試みるのだが、確立どころか、一層深い霧の中に迷い込んで行く気がする。(←http://d.hatena.ne.jp/ta26/20150623)

というのは、今の世の中でもっとも多くの人が感じている感覚ではないかと思う。

本書では、現代日本の「リベラル」と「保守」の両方について、海外のそれとの違いとか、それぞれが陥っているジレンマや矛盾について、左右どちらにも寄与しない的確な分析がなされていて、それは、逆に言えば、左右どちらかの人にとっては不満な内容であり、サイレントマジョリティにとっては、どちらも「あるある」と言いたくなってしまう内容でもある。

リベラルの問題点については、

日本人は在日などアジアの人民を抑圧する側に立っている。だとすれば日本を批判する権利があるのは、そういう弱者たちだけだ。だから、豊かな時代の日本人は弱者の視点からみて、弱者の視点で日本を批判すればよかった。

佐々木氏はこれを「マイノリティ憑依」と名付け、様々なマイノリティや被害者に乗り移り、勝手に代弁することで、日本社会を容易に非難できる立場を確保することが、1970年代以降、学生運動からさまざまな市民運動やマスメディアに拡散した「日本のリベラル」の中心的な考え方だという。

この見方は、成長し、安定している社会にはそれなりの妥当性があった。しかし、外側である弱者は幻想の存在だから清浄にみえ、内側の社会はリアルな人間社会であるから、つねに汚れているように誤解してしまう。リベラル支持者は「ゼロリスク」思考に陥りやすく、リスクをどう減らすかという「リスクマネジメント」ができないという。


保守の問題点については、

日本の保守は、総じて「歴史や伝統を重んじ、個人の自由よりも国益を大切にしよう」という考えが主流を占めている。しかし、彼らが求める伝統や歴史というものが、あまり根拠がなく、近年になってから映画や小説、ドラマなどで刷り込まれただけのもので、「日本民族の伝統に則した愛国心」などといっても、江戸時代までは、知識人を別にすれば、ほとんどの日本人は郷土や藩への帰属意識しかなかった。

愛国心には、ステイティズム、ナショナリズム、パトリオティズムの3種類があって、

・ステイティズムは政府の力を強くする「国家統制主義」
・ナショナリズムは、国民が一つになって団結する(一般的に言われる愛国心に近い)
・パトリオティズムは、郷土とそこに住む人々への愛着心、郷土愛。

ステイティズムも、ナショナリズムも、近代になってから生まれたもので、本来あったのはパトリオティズムで、郷土愛をまとめる形でナショナリズムが成立したという。

しかし、他国との対立によってひとつにまとまるというのは、グローバリゼーションが拡大する世界では有効ではなく、美しい日本の風土や素晴らしい生活スタイルを想起することを、心のよりどころにしても、どこも同じようなショッピングモールとファミレスが立ち並び、村落の共同体が崩壊しつつある日本のどこに、そのような「郷土」があるのか。よりかかる「郷土愛」がなくなったからこそ、「日本」に帰属したいという人が増えたのではないか。

さらに大きなジレンマは「親米保守」。

戦前のオールド・リベラリストたちは軍部を憎み、彼らが留学しその文化に馴染んでいた米国や英国の自由な気風を愛した。それは、共産主義革命を防いで、資本主義体制を維持しながら、経済成長するには都合が良かったものの、アメリカが追い求める理念と、日本の保守が考える方向は激しく対立するようになった。。。


『崩れゆく世界 生き延びる知恵』の中で、「右(保守)か左(リベラル)か、ではなくて、右でもありかつ左でもある」ことが素晴らしいと副島隆彦氏に称されていた佐藤優氏は、安部政権の幹部たちはコンビニの前でウンコ座りしている連中と同じだといい、近著では「反知性主義」というワードを頻繁に駆使しておられましたが、

佐々木氏は「ネトウヨ」などと呼ばれる現代の保守を「反知性主義」というワードでは説明しない。

たしかに、アベノミクスをはじめとして、安部首相がさまざまな政策を自信をもって踏み切っているのは、基礎教養が低いせいで、悩みが少ないから。というのは説得力がある。でも、そのような政権が誕生したのは、基礎教養が足りない人々のせいではなく、

右でも左でも真ん中でも、リアリズムでも、地政学でも、あらゆる理論を駆使して、リスクマネジメントしようとしても、

本書で「リベラル」の代表として名前が挙げられている内田樹氏がいうように「アメリカの国益を最優先的に配慮できる人間しか日本の統治システムの管理運営にかかわれない」からでしょう。それは、副島隆彦氏が政治評論を始められた当初から認識されていたことだと思う。

経済学者の水野和夫氏は『資本主義の終焉と歴史の危機』で、定額金利が0.2〜3という社会は、マイナス成長社会であり、そういった社会の中で、成長の誘惑を断って、借金を均衡させ、さらに人口問題、エネルギー問題、格差社会など、さまざまな問題に対処していくには、旧態依然の金融緩和や積極財政に比べて、高度な構想力を必要とする。


現在、日本のリベラルの知性が鈍化しているように見える最大の原因は、現在の戦争への危機が、経済問題であるにも関わらず、今でも、というか、今こそ「戦争反対」という意思を表明することが何よりも大事だと思っていることではないでしょうか。

「朝日新聞」に代表される日本のリベラルは、戦前の軍部を「権威」の象徴とし、常にその幻の権力への恐れを煽って批判してきた。「戦争をしない」というのは、戦後の日本で、もっとも強く国民全体で教育(洗脳)されてきたことで、そこには、すでに高度な知性や理屈を必要とすることなど何もない。知性が必要なのは、戦争を避けることや、戦争に勝ったり、負けないことであって、「戦争反対」に理屈はいらない。

だから、中流が下に追いやられるほど経済が疲弊した日本では、「反権力というポーズ」だけの学者や知識人は、ただの既得権益者でしかなく、実体として、日本のリベラルは「保守派」となり、彼らへの嫌悪感から、本来は、伝統を重んじ、変化を好まない「保守派」が、日本の伝統を壊そうとするグローバリズムの推進者たちを応援するという逆転現象が起きている。

数日前におきた、百田尚樹という大阪出身の作家の発言も、政権与党の勉強会という場所を考えると、安部内閣に蔓延っている反知性主義と権力の横暴のように聞こえますが、数年前に東京から、大阪に住むようになってわかったのですが、あれは「反権力」「アンチ東京」としての発言であって、大阪ではあれぐらいのことが言えないようでは「一人前のオヤジ」として認められない(笑)。というのも、大阪では「市役所の役人」ぐらいが権力なので、東京のように、役人には勝てないという意識もなければ、警察が国家の犬だったり、税務署や銀行がヤクザよりも恐ろしいなんてこともないので(笑)、東京とちがってオヤジが元気なんですよね(百田氏のことを応援してるわけではないので勘違いしないでね)。

また、「大阪都構想」の住民投票のときに言われた世代間の格差なんていうのも、東京目線による論評で、大阪には東京にあるような世代間闘争などというものはない。おそらく名古屋にもないでしょう。どちらも急激な変化を望まない安定した都市ですから。

でも、変化を求めて地元を去った若者が多い東京では、10年ごとに、他国の要望によって変わらざるを得ないにも関わらず、それを自分たちの意思のように感じて変化しなくてはならないと思わされるという事情があり、そのため、常に前の世代は邪魔でしかなく、彼らの経験知を生かすことができない社会になっている。それは現在の保守派がいびつになっている理由にも大いに関係があると思う。

他国を悪と呼び、正義を掲げて強いアメリカを意識させ、サブプライムローンを認めたブッシュJrと同じぐらいの知性をもつ二世議員の安部氏が選ばれて、アベノミクスを実行し、戦争ができる国にしようとしていることには共通点があるけど、それを選んだのは「保守派」ではないし、日本の大多数の声でもない。

と、ここまでは、主に「第1章」の内容についての感想です。

次の第2章では「ヨーロッパの普遍性」の終了について、最終章の「第3章 移行期をどう生きるか」で、タイトルにもある「優しいリアリズム」が登場するのですが、それは、ここまでの歯切れのいい分析とは異なり、マジョリティがこれを求めることが可能なのかという疑問が増幅し、スッキリしない読後感があったのですが、ただ、ネットワークの共同体の可能性については、ほんのわずかではあるものの、感じる点がありました。

いちばん納得したのは「ネットによって拡張されている新しいメディア空間について」のこんな文章。。

波紋に参加する限り、波紋の外側には誰も出られない。言い換えれば、誰も絶対的な第三者にはなれない。それが従来の新聞やテレビとは異なる、この新しいメディア空間の不思議な性質である。外側に出られるのは、参加しない人たちだ。波紋が起きた環の外側には、発言しないサイレントマジョリティが包囲し、波紋を広がる様子を楽しんで消費しているかもしれない。しかし、彼らも、波紋について言及したとたんに波紋の環の中に投げ込まれ、参加させられてしまう。

(実際に本書を読んで、この前後を是非お読みくださいね。これは、本全体の極一部でしかないですから)

ともかく、

私は、この本により政治関連本への興味が尽きた気がして、

今後は、しばらく読んでいなかった日本の小説などを読もうかなぁと思いました。

グローバリズムで日本のことを考えても、、というわけではなく、

If you wanna make the world a better place(世界をより良い場所にしたいなら、自分自身を振り返って自分を変えろ。「Man In the Mirror」より)

そして、

Make a little space, Make a better place.(小さなスペースを見つけて、より良い場所にする。『Heal The World」より)を、ますます意識するようになったというだけのことですが・・・




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by yomodalite | 2015-06-30 06:00 | 政治・外交 | Trackback | Comments(4)

マリファナも銃もバカもOKの国 言霊USA2015

町山 智浩/文藝春秋



記録しておきたいと思う良本が溜まる一方なんですが、町山氏の米国カルチャー本は、かの国の歴史をふりかえるときの資料としても欠かせないので、個人的に興味がある部分のみ、ちょっぴりメモ。。

色々と驚いたことの中で、もっとも気軽なきもちでいられたのは、あの「イート・イット」のアル・ヤンコビックが2014年にビルボードで1位になってたことかなw

◎まえがき

「ガンズ&ウィーズ(銃と大麻)自由への道」というドキュメンタリー。

プロ・ガン(銃所持の権利擁護派)は、プロ・ライフ(人工中絶反対派)と共に、保守的で、右翼的で、キリスト教への信仰心が強く、南部や中西部の田舎、共和党支持者が多い「赤い州」に住み、白人のブルーカラーが多い。同性愛者同士の結婚に反対し、進化論を学校で教えることに反対するキリスト教保守と重なる。イメージとしては拳銃をぶらさげたカウボーイ。

マリファナ擁護派は逆で、平和主義でリベラル。同性婚や人工中絶には寛容。東部や西海岸の都会、民主党支持者が多い「青い州」に住む。マイノリティやゲイ、インテリが多い。イメージとしてはピースフルなヒッピー。
この左右の対立は激化している。。。

◎12 O’clock (バイクをウィリーさせて、ほとんど垂直に立たせたまま走ること)

12 O’clock Boysとはモトクロス暴走族のこと。人工に対する殺人率で、シカゴ、デトロイトに次ぐ第3位の危険地帯メリーランド州ボルチモアで問題化している。作家ポーが亡くなった場所で、現在は立派な墓も立てられている。そこから歩いて20分ぐらいの場所が「ウエスト・ボルチモア」というギャング抗争の激しい場所で、2000年代の傑作TVドラマで、オバマ大統領も大好きな『ザ・ワイアー』(彼はオマール・リトルのファン)の舞台だった。

◎Groundhog Day(春の到来を意味する欧米の「啓蟄」のこと)

ゴーストバスターズの主演俳優、ハロルド・ライスミスが監督した映画『Groundhog Day(邦題:恋はデジャブ、ビル・マーレイ主演)』。ラブコメでありながら、カフカ的な不条理ドラマ。ニーチェの永劫回帰にヒントを得て、未来のために現在があるのではなく、今日のために今を生きる。というテーマ。カミュの『シーシュポスの神話』。。。

◎Act of Killing(殺人の演技、殺人という行為)

『アクト・オブ・キリング』は、1965年9月30日から1〜2年の間にインドネシアで100万人が虐殺された出来事を、半世紀後の今、虐殺者自身が演じてみせるドキュメンタリー。当時の大統領スカルノは、宗主国オランダと戦って独立を勝ち取った建国の父だったが、50年代の冷戦下で、米国に追従しない独自路線を取り始め、中国とつながるインドネシア共産党の指示を得るようになった。スカルノが貧しい農民から人気のある共産党を味方につけたのは、大統領と拮抗する勢力である軍部と対抗するためだったが、9・30事件が起こり、スハルトは、スカルノを軟禁して実験を握る。

監督は、虐殺された遺族とは接触できなかったものの、虐殺の実行者たちは、得意気にその経験を語り、虐殺に積極的に加担したインドネシアの新聞経営者は「敵に対する憎しみを煽るのがマスコミの役目だ」と誇らしげに語った。

◎Washington Redskins original Americans Foundation(ワシントン・レッドスキンズ・アメリカ先住民基金)

アメフトのチーム名レッドスキンズは、そのチーム名がずっと問題視されてきた。レッドスキンズとは、インディアンの差別的蔑称だから。改名を拒否してきたオーナーは、抗議運動を交わす目的で「ワシントン・レッドスキンズ・アメリカ先住民基金」を作り、またもや世間は首をかしげた。コメディアンで、「コルベア・レポート」のキャスター、スティーブン・コルベアの対応は、、、

◎Normcore(ノームコア=ノーマル+ハードコア。過激に普通。ファッションの最新トレンド)

オレゴン州ポートランドについて、映画『ベルベット・ゴールドマイン』や『エデンより彼方に』の監督ヘインズは、「僕みたいにニューヨークやハリウッドから引っ越してきたアーティストや作家は多いよ、チャク・パラニュークとか、ガス・バン・サントとか、、」と言う。ポートランドはゲイだけでなく、ヒップスターと呼ばれるアートや音楽が大好きで資本主義と暴力を嫌い、エコロジーやフェミニズムに関心の強い自由人が集まる街。

2011年に始まった『ポートランディア』というコント番組はヒップスターが主役。「あの街には90年代の夢がなだ残っているんだ。覚えているかい?地球を救う歌を歌っていた時代を、ブッシュ政権なんかなくて、かわいい女の子はみんなメガネっ子。。」

彼らは、レストランで野菜の産地や、飼育方法を聞き、ゴミ箱に大量廃棄されている食物に抗議し。。。

◎Backfire Effect(バックファイア〈逆発〉効果/自分が信じるものを否定する証拠を突きつけられると、それを拒絶し、さらに信じるようになる心理)

税金で嫌でイギリスから独立したアメリカでは、国に何か取られるのも国からもらうのも嫌われる。国民健康保険をはじめあらゆるものが「共産主義的」と罵倒される。水道水のフッ素陰謀論、ワクチン陰謀論、今盛り上がっている陰謀論は「アジェンダ21」国連がエコロジーの名のもとに世界国家をつくるための共産党宣言だと騒がれ始めた。

◎Meninism(メニニズム、アンチ・フェミニズム運動)

◎Orange Is The New Black(オレンジ色は新しい黒)

『Orange Is The New Black』は、ネット映像配信サイトがはじめたオリジナル・ドラマ。オレンジは囚人服の色で、黒はファッションの基本という意味で、女子刑務所を舞台にした実録コメディ。レズビアンシーンが多く性転換者をリアルに描いている。

◎China is like Hollywood in the 1920s(中国はまるで1920年代のハリウッドだ。元コロンビア映画会長)

2014年、コメディ映画が消えた。アメリカ人が笑いを求めなくなったのではなく、中国が原因。中国ではシネコンが次々に建設され、スクリーン数で米国を抜いて世界一になるのは確実で、ハリウッドのSFX満載のアクション大作に人気が集中している。コメディは、風刺やゴシップ、時事ネタがわからないと笑えないからウケない。

◎Word Crimes(言葉の犯罪)

あの『今夜はイート・イット』のアル・ヤンコビックのアルバムが2014年の7月、ビルボードNo.1に輝いた!一曲目はHappyの替え歌『Tacky(ダサい)』♪俺は靴下はいてサンダル履く、だってダサいから。デートの勘定でクーポンを出す、だってダサいから、葬式でツイートして、死人とツーショットで写メする、だってダサいから…




ロビン・シックのメガヒット「ブラードライン」の替え歌で『Word Crimes』

間違った英語を使うと「言葉の犯罪だ!」と小うるさい奴の怒りを代弁する「Itの所有格で It'sとアポストロフィをつけるな。それは It is の略だろ」Literally(文字通り)をただの強調につかう奴にもご立腹。「LITERALLY couldn't get out of bed(文字通りベッドから出られなかった)」なんて言う奴の顔を文字通りバールでこじ開けてやりたいよ。バールのようなものじゃなく(笑)。




『ミッション・ステイトメント(企業の経営理念)』の歌詞は、

「常に効率良く企業戦術を機能化させねばなりません。国際規模のテクノロジーに投資し、核となる人材能力にレヴァレッジをかけるのです。並外れたシナジーを全体的に管理するために」歌っているアルも意味がわからないらしく、馬鹿げたダブルスピークやバズワードを歌にしたらしい。




『ファースト・ワールド・プロブレムス』は

「メイドが風呂を掃除しているからシャワーが使えない。満腹でティラミスが入らない。食料品を買いすぎて冷蔵庫に入らない。家が広すぎて無線LANが届かない。Amazonの送料を無料にするために欲しくないものを買わなきゃ。





◎Fappening(ファプニング=ハリウッド女優たちの女優自撮りヌード流出事件)

◎Narco Corrido(ナルコ・コリード=メキシコの麻薬カルテルを賛美する歌謡曲)

腕にはAK-47ライフル、
肩にはバズーカ背負って、
お前らの首を切り落とす
俺は殺しが大好きだぜ

こんな歌をナルコ・コリードと呼ぶ。コリードはスペイン語でバラード、ナルコは麻薬、残虐な現実とかけ離れた陽気な音楽

◎Fresh Off The Boat(船から降ろしたての活きのいい魚。アジア亭移民への蔑称)



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by yomodalite | 2015-06-27 20:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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こちらは、2009年に「EBONY」のサイトで公開になった、07年のインタビューテープの音声を訳したもので、雑誌に掲載された文章の元になっている話と、掲載されなかった内容が含まれています。

話した内容のすべてではありませんが、MJがノリノリでしゃべっていた感じがわかると思います。

現在のサイトには、この音声は遺されていないのでこの動画は youtube で見つけたものです。スクリプトには不十分な点があるとは思いますが、MJの声を楽しむときの参考にしてください。







(~1:00)

To really go to the root of it, I think you would have to start, I would say when I was – I think I was 8 years old and Sammy Davis Jr. introduced me to Quincy Jones, I’ll never forget it and I heard him say something like that and I just tucked it away subconsciously and never mentioned it – this is the first time I’ve mentioned it other than probably ― but I never thought about seeing Quincy again and so years later Motown was preparing to do this movie called “The Wiz” and it was with Diana Ross, myself, Nipsey Russell and Lena Horne. Barry Gordy recommended that I play the Scarecrow so I did. So we made this film and I enjoyed it and Quincy Jones happened to be the man that was doing the music. I had heard of Quincy before in Indiana as a child, my father use to buy Jazz albums and I knew him as a jazz musician.


元はといえばね、、そろそろ(インタビュー)始めるよ。僕が8歳の頃だったかな、サミー・デイヴィス・ジュニアが僕をクインシー・ジョーンズに紹介してくれたんだ。そのときのことは絶対忘れないね。クインシーがそんな感じこと(訳者注:おそらく褒め言葉)を言ってくれて、僕はその言葉を無意識に心にしまっていて、誰にも言わなかったから、話すのは、これがおそらく初めてじゃないかな。クインシーとまた会うことになるなんて全く思わなかったんだけど、それから何年もたって、モータウンが『The Wiz』という映画の制作に取りかかって、ダイアナ・ロスと、僕、ニプシー・ラッセル、レナ・ホーンが加わって、ベリー・ゴーディーが僕にカカシの役を勧めてくれたから出演したんだ。映画を作るのは楽しかったし、そこで音楽をやっていたのがクインシーだったというわけ。クインシーの名前は、インディアナにいた子供の頃すでに耳にしていた。父がよくジャズのアルバムを買ってたから、彼の事はジャズ・ミュージシャンとして知ってたんだ。


(1:01~2:11)

Rod Temperton came into the studio and he came up with this killer – he’s this little German guy from Worms Germany and this little white guy from Worms Germany comes in with this he comes with this … “doop, dakka dakka doop, dakka dakka dakka doop”, this whole melody and the chorus of “Rock with You” wow! So when I heard that I said, “OK I have to really work now.” So the first thing I presented was “Don’t Stop Til You Get Enough” and that’s what I wrote for … Umm I wrote, “Don’t Stop Til You Get Enough” and I think it was …Gee how many did I do? I think I did three or four on “Off the Wall”. I’ll think of them in a sec. So every time Rod would present something, I would present something and we’d form a kind of friendly competition but I love working like that because I used to read about how Walt Disney used to – if they were working on Bambi or any other animated show they would put a deer in the middle of the floor and make the animators kind of compete for different styles of drawing the deer so whoever had the most stylized affect that Walt liked he would pick that and they would kind of compete. It was like a friendly thing but it was a competition that breeds higher effort. So whenever Rod would bring something, I would bring something, then he would bring something and I would bring something else.


ロッド・テンパートンがスタジオに現れたとき、彼はあのスゴい曲を持ってきたんだ。彼はドイツのボルムス出身の華奢な男で、その、ボルムス出身の華奢な白人男性が持ってきたのが、あの「ドゥ、ダ、ダ、ドゥン、ダ、ダ、ダ、ドゥン」っという、メロディとコーラスも含めた『Rock With You』でさ、僕は「すごい!」って思って、それを聴くなり「僕も今からがんばらなきゃ」と言ったよ。それで、最初に持っていったのが『Don't Stop 'Til You Get Enough』で、どうやって創ったかって言うと…うーーん、とにかく『Don't Stop 'Til You Get Enough』を作曲して… 僕は、何曲書いたんだっけ。『Off The Wall』では、3曲か4曲ぐらい作曲したのかな。うん、そうだね。とにかくロッドが何か出してくると、僕も何か出して、フレンドリーだったけど、争っていたんだよね(大笑い)。そんな感じのやり方が好きなんだよ。ウォルト・ディズニーの仕事ぶりについての本をよく読んでいたんだけど、バンビとか、そういったアニメを作るとき、彼は部屋の真ん中に本物の鹿を連れてきて、アニメーターたちに様々なスタイルの絵を描かせて競わせたらしいんだ。誰が描いたものであろうと、ウォルトは気に入った絵を採用した。それはある種の競争で、友好的ではあるんだけど、やっぱり競争で、それがより良い成果をもたらすんだよね。そんな感じでロッドが何かを持ってきたら、僕も何かを持ってくる。すると彼もまた何かを持ってきて、また僕も何か違うものを持ってくる、ってそんな感じだったんだよね。


(2:12~2:54)

I always want to do music that influence and inspire people. Each generation. I mean let’s face it. Who wants mortality? Everyone wants immortality, wants what you create to live whether it be sculpture or painting, music or composition. Like Michelangelo said “I know the creator will go but his works survives. That is why to escape death I attempt to bind my soul to my work” and that’s how I feel. I give my all to my work because I want it to just live and give all I have, you know? Yeah, it has to be that way.


僕はいつも、みんなに刺激や影響を与える音楽をやりたいと思っている。すべての世代に向けてね。考えてみて。死んだら終わりだなんて誰が望む? 誰だって永遠を、つまり自分が創造したものが生き続けてくれることを願うよね。それが彫刻であれ絵画であれ音楽であれね。ミケランジェロも言ってるよね。「創作者は消え去っても、作品は生き続ける。だからこそ死から逃れるため、自分の魂を作品に結びつけようとするのだ」って。僕もそんなふうに感じている。作品に生き続けてほしいから、自分のすべてを仕事に捧げるんじゃない? うん、そうでなくっちゃね。


(2:55~3:19)

What I do is when I work I will do a raggedy rough version just to hear the chorus, see how much I like the chorus. If it works for me that way, when it’s raggedy then I know ― you really go in it. (rough demo version of Billie Jean begins to play) That’s at home – that’s Janet, Randy and me. Janet and I go “hoo, hoo”!(laughs)


僕が曲を創るときは、大雑把なヴァージョンで、コーラス部分だけやって、どれぐらい好きか聴いてみるんだ。大体の感じでやってもうまくいくときは、実際にも、うまく行くんだよね。(ビリー・ジーンのラフなデモバージョンがかかる)これ、家で創ったものなんだけど、ランディと、ジャネットと僕とで、“whoo,whoo, whoo, whoo….!(笑い声)


(3:20~4:17)

??? very important because we had umm...Quincy calls me a nickname. “Smelly” came from, Spielberg calls me that because especially, I say a couple of swear words now but especially then you couldn’t get me to swear. So I said that’s a “smelly” song I meant that’s so great you’re engrossed in it so he would call me “smelly”.


??? はすごく大事なんだ。僕たちにとって… クインシーは、僕のことをニックネームで呼んでた。「スメリー」っていうのは、スピルバーグが僕のことをそう呼んでて、なぜかっていうと、いまは僕も少しは悪い言葉使うけど、特にその頃の僕は絶対に下品な言葉を使うことはなくて、それで僕は「これは匂う曲だね」なんて、(臭いという意味のfunkyと同じように)「とても素晴らしい、夢中になる」っていう意味で言ってて、それでクインシーも「スメリー」って呼ぶようになったんだ。

Working with Quincy is just wonderful because he lets you experiment and do your thing and he’s genius enough to stay out of the way of the music and if there’s an element to be added he’ll add it. He hears these little things, like for instance in Billie Jean I came up with this piece of a bass lick and a melody and the whole composition I brought but then from listening he’ll add a nice riff.


クインシーと仕事するのは、素晴らしかったよ。僕なりのやりかたで、いろいろ試させてくれて、彼は天才で、音楽の邪魔になるようなことはしないけど、つけ加えるべき要素があれば、つけ加える。彼は些細な音も聞き逃さないんだ。たとえば、「ビリー・ジーン」で、僕はまずベースの部分、それからメロディー、それから曲全体を作っていったんだけど、それを聴いたあと、クインシーはあの素晴らしいリフを足したんだ。


(4:18~5:05)

Ever since I was a little kid I used to study composition and it was Tchaikovsky that influenced me the most I think and of course Debussy who I love very much but if you take an album like “The Nutcracker Suite” every song is a killer – every one, and I said to myself why can’t there be a pop album or an album where every – because people used to do albums where you would get one good song and the rest were like “b sides” they were called album songs and I would always say to myself why can’t every one be like a hit song? Why can’t every song be so great that people would want to buy it or you could release it as a single, you know every one could be a single? So I would always try to strive for that and that was my purpose for the next album that I'd do. That was the whole idea, I wanted us to be able to put just anyone out that we wanted to and I worked hard for it.


子どものころから、僕はずっと作曲の勉強をしていて、もっとも影響を受けたのは、チャイコフスキーだと思う。あと、大好きなドビュッシーも。でも、例えば『くるみ割り人形』のようなアルバムは、1曲1曲がすごくて、すべてが完璧だよね。それで僕は、「ポップスのアルバムでもこういうのできないかな」って思ったんだ。以前はみんな、ポップスのアルバムには良い曲を1曲だけいれて、あとは、シングルだとB面にくるような曲を入れていた。「アルバム・ソング」といわれるような曲をね。それで、僕は、なぜすべての曲をヒットソングにできないのかな?と思っていたんだ。全曲、シングルカットしても人々が買いたくなるような良い曲にできないのかな?ってね。だから、常にそれを実現しようと頑張った。次のアルバムでは、それが自分が出す次のアルバムの目的だって。そういう考えのもとに、アルバムに関わる誰もが、最大限の力を出せるようにしたかったし、僕はそのために必死だった。


(5:06~6:20)

But it broke my heart, but at the same time, it lit something that was just “Oh my God” I was like saying to myself, you know, I would have to do something where they – let's refuse to be ignored. I came up with “Thriller” and every time I was always trying to outdo myself right? Billie Jean – they said we won’t play it so Walter Yetnikoff who was President of Sony at the time said “OK we’re pulling Streisand, we’re pulling Neil Diamond, we're pulling Chicago and when they played it, it set the all time record and they were asking for everything we had.


それはつらいことだった。でも同時に僕の心にあることがひらめいたんだ。「そうだ、そうだよ」って。僕は自分に言った。やるなら、やっぱり・・・絶対に注目されなければって。僕が「スリラー」っていうタイトルを考えついたのは、いつでも過去の自分を上回ろうとしていたからってところが正解だろうね。ビリー・ジーンは、(MTVが)やらないと言ってたのを、当時ソニーの社長だったウォルター・イエトニコフが、「よし、それならストライザンドもニール・ダイアモンドもシカゴも引き上げる」って言ってさ、それで放送されたら、歴代最高の記録になって、今度は僕らのものなら全部やらせてって頼んでくるようになったんだ。

Interviewers : They said we’re pulling Streisand, pulling Chicago, pulling Neil Diamond?
インタビュアーたち:ストライザンドも、シカゴも、ニール・ダイアモンドも引き上げるって?(大ウケ)

That’s what Walter Yetnikoff said and after they played it they were knocking our door down and then Prince came, it opened the door for Prince and all the other black artists because it was 24 hour heavy metal and a potpourri of crazy images and they came to me so many times in the past and said “Michael if it wasn’t for you, there would be no MTV” they told me that over and over personally.

イエトニコフがそう言ったんだよ。で、放映の後は、みんなが僕たちのドアをたたくようになって、それで、プリンスも登場して、、ビリー・ジーンの成功は,プリンスや他の全ての黒人アーティストたちのための道をつくった。それまでは24時間ヘビーメタルとか流してて、クレイジーなイメージばっかりだったからね。彼らは、僕のところへ何度も来て、「マイケル、君がいなかったら、いまのMTVはなかったよ」って言ったものだよ。個人的に、繰り返しそう言ってたね。


(6:21~7:01)

I was at the studio editing Beat It, and in some kind of way I happened to be at Motown studio doing that and I had long left the company of Motown and I was there and Suzee Ikeda, who is a sweet, lovely Japanese lady who I adore. This is the lady who use to, when I was a little boy, a little boy, at Motown. She was ― her job was to keep my head in the microphone when I ― I had a little apple box with my name on it “Michael Jackson” and this little Japanese lady’s job was to keep my head in there, because I like to dance when I sing, so she kept my head in the microphone.


僕はスタジオで「Beat It」を編集していたんだけど、どういうわけか、モータウンのスタジオでそれをやっててさ、ずっと前に会社を辞めていたのにね。で、そこには僕の大好きなスージー・イケダ(*)という優しくて素敵な日系人の女性もいてね。この女性は僕が小さかった頃、小さな男の子としてモータウンにいた頃そこにいて… 彼女の仕事は、僕がちゃんとマイクの前にいるようにすることだった。「マイケル・ジャクソン」と書かれた小さなリンゴの木箱があって、この小柄な日系女性は、僕がその箱の上で歌って、マイクから離れないようにすることが仕事だったんだよ。僕は歌うと踊りたくなるからさ。彼女は僕がマイクから離れないように見ててくれたんだよね。


(7:02~8:14)

She happened to be at the studio and she asked me what I was working on and I said, “I was editing this thing I just did” it was Beat It and she watched it and she said… she was catatonic and she said, “Oh my God” and in some kind of way she told Berry Gordy and I think something happened. So they were happening to be getting ready to do something with the Motown Anniversary and Berry Gordy came over and he asked me “did I want to do the show” and I told him “no.” I told him “no” and I said no because the Thriller, umm the Thriller thing ― I was building and creating um something I was planning to do and he said to me “Well, it’s the anniversary.” I said, this is what I said to him, I said, “Okay, I will do it” I said but umm this is what I said in these very words, “I will do it, if you”,.. because I know it’s all Motown artists and it’s all Motown songs, I said, “you have to let me do”, I said, “the only way I’ll do it is if you let me do one song that is not a Motown song.” He said, “what is it?” I said, “Billie Jean.” He said, “Okay, fine.” I said, “You’ll let me do Billie Jean”? (laughs) he says “yes” and I said, “Okay, fine.”


たまたま彼女がスタジオにいたことがあって、何をやっているのと聞くから、編集を終えたところだよと答えて「Beat It」の映像を見せたら、あっけにとられた感じで「オー・マイ・ゴッド」と言ってたよ。彼女がそれをベリー・ゴーディに話したことが発端だったんだろうね。その頃モータウンは記念祭の準備をしてて、ベリー・ゴーディが、僕にショーをやらないかって(クスクス笑い)尋ねてきたんだけど、僕は断った。『スリラー』で様々な計画が始まって、それを実行してるところだったから。でも、彼が「だが、これは記念パーティなんだ」って言うから、僕は「じゃ、やるよ」と言ったんだ。でも、正確にはこう言った。「やってもいいよ。モータウン時代じゃない曲を1曲やらせてくれるならね」彼が「何をやるんだ?」って聞くから、「ビリージーン」だって答えると、彼は「わかった、きまりだ」って。僕は「本当に、ビリー・ジーンをやっていいの?」って聞き返したんだけどね(笑)、彼は「いいよ」って。それで、僕も「いいよ、きまりだね」って言ったんだ。


(8:15~8:59)

So I remember, we umm, I had two or three days or something and I rehearsed and choreographed and dressed my brothers. I choreographed them with Pete and picked the songs, the medley. Not only that you have to work out all the camera angles and oh, I direct and edit everything I do. Every shot you see is MY shot. I’m not joking, let me tell you why I have to do it that way. I have five, no I have six cameras um ― one, two, three ― because when you’re performing, I don’t care what kind of performance you give, if you don’t capture it properly, people will never see it and usually there ― it is the most selfish medium in the world.


たしか、僕は2~3日で、リハーサルをして、振付をし、兄弟たちの衣装を決めなきゃいけなかった。ピート(訳者註:マイケル・ピーターズのこと?)と兄弟たちの振り付けをして、メドレー用の曲を選んだ。それだけではなく、カメラアングルの調整もしなければならない。僕は監督から編集まで何でもする。みんなが目にするショットはすべて、僕の選んだショットなんだ。本当だって。どうしてそんな事までするかと言えば、僕は5台、いや6台のカメラを用意するんだけど、1カメ、2カメ、3カメ、、パフォーマンスは、それがどんな種類のパフォーマンスであっても、きちんと捉えておかないと、もう二度と観る事ができない。それは世界で一番、自分の思うように扱えるメディアでね。


(9:00~9:49)

Directing and camera work is so selfish because you’re filming what you want people to see, when you want them to see it, how you want them to see it, what juxtaposition you want them to see it, so you’re creating the totality of the whole feeling of what’s being presented in your angles and your shots. So I had to set the cameras, set the angles, edit it. Suzanne De Passe knows that I go and I edit every angle (laughs) because I know what I want to see, I know when I want to go to the audience and I know when I want to come back because I know the emotion that I felt when I performed it, I try to recapture that same emotion when I cut and edit and direct, that’s the idea.(訳者注:雑誌版の方では赤字のwhen 部分は what ですが…)


自分で監督し、カメラワークを考えるのは、すごく自分本位のやり方なんだ。だって、観てもらいたいものを、観てもらいたいタイミングと、方法と、順番で、撮っているわけだから。アングルでもショットでも、その場の雰囲気のすべてを作り上げる。だから、自分でカメラの位置を決め、アングルを決め、編集もする。スザンヌ・ドゥ・パッセは僕がそんな風にすべてのアングルを決めることを知ってるよ。僕は自分が観たいものが分かっているからね。いつ観客の方を撮ればいいのか、いつ僕の方にカメラを戻せばいいのか、分かっている。パフォーマンスしているときのフィーリングがわかるから、映像を編集する時は、同じフィーリングを再現しようとする。ということなんだよ。

(音声終了)

_________________

(*)スージー・イケダ
マイケルは、スージー・イケダのことを、自分を台の上にあげて見守ることが専門の人(笑)のように言ってますが、彼女は、ベリー・ゴーディのアシスタントだっただけでなく、モータウンからレコード・リリースもしているシンガーで、マイケルのアルバムや、テンプテーションズ、ダイアナ・ロスなどモータウンのスターたちのアルバムに、エグゼクティブ・プロデューサーとしてクレジットされている人物で、あのジャーメインの大ヒット曲「Let's Get Serious」のバック・ボーカルもやってます。


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MJ&スージー・イケダ&ハル・デイヴィス



マイケルが、sweet, lovely というのも納得の歌声!







さて、、、なんとなく、今日見たくなった、

このインタビューの1年前の、
2006年ロンドンでの「World Music Awards」の動画も貼っておきます。






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by yomodalite | 2015-06-25 06:00 | ☆マイケルの言葉 | Trackback | Comments(2)
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こちらの翻訳は『MJ Tapes』でお世話になっているchildspirits先生にもご協力いただきました。また、最後まで判断に迷った部分は、既出訳とは少し異なる方を選択するようにしました。

☆グーグルでこの雑誌のすべてのページがアップされています。

下記は、Joy T. Bonnett によるイントロ記事のあとの、Bryan Monroe によるインタビュー部分です(P94- P109)。


EBONY Magazine, December 2007
Michael Jackson in his own words
by Bryan Monroe

マイケル自身が語るマイケル・ジャクソン
インタビュアー:ブライアン・モンロー


Sitting on the sofa next to Michael Jackson, you quickly look past the enigmatic icon´s light, almost translucent skin and realize that this African-American legend is more than just skin deep. More than an entertainer, more than a singer or dancer, the grown-up father of three reveals a confident, controlled and mature man who has a lot of creativity left inside him.

ソファでマイケルジャクソンの隣に座って、すぐに目に入ったのは、この謎めいたアイコンの白く、透き通るような肌、そして、その皮膚の下にある、この生ける伝説であるアフリカ系アメリカ人の奥深さだ。エンターティナーであり、シンガーでダンサーでもあり、れっきとした3人の子供の父親でもある彼は、自信と落ち着きを身につけた成熟した男性で、内にまだまだ多くの創造性を秘めているように見えた。

Michael Joseph Jackson rocked the music world in December 1982, when he exploded on the pop scene with Thriller, the rich, rhythmic, infectious album that introduced many Whites to a talent that most Blacks had known for decades, and shattered nearly every industry record on the planet. The historic project was yet another, albeit giant, step in a musical career that began 18 years earlier, at age 6, with his brothers in the Jackson 5.

マイケル・ジョセフ・ジャクソンは、1982年12月、アルバム「スリラー」でポップシーンに衝撃を与え、音楽の世界を変えた。豊かで、リズムに溢れ、またたくまに大勢をとりこにしていったアルバムは、黒人たちが何十年も前から知っていた才能を、多くの白人たちにも知らしめ、世界の音楽業界の記録をことごとく打ち破っていった。この歴史的偉業は、18年前、ジャクソン5で、兄弟と共に、6歳の彼が歩み始めた、大きな一歩とは、また別のものだった。

In his first U.S. magazine interview in a decade and on the 25th anniversary of Thriller, Jackson sat down with Ebony magazine for a rare, intimate and exclusive conversation about the creation of Thriller, the historic Motown 25 performance, being a father, the state of the music industry and the force behind his creativity.

彼がアメリカの雑誌のインタビューを受けるのは十年ぶりのことだ。「スリラー」25周年に際して、エボニー誌は独占インタビューを行い、ジャクソンは、「スリラー」製作、歴史的なモータウン25でのパフォーマンス、父親業、音楽業界の現状、彼の創作の秘密などについて、貴重な話を、打ち解けた様子でしてくれた。

Here is Michael Jackson, in his own words…

以下は、マイケル自身が語る、マイケル・ジャクソンである。


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How did it all start?
『スリラー』は、どのように始まったんですか?

Motown was preparing to do this movie called The Wiz… and Quincy Jones happened to be the man who was doing the music. Now, I had heard of Quincy before. When I was in Indiana as a child, my father used to buy jazz albums, so I knew him as a jazz musician.

モータウンが『ウィズ』という映画を準備していて、クインシー・ジョーンズが、たまたまその音楽をやっていたんだよね。クインシーの名前は聴いたことがあったんだ。僕がインディアナ州に住んでいた子どもの頃、父がジャズのアルバムをよく買っていたからね、彼のことはジャズ・ミュージシャンとして知っていたんだ。

So after we had made this movie—we had gotten pretty close on the film, too; he helped me understand certain words, he was really father-like—I called him after the movie, out of complete sincerity—´cause I´m a shy person, ESPECIALLY then, I used to not even look at people when they were talking to me, I´m not joking—and I said, “I´m ready to do an album. Do you think… could you recommend anybody who would be interested in producing it with me or working with me?” He paused and said, “Why don´t you let ME do it?” I said to myself, “I don´t know why I didn´t think of that.” Probably because I was thinking that he was more my father, kind of jazzy. So after he said that, I said, “WOW, that would be great.” What´s great about working with Quincy, he let´s you do your thing. He doesn´t get in the way.

それで、その映画を創ったあと、、僕たちは映画製作中にかなり親しくなって、彼は、僕がある言葉を理解するのを助けてくれたりして、まるで本当の父親みたいでね、それで、映画のあと、思い切って電話をしたんだ。できるだけ丁寧な感じで。僕はすっごく恥ずかしがり屋なんだけど、その頃は特にそうで、話し相手の目を見て話すこともできなかったんだ、マジでさ。それで、僕が「アルバムの準備中なんですが、僕と一緒に仕事をすることに興味があって、プロデュースしてくれる人を、どなたかご存知ないですか?」って言ったら、彼は少し間をおいて、「僕じゃ、ダメなの?」って。どうしてそれを思いつかなかったのかって思ったよ。おそらく、彼のことは、むしろ父親のように思っていたし、ジャズの人だと思っていたからかな。それで、彼の言葉のあと、「わぁ、それなら最高です」って言ったんだよ。クインシーとの仕事で何が素晴らしいかって、自分がやりたいようにやらせてくれること。彼はそれを邪魔したりしないんだ。

So the first thing I came to him with was from Off the Wall, our first album, and Rod Temperton came in the studio, and he came with this killer—he´s this little German guy from Wurms, Germany—he comes with this … “doop, dakka dakka doop, dakka dakka dakka doop”, this whole melody and chorus, Rock With You. I go, WOW! So when I heard that, I said, “OK, I really have to work now.” So every time Rod would present something, I would present something, and we´d form a little friendly competition. I love working like that. I used to read how Walt Disney used to, if they were working on Bambi or an animated show, they´d put a deer in the middle of the floor and make the animators kind of compete with different styles of drawing. Whoever had the most stylized effect that Walt liked, he would pick that. They would kind of compete, it was like a friendly thing, but it was competition, ´cause it breeds higher effort. So whenever Rod would bring something, I would bring something, then he would bring something, then I would bring something else. We created this wonderful thing.

彼との最初のアルバムは、『オフ・ザ・ウォール』で、ロッド・テンパートンがスタジオに来てくれたんだ。彼はドイツのボルムスからやって来た(*1)華奢な男性で、彼が「ロック・ウィズ・ユー」の "doop, dakka dakka,doop, dakka dakka dakka doop" という、あの凄いメロディとコーラスを持って来てくれて、それを聴いて僕は「OK、今すぐ取りかからなきゃ」って言ったんだ。ロッドがなにか出してくれるたびに、僕も彼にプレゼンする、ちょっとした競争だよね。そういったやり方が好きなんだ。ウォルト・ディズニーが『バンビ』とか、そういったアニメを創っていたときのことを本で読んだけど、彼はフロアの真ん中に鹿を連れてきて、アニメーターたちに、まったく異なる描き方をさせて競わせた。ウォルトが気に入った最も効果的なスタイルのものが選ばれたんだけど、みんな競争みたいなものだよね。フレンドリーであっても、それは競争なんだ。そして、それがより一層の努力を生み出す。それと同じように、ロッドがなにかアイデアを持ってきてくれるたびに、僕もなにか持っていく。すると、彼はまた何か出してきて、僕も他のものを。といった具合に、僕らはあの素晴らしい作品を創り上げたんだ。

So, after Off the Wall, in the spring of ´82, you went back in the studio to work on Thriller.
それで、『オフ・ザ・ウォール』のあとの82年の春、『スリラー』をやるためにスタジオにもどったんですね。

After Off the Wall, we had all these No. 1 hits from it — “Don´t Stop ´Til You Get Enough,” “Rock With You,” “She´s Out of My Life,” “Workin´ Day and Night”—and we were nominated for a Grammy award, but I was just not happy with how the whole thing happened because I wanted to do much more, present much more, put more of my soul and heart in it.

『オフ・ザ・ウォール』のあと、僕たちはこのアルバムからNo.1ヒットを連発した。「Don’t Stop ‘Til You Get Enough」「Rock With You」「She’s Out of My Life」「Workin’ Day and Night」。それで、グラミー賞にもノミネートされたんだけど、僕はまだ満足じゃなかった。やりきれなかったこともあったし、やりたいことがまだまだ一杯あって、僕の魂も心ももっと注ぎ込みたかったんだ。

Was it a transition point for you?
『スリラー』は転換点になった?

A COMPLETE transition. Ever since I was a little boy, I would study composition. And it was Tchaikovsky that influenced me the most. If you take an album like Nutcracker Suite, every song is a killer, every one. So I said to myself, “Why can´t there be a pop album where every…”—people used to do an album where you´d get one good song, and the rest were like B-sides. They´d call them “album songs”— and I would say to myself, “Why can´t every one be like a hit song? Why can´t every song be so great that people would want to buy it if you could release it as a single?” So I always tried to strive for that. That was my purpose for the next album. That was the whole idea. I wanted to just put any one out that we wanted. I worked hard for it.

完璧にそうだね。子どものころから、僕はずっと作曲の勉強をしていて、もっとも影響を受けたのは、チャイコフスキーだったんだ。例えば『くるみ割り人形』のようなアルバムにしても、1曲1曲がすごくて、すべてが完璧だよね。それで僕は、「ポップスのアルバムでもこういうのできないかな」って思ったんだ。以前はみんな、ポップスのアルバムには良い曲を1曲だけいれて、あとは、シングルだとB面にくるような曲を入れていた。「アルバム・ソング」といわれるような曲をね。それで、僕は、なぜすべての曲をヒットソングにできないのかな?と思っていたんだ。全曲、シングルカットしても人々が買いたくなるような良い曲にできないのかな?ってね。だから、常にそれを実現しようとしていて、次のアルバムではそれが構想であり、目的でもあった。自分が良いと思うものだけを発表したかったし、僕はそのために必死でやったんだ。

So, the creative process, were you deliberate about that, or did it just kind of happen?
創作のプロセスでは熟慮を重ねた? それとも、自然に出来たような感じですか

No, I was pretty deliberate. Even though it all came together some kind of way, consciously, it was created in this universe, but once the right chemistry gets in the room, magic has to happen. It has to. It´s like putting certain elements in one hemisphere and it produces this magic in the other. It´s science. And getting in there with some of the great people, it´s just wonderful.

かなり考えたよ。作品は、何らかの方法で、色々なものが組み合わされて生み出される。そこまでは意識の領域で行われることだよね。だけど、いったん確かな化学反応が起こると、そこには必然的に魔法が生まれる。必ずそうなるんだよ。球体の半分にある要素を入れると、もう半分にも魔法が起こる、というようなね。それは科学なんだ。何人かの偉大な人々とそれを体験することができて、本当に素晴らしかったよ。

Quincy calls me a nickname, “Smelly.” Smelly came from —and [Steven] Spielberg calls me that, too. Back then, especially back then — I say a few swear words now—but especially then, you couldn´t get me to swear. So I would say, ´That´s a “smelly” song.´ That would mean, ´It´s so great´ that you´re engrossed in it. So he would call me ´Smelly.´

クインシーは、僕のことを「スメリー」って呼んでたね、スメリーっていうのは、スピルバーグも僕のことをそう呼んでたんだけど、当時の僕は、今は僕も少しは悪い言葉を使うんだけど、特にその頃の僕は絶対に下品な言葉を使うことはなくて、それで僕は「これは 匂う曲だね」なんて、(臭いという意味のfunkyと同じように)「とても素晴らしい、夢中になる」っていう意味で言っててね、それで人から「スメリー」って呼ばれるようになった。

But yeah, working with Quincy was such a wonderful thing. He lets you experiment, do your thing, and he´s genius enough to stay out of the way of the music, and if there´s an element to be added, he´ll add it. And he hears these little things. Like, for instance, in “Billie Jean,” I had come up with this piece of the bass lick, and the melody, and the whole composition. But in listening, he´ll add a nice riff…

とにかく、クインシーとの仕事は、とても素晴らしいものだった。僕に経験させてくれたし、実験もさせてくれた。彼は天才で、音楽の邪魔になるようなことはしないけど、つけ加えられる要素があれば、それを足すこともできる。彼は些細な音も聞き逃さないんだ。たとえば、「ビリー・ジーン」で、僕はまずベースの部分、それからメロディー、それから曲全体を作っていったんだけど、それを聴いてクインシーは、素晴らしいリフを足してくれた。

We would work on a track and then we´d meet at his house, play what we worked on, and he would say, ´Smelly, let it talk to you.´ I´d go, ´OK.´ He´d say, ´If the song needs something, it´ll tell you. Let it talk to you.´ I´ve learned to do that. The key to being a wonderful writer is not to write. You just get out of the way. Leave room for God to walk in the room. And when I write something that I know is right, I get on my knees and say thank you. Thank you, Jehovah!

曲を作っている時には、彼の家で仕事をしたんだけど、出来たところまで演奏すると、彼はよく言ってた。「スメリー、歌に語らせるんだ」って。僕が「わかった」って言ったら、クインシーは「その歌が何かを必要とするときは、君におしえてくれる。 君は歌と会話するんだ」僕はそんなふうに教わった。素晴らしい作曲家でいる鍵は、書こうとしないこと。ただ、道を開けておくんだ。神が入って来やすいように、場所をあけておくんだよ。だからなにか曲を書いていて、それが良い曲だってことがわかると、僕はひざまずいて言うんだ。「ありがとう、エホバ!」って。

When´s the last time you had that feeling?
いちばん最近、そんな気分になったのはいつですか?

Well, recently. I´m always writing. When you know it´s right, sometimes you feel like something´s coming, a gestation, almost like a pregnancy or something. You get emotional, and you start to feel something gestating and, magic, there it is! It´s an explosion of something that´s so beautiful, you go, WOW! There it is. That´s how it works through you. It´s a beautiful thing. It´s a universe of where you can go, with those 12 notes…

そうね、ついこの間だよ。僕はいつも曲を書いてるからね。いい曲が出来る時は、何かがやって来る感じ。まるで妊娠したみたいな感じで、すごく気持ちが高揚して、何か魔法のようなものが、体の中から生まれ出てくるんだ。ものすごく美しいものが爆発したみたいに「そう、これだよこれ!」って気分になる。作品はそうやって体の中から湧き上がって来るんだ。すごいよね。12の音階で、ひとつの宇宙を味わうことが出来るんだよ。

(He´s now listening to an early, writing version of Billie Jean playing on an iPhone…)
(このときマイケルは「ビリー・ジーン」の初期ヴァージョンをiPhoneで聴いていた)

…What I do when I write is that I´ll do a raggedy, rough version just to hear the chorus, just to see how much I like the chorus. If it works for me that way when it´s raggedy, then I know it´ll work… Listen to that, that´s at home. Janet, Randy, me… Janet and I are going “Whoo, Whoo…Whoo, Whoo…” I do that, the same process with every song. It´s the melody, the melody is most important. If the melody can sell me, if I like the rough, then I´ll go to the next step. If it sounds good in my head, it´s usually good when I do it. The idea is to transcribe from what´s in your mentality onto tape.

…僕が曲を創るときは、大雑把なヴァージョンでやってみて、コーラス部分だけ、そこだけどれぐらい好きか聴いてみる。大体の感じでやっても、うまくいくときは、いい曲になるんだ。これとか、聴いてみて。家で創ったものなんだけど、ランディと、ジャネットと僕とで、“whoo, whoo, whoo, whoo….ってやってるでしょ。どの曲のメロディもそう。メロディが一番重要なんだ。メロディがグッと来て、大雑把な感じのが出来たら、次の段階に行く。頭の中でいい音が聴こえたら、実際にやってみても上手くいく。アイデアを気持ちに乗せて、テープに移していくんだ。

If you take a song like “Billie Jean,” where the bass line is the prominent, dominant piece, the protagonist of the song, the main driving riff that you hear, getting the character of that riff to be just the way you want it to be, that takes a lot of time. Listen, you´re hearing four basses on there, doing four different personalities, and that´s what gives it the character. But it takes a lot of work.

例えば「ビリー・ジーン」のような曲の場合、ベースラインが突出した有名な部分が曲の中心なんだけど、あのリフを今聴いている感じにするには、とても多くの時間がかかるんだ。聴いてみて、この曲のベースは4種類あって、4種類の異なった性格が、曲の個性を創っている。だけど、そうするには、すごい時間がかかるんだよ。

Another big moment was the Motown 25 performance…
もうひとつのビッグな瞬間「モータウン25周年記念」でのパフォーマンス

I was at the studio editing Beat It, and for some reason I happened to be at Motown Studios doing it—I had long left the company. So they were getting ready to do something with the Motown anniversary, and Berry Gordy came by and asked me did I want to do the show, and I told him ´NO.´ I told him no. I said no because the Thriller thing, I was building and creating something I was planning to do, and he said, ´But it´s the anniversary…´ So this is what I said to him. I said, ´I will do it, but the only way I´ll do it is if you let me do one song that´s not a Motown song.´ He said, ´What is it?´ I said, ´Billie Jean´. He said, ´OK, fine.´ I said, ´You´ll really let me do “Billie Jean?” He said, ´Yeah.´

僕はスタジオで「ビート・イット」を編集していたんだけど、どういうわけだったか、モータウンのスタジオでそれをやってたんだ、ずっと前に会社を辞めていたのにね。そこでは、みんなモータウンの記念祭の準備をしてて、ベリー・ゴーディが、僕にショーをやらないかって尋ねてきたんだけど、僕は断った。『スリラー』で様々な計画が始まって、それを実行してるところだったからね。でも、彼が「しかし、これは記念パーティなんだ」って言うから、僕は「やってもいいよ。モータウン時代じゃない曲を1曲やらせてくれるならね」と言うと、彼は「何をやるんだ?」って聞いてきて、「ビリージーン」だと僕が答えたら、「OK、いいんじゃない」って。「本当に、ビリー・ジーンをやっていいの?」って聞き返したけど、彼は「そうだ」って言ったんだ。

So I rehearsed and choreographed and dressed my brothers, and picked the songs, and picked the medley. And not only that, you have to work out all the camera angles.

それで、ぼくは、振りつけして、リハーサルを行って、兄弟たちの衣装を決めて、メドレーのために曲を選んだだけじゃなく、カメラ・アングルも決めなきゃいけなかった。

I direct and edit everything I do. Every shot you see is my shot. Let me tell you why I have to do it that way. I have five, no, six cameras. When you´re performing—and I don´t care what kind of performance you are giving—if you don´t capture it properly, the people will never see it. It´s the most selfish medium in the world. You´re filming WHAT you want people to see, WHEN you want them to see it, HOW you want them to see it, what JUXTAPOSITION you want them to see. You´re creating the totality of the whole feeling of what´s being presented, in your angle and your shots. ´Cause I know what I want to see. I know what I want to go to the audience. I know what I want to come back. I know the emotion that I felt when I performed it, and I try to recapture that same emotion when I cut and edit and direct´.

僕のパフォーマンスに関しては、すべて僕が監督、編集する。みんなが見ている映像は、すべて僕が選んだショットなんだ。どうしてそうするかと言うとね、僕には5台、いや6台のカメラがついている。パフォーマンスするとき、どんなパフォーマンスであってもね、それがきちんと捕らえられていなかったら、人には伝わらない。それは、世界で一番、自分本位のメディアだからね、人が見たいものを、彼らが見たいときに、どのように見せるか、どう並べて、見てもらいたいか、をフィルムにするんだ。アングルやショットを選んで、全体の雰囲気を創り出して見せるんだよ。僕は自分が何を見せたいか、わかってる。観客に近づいたとき何を見せ、戻ってくるとき何を見せるかも、わかってる。だから、僕はフィルムをカットして、編集し、監督するとき、自分がパフォーマンスしたときに感じた感覚を再現しようとするんだよ。


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How long have you been creating all of those elements?
どれくらい前から、そういったことのすべてを創ってきたんですか?

Since I was a little boy, with my brothers. My father used to say, ´Show ´em Michael, show ´em.´

小さな子どものころからだよ、兄弟たちといっしょにね。僕の父はよく「マイケル、ほかの兄弟たちに見せてやれ」って言ってた。

Did they ever get jealous of that?
兄弟が、嫉妬することはなかった?

They never showed it at the time, but it must have been hard, because I would never get spanked during rehearsals or practice. [Laughter] But afterwards was when I got in trouble. [Laughter]. It´s true, that´s when I would get it. My father would rehearse with a belt in his hand. You couldn´t mess up. My father was a genius when it comes to the way he taught us, staging, how to work an audience, anticipating what to do next, or never let the audience know if you are suffering, or if something´s going wrong. He was amazing like that.

その当時は、そんな様子はなかった。でも、難しかったと思うよ、練習やリハーサルの間、僕だけ叩かれることがなかったからね(笑い声)。でもね、結局は僕も巻き込まれることになるんだよ(笑い声)ホントだよ、僕もやられたんだ。父はベルトを手にリハーサルをやってて、ヘマは出来なかったな。父の僕たちへの教え方は、天才的だったね。ステージのやり方、観客への対応、次にどうするかを予測したり、観客に自分たちが苦しんでいるところや、上手くいっていないことを悟らせないようにする方法とか、父のやり方は驚くべきものだったよ。

Is that where you think you got not just a lot of your business sense, but how to control the whole package?
そういったことが、ビジネス感覚だけでなく、すべてをコントロールすることに繋がった?

Absolutely. My father, experience; but I learned a lot from my father. He had a group when he was a young person called the Falcons. They came over and they played music, all the time, so we always had music and dancing. It´s that cultural thing that Black people do. You clear out all the furniture, turn up the music…when company comes, everybody gets out in the middle of the floor, you gotta do something. I loved that.

そのとおりだね。父との様々な経験から多くのことを学んだよ。父は若い頃、ファルコンズというグループをやっていて、彼らは集まれば、いつも演奏していて、だから、僕たちには、常に音楽とダンスがあったんだ。そういったことは黒人の文化でもあるんだけど、部屋の家具を全部移動して、音楽をかけて、仲間が来たら、みんなフロアの真ん中に行って、なにかやらないといけなくてね。僕はそういうのが大好きだったなぁ。

Do your kids do that now?
あなたの子どもたちは、今そういったことをやっていますか?

They do, but they get shy. But they do it for me, sometimes.

やっているよ、恥ずかしがってるけど、ときどき、僕のためにやってくれるんだ。

Speaking of showmanship: MTV, they didn´t play Black folks. How hard was that for you?
ショーマンシップについて。MTVは黒人音楽の放映をしなかった。あなたはそれをどう感じましたか

They said they don´t play [Black artists]. It broke my heart, but at the same time it lit something. I was saying to myself, ´I have to do something where they… I just refuse to be ignored.´ So yeah, “Billie Jean,” they said, ´We won´t play it.´

MTVは(黒人アーティストの)放送はしないと言ったんだ。それは傷ついたけど、それと同時に何かに火がついて、僕は自分自身に言い聞かせた。「なんとかしなければ…」ってね。「ただ無視されるなんて」そう、『ビリー・ジーン』をさ、彼らは「我々はかけない」と言ったんだよ。

But when they played it, it set the all-time record. Then they were asking me for EVERYTHING we had. They were knocking our door down. Then Prince came, it opened the door for Prince and all the other Black artists. It was 24-hour heavy metal, just a potpourri of crazy images…
They came to me so many times in the past and said, ´Michael, if it wasn´t for you, there would be no MTV.´ They told me that, over and over, personally. I guess they didn´t hear it at the time…but I´m sure they didn´t mean any pure malice [laughter].

ところが、彼らが「ビリー・ジーン」を放送したとき、それは空前の記録を打ちたてた。それからは、MTVは何でもかんでも欲しいって頼みに来たよ。ドアを叩きつぶすぐらいノックしてね。それから、プリンスが登場して、彼らはプリンスにも扉を開け、他のすべての黒人アーティストにも門戸が開かれた。以前は、24時間ヘヴィメタルで、クレイジーなイメージばかりが寄せ集められていた。その昔、MTVは、何度も僕のところにやってきて、「マイケル、君がいなかったら、MTVは成り立たないよ」と言ってたね。個人的に、何度も僕にそう言ったんだけど、彼らは、当時そんなに聞いていなかったんじゃないかな。もっとも、純粋に悪意があったわけではないと思うけどね(笑い声)。

That really gave birth to the modern video age…
まさに今のビデオ時代を生み出した…

I used to look at MTV. My brother [Jackie], I´ll never forget, he´d say, ´Michael, you gotta see this channel. Oh, my God, it´s the best idea. They show music 24 hours a day… 24 Hours A Day!´ So I said, ´Let me see this.´ And I´m watching it, I´m seeing all this stuff going on and saying ´If only they could give this stuff some more entertainment value, more story, a little more dance, I´m sure people would love it more.´ So I said, when I do something, it´s gotta have a story—an opening, a middle and a closing—so you could follow a linear thread; there´s got to be a thread through it. So while you are watching the entertainment value of it, you´re wondering what is going to happen. So that´s when I started to experiment with Thriller, The Way You Make Me Feel and Bad and Smooth Criminal and directing and writing.

僕はMTVをよく見てた。忘れられないよ、兄のジャッキーがね、「マイケル、おまえもこのチャンネルを見てみろよ。すごいよ、最高のアイデアだよ。24時間音楽ばかりなんだ!」って言ってね。それで「僕にも見せて」って、すべての番組をじっくり見てからこう言った。「もう少しエンターティメントの質を高くして、もっとストーリー性や、ダンスも取り入れたら、もっと人気が出るのになぁ。僕がやるとしたら、ここに、ストーリーを持ち込むね。始まり、中間部、結末といった具合にね、そうすれば、見る人は一本の筋を追うことができる。筋があるとね、エンターティメントを見ながら、同時に、次はどうなるだろう?とワクワクすることができる」だから、「Thriller」「The Way You Make Me Feel」「Bad」「Smooth Criminal」では演出や脚本で、そういうことを試してみたんだ。

What do you think about the state of music videos and music today?
今のミュージック・ビデオや、音楽ついてはどう思いますか?

[The industry], it´s at a crossroads. There´s a transformation going on. People are confused, what´s going to happen, how to distribute and sell music. I think the Internet kind of threw everybody for a real loop. ´Cause it´s so powerful, kids love it so much. The whole world is at their fingertips, on their lap. Anything they want to know, anyone they want to communicate with, any music, any movies… This thing, it just took everybody for a loop. Right now, all these Starbucks deals and Wal-Mart deals, direct to artist, I don´t know if that´s the answer. I think the answer is just phenomenal, great music. Just reaching the masses. I think people are still searching. There´s not a real musical revolution going on right now, either. But when it´s there, people will break a wall down to get to it. I mean, ´cause before Thriller, it was the same kind of thing. People were NOT buying music. It helped to bring everybody back into the stores. So, when it happens, it happens´.

音楽業界は岐路に立っているね。変革の最中で、みんな混乱している。何が起こるんだろう? どうやって音楽を流通させて、売ればいいんだろうか?と。 インターネットや、そういった類のものは、すべての人を巻き込んでいった。それは、あまりにも強力で、子どもたちももう夢中だからね。指先と、膝の上で、世界がまるごと手に入る。知りたいことも、誰とでもコミュニケートすることも、あらゆる音楽も、映画も。それは、まさに今、すべての人を巻き込んでいて、今、現在も、スターバックスと契約するとか、ウォルマートと契約するとか、アーティストが直販するとか、そういうことが正解なのか、僕にはわからない。僕が思う答えは、ただもう驚くような素晴らしい音楽だけが、人々に届くということ。人々はそれを探し続けると思うよ。こういったこと、今、進行しているようなことは、本当の音楽革命じゃない。でも、それが起きたとき、人々はそのために壁を壊すだろう。「Thriller」の前もね、それと同じようなもので、人々は音楽を買ってなかったんだけど、それはみんなを店に呼び戻すことになった。そう、起こるときは、起こるんだよ。

Who impresses you?
気になるような人はいますか?

As far as artistry, I think Ne-Yo is doing wonderful. But he has a very Michael Jackson feel, too. But that´s what I like about him. I can tell that he´s a guy who understands writing.

芸術性という意味では、僕は、Ne-Yoが素晴らしい仕事をしてると思う。ただ、Ne-Yoはすごくマイケル・ジャクソンっぽいんだよね。そこが、彼の好きなところでもあるんだけど。彼は曲作りを理解している男だと思うよ。

Do you work with these young artists?
そういった若いアーティストたちともいっしょにやるんですか?

Sure. I´ve always been the type where, I don´t care if it´s the mailman or the guy sweeping the floor. If it´s a great song, it´s a great song. Some of the most ingenious ideas come from everyday people, who just go, ´Why don´t you try this, or do this.´ It´ll be a wonderful idea, so you should just try it. Chris Brown is wonderful. Akon, he´s a wonderful artist.

もちろん。僕は、いつだって素晴らしい音楽をやってるかぎり、郵便配達の人だろうが、床掃除をしている人だろうが、気にしないタイプだね。素晴らしい音楽は、素晴らしい音楽だよ。もっとも独創的なアイデアは、普通の人の、まさに日常から生まれるんだ。「これを試してみよう。とか、やってみよう」ってね。すごいアイデアになるかどうか、まずはやってみないと。クリス・ブラウンは素晴らしいし、エイコンもね、彼らは素晴らしいアーティストだよ。

I always want to do music that inspires or influences another generation. You want what you create to live, be it sculpture or painting or music. Like Michelangelo, he said, “I know the creator will go, but his work survives. That is why to escape death, I attempt to bind my soul to my work.” And that´s how I feel. I give my all to my work. I want it to just live.

僕はいつも、自分と異なる世代に刺激や影響を与える音楽をやりたいと思ってる。人は自分が創造するものは、彫刻であれ、絵画であれ、音楽であれ、生きつづけてほしいと思うものだよ。ミケランジェロのように。彼は、「創作者は消えていっても、作品は生きのこることを知っている。だから、私は死から逃れるために、自分の魂を作品に結びつけようとする」と言った。僕も、そんなふうに感じている。僕のすべてを自分の仕事に捧げる。作品には長生きしてほしいんだ。


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How does it feel to know you have changed history? Do you think about that a lot?
自分が歴史を変えたことについてはどう感じていますか?それについてよく考える?

Yeah, I do, I really do. I´m very proud that we opened doors, that it helped tear down a lot. Going around the world, doing tours, in stadiums, you see the influence of the music. When you just look out over the stage, as far as the naked eye could see, you see people. And it´s a wonderful feeling, but it came with a lot of pain, a lot of pain.

うん、よく考えるよ。僕たちが扉を開いて、扉を壊すのに大きな力になったことを、とても誇りに思っている。世界中を回って、スタジアムでツアーをしていると、音楽の影響力が分かるんだよね。ステージから、遠くを見わたすと、肉眼でもね、人が見えるんだよ。それは、素晴らしい感覚なんだけど、そこに至るまでには、ものすごい苦しみがあった。とてつもない苦しみがね。

How so?
それは、どういった?

When you're on top of your game, when you´re a pioneer, people come at you. It´s there, who´s at the top, you want to get at them.

トップに立っているとき、先駆者であるとき、人は襲いかかってくるものなんだ。トップにいる人間には、人は食ってかかりたいもんなんだよ。

But I feel grateful, all those record-breaking things, to the biggest albums, to those No. 1s, I still feel grateful. I´m a guy who used to sit in my living room and listen to my father play Ray Charles. My mother used to wake me up at 3 in the morning, ´Michael, he´s on TV, he´s on TV!´ I´d run to the TV and James Brown would be on TV. I said, ´That´s what I want to do.´

それでも、僕は感謝してる。様々な記録を塗り替え、最大の売り上げのアルバムになったことも、ナンバーワン・ヒットのことも、そういったことは今でも感謝してる。僕はリビングで父さんがレイ・チャールズを演奏するのを聴いて育った男でさ、母さんに、午前3時に起こされて「マイケル、彼がテレビに出てる!テレビに出てるわよ!」って言われて、テレビのとこに走っていくと、ジェームス・ブラウンがテレビに出ていて、僕は、「これが、僕のやりたいことだよ」って言ってたんだから。

Can we expect more of Michael Jackson?
これからも、マイケル・ジャクソンに期待できますね?

I´m writing a lot of stuff right now. I´m in the studio, like, every day. I think, like, the rap thing that is happening now, when it first came out, I always felt that it was gonna take more of a melodic structure to make it more universal, ´cause not everybody speak English. [Laughter] And you are limited to your country. But when you can have a melody, and everybody can hum a melody, then that´s when it became France, The Middle East, everywhere! All over the world now ´cause they put that melodic, linear thread in there. You have to be able to hum it, from the farmer in Ireland to the lady who scrubs toilets in Harlem to anybody who can whistle to a child poppin´ their fingers. You have to be able to hum it.

今、たくさんの曲を書いているよ。毎日のようにスタジオにいる。今流行ってるラップについても、最初出てきたとき、ラップはより世界共通なものになるために、もっとメロディックな要素を取りいれるだろうといつも思っていた。だって、すべての人が英語を話せるわけじゃないからね[笑い声] それに、そうしないと、この国だけに限られてしまうだろう。でも、メロディがあれば、誰でもメロディをハミングすることができる。メロディがあるから、今では、フランスでも中東でもどこでも流行ってる。ラップが今、世界中に広がっているのは、メロディが取りいれられたからだよ。歌はハミングできないとだめなんだ。アイルランドの農夫からハーレムのトイレ掃除をしている女性や、口笛を吹く人、指を鳴らす子どもも、歌はハミングできないとね。

So, you´re almost 50 now. Do you think you´ll be doing this at 80?
もうすぐ50歳ですが、80歳になっても、そういったことをしていると思う?

The truth is, umm, no. Not the way James Brown did, or Jackie Wilson did, where they just ran it out, they killed themselves. In my opinion, I wish [Brown] could have slowed down and been more relaxed and enjoyed his hard work.

正直なところ、ノーだね。ジェームス・ブラウンや、ジャッキー・ウィルソンがやっていたように、彼らのように走り続けるのはね… 彼らは、自殺行為をしているようなものだと思うんだ。ジェームス・ブラウンが、彼のキツイ仕事量を、もう少しゆとりを持って、もっとくつろいで、楽しんで仕事してくれれば良かったのに、と思う。

Will you tour again?
またツアーをするつもりは?

I don´t care about long tours. But what I love about touring is that it sharpens ones craft beautifully. That´s what I love about Broadway, that´s why actors turn to Broadway, to sharpen their skills. It does do that. ´Cause it takes years to become a great entertainer. Years. You can´t just grab some guy out of obscurity and throw ´em out there and expect for this person to compete with that person. It´ll never work. And the audience knows it; they can see it. The way they gesture their hand, move their body, the way they do anything with the microphone, or the way they bow. They can see it right away.

長いツアーには興味がないかな。でも、ツアーの素晴らしいところは、技術が美しく研ぎ澄まされることなんだよね。僕がブロードウェイが大好きなのもそこなんだよ。だから、役者たちは技術を磨くために、みんなブロードウェイに向かう。偉大なエンターティナーになるためには何年もかかる。何年もね。ただ、無名の人間を連れてきて、何もわからない状態で、放り込んで、この人や、あの人と競争しろって言っても、絶対に出来っこない。でも、観客はそれを知ってる。彼らにはわかるんだよ。役者の手の使い方、体の動かし方、マイクの扱い、お辞儀のし方、そういったもので、観客はすぐに見破るんだ。

Now Stevie Wonder, he´s a musical prophet. He´s another guy I have to credit. I used to say to myself, ´I want to write more.´ I used to watch [producers] Gamble and Huff, and Hal Davis and The Corporation write all those hits for the Jackson 5 and I really wanted to study the anatomy. What they used to do, they used to have us come in and sing after they did the track. I used to get upset ´cause I would want to see them make the track. So they would give me “ABC” after the track was done, or “I Want You Back” or “The Love You Save.” I wanted to experience it all.

ところで、スティービー・ワンダーについてなんだけど、彼は、音楽の預言者だよ。彼についても、僕は言っておかなくてはならないと思う。僕は自分自身に言い聞かせてたんだ。「もっと作曲したい」って。僕は見ていたんだ。(プロデューサーの)ギャンブル・ハフや、ハル・ディヴィスや、ジャクソン5のヒット曲をすべてを手がけていた「コーポレーション」をね、僕は本当に解剖するように研究して学びたかった。だけど、彼らのやり方は、出来上がったトラックをもってきて、それから、僕たちを呼んで、歌わせるんだ。僕は彼らが創ってるところが見たくて、気になってしかたなかった。『ABC』も『I Want You Back』も『The Love You Save』もトラックができたあとに渡されたんだけど、僕は創られていくところすべてを体験したかった。

So Stevie Wonder used to literally let me sit like a fly on the wall. I got to see Songs in the Key of Life get made, some of the most golden things. I would sit with Marvin Gaye and just…and these would be the people who would just come over to our house and hang out and play basketball with my brothers on the weekend. We always had these people around. So when you really can see the science, the anatomy and the structure of how it all works, it´s just so wonderful.

そしたら、スティービー・ワンダーが、彼のやってることを文字通り、すみからすみまで近くで見させてくれて、『Songs in the Key of Life』が創られていく、もっとも貴重なところを見ることができた。僕はマーヴィン・ゲイとそこにいたんだよ。彼らは、僕たちの家にやってきて、週末には、兄弟たちとバスケをして遊んだりした人たちで、僕たちの周りには、いつもそういった人々がいた。本当に、技術や、仕組みとか、どうやって創り上げるかという、すべてを見ることができたのは、ただもう素晴らしいとしかいえないね。

So, you play on a world stage. How do you see the shape of the world today?
あなたは世界を舞台に活躍していますが、今日の世界の状況をどのように見ていますか?

I´m very concerned about the plight of the international global warming phenomenon. I knew it was coming, but I wish they would have gotten people´s interest sooner. But it´s never too late. It´s been described as a runaway train; if we don´t stop it, we´ll never get it back. So we have to fix it, now. That´s what I was trying to do with “Earth Song,” “Heal the World,” “We Are the World,” writing those songs to open up people´s consciousness. I wish people would listen to every word.

地球温暖化現象の窮状にはとても関心をもってる。こうなることはわかっていたことで、もっと以前に人びとが興味を持ってくれていたらね。それでも、遅すぎるということは決してない。収拾のつかない暴走列車のように言われてきたけど、今止めなければ、元の地球を取り戻すことはできない。今こそ、元に戻さなければならないんだ。それが、「Earth Song」や 「Heal the World」 「We Are the World」でやろうとしていたことだった。みんなの意識を目覚めさせたくて、こういった歌を作ったんだ。みんなが、言葉のひとつひとつを聴いてくれることを願ってる。

What do you think about the next presidential race? Hillary, Barack?
次の大統領選挙について、ヒラリー・クリントンか、バラック・オバマ、どちらの支持?

To tell you the truth, I don´t follow that stuff. We were raised to not…we don´t look to man to fix the problems of the world, we don´t. They can´t do it. That´s how I see it. It´s beyond us. Look, we don´t have control over the grounds, they can shake. We don´t have control over the seas, they can have tsunamis. We don´t have control over the skies, there are storms. We´re all in God´s hands. I think that man has to take that into consideration. I just wish they would do more for the babies and children, help them more. That would be great, wouldn´t it?

正直に言うけど、それについてはフォローしてない。僕たちは、人間が世界の問題を解決することを当てにしないようにと育てられた。人々にはそれが出来ないというのが、僕の見方だよ。それは僕たちを超えたものなんだ。ほら、僕たちは大地をコントロールすることができないだろう、それは揺れるし、僕たちは海をコントロールすることもできなくて、津波が起こるし、空もコントロールできないから、嵐が起こる。すべては神の手の中にあるんだ。人はそのことを考慮するべきだと思う。僕はただ彼らに、もっと赤ちゃんや子供たちのために助けになるようなことをして欲しいと願うだけだね。そうなったら素晴らしいと思わない?

Speaking of babies, as a father now, rewind back 25 years ago. What is the difference between that Michael and the Michael today?

子供たちについて話してください。今、父親になって、25年前を振り返って、その頃のマイケルと、今のマイケルの違いは?

That Michael is probably the same Michael here. I just wanted to get certain things accomplished first. But I always had this tug in the back of my head, the things I wanted to do, to raise children, have children. I´m enjoying it very much.

あのころのマイケルは、おそらく、ここにいるマイケルと同じだよ。僕はまず、いくつかのことを成しとげたかった。でも、頭の片隅には、いつもひとつの強い思いがあったんだ。僕がしたかったこと、それは、子どもを育てること、子どもを持つことだったんだ。だから、今はそれをすごく楽しんでいるよ。

What do you think about all the stuff that´s out there about you, all the things you read? How do you feel about that?

あなたは、世に出回っている、自分に関してあれこれと書いてあることについてどう思いますか? それらについて、どんな風に感じますか

I don´t pay attention to that. In my opinion, it´s ignorance. It´s usually not based on fact. It´s based on, you know, myth. The guy who you don´t get to see. Every neighborhood has the guy who you don´t see, so you gossip about him. You see those stories about him, there´s the myth that he did this or he did that. People are crazy!

そういったものには関心ないね。それは無知だというのが僕の意見だよ。ほとんどが事実に基づいてなくて、作り話を基にしているんだよね。会うことのない男、どこの街にも、そんな会ったことのない男がいると、人は彼について噂話をはじめて、彼についての物語を目にすることになる。彼はこんなことをしたとか、あんなことをしたとか、そういう作り話をね。みんなクレイジーだよ!

I´m just about wanting to do wonderful music.

僕はただ、すばらしい音楽をやりたいと思ってるだけ。

But back to Motown 25, one of the things that touched me the most about doing that was, after I did the performance—I´ll never forget. There was Marvin Gaye in the wings, and the Temptations and Smokey Robinson and my brothers, they were hugging me and kissing me and holding me. Richard Pryor walked over to me and said [in a quiet voice], ´Now that was the greatest performance I´ve ever seen.´ That was my reward.

モータウン25周年記念の話に戻るけど、あのとき、僕が感動したこと、パフォーマンスを終えたときのことは、忘れもしないよ。舞台袖に、マーヴィン・ゲイがいて、テンプテーションズや、スモーキー・ロビンソンや、兄弟たちもいて、彼らが僕をハグしたりキスしたりして、抱きしめてくれて、リチャード・ブライヤー(*2)が、僕の方に歩いてきて(静かな声で)「今見たパフォーマンスは、これまでに見たなかで最高のものだった」って。それで、僕は報われたんだ。

These were people who, when I was a little boy in Indiana, I used to listen to Marvin Gaye, The Temptations, and to have them bestow that kind of appreciation on me, I was just honored. Then the next day, Fred Astaire calls and said, ´I watched it last night, and I taped it, and I watched it again this morning. You´re a helluva mover. You put the audience on their ASS last night!´ So, later, when I saw Fred Astaire, he did this with his fingers [He makes a little moonwalk gesture with his two fingers on his outstretched palm].

みんな僕がまだインディアナ州に住んでる子供のころ、聴いていた人たち、マーヴィン・ゲイも、テンプテーションズも。彼らに評価してもらえるなんて、本当に光栄だった。そして次の日、フレッド・アステアが電話してきてくれて、「昨晩見たよ、録画したテープで今朝もう一度繰り返して見てね。君はとんでもない動きをするなぁ。昨晩、君は、観客の度肝を抜いたな!」後日、僕がアステアに会いに行ったとき、彼は、指でやってくれたんだよ。(彼は、手のひらの上で、2本の指を使って小さなムーンウォークのジェスチャーをした)

I remember doing the performance so clearly, and I remembered that I was so upset with myself, ´cause it wasn´t what I wanted. I wanted it to be more. But not until I finished. It was a little child, a little Jewish child backstage with a little tuxedo on, he looked at me, and he said [in a stunned voice] ´Who taught you to move like that?´ [Laughter] And I said, ´I guess God… and rehearsal.´

そのパフォーマンスをしたときのことは鮮明に憶えている。僕は自分自身にすごく動揺してた、やりたいと思ったようにできなかったから。もっとうまくやりたかったんだ。けれど、あの日のショーが終わる前だったよ。小さな子ども……、舞台裏にいた小さなタキシードを着たユダヤ人の少年が、僕を見て言ったんだよ。(驚きの声で)「誰からそんな動きかたを教わったの?」ってね。(笑い声)それで、僕は答えたんだよ。「神様だと思う……それから、練習かな」って。

(インタヴュー終了)

____________

(*1)マイケルは、テンパートンのことを「彼はドイツのボルムスからやって来た華奢な男性(this little German guy from Worms Germany)と言っていますが、彼はドイツ出身ではなく、イングランド出身です。70年代前半、ドイツのボルムスで音楽活動をしていたことがあるのですが、それはヒートウェイヴの一員として活動する前です(ただし、ヒートウェイブの結成はドイツだったようです)。スペシャルエディションの『オフ・ザ・ウォール』のテンパートン・インタビューによれば、79年にニューヨークでヒートウェイヴのために曲を書いているとき(バンドのメンバーとしては78年に脱退)にクインシーから誘いを受け、マイケルのために曲を書いたそうです。というわけで、ドイツ出身でも、直前にドイツにいたわけでもないと思います。

(*2)リチャード・プライヤー
町山智浩がリチャード・プライヤーを解説(プライヤーの話は2.19〜)





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by yomodalite | 2015-06-24 06:00 | ☆マイケルの言葉 | Trackback | Comments(0)
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このインタビューをずっと自分でも訳したいと思っていたのですが、疑問に思う点や、迷う部分が多くて、ずっと「塩漬け」になっていました。

すでに何度か読んでいる方が多いと思いますが、これまで翻訳されているものを簡単な見分け方で分類すると、

MJの最初の答が

A:「モータウンが『ウィズ』という映画を~」
B:「8歳の頃、サミー・デイヴィス・ジュニアがクインシー・ジョーンズを~」

という2種類のパターンがあります。

「A」は、07年12月号の「エボニー」に掲載されたそのもので、「B」は、09年にエボニーのサイトで公開されたインタビュー音声を元にしていて、雑誌にはなかった内容も含まれています(2009年に出版された特集号「Ebony Special Tribute : Michael Jackson In His Own Words」に掲載されているのも「A」の内容)。

ちなみに、

http://moonwalker.jp に掲載されている「Ebony magazine 2007」は「B」です。

自分でこのインタビューを訳してみようと思ったとき「B」の英文テキストから訳したかったのですが、いくら探しても見当たらなくて、それでわかったのですが、こちらは「雑誌インタビュー」と書いてありますが、雑誌掲載には含まれていない音声インタビュー部分を追加して、読みやすく編集してくださっているようです(この認識がまちがっている場合はどうかお早目にご指摘くださいませ)。

私も最初はそのやりかたでひとつにまとめようと思っていたんですが、実際にやってみると、色々と違和感があったんですね。

というのは、芸能雑誌のインタビューは、録音したものはあくまでも素材として考え、そのあとライターとか編集者が、雑誌の都合にあわせて創り上げられることが多く、中には、インタビューをせずに「でっちあげている」ことすらあったり。

マイケルはそういったことを嫌い、めったにインタビューを受けませんでしたが、エボニーに関しては、お互いに信頼関係があり、またこのときはMJの特集号なので、前々から準備されていて、あわてて来月号に載せなくてはという事情もないので、おそらく、発売前にMJがゲラチェックをしたと思うんですね。

だとすれば、肉声は、確かに「マイケルの言葉」として間違いないですが、彼は、雑誌に掲載されるインタビューとして話しているわけなので、それは言わば「下書き」であって、掲載された方が、彼が承認した「完成品」ではないでしょうか。

作家と言われるような人には、しゃべり言葉をそのまま文章にしても、文章として通用する人がいますが、そんな作家でさえ、話したそのままを書き起こした場合、読む文章としてはよくわからない点が多くなってしまいがちです。ですから、作家同士の対談なども、雑誌に掲載する場合は、録音から書き起こしたものに、数多くの赤字を入れて仕上げることになります。

このときのインタビュー音声を聞くと、彼が事前に用意された質問以上のことを話そうとしているというか、これまでのインタビューとは異なり、笑い声も多く、親しい仲間と喋っているような感じなので、インタビュアーもこの時間は楽しくても、テープ起こしをしているときは、どうやって紙面の決められたスペースに納められるのか、MJが予想外にしゃべったことで、少し頭を抱えたのではないかと(音声は一部が公開されているだけなので、はっきりとしたことはわかりませんが)。

まったくの想像ですが、おそらく、MJチェックの段階で、テープ起こしそのままではなく、最初から字数制限を考慮し、雑誌サイドで編集したものを見せたのではないかと私は想像します。なので、雑誌から省かれた部分は、MJの意思ではないと思いますが、

それでも、掲載されたインタビューのゲラチェックはしていたんじゃないかと思うので、そうなると、雑誌掲載分の文章に、音声内容を付け足してひとつにまとめるというのは、なにか、別々のものを接合するような気がしてしまうんですね。

少し堅苦しい考え方かもしれませんが、両方の「マイケルの言葉」を加工してしまうことになりそうで、私には出来ませんでした。

それ以外にも、音声と雑誌で少し意味が違っているのではないかと思われる部分に何度もつまづき、テキストの方でも訳に迷う部分があって、それは、私にとっていつものことではあるものの、このインタビューでは、特にその迷いに決着がつけられなくて時間がかかってしまいました。

最初は、話し言葉ではわかりにくい部分に、音声というヒントがあるので、聞き取りができれば、判断しやすいかと思ったんですが、なかなかそうはいかはいかないんですよね。優秀な英語耳をもった人は、たいていの場合日本語に問題がありますし、、英語から日本語は、厳密に置き換えることが出来ないので、どなたが訳したとしても、どこかで「ゆるーーく」考えて、「自分の中のマイケル」にしゃべらせて日本語訳とするわけです。

ただ、2007年の頃のマイケルと思うと、どんなに長年、マイケルのことをよく知っていたとしても、彼の成長とファンの成長とでは、とてつもなく違いがあるはずです。「自分の中のマイケル」はほとんど変わらなくても、実際のマイケルは、誰も越えられないような山をいくつもいくつも越えてきているわけですから。

そう思うと、よけいに彼の言葉を、自分の言葉にすることのしんどさが増してきて(逆に言えば、そう思わない人のことを、私は信用することができないのですが)、

それは英語力の問題だけではないので、私の場合は、苦手な英語の勉強をサボって、日本語の本を読むことの方に必死になっているんですが、それも、知識として読むのではなく「マイケルのように読む」っていうことがむつかしいわけです(ぐっすん)

散々既出のインタビュー訳に、ずいぶん長々と「まえがき」を書いていますが、もう少しだけわけのわからないことを言うと、

彼が、私たちが想像できるようなレベルの天才だったなら、もう『スリラー』にばかり注目するのはやめて欲しいと言ったと思うんですよね。彼自身もトロフィーなんて見たくない。すでに登った山にはもう興味がないとも答えているわけですし、、それなのに、なぜ、彼は『スリラー』以降の大傑作アルバムについてほとんど語ることなく、数少ないインタヴューの機会に、自ら『スリラー』が成し遂げたことについてだけ、何度も語っているのでしょう?

彼の『スリラー』への執着は、マイケルの顔の変化と同じぐらい、私にとって大きな疑問だったのですが、彼が遺してくれた「鍵」は、いつもひとつを開けると、そこに必ず他の扉を開ける糸口が隠されているように感じます。

おそらく、マイケルは、自分が亡くなったあと、100年とか200年、あるいはそれ以上後のことまで想像していたから「スリラー」の栄光についてだけ、これほど何度も語り、そして、それぐらいの歴史観をもっていたからこそ、当時あれほどの批判や嘲笑にあっても、彼は耐えることができたのだと。

そして、彼の現在と数百年後にまで続く栄光は、彼が刻んだその後の歴史のピースが(ネガティブだと言われているようなものでさえ)ひとつでもなかったら、完成しなかったかもしれないと思えてなりません。

共にマイケルに信頼され、何度も仕事をしていても、ケニー・オルテガは彼の死の意味を考え、カレン・フェイは彼の死の原因は何かと考えた。

そして、そのふたりだけでなく、ひとりの死の意味が、これほどまでに鮮やかに異なって見えるということ、それも世界的な現象として、そうなったという経験は、私にとって、これが最初であり、また最期ではないかと思いますが、同時代を生きるみんなにとっても、きっとそうに違いないと思います。

私は、そのことで考えさせられたことが本当に多くて、何年も前に「オトシマエ」をつけるつもりだったのに、未だにウロウロしていて、時々うんざりしていることもありますが、それでも、彼の欠片のようなものは、なぜかいつもキラキラと輝いてみえて、それで、つい何度も拾ってしまうんですよね。

そんなわけで(???)、

ほとんど新鮮味はないかもしれませんが、次回、2007年の「エボニー」インタビューを、雑誌掲載版と音声版の2種類にわけてアップすることにします。


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by yomodalite | 2015-06-23 08:51 | マイケルの言葉 | Trackback | Comments(0)

少年A 矯正2500日全記録

草薙 厚子/文藝春秋

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『絶歌』に関しての報道は、本の中身に問題があるかのように報道されていますが、実際の内容は、むしろ矯正教育が無事に行われたことの証明にもなっているような穏当なものでした。

わたしには、元少年Aが本を書いた罪は、メディアの本質を理解しなかったことだと思えてなりません。

ただ、彼が『絶歌』の中で何度も謝っているのは、被害者とその遺族だけではなく、なにかに他にも「謝っている」ようで、それが何なのか気になって、他の本も読んでみました。

本書の全体的な内容についてはこちらの参考記事を。

下記は、私が個人的に気になった箇所のメモです。

◎Aに再犯の恐れはない
 
「医療少年院でやるべきことはすべてやりました」少年院関係者が胸を張った。平成十五年三月二十五日、関東医療少年院の院長は、関東地方更生保護委員会に対してAの仮退院を申請した。
 
Aは両親や兄弟と住むことになるのか、その近くで一人住まいをするのか、それとも家族から離れて遠くに住むのだろうか。彼のすぐ下の弟は大学生で、三男は高校生。さほど広くないマンションで生活しているから、Aが割り込むスペースはないのかもしれない。A本人は「はやく社会に帰りたい」、「日本の一角で『匿名』で静かに暮らしたい」と望んでいるという。
 
ある少年院関係者は、ただひたすら生き続けてほしいと願っている。「被害者のニーズには極力応えてほしいと思います。社会に貢献するところまではいかないまでも、普通の人として七十歳、八十歳まで生き続けてほしい。それが私たちの願いです。逆に言えば、彼が生き続けることを社会が許容してほしいということ。その程度に余裕のある社会であれば非常によいことだと思っています。結果が出るのはずいぶん先のことだと思いますが、彼もまたその程度に余力のある人間であってほしいと思います」

時にはAと、結婚の話もするという。Aは、どう考えているのか?「結婚の話になると、『いいです、いいです。そこまではとても考えられません』と言っています。それどころか、『自分は生きていけるのか? 仮退院しても、実際に自分をケアしてくれる場所が……』と心配していた時期もあります。大人は子どもを産んで、育てて、先に死んでいくわけですが、彼のように性中枢が未発達なまま育つケースというのは、本当にわずかな割合でしか起こらない。そういう少年でも、社会がなんとか手をかけ、社会復帰させ、そして受け入れていってほしいのです」
 
Aが結婚して、子どもを作るかどうかは未知数だが、彼が希望するなら、それを阻む理由はないと関係者はいう。平成十五年五月、森山真弓法務大臣(当時)が、平成十五年内にAが仮退院するという見通しを述べた。「贖罪意識がつくられつつあり、社会の中で保護観察処分に移行するのが更生のために有効だとの報告を受けました」(中略)

ある関係者は「Aに再犯の恐れはない」と強く言い切った。

「退院したAが何者かに襲撃され、そのときに暴れて人に怪我をさせるという、その程度の恐れはあります。しかし、彼が以前と同じパターンで小さな子どもを殺す可能性はゼロです。なぜなら、もはや彼にはその『原因』がなくなったからです」ただし、Aを待ち受けるのは拉致や襲撃だけではないと、法務省は神経を尖らせている。

「たとえば、大金を債んで手記を書かせようとする者もいるでしょう。それで億単位のカネが入ったら、彼は自由に動き回れるようになってしまう。だから、一挙に押し寄せるであろう様々な誘惑をはね返すケアも必要なのです」 実際にそういう動きが出てきていると、法務省は警戒するのだ。被害者遺族への慰謝料、総順二債円という莫大な債務を抱えたAは、今後の生き方についてこう語っているという。

(yomodalite:これについては、この著者だけではなく、当然Aにも注意していたでしょう。手記を書くなというのは、Aをここまで導いた人々との約束でもあったわけですね。Aの本の中での「謝罪」には、それが出来なかったという意味もあるのだということと、おそらく事件に関わった他の同業者たちの怒りもその掟破りへの反発からなのでしょう)

「できることなら仕事をしたい。汗水垂らして働いて、償いのお金をコツコツと払っていきたいのです。そして、許されるならば、お墓参りをさせてほしい。あるいは、手紙を受け取ってもらえるならば送りたい。遺族の方と調整がつけば、できる範囲で精一杯のことをさせてもらいたいのです」
 
それは、Aが一生をかけて果たさなければならない当然の義務だろう。山下彩花ちゃんの遺族に寄り添ってきたジャーナリストの東晋平氏は、次のように話した。「A君の社会復帰について、山下さんには正直『怖い』という思いがあります。これは誰もが抱く感情でしょう。矯正されたといっても、それは矯正教育に関わった人の主観であり、客観的に証明しようがない。けれども、その上で『被が更生への道を歩き出していると信じたい』という思いがあるのではないでしょうか。単なる社会復帰ではなく、厳しい現実でよりよく生きる。ここからが被にとって、本当に厳しい道でしょう」(中略)

少年院関係者は、Aには社会を泳いでいけるだけの体力はつけたと強調する。
 
「世間が入院当初のような『殺せ! 殺せ!』の大合唱だったら、まさに暴風雨の海に子どもを投げ出すようなものです。その時期のことを思い出せば、世間の荒波も少しは静まったと思います。だから、少年院としてはAに、水泳でいうと千五百メートルを泳ぎきるだけの体力はつけました。ただし水泳でも、いきなり海に飛び込ませたら溺れてしまうから、少し練習させる。そのウオーミングアップの時期が仮退院なんです。ウォーミングアップさえさせていただければ、千五百メートル泳ぎきるだけの力は身についているはずです。プールに水を張らないとしたら、それは社会の責任です」
 
仮退院期間中、Aは社会からの語感や冷たい視線に晒されることになる。どれくらい打たれ強くなれるかが、出院後の波を左右するはずだ。法務省はAを社会復帰させるために、万全の処遇体制を整えるだろう。そして、何よりも重要なのは家族がどう対応するかだ。(中略)
 
Aの母親は、自分の息子が淳君を殺害したことを知っていたのではないか、と疑問を投げかける人も少なくない。(中略)報道された事実のみを追えば、母親がAの深夜の行動に気づかなかったというのも、甚だ疑問である。母親としての第六感が働き、「もしかしてウチの子が……」と思ったことはなかったのだろうか。
 
「酒鬼薔薇聖斗」事件が起こる四年前の1993年2月12日。イギリスのリバプール郊外で、当時十歳だった二人の少年、ジョン・ベナブルズとロバート・トンプソンが、当時二歳の男の子ジェームズ・バルジャーちゃんをショッピングセンターから連れ去り、殺害する事件があった。遺体は四キロ離れた線路上で、列車に轢断された状態で発見された。この事件はイギリスを震憾させ、凶悪事件が起こるたびに引き合いに出される。
 
ヨーロッパ諸国では、刑事責任が問われるのは大半が十四歳からだが、イギリスでは十歳からとなっている。通常、十七歳までの被告は少年裁判所で裁かれるが、殺人などの重罪は一般の裁判所で審理される。十七歳以下の未成年容疑者は、原則として匿名で報道しなくてはならないが、重大犯罪の場合、裁判官の権限で実名公表の禁止原則が解除されることもある。この二人の少年犯も、判決前から実名と写真が報道され、公判でも実名公表が許された。二人は誘拐・殺人罪で無期禁固刑となったが、二〇〇一年に仮釈放され、生涯にわたって保護観察下に置かれるという。仮釈放を決定したとき、高等法院は、社会復帰のため、二人に新たな名前と架空の略歴を使うことを許可した。以後、マスコミが写真や住所を公表することは許されない。犯人の一人は保護観察のもと、大学にも進学したという。ちなみにイギリスでは、「バルジャー事件」をきっかけに少年犯罪の危険性に関心が高まり、厳罰化の傾向が強まったとされる。(中略)


平成十六年三月十日、少年Aはついに仮退院した。Aは、たしかに改善の兆候をいくつも示し、完治に向かったことは事実だろう。しかし、本当に完治したかどうかは、誰にもわからない。この七年の間、彼に関わった教官たち、彼の家族、そして彼害者家族たちのためにも、彼が再び罪を犯さないことを祈りたい。法務教官たちの苦悩は、少年Aが出院してからも決恚て終わることはないだろう。
 
Aの矯正に関して、ある重要な立場にいた法務省幹部は振り返る。
 
「当時、神戸少年鑑別所を指導し、送致先、テストバッテリー、鑑別所スタッフ、予算等々のすべてにかかわる立場にいた者たちでさえ、ここまで成果を上げてくれるとは思っていませんでした。改めて、世界に冠たる日本の少年矯正の底力を見た気がします。世論を真摯に受け止めつつも、どんな批判があってもビクともしません。感情的な憶測や偏見では、被害者と加害者の将来にかかわる判断はできません。七年間にわたって悪戦苦闘してきた少年院の実感を信じるしかないと思います。我が国の臨床心理学をリードし、各種の心理テストを開発してきた鑑別所と、世界一の処遇効果を誇る少年院の総力を挙げての実践と判断は、単なる感情論を超えたものですから………」(P182〜200)


下記は、著者である草薙厚子氏に関してのメモ。

(このあと「奈良エリート少年自宅放火事件の真実」の際に起きた問題の要因が少しだけ透けて見えるような内容だったので)

「あとがき」

私が東京少年鑑別所法務教官を拝命したのは十数年前のことだ。およそ二年間の勤務だったが、法務省矯正局の人たちをはじめ、家庭裁判所の判事、調査官たちと知り合い、良い関係を築くことができた。大学を卒業したばかりの小娘を温かく指導して下さった方々には、今でも心から感謝している。
 
自分で言うのもロ幅ったいが、当時の私は矯正教育に高い志を待っており、社会のため、誰かの役に立ちたいと切望していた。非行少年の多くは幼少期に、親からの間違った躾、差別、虐待、いじめ、過干渉などを受けて苫しんでいる。彼らは、ある意味では被害者だと思う。彼らの人生を正しい方向に導いてくれる人が周囲にいたら、おそらく矯正施設に入らなくて済んだろう。
 
偉そうに聞こえるかもしれないが、私は彼らの社会復帰のため、少しでも役に立ちたいと思って毎日を過ごしていた。ところが残念なことに、一部の職員から受けたハラスメントをきっかけに、私は志半ばで辞めざるを得ない状況に追い込まれてしまう。悪夢だった。私は自分の気持ちを踏みにじった人を憎んだ。今でも思い出すと怒りがこみあげてくる。しかし、今回の取材を通して、私が志半ばで辞めてしまった矯正教育を、心ある職員たちが立派に成し遂げていることを知った。おそらく彼、彼女たちは、毎日のように心を痛め、悩み、汗や涙を流しながら、誰かのために自分を犠牲にして働いているに違いない。
 
「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」。鎌倉時代に親鸞が説いた悪人正機説である。私はこれを「自分の悪を自覚し、そのために泣き、悔いることのできる人間こそが教われる。自分の中の悪にも気づかず、うぬぼれ、心を固く閉ざしている人間は教う必要はない」という意味だと解釈している。教科書でしか習わなかったこの教えが、今、とても心に響いている。少年院の職員たちは、皆このような気持ちで非行少年たちに接している。矯正教育はいつも逆説的な発想から始まるのだ。
 
しかし、今回の取材では、ある少年院スタッフとの間で実に残念な事件があった。私にはこのスタッフが「自分たちこそ善人である」と勘違いしているとしか思えなかった。二〇〇三年秋、「週刊文巻」に第一回の「少年A 医療少年院矯正日記」が掲載された数日後のことだ。施設の外観を確認するため、関東医療少年院の周辺を見て回っていると、ある職員から隣の官舎の敷地に意図的に入ったと咎められ、強制的に名刺を奪い取られたのである。私が「矯正日記」の筆者だとわかったのか、たちまち職員の顔色が変わり、やがて私は十人ぐらいの男性職員に囲まれ、威圧的に罵倒され、怖くなって立ち去った後も無言で追跡されるという心理的妨害を受けた。後でわかったのだが、職員を牽引していた人物が統括専門官であり、平成16年には本省に戻って大きなポストに就くと聞いて、私は一層怒りを感じた。公務員の「密室性」は全く変わっていなかったのだ。

(引用終了)

◎マイケルとジェームス・バルガー事件の関連記事


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by yomodalite | 2015-06-22 06:00 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)
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『MJTapes』は、さっさとケリをつけたいと思う気持ちと、なんとなく6月に公開する内容じゃないかも。。というせめぎ合いに、ほんの僅かな差で後者が勝ってしまったので、今日と来週はお休みです。

このところ、MJ特集的なものが、ちょこちょことあって嬉しいのだけど、『NMBとまなぶくん』という関東ではやってなさそうな番組で、MJ大好きテンダラー浜本のマイケル話第二弾をやっていた。今回は、モータウン移籍から25周年パーティーを経て、フレディ・マーキュリーとの仲良し話など。。




第一弾の放送はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=lLCTFKwsHDs



ジャーメインのふわっと具合を、ダイアン津田のギャグと比較したときは、うっかり流しちゃったけど、ジャクソンズの1st と2stが「ヘッドライト」ぐらいってところは、「アホか、1st アルバムはR&Bチャートで6位だし、シングルは総合チャートで6位だっつーの。2stはもうちょい地味だったけど、、名曲 ”Man of War”も入ってるしぃ、ヘッドライトみたく誰も知らんやつと一緒にすなぁ」って、大声でツっこんどいたから許してね。

ただ、今日一番伝えたかった「ラトーヤの激太り」っていつのことよ(笑

あの姉ちゃんが太ったところなんて見たことないんですけどぉ、、それって、人間としてありえないぐらいのウエストサイズが、普通にくびれてるぐらいになったってこと? そーゆーの激太りだなんて言うの、、、ま、面白かったからいいんだけどねw



どーゆーわけか、ジャネットよりラト姉の方がよく聴いてる。





弟(兄)がマイケルなのもスゴイけど
このレベルの美人姉妹を3人もってるMJも
同じぐらいの奇跡じゃないかな。


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意外にもラト姉も寄り目が得意
(しかもこの時期にやってたとは!)


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坂口恭平 ‏@zhtsss 6月17日
石牟礼道子さんのところへお見舞いに行ったら、道子さんは病院に行っていて、入り口のほうで一人の80歳代の男性が立ち往生していたので、声をかけると「郵便局に行きたい」というので、施設の社長の許可をもらい、人生初のリアル徘徊タクシーをした。40分ぐるぐる彼の言う通りに走った。幸福だった


「徘徊タクシー」っていうのは、坂口総理が初めて書いた小説で、徘徊という記憶による時空の旅をエスコートするタクシー)


◎実録「徘徊タクシー」第一回いくおさん 2015/06/17

(上記リンク先で、実際に「徘徊タクシー」をしている「音」を聞いてみて)


坂口恭平 ‏@zhtsss 6月17日
私はただ人々に優しく接したいと思っている。ただそれだけだ。それが私の仕事だとも思っている。私は人に優しくするために生まれてきた。接するために生まれてきた。声をかけるために。励ますように歌うために。私は人々の前で舞を踊り、弦を奏で、歌をうたう。それが私の仕事である。それだけが。私の


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梅田蔦屋書店4th floorから見た大阪駅




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by yomodalite | 2015-06-20 06:00 | 日常と写真 | Trackback | Comments(4)

絶歌

元少年A/太田出版



私はなにか調べたいことがあると、かなりしつこくネット検索することがあるけど、誰かの感想については、自分が見たり読んだりする前には、極力見ないようにしてます。

『絶歌』に関しては、大きく報道されたので、多くの批判があることだけはわかっていたけど、読了後に、ブログに参考記事を載せるために少しだけネット徘徊したら、想像以上にあらゆる人々が、その内容にも、出版にも厳しい批判をしていて、あらためて驚いた。

あらためて、、だなんて、

今さらそんなことで驚かないよね(笑

単に書き言葉の「常套句」を使っただけだって言いたいけど、

でも実は、本当に驚いたの、マジで(バカって懲りないね)

いっぱい驚いたのあったけど、メンドくさいから一個だけ。

内田樹 ‏@levinassien 6月16日
ある週刊誌から「絶歌」読んで感想聞かせてくださいというオッファーがありました。「やです」とご返事。「邪悪なもの」は近づくだけで何かが損なわれるから近づかないようにというのは師匠の教えです。

内田樹終了ーーーーー!!!(しないで欲しいけど。。)

佐々木俊尚氏の『21世紀の自由論』で、

この勢力はたとえば、原発に反対し、自衛隊の海外派遣に反対し、日本国憲法九条を護持し、「国民を戦場に送ろうとしている」と自民党政権の集団的自衛権行使や特定秘密保護法案に反対している。文化人で言えば、作家の大江健三郎氏や瀬戸内寂聴氏、音楽家の坂本龍一氏、学者では「九条の会」事務局長で東大教授の小森陽一氏、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏、経済学者の浜矩子氏。政治勢力としては福島瑞穂氏と社民党、生活の党と山本太郎となかまたち。元経産省官僚の古賀茂明氏。一緒にくくられることに抵抗のある人もいるだろうが、メディアの上で「リベラル勢力」という呼び方で視界に入ってくるのはそういう人たちだ。

しかしこの「リベラル勢力」は、いま完全にほころびている。

最大の問題は、彼らが知的な人たちに見えて、実は根本の部分に政治哲学を持っていないことだ。端的にいえば、日本の「リベラル」と呼ばれる政治勢力はリベラリズムとはほとんど何の関係もない、彼らの拠って立つのは、ただ「反権力」という立ち位置のみである。

イギリスでは、ブレアの人道的介入に対して、保守派が「国内の利益を最優先すべきだ」と批判した。保守派は一国平和主義的な思想を持つ傾向が強い。そうなると日本の「リベラル」は、欧米の保守派の意見に近いということさえ言えてしまう….

という主張を自ら証明してしまっている、のでは?

そんなことよりも、もっと大事なことが、、というのはわかるけど、それなら、なにもつぶやかないで欲しかった。現代日本では一応「思想家」なんだから。。(ぐっすん)

僕は野球選手の名前も、テレビタレントの名前もほとんど知らなかった。当時の僕にとってのスターは、ジェフリー・ダーマー、テッド・バンディ、アンドレイ・チカティロ、…… 世界に名を轟かせる連続殺人犯たちだった。映画『羊たちの沈黙』の公開を皮切りに90年代に巻き起こった「連続殺人犯ブーム」に僕も乗っかり、友だちの家に揃っていた『週間マーダーズブック』や、本屋に並んだロバート・K・レスラー、コリン・ウィルソンの異常犯罪心理関係の本を読み耽った。(『絶歌』より)

90年代、酒鬼薔薇より遥かに多くの人を残虐に殺害した人についての本がたくさん出版されていたし、そういった殺人者を扱った本だけでなく、実際に猟奇殺人を犯した佐川一政は、ほんの数年の療養を経ただけで、サブカル界で活躍する場を与えられていた。確実にその頃の業界を知っている人間が、いったいどの口で、出版社のモラルだなんて言っているんでしょう。

(一個って言ったくせにぃ、、)

◎久田将義コラム

サブカル界の人間がこぞって「正義」を振り回す時代がくるなんて、90年代には想像もしてなかった。時間に追われて、お金のために書いたくせに、人間としての自分の「心」を優先だなんて、よくもそんな「薄っぺら」なことを(驚)。『実話ナックルズ』とか『ダークサイドJAPAN』のような下衆な(いい意味でw)雑誌を創っている人たちは、正義を売ることだけはしないという「矜持」を持っているものだと思っていた私が甘かったです。「GOD LESS NIGHT」よりよっぽど鼻じらんでしまったんですけど、、

「遺族」の気持ちを第一に考えるということがどこまでできるものなのか、安保法案や、今後の日本の様々な問題への対応も踏まえて、拝見させていただきますね。

なんだかんだ勢いづいたから、もう一個言っとくw

◎元少年A『絶歌』よんでみた : ロマン優光連載33

かつてはトンガリ少年だった自分が、すっかり「凡庸で薄いサブカルさん」になったからって、どシロウトが書いた初めての作品に、自分の現状をぶつけてどうするの?

こちらは、共感した記事。


本当に残念なことだけど『絶歌』について書かれた著名人の批判より、元少年Aが書いたものの方がずっと「心に迫った」。

残虐非道な殺人鬼なのに、どうしてかなって思ったけど、彼が、誰よりも更生しようとしてたからなのかも。。それが仮に、出版社側の「クリエイティブ」であったとしても、お金を出す価値があったのは『絶歌』の方なんだから、売れたってしかたがない。

いつの時代も極端にふれた動きしか見えないし、強く批判している記事もモラルや遺族のためではなく「お金のため」。ただ、本家よりも考えていないし、もはや本も買えないビンボーな人をお客にするには、これぐらいの文章で十分だって思っていることも大勢の人に見透かされている。

「正義」が蔓延るのは、経済のために「戦争」だってしかたがないと、みんな心の中では認めているから。



2015年06月17日
訃報「アスタルテ書房」店主・佐々木氏ご逝去

エディション・イレーヌ松本氏から連絡をいただきましたが、アスタルテ書房店主の佐々木一彌氏は、6月14日夜に入院先の病院でお亡くなりになったとのことです。お葬式等はすでにご家族のみで済まされたとのこと。アスタルテ書房については、ご子息には引き継がれる意思がまったくないそうなので、このまま閉店となるのでしょう。在庫品は古本組合の市で処分されることになりそうで、閉店セールの予定もいまのところないようです。

もう、京都まで終了しそう。。。(泣)





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by yomodalite | 2015-06-19 17:35 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

絶歌

元少年A/太田出版



私のブログでは、めずらしく「話題の本」を紹介します。

ご遺族の方による出版社への抗議文は下記に一部を転載しましたが、遺族は出版によって、事件が改めて注目され、ご子息への残忍な行為が再び社会に知られることに大きな精神的苦痛を感じておられるようです。それは多くの被害者遺族に共通した、それ以外にはないといえるような感情だと思います(ただし、もうひとりの遺族である山下さんは、今年の3月に「彼の生の言葉が社会に伝われば、そういった犯罪の抑止力になれるのでは」と述べておられます)。

遺族が、犯罪によって受ける苦痛は今も昔も変わらない。でも、現在のようなネット社会で、犯罪被害者が被る二次被害は拡大していく一方で、それは、マスメディアが検察の情報ばかりを垂れ流し、加害者への憎悪を掻き立てることで加熱していく、事件とは何の関係もない私たちのような野次馬の稚拙な行動によって起きているものです。

本が出版されたことは、今現在騒がしく取り上げられてはいますが、事件が起きたのは1997年のことです。あのとき14歳だった少年が、それから18年を生きて語りたいことを、私は読まずにはいられませんでした。

遺族の出版差し止めの要求を聞き、手にすることさえ罪悪感を感じる思いでしたが、読み進めるうちにその後悔は消えていきました。想像以上に真摯な内容だったからです。

これまでも、何度か死刑囚の人が書いた本を読みましたが、この本はそれらとは異なるものだということは、読みだしてしばらくしてようやく気づきました。落ち度のない少年少女を殺害しながら、矯正教育後「社会復帰した元少年」が書いた本は、これが初めてではないでしょうか。

この本の出版意義は、おそらくそこに尽きるのではないかと思います。

未成年で複数の殺人事件を起こしても、加害少年は社会復帰を前提に刑期を終えることになる。実際にそうした少年が、社会復帰後、成功といえるような職業について生活している例については、以前に読んだ『心にナイフをしのばせて』でも考えさせられたことですが、少年犯罪の場合、加害者は口をつぐみ、事件を忘れる方が生きやすいものです。

でも、酒鬼薔薇聖斗にはそれが出来なかった。

この事件では、犯行が残忍だっただけでなく、犯行後の行動も加害者の自己顕示欲が垣間見えるものだったので、今回の出版についても、加害者の自己表現欲求や、金儲けという感覚を抱く人が多いのだと思いますが、一読した感想はそうではありませんでした。

死刑囚が刑を待ちながら、刑務所で反省の日々を送るのではなく、社会に出て、真摯な謝罪の日々を送ることのむずかしさ。彼はまさに遺族が望むように、常に被害者のことを忘れず、自分がしたことに真剣に向き合って18年を生きてきた。

それゆえに、彼はもうこれからどう生きていいのかわからなくなっている。

ご遺族が、出版差し止めを要請した文書には、

本事件により筆舌に尽くしがたい被害を被り、事件後約18年を経て、徐々に平穏な生活を取り戻しつつあるところでした。また、私たちは、毎年加害男性から手紙をもらっており、今年の5月の手紙では、これまでとは違い、ページ数も大幅に増え、事件の経緯も記載されていました。

私たちは、加害男性が何故淳を殺したのか、事件の真相を知りたいと思っておりましたので、今年の手紙を受け取り、これ以上はもういいのではないかと考え、少しは重しが取れる感じがしておりました。ところが、貴社が本誌を出版することを突然に報道で知らされ、唖然としました。

これまでの、加害男性の謝罪の手紙は何であったのか?

今にして思えば、心からの謝罪であったとは到底思えなくなりました。18年も経って、今更、事件の経緯、特に淳への冒涜的行為等を公表する必要があったとは思われません。むしろ、加害男性は自己を正当化しているように思われます。

とありました。

絶対に忘れられることではなくても、ほんの少しづつではあっても被害者遺族は平安へと向かっていた。それが出版によって打ち壊されることへの怒りはもっともなことですが、加害少年にとっての18年は、罪が年々重くなっていく一方の歳月だった。罪の重さをより感じるようになったのは、それが自業自得なんだと、加害者が完全に理解しているからで、私には、この本が自己を正当化するために書かれたとは思えませんでした。

本書は、二部構成になっていて、第一部は、幼少時から犯行を犯すまで。第二部は、少年院生活を終え、2012年12月までのことが書かれています。

読み出して、まず思ったのは、元少年Aが並ではない文章力の持ち主だということ。

300ページほどの本をひとりで書くというのは大変なことなので、編集者の力や、ゴーストライターがついていることも考えられなくはないのですが、本の構成も、比喩に関しても、本人が長い間何度も構想して書いたことを感じさせるものでした。

第一部には、ふたりの少年少女への犯行だけでなく、猫への残虐行為についても、生々しい描写で描かれていて耐え難い箇所があります。彼は自分の性的嗜好を文学的に表現するために、この本を書いたのでは?と疑いたくなりましたが、読み進めるうちに、彼は、精神科医が自らに下した「性サディズム障害」を受け入れ、自分のおぞましさから絶対に逃げないという決心から、包み隠すことなく赤裸々に書いたのではないかと思うようになりました。

そして、なぜこのような少年に育ってしまったのか。という責任について誰もが考える両親についても、それぞれ彼らの真面目な仕事ぶりや、息子に対して人並み以上に愛情深く育て、犯行後にさえ、自分を支えてくれたこと、また、加害者家族として苦しんだ兄弟たちについても、犯行時の残虐な描写以上に、きめ細やかに描かれています。

そして、被害者の少年少女に何の罪もないのはもちろんなのですが、彼はこの残虐な犯行について、学校にも、友人にも、自分の家族にもまったく責任はなく、本当に誰のせいでもなく、ただただ、自分が生まれつきのモンスターであるために起こったのだということを説明するために、言葉を選び、懸命に文章を駆使しようとしているように感じました。

被害者遺族のためにも、読んでいない人は絶対に語らないでほしい本だと思います。



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by yomodalite | 2015-06-18 09:56 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)
しばらく前に流出した1993年版の『GHOST』のBGMになっていた”Seeing Voices”。

I sing of what you see and might think about Because of what you see.

僕はあなたが見て、考えそうなことを歌にする あなたが見るもののために。。

から始まる ”Seeing Voices” の歌詞は、聾唖者にむけた歌詞になっているのですが、






この曲のアイデアの源泉だったオリバー・サックスの『手話の世界へ(Seeing Voices)』は、ろう者の世界から、言葉を話すこと、教えることの本質や、子供の発達や、神経系の発達とはたらきについて、考えさせられるとても興味深い本で、あらゆる意味で、マイケルが興味をもった本だということがよくわかる本です。

わたしは昔、手話の世界は世界共通で、手話さえ覚えれば、世界の人々と会話できるのでは?と思ったことがあったのですが、実際は、国によって手話も異なっていて、本書によれば、英語圏の手話だけでも何種類もある。

また、聴覚障害の子供をもつ母親が、一般学級に通学する方が、より広い世界を経験できると考え、手話ではなく、読唇術を学ばせているTV番組も見たことがあったのですが、

本書を読むと、手話がパントマイムのような「手振り身振り」だけではなく、洗練された文法(話し言葉とは異なる)をもつ、奥深い世界をもった言語であり、音声言語より高い次元の言語であることも示されていて、生まれつき耳の聞こえない子どもは、できるだけ早く手話の使い手に出会い、また、聞こえる両親も手話を習って、親子の交流が可能になるように努力をし、手話を第一母語として習得することの意味についても書かれています。

ろう者のための、ろう者によるユニークな大学、ギャロデッド大学のこと、また、遺伝性聴覚のために、島の全員が手話で話すことになったマーサズ・ヴィンヤード島での出来事、また、子どもの知性を豊かに引き出すための母子のやりとりなど、興味深い内容が多すぎて困るほどなんですが、

読書中に、アナザーストーリーズ「“燃えよドラゴン”誕生 ブルース・リー最後の闘い」の放送があり、人種を超えたと称されたふたりの共通点の多さに驚くと同時に、彼らと似ている勝新太郎のこともまたまた思い出してしまって、、

一流ミュージシャンでもある勝新は、視覚障害者の世界を描くうえで、MJのショートフィルムに匹敵するぐらい音にこだわり、視覚障害者が見ている世界を視覚化することを考えていましたが、MJはダンサーとして、音の視覚化に興味があっただろうなぁと。。


最後に、米原万里さんの『打ちのめされるようなすごい本』から、本書の素晴らしさが簡潔に伝わる書評を。


独自の文法備えた空間言語
オリバー・サックス『手話の世界へ』
 
発見の驚きと喜びに満ちた本だ。読了後、付箋をつけた頁の方がつけない頁を上回ったことに気付いた。そのふせんが、私の目からはがれた鱗にも見えてくる。
 
手話は、音声言語を字句通りマイムに転換したにすぎないという偏見を木っ端微塵に打ち砕かれたばかりではない。人間は外界から摂取する情報の九割を視力に頼る。だから聴力よりも視力を失う方が遥かに絶望的だと思い込んできた。意思疎通と思考の具であり、人類の遺産や文化への参入に不可欠な、従って人間を人間たらしめている言語は、健聴者が圧倒的多数を占めるこの世界ではまず何よりも耳で聞きロで発するものであることを失念していた。文字言語でさえ音声言語を前提として成立しているのだ。

「聞こえないということそれ自体が苦痛なのではない。苦痛はコミュニケーションと言語の断絶とともに訪れる」しかし喪失は新たな獲得をもたらす。音声言語獲得前に失聴した幼児が意思疎通を求めて止まない人間本来の強烈な欲求に突き動かされて手話を獲得していく過程は感動的だ。言語を空間化し空間を言語化する能力が大脳と脳神経系の進化を促しながら驚異的に発達していく。

手話で寝言をいう老婆や、哲学や化学の手話による講義風景に目を見張りながら、手話自体が語彙のみならず独自の統語論、文法、意味論を備えた完全なひとつの言語であることを知る。その音声言語との相違は、音声言語同士の、例えば日英両国の違いを遥かに凌ぐものである。つまり手話は一種の民族文化にさえ匹敵するのだ。

そしてあらゆる異文化との接触がそうであるように、手話を知ることによって言葉や人間の本質のより重端的な探究と根源的な見直しが可能なことを本書は雄弁に語る。だから自己蔑視と主体性の欠如を特徴としていたろう者たちが、ろう大学での闘争を通して独自のろう文化の担い手であることに目覚め、自己を確立していく姿を描いた最終章は圧巻だ。
 
厳密で正確かつ柔軟で軽やかな訳文の読み易さに舌を巻いた。ろう者である訳者のこの並外れて鋭い言語感覚こそが、本書のメッセージを十二分に裏付けてもいる(佐野正信訳)ーー読売新聞1966.2.18





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by yomodalite | 2015-06-16 06:00 | マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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