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映画『ラスト、コーション』監督:アン・リー

ラスト、コーション [DVD]

トニー・レオン,タン・ウェイ,ワン・リーホン



ようやく観ることができた、2008年公開のアン・リー監督の映画の感想です。

原題は、Lust, Cautionで「LAST」ではない。過激な性描写が話題になっていたけど、あのトニー・レオンがこんなことを、、とか、この映画でデヴューした清楚なお嬢さま風のタン・ウェイがそんなことまで、、といった期待はおそらく裏切られる。そして通常の映画では見ることのない、ひどく生々しいSEXシーンは、それが「エロス」なのかどうかさえよくわからない。

物語の舞台は、1942年、日本占領下の上海。人々のきもちを、演劇を通して上演するだけでは物足りなくなった学生たちは、抗日運動の敵である政府高官のイー(トニー・レオン)に、ハニートラップにかけ暗殺することを計画し、学生演劇の主演女優のワン・チアチー(タン・ウェイ)は、その目的のためにSEXを覚える。


イー:私の周りは高官ばかり

国の重要な問題や将来について語る

だが、何を言おうと、彼らの目に浮かぶものは同じ

チアチー:何です?

イー:恐れだ。

でも、君はまるで違う 恐れていない。違うかな?

チアチー:あなたは?

イー:君は聡明だが麻雀は弱い

チアチー:そうね、いつも負けるわ。あなたには勝ったけど


イーを食事に誘うことに成功し、殺害を準備した自宅の玄関まで連れて来たチアチーだったが、イーは家には上がらなかった。彼はとても慎重だった。

チアチーたちの計画は破綻し、仲間たちもバラバラになった3年後、街中に餓死する人々が溢れる上海で、チアチーはかろうじて復学し、授業では日本語がその素晴らしさとともに教えられている。束の間の娯楽を求めて入った映画館で、ケーリー・グラントが主演する「愛のアルバム」を観ていると、映画は途中でカットされ、

「500年間、英米の抑圧を受けてきたが、全アジアの民族は、ついに苦しみに勝ち、自由を手にいれた。アジアをアジア人の手に取り戻すため、我々は1日もひるむことなく奮闘し、、、」

というナレーションに変わる。

映画館からの帰路、チアチーはかつての仲間、クァン・ユイミンに再会し、自分の思いから危険な目にあわせたことを詫びるユイミンは、再び、チアチーをスパイ活動へと導いていく。「君を傷つけることはさせない」と言って。

危険な任務だということはわかっているはずの彼女は嫌がることもなく、イーの自宅で下宿する身となる。そして、イーはついに、チアチーを抱くことになるが、そこで、激しい情欲をむき出しにしているのは「政府高官」のイーで、目的のために愛人を演じているはずの「女優」は演技を忘れている。

日本の降伏は目前に迫り、崩壊寸前の南京国民政府の高官であるイーを「殺害する」という役目に意義はなく、そこにあるのは「危険」だけ。しかし、チアチーをレジスタンス活動に誘ったユイミンや、彼らを指導する反政府の軍人には、自分の信じる道しか見えていない。

でも、チアチーは何も信じておらず、ただ、イーに会いたいという思いさえも、自覚できていない。そして、その「目的のなさ」が疑うことしかできないイーの心を揺るがすことになる。

チアチーが、イーをハニートラップにかける作戦に参加したのは、ユイミンへの愛ではなく、そこには、祖国への愛や、アジアをアジア人の手にというスローガンも、政府の任務といった「理由」もない。ただ激しく肉体を求めあったイーとチアチーの間には、むきだしの「真実」だけがある。

誰かが、誰かを裏切るのではなく、
誰もが、国や政府や思想に裏切られているけど、
自分の心を、自分で裏切ってもいることに、誰もが気づいていない。

それゆえ、アン・リー監督は、この映画の中で一切「愛」を描こうとしないのだ。

漢字によるタイトルは、『色・戒』。

「色」には様々な意味があり、Lust, Caution の「Lust」にも、肉欲だけでなく、征服欲、金銭欲、名誉欲、、など、さまざまな意味があって、

この映画には、すべての「色」と「Lust」と「Coution(警告)」が織り込まれている。

世界的に評価の高いアン・リーですが、本当にスゴイ監督だということがよくわかって、『ブローバック・マウンテン』しか観ていなかったことが恥ずかしくなった。


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by yomodalite | 2015-05-29 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

迷い鳥たち/ラビンドラナート・タゴール、内山眞里子(訳)

迷い鳥たち

ラビンドラナート タゴール/未知谷

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本書は、『ギタンジャリ』と同じく、タゴール自身が英訳して出版した作品集。

1916年に、タゴールが来日し、横浜の三渓園内にあった松風閣に滞在することになったとき、部屋に案内し、障子を開けると、眼下に東京湾の真っ青な海と房総の山々が窓いっぱいに拡がり、涼しい海風とともに一羽の鳥が窓の中に飛び込んできた。タゴールはそのときの感動から、「さまよえる鳥が私の窓に来る」A stray bird comes to my window という句を作り、それがこの詩集のタイトルにもなった。初版本には、三渓園のオーナーである、原富太郎への献辞も添えられていたようです。

また、この本の詩の形式はアフォリズムというか、2〜3行ほどの短い詩で構成されているのですが、それも日本の俳句に影響を受けたものらしく、タゴールは、早くから日本に関心をもち、日本人の自然を愛する美意識を高く評価していました。

しかし、その後、彼は日本の帝国主義に失望し、来日中の講演でも批判をしたため、当時の日本政府から疎まれるようになり、日本のアジア初のノーベル賞受賞詩人に対する歓迎の熱も潮が引くように冷めていったようです。

でも、マスコミの熱狂は冷めても、本書にはいつの時代にも人の心を動かさずにはいられない「名言」のような言葉があふれていて、

1992年の「EBONY/JETインタヴュー」で、マイケルが引用していたと思われる詩も。。

本書の訳詩に、英詩も併記して、いくつかメモしておきます。

IT is the tears of the earth that keep her smiles in bloom.
大地を花ほころばせるのは、大地の涙があればこそ

IF you shed tears when you miss the sun, you also miss the stars.
太陽をみうしなって涙をながすなら、あなたは星たちをもみうしなう。

"WHAT language is thine, O sea?"
"The language of eternal question."
"What language is thy answer, O sky?
"The language of eternal silence."

「海よ、あなたの言葉はどのような言葉ですか」
「永遠の問い、という言葉です」
「空よ、あなたの答えはどのような言葉ですか」
「永遠の沈黙、という言葉です」

WHAT you are you do not see, what you see is your shadow.
あなたが何者なのか、あなたには見えない、あなたが見るのはあなたの影法師にすぎない。

MAN is a born child, his power is the power of growth.
人間は天性の子どもであるがゆえに、その持てる力とは成長する力のことなのです。

MAN does not reveal himself in his history, he struggles up through it.
人間とは、じぶんの歴史のなかにおのずと姿をあらわすというのではなく、それを通じて努力して進むことそのものなのです。

THE Perfect decks itself in beauty for the love of the Imperfect.
完全者は、不完全者への愛のために、美でもって自身を装う。

WRONG cannot afford defeat but Right can.
悪は敗北する余裕をもつことができないが、正しきことはそれができる

EVERY child comes with the message that God is not yet discouraged of man.
子どもは、どの子も、神はまだ人間に失望していないというメッセージをたずさえて生まれてくる。(*)

TO be outspoken is easy when you do not wait to speak the complete truth.
率直に話してしまうのはたやすい、あなたがほんとうの真理を語りかけたいというのでなければ。

IF you shut your door to all errors truth will be shut out.
あなたがすべての誤りにたいして扉を閉ざすならば、真理も閉め出されることになる。

THE world has kissed my soul with its pain, asking for its return in songs.
世界はそれがもつ苦痛でわたしの魂に口づけし、その返礼を歌にするようもとめた。

THE service of the fruit is precious, the service of the flower is sweet, but let my service be the service of the leaves in its shade of humble devotion.
果実の役目は貴重であり、花の役目は甘美なものであるけれど、わたしの役目は、つつましい献身で木陰をつくる、樹木の葉のようでありますように。

MEN are cruel, but Man is kind.
「人びと」は残酷だ。しかし「人」は優しい

LIFE has become richer by the love that has been lost.
人生は失われた愛によっていっそう豊かになる。

THAT love can ever lose is a fact that we cannot accept as truth.
愛が負ける、などということは事実としても、真理とみとめるわけにはいかない。

MAN'S history is waiting in patience for the triumph of the insulted man.
人間の歴史は忍耐づよく待っている、侮辱された人間が勝利するのを。

LET this be my last word, that I trust in thy love.
わたしはあなたの愛を信じます。これをわたしの最後の言葉とさせてください。

________

(*)マイケルのインタヴューでは、"When I see children, I see that God has not yet given up on man." 「子供たちを見れば、神は人間を見捨ててはいないことがわかる」ですが。。。



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by yomodalite | 2015-05-28 06:00 | マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)

映画『永遠の僕たち』監督:ガス・ヴァン・サント

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ビートルズの “Tow Of Us” で始まる、
ガス・ヴァン・サント監督の2011年の映画。

♪ 僕らは絵葉書を送って、家の壁に手紙を書く

君と僕、マッチ棒に火をつけ

かんぬきは外したけど、まだ家に帰る途中さ

僕らは帰るところ、家に帰るんだ

僕らの家に(映画字幕より)♪


そして、バスに揺られていた少年イーノックは葬儀会場へと到着する。壇上では、青年が故人の思い出を語っている。


「クリスは生来のおどけ者で、お得意のジョークを誰にでも語ったものです。その時々で質問が変わる。“ボートの定員は何人?”“エレベーターの定員は? 車の定員は?”

オチはいつも同じ。“ドデカ頭ひとり分” 大切に隠している本に載っていたそうです。人に見せずに。。。弟は亡くなる直前、打明け話があると言いました。“兄さん、ジョークの載った本なんてなかったんだ 全部、僕の創作さ 探そうと思わないで”」


その会場で、イーノックはアナベラに出会う。彼女も「見知らぬ人の葬儀」に来ていた“仲間”だったのだ。


次第に心を開くうちに、彼は、彼女に神風特攻隊の友人ヒロシを紹介し、彼女は自分が余命3ヶ月のガン患者だと告げる。。。



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彼女が亡くなるまでの期間が、この映画の物語なのだけど、これは、人生に限りがあるから、今を大事に生きなくては、、という映画ではなく、


もし、あと3ヶ月で人生が終わるのなら、ガマンしなくてもいいことがたくさんあって、目の前にいる相手と同じ夢の中にいられて、ずっと幸せが消えることもないのに。。と思ったことがある人のための、


自分と “彼” がまったくちがう生き物だということも、彼の目に映っていた自分の姿も知ることなく、


セックスはふたりがひとつになるものだと思っていた時代の、思春期の白くて柔らかくてシミだらけのベッドを思い出させてくれるような、、


甘美な夢の映画でした。



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by yomodalite | 2015-05-27 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

プロレス少女伝説/井田真木子

プロレス少女伝説 (文春文庫)

井田 真木子/文藝春秋

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著者である井田真木子氏は、2001年に、44歳という若さで亡くなられたノンフィクション作家。それなのに没後10年以上経った2014年に、井田真木子著作撰集というものが出版されているということを知り、どんな作品を書いておられた方なのか知りたくなって、1991年に大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した本書を読んでみることにしました。

伝説は、長与千種、神取忍という女子プロレスをあまり知らない人でも、名前と顔がわかる人が多いふたりと、海外から日本にやってきた、天田麗文と、デブラ・ミシェリーという4人の少女たちによるもの。

天田麗文は、外務省職員として旧満州に渡った父親が、中国人と結婚して生まれた子供だったが、父がガンで亡くなった後、12歳で、中国から日本に帰国することになった。言葉も通じず、地域にも家族にも溶け込めず、終日テレビの前に座っていた彼女を惹きつけたのは、女子プロレス。それから、彼女はプロレス雑誌をよむことで日本語を覚えるようになり、女子プロレスラーになれたら、南京に帰れる。それが彼女の唯一の夢となった。

デブラ・ミシェリーは、イタリア人の父と、アメリカ・インディアンの母、共に黒い眼と黒い髪のふたりから、ブロンドで青い目をもって生まれてきた。父は少女の美しさを偏愛し、その嫉妬からか、母からは虐待をうけ、7歳で両親が離婚すると、彼女は祖父母と同居しながら、アルバイトに精をだし、10代で起業家となるほどだった。その後、モデルにもなった彼女は次第にエンターテイメントの仕事に惹かれるようになり、その1ページを女子プロレスラーから始めた。

神取忍は、高校時代、女子柔道体重別選手権に出場し、3年連続で優勝していた。柔道の天分は明らかだったものの、キツくパーマのかかった金髪のカーリーヘア、なかば剃り落とされているような眉の彼女は、その試合内容よりも異彩を放ち、卒業後は大学の推薦入学をすべて断り、その後は、独自の練習方法で国際大会に出場した。彼女の肩書きは、当時から1985年に引退するまで「無職」だった。

そして、天田麗文がテレビを見て憧れ、デブラが「外人レスラー」として対戦して、これまでにない感覚を味わったのが、クラッシュ・ギャルズで旋風を巻き起こしていた長与千種だった。

長与千種は、元競輪選手で、引退後の商売に失敗した父親から空手を習っていた。1964年に大分で生まれた彼女は、『月刊平凡』の女子プロレス募集要項の “月収10万以上”という記載を見て、「こりゃあ、牛ば買えるわぁ!」と思った。その頃の彼女は、「土地を持っているんが金持ちで、10万円で土地を買って、そこに牛を飼ったら、もう絶対に金持ちにきまってる」と。「プロレスばぁなって、月に10万円の半分は仕送りしたる。その金でオヤジに牛買ってやる」本気だった。

私がこの本をのめり込んで読んだのは、貧しい境遇から這い上がった姿ではなく、自分の居場所を探し求め、人とは違った場所でそれを見つけ、大勢の人を熱狂させたこと。そして、それが厳しい練習量とか、根性などといったものよりも、彼女たちひとりひとりが新たに「創造」した物語によるものだったこと。

長与千種がもっていた部活の先輩のような明るさを、彼女自身がどのように演出していたか、また、「ミスター女子プロレス」「女子プロレス、最強の男」と言われ、男性のプロレスラーにさえ勝利した神取忍のことを、これまで、私は男になりたかった女性だと思っていた。

でも、彼女は、自分が「女」であることに強いこだわりを持っていた。

そして、現在よく使われるようになった「心が折れる」という表現は、今まで一度もギブアップで負けたことのなかった、女子プロレス草創期のスター、ジャッキー佐藤と神取忍の試合から生まれた言葉だった。

大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したとき、選考査員だった立花隆は、『私はプロレスというのは品性と知性と感性が同時に低レベルにある人だけが熱中できる低劣なゲームだと思っている。もちろんプロレスの世界にもそれなりの人生模様が様々あるだろう。しかし、だからと言ってどうだと言うのか?世の大多数の人にとってはそんなことはどうでもいいことである』と言ったらしい。

プロレスが重要だったことは、私にもないですが、2015年の今、井田真木子の重要性は、立花隆の遥かに上をいっていると思う。『井田真木子著作撰集』も絶対に読まなければと思った。



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by yomodalite | 2015-05-26 13:09 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

日本語で読むということ/水村美苗

日本語で読むということ

水村美苗/筑摩書房

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英語が「普遍語」という世紀の中での日本のあり方を問う『日本語が亡びるとき』を読み直したあと、読んでいなかった『日本語で読むということ』を読んだので、そこから、少しメモしておきます。

(省略して引用しています)

◎美しく生きる 
ー中勘助『銀の匙』

中勘助はこの一作だけで、目本の文学史に名を残しました。その『銀の匙』に「伯母さん」が出てきます。「あんまり人がよすぎるで」と借金を踏みたおした当人から嘲笑されるほど人のいい「伯母さん」は、ついに無一文となり、主人公の「私」の家の厄介ものとなって、病弱の「私」の子守をすることに生きがいを見いだしています。 
『銀の匙』が長く読みつがれてきたのは、ひとえにこの「伯母さん」の美しく生きる姿のせいだと言っても過言でぱないでしょう。「美しい」ことと「美しく生きる」ことの差ーーそれは、もっとも露骨にいえば、美しい女の人の写真と『銀の匙』の差です。この差が文学の基本にあることは誰の目にも明らかなことでしょう。

『銀の匙』の年のいった「伯母さん」がふつうの意味で美しい人だったとは考えられません。それでいてこの小説が出版されてから今日に至るまでの八十年間、彼女はまさに美しく生きた人として深く読者の心に生き残り続けてきたわけです。微妙なのは、文学の基本にあるという、この「美しい」ことと「美しく生きる」ことの差が、「表面的な美」と「内面的な美」という言葉には置き換えられないということです。
 
「内面的な美」という表現は、究極的には、ある人の生きざまが倫理的であることを意味するように思います。そして、倫理的であるということは、究極的には、その人の生きざまの立派さというものが万人にとって理解できるものであること、つまりその人の生きざまの価値に客観性があるということを意味するのではないでしょうか。ところが「私」の「伯母さん」の生きざまはそのようなものではありません。見方によっては、彼女は一人の意気地にの男の子を猫可愛がりするだけの無知蒙昧な老婆に過ぎないからです。

そんな老婆の姿が美しいのは、それを美しいと思う「私」という主人公の感銘に因るだけなのです。あるいは、その感銘を中勘助という一作家の文章を通じて共有できる私たちの感銘に因るだけなのです。

このように考えると、「美しい」と「美しく生きる」の差は「表面」と「内面」の差だとはいい切れません。それは二つの異なった価値の比喩、すなわち、万人にとって自明な価値と、自明ではない価値の比喩だといった方がよいでしょう。文学に即していえば、作家が書く必要のない価値と、作家が心をくだいて表さねばこの世に存在しないような、まことに捉えどころのない価値の比喩だといえるのかもしれません。
 
文学などというものはなんの役にも立たないものですが、端からみればどうでもいいような存在に光をあて、「美しく生きる」姿を人に知らしめることーーそれが、その小さな使命のひとつなのではないかと思っています。


◎たくさんの着物に彩られ綴る女性の半生
ー幸田文『きもの』

幸田文は女の作家である。そして彼女は着物について書いた。だが、女が着物を着ることと、女流作家が着物について書くことーーこの連動しているように思える二つのことがらは実は対立関係にある。その対立関係を示し、それゆえに幸田文が作家となる必然性があったことを暗示するのが、るつ子と着物のかかわりあいなのである。

そもそも、胴着の片袖を引き千切るところから始まるこの小説は、女が着物を着る話ではなく、女が自分の気に入らない着物を脱ぐ話なのである。事実るつ子は気に入らない着物を着せられると発疹してしまう。女学校へ上がったとたんに、るつ子だけ自分で着物を着るようにしつけられるのは、るつ子にとっての着物は、ふつうの女にとっての着物と同じ意味をもたないからなのである。
 
おばあさんはるつ子に言う。「よくおきき。お姉さん達は、いい恰好ならそれでいいんだけど、おまえさんはいい恰好より、いい気持が好きなんだよ」。このるつ子の性癖は、のちにおばあさんが、姉たちは結婚のなかに納まるだろうが、「るつ子は、下手をするとはみ出しそうな気がする」と心配をするのに通じる。
 
小説は、るつ子か結婚初夜に男に着物を脱がせられる場面で終わる。それはのちの不幸を予兆する。自分で着物を脱ぐ女として規定されているるつ子が、この男との結婚を脱ぎすてずにいられるはずはないからである。


◎日本の「発見」

「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向に困らぬ。必要ならば、法隆寺をとり壊して停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して滅びはしないのである」
 
第二次世界大戦中、坂口安吾は「日本文化私観』というエッセーでこう書いた。あれから半世紀たつ。異国で少女時代とに青春時代を送り、大人となってあこがれの母国に帰ってきた私を待っていかものは、まさに停車場だらけーーいや、駐車揚だらけの日本であった。法隆寺は残っていたが、多くの懐かしい〈形〉が消えていだ。〈形〉のあるものが滅び、なおかつ日本の「文化や伝統」が「決して滅びはしない」ということなど、はたしてありうるのだろうか。
 
日本はたんに近代化したのではなく西洋化したのである。タクシーが駕籠にとってかわるのは近代化だが、洋服が着物にとってかわるのが近代化かどうかは疑わしい。ましてピアノが邦楽にとってかわるのを近代化と呼ぶことはでぎない。タクシーを選ばざるをえなかった日本は、迷わずピアノを選んだ。日本はたんに近代化しかよりもいさぎよく日本的なものを捨てていったのである。その過程に拍車をかけだのが、「壮大が目本の伝統を見失」っても「日本を見失うはずはない」という、ひどく楽天的な民族主義である。そしてそれは、文化とはひとつのかけがえのない〈形〉である、という認識の欠落とつながっている。しかし〈形〉なくして日本の「民族の栄輝ある文化や伝統」などあるはずもないのである。たとえば安吾は桂離宮を「発見」したブルーノ・タウトにかんして言う。「タウトは日本を発見しなければならなかったが、我々は目本を発見するまでもなく、現に目本人なのだ」と。
 
だが日本人は日本を「発見」せずにすまされるのだろうか。ヨーロッパ人自身、近代との葛藤の中に自分の伝統文化を「発見」したのである。「発見」というのは、今、ここにかけがえのない〈形〉があるのを認識することにほかならない。その認識がなければヴェニスのサン・マルコ広場だって駐車場になっているであろう。
 
旧いものが消え、新しいものが生まれ、時のながれに文化が変容していくのはあたりまえである。だがあまりに多くのかけがえのない〈形〉を、ここまで平気で壊してきた日本が私にはひたすら悲しい。ただその日本にも、日本を「発見」し、日本の〈形〉をひきつぐことにお金にもならないのに一生をかけている人たちがいる。日本に永住の地を求めてもどってきたこの私を慰めてくれるのは、ほかならぬ、そのような人たちの存在である。


◎『絹明暗』のあとに

ユダヤ教が世界宗教のキリスト教となる契機は、パリサイ人批判にあった。パリサイ人とは一般的に偽善者と呼ばれるものである。だが彼らは実は「文士」なのである。安息日に何をすべきで何をすべぎでないかを論じ合う彼らは、外部の人間には意味をなさないルール内でのゲームにうち興じる人たちにほかならない。キリストは「文士」たちのルールの恣意性を指摘することによって、ユダヤ人以外の「人間」にユダヤ教の門を開いた。ところで、キリストにこのような「文士」批判を可能にさせたのは神ではない。それは旧約聖書に書かれている「言葉」なのである。パリサイ人は始終イエスに難問をふっかけて来るが、イエスの答は決まっている。かれは聖書の「言葉」を引用して、「あなたがたはこう書かれているのを続んだことがないのか」と言うのである。すなわち、キリストの世界性とは「読むこと」の結果なのだ。それは「今」と「ここ」から離れた所にある「言葉」との交流から生まれたものである。
 
鴫外の『青年』には漱石をモデルにしたふせきという人物が出てくるが、鴎外は主人公の青年の口を借りてその人物をこう評している。「ふせきという人は流行に遅れたやうではあるが、とにかく小説家中で一番学問があるさうだ」。この鴎外の文章では「流行遅れ」であることと「学問がある」ことが漫然と並列されているが、実はこのふたつの事実は同じことを指し示すものである。『青年』が書かれた当時(明治四十三年ー四十四年)日本で流行していた「自然主義」に漱石が無関係にやってきたことをわれわれは知っている。

そうして当時の人間の目に「流行遅れ」に見えた漱石が、実際は流行に無関係に、すなわち、「人間」に向かって書くことができたのは「学問」があったからなのである。「学問」とは「今」と「ここ」から離れた「言葉」を読むことである。のみならず、それが書かれた時からすでに「今」と「ここ」から離れていた「言葉」を読むことである。よくいわれる漱石の漢文学及び英文学の素養とは、そういう「言葉」との交流にほかならない。人は真空の中で孤高を持する訳には行かない。「人間」に向かって書かれた過去のテクストを続むことによってのみ、「人間」に向かって書くことが可能になるのである。
 
『績明暗』は漱石を読むことを通じて「人間」に向かおうとするひとつの試みである。そしてそれはわたしにとって日本語との結びつきの必然性を今一度選びなおそうという試みでもある。


◎作家を知るということ
 
ある作家をほんとうに知る。それはその作家を個人的に知ることではない。その作家が書いた作品を知るということである。そもそも作家というのは、自分を個人的には知らない読者に向けて書くのであり、その作品はそのような読者のためにのみ存在する。では、作家を個人的に知るということは、どんな意味をもつのだろうか? それはその作家をよりよく知ることとつながるのだろうか? あるいは、よりよく知ることとは何の関係もないのだろうか?
 
この問いに答えてくれるのが、ブルーストの『失われた時を求めて』に出てくる一つの逸話である。少年の主人公はある夏、海辺の避暑地でヴィルパリジス侯爵夫人という、祖母の友である老婦人と出会う。夫人は、娘時代に、今はすでに伝説の一部となった作家をたくさん個人的に知っていた。夫人の父親が始終晩餐会を開き、さまざまな作家を家に招いていたからである。主人公が驚くのは、そのような作家に対する侯爵夫人の評価である。夫人は何よりもまず晩餐会の客として彼らを評価する。その結果、夫人の作家の評価は、まったく的外れなものとなってしまっているのである。スタンダールは「ひどい俗人」として片づけられ、もう今では誰も読まないような作家が高く評価される。
 
しかも夫人は主人公に向かって断言する。「私にはその人達のことを話す資格があると思うのですよ、だってその人達はみんな私の父の家にいらしたのですから。……その人達に親しく接し、その人達の真価をより正確に判断できたものの言葉を信じなくてはなりませんわ。」
 
この逸話が指し示すのは、作家を個人的に知るという事実に内在するイロニーにほかならない。作家を個人的に知るというのは、その作家をほんとうに知ることと無関係だというだけではない。無関係だというだけでなく、大いなる妨げとなるものなのである。すなわち、ある作家の最高の読者でありたければ、その作家を個人的に知るべきではない。
 
さて、私は加藤周一という作家の最低の読者である。加藤さんは気がついたとき私の人生に登場していた….

『加藤周一コレクション2』のために書かれたこの素敵な文章の続きと、そのあとの “「個」の死と「種」の絶滅 ー 加藤周一を偲んで” は、ぜひ本書で。





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by yomodalite | 2015-05-24 06:00 | 文学 | Trackback | Comments(0)

必見!「There Must be More to Life than This」のビデオ

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マイケルを描いた作品でもおなじみのアーティストで、音楽ビデオや映画監督としても活躍しているデヴィッド・ラシャペルが創った、あの世界でもっとも美しいバレエダンサーと称されているセルゲイ・ポルーニンも出演している、フレディ・マーキュリーとMJのデュエット曲「There Must Be More To Life Than This」のビデオ、、一流監督によるファンメイドっていうか、非公式な作品だと思うんですが、、もうご覧になりました?

すぐに消されてしまうようで、こちらはスペイン語版(別に字幕はないけど。。)






ポルーニンが踊っているシーンは、ラシャペルが監督して大評判になった "Take Me to Church” のビデオを流用してるんですけど、、











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by yomodalite | 2015-05-22 19:45 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(2)

無神論/竹下節子

無神論―二千年の混沌と相克を超えて

竹下 節子/中央公論新社

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私たちは、キリスト教や聖書がわからないだけでなく、「無神論」は、もっとわかってないんだなぁと最近になって気づきました。自分のことを「無神論者」だと思ってしまう日本人は多いですが、神がいないことを、とことん考えた人など日本の歴史の中にはいません(神の存在について考えた人もいませんけど)。

キリスト教ってどうしてこんなに宗派が多いの?と思った人も多いと思いますが、ユダヤ教を否定したキリスト教はカトリックを生み、カトリックを否定したプロテスタントは改革を進めるうちにユダヤ教に近づいていき、フリーメーソンもイルミナティも「プロテスタント」だという見方もあるようですが、なぜか、カトリックの司祭にもメーソンはいて、もっと理解しがたいことに、福音派のメーソンもいたりして、それでも彼らは「スパイ」というわけではなく、公にそれを認めるかどうかという議論もあるのだとか。。

とにかく、この3つは、長年の間お互いをディスりあっているので、手の内が見えていたり、手慣れてもいて、そしてそのディスりあいは、お互いを「無神論」だと言うことでもある。

下記は、著者の志の高さに拍手を送りたくなった「はじめに」から省略して引用します。

ヨーロッパの基礎を作ったのはローマ・カトリックだ。文化の温床でもあったけれど、政治の道具でもあり、攻撃と弾圧のシステムでもあった。(...)人間の宗教の歴史とは、いつも偶像崇拝の歴史に重なるのが常なのだ。2000年前に、神殿に閉じ込められたユダヤの神を解放したイエスのキリスト教はローマ帝国から「無神論」だと呼ばれて非難された。16世紀のヨーロッパでは、巨大な教会組織の中に閉じ込められたカトリックの神を解放しようとしてプロテスタント諸派が産声を上げ、「旧教」と「新教」は、互いに互いを「無神論者」と罵り合った。

17世紀にはリベルタン(自由思想者)が生まれ、デイスト(理神論者)が登場した。デイストとは、神を世界の創造者とはするが、人格的存在としては認めず、奇跡・預言・啓示などを否定する立場の人々である。天地創造した後で独り子イエスを地上に送って犠牲にした神とは別に、天地創造した後で被造物への不干渉を決め込む神や、宇宙の偉大なる設計士としての神が生まれた。現代の福音派キリスト教の説くような創造の「グランド・デザイン」をする神もいる。無神論を唱えた共産主義といえども、一党独裁の儀式化は、神政政治モデルを採用した疑似宗教のようなものだった。

そして、それぞれの「神」に、それぞれの「無神論者」が戦いを挑んだ。今も挑み続けている。キリスト教世界の神と無神論は光と影のようにセットになっているのだ。その拮抗を見なければ歴史はわからない。

しかし、キリスト教文化圏発の近代社会が地球のスタンダードとなりグローバル化か進むとき、皮肉にも、イスラム世界をはじめとする政教一体の宗教思想が侵入してきた。20世紀以降にヨーロッパに「移住」してきたイスラムの神には無神論の影がない。宗教と無神論の拮抗のノウハウをすでに失いつつあるキリスト教文化圏にとって、それは思いがけない脅威となってしまった。

キリスト教原理主義の台頭、モラルなき弱肉強食の新自由主義と拝金主義の蔓延など、神と無神論が二極化しつつあり混乱しているのだ。その戦いを「一神教同士の戦い」などと単純に眺めている日本は、イスラム同様、そもそも無神論の影を持たず、神と無神論の対立なしに、ポストモダンの相対化の混沌に突入してしまった。だから日本は外交の言葉が紡げない。

キリスト教無神論を知らなければ、キリスト教が生んだ近代理念とその変貌とを真に理解することはできない。無神論を知ることは、神を知ることだ。無神論とは神への執念である。それは「来し方行く末」に思いをめぐらさずにはおれない人間に対する洞察であり、存在の意味への挑戦であり、生き方を模索する哲学でもある。

政教分離に至る危機の時代を象徴する鋭角的なエッフェル塔と、豊かで丸いサクレ・クール聖堂が二つながら今日も観光客を魅了する国にいて、神から無神論が、無神論から神が、いつか互いに解き放たれて世界平和の力になる日を夢見て、この本は構想された。無神論を語ることは神を語ることと同じように広範囲にわたるので、その全貌を紹介することはむろん不可能だ。ここではまず、良くも悪くも現代文明のスタンダードとされている「西洋近代」を創ることになったヨーロッパにおける無神論の系譜を辿り、さらにそれが立体的に見えるようにいくつかのテーマに光を当ててみた。いつの時代にも、真の無神論的感性こそが、神を普遍へと招き、人を無限の高みへ誘い、永遠と有限とを和解させるのだ。

(引用終了)

本書ではこのあと、無神論の歴史について、事細かにというか、もう少し省略できたんじゃないか、特に「不信心」と「無神論」は区別すべきではないかとか、逆に興味深い記述が来た!と思ったらすぐに終わってしまうとか、『ユダ ー 封印された負の符号の心性史』と同様の少し残念な展開が待っていたり、

また、フランス在住の著者が思う「無神論」は、フランスのそれであって、アメリカの「無神論」とは少し様相が異なっている。ということも・・・それでも、他にこのテーマでいい本があるわけではないので、

19世紀までの記述から、本書の面白さが少しわかる箇所をメモしておきます。

無神論は理性主義の衰勢と連動した。理性主義の観点から大きく分けると、「無神論」の系譜と「異端」の系譜は実は対極にある。すなわち、「無神論」として警戒されたのは、世界の説明と人間の営みに「神を必要としない」態度であったのだが、いわゆる「異端」のほとんどは、その逆で、「信仰」の非合理的な部分を拡大して理性を犠牲にして神学上のバランスを崩す、という態度であった。

カトリック神学の正統派は、民衆の間に根強く残っていた多神数的で呪術的な「蒙昧」に比べて、はるかに「無神論」に近いところにあったのである。それはキリスト教がその出発点において持っていた偶像崇拝否定や呪術否定という啓蒙的な「無神論」的スタンスを多かれ少なかれ持ち続けていたということを物語っている。

15世紀には、ニコラウス・クザーヌスの弁証法的否定神学が確立し、後のドイツ哲学にも大きな影響を与えることとなる。しかし、人間の無知を認識する否定神学の流れは、やがてすべての神学の否定に通じるペシミズムとニヒリズムにも向かっていった。理科系の「神離れ」が西欧近代というモダニズムを生み、文科系の「神離れ」がポストモダニスムを生んだといえるかもしれない。結局のところ、理性至上主義も懐疑と無神論をはらみ、理性を放棄した神秘主義も絶望と無神論をはらんでいたということで、すべての試みが「近代無神論」を用意するのである。

* * *

中世の知識人(神学者、聖職者、貴族)と、その中間には、学生や文学者や芸能者や都市民による不信心が広がっていた。芸能者や吟遊詩人、学生らは共通語であるラテン語を使って、恋愛や性について自由奔放な歌を高吟していた。現存するテキストで有名なのは、11世紀から13世紀にかけてのものと見られる写本群『カルミナ・ブラーナ』で、ドイツの音楽家オルフによる世俗カンタータによって日本でもよく知られている。そこには「魂は死ぬ、体しか大事にしない」とか「永遠の救いよりも官能だ」などというカトリックの教義に明らかに反する言葉がたくさんある。教皇庁のあるイタリアでも、中世末期からルネサンス初期にユマニスム(人文主義)が広まり始めた。ボッカチオの『デカメロン』の中の父が三人の息子にダイヤを残す話の中では、三人の息子はそれぞれユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒となっている。ボッカチオはラテン語作品として神々の系譜も説いた。(〜ヨーロッパ中世の無神論)


17世紀のヨーロッパのカトリック教会に衝撃を与えた無神論的事件の一つは日本で起こった。イエズス会のポルトガル人宣教師でありながら、拷問に耐えかねて禅宗に帰依してしまったクリストファン・フェレイラの存在である。過去に空海が『三教指帰』で儒教や道教に比べて仏教が優越することを証明したように、キリスト教よりも仏教の優越を説いたわけではなく、フェレイラの論議を見ると、それは実は中世末期からルネサンスにかけてすでにヨーロッパの至るところに出回っていた反キリスト教、反宗数的言説の踏襲である。フェレイラの棄教にショックを受けてその後あえて日本行きを志願した宣教師は少なくなかった。遠藤周作がそれをモデルにして『沈黙』という小説を書いたのはよく知られている。現代のフランスでも、ジャック・ケリギーが『断末魔』という小説によってフェレイラの転向の心理を分析している。

しかし、フェレイラは殉教した日本人キリシタンに比べて苦しみに耐える力が足りなかったからでも、無理やりキリスト教弾劾の書を書かされたわけでもなさそうである。フェレイラの属するイエズス会では前述したガラス神父の善に見れるように、プロテスタントやリベルタンの言い分かすでに広く知られていた。フェレイラは科学者としても最先端にいた人らしく、天文学や外科医学の書物も奢して日本における蘭学の基礎を築いた。「理性の善用による進歩主義」の勧めは彼の本音に近いところにあったものだろうし、彼のキリスト教批判には、アリストテレス主義、アヴェロエス主義、エラスムスの影響が見え、さらにそれらをつないでいたマラノズム(マラノス主義)の影もある。フェレイラは、15世紀のレコンキスタ(失地回復運動)以来カトリックに改宗したイベリア半島のユダヤ人の家系出身だった。彼らは隠れユダヤ人を意味する「マラノス」と呼ばれたが、実際にカトリックに帰依した者、プラグマティックでリベラルな精神であった者、隠れてユダヤ教を実践する者などいろいろだった。このマラノスがプロテスタント国に亡命してユダヤ教に再び戻ることもあった。アムステルダムに移住したイベリア半島出身マラノスのユダヤ家庭の三代目に生まれて無神論的哲学の先駆となったスピノサとフェレイラには通底するものがあるかもしれない。

フェレイラが科学的合理主義者としての使命をまっとうしたところを見ると、当時の日本では、主として政治的思惑からキリシタンが弾圧されたとはいえ、キリシタンのもたらした科学技術は積極的に取り入れられたことからも、むしろアヴェロエスの「ニつの真実論」的な折り合いが信仰と理性の問にあったように思われる。そんな中であえて一神教に帰依した日本の信者たちにはダブル・スタンダードを使い分けることなど不可能で、それ故に殉教へと突き進んだ一般人が少なくなかったのかもしれない。彼らはキリスト教には帰依したものの、ヨーロッパではすでにキリスト教と表裏一体となっていた無神論的な言説についてはまったく知らされていなかったのである。その後250年間続いた徳川時代には、戸籍を司る檀家制の仏教が強制された。日本の支配者にとって、フェレイラによる内部からのキリスト教反駁は歓迎すべきツールであっても、「神仏を拝む蒙昧」にまで敷衍されては大変なことになる。蘭学はそんな江戸時代の日本で少しずつでも受け継がれていったが、同じ二五〇年間にヨーロッパが体験する「無神論による脱宗教の近代」という激動からは、日本は何も学ばぬままでいたし問題の所在すら意識化されなかったのである。

フェレイラの少し前に日本人キリシタンで「再転向」してキリスト教批判のを書いた不干斎ハビアン(巴鼻庵)という人物がいる。この書は芥川龍之介の『るしへる』という短編によっても知られたが、この人はもとが禅僧でキリシタンに改宗してフェレイラと同じイエズス会の修道士となって、仏教や神道よりもキリスト教が優れていることを説く『妙貞問答』を著した論客だ。一神数回士の優劣論議の伝統を口本の仏教や神道に応用するには日本人論客が必要だったはずで、この書の意味は大きい。しかし幕府の儒学若林羅山が「排耶蘇』という書で触れている論争を経て、棄教し、一転して『破提宇子(はだいうす)』を著した。林羅山はキリスト教だけでなく儒教と神道以外はすべて排除する立場であり、ハビアンもキリスト教を捨てた後、仏教に戻ったわけではない。彼のキリスト教批判は元イエズス会士らしくヨーロッパのキリスト教批判の定石に則っているが、そこに白人による覇権古義と優越思想への批判が盛り込まれている。この人が日本の宗教を捨てて「舶来宗教」に走ったことも、それを再び捨てて排撃しはじめたのも、それぞれの伝統社会における居心地の悪さの表明だったのかもしれない。
 
時代に先行した科学主義の精神が、その光をまずキリスト教普遍主義とイエズス会の科学精神に求めようとして得られず、異文化の壁に突き当たって閉塞する個人となってしまった例であろう。ハビアンの無神論はキリスト教であることがとりあえずデフォルト(標準環境)であった17世紀ヨーロッパでのそれとは違って、形而上学へと醸成されることはついになかったのである。(〜17世紀の無神論)

* * *

個人主義心理学がペシミスティックな無神論を孤絶に紡いでいた生存戦略の中で、20世紀以降のポストモダンの時代に最も大きな影響を与えたのはフリードリヒ・ニーチェである。「神は死んだ」という宣告で有名なニーチェは、神なき虚無の中で絶望する代わりに、力の意志を選び、超人思想の構築に至った。妹への手紙の中で「魂の平和がほしいのなら信じるがいい。真実の使徒でありたいのなら、探し求めるがいい」と書いたように、ニーチェは宗教の幻想に留まることも、絶望の中に立ちすくむことも拒否した。ニーチエは西欧近代における「神殺し」が実はキリスト教の世俗化であり、近代の「人間教」の理念がすべてキリスト教のシステムを非宗教化しただけであることを見抜いていたのだ。
 
牧師の息子であったが18歳の頃にはすでに、聖書解釈学や理想主義的哲学の前にはキリスト教は形骸化するだろうと予感していた。友人のルー・アンドレアス・サロメはニーチェが激しい宗教感情の持ち主で、神の死におののいていたことを証言している。ニーチェはキリスト教の神がもはや信じ難くなっていることの持つ意味の恐ろしさに誰よりも早く気づいた。神は死んだ。我々が神を殺したのだ。
 
神殺しはどのように行われたのだろう。まずルターが神を各人の個人的信仰に拠るものだとしたことで殺した。神自身も、人間を哀れみ過ぎたことで自らの死を招いた。神は神学に息の根を止められた。科学や心理学の発展も神を殺した。そして、そのように断末魔に苦しむ惨めな神の姿を見るに忍びないニーチェ的な意志によってさらに止めを剌されるのだ。
 
最悪なのは、人々が神を殺したことに気づいていないことだ。キリスト教をユマニスムに置き換えただけで、倫理学も形而上学も実は何も変わっていない。人々はまるで神がまだ生きているかのように振る舞っているのだ。
 
今や、人は神の死という現実を見据えて、神なしで生きることに慣れなければならない。それには二つの方法がある。一つは「大衆向け」の方法で、奴隷の倫理を選ぶこと、つまり神の代わりに、科学や進歩や民主主義や真実といった偶像の新しい神の影を拝んでいればいい。そのうちに、人は生存条件の悪い場所を捨てていくのでこの世はますます狭まるだろう。温め合うために身を寄せ合うこともあり、快適に生きるためにも毒を盛り、快適に死ぬためにも毒を盛る。みな平等で、昼も夜も楽しく生きて健康に気をつけて、適度な「幸福」に生きて満足していればよい。これが超人の反対の「末人」の道である。

もう一つは真の無神論者、すなわち「超越」幻想から解放されて神のいない世界を引き受ける人々向けの「超人」の道である。真実や意味などは存在しない。すべては許されている。超人にとってのモラルとは力の意志である。神の前の平等というキリスト教の平等に薇づくモラルは馬鹿げている。

超人は、永遠に回帰し続ける世界を前に英雄的に生きる。ショーペンハウアーのような諦念と絶望は超人の道ではない。しかし、抗し難い運命の前で自由に生きることを選択するのは、それ自体が矛盾している。ニーチェは懐疑に蝕まれ、自己を真に信じるためには狂気の道しかないと追い詰められた。こうして19世紀の超人は狂気の中に突き進み、次の世紀には、平等な小市民の幸福を追求する「末人」たちが近代とポストモダンの世界を埋め尽くすことになるのである。(〜19世紀の無神論 P140)

(引用終了)


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by yomodalite | 2015-05-22 06:00 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(2)

大阪に来て2年が経った..(大阪市住民投票)

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東京での20余年間だけで、10回も引っ越ししている私だけど、転勤という会社都合で移動させられるという経験は初めてのことで、最初は理不尽な思いもあったのだ。

会社が契約している引っ越し業者は、私に対してお客さんという意識がなく、リーダーの男性はスタッフを軍隊のように厳しく統率していて、何日も準備に追われて引っ越し当日を迎えた私の心は、何度も逆なでされるような思いを味わったのだけど、大阪に到着して荷物を運び入れてくれた業者さんの態度は、まるで違っていた。
リーダーの男性は、集団の中でいちばん優しい人が選ばれたのかと思うような人で、要領の悪いスタッフによるミスを事前に防ぐために段取りを考えるなど、予想外のトラブルが多くあったにも関わらず、一度も怒ることなく、すべての荷物を運び入れたあと、ひとりだけ残って、アンティーク家具の扉の調整に時間をかけてくれたり、本当に最後まで細かい点にも気を使ってくれて、とても優しかった。

大阪が優しい街だという印象はその日以来、今日まで変っていない。

東京は、自分に厳しく、人にも厳しい。
大阪は、人に優しく、自分にも甘い。ような気がする。

その印象は、ずっと東京都心で暮らしてきた渋谷生まれで渋谷育ちのダーリンも同じで、彼も来てすぐに大阪が好きになって、今は、私としゃべるときでさえ大阪弁で、すっかり大阪のオッサンと化している。



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私たちふたりは、引っ越す前は東京中央区に住んでいて、今は、大阪北区に住んでいる。それで、丸の内〜銀座〜月島〜豊洲あたりとは、かなり具体的に比較していると思うけど、大阪の街は、東京よりも美しい魅力に溢れているように見える。なにを美しく感じるかは人それぞれではあるけど、忙しく造った家賃が高いだけのマンションとか、サラ金とか、連れ込まれて高額商品を買わされそうな店ばかり、、といった雑居ビルが少ないうえに、凝った造りのレトロビルが現在も有効に使われていて、新宿や渋谷の駅前の感じとは比較にならないぐらい、大阪の中心部は落ち着いた雰囲気がある。

ダーリンは、同じ会社の東京本社と大阪支部なので、給料にはほとんど変化がないけど、会社のビルは大阪の方がキレイで、場所も便利なところにある。私たちは東京の家を貸し、大阪で家を借りているので、収支的にはプラスになっているうえに、大阪の方が物価が安く、味もサービスも年々低下していると感じていた東京と比べて、個性豊かな美味しい食べ物屋さんもいっぱいあって、不満を感じることがない。

そんなわけで、

私たちは、大阪のどこに問題があるのか、まだわからない状態なのだけど、

ダーリンは、♪自分のこーとーやから自分で決めなアカン〜♫っていう住民投票のテーマソングを口ずさみつつ、ふたりは投票に行き、賛成と反対に1票づつ入れた。


《投票に行こう!イベントの動画》
MJ&ダイアナの『Ease On Down』で
ダンスしている人たちもすごく素敵だけど、
6:40〜で寺前未来さんが歌っている
「投票ソング」が、結構いい曲で
大阪の街ではよく流れていた。
9:17〜から始まる曲も
私が感じている大阪感が満載で素敵な曲!





少女時代を過ごした名古屋では、このまま名古屋にいるか、大阪に行くか、東京に行くか、という3つの選択があって、私はそのとき東京に行って良かったと今でも思ってるけど、再婚して、仕事をやめて、老眼鏡が必要な年齢になって、大阪に来ることができたこともすごく良かったと思う。

かつての東京には、アメリカもイギリスもフランスもイタリアもロシアもフランスもインドも中国もあったように感じたんだけど、今、入ってくるのはアメリカの極一部だけで、それで、日本がつまらなくなったように思えてならなかったんだけど、日本の中で、ほんの数時間離れただけで、こんなに感覚が違っているなんて思ってもみなかった。

東京と大阪が違っているとは思っていたけど、
こんな風に違っているとは、想像していなかったんだよね。

投票を済ませ、ブラブラ歩いていたら、最近できたばかりの、倉庫っぽい建物を利用して、たくさんのレコードと、立派なスピーカーがあって、スペシャルなコーヒーだけでなく、日曜の昼間に、とっても美味しいオリジナルカクテルまで出してくれるカフェを発見。


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「“都” になったら、大阪駅から10分ぐらいの場所に、個人でこーゆーお店は創れなくなるんじゃないかなぁ・・」という私。

アルコールが入ったこともあり、東京にいたとき、若い女性を連れたタレント時代の橋本市長が、麻布の焼き鳥屋で隣に座ったときのこととか、仕事仲間の妹が、ヅラウォッチャー(ヅラをかぶってる人を発見するのが何よりも好き)で、念願かなってw、カツラメーカーの社員と合コンしたときに聞いた話とか、

橋本市長の話になると、必ず持ち出して何度でも繰り返して話しているうちに、原型すらわからなくなってきているネタを、さらに盛って話そうとするダーリン。。

だから、、あれはキャバ嬢じゃなくて、あの番組のアシスタントだったってば、、つうか、実際に隣に座ってたのは、私なんですけどぉ、とかなんとか、その話を「原型」に戻そうとするうちに、頭が「焼き鳥」のことでいっぱいになる私、、、

大阪住民投票の日は、そんな感じで暮れていったのだった。




《寺前未来さんの歌の歌詞》


世界中のできごとに心を揺らして、

やさしいあなたは笑ったり泣いたり忙しい。

それならば、その前に、大好きな人の住むこの街を大切に、

もういちど見つめよう。

自分の街のことやから、自分で決めなあかん。

自分の街のことやからね、自分で決めなあかん。

だいじょうぶ、だいじょうぶ、とってもシンプルなの。

幸せの形は、あなたの中にある。


自分の街のことやから、自分で決めたいの。

自分の街のことやからねぇ、、ららら・・・




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by yomodalite | 2015-05-19 17:40 | 日常と写真 | Trackback | Comments(8)

ウィラとヴォーゲルの会話への感想。。

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先日紹介したウィラとヴォーゲルの会話(Boy, is that Girl with You?)で、引用されていた本が面白くて、ふたりの会話について、chiidspirits先生とおしゃべりしてみました。


* * *


Y:いつもは、私がリクエストしてばっかりなんだけど、この記事は、childspirits先生の方からオススメしてもらったんだよね。最初に興味深いと感じたのはどういった部分だったのかな?



C:うん、この曲とショートフィルムが、人種の壁をぶち破る、というマイケルの意思表明だということは、タイトルからすぐわかるんだけど、、それ以上の要素がいっぱい詰まっているということを考えさせてくれる記事で、みんなでシェアしたいなと思ったのね。


たとえば、ショートフィルムのブロローグ部分が、白人家庭の孤立と機能不全、特に父と息子のそれを描いているとか、人種だけではなくジェンダーの壁を破ろうとするメッセージが込められていたんだとか。私たちのよく知らないアメリカの社会的背景とか、そういう見方もあるのかぁ、と思わせてくれる記事だったから。このサイトの記事はどれもそうなんだけどね。


あと、ラルフ・エリソンとかジェイムズ・ボールドウィンなどの作家の名前が、MJとの関連から出てきたことにも興味をひかれた。考えてみると彼らは文学の世界で、人種を越えたファン層を獲得し、議論を巻き起こした、いわばMJの先達なんだよね。「MJと文学」という観点は、自分には興味深くて、多くの人にも知ってもらいたいような気がしたのね。それと、もうひとつ、去年から頻発している黒人青年と白人警察官の事件がボルティモアで暴発したということもあって、この歌でMJが提起した問題は、まったく今日的なことなんだなぁと、改めて思ったので。



Y:この文章からは、マイケルが「人種の壁を突破した」とか「黒人として初めて、、」と言われていることが、実際にどれほどの偉業だったかについて、あらためて理解できるよね。ただ、当時の日本のファンは、MJのことを黒人という意識では見ていなかったし、彼が登場した80年代以降、日本のお茶の間にまで浸透したアメリカのスターは黒人の方が多かったという印象もあって、人種差別は、切実な問題として考えられなかったんだよね。



C : 彼らの活躍を目の当たりにすれば、アメリカの人種問題の深刻さや残酷さを感じることは少なかったかもしれないよね。


でも、かつては日本でも、結構アメリカの黒人が抱える問題を意識してたんじゃないかと思う。文学の話で言うと、1961年から68年にかけて、立派な黒人文学全集刊行されて、この中にはラルフ・エリソンやボールドウィンや、彼らの先輩であるリチャード・ライトも取り上げられている。そういう全集が編まれたってことは、需要があったんだよね。それに私が中学校の頃、音楽の教科書には「オールド・ブラック・ジョー」ものっていたし、「アンクルトムの小屋」の話も、小説全部読んだことはなくても、あらすじくらいは知ってる人が多かった。でも、今の若い人にはどちらも全くと言っていいほど、なじみがないみたい。先に挙げたボルティモアの暴動についての新聞記事を大学の授業で読む場合、かなり予習が必要な感じがするもの。



Y:その頃、黒人文学とか、人種差別について熱心だったっていうのは、“人権” について考えることが日本が近代国家になるために重要だっていう認識が教育現場にあったからじゃないかな。日本が貧しくても、上を見ていられた時代には、差別に打ち勝ってきた黒人たちへの共感があったんだと思う。


でも、日本人としてのプライドが揺らぎ始めた昨今では、日本礼賛みたいな教育の方が重要みたいで。。当時はよくわからなかったけど、最近の嫌韓・反中といった恥ずかしいブームを経験して、ようやく、今だに絶えない黒人差別がどういうことだったか、少しわかったような気がするよね。要するに今まで下に見ていたものが、そうとはいえなくなったとき、差別感情は、前よりももっと激しくなるということが。。



C : うん、人権についての関心は、上っていくべき目標がはっきりしていた、精神的なゆとりがあったからというのは、本当にそうだと思う。敗戦後、とにかくアメリカについて何でも知らねば、という機運もあったのだろうしね。かつてアメリカで、黒人に対してもっとも差別意識や憎悪をあからさまにしたのは、レッドネックと呼ばれるような貧困層の白人で、それはある意味分かりやすい構図だったのかもしれない。でも黒人の地位が上がり、大成功して何もかも手に入れているように見える黒人が現れてくると、既得権益をおびやかされる白人の層はかつてとは違ってくるわけで、差別や嫌悪の現れ方も違ってくる。


それは、日本で今起きている差別問題からも感じることだけど、私たちは、結局、アメリカの人種差別から大して学んでおらず、安全なところから黒人に対して勝手な共感を抱いたり、同情していただけだったのでは、と思わされるね。



Y:貧困層から始まった差別感情が、中間層の落ち込みにともなって、拡大していくという構図は、アメリカも日本もまったく同じで、その感情は黒人だけでなく、ユダヤ人感情にも見られるものだよね。


ただ、日本人が、黒人差別がわからないのは、異人種が少ない島国だからという部分もあるけど、ヨーロッパには、いっぱい黒人がいるのに、これほど差別が激しく、差別を根底にした暴行事件が多発しているのは、アメリカだけなんだよね。そういう意味では、ウィラは、「人種というのは、生物学的事実ではなく文化的なコンセプトによって生じるもの」だと言っているけど、私は、それを世界で最も受け入れないことが “アメリカ文化” だと言えるんじゃないかと思う。少し皮肉めいた言い方をしちゃうけど、アメリカのアカデミーで「人種問題」というのは、いつの時代もトレンドであって論文にしやすいんだなぁ、と。



C : ウィラの「人種というのは・・・」という発言は、現実の「アメリカ文化」がそれとは正反対だからこそ、特に意味を持つわけだよね。



Y:それで、そのことと少し関係があると思うんだけど、ロバート・ブライの『アイアン・ジョンの魂』が取り上げられてたでしょう。私たちふたりとも、その本を知らなくて、あわてて読んでみたわけなんだけど、訳してるときに想像してた内容とは印象が違ってて、それについても少し驚いたよね?


◎アイアン・ジョンの魂(単行本)

◎グリム童話の正しい読み方―『鉄のハンス』が教える生き方の処方箋 (文庫)



C:てっきり、マッチョな男性像や、家父長的な強い父親を取り戻そう、みたいなメッセージかと思ったら、のっけから全然違っていて、すごく意外だった。でも、調べてみたらブライという人は、シュールレアリストとしてスタートし、芭蕉や一茶の翻訳もしてるし、戦争や自然についての優れた作品もあり、異文化や歴史について広く深い関心を持った詩人なのよね。単純にマッチョの回復なんか提唱するするばずはないんだね。やっぱりちゃんと、原典にあたるの大事だなぁと、またもや実感。MJに関わってると、それをくりかえし諭されるように思うのだけれど、すぐ忘れちゃって・・・ベストセラーに対する偏見(笑)も悪い癖です。



Y:ホント実際読んでみてよかったよね。これはグリム童話の『鉄のハンス』(米国ではアイアン・ジョンとして知られている)の物語の解釈から、人生を探求する物語なんだけど、神話やおとぎ話やフロイトの理論について、自分の成長に繋げて考えるのではなく、世の現象や、他者への分析にカンタンに解答を出すための手段としか考えていないような人が書いたものとは一線を画す内容で、


「大変な時代を生きることになった。今まで通用してきた “男らしさ” なんてものがヨレヨレに擦り切れて、使い物にならない時代になってしまった」


ってところから始まる。ヴォーゲルは、この本について、「それがすべての男性に通じる普遍的なメッセージで “男らしさの危機” に対するオールマイティな処方箋だと思ってる」ところが問題だと言っているけど、


ブライが90年代に投げかけた問題というのは、むしろ、誰にでも有効な処方箋なんてないにも関わらず、正しさを世界中に押し付けたり、あるいは、様々な考え方を “調和させて” 、ひとつの正しさをつくることに熱中するあまり、古いものや、伝統から学ぶことが出来なくなっていること、それが、90年代のアメリカの病理の原因のひとつだと指摘しているところじゃない。


「鳥たちは、裸の木にどうやって巣をつくるのか、渡り鳥はどうやって越冬の地に飛んでいくのか、そういった情報は、本能の中枢に溜め込んで子々孫々へと伝えられていくわけだが、それでは人間たちはどうしてきたのだろう。新しい状況に対応していくために、たくさんの選択肢が必要であることを知って、そのための情報を、本能以外のところに蓄えることにしてきたのである。それが、おとぎ話であり、伝説や神話や昔話なのである。(...)この分野では、近世さまざまな人物が傑出した研究をしている。ジョージ・グロデック(*1)、グルジェフ、カール・ユング、ハインリッヒ・ジンマー、ジョーゼフ・キャンベル(*2)、ジョルジュ・デュメジルなどがあげられる。おとぎ話の世界に、私の目をひらかせてくれた先生は、マリー=ルイズ・フォン・フランツで、彼女のたくさんの著書の中で、女の物語に真摯に取り組んだように、私は男の物語について、忠実に追求してみたいと思っている」


というような記述からも、単純な「男性回帰運動」のようなものではないことがわかると思うし、ウィラが、「郊外で肘掛け椅子に座ってた父親がアフリカに吹き飛ばされて、マイケルジャクソンが部族の男性たちと踊る」という部分が、ブライのメッセージをそのまま表したシーンだと言っている意味も、少し想像できると思う。ただ、次に「インドの女性や、ロシアの男性グループとも踊る」ことが、ブライのメッセージとはかけ離れているかどうかは微妙かなぁ。



C : 私も、神話やおとぎ話やそれを分析する心理学の要素をふんだんに盛り込んで説明してくれている彼のメッセージと、マイケルがやろうとしていたことの間には、それほどギャップがあるとは思えなかったなぁ。「“男らしさの危機” に対するオールマイティな処方箋だと思ってる」のは、本の内容を受け取る側の問題であって、ブライが提起した「90年代のアメリカの病理」は、マイケルが『ブラック・オア・ホワイト』で突きつけようとしたものの中にもあって、それは、今に至るまで解決されてないと思う。



Y:この本を読んでいたら、以前、MJが子供たちのために書いたホラーストーリーのことを思い出して、このとき、MJは「通過儀礼」の重要さをわかってる人なんだなぁと思ったんだけど、ブライの考え方は、父親としてのMJの考え方と割と近い感じがしたよね。


◎[関連記事]Michael's Horror Story



C:マイケル、こんなホラーストーリー書いてたんだ。このメモに、昔話に出てくる「通過儀礼」の要素があるというのは、「アイアン・ジョン」を読んだあとだと、よくわかるね。MJは神話や心理学についてもすごく本を読んでるし、考えてもいたものね。子育てしているときのMJについては、子供を抱いたり世話をしたりという、ちょっと母性を感じさせるような文章や画像も多いんだけど、じつは彼は父として、ブライの言う「ワイルド・マン」の要素もすごく大事に思っていたんじゃない。それに、周りいた少年たち(フランク・カシオ含め)や若いアーティストたちへの接し方を見ると、MJは、若者たちが「ワイルド・マン」に出会う助けをする年長者(この本の訳では「年寄り」だけど)の役目を果たそうとしていたようにも見える。この本にある、子供と黄金のマリの話(7章)なんかも、MJが子供について言っていることと、すごく共通点があるし、体や心に受けた傷によって「ジーニアス」を発見していく(8章)、なんていうところも印象的だった。



Y:最初に「僕はシーツなんか恐くない:『ブラック・オア・ホワイト』における黒人の男らしさ再考」というヴォーゲルの論文のタイトルを見たとき、これがマイケルの「男らしさ」について論じられたものだということに、あんまりピンと来なかったのね。というのも、MJといえば「ピーターパン」で、大人になりたくない、いつまでも少年でいたい若者の代表で、黒人社会の中でも、ネイション・イスラムのルイス・ファラカンとか、“男らしくない” MJは、黒人の若者に悪影響を与えるみたいなことを言ってたでしょう。MJはこれまで「男らしくなくてもいい」というアイコンだったと思うんだよね。


でも、MJと同世代のスパイク・リーは『ブラック・オア・ホワイト』に共感して、ネイション・オブ・イスラムの呼びかけによるミリオンマーチに参加する予定だった人々を “別の場所” へと連れていく『ゲット・オン・ザ・バス』という映画を作り、同じ年(1996)に『ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス』のショート・フィルムも撮っている。これらの作品は、従来のような人権運動家による黒人の権利の獲得や、ブラックパワーのような黒人礼賛ではなく、人種を超えた連帯を表現したものだった。


◎[関連記事]マイケルとスパイク・リー



C:両方の作品とも、より高い次元を目指して若者を導いていく、男性の姿があるよね。「ピーターパン・シンドローム」という言葉のおかげで、ピーター・パンといえば、「大人になりたくない」部分ばかり強調され、MJが自分をたとえて言った意味も、かなり狭められて伝わっているけど、ブライの本では、飛翔し続ける若者、という意味で論じられているんだよね。



Y:ブライの本は1990年に出版されたものだから、『ブラック・オア・ホワイト』についての記述はないけど、マイケルが登場する箇所はあるんだよね。それは第4章の「父親不在の時代における王への飢餓」という章なんだけど、


「誰でも “王” と一緒にいられたらなぁと思う。若い女の子たちのあの熱狂ぶりはどうだ。「キング」と呼ばれたエルヴィス、最近では「プリンス」を目にした時のあの興奮ぶり、ディヴィッド・レターマンの家に絶えず押しかける女性たち。チャールズ皇太子の部屋からナプキンを盗んだり、マイケル・ジャクソンの家の外でキャンプをしたり、、、みんなが「王」の前にいたがる。ダライ・ラマは多くの人たちのために「王」の役を演じている。場合によっては、彼は法王の座さえ揺るがしかねない。父親に対する飢餓感は、王に対する飢餓感に形を変える…」


MJが「KING OF POP」という称号を大事に思って、本当に素晴らしい “王” になるためにどれだけ多くの努力していたか。それはポップミュージック界の王様というだけでなく、「人民のための王」という意味まで含まれていたよね。


マイケルとの繋がりを感じてしまう箇所は他にもいっぱいあるんだけど、第7章「赤、白、黒毛の馬にのること」の中から要約して引用すると、


「ヨーロッパのおとぎ話を調べれば、赤、白、黒の3色にこだわっているのがわかる。しかも、この3色には、ある順序が見られる。(...)白は、新月の聖母マリア、赤は満月の母親気質、最後の黒は、旧月の老婆。(...)若い女が、純潔の白から始まるのなら、少年は赤から始まる。(...)若者たちは、炎のように燃え、戦い、赤を見ては難題にぶつかるように鼓舞される。(...)


中世では、アイアン・ジョンの順序に、大いなる注意が払われていた。パルジファルの冒険談はその一例で、ここには赤騎士から白騎士へ、そして黒騎士へと、物語の展開がある。赤騎士時代に、どんなに多くの反社会的な行為に耽ることか!でも、赤を経ないでは、白には到達できないのである。でも、現代はそうはいかない。私たちは義務教育によって、子供を直接「白騎士」へと仕立てようとしている。(...)


私たちアメリカの、白騎士の段階には、どんな危険性が考えられるか。この白騎士は、赤の段階を通ってきていないため、耐えられなくなることが多いんだなぁ。そして悪しき赤を、インディアンや、共産主義者や、言うことをきかない女たちや、黒人たちに投影している。(...)レンブラントの絵は、彼が年をとっていくにつれて、周縁部の方がだんだん暗くなっている。黒の段階にいる人は、通常、他人を非難しなくなる。(...)ユーモアは、黒の段階になると生まれる」



こういった色の感覚についても、MJはすごく取り入れていたし、彼が『ブラック・オア・ホワイト』のとき、すでにユーモアを身につけるという黒の段階にあったことは、記事の中で紹介したメイキング動画でも感じられるけど、「I’m not going to spend my life being a color(僕は生涯、有色人種と呼ばれて生きる気はない)」というラップを、自分や黒人ラッパーではなく、制作者のひとりであるボットレルにやらせたのは、彼がラッパーではなく、しかも白人だったから。というエピソードなんかも、そういった事実を強化する話だよね。


◎[参考記事]http://7mjj.blog.fc2.com/blog-entry-194.html



もう少し、要約引用を続けると、


「私たちが『アイアン・ジョン』の物語から得られるものは、ほかでもない、若い男性が赤の強烈さから、白の交戦へ、そして黒の人間性にまで進んでいくという考え方ではないだろうか。(...)


聖職者たちは、赤の段階を飛び越えたたえに、自分を白の段階に強制的につなぎとめておかなくてはならない。政治家は、現実には正体不明の色である間も、白を装わなくてはならない。


人が黒へと動いていくとき、その段階で、影の材料すべてがあらわになってくる。それは、長いあいだ、悪玉の男や女たちや、共産主義者や、魔女や、圧政者の顔面に、内なる黒として投影されていたものだ。だから、この過程は、影を取り戻し、食べることだ、と言っていいと思う。ロバート・フロスト(*3)は、自分の影をたくさん食べた。だから彼は偉大なのだ。


黒へと進む男は、「道ある限り歩く」必要がある。黒に入っていくには、長い時間がかかる。男が投げ捨ててしまった、彼自身の暗い部分を見出す前に、どのくらいの年月が過ぎていくのだろう?彼がその部分を発見し、とっさにその瞬間、彼の黄金の髪が肩にはらりと落ち、すべての男たちは、彼の正体を知るところとなるーー」



で、、この文章は、「だが、それは次の物語である」で終わり、次章は、第8章「王の家臣から受けた傷」で、そこには、さまざまな “傷” についての話と、トリックスターの話も登場するんだけど、、2000年以降のマイケルの変化を語るうえで、ここに書かれてあることは重要だよね。社会が何を忘れていたのか。を思い出させてくれるし、MJがおとぎ話の重要性について語っていたことが、“子供らしさを失わないこと” ということだけではなかったこと。そして、マイケルが “子供らしさを失わないこと” を、あれほど語っていながら、父親として子供に良い教育ができた秘密についてもね。



C:そう。対談では、ブライのメッセージをかなり限定した形で引用したきらいもあるんだよね。それは、当時の一般的な理解のされ方がそうだった、ということなのかも知れないけど。とにかく本全体からは、マイケルが伝えようとしたこととの共通点がたくさん含まれていると思う。それは、最近あったボルティモアの抗議運動で『ゼイ・ドント・ケア・アバウト・アス』が使われ、そして、その抗議行動の中で起こった暴動を抑えたのも、MJの『ビート・イット』だったという事実にもよく表れていると思う。



今回ウィラたちの対談を訳したことは、始めに述べたような意味ですごく勉強になったんだけど、でもいちばん勉強になったのは、このブライの本を読んだことかなぁ。この本を丸ごと肯定するとかじゃないけど、マイケルのことや、自分のことを、いままで出来なかった角度から考え直すヒントを、いっぱい与えてくれそうな気がするもの。それと、ここには西洋の思想教養をもとにした分析があるけれど、私たちの先祖にはどういう神話や民話があり、それがどう通過儀礼と結びついていたか、などもさかのぼりたくなったなぁ。



Y:同感!ブライがこの本で語っている男性の段階について、マイケルは、すごく自覚的にその段階すべてを経験しようとして、「道ある限り歩き続けた」と思う。私たち、最終的にいつもこの結論に達しちゃうんだけど、またもや、「マイケルにはすべてがある」って思っちゃった。


未だに、MJについて、輝かしい成功を納めたものの、度重なる整形や、晩年は奇行が目立ち、、というような “物語” だと思っている人は、ただ、年をとったり、デカいだけのおバカな “お子ちゃま” で、「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪である」とか言った男は、青年期の成功から一歩も成長できなかったんだなぁなんてことも、よくわかったしね(笑)



C:「黒」に至るかどうかは、年齢に関係ないんだよね。



Y:マイケルのメッセージというのは、あらゆる考えの人々が利用したくなるほど、とても、ひとりの人間のメッセージとは思えないぐらい、「他者」を取り込んでいるんだよね。 

 

こうなると、ますますウィラが感動したという、ヴォーゲルがブライを引用して、MJの男らしさについて書いた論文も読んでみたくなるよね。childspirits先生!(笑)



C:英文読むのが遅い私に新たなが苦難が…。でも、いままでの経験からすると、MJに導かれてやることに、ハズレはないからなぁ。



Y:ブライは、第8章「王の家臣から受けた傷」の中で、「教師やセラピストたちは、自分の中に強力な料理人や、神話学者、あるいは魔術師を持っていることが多い。けれども、もし教師がワイルド・マンやワイルド・ウーマンを育てなかったなら、その人は私たちが「学者屋」と呼ぶだけのヘンテコな存在になってしまう。。」など、しばしば “学者屋” に対しての批判をしているんだけど、、ヴォーゲル、だいじょうぶかなぁ?(笑)



C : それ、私にとってもドキッとする言葉。やっぱり、読んでみなくちゃね!



《註》_________



(*1)ジョージ・グロデック/日本の著書ではゲオルグ・グロデック。精神分析者としてこのエスの概念を最初に提唱した。フロイトはグロデックからこの概念を借りている。著書『エスとの対話』『エスの本』など。



(*2)ジョーゼフ・キャンベル/『スターウォーズ』にも影響を与えたと言われる『千の顔をもつ英雄』で神話の基本構造を論じ、神話学の巨匠となる(ただし翻訳本はものすごく読みにくい)。死後に出版された『神話の力』は、ジャーナリストのビル・モイヤーズとの対談集で読みやすくおすすめです。



(*3)ロバート・フロスト/自伝『ムーン・ウォーク』の中で、マイケルもフロストを引用しています。

There are so many things all around us to be thankful for. Wasn't it Robert Frost who wrote about the world a person can see in a leaf? I think that's true. That's what I love about being with kids.

僕たちの周囲には感謝することがあふれてる。1枚の葉の中に世界を見ることができるって書いたのは、ロバート・フロストだったっけ?それは本当だと思う。僕が子どもたちと一緒にいるのが好きなのも、そういうことなんだ。(←この日本語は私訳。Chapter 6「愛こそはすべて」P287)

フロストのどの詩のことなのかはよくわからないのですが、、
こんな有名な詩があります

“Nothing Gold Can Stay”


Nature's first green is gold,

Her hardest hue to hold.

Her early leaf's a flower;

But only so an hour.

Then leaf subsides to leaf,

So Eden sank to grief,

So dawn goes down to day

Nothing gold can stay.


--- Robert Frost




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by yomodalite | 2015-05-17 22:30 | MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

映画『ズタボロ』

ズタボロ [DVD]

永瀬匡,清水富美加,堀井新太,成田瑛基,荒井敦史



前作『ワルボロ』はビデオですませてしまったこともあり、どうにか師匠へのこれまでの不義理を少しでも返したい。

MJのことばかり考えていて、ゲッツ師匠のことを忘れていてごめんなさい。自分、『ズタボロ』は絶対に映画館で観させてもらいますっ!

てな気分で、梅田のファッションビル内のシアターに行くと、レディースデーの昼間に、この映画を見ようと思う人が少ないせいか、いつもは小ぎれいなシアター内の雰囲気もどこか違っていて、映画が始まる直前まで、すぐ後ろの席から、おっさんのものらしいいびき声のような音も響いていて、もしかして、この映画に出てくるようなタイプだったら、どうしよう。とか、

通常、映画を見る前のドキドキ感とはまったく違う緊張感で、映画は始まりました。

映画の『ズタボロ』は、小説の『メタボロ』と『ズタボロ』両作品を映画化したもの。


コーちゃんは、高校に進学し、地元最凶の暴走族「立川獄門」から理不尽なヤキを入れられる毎日。のっけから、映画館中に、ズシッズシッというパンチの音が響き渡って、その音は最後まで途切れることがないぐらい、本当に死と隣り合わせのような殴りあいが続く。暴力シーンはどんな種類も苦手で、目を背けたくなるようなシーンがない映画なんてないと思うぐらいなんだけど、この映画の暴力シーンは残虐度においてそれらを上回っているとは言えないのに、自分の身に感じる重たさは、これまで感じたことがないものだった。

コーちゃんの喧嘩への熱情は、まったく理解できないし、ヤンキー文化とは遠い場所にいた自分が、こんなにも惹きつけられてしまうわけを、あえて言葉にすれば、それはきっと「純粋さ」なんだと思う。

子供が、その子供らしさを失うのは、いつ頃かはわからないけど、私が同級生が変わったことを感じたのは、小学校を卒業する前だった。中学には、未来への希望で目がキラキラしている同級生なんていなかったし、いたとしても、それは「鈍さ」であって、10代の少年少女にとって、純粋さとは、ある種の凶暴さを抱え込まずにはいられないようなものだったと思う。

それで、高校生のコーちゃんの崖っぷち感だけはわかるような気がするのだ。

完成度はまったく違うけど、これは『ゴッドファーザー』のように 板谷家の “サーガ” であって、小説でも印象的だった『道化師』の音楽は、どんなギャング映画よりも、やっぱりこの話に相応しかった。

『ワルボロ』にあった明るさや、笑えるような部分は、『ズタボロ』にはまったくなくて、高校生のコーちゃんは暗闇の中にいて、そこからさらに闇を求めることで、今の暗さから脱出しようとしてもがく。この映画の暴力シーンが、一般的な洋画のレベルよりも残虐とは思わないけど、高校生を描いたこの物語ほど、ヤクザや、彼らの生きる世界の怖さが感じられる映画もないと思った。

映画は、小説で描かれている背景が描き切れていない不満はあるものの、この話に出会えた喜びは、再確認できました。



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by yomodalite | 2015-05-15 22:54 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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