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JAY‐Z―ロッカフェラ王朝を築いたヒップホップの帝王 (warp ARTIST SERIES (3))

ジェイク ブラウン/トランスワールドジャパン



☆[1]の続き

(下記は、省略・要約して引用しています)

デイモン・ダッシュという男

ロッカフェラ・レコードの設立とデフ・ジャムとの提携の何年も前、ジェイのパートナーであるデイモン・ダッシュはすでに伝説を築いている途中だった。1971年5月3日、ニューヨークの東ハーレムで生まれ、ジェイのように秘書として長時間働いていた母との母子家庭でダッシュは育てられた。幼少から数字に明るい子どもであり、理由が不明のまま退学となるまでは、マンハッタン市街にあるエリート・フレップ・スクールの奨学生であった。その後コネチカット州に引っ越し、再びサウスケント・ボーディングスクールの奨学生となる。アイビーリーグ大学への奨学生になりうる可能性を秘めながらも、ダッシュは高学歴への道程を突然遮られることとなった。

ダッシュ:「俺が15歳の時に、母がぜんそくの発作で逝ったんだ。その後も学校生活に打ち込んだ。だって母は何においても一番を与えてくれたから。俺はアップタウン(ハーレム地区)出身だけどパークアヴェニュー(高級地区)の学校に行ってた。かなり高級だったよ。別荘があって、メイドやシェフが普通にいる子たちに囲まれてた。でも俺とそんなに変わらなかったよ。そこでの友人は今でも友人だよ。でも行くのをやめたんだ、ローファー履いて、カーキのパンツにブレザーの制服を着て、ここに帰ってくるのがどんなに難しいことか分かるかい。サウスケントから戻ってきて、町でウエストハイスクールっていう一番悪い高校に行ったんだ。そしてまた退学になった。俺のことを傲慢だと思ったんだろうね。だから結局GED(大学検定)を取ることになった。俺には2つの生活があった。アップタウンでの生活はハーレムで、ダウンタウンでの生活はパークアヴェニューと81番通りにあった公立高校で。だから両方を見れたんだ」
 
ボーディングスクール時代、ダッシュは白人郊外型アメリカ像の中に黒人文化の可能性を含んだ、ビジネスマンとして初めての悟りを開く。

「ストリートで何か起こっているかに興味のある人たちの層の厚さに驚かされたよ。そして将来、それをどうにかしてビジネスにしようと決めて、ストリートを売り出そうと思ったんだ。楽しくて、金が稼げる仕事をしたかったからね」

ジェイ・Zとデイモン・ダッシュの出会い

ダッシュ:「初めてジェイに会ったのは21歳の時だった。マネジャーとしてレコード契約を取ったのが19歳の時だけど、レンガを食わされたね。つまり売れなかったってことだよ。それでビジネスについて、どうやって売り出すかについて再び学ばなきやいけなかったんだ。ジェイと出会った時、すべて白分たちでやろうって決めたんだ。あれをこうしろとか、ああしろなんて他人に言われたくなかった。何の影響も受けない。すべての才能は賭けなんだ」

ジェイ:「俺がデイモン・ダッシュに初めて会ったのと同じころ、彼はアーティストのマネジメントもしていた。デイモンはハーレム出身で、俺はブルックリン。

ニューヨークから来た人は誰でも、どれだけアップタウンとブルックリンのやつらが違うか分かるけど。マンハッタンは作り、ブルックリンは真似する。でも俺はハーレムが有名な『やってみろ』の精神をいつも持っていたんだ」

ダッシュ:「ジェイはいいラッパーとして知られていたけど、ビジネスが好きじゃなかったみたいでね。俺たちはまったく違う環境で育ったけど、すぐに仲良くなったよ。俺はジェイに会いにブルックリンにあるフレッシュ・ゴードンスタジオまで行ったんだ。これはすごいことだよ。だってその当時ハーレムのやつはブルックリンには行かなかったんだ。

やつに会って一番初めに気が付いたのは、ナイキ・エアーを履いているってことだったんだ。それはハーレムのやつらだけがやっていたことで、それをやつはちゃんと履きこなしていた。靴ひももすべて、ちゃんとしてたよ。その時にこいつはやるやつだなって思ったね。それから二人は友達になった。

ハーレムやブルックリンから来た人間は、お互いにクレイジーなステレオタイプを持っているんだ。でも俺らはいい友達になったよ。俺たちはストリートレーベルをやれるって思ったね」

ジェイ:「俺とデイム、そしてもう一人のパートナーであるビッグス(キャリーム・バーク)はブルックリン、ハーレムと違うところから来たけど、俺たち3人をつなげていたのは野望だった。自分たちの可能性に見えを張って、ロッカフェラ・レコードを設立したんだ。俺たちは同じことを望んでいた。レコード会社、フィルム会社も全部計画の一部だった。でも俺とデイムはまったく正反対の人間。彼は論議と交渉に生きる人。俺は交渉には向いていない。スタジオにいるのがいいんだよ」

ニューヨークのストリートから

ロッカフェラは会社レベルとしての信用を築きながらも、ストリートでの勢いを保つことを心掛けていた。プロモーションのために雇ったストリートチームは、持っているものすべてを自ら稼いできたハングリーなハスラーたちからなる、まさにストリートのチームであり、競争心を燃やしていた。ジェイとデイムはまるでドラッグディーラーを使うようにチームを動かし、地域の角すべてに人を配置し、彼らはプロモーション用のポスターやチラシを張ったり、車のトランクに入っているシングルを売ったりした。それに気付き始めていたメジャーレーベルが、彼らを無視できないほどの勢いを築いていく。

ニューヨークでのヒップホップは勢いに乗っていた。大げさに言えば、ファンクなベースからトランクのウーファーまで、窓はがたがた揺れ、人々は戦っていた。
 
冷酷で無常、残忍なビジネスとして、ヒップホップの企業家はレコード業界を生来あるべき姿で運営した。公に打ち出しているイメージでは、これといってアクティブな本当のコンセプトがないのにもかかわらず、すべての手順を踏んだ。ラップスターは消えるかもしれないが、彼を手がけた人々はどれだけその宝石が貴重であったかを知っており、歯から溶け出してくる金の重さまで正確に分かっている。
 
ほとんどのヒップホップ界のプレーヤーは、自分たちの故郷を忘れることはない。ストリートで信用され続けることが、基本的には必要とされているので、ほとんどの場合、忘れられないのだ。有名なMCが成功する。次の責任は家族の面倒を見ることになる。当然、家族をスタッフとするか、新しいラップスターとしてデビューさせるなどだ。ほかのアーティストでいうと、ビギー(ノトーリアス・B.I.G.)がP・ディディにしたように、ジェイはロッカフェラに全力を注ぎ始めた。

◎[Wikipedia]ノトーリアス・B.I.G.
◎[Naverまとめ]ヒップホップ東西抗争とは

デフ・ジャムとの契約
 
1995年中盤、ジェイのデビューアルバム『リーズナブル・ダウト』が完成し、ロッカフェラはプライオリティとの販売契約を通し、初めての独立アルバムを発売した。そして団地地区に抑えられないほどの勢いを築き始め、その現象は業界にまで広がることとなる。それはデフ・ジャムのA&Rの取締役が気付くほどに広がった。特にリオ・コーエンは映画『ナッティー・プロフェッサー』のサウンドトラックにジェイのシングル「エイント・ノー・ニガ」を使うようにスカウトしたのだ。
 
このサウンドトラックにジェイが出演したことが、アイランド・デフ・ジャムとの完全契約交渉にこぎつけるきっかけとなる。シュグ・ナイトがデスロウ・レコーズで、ショーン・コムズ(P・ディディ)がバッドボーイで成功した波を目の当たりにしながら、ジェイとデイモン・ダッシュは違う道を歩んだ。
 
1997年にはアイランド・デフ・ジャムにレーベルの半分のシェアを約150万ドル(約1億5600万円)で売却したのだ。

第6章「ブルックリン・ファイネスト」ジェイ・Zとビギー・スモールズ

ビギー(ノトーリアス・BIG)と、2PACが他界した後、スタイル的にはエミネムも顕著な可能性があったが、1996年からはアーティストとしても、商業的にも、ジェイ・Zに勝るMCは存在しなかった。

ノトーリアス・BIGとの競演

ジェイが公にビギーと組んだことで、ニューヨーク中と全国的に、ハードコアなラップファンの間で、ジェイの信用性を高めることになる。驚くこともないだろうが、この二人のデュエットはデフ・ジャムとバッドボーイにアレンジされたというよりも、二人がジョージ・ウェスティングハウスエ科高校に共に通った時から5年以上続いた個人的な交友に基づいて考案された以外の何物でもなかった。

ジェイ:「1996年に『リーズナブル・ダウト』を発売した際、ヒップホップはストリートと同じくらいホットだった。高校からビギーを知っていたし〈ブルックリンズ・ファイネスト〉をやるために、再会した時は、本当に親しくなってたよ。俺たちは毎日話したよ。ビギーは面白いんだ。心も広いし、俺とは真剣なのか?なんて疑ったこともなかった。

トゥパックと罵り合いを始めた時、ビギーが黙っていられたのは賢いからなんだ。そして、本当に状況がビギーを残念がらせていたのはよく分かっていた。俺たちはスラム街での人生という、特定の人生から逃れるために一生懸命働いてきたんだ。それは初めからラップバトル以上に思ってきていることだった。

トゥパックが俺に的を定めてきた時も、深刻には受け止めていなかった。ビギーとつながっているやつなら誰でも攻撃しようとしていたのを知っていたからね。でも俺は反撃をやめなかった。『おい、パック。俺はデジタル・アンダーグラウンドの時代から、おまえのファンなのに』ってね。だから、彼が殺された時、俺は取り返しのつかない人を亡くしたと思ったよ」
 
ジェイはパックとビギーの間に起こっていた抗争を避けようとしていたが、東西海岸抗争の真っただ中でビギーと共に作ったシングルは、ニューヨークのキング(ビギー)からもらった保証とその注目度で、ジェイの味方になっていた。ジェイはメディアにトゥパックのライバルだとされても、それを正すことに一生懸命にはならなかった。しかしビギーには悲しいことに、その時間は残されていなかった。
 
結末はこうだ。トゥパックと、その6ヵ月後にビギーも銃弾に倒れ、ジェイ・Zは自ら意図せずに明白な後継者として残された。ビギー殺害のすぐ後、親友への気持ちをジェイはこう語る。「ビギーの葬式に行くのは重大決心だった。葬式には行きたくないんだ。それを最後の思い出にしたくないんだよ。ビギーとは高校時代から知り合いだった。目が合うと、頷きあった。そして二人とも音楽業界にいて、いつも『一緒に何かやろう』って言ってた。とうとうやって、息が合ったんだ。俺にとってなくしたものが何なのか、言葉にはできないよ。ドラッグゲームで誰かを負かすよりひどい。だってストリートに入った時点で、死か刑務所は覚悟しているだろう。これは音楽なんじゃないのか? 俺はそう言い続けるよ」

☆[3]に続く


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by yomodalite | 2015-02-28 06:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

JAY‐Z―ロッカフェラ王朝を築いたヒップホップの帝王 (warp ARTIST SERIES (3))

ジェイク ブラウン/トランスワールドジャパン



JAY-Zは、MJの「This Time Around」や「Unbreakable」に参加した、Notorious B.I.G.亡き後のブルックリンで最高のラッパーになっただけでなく、レーベル経営者や、アパレルやレストラン経営などビジネスにおいても「帝王」になった男。

本書は、音楽評論家で、ベルサイユレコードの社長でもあり、50CENTや、2PACの著書もある、ジェイク・ブラウンという人が書いていて、JAY-Zに対して100%肯定的といっていい内容なのですが、

私は、モトーラ(ブルックリン出身)への人種差別批判など、マイケルのインヴィンシブル期研究のために読んだので、個人的に気になった箇所をメモしておきます。


(下記は、省略・要約して引用しています)


ドラッグ戦争

アメリカでドラッグと言えば、いつも黒人と白人になる。黒人がほとんど存在しない田舎でさえも、黒人は売る側で、白人は中毒になる側だ。コカイン原産国のほとんどは南アメリカなので、アフリカ系、ラテン系アメリカ人が責められることになる。
 
メディアは一度も、アメリカのスラム街においてドラッグ中毒になっている有色人種を取材しない。これと同じ理由で、郊外の道路は滑るほどスムーズなのに、ダウンタウンの道路の穴ぼこは補修されることはない。同じ理由で、スラム街には給料の小切手を換金する場所があり、郊外には銀行がある。また同じ理由で、スラム街のドラッグ問題は夜になれば郊外に帰る人たちには影響がないので、警察も防ごうという形だけ見せているのと、ドラッグをめぐる戦いがスラム街だけに属している限りは問題ではないので、スラム街の成長している事業はドラッグ取引のみである。郊外に住んでいる、CNNやFOXニュースを見ている人たちにとってドラッグをめぐる戦いとは、ちょっと行き過ぎた黒人をめぐる戦いにしか見えないのだ。
 
仕事が不足している黒人を抱えるスラム街の貧困と、生活状況を切り抜けるためにドラッグを使う人々と、ドラッグを売る人のつながりを、もし私たちがきちんと理解していたら。赤ちゃん用パンパースは郊外もスラム街も同じ値段で売られているのを理解していたら。酒、歯磨き粉、トイレットペーパー、洋服、電気、電話代、車のローン、車両保険も同じ値段なのを理解していたら。なぜアフリカ系アメリカ人をテーマとした映画は、スラム街の生活について、こうした家庭生活の一面を見せていないのが分かるだろうか。
 
アイス・キューブはこのテーマを映画『フライデー』や『バーバーショップ』の中で扱い、ジョン・シングルトンは映画『ベビーボーイ』の中で少し触れている。スラム街の生活について描かれた映画は、どの点から見ても、メインの黒人キャラクターが、ドラッグディーラーか売春あっせん者、ヤクザ者といった悪者が一番流行るのだ。黒人の配管工が家族を支えるために働いている映画はほとんど目にしないが、今までに白人農夫が同じように慟いている映画は何万回も見てきた。映画の中で、ドラッグを売る黒人男性のほとんどが、子どもを養うかスタジオ代を稼ぐかが主な理由であるという事実に、黒人の監督も含め映画製作者が触れることはほとんどない。
 
考えてほしいのは、クリントン大統領の生活保護改正後の時代に、アフリカ系アメリカ人の女性は次から次へと子どもを産め、そうすれば永遠に政府から補助金をもらえるという噂が、郊外に住むアメリカ人に存在することだ。給付合は5年が限度で、第3子からは厳しく制限される。では、どうやって若い両親は子どもを育てればいいのだろう。例えば、最低賃金の時給5・95セント(約680円)しかもらえないファーストフード店での仕事では、家賃さえ払えないのは誰にでも分かることだ。そこで赤ちゃんの父親はドラッグを売る。これは簡単なことなのだ。そうすると、ドラッグの売り上げのほとんどは、子どもを育てる若い黒人男性に責任があるのだろうか。そんなわけはない。これはよくある、若い黒人男性のほとんどが家庭を放棄する、という郊外アメリカ人の噂に反することになる。

アメリカの白色系人種はマウリー・ポビックの有名なトークショーで、父親のDNA鑑定を見るのが大好きだ。しかし、そのショーに出ている男性が父親だと証明されたとき、彼がどうやって子どもを養っているかの追跡調査には触れたことがない。もし、ドラッグの利益が養育費に当てられるなら、結果は方法を正当化しないだろうか。では、有名なラップアルバムや映画に出てくる典型的なドラッグディーラーとは違う、メルセデスベンツにも乗っていない、今売っている量では稼ぎもほとんどないような小規模のドラッグディーラーが、自分のデモテープをレコーディングするスタジオ代に、その金を使うのはどうだろう。

ハスラーになるか、ラップスターになるか
 
スラム街を脱出する方法としてバスケットボール選手になるのは簡単ではないし、ラップスターになるのも数少ないチャンスしかない。しかし、黒人男性はこのどちらかで頑張ろうと一生懸命である。もし、ドラッグを売るのに一生懸命なら、どちらかをこんなに頑張るだろうか? 答えは簡単。頑張らないだろう。普通の郊外に住んでいる家族は芝刈り機の音を耳にして育つが、普通のスラム街に住んでいる家族は、銃撃と警察のサイレンを聞いて育つ。「なぜ普通に仕事をしないんだろう?」的な精神構造は白人だらけの郊外にだけ浸透している。
 
ドラッグを売っているアフリカ系アメリカ人のほとんどが、スラム街から脱出するという目標のためにその道を選んだのは事実である。皮肉にも、企業的観点から見れば、彼らは理想的な従業員なのだ。自ら事業を始め、動機もじゅうぶん、利益追求型、猛烈に競争心が強く、なんでも喜んでするというのは出世に必要なのだ。しかし彼らはスーツの代わりにジャージーを着ているために、ドラッグディーラーの罪は、詐欺師まがいの証券ディーラーやエンロン社の取締役より100万倍重い。偽善はメディアがとらえる若い黒人男性がどうなるかよりも恐ろしく、それは現在白人アメリカの悪夢である。
 
ヒップホップ界において元ハスラーであったジェイ・Zが、一夜にして会社重役になった。彼の変身は売る品物が変わったという違いしかない。たとえスラム街での売り上げが、郊外のショッピングモールと同じくらいの成果を収めているナイキやティンバーランドのような企業でさえ、ハーバード大卒と同じくらいセールスマンとして才能があって賢かったとしても、元ハスラーは雇わないであろう。90年代後半のヒップホップのルネッサンス期まで好調だったレコード業界だけが、ハスラー(ドラッグディーラーのこと)たちに仕事の機会を与えるのにじゅうぶんな度胸のある業界だったのだ。
 
レコード業界が抱えたリスクは、ほとんど毎回良い結果を生んだ。この業界は、ウォール街が夢見るよりも金で動いているのだ。90年代初めのインタースコープのようなレーベルは、デス・ロウにモータウンレコードはポップ音楽用で、自分たちがヒップホップの手本なんだということを証明する機会を与えた。バッドボーイ(レーベル)を通じてPディディはそのバトンを引き継ぎ、ショーン・ジーン・クロージングでさらに新しい領域へと踏み出し、90年代後半にロッカフェラが頭角を現すころまでには、その乗っ取りは成功していた。デイモン・ダッシュとジェイ・Zは、独立し、洋服をデザインして作ろうとしていただけでなく、自分たちが使う携帯電話や飲む酒、そして履く靴を自ら作ろうとしていたのだ。

2004年のフォーブス・フォーチュン誌で、ジェイ・Zの純資産が2億8600万ドルと掲載された時、このゲームは終わった。アフリカ系アメリカ人がやっとひとかけらのパイを勝ち取ったのだ。ジェイ・Zは黒人版のジョン・D・ロックフェラーで、ジェイ・Zが現代社会において黒人富豪の祖先となったことで、彼の次世代を目指す黒人たちは、ラップでもビル・ゲイツと同じ地位まで上り詰めることができることを理解した。ロッカフェラ・レコードだけを考えると、ジェイ・Zと彼の会社は社会構造までをも彼壊したのだ。

ジェイ:「俺たちは悪者を応援する。映画『スカーフェイス』のやつらみたいな世界中の悪者をね。やつらは勝ち目のない戦いでも、何らかの成功を収めているんだ。長続きしないけど。俺たちは結末を意識せず、いいとこだけを見ている。そんな状況から這い上がってくるようなやつには、俺たちが付いている。考えてもみろよ、マーシー団地で育って会社を持てるか?団地出身なんて似たようなもんなんだ。いいことは一生起こらない」
 
それはアメリカに根付いている差別制度のせいだけで、黒人が何かを所有する、という考え方はアメリカの白人社会を恐怖に陥れる。正直、白人たちは何におびえているのだろう。

80年代のドラッグ流行

80年代前半のティーンエージャー・ハスラーとしてのジェイ・Zを振り返れば、刑務所、そして命すら落としかねない恐怖など、危険と感じるものが山ほどあった。なぜマーシー団地でドラッグ取引に参加することになったのかを、ジェイ・Zはこう語る。

「俺が売り始めたころはちょうどドラッグ流行の全盛期で、みんなにとって大変な時だった。特に家の近所辺りはね。あの辺は面倒なことになってたよ。廊下とか、どこにでもドラッグがあったから。もう匂いがするんだ。その当時はどちらかしかなかった。そう、やってるか、動かしているかだ」

「ロングアイランドに彼女がいたんだ。ロングアイランドでは家があって、木もあるんだ。彼女は恵まれていたよ。よくそこへ遊びに行って、シリアル、クッキー、ミルク、おやつを食べてから、家に帰ったんだ。金がなかったから食べ物を持って帰ってきたこともあった。彼女が袋に入れてくれて、恥ずかしかったよ。家に帰ってくると、友達が『おい、あのクッキーまだあるか?』って。俺は『ないよ』って答えたんだ。たかがクッキーで、親友にウソつくんだ。一緒に育ってきた親友に『もうあのクッキーはないよ』って言うんだぜ」

「そしたらやつは隣の家に行ったから、俺はミルクをグラスいっぱいに注いで、クッキーを取り出して、テレビの前に座った。そして顔を上げたら、窓の外で親友は首を横に振りながら俺を見てた。『このままじゃヤバイ。なんとかしなきゃな』って。それが、ハスラーと言われる職に就く理由だった。



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by yomodalite | 2015-02-27 06:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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8つのグラミー賞を獲得した1984年12月に「EBONY」に掲載されたインタビュー。


エボニーは、アフリカ系アメリカ人のための月刊誌で(姉妹紙「Jet」はダイジェスト版)、インタビュー中にも出てきますが、マイケルはエボニー誌を創刊した、John H.Johnsonを尊敬し、このインタビュワーである、Robert E. Johnson は、「Jet」紙の編集局長で、ニクソン大統領とともにロシア、ポーランド、オーストリア、イランを旅し、1979年には、アフリカの通商使節団にも同行するなど、MJが信頼していた人物で、とてもGOODなインタビューになってます。


MJがメモに記した「Incredible Actor」や、「Greatest Actor」とはどういう意味だったのか。とか、


◎[関連記事]1979年「21歳のマニフェスト」

◎[関連記事]80年代前半のメモ


私にとっては、なぜ生前、映画で成功することが出来なかったのか?という答えへの示唆にも感じられたり、読書や、神についてだけでなくマイケルが「真実(truth)」という言葉をどう使っているかにも注目ですし、その他諸々、とっても素敵なインタヴューなんですが、和訳の気になる点は遠慮なくお知らせくださいませ。


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Source : http://en.michaeljackson.ru/ebony-12-84/

☆Google書籍検索の掲載ページ(当時のエボニーは広告にもすべて黒人が使われている)



The Michael Jackson Nobody Knows


EBONY: You have to cope with a lot of stress and pressure in the entertainment business. People make all kinds of requests of you and propositions come from all directions. How do you cope with these stresses and pressures?

あなたはエンターテイメント業界の中で、たくさんのストレスやプレッシャーに対処しなければなりません。 人々は、あなたに様々なことを求めますし、 あらゆる方面から提案がなされます。あなたはそういったストレスやプレッシャーにどう対処しますか?


MICHAEL: I cope with it in a way and I’m not calling myself Jesus because I would never even look at myself on the same level, but I’m comparing it to Jesus because what God gave to him was for a reason and he preached and people came about him and he didn’t get angry and push them aside and say leave me alone, I ain’t got time.

MJ:それに対応するのは、僕は自分を同じレベルで見てるわけじゃないし、自分のことをイエスだなんて思ってるわけじゃないけど、彼は、神に与えられた説教をして、人々はそれで彼の周囲に集まったのだから、イエスは人々に対して怒ったり、彼らを脇に押しやって、ひとりにしてくれ、僕には時間がないんだ。放っておいてくれ。なんて言わなかった。


EBONY: But you must encounter some fans who pressure you and provoke you.

でも、中には、あなたにプレッシャーをかけて、怒らせるファンに遭遇することもありますよね?


MICHAEL: I do get angry at times because there are those who will come up to you with the worst, attitude and will say to you, ‘Sit down, sign my baby’s paper.’ They’ll throw it at you. I’ll say, ‘Do you have a pen?’ ‘You don’t have a pen? Well, go get one. That’s what they’ll actually tell me . … I’m amazed by some of the people. They think they own you. And they’ll say to you, ‘Listen, I made you what you are. I say, ‘Wait a minute. You didn’t just buy it [album] to help me. You bought it because you like it and that’s true.

MJ:たまには怒ることもあるよ。最悪な態度で近寄ってきて、「ここに座って、俺のベイビーにサインをくれよ」なんて言って、紙を投げつけてきてね、僕が「君はペンを持ってる?」って聞くと、「ペンを持ってないなら、お前が取ってこいよ」って。そういうことを言う人が実際にいるんだから、驚くよ。彼らは、僕を自分のものだと考えてて、「いいか、今のお前があるのは、俺たちのおかげなんだからな」なんて言う。「ちょっと待ってよ、君は僕を助けるためにアルバムを買ったんじゃなくて、気に入ったから買ったっていうのが本当じゃないか」


EBONY: You are looked upon as a role model. You once appeared at the Chicago Public Library to encourage young people and adults to read and a book marker souvenir was distributed with a quotation from you. Do you still enjoy reading?

あなたは人々のお手本として尊敬されています。以前、シカゴの公立図書館に登場して、老若男女に読書を薦め、記念品として、あなたの言葉が書かれたしおりも配布しました。あなたは今でも読書を楽しんでいますか?


MICHAEL: I love to read. I wish I could advise more people to read. There’s a whole other world in books. If you can’t afford to travel, you travel mentally through reading. You can see anything and go any place you want to in reading.

MJ:読書は大好きだよ。もっと人々に読書するようにアドヴァイスが出来たらいいんだけどね。本の中には、別の世界がつまってる。旅をする余裕がなくても、精神的な旅をすることができるし、読書によって、何でも見ることができるし、どんなところにも行くことができる。


EBONY: Have you had a chance to do any reading related to the Black experience or in terms of Black history?

黒人が体験したことや、黒人史に関するものを読む機会はありましたか?


MICHAEL: Oh, yes! I’m really thankful for what Mr. [John H.] Johnson has done in bringing books through Johnson Publications…. I think it’s good to show we are contributing to the world in many ways. That’s what a lot of peopie think – that we haven’t.

MJ:もちろんだよ。僕は本当に感謝しているんだけど、ジョン・H・ジョンソンが、彼が創った出版社を通じて、本を流通させたことについてとか、、黒人たちが、様々な形で、世界に貢献していることを示しているのは、すごくいいよね。みんなそれを望んでいたけど、今までにはなかったからね。


EBONY: How do you keep up with what Black people today are doing, saying and thinking? And who are some of the people, other than your family and close associates, who influence your thinking?

現代の黒人たちがしていること、言っていること、考えていることで、あなたが大事にしていることはどんなことですか?また、家族や親しい人以外で、あなたの考えに影響を与えているのは誰ですか?


MICHAEL: I love the way [John H.] Johnson runs his organization. Seems like everybody’s really nice. I’m sure there are quarrels and things, but everybody’s very nice…. and have such an influence on the young. People rule their lives by JET and EBONY. I mean, they get their information from those two magazines and the young kids, too. I’ll say, where did you read it? I read it in JET. And they keep up with what’s happening in JET and EBONY. And I think that’s wonderful… God, I admire people like Johnson and [Walt] Disney. I think they’re phenomenal.

MJ:僕は、ジョンソン氏(John H.Johnson)の会社運営方法が好きだな。誰もが本当に素敵にみえるね。色々と議論があることは間違いないと思うけど、だから、みんなが素晴らしいんだよ。そういった影響を若い人にも与えてほしいね。彼らは『JET』と『EBONY』に従っている。その2冊の雑誌と、キッズから自分たちの情報を得るだろう。僕が、「それどこで読んだの?」て聞くと「JETで読んだ」って言うからね。つまり、みんな『JET』と『EBONY』で何が起っているのか知って、それについて行っているんだ。それは、僕には、神から与えられた仕事をしているように思える。僕はジョンソンや、ディズニーのような人を賞賛していて、彼らはとてつもなく素晴らしいと思ってる。


EBONY: You talk of the influence of books and people in your life. What part does travel play in shaping your attitudes and outlook on life?

本や人々があなたの人生に与えた影響について伺いましたが、あなたの人生観や態度に、旅行が果たした役割についてはどうですか?


MICHAEL: I think before anybody gets married, they should really travel the world if they can. It’s the most incredible education I’ve ever had. I think it’s phenomenal. I mean just to see the different cultures of people, the different faces, to talk to people and just to learn and see…. When I traveled I was amazed. When we first went to Switzerland, I almost started crying. I really did.

MJ:僕は思うんだけど、可能なら、誰もが結婚する前に、ぜひ世界を旅するべきだね。それが僕が受けてきた教育の中で、もっとも素晴らしいものだと思う。本当に違う文化とか、自分たちとは異なる顔の人々を見て、彼らと話すことは、まさに学習であり、観察なんだよ。僕は旅をしたとき、本当に驚いたんだ。最初にスイスに行ったときなんだけど、もう泣きそうだったというか、本当に泣いちゃったんだ。


EBONY: What touched you about that trip to bring about that emotional response?

何があなたにそれほどの反応をもたらし、心に触れたのですか?


MICHAEL: The beauty. It’s like, oh, God, it’s crying out in the sky. It’s an incredible country and it inspires me to see these things – the mountains. The pictures don’t do justice to Switzerland. Then there’s the Netherlands and France. Gosh, they’re incredible, too!

MJ:美しさだよ。まるで神のようなね。もう空の中で叫びたいぐらい、信じられないぐらいの国だった。そういうのが僕を興奮させるんだよね、山々とか。写真でスイスの素晴らしさを判断することはできないよ。そういうことは、オランダやフランスにも言えるけど、今でも信じられないぐらいなんだ。


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EBONY: Obviously, when you travel, you are more than a tourist, you are an observer.

明らかに、あなたは、どんな旅人よりひとりの観察者になっていますね。


MICHAEL: Well, a lot of people just stay in the cities when they travel. They should get out and see the real country. Wherever you go, man-made things are man-made, but you gotta get out and see God’s beauty.

MJ:そうだね。旅をしているとき多くの人々はただ街にいるだけだ。みんな外に出て、本当の国の姿を見るべきだよ。どこに行くにしても、人工のものは人工だよ。神が創った美しさを発見するにはもっと外に出なくちゃ。


EBONY: In your travels, what were some of the countries that impressed you most?

あなたが旅した中で、もっとも印象深い国々は?


MICHAEL: I’m gonna raise my hand on this one. I’ll say this. I always thought that the Blacks, as far as artistry, were a talented race of people. But when I went to Africa, I was even more convinced. They did some incredible things over there [West African countries, including Senegal]. We went to one place out in the flatlands where all these Africans sell their crafts and everything. I went to this one hut where this guy made incredible carvings…. He took a piece of wood and a hatchet - like thing and started chopping and I just sat there amazed. He carved a big face . . . dipped it in some water dried it off and he gave it to me and I paid for it.

MJ:ひとつだけ挙げるとしたら、こう言うよ。いつもそう思ってたんだけど、黒人は芸術的な領域で才能を与えられている人種だけど、アフリカに行ったとき僕はさらに確信したね。南アフリカやセネガルでも、彼らは驚くべきことをことをやってて、僕たちはアフリカ人による工芸品のほとんどを販売しているフラットに出かけて、僕はそこで信じられないような彫刻を創っている人の小屋に入ったんだ。彼は木と手斧のようなものを手に取って創りはじめた。僕が驚いてそこに座っていると、彼は大きな仮面を彫りはじめて、それを水に浸して乾かしたものをくれたので、僕はそれを買ったんだ。


EBONY: You seem impressed by African art but what about African music and dance?

あなたは、アフリカン・アートに感銘をうけたようですが、アフリカの音楽やダンスはどうでしたか?


MICHAEL: When we came off the plane in [Dakar, Senegal] Africa, we were greeted by a long line of African dancers. Their drums and sounds filled the air with rhythm. I was going crazy, I was screaming. I said, ‘All right!’ They got the beat and they got the rhythm…. I just was so glad about the whole thing. This is it, I said. This is where I come from. The origin….

MJ:僕たちが飛行機でアフリカ(セネガルのダカール)降り立ったとき、アフリカのダンサー達が長い列をつくって迎えてくれてね。彼らのドラムや音楽によって、その場の空気がリズムで満たされていて、僕は興奮して「オーライ」って叫んだよ。彼らにはビートがあってリズムもある。僕はそのすべてがただもう嬉しくて。まさにこれなんだって、僕はここから来たんだ。ここが原点なんだって・・


EBONY: You were obviously impressed by your musical roots, so where do you think the Africans derived their musical influence?

自分の音楽の原点がはっきりしたんですね。それでは、あなたは、アフリカ人の音楽はどこから影響を受けたものだと思いますか?


MICHAEL: Music started with nature. Music is nature. Birds make music. Oceans make music. Wind makes music, Any natural sound is music. And that’s where it started.. You see, we’re just making a replica of nature, which is the sounds we hear outside.

MJ:音楽は自然と共に始まったんだよ。音楽は自然そのもの。鳥が創り出す音楽、海が創り出す音楽、風が創り出す音楽、どんな自然の音も音楽だよ。すべてがそこから始まって、、そう、僕たちは、ただ自然のレプリカを創ってるだけ。外で聴く音のね。


EBONY: Did your travels have any influence on the way you think about races of people?

旅行は、人種についての考え方に、影響を及ぼしましたか?


MICHAEL: The main thing that I hate most is ignorance, like the prejudice problems of America. I know it is worse in some other countries. But I wish I could borrow, like from Venezuela or Trinidad, the real love of color-blind people and bring it to America.

MJ:僕がもっとも嫌いなのは、主に無知についてだね。アメリカの偏見という問題。他にもっと酷い国があることも知っているけど、ベネズエラとかトリニダードのような国から肌の色なんて関係のない本当の愛を借りてきて、アメリカに持ってくることができたらって思う。


EBONY: You are making some observations with intense feelings. Please continue.

とても強い感情をともなった見解ですね。どうぞ、続けてください。


MICHAEL: I’m prejudiced against ignorance. That’s what I’m mainly prejudiced against. It’s only ignorance and it’s taught because it’s not genetic at all. The little children in those [countries] aren’t prejudiced. I would like for you to put this in quotes, too. I’m really not a prejudiced person at all. I believe that people should think about God more and creation. …

MJ:僕は、偏見は無知から来ていると思う。偏見を生み出すのは、主にそうだね。それは単なる無知にすぎない教えであって、遺伝とはまったく関係がないから、そういった国々では、小さな子供たちは偏見をもっていない。この部分も引用句として取り上げてもらいたいんだけど、僕はいかなる人々にも偏見をもっていない。人々がより多く神とその創造について考えるべきだと思う・・


Look at the many wonders inside the human body-the different colors of organs, colors of blood-and all these different colors do a different thing in the human body. It’s the most incredible system in the world; it makes an incredible building, the human being. And if this can happen with the human body, why can’t we do it as people? And that’s how I feel. And that’s why I wish the world could do more. That’s the only thing I hate. I really do.

人体の内部の不思議を見てよ。異なった色の器官、血液の色、こういった様々な色が、人体の中で別々の働きをしている。世界一スゴいシステムだよ。人間は、信じられない建築物のように構築されていて、そして、これが人体で可能なのに、どうして、僕たちは、人間としてそう出来ないんだろう? 僕が感じるのはそういうことなんだ。世界はもっとよくなるのに。それらは、僕が唯一嫌いなことで、本当に憎んでることだね。


EBONY: What you have just said is not only compassionate but compelling. How do you communicate such feelings since you don’t make public appearances to express your views in public forums?

あなたが言っていることは、同情しているだけでなく、切実ですね。公共の場で意見を表明するために姿を見せないとしたら、あなたは、どのようにそういった感情を伝えますか?


MICHAEL: I try to write, put it song. Put it in dance. Put it in my art to teach the world. If politicians can’t do it, I want to do it. We have to do it. Artists, put it in paintings. Poets, put it in poems, novels. That’s what we have to do. And I think it’s so important to save the world.

MJ:僕は曲を書いて、歌にしたり、ダンスにしたり、僕のアートを通じて世界に教えたい。政治家には出来ないようなことを、僕はしたいんだ。芸術家は絵に、詩人は詩や小説に、そういうことが僕たちがしなきゃいけないことで、僕は、世界を救うことはとても重要だと思うんだ。


EBONY: Stevie Wonder apparently shares similar feelings, judging by some of his musical messages.

いくつかの音楽から判断すると、スティーヴィー・ワンダーも同じような感覚を共有しているようですね。


MICHAEL: That’s why I love Stevie Wonder’s biggest-selling album called Songs in The Key Of Life. He has a song on that album called Black Man. …. I just jumped up screaming when I heard that record because he’s showing the world what the Black man has done and what other races have done, and he balanced it beautifully by putting other races in there, what they have done. Then he brings out what the Black Man has done. Instead of naming it another thing, he named it Black Man, That’s what I loved about it…. And that’s the best way to bring about the truth, through song. And that’s what I love about it.

MJ:だから、僕はスティーヴィー・ワンダーの最も売れたアルバムである「キー・オブ・ライフ」が大好きなんだ。「ブラック・マン」という曲があって、僕はそれを聴いたとき、ただもう飛び上がって叫んじゃったよ。彼は、黒人が何をしたのかについて、世界に示しているんだけど、そこに、他の人種や、彼らがしてきたことも加えて、素晴らしくバランスをとりながら、黒人がしてきたことを持ち込んだ。そうして、何か別の名前をつけるんじゃなく、「ブラック・マン」と彼は、名づけた。それが、僕が大好きな理由。。そして、それは歌を通して、真実をもたらす最高の方法で、僕がもっとも好きなことなんだ。


EBONY: You don’t seem to have any objections to messages in music as long as the messages are positive. Your music, unlike some artists, stays clear of messages glorifying drugs. But drugs are a reality. How do you view it?

メッセージがポジティブである限り、あなたは音楽がもつどんなメッセージに対しても、異論はないようですね。あなたの音楽は、何人かのアーティストと違って、ドラッグを賛美するメッセージを避けています。 でも、ドラッグは現実に存在しています。 あなたは、それをどのように見ていますか?


MICHAEL: In the field I’m in, there is a lot of that and it gets offered to me all the time. People even go as far as to just… stick it in your pocket and walk off. Now, if it was a good thing, they wouldn’t do that… I mean, would somebody drop something beautiful in my pocket and just walk off? But I don’t want to have anything to do with any of that. I mean, as corny as it sounds, but this is how I really believe: Natural highs are the greatest highs in the world… Who wants to take something and just sit around for the rest of the day after you take it [drugs], and don’t know who you are, what you’re doing, where you are? Take in something that’s gonna inspire you to do greater things in the world.

MJ:僕がいる業界には、それはたくさんあって、僕も常に薦められるんだ。遠くから来て、ただ、僕のポケットにドラッグを突っ込んで、立ち去る人とかね、、それがいいことだとしたら、彼らはそんなことはしないよね。。誰だって、なにか素晴らしいものだったら、僕のポケットに入れるだけで立ち去ったりなんてしないだろう? いずれにしても、僕は、そういったものとは関係をもちたくないね。つまりね、ありきたりなことを言うようだけど、僕は、ナチュラルハイが世界で一番だって信じてる。何かドラッグをやって、残りの1日をただ座って過ごして、自分が誰で、何をやっていて、どこにいるのかもわからないなんて、誰がそんなものを欲しがるんだろう?もっと世界で偉大なことができるように、自分を鼓舞してくれるようなものを取り入れるべきだよ。


EBONY: Do you put God or religion in that process of a natural high?

あなたは、ナチュラルハイのために、神や宗教を取り入れますか?


MICHAEL: Oh, yes, God, really. I believe in the Bible and I try to follow the Bible. I know I’m an imperfect person…. I’m not making myself an angel because I’m not an angel and I’m not a devil either. I try to be the best I can and I try to do what I think is right. It’s that simple. And I do believe in God.

MJ:ああ、うん。神についてはそうだね。僕は聖書を信じているし、聖書に従おうとしている。僕は自分が不完全な人間だと知っているし、自分を天使にしようとしてるわけじゃなく、天使でもないけど、悪魔でもない。僕は自分のベストをできる限り追求して、自分が正しいと思うことをしたい。いたってシンプルなことだよ。僕が神の存在を信じていることもね。


EBONY: Do prayers or praying play a role in your life?

祈りを捧げたり、祈るという行為が、あなたの人生になにか役立ったことはありますか?


MICHAEL: I pray every night. I don’t just pray at night. I pray at different times during the day. When I see something beautiful, whenever I see beautiful scenery – like when I’m flying or something – I say, oh, God, that’s beautiful. And I always say little prayers like that all through the day. I love beauty.

MJ:僕は毎晩祈るよ。夜だけというわけじゃなくて、1日の間の色々な時間に祈る。なにか美しいものとか、美しい光景を見たときとか、飛行機で空を飛んでるときとかね、僕は、「ああ、神さま、美しいです」って言う。そして、1日を通して、そんな感じの小さな祈りをいつもしている。僕は美しいものが大好きだから。


EBONY: Speaking of beauty, you have been associated with in a public way many beautiful people, including your beautiful sisters, LaToya, Rebbie, and Janet, but also Diana Ross, Tatum O’Neal and Brooke Shields. You have been linked romantically with the latter two. Someone said you and Tatum had a lot in common: the parents of both of you are protective – she’s a daddy’s [Ryan O’Neal] girl and you’re a momma’s [Katherine Jackson] boy.

美についての話と言えば、あなたは公の場所に美しい姉妹であるラトーヤ、レビー、ジャネットだけではなく、ダイアナ・ロス、テータム・オニールや、ブルック・シールズといった多くの美女と帯同しました。あとの2人はロマンティックに結びつけられ、あなたとテータムには多くの共通点があるという人もいます。ふたりとも両親によって固く守られていて、彼女はお父さん子(父親はライアン・オニール)で、あなたはお母さん子だと。


MICHAEL: I want all those people who read JET and EBONY to just know that we’re mainly good friends. That’s the main thing. I think for guys, girls make the best friends. And for girls, guys make the best friends….

MJ:僕は「JET」と「EBONY」を読んでいるすべての人に、僕たちが良い友人なんだということを知って欲しいね。重要なことは、男の子にとって女の子は最高の友だちで、女の子にとっても男の子は親友で・・


EBONY: What is your relationship with Brooke? When did you meet and has that relationship developed?

あなたとブルックの関係は?いつ頃出会って、その後どう関係が発展していったのですか?


MICHAEL: We met at the Academy Awards. She asked me to dance because I was not going to ask her. You know, I’m really shy and embarrassed. So she says, ‘I got to dance with you tonight.’ I said, great. So we got together on the dance floor and danced. They were playing that old-fashioned Benny Goodman, Tommy Dorsey music, which wasn’t much of a groove. First, you’ve got all these bald-headed old people on the floor slow dancing, the Lawrence Welk sound. We really couldn’t get into it so we got to talking and got to know each other. We switched numbers and had phone conversations back and forth and we became real good friends.

MJ:僕たちはアカデミー賞で出会ったんだ。彼女が僕に踊ってって言ってきたんだ。なぜって、僕が彼女に言わなかったからさ。すごくシャイだったんだよね。それで当惑してたら、彼女が「私、今夜はあなたとおどるわよ」って、僕は「最高だね」って言って、それで一緒にダンスフロアに出てって踊ったんだ。昔ながらのベニーグッドマンやトミー・ドーシーとか、グルーブ感のない音楽が演奏されてて、はげ頭の老人たちが、ローレンス・ウェルクの音楽をのんびり踊ってたよ。僕たちはあんまり入り込めなかったから、ふたりでしゃべりはじめて、それでお互いのことを知るようになった。電話番号を交換して、互いに電話をかけあって、それで本当に親友になったんだよ。






EBONY: Does this mean that Brooke has replaced Tatum as a special friend?

それは、ブルックが親友として、テータムの後を継いだという意味ですか?


MICHAEL: Tatum calls me all the time and I hope she reads this interview because I’m sorry I couldn’t get all of her calls. But she’s still a wonderful friend of mine.

MJ:テータムもいつも僕に電話をくれているよ。このインタヴューを彼女が読んでくれるといいんだけど、彼女からの電話に出られなかったことがあって。でも、今でも彼女は素晴らしい友だちだよ。


EBONY: Both Tatum and Brook are fine actresses. You did all right I Wiz. What’s in the future for you in films?

テータムもブルックも素晴らしい女優ですね。あなたが演じた『ウィズ』も良かった。今後のあなたの映画は?


MICHAEL: I’m very excited about a lot of things that I want to do and that I’m going to do in films and things. I really can’t wait…. Since The Wiz, incredible offers have come to me, things that are still in the making….

MJ:僕は映画に関してやりたいことがたくさんあってすごくワクワクしてる。もう待ちきれないぐらい。『ウィズ』をやって以来、信じられないようなオファーが来ていて色々と進行中で・・・


EBONY: You once said that you will be careful about choosing your next role so that you won’t be typecast anymore. You said that since The Wiz, some people still call you Scarecrow because of that character role you played.

エボニー:あなたはかつて自分が型にはめられないように、次の役選びには慎重になるだろうと言ってましたね。『ウィズ』で演じた役のせいで、未だに「かかし」だって言われると。


MICHAEL: Whatever role you play, people link it with your personality. But it’s acting. You’re portraying another person…. I wish it wasn’t called acting because I don’t really like actors, I mean, the word acting.

MJ:どんな役を演じても人々はそれを俳優の性格と結びつけるよね。でも、それは演技なんだ。別の人物を演じているんだよ。演じる。なんて言い方をしなければいいと思うね。僕が俳優(actors)が好きじゃないと思うのは、演じる(acting)という言葉にあると思う。


EBONY: Please elaborate.

詳しく聞かせてください。


MICHAEL: I don’t think acting should be acting. Acting, if you’re acting, you’re imitating realism. You should create realism. It should be called believing. You see, I always was against it when I thought about acting. I don’t want to see an actor. I want to see a believer. I don’t want to see anybody that’s gonna imitate the truths. It’s not real then. I want to see a person that’s gonna believe the truth…. That’s when you move an audience.

MJ:僕は演技を、演じなければならないものだとは思わない。演技というものが、演じているということなら、リアリズムを模倣していることだけど、リアリズムの方を創造すべきなんだよ。それは演じるではなくて(acting)、信じる(believing)と呼ばれるべきなんだ。僕は演技について考えているとき、いつもそれに反対だったんだ。僕は演じている人(actor)なんか見たくない。僕は信じる人(believer)が見たいって。あたりまえのこと(truth)を模倣するような人なんか見たくない。それは、その時点で本当のこと(real)じゃない。僕は、真実(truth)を信じようとしている人に会いたい・・・観客の心に響くのは、そういうときなんだよ。


EBONY: What kind of questions do you wish you would be asked but nobody ever asks you?

あなたがされたいと思う質問で、今まで誰もしなかった質問はどんな種類のものですか?


MICHAEL: That’s a good question. Probably about children or writing, or what I just talked about…. You don’t make a better world of minds and things when people put the wrong things in their lyrics and give the wrong views on stage and everything. It’s just so important and I think this can lead so many people astray,

MJ:いい質問だね。子供たちについてのこととか、作曲についてとか、僕が今話していたようなことかな。人が間違ったことを歌詞の中に入れていたり、ステージやなんかで、人々に様々な間違った見解を与えていたりしたら、それはすごく重要なことで、大勢の人を誤った道に導くことになると思う。


because an artist can be built up so big in his career that this could change the whole world by what he does and thinks. They’ll listen to him before the President or any of these big politicians. You have to be careful. They could change these peoples’ way of life by what they say and do. That’s why it’s important to give off love vibes and that’s why I love what I do…

アーティストは、ビッグになるまでのキャリアで鍛え上げられていて、彼らは考えることで、全世界を変えることができる。みんな、大統領や、大物政治家の話よりも、彼らの話に耳を傾けるだろう。慎重にならなきゃ。アーティストが言ったり、することによって、人々の生き方を変えることができるんだから。だから、愛の感覚を送ることが重要で、自分がしていることが好きな理由もそういうこと。

When Marvin Gaye put out the album, What’s Going On, so many Blacks as well as Whites-but mainly Blacks- were educated. ‘Wake up. What’s going on? Wake up.’ I mean the ones that don’t watch the news, don’t read the papers to really dig in the depths of humanism. What’s going on? Wakeup.

マーヴィン・ゲイが『What’s Going On』を出したとき、多くの黒人だけでなく白人も、と言っても主に黒人だけど、教育されたよね。「目を覚ませ、何が起きてるんだ?目を覚ませよ」僕が思うに、ニュースも見ない、新聞も読まない、人道主義を深く掘り下げようともしない、という人たちに、どうなっているんだ?目を覚ませって。


EBONY: There have been some campaigns against so-called dirty lyrics songs by some popular musical groups. Do you have any views about such groups and their lyrics?

いくつかのキャンペーンで、人気のある音楽グループによるいわゆる汚い歌詞の歌に反対していました。あなたはそういったグループや歌詞になにか意見がありますか?


MICHAEL: Sometimes they go too far. They don’t leave anything for the imagination. If I just walked out on stage naked, there’s no imagination. I’m not letting them imagine what I look like without the clothes. But, you see, they overdo it…. We got to leave them something to imagine. People go too far at times. I think it’s important to set the right example because there are so many kids who look up to us.

MJ:時々、彼らは行き過ぎているね。想像力を喚起するためのものを、何も残さないというか。例えば、僕がステージに裸で出て行くなんて、観客は想像もできないよね。僕は、観客に、衣装のない僕がどう見えるかについては想像させない。だけど、そういった連中は、それをやり過ぎてる。。僕たちは、なにかを想像させるための余地を残しておかないと。人は、時に度が過ぎる。 僕たちを尊敬する多くの子供がいるんだから、僕は、正しいお手本を示すことが大切だと思う。


* * *


As the most productive year of his entertainment career comes to a close and his talents helped him gross about $100 million, Michael is not content to rest on his laurels or his loot. He faces a future guided by two observations, both of which he made:

彼のキャリアの中でも最も生産的だった年が終わり、自身の才能によって、およそ1億ドルを稼ぎながら、マイケルは栄冠や戦利品を得ることだけに満足していない。 彼はふたつの見解によって導かれる将来に向かっているが、その両方とも彼自身の言葉だ。


“I’m interested in making a path instead of following a trail and that’s what I want to do in life – in everything I do,” Michael told this writer in an interview on July 13, 1979.

「僕は今ある道をたどるのではなく、自分で道筋を創ることに興味を持っている。それが、僕が人生でしたいこと。僕がするすべてにおいてね」


マイケルは1979年7月13日のインタビューで、筆者にそう語った。


He made the other observation in his role as Scarecrow in The Wiz, a movie in which he co-starred with one of his dearest friends – Diana Ross. In a scene near the end of the film, Michael spoke these words through his Scarecrow character:

彼のもうひとつの見解は、彼の一番の親友ダイアナ・ロスと共演した『ウィズ』でのかかし役のセリフで、映画の終わり近くの場面で、マイケルはかかしのキャラクターを通じて、こんな話をした。


“Success, fame, fortune – they are all illusions, All there is that is real is the friendship that two can share.”

「成功や、名声、運とか、そういうのはすべて幻想さ。そこにあることで、本当なのは、ふたりでわかちあえる友情だけだよ」


Those are the thoughts of the Michael Jackson that nobody knows. 

そういったことが、知られざるマイケル・ジャクソンの想いなのだ。


(了)


シカゴ図書館で配布された「book marker souvenir」って、1979年の "Boogie To The Book Beat” のときに配られたものだと思うんだけど、ずっと気になってるんだけど、一度もお目にかかったことなくて、ご存知の方は教えてくださいませ。


それと、インタビュー前の文章は省略しましたが、そちらも素晴らしい文章なので、いつか追記したいと思います。


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by yomodalite | 2015-02-23 12:20 | ☆マイケルの言葉 | Trackback | Comments(0)
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マイケル・ジャクソンが1992年に出版した『Dancing the Dream』から

「WHEN babies SMILE」の和訳です。


マイケルの歌詞にもよく登場する “baby” は、

実際の赤ちゃんのことでもあり、

現在や、未来の子供たちや

愛しい女の子のことでもあり、

自分の中の魂でもあり、

私たちの魂の原点でもある。と思うので、

この詩の “babies” は「ベイビィたち」にしました。


今起こっている戦争や、

これから起こる戦争でも、

絶対に滅ぼされないように

私たち1人1人が、最も守らなくてはならないのは

この詩にある “babies” だと思います。



WHEN babies SMILE

ベイビィたちが微笑むとき



When dreamers dream and kiss their lover

And rainbows weave and splash their color

Those are moments so gloriously alive

We take the plunge, take the dive

Into the abyss

We are suspended awhile

Those are moments when babies smile.


夢みるひとが夢をみて、愛するひとにキスをするとき

虹は七色に織り上がり、光が降り注がれる

そんな生命が煌めく瞬間

僕たちは、思い切って深い奥へと飛び込み

しばし漂う

ベイビィたちが微笑むのは、そんな瞬間


Those are moments when fate is unsealed

Nothing is impossible and we are healed

We can soar, we can fly

Walk on fire, navigate the sky

In the light of a glittering star

There's no distance, nothing is far

Those are moments of innocent guile

In the glow

We are suspended awhile

Those are moments when babies smile


運命の扉は開かれ

不可能なことなど何もなく、傷は癒され

僕らは、空高く舞い上がることができる

炎の上を歩き、空を駆け巡り

きらめく星の中では

隔たりはなくなり、何もかもが身近に感じられ

無垢な企みが生まれ

僕らはそこに漂う

ベイビィたちが微笑むのは、そんな瞬間


Those are moments when the heart is tender

When seascapes gleam in magnificent splendor

When the laughter of Heaven reverberates the Earth

And we are renewed in a new birth

In a timeless Eternity

In the angels' fraternity

We romp and roll

The playground of our soul

In the twilight

We are suspended awhile

Those are moments when babies smile


微かな光で海が煌めくとき

こころは優しく

天国の笑い声が地上に届くとき

新たな生命は生まれる

永遠の時のなかで

天使たちが集い

魂の遊び場で、戯れ、はしゃぎまわり

僕らは夕暮れの中で漂う

ベイビィたちが微笑むのは、そんな瞬間


Those are moments we're one with God

All is well, nothing is odd

In silent reflection

We feel our perfection

We are the source, we are the crucible

Nothing can hurt us, for we are invincible

There is no sin, there is no sinner

We can only win, we have felt the glimmer

In the bliss

We're floating awhile

Those are moments when babies smile.


そのとき、僕らは神とひとつになる

すべてはすばらしく調和し、

僕らは、その沈黙の中に

完全なものを見出す

僕らは、源でありながら、

さまざまなものが溶けあってもいて

誰にも傷つけられないほど強い

そこには、罪もなく、罪人もおらず、

ただ、勝利があるのみ

輝ける喜びの中で

僕らは漂う

ベイビィたちが微笑むのは、そんな瞬間


Kingdoms topple, lose their class

Civilizations crumble, ages pass

Turbulent tempests ravage the seas

Violent killings, despite our pleas

But dewdrops sparkle when children play

Tyrants cry, there's nothing to slay

Fairies dance and goblins sing

All are crowned, all are king

In the Garden

We frolic awhile

Those are moments when babies smile.


王国が倒れ、階級はなくなり

文明は崩れ落ち、時は過ぎ去る

荒れ狂う嵐は、海を襲い

祈りは虚しく、大量殺戮がおこる

それでも、子供が戯れば、しぶきは煌めき

暴君が叫んでも、滅ぼせるものは何もなく

妖精は踊り、妖怪は歌いだし

誰もが王冠を手にして、王となる

そんな庭園の中で

僕らは、しばし浮かれる

ベイビィたちが微笑むのは、そんな瞬間


(訳:yomodalite)



☆みっちさんからも素敵な訳詞を頂きました!(コメント欄参照)

そちらも、是非ご欄くださいませ。



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ネバーランド内にはこの詩が書かれたものが、
複数(ページごと?)あるようですね。


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◎[AmazonDANCING THE DREAM 



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by yomodalite | 2015-02-20 14:47 | ☆Dancing the Dream | Trackback | Comments(4)
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☆[2]の続き

アルバム『フェイス(Faith)』は、マイケルのとっての『スリラー』のように、ソロアーティストとしてのジョージ・マイケルを決定づけたアルバムだったようです。そして、このアルバムの記録的なヒットの3年後に発売されたのが、モトーラが酷評し、SONYとの確執を生んだ『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』。


『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』の、アメリカでの売り上げは200万枚、前年までにアメリカで700万枚を売り上げた前作『フェイス』と比べて大きく数字を落としたものの、本国イギリスでは全英初登場1位を記録し、『フェイス』を越すセールスを記録するなど高く評価され、1991年のブリット・アワードでは「ブリティッシュ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」を獲得し、全世界でも800万枚を売り上げた。


米国での人気のなさと、世界での売上げの上昇。といった部分も、マイケルの問題と似ているような気がします。


第15章「フェイス」より(省略・要約して引用しています)


「フェイス」を歌う男は、スタンリー・コワルスキー(『欲望という名の電車』でブランドが演じた役)的な魅力を侍っており、青白きイギリス少年のジェネレーションを経て、エディ・コクラン、エルヴィス、ブランド、ディーンにまで続く、アイドルの系譜をはっきりと継承していた。それは、ハードな時代、クラシック・ロックで優稚なロクデナシ、50年代のアメリカっぽさを象徴するもので、常に流行から外れることはなかった。アルバム『フェイス』のタイトル曲が、続くキャンペーンでのスタイルを決め、1980年代後半のジョージと、初期のワム!のプロモに出てくる、きれいに髭を剃った駆け出しの青二才との違いを明確にした。


最初の2枚のソロ:ンングル「ケアレス・ウイスパー」と「ディファレント・コーナー」は、古典的なワム!の指を鳴らしたりウキウキワクワクしたりするようなイメージからジョージを解き放つものだったが、次の2枚「アイ・ウォント・ユア・セックス」と「フェイス」は、ソロになったジョージ・マイケルはショーの流れを止める泣かせのバラードだけを歌っていくつもりはないということを、はっきりと打ち建てるものになっていた。後者のシングルはジョージの分裂した魂を反映している。


ディック・リーヒイー:『フェイス』が売れ出したとき、私は自分の人生で最も大きな安堵のため息をついたよ。ワム!の解散で、多くの人たちが私のところに来ては「ジョージを説得してもう1枚ワム!のアルバムを作らせなくちゃいけない」って言ってたからね。圧力はずっと続いてたんだ。想像できるだろう。しかし、私はそんなことはしなかった。『フェイス』は、彼が作らなくてはならないアルバムだったんだ。


私の耳には、あれははっきりと立場を明らかにしたアルバム、人生の特別な段階にあるアーティストだということを明確に示したアルバムには聞こえない。80%は良いアルバムだ。というのも、何曲かは特定の目的のために書かれているからね。でも、そうした気兼ねはなくなった。次のアルバムでは、彼がいかに素晴らしいかわかるだろう。きっといいものになるはずだ。


アルバム『フェイス』の唯一現実的な問題は、ファースト・シングルを出すことだった。「アイ・ウォント・ユア・セックス」はずっと前にでていたから、何を出しても最初のシングルみたいなものだった。誰もが「ケアレス・ウィスパー」のようなバラードを期待していた。それがあまりにも見え透いていたから、そうするわけにはいかなかった。


* * *


『フェイス』が世界中のアルバム・チヤートで1位になると、それまで敵意を抱いていた批評家たちが急に、改良された新型のジョージに対して温かくなった。ほとんどの場合、彼らはいともあっさりワム!時代を切り捨て、新しいLPを抱き締めて喋りまくった「信念を持って、ポップスターは成長する」と、ヤッピーたちの『リーダーズ・ダイジェスト』である『ローリング・ストーン』誌は書き立てた。(P248 - 253)


* * *


アルバムはいろいろな歌を大胆に折衷させて集めたものだった。「もしこのアルバムを聞いて何ひとつ好きになれないとしたら、ボッブ・ミュージックが好きじゃないんだ」と、ジョージは『ローリング・ストーン』誌に語っている。『フェイス』のイメージ(マッチョで、自意識の強いカッコ良さを待った、むっつりした雰囲気に包まれたレザーとデニムと無精髭の混合物)は、ジョージの現実のパーソナリティとは何光年も離れていたかもしれないが、そのステージ衣装と彼の普段着とは、先が尖って鉄のついたポスト・モダンの靴に至るまでそっくり同じだった。1987年後半にジョージと昼食を取った人は誰も、いつものように約束の時間に5分だけ遅れて、『フェイス』のジャケットから出て来たような男がレストランに入ってくるのを、メニュー越しに見たはずだ。


彼はそのすべてを、次なる最終段階にまで待っていこうとしていた。彼はついに、スプリングスティーンの労働者の救世主、マドンナの奔放でカッ飛んだ金髪美人、プリンスのにやけた信心深いセックス・マシーン、ジャクソンのムーンウォークするディズニーの突然変異体・・・などに匹敵するイメージを手に入れたのだ。


ジョージ:サイド1は全部ヒット曲。アルバムのクオリティという観点から、うまくいくだろうと期待はしてた。作ってたときも、すごく、すごく満足してた。その出来上がりには自分でびっくりしてしまったほどさ。だけど、予期してなかったのは、ビデオのイメージの効果だった。自分がビジュアル面で強力なアピールをしてるとは思ってなかったんだけど、どうやらそれがアメリカでは心の琴線に触れたようだね。だから、そういう自分では最初全然気づいてなかったような複雑に絡んだ要素とかがあったりして、雪ダルマ式の効果を生んだわけだ。成功の大きさには驚いたし、嬉しかった。


『フェイス』ブームが起こる前、あるミーティングで僕のマネージャーが誰かに向かって、「彼はこのアルバムで世界一ビッグなアーティストになるはずだ」って言ったのを覚えてる。僕は彼に「おい、落ちつけよ、頼むから、ほんとに落ちつけって」って言ったんだ。僕はそれをアメリカ人の興奮癖のせいだと思ってたんだけど、彼はほんとにそう信じ込んでた。


あのイメージがアメリカであんなに役に立つとは期待してなかった。アルバムがものすごく売れることは予想してたけど、自分はそれ以上のものになるほど新鮮味がないって心から信じてた。「フェイス」のビデオは、アルバムの中でも僕の最も強烈なイメージになってる。ジャケットにしても、ジーンズにしても、ブーツにしても。だけど、それをビジュアル上の主張か何かのように考えるには、普段実際に僕が着てるものに近すぎた。あのイメージがあまりにも強烈になるのはいい気持ちはしなかった。最終的に、それが成功の理由を曖昧なものにしてしまうからね。


『ザ・ファイナル』のアルバムを見ると、4つか5つのイメージがあって、そのひとつひとつがその年その年のルックスを示してる。僕はまだ、どうやったらいちばんカッコ良く見えるか試行錯誤している子供だった。髪の長いのと短いの、どっちがカッコ良く見えた? 黒いのとブロンドのとは? 髭ありと髭なしは? デヴィッド・ボウイじゃないんだ。人の興味を持続させるために変えてたんじゃない。いつも満足できなくて、自信がもてなかったからさ。僕はもう違ってみえるようにするためにそんな努力をするつもりはない。人がカメレオン・ビジネスに興味があってそうしたいというなら、それはそれでいい。例えばマドンナやプリンスみたいにね。彼らはすごく上手くやっているよ、だけど、そんなの僕には向いていない。(P254 - 255)


ジョージ・マイケルの初めてのソロ・シングル、自身のプロデユースによる「ケアレス:ワィスパー」は1984年7月、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの「トゥー・トライブス」に代わってブリティッシュ・チャートの1位になった。レコードがリリースされる前、プレスの話題は、ジョージの1万7000ポンドかかった髪型のことでもちきりだった。(P165 - 166)


ロブ・カーン:僕たちがこのレコードを出したとき、CBSはブルース・スプリングスティーン、マイケル・ジャクソン、ピンク・フロイド、ミック・ジャガー、ビリー・ジョエルなどのアルバムも出したんだ。


こんな大物たちがそろってレコードを出す時期に、ジョージ・マイケルは初めてのソロ・アルバム(『フェイス』)を発表したというわけさ。僕たちは大きなキャンペーンを始めたが、それは最初の2週間ですべてを使い果してしまうという類のものではなかった。このレコードは長い間かけて売れるだろうとわかっていたら、52週にわたるキャンペーンをやって、シングルでずっと活気をつないでいったんだ。シングルが出るたびに、どーんと上がって、また改めて火がつくわけだ。終りのころには、グレイテスト・ヒット・アルバムを売ってるようなものだった。2回クリスマスを越したんだ。

 

僕は予定の時間内で目標に達しなかったせいで、体調を崩してしまった。いつも、早く早くって思ってたんだ。ジョージは、ある時期までに何百万枚ものアルバムとツアーのチケットを売るつもりでいた。で、その時期がまだ来ないってことで、僕はかなり内面的に追いつめられて、心疲のあまりひどい潰瘍ができちゃったんだ。いつもすべてがちゃんと行ってるか心配ばかりしてたものだよ ーー マネージャーとしての初仕事で、ストレスも多かったんだ。ワールド・ツアー、何百万枚ものアルバム、ひどい潰瘍 ーー というわけさ。

 

ジョージは、自分も昔は君みたいだった、アルバムのセールスがどうなってるか気にして、いつもすごく追いつめられてたよ、と言ってた。彼は言ったよ、もうそんなことは全然ない、ってね。


1988年はツアーに費された。『フェイス』ツアーは2月19日に東京の日本武退縮に始まり、10月の最後の日、フロリダのペンサコーラ公演まで続いた。その間には、いったん喉の手術のために中断が入ったりもしたが、10カ月間、170公演近くにも及ぶ、淋しい旅回りの苦闘があったのだ。ツアーは、ジョージのキャリアと同じように、西へ向かって移動していった。日本から、サーカスはオーストラリアヘと下り、それからヨーロッパに渡り、その後アメリカでの長い夏の陣が始まった。

 

ショーは『フェイス』からの歌と、ワム!の最高傑作のいくつか(「恋のかけひき」「アイム・ユア・マン」「ディファレント・コーナー」「ケアレス・ウィスパー」)を中心に、ソウル・ボーイの奥の手である名曲(ラベルの「レディ・マーマレード」、ワイルド・チェリーの「プレイ・ザット・ファンキー・ミュージック」、それから昔からのお気に入りであるステイーヴイー・ワンダーの「ある愛の伝説」)を加えたものだった。昔とまったく同じように、ジョージが観客に向かって腰を突き出すと、彼らは悲鳴をあげるのだが、その悲鳴は『フェイス」ツアーでは観客の中の女性のほとんどが婚期に達していたという事実を被い隠していた。

 

ショーは初夏にロンドンにやって来た。ジョージはネルソン・マンデラのベネフィット・コンサートに出演するため、6月11日土曜日の午後、ウェンブリーに向かった。自分自身以外の何かをプロモートするときは他の人の曲を演るという慣例を固守して、彼は3曲の魅力的なカバー(マーヴィン・ゲイの「セクシャル・ヒーリング」、スティーヴィー・ワングーの「ビレッジ・ゲットーランド」、グラディス・ナイトの「イフ・ユー・ワー・マイ・ウーマン」)を歌った。


その日の夜、彼はアールズ・コートで2度目の公演をやり、彼はそのコンサートを今までで最高の出来だったと記憶している。しかし、マンデラ・コンサートのウェンブリーの観客は、ジョージ・マイケルの熱心なファンでもなければ、ライヴ・エイドに集まったような心の広い仲間たちでもなかった。コメディアンのハリー・エンフィールドは、マンデラの観客の心ない快楽主義的態度を、こんなセリフで見事に風刺した。「どこだい?僕の無料(フリー)のネルソン・マンデラ(マンデラを自由に!のスローガンにひっかけている)はどこにあるんだい?」


ジョージ:今はベネフィットについてずっとシニカルになってる。ネルソン・マンデラ・ショーを観てた人たちや、アフリカ人出演者に対する彼らの反応にはゾッとしたよ。彼らの半分はシンプル・マインズを観にきただけで、残りの半分は暴徒だった。すべてが好きじゃなかったね。


僕がしたかったのは、セルフ・プロモーションみたいなことと自分を区別すること。当時自分が売ってたものとは全然関係のないものをやりたかったんだ。自分の考えを押し出してるみたいに取られてしまうから、極端に政治的メッセージの強いものは選びたくなかった。だから、自分にできる最も政治的なことは、影響を受けたアーティストによる3つのソウル・ソングを歌うことだって思ったのさ。スティービー・ワンダー、マーヴィン・ゲイ、グラディス・ナイトっていう。(P258 - 260)


(引用終了)


◎[Amazon]自伝「裸のジョージ・マイケル」


このあと、本書の最後には、当時の新作『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』から、「プレイング・フォー・タイム」「マザーズ・プライド」「サムシング・トゥ・セイヴ」「クレイジーマン・ダンス」「ハッピー」の和訳歌詞が納められていました。


下記はジョージ・マイケルのWikipediaから、


『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』は、前作『フェイス』ほどのヒットにはならず、ジョージ・マイケル個人としてはアルバムの出来に満足していたが、前作ほど所属レーベルがプロモーションに力を入れなかったこともあり売れ行きは鈍く、ソニーは商業的に前作を下回った為に酷評をする(酷評したのは当時のソニ-の社長、トミー・モトーラという)。


これに怒ったジョージ・マイケルは、「ソニーはアーティストをアーティストとして扱わない。こんな会社ではクリエイティヴな仕事は出来ない」と、ソニーを相手に契約無効を訴える裁判を起こす。本来2枚組になる予定だった『LISTEN WITHOUT PREJUDICE』は、2枚目の制作が間に合わず、先行して1枚をvol.1として発売。「Crazyman Dance」、「Happy」など収録予定だったアルバム『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 2』を出す予定だったが、この泥沼化した裁判により、発売が無くなってしまう。


後に「Happy」は、エイズ・チャリティ・アルバム『Red Hot + Dance』に収録して発表。「Crazyman Dance」は、上記『Red Hot+Dance』に提供した新曲「Too Funky」のシングルのカップリングとして発表した。また、このアルバム発売後、ワールドツアー「COVER TO COVER TOUR」を日本より行う。タイトルの示すとおり、ツアーの選曲内容は、半分以上が他のアーティストが歌ったカバー曲で選曲されており、オリジナル曲もワム!時代の曲を織り交ぜたりと、ソロデビュー後の曲は殆ど歌われなかった。カバーの選曲がツアーで廻ったアメリカやヨーロッパでは有名な曲ばかりだったが、日本ではそれらの曲を殆ど知らない客が多かった為、評論家からは酷評された。このツアー以降、本人は「ツアーは行わない」と発言し、長年ツアーを行っていなかったが、2006年9月よりヨーロッパツアーを開始。


(以上、Wikipediaより)


裁判は、ジョージの敗訴に終わり、5年8カ月を経た次アルバム『オールダー』は、1996年にヴァージンレーベルから発売になりました。その後、カヴァーアルバム『ソングス・フロム・ザ・ラスト・センチュリー』の後、2004年の『ペイシェンス』で、ジョージは、再び、SONYに戻っています(モトーラが会長職を退いたからとコメントしたらしい)。


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by yomodalite | 2015-02-18 16:04 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(0)
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☆[1]の続き


ジョージ:ひどい一週間だったよ。「ヤング・ガンズ」がチャートを落っこちた日、女の子が僕にもうつきまとうなって言ったんだから。


ジョージの出版人であるディック・リーヒイは、このレコードを死なせないために、彼のフィリップス時代(ダスティ・スプリングフィールド、ウオーカー・ブラザース)ベル・レコード時代(ベイ・シティ・ローラーズ、デヴィッド・キャシディ)、そして自分のレーベルGTO時代(ドナ・サマーとそのナンバー・ワン・ヒット「アイ・フィール・ラブ」)など、一生を音楽産業でやってきた経験を結集し、この2枚目のシングルに決定的な2度目のチャンスを与えることにした。過去において、ティン・パン・アレイやブリル・ビルディングの時代には、音楽出版は歌の産婆役を務め、作曲家から曲を引き出し、それをアーティストに演奏させることに責任をもっていた。こういう大昔の時代に、出版社は創造性のポン引き役を果たしていたのだ。しかし、ビートルズやビーチ・ポーイズ、バディ・ホリーやチャック・ベリー、リトル・リチャードによって始められたプロセスを完成させてしまうと、アーティストと作曲者は大抵同じ人物になった。出版社はあまり重要でなくなり、むしろレコード会社が重要になってきた。


しかし、ディック・リーヒイは普通の出版人とはかけ離れていた。彼が出版業に入ったのも横道からだった。1977年にGTOをCBSに売却したときの合意条項に競合しないことという条項があって、3年の問は別のレコード会社を始めることができなかった。だから彼は出版業に入ったわけだ。


ディック・リーヒイ:すべては音楽次第であり、すべてはアーティスト次第なんだ。でも、私は出版業に入って来るとき、レコード会社の姿勢を持ち込んだ。出版社のいったいいくつが地下室にデモ・スタジオを持っていると思うかね。出版人としての私の姿勢は、アーティストと契約しても、レコード会社には頼らない、というものだった。アーティストと一緒に働く限りは、音楽的な仕事をするんだ。シングルを出したり、それをプロモートしたり、そういったすべてをレコード会社と一緒に決めていく。それを私たちはジョージとアンドリューとともにやり始めたんだ。歌を気に入って、作曲者と契約するだけじゃダメだ。レコード会社を乗せなくてはね。出版社の伝統的な役割は作曲者を代理して、彼の曲を人にカバーさせることだった。私はそういうことはしない。私は出版を、アーティストと仕事をするひとつの方法として使うんだ。

 

「ワム・ラップ!」は失敗に終っていた。これはジョージにとっては大きな失望だったが、彼にはもっといいレコードが作れるといつも思っていたし、あの段階ではいい勉強になると思っていたところもあったから、私はあまりガッカリしなかった。でも「ヤング・ガンズ」がチャートを下がり始めると、今度は危険だった。これはみんなが話題にしている若いデュオの素晴しいニュー・シングルなんだ・・でも、なにしろ気まぐれなマーケットだからね。もしこれがうまく行ってくれなかったら…11月、12月を置いてスタジオに戻って、次のレコードが出るのは次の年の春になってしまう。いつまでも《有望な若手新人アーティスト》ではいられないんだよ。


これは素晴しいレコードなんだ、みんな聞けば飛び出してレコードを買いに行く・・そう信じなくちゃいけない。イギリスのチャートは、サンブルに選ばれた店の売り上げを調べたものだ。それだけのものなんだ。トップ50の中だって、売り上げは高いものも低いものも大差ない。だから、ある週に誰が、どこの店で、どのレコードを買ったか、それだけに頼っているわけさ。

 

信じている素晴しいレコードがチャートを下がりかけたら、そういうときにできるのはレコードに関係しているすべての人間、ラジオ、プレス、レコード店回りのセールスマンなどを刺激することしかない。みんなに言うんだ。これはまだ終っちゃいない。ほんとに終っていないんだ。一週間くれないか。これを生き返らせてみせる。ほんとにやるからって。


店でレコードをかけさせることだ。ラジオでレコードがかかれば1000万人に聴かせられるが、その中でレコード購買者は少ないパーセンテージだ。でも、レコード店なら、そこにいる全員がレコード購買者といっていい。


ジョージ・マイケルは良すぎるぐらいだったから、うまくいかないはずはなかったが、幸運にも次の週レコードはもち直し、さらに『トップ・オブ・ザ・ポップス』の出演が決まった。たった一度のテレビ出演がワム!をみんなに引き合わせるチャンスになった。(P108 - 110)


* * *


最初、ワム!は喜んでマス・メディアの標的になっていた。アンドリューは段鼻を美容整形で直そうと決めたとき、自分の鼻はデヴィッド・オースティンが投げたシャンパン入れが当たると言う悲劇的な事故で折れてしまったと発表し、手術に煙幕を貼ろうとした。これが悪名高き《鼻事件》の始まりだった。


アンドリューの顔(バンソウコを十字に貼ったもの)が、彼のハンサムな容貌は一生戻らないのではないかという推測の文章とともに、第一面に堂々と出現した。それがみんなインチキで、リッジリーの鼻が高額の美容整形で変えられたことが判明すると、それもまた第一面になった。(P157 - 158)


* * *


ワム!の初のナンバー・ワンは、その後9週間も1位の座に君臨したフランキー・ゴーズ・トウ・ハリウッドの「トゥー・トライブス」に取って替わられたが、音楽業界の中で長く充実したキャリアを歩むことになったのは、リヴァブールからやって未だ愛すべきならず者たちではなかった。フランキーズのレコードはいつもトレヴァー・ホーンの大げさなプロダクションの巧妙な腕に大幅に寄りかかっていた。それがなくなると、彼らはマージー河を虚しく流されていくのみだった。ジョージ・マイケルは、すべてを自分自身でやることを学んでいた。


 サイモン・ネイピア・ベル:プロデューサー兼ソングライターというのは、いつも長い間生き残れるもののようだね。スタジオで監督をするわけだよ。それが自信から来るのか、ヤケから来るのかはわからない。たぶん両方の組み合わせだろうな。自分自身の能力に対する自信と、自分の声を望むように引き出してくれない人たちにすっかり頭に来たっていうのがあるわけだ。欲しいものがわかっていて、それがやって来ないとしたら、自分でプロデュースしなくてはならないことになる。ジョージはプロデュースすることを学ばなくてはならなかったし、その責任を取るように強いられたんだ。

 

ジョージは1984年のチャートの闘いを楽しんだ・・たぶんいつも自分が勝ち技くことになったからだろう。最終的に、彼のライバルたち(ボーイ・ジョージ、フランキーズ、デュランデュラン)はみな、スタミナと作曲能力と自立心に欠けていた。しかも、このライバルたちは、さまざまな大騒ぎに自滅の傾向を見せていた。ジョージも彼なりにそうした傾向はあったが、彼にはそれをうまくやり過ごすセンスがあったし、うまく隠しておく慎重さがあった。

 

夏になると、ジョージ・マイケルのキャリアはイギリスでもアメリカでも最高の時期を迎えたようだった。彼は、作曲し、アレンジ、プロデュースを手がけ、しかも自分の作品を歌うことができるという自分白身の才能によって守られるのと同時に、アドバイザー、腹心の友、信頼できる支援者の強力な集団に囲まれていた。中でも最も近かったのは、もちろんパートナーであるアンドリュー・リッジリーと、出版社であり師でもあるディック・リーヒイだが、さらに弁護士のトニー・ラッセル、スタジオ・エンジニアのクリス・ボーター、パブリシストのコニー・フィリッペロらがいた。友だちであるアンドリューは別として、これらの人たちはみな忠誠心厚く、この仕事上の人間関係は90年代のジョージ・マイケルにも関わっている。


ノーミスとワム!の関係は、ジョージもネイピア・ベルもお互いに相手を用心深く見ていたため、時として緊張することもあったが、1983年後半以降、サイモンとジャズ・サマーズがワールドワイドでバンドのマネージメントを担当するようになっていた。ウエスト・コーストの大物、ロン・ワイズナーとフレディ・デ・マンは、アメリカでのマネージメント契約が機能し始めるよりも前に技けていた。


ジャズ・サマーズ:多くの大きなレコード会社、特にCBSは、かなりけんか腰なんだ。「私たちCBSで君たちをフォローしていくにはいくんだが、私たちにはブルース・スプリングスティーンもマイケル・ジャクソンもバーブラ・ストライザンドもボブ・ディランもいるし、また明日新しいやつが入るんだ」って具合でね。


ワイズナーとデ・マンは、ワム!がすごいバンドだってことをCBSに確信させてなかった。だから、フレディ・デ・マンをミーティングに呼びつけて言ってやったよ。「あんたは何をしてるんだ? なんにも私たちにいいことをしてくれてないじゃないか。もしCBSに行って、このバンドじゃマイケル・ジャクソンのような扱いはムリだって言われたら、マイケル・ジャクソンのような扱いをこのバンドにしてやれるまで頑張らなくちゃならない。彼らはそういう扱いに値いするんだから。もし君ができないと言うのなら、私がやってやろうじゃないか」って。彼にはひどく無遠慮にしてしまって、きっと気分を悪くしただろうし、トニー・ラッセルは契約の件でかなり苦労したと思う。だけど、彼らは手を引いたんだ。


ジョージはそのとき私に言った。「よし、アメリカには君もひどい目に会わされるだろう。でも君はできるって言ったんだからな。徹底的にやってもらわなきゃね」 


ワム!機動部隊のもうひとりの重要なメンバーは、攻撃的ながら人好きのするロンドンっ子、ゲイリー・ファーロウである。日焼けして、早口に喋る金髪のゲイリー・ファーロウは、メディアの一端でワムの利益の監視、促進を管理するフリーの電波放送関係者だった。


ゲイリー・ファーロウ:僕はマーク・ディーンを通じてジョージに会った。マークはワム!のレコードを聞くたびに手首を切りつけたいと思ってるに違いないけどね。僕は相談役として関係するようになったんだ。

 

TVショーをやるとき、すべての要求に責任を持つのが僕の仕事だった。ワム!の駆け出しのころ、僕たちはありったけの照明とダンサーと風船を使おうとした。アーティストを持ち上げてできる限り良く見せようといろんなことをやってプロデューサーやディレクターを駆けずり回らせたあげく、変化が訪れた。こう言うべき時が来たんだ。「もうこんなクズはいらない。あの風船は何だっていうんだ。取っ払ってくれよ。」


この組織の全員が、すべてをダブルチェックするというポリシーを採用していた。レコードは最良の週に発表されただろうか。限定のビデオをふさわしい人に渡していただろうか。アーティストをできる限り最高に見えるようにしていただろうか。


週を追うごとに、僕たちは捕まえにくくなっていった。彼らが思い立って電話してジョージが捕まるなんて状況は、決してなかった。または、レコード会社が電話してきて「週半ば(木曜のチャートのこと。これでレコードが上がるかどうかを推測する)の結果が出た。上がるとは思うがそんな大ヒットにはならないだろう。もしこのショーに出てもらえば、すごく効果があるんだが……」で、また次の週に電話してきて、また3、4番組出てくれないかと言うような、そういうやり方は一切通用しなかった。僕たちの計画が成功したのは、僕たちがすべてをコントロールしていたからだ。


誰にインタビューをさせたらいいかわかっていたし、彼らがほころびを繕ってくれるのもわかっていたし、表紙になれるかどうかもわかっていたし、写真の許可を出すべきかどうかわかっていたし、その写真をカットできないこともわかっていた。そして、シングルを出すごとに、ワム!はだんだん近寄り難くなってきた。彼らは素晴らしいビデオ、楽しいビデオを作り、どの作品もジョージにコントロールされ、演出され、許可を受けて世界中に出ていった。TVショーにはあまり力を入れてなかったね。番組をコントロールすることはできないから。

 

僕がワム!との仕事を始めたとき、彼らはキャーキャーいわれるようなアイドルじゃなかった。彼らはもともとすごくヒップだったんだ。僕の仕事は、彼らをアイドルにすること。それから、僕たちはジョージがアイドルをやめる決定をするのを待った。彼はいちばん最初の日から、自分のやりたいことをはっきりわかっていたよ。自分が使いたいカメラマン、出演したいラジオ番組、誰に自分のことを書いてもらいたいか、誰は嫌か、そしてその理由……。彼はずっと自分のやりたいことがわかっていて、それに従ってしっかりと手綱を握っていた。

 

ジョージが耳を傾ける人たちもいた。だけど、誰も彼をコントロールできなかった。(P162 - 165)


☆[3]に続く


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by yomodalite | 2015-02-18 15:59 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(0)
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1990年に出版されたジョージ・マイケルの自伝。共著者であるトニー・パースンズが、ジョージが語ったことや、ワム!のアンドリュー、元彼女、マネージャーやスタッフなどの証言をまとめて構成したという内容になっています。

SONYともめるきっかけになったアルバム『LISTEN WITHOUT PREJUDICE VOL. 1』は、この本の出版と同年なので、その件に関しての詳しい話はありませんが、レコード会社との契約、成功後の苦難など、直前の彼の心境などが垣間見えます。

日本版はCBSソニー出版ですが、原著はペンギンブックス。ソニーとの関係が泥沼化するのは、この出版より1、2年あとのこと。

私は、MJとSONYの資料として読んだので、関係がありそうな箇所をメモしておきます。

下記は、すべて省略して引用しています。

すべてを変えてしまったのは、ワム!が解散したあとの初めてのソロ・アルバムだった。『フェイス』の成功の影響は世界中に及んだ。それが1988年アメリカで最も売れたアルバムになり、1989年の第31回グラミー賞でアルバム・オブ・ザ・イヤーを獲得すると、そこら中ジョージ・マイケルー色になってしまったようだった。


このアルバムは、エンターテイメント業界の頂点に彼を押し上げ,ビジネス誌「フォーブス」の集計による、その年の高額所得者トップ5の仲間入りまでさせた。トップ5の他の顔ぶれは、マイケル・ジャクソン、マイク・タイソン、シルヴェスター・ス々ローン、ステイーヴン・スビルバーグ。いずれも、ジョージのいう成功して生きることの難しさを思い出させる々名前だ。スピルバーグ、スタローン、タイソン、ジャクソン、うち3人は最近離婚しているし、ひとりはチンパンジーを相棒にしている。


1990年の、彼がグラミーを穫った日からほぼ1年たったある嵐の午後。彼の価値は流行小説の中でも論じられ(ジェイ・マキナニーの『ストーリー・オブ・マイライフ』の中で、女の子が彼について「ラスト・ネームがファースト・ネームみたいな男は信用しないわ」と言うくだりがある)、彼の悪業は(事実であれ作り話であれ)世界の出来事やダイアナ妃の新しい髪形といったニュースを蹴落として大衆紙のトップを飾る。


この嵐の午後、ジョージはビスケットを食べ、紅茶を飲みながら、『フェイス』を売るのに注がれた多くのエネルギーは、音楽を作るということとは何の関係もなかったと言う。1990年初頭、彼はすべてが変わらなくてはならない、と言っているのだ。


ジョージ:ずっと自分が詐欺師みたいに感じてた。いつの日かみんながそれに気づいて、すべてが持って行かれ、僕の世界の底が抜けてしまうだろうって思ってた。もうそういうのはない。恐怖はなくなった。もう、これが自分の人生のステージだ、なんてふうには感じない。


名声を小さな箱に入れておいて、ときどき出してきては楽しんでる。ある程度のスーパースターになってしまったら、それが自分や周囲の人たちに、とても悲しい、お決まりのやり方で影響を及ぼさないはずはないと思う。僕が成功している理由は、才能があるからだ。だけど、それは永久不滅のものじゃないから守らなくちゃならない。


だから、僕のキャリアのある時期が今、終ろうとしているんだ。今後、僕は以前のようなやり方で自分を見せるつもりはないし、昔のようにプロモーションをしたりメディアを相手に話したりもしないし、もう世の中に面と向かって向き合うつもりもない。音楽が好きだから、ずっとレコードは作っていく。でも、この業界で生きるのは楽しめない。プロセスに無感覚になってきてるって、自分でも感じてるんだけど、そういうのが楽しくないんだ。この業界に長い間いる人たちを見て、あんなふうにはなりたくないって思うよ。

 

この間、サンタバーバラの別荘にいたときのことだ。そこはとても穏やかで、のどかで、自然が溢れてるんだ。家の周りには鷲が飛び交っているし、そこら中にリスがいるし、一歩外に出れば、オレンジやレモンや、あらゆる種類の果実がなってる。ところが、突然、「こういうものこそ金持ちがお金をかけるものなんだ」って思いが横切ってね。いい気分じゃなかったよ。これは、お金とは関係ないものだと思っていたから。

 

本当のこと言って、有名人たちに会うのは嫌いだ。マイケル・ジャクソンは去年僕が賞を獲ったときにすごくよくしてくれたからずいぶん会うけど、大抵の場合名士たちに会っても楽しくないんだ。人間としてどうだっていうんじゃなくて、お互いに共通するものがとても稀薄だからね。何を喋ったらいいんだ? やあ、こんにちは、君も金持ちで有名なんだね。へえ、君も有名人なんだ、とかね。一体何を話せっていうんだい?これはかなり難しいよ。僕は誰かのところに歩み寄って、あなたの仕事をほんとに尊敬してますって言うタイプなんだ。それはいつだって真実。そう思ってもいない人にそんなこと決して言わない。でも、そんなふうにオープンにしたせいでちょっと苦い思いをして、有名人に話しかけるのに臆病になってしまった。できることなら、そういう状況は避けていたいんだ。


ジョージ・マイケルは多分に創造物(つくりもの)だった。僕はずっとそういうふうに見ていた。決して現実のものじゃなかった。それを恥じるつもりはないけど、もう終りだ。それは当初の目的よりもずっと長く生きた。これからもたまには《ジョージ・マイケル》になりたいような気がすることがあるだろうけど、自分のそういう面は切り捨てた ーー 「もうよせよ」って言わなくちゃならないんだ。ライターとして、ひとりの人間として、すごくいけないことだからさ。


1990年代始めに発表されるアルバムと、それをプロモートするための10ヶ月のツアーについて話していた。「僕はロードに出て、ジョージ・マイケルになって、家に帰ってくるんだ」と、彼は言っていた。


家に帰ると誰になるのかと尋ねると、彼はわからないと語った。「ジョージ・キリアコス・パナイオトゥー(本名)じゃないな」と彼。「それよりはずっとジョージ・マイケルみたいだって気がしてる。頭の中では、まだそれはタイトルなんだけどね、「ジョージ・マイケル」っていう。ちょっとした自作のタイトルってところじゃない?


そして今日、彼はジョージ・マイケルを地下室に閉じ込めて、彼のエゴを生き埋めにし、イメージの要求するいろいろな面倒も一緒に捨ててしまうという。そうすれば音楽だけが残ると。彼はこの1年、ずっとこんなふうに言ってきた。ジョージ・マイケルはひとり取り残されることを望んでいるのだ。(第1章より)


* * *


アンドリュー(ワム!のメンバー):契約を交わしたときは有頂天だったよ。マークはいいやつだ ーー 信じられないくらいのエネルギーがあるし、音楽に対して素晴らしい耳を持ってるし、悪くないやつだよ。のちに彼と不和になったのは、彼が僕らに不利になるように動いてるって思ったからなんだ。彼の抱えていた問題をわかってなかったのさ。彼はCBSと厳しい契約を交わしてた。あれは彼の最初の契約で、彼自身の初仕事だった。僕たちはそこんところに全然気づいてなかった。僕らにとってはすべてをうまくいかせてくれるA&Rの大物って感じだった。だけど、彼は僕らより2つか3つ年が上なだけだったんだ。(P91-92)


ジョージ:僕の人生でいちばん驚くべき瞬間というのは、バンドやサックスやなんかを全部入れてちゃんとデモ・テープにした「ケアレス・ウィスパー」を聞いたときだった。その日、僕たちはナンバー・ワンになるような作品を作ったぞってやっと確信したその日に、マークとの契約にサインしたってのは皮肉だった。


その日に、僕たちはすべてにサインして売り渡してしまったんだ。でも自分に何ができるのかっていうのはわからないし、そんな先見の明なんて持ってるわけないからね。

 

もしこれにサインしなかったら、すべては消え去ってしまうって気持ちがどうしてもあった。みんなが、うまくやるのは運のいいやつだけって言うから、思っちやうわけだよ。「これこそ、そのチャンスだ、これこそ僕の運が開けたんだ」って。あとになって、人がこの契約について書くとき、みんないつも同じ言葉を使った ーー「自業自得だ」っていう。


「若者たちは焦っていた」・・・のちにレコード契約が大々的な訴訟問題に発展したとき、ある裁判官はこう言った。例えば父親のレストランでたまたまCBSの重役が食事していたとき、マーク・ディーンはCBSと契約しているのかと尋ねる(もちろんしていたわけだが)などして、ジョージも彼らしい慎重さでことを進めようと最善を尽くしてはいた。しかし、結局のところ3人の若者は全員、成功物語を始めるには少々焦りすぎていた。

  

それまでにあらゆる人々から断られていたワム!と、あらゆる人たちから祭り上げられていたマーク・ディーンとは、今や水のしみ込む同じボート、レコード・レーベルのタイタニック号であるインナーヴィジョン号に乗り込んで、お洒落なサウス・モルトン・ストリートから不安げに出港しようとしていた。

 

ワム!がインナーヴィジョンと結んだ契約は、海底のエビの尻尾よりも食えないものだった。前払い金として各々に渡された500ポンド(それも将来の印税から返済することになっている)で、ワム!の少年たちはインナーヴィジョンとの5年契約にサインした。イギリスではシングル、アルバムともに8パーセント、その他海外ではアルバムが6パーセント、シングルが4パーセントという印税率に、彼らは合意した。12インチ・シングル(1980年代初頭の音楽ビジネスにおける急成長の分野だった)は1ペニーも彼らのものにはならない。印税なしである。これには自業自得以上のものがあった・・・しかし、さらに悪いことが続いた。

 

この苛酷な親方であるインナーヴィジョンは、5年の間、年1枚のアルバムを要求できることになっていた。もし会社がその気になれば毎年もう1枚アルバムを出すこともできた。つまり、ワム!は5年間になんと10枚のアルバムという、ガレー船の奴隷もショックで気絶するような量の仕事をさせられる可能性があったわけだ。もし、バンドが契約の完了を前に解散した場合、例えば9枚目のアルバムを出した直後だとしても、インナーヴィジョンは2人の少年のどちらからもさらに10枚のアルバムを自由に要求してよかった。まさに心臓の止まりそうな条項である。門外漢から見ると、インナーヴィジョンは彼らの魂さえも所有していたかのようだ。

 

この無情にして心痛む契約は、部分的には若きマーク・ディーンの会社(インナーヴィジョンはマークの大きな出発であると同様、ジョージやアンドリューにとっても大きなチャンスだったのだ)を成功させようという固い決意から来たものだったが、部分的には彼の親会社との契約の厳しさから来たものでもあった。若き大立て者を全面的に信頼し、彼の仕事をスタートさせるために大金をつぎ込んだCBSが、彼をずっと監督していたことは想像に難くない。(P93-94)


☆自伝「裸のジョージ・マイケル」[2]に続く


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by yomodalite | 2015-02-18 00:04 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(0)

甘い・・・

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大阪で迎える二度目のバレンタイン。

去年はお気に入りのショップ「TIKAL」で買ったんだけど、


今年は大阪のNo.1デパートという呼び声の高い「阪急」の特設売り場で物色。阪急のバレンタインチョコ売り場の品揃えは、銀座・三越と比較すると、そんなに遜色ないというか、ほんのちょっぴりだけショボいんだけど、なんだかんだ、今まで買ったことのないチョコも意外とあって、結局いっぱい買ってしまう。

で、、

写真は、3粒選んで買った「リッツ・カールトン」のチョコ。


左の赤いのは、確かバレンタイン限定で、真ん中のピスタチオと、右のシグネチャーは、ショップの定番メニューだったと思う。

一粒を半分にして口に入れただけで、感動が押し寄せて、一瞬で幸せな気分にしてくれる。というレベルが、1粒200円以上のチョコの基準だと思ってるんだけど、

ふぅーー「リッツ・カールトン」甘すぎるわ。。

チョコの味じゃなくて、チョコへの姿勢が。。。

アメリカの高級チョコって見た目だけで、まったく話にならない味というイメージしかないんだけど、ここのチョコがダメなのも北米基準だからなんでしょうか。。(東京のリッツとはチョコのメニューが違うみたいなので、もしかしたら、大阪のレシピなのかもしれないけど、、)

数年前の食品偽装問題のことは、全然知らないけど、

このレベルで2粒950円とか、

食に対して、とにかく「甘い」ってことなんじゃないかと。

以上、激辛レヴューでした。

動画は、バレンタインにも、北米にも関係ないけど、、





本当は『山田孝之の東京都北区赤羽』のエンディングテーマを山田孝之自身が歌っている映像(第7話)をセレクトしたかったんだけどね、、

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by yomodalite | 2015-02-15 00:21 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)

全部摘出「ゼンテキ」―私は貝になりたい〈VOL.2〉

高須 基仁/展望社

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例のごとく、ダーリンが隣でこの本を読んでいて、しきりに、「へぇーーそうだったんだぁ」とかね、言ってくるわけですよ。たしかに下品そうに見えても、高須氏の本が面白いのは、『悪名正機』で、経験してますけど、今、それどころじゃないんだってば。。って何度も言ってたら、

「高須って、おもちゃ会社のトミーから外資系おもちゃ会社にヘッドハンティングされて、そこで作った “マイケル・ジャクソン人形” を三浦和義の “フルハムロード” に。。。

って、瞬殺の「キラーワード」をぶっ込まれて、、(泣)

表紙には『私は貝になりたい』のVo.2と、ありますが、高須氏の出版社である「モッツ出版」の書籍情報にはなく、なぜか別の出版社から発売されていて、


内容は月刊『サイゾー』に連載中の《高須基仁の「全摘」―お騒がせ男の"最初で最後の懺悔録"》の


2007年から、2014年の7年間がまとめられています。

7年も前の芸能・スポーツ記事ですし、冒頭には「熟女フーミン」とか「愛染恭子」とか、マジでどーでもいい名前が飛び込んできたものの、うっかり、細川ふみえの意外な姿を知ってしまったり、小池百合子の褒め方を学び、加護ちゃんではなく、加護ちゃんの母をどう脱がすかとか、華原朋美とか、小向美奈子とか、石原真理子とか、LiLiCoとか、相撲界のタブーとか、清原や、ジョニー大倉を応援することとか、ホントにどーでもいいことが盛りだくさんで(笑)、

鳥越俊太郎に怒り、橋本大阪市長とタイタンの関係や、2011年は国家によるいじめの年だったと総括し、三浦和義の自殺の本当の理由に触れ、領土問題や、原発問題を語りながら、同業者や関係者やその他諸々を名指しで批判しまくり、

柳美里や、ホリエモンや、大物右翼との対談などなど、

興味がないだけでなく、褒められている人の中には、キライな人がいて、批判されている人の中には、好きな人もいるのだけど、

高須氏が面白いから、結局ぜんぶ面白くて、

とても充実した「暇つぶし」ができました!


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by yomodalite | 2015-02-12 06:00 | エッセイ | Trackback | Comments(0)
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マスク編Part 4は、因縁の対決? エミネムとのマッシュアップ!


☆More!!!
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by yomodalite | 2015-02-10 09:17 | MJ系ひとりごと | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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