<   2013年 12月 ( 7 )   > この月の画像一覧

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今年行った伊勢神宮のお神酒と、
神宮の街道で買った狛犬。




伊勢神宮には狛犬だけじゃなく、
生物を造形したものがないのだけど、
大阪に来てから、この地の神社を多く訪れたせいか、
ますます「狛犬」が好きになってしまったから。

それで、大阪の神社やお寺のことを考えつつ、伊勢神宮のことや、
年末は、安倍首相の靖国参拝が大きく報道されていたので、
靖国神社のことも考えてみたり。。

後ろに飾った「陰影礼賛」はジャン・クロード・ルマニーのキュレーションによる
フランスの現代写真家の本なんだけど、
私が愛している日本が表現されている「言葉」だから、
祈るにはいいと思ったのだ。

私がマイケル・ジャクソンについて、どうしても書かずにいられなくなってから、
あっと言う間に3年が過ぎ去り、今年中にまとめたかったけど、できなかったことも、
来年目標にしていることもたくさんあって、要するに、興味が尽きることはなく、
また、自分で納得できたことも少なかった。

東京から、大阪に移ったことで、気づいたこともたくさんあり過ぎるのだけど、

それを、なんとか、ひとことで言うとすれば、

今、東京でものを考えるのは、とても危険だということを思い知った。

今から30年近く前、名古屋から東京に行ったときは、
そんなに大きく違っているように感じたことはなかったけど、
今年、大阪に来てからは、毎日その違いに驚くことがあって、
その違いを、あえて、ひとことで言えば、

宗教がちがうのだと思う。
大阪のTVで話される言葉が、東京とちがうのは「関西弁」だからではない。

宗教という言葉には、アレルギーがある人が多いので誤解されるかもしれないけど。。
でもね、「宗教」について考えざるを得ない時代は確実に来ていると思う。
「癒し」としてではなく、「戦争」が近づいてきているから。

東京は徐々に米国に似てきた。

90年代以降、米国への憧れがなくなり、そんなに支持もされなくなったのに、
なぜか「米国化」だけは進んだ。
東京が都市化していくことに反対する気持ちはないけど、
近年はただ世界中にありふれている街になっているだけみたい。

でも、本当はもうずっと前から、
ただ「外国」を取り入れてきただけだったのかもしれない。
だから、それが素晴らしく見えなくなってきてからも、
慣習として流されているだけなのかもしれない。

東京では、だいぶ前から、落語も、歌舞伎も流行っていて、
着物を楽しんでいる人も全国一多いと思うけど、
それが、そこに住む人のマインドにはほとんど反映されていない。
大阪の文化は、現代のこどもにも影響を与えていることが感じられるのに。。

それが、どうしてなのかはわからないけど、
人のエネルギーが反映されない街が良くなることはない。ということだけは確かで、
それで、もう一度「オリンピック」に頼らなくてはならないんだと思う。

選手たちの競技を見るのは、楽しいし、感動することもいっぱいあるけど、
彼らに「明日への意気込み」を聞く人たちは、なぜ、そんなわかりきったことを、
何度も、何度も、質問し、視聴者からの感想にすら、決まりきった答えを求めるのか?
「自問自答」してくれたらなぁと思う。

私の記憶では、
90年代までは「勇気」が、人からもらえるものだなんて思う人はいなかった。

3年以上、マイケル・ジャクソンについて考えていても、
わかったことは極わずかだけれど、「英雄」とはなんなのか?
については、自分なりに答えが出た。

それは、自分の勝利ではなくて、人類の勝利に身を捧げたひとだと思う。

人類の勝利とは、弱肉強食の生物の世界とはちがう「愛と平和」の実現のことで、
それは誰もが夢みながら、一度も実現されたことがない、
一番困難な道だから、もっとも偉大なことなのだ。

英雄とは、その道を歩もうとして、努力を絶やさず、
人生の最後まであきらめずに、足掻いたひとのことだと思う。

でも、そんな英雄のことを、四六時中、考えてたところで「勇気」ももらえないし、
人の「信念」のようなものは、端から見ていると「危険」にみえてしかたがない。

生前のマイケルでさえ、そうであったように。


今年は、人類がまだ「愛」がどんなものなのかでさえ、誰もわかっていない。
ということを、例年になく突きつけられた年でした。

来年は、今年よりも良い年になりますように!



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伊勢神宮(2013.11.9)




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by yomodalite | 2013-12-29 11:54 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)

反省させると犯罪者になります (新潮新書)

岡本 茂樹/新潮社

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今年出版された新書でもっとも重要な本に選びたくなる一冊。

人目を惹く意外なタイトルで釣ろうとする新書は多いですが、本書は、冒頭から「反省させると犯罪者になる」ということを、自分が犯罪者になることなど1ミリも考えたことなく、犯罪者の気持ちを想像したことなどないという人に、丁寧に説明されている本。

凶悪犯罪は年々減っているにも関わらず、現代ほど、犯罪者に厳罰を与えよ。という声が高まった時代はないと思う。

無宗教と言われる日本人の多くに支持されている「人に迷惑をかけない生き方」を、自分に強いてきた人が、迷惑の最たる「犯罪」に対して厳しい態度なのは当然のことで、それは昔から変わらない。

ただ、かつての「プロの物書き」は、独自取材によって、新たな視点を投入し、集約されそうになる意見に、一石を投じることを使命としている人も多かったけど、今はそんな記事は必要とはされていないし、筆名を持ち、記事を有料で書いている人もいなくなった。ネットは無料だし、新聞社の収入は広告であって記事ではない。

あらゆる記事は無料になって、オピニオンリーダーと言える人はひとりもいなくなり、専門知識も、経験もいらず、調べることもしない記事は、ただ対立を煽り、共感者を囲い込み、考える材料ではなく、炎上の燃料ばかりを投入して、加害者への悪感情を爆発させることが、被害者に寄り添うことであり、それが「正義」だと信じさせる。

多くの人が共感し、参加できる「場」を提供さえすれば「広告」を出す場所としては十分だからだ。

本書は、厳罰化に進もうとする現代に警鐘をならし、
犯罪者への対応だけでなく、教育とは何かをも問う良書だと思う。


☆Kindle版もあります!
◎[Amazon]反省させると犯罪者になります (新潮新書)





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by yomodalite | 2013-12-27 21:29 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)
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年末の特別企画としてw、「いいわけ」のみを、詰め合わせてみました(汗)

まず、、、

こちらの「コメント欄」に書いたように「スリラー」に関する記事を一旦削除しました。

そこで、集中できないといった理由なんですが、

昨年から進めていた「英語翻訳もの」が「2つ」もあって、、

そのうちの1つは、

ある有名な作家のスピーチで、私の英語力ではまったく訳すことが出来なかったのですが、とてもとても素晴らしい方がお力を貸していただけることになって、最近ようやく訳し終わりました。ただし、1920年代に行なわれたスピーチということもあって、現代の日本人が読んで理解できるように注釈を入れたりする作業が残っているんですね。

もうひとつは、

MJ系の本の翻訳で、こちらは、完成まではまだまだ時間がかかりそうなんですが、始めたばかりなので、やることが多いんです。

それと、、

毎年、東京で過ごす以外に何もなかった「お正月」なんですが、
今年は、東京に帰るという大イベントがあるんです!

以上。

たったそれだけですが、、

しばらくブログをお休みして集中しようと思います。

みなさま、良きクリスマスを!


2011年のクリス・ブラウンによる
Human Natureのカッコいいサンプリング!
Chris Brown - She Ain't You


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by yomodalite | 2013-12-21 08:00 | 日常と写真 | Trackback | Comments(2)

真贋 (講談社文庫)

吉本 隆明/講談社



1ヶ月ぐらい前に読んだ本。ほとんどの本と同じように、所々うなづいたり、なんか違うんじゃないか。とか思ったりしつつ読み終えたのだけど、あたりまえのようなことの中に、吉本氏以外は書かないであろう、わずかな「印」のようなものが感じられた。

戦後最大の思想家と称されることもある吉本氏ですが、世界基準での「思想家」という基準にはまったく届いていないのではないかと思う。でも、むしろ、そうだからこそ、氏の歩まれた道は、日本の思想家としても、日本人としても、もっとも真摯なものだったのではないかと思う。


下記は本書からの抜粋
(文章が省略してあることをご了承ください。また文中の太字は私によるもの)


まえがき

少し前に、ある新聞社からいじめられている子どもたちに向けて何かメッセージを書いてほしいと頼まれたことがあった。いまさらとくに書く必要はないと丁重にお断りした。この問題に関して僕の考え方は、一貫している。いじめるほうもいじめられるほうも両方とも問題見だ、ということだ。

僕自身いじめっ子だったという過去がある。たいていのクラスにはいじめられやすい子というのがいた。何となく恐縮したような雰囲気だったので、からかいやすかったせいだと思う。僕は腕白で悪童だったから、先頭を切ってからかったり、小突きまわしたりしていた。

ある日、いつものようにクラスのいじめられっ子を追いかけまわし、馬乗りになっていたら、その子は履いていた自分の下駄を脱ぎ、その下駄で僕の頭を思いっ切り殴った。頭を股られた僕は、一瞬フラフラして、何か起きたのかすぐにはわからなかった。そして次の瞬間、膝がガクガクし、地面に膝をついていた。その隙にその子は走って逃げていった。

この野郎、生意気だ。不思議なことにそういうことは一切思いつかなかった。逆に僕は、面白半分に人のことをからかったり、いじめたりしてはいけないと本気で思った。いじめる根拠があるのならまだしも、その子には関係のない自分のうっぷんを晴らすためや、まったく違う目的でいじめたり、からかったりすることはよくないことだ、と大変反省させられたという記億がいまもある。

いじめられていた子にとって、下駄で股るというのは最後の切り札だったのかもしれない。力いっぱい頭を殴られたことで、僕は目が覚めた、といえば大げさだが、それ以上のことをする気も何もなくなってしまうくらい衝撃を受けた。

真剣に自分の人生を生きている、そういうことに気づかされた瞬間だったと思う。誰もが生死を懸けて自分の人生を生きている。当たり前なようで、誰も当たり前には思っていないのかもしれない。

いま、世の中を見ていると、すべてが逆な方向に進んでいるような気になることがある。あまりにも常識的な「問い」と「答え」にあふれ、実は本当に考えるべきことを考えずに、考えなくてもいいことを考えているのではないか。滑稽ですらある。

まずは、どうでもよさそうなことから考えてみる。そういった視点が必要なのではないか。これまでとはちょっと違う部分を見る。そうしたことで少しは世の中の見方が変わっていく可能性があるかもしれない。そんなことを期待して本書にとりかかることにした。


善悪二元論の限界「自分の毒に責任をもつ」

本を読むことが、人をどう変えるかということに関しても、人さまざまでしょう。高度な感覚や心を持ち得ることで、人間としてよくなるという観点もありますが、その一方で、毒がまわていることにも注意しなければなりません。

お金に毒があるということは、誰もがよくわかっていると思います。お金は怖い、お金は人を変えるという話をよく耳にするからです。しかし、文学や本といったある種芸術的なものにも利と毒の両面があるということは、あまり意識的に考えていないのではないかと思います。世間一般では、物事の毒がどこにあるかわからない、あるいはそれが存在することすらもわからない、という人が多いのではないかと思います。

これは文学に限りません。なにごとにおいても、いいことばかりではなく、毒のほうもきちんと言わなければならないと思っています。また自分自身の問題として、時にはどういう毒が自分にまわっているかということも冷静に考えることをしないと、大きく間違ってしまうこともあるのではないでしょうか。

毒というのは利と一緒にある。そして逆説的な言い方をすると、毒は全身にまわらないと一丁前にならない、という印象もあります。一丁前の作家でも詩人でも、文字を書いて仕事をしている人は、必ず毒がまわっています。

そういう人は、せめて毒をそのまま出さないようにしたり、あるいは毒を超越するようにしたりと、絶えず考え続けることで、かろうじて均衡を保っているというのが妥当なところでしょう。
ー(p39 - 40)


本物と偽物「いい人と悪い人」

僕は、男女問題に限らず、一般の人間関係においても、いい関係かどうかを判断する基準というものを持っています。それは、お互いが言いにくいことをきちんと言えるかどうかです。

だから、文章を書く場合でも、できるだけ言いにくいことを書こうとするわけです。言いやすいこと、言うと褒められそうだと予想できることは、意識的にあまり言わないようにしよう、と考えています。

言いにくいことを言うことが、なぜいいかというと、その行為が自己解放になるからです。主観的ではありますが、周囲の社会や人間関係において感じるさまざまな僻屈から解放される一番の方法は、言いにくいことを言うことです。

もちろん言いにくいことの内容が、社会的に判断して、どういう結果を招くことになるかを考えておくことは必要ですが、それでも、言いにくいことを言えたときの解放感は何ものにも代えがたいものがあります。

でも、人間の好き嫌いに関して発言するときは、かなり慎重になったほうがいいと思います。たしかに僕も、さまざまな意味で、人間に対する好き嫌いの感情を持っています。とくに主題を限定した上での好き嫌いというのは、あると明確に言えます。でも、特定の人間を指して、その人が好きか嫌いかと漠然と聞かれたら、それははっきりと答えられないと思うのです。

実際には、主題を限定した場合の好き嫌いが、その人に対する全人的な好き嫌いの評価になってしまいがちです。僕にとっての理想というのは、そうした判断の仕方が僕の中からなくなることです。

たしかに、主題を限定すれば、嫌いな人を好きになる可能性だってもちろんあります。だからといって、ある主題に限定して、その人が好きか嫌いかを判断するのはやめたほうがいいと僕は確信しています。

しかし、自分自身がうまくそれができているかどうかはまた別なことで、できていない部分があるかもしれません。そもそも、好きな人、嫌いな人という判定自体が不可能です。

つまり、人間というものを一つのイメージとして考えた場合に、ある視点から言えば嫌いだけれども、違う視点から見ると、その同じ人が好きだという面を人間は必ずと言っていいくらい持っているからです。

ですから、特定の主題によって人の全人格に関して好き嫌いを判定する、そうした判定の仕方をとらないですむ精神状態を保っていくようにしていければと思っています。
ー(p111-115)


才能とコンプレックス「人間にとって一番大切なこと」

人間にとって大切なことはきっとたくさんあると思います。そして、たぶん多数の人が、人間として大切だと思っているものはやっぱり大切に違いありません。でも、実際は、自分の性格や成り行きなど、さまざまな理由で、人間として大切だと思えることとの距離感があって、なかなかそこにいけない状態にいることが多いものです。

でも、人間として大切なことを考えたり、それを実現するために自分の行動の仕方を変えたりする意識が重要なのではないでしょうか。それは、社会全体にとっても重要なことではないかと思います。僕はそういうことを、いつでも考えていますし、つねに自分の頭の中に置いています。

社会にとって本当に大切なものは、どこかにあることは確かです。では、それはどこかと言えば、少なくとも、大多数の一般の人が認めているところが、きっと人間にとって一番犬切なところではないでしょうか。

それに自分が近づこうとしても、自分の気持ちが乗っていかない、あるいは事情があってそうはなれない、そういうことが日常生活の中では多く起こります。でも、そのギャップを考え続けていくことが、もっとも示唆に富んでいるような気がします。そうした意識を持つことこそが、生きる上で「大切」という言葉にふさわしいのでしょう。

若い頃から、そのことはつねに気にかかるところでした。その時代の社会的な状態や、自分の気持ちの据わり方の状態などにより、また年代や年齢によって違うことはあると思いますが、その中で一貫していたことはと言えば、こうしたことを自分の頭で考えてきたことです。

大切なことはその都度変わっていきます。だから何か人生で重要だというふう亘一日われたら、ずっと一貫して、大切なものと現状の自分との距離について考えていくことだと思うのです。

おまえの一番大切なことは何かと間かれると、人によって、誠実であることが重要だとか、愛情が重要だとか、一人一人言い方が違うと言っていいくらいです。たしかにそれはどれもみんな重要でしょう。

でも、自分にとって真に重要なことは何なんだと突きつけられたら、僕ならこう答えるでしょう。その時代時代で、みんなが重要だと思っていることを少し自分のほうに引き寄せてみたときに、自分に足りないものがあって行き得なかったり、行こうと思えば行けるのに気持ちがどうしても乗らなかったりする、その理由を考えることだ、と。

みんなが重要だと思っていることというのは、大多数の人が考えている、あるべき人間の要、あるべき性格、あるべき環境など、いろいろなものが含まれるでしょうが、そこにはなかなか達することができないために、その時々で葛藤が生じるのです。

そうした葛藤を僕はいつも感じています。それが人間にとって重要かどうかは人それぞれですから、何とも言えませんが、僕の中に一貫してある思いというのは、どうもそれだという気がします。

では、僕にとって現在、具体的に何か重要か。一つは体のことがあります。老齢にまつわるさまざまな問題を解決することはできないでしょうが、そうした主題でものを書くことで、解決に少しでも近づくのではないかと考えたりもします。自分の身辺のことを考えても、若い頃とは違う思いがあります。女房の病気が少しでもよくなってほしい、子どもが介護でくたびれて参ったというようにならないでくれたらいい、などと書くことで解決に近づくことがあるかもしれません。

時代、時代にいろいろ変わる一つ一つの課題というか、問題に対して自分なりにアプローチを考えたり、いかに克服していくかというプロセスを考えることは、僕にとってもっとも長続さしている習慣のようなものです。つねにその時々が選択であって、これは忘れたほうがいい、これは考えないほうがいいと判断していく。人生はその積み重ねです。

◎[Amazon]真贋(講談社文庫)/吉本隆明



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by yomodalite | 2013-12-09 08:00 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)
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今日は、私の好きな文学オールタイムベストのひとつ『O嬢の物語』(澁澤訳)を、
ステファン卿ではなく、ジャクソン卿への不埒な欲望をバネに、
英語訳と照らし合わせながら読みました。

下記は第2章「ステファン卿」の中から少しだけ。。
電車の中でも安心して読める箇所をセレクトしてますw


Sir Stephen
ステファン卿

Sir Stephen stirred the fire, Rene suddenly went behind the sofa and, seizing O by the throat and the hair, pulled her head down against the back of the couch and kissed her on the mouth, a kiss so prolonged and profound that she gasped for breath and could feel her loins melting and burning. He let her go only long enough to tell her that he loved her, and then immediately took her again. O's hands, overturned in a gesture of utter abandon and defeat, her palms upward, lay quietly on her black dress that spread like a corolla around her. Sir Stephen had come nearer, and when at last Rene let her go and she opened her eyes, it was the gray, unflinching gaze of the Englishman which she encountered. let her go and she opened her eyes it was the gray, unflinching gaze of the Englishman which she encountered.

ステファン卿は火をかきたてた。ルネはいきなりソファのうしろへまわって、Oの首と髪の毛をつかむと、ソファの背に彼女の頭をのけぞらせて、その口に接吻した。長い激しい接吻だったので、Oは息がつまりそうになり、全身が熱く溶け出すような感じがした。愛してるよ、と言うあいだだけ、ルネはOを離し、すぐまた彼女をつかまえるのだった。Oの身体のまわりに花冠のように広がった黒いスカートの上に、彼女の手は、掌を上にして、ぐったりと投げ出されていた。このとき、ステファン卿が近づいてきた。Oがようやくルネの手から完全に解放されて、ふたたび目をあけると、すぐ目の前にイギリス人の灰色の、まっすぐなまなざしがあった。
 
Completely stunned and bewildered, as she still was, and gasping with joy, she none the less was easily able to see that he was admiring her, and that he desired her. Who could have resisted her moist, half-open mouth, with its full lips, the white stalk of her arching neck against the black collar of her page-boy jacket, her eyes large and clear, which refused to be evasive? But the only gesture Sir Stephen allowed himself was to run his finger softly over her eyebrows, then over her lips. Then he sat down facing her on the opposite side of the fireplace, and when Rene had also sat down in an armchair, he began to speak. (~P69 - P70)

が、彼女はまだ茫然としていたし、幸福に息をはずませてもいたので、彼女を賛美し欲望する男のまなざしに、ほとんど気がつく余裕もなかった。彼女のぬれた半開きの口や、ふっくらした唇や、ページ・ボーイ風なジャケットの黒い襟からのぞいた白い首や、大きな澄んだ目に、いったい、誰が抵抗しえたであろうか。しかしステファン卿があえてした行為は、ただ指で彼女の眉毛と、それから、ステファン卿は暖炉の反対側の、Oの正面にすわった。そしてルネも肘掛椅子にすわるのを待って、次のように話しはじめたのである。



Sir Stephen's quiet, self'- assured voice rose in an absolute silence. Even the flames in the fireplace flickered noiselessly. O was frozen to the sofa like a butterfly impaled upon a pin, a long pin composed of words and looks which pierced the middle of her body and pressed her naked, attentive loins against the warm silk. She was no longer mistress of her breasts, her hands, the nape of her neck.

ステファン卿の静かな落ち着いた声が、ふかい沈黙のなかで鳴り響いていた。暖炉の炎さえ、音もなく燃えていた。Oはソファのうえに、ピンで留められた蝶のように釘づけになっていた。言葉と視線でできたその長いピンは、彼女の身体の中心をつらぬいて、彼女の敏感な臀を生暖かい絹の上に圧しつけた。Oには、もう自分の胸や襟首や手の感覚もなくなっていた。

But of this much she was sure : the object of the habits and rites of which he had spoken were patently going to be the possession of (among other parts of her body) her long thighs concealed beneath the black skirt, her already opened thighs.

それでも、いまステファン卿の言った習慣とか儀式とかいうものが目的としてねらっているものは、自分の肉体の各部分のなかでも、とりわけ黒いスカートの下にかくれた、あらかじめ半開きになっている、自分のすんなりした二本の脚であることを疑うわけにはいかなかった。

Both men were sitting across from her. Rene was smoking, but before he had lighted his cigarette he had lighted one of those black-hooded lamps which consumes the smoke, and the air, already purified by the wood fire, smelled of the cool odors of the night.

ふたりの男は彼女の方を向いていた。ルネはタバコをふかしていたが、ふと近くにある黒いシェードのランプに灯りをつけた。煙はその灯影に吸い込まれ、すでに暖炉の木の匂いによって浄化されていた空気に、さらに夜の冷気が立ちこめた。
 
“Will you give me an answer, or would you like to know more?" Sir Stephen repeated.
“lf you give your consent," Rene said, “I'll personally explain to you Sir Stephen's preferences."

「返事をしてください。それとも、もっと聞きたいことがありますか?」とステファン卿がまた言った。「もしきみが承諾してくれたら」とルネが言った。「ステファン卿に優先権があるってことを、ぼくから説明してあげよう」

“Demands,"Sir Stephen corrected.

「むしろ請求権というべきだよ」とステファン卿が訂正した。

英文:Story of O by Pauline Réage(P69~P72)
日本語:O嬢の物語 渋澤龍彦訳(河出文庫(P109~110)

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◎[Wikipedia]O嬢の物語
◎[Wikipedia]ドミニク・オーリー(ポーリーヌ・レアージュ)

☆英語版はペーパーバック、Kindle版ともに2種類ありますが、上記で引用した本はこちらです。河出文庫版と同じマンディアルグの序文やジャン・ポーランの推薦文も収録されています。
◎[Amazon]Story of O by Pauline Réage

☆澁澤訳のKindle版も角川と河出の2種類あって角川の方がお安いようですが。。
◎[Amazon]O嬢の物語 渋澤龍彦訳(河出文庫・Kindle版)

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by yomodalite | 2013-12-08 23:14 | 文学 | Trackback | Comments(0)
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だからね、いくら男前でも、ヒゲは剃らなきゃいけないって
何回言えば、わかってくれるの?

☆More
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by yomodalite | 2013-12-04 16:40 | MJ系ひとりごと | Trackback | Comments(5)

四天王寺に行ってみた

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極楽門の転法輪



四天王寺は、聖徳太子建立七大寺の一つとされている、日本最初の仏教寺院。。と言っても、聖徳太子はすでに教科書でさえ、実在を否定しているほどですし、神社は、その歴史も奉っているものもよくわからないぐらい「上書き」が重ねられているものですが、

大阪の神社やお寺は、施設自体は当時の面影というか、創立当初の雰囲気を残しつつ、周辺やそこに住む人々によって、今もさまざまな思いが「上書き」されているようで、市内の中心部であってもパワーを感じることが多いんですよね。


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大阪という都市の基本構造は、縦は上町台地を難波宮から四天王寺に至る「アポロン軸(権力の思考の軸)」で、横は住吉神社から四天王寺。縦軸と交差し河内平野を通って生駒山に至る「ディオニュソス軸(民衆的な野生の思考の軸)」。その両者のせめぎあいから大阪は生まれた。(『大阪アースダイバー』より要約)


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東京を読み解いた『アースダイバー』を私は読んでいないので、よく知っている方の解読で、氏の霊力?を信頼したわけではないのですが、大阪に来てから感じるパワーについて中沢氏が言っておられることは、全身で納得してしまうことが多い。


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私は街育ちなので、東京の人の多さや、都市のスピードなどを感じたことはありませんが、「大阪人には、都市の人を感じます」と中沢氏も感心するこの街の成熟度の高さは、日に日に強く感じていて、



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東京に蔓延っている人の使い捨てが、都市の発展に必要不可欠なものではなく、単なる精神の荒廃であって、人がダメになれば、街もダメになるというあたりまえのことが見えていないのだということが、人と街が一体となって栄えている大阪に来て、初めてよくわかったというか。。


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四天王寺は、大阪の霊的な方位をかたちづくっているらしい上町台地の南の極。


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近くには「仏さん」ではなく「神さん」の方の生国魂神社の11社もあって、
もうーーー大変です!


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by yomodalite | 2013-12-02 17:22 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite