<   2012年 09月 ( 17 )   > この月の画像一覧

つぶやき(2012.9.30)スリラーライブ、プリンスのベスト20!・・・

f0134963_17495981.jpg


☆2012年9月23日~9月30日ぐらいのTwiitterなどから。


◎[読売新聞]ダ・ビンチ作「若きモナリザ」…鑑定結果を発表


f0134963_1751124.jpg





f0134963_17514898.jpg


真贋のことはわからないけど、今までモナリザについての様々な物語を読んできたけど、モナリザは「女性の知性」を描いた、初めての絵画なんじゃないかと最近になって思う。


和田 唱(トライセラトップス) ‏@sho_wada

「BAD」のリマスター、良い。まるで新譜のように部屋に響いた。時代を超えるってこういうことだ。あと何がいいって、ブックレットがいいぞ!「JUST GOOD FRIENDS」のところ、スティーヴィーとのスタジオの写真なんて初出モノだ!一体今までどこに隠れてやがったんだ!

「BAD25」2枚目の未発表曲集、一番聴きたかったのは「アル・カポネ」。「スムース・クリミナル」の原型らしいということで、コアファンの間では有名な曲名だった。初出。リフや構成は既に「スムース~」を感じさせるんだけど、歌詞とメロは全然違ってて別曲。で、良い!けどマイケルは変えた。

マイケル・ジャクソン、悲願のBADツアー'88公式映像、ウェンブリースタジアムのDVDを観てしまった。ある意味「夢の終わり」だ。ずっと観たくても観れなかったプロショットでのあのシーンこのシーンの連続だ。音もマルチ録音されていた日のため"ブカレスト"より良いくらい。でも!!

②いかんせんサイドのスクリーンに映してた映像の録画。元もVHSって事で画質はどのみち期待してなかったが、カット割りがリアルタイムのため、想像以上に悪い!悪いのだ!悔しい!!テレビ画面に向かって「正面から撮せよ!」「そこは引きだろ!」と終始叫んでしまった。

③つまり「BADツアーの夢」が俺の中でまた始まってしまったわけだ!これでいいのだ!マイケルのダイジェスト映像なんか見てると、BADツアーはまだまだしっかりプロショットで撮られてる場所がある。このノリでそれらが(特に'89年 LA!)が陽の目を見る事を切に切に願う。

④けど話を戻してウェンブリー。ダイアナ妃も観に来てたこの日、3連チャンの3日目にも関わらずマイケルのパワーはすごい。編集がない分リアルだ。まぁカット割り含め、これは作品というよりマイケルが持ってた記録用ビデオを盗み見しちゃった感じだ。ちょっとTHIS IS ITに近いかも。

⑤でも言いたいのは、マルチ録音されている最高の音質に対して、無編集のスクリーン映像というアンバランスさだ。マルチ録音されてるって事はちゃんとカメラが入って収録されてるはずでしょ?じゃあその映像はどこに?いろいろ「?」が湧いちゃうわけだ。と言いつつ観ずにはいられないんだけどね!

⑥マイケルのBADツアー、ウェンブリー公演は123本のツアーの真ん中ちょい後くらい。昔テレビ放送されたツアー前半の'87年横浜スタジアムより歌もダンスも確かにかなり進化してるが、YouTubeでも一部確認できるツアー最終地点のLAなんかに比べるとまだ若い事が分かった!

⑦つまり俺が長年イメージしてた「BADツアー'88」って、ツアー後期のものだったんだ!これは中学一年のとき、母と観に行った再来日の東京ドーム公演(LA公演の前)で、前年(横浜スタジアム)からの進化具合にリアルにシビれた経験がデカい。

⑧俺の中でBADツアーは大まかに'87年(初々しく未完成)'88年(熟練された完成形)と括り過ぎてたかもしれない。ウェンブリーの映像を観てると、歌もダンスもまだ「'87年な要素」が残ってる事に気付いた。これは大きな発見だった。

⑨それが悪いって事じゃなくて、あまりにツアー後半のダンス(及びアレンジ)が完成してただけだ。実際中1でこの目に焼き付けた東京ドーム公演とYouTubeで部分的に見れるLA公演からの判断だ。分かり易く言えば、BADツアー後半戦はダンスも歌い回しもDANGEROUSツアーに近い。

⑪DANGEROUSツアーのマイケルは更に進化して美しい反面、口パクが多くなったり、迫力の面では絶対BADツアーに軍杯が上がる。つまり俺が思う「ベストなマイケル」はBADツアーの後半戦にあると絶対的に思ってる。パワー、力の抜きどころ、美しさのバランスが完璧なのだ、恐らく。

⑫とはいえツアー後半戦って喉も体も疲労するし、ダンスも歌も端折ったりするところがマイケルにはある。(実際'88年の東京ドームは声が出てなかった)それを進化というか「そういうもの」に見せちゃうのもマイケルはうまいんだけど、ガッツリ歌って踊ってもらうに越した事はない。

⑬そう考えるとツアー中盤のロンドン公演のDVD化はいろいろ考えると良かったのかなとも思える。"Wanna Be Startin'~"のスピンで珍しくよろめいちゃったり、"スリラー"で襟が立っちゃったり、ちょこちょこ完璧じゃないマイケルもいるんだけど、迫力は半端じゃない。

⑭クソ長ったらしく書いちゃいましたが、ようやく気が済みました(笑)何せ20年以上コソコソ捜してたものがオフィシャルに出ちゃったもので・・というわけで、自称「BADツアー研究家」の俺ですが、引き続き研究を重ねます!皆さんもぜひ今回のDVDで絶頂期のマイケルに触れてみて下さい!


西寺郷太 ‏@Gota_NonaReeves

マイケル自身が管理してた弊害だね。俺も最初信じられなかったほどの管理の甘さ。 RT @sho_wada ⑤でも言いたいのは、マルチ録音されている最高の音質に対して、無編集のスクリーン映像というアンバランスさだ。ちゃんとカメラが入って収録されてるはずでしょ?じゃあその映像はどこに?

世界一レコードを売った、それも半端無くダンスやライヴ・パフォーマンスにこだわったアーティストが、1年半かけて世界を巡り123回行った史上最大規模のツアー。それが一日たりともフルできちんと当時の最適な映像で残されず管理されていない、というある種間の抜けた「嘘のような話」が存在する。

ちなみに「一日たりとも」というのは、実は違っていて開始されたばかりの日本ツアーはテレビ放映もされている。しかし、あくまでもそのツアーの真の意味での「完成」系ではないという意味で除外した。さて、では何故そんな貴重でありかつビジネス的にも美味しいコンテンツが今残されていないのか。

結論を急ぐ。レコード会社はいつだって出したかったはず。「BAD TOUR」ライヴ・VHS、LD、アルバム。自分が経営者なら100%リリースしたい(笑)。しかし、管理と編集権はマイケルの手にあった。ライヴアルバムや映像の編集は、意外に体力と時間と執念がいる。ライヴを観るだけでも大変だし、様々な角度のカメラのチェックなど気が遠くなる作業。

ここは予想だが、マイケルも出来るならウェンブリー公演を完璧なものにしてリリースしたかったはずだ(なんといっても皇太子とダイアナ妃が見守っているんだから!)。しかし、結局本人的に気になるところが多過ぎたんじゃないかな。

で、25周年。発表された「BAD TOUR」映像は確かに荒い(ムードと音は良い)。ともかく、和田唱に同感でどこかの公演がいつの日かより美しい映像で観れること希望。どこかのエンジニアが契約違反してダビングしてないものかw?結論はマイケルの映像管理がめっちゃ「BAD」ということ!

ちなみに「BAD 25」。二枚目の未発表曲集(BADに収録されなかった曲)の解説を書きながら胸が熱くなったのは、それがデモ段階で「ボツ」曲のレベルを超えているというだけでなく、普通に考えれば絶対に収録すべき前作の延長線上の曲を意図的に外していたから。恐ろしいほどの攻めの姿勢。

今回の「BAD 25」で芳醇な未発表曲群にふれ再確認したのは、結局マイケルが「曲作り」が心底大好きだったということ。だからこそ、最初の話に戻るが「BAD TOUR」終了時点で彼の興味は別のところ(新曲制作)にあった。半世紀経過し、遂に初DVD化。色々あるが結局は嬉しい^^!


☆Bad25を観た後に見ても負けないぐらい
史上最高に美しいサッカー選手の「過去最高の動画」

◎中村俊輔 プレー集 -SHUNSUKE NAKAMURA The Fantasista-

☆中村という名字の、ナカム… で、すでに眼が潤んでしまうぐらい、
俊輔のことが、好き過ぎるんですけど、、

◎「中村俊輔 グラスゴーからの応援歌」(1/2)
◎「中村俊輔 グラスゴーからの応援歌」(2/2)


☆わざわざ反日勢力に政治的得点をくれてやったに等しい、石原・野田氏
中国に誤ったメッセージを送ってしまった野中広務氏
愚かにも日本側が二度もオウンゴールをやってしまった。。。

◎オウンゴールが続いた対中外交

◎村上春樹さん寄稿 領土巡る熱狂「安酒の酔いに似てる」


平川克美 ‏@hirakawamaru

「尖閣に領土問題はない」としか言えない野田さん。現実には問題化しているのに、こう言った定型句を繰り返すだけなら、政治家などいらないってことだ。政治家の軽重は、このタイミングでどれだけ射程の長いメッセージを発信できるかにかかっていると思うのだが。

「他国の文化に対して、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない」(村上春樹)。テレビや週刊誌からは決して聴こえてこない種類の言葉だ。

「敬意をもって接する」とは「敵をその最低の鞍部で超える」というポレミックな態度の対局に位置する態度です。「愛する」という言明は、感情の発露の言明ですが「敬する」という言明は感情を制御しなければできない言明だろう。こどもは感情を制御できない。

繰り返しになるが、村上春樹のような射程の長いメッセージを、政治家が発信するときであり、そういった能力のあり政治家をひとびとは求めている。そういった政治家が、安酒をふるまうような「わかりやすい」「決められる」政治家と対峙する必要がある。

「ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたてつづけることに腐心しておりました。 若い人たちにお願いしたい。他の人びとに対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。」ワイツゼッカーのドイツ連邦大統領演説です。


内田樹 ‏@levinassien

あら、朝日新聞には橋本治さんも「みんな」の政治について長文のエッセイを寄稿しています。これも読みでがあります。今朝の朝日は「濃い」ですねえ。朝日新聞、今日はグッジョブ。橋本先生、元気になってくれたみたいで、うれしいです。

領土問題であきらかになったことの一つは、「愛」は問題をますます紛糾させることがあるが、「敬意」は事態がこれ以上悪くなることを効果的に抑止できるということです。愛はものを破壊し、人を殺す動機になりえますが、敬意がひとを破壊や暴力に導くことはありません。

他国を罵倒したり侮蔑することによってしかおのれの国の優位性を語れないと思っている人が、国際社会で敬されるということはありません。自分に敬意を払わない人間を処罰する人間は、なぜ敬意を払われないのかについて省察することを拒絶した人間です。そのような人間に敬意を払う人はいません。

もしそんなことをすれば、それは我々の問題として我々自身に跳ね返ってくるだろう。逆に『我々は他国の文化に対して、たとえどのような事情があろうとしかるべき敬意を失うことはない」という静かな姿勢を示すことができれば、それは我々にとって大事な達成となるはずだ。」

日本の書籍が中国の書店の店頭から姿を消したことについて、村上さんはこう書いています。「僕に今ここではっきり言えるのは、そのような中国側の行動に対してどうか報復的な行動をとらないでいただきたいということだけだ。



ある媒体のために「日米安保のゆくえ」について5000字書きました。アーミテージ&ナイのレポートを読んでいるとアメリカの「知日派」たちが「日本はいくらパシリに使っても逆らわない国」だと思い込んでいるのがわかります。

でも、この「日本は御し易い国だ」という思い込み(日米両国の「日米同盟基軸派」の共通理解)が実は彼らの視野を狭め、「想定外の事態」についての想像力の行使を阻害しているようにも思えます。それはふつうの市民から、常識的判断として「日米安保廃棄」の声が上がる可能性です。

竹島と尖閣のトラブルがある程度を越えて拡大した場合、「日米同盟基軸」というアイディアそれ自体が信頼性を失います。「日米同盟が危機的状況において機能しない」という事実に直面したとき、日本人はどういうソリューションを選択するか。それについてのSF的想像を原稿には書きました。



「おまえ、二流国になってもいいのかよ」と他国のひとに脅されて「いいえ、一流国でいたいです。で、どうすればそうなれるんですか?」と訊くような政府のどこに「断固たるリーダーシップ」を見出せばいいんでしょう。

残念ながら、レポートが暗に示すとおり、日本は二流国です。一流国(tier-one nation)というのが何であるかを人に教えて貰わないとわからないような国が定義上一流国でありえるはずがないという当たり前のことに、政府も官僚もメディアも気がつかない国なんですから。

「一流国」「二流国」より「一等国」「二等国」の方が政治用語としては一般的ですね。めんどくさいので書き換えませんけれど、みなさん、読み換えてくださいね。そういえば、敗戦直後マッカーサーに「日本は四等国」と言われたことがありましたね。

AERAに原稿書きました。アーミテージ&ナイの「日米同盟レポート」についてです。一部で話題になりましたが、このレポートは「日本は腹をくくる必要がある」というきびしい言葉から始まります。「一流国であり続けたいのか、それとも二流国に滑り落ちたいのか?」

この問いかけに「はい、一流国でいたいです」と日本政府が答えた場合に、国際社会はその国を「一流国」だと見なすでしょうか?レポートは一流国の条件として経済力・軍事力とともに「グローバルなヴィジョン」と「国際問題についての断固たるリーダーシップ」を掲げているからです。


今日(9.30昼の部)『スリラーライブ』に行ってきた。

マイケル関連のイベントにはあまり行かない私なんだけど、、『スリラーライブ』は、マイケルの不在よりも、これからずっとエンターテイメント界の歴史に遺っていく「彼の影響力」が確認できるような気がしたんです。

で、結果から言うと「かなり楽しめた!」ので、ちょっぴり感想など。

まず、始まってすぐ、中央のスクリーンにMJの映像が映し出されると、会場は一気に歓声で盛り上がり、ジャクソン5ぽいメンバーが登場!すると、

パンツがぱっつんぱっつんで、ペコちゃんというか、ポコちゃんみたいな男の子のMJとの似てなさ加減に、会場は一気に和んで、笑いが起きるのだけど、、ポコちゃんは歌いだすと、デヴュー当時の少年MJのような歌声で、観客の心もつかんでしまう。

そのあと、大人になったジャクソンズっぽいメンバーが登場するのだけど、ポコちゃん同様、あまりMJに似せようとはしてなくて、またまた安心するのだけど、前から2列目の中央という、感覚としては、ステージから2メートルも離れていないような至近距離で見ていた私は、彼らの白いパンツから、下着まで透けて見えてしまって、ドキドキする。。

(この距離だと、ダンサーのお姉さんの太もものセルライトまで見える!)

キャストは、MJだけじゃなく、ジャッキーにも、ジャーメインにも似せようとはしてないんだけど、、でも、メンバーにスリラー期のMJに似た、スリムでシャイな感じのイケメンを発見して、ますます、ドキドキしてしまう。

他の下着が透けてるwwメンバーに「股間つかみ」をされると「どうしましょう」って感じなんだけど、彼だけは「もっとやって」って感じで。。(MJみたいにイヤらしくないって意味だからねw)

で、このイケメンは、スリラーライブの広告写真に写っているひとで、ショーン・クリストファーと言うらしい。

(後日追記:宣伝番組ではっきりと顔出ししているショーンを見たら、、あれ?ショーンじゃなくて別の人?? 何かのマジックなんでしょうか。。?)

◎キャスト紹介・ショーン・クリストファー

この写真で見ると「MJより顔が長い」インパーソネーターという感じだけど、
実際はキュートな小顔で、


f0134963_1758274.jpg

彼は、スリラーライブの中で、ファッションも、ダンスも、いわゆる「MJスタイル」でやっている唯一のキャストなんだけど、、MJファッションとか、スダレヘアにしてないときの方が、むしろMJっぽくて、、彼個人のファッションで観れたら、もっと楽しめたような気もしました。

フェードラも、素のヘアスタイルの方が、ずっとカッコ良かったし、汚いローファーの履きこなし具合も素敵で、ビリージーンのパフォーマンスは、MJの場合は、完全に顔を見せないパターンの方が好きなんだけど、、

ショーンの場合は、顔出しで「モータウン25」ヴァージョンだったら、もっと素敵だったかも、と思ってしまいました。

それと、シンガーのひとは全員スゴく歌がうまいのだけど、特に、最初にマライヤばりの「アイル・ビー・ゼア」で登場した、サマンサ・ジョンソンは、写真の印象よりも、ずっとゴージャスで、ソウルフルで、ファンキーで、彼女の単独ライブに行ってもいいと思うほど、聴かせてもらいました!

◎キャスト紹介・サマンサ・ジョンソン

ショーンのイケメンぶりとか、汚いけどカッコいいローファーが見たい人は、前の席がお奨めだけど、、小振りな会場なので、ステージは後ろの方でも楽しめそう。それと日本語スーパーは、前の席だとむしろ見えない(見えなくても大丈夫ではあるけど)

ロングラン公演なので、思い立った日に「当日券」もありかも。。


☆プリンスのベスト20!ってあるけど、アンリリースが多くて、スゴいマニアックな選曲 …ガーディアン誌らしい??
◎The 20 best Prince songs you've never heard




[PR]
by yomodalite | 2012-09-30 23:24 | MJ系ひとりごと | Trackback | Comments(2)

マイケルと神について「藤永先生のメールから」

f0134963_9385749.jpg

☆「他のインタビューから」の続き

わたしは、量子論については、さっぱり理解できないものの、チョプラの本を読んでいて、彼が、科学者たちの量子に対する意見の違いを無視していることが気になりました。

特に、一般的に有名なアインシュタインの名前は頻繁に登場するのですが、アインシュタインの有名な言葉「神はサイコロを振らない」というのは、量子力学への懐疑から発言されたということを、なんとなく覚えていたからです。

◎「アインシュタインの科学と生涯」量子力学、統一場理論

また、 「黄金律に従おう(註釈1)」 で、うっかりMJの神の考え方は、スピノザやニーチェに近いと書いてしまってから、アインシュタインがスピノザに影響を受けたということも気になってきて、

パイスという理論物理学者が書いた、アインシュタインの伝記『神は老獪にして』(“Subtle is the Lord”)という本を読んでみようと思ったのですが、その本の重量感は、ページを開いた瞬間、もっと重たく感じられ、すっかり意気消沈した私は、

物理学者である藤永茂先生に直接質問してしまいました。

◎[関連記事]藤永先生に贈ったマイケルの曲[1]

この質問をしたのは、まだ、エリ・ヴィーゼルについて書いていたときで、物理学者の方に、自分の疑問をどう質問していいいかもわからず、科学音痴のわたしに、質問されるなんて、先生もお困りだろうなぁと思いつつ、、

・先生は、ビッグバンをどう思いますか?
・先生は、ヒッグス粒子発見のニュースを聞いて、どう思われましたか?

という2つの質問をメールしたのですが、

先生はそれまでの「マイケルと神について」も、読んでくださっていて(感涙)、また、「ディーパック・チョプラ Part 2」で、一部引用をお願いしたところ、さらに、MJの死後の世界観やビッグバンの考え方を否定したくないということと、チョプラに関しての意見も加えたものを送ってくださいました(大泣)。

下記が、その内容です。

(引用開始)

アインシュタインは、

「自然の深遠な法則(真理)の一部が人間に分かるという事は奇跡に思える」と幾度も語っています。

また、

ビッグバンはアインシュタインの方程式の数学的な解として確かに存在します。物理学の理論から出てくることとして、私はビッグバンに相当する解の存在を受け入れます。それに基づいたいろいろの自然現象の物理学的説明も説明としてなかなか魅力的です。

これは、私の意見ですが、大多数の物理学者の意見でもあると思います。

我々人間は、ある事柄について「100%こうだ」と断定する事は出来ません。物理学者はこの事を絶えず意識して仕事をしています。ビッグバンが100%確かにあったとは誰も言えないのです。ビッグバンを否定し、神による別様の宇宙の創成を信じ、人生が一回だけ与えられた機会であると考え、残酷な死後の世界の存在を否定するMJさんの心情、あるいは魂を、私は美しいものとして受容します。

ビッグバンの起る前の宇宙はどんなものだったか?、とか、宇宙が有限ならその外はどうなっているか?、といった疑問に答える妥当な物理学的思考の土台が見つからない現状で、それ以上の事を考えてみても始まらない。

というのは、私の意見ですが、

「時間に原点があるということは物理学的にどのような意味を持つか?」とか「宇宙が有限であるか無限であるかを判定する物理学的操作をどう定義するか?」

この問題を考える物理学者はあり得ます。
 
チョプラさんが、実際に、人々の病いを癒し、健康にして、幸福をもたらしているならば、それはそれで、結構なことだと私は考えます。しかし、同時に、彼がその癒しの営みを、量子力学を使わずにやってくれればよいのに、とも思います。量子力学に就いて彼が言っていることには正しくない事が沢山ありますし、その意味では、彼は人々に嘘をついています。もっとも、人の心の平穏のためには嘘も方便という考えもありましょうが、私の趣味には合いません。

(引用終了)

尊敬する先生から、チョプラに抱いた疑問を後押ししてくださったや、また、

「MJ宿題は懸命にやっています」

という 「MJプログレスレポート」の進捗状況もお伺いできて、私はすごく力をいただいたのですが、

これを「Part 2」で紹介するのをやめたのは、量子力学に詳しい先生は、チョプラの「間違い」がわかるから批判ができるのであって、私が同じように、物理学者の先生が「こう言っている」からと言ってしまっては、チョプラが、アインシュタインを利用していることよりも、

もっともっと、ずっと「虎の威を借りてる」感じがしたからです。

それで「量子」を理解しなくても、チョプラを理解できないかと『ヴェーダ』や、チョプラの師匠マハリシの本とか『バガヴァッド・ギーター』をちょっぴり覗いているうちに、

Part 3の最後にしつこく付け加えた「仏教は物理学が解明した宇宙を先取りしていた」に関して、もっと絡みたくなってきて、付け加えた部分を、再度、消去してみたり、、

「サイの皮膚(rhinoceros skin)」って … とか、 ジョン・レノンとマハリシのこととか、MJはやっぱり『Imagine』が大好きなんだなぁとか、下書きを書いたものが何種類もあって、どこに続けたらいいのか、もう何日も迷っていたのですが、、


☆「ジョン・レノン Part 1」に続けることにしました


◎冒頭の写真

FEEL BELIEVE by : Michael Jackson
(MJ write this in the late 1970’s about writing and composing a song)

LET THE SONG WRITE ITSELF

LET IT TELL YOU WHAT TO WRITE

WHAT INSTRUMENT TO USE

WHAT MELODY SHOULD BE USE

LET THE FEELING BE YOUR GUIDE

FEEL, FEEL, FEEL

AS THOUGH A PROPHET

WRITING THROUGH THE THOUGHTS OF GOD

HIS PENMANSHIP, HIS THOUGHTS

FEEL, FEEL, FEEL

FEEL, FEEL, FEEL “BELIEVE”

THE FORCE,

MJ

[PR]
by yomodalite | 2012-09-28 09:38 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)

和訳 “Song Groove”(AKA“Abortion Papers”)

f0134963_8533784.jpg


『Bad 25』に収録された未発表曲。

全曲、「他のアーティストならシングルだよね」って、単なるファンのくせに、なんだか勝ち誇ってしまいたくなるような完成度なんですが、『Song Groove』という曲は国内版でも、

「ネイティブの方々でも聞き取れない言葉が多く、ノートにあったようにマイケル自身も当時、その題材の伝え方に対し熟慮を重ねていた過程の作品であったことをふまえて、歌詞と訳詩を割愛させていただきました」

ということで、英語歌詞も、和訳も、記載がなく、下記のヴォーゲル氏の記事にもあるように「Abortion Papers」が「Song Groove」の元のタイトルなんですが、「MJは最終的にどうアプローチすべきか確信が持てなかった」らしい。

◎ジョー・ボーゲル:中絶、名声そして「Bad」マイケル・ジャクソンの未発表デモを聴いて(その2)

米国は「中絶」に関して、選挙公約にも立場表明を求められるなど、日本とは比較にならないぐらいシリアスな問題なので、MJが最後までアプローチに悩んだというのは理解できるのですが、

日本のファンは、もう少し冷静に、この曲を想像してみることが出来るはずですし、、

踊りだしたくなるのに、内容がわからないなんてと思う、私と似たような方のために、

いつもの私の「ヤバい訳」ではなく、

今回は、kumaさんの訳詞を紹介しますっ!!!!

訳詞は、下記の動画の英文を基本に、一部、kumaさんのリスニングVerになっています。
(*印がyoutubeのページに記載されている歌詞)




Song Groove(AKA Abortion Papers)
Written By Michael Jackson


Sister don't read, She'll never know        
What about love, Live in our Christian soul     
What do we get if she warns away(*What do we get if she runs away)
What about love, What about all I pray

彼女は本を読まない、彼女は知りようがなかった
クリスチャンの心に宿る愛とはいったい何なのか
彼女は人を寄せ付けないなら、僕たちはいったい何ができるのか
愛はどうなってしまうんだ 愛がいちばん大切なのに

Don't do the worst(*Don’t know the worst)  
She knows of Thee       
What about sighs(*What about life)、Living is all I see          
What do you get, Things she will say        
What about love, That's all I pray

ひどいことをしちゃいけない
そう言う神様のことを彼女も知ってる 
でも出てくるため息をどうしたらいいの
人は生活に追われてる
彼女が言うことを、どう理解したらいい
愛はどうなってしまうんだ 愛がいちばん大切なのに

Refrain :(リフレイン)

Those abortion papers
Signing your name against the Word of God
Those abortion papers
Think about life
I'd like to have my child 

中絶許可証
神の言葉に背を向けてサイン
中絶許可証
命はどうなるんだ
僕なら自分の子供が欲しい

Sister confused, She went alone              
What about love, What about all life's soul          
Biding her time, Reading the words            
Singing a song reciting a Bible verse          

彼女は混乱し、そしてひとりぼっち
愛はどうなってしまうんだ、生きとし生けるものの魂は
聖書の言葉を読みながら、何とか時間をやり過ごす
賛美歌を歌いながら、聖書の一節を暗唱しながら

Father's confused, Mother’s despair, Brothers in curse            
What about all I've seen         
You know the lie, You came along(*You keep it low) 
What about heart            
That's all I know   

父親は混乱、母親は絶望し、兄弟は悪態
僕が目にしているものは何なんだ
そこには嘘があり、みんなで嘘につきあってきた
でも心はどうなるんだ
僕が分かるのはそれだけさ

Refrain twice :(リフレイン2回)

Look at my words, What do they say           
Look at my heart, Burning is all heartbreak        
What do you get, What do you say           
What about love, Feel my sin               

僕が歌ってることを聞いて、みんな何と言うだろう
僕の心の中を見て、心が燃えるように痛むんだ
君はどう思う 君は何て言う
愛はどうなってしまうんだ、僕の感じる罪の意識が分かるかい

Refrain : (リフレイン)



Those abortion papers
Think about life
I'd like to have my child

中絶許可証
命はどうなるんだ
僕なら自分の子供が欲しい

Who have been grateful
Where will she go, What will she do to live a world(*What will she do)
Sister don't know, Where she will go
What about love, What about all I saw

だれも感謝していないのか
彼女はどこへ行く?生きていくためにどうする?
どこに行ったらいいのか、彼女には分からない
愛はどうなってしまうんだ、これからみんなどうなってしまうんだ



What will you gain
They'll be confuse
Love all things
It's just the things I do

何が手に入るというのだろう
そんなにも混乱しているときに
すべての命を愛さなくっちゃ
僕はそうしたいと思ってる



Refrain : (リフレイン)

Those abortion papers (abortion papers)
(this paper)
Those abortion papers
I'd like to have my child(repeat)

中絶許可証
僕なら自分の子供が欲しい

(訳:kuma)

[PR]
by yomodalite | 2012-09-26 09:03 | マイケルの言葉 | Trackback | Comments(10)

ひとりごと(2012.9.25)ウェンブリーVD

f0134963_811434.jpg
PHOTO : http://mjhideout.com/

ウェンブリーDVD、ヴォーゲル氏が言っているように、見所が多くて大変なんだけど、、まさか、

☆続きを読む!!!
[PR]
by yomodalite | 2012-09-25 08:27 | MJ系ひとりごと | Trackback | Comments(4)

マイケルと神について「他のインタビューから」

f0134963_14101749.jpg


☆「ディーパック・チョプラ Part 3」の続き

チョプラの「量子」に、ヘトヘトになりつつも『Bad 25』からパワーを受ける毎日。

ボックスセットか、CDとDVDをそれぞれ単体か、もしくは音源のみ「配信」にして、DVD単体を購入するか、という悩みは迷った末に、ライブCDが欲しいという理由でボックスセット(輸入版)に決定。実際の商品にはいくつか不満はあるものの、今更ながらMJの素晴らしさに感動しまくりで、これほど「幸福感」を感じられる商品が、他にあるとは思えない … って感じです。

とはいえ、今後も「Bad期」が全盛期という意見には抵抗していくつもりですしw、そんなことも含めて、チョプラにもしつこく絡んでいたり、彼のことを、カルマのことだけで終わらせてしまうのはもったいないという気持ちもあって、右往左往しているのですが、まだまだ、まとめることが難しいので、

シュムリー以外のインタヴューで、MJが神について語っている部分について、ちょっぴり書いておきます。


☆2001年「30周年記念コンサート」の2ヶ月後インタヴューから
◎TV GUIDE Interview November, 2001

TVG : How did you avoid self-destruction?
あなたはどうやってそのような状況を乗り越えたのですか?

MJ : I think religion entered in
信仰心があるからだよ

TVG : Are you still a Jehovah's Witness?
あなたは、今でも「エホバの証人」の信者なんですか?

MJ : Yeah. I've done, you know, we call it pioneering. We do 90 hours a month. I don't do as much now because I'm busy. You go door to door. I wear a fat suit, pop-bottle glasses, mustache, buck teeth, and, like, an Afro wig. And I knock on the door and say we're Jehovah's Witnesses.

そうだよ。僕は、僕たちが「パイオニアリング」(布教活動)と呼ぶ布教活動をしてきた。僕たちはひと月に90時間、それをやるんだよ。今は忙しくなってしまったから、やらないけど。太って見えるスーツとか、分厚いメガネ、付けヒゲ、出っ歯の入れ歯とか、アフロヘアのかつらをかぶって、1軒1軒「わたしたちは、エホバの証人です」と言って訪問するんだ。

◎TV GUIDE Interview 全体の和訳はこちら

(引用終了)

MJが「エホバの証人」を脱会したのは、1987年4月で『BAD』発売の数ヶ月前。2001年のインタヴューでも、彼が「エホバの証人」だと言っているのは不思議なんですが、、

欧米で神を信じるとは、イコール、どの宗教を信じているか?ということなので、

どういった信条で生きているか?とか、どういった習慣を持っているか?というような、その人の生活スタイルに関わる質問だったりします。

日本人の場合、特にどの宗教を信じるというわけではないけど、なんとなく「神」という存在を信じているという人は多いと思いますが、

その神はどういう存在なのか?ということを、人に説明しろと言われたら、困るひとがほとんどだと思います。それでは「信じる」という意味にならないのが、世界の基準です。

それで、新渡戸稲造が、苦心して日本人の宗教観を、なんとか欧米人になんとかわかるように書いたのが『武士道』なんですが、、新渡戸は、これがすでに当時(1900年!)の日本人にも失われていることもわかっていて、今後、日本人はキリスト教などの世界宗教を学ばなければ、世界が理解できなくなるという危惧も表明しています。

◎[Amazon]現代語訳 武士道 (ちくま新書)

MJの場合「エホバの証人」を脱会後、他の宗教に改宗したという話を聞かないので、インタヴュアーは「信仰心がある」というMJの答えを聞いて「まだ、エホバの証人の信者なのか?」と質問し、MJも、脱会後かなり後になるまで、誕生日を祝わなかったとか「エホバの証人」の習慣を生活信条にしている部分があり、「TVガイド」の読者と、インタヴュアーには、この答えが一番相応しいと判断したのではないでしょうか。

また、さらに重要な点として、

MJは「エホバの証人」を1宗教団体の名称として捉えているだけでなく、実際に「エホバ(YHWH)」(キリスト教、イスラム教、ユダヤ教に共通する唯一神)が存在するということを証明する人間として、自分を位置づけているんだと思います。

シュムリーとの会話と合わせて判断すれば、教会の教えの中には疑問も多いけれど、彼にとって、その頃の布教経験はとても重要なことで、その行動への後悔はまったくしていないし、神を信じる気持ちも変わらず、それを1人でも多くの人にも伝えたいという気持ちも変わっていない。ということでしょうか。

☆2005年の裁判のときの、ジェシー・ジャクソンによるインタヴューから
◎[音声]Michael Jackson Interview with Jesse Jackson Part 3
◎[スクリプト]ALL MICHAEL JACKSON. com から(時間表記は上の動画)

Jesse : And so, you-you-you-you had these hits, ahem, and people that you have embraced are now facing you in court on a daily basis. How does your spirit handle that?

ジェシー:そして、そう、君、君、君、君はいくつものヒットアルバムを持っていて、、そして、君の周囲にいた人々と、今は、日々法廷で対面している。君の精神は、これにどうやって対応しているの?

(6:04~)この音声の最後から、Part 4へ。
◎[音声]Michael Jackson Interview with Jesse Jackson Part 4

Michael : Ah, I gained strength from God. I believe in Jehovah God very much and ah, and I gain strength from the fact that I know I’m innocent ~~ none of these stories are true ~~ they are totally fabricated, and it’s very sad, it’s very, very painful. And I pray a lot and er, that’s how I deal with it and I’m a strong person, I’m a warrior. And I know what’s inside of me. I’m a fighter. But it’s very painful. At the end of the day, I’m human, you know, I’m still a human being. So it does hurt very, very, very much.

僕は、神から力を得ている。僕は神(Jehovah God)をすごく信じていて、自分が無実だと知っている ー それらに真実はひとつもなく ー 完全に捏造だからね、本当に哀しくなるし、すごく胸が痛むよ。でも、僕は多くの祈りを通じて、強い人間でいられる。僕は戦士で、僕は自分の中に闘士がいることを知っている。でも、とても傷つくんだ。1日の終わりに、自分もひとりの人間なんだって、わかるだろう。僕だって、ただの人間なんだ。だから、傷つくことは、すごく多いよ。

(引用終了)

米国では確かに、Jehovah(エホバ) と言えば「エホバの証人」の宗教もしくは信者をさすことも多いのですが、Jehovahは「エホバの証人」に固有の神ではなく、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教に共通の「God」の名前である、YHWH(ヤハウェ)の英語読みで、同一の意味です。

MJのように、何々教ではなく、神を信仰しているというのは、米国では非常にめずらしく、それは「無神論者」と捉えられても不思議ではないのですが、

MJには、通常の宗教を持っている人々よりも、自分は「もっと神を信じている」という意識があり、また、カルマと正義[1]の最後で言っているように、世界の創造主としての神を信じているから、何々教と言うのではなく「Jehovah God」と言っているのであって、

それは、「神は世界にひとりで、わたしたちは全員、神のこども」だということを信じているという意味だと思います。

◎[音楽]All In Your Name[Official Music Video]

この曲が発表されたのは、2011年ですが、レコーディングは2002年で、
たぶん、創作時は、シュムリーとの会話の時期から少し後か、ほぼ同じ頃だと思います。
このVDでのMJのファッションは、2001年のKIIS-FMコンサート出演時の
ブルゾンと同じですね。

☆ ☆ ☆

教会の反知性主義に対して、多くの科学者や、哲学者、芸術家たちが、人間の理性の解放を求めてきました。歴史の大きな流れは「神は死んだ」という方向に進んできたと思います。ですから、多くのスピリチュアル系で、「物質文明の否定」がなされ、わたしたちはそこに共感を覚えることが多いでしょう。

しかし、MJは、科学の進歩に興味が旺盛で、常に最新の技術を自分が取り入れるということにも熱心でしたし、チョプラの「カルマ」を否定していても、『QUANTUM leap』という詩も書いていますし、量子論を否定しているわけではありません。

でも、「ビッグバン」は否定している。。

というのは、どういうことか?について、まだ自分でもよくわかっていないのですが、、

☆「藤永先生のメールから」に続く


[PR]
by yomodalite | 2012-09-23 14:40 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)

マイケルと神について「ディーパック・チョプラ Part 3」

f0134963_10535550.jpg


☆「ディーパック・チョプラ Part 2」の続き

カルマについて同じことをしつこく書いているかもしれませんが・・・

チョプラの「スピリッツ」はカルマと切り離せないし、チョプラがそれを「量子」で説明しようとしている部分も「カルマ」が関わっているので・・だから、私がしつこいんじゃなくてチョプラがしつこいからだと思うんですけどぉ(苦笑)

とにかく、MJの「カルマはゴミ」発言がどれだけスゴいかについてなんとか説明したい、その一心で、私が右往左往しているのだと思います。

重複表現も多々あり、同じことを、ちょっぴり違う方向から言っているような内容なんですが、よろしくお願いします。

☆ ☆ ☆

MJは、オックスフォード・スピーチでは、ユダヤ教の言葉を引用していますが『Thriller 25』の公式ブック『Thriller 25th Anniversary : The Book』の最後には、ヒンズー教の『アタルヴァ・ヴェーダ』(Atharva Veda) からの言葉が綴られています。

Peaceful be heaven,
Peaceful the earth,
Peaceful the broad space between.
Peaceful for us be the running waters,
Peaceful the plants and herbs !
Peaceful to us be the signs of the future,
Peaceful what is done and undone,
Peaceful to us be what is and what will be.
May all to us be gracious !


天国が平和でありますように
大地が平和でありますように
天と地の間が平和でありますように
流れる水がわたしたちのために平和でありますように
そして木も草も平和でありますように
未来の兆しが、わたしたちにとって平和なものでありますように
為されたことも、為されなかったことも平和でありますように
そして今あるものも、これから生まれるものも平和でありますように
すべてのものが、わたしたちに寛大でありますように


※日本語部分は私訳なので、気になる点は、遠慮なくご指摘ください。

ヒンズー教は、キリスト教、イスラム教に次いで、信者数の多い宗教で『アタルヴァ・ヴェーダ』は、4種類あるヒンズー教の『ヴェーダ』の中で、最も新しいもの。

MJは、宗教書も、心理学や、哲学書、自己啓発本から、日本の『武士道』や『葉隠』さえも、、とにかく「スピリッツ」に関する本を山ほど読んでいるようなのですが、中でも、チョプラは、スピリチュアル系の人物の中で、もっとも長く親しくしていたという印象があって、

それは、チョプラが、東洋思想の全般に知識があり、また、現代科学に基づいた東洋医学の実践者としての経歴から、心身両面で、あらゆる話が出来る相手だったから、、と想像していて、

チョプラの本を読めば、インド思想や、インドの古典医学に加えて、量子のことまで、わかりやすく説明してもらえるんじゃないかと期待していたのですが、

参考にした本は、前述の『ゆだねるということ』と『クォンタム・ヒーリング』『富と宇宙と心の法則』(原題:Creating Affluence)と『ブッダ』の4冊なのですが、このうち、チョプラによる “ブッダ物語” である『ブッダ』以外は、すべて、量子に関する説明があるのですが、

わたしが理解できたのは、自己啓発的な部分のみで、それ以外のことは、まったく理解できませんでした。

カルマのことも、スピリッツのことも、その説明には、どうしても「量子」や「現代物理学」の理屈が必要なようで、何かと言えば、その話になるのですが、わたしには、それが悉く理解できないんですね(ハハハ… 泣)

ユダヤ教の歴史より、チョプラの方が難しいなんて想定外だったのですが、

Bottom of heart で、わかったことが、自分に「理系センス」がないことだけ・・で、終わるわけにも行かないので

だって、、あの日以来、代替医療とか、瞑想とか、もっとやっていれば、、と思ったひとも多いでしょう?

それで「量子」を理解するのではなく、どうして、チョプラが、スピリッツを説明するのに、これほど「物理学」に拘らなくてはならないのか、、という観点で「ねっとり」と、考えてみたところ、

意外と「イケてる答え」が見えてきました。

それは、カルマやスピリッツを「科学」で納得したいと「心の底から」思っているのは、チョプラ自身だから。というものです。

なぜかと言うと、

わたしたち日本人は、東洋思想というと、なんとなく知っているような気がしている仏教を思い出すのですが、仏教はインドではマイナーで、チョプラが「物理学」以外で、聖典としている『ヴェーダ』は、元々バラモン教の教えで、ヒンズー教にも受け継がれているものですが、チョプラが宇宙原理(意識)として書いている「ブラフマン」は、バラモン教の根本原理です。

一方、ブッダは『ヴェーダ』を否定しています。

これは要するに「カースト制度」を否定したということで、

バラモン階級というカースト制度を維持するための思想が「カルマ」で、カルマとカーストは切っても切れない関係なんですね。

カースト制度のない欧米では、輪廻転生は神秘思想(スピリチュアルも含む)や、様々な物語に取り入れられていますが、日本の仏教は、インドからも、中国などのアジアからも影響を受けたものですが、それが、国の宗教として取り入れられた理由は「士農工商」という、カースト制度と似た、生まれながらの身分制度があったため、ブッダの思想だけではなく、ヒンズー教も適当に取り入れて、日本独自の大乗仏教になったのですが、

仏教が日本の政治と切り離されて「士農工商」がなくなったので、日本人にも「カルマ」や輪廻転生をロマンティックな物語として受け入れられるようになりました(そのきっかけになったのは、欧米の一神教を “天皇制” として取り入れたから)。

でも、カルマは、もともと「差別」を維持するための思想です。

だから、ブッダは「カルマ(輪廻思想)」を否定し、自ら「王子」の座を捨て、カースト制度に苦しむ下層階級の人々と生活を共にして、「人は死んだらそれで終わり」で、地獄などなく、また生まれ変わって、同じように苦しむことなどない。と説いた。

しかし、そこは、イエスが亡くなった後、教会がしたことと同じく、ブッダが亡くなった後、教団化した「仏教」では、輪廻転生がまたもや復活したり「悟りの境地」は、どんどん複雑化して「象牙の塔」となって行った。

イエスが山の上で行なった説教も、

ブッダが菩提樹の下で語ったことも、

それを聞いて感銘を受けたのは、それまでの宗教により差別され、見捨てられていた人々で、それが、何度、本を読んでもなかなか理解できない教義であるわけがないでしょう。

だから、差別を許さない、そして子どもも含め、常に声なき人のためにと考えるMJが「カルマはゴミ」だと言うことには、矛盾がない。

一方、チョプラの考えは、下記の動画をご覧下さい。

◎[日本語字幕]魂はどこにあるのか?魂とは何なのか? - ディーパック・チョプラ

[動画から抜粋]

魂というのは、時空間を越えたところにある大元の意識です。体や脳に魂を探そうとしても探せません。魂はそこにはないからです。肉体を感じられるのも意識ですよね? 意識なしにはあなたの体験はなにひとつ存在しないのです。

あなたの魂とは、集合的塊の母体の一部、宇宙的魂、私たちが神と呼んでいるものなのです。魂がなぜ探せないのかというと、時空間にないものを、時空間の中に探しているのです。。


[動画から抜粋終了]

自分の精神を、宇宙に近づけて考えていくことには、エゴを抑え、他人との違いでなく、みんなが同じであるということを理解するうえで、いいことだと思うのですが、私が、チョプラに矛盾を感じるのは、

魂が時空間を越えたところにあるなら、どうして、魂に個別に傷がつき、それぞれの過去生からのトラウマを受け継ぐのでしょう?

チョプラがこれに矛盾を感じないのは、

輪廻の背景には「我=アートマン」という概念があって、これは人それぞれ固有で、肉体とは別に存在します。だから、肉体が滅んでもアートマンが輪廻をするんですね。

一方、ブッダは「我=アートマン(atman)」が前提である社会から「無我=アナートマン(anatman)」を説き、輪廻を否定しました。

◎[参考]無我の思想ー仏教のアートマン(永遠不変の魂)否定「佐倉哲エッセイ集」

ところが、ブッダが亡くなったあと、仏教は、教団化したことで、またもや輪廻転生を復活させてしまう。ただし「象牙の塔」となっていた仏教界では、高度な知性の競い合いという部分もあり、ナーガルジュナ(龍樹)は「空」の概念により、再度輪廻を否定した。でも、その理論は、カーストに苦しむような、本当にカルマを否定して欲しいような人々には届かず、もはや仏教は、民衆には親しみのないものとなっていたため、

そこから、信者の獲得のために、またもやヒンズー教や、バラモン教を受け入れ、インド以外の地への布教も広がって行った。

ブッダは輪廻を否定するために「無我」を説いたのだけど、

チョプラが、魂が体や脳にはないと言っていて、カルマには傷がつくと言っているのは、ブッダ以前の「我=アートマン」のことで、これを捨てろと言っているのは、エゴイズムを捨てろと言っているだけで、

エゴイズムを捨て去って「宇宙=ブラフマン」が絶対で、カルマによって輪廻転生が行なわれるということを信じさせる(これは洗脳手法としても使用されている)というのは、

カースト制度がない国では、来世はお金持ちに。。という夢を抱くことが容易かもしれませんが、カースト制度に縛られている社会では、自分に子どもが、生まれて、その子どもがまた同じような苦しみから逃れられない。。という先祖から続く歴史に未来が見えなくなるひとも多いでしょう。

下層のカーストでも、医者など、高いカーストの人々から必要とされるような職業では、経済的に豊かになることができ、子どもたちにも高い教育ができ、カースト制度のない外国で活躍することもできるでしょう。

これは、クリスチャンたちが嫌がるような「金融業」などの仕事で蓄えた経済力を、子どもたちの教育につぎ込んできたことが、現代のユダヤ人の成功に繋がっていることとよく似ていると思います。でも、親の仕事を継ぐしかないような環境で、苦しみから逃れられる仕事は限られています。

チョプラもそうですが、親が医者だからといって、医者にはなれません。彼も、彼の弟も一生懸命に勉強してきたことは間違いないと思うので、彼らは、カルマもカーストも「文化」として受け容れられるのでしょう。

わたしは、インドの「カースト制度」は、日本の「天皇制」と同じように、他国が、軽々しく否定できるものではないと思います。ですから、チョプラのように、その民族的知恵に対して「宇宙の法則」を適用したいと思う気持ちもわかるような気がしますが、、

それは「知恵」かもしれませんが「真理」とか「宇宙のセオリー」ではないでしょう?

しつこく、チョプラの考えを聞いて、ようやく分ってきたのですが、

チョプラは、この動画で「神と呼んでいる」と言っている宇宙意識であるブラフマンと、カルマがセットになっている『ヴェーダ』を信じるために、カルマに「高度な理屈」を求めてしまうんですね。

業=カルマ(行為)にもとづく因果応報の法則(善因楽果・悪因苦果・自業自得)は、輪廻の思想と結びつき、高度に理論化されて、インド人の死生観・世界観を形成してきています。

つまりは、理解しようとしてもなかなかわからない教えというのは、それを理解することで「権力」が得られるというシステムができ上がっているからで、それは、今の東大入試に受かって、上級公務員試験に合格すれば、官僚になれるというのとほとんど同じで、

精神性が高いことと「同義」ではありません。

ただし「思想」には、そういう側面があって、

ユダヤ教徒や、インド人に優れた人が多いのは、ユダヤ人差別や、カースト制があるからだと言えなくもない面があって、インドでも優秀な人は、カースト的には下だけど、教育には恵まれているという階級に多くて、大体そーゆーところで「高度な理論化」というのは、進むもののようですね。

ですから、チョプラの考えは「自己啓発」として成功に導く要素はあるかもしれません。

ちなみに、チョプラのWikipedia(英語)によれば、彼の父親はインドで有名な心臓専門医で、弟もハーバード・メディカル・スクールの医学教授という医者一家なので、裕福で少年の頃から高い教育を受けてきたことが想像できるのですが、医者という職業は、カースト制度では高い身分ではありません(むしろ最下層)。

ブッダは、高いカーストを、自ら捨てたという事実があって、多くの人々に力を与えられたのですが、それが、高度に知的になっていったのは、教団化した後は、救いを求める人々に、元々いい暮らしをしている人たちが多くなっていったからでしょう。

MJが、「カルマがゴミだっていう理由を、すべて彼らに教えてあげるよ」

と言った「理由」が、どんなものか、私なりに必死に考えてみたのですが、少しは説明できたでしょうか?

「ディーパック・チョプラ Part 4」に続けようと思ったのですが、量子疲れ(笑)のため

☆「他のインタビュー」に続く

[PR]
by yomodalite | 2012-09-21 11:11 | マイケルと神について | Trackback | Comments(12)

マイケルと神について「ディーパック・チョプラ Part 2」

f0134963_8263814.jpg


☆「ディーパック・チョプラ Part 1」の続き

MJは、晩年までチョプラと交流していますし、チョプラを全面的に否定するつもりではないということをご了承の上、続きをお読みくださいね。

チョプラと、MJとの違いについて・・・

チョプラは「人間の存在」を、物理的に存在している「場」だけでなく、人間の知覚では処理できないものの、量子の領域の「場」も存在していて、それは科学的にも証明されていると言っています。

また、そのうえに、知性または意識による「仮想領域」というスピリチュアルな領域の「場」も存在していて、

人は誰もが「スピリット(霊魂)」だから「わたしと他人は同じもの」だと言っている。

これは、MJの詩 『I YOU we』と似た考え方ですし、『ARE YOU Listening?』も思い出されます。

また「仮想領域」の証明には、物理学を援用し、

電子を語るには、粒子か波長かのどちらかの状態を選ばなくてはならない … 位置か運動量のどちらかを観察し … 電子は粒子でもあり波長でもある …ハイゼンベルグの不確定原理とか、 観察しなければ、可能性は可能性のまま … という、シュレディンガーによる思考実験や、数学的に構想された次元のなかでは、どれだけ時間や空間が離れているように見えても、ふたつの出来事の間の距離はつねにゼロ … というミンコフスキーの八次元超空間とか、

ニールス・ボーアをはじめとする物理学者たちは、電子か粒子か波長か、どちらかの実体に変えられるのは人間の意識だけ … など、これらの物理学的事実から、観察者として振る舞おうとする人間の意識がなければ、すべてのものは純粋な可能性としか存在することはできず、

さらに、それらの量子物理学が示唆する可能性に興味を示しつつも疑問を抱いていたアインシュタインも、Aの観察がBにも影響を及ぼすとするなら、エネルギーの交換もなく、光の速度よりも素早く、統合や意思疎通がなされたことになる。この思考実験は世の中に存在するあらゆる世界観とは対立しているので、アインシュタイン・ポドルスキーの逆説として知られているが、後の実験結果では、この量子物理学の法則は依然として有効で「すべて」である領域での意志伝達と結合が現実に存在することが証明されています。

と、言っていて、

これは、チョプラの師匠で、物理学の学位をもち、超越瞑想の創始者であるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが、超越瞑想(TM)の純粋意識を、物理学上の「統一場」と同一視しているのと同じく、物理学者たちの思考実験によって想像した空間を、精神世界の「場」として捉えているようです。

精神世界を物理学や天文学で証明しようとする流行は、マハリシ、チョプラの東洋系だけでなく、キリスト教を信じられなくなったクリスチャンの子どもたちによるニューエイジ系でも盛んで、チョプラには「仮想領域」に行くための「審判」は特にないようですが、

ニューエイジ系では「魂の上昇」(アセンション)など、根底にイエスの復活神話のイメージが強いので、どうしても「審判」意識が強くなるようです。

超越瞑想は、ポール・マッカートニー、クリント・イーストウッド、デヴィッド・リンチといった、私の大好きな人たちも支持している「方法」で、私ももっと学んでみようかなぁと思わなくもないのですが、

◎[参考記事]大きな魚をつかまえよう/デヴィッド・リンチ

ポールと一緒にマハリシの元にいた、ジョン・レノンは、当初支持していたマハリシを、後に批判しています。(この批判については、この後のジョン・レノン編も参照ください)

◎[Wikipedia]セクシー・セディー
◎[動画]The Beatles - Sexy Sadie (2009 Stereo Remaster)
◎[和訳] Sexy Sadie

MJは「量子の世界」をイメージし、チョプラからインスピレーションを受けた詩も書いていますが、

魂はカルマに基づいて解釈し、選択する観察者で、人間関係の集合であり、この集合から生まれる文脈や意味が、人生をつくりあげる。人間は自分がことさら独創的な存在ではなく、魂は意味、文脈、関係、神話の集合である。これらの集合が、わたしたちが参加する物語をつくりあげる、カルマによって条件づけられた、日常の思考、記憶、欲望を生み出すものである」

という、チョプラの「カルマ・セオリー」は、否定しています。

◎[関連記事]カルマと正義[1]『The Michael Jackson Tapes』

何かを発見しようと思った時、私は過去に為されてきたことを全部読み返すことから始める。。

という科学者エジソンの言葉と、

本当の音楽が私のところにやってくる時 ー 
天空の音が、理解を凌駕した音が、やってくる時 ー 
私自身は単なる媒介にすぎないから、何も関係がないのだ。唯一の喜びといえば、私に与えられるそうした音を書き写すことだ。私は媒介でしかない。が、そうした瞬間のために私は生きている。


という、ジョン・レノンの言葉の両方を「自伝」の冒頭に掲げたMJが、

ジョンが、マハリシに感じた疑惑について深く考えていなかったり、それを、弟子のチョプラに対しても検証していないなどとは、私には思えないので、もう一度「カルマ」と「スピリッツ」について、しつこく考えてみたいと思います。

まず、「カルマ・セオリー」について。

MJが言うように、私たちの日常は「カルマ・セオリー」で溢れています。霊や魂がまったく存在しないと考える人より、そうでない人の方が多そうですし、死後の世界を描いた「物語」は巷に溢れていて、死後の世界などないと言われると、なんだか寂しい気がする人の方がたぶん多いでしょう。

だから、輪廻転生を信じる人の方が多く、その転生に、何かしらのセオリーを求めてしまうことに抵抗できる人も少ないと思います。

MJが時代から拒否され始めた90年代から、米国では、階級の移動は困難になり「アメリカン・ドリーム」には陰りが見え始め、「がんばれば、成功できる」という信仰は、大学どころか、大学院に行かなくては、いい仕事にはつけないという社会を生み、高い教育費に加え、長期間の学校生活を続けられない人々からチャンスを奪い、生まれたときから「運命」が決まってしまう、階級の固定化が進みました。

世界の富が、ほんの一握りに集中するような社会になると、それまでの社会で安定していた人々は、リスクの高い「成功を求める」よりも、自分より下層を意識して、心の安定を得ようとする人々が増え、

一億総中流と言われていた、日本でも、徐々にそういった変化が訪れ、DQN(ドキュン)という言葉が生まれたのは、90年代後半のようですが、自分が「中流」だと思うために、自分より下の階級を必要とする人々が増えました。

「カルマ」は、それなりに、恵まれた環境に生まれた人々にとっては受容しやすいものですが、そうではない人々にとっては納得できるものではないでしょう。にも関わらず、その両方の人々を「カルマ」を通して納得させようとする。。

「カルマ」は仏教ではなく、古代ヒンドゥー教の四姓制の階級制度(カースト)に起源があるようです。

◎バラモン教(Wikipedia)

司祭階級バラモンが最上位で、クシャトリヤ(戦士・王族階級)、ヴァイシャ(庶民階級)、シュードラ(奴隷階級)によりなる。また、これらのカーストに収まらない人々はそれ以下の階級パンチャマ(不可触賤民)とされた。カーストの移動は不可能で、異なるカースト間の結婚はできない(Wikipediaより)。

このバラモン教のカーストに反旗を翻したのが、ブッダですから、本来のブッダの教えには、カルマも輪廻転生もありません。

これは、イエスがユダヤ教の戒律に反旗を翻したことと同じで、イエスが言ったことが一番表現されているとされる「山上の説教」と、キリスト教徒の行動が矛盾だらけであることと同じく、仏教もブッダが亡くなると、どんどん、色々な考えが混じってきて、それは進化しているようでいて、実体としては、既得権益者の権利を守るという方向に集約されていきます。

現在、米国にも、日本にも、カースト制などという法律はありませんが、階級の固定化が進んだ現在、この既得権益層にとって都合がいい考え方は、人々が、知らず知らずのうちに信じてしまっている「カルマ」によって脈脈と受け継がれていませんか?

MJが言っているように、そういった戦略を仕組んでいるような人々こそが「邪悪な人々」なんですが、

カルマをスピリチュアルという言葉で美しく捉えている人々は、下層にいる人々にはそこにいるべき理由があると考え、自分が下の層に落ちないように、様々な「レベルアップ」に熱を上げるようになり、そういった努力をしない(出来ない)人々をますます軽蔑するようになる。

こういったことは「洗脳テクニック」として、確立されていて、メディアにも確固とした「マニュアル」があります。

2005年の小泉元首相による、郵政民営化選挙は「B層」という階級を意識させることに成功し、日本人としての「純血」や「愛国心」に、価値を見出したい人々を囲い込むために、理由なき人種差別や、国籍差別に、もっともらしい理由づけをするような言説で人気を得ようとする政治家も増えました。

生活保護受給問題も、自分よりも「下層」に注目させ、民衆同士を分裂させる戦術ですし、、

MJが言うように、民衆に憎しみや、差別を生み出す「カルマ論」など、どこが宇宙のセオリーなんでしょう?

ヨガや、アーユルヴェーダや、瞑想で、健康になったり、精神が開かれたような経験を味わったとしても、その素晴らしい経験とカルマ論は本当に相関関係があるでしょうか?

「信仰」には、疑うのではなく、信じることが重要という千年単位の「洗脳」もあり、実際のところ、教育と洗脳の違いは微妙なものですが、良い教師は生徒が自分で考えられるように教える人のことで、

洗脳者とは、大勢の人が、それが「真実」だとか「真理」だと思えるような教えを発明し「真理を知る人」として「神の代理人」や「宇宙の代理人」になる人のことではないでしょうか。

[PR]
by yomodalite | 2012-09-19 08:53 | マイケルと神について | Trackback | Comments(9)

あんぽん 孫正義伝/佐野眞一

あんぽん 孫正義伝

佐野 眞一/小学館



今年(2012年)の始めに出版され、大評判になった本。

図書館にも予約が一杯で、最近ようやくこの本を借りられたダーリンは、毎日すごく楽しそうに本著を読み、私にも「絶対読め」と何度も奨めてきたんですが、私はすでに両手両足どころか、猫の手まで借りても読み切れないほど、たくさん本を抱えていたので「面白そうなのはわかるけど、それどころじゃない」って思ってたんです。でも、読了後、彼が「ああ、読み終わっちゃった。。」と残念そうだったり、私と違って通常、本代にはケチな彼が「これ、買おうかなぁ」とまで言い出したので、、自分の本代には甘いものの、彼の本代にはドケチで、物が増えるのも嫌いな私は、その魂胆を阻止すべく、もうホント「しぶしぶ」って感じで読み出したのですが、、

結果から言えば、大勢の人と同じく、すごく面白かったです。

その面白さについては、素敵な書評がいっぱいあるので、、

◎[参考書評]ダイノジ大谷の「不良芸人日記」
◎[参考書評]渡辺正裕公式ブログ「逝く前のジョブズのごとく」
◎[参考書評]琥珀色の戯言
◎[参考書評]黒夜行
◎[参考書評]圭一朗日記


ものすごく個人的で、極私的な感想だけを「小声」で言いますが、
私は、これを読んでいる間、何度も、MJのことを思い出しました。(呆)

「あのスティーブ・ジョブズの人生にも負けないくらいドラマチック」

という宣伝文句も嘘ではなく、ジョブズの伝記よりも、また、ジョブズ本人よりも「似ている」と思ったりもして、、(ただ、具体的にどこがと言われるとすっごく困る…w)

孫正義や、ソフトバンクに興味がなくても、

石原慎太郎が大嫌いな人(前から嫌いだったけど、最近は殴ってやりたいとすら思う)

なら、今からでも遅くないと思います。

下記は、本書から、孫氏が12歳のときに書いた「詩」をメモしておきます。


(引用開始)


三上は(孫正義を)担任中、孫が韓国籍だとはまったく知らなかったという。

「彼自身、そんなことはひと言も言いませんでした。ただし、彼が “差別” というものについて敏感だったことは間違いありません」三上はそう言って、1冊のノートをテーブルの上に広げた。表紙には筆記体で「Masayoshi = Yasumoto」と書かれ、その下に通信ノートと記されている。日付は1970(昭和45)2月4日とあるから、孫が12歳のときである。そこに「涙」という孫の自作の詩が書き込まれていた。


君は、涙をながしたことがあるかい。

「あなたは。」「おまえは。」

涙とは、どんなに、たいせつなものかわかるかい。
それは、人間としての感情を、あらわすたいせつなものだ。

「涙。」 涙なんて、流したらはずかしいかい。

でも、みんなは、涙をながしたくてながしてはいないよ。

「じゅん白の、しんじゅ。」

それは、人間として、とうといものなのだ。

「とうとい物なんだよ」

それでも、君は、はずかしいのかい。

「苦しい時」「かなしい時」そして、「くやしい時」

君の涙は、自然と、あふれ出るものだろ。
それでも、君は、はづかしいのかい。
中には、とてもざんこくな、涙もあるのだよ。

それは、

「原ばくにひげきの苦しみを、あびせられた時の涙」
「黒人差別の、いかりの涙」
「ソンミ村の、大ぎゃくさつ」

世界中の、人々は、今も、そして、未来も泣きつづけるだろう。
こんなひげきをうったえるためにも、涙はぜったいに欠かせないものだ。
それでも君は、はづかしいのかい。

「涙とは、とうといものだぞ。」



小学6年生とは思えない大人びた詩である。この詩にもある「ソンミ村の大ぎゃくさつ」とは、ベトナム戦争中、アメリカ軍兵士が非武装のベトナム民間人を大量虐殺した事件のことである。「孫くんの当時の感性がよくわかる詩だと思います。原爆の悲劇、黒人差別、ソンミ村の虐殺まで、小学生ならではの憤りが記されています。1970年という時代の影響かもしれませんが、小学生でここまで考えられる子はそうはいなかったはずです」

三上は、孫は間違いなくクラスのリーダーだったという。「学級委員という肩書きだけでなく、ちゃんとリーダーとしての資質をもっていた。子どもの社会ではリーダーというのはたいがい敵をつくるものなんですが、孫くんには敵がいなかった。というより、孫くん自身が決して敵をつくらなかった。分け隔てなく、誰とでも付き合う子だったんです。

ちょっと勉強ができない子がいれば、彼はちゃんと寄り添って面倒を見る。決して見下すようなことはしなかった。といって、堅苦しいだけの子どもではなかった。野球をやらせれば名サードとして活躍したし、みなで遊びに行けば、誰よりもはしゃいでいた。だから、彼は「安さん、安さん」と呼ばれて頼りにされ、誰からも好かれていたんです。文字通りよく学び、よく遊ぶという子どもでした」(p73)

(引用終了)

◎[Amazon]あんぽん 孫正義伝
_______________

[内容紹介]ここに孫正義も知らない孫正義がいる。今から一世紀前。韓国・大邱で食い詰め、命からがら難破船で対馬海峡を渡った一族は、豚の糞尿と密造酒の臭いが充満する佐賀・鳥栖駅前の朝鮮部落に、一人の異端児を産み落とした。ノンフィクション界の巨人・佐野眞一が、全4回の本人取材や、ルーツである朝鮮半島の現地取材によって、うさんくさく、いかがわしく、ずるがしこく……時代をひっかけ回し続ける男の正体に迫る。

“在日三世”として生をうけ、泥水をすするような「貧しさ」を体験した孫正義氏はいかにして身を起こしたのか。そして事あるごとに民族差別を受けてきたにも関わらず、なぜ国を愛するようになったのか。なぜ、東日本大震災以降、「脱原発」に固執するのか――。全ての「解」が本書で明らかになる。

[BOOKデータベース]
今から一世紀前。韓国・大邱で食い詰め、命からがら難破船で対馬海峡を渡った一族は、筑豊炭田の“地の底”から始まる日本のエネルギー産業盛衰の激流に呑みこまれ、豚の糞尿と密造酒の臭いが充満する佐賀・鳥栖駅前の朝鮮部落に、一人の異端児を産み落とした。孫家三代海峡物語、ここに完結。  小学館 (2012/1/10)





[PR]
by yomodalite | 2012-09-18 10:44 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

マイケルと神について「ディーパック・チョプラ Part 1」

f0134963_9371921.jpg


☆「Heal The Kids”とは何だったのか」の続き

シュムリーと、MJの考え方の違いについては、少し説明できたと思うのですが、彼が、MJのことを「ユダヤの人々や、その教えから “エホバの証人” との類似や、同様の契約を感じたようです」と言っていることや、「ユダヤ人に直感的に親近感を抱いていた」という件については、少し書き足らなかったように思います。

わたしは、一部のMJファンによる、彼の周囲が、常にお金の亡者ばかりで、カタログをめぐる陰謀や、財政難から『THIS IS IT』の契約に追い込まれたというストーリーに懐疑的なのですが、それは、その考え方に、キリスト教徒の「お金儲け」に対する嫌悪感と、そのお金に対する感覚が異なる「ユダヤ人」への強い嫌悪感が透けて見えるからです。

わたし自身は「拝金」よりも「清貧」の心情の方が理解できますし、ヘレニズム的な時間感覚や、悠久の世界に身を委ねていたいと、よく思いますけど、

マイケル・ジャクソンというひとは、子供のころから、一分一秒も無駄にすることなく、限られた命をとことん尽くしきらなくてはと常に思い、ビジネスに関して学ぶことも一切怠らなかった。

◎[参考記事]「Gold」誌インタヴュー[1]

清貧信仰のファンは、MJの神聖化のために、彼が商売が上手いということが受け入れられない。そのため、周囲をすべて「悪者」にしてしまったり、MJへの評価も過小なものになっていて、わたしは、そういった「MJ被害者史観」も、彼の「受難」のひとつだったのではないかと思っています。

このビジネス専門誌のインタヴューでも、音楽ライターのヴォーゲルは現在のMJへの一般的なビジネス評価を披露しているだけですが、インタヴュー前から、専門誌の編集長が、ヴォーゲルよりも高く評価している感じは伝わると思いますし、

10年近く、アルバム発売もツアーも行なわなかったMJが「ジリ貧」だったのは、確かにそうかもしれませんが、同じ時期に、どれだけ多くの米国人が投資に狂い、破産したことか。。音楽業界だけでなく、米国全体の衰退がはっきりした段階で、

MJだけが奇跡的に蘇ったことを、私は「偶然」とは思っていません。

『Michael Jackson, Inc.』が、『THIS IS IT』以降の経済的成功だけでなく「MJのジリ貧時代」の堅実さにも、言及してくれてるといいんですけどね。(追記:国内発売されました。結果は… )

根強い人種差別を乗り越えただけでなく、史上最高の成功を納めた後も常に進化し続けるという彼の精神は、クリスチャン的(ヘレニズム的)ではなく、 ヘブライ的時間感覚に近く、シュムリーが言うように、ユダヤ人と近いと言えなくもないと思います。

そんなことも踏まえつつ、

一見、シュムリーよりもずっと相性が言いように見え、『Dancing The Dream』にも影響を与え、晩年まで交流があったディーパック・チョプラ(Deepak Chopra)の考えと、MJの違いをほんのちょっぴり説明したいと思います。

チョプラは、インドの伝統から、仏教、哲学、アーユルヴェーダなどを取り入れ、米国ハーバード医学学校と神学学校で基調講演を行い、米国のニューエイジやスピリチュアル分野における第一人者で、自己啓発分野の著作を多く出版しています。

チョプラの本には「宇宙のダンス」とか、MJと相性の良い言葉や表現が多く見られ、『Dancing The Dream』に収められた詩「QUANTUM leap」という言葉も、チョプラの思想の基本ともいえる概念のようなのですが、

チョプラ氏が「自分が書いたもののなかで最も好きだ」といった『ゆだねるということ』(『迷ったときは運命を信じなさい』改題。原題は「The Spontaneous Fulfillment of Desire」 2003)から、大幅に、省略・要約して引用します。

◎[Amazon]ゆだねるということ(上)

第一部 無限の可能性から

1. ほんとうの自分がいる「場」


物心がついた瞬間から、
人はこの世の中で自分が置かれている立場に疑問を持ちはじめます。

「なぜ、わたしはここにいるのか?」
「どうすればこの世の中で自分の居場所を見つけられるのか?」
「わたしの運命はどうなるのか?」

人類は永遠にこう問い続けているのです。子供のころ、未来は自分の好きなように物語を描くことのできる真白い紙でした。未来には無限の可能性が広がり、新しい発見が約束されていました。ところが大人になるにつれ、身のほどを知るよう「諭され」、夢は萎んでいきます。しかし、子供時代のときめきを取り戻す方法があります。

ほんとうの現実とは何かを理解し、あらゆるものが互いに関連をもち、分ちがたく結びついているという真実に気づきさえすればよいのです。(中略)

そんな人生への第一歩として、3つの存在レベルとはどのようなものか、
理解しておきましょう。

◎第一の存在レベル 現実 ー 物理的な領域

第一の存在レベルである物理的(物質的)な領域は、わたしたちがもっとも親しんでいる、目に見える宇宙のことです。この世界は現実世界とも呼ばれ、三次元の硬い境目をもつ物質や事物のすべてが含まれています。わたしたちが見たり、聞いたり、触れたり、味わったり、かいだりできるすべてのものがここに属しています。

人体、風、大地、水、ガス、動物、微生物、分子、この本のページもすべて、
第一の存在レベルのものなのです。

物理的な領域では、時間の矢印と呼ばれるように、時間が過去から現在、未来へと一直線に流れているように見えます。物理的な領域に存在するすべてのものには、始まりと中間と終わりがあり、永遠ではありません。この世のすべては、生まれるといずれは老いて死んでいきます。

科学者は日食が発生する時刻や継続時間を計算で出すことができます。世の中の「常識」として理解されているすべてが、この物理的な領域における出来事なのです。

◎第二の存在レベル 量子 ー エネルギーの領域

すべてのものが情報とエネルギーから成り立っているのが第二の存在レベルです。量子(QUANTUM)の領域と呼ばれているこのレベルに存在するものには、すべて実体がありません。すなわち、五感で知覚することはできません。ふつう「自己」だと考えている精神、思考、自我などのあなたの一部はすべてこの量子の領域に含まれているのです。精神や思考に形はありませんが、現実に存在していることを疑う人はいません。

この領域は、精神という観点から考えると、いちばん理解しやすいでしょう。しかし、この領域にはそれだけでは語り尽くせない多くの要素が含まれています。実は、宇宙に存在している形あるものはすべて、量子の領域のエネルギーと情報が形となって現れてきたものにほかならないのです。

物質的な世界に存在するすべてのものが、実際には上布とエネルギーで成り立っていることを説明する方法があります。有名なアインシュタインのE = mc2の公式です。物質(質量)とエネルギーは、形が違うだけで実は同じものなのです。

量子の領域での出来事は、光の速さで発生しているため、人間の知覚では処理できません。人間が事物を別々のものとして認識しているのは、エネルギーの波に異なる情報が含まれているからです。

量子の領域を覗ける目をもっていたら、世の中はどう映るでしょう? そこでは、物理学的な世界で固体だと思っていたすべてのものが、光の速さで無限の空間に現れては、消えていきます。宇宙では、ものが現れては消えているのです。

こんな禅問答もあります。ふたりの僧が、風に揺れている旗を見ていました。ひとりの僧が「揺れているのは旗だ」と言いました。するともうひとりの僧が「いや、揺れているのは風だ」と強く反論しました。そこに、僧たちの師がやってきました。そこで、ふたりは「いったい、どちらの意見が正しいか教えてください」と尋ねました。すると師は「どちらも間違いだ。揺れているのは意識にほかならない」と答えたのです。

精神はエネルギーや情報が集まる場です。すべての思考はエネルギーであり、情報なのです。実際にはエネルギーのスープであるものを、目に見える物理的な実体だと認識することで、あなたは自分の身体や世界を想像してきました。では、この想像をつくり出している張本人である精神は、いったいどこから生まれてくるものなのでしょう?(P35~P43をかなり省略して引用)

◎第三の存在レベル 「すべて」である領域

第三の存在レベルは、知性または意識でなりたっています。この存在のレベルを、仮想領域、スピリチュアルな領域、可能性の漁期、「すべて」である知性(非局所的知性)と呼ぶことができるかもしれません。ここは情報やエネルギーが、無限の可能性のなかから表面に浮かび上がって来る場所です。

自然のもっとも根本的かつ基本的なレベルは、物質的なものでも、エネルギーや情報のスープでもありません。それは純粋な可能性の場なのです。このレベルは、空間や時間を超越した「すべて」である領域(非局所的領域)で営まれています。この領域には時間も空間も存在していません。

少し理解しにくい考えかもしれませんので、簡単な例を挙げてみましょう。今、この本を読んでいるあなたの目は、ページの上の黒い印刷物を眺めています。あなたの脳波この印刷物を文字や言葉という象徴に変換し、意味を理解しています。ここで一歩引いて、「読んでいるのは誰か?」「自分の思考の背後にある意識とは何か?」と自分に問いかけてみましょう。

あなたの脳は素早く暗号を解読し、分析し、翻訳していますが「本を読もう」という意志が働かなくては読むことはできません。では、その意志はどこから生まれてきたのでしょう? ほんの少し注意をずらせば、あなたの内面にいる存在、つねにあなたをある行動へと仕向けている「総合令官」がいることに気づくでしょう。

あなやの内面にはふたつのプロセスがあり、あなたの思考は二重になっています、つまり、あなたという「一部」の億に、魂という「すべて」である知性が存在し、本を読むという体験をしているのです。その体験は第三のレベルで発生しています。(中略)

哲学者は何千年もの間「スピリット(霊魂)」の存在について論争してきましたが、この「すべて」である知性、すなわちスピリットが実存している証拠が出てきたのは、ようやく20世紀に入ってからのことです。(p48)

広大な海にエゴ(自我)は存在しません。魂を理解するのに、海は素晴らしいたとえになります。海をあらゆるものを同調させる「すべて」である現実、無限の可能性の場、仮想領域としてイメージしてください。無限の可能性にみちた巨大な海が「すべて」なら、波は「ひとつ」です。しかもこの「すべて」と「ひとつ」は密接に結びついています。(p79)

広大な海のなかには、激しく自己を主張する個人的な「わたし」は存在していません。波や海の干満は存在していても、結局、そのすべては海です。

わたしたち全員が、人間の姿を借りた「すべて」であるものの「ひとつ」のパターンなのです。誰もがみな、スピリットなのです。(p82)

身体、感情、思考、個性のいずれも、自分の力で形づくったものでもないとすれば、いったい自分とは誰なのか、と首をかしげてしまうかもしれません。すぐれた宗教的伝統によれば、「わたしとは他人である」というのが偉大な真理のひとつです。他者がいなければ、わたしたちは存在していないでしょう。(p91)

魂は、あなた個人の経験した意味や影響力をもっています。魂とはさまざまな人間関係のなかで、解釈したり、選択したりしている観察者です。(中略)最後に、魂をさらに明確に定義しておきましょう。

「魂はカルマに基づいて解釈し、選択する観察者である。魂はまた、人間関係の集合であり、この集合から生まれる文脈や意味が、人生をつくりあげている」

わたしたちの物語は、カルマや経験から生まれてくる記憶を通して築かれる人間関係、文脈、意味からつくられています。この物語が実現した瞬間、人間は自分がことさら独創的な存在ではないことに気づくでしょう。

「魂は意味、文脈、関係、神話の集合である。そしてこれらの集合が、わたしたちが参加する物語をつくりあげる、カルマによって条件づけられた、日常の思考、記憶、欲望を生み出すものである」

魂に触れた瞬間、ドラマの台本をすべて見て、全体を理解できるようになります。自分の人生の意味を物語全体の文脈のなかで理解しているので、一瞬一瞬が、かけがえのない時間になります。でもそれ以上に心を浮き立たせてくれる事実があります。気に入らなければ、物語は書き換えることができるのです。

(引用終了)

かなり省略して引用しているのですが、チョプラが考える「人間の3つの存在レベル」について、大雑把に把握できたと思います。

哲学者は何千年もの間「スピリット(霊魂)」の存在について論争してきましたが、この「すべて」である知性、すなわちスピリットが実存している証拠が出てきたのは、ようやく20世紀に入ってからのことです。

と、続いていく、チョプラの「スピリット」の実存説明の詳細は、実際に本を読んでもらいたいのですが、大雑把な感じで、MJとの違いについて、

☆ Part 2 に続く

[PR]
by yomodalite | 2012-09-14 09:58 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)

Michael Jackson at London's Wembley stadium in 1988

f0134963_11143766.jpg


もうすぐ発売されるウェンブリーのライブVDの情報は、
みんなも散々見ていると思うし、
BAD期は、あまり話題にしないというポリシーwもあったんですけど、、

ついに、我慢ができなくなってしまいました。


f0134963_11165884.jpg

この時代のMJのこと、、「美しき獣」みたいだと思っていたんだけど、、


f0134963_11172599.jpg



f0134963_11173510.jpg

でも、、それが “Human Nature” でもあるんだなぁ。。


f0134963_11174885.jpg


☆このページで “Human Nature” の高画質ライブが公開されています!
◎1988 Bad Tour stop at London's Wembley Stadium “Human Nature”

翼がなくたって、誰でも「エクスタシー」を感じることができる …

もう、、ホントに、昇天しそうっ!



[PR]
by yomodalite | 2012-09-12 11:25 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite