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Cute Michael Jackson Stories [1]

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Michael's humour のコメント欄で、Meeさんに教えてもらったページにあった「MJのほのぼの話」をちょっぴり... いつものように、ヤバい英語力を最大限駆使した訳なので、お気づきの点は、どうか遠慮なくご指摘くださいませ。

今回、紹介するのは、

MJが、黒人ラッパーたちと幅広く親密な交際をしていたことをご存知の方も多いと思いますが、あの裁判のあと、王族たちと優雅なひとときを過ごしていると思っていた中東の旅でも、こんな会話があったんだ....みたいな内容。

会話の中の一人称「俺」は、G-Unit's のDJ、WHOO KID です。

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◎[動画]G-Unit's DJ WHOO KID loves Alizé!

では、

DJ Whoo Kid on meeting Michael, 23rd March 2006

G-Unit’s DJ Whoo Kid recently spent some time in the Persian Gulf nation Bahrain. He originally connected with Bahrain’s royal family after he was recommended to DJ their parties by mutual contacts, including the Prince of Monaco and Seif Khadafy, son of Libyan dictator Moammar (“They’re huge G-Unit fans,” the DJ said).

G-ユニットのDJ、Whoo Kid は、最近、ペルシャ湾国家バーレーンで時を過ごしました。彼は、バーレーンのロイヤルファミリーと接点を持ち、彼らのパーティーで、DJに推薦された後、モナコ王子や、リビアの独裁者でカダフィの息子(彼らは、G-ユニットのビッグファンだとDJは言っている)にも紹介された。

In Bahrain, he also met Michael Jackson. Whoo Kid recalls the beginning of his day with Bahrain’s royal family and their guests as follows:

また、バーレーンで、彼はマイケル・ジャクソンにも会いました。Whoo Kid は、バーレーンのロイヤルファミリーや、ゲストたちとの一日の始まりを思い出します。

I (saw) Michael Jackson sitting by the pool sippin’ lemonade. They didn’t tell me he was going to be there — I didn’t even expect Michael to be in the country. So I’m like ‘F—ing Michael Jackson is here, sippin’ lemonade!

俺は、マイケル・ジャクソンがプールサイドに腰掛けてレモネードを飲んでいるところを見たんだ。俺は彼がここにいるなんて聞いてなかったし、マイケルがこの国にいることすら予想もしていなかった。そう、あの、マイケル・ジャクソンが、ここに座ってレモネードを飲んでるなんてさ!!!

I said ‘What’s up?’ to him and acted like I wasn’t groupie-sized. I gave him respect for all the sh– he did, but in my head I was going crazy.

俺は「どうだい?」なんて、彼に、ちっちゃい奴に見えないように言ってさ、俺は、彼をとことんリスペクトして過ごしてたんだけど、俺の頭の方はどんどんクレージーになっちゃって。

He said, ‘I’m just chillin’ ‘ — he actually said ‘chillin’!’ F—ed my head up, so I walked away from him. Everybody gave him his respectful space.

彼は「すごく癒された」って、彼はマジでそう言った「癒された」ってね。俺は自分のク☆頭に気をつけて、彼からそっと離れた。誰もが彼には敬意を表して、そっとしておくだろう。

During his trip, Whoo Kid was also invited to dinner with the sheik and his guests. Apparently people were giving Michael Jackson too much space as there was an empty seat next to him, which other guests were evidently too intimidated to fill.

その旅の間、Whoo Kid も、首長やゲストたちと夕食に招待されましたが、見たところ、マイケル・ジャクソンには他の人々より多くのスペースが与えられていて、彼の隣は空席でしたが、他のゲストたちは恐れをなしているようでした。

Finally Michael, who’d laughed at some of Whoo Kid’s jokes earlier in the day, called the DJ over to sit with him:

すると、マイケルは、その日最初に笑った Whoo Kid の冗談が気に入ったので、DJを呼んで、彼を隣に座らせました。

Mike was like, ‘Whoo Kid, come sit over here’. I was like poinng! He was supposed to be there for like 45 minutes; he stayed for five hours.

マイケルは「Whoo Kid、こっちに座わらない?」って感じで、俺は“poinng!”(?)って感じさ。たぶん、彼は45分間ぐらいと考えてたと思うけど、、5時間は居たね。
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☆この人も G-Unit のメンバーかな?

We was talking about Eminem. He was like, ‘Is Eminem really retired?’ I forgot that Eminem totally cremated him in one video (‘Lose It’), but (Michael) didn’t even bring it up. Then he started talking about 50.

俺たちはエミネムについて話したんだ。彼は「エミネムは本当に引退したの?」とか... 俺は、エミネムが彼を 「Lose It」のビデオで侮辱したことなんか忘れてたけど、マイケルも全然そんな感じじゃなかった。それから、彼は50Cent(50はラッパーの「50Cent」のことだと思う)について話しはじめた。
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◎[動画]◎50 Cent - Keep It Movin New (Official Video)


I gave Michael some music. I’m trying to get him to do a song with 50. It will be like the Jackson Two or something.

俺はマイケルと50セントで組んで一曲やってもらおうと思ってたんだ。(ジャクソン5ならぬ)ジャクソン2(50セントの本名はCurtis James Jackson III)って感じでね。

During the dinner the two also talked about food and fashion

ディナーの最中には、その「ジャクソン2」のこととか、食べ物や、ファッションのことも話してさ。

They had a whole lamb they brought to the table and Mike was eating some weird vegetables. I told Mike, ‘You better get up on some of this lamb.’ I said, ‘Let me get some of this lamb ass.’ The Sheikh was dying (laughing) because I kept saying ‘lamb ass.’

テーブルにはまるごと子羊が乗ってて、マイケルはなんか変な野菜とか食べてたんだけど、俺はマイケルに「あなたも、この子羊を食べた方がいい。そして、俺にもこの子羊のケツを与えてくれ」って言ったんだ。バーレーンの首長は死んでたぜ(笑)俺が何度も「子羊のケツ」だなんて言うから。

You can’t talk to Mike all fluffy like everyone does. I got him to curse — he said ‘sh–.’

そんな風にマイケルに話せないだろう。マイケルには、誰もがみんなふんわりした感じで話すからさ。俺は彼に悪態をついたよ ー 彼も「ク☆っ」 とか言っちゃってー

I told him he needs to cut his a hair, get some million-dollar earrings, get a million-dollar watch and take all them spaceship clothes off.

俺は、彼に言ったんだ。お前は髪を切るべきだし、100万ドルのイヤリングをして、100万ドルの腕時計もして、あの宇宙服みたいなやつとか、全部脱いじゃえよ。って

He said, ‘I have to change my whole outlook.’ He said he was trying to work out.

マイケルは「ぼくは自分の外観を何もかも変えなきゃならないな」って、彼はヤル気だったね

(おしまい)

Source : Cute Michael Jackson Stories


そういえば、、、明らかに私服がカッコ良くなったのは、これ以降だったかも....w
それと、1年後の2007年には「100万ドルの腕時計」もしてた!(笑)
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☆この写真だけ、2007年の「VOGUE」撮影現場


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☆MJの右側の人は Tyson Beckford
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☆John Legend も招待されてたみたい。
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☆2006年のバーレーンのMJはキュートな表情が多いなぁ....


☆このバーレーンでのディナーの話は、MTVの Tim Kash の話も「My Dinner With Michael Jackson, By Tim Kash」として掲載されていて、

こちらのとてもとても素敵なブログに「和訳」があります。


☆Cute Michael Jackson Stories [2] につづく




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by yomodalite | 2012-02-29 10:21 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(21)

偶然完全 ー 勝新太郎伝/田崎健太

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2011年12月に出版された、現在もっとも新しい勝新太郎の伝記。

プロローグで、著者は、

ぼくは勝新太郎の最後の弟子だった(中略)かつて、勝は週刊誌で人生相談を連載しており、ぼくはその担当編集者だった。週1回、2ページの連載にもかかわらず、ほぼ毎日彼のところに通った時期もあった。(引用終了)

と書かれていて、根本敬氏の『特殊まんが家 ー 前衛の道』で、勝新太郎の「偶然完全」という言葉に出会い、この「人生相談」のことを知っていた私はものすごく興奮しました。

さらにプロローグから引用します。

勝は不当に軽んじられていると思う。代表作の『座頭市』の映画は全部で26本作られた。これは渥美清の『男をつらいよ』三益愛子の『母もの』、森繁久彌の『社長』シリーズに続く数である。『座頭市』と同時期に、勝は『悪名』と『兵隊やくざ』シリーズを持っていた。悪名は16本、兵隊やくざは9本、それぞれ製作されている。こんな俳優は他にいない。

年若い編集者と座頭市の話をしたことがあった。その編集者は「座頭市と言えば(北野)武さんですよね」とさらりと言った。世間では勝は忘れられつつあるのかもしれない。そんな気持ちに後押しされて、勝のことを改めて調べ始めた。短い期間とはいえ、ぼくは濃厚な時間を勝と過ごし、様々な話を聞いたつもりだった。しかしそれはあくまでも、つもりだった。知らない話が次々と出てきた(中略)ぼくは思った。この生き様こそ、勝の最大の作品ではないか、と。(引用終了)


うーーん、勝新の天才性への一般社会での評価はまだまだ低いとはいえ、「座頭市と言えば北野武さんですよね」というような「若い世代」と言えなくもない春日太一氏(1977年生まれ)の『天才 勝新太郎』も絶賛されていますし。。

◎博士の悪童日記(2010年02月05日)
◎博士の悪童日記(2010年02月24日)

著者は、春日氏よりだいぶ年上(1968年生まれ)なのに、同世代にも、若い世代にも勝新以上に知られていない、三益愛子、森繁久彌と比較して「こんな俳優は他にはいない」と言われてもなぁと、ちょっぴり不安になりつつ、

それでも、巻末の参考文献に、春日太一氏の本だけでなく、わたしがこれまで読んできた本もズラリと並んでいることから(吉田豪、水道橋博士が紹介している本はリストアップされているものの、根本敬氏の名前はない)勝新伝の「決定版?」という期待で読み始めましたんですが、、、率直な感想を言えば、本書の大半が、どこかで読んだ話がまとめられているという印象でした。

勝新に思い入れがない人なら、こういった「アンカーマン」としてまとめたような内容(≠決定版)でも満足な読書ができると思いますが、水道橋博士も言われているように、

勝新は、「勝新大陸」「勝新山脈」と呼ぶべき、常人が住む娑婆とは隔離された、芸能の真理を身に纏う偉大なる無法者で、この一般には見えざる概念上の、大陸、山脈は、特殊漫画家・根本敬氏らの研究、紹介により、昨今、その存在が多くの人に知られるように....

なっているだけに、著者は、勝新の天才性を紹介しているつもりでも、本当にその大きさが見えているのかどうか疑ってしまう部分や、巻末に引用図書はリストアップされているものの、その大半は現在でも入手可能なものであるにも関わらず、本文では、それらの紹介も、引用もきちんとされずに、ただ、まとめて1冊にしていると感じられるようなところも多くあり、著者の本づくりの姿勢にはあまり感心できませんでした。

ただ、博士も言われているように、読み始めたら止まらなかったことは確かで、

◎博士の悪童日記(2012年02月01日)

連載担当になってからの話が始まる、第12章「今度はパンツをはかないようにする」からの内容は、著者が直接、勝新と出会った部分で、週刊ポストで「人生相談」を始めた頃の勝新の日常に触れられたような気がしました。

偉大なひとは、偉大なひとから学んでいるし、賢人たちはみな「答えは目の前にある」ということを繰り返し、説き続けるものですし、根本敬氏の「ソウル電波」もそうですが、エラい人はみんな同じようなことを言い、エラい人から感じる「気」は、だいたい同じなので、『傷痕』を書いた桜庭和樹氏が、読書日記で、水木しげる氏の言葉、

「この世に生まれて楽園で生活しないなんて、バカだよ」

という、MJの「Are You Listening」(『Dancing the Dream』)と、ほとんど同じ言葉が紹介されていたり、勝新は自伝『俺、勝新太郎』の中でも、マイケル・ジャクソンに言及していましたが、本書にも、MJが登場してました。

(P284)第11章「神が降りて来ない」ー 六本木に座頭市を歩かせたい より

88年9月19日、渋谷のディスコ「Jトリップバー」で『座頭市』製作発表記者会見が行われた。皮のハーフコートを着た勝、着物姿の樋口可南子、そして緒形拳たちが壇上に並んだ。勝は、再び『座頭市』を撮ることになった理由を説明した。

「海外の映画、最近の日本映画を見ていると、その人しか持っていないものを作るのがいいんじゃないかと。勝新太郎というと座頭市になる。座頭市の映画は16年もやっていない。(アイデアが)溜った引出し、世間の流れも変わっている。今の世の中に座頭市を入れたらどうだろう。六本木に座頭市を歩かせたらどうだろう、と」

この考えは、スタッフルームに貼られていた紙により踏み込んで書かれている。

六本木、原宿、永田町界隈に座頭市がイーグルスの曲に乗って現れたら、マイケル・ジャクソンが座頭市をやったら、どんな座頭市映画ができるだろう。(引用終了)



著者は、この1989年の『座頭市』に関して「映画としての出来はそれほどでもない」などと言うような芸術音痴な方なので「勝は音の使い方が上手い」とか書いていても、実際のところ、他の人の受け売りで、あまりわかっていないようなんですが、

勝新は言葉的な面白さで、そう言っているのではなくて、、そんな発言を知らない私が、最初に観たときも、はっきりマイケルを感じたんだから… 本当にスゴいと思う!

☆勝新が、著者にも言ったように、その人しか持っていないものを作って欲しかったという不満はあるものの、勝新の優しさ、可愛らしさはよく表現されているので、一般的にはイイ本だと思います

◎『偶然完全 勝新太郎伝』(アマゾン)


☆参考サイト
◎『偶然完全 勝新太郎伝』現代ビジネス・立読み電子図書館
◎BOOK asahi.com「存在そのものが作品のような男」
◎本書の表紙写真の写真家・操上和美のサイト。撮る写真も本人もすべてがカッコいい


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by yomodalite | 2012-02-27 19:05 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

アート・スピリット、サッカーと独裁者

アート・スピリット

ロバート・ヘンライ/国書刊行会

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2月に読んだ本で、良本だけど、ブログに書けなかった本2冊をまとめてメモ。

『アート・スピリット』は、デヴィッド・リンチが語っていたことから興味を持っていて、大分前から待ち望んでいた本なのに、3.11ショックでなかなか読むことができませんでした。

80年以上、書店から消えることのない「芸術指南書の古典」に、滝本誠氏による詳細な解説も加わっているので(「ロバート・ヘンライ、アメリカ美術史を面白くした男」約40ページ)、さらに読み応えが増しているのではないでしょうか。

パレットに絵の具をどう配置するかといった具体的なことから「一人ぼっちで、寒さに耐えること」「賞とメダルについて」など、アーティストの悩みにも答えつつ、それが「絶対」ではなく、常に、ひとつの考え方として提示されているところが、ヘンライの“先生”としての魅力だと思う。この学校で学びたかった!

◎国書刊行会『アート・スピリット』

[内容紹介]君たちは生まれながらにして巨匠なのだ!80年以上に渡ってアメリカの若き芸術家たちによって読み継がれデイヴィッド・リンチ、キース・ヘリングらも魅了した芸術指南書の古典的名著がついに邦訳。「傑作を生み出せ ― 君自身と同じくらいの傑作だ」「芸術家として生きる人生 はすばらしい。それは、どんな人にも可能なことなのだ」「拒絶を恐れるな。すぐれたものをもつ人間はみな拒絶を通過してきた」……1923年、当時人気画家 だったロバート・ヘンライ(1865~1929)による実用的かつアジテーションに満ちあふれた美術講義録は刊行後すぐさま若き芸術家たちにとってのバイブルとなった。以後80年ものあいだ、画家の名声は消え去っても書物は残りつづけ、芸術書としてだけでなく人生哲学の書として読み継がれてきた ― 幻の名著を詳細な解説(滝本誠)とともに本邦初訳でおくる。国書刊行会 (2011/8/12)


サッカーと独裁者 ─ アフリカ13か国の「紛争地帯」を行く

スティーヴ ブルームフィールド/白水社

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サッカー好きの人には、記憶に残る名選手たちの名前に、そのときの記憶が蘇ったりという部分もあるのだけど、この本を読むのに、サッカーへの興味は関係がなく「アフリカ」に興味があるけど、アフリカにたくさんの国があることも、それぞれの国の異なる背景もよく知らないし、難民の子どもの顔しか浮かばない.....という人がアフリカを知るのにイイ本。(最近、ますますユニセフ募金の広告量が増えましたよね...)

著者は「インデペンデント」紙の元記者で、現在もケニア・ナイロビを拠点に取材活動中の方。一般メディアの目線とはちがう「アフリカ」が見えます!

◎MSN産経「書評」
◎よみうりオンライン「書評」

[目次]

第一章 エジプト サッカーを利用した独裁者
第二章 スーダンとチャド 石油をめぐる哀しい争い
第三章 ソマリア 紛争国家に見出される一筋の希望の光
第四章 ケニア サッカーは部族間闘争を超える
第五章 ルワンダとコンゴ民主共和国 大虐殺と大災害を乗り越えての再生
第六章 ナイジェリア サッカー強豪国が抱える深い悩み
第七章 コートジヴォワール サッカー代表チームがもたらした平和と統一
第八章 シエラレオネとリベリア アフリカナンバー1になった障がい者サッカー代表チーム
第九章 ジンバブエ 破綻した国家でサッカーを操る独裁者
第十章 南アフリカ アフリカ初ワールドカップ開催国の光と影


◎雑誌「インデペンデント」(ウィキペディア)
◎英紙一面で「がんばれ日本」

[BOOKデータベース]サッカーから見える、「新生アフリカ」の光と闇。内戦や貧困、政変が続く一方、経済発展を遂げ、スター選手を輩出し、W杯を成功させたアフリカ。エジプト、スーダン、ソマリア、ルワンダなど大陸を縦断、激動の情勢と驚愕の真相に迫る!写真多数、地図・各国最新情報を収録。白水社 (2011/12/10)


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by yomodalite | 2012-02-26 20:44 | 読書メモ | Trackback | Comments(0)

さらば雑司ヶ谷(新潮文庫)/樋口毅宏

さらば雑司ヶ谷 (新潮文庫)

樋口 毅宏/新潮社

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雑司ヶ谷って、どの辺なのかよくわからなくて、最初は世田谷区かと思った(東京で住んだことのない区だし、わからない地名は大抵「世田谷」だと思ってしまうのだ)のだけど豊島区でした。

そういえば、世田谷以外でも、乗っていると、いつのまにか「埼玉」に行ってしまう路線とか「池袋」周辺も苦手なのだ。

雑司ヶ谷は、副都心線で、都電荒川線の「鬼子母神前」で、1丁目から3丁目までしかない「町」なんだけど、それで人口8088人って、ホントに、東京をひとつの「イメージ」で語るのはむつかしい。

著者は、雑誌「ブブカ」や「みうらじゅんマガジン」の編集長として活躍された方。その経歴に、グッと来てしまう人には、期待を裏切らない内容で、私は町山智宏氏と水道橋博士の推薦で読んでみようと思いました。

◎シリアスか洒落なのか、「読ませる力」町山智宏
◎「キラキラ・ポッドキャスト」水道橋博士『さらば雑司ヶ谷』を語る

下記は著者による「あとがき」から。

この小説は文中に表記した以外にも、以下の作品と人物へのオマージュ、霊感、意匠、影響、引用、パスティーシュで構成している箇所があります。

『不夜城』と『私が殺した少女』にリスペクトを。

他に、開高健、『池袋ウエストゲートパーク』(ドラマ)、高倉健、『そして、ひと粒のひかり』、佐野元春、『グラップラー刃牙』『サンセット大通り』、藤本義一、『さくらの唄』、つかこうへい、『カメレオン』(マンガ)、見えないドアと鶴の空』『人間交差点』、芥川龍之介、『ドランクモンキー 酔拳』『遺書配達人』、中島みゆき、『闇の子供たち』、ランボー詩集、『悲劇の誕生』、夏岡彰、『LOST』、荒川徹、『北斗の拳』、Q・タランティーノ、『嘔吐』、みうらじゅん、『昭和の劇 映画脚本家 笠原和夫』、ZIGGY、『ぼくは微動だにしないで立ち尽くす』、増井修、『幕張』、『ねじまき鳥クロニクル』、山崎洋一郎、『ロッキング・オン』のM.I.A.インタヴュー、『ニャン2倶楽部Z』『仮名手本忠臣蔵』、保阪尚輝、『花王名人劇場』で鹿賀丈史が出演したドラマ、北野大、『ビヨンド・ザ・マット』、平井夏美、『CUT』の石岡瑛子インタヴュー、ローリング・ストーンズ、シェークスピア、コーネリアス、浜田省吾、『わが谷は緑なりき』、バービー・ボーイズ、『虐げられた人びと』、電気グルーヴのオールナイト・ニッポン、山口絵里子、『さらば、わが青春の少年ジャンプ』、松本隆、『奇子』、鹿野淳、円谷幸吉と川端康成、『男樹』、GREAT3、『渋谷陽一の社長はつらいよ』、『ベイエリア在住町山智宏アメリカ日記』、ウィキペディアやgoo映画、他のサイトなどなど。(順不同)

それでは続編『雑司ヶ谷R.I.P』でお会いしましょう。

(引用終了)

続編も読みたいし、『CUT』の石岡瑛子インタヴューも読みたくなりました。

☆映画にしても楽しめそうな小説。町山智宏(1962年生まれ)、水道橋博士(1962年生まれ)に近い年齢の人は、さらに楽しめそう。

◎さらば雑司ヶ谷(アマゾン)
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[内容説明] 中国から久しぶりに戻った俺を出迎えた友の死と女の失踪。東京、雑司ヶ谷。狂気と猥雑の入り乱れたこの街で俺は歪んだ青春を送った。町を支配する宗教団体、中国マフィア、耳のない男… 狂いきったこのファックな人生に。天誅を喰らわせてやる。エロスとバイオレンスが炸裂し、タランティーノを彷彿とさせる引用に満ちた21世紀最強の問題作、ついに文庫化。脳天、撃抜かれます。新潮社・文庫版 (2012/1/28) 単行本(2009/8/22)


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by yomodalite | 2012-02-25 22:58 | 文学 | Trackback | Comments(0)

ロスト・ボーイズ ー J・M・バリとピーターパン誕生の物語/アンドリュー・バーキン、鈴木重敏(翻訳)

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ー 何人たるを問わず、余の伝記をものにせんとする者を、神よ、罰したまえ ー

上記は、大変なメモ魔だった、バリの晩年のメモに遺されていたもの。著者は、古代エジプトのファラオの墓に彫り込まれた呪いにも似た、この警告に恐れをなし、本書を伝記でないと断り、また、バリの作品の評論でもなければ、彼の心理の分析でもない。登場人物自身の言葉で語られ、自身の姿で描かれた、一つの愛の物語であり、

さらにまた、これはドキュメンタリーとして書かれているが、自分がBBCテレビのために書いた同名のドラマとも違っていて、本書では、編集者の役割に徹し、書簡、日記、メモ、面接取材、写真、それにバリ自身の作品などの資料に、事実をあるがままに語らせ、個人的見解はできる限り排除したつもりである。

と「序文」で語っています。


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(Andrew Birkin。監督作「THE CEMENT GARDEN」の主演で、姪でもあるシャルロット・ゲインズブールと)



また、特に大きな助力を受けた協力者として、協同研究者のシャロン・グードと、彼女がその所在をつきとめた、バリの養子となった5人の兄弟の末っ子、ニコラス・リューイン・ディヴィス(通称ニコ)を挙げ、家族全員のものである手紙や書類の版権の所有者として、出版に同意し、原稿を詳細に吟味したニコの協力について、

送りつけた原稿に対し、「やや正確さを欠くと思われる若干の点についての意見」を別便で送るが、そう重大なことではないから無視してもいいということだったのに、送られてきた「次の便」は、50枚近い便箋にびっしり書き込まれたもので、それは、すべて、事実に関する原稿の誤りを訂正するものだった...

という、素敵なエピソードからも、本書を「マイケルの愛読書」に断定しました。

☆[追記]このあと調べたところ、リストにあったことが判明。
http://www.mjjcommunity.com/


バリの研究本は、英国、アメリカともにたくさん出版されていますが、バリが「マイ・ボーイズ」と呼んだ5人の兄弟の1人が深く関わり、第一級の資料が満載の本を、MJが読んでいないわけがないですからね(原著の出版年は「Off The Wall」発売の1979年)

上記で「BBCテレビのために書いた同名のドラマ」と言っているのは、1978年にBBCで放映された「The Lost Boys」という1回90分の3回連続ドラマで、大変な評判になり、多くの賞を受賞したもの。著者のアンドリュー・バーキンは、1968年に『2001年宇宙の旅』に助監督として関わり、その後も脚本家、映画監督として活躍され『薔薇の名前』の脚本家として有名な方。また、あのジェーン・バーキンは1つ年下の妹だそうです。


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Michael Llewelyn Davies age 9



とにかく『小さな白い鳥』を読んで以来、バリに夢中で、本書でもバリの作品タイトルが登場するたびに、読みたくなるのですが、日本で出版されているのは「ピーターパン」ぐらいで、、

◎Andrew Birkin's site about Barrie and the Davies family

上記のサイトを眺めたり、バリの有名なスピーチの原文を探して、でもこれを訳すなんて何年かかるかわからない ... と、途方に暮れていたんですが、本書を読んでいる間は『小さな白い鳥』読了後に見舞われた「バリ禁断症状」が和らぎました。

後日追記:バリのスピーチ、初めての翻訳です!

といっても『小さな白い鳥』と異なり、こちらは「おとぎ話」ではなく、現実の少年たちが、大人になり、ひとり、また、ひとりと亡くなっていくような、あまり楽しい話ではありません。5人の少年たちは、バリの成功と「ピーターパン」の人気により、少年時から、当時の新聞によって、一々、ピーターパンと結びつけられて報道され、そのことによる苦しみなども本書には著されています。

また、少年たちは、幼い頃可愛かっただけでなく、青年時もそれぞれ優秀で、全員が「人気者」。なかでも、バリが特に愛したと言われている、長男ジョージと、4男マイケルは、優秀な子弟が集まるイートン校でも目だつほど「天才」で「ハンサム」な青年でした。

◎Llewelyn Davies boys

バリの性的な能力に関する論議は、1970年以降から盛んになったようです。そういえば、そういったことに限らず、新たな病気を発見しては、患者を増やしたり、新たな罪を創っては、罪人を増やすということも、その頃から始まっているような.... ク☆ガキよりも、ずっとたちの悪い、ろくでもない大人が増えたからでしょうか。

私は、MJのことを性的異常だと思ったことはまったくなかったものの「ネバーランド」や「ピーターパン」好きに関して、以前は、そんなにイイ感情を持っていませんでした。でも、それは、自分がこどもだったからなんだと、今になって、しみじみ思う。


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Michael Llewelyn Davies age 2



こどものままでいたいと思う、こどもは1人もいないし、こどもの素晴らしさがわかるのは、大人だけだから。。大人になっても「道徳」とか「規範」でしか、物事を考えられないのは、出来の悪い大人でしかない。。

3男のピーターは、その名前からも「ピーターパン」の高名により最も苦しんだと思われるのですが、バリの些か愛情が溢れ過ぎともいえるジョージとマイケルへの手紙について、

手紙には、バリがジョージとマイケルに抱いていた愛情の、異様な性格がよくあらわれていると思う。少しばかり父性的で非常に母性的、そしてやはり非常に恋人的な愛情だ。批判するのは何でもないが、この奇妙な愛情がジョージに何らかの害を与えたとも、与えたかもしれないとも、私は思わない。と意見し、

前述の本書の協力者でもあるニコ氏の言葉は、序文の締めの言葉になっている。

私の知るすべての人のなかで、バリほど機知に富み、一緒にいて楽しい人はいなかった。彼はセックスにはまったく何の関心も示さなかった。彼は素敵な人だった。彼には何の邪気もなかった。だから彼は『ピーター・パン』を書くことができたのだ。



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本書には、バカな大人には異常と思えるほど、5人の息子たちを愛した、バリの実際の手紙や、息子たちの返事、証言、その他、バリが折々に語ったユーモア溢れる言葉の数々が納められていて、ニコ氏が言うように、バリが本当に素敵な人だったことがよくわかる。

その後、5人を襲った悲劇は普通とはいえないかもしれない。でも、これは、よくある「おとぎ話」の裏にあった現実というような、つまらない話ではなくて、幼い頃、兄を亡くし、そのことで心に深い傷を負った母親、上手く行かなかった結婚、成長し、ケンジントン公園からも、この世からも旅立ってしまった息子たち.... 

さまざまな「失われていく」悲しみに立ち向かって、類いまれな想像力の翼で人生を生きた、バリ自身の「ものすごく素敵な話」だと思いました。

最後に、翻訳者の鈴木氏による「訳者まえがき」から、

「The Lost Boys」という語は、バリに慈しまれながら、1人また1人と離れて ー 失われて(ロスト) ー いったディヴィス家の五少年に、劇の『ピーター・パン』で活躍するネバーランドの少年たちを意味する「迷い子たち(ロスト・ボーイズ)」を重ねたものである。


年齢に関係なく、ユーモアを愛する大人の方に...

◎ロスト・ボーイズ ー J・M・バリとピーターパン誕生の物語(アマゾン)

[ロスト・ボーイズ原著]
◎J.M. Barrie & The Lost Boys :
The Love Story that Gave Birth to Peter Pan[Hardcover]/Andrew Birkin

◎J. M. Barrie and the Lost Boys:
The Real Story Behind Peter Pan[Paperback]/Andrew Birkin


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Michael Llewelyn Davies age 6



☆下記は、私のメモ。未読の方は、読了後の参照をお薦めします。


[バリ作品メモ]

◎『センチメンタル・トミー』
主人公のモデルはバリ自身と思われる。バリの母は、この作品を気に入っていた。

◎『マーガレット・オギルヴィ』
『センチメンタル・トミー』の序文とするために書きはじめられた、バリの母の話は、次第に長くなって1冊の本になった。バリの母の死の翌年、1896年末に公刊。無名の女性にまつわる回想で、その女性を語ることで、著者自身もさらけ出すという、当時の文学界では例を見ない作品。旋風のように読書大衆の想像力を捉えたが、批評家は、プライバシーの侵害に不快感を表明し、バリの家族からも非難された。バーキン氏は、バリが生涯を通じて描き続けた「失われた喜びの国へのあこがれ」が、自分の少年時代への後ろ向きの回帰現象でなかったと書いている。

◎『小牧師』
批評家の評価はよくなかったものの、公演は大成功だった。

◎『トミーとグリゼル』
物語は『センチメンタル・トミー』の終幕から始まる。トミーは流行作家で、社交界の寵児となり、少年時代の友グリゼルは、大人の情熱を身につけた成熟した女性になっているが、トミーの心情は少年時代のまま。迷いながらも、グリゼルと結婚したトミーは、その感情の行き違いに悩む。前編である『センチメンタル・トミー』の出版から3年をかけた、この長編は、トミーが背中に背負った荷物が釘に引っ掛かり、登ろうとした塀から滑り落ちたトミーは、首を吊ったかたちで変死するという唐突な結末だった。批評家の評価は非常に高かったが、全編を通じて病的かつ悲痛な雰囲気がある。

◎『おい、ブルータス』
「ときどきだが、私の文学的努力の結果がマイケルの気に入ることがある。彼が『おい、ブルータス』を読み終えて、そう悪くはないというコメントつきで原稿を返して寄越した日、私は天にも昇る心地だった」

バーディ われわれの人生をかたちづくるのは、偶然なんかじゃありませんよ。
ジョアンナ そうね。運命が決めるんだわ。
バーディ いや、運命でもありませんよ、ジョアンナさん。運命とはわれわれの外にあるものです。本当にわれわれの行為を決定するものは、われわれ自身のなかにあります。われわれを駆り立てて、同じ種類の愚行を重ねるもの、どんなに数多くの機会を得ても同じことをさせるもの......、われわれが生まれつき持っているものです。シェイクスピアにはちゃんとわかっていたのです。

われわれが下積みなのは、
おい、ブルータス、
われわれの星のせいじゃない。
われわれを左右するものは、
われわれ自身のなかにあるんだ


◎バリの演説『勇気(Courage)』
1922年5月3日にセント・アンドリュース大学の名誉総長に選ばれたときのスピーチ。バリのスピーチの中で最高のものとされている。

◎『ジュリー・ローガン嬢への挽歌』
『小さな白い鳥』から30年後に出版された最後の小説(「ピーターパン写真集」鈴木氏の文より)


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「Boy Castaway」George, Jack, Peter


Llewelyn Davies boy

◎George (1893 - 1915)
積極的だったジョージは、自らすすんでバリに近づいた。バリは際限もなくおもしろい話を聞かせてくれた翌日、ひと言も口を聞いてくれないこともあったが、ジョージは、子どもらしい自己中心的な考えで、相手の態度で傷つくことはなく、バリにとって「これほど小癪な子は見たことがない」というような小生意気なところが魅力だったらしい。また、イートン校の同級生は「彼のように万事に頭角をあらわすような生徒であって、自惚れの気がない者はめずらしく、人を惹き付ける話術と、ユーモアのセンスが抜群だった」と語っている。

◎John 'Jack' (1894 - 1959)
ジョンと名づけられたが、すぐに愛称ジャックと呼ばれるようになる。本書の中では地味な印象だが、兄弟の中で最も早く結婚し、2人の子どもは、シルヴィア(母の名)、ティモシー(バリの幻の息子)と名づけている。

◎Peter (1897 - 1960)
ピーターという名前は母シルヴィアの亡父で高名な作家、ジョージ・ド・モーリアの作品「ピーター・イベットソン」から名づけられ、バリの愛犬ポーソスの名は、この作品に登場するセントバーナード犬からもらったものだった。ピーターは1945年、1874〜1915年の間の家族関係の手紙や書類を集め、自分のコメントそえて6巻にまとめ、これを皮肉を込めて「モルグ(死体公示所)」と呼んだ。本書には、この資料から多くの証言が集録されている。ピーターという名前に翻弄され「あのいまいましい傑作」と称したものの、出版社を経営し、自分の次男もピーターと名づけている(長男はジョージ[兄の名前])

◎Michael (1900 - 1921)
ジョージ、ジャック、ピーターは、バリに会ったときから「少年」だったが、マイケルは、はじめて出産に関与することが出来たことで、その登場は、バリにとって、格別新鮮な体験だった。5歳のころのマイケルは、ジョージやジャックと違って、他の子がサンタクロースを信じるように、ピーターパンは本当にいると信じて成長した。彼は、バリがピーターの劇を書いたことも、ピーターを演じているのが「女優」だということをわかっていたが、ほかに、本当のピーターパンがいて、ときどきブラックレイクにあらわれるのだと思い込んでいて、しばしば、悪夢に悩まされた。マイケルはウィルキンソン学校でも常に主席で、ニコは、5人の中でマイケルが一番頭が良く、兄のピーターは「生まれたときから本物の詩人」の素質を持っていたと語り、イートン校の同窓で、その後オックスフォード大学でも親しくし、のちに「ロード」の称号を得たブースビーは、マイケルは私が交際した中でもっとも際立った存在だった。同世代で天才と言えるのも彼1人だったと証言。

◎Nicholas 'Nico' (1903 - 1980)
ウィルキンソン学校の同級生の談話「ウィルキンソンで、もっとも華々しかったのは、ニコだった。知力が高いとか、ゲームの腕前と言うよりも、往々にして1人の幼い少年を大勢の中で一際目だたせる、強い牽引力をもっていた」兄のマイケルは、ホームシックにかかった自分と異なり、イートン校でのニコのことを、先生にぼくもニコのようだったらいいのにと言われ、学寮の象徴だそうだ。と証言している。



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by yomodalite | 2012-02-23 13:40 | マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)

2月のきもの

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着物ともだち4人と会うのに「次は柔らかもので...」と言われ、、、

そ、そんな....うちは、姐さんたちと違うて柔らかいのんなんて、、持ってぇしまへん。。そりゃ、姐さんたちは、お婆さまから代々受け継いだような一品とか、しかるべきお店でお仕立てしたような極上のお召し物が、箪笥の肥やしになっていて、たまには袖を通してあげないとなんて思ってはるんやと思いますけど、うちは、箪笥すらあらしまへんし...w

うちの「柔らかいのん」なんて、、

『座頭市』を見てたら、なんや、雀の柄の着物が着とうなって、うっかり「落札」してしまった、これぐらいやのに、、


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もう、姐さんたちの中で、うちだけ「売れない演歌歌手」みたいに見えてしまう。

どないしよ... ハァ...、もう、しゃあないなぁ。。

と覚悟を決めて着ていき、あまりにも覚悟を決めすぎたせいか、ふだん、おばさんが固まると、どうしてこんなにウルサいの?!なんて、思っている方なのに、率先して喋り倒したうえに、数年に1回ぐらいしか行かない、カラオケでも歌いまくったときのもの。。 (^ー^ )ゞ


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by yomodalite | 2012-02-22 10:44 | きもの | Trackback | Comments(4)

争うは本意ならねど/木村元彦

争うは本意ならねど ドーピング冤罪を晴らした我那覇和樹と彼を支えた人々の美らゴール

木村 元彦/集英社インターナショナル



木村元彦氏の本を1冊でも読んだことのある方なら、木村氏がめったにいない素晴らしいジャーナリストで、期待を裏切らない著者であることをご存知だと思います。

また、読書好きで知られる長谷部誠選手(日本代表キャプテン)も、本書を絶賛していました(勇気に感謝!)。

『争うは本意ならねど』というタイトルは、元サッカー日本代表・我那覇選手の言葉で、沖縄方言でもあるのだけど、多くの日本人のメンタリティに響く言葉だと思います。正当な理由もなく制裁を受けても、愛するサッカー、Jリーグ、そして、自らを貶めた人間に対しても、その罪を問うことを目的にしない.... そんなメンタリティに共感する日本人は多いでしょう。

また、素晴らしいプレイだけでなく、立派な人柄をもった我那覇選手の戦いには、多くの支援者が集まり、莫大な費用の寄付も、無償の好意も多く寄せられ、日本人の人情も捨てたものではないと思わされる部分も大いにありました。

でも、そんな立派な精神も、多くの人々の無私の行為によって得られた「結果」も、踏みにじられているという怒りが、著者の筆先から伝わって来るような本書は、我那覇選手のドーピング冤罪事件を知らなくても、サッカーに興味がなくても、スポーツを愛する人には、全員読んでもらいたいと思う本です。

その理由のひとつは、

◎ベストセラー『オシムの言葉』の著者が描く、我那覇ドーピング冤罪事件の真実!

上記インタヴューで、著者が語っているように「我那覇があのとき立ち上がらなければ、日本代表の南アW杯のベスト16も、なでしこのドイツW杯の優勝もなかったかもしれない」と言うように、我那覇選手が、自分の名誉のためだけでなく、多額の自己負担金(数千万!!!)を覚悟し、プロのサッカー選手としての将来への悪影響など、さまざまな葛藤を乗り越えて、立ち上がらなくてはならなかったのは、何故なのか?という理由を知ってもらいたいこと。

また、もうひとつは、

本書を、スポーツを愛していない人にも読んでもらいたいと思う理由なのですが、我那覇選手へのドーピング判定には、その当初から、我那覇選手を知る選手たちからも、Jリーグ各チームドクター全体からの強い反発があったにも関わらず、あまりにも杜撰な判定が覆されることなく、最後までミスを認めなかったのは、何故なのか?という理由について、著者が一歩踏み込んで「示唆」しているからです。

著者は、誰がどう見ても無罪の我那覇選手を、なぜ青木委員長(青木治人)はドーピング違反にしたのか?と問い、それは「意図的」で、故意にドーピング違反に仕立てられたのではないか?という疑惑を強めていく。

我那覇選手は、作為的なトラップによって、限りある選手生命を疲弊させ、何千万も投じて、日本の裁定機関でなく、海外の「CAS」にまで行かなくてはならなかった。。。我那覇選手の人徳とその判定へのあまりの理不尽に、支援の輪は拡大し、善意の資金も、無償で協力した大勢の有志にも恵まれ、正当な判定結果を得たものの、失ったものは大きく、覆った判定を真摯に報道したメディアも、間違った報道を謝罪したメディアもなく、青木委員長も、Jリーグも誤った判定で課した制裁金さえ、返金に応じようとしなかった。

◎CAS・スポーツ仲裁裁判所(ウィキペディア)

著者は、本書の終盤で、2007年のドーピングをめぐる事件とは「我那覇問題」ではなく、「青木問題」であり「鬼武問題」であり「川淵問題」であると言う。

川淵氏は日本サッカー協会名誉会長、鬼武氏はJリーグチェアマン、青木氏は、当時日本サッカー協会(JFA)スポーツ医学委員長と、Jリーグ・ドーピングコントロール委員長を兼任し、医科大学長を務める聖マリアンナ大学は、2007年アジア初のFIFAメディカルセンターに認定されていた。

権力をもつ者が、自分の思う通りの報道を流し、裁判さえ思う通りの結果が出ることに、驚くほど自信をもっているということは、川淵三郎、青木治人、鬼武健二といった、選手を食い物にしているサッカー関係者だけでなく、毎日の報道でも、すでにありふれた事態になっていますね。

著者は「エピローグ」の鬼武Jリーグ・チェアマン(当時)へのインタヴュー(川淵、青木両氏には断られた)で、鬼武氏から、こんな言葉を引き出しています。

ーーなぜ青木さんがここまで(JFAスポーツ医学委員会)委員長におられたんですか。わたしはそれが不思議なんですよ。こんな問題を起こしておいて、まだ2008年の9月ぐらいまでやられていましたよね。ほんと公正に、中立に書きたいものですから、青木先生にも取材を申し込んだんですよ。しかし、鬼武チェアマンのように逃げも隠れもせずに出てこられるのではなく、断られましたが(笑)。

鬼武 だから、それは時間の問題だったんじゃないですか。

ーー時間の問題でしたか(笑)

鬼武 だからタイミングというのがあったんじゃないですか。時間の問題というのは変な意味じゃないですよ。タイミングの問題があったんだろうと思いますよ。私の記憶ではそうですよ。

ーーこのCASの裁定後の、会長ご自身に対する処分は、譴責処分という処分だったと。

鬼武 うん。

ーーこれは、当時のJリーグ広報の方に聞いたんです。なぜチェアマンの処分がこんなに軽いものなのかと。で、当時の広報の方が言うには、これはお一人で決めたわけでなく、法務委員長の堀田力(ほったつとむ)とご相談されて決めたと。これは事実でよろしいでしょうか。

鬼武 いいです。

ーーご自身はどう思われました。この譴責処分について。

鬼武 (前文省略)でも私は堀田先生を信用していましたし、裁定委員長としてすばらしい人だ。過去もそれはすばらしい実績をお持ちの方だから。

ーー田中角栄を論告求刑で追い込んだ特捜部検事のね。



下記は、著者が「あとがき」で、我那覇と彼を支えてともに美らゴールを決めた人々のことを思って記したゲーテの言葉。

財産をなくしたら、また働けばよい。名誉を失ったら、挽回すればよい。しかし、勇気を失えば、生まれてきた価値がない 2011年11月 木村元彦

誰が見ても無罪で、優秀で、一途なサッカー選手を襲った悲劇。
もはや裁判では「正義」は争えない!

☆☆☆☆☆(満点)

☆参考サイト
◎ウエストコースト日日抄

☆『争うは本意ならねど』書評
◎ドーピング冤罪証明 元川崎F我那覇が負担した費用3500万円

☆本書の収益の一部は、CAS裁定費用を援助するために再度開設された
「ちんすこう募金」の一環として我那覇選手に送られるそうです。

◎『争うは本意ならねど』(アマゾン)

☆我那覇選手の自己負担金はまだ600万円余...
◎これまでの「ちんすこう募金」の報告

☆選手を食い物にする、ク☆ジジイたちの参考記事
◎Jリーグバブルを崩壊させ日本代表人気も絶惨破壊中の川淵三郎会長は
院政に向けて今日も元気です


◎[川淵三郎]Jリーグが非を認めないのは次期会長選のため
◎[青木治人]今さらながら我那覇ドーピング問題を考える(2007.9.6)



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ロッキード事件でアメリカの手先となり、その後の「売国=出世の道」というお手本の先頭に立って、絶大な権力を得ただけでなく、司法を私物化・腐敗させ、公益ではなく私益を目的とした「さわやか福祉財団」(おぇっーー!!!)の理事長として、国民の税金を交付金という形で高額な報酬を受けとり、復興推進委員会委員として、震災義援金をも懐に入れ、まだ足りないと増税まで主張する、ク☆ジジイたちの中でも最も「極悪人」のような気がする・・・堀田力(ほったつとむ)氏。

[内容紹介]2007年5月、サッカーJリーグ、川崎フロンターレ所属の我那覇和樹選手がドーピング禁止規程違反として6試合出場禁止、チームは罰金1000万円の制裁を受けた。風邪で発熱、脱水状態で治療を受けただけなのに……。そんな我那覇のもとに、一通の手紙が届いた──。

ベストセラー『オシムの言葉』の著者が4年にわたる取材を経て読者に贈る渾身のノンフィクション!自らの手で無罪を証明した我那覇和樹選手と、組織の枠を超えて彼を支えた人々の、勇気と友情の物語。 集英社インターナショナル (2011/12/15)


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by yomodalite | 2012-02-20 22:47 | スポーツ | Trackback | Comments(0)

マイケル・ジャクソンの記事について

The more I find out, the more ignorant I feel. I really do. I realize there is so much to learn. That's why bookstores amaze me. I can spend hours and hours grabbing books and I come back with boxes of stuff. I am very curious about everything. There is nothing I am not interested in.

学べば学ぶほど、自分が無知だと感じる。本当に。知るべきことがとてもたくさんあるのだとわかった。だから書店に魅了されるんだ。書店に行くと何時間でもいられる。それで、何箱も本を買って家に帰る。とにかく僕は何にでも好奇心がある。興味の湧かないことなんか存在しない。ー マイケル・ジャクソン(「Honoring the Child Spirit」より)

そんなMJの教えから、私の読書に、MJ研究は欠かせないものになりました。以前、「マイケル・ジャクソン」タグにあった記事は、すべて右側の「カテゴリ」に分類し、今後、この「タグ」は使用しませんので、「ブックマーク」の変更をお願いいたします。

またMJに関連する「タグ」には、

☆こちらは評判の良かった記事です(1〜5まであります)



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by yomodalite | 2012-02-20 10:06

町山智浩のビートたけし論、坂東玉三郎

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バレンタイン・シーズンに、買いまくった高級チョコを食いまくる....銀座には普段から専門店が多いし、バレンタインじゃないときの方が、お買い得だったりもするのだけど、、どーゆーわけだか、この誘惑には勝てないの.... クリスマスや、バーゲンの誘惑には強いのになぁ.....

◎日経新聞[何でもランキング]心はずむ専門店チョコ

たぶん、東京の専門店で制覇してないところはないと思うんだけど.... 上記のお店以外で....なんとなく今日は....「ミッシェル・ブラン」

なめらかバニラのガナッシュ「Opera」、繊細なエレガント・ショコラ「Jasmin」、オレンジの香りの「Neroli」、強さと繊細を併せもった「Violetta」、甘い花の香り「Rosa」の6種類が入って、この順番でいただくのがオススメって書いてあって、、確かに、ショコラ、フルーティーで、最後が花の香りって素敵.....






◎[youtube]◎第27回(2011)京都賞記念講演会 坂東玉三郎スピーチ

この予告編では全然面白さがわからないと思うけど...玉三郎×鏡花の組合せぐらい最高のものってあるんでしょうか? 『天守物語』は特に「ツボ」で、最終日に3回目を観に行って「やっぱり、もう1回観ておけば良かった」と思ったくらい。 
泉鏡花の怖さや美しさを表現している作品は多いと思うんだけど、不思議な可笑しみというか、観ていて「クスクス」笑えたり、帰宅後に「高笑い」したくなるほど面白いのは、玉三郎だけって感じがするんだけど...

◎[youtube]シネマ歌舞伎『天守物語』『海神別荘』『高野聖』予告編
◎シネマ歌舞伎(上映スケジュールなど)

こちらは、DVDで発売になったばかりの映画版「天守物語」こっちはまだ観てなかった...

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by yomodalite | 2012-02-19 10:20 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)

「3.11後の言葉」吉本隆明2時間インタビュー(雑誌掲載 2012.1.5)

[2012.3.19追加] 革命思想家 吉本隆明の死に際して(副島隆彦)

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http://blog.livedoor.jp/oyabun1/archives/51503228.html



週刊新潮・平成24年1月5・12日新年特別号に掲載されたを記事を、雑誌から全文書き起こし(編集側の見出しや文章の間に挟んであるコメントは省き、写真も雑誌掲載とは異なります)、その他の新聞掲載もまとめました。


「吉本隆明」2時間インタビュー「反原発」で猿になる!

僕は以前から反核・反原発を掲げる人たちに対して厳しく批判をしてきました。それは今でも変わりません。実際、福島第一原発の事故では被害が出ているし、何人かの人は放射能によって身体的な障害が生じるかもしれない。そのために“原発はもう廃止したほうがいい”という声が高まっているのですが、それはあまりに乱暴な素人の論理です。

今回、改めて根底から問われなくてはいけないのは、人類が積み上げてきた科学の成果を一度の事故で放棄していいのか、ということなんです。

考えてもみてください。自動車だって事故だって亡くなる人が大勢いますが、だからといって車を無くしてしまえという話にはならないでしょう。ある技術があって、そのために損害が出たからといって廃止するのは、人間が進歩することによって文明を築いてきたという近代の考え方を否定するものです。

そして技術の側にも問題がある。専門家は原発事故に対して被害を出さないやり方を徹底して研究し、どう実行するべきなのか、今だからこそ議論を始めなくてはならないのに、その問題に回答することなしに沈黙してしまったり、中には反対論に同調する人たちがいる。専門家である彼らまで“危ない”と言い出して素人の論理に同調するのは「悪」だとさえ思います。

いま、原発を巡る議論は「恐怖感」が中心になっています。恐怖感というのは、人間が持っている共通の弱さで、誰もがそれに流されてしまいがちです。しかし、原子力は悪党が生み出したのでも泥棒が作ったわけでもありません。紛れもなく「文明」が生み出した技術です。今から100年ほど前、人類は放射線を発見し、原子力をエネルギーに変え、電源として使えるようにしてきました。原子力をここまで発展させるのに大変な労力をかけてきたわけです。

一方、その原子力に対して人間は異常なまでの恐怖心を抱いている。それは、核物質から出る放射線というものが、人間の体を素通りして内臓を傷つけてしまうと知っているからでしょう。防護策が完全でないから恐怖心はさらに強まる。もちろん放射能が安全だとは言いません。でもレントゲン写真なんて生まれてから死ぬまで何回も撮る。

普通に暮らしていても放射線は浴びるのです。大体90歳くらいまでは生きられるところまで人類は来ているわけです。そもそも太陽の光や熱は核融合で出来たものであって、日々の暮らしの中でもありふれたもの。この世のエネルギーの源は元をただせばすべて原子やその核の力なのに、それを異常に恐れるのはおかしい。

それでも、恐怖心を100%取り除きたいと言うのなら、原発を完全に放棄する以外に方法はありません。それはどんな人でも分かっている。しかし、止めてしまったらどうなるか。恐怖感は消えるでしょうが、文明を発展させてきた長年の努力は水泡に帰してしまう。人類が培ってきた核開発の技術もすべて意味がなくなってしまう。それは人間が猿から別れて発達し、今日まで行ってきた営みを否定することと同じなんです。

文明の発達と言うのは常に危険との共存だったということも忘れてはなりません。科学技術というのは失敗してもまた挑戦する、そして改善していく、その繰り返しです。危険が現われる度に防御策を講じるというイタチごっこです。その中で、辛うじて上手く使うことができるまで作り上げたものが「原子力」だと言えます。それが人間の文明の姿であり形でもある。

だとすれば、我々が今すべきは、原発を止めてしまうことではなく、完璧に近いほどの放射線に対する防御策を改めて講じることです。新型の原子炉を開発する資金と同じくらいの金をかけて、放射線を防ぐ技術を開発するしかない。それでもまた新たな危険が出てきたら更なる防御策を考え完璧に近づけていく。その繰り返ししかない。他の動物に比べて人間が少し偉そうな顔をできるようになった理由は、こうした努力をあきらめず営々とやってきたからではないでしょうか。

そして、仮に放射能の防御装置ができたとしたら、その瞬間から、こうした不毛な議論は終わりになる。科学技術というのは明瞭で、結果がはっきりしていますから。

正直言って原発をどうするか、ちゃんとした議論ができるにはまだ時間がかかるでしょう。原発を改良するとか防御策を完璧にするというのは技術の問題ですが、人間の恐怖心がそれを阻んでいるからです。反対に、経済的な利益から原発を推進したいという考えにも私は与しない。原発の存否を決めるのは、「恐怖心」や「利益」より、技術論と文明論にかかっていると考えるからです。

もちろん、原子力を語るとき核兵器の問題は避けて通れません。戦争で大切なのは、主として兵器ですから、改良して相手に優るようにしていくのが戦時の技術開発です。そうやって開発してきた原子爆弾は、今や、人類を何度も滅亡させられるだけの規模に達している。しかし、人間が原子力という技術を手に入れたとき、それがどんな現実をもたらすかまでは想像していなかった。どんなに優れた人でも予想できなかったのです。

一番わかりやすい例はアインシュタインだと思います。アインシュタインは相対性理論を提唱した理論物理学の大家ですが、原子力の利用については、原爆を開発することに賛成していますよね。しかし、アインシュタインは後で被害の大きさを知りショックを受ける。そこで「自分は原子力を兵器に用いることに反対した」と態度を翻す。被爆弾からどれだけ大量のエネルギーが生み出されるかという計算はできても、結果を見たら、とてもそんな反対賛成云々なんて軽卒なことじゃなかった。あれだけ、優秀な頭脳で、あれだけの業績を上げてきた科学者でさえ、とことんまで想定できていたかは疑わしい。

今回の原発事故も天災とか人災などと言われていますが、やはり危険を予想できなかった。つまり、人間は新技術を開発する過程で危険極まりないものを作ってしまうという大矛盾を抱えているのです。しかし、それでも科学技術や知識というものはいったん手に入れたら元に押し戻すことはできない。どんなに危なくて退廃的であっても否定することはできないのです。それ以上のものを作ったり考えだすしか道はない。それを反核・反原発の人たちは理解していないのです。

福島原発の事故が起きてから、よく思い出すのは第二次大戦後の日本社会です。当時、僕は敗戦のショックに打ちのめされて迷いに迷っていた。敗戦を契機にほとんどの価値観が180度変わってしまいましたから。知りあいにも「もう日本はお終いだ」と自決する人もいた。

そんな中で、当時の大人たちが敗戦に対する責任をどう考えているのか、文学界の中でもそれを問う雰囲気がありました。特に私は小林秀雄に、

「あなたはこの戦争とその結果についてどう考えているのか」

と聞いてみたかったのです。他の文学者はいい加減な答えをしたとしても、小林秀雄は尊敬していた人でしたから、何を考えているのか知りたかった。今のような状況の中で、答えが欲しかったのです。折しも若手文学者たちが先輩たち1人一人に意見を聞く機会があった。そこで、意見を求められた小林は、

「君ら若い人たちは、考え方を変えるのもいいかもしれないけれど、俺はもう年寄りだからね。“今は違う考えになっている”なんて言う気はさらさらない。だから、戦争中と同じ考え方を今も持っているさ」

と答えたんです。そう言われたら、突っ込みようがない。私はその答えを聞いて、小林秀雄という人は、考え方を易々と変えることはしない、さすがだなぁ、と思いましたね。世の中では時代が変わると政府も変わる、人の考え方も変わる。それがごく当然なのですが、僕はそれにもの凄く違和感があった。だから、福島原発を取り巻く言論を見ていると、当時と重なって見えてしまうんです。

原発を捨て自然エネルギーが取って代わるべきだという議論もありますが、それこそ、文明に逆行する行為です。たとえ事故を起こしても、一度獲得した原発の技術を高めてゆくことが発展のあり方です。

僕はこういう立場ですから、保守的な人からも、進歩的な人からも、両方から同じように攻撃されて、言ってみれば“立つ瀬がない”という状況でした。批判はしょっちゅうです。それも、ちゃんと名を名乗ったり、政党や党派を明らかにしての批判ならまだ反発のしようもあるけど、覆面を被ったままでやっつけにくる。特に今みたいな状況の中では誤解のないように言うのは中々難しいんです。

しかし、それでも考えを変えなかったのは、いつも「元個人」(げんこじん)に立ち返って考えていたからです。

元個人とは私なりの言い方なんですが、個人の生き方の本質、本性という意味。社会的にどうかとか政治的な立場など一切関係ない。生まれや育ちの全部から得た自分の総合的な考え方を、自分にとって本当だとする以外にない。そう思ったとき反原発は間違いだと気がついた。

「世間で通用している考え方がやっぱり正しいんじゃないか」という動揺を防ぐには、元個人に立ち返って考えてみることです。そして、そこに行き着くまでは、僕は力の限り、能力の限り、自分の考えはこうだということを書くし、述べるだろうと思うんです(終)


source : http://ninsito2.blogspot.com/2012/01/blog-post_6478.html

1月6日、吉本氏の娘である作家のよしもとばなな氏が、この件に Twiitter で言及した。

「父のことですが、もうあまりちゃんと話ができないので、まとめる人の意訳があるかと。私が話したときは、基本的に賛成派ではなく廃炉と管理に人類の英知を使うべきだ的な内容ではないかと察します。 一部をとりあげて問題にするのはどうかやめてください。父は静かに介護生活をしていますので」。

「ただ、父は今私に対してでもちゃんとお話できるときとできないときがあります。質問できないので、 これ以上代弁をするのは父のこれまでの仕事に対して失礼だと思いますので、申し訳ありませんが、 コメントをひかえさせていただきますね」。

「なんでインタビューに答えられるのか?と問われたら日によって頭がはっきりしている日があるからとしか言いようがないです。『人類が開発してきた技術はどんなものも否定すべきではない。廃炉対策にも徹底して英知を使うべき、後戻りだけするのはむつかしい』という内容ではないかと察します」。

source : http://www.tanteifile.com/watch/2012/01/06_01/image/01.jpg

よしもと氏の発言との関連で気になるのは、昨日の記事でも触れたルポライターの鎌田慧氏の指摘だ。 吉本氏を酷評した後に、次のように書いている。「週刊新潮編集部のコメントは『電力不足が表面化しても、テレビ・新聞は原発の再開について“タブー”のように扱うばかりだ』というもので、 記事の狙いは見えすいている」。

☆週刊新潮の雑誌紙面の写真
http://www.tanteifile.com/watch/2012/01/06_01/image/02.jpg
http://www.tanteifile.com/watch/2012/01/06_01/image/03.jpg


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◎毎日新聞(東京夕刊)掲載年月日 2011.5.27 

「この国はどこへ行こうとしているのか」科学技術に退歩はない
特集ワイド:巨大地震の衝撃・日本よ! 文芸評論家・吉本隆明さん


雨がポツリポツリと降るなか、路地奥の行き止まりに自宅はあった。案内されて和室で座布団に座ると、隣には白い猫が1匹。吉本さんは四つんばいで現れた。糖尿病や前立腺肥大、足腰の衰えなどで、体が不自由な状態にある。日本の言論界を長年リードした「戦後最大の思想家」は、そのまま頭が床につくくらい丁寧なお辞儀をした。白内障の目はこちらをまっすぐ見つめていた。
 
東日本大震災の取材で歩いた現場を「焼け野原にも似た光景でした」と伝えると、聞こえにくくなったという耳に神経を集中させていた吉本さんは静かに語り出した。「おっしゃったような光景から東京大空襲を思い出します。友達を捜すために焼け野原を歩きました。煙に目をやられた人々がトボトボ歩き、周囲には遺体が転がっているだけでどうにもならない。逃げた方向によって全滅に近い地区もあったと思います」。何かを訴えるように両手を動かす。
 
東京・月島生まれの詩人であり、文芸評論家。政治、経済、宗教、哲学、カルチャー……あらゆる分野にわたり、出した本は300冊以上。1960~70年代には多くの若者の支持を集め、今も言論界で活躍する。「知の巨人」とも呼ばれる。
 
吉本さんは大震災について「僕は現場まで行くことができない。戦争では戦闘の近くまで出かけていき実感しているけれど、今回は距離の隔たりがある。避難民がもっとごった返している場面を想像していたんだが、ポツンポツンとして静かな感じがする……」。
 
ふと、04年に出版された吉本さんの著書「人生とは何か」の一節を思い出した。
 
<(体は)ボロボロの状態です。「老いる」ことと「衰える」ことは意味が違いますが、こんな状況になったときには、死にたくなっちゃうんですよ。年を取って、精神状態がある軌道に入ると、なかなか抜け出せないのです。僕は死のうとか、自殺しようとまではいきませんでしたが、「これは生きている意味がないんじゃないか」ということは、ものすごく考えましたね。(略)結局は、その状態を自分自身で承認するほ
かないのです……>
 
まずは現実を受け入れ、そこから始めるしかない。今の東北の被災者に似ている、と思った。
 
吉本さんは1982年、文学者らによる反核運動を批判する「『反核』異論」も出版している。その中で核エネルギーについてこう記した。<その「本質」は自然の解明が、分子・原子(エネルギイ源についていえば石油・石炭)次元から一次元ちがったところへ進展したことを意味する。この「本質」は政治や倫理の党派とも、体制・反体制とも無関係な自然の「本質」に属している。(略)自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である>
 
東京工業大出身の「知の巨人」には、科学技術に対する信頼が底流にあるようだ。「原子力は核分裂の時、莫大(ばくだい)なエネルギーを放出する。原理は実に簡単で、問題点はいかに放射性物質を遮断するかに尽きる。ただ今回は放射性物質を防ぐ装置が、私に言わせれば最小限しかなかった。防御装置は本来、原発装置と同じくらい金をかけて、多様で完全なものにしないといけない。原子炉が緻密で高度になれば、同じレベルの防御装置が必要で、防御装置を発達させないといけない」
 
目線はぶれることなく、記者を向いている。こちらは専門的な内容を頭の中で必死に整理し、質問する。
 
「福島の土地に多くの放射性物質が降り注ぎました。2万人以上もの人々が住んでいた場所から避難していますが」と問うと、吉本さんは「ひどい事故で、もう核エネルギーはダメだという考えは広がるかもしれない。専門ではない人が怒るのもごもっともだが……」と理解を示しつつも、ゆっくり続けた。「動物にない人間だけの特性は前へ前へと発達すること。技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退歩することはあり得ない。原発をやめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。今のところ、事故を防ぐ技術を発達させるしかないと思います」
 
吉本さんの考えは30年前と変わっていない。「『反核』異論」にはこんな記述がある。<知識や科学技術っていうものは元に戻すっていうことはできませんからね。どんなに退廃的であろうが否定はできないんですよ。だからそれ以上のものを作るとか、考え出すことしか超える道はないはずです>
 
話し始めて1時間半、卓上の緑茶をすすると、ぬるかった。家の人が熱いお茶をいれ直してくれた。吉本さんは手ぶりがつい大きくなり、湯のみをひっくり返した。記者がティッシュで机をふいた。
 
「人間が自分の肉体よりもはるかに小さいもの(原子)を動力に使うことを余儀なくされてしまったといいましょうか。歴史はそう発達してしまった。時代には科学的な能力がある人、支配力がある人たちが考えた結果が多く作用している。そういう時代になったことについて、私は倫理的な善悪の理屈はつけない。核燃料が肉体には危険なことを承知で、少量でも大きなエネルギーを得られるようになった。一方、否定的な人にとっては、人間の生存を第一に考えれば、肉体を通過し健康被害を与える核燃料を使うことが、すでに人間性を逸脱しているということでしょう」
 
いつの間にかいなくなっていた白い猫が、再び部屋に入って座布団に寝転んだ。吉本さんは気づいていないかのように続けた。「人類の歴史上、人間が一つの誤りもなく何かをしてきたことはない。さきの戦争ではたくさんの人が死んだ。人間がそんなに利口だと思っていないが、歴史を見る限り、愚かしさの限度を持ち、その限度を防止できる方法を編み出している。今回も同じだと思う」
 
気づくと2時間半が過ぎていた。吉本さんは疲れるどころかますますさえている。自らの思想を「伝えたい」という思いのみが衰えた体を突き動かしているのだと感じた。
 
「ただ」と続けた。「人間個々の固有体験もそれぞれ違っている。原発推進か反対か、最終的には多数決になるかもしれない。僕が今まで体験したこともない部分があるわけで、判断できない部分も残っています」
 
話を終えると吉本さんは玄関口まで送り出してくれた。言葉だけではなく「全身思想家」に思えた。




◎日経新聞 2011年8月5日朝刊(文化面)掲載

「8.15からの眼差し 震災5カ月」
科学に後戻りはない 吉本隆明氏 原発 完璧な安全装置を


詩人で批評家の吉本隆明氏(86)は戦時中、軍国主義少年だった。その体験を自らに問い、戦後、独自の思想体系を築いた。戦後思想の巨人に、今回の震災体験を聞いた。

――3月11日は、どうしていたか。
 
「自宅のこの部屋で書き物をしていたと思う。足腰が不自由で、自宅周辺のことしか分からないが、地震の後は、不気味なほど、静かだった」
 
――戦中と比べると。
 
「あのころの東京は、人々も町中の印象も、どこか明るくて単純だった。戦争で気分が高揚していたせいもあったろうが、空襲で町がやられた後でも、皆が慌ただしく動き回っていた。
 
今度の震災の後は、何か暗くて、このまま沈没して無くなってしまうんではないか、という気がした。元気もないし、もう、やりようがないよ、という人が黙々と歩いている感じです。東北の沿岸の被害や原子力発電所の事故の影響も合わせれば、打撃から回復するのは、容易ではない」
 
――復興への道は。
 
「労働力、技術力をうまく組織化することが鍵を握る。規模の拡大だけを追求せず、小さな形で緻密に組織化された産業の復興をめざすべきだ。疲れずに能率よく働くシステムをどうつくっていくか、が問われるだろう。
 
それには、技術力のある中小企業を大企業がしっかり取り込む必要がある。外注して使い捨てるのではなく、組織内で生かす知恵が問われている。この震災を、発想転換のまたとない機会ととらえれば、希望はある」
 
――事故によって原発廃絶論がでているが。
 
「原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。
 
だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です」
 
――明るさは戻るか。
 
「全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。僕も自分なりに満足できるものを書くとか、飼い猫に好かれるといった小さな満足感で、押し寄せる絶望感をやり過ごしている。公の問題に押しつぶされず、それぞれが関わる身近なものを、一番大切に生きることだろう」

よしもと・たかあき 1924年東京生まれ。東京工大電気化学科卒。著書に「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」「最後の親鸞」「家族のゆくえ」、詩集「転位のための十篇」など。

source : 「将門Web」



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by yomodalite | 2012-02-17 09:06 | 311関連 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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