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藤永茂氏のブログ「私の闇の奥」にコメントしたことから、先生からメールを頂いて、それで、なんだかんだあって、先生に私が選曲したマイケルのCDを贈ることになりました。私が先生にプレゼントしたくて仕方がなくなってしまったからです....

藤永訳の『闇の奥』が、本作品のベスト翻訳本だと思われる方は大勢いらっしゃると思いますが、わたしは、これを「地獄の黙示録」の原作としてだけでなく、カーツを演じたマーロン・ブランドが「闇の奥」をどう読み、どのようにカーツの人間像を創っていったのかに最も近い解釈がなされている本だと感じ、藤永氏にブランドと同様の「魂」を感じてしまったんです。

(ブランドが「闇の奥」を読んでいなかったとか、役づくりを怠ったために肥満していたなどの記述は、大変多く見られますが、それらはマイケル・ジャクソンを整形で語るように愚かなことなのでご注意くださいませ)

藤永茂氏は、九州大学教授から、1968年にカナダのアルバータ大学理学部教授となり、1991年には同大名誉教授に....そんな先生(現在86歳)に、物理学どころか、算数も苦手な私が送ったメールを公開します。

最後に、先生からのお手紙も紹介します(もったいないので一通だけですが、先生の今でも少年のように好奇心旺盛なところとか、マイケルへの感想も....)


2011年12月10日

藤永先生

お忙しいところ、返信までいただけるなんて本当に感激です!

私は、マーロン・ブランドのことを、去年まで「ゴッドファーザー」と「地獄の黙示録」でしか知らなかったのですが(しかも観たのは子供の頃)、今年の夏、あるきっかけから、彼の魅力に気づき、ブランドの自伝『母が教えてくれた歌』をガイドに『欲望という名の電車』から、遺作である『スコア』まで、12、3作の作品を駆け足で観ました。

わたしにとって、俳優に強い興味を抱くことは、初めての経験だったのですが『母が教えてくれた歌』は、それがどうしてなのかを教えてくれるような内容で、読んでいるうちに、ますます彼に惹かれ、自伝だけでなく彼の演技の先生であった、ステラ・アドラーの本も読んでみたり、とにかく自分でも驚くほど夢中になり、それが、きっかけで『闇の奥』も読んでみようと思いました。

藤永先生の『闇の奥』『闇の奥の奥』は、立花氏の『解読・地獄の黙示録』を読んだときの違和感と、もやもやした霧を晴らしてくださるような、素晴らしい読書体験で、扱っておられるテーマにそぐわない表現なのですが、先生の真摯な探求心に触れられて、とても清々しい気分にもなれました!

ところで、私がブランドに出会った「きっかけ」なんですが、

それは、藤永先生の本に出会うことが出来た「きっかけ」でもあり、先生も驚かれるというか、面白いと感じていただけたら嬉しいと思い、ちょっぴり長くなりますが、説明させていただくと、実は「マイケル・ジャクソン」なんです。

私は2年前にマイケルが亡くなってから、彼が相当の読書家であったことに気づき(2005年の幼児虐待事件の際の家宅捜査でも図書館並みの蔵書量が確認されています)、彼がどんな本を読み、思考していたかということが、頭から離れなくなり、今日まで、彼のことを考えない日がないぐらいなんですが(呆)、

その彼の(実質的な)最後のミュージック・ビデオ(彼は革新的な音楽ビデオの制作者でした)の出演者がブランドだったんですが、その作品はファンの間でも賛否両論、謎の多い作品で、出演時、すでに77歳のブランドは(遺作映画と同年)マイケルファンにとっては、過去のスター過ぎて、まったく理解されませんでした。

わたしは、そのビデオのことが、永年気になっていて(「You Rock My World」というタイトルです)何度も観ているうちに、その中に、ブランドの歴史が隠されていることにようやく気づいて、それで、ブランドの映画を観るようになり、自伝を読み、完璧にハマってしまったんですね(笑)

(2人が親友であることはよく知られている事実で、ブランドの息子は、永年マイケルのボディガートとして働いているのですが、ブランドは晩年のほとんどを、マイケルの有名な家「ネバーランド」で過ごしていたと証言しています)

ブランドの魅力は、語りきれないほどあると思いますが、あえて、一言でいうなら、その登場からずっと真摯に「アメリカの偽善」と向き合ってきたことが、全身から伝わることでしょうか。私は、マイケルが若い頃から晩年までブランドを尊敬していたことで、彼がきっと素晴らしい人に違いないと思っていたのですが、今はそれと同じぐらい、ブランドがマイケルを可愛がっていたことを、素晴らしいことだと感じています。

彼らの魂を感じてから、わたしは、これまでより、わずかな偽善の匂いや、偽物の知性に敏感になったと思います。

ですから、わたしは、マイケル・ジャクソン~マーロン・ブランドという糸から、藤永先生の本にも出会うことが出来たんです。

この2年間、わたしは「マイケルは1ミリも間違っていない」という仮説を検証するかのように毎日を過ごしているのですが、必ず、素晴らしいひとにバトンが繋がっていくことの幸せを日々実感していて、本日、藤永先生からのメールで、またひとつ、それを実感いたしました。


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CDに添付した曲目リストの表紙
右側は「Rubberhead Club の掟」



2011年12月16日

藤永先生、「したたかに好奇心....」そのステキな言葉にワクワクしてしまいました。

先生、是非マイケルの本を書いてください!(笑)いえ、あの、冗談ではなくて、、というのも、現在、東大の..... (以下、自主規制).... という感じで、曲に対しての解釈がまだまだ青いんですよね(笑)

マイケルは、29歳のとき出版した自伝『ムーンウォーク』でも、2001年のオックス・フォード大学でのスピーチでも(当時43歳)、自分のことを80歳ぐらいだと言っているので、彼が「Better Place」に旅立った50歳のときは、先生より年上の可能性もあり、やはり、せめて80歳ぐらいじゃないと彼のことは語れないんじゃないかと思うので、藤永先生にとって「痛く悔やまれる」どころか、むしろ「今」ではないかと。

また、私は、先生からの最初のメールの「ブランドの人柄に以前から信頼と親しみ」「彼が嘘をつくとは私には考えられません」で、先生の知性だけではなく「The Man!」な人柄や器量にも確信をもちました!マイケルはその女性的な風貌から誤解されていますが、彼以上の「男の中の男」がこれまでの歴史上存在していたとは、到底思えないので、彼を語る人にも、その器が必要ではないかと思うんです。(中略)

もし、先生のお宅にCDプレーヤーがあり、音楽を聴くことに、あまり抵抗がなければ、私が選曲した「マイケル・ジャクソンCD」をプレゼントさせていただけないでしょうか?マイケルと言えばダンスが有名ですが、私が選曲したいと思っているのは、先生のような頭脳労働の方が1日を終えられたときに、多少はお疲れがとれるような曲を考えています。わたしは、自分の友人に彼のCDをプレゼントしたことも、大体、彼のファンだと言ったことすら1度もないので、これは、わたしにとって「初めての体験」です。

☆藤永先生に贈ったマイケルの曲[2]につづく


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by yomodalite | 2012-01-31 19:03 | MJ系ひとりごと | Trackback | Comments(3)
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☆青春 この狂気するもの/田原総一朗[1]のつづき

[1]で、第一章の内容を少しだけ書き出してみましたが、本書のスゴさというか「魔力」を言葉にするのは、ものすごく難しいです...(本自体は全然難しくないのに)

どんなテーマで書かれているか?といった感じで本書を見ると「ありきたり」な表現になってしまったり、エピソードの裏側だけ紹介することになってしまったりしそうで....

本書の「あとがき」では、友人のカメラマンが、新宿西口のフォーク集会を取材しろうとしたら「マスコミ帰れ」のシュプレヒコールを浴びたことで逆上して「君たちのためにブラウン管で代弁してやるのじゃないか」と怒鳴ったら「反体制を商品にする告発ごっこは止めろ」と逆襲され、社名人りのジャンパーを破られカメラを壊された。ということが紹介されています。

これは、この「時代」の若者の記録映像でよく見られる「怒れる若者」の姿ですが、一方で、[1]でも紹介した「はじめに」の冒頭は、

テレビはつまらなくなった」「全然だめになった」

この言葉は、いまでは「東京の空は汚い」「いまの若者はわからない」などという言葉と同じく挨拶のような常套句になっている。紛争中の大学や新宿で会う若者たちは、テレビについて発言を求めると、ただ、薄笑いを浮かべるだけで真剣には攻撃さえしようとしないし、いわゆる〈文化人〉たちの中には「テレビは野球しか見なくて」とか、「テレビがないんで....」とはにかんでみせるのが、無難なポーズのようにさえなっているようだ。


で始まっていて、こういった「若者の醒めた目線」というのも、確実に存在していたようですが、この年に始まったTV番組には『8時だョ!全員集合』や『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』『NTV紅白歌のベストテン』、TVアニメでは『ひみつのアッコちゃん』『忍風カムイ外伝』『どろろ』『タイガーマスク』『アタックNo.1』など、その後何十年も影響力があった番組が多く生まれた年でもあり、映画「ALWAYS三丁目の夕日'64」に描かれた頃から、たったの5年後なんですが、

◎『ALWAYS三丁目の夕日'64』公式サイト


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当時のテレビや新聞では「怒れる若者」とか「若者の狂気」といったテーマが流行っていたようで、田原氏のTVドキュメンタリー『青春』も、そのラインに一応は沿ったものだったと思われるのですが、この本は、自ら制作し、高い評価を受けたドキュメンタリーでの「若者の狂気」が、どのように製作されたものだったのか?

という〈裏側〉を描いただけではなく....

「まえがき」で、ドキュメンタリーは「やらせ」であり〈やらせ〉のドキュメンタリーだけが、実像を捉えることができ〈やらせ〉でない〈ありのまま〉のドキュメンタリーなどは、まやかしか〈やらせ〉さえする価値のない.....

と言っているように、撮る前から徹底的に〈やらせ〉を意識していて〈やらせ〉の実体を見せることや、そこでは描ききれなかった〈エピソード〉によって、

より〈真実〉に迫ろうとしているだけでもありません。


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本書で取りあげた5つの番組は、

第一章・青春との出会い ー 彼女の内なる狂気へ
第二章・狂気のレッスン ー “怒れる” を演技するタレントたち
第三章・新宿ラリパッパ ー この華やかな騒乱ごっこの主役たち
第四章・少年院優等生 ー かれらの狂気は生きのび得るか
第五章・狂気を失った青春たち ー いまあなたが一番殺したいヤツは?


それぞれ「青春の狂気」をテーマにしていて、それらを、なんとか短い言葉でまとめるしかないとすれば、

第一章は、若い女性の内面の不可解さ、
第二章は、同世代の若者を熱狂させているバンドメンバーの「怒りの演技」の裏側にある繊細なサービス精神
第三章は、フーテンと呼ばれた、若者たちの「革命ごっこ」
第四章は、「ヤクザもどき」の「ヤクザらしさ」に生きる活路を見出す若者

を描いているのかもしれませんが、やはり、それだけではなくて、



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最後の「狂気を失った青春たち」は、

あなたは敵はいますか?
誰?
どうして?
殺したいヤツは?
いままでやった最も悪いことは?
セックスをいう言葉で何を想像しますか?
最初の体験は?
どこで?
セックスが何かの力になると思う?
オナニーはする?
どのくらい?
あなたの英雄は?
最後に青春とは?


という、街頭インタヴューのレポートになっていて、その報告によれば、30歳以上の人々にインタヴューをしかけてみたら、10人中6人は頭から拒否し、2人は途中で去り、残った2人は宗教団体の役員とひなたぼっこの浮浪者だったが、23歳以下の若者では、拒否をしたのは1人もなく、露骨すぎる質問に腹を立てた若者も結局最後まで答えた。この報告に対し田原氏は、

気の短い大人と、気の長い若者たちばかりに、ぶつかったわけではなく、大人たちが時間に追われているわけでもない。新宿でフーテンのハプニングや、交通事故でもあると、やじ馬の中でしつっこいのは、むしろ年配者に多く、

根気よくインタヴューに応じ、長々と相手になってくれるのは、若者たちの「サービス精神の豊かさとバイタリティーであり、若者とは、サービス精神にあふれ〈怒らぬ〉たくましさ、〈怒らぬ〉バイタリティーをもった種族と考えるべきだと述べ、

若者たちに、そういった(怒りの)サービスの演技を強いているのは大人たちで、それは「教育」という言葉に置き換えてもさしつかえなく、

では、大人たちはなぜ若者たちに演技を強いるのか?

ひたむきで、エネルギッシュで、ほとばしるような純粋な情熱 ー 演技

という問いに、わたしは、それを大人たちの青春への郷愁、あるいは青春をまっとうしなかった悔恨から、若者たちに夢を託しているのか、と考えたことがあるが、むしろ若者の素顔、若者そのものに対する不安、恐怖のためと考えるのが正しいようだ。

そこで、大人たちは、若者を〈理解しやすく〉〈安全な〉〈期待される人間〉に調教しようと考えた。大人たちは周到な準備と綿密な計画のもとに調教を実施した。

若者たちの間を吹き荒れている怒りと敵意のゲバルト旋風は、若者たちが、あまりに素直で、大人の仕掛けた罠に見事にはまったために生じたもの、その意味では、大人たちの調教が見事に成功したのだというべきだろう。

だが、どういうわけか拍手、喝采は起こらない。喝采どころか、きこえてくるのは、大人たちのためらいと非難の声ばかり。しかし、ためらいたいのはむしろ若者たちの方だろう。要求されるとおり、調教されるままに、ひたむきに演技しつづけてきたのだから.....。それでも、若者たちは演技をしつづける。彼らは何しろ若い。サービス精神にあふれている。

それに演技することしか知らず、迫真の演技をすることでのみ大人たちの期待にこたえられるのだと信じきっているからだ。拍手・喝采がないのは、まだ迫真力がないためだと彼らは考え、若さのかぎりを打込んで演技をしつづける。(引用終了)



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冒頭の「あとがき」の続きから。

わたしの知人たちの間では〈報道〉腕章や社名の入ったジャンパーに抵抗を感じ、マスコミ人間である印をつけずに取材に行く連中がふえている。若者たちのいう〈体制側ジャーナリズム〉の人間であることにうしろめたさを感じるのだ。

わたしにも確かにうしろめたさはある。だが、それは、商業テレビ局という組織にいるためというよりも、むしろドキュメントすること自体のうしろめたさである。対象を映像化するためにドキュメントするということに対するうしろめたさである。

わたしが、この本をまとめようとしたのは、書くということで、一度〈映像化〉ということをつっぱなし、のめり込みすぎて見逃したり、あるいは故意に目をそらしてきた事柄をできる限り執拗に見つめ直し、わたし自身を問い直し、再び歩き出すための起爆剤にしたいと考えたからである(引用終了)


こういった「うしろめたさ」は、この後に登場した、原一男氏や、森達也氏にも見られるものですし、また、ドキュメンタリー作家だけでなく、実在人物をモデルにした小説を書かれた作家にも感じられるものですが、

わたしは、本書が1969年出版であることに驚いただけでなく、これほど、その問題から目をそらしていない本も、また、テレビ全盛期に目覚ましい活躍をした、脚本家やディレクター、評論家らの回顧録や現代への警鐘をテーマにした本には、本当に時間の無駄と思える本や、真実を求めて別の「洗脳」に導かれてしまうなど、がっかりすることが多かったのですが、田原氏はそういった方々とは比べようがないほど、強靭な魂の持主というか、

テレビの〈やらせ〉の問題など、いまや「問題」と受けとることすら難しいほど「あたりまえ」で「お約束」という用語も広く一般的ですが、それでも、この本の「魔力」が失われていないのは、田原総一郎の「天才」によるとしか言いようがないです。

また、テレビの黎明期を担い、永年第一線で活躍し、未だにその力を維持している、現在の田原総一郎氏に関しては、元々、視聴者としてあまり接しておらず、数年前、小泉純一郎への応援に、その権力を行使した姿を垣間見た後は、ますます、テレビで拝見していないのですが、

田原氏は、この本だけでなく、激動のテレビ時代を生きながらも、これまでも先鋭的な著作を何冊も書いてこられていて、

『原子力戦争』『通貨マフィア戦争』『穀物マフィア戦争』『鉄神話の崩壊』『エネルギーマフィア』『遺伝子産業革命』『電通』 『巨大な落日 大蔵官僚、敗走の八百五十日』『ドキュメント東京電力』『IT革命のカラクリ 東大で月尾教授に聞く!』『脱「ダメ日本」宣言(田中康夫との共著)』『それでも、小泉純一郎を支持します』『Twitterの神々 新聞・テレビの時代は終わった 』など.....

わたしは、まだ、そのほとんどを読んでいませんが、3.11後の専業作家に現代が見えていないと感じることが多い今日このごろ、作家としての田原総一郎は、相当「スゴい」と感じたので、

この本の紹介も、とても難しかったです。抜粋したり、言葉として拾った箇所以外に漂う「妖気」がスゴいので....

★★★★☆「名著!」

[参考・関連]

◎1969年(ウィキペディア)
◎1969年[ザ・20世紀]
◎1969年の映画『薔薇の葬列』

◎田原総一朗(ウィキペディア)
◎封印なし!田原総一郎テレビ劇場
◎田原監督と私(原一男)
◎田原総一郎監督インタヴュー
◎ドキュメンタリー《やらせ》論1(1〜7まであります)


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by yomodalite | 2012-01-30 17:02 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)
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3.11への言葉を、わたしの「備忘録」として。

【バルセロナ共同】9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)

「非現実的な夢想家として」

僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
 
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
 
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1・8秒短くなるほどの規模の地震でした。
 
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
 
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
 
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
 
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
 
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
 
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
 
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
 
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
 
どうしてか?
 
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
 
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
 
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
 
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
 
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
 
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
 
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
 
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
 
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
 
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
 
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
 
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
 
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
 
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
 
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
 
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
 
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
 
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
 
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
 
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
 
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
 
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
 
理由は簡単です。「効率」です。
 
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
 
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
 
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
 
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
 
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
 
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
 
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
 
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。



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ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
 
「大統領、私の両手は血にまみれています」
 
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
 
しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
 
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
 
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
 
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
 
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
 
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
 
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
 
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
 
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
 
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
 
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
 
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)


☆村上氏のスピーチは日本語で行われている
◎村上春樹カタルーニャ国際賞スピーチノーカット音源ー1

☆関連記事
◎ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者

☆参考資料
◎村上春樹エルサレム賞スピーチ全文(日本語訳)





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by yomodalite | 2012-01-30 12:13 | 311関連 | Trackback | Comments(3)
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水道橋博士は、著書『本業』で、田原氏のことを「日本で初めてのAV男優である」(詳細は『濃厚民族』)と紹介していますが、その本にも登場し、あのマイケル・ムーアにも多大な影響を与えたという、原一男氏は「この本を読んでショックを受けた」ことから、ドキュメンタリー作家となったと言う........

(ふぅーーー)読むしかないじゃん!

で、探してみたところ「アマゾン」にも「日本の古本屋」にも「カリール」にも東京都立図書館の「統合検索」でも見つからなかったんですが、なぜか東京都中央区の京橋図書館で借りられました(京橋図書館でも「書名検索」には出てこなくて「田原総一朗」検索でようやく発見....《別置》だからなんでしょうか?)

そんな感じで、ちょっぴり苦労して探し出した本書なんですが、、

田原総一朗氏のドキュメンタリー番組は『田原総一朗の遺言』(水道橋博士や、時代の証言者であるゲストと討論をした番組などシリーズ全7作)として、最近DVDで発売され、

◎『田原総一朗の遺言』(アマゾン)

わたしは、このDVDの元になった番組で、映像による「ドキュメント」を見たときは、昔のテレビは自由で過激だったんだなぁというのが第一印象で、フィルムに移っている「若者」にも「風俗」にも、その時代が描かれていると感じました。

ところが、本書から感じたのは、驚くほど現代的で、1969年という「カラーテレビ」が一般家庭に普及して間もないTVの黎明期にも関わらず、田原氏が、ここで語っていることは、現代の新書として発売になっていても特に違和感がない部分が多くて....(そんなことあると思います?)。

DVDにまとめられているのは「永田洋子と連合赤軍」「一線を越えたジャーナリスト達」「永山則夫と三上寛/田中角栄」「藤圭子/べ平連 小田実」....など、その時代の有名人や、歴史的事件に関わっているものなのですが、

本書は、田原氏が上記と同じく、東京12チャンネル(現・テレビ東京)で、製作していたドキュメンタリーで「青春」をテーマにした5つの番組の裏側を綴ったもので、登場するのは、すべて無名の若者たち。


「はじめに」テレビ・ドキュメンタリー・わたし(省略・要約して引用)

......ドキュメンタリーとは、ものごとをありのままに捉えるべきだという、もっとも根源的な誤りが、いまだに大きな顔をしてまかりとおっている。そのよい例が、ドキュメンタリー番組に登場する若者たちのしらじらしさだ。現実の世界では造反をくり返しているのに、ブラウン管の若者たちは、レディメードの古びた〈青春像〉を忠実になぞっているばかり。(中略)

ドキュメンタリーとは、実はすべて〈演出〉されたもの、つまり〈やらせ〉なのだ。〈やらせ〉のドキュメンタリーだけが、実像を捉えることができ〈やらせ〉でない〈ありのまま〉のドキュメンタリーなどは、ことごとくとんでもないまやかしか〈やらせ〉さえする価値のないドキュメンタリーだとわたしは考えている。

あなた自身を素材にしてカメラとマイクを向ける、あなたの行動にカメラとマイクがつきまとう。そのとき、あなたはどうする?

あなたは演技をするに違いない。

〈かくし撮り〉あるいは〈盗み撮り〉相手にまったく気づかれずに撮影する。それが、奇妙に現実感があるためにフィクションであるテレビドラマや映画にもずいぶん活用されている。しかし、〈かくし撮り〉でありのままのあなた自体を捉えられるかということになると、答えは「否」である。

いくら〈かくし撮り〉をしようが、取材すると宣言された以上、あなたの意識は金輪際カメラとマイクから離れることはないだろう。そして〈かくし撮り〉があなたにとって一番見せたくないあなたを捉えたとしても、あなたがそれを公開することを拒否するだろう。

つまり〈かくし撮り〉で捉えられるものは、わざわざ〈かくし撮り〉にしなくても捉えられるあなたなのであって、それにもかかわらずドキュメンタリーが〈かくし撮り〉を多用するのは、多くの場合、より現実感を強くする、つまりニセものを少しでもありのままらしく見せる〈だまし〉のテクニックに過ぎないのである。

それでは、カメラとマイクを武器にしたドキュメンタリーで人間の内部を捉えることは不可能なのか。可能だとわたしは考えている。わたしは、むしろ、カメラとマイクがあるからこそ、人間のポーズの内側を捉えられるのだと考えている。(引用終了)


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(下記は、大幅な省略や、要約を交えて引用していて、あくまでの私が記憶を呼び起こすためのものです。田原氏の言わんとするところを押さえているとは言えないこと、また、その魅惑的な文章とも異なることを、ご了承くださいませ)

「青春との出会い」彼女の内なる狂気へ

1966年、S・Yという二十歳のバスガイドを取材した『S・Y 二十歳』いわば、わたしに悪魔的影響をおよぼした女。しかし、彼女は、むろん希代の悪女でも、英雄的な女性でもなかった。彼女を私に紹介してくれたのは、友人であるディレクターだが、わたしがそのディレクターに出した注文は「平凡で明朗な女性であること」。

ただし、彼女との初対面では「平凡も程度問題だ」と八つ当たりをはじめ、ひそかに、カメラマンが素材の変更を要求するのを期待したほどだった。

彼女は日の出前に出社し、運転手が来る前にバスの掃除を終え、食事をする前に、裸足でバスを水洗いする。そんな彼女だったが、他のガイドたちがおしゃベリをしているところへS・Yが入って来ると、なんとなくその場がしらけてしまう。

わたしは、彼女たちの城の中に闖入したためのぎこちなさだろうと思っていたが、それだけではなさそうだった。S・Yの周囲にある違和感の原因は一体何なのか?その謎を解明しようとするカメラマンの眼は次第に〈殺意〉を帯びて来た。

わたしは、思いきって、S・Yの部屋にガイドたちを集め「S・Yをどう思うか」という問いから取材を開始した。ガイドたちの顔色が変わり、ひとりはわたしを睨みつけて立とうとした。わたしが、黙って彼女たちが「おちる」のを眺めていると、S・Yは感情をむき出しにし「やめて!」と叫んだ。S・Yを誘い、2人だけで行ったビアガーデンで、

「本当は、あたし、田原さんたちの取材を利用しようとしていたのです」

「あたし、原爆ッ子なんです」

「原爆なら、隠すも隠さないも.....、あなたは犠牲者なんだし、
みんなは同情するはずで......」

「同情なんて言葉を聞くとぞっとします。こわいんです。その同情がわたしの家族をめちゃくちゃにしてしまったのですから..... 姉も、そのために死にました」


歩きながら、わたしは〈話して貰ってよかった〉というための格好のつく言葉を探そうとした。信頼、勇気、連帯、愛......。だが、ぴったりとくる言葉が思いつかないまま、黙って肩を並べているうちに、彼女の存在がしだいに重くなってきたような気がした。

彼女はわたしの手を握った。その手にほんの少し力を入れさえすれば.....。しかし、わたしは手に力を入れるかわりに、そっと彼女の掌から抜きさった。

一時間後、わたしはカメラマンに電話をして「広島に行くことになるかもしれない」とだけ伝えた。だが、次の日、あらためてS・Yの告白を取材しようとしたら、彼女は「もう一度話をしたい」と言い出したのである。

その夜、十時、赤羽駅東口の喫茶店〈T〉。

「わたしのいったことは、全部ウソです」

S・Yは、いきなり言った。胎内被爆も、姉の被爆者手帳もすべてウソだという。

S・Yは、しばらく唇を噛み締めて1冊のノートをテーブルの上に出した。かなり汚れたノートで『日記Ⅳ』と記してある。その夜『日記Ⅳ』を読んだ気持ちをひと言で言えば〈後悔〉だった。見なければいよいものを見てしまったという気持ちだった。その日記は、N観光へ務めてから、ずっと書き続けたものらしく、そのノートを見るかぎり、一日も欠けてはいない。

一番量の多いのは、7月20日の、ガイドをやめた友人との男性論議で5ページ。一番短いのは、8月6日〈黙祷〉の二字。ところが、8月26日、突然日付けだけで空白のページが現われる。つづいて27日も空白。そして28日。

「なぜ、あんなに空がきれいだったのだろう。部屋は静かだし、窓の外の道路を毎日同じ時間に通る豆腐屋さん。(中略)

事件が起きたのは、25日の夜10時過ぎ、荒川のKS橋の上......(後略)」


事件の翌日、N観光ではすでにひとつの噂がかたまりはじめていた.....

だが、こうして事情がわかったところで、わたしが感じたものは「困惑」だった。知りすぎてしまった。知りすぎてしまったために動きがとれなくなってしまった、というのがいつわりのない気持ちだった。もし、ノートを見せられていなかったら、彼女を〈原爆の犠牲者〉として描くこともできた。

2日後、8月6日、21回目の原爆記念日、わたしたちは、荒川の堤防でこの取材最後のシーンの撮影をした。夕日を背に堤防を歩くS・Y、その顔のアップ。風にひるがえる髪、その髪ににじむような太陽のハレーション。彼女の日記のナレーションバックになる映像....

それから、2週間後の放送後、視聴者から3本の電話があった。1本は、S・Yをわたしに紹介してくれたラジオのディレクターからだった。「なかなか面白かったよ」「それにしても、大テレビ局の大ディレクターが、小娘のPRの片棒をかつがされたみたいだな」とつけくわえた。

わたしに「もしや」という疑問が起こってきたのである。こう考えると、いくつも思い当たるふしがある。

わたしは、見つめることだけに終始しようと思って、素材を選んだのに、どうやら、見事に見つめることを放棄して、彼女のために旗をふってしまったようだ。S・Yにしてみれば、危険度の大きいバクチだったに違いない。そのバクチに彼女は賭けた。最後にはわたしにゆだねるという捨身の勝負にでた。ドライに計算した行為の中に、そんなひたむきな若さゆえの手応えを、はっきりと身体に感じたからである。

そのとしの11月。わたしは取材でN観光の近くまで行ったとき、S・Yを訪ねてみた.捨身のバクチに勝って、再び女の住居権を与えられ、文字どうり「平凡で明朗な」女性に戻っているはずの彼女に会って「してやられたよ」とひと言憎まれ口をたたいてやろうと思ったからである。

ところが、S・Yは3ヵ月前にN観光を辞めていた。わたしたちが取材した直後である。顔見知りのガイドに聞くと「あのテレビの放送も見ないで行ってしまったの」ときょとんとした表情で言った。

すべてが、一挙に謎に戻ってしまった。

S・Yの消息はそれっきりわからない。だが、近頃になって、わたしは、彼女もわたしたちの取材の中で何かを確かめようとしていたのではないかと思えてきた。

わたしたちが彼女を見つめ、彼女を追いつめることで〈何か〉を確かめようとしていたとき、彼女も見つめられること、追いつめられることで〈何か〉を確かめようとしていたのではないか。だからこそ、彼女は、わたしたちの執拗な追いつめ方にも耐えたのではないか。

彼女は、わたしたちにはわからない〈何か〉を確かめ得た。だからこそ、新しい生活にとびこんでいったのではないだろうか。しかし、わたしがこう考えるのは、べつに根拠があってのことではないし、わたしたちの取材が彼女に何を与えたのかもさっぱりわからないままだ。

☆青春 この狂気するもの/田原総一朗[2]につづく



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by yomodalite | 2012-01-27 15:05 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)
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https://flets-members.jp/pub/pages/hikari_life/yell/02.html



25日に渡辺謙氏がダボス会議で行ったスピーチを読んで「3.11後の言葉」のいくつかを、私の備忘録として記録しておきたくなりました。

渡辺氏以外で、今のところ考えているのは、村上春樹氏のカタルーニャ国際賞スピーチ、吉本隆明氏、高村薫氏のインタヴューで、感動や共感したからと言う理由よりも「記録」しておきたいという理由で選ぶ予定です。

下記は、渡辺謙氏によるもの。
引用先:東京新聞 Tokyo Web

スイスで25日に開会した世界経済フォーラム年次総会「ダボス会議」で、俳優の渡辺謙さんがスピーチに立ち、各国から寄せられた東日本大震災の被災地支援への深い感謝と立ち上がる決意を語るとともに、原子力から再生エネルギーへの転換を訴えた。
 
渡辺さんは、震災発生直後から、インターネットにメッセージなどで被災者を応援するサイト「kizuna311」を立ち上げ、現地を幾度も訪れるなど、支援活動を積極的に続けている。
 
スピーチは現地時間25日午前(日本時間同日午後)に行われた。渡辺さんは「私たちの決意として、世界に届いてほしいと思います」と話している。
 
スピーチ全文は次の通り。



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初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。
 
まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。
 
私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。

役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。
 
その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。

そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。
 
しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。
 
それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。
 
私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。

しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。
 
そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。

そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。
 
「絆」、漢字では半分の糸と書きます。

半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。

困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。
 
いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。
 
国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。

人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。

「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。
 
私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。

心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。



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☆スピーチ後の記者会見。冒頭部分は英語ですが、渡辺氏の言葉は日本語で聴けます。
◎Briefing with Ken Watanabe - Annual Meeting 2012 - World Economic Forum

この映像での渡辺氏を見ると、ハリウッドスターや映画俳優としてというより、新潟出身のひとりの「男」として、その場に行かれたように感じました。

☆「Kizuna 311」渡辺謙氏と放送作家・小山薫堂氏が呼びかけ人となり、様々な著名人のメッセージが集められている
◎Kizuna 311




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by yomodalite | 2012-01-27 10:40 | 311関連 | Trackback | Comments(0)
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『カストラチュラ』ですっかり心を奪われてしまった鳩山郁子さん。続編というか、番外編の『シューメイカー』も、やっぱりすごく素敵だったので....

『カストラチュラ』(初版1995年)から、10年を経た本作は、前作の難解さも少し押さえられ、また、画力もアップされていて、そのストーリーと共に、コミックとしての完成度が高く、何度でも再読したい魅力にあふれていて、

シノワズリ、纏足、カストラート、解剖学....といった様々な魅力がつまった前作に、さらに今回は、夏洛蒂林(シャーロット・リン)の歴史から、その人物像にもぐっと奥行きを感じさせただけでなく、「ボルゾイ」が登場したときには....

もう「一生ついて行きます!」と思ってしまいました.....


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カバーを取っても美しい本書の装幀は一流ブックデザイナー、坂本志保氏によるもの。




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本書とは関係のない「婦人とボルゾイの写真」...ボルゾイが描かれた絵で、ものすごく好きなものがあるのだけど見つからないので....

◎シューメイカー(アマゾン)

また、鳩山氏の本が美しいのは、本書だけでなく、氏とコラボした限定ボックス本の企画はたくさんあるようで、こちら「月兎社」のウェブで、見ることが出来ます。

◎月兎社「鳩山郁子作品」


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by yomodalite | 2012-01-25 08:44 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

中国は世界恐慌を乗り越える

副島隆彦/ビジネス社



戦争の本質が、国家経済の破綻を、覆い隠すために行うものだということは、すでに「常識」だと思いますが、昨日、EUのイラン産原油の輸入禁止が決定されましたね....

ヨーロッパとアメリカの高級紙は、ずっと、日本に対し「失われた10年」とか「日本のようになるな」と言い続けてきました.....とにかく、ニュースを見たら、その10倍は本を読まないといけない世の中ですけど、その本もあまりにも嘘が多いので.....副島氏の本がどんどん売れるようになっているのでしょう。

あまりタイムリーでなく、そんなには売れていないかもしれない本の紹介をすることが、もしかしたら多いかもしれない当ブログではめずらしく、毎回発売から間もないタイミングで紹介している副島氏の新刊本ですが、

本書も、書店の目だつ売場に並んでいることですし、今回は、わたしが個人的に興味がある点のみ「あっさり」とメモしておきます。


第3章から省略して引用


◎日本海の時代がくる

わたしは3年前から「これからは陸の時代が来る。海の時代から移る。ユーラシア大陸のど真中が世界の中心になる」と書き出した。おれは2009年7月に中央アジアのカザフスタン国に行き、ここに新しい世界銀行ができる(2015年から)と分かったからだ。

大陸の時代には、道路と鉄道が重要となる。大陸を横断する陸上輸送網がこれからももっともっと建設される。日本は島国であり、ユーラシア大陸の東のはずれの島嶼国である。だから、日本にはこれから日本海の時代が来るのだ。

新潟、富山、福井、島根、これらの都市が急激に韓国の釜山や上海や大連、青島、天津と港湾どうしでつながり急激に伸びる。このことを日本の産業人、ビジネスマンたちは早く自覚しなければならない。

◎トルコとイタリアの海底パイプライン「ナブッコ計画」

2011年1月から、中東、アラブ地域での各国民衆の反乱運動と反政府運動による旧政権の打倒の動きが起きた。これらの動きの背後には、アメリカの軍隊とCIAの合同である特殊部隊の動きがある。アメリカは兵隊を直接、現地に大部隊で投入するこれまでの戦争のやり方を根本から変えたようだ。

エジプトは国民の7割の支持をもつムスリム同胞団という温和なイスラム教徒の政党がある。このムスリム同胞団による政権の誕生が必然なのに、これを阻止しようとするアメリカの動きがある。

ムバラク政権打倒のエジプト青年たちの運動は「フェイスブック」という実名登録のインターネット通信網が大きな役割を果たしたとされるが、エジプトのフェイスブックの運営責任者で「4月6日運動」を指導するアハマド・マヘル(30歳)という若者がどうも怪しい。ファイスブックのザッカーバーグと始めからつながっている。だからムスリム同胞団は、彼ら外国帰りの青年活動家たちを警戒している。

中東アラブ諸国にとってこれからのお手本となるのはトルコのエルドアン政権である。他のアラブ諸国もトルコの政治体制に見習おうとしている。リビアのカダフィ政権の打倒(2011年9月)には、もうひとつ裏側の理由がある。それは「ナブッコ石油天然ガスパイプライン」に関わる。

ナブッコというのは、ネブカドネザル王のことである。欧米人にとっては有名なオペラの名前だ。劇作「ナブッコ」はイスラエルの民で、バビロン捕囚に遭っていた者たちが祖国のパレスチナの地に帰りたいという望郷の念をあらわにした作品として有名だ。このナブッコと名づけられたトルコ経由の南回りルートの石油と天然ガスのパイプライン建設の動きにイタリア(ベルルスコーに首相)、リビア(カダフィ大佐)が深く連携していた。

中央アジアのカザフスタンの南にトルクメニスタンという国がある。トルクメニスタンにはニヤゾフという独裁者がいた(2006年2月死去)。このトルクメニスタンという国もカスピ海沿岸で、ものすごい量の石油と天然ガスが出る。この資源をトルコのエルドアン政権とイタリアのベルルスコーニ政権が組んで地中海方向にパイプラインを引いてヨーロッパに天然ガスを供給しようという計画だ。

さらにイタリアから南にシシリー島を経由して、かつてのカルタゴあたりまで海底パイプラインをつくる計画があった。これが「カダフィ殺し」で中断してしまった。アメリカの狙いどおりだ。

ナブッコ計画に対して、フランスとイギリスとアメリカがいい顔をしていなかった。上手くいったらトルコとイタリアとリビアがヨーロッパのエネルギー供給で主導権を握ることになるからだ。だから「NATO軍による爆撃」でカダフィ政権は打ち倒された。

ロシアもまた、ナブッコ計画を敵視していたという事情がある。ロシアはカスピ海の豊富な石油、天然ガスをウクライナとベラルーシを通って、北回りのロシア経由で欧州各国に供給している。この利点が、ナブッコ計画で半減してしまう。


第4章から省略して引用


◎内モンゴルのレアアース生産基地

中国は、レアアース、レアメタルを国家戦略資源に位置づけて、急に海外輸出規制をし、それらの世界シェアの多くを押さえることを2010年9月に目標にしたが、どうも失敗したようである。

レアアースの国際価格だけがひとり歩きして高騰した。ところが、このあと事態は一転した。買い手(需要者)である日本の電気メーカーのほうは、まだまだ安価な入手が可能なようである。日本政府(経済産業省)は早めに手を打って、もうひとつのレアアース産出国であるインドからの輸入量の確保を確実にしたようだ。

しかし、わたしの情報では、去年ランドサット(航空宇宙資源探査衛生)で日本の資源開発チームが大量のレアアースを南米ペルーで見つけたようだ。中国の輸出規制の動きに対して、日本商社も危機感を強め、インドその他の国からの輸入で国内需要分を十分に確保できたようだ。これらの理由から、中国のレアメタル・レアアースの開発特区は当面尻すぼみだ。(引用終了)


下記は、見るだけでも為になる「目次」


第1章 迫りくる「1ドル=2元=60円」時代

円が強い今こそ人民元預金 …… 14
人民元は必ず上がる …… 16
中国で人民元を預金する …… 22
中国で金に投資すべき …… 24
中国で買って中国で売るのが正しい …… 28
不動産投資なら東北しかない …… 30
欧米の不健全なバブルと中国の健全なバブル …… 34

第2章 中国経済の成長は何があっても止まらない

中国の不動産バブル …… 38
インフレ抑制のため、中国の金融引き締めは続く …… 46
崩壊するのは中国ではなくヨーロッパとアメリカだ …… 49
中国の技術力が飛躍的に伸びている …… 52
最先端分野での技術力も急伸している …… 55
通信機器の分野でも日本は抜き去られた …… 58
中国は石炭で動いている …… 62
中国国内最大の石炭会社 …… 64
中国の物流を担うトラック運転手たち …… 66
飢えない限り暴動は発生しない …… 70
大都市部には空き家がゴロゴロある …… 72
需要を上回る過剰な建設ラッシュ …… 74
中国経済を牽引する裏マネー …… 78
10年で10倍、20年で100倍になった …… 83
バブル崩壊で半値になっても、まだ5倍の利益が残る …… 85
貧富の巨大な格差こそ中国経済の原動力 …… 87
300万円のバッグを買い漁る行動原理 …… 91
政治の目的は民衆を豊かにし、食べさせること …… 95
古い粗悪な鉄筋アパートは建て替えなくてはならない …… 100
日本にも中国と同様の腐敗が蔓延していた …… 102

第3章  中国は世界覇権国を目指し、
人民元の時代が到来する


資本主義が崩壊しつつある …… 108
世界は完全な統制経済体制になっていく …… 110
資本主義はなくなるのか? …… 112
2011年、北京、上海の不動産の下落が始まった …… 115
株式市場も引き締めが続いている …… 118
中国は経済成長を維持し続ける …… 121
資産家は不動産投資で生まれた …… 122
中国で激しいインフレが起きているというのはウソだ …… 124
“爆発戸”と呼ばれる石炭成金 …… 126
中国のエネルギーの根幹は今も石炭である …… 129
中国とアメリカのG2時代 …… 132
オバマの次はバイデンだろう …… 136
中国はまだ米国債を買い続ける …… 140
2012年から始まる習近平時代 …… 141
薄煕来は首相レースから脱落 …… 142
習近平の次の第6世代は周強と胡春華がトップ …… 148
江沢民が反日運動を主導した本当の理由 …… 149
北朝鮮とのパイプ役、張徳江という人物 …… 152
軍はまだ胡錦濤が握り続ける …… 153
日本海の時代が来る …… 154
トルコとイタリアの海底パイプライン「ナブッコ計画」 …… 159
カダフィが倒された本当の理由 …… 162

第4章  西部大開発により大きく発展する
内モンゴルの実情


フフホト~バオトウ~オルドス …… 166
内モンゴルのレアアース生産基地 …… 171
内モンゴル自治区の漢人はすでに80%以上 …… 178
90年代のモンゴル共和国の大飢饉 …… 180
中国全土の漢民族化が加速している …… 183
チンギス・ハーン陵墓 …… 186
遊牧民はほぼ消滅した …… 190
黄砂は内モンゴルから日本へ飛んでくる …… 192
世界各地で進む砂漠化を中国は解消できるか? …… 194
18世紀のGDP世界1位は中国だった …… 198

第5章  巨大な人口と消費が
今後も中国を支え続ける


内モンゴル暴動事件の真相 …… 204
中国の民衆暴動の実態 …… 208
人と産業の巨大な移動が中国の西部大開発 …… 212
社会主義的市場経済の実態 …… 214
大気汚染の問題もいずれ解決する …… 216
アメリカのハイテク日本企業たたきのめし作戦 …… 219
地下水による農業化、工業化は十分可能 …… 223
中国の株価はすでに十分に下がっている …… 228
地方の不動産価格はこのまま据え置きで止まる …… 230

付章 主要な中国株の代表的銘柄30 …… 233

◎中国は世界恐慌を乗り越える(アマゾン)

______________

[内容紹介]副島「中国」研究第4弾。 石炭、石油、天然ガス、レアアース…天然資源の宝庫・内モンゴル自治区、山西省での取材から、今後の中国の政治、経済の動向を読み解く。 中国経済は不動産、株価、賃金など、10年ですべてが10倍になった。しかし、バブルが起こっているのは不動産のみであり、中国経済は膨大な実需でインフレを乗り越えていく。よって、中国の成長が止まることはない。 迫りくるアメリカの衰退とともに起こるドル大暴落。ドルとのリンケージをカットした人民元は大きく上昇し、「1ドル=2元=60円」時代がいずれ到来する。その時こそ、中国が世界帝国となる。 2012年秋から始まる習近平総書記時代の中国の対アメリカ戦略、経済戦略を副島隆彦が分析し、日本の進むべき道を示す。 巻末に「中国経済の指標となる株式銘柄50選」を収録。 
ビジネス社 (2012/1/6)



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by yomodalite | 2012-01-24 09:24 | ビジネス・経済・金融 | Trackback | Comments(0)

ひとりごと(2012.1.23)

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ラミーの季節!「期間限定」とか「完全生産限定版」とか、そーゆーコピーにはものすごく強いうえに、ラミーの季節は毎年訪れるし(今のところ...)、10月ぐらいから販売開始になって、3月ごろまで販売されているような気がするので、期間も長いのだけど、、、

ラミーを買いに行って、ラミーがなかったときのショックを考えると、つい何枚も買ってしまうのだ。そして世の中にそーゆー人が少なくないから、ラミーの棚はときどき「空」になっていて、、、で、昨日がそうだった。

「ラミーがない」という「怒り」を、どこにぶつけていいかわからなかったのだけど、瞬間的にロッテが許せなくなって、ついでに、森永も、明治も、全部許せなくなって来て...

ついに、禁断の「ブルボン」に手を出してしまう(悔)....

日本のお菓子メーカーのくせに「BOURBON」とかね、、そーゆー、こたつの上に、ロイヤルコペンハーゲンのティーカップをもってきたオカンが、YSL(イブ・サンローラン)のスリッパはいてるような「センス」って、もう、江戸っ子(ほぼ名古屋育ち)としてのプライドが許せないしぃw、

「北日本製菓」(本社・新潟)が、どこに魂を売り渡して...もとい、どんな経緯で「ブルボン」になったかも「謎」なので、今後も気を許すつもりは全然ないんですけどw、、


「アーモンドラッシュ」......意外と、、イケる....(悔)


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昨日は、松田直樹の追悼試合を、泣きながら観ていたせいか、

あんまり読書出来なかった....


なんとなく、、


ただ、ただ、pillowsと山中さわおが大好きなので....





the pillows - スケアクロウ(2007)






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by yomodalite | 2012-01-23 16:43 | 日常と写真 | Trackback | Comments(0)
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☆Florence + the Machine “Shake It Out”はこちら

“Shake It Out”に引き続き、“Drumming Song”の訳詞にもチャレンジしてみました。

和訳の気になる点は遠慮なくご指摘くださいませ。







“Drumming Song”


There's a drumming noise inside my head
That starts when you're around
I swear that you could hear it
It makes such an almighty sound


わたしの頭の中で、不快な音が太鼓のように響いてる。
あなたが側にいると、それは始まるの。
あなたにも聴こえるでしょう。
だって、ものすごい音だもの。

There's a drumming noise inside my head
That throws me to the ground
I swear that you could hear it
It makes such an almighty sound


わたしの頭の中で、不快な音が太鼓のように響いてる。
わたしを地面に押し倒すように
あなたにも聴こえるでしょう
それは、とてつもない音だから。

Louder than sirens
Louder than bells
Sweeter than heaven
And hotter than hell


サイレンよりも、
非常ベルよりも大きく、
天国よりも甘く、
地獄より熱い

I ran to a tower where the church bells chime
I hoped that they would clear my mind
They left a ringing in my ears
But that drum's still beating loud and clear


教会の鐘が鳴ると、私はそこに向かって走ったわ
私の心を落ちつかせてくれると思ったから
でも、鐘の音は耳に届いただけで
頭の中の太鼓の音はもっと大きく激しくなった。

Louder than sirens
Louder than bells
Sweeter than heaven
And hotter than hell


サイレンよりも、
非常ベルよりも大きく、
天国よりも甘く、
地獄より熱い

Louder than sirens
Louder than bells
Sweeter than heaven
And hotter than hell


サイレンよりも、
非常ベルよりも大きく、
天国よりも甘く、
地獄より熱い

As I move my feet towards your body
I can hear this beat it fills my head up
And gets louder and louder
It fills my head up and gets louder and louder


私はあなたの体へと歩み寄る
私の頭の中で、その音は、徐々に音量を上げて
それは、もう脳内を埋め尽くしても、まだ
どんどん大きくなっていく。

I run to the river and dive straight in
I pray that the water will drown out the din
But as the water fills my mouth
It couldn't wash the echoes out
But as the water fills my mouth
It couldn't wash the echoes out


わたしは河に向かって走って、まっすぐに飛び込んだ
水が音を消してくれると思ったから
でも、水はわたしの口の中を満たすだけで
それを押し流すことはできなかった
音はわたしの口の中を満たすだけで
それを押し流すことはできなかった

I swallow the sound and it swallows me whole
Till there's nothing left inside my soul
As empty as that beating drum
But the sound has just begun


私は音を飲み込み、音は私自身を飲み込んだ
私の魂が消えてしまうくらい
あの太鼓の音と同じぐらい空っぽになるまで
でも、その音はまだ始まったばかり

As I move my feet towards your body
I can hear this beat it fills my head up
And gets louder and louder
It fills my head up and gets louder and louder

There's a drumming noise inside my head
That starts when you're around
I swear that you could hear it
It makes such an almighty sound


私はあなたの体へと歩み寄る
私の頭の中で、その音は、徐々に音量を上げて
それは、もう脳内を埋め尽くしても、まだ
どんどん大きくなっていく。

Louder than sirens
Louder than bells
Sweeter than heaven
And hotter than hell


サイレンよりも、
非常ベルよりも大きく、
天国よりも甘く、
地獄より熱い

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by yomodalite | 2012-01-21 12:46 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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少し前からちょっぴり気になっていた、Florence + the Machine

歌詞を味わってみたくて、訳してみました。






“Shake It Out”

Regrets collect like old friends
Here to relive your darkest moments
I can see no way, I can see no way
And all of the ghouls come out to play
And every demon wants his pound of flesh
But I like to keep some things to myself
I like to keep my issues drawn
It's always darkest before the dawn


後悔は古い友人のように最悪の瞬間に蘇る
わたしには、どうにもならない、どうすることもできない
夜ごとの悪魔は彼の肉体を欲しがってる
でも、私は自分自身を保っていたい
わたしは、自分の問題を手放したくない
夜が明ける前は、いつだって一番暗いのだから

And I've been fool and I've been blind
I can never leave the past behind
I can see no way, I can see no way
I'm always dragging that horse around
All of his questions, such a mournful sound
Tonight I'm gonna bury that horse in the ground
'Cause I like to keep my issues drawn
It's always darkest before the dawn


わたしは今まで愚かで、何も見えてなかった
過去を置き去りには出来なくて
とにかくどうすることもできなくて
いつも、それをぐるぐると引きずり回しているだけだった
彼の問いかけのすべてが、悲痛な「音」にしか聴こえない
今夜、わたしはそれを葬り去るつもり
わたしは、わたし自身の問題を考えたいの
夜が明ける前は、いつだって一番暗いけど

Shake it out, shake it out
Shake it out, shake it out, oh whoa
Shake it out, shake it out
Shake it out, shake it out, oh whoa
And it's hard to dance with a devil on your back
So shake him off, oh whoa


振り払って、振り払って
あなたの背後にいる悪魔と格闘するのは大変だけど
でも、振り切るしかないわ

And I am done with my graceless heart
So tonight I'm gonna cut it out and then restart
'Cause I like to keep my issues drawn
It's always darkest before the dawn


そして、わたしは自分の見苦しい心とさよならして
今夜、私は再スタートをきる
だって、わたしは自分の問題と向き合いたいから
夜明け前は、いつだって一番暗いものよ

Shake it out, shake it out
Shake it out, shake it out, oh whoa
Shake it out, shake it out
Shake it out, shake it out, oh whoa
And it's hard to dance with a devil on your back
So shake him out, oh whoa


振り払って、振り払って
あなたの背後にいる悪魔と格闘するのは大変だけど
でも、振り切るしかないわ

And it's hard to dance with the devil on your back
And given half the chance, would I take any of it back
It's a fine romance but it's left me so undone
It's always darkest before the dawn


あなたの背後にいる悪魔と格闘するのは大変で
そして、その可能性が半分しかなくても、
わたしはそこから何かを得るはず
素晴らしいロマンスだったけど、結ばれることはなかった
夜明け前は、いつだって一番暗いものよ

And I'm damned if I do and I'm damned if I don't
So here's to drinks in the dark, at the end of my rope
And I'm ready to suffer and I'm ready to hope
It's a shot in the dark aimed right at my throat
'Cause looking for heaven, for the devil in me
Looking for heaven, for the devil in me
But what the hell, I'm gonna let it happen to me, yeah


してもしなくても、最悪なんだから
このロープの先が暗闇でも、そこでお酒でも飲んで
それは場当たり的かもしれないけれど、
苦しむ覚悟も、希望もあれば、
わたしの喉にはいいみたい
だって、私は自分の中の悪魔のために天国を探しているんだから
わたしが探しているのは、自分の悪魔のための天国だから
そこが地獄のようであっても、
わたしにはやってみるしかない

Shake it out, shake it out
Shake it out, shake it out, oh whoa
Shake it out, shake it out
Shake it out, shake it out, oh whoa
And it's hard to dance with a devil on your back
So shake him off, oh whoa


振り払って、振り払って
あなたの背後にいる悪魔と格闘するのは大変だけど
でも、振り切るしかないわ
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☆Florence + the Machine “Drumming Song”の訳詞はこちら


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by yomodalite | 2012-01-21 12:15 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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