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スリラー/ネルソン・ジョージ (著)、五十嵐正 (翻訳) 《1》

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いつもお世話になっている、みなさまに、感謝のきもちを込めた、年末のごあいさつなどもしたいところなんですが、

自分の中で、どんどん、宿題が溜っていく一方で、また、東京から離れる気もないので、年末年始は、この本の内容を、メモしていこうと思います。

最初の方は、主に「音」の補足です。

わたしは「スリラー」に関しては、以前、“スリラー”は、なぜ高く評価されているのか?でも書いたように、

マイケル・ジャクソンにとって、通過地点でしかない「スリラー」を最高傑作とする論評の中には「スリラー」以降の彼の数々の偉業や傑作を見なかったことにしようという「意図」が隠されているような気がして、うんざりしてしまうんです。

そんなわけで、本書のタイトルを見たときも、また「スリラー」(疲)と思ったんですが、日本語で読めるMJ本は、限られていますしね(疲)。。


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▲1981年“Off The Wall”Platinum



著者は本書について
「伝記ではない。音楽評論と回顧録と文化史の混合である」と形容し、「マイケル・ジャクソンの人生はとても多くの疑問を差し出す」とし、

翻訳者は「訳者あとがき」で、日本での死後の人気の再燃に関して、
「死者を敬う態度は当然だが、彼を神様か天使扱いして、生前の業績や行動のすべてを肯定する修正主義的なマイケル・ジャクソン像が描かれがちだと思うのだ」と記しています。



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▲スリラー期のジェリー・カール(1984年“Celebration for Thriller”)



わたしは自分なりに調べた結果、現在、MJを「自分の神」のように尊敬していますけど、死後、彼の慈善活動ばかりを高く評価したり「愛」と「平和」というイメージばかりに集約されそうになったことには、強い危惧を感じました。

しかしながら、一方で、MJへの根拠に乏しい偏向報道に対して、きちんとした修正が行われていないにも関わらず「修正主義」という言葉を安易に使用する、この翻訳者のように

正確な資料の収集を怠っているにも関わらず、間をとったような態度だけで「バランスのとれた見方」をしていると勘違いし、また、それだけで、効率よく、自分が頭がいいということを見せられると思っている、常識人的態度にこそ、日々「多くの疑問」を感じています。


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▲1984年“Celebration for Thriller”



それでも最終的に、これを読もうと思ったのは、著者が、TVドキュメンタリー作家(悩)とか、ジャーナリスト(笑)とかではなく、元音楽雑誌「Bilbord」のライター(悩)で、10冊以上の著作があり、ディームズ・テイラー・アウォードを2度受賞していて、

《ディームズ・テイラー・アウォード》
ASCAP(アメリカ作曲家・作家・出版者協会)のディームズ・テイラー賞(作曲家・音楽評論家として活躍したTaylorにちなんで優秀な音楽関係の著作物に与えられる賞)。ディームズ・テイラーは、ディズニー映画『ファンタジア』の音楽顧問で、ナレーションも担当している。


90年以降は、映画、TVのプロデューサーや脚本家、監督もこなし、MJより、ひとつ年上で、同い年のスパイク・リーとは友人らしく、リーと同様に、子供のころから、MJ旋風を受けて育ち、クインシー・ジョーンズや、MJエステートのジョン・マクレーンとも、知りあいであるという情報から、

『スリラー』を語った本としては「良質」なんじゃないかという気がしたからです。

ただし、上記に書いたことから想像できるように、これは、ファン向けの本ではなくて、MJを多少「研究したい」という人向けだと思います。

◎ネルソン・ジョージ著『スリラー マイケル・ジャクソンがポップ・ミュージックを変えた瞬間』吉岡正春のSoul Searchin'

◎「ネルソン・ジョージから学んだこと」吉岡正春のSoul Searchin'

◎ https://twitter.com/#!/taddihno(五十嵐正氏(翻訳者)のTwitter )


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「オフ・ザ・ウォール」期のジェリー・カール



☆ここから本書の引用開始

《第1部》

☆2009年
84年1月、アメリカ自然史博物館でジャクソンがギネスブックによって名誉を授けられていた夜に、デルが僕の初めての本となる『ザ・マイケル・ジャクソン・ストーリー』を出版した。

その本は百万部以上売れて、『ニューヨーク・タイムズ』紙のベストセラー・リストの第3位にまで上がることになる。

僕はスパイク・リーという名前の若い映像作家と友だちになり、彼の映画『シーズ・ガッタ・ハブ・イット』の初期の編集を見た(中略)その衝撃が現在にまで及ぶ黒人映画のムーブメントを先導する映画史における事件となった。

僕は公の場で彼を追悼したくなかったし、マイケルの人生の、それについてまったく知らない面のことを話したくなかった。

これは音楽がその中心にある本だ(中略)09年秋に、VH-1が毎年放送している『ヒップホップ・オーナーズ』のセットで振付師のファティマ・ロビンソンと話していた(中略)ヒップホップのアーティストたちの間でも、マイケル・ジャクソンの名前が出てきた。


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僕らの会話の中で僕が最もよく覚えていることは、彼女の息子ズーリが20世紀の暗黒の日々に死に絶えたと思っていた髪型であるジェリー・カールにしたがったという話だった。

彼は黒人と白人、ふたりのマイケル・ジャクソンがいたに違いないと考えたのだ。そして彼自身が濃い褐色の少年であるズーリは、その両方が大好きだった。

☆ゲアリーに戻ろう

ジョーの芸能界入りした子供たちは誰一人としてフランキー・ライモンのような悲劇とはならなかった(フランキーは13歳にしてセンセーションとなったが、18歳になるまでにヘロイン中毒で自滅し、26歳で亡くなった)

◎Frankie Lymon & The Teenagers

☆その歌声

マイケルの長いレコーディングのキャリアは、美しい人間の声が子供から中年まで進化していくさまを耳にする、かけがえのない機会を僕らに提供してくれる。

“ビッグボーイ”でのマイケルのリードボーカルは、これら初期のの録音の中で最も人を惹き付けるパフォーマンスだ。その歌詞は若い少年が信用してくれない女性に自分の成熟さを主張する物語で、マイケルのヴォーカルのアプローチはモータウンの初期の録音よりももっと大人っぽい。

◎Big Boy - The Jackson 5 


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マイケルはよく「コールド・スウェット」と「アイ・ガット・ザ・フィーリング」を歌っていたけど、あの感情は偽物じゃなかった
アイズレーブラザースの「イッツ・ユア・シング」のカヴァーでは

その伴奏トラックのかみそりのように鋭いシンバルのサウンドに調和するシンコペイションをもって発音し音を伸ばすマイケルをフィーチャーしている


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フォートップスの「リーチ・アウト・アイル・ビー・ゼア」のジャクソン5版では、マイケルがジャーメインとヴォーカルを分け合うが、オリジナルよりゆっくりとしたテンポで歌われ、マイケルのヴォーカルはリーヴァイ・スタッブス(フォートップスのリードヴォーカル)のもっとオペラ的な解釈よりもブルースっぽい。

◎Reach Out I'll Be There - The Four Tops


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これらの録音の中でとりわけ素晴らしいのは、
レイ・チャールズの「ア・フール・フォー・ユー」のカヴァーだ。
テイラーには残念なことだったが、ベリー・ゴーディは持ち前の売れるものへの直感力によって、(中略)テイラーをジャクソン5のプロデューサーの座から外した。

テイラーの後任としてジャクソン5のスタジオ内での交通整理担当になったのは(中略)ディーク・リチャーズである。20代半ばの白人のギタリスト/ソングライターで、ハリウッドの脚本家の息子だった。

伝説的なH=D=Hチームが自分たちのレーベルを始めたので、リチャーズと共に、LAを本拠とするフランク・ウィルソン、パム・ソウヤー,R・ディーン・テイラー、ハンク・コスビーが、デトロイトのポンチャトレイン・ホテルに集められ、H=D=H退社以降の曲を幾つか作り上げた。クラン(訳者注:一族)と名付けられた緩い括りのアンサンブルは「ラブ・チャイルド」を生み出した。

◎Diana Ross & The Supremes - Love Child


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最初、その3人組はグラディス・ナイト&ザ・ピップスと仕事をし「アイ・ウォント・トゥビー・フリー」という曲を生み出した。この曲がどのように「帰って欲しいの」に発展していったかは、幾つかの少しばかり異なる物語を生んでいる。


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▲この当時から女の扱いが上手過ぎるMJ。
スリラー期のシャイさは、
ある意味女を知り過ぎていたからかもw



「メイビー・トゥモロウ」は、僕のお気に入りの70年代前半のマイケル・ジャクソンのヴォーカルだ。(中略)「メイビー・トゥモロウ」は恋愛への心からの熱望の歌で、即座にゲットーの古典となる曲だ。僕にはラジオで聴くよりも公営住宅の夜中のハウスパーティーでかかる方が良く聞こえたレコードであり、その部屋で最もセクシーな女の子とスロウダンスするときにかけるレコードである。90年代に、ラッパーのゴーストフェイス・キラーとプロデューサーのRZAが「オール・ザット・アイ・ガット・イズ・ユー」の土台として、その曲を用いた。

◎Ghostface Killah - All That I Got Is You

☆音/映像1

マイケルは50年の生涯でハリウッドが投資した映画には1本しか出演しなかったー78年の『ウィズ』だ(中略)



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▲1979年、MJ & Tatum O'Neal



スピルバーグのような映画監督がマイケルの演じられる役柄に言及したとしても、それはピーターパンやその他の日常の現実の外に彼を置く作品の登場人物としてだった(中略)マイケルのもうひとつの障害物は彼の話し声だった(中略)

それでもなお、マイケルの役者としての仕事は稀だったにもかかわらず、デトロイトでの最初のオーディション映像から死後に公開されたコンサート映画『ディス・イズ・イット』まで、彼ほどそのパフォーマーとしての人生の、あれだけの詳細な記録が映画、ヴィデオ、最後にハイディフィニションで残されたエンターティナーはほとんどいない。

☆ニューヨーク、ニューヨーク

スタジオ54は快楽主義の見ものだった(中略)スタジオ54でマイケル・ジャクソンがドラッグやセックスにふけっていた記録はないとしても、彼は間違いなくニューヨークのディスコ文化をそのきらびやかな影響の最盛期に目撃した。


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70年代後半のニューヨークのサウンドトラックだったサウンドと感性の独特の融合を定義したのは、ラジオ局WBLSとそこのプログラム・ディレクター/スーパースターDJのフランキー・“ハリウッド”・クロッカーだった。(中略)クロッカーの音楽のミックスは優雅で耳あたり良く、洗練されていて、そして最も重要なことには肌の色を問わなかった。

彼は黒人聴衆の関心をユーロ・ディスコに向けさせたし、ドナ・サマーの「愛の誘惑(ラブ・トゥ・ラブ・ユー・ベイビー)」や素晴らしいオルタナ・ダンス・バンドのドクター・バザーズ・オリジナル・サヴァンナ・バンド他多くの人たちをヒットさせた。

◎Donna Summer - Love To Love You Baby(1975)  
◎Dr. Buzzard's Original Savannah Band - Cherchez La Femme


ディスコの影響力はニューヨークのヒップな人たちだけに限っていなかった。映画館でもクールじゃないAMのトップ40局でも。それらの場所ではビージーズが支配していた。



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▲1980年の“American Music Awards”ドナ・サマーとMJ


☆音/映像2

マイケルのマイクの持ち方、スピンするときの上半身の保ち方、マイクを持っていない方の手を使ってのジェスチャー、踊っているときに頭を傾かせて身体の各部を分離させるやり方、これらのMJの動きのすべてに少量のウィルソン(ジャッキー・ウィルソン)がある

マイケルのヴォーカルの音域と「ホーッ」サウンドはブラウンのざらざらな唸り声よりもウィルソンの高いテナーとしゃっくりのような歌い方のずっと似て聞こえる。

☆黒人のハリウッド

70年代の初めにベリー・ゴーディがモータウンの操業をデトロイトからロスアンジェルズに移したとき、彼はジャクソン5を養成する以上のことをした。彼は黒人ポップの地理的バランスを変えた(中略)


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1981年のThe Diana Ross Special Show



LAとニューヨークは常に重要な目的地だったが、モータウンの西への移動は(中略)大志を抱くアーティストたちは(中略)どちらかの都市に行かねばならないという結果を生じさせた。この移動は他のふたつの黒人ポップ現象と時を同じくしていた。ひとつはブラックスプロイテーション映画、もうひとつはドン・コーネリアスの『ソウル・トレイン』

このダンス番組は黒人のアーティスト、スタイル、ダンスを定期的に全国に紹介し、同時期にはハリウッド・エリートの通う私立学校と公立学校への黒人の少年少女の流入があった(中略)

ジャクソン兄弟の仲間のうちの一部となった若者の一人がジョン・マクレインである。彼は痩せたハンサムな若者で、母親がジャズピアニストのシャーリー・スコットで父親はLA周辺で葬儀社チェーンを所有していた。マクレインはジャクソンズが子供のポップ・バンドから若者のバンドに進化していった年月に彼らとつきあっていた(中略)


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1981年の“Annual Academy Awards”



マクレインは80年代前半にA&MレコードにA&Rの重役として加わり、16歳だったジャネットとレコード契約を交わした。

僕がジョンと会ったのはその頃で、その直後に彼はジャクソン家の末娘を、ジミー・ジャム&テリー・ルイスと組ませて、ジャクソン家の2人目のスーパースターを作り出す。

80年代半ばにさかのぼると、ジョンは黒人音楽界で姿を現してきたばかりの人物で、僕の親友のようなものだった(中略)LAコミュニティの価値観はニューヨークで僕が知っているそれらとはとても異なっていた(中略)サンセット・ストリップの2階建てのナイトクラブ、カルロス&チャーリーズやハリウッド・ヒルズでの盛り上がっているパーティーでは(中略)激しいファンクよりもスタジオで磨かれた完璧さを褒め讃えるR&B美学を作り出した。

幾つかの例外(トータル・エクスペリエンス・レコード所属のギャップバンド、サウンド・オブ・ロス・アンジェルズ・レコードでのリーオン・シルヴァーズのプロダクションの一部)はあったが、黒人ポップの80年代前半サウンドをブッカーT&MGズと間違える人は誰もいなかった。

◎Booker T & MG's ~ Green Onione


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☆例外の方↓ 

わたしは、TeddyのGUYとか、ニュージャックスウィングより、Gap Bandのファンク感の方が好きだなぁ。MJのTeddy曲は大好きなんだけど、あれは、やっぱりMJの特別な声とリズム感があったからで、Guyの“Spend The Night”から発想を得た、MJの“Blood on the dance floorも、GUYより、俄然“黒い”と思う。いずれにしても音楽スタイルの名前ってどうでもいいんだけどね。。。(本の流れに全然関係ないのに、Teddyのこと、つい考えちゃうの、わたしだけじゃないよね?笑)


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1981年、Chris Walter 撮影



☆リーオン・シルヴァーズのプロダクション(Leon Sylvers III Production)
Leon Sylversが居たThe Sylversは、ウエスト・コーストのジャクソン5と言われたグループ。その後、作曲家、プロデューサーとしても大活躍した。



☆Leon Sylvers III Productionのヒット曲(MJファンにはおなじみのシャラマーも!!!)



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1983年、Victory Tour Press Conference



(80年代前半の黒人ポップの)変化に貢献したのは、コンピューターテクノロジーの使用の増大だった。アース・ウィンド・&ファイア、キャメオ、コン・ファンク・シャンといったバンドはどれもホーン・セクションと数個のパーカッション楽器を売り物にしていたが、人間の奏者をシンセサイザーやドラムマシーンに取り替えた。

◎Cameo - Shake Your Pants
◎Con Funk Shun - Ffun
◎Con Funk Shun - Too Tight


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この社会的及び音楽的コンテクストの中で、79年の『オフ・ザ・ウォール』で始まるマイケル・ジャクソンとクインシー・ジョーンズの共同作業はミュージシャンとしての彼の作品にとってと同じくらいにハリウッドでの有力な業界人としての成長にも重要だった。


2009年のMJの旅立ち後から始まり『スリラー』以前の音楽・文化事情を記した「第1部」のメモは、とりあえず、これで終了。

「スリラー/ネルソン・ジョージ(著)、五十嵐正 (翻訳)《2》」につづく

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by yomodalite | 2010-12-28 14:00 | マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(0)

武道的思考/内田樹 ほか・・

誰が日本を支配するのか!?検察と正義の巻

佐藤 優責任(編集),魚住 昭責任(編集)/マガジンハウス



映像夜間中学講義録 イエスタディ・ネヴァー・ノウズ(DVD付)

根本敬/K&Bパブリッシャーズ



ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

ワイルド/光文社



脳と日本人 (文春文庫)

茂木 健一郎,松岡 正剛/文藝春秋




12月は上記の本たちに、すごく心を動かされていたのですけど、ブログには書けませんでした。

『脳と日本人』は、どこをチョイスしたらいいか、わからないぐらい刺激的な箇所が多過ぎて、『夜間中学』にもお世話になって、すっかり生徒気分だったり、オスカー・ワイルドは、『古典を読みなおすぞ!』シリーズの手始めとして、ついでに、MJと、オスカー・ワイルドと、エドガー・アラン・ポーについてだらだら書きたいという野望もあったんだけど・・MJに関しては、ニューアルバムのせいで、それどころじゃなかったり・・(それにしても、まさか『VISION』を買うとは思わなかったなぁ....しかも国内版で)


武道的思考 (筑摩選書)

内田 樹/筑摩書房



下記は、内田樹氏の著書についてのメモ。

第二章 武道的心得より

真の賢者は恐ろしいほどに頭がいいので、他の人がわからないことがすらすらわかるばかりか、自分がわかるはずがないこと(それについてそれまで一度も勉強したこともないし、興味をもったことさえないこと)についても、「あ、それはね」といきなりわかってしまう。

だから、自分でも「ぎくり」とするはずなのである。何でわかっちゃうんだろう。そして、どうやらわれわれの知性というのは「二重底」になっているらしいということに思い至る。

私たちは自分の知らないことを知っている。自分が知っていることについても、どうしてそれを知っているのかを知らない。(中略)

それは、解答するに先立って、私たちの知性の暗黙の次元がそれを「先駆的に解いている」からである。


以前、他人の技を批判してはいけない、と多田先生に教えていただいたことがある。「どうして他人の技を批判してはいけないのですか」と先生にお訊ねしたら、先生は「他人の技を批判しても、自分の技がうまくなるわけではないからだ」と答えられた。そして、「批判して上達するなら、俺だって一日中他人の技を批判しているよ」と破顔一笑されたのである。


「自分のような人間は自分だけである方が自己利益は多い」という考えを現代人の多くは採用している。「オリジナリティ」とか「知的所有権」とか『自分探しの旅」とかいうのはそういうイデオロギーの副産物である。けれども「オリジナルであること」に過大な意味を賦与する人たちは、そのようにして「私のような人間はこの世にできるだけいない方がいい」という呪いを自分自身かけていることを忘れている。

「私のような人間ばかりの世界」で暮らしても「平気」であるように、できれば「そうであったらたいへん快適」であるように自己形成すること、それが「倫理」の究極的な要請だと私は思う。

「世界が私のような人間ばかりだったらいいな」というのが人間が自分自身に与えることのできる最大の祝福である。

でも、これはむずかしい課題である。

ふつうに人は「世界が私のような人間ばかりだったら」気が狂ってしまうからである。他者のいない世界に人間は耐えられない。だから、論理的に考えれば、「私のような人間ばかりでも平気な私」とは「一人の人間の中に多数の他者がごちゃごちゃと混在している人間」だということになる。

一人の人間の中に老人も幼児も、お兄ちゃんもおばさんも、道学者も卑劣漢も、賢者も愚者も、ごちゃごちゃ併存している人間にとってのみ、「自分みたいな人間ばかりでも世界はけっこうにぎやかで風通しがいい」と観じられる。

倫理的とはそういうことだと私は思う。

つねに遵法的で、つねに政治的に正しく、つねに自己を犠牲にして他人のために尽くし、つねににこやかにほほえんでいる人間のことを「倫理的」だと思っているひとがいるが、それは違う。

だって、そんな人で世界が充満していたら私たちはたちまち気が狂ってしまうからだ(少なくとも、私は狂う)だから、「そんな人間」は「倫理的」ではない。「倫理」というのは、字義どおりには「集団を成立たせる理法」のことである。

(引用終了。でも、このあとも重要な文章が続きます)

嫌になるほど、ためになることがてんこもりで、困ってしまう名著。

☆☆☆☆☆(満点)

[目次]
第1章 武道とは何か?
第2章 武道家的心得
第3章 武道の心・技・体
第4章 武士のエートス
第5章 二十一世紀的海国兵談
あとがき 「武道的」ということ

(本書のことを、ブログ掲載の文章から、武道的文脈を編集、加筆したから、とりとめがないとか言うような「バカ」なひとは、わたしの周囲に来ないで!っていう「呪い」をかけておこうっと。そういう「呪い」は、かけてもいいって書いてなかったかな? あれ、逆だったかな.....)
________________

[内容紹介]「いのちがけ」の事態を想定し、高度な殺傷術として洗練されてきた日本の武道。幕末以来、武道はさまざまな歴史的淘汰にさらされ、それに耐え、そのつど「変身」を遂げつつ生き延びてきた。本来の意味は失われても、「心身の感知能力を高め、潜在可能性を開花させるための技法の体系」である武道には、今こそ見るべき叡智が満ちている。──読めば読むほど気持ちがシャキッとして丸くなる、達見の武道論。筑摩書房 (2010/10/15)


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by yomodalite | 2010-12-26 12:40 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(5)

日本のタブー 悪魔の用語辞典(2)/副島隆彦(編著)SNSI副島国家戦楽研究所

悪魔の用語辞典 これだけ知ればあなたも知識人

副島 隆彦,SNSI副島国家戦略研究所/KKベストセラーズ




多くの方が『日本のタブー』というタイトルから、想像する内容とは、すこし異なっていて、

本書は、昨年末に出版された 『悪魔の用語辞典』の第二弾で、巻頭に副島氏の「ヒューマニティーズ(人文)、そしてルネサンス(人間復興)とは何か」という文が、60ページほどあり、その後、副島氏の弟子にあたる方々が、それぞれ、下記のテーマを、通常の辞書ではわからない部分に踏み込んで、解説されているという構成になっています。


【優生思想】eugenics ― 人口削減思想の生みの親(崎谷博征)
【安楽死】euthanasia ― 安楽死は功利主義から生まれた(石井利明)
【薬】drug/medicine ― クスリの大部分は疚しさで出来ている(六城雅敦)
【不老不死】immortal ― 魂だけが不死である(足助友子)
【金融工学】financial engineering ― 市場価格を操作する八百長理論(根尾知史)
【ポジティブ】positiv ― ポジティブ思考を解剖する(中田安彦)
【論理的思考】logical thinking ― 論理(logic)とは“連想”である(下條竜夫)
【教育】education ― 教育とは洗脳である(藤森かよこ)
【リベラル】liberal ― リベラルとは友愛である(吉田祐二)
【説明責任】accountability ― 誰もこの言葉の真の意味を知らない(廣瀬哲雄)
【税金】tax ― 税金は悪であり、廃止されるべきである(佐藤研一朗)
【法の支配】rule of law ― 支配階級の冷徹な意思(中谷央介)
【ロビー活動】lobby ― 薄汚いものだがデモクラシーには必要なもの(古村治彦)
【正規分布】normal distribution ― 平均値という幻想(原岡弘行)
【人口】population ― 本当は恐ろしい「持続可能な社会」(高野淳)
【石油】petroleum / hydrocarbon ― 石油は生物(化石)起源ではない(桑原義明)



「愛」や「正義」といった内容や「悪魔の用語辞典」というわりには、極一部、多少青臭かったり、若さが感じられた、第1弾より、現代的な言葉が並んでいるせいもあり、より洗練された「辞典」になっているように感じました。

本家アンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」のような、風刺精神とか、アイロニカルな雰囲気ではありませんが「オックスフォード英語辞典」を、日本人が理解するための最良ガイドになっていると思います。

帯で見えにくくなっていますが、カバー画は、ロダンの「悪魔の手」が使われています。

また、帯に書いてある、

ランボーの「酩酊船」とは精神病者用の病院船だ

川端康成の『伊豆の踊り子』は少女売春の話だ

ミケランジェロは共和政のために命懸けで戦うフィレンツェ防衛隊長だった。
しかし、自分だけヴェネチアに逃げた思想転向者である。そして偉大な芸術家になった。


という内容は、巻頭の、副島氏による「ヒューマニティーズ(人文)、そしてルネサンス(人間復興)とは何か」という文章にあるのですが、

これは、日本の文学部では教えない、世界文学の真実から始まり、神秘主義とは何か、宗教から、発生した権利、自由思想とは何かを、日本の文学や歴史をも含めて語られていたり、マックス・ウエーバーによる、プロテスタンティズムが、近代資本主義をつくったという「嘘」から、「メディチ家とは何か」、ダンテの「神曲」、ルネサンスとは何かという話題につづきます。

メディチ家の話は、塩野七生さんの多くの本や、マンガの題材としても、また、ダヴィンチを筆頭に、ルネサンス芸術も、日本で人気があるはずなんですが、ミケランジェロについての良書には、これまで出会ったことがなく、この中で挙げられていた、羽仁五郎氏の『ミケルアンヂェロ』と『都市の論理』は読んでみなきゃと思いました。

「ルネサンス」という言葉の意味についての解説があり、ミケランジェロとマキャベリ、コジモ・メディチ、ロレンツォ・メディチ、プラトン・アカデミーから、カバラ、グノーシス派。。。芸術家として、最後にボッティチェルリが登場する、これらの流れが60ページほどで語られています。

この巻頭文は、本当に凝縮した内容で、神と人間という考え方に慣れていない日本人には「ヒューマニティーズ」を、こういった流れで解説された経験がない人が、ほとんどではないかと思いますが、もし、これを読んで、それぐらいのことは知ってたなどと思った人は、鮮やかな解説を読むと、すぐに納得して、共感してしまう、おっちょこちょいな方ではないでしょうか(笑)。

わたしは、副島氏の本を読んでいたおかげで、マイケル・ジャクソンが、めったにいないレベルの相当な読書家だったことに、気づくことが出来、彼がミケランジェロをどう理解していたかが、多少でも想像できるようになったので、彼の絶望の深さも、芸術家として見据えていた山の高さも、少しは把握できたように思います。

一年前の『悪魔の用語辞典』のときと、同じことを、もう一度言います。

My Brother & Sister!2011年は、この本から始めましょう!!!

_________

[出版社による紹介]本当のことこそ、語られない。巧妙に隠される。なぜなら、本当の真実は、たいていの場合、目をそむけたくなるような、恐ろしいことだからだ。

本書のタブーの題材は日本に限定されない。世界、とくに欧米において「常識」であることで、日本人には知らされていないことをたくさん「日本のタブー」として取り上げてある。

それらの真実を知ることは、日本人が生き延びるために必要なことだからだ。

アホな文学好きたちは真実を知らない。世の中は差別と排除とカネの論理で動くのだ。
それなのに、その真実を見ようとしないで、キレイごとだけですませてしまおうとするのは、つまり善人とはただのアホの別名だからだ。

禁忌を破れ! 目を見開いて、この真実を見よ!
この世は本当に、穢〔きたな〕らしいのだ!

[巻頭文の内容]
ヒューマニティーズ(人文)、そしてルネッサンス(人間復興)とは何か ー 副島隆彦
  
・この世で隠されている本当のこと
・言葉を隠して真実を隠そうとする
・文学の世界に隠された差別
・ランボー「酔いどれ船」に隠された真実
・人類の歴史は病原菌との闘いだった
・温泉宿の真実が伝わらない
・ルターが始めた、真実を隠そうとするローマ教会への抵抗
・自由には「貧乏人たち用の自由」と「金持ちたち用の自由」がある
・私、副島隆彦が資本主義の精神のユダヤ先祖返りを解明した
・なぜ日本人はヨーロッパが分からないのか――それはメディチ家を理解しないからだ
・フィレンツェを理解しないとヨーロッパが分からない

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by yomodalite | 2010-12-23 00:13 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

“says with a goofy grin”(5)

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♪やめちゃえいっそ、ヤなことなんて、全速力回避せよ。Gee Gee Gee Gee Baby Baby Baby ...♫(by : 少女時代)

そのとおりだと思う。(また、このつづきは、すべて「ひとりごと」のような内容で、読むと、きっと損すると思うので、こちらも回避をおすすめします)

わたしも、たいていのことは、踊っていれば忘れるし、大体、腹が立てばたつほど、面白いことが言いたくなったりする性格なんだけど、でも、ときどき、一生「表に出ろ!」とか、言わないで、人生を終えるのかと思うと、なんだか、そんなことでいいのか、とも思う。

そういえば、「どうして、スヌーピー?」って聞かれたときに、言い忘れちゃったけど、このタイトルの元になっている、MJ Glassies Collection (5)の最後の方の、MJの発言

"Because he seemed to be always happy!" Jackson says with a goofy grin.

この「goofy grin」っていう言葉を、初めて知ったのが 『PEANUTS』(わたしが持ってるものと違うけど、谷川俊太郎の対訳つきの)で、わたしの記憶の中にある、そのときのスヌーピーの顔と、MJの“goofy grin”が、なんだか重なったような気がしたからなんだけど、でも、パラパラと探してはみたけど、見つからないので、本当に似ていたのか、どうかも、わかんない。

そんなことも含めて、ますます、わけがわからないことを、書きそうになっている、この「カテゴリ」だけど、でも、この件に限らず「わかる」ことなんて、ほとんど、ないけど「わからない」ことは、山のようにあって、本当にわかっていることを、こっそり書いているわけじゃないんだもん。

わからないことは、誰かに聞けば、わかるという人もいるけど、わたしが「知りたい」のは、そういうことじゃなくて、自分にしかわからないことが知りたいんであって、そのためには、自分が何を知らないのかって、意識してないと「わかる」瞬間も来ないし、そのときの喜びも少ない。ということはわかっているのね。

コメント欄で「気にならないひとには、そこは言いたくないんだよね。。スマン!」って言ったせいか、一応曲目を挙げて、メールでも質問してくれた人もいたんだけど、わたしの「耳」と、完全に一致していなかったし、やっぱり「言えない。ごめんね」って感じの返信をしてしまいました。

でも、もし、完全に一致してたとしても、それを「共感」することには、喜びを感じないと思う。だって、わたしは、自分の耳に自信なんてない。

わたしと同じように聴こえたという発言しているのは、今のところ、ひとりしかいないみたいで、そのひとは、自分の耳を信じると言っているけれど、わたしは、そうじゃない。

なぜなら、わたしには『INVINCIBLE』をリアルタイムで買っておきながら、当時は、そんなに傑作だと思わなかったという過去があるし、(正直な話、Breaking Newsを最初に聴いたときの違和感なんて、あの当時、Unbreakable 、2000Watts や、You Rock.. のSFを観たときの違和感と比べれば、全然どうってことないかも。苦笑)

もちろん、今は傑作だと思っているけど、それでも、Unbreakable、Hertbreaker、Invincibleの3曲を冒頭に配置したところとか、彼の、もうスゴいとしか言いようのない挑戦的な姿勢に、なんとかチューニングを併せられるようになったのは、彼が旅立った後で、

しかも、そこは、相当、無理してチューニングを合わせているので、好きとか、嫌いとかっていう感覚とは、まったく違う。

好きとか、嫌いなら、わたしは、リミックスが大好きなので、MJの声が加工してある“Opis None”(Opus None)は、大好きなんだけど、

◎Opis None(歌詞から“Destiny”のリミックスと言われてます) 

今回のアルバムは、欠片が加工してあるのかなって思ってたら「まるごとバナナ?!」風味のがあって、自分でも、未だに「まさか」って気分なんです。(追記:[4]にも追記したように、現在はかなり納得してます)

(でもさ、、、他にも「違和感」感じたこと、今までにだって、何度もあった・・・本物だったのに!!!!!)

「Opis None」のリリースを、ママが知らなかったとかっていう、ジャッキーのTwitterもあったけど、わたしは、てっきり、Estateへの脅しだと思って、AB蔵を脅迫してるひとたちより、はるかに「やるなぁ」って思ってました。そこも真相はわかんないけど、S×××、Estate、ママだったら、やっぱり、ママに一番肩入れしちゃうっていう「心情」だからかな。。。

あんな巨額な契約なのに、10のプロジェクトの中身が、未だに、なんだかはっきりしないのも不思議。発表のタイミングはあるかもしれないけど「契約」に、そんな曖昧さって、あるわけないと思うし、EstateとS×××の力関係も、さっぱりわからない。

このアルバムに関して、今回は「了解」したって書いたけど、もう1枚、これと同じ手法のアルバムを創るっていうことになると、それも、了解しなくてはいけないのかなぁ。。。

Randyと、Taryllのふたりは、ずっと誠実に、疑惑を表明しているけど、彼らからも、発売後に、まだ、はっきりと曲名を挙げてもらっていないので、それが、わたしと同じなのかは、わからない。

また、彼らは、MJのレガシーと愛のために発言しているけれど、わたしは1ファンとして、それに同調することが、そうなるのかどうかわからないし、ファンとしては、これまでに、彼の音楽をたくさん届けてくれた、Teddyの肩をもちたい気持ちが強いんだと思う。

また、アルバムの真贋問題は、今のところ、わたしにとって、それほど魅力的なミステリーじゃない。でも、レガシーの問題と、MJ殺人事件(があったとすれば)には、関係があるので、引っかかっていないわけでもない。

R.Kellyは、本日のTwitterで、

Love is not a fight but it's definitely worth fighting for.

ってつぶやいてたけど、わたしが、MJのことで戦ってもいいと思っているのは、今のところ「顔」のことだけだけど、それだって、わかんないことだらけで、「知りたい」って思ってる気持ちが、ほとんどで、わかってることなんて、ほとんどない。

わからないことを、意識してないと、わかることもないって、思ってるけど、自分が「わかった」って思うことなんて、ほとんど、自分にしか「わからない」ことばっかりだと思う。

勝新のことなんか、MJの顔のことよりも、ずっ〜〜〜〜っと前から、わかんないって思ってたけど、ようやく「来た」のは、彼が、天才だったってことだけだからなぁ。。(笑)

◎The Things I Do For You

みんな、いろいろ考えてるんだと思うんだけど。。。

☆[追記]こちらのとてもとても素敵なブログに
『Michael』についての情報が書かれています!

◎アルバム「MICHAEL」に携わった人々とHis message(1)
◎アルバム「MICHAEL」に携わった人々とHis message(2)

☆[追記]50セントがMJと話したという記事はこちら(コメ欄も参照)
◎Cute Michael Jackson Stories [1]

☆“says with a goofy grin”(6)につづく

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by yomodalite | 2010-12-21 15:05 | goofy grin | Trackback | Comments(0)

“says with a goofy grin”(4)

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♪やっぱ メッチャ! メッチャ!気ニナル Oh Oh Oh Oh Oh!!!(by : 少女時代)♫って気分を、ほんのちょっぴり♡年末進行で(*^-^*)

リストから、わかっていたことだけど、あらためて、ニューアルバムの1曲目が、

“Hold My Hand”で、本当に、本当によかった....

今までの人生で、最高の“クリスマス・ソング”だと思う。

ずっと大好きだった曲だけど、2010年のクリスマスに、世界中の人と一緒に、この曲が聴けるのは、とてもとても、ステキなプレゼントをもらった気がしました。というのが、偽らざる率直な感想です。

でも、一応、ここからは、ブロガー渡世の仁義として、最低限の筋目を通しておきます。ただし、最近あまりにも『座頭市』にハマっていたせいなのか、

何もかも「銀幕」上のことのような気もするので「真実」を求める方は、どうかご注意くださいませ。

ファンが、未発表曲が聴きたいって思うのは、MJが、ありえないレベルの完成度や、No.1ヒットにこだわっていなければ、アルバムに入ってたはずなのに....という「名曲」の存在を知っているからと、アルバム『THIS IS IT』だって、Demo版の3曲のために、買ってしまったひとも多いように、MJの未完成品が、大好きっていう人は、わたしを含めて多いと思う。

それと、最初は、2007年前後に、MJが創っていた「アルバム」を、想像していたのに、ウィルは、早々に出さないって宣言しちゃうし、ロドニーも、いつの間にか、名前が挙がらなくなったと思ったら、ものすごい勢いで、Teddyが出てきて、なぜ、そんなに、Cascioの曲を???とか、

どうして、MJ以外の人が「仕上げ」をして、完成品にしなくちゃいけないのかっていう疑問があったんだけど、、、それに関しては、今、この出来上がった「アルバム」を聴いて、わたしは納得しました。

ジャスティス系の人は、とにかく、S×××!!!(憎)って感じだけど、わたしには、S×××の顔が見えないせいなのか、今回のアルバムには、McClain&Brancaの“豪腕”と、Teddyの“仕事”しか感じられませんでした。

そんなこともあって、わたしの中では、このアルバム(とS×××)へのわだかまりは、発売前から消えかかっていて、そのことは、“says with a goofy grin”(3)でも書きましたが、その前の、“says with a goofy grin”(2)に書いた、「ATV」と「Mijac」について。(曲名検索でひっかりたくないので、曲順のみ)

1. AkonとC.kellyの曲なので、そこ+「S×××ATV」
2. Mijac
3. Mijac+Jab Me Music
4. Mijac
5. Mijac+Jab Me Music
6. Mijac
7. Mijac+Jab Me Music
8. Lenny Kravits / Miss Bessie Music
9. Mijacと「S×××ATV」とR.Sakamotoの権利者
10. Mijac

で、結局、Cascioトラックは、Mijac+Jab Me Musicということになっていて、このJab Me Musicが、何なのかわからないんですけど(CascioはS×××と作曲家契約してるんじゃないの?)S×××が、都合いいように、ガメたっていうこともわからないし、とにかく何もわかりません(笑)

なんで、そんなに、Cascioの曲を?という疑問は、S×××が、Cascioと作曲家契約をしてるという情報からも、怪しんではみたんだけど、やっぱり、それが、S×××の“Conspiracy”に繋がるかっていうと、ぜいぜい、ビジネスなんじゃない?ってぐらいにしか感じられないので、

わたしには、S×××ATVに関しての“Conspiracy”は、わからないってことで、結論とします(謝)それ以外の“Conspiracy”に関しては、気が向いたら、考えることにします。

それとは別に、Cascioトラックは、本当にMJの作品なのか?っていう疑問なんですけど、

Cascioトラックは、曲名も、途中段階のタイトルに思えたし、Teddyが、MJの声はMelodyne(メロダイン:音程修正ソフト)で、加工してある発言とか、やっぱり、どうして、そこまでして「完成」させなくてはいけないのか、という点が疑問でした。

こちらの、とてもとても素敵なブログに、TeddyのTwitterの和訳があります(感謝!!!)

TeddyのTwitter ☆ http://twitter.com/#!/TeddyRiley1
Teddyの出来立てのFacebook ☆ http://www.facebook.com/OfficialTeddyRiley

わたしは、最初に“Breaking.....”が発表になったときは、声の低さが問題になっていたこともあって、MJの声じゃないとは言い切れなかったし、このアルバムに関しては、いつもと違うっていうところを、むしろ楽しみにしていたので、低い声のMJなんて....♡♡ぐらいの気持ちでした。

でも、とにかく、“7EV××”の人のことは、全然疑ってなかったんです。“Braking.....”をネットで聴いたときは、彼の声には聴こえなかったので。でも、CDで聴いたら・・どの曲かは言いませんが、どうしても、“あの人”が歌っているように聴こえる曲があるんですよね・・

そこは、偽らざるをえない感想として、迷ったけど、書いておくことにします。

なんていうのか、このアルバムは、ジョンが亡くなった後、見つかったテープから、メンバーが完成させた、この曲とは「創り方」というか「発想」がちがうと思うんです。

◎The Beatles - "Real Love"

(リアルタイムでのファンでないせいなのか、わたしはビートルズの曲で、この曲が一番好きです。“Hold My Hand”も、この曲でMJのことが好きになったり、これから10数年後にも、この曲が一番好きだという人が、大勢現れるほどの“力”がある曲のような気がするので、やっぱり、アルバム全体としては全然違うとは言えないかも。。)

Cascioトラックが、未完成品の中でも、完成度において、欠片のような状態なのでは?という疑惑も、どんどん進んで、どうして、そんなにまでして、欠片のような未完成品を「完成」させなくてはいけないのか?という疑問に、納得できるような説には、最後まで辿り着けませんでした。

でも、

上記に書いたように、MJの声じゃないって思ってる曲は、確かにあるし、MJ品質じゃない部分もある。とにかく、これまでとは違う作品であることは間違いないのだけど、不思議と「了解」したって、感じなんだなぁ。。。

2012年追記:何度も聴いてるちに、すっかり洗脳されたかw、慣れたせいなんでしょうか。今は全部、MJの声として聴けるようになってます(苦笑)。そっくりさんならもっとMJに似てるはずだし、、Teddyがボーカルを低い声を加工してまで発表させたかったのは、本物だから。と思う方が自然な気がして来て、問題曲も2000 Watts の後に聴くと、やっぱりMJ自身の可能性の方が高い気がして来てます。

これぐらい儲かるんだったら、どんなに大勢から、非難されてもいいってぐらい、Teddyも儲かるのかもしれないし、McClain&Brancaは、もっと儲かるのかもしれない。でも、「夢のあるビジネス」だと感じました。

たったの1500円(輸入版だから)で、めちゃめちゃ楽しませてもらって、文句っていうより、Teddyには、いろいろと、ツッコミを入れつつ、楽しく聴いてます。

勝手に、“ヒーヒー”を足すなーー!とかね(笑)

わたしは、ハマったのが「Dangerous」からなので、Teddyのことは、もちろん好きだけど、でも、ロドニーのような現役感に欠けるし、Cascioトラックが「KARAより踊れなかったら、どうしよう」って不安だったけど、KARAぐらい踊れました!(ほめ言葉です)

MJの作品じゃなくて、跡目を継いだ、MJ組の仕事として考えるなら、Akon、Lennyの曲は、流出騒ぎで迷惑かけた、余所の(S×××組じゃない)組の客人に、筋目を通したって感じもするし、

稼業の方でのファミリーも多いけど、リアルな方も負けないぐらい多いんで、ここを全部丸く納めようなんていうのは、一筋縄ではいかなくて、

ファミリーだけでなく、組の後見人として、長老“Q”のことも気遣ったりとか、ファンからの突き上げとか、到底、ロドニーや、Willには、出来そうにない、仕事をこなしてきた、Teddyには、お疲れさまって言いたいです。

なんで、そう思うのかって言われても、
そこに「愛」を感じたから。としか言えないんだけどね。


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「嘘」でも、愛されているって思いたい。とは全然思わないけど、
愛のある「嘘」は、限りなく「愛」に近いと思うの。。。

やっぱ メッチャ!メッチャ!虜よ Oh Oh Oh Oh Oh!!!


☆SPECIAL THANKS....Let's Enjoy!




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by yomodalite | 2010-12-17 23:57 | goofy grin | Trackback | Comments(3)

MJが、ハンソンのニューアルバムの曲を書いた?

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さて、今日、もっともよく聴いた音楽は、、、ナイショですが (^^;;) 、

昨日もっともよく聴いた音楽を「おすそ分け」します。

Roger Friedmanの情報源なんて、そんなに信用できないし、ほとんどのMJ情報は、信用できないんだけど、MJとHansonっていう“妄想”は、楽しいと思うの♡

ふたりの共通点を、年末進行で、かんたんに説明すると、キュートな少年が、大人になっても男前で、音楽的に、ずっと天才(レベルの差はあるけどね)なこと!

Hansonの次男(Taylor Hanson)は、たぶん、どんな年代の“少女”の疲れも吹き飛ばすパワーがあると思う。。。

では、、、(年代とか年齢は大体のめやすで見てください)

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☆1996〜1997年
(Taylor 13〜14歳)


◎Hanson - MMMBop
(昨日と同じ)

◎Hanson - MMMBop Live
(少年時代の絶叫ライブ)

◎Hanson - Weird
◎Hanson - Where's The Love
◎Hanson - I Will Come To You


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☆2000年(Taylor 17歳)
◎Hanson - This Time Around
◎Hanson - If Only
◎Hanson - LONELY AGAIN



☆2003〜2004年
(Taylor 20〜21歳)


◎"Crazy Beautiful" Live 2003

◎Crazy Beautiful
(映像はThis Time Around)


◎Penny and Me
Official Acoustic(2004)



☆2009年(チープトリックのドラマーや、スマッシュパンプキンのギタリストと一緒に結成した“Tinted Windows”というユニット、Taylor 27歳)

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◎Hanson - "Me, Myself & I" [2010 - Shout It Out]
◎Hanson - Thinking 'Bout Somethin' ☆ファーストシングル


↓映像と年代があってなかったり、キレイな動画じゃなかったりなんですけど、、、
イイ曲多いので、テキトーにぶち込んでおきます。


◎Hanson - Dream Girl(色々な年代の映像)

◎Hanson - GO(ボーカルが、たぶん三男のザック、この子もイイ!)

◎Crazy Beautiful  

◎Hanson "Lost Without Each Other" -Music Video

◎Hanson - If Only LIVE(2003)

◎Hanson - Let You Go

◎Hanson - "Carry You There" [2010- Shout It Out]



☆徹底的に白っぽい音楽の後ですが、昨日ニューアルバムが発売になった(国内版はまだだけど)“KING OF R&B”から、ファンへのLove Letter!(くまに注目♡)


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ランディも、テリーも、カレンも、ラトーヤも、イメージどうりだったけど、
ケルズ(R.Kelly )のイメージはTwitterで↑↑↑したかも♡


◎http://twitter.com/#!/KellZodiac




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by yomodalite | 2010-12-15 21:10 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(6)

12月のきもの

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買わない!!!という、長いマイブームにも、そろそろ飽きてきた、、気もする今日この頃、お出かけ予定の日の天候が悪かったことが連続したりして、しばらくの間、あまり着物を来ていませんでした。

勝新に溺れるあまり、春風亭昇太さんの落語会『古典とわたし』(2010.12.09)のこと書いていなかったのですが、この日の昇太さんは、幕開けはいつもどおり、ハンチングと凝ったデニムの洋服スタイルで、前座の春風亭柳太郎さんを紹介し、古典の「二番煎じ」のときは、美味しい水ようかんのような“あずき色”の羽織に、シャーベットブルーの着物、袖口には、朱色の麻の葉の襦袢に、半襟も薄いピンク色という、遊び人の若旦那のような素敵なスタイル、

次の新作にして昇太師匠の古典「宴会の花道」のときは、高座で生着替え(!)というサービス(?)で、朱色の麻の葉模様の襦袢姿で軽く悩殺された後、“SWA”の赤いユニフォーム(冒頭の写真)に着替えられました。

仲入り後の古典「富久」のときのお着物も、すごく素敵で、半襟が更に濃いピンク(鴇色のような)に代わっていて、3着とも全部ステキだったことは、覚えているんですけど、、「富久」がとても素晴らしかったのと、勝新のせいで、うっかり忘れてしまいました。

まくらは、今日が誕生日だということ、お城のこと(本が出ます!)などと共に、3本通して、海老蔵さんが登場したのですが、御曹司、プレイボーイ、美人妻、新婚、六本木、射手座(昇太さんと同じ)、、という何もかもが、昇太さんの気に障るようで(笑)基本的に「ざまあみろ!」って感じでしたね(爆)

今年は、今までになく昇太師匠のこと、気になっていて、これから、どうされるのかなぁっていう興味があったんですけど、古典も何作か聴いたし、相変わらず、若々しいのと、負けん気の強さも確認したし、多分、来年は、昇太師匠は見に行かないと思う。理由は説明しずらいけど、「アンチエイジング」には、あんまり興味ないからかな。。(今年は、小三治師匠も見逃しちゃったし、、、)

ちなみに、わたしは、この日は、濃茶色の地に黒の縞の大島に、黒の掛襟をして、黒の唐獅子の帯、黒のラメの帯揚げ、バッグとショールがヒョウ柄で、帯留めや、帯飾りは、これでもかってぐらい“デカイ”ゴールド系で、草履はトカゲっていう、超わかりやすい、シスター系(笑)で、キメてみました。

あと、もう少しだけ“妖しげ”な場所(深夜の六本木じゃなくて、用心棒もいないけど...)などに「出入り」の際は、

羽織は着ないで、出来るだけ、派手なファー系のショールと、ロング手袋、帯にキセル入れを、短刀のように差して、そこに、ゴツいキーチェーンを付けます。帯締めとして、レザーを編み込んだような紐をテキトーに結んで、これにチェーンを通します。

これで、帯にはさんだ、キセルを取出すと、同時に若いメンズが競って「火を貸そうとする」はず。。。(なんですが、保証は出来ません)でも、一応、クリスマス・コーデとしては、まあまあウケるのでお試しあれ♡(まったく保証出来ませんが...)

でも、ブログ主は、大体、こんなパターンのマイナーチェンジで、もう何度か、年末を乗り切っていて(泣)流石に飽きてきて、、、

とりあえず、昨日、新宿のゲイの方の御用達ショップみたいなところで、羽根ショールとロング手袋と、でかいコサージュの3点セットを、すべて「真っ赤」で揃えてみました。

あくまで、地味ぃ〜な紬系のキモノを変身させるには?ていう、わたし以外、誰も必要としていない(?)コーデのような気がしますが、、、

派手キャラの方でなければ、意外と、主婦のパーティー用ハレ着としてイケルかも(嘘。絶対に真似しないでください)

ところで、

12月29日から、とうとう、ラストになる、池田重子コレクション『日本のおしゃれ展』始まりますね。。。ホントは、こういうのが理想なんですけど。。。

◎池田重子コレクション 日本のおしゃれ展

着物にはまったく関係ありませんが、「I Like The Way You Love Me」がHansonのためだったって、どこかグッとくるニュースだなぁ...
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by yomodalite | 2010-12-14 16:32 | きもの | Trackback | Comments(0)

俺、勝新太郎(廣済堂文庫)/勝新太郎

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89年版『座頭市』のサントラが欲しくて仕方ないんだけど、なかなか見つからない。。

3本の映画の感想に続いて、今度は「自伝」です。

勝新のスゴさに気づいたのも、まだ、ほんの数日前ですけど、この本は、3本の映画を見終わってから、そういえば、まだ読んでいなかったということに気づき、軽い気持ちで、読み始めました。このブログで、勝新太郎が初めて登場したのは、2007年に読んだ、森繁久彌の『品格と色気と哀愁と』という本で、松岡正剛氏が言っている、

勝新太郎と森繁久弥の関係は、日本の男と男が組合わさった最高の「バサラ数寄」をしでかせる無類の組み合わせなのである。

という感じを実感したいとずっと思っているのですが、森繁久彌氏のことはまだ全然わかりません。

その次が、同じ2007年の水道橋博士の『本業』で、そこで、紹介されていた、山城新伍氏の『おこりんぼ さびしんぼ』で、勝新太郎と若山富三郎の兄弟の物語に感動し、吉田豪氏にも、間接的に影響を受け、春日太一氏の『天才 勝新太郎』と、根本敬氏の『特殊まんが家-前衛の-道』を経て、ようやく、本当に『座頭市』に出会うことができました。

だから、これらの方すべてがバトンを繋いでくれたおかげで、『座頭市』には、出会うことができたんだって感謝していて、水道橋博士が、吉田豪氏を、

吉田豪は相手の99の力を引き出し、100の力で書く、
そして読者に200以上を夢想させる。
 
だからこそ、芸能本史上、最強の聞き手として、300%推薦するしだいである


と評しているように、勝新太郎のスゴさを「本」にするには、きっと、本書きのプロの力が必要だよねって思い込んでいて、本人が書いた「自伝」のこと、すっかり忘れてたんですね。

☆この感想は、図書館で借りた、単行本によるもので、文庫本にある、吉田豪氏の解説はまだ目にしてません(現在、注文中)

ところが、読み始めたら、、、

上記の方々の本はすべて、すごく面白かったのですが、この本はそれらとは別次元。89年の『座頭市』に、どれほど感動したか、表現できないぐらいだって、言った、その感動すらも上回るかと思うぐらい感動してしまって.....

ホントに、もう、どうしたら、いいんだろう。。。(笑)

いったい、どこがって思われている方も多いと思いますけど、勝新がどれほどの「天才」だったかって考えると、比較したくなるのは、もう、あの人ぐらいで、まさか、そこまで天才だったとは====!!!!って、いう感じなんですよねぇ。。。

Usherや、NE-YOは、本当にMJのことリスペクトしてると思うし、真面目だし、ダンスもめちゃくちゃ上手いと思うんですけど、どうして、MJのように感動できないんだろうって不思議に思ったことないですか?

同じ動きの、キレの良さだけなら、Usherの方が、MJより、キレイなんじゃないかと思うこともあるんですけど、でも、どういうわけなのか、MJを観たときと同じような「感動」を得ることはできない。。。(ごめんね。アッシャー♡)

彼らだけじゃなくて、ダンスミュージックの人はみんな「振付け」をこなしているけど、MJだけが違うっていうのは、ファンならわかりますよね?

勝新が、座頭市でやろうとして、実際に完成させたことは、通常の「殺陣」とは、全然ちがっていて、「殺陣」だけじゃなく、セリフも、映像にしたかったものも、音も、とにかく、MJの感覚に限りなく近いと、映画を観終わってから思っていたんです。でも、勝新自ら書いた本から、さらに、そのことが、はっきりと伝わって来ました。

それは「音楽に思考をはさんではダメだ」とか「僕はリズムの奴隷......僕は音になる。ベースになったり、とにかく聴こえてくるいろんな音になって、それを体で表すんだ」とか「ダンスは作るんじゃなく、勝手にできあがる」というようなことが、勝新流に「書いてある」からなんじゃなくて、

この本自体から、「音」が聴こえてきて、「リズム」があって、尚かつ、勝新が綴る文章が、歌舞伎座で、中村吉右衛門を観るよりも、遥かに、うっとりできる「芝居」になっているからなんです。

この、文章から音が聴こえて来るというのは、どうやら、わたしの“電波”によるものだけではないらしく「あとがき」で、勝新自身も語っています。

活字を映像にしたことはある。
映像も活字にすることが出来るだろう。そう思って書き始めた。
勝新太郎の映像が、なかなか現れてこない。
勝新太郎って、どんな人間か、
想像したら、子供のころの俺が、逆回転のフィルムのように現れてきた。
逆回転で書いてみよう。
こんな書き方でまとまるのかな。まとまったらおかしいよ。
勝新太郎を書いて、まとまるなんておかしいよ。

祭り囃子の音が、頭の中で鳴っている。

テレツク テレツク スッテンテン

ドーン ドーン ドンカララ

ヒーリャリャ ヒーリャリャ テレツクテン

こんな音に乗って、赤ん坊の頃から書き始めた。
俺の文章を読んだ人が言った。

「うまく言えませんけど、どうも文章から、なんか音が聴こえてくるんです」

どういう意味なんだろう。
活字から、どんな音が聞こえて来たんだろう。皆さん、教えてよ。

平成4年10月22日 あとがきじゃないよ、音書きですよ。 勝 新太郎


この「あとがき」で、わたしは、もう完全にとどめを刺されたんですが、
(“だじゃれ”でも感動できることってあるんですね)

その4ページ前でも、すでに7インチほど突き刺されていました。

(以下、そのページから抜粋引用)

神が世界を不幸にしたのではない。
神が世界を幸せにするのではない。
神が人間をつくったのではない。
人間が神をつくり、平和をつくり、戦争を起こす。
日本が勝っていたら、
マイケル・ジャクソンが今頃、『佐渡おけさ』を歌わされていたかもしれない。
ぞおっとするね。


勝新、やっぱりMJを意識してた=======!!!

これが書かれた頃、MJはデンジャラス期で、89年は、エリザベス・テーラーが、彼を「The True King of Pop, Rock And Soul」と称した年なんですが、同じ頃、勝新は、プリンスからPVへの出演依頼も受けています。

たしかに、MJの「佐渡おけさ」は、ぞおっとするような気もしますが、日本が負けて、日本ではなくなって行く、そんな時代に、日本の伝統文化を背負っていた「最後のひと」が勝新で、彼は、それを背負いつつも、新たな試みを、たくさん成し遂げ、世界から絶賛された「スター」だったと思います。

この本は、最後の映画『座頭市』から1年後の、拘置所の中から書きはじめられた、
勝新太郎の『獄中記』と言えるもの。

この本の表紙写真も、数々の勝新伝説も、一旦すべて忘れて、
眼を閉じて読んでみてください。


勝新太郎の三味線を聴く
バルテュスと節子・クロソフスカ・ド・ローラ




◎[動画]バルテュス&勝新太郎 Balthus&Shintaro Katsu
◎[動画]竹中労語る 勝新太郎
◎[動画]竹中労語る 勝新太郎 / 芸人論

____________

[単行本・BOOKデータベース]執行猶予四年という手打ちをした俳優が、拘置所の中で、もう一人の自分を見た。真・間・魔・麻…。社外人として書いてみた。痛快・劇薬の書。廣済堂出版 (1992/11)

[文庫版・内容紹介]昭和の名優・勝新太郎の人生録。強烈な人生を駆けぬけた「かつしん」が、ハワイでの逮捕以後、自らの幼少期や役者時代を振り返り、書き下ろした1冊。解説はプロ書評家の吉田豪。

[文庫版・BOOKデータベース]稀代の名優・勝新太郎が書き下ろす破天荒で強烈な人生録。幼少期からの貴重写真も多数掲載。新装版刊行に際して、解説は吉田豪(プロ書評家&プロインタビュアー)が特別寄稿。4000字を超える情報量で、さらなる勝新の魅力に迫る。文庫、改訂版 (2008/8/25)





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by yomodalite | 2010-12-12 19:05 | エッセイ | Trackback | Comments(2)

映画『座頭市』(1989年) 監督・脚本・主演:勝新太郎

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◎Zatoichi - Darkness Is His Ally


時代劇チャンネルの劇場版『座頭市』全26作品完全放送のファイナルで、1989年の『座頭市』を観ました。

前作『笠間の血祭り』から16年後に創られた、この作品は、勝新による『座頭市』のラスト作品。これまでの作品と違い、この作品の公開時は、一応大人だったんですが、当時はまったく興味がありませんでしたし、また、その後に、ときどき興味を持って観てきたシリーズ作品とも、まったく違っていました。

どれほど感動したか、表現できないほどなんですが、今まで、それに気づかなかったことも悔しかったり、とにかくもう、勝新太郎と座頭市に、心を奪われてしまって、ホント困ってます(笑)


☆続きを読む!!
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by yomodalite | 2010-12-10 13:31 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(2)

映画 新座頭市物語『笠間の血祭り』(1973年)

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◎Zatoichi 25 - Zatoichi's Conspiracy (1974)

時代劇チャンネルの劇場版『座頭市』全26作品完全放送のファイナルで、1973年の『笠間の血祭り』を観ました。

このファイナルの3作品だけを観ると、’73年の『笠間の血祭り』が少し違った印象なんですが、それは、この作品だけが、勝新が監督ではないからなんですね。ただし、一般的な『座頭市』ファンにとっては、これが一番『座頭市』ぽくて、ストーリ−的にも、スカッとする要素が強い、エンターテイメント作品のようです。

☆続きを読む!!
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by yomodalite | 2010-12-09 11:16 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite