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初夏から梅雨のきもの

3月から、きものコーデを記録していませんでした。要するに、あんまり代り映えしてないからなんですが、記録しておかないと、益々、何を買増しするべきなのか、とか、代り映えしてないことの、反省にもならないので、ようやく、なんかアップしておくことに。。

去年は、今年こそ、しじらか、縮みを新調すると決意していたはずだったのに、未だにしてないし、お直し品も溜まってきていて、何から手をつけていいか、わからないし、収納の問題も、クリアになってないとか、問題累積中なんですが、解決した数少ないこと問題のひとつである、短かくて、引抜きだった帯を「カクマ」で、作り帯にしたので、とりあえず、そちらを。
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by yomodalite | 2010-06-30 22:12 | きもの | Trackback | Comments(0)

文士のきもの/近藤富枝

文士のきもの

近藤 富枝/河出書房新社




普段、きものを着ていると言うと「昔、お茶を習っていたときはよく着たのだけど...」とか、着ていく場所がないと言われる方が多いのですけど、わたしは、そういう「場所」には、着て行きたくないんです。だって、楽しくないうえに、お金がかかるし、、、

きものを着ることは、わたしの中では、十代の女の子が「ロリータファッション」を着ることと、近いような気がしていて、常にマナーが存在している集まりとか、きものでお出かけする人が非常に多いイベントとかには、なるべく近寄らず、ちょっぴり「異界」を楽しめるような「場」に着ていくことが多いんですね。

残念ながら、日本で一番、きもの人口が多い場所から遠くないところに住んでいるので、周囲から、あまり奇異な目では見られることもない(?)のは、忸怩たるものがあるんですが、気分は、あくまで「コスプレ」なので、どこに着ていっても恥ずかしくないとか、知的な装いなんて「冗談じゃない」というか(笑)「知的に見える」なんて「アホか!」と(笑)つい思ってしまいます。

どうやら、そういった恥ずかしくない装いというのは、なんとなく「武家の奥方」気分のようなんですが、昭和前期から中期にかけて、再発見された「武士」の、更にその「妻」の装いなんて、どんなものなのか、わたしには、全然想像つかないですし、現在行われているような「お茶会」も、千利休と、何の関係があるのかもまったくわかりません。

また、幸田文氏の“きもの”の話も大好きなんですが、幸田氏のおしゃれは「地味は粋の通り抜け」を極意とするもの。「粋」が死に絶えた時代に、そこを通り抜けるなんていうのも、やっぱり、わたしにはわからない。読書傾向からも想像がつくように、超雑食系なので、テーマを絞り込んだり、ひとつの世界を追求するのも苦手なんです。

本書「文士のきもの」には、幸田文氏だけでなく、明治・大正生まれの作家たち自身と、その作品の中の、きものに関する文章が、たくさん集められていて、著者は、明治・大正の文学の研究者にして、きものに関する多数のエッセイで知られる近藤富枝氏。

作家のことを、文士という言い方も、すっかり聞かなくなりましたが、現在の“武家の奥方スタイル”が、怪しげであることとは異なり、“文士”は、きもので暮らしながら、きものが生きていた時代を描いていて、そんな、かろうじて平成の世と繋がりを感じることが出来る歴史と、文化・風俗に触れられる、文学作品が多数引用されています。

・樋口一葉  一節流れるきものへの執着
・田村俊子  妖しさと華麗さと
・永井荷風  “時世粧”の女たち
・谷崎潤一郎  王朝のみやびを求めて
・舟橋聖一  唯美と官能
・立原正秋  紬の強さ、愛の強さ
・川端康成 「あわれな日本の美しさ」
・久保田万太郎  下町の前掛党
・宇野千代  男も大切、きものも大切
・宇野浩二、近松秋江  作家とモデル
・長谷川時雨  きものに託した女の運命
・岡本かの子  きものは人を表す
・夏目漱石  文豪の意外な姿
・幸田文  血縁のなせる業
・尾崎紅葉  装い変われば女も変わる
・円地文子  さりげなく、やさしく
・吉屋信子  すがすがしき少女
・中里恒子  誰に見せる為でもなく

樋口一葉は明治5年生まれ。この頃、鹿鳴館や洋装趣味が始まり、混在文化が生まれた時代ではあるものの、一般には、江戸時代そのままのきもの姿に変わりなく、縞、格子、絣の地味な着物に、襟には普段は黒繻子をかけている。

『十三夜』『たけくらべ』『わかれ道』など、作品の中のきものの描写も興味深いのだけど、一葉自身のきもの写真が面白い。歌塾“萩の舎”の記念写真では、この頃の若い娘の正装は、薄い色の振袖が多いのだけど、裾にも袖にも、華やかな柄はなく、3枚重ね、襟は白襟でなく、刺繍たっぷりの半襟が多く見られる。また、もう成人しているにも関わらず、肩の部分で縫い縮めているところや、まだ、裾が長い時代なので、開いて見せる部分の色の重ね方とか、きものと「正座」がイコールでない時代の座り姿なども興味深い。

この頃の半襟は、襦袢に縫付けておらず、女学生達は、学校の前で刺繍半襟を取って、白襟にしたり、スカーフのように扱っていたようですね。確かに縫付ける手間のせいで、もう白でいいか。ってなっちゃいますからね。

また、一葉以来の大器の女流作家と言われた、田村俊子は『あきらめ』で、当時の女子大生のきものを描いています。この頃の女子大生の袴は、オリーブ色、紫色、海老茶、緑色と色も様々。女性同士の恋愛が盛んだったこの時代には、裾にだけ模様があしらわれたマントに、靴、胸にはネックレス、金のブレスレットに、赤の長襦袢で颯爽と通学する者も少なくなかった。

他にも、紹介されている作品には、女優、芸者、婦人雑誌の女記者、料亭の女将など、様々な階層・職業の“きもの”が存在していて、ますます、コスプレ気分に火がつきそう。

歴史と文学の香り一杯で、女子のオシャレ心をも、刺激するお得な1冊。是非!


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by yomodalite | 2010-06-29 13:37 | きもの | Trackback | Comments(9)

本日はじめて訪問いただいたマイケルファンの方へ

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当ブログで、マイケルファンの方に、評判が良かったのは下記の3つです。
(2010年6月23日記)

☆西寺郷太氏の『マイケル・ジャクソン』(1) 〜(3)
◎西寺郷太氏の『マイケル・ジャクソン』(1)

☆マイケル・ジャクソン裁判 2005.1.31 -3.24〜2005.5.18 - 6.13 までの
4回のシリーズ
◎マイケル・ジャクソン裁判 2005.1.31 -3.24

☆マイケル・ジャクソンの顔について(2)〜
◎マイケル・ジャクソンの顔について(2)
こちらは、一旦(8)を書いてから(ちょっとひと休み)と「反省・まとめ・今後の課題」と、補足を3つを書きました。(7)の後は、そちらを先に読まれた方が(8)以降が、わかりやすいと思います。

また、はじめましての方も、下記のアンケートに参加して頂けると、たいへん嬉しいです




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by yomodalite | 2010-06-23 07:59 | MJ考察系 | Trackback | Comments(19)

『顔』『歴史上の本人』『本人の人々』/南伸坊

このタイトルを見て、これは、「マイケル・ジャクソンの顔」と関係があるかもと、すぐに思われた方、貴方は、わたしと似た人かもw。。

WC期間中、どうしようもない哀しみに襲われたら....そんな万が一の「不幸」に備えるため。そして『黄昏』を読んだあと、南氏の「顔」シリーズを読み直したくなったことと、未読だった『歴史上の本人』に登場する人物を確認しておきたい。そんな気持ちに駆られて、3冊まとめて記録。

南氏が、本人になることで、自然に考え方も似てきて「本人」を疑似体験できるという理論を、実践しているのが『本人』シリーズ。

『歴史上の本人』
こちらは、雑誌「旅」’95年〜’96年までに連載されたものをまとめたもの。

・二宮尊徳 ー 金次郎はなぜ偉い?
・金太郎 ー 金太郎とは何者か?
・仙台四郎 ー この人は誰だ?
・松尾芭蕉 ー 奥の細道の謎
・シーサー ー シーサーは何処から来たか?
・キジムナー ー キジムナーの思想
・徐福 ー 徐福の謎
・聖徳太子 ー 聖徳太子外人説
・大村益次郎 ー ヘンな顔の偉人
・大国主命 ー 亜細亜の白兎
・左甚五郎 ー 甚五郎ってどんな人だ?
・清水次郎長 ー 次郎長、どこが偉いか?
・樋口一葉 ー 誇り高き少女
・西郷隆盛 ー 大人物
・小野道風 ー 蛙を見た日
・天狗 ー 私は天狗だ
・織田信長 ー 人間信長
・運慶 ー 運慶は私だ

この中で、まったく知らなかった「仙台四郎」とは、安政元年生まれで、身体の発育は普通だが言語を理解しない。ただし、妓楼、料理屋、旅館など、客商売をする店舗に、四郎が来ると必ず客が多く来るようになるという評判から「福の神」であったらしい、人物。

また、「シーサーは何処から来たか?」の話題は、個人的に、映画「THIS IS IT」の“Smooth Criminal”SFでの、MJの顔に繋がっていると思っていたこともあってタイムリー。

シーサーは、スフィンクスでもあり、狛犬は、建築家の伊藤忠太氏の説によれば、ライオンであるとのこと。ライオンのいない中国になぜ「獅子」という字があるかといえば、インドから伝えられたからだし、スリランカの古名は、シンハラ(ライオン国)、シンガポールはライオン城の意味。タイのシンハービアーは、ライオンビール。。。

南氏が、シーサーになって、想像したことによると、

シーサーは、中国を経由する前に、直接インドや東南アジアから入ってきたのではないか?獅子→シーサーではなく、シンハー→シーサーという可能性。唐獅子に似たシーサーではなく、赤瓦にのっている稚拙な味わいのシーサーには、南洋の面影がある。バリ島のバロンや、南方から、中国を経て日本に伝わった舞楽面に共通する「顔」である。

こういった、経由は、更紗(インド)が、アオザイ(ベトナム)に影響を与え、日本で更紗を作る職人のことを「沙室師(しゃむろし)」(沙室はタイのこと)と呼ばれ、インド更紗の影響から、日本の友禅が生まれたという可能性と、似た「ルート」を感じました。

さらに、シーサーである南氏(笑)は、

そもそもライオンは、人間の顔に似ていたのだった。人間の顔の中の威厳のある顔に似ていた。だからライオンは「百獣の王」と表現され偉い人の顔にたとえられたのである。

とのことで、やっぱりね〜。(って、なにが?)

映画「THIS IS IT」の“Smooth Criminal”SFでの、MJの顔については、いずれまた。。

それと、下記の『本人の人々』では、女性のなりきり度が低いと書いてしまいましたが、こちらの「樋口一葉」は、すごくいいです!
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「BOOKデータベース」歴史上に類例を見ない本人による歴史ルポ!顔面の人・南伸坊が、その屁理屈を武器に、二宮尊徳、聖徳太子、織田信長、樋口一葉、西郷隆盛、清水次郎長、大村益次郎、運慶ら、歴史上の本人になり、各地を旅した奇天烈本。JTB (1996/12)、文庫版 朝日新聞社 (2000/10)
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『本人の人々』
こちらは、既読だったにもかかわらず、今回もやっぱり笑ってしまいました。2003年に出版されているので、ちょっと懐かしいような「人々」も、当然登場しているのですが、ページを開くだけで、爆笑できる確率の高さは、他の追随をまったく許さない、驚異的なレベルの高さを誇っています。

7年後の今見ても笑えるのは、養老孟司、椎名誠、日野原重明、ベッカム、田中耕一、ドン・小西、手嶋龍一、宮崎駿など「男」に関しては、ほぼ、どんな種類の男に対してもなりきり度が高く、深いところで理解されていて、それと比例し爆笑度も高いんですが、

残念ながら、中村江里子、叶美香、デヴィ夫人、引田天功、梅宮アンナ、アニータ....といった「女」となると、そのセレクト自体が、もともと「ツッコミ」どころが多い人選ということもあり、少しレベルが下がるようです。

そんな中でも、一番理解度が低いと思われる「マイケル・ジャクソン」が一番面白くないと思うのは(やってた!)、わたしがMJファンだからかもしれませんが、、

南氏がこれをやった頃(2002〜2003年)、エイブラム裁判の写真を見てたらね...ま、でも、見てたら、恐れ入って、本人になろうなんて思ってもみないとは思いますがw

そんなわけで、MJ vs.南伸坊の「顔芸」対決は、やっぱりマイケルの勝利!!

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「担当編集者からのコメント」まだノーベル賞選考委員会の方々は気づいていないようですが、「顔面学」(*1)というユニークな分野を切り拓き、画期的な「本人術的理論」(*2)を提唱・実践しているのが、本書の著者・南伸坊さんです。これを広く一般の方々に伝えていこうとするのが本書の狙いですが、決してムズカシイとかヤヤコシイということはありません。ただ、笑っていただければ理解できる仕組みになっています。生きているといろんな顔の人間に出会います。気になる顔もたくさん出現してきます。また、自分にもいろんな顔があることに気づきます。世の中には似た顔の人が3人はいるというふうな伝説まであります。……で? シンボー博士は日々、考えるのです。「オモシロイ」と。本書には、まだまだバラエティ豊かな面々が登場します。どうぞ、ゆっくりとお楽しみください。

*1=顔面と脳の緊密な関係を追究しようとする学問(人は顔を見てその人の個性を読み取るが、その表情を支配するのが脳である)。
*2=外見を似せ、本人になりすますと、自然に考え方も似てきて、「本人」を擬似体験できるという理論。マガジンハウス (2003/11)

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『顔』
こちらは「漫画サンデー」に連載された「顔面科学」を項目別に分類し、再構成したもの
'95年出版。軽いコラムのはずなのに、本の厚みそのままのたっぷり過ぎる内容。これほど顔面に関して網羅した本は他にないかも。

「顔面によるまえがき」

「顔面コラム」/時代劇顔、人面考、若人あきら事件の教訓、この人の前世、顔面回数など。。。

「美人論」/ピカソみたいな顔、美人考、ブス考、平均の顔、普通の顔。。

「ソックリ顔面」/映画より奇なり、不謹慎顔、似てると何故オカシイか?、使用前使用後、何が似せているか、ソックリなのに。。。

「顔面分類考」/オバさん度数、やせても美人、学校顔、十二支顔、顔がコワい偉人、歴史上の同一人物、西郷隆盛の謎、なぜ宇宙人は東洋系か。。

「顔面部品考」/アイメイク考、生え際の魔術、遠山の金さん現象、眉芸、ヒゲの責任論歯できまる顔、顔の形容。。。

「顔面学概論」/顔がデカイ話、万有顔面説、公私の笑い、顔を見る脳ミソ、明治生まれの新人類、快感の表情、顔面認識のカラクリ、まとまらないまままとめ。。。

「顔面によるあとがき」
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「MARCデータベース」顔面的思考とは何か。そして、顔面学とは。ナゾだらけの顔面をあえて理屈の俎にして顔面の人・南伸坊が、いま世に問う珍妙の顔面学事始め。われわれは顔からどんな情報を得ているのだろうか。筑摩書房 (1995/02)

文庫版「 BOOKデータベース」ひとの顔はその人固有のものなのだろうか。古来、自分の顔を見たことのある人はひとりもいないのであるから、顔の解釈は常に他人にゆだねられている。そこで、この本があるのだ。顔の中に別の顔をすべり込ませたり、意外な人たちの類似に深い意味を見出したり、まったく顔が変るほど面白い本。筑摩書房 (1998/01)





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by yomodalite | 2010-06-09 18:34 | エッセイ | Trackback | Comments(4)

スリラーは、なぜ高く評価されているのか?

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みなさんは、アルバム、シングル、ショートフィルム(以下SF)のすべてにおいて、なぜ「スリラー」がベスト1の評価を受けているのか、疑問に思ったことはありませんか?

2010年1月4日から、6夜連続で、NHK-BSで放送されたイギリスBBC制作の音楽ドキュメンタリー『ソウル・ディープ』(黒人音楽の歴史を早足で紹介するという番組)を見たときに感じた違和感を、いち早くブログで表明してくれた吉岡氏は、モータウンサウンドが「都会的」で洗練されていた。だから、白人層にもウケたことを、モータウンサウンドが「白人的」だから、白人に媚びたというような言換えにより、歴史が作られていくということを示唆してくれました。


このドキュメンタリーは6回シリーズだったのですが、なかでも最終回は、驚くほど恣意的で、80年代と90年代をすっかり無視するという造りになっていました。ローリングストーン誌(白人音楽雑誌)は、「スリラー」を80年代のナンバーワンアルバムに選出しましたが、白人文化の衰退が顕著になった90年代も世界的に圧倒的な人気を得た、マイケル・ジャクソン、ジャネット・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストンをなかったことにしたいという意図はあまりにも明らかで、黒人音楽をヒップホップという枠に閉じ込めるという戦略や、歴史改ざんの意図がありありと感じられました。

SFの「スリラー」は、当時、白人音楽しか流さなかったMTVの壁を破り、PVの常識を超える長さ、予算、作品性を備えた初めてのビデオにして、PV自体を「商品」に押し上げたという理由で評価されているということは、みなさんもご存知だと思います。

山登りや、化学的発見と一緒で、最初が一番という価値観は一般的なものですが、黒人で初めてという称号は「スリラー」に限らず、MJには数多くありますし、80年代の記憶がない世代は、こうした情報から「スリラー」が当時、ものすごく斬新な作品であったというように思うかもしれませんが、必ずしもそうとも言えないんですよね。

わたしは、80年代に成人だった世代なんですが、その頃、日本で流れていたミュージックビデオの中で、「スリラー」は確かに圧倒的に有名でで、「スリラー」だけでなく「ビートイット」、「バッド」は、これを流している店はオシャレな店とは言えないというぐらい大衆的過ぎる作品でした。当時はMTVが流れている店が、まだオシャレに見えた時代だったんですが、それはPVが、知的なアイデアや、オシャレ感があって、ちょっとアートなものでもあったからなんですが、それをすっかり大衆的なものに変えたのが、当時のMJでした。

それまでPVは、音楽系のクラブや、ライブハウスなどでしか見られませんでしたが、「スリラー」だけは、街の喫茶店とか、家電店でも見られました。そんなこともあって、ハイティーン以上の洋楽ファンにとって、マイケル・ジャクソンというのは相当異質で、どう捉えていいかわからない存在でもあったんですね。

娯楽映画+ノリの良い音楽+ダンスという組合せは、ファミレスのランチのような最強大衆テイストの実現であり、ビデオ機器の一般化の流れとも合致してすごく売れました。(と言っても、一般家庭の多くがミュージックビデオを買うという時代ではまだなかったと思います)


「オフ・ザ・ウォール」の頃の
SUZUKIのバイクCM




「スリラー」(アルバム)の前の「オフ・ザ・ウォール」は、洋楽ファンに幅広く人気があった作品でしたが、この後の彼を考えると、ウィンクすら出来ない当時のマイケルの初々しさ(ジャクソンズ時代までは芸達者だったMJはオフザ期になるとなぜかシャイになっている?)に目頭が熱くなりますが、「スリラー」は、この2〜3年後。そこからのMJは洋楽という範疇をはるかに超えてしまう人気でした。

これは、あくまでも当時東京に住んでいた、わたしの記憶ですが、アメリカでも、マイケルとPVが一体となって、爆発的に売れたという印象は変わらないと思います。というのも、当時PVで面白いものを創っていたのは、ブリティッシュ・ロック系のアーティストとか、ちょっとアート系の人たちで、アメリカのアーティストのPVには、面白いものがなかったんですね。

80年代のPVで、評価が高かったのは、ゴドレイ&クレーム(Godley & Creme)で、彼らは自分の作品だけでなく、デュラン・デュランや、カルチャークラブ、ポリス、ピーター・ガブリエル、ケイト・ブッシュなどを手がけていて、PVディレクターとして有名でした。

彼らの監督作から、80年代前半を中心に、当時のミュージックビデオを集めてみました。“ニューロマンティック”と呼ばれた、ビジュアル系がビデオ界をリードしていて(ここで取り上げたものはブレイク前のものも多い)、ほとんどがブリティッシュ系でしたが、マイケルも好きで「BAD」以降の彼のファッションにも大きな影響を与えた Adam & The Ants が、アメリカでは一番人気だったような気がします。

◎Visage - Mind Of Toy('81)
◎Duran Duran - Girls On Film
◎Duran Duran - A View To A Kill ('85)
◎Culture Club - Victims ('83)
◎Herbie Hancock/Rock It ('83)
◎Frankie Goes To Hollywood - Two Tribes ('83)
◎Peter Gabriel & Kate Bush - Don't Give Up (Version 1)('86)
◎Peter Gabriel & Kate Bush - Don't Give Up (Version 2)('86)


☆マイケルが好きだった、アダム&ジ・アンツ
◎Adam & The Ants - Kings of the Wild Frontier ('80)
◎Adam & The Ants - Prince Charming ('81)
◎Adam & The Ants - Stand and Deliver ('81)


☆MJの“Black or White”のモーフィングの元案
◎Godley and Creme - Cry('85)

☆ゴドレイ&クレームによる、下記のスティングの曲の元案
◎An English Man in New York ('80)


当時のマイケルの爆発的な大衆性というか、好きだなんて言うとダサいっ!と言われかねなかった感じが少しわかってもらえるでしょうか。

また、黒人だろうと白人だろうと、当時MTV時代のスターは、元々アメリカには少なかったんですね。イギリス系のミュージシャンも成功すると、アメリカに住むというのはありましたけど、純正アメリカンメイドで、ミュージックビデオ時代の先頭を行く可能性があった男性スターは、マイケルとプリンスといういずれも黒人。

中でも、MJは「ウエストサイドストーリー」や「狼男」など、映画やミュージカルといった、純正アメリカ文化を代表するような素材で、MTV時代をリードしようとした唯一のアメリカンタレントでした。

スリラー(シングル)は、スリラー(アルバム)の最後(7曲目)のシングル('84)で、この次のビデオは「BAD」('87)です。

「オフ・ザ・ウォール」以降のマイケル・ジャクソンという存在は、常にPVとセットになっていて、音楽というよりも見たこともないダンスという武器をもった、なにか、まったく「別格」の存在でした。今、MTVを見ていると、ダンスをしないアーティストを探す方が難しいぐらいですけど、当時は、ああいった練習を必要とするダンスを、PVでやっているアーティストはMJだけでした。

そんなわけで、その頃子供だった人と、ダンスに目を奪われた人以外にとって、「スリラー」(SF)に、それほどの価値を認めている人は少なかったと思います。また、ダンスに夢中になった人にとっても、本当に「スリラー」(SF)だったのか?という疑問もあります。だって、「スリラー」では、ムーンウォークやっていませんし・・・

マイケル・ジャクソンと言えば、ムーンウォーク。一般的に、彼を振返るとき、必ずといっていいほど「ムーンウォーク」が語られますが「Billy Jean」('83)、「Beat It」('83)「Thriller」('84)、いずれの映像でも、MJはムーンウォークをやっていません。「BAD」では、バックダンサーが少しだけそれっぽいダンスをしてますが・・・

今、たいていの人は「Billy Jean」というと、SFでなく、ステージでのパフォーマンスを思い出すと思うんですが、80年代前半は、初めて、MJがムーンウォークを披露したとされるモータウン25周年記念コンサートの映像も、当時の日本で見ていた人はそれほど多くはいないはずです。

子供にまで、流行っていたような気がする「ムーンウォーク」ですが、どこで、それほどまでに流行ったんでしょうか。わたしにはその記憶は確かではないんですよね。(誰か教えて♡)

MJは、1987年と88年にバッドツアーで日本に来ていて、日本で一般的にMJ人気が沸騰したのはこの時期だと思います。マイケルに関する特別番組もたくさんあったと思いますし、日本はバッドツアーのオープニングで、その報道は過熱したものだったと思います。「ムーンウォーク」が話題になったり、ビリージーンのステージ映像が日本でたくさん流れたのは、スリラー期ではなく、このときではなかったかと思うんですけど。

わたしは、この頃は、まだ、マイケル「ダサっ!」の方だったんで、まったくファンではありませんでしたけど、当時の日本人ファンにとって、生マイケルと言えば、この「顔」だったと思うんですよね。


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あと、キャプテンEOも、かなりの人が見てファンになったと思います。


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後々、あれだけ整形のことを、しつこく言われるMJですけど、オフザウォールから、バッドまでの変化が1番大きくないですか? 本当にものすごく不思議なんですけど、当時は意外とスルーだったんですよねw

バッドツアーから、彼の人気はますます燃え上がりました。(と言うか、日本での大衆的な人気のピークは「BAD」期だと思います)

その後、最初は素朴感もあり、田舎臭さもあったMJはその後どんどん洗練されて、最初に「ダサっ!」と思っていた、わたしのような人も、「DANGEROUS」の頃には、「ステキ!」と思わせるようになり、90年代以降どんどん1人勝ち状態になっていったはずなんですが、どういうわけだか、彼の歴史を振返るようなときは、いつも「スリラー」が絶頂期のように扱われるんですよね。


Dangerous期のCM「キララ・バッソ」




DangerousのCM
1:30〜





「スリラー」が超絶ブレイクの発端だったことは間違いありませんが、MJの絶頂期や最高傑作が「スリラー」という訳ではないと思うんです。本当に振返ってみると、あまりにもやっていることが一々画期的で、驚くほど完成度が高いのですが、それを理解するのに、まったく説明が必要なく、一瞬で伝わってしまう、というところに、マイケルが「評論」という土壌に乗りにくかったという不幸があるのかもしれません。

また、残念ながら、黒人音楽評論家には(吉岡さんのことではありません)黒人以外の歴史・社会を俯瞰しての「評論」という文体を持った人もいませんでした(商売にならないという意味です)。

長くなりましたが、

「スリラー」が一般的に高く評価されているのは、白人社会が、90年代のMJおよび、黒人文化の洗練と絶大な影響力に対して、素直に認めたくないから。また、黒人社会にとって、MJは史上最大の世界的なスターですから、なんとか「黒人」にしておきたい。このふたつの思惑が合体した「マスコミ」的な答えというのが、その理由ではないでしょうか。

そんなわけで、未だに、そして今後当分の間「スリラー」がMJの最高傑作という「歴史」が創られていくでしょう。そうじゃないのに・・・

それでも、MJの歴史において「スリラー」(SF)の重要性を考えると、この作品から、PVではなく、ショートフィルムになった。ということは言えるのかもしれません。

うっかり、最後までマジメに書いちゃった(・・*)ゞ
みんな、80年代ネタで、コメ欄楽しくしてね♡


☆追記:上記の反省から書いたもの(1〜5まであります)



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by yomodalite | 2010-06-08 19:23 | MJ考察系 | Trackback | Comments(65)

三浦和義 敗れざる者たち/三浦和義、河村シゲル

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本書は、2年前に出版されているんですが、全く注目していませんでしたし、当時、書店で見かけたとしても、絶対手に取ってないと思います。だって、三浦氏の顔のアップとか、あえて、ひらがなの“ぶんか社”とか、もう、何もかも恥ずかしくて、手に取ることも、ましてや、レジに持ってくなんて、絶対無理ですよね?(笑)

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by yomodalite | 2010-06-07 09:35 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(4)

映画『キング・オブ・コメディ』監督:M・スコセッシ、主演:ロバート・デ・ニーロ

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(あらかじめ、お断りいたしますが、この感想は、わたしの日記として書いたもので、映画の感想としては、きっと“的”を外していると思います)

デニーロが主演で、スコセッシ監督による、コメディがテーマの映画。ずっと観なくてはと思ってはいたのだけど、なかなか観られなかった。というのも、デニーロ+スコセッシという組合せによって、わたしの心の糧である“コメディ”に、なにか暗い影が忍び寄って来られたら困ると思っていたから。

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by yomodalite | 2010-06-01 22:16 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite