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マイケル・ジャクソンの顔について(6)Invincible

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(4)の最後の方で書いた「何らかの事情」のひとつは病気に関することになると思いますが、

私が興味があるのは、マイケルが「どのように歴史に残るか」という点で、彼が様々に仕掛けた“イリュージョン”の方により集中して考えてみたいと思っています。

病気や体調不良に気を取られ過ぎてしまうと、この超天才を理解するうえで障害になりかねないのではないかと。

マイケル=尋常生白班は、今や国民の常識だと思いますが、でも、MJがこれを嫌々ながらも告白した後、白くなった肌を更に白くメイクするようになったことは、ファンの間でも意外と理解できていないのではないでしょうか?

また、私が、MJへの誹謗・中傷以外でもっとも問題だなと感じるのは、「彼の良いときを覚えていよう」というような意見。病気説だと、彼の後半生が、どうしてもネガティブになってしまうし、「インヴィンシブル」の素晴らしさを説明しきれないでしょう。

私が、彼の顔について、必死に考えているのは、彼の整形に関して、散々浅はかなことを言いまくった人たちへの、心からの心配(笑)もありますが、「You Rock My Would」のビデオや、サイン会の映像で「インヴィンシブル」への評価を誤った、当時の自分への怒りの方が大きいんです。

わたしたちは、人は見た目が9割。というような現実に生きていますけど、幼い頃から芸能人だったMJは、もっと、そう感じていたはずですよね。

もう一度、マイケル・ジャクソンの顔について(4)で紹介した、MJの死後名乗り出た、顔に重傷の火傷を負った少年のことを思い出してほしいんですが、MJは、この少年が大人になるまで、どんな風に励ましていたんでしょうか?

神が自分を選んでくれたことを自覚し、ハンパない使命感を終世もち続け、キングになることも受容したMJなら、個人的に、この子を可愛がるだけではなく、「世界から偏見をなくさなくては」と、一生懸命になるんじゃないでしょうか?



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“PREJUDICE IS IGNORANCE”
「偏見とは無知なり」
(Black or WhiteロングバージョンSFより)



それと、マイケル・ジャクソンの顔について(6)で、

なぜか、ライブのときは、キモくて、授賞式などは、まあまあで、MJが言いたいような内容のスピーチのときは、美しさに力が入っているように、見えるのは、わたしだけでしょうか?

と、書きましたけど、これに異論はないですか?

「アメリカンバンドスタンド」ライブの4日後、民主党の主催のチャリティーイベント「エブリ・ヴォート・カウンツ」でのライブ、6月14日にジャナー上院議員に会ったときとか、6月15日のソニーのデモもキモくて、戻ったのは、7月6日のウェブスター・ホールのファンパーティーのように見えるので、授賞式、スピーチは微妙なんだけど、ライブがキモイというのは、ハズレがないように思うんですけど。。間違ってたら、早めに教えてね♡

とにかく、、、

キモかったときのことを、あらためて見直してみて思ったのですが、

これって、「演技」じゃないかな? 

三白眼と、病気との関連は大きいとは思いますが、この表情も、浮腫顔も、この頃にはよく見られましたが、インヴィンシブル期以降は見てないと思いません?

わたしが、裁判(2005年)のときのカッコいい写真を、散々見せた後に、これを書き始めた“企み”(笑)に、気づいて欲しいんだけど、

バシールドキュメンタリも「60ミニッツ」も、この頃のキモさとは違うと思いませんか?

「60ミニッツ」で、キモイのは、メイクだけで、2005年1月の声明も、その1ヵ月後の、リベラのインタヴューとか、裁判のときもキレイだし、裁判後は、ヒゲボサは、一杯あるけど、この頃のキモさに戻ったことは、ないでしょうか?


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☆下記のリンクは記事を書いた当時とは別のものに差し替えました。

アルバム「インヴィンシブル」の1曲目が、“Unbreakable” で、最後の曲が “Threatened”。

MJがこのあとの疑惑の再燃や、逮捕までも、想定していたという思うのは、私だけでしょうか?

完璧主義者のMJが「インヴィンシブル」(無敵)を発表してから、バシールの番組をきっかけに裁判が始まったんだよね?(言ってる意味が伝わってるかな・・・)

みんなが疑問に思った変顔SF「You Rock My World」はこんな歌詞でした。

◎和訳 "You Rock My World"

歌詞と音楽をよく聞いてみてね♡


☆(7)に続く



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by yomodalite | 2010-04-23 18:12 | マイケルの顔について | Trackback | Comments(4)

マイケル・ジャクソンの顔について(5)30th Anniversary

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2001年・30周年記念コンサート)




とうとう(5)まで来ちゃいました。

個人的に、ワールドカップまでに一旦ケリをつけなきゃと思って書き始め、MJの白塗りメイク至上、もっとも最悪だった“60ミニッツ”までを書こうと思っているのですけど、想像してたより長くなって困ってます。この時期のマイケルの顔に疑問があって早く答えを知りたい人、ごめんなさい。

でも、

私は、彼の顔について、父親の虐待を聞いただけで、幼児期のトラウマによるものとか、何度か顔が変化して見えるだけで、醜形恐怖で整形を繰り返したに違いないとか、一般心理学を超テキトーに引用しただけで、この超天才を、まるでわかったつもりになっている人たちのように恥を晒したくないので、出来るだけ慎重に考えているつもりなんです。

彼の整形に関して、上記2つの理由に関しては、自信をもって違うと確信していますが、だからと言って、これが真実だと言いきることはできないので、いくつかの仮説を、みなさんと検証していきたいと思っていますので、今後もご意見やご感想をいただけると嬉しいです。

また、彼の音楽に顔なんて関係ないと思っている人も多いでしょう。

でも、彼は天才ミュージシャンだっただけでなく、同じくらい天才パフォーマーで、ソロになった初期の段階で

世界にたった1人しかいない、完全にオリジナルな「顔」を創造したアーティストでした。

私は、彼の顔の変化には重要な意味があるような気がしてならないんです。



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だらだらと引っ張っているようですけど、ここからは、本当に慎重に行きたいんで、どうかよろしく♡ 

それと、あらためてお願いしますが、キモイとかグロいとか、便宜上使わせていただきますので、どうかご理解くださいませ♡

で、さっそくですが、

マイケルの顔のキモい時期の中でも、この30周年記念コンサート(30th Anniversary Celebration, The Solo Years 2001)ほど、造形的にヤバい時期はないと思います。特に客席に座っているときの彼の横顔は、当時キモいを通り越して、グロいとさえ言いたくなるほどの変化が感じられました。

(ここでアップしている写真が、あまりそう見えないのは、MJの奇跡と、私の愛の合体技です)

前回の最後、

この頃の「顔」は、何らかの事情によって変化していて、MJはそれを気にするどころか、むしろ「転んでもただでは起きない」精神で、楽しんでいるのかもしれない。

と書きましたが、別の可能性も捨てきれていないんです。その別の可能性とは、

「彼はあえて醜くしている」(整形かどうかは不明)

というものです。

30周年コンサート前半は、様々なアーティストがMJのヒット曲を彼の前で演じるという構成なのですが、彼らに拍手を贈っている客席のMJの姿は、もうこれ以上見たくないと思ったほど激変していて、当時の私は混乱し、その感情を抑えるために冷めた感情を抱き、スターの哀れな最後を見たような気分でした。私と同じように思った人はとても多かったはずです。

ところが、他のアーティストたちのトリヴュートが終わって、最初にジャクソンズとして登場し、そのあとソロとして登場したMJには、もう、これまでに見たことも感じたこともないほど感動し、衝撃を受けました。わたしが、彼に本当にのめり込んだのは、まさに、このコンサートをTVで見てからなんです。

特に、“The way you make me feel”は、このときが、個人的に一番好きなので、これまでの彼のパフォーマンスと比べてみましょう。(私が当時見たテレビ放送はブリトニー出演Verではない方でした)



(1988年のグラミー賞)





(1997年ヒストリーツアー)




2日間行われた30周年コンサートでは、1日目のブリトニー・スピアーズとの共演では、これまでの「Way you〜」のように、床に寝るパターンでしたが、2日目ではそれがなくなり、あっさりパターンになっています。

あくまで、個人的な感想ですが、30周年のときのMJは、純粋に芸術的存在になりきっているかのようで、これを見た後だと、もう、グラミーやヒストリーツアーのときのカッコいい顔がなんだか邪魔に思えてくるんですね(そんなことないという人が大半だとは思いますがww)。

とにかく、客席では、人間離れした姿にひどく違和感があったんですけど、ステージ上では、その人間離れした感じが、むしろ神懸かり的で、たまらないというか。。。


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一旦、そう見えてしまうと、私にはこの顔の変化が「失敗」なのかどうかわからなくなるんです。実際、私はこれまでとは違った感じでハメられましたし、このときの観客の熱狂もスゴい。。。

こういった感想は少数意見なのかもしれませんが、大多数を取り入れ、少数派も絶対納得させることで、ファンを拡大させてきたMJですし「そこまでやるか」は「THIS IS IT」まで、終世変わらない彼の姿勢だったことを考えると、ありえないとは言い切れないと思うんですね。


Well they say the sky's the limit
And to me that's really true
But my friend you have seen nothin'
Just wait 'til I get through...

人は可能性は無限大だと言う。
僕にとっては正にその通りさ。
でも、友よ、君にはそれが見えていない。
だから僕の言うことを理解するまで待つんだ。

(「BAD」訳詞:マイケルの遺した言葉より)



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一般的に流布されている、彼が「整形を繰り返した」というのは、度重なる整形の結果、もともと可愛い少年で、ハンサムな青年でもあったのに、最終的にまったく理解し難い「変な顔」になってしまったというものですが、

わたしが、彼の顔を年代別にずっと見てきて感じたのは、彼は、ときどき変な顔になるものの、またすぐ元に戻るということです。

バッド、デンジャラス期の顔が、好きな人は多いと思うんですが、その時期でさえ、完全にオリジナルな《顔》でありながら、なぜか普通の美意識をもった女子にすら、カッコいいと思わせたのは、本当に、スゴいことだと思うんですが、彼の鼻は、すでにこの頃から想像しているよりもずっと上を向いています。

その当時から、写真によっては、そんなに角度がついていないものもあったりして、不思議なんですが、とにかく、彼の鼻は、変化したと思っても、しばらくすると、また、この頃の鼻に徐々に戻っているように見えるんです。


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まずは、簡単に見つかると思いますので、30周年記念コンサートのときの写真を、各自でご用意いただけないでしょうか。(意図しない使われ方をしたくないので、ここには貼りません)

ここでの、写真は、厳選して出来るだけ美しいステージ写真を選んでいますが、ステージ上ではなくて、客席にいるときの写真で横顔だったら、更にいいと思います。

で、その写真と、以下を見比べていって欲しいんですが、




Rock & Roll Hall Of Fame(2001.3.19)
(MJ登場は2:19〜)
30周年の5ヵ月前で、
松葉杖姿が確認されたのは3月4日から





ナスダックの市場開始ベルを鳴らす
(30周年コンサートの一週間前。2001.8.30)






この後前回紹介した下記のイベント。

☆「メン・イン・ブラック2」のエージェントM役
(MJの出演が監督の口から洩れたのは、2001.10.19)

☆ヴァージンメガストアでのサイン会(2001.11.7)

ナスダック後にヘアスタイルを変えていますが、もしかしたら、ライブ用ではなく、エージェントM役のために変えたのかも。撮影後と思われる時期のあと、すぐ戻っているし。さらに「You Rock My Would」のSFで、髪にスカーフをしていたのも、もしかしたら、あのチョイ役のためだったりして。



第29回アメリカンミュージックアワード
(2002.1.9)




☆上記から3ヶ月後のアメリカン・バンド・スタンドでの「デンジャラス」のパフォーマンス(2002.4.20)。会場到着、バックステージ、ステージ、全部、顔がキモいので写真はアップしませんが、やっぱりステージはカッコいい!






☆同じ年、ドイツで偉大なアーティストに贈られる「バンビアワード」(2002.11.21)。MJ登場は3:10〜 ファースト老眼鏡は4:00〜。ちなみにこの2日前があの「幼児ぶら下げ事件」です。







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30周年コンサートがあった2001年は、3月6日にオックスフォード大学スピーチがあったり、幼年期の読書と就寝時の読み聞かせを促進する目的の「Michael Jackson International Book Club」(2001.3.25 残念ながら映像も写真もなし)など、今まであまり知られていなかった、MJの知的な面を垣間見られた時期だったと思うのですが、オックスフォードスピーチや、バンビアワードの老眼鏡など、すべて米国以外の場所なんですね。上記を順に見ていくと、

より多くの人が見る米国のテレビ報道のときは、キモい感じで、それ以外のイベントや、イギリスやドイツでは知的な面を見せているようにも見えます。

何度も紹介している「バンビアワード」ですが、スピーチ内容はこんな感じ。

(あまり良い訳ではありませんが)

親愛なるブルダ博士、親愛なるターンホッファー博士、レディース&ジェントルメン。

ドイツには素晴らしい思い出があります。 ベルリンに戻ってきて… ベルリンはエネルギーに満ちあふれていて、私にとって、それはとても特別です。私はベルリンを愛しています!

9月11日は世界を変え、ベルリンの壁は倒れました。 でも、最近新しい壁が造られました。

1989年にドイツの人々は言いました。「私たちは1つの国」だと。私たちはドイツ人であり、アルメニア人です。フランス イタリア、ロシア、アメリカ、アジア、アフリカ… 他にも多くの国があります。 私たちはクリスチャンで、ユダヤ人で、ムスリムで、ヒンズーで、 黒人であり、白人です。 私たちはとても複雑で、しかし、とてもシンプルな共同体であり、戦争など必要としていません。

そして、ドイツの子供に、これを言いたいと思います。

私たちは、あなたが必要です!世界はあなたを必要としているのです!どうか、あなたの夢に向かってください。あなたの理想が何であっても… あなたはなりたいことなら何でもなることができます。 宇宙飛行士、有名な科学者にでも、有名な博士にもなってください。 そして、もちろん芸術家になってください。…たぶん、あなたは私のようにバンビ賞を受けるでしょう。

私がドイツがとても好きで、私の心の特別な場所であるということを知って欲しいと思います。本当にあなたをとても愛しています! 命という贈り物に常に感謝して、 幸せに、そして、楽しんでください。愛しています。


MJはヒストリーツアーでも、フランス4回、イギリス4回に比べて、ドイツは10回で、最多回数のライブを行っています。かつての敵国であることや、統一後のドイツのことも気になっていたのかもしれませんが、日本で多くのツアーを行っている理由にもそれと同じ感情があったのかもしれません。


そして、MJはこの年の年末には、こんな感じになります。


Christmas Message - 2002




しかし、ほっと一安心したのもつかの間、翌年には悪夢のバシールと“60ミニッツ”が待っていました(泣)

さて、2002年の絶好調に思える“バンビアワード”ですが、実はその期間、

もっと絶好調なイベントがあって、そこでのMJは、もっと不思議系で、もしかしたら、バシールや60ミニッツへの見方が変わるかもしれないほどの“謎”が感じられるんですけど

長くなったので、次回に続きます。



《おまけ動画》

☆ほのぼの....“You are not alone”に酔いしれる2歳児
◎2 year old touched by Michael Jackson's music

☆この時期と少し後の彼の横顔がたくさん見られる動画
◎Michael Jackson Father PAI - Paris Jackson, Prince Jackson, Blanket Jackson




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by yomodalite | 2010-04-21 13:55 | マイケルの顔について | Trackback | Comments(9)

マイケル・ジャクソンの顔について(4)Invincible

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冒頭の写真は“Smile”(1997)のプロモーションから。

前回、醜形恐怖ではないことを証明するために時系列がバラバラになってしまったので少し整理します。

◎オプラショー(1993)
◎リサ・マリー・プレスリーと結婚(1994ー1996離婚)
◎アルバム「ヒストリー」(1995)
◎ヒストリーツアー(1996−1997)
◎デビー・ロウと結婚(1996ー1999離婚)
◎長男プリンス誕生(1997.2.14)
◎“20/20”バーバラ・ウォルターズのインタヴュー(1997.9.13)
◎「ヒストリー」ラストシングル「スマイル」発売キャンセル(1997.12.3)
◎長女パリス誕生(1998.4.3)



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リサ・マリ−と離婚し、デビー懐妊後が、セクシー金パンの「ヒストリーツアー」、“20/20”の頃は、プリンスは7ヵ月でした。

しかし、童貞やゲイ疑惑は、結婚、子供誕生を経ても止まらず、マスコミの執拗さも異常ですが、そこまで疑わせる、マイケルの個性も、本当に不思議です。

リサ・マリーや、デビー・ロウという相手も絶妙なチョイスというか(笑)

彼が出演するTV番組のほとんどに共通するのは、冒頭で、これまでに前例がないほどの成功と、老若男女がアーティストとしての素晴らしさを絶賛し、若者の異常なまでの熱狂を紹介した後に、なぜか、驚くほど冷静で挑戦的な態度のインタヴュアーが、ありえないレベルの失礼な質問をする・・・


超失礼なインタヴュー例。
ダイアン・ソーヤー「プライムタイム」(1995)




大衆の熱狂をここまで見せつけられて、それとまったく正反対の態度でいられるのは、マスコミの大衆操作と、あまりにも真逆な存在であるMJに対しての反発というか、怒りなのでしょう。

マスメディアの、大衆を操作しているのは自分たちだという自負心は凄まじいものです。大衆が「マスゴミ」と言い出し、斜陽産業として認識し始めていても、依然として、彼らの「大衆」に対しての傲慢さというのは全然変わってませんからね。

前回、ヒストリーツアーを終えてから、徐々に今までのような「笑顔」を見せてくれなくなった。と書きました。

「ヒストリー Disk2」の最後の曲、「スマイル」のシングル発売とショートフィルム制作もこの頃、キャンセルになっています。


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彼とマスコミとの戦いは、MJのあまりにも明確な目標や使命が、すっかり「神が死に絶えた」現実の中で、まったく真剣に受け止められることがなかったことと、彼自身もそのことを完全にわかったうえで、絶対にあきらめないという姿勢が生んだものだと思うのですが、ダイアン・ソーヤーと、バーバラ・ウォルターズのインタヴュー後、“Smile”発売をキャンセルし、その後、徐々に自然な笑顔がなくなっていったのは、自分だけでなく、妻までバカにされ、子供にまで、という彼の“怒り”スイッチに完全に火がついた、という理由もあったのではないでしょうか。

そして、この頃、彼が表現したかったことは、たくさんあると思うのですが、

▼この時期の代表的な出来事

◎30周年記念コンサート(2001)
◎ファーストシングル「You Rock My Would」のSF
◎ヴァージンメガストアでのサイン会(2001)
◎「メン・イン・ブラック2」のエージェントM役(2002年公開)

この中で、サイン会と、エージェントM、30周年コンサートでは同じ顔でも別の表現をしていると思います。

30周年コンサートは、個人的に思い入れが強いので、先にサイン会等の方を片付けちゃいますね。

まず、サイン会の動画はこちらです。


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このときのMJの顔は、今までにない違和感を感じた人が多いのではないかと思うんですが、彼はKING OF POPと言われるようになってからはやっていなかったレコードショップでのサイン会とか、人の中に入っていこうとしているようです。

このサイン会の見どころは、10代と思われるブロンドの少女を、サイン会後、お持ち帰りしようとする(実際にそうしたかは別として)MJが見られるところなんですがw、普通なら、40過ぎの男の行為として完全に非難されるべきところを、なぜかMJの場合「意外と普通じゃん」と人々を安心させてしまうという点ですね。

「メン・イン・ブラック2」が公開になったのは、翌年 (2002)。


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えっ〜っと、お笑いやるために、「整形」したと言いたいわけではないですよ(笑)
絶対ないとは言いきれませんが(笑)

このとき、この顔のMJの心情はこうだったろう、という想像なんですが、

“THIS IS IT”のスタッフのコメントでも、彼の面白さを語る人が多いですが、私たちは、それをあまり見る機会がなかったですよね。

というか、あまりにも、なんでも「整形」とか「奇人」とかと結びつけて報道されるので、彼の笑いのセンスはなかなか届きにくかったと思うんです。今までエディ・マーフォーや、クリス・タッカーなど、彼は超一流俳優だけでなく、超一流コメディアンといつも付き合っていますし、彼はかなりのお笑い好きです。

「メン・イン・ブラック2」は、1作目が大のお気に入りだったMJが、相当しつこく出たいと迫ったらしく、その熱意に監督が折れて、極わずかながら出演が決まったようなので、この頃、彼が「変な役」を演じることに熱中していたのは間違いないでしょう。

顔の輪郭とか、鼻の角度など、同様の顔は見られても、この頃の表情は、これ以降はまったく見られないのは、「演技」という可能性も捨てきれないと思います。

裁判フォトを見て、気づいた人は多いと思いますが、彼は相当色々な表情をもっていますよね。動画で、同じ日を確認すればわかるのですが、あの短い時間、そして、あの過酷な状況で、あれほどの多才な表情を撮られるというのは、本当にありえないことだと思うんです。

マイケルには毎朝、顔を洗うときですら、鏡を見ているのかどうか怪しいと思われる部分もありますが、演技の研究としては、よく鏡を見て研究をしていたと思える節があるので、それを使いこなせる監督がいなかったことはとても残念で悔やまれますね。

Smileの発売キャンセルは、お笑いに、マジ真剣になっていたMJにとって、

「今“チャップリン”って、ちゃうやろ?」という判断もあったのではと思うのは妄想でしょうか。

注:上記は妄想というか妄言でした。MJは、めちゃめちゃチャップリンを尊敬してますから、ありえないんですけど、一瞬この場で笑いが欲しかったんですw。

チャップリンに関しては、「マイケル・ジャクソンの顔について(16)」をご覧ください。

彼は好きなお笑いとして、いつも「三バカ大将」と答えていましたが、これは、若手女優が、憧れの女優として「夏目雅子」とか、アイドルが「山口百恵」とか、言うのと一緒でエディー兄さんや、クリス兄さんに気を使っているんですよ(笑)

注:これも、上記同様の理由による妄言で、MJと「三バカ大将」については、「MJとThree Stooges」をご覧下さい。

わたしが、この頃のMJから感じるのはローワン・アトキンソンですね。Mr.ビーンの。MJは、昔からチャップリンの物まねはすごく上手でしたが、わたしには、この頃、ローワン・アトキンソンを研究していたマイケルが、かなり、リアルに想像できるんですけど....どうでしょう?







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ローワン・アトキンソン&マーク・レスター



特別番組で「プライベートビデオ」を紹介するMJ





念のためもう一度言っておきますが、お笑いやるために、「整形」したと言ってるわけでは、全然ないですからね。マジでw 確かに、鼻が更に上に向いて、鼻と口の間を伸ばしたようにするというのは、その目的なら、まさに合点がいきますけどね(笑)

とにかく、どうして、この頃、こういう顔になっているのかはわかりませんが、MJはこの顔が「FUNNY」だという自覚はあるんだと思うんです。それと、この1年後がバンビアワードなので、この「顔」の時期はかなり短いんですね(2001年のみ)。

以上のことから、私が納得できるのは、

この頃の「顔」は、何らかの事情で変化しているように見えますが、MJはそれを気にするどころか、むしろ「転んでもただでは起きない」精神で楽しんでいるのかもしれないということです

彼はこの頃、お怒りモードだった。でも、あまりにも洗練されたパフォーマーである彼には、怒りをストレートに表現するなんて、出来ないんだと思います。

お笑い好きなら、笑いが「怒り」の知的で洗練された表現だということは、あたりまえのことでしょう?

と、まあ、そんなこともあるかもしれない。と心に留めて頂いて、

次こそは、「30周年コンサート」について。



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by yomodalite | 2010-04-18 14:07 | マイケルの顔について | Trackback | Comments(7)

マイケル・ジャクソンの顔について(3)オプラウィンフリーショー

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冒頭の写真は2002年のバンビアワードのもの。


では、醜形恐怖症の件がはっきりしたところで、ここからは、「MJの整形は失敗なのか?」について、考えたいと思います。



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まずは、大きく深呼吸して、彼が助けてきた大勢の子供たちのことを想像してみましょう。

ネバーランドの映像によく映っているような子供たちではなく、本当に誰からも見捨てられた可哀想な子供たちの姿です。

例えば、

実の父親にガソリンをかけられ、顔に重傷の火傷を負った少年が、MJの死後名乗り出て、事故直後や、成長後も面倒をみてくれたことを語っている動画・・・





バッドツアーの頃も、毎晩、大勢の担架に乗せられた子供たちが、彼に会いに来ていたようですが、病気が重すぎて頭を上げることすらできないような子供を前にして、スタッフは皆見ていられないという態度をとる中、ステージの直前ですら、マイケルは担架にひざまずき、顔を子供たちの方に寄せて、その出会いをいつまでも忘れないような言葉を贈っていたようです。

当時のマネージャー、フランク・ディレオも顔を背け、涙をぽろぽろこぼしていると、マイケルは、「悲しまないで、泣かないで。僕はこうするためにいるんだから」と答えたそうです。

ヒストリーツアーでも毎晩同じようなことがあったでしょう。そして、今まで以上に、世界中の平和や子供たちの未来を訴えたツアーの後、彼はこれまでのような「笑顔」を見せてくれることが徐々に無くなっていきました。

次に、1993年の「オプラショー」のことを思い出して欲しいんですが、
すぐに思い出せない人は、こちらの動画をご覧ください。

◎マイケルジャクソンオプラウィンフリーショー3
◎マイケルジャクソンオプラウィンフリーショー4
◎マイケルジャクソンオプラウィンフリーショー5
◎マイケルジャクソンオプラウィンフリーショー6
◎マイケルジャクソンオプラウィンフリーショー7
◎マイケルジャクソンオプラウィンフリーショー8

残念ながら、日本語字幕が少し変なだけでなく、途中で終わってるようなので(泣)、思い出して欲しいところを省略して、書き出してみました。

MJ:子供時代がなかったんだ 〜 父の虐待 〜 でも今は父を許してる 〜 マスコミは嘘ばかり...

オプラ:肌を漂白しているって噂があるけど...

MJ:肌の色素が阻害される病気なんだ。遺伝で僕にはどうしようもないんだ・・・

オプラ:あなたって、童貞なの?  

MJ:どうして、そんなこと(照)・・僕はジェントルマンだよ。

ー ステージのある部屋に移る ー

MJ:イエスが子供を見習えって言ったこと、子供を愛し、
子供のみたいにピュアであれって言ったことを大事にしているんだ....


オプラ:(寝たきりの子供がステージや映画を観られる施設に驚く)

MJ:(子供への慈善活動に関して 〜 生ムーンウォーク 〜 「Who is it」のBeat Box 〜 ツアーでの大観衆の熱狂)

「人々の魂の楽器になるーそのために自分が選ばれたことに感謝しています」〜「神の存在を信じてます。心から。」

オプラ:人にはこの世に生を受けた使命があるー私は、そう信じてる。大半の人々は、その目的を探して人生を旅してますが、あなたの使命は何ですか?

MJ:僕の使命?そうですね...人々の心に何かの贈り物をすることー歌やダンスや音楽を通じて...僕は芸術の申し子だと自覚しています。どんな芸術にも究極の使命があると信じます。物質と魂の融合、人間と神との融合、そうした結びつきこそ芸術の存在理由。世界の人々の心に音楽やハーモニーを贈る「魂の楽器」となること。世界中あらゆる世代の人々のために....それが、神が僕を選んでくれた使命です。

このあと、「Give in to me」のビデオが初公開される。






オプラ:“Cause I'm on fire. quench my desire”(僕が興奮していたら、君が沈めてくれよ)って、一体どういう経緯で、この曲が生まれたの?

MJ:僕と一緒で動物好きのスラッシュに参加してもらって、ノリが良くて、ロックコンサート風のVDにしたかったんだ(←カマトトぶって答えをかわすww

オプラ:私がされたお気に入りの質問をあなたにもするわ。「あなたが34歳まで生きてきた中で“何が分ったか”を教えて。

MJ:う〜ん、何が分ったか?・・まだ自分は学んでいる途中です。人生は学ぶことばかり・・今わかっていることは何もないです。はっきりしているのはそれぐらい。

オプラ:(感謝の言葉を述べて)すっかり子供に戻った気分、観覧車に乗りたいわ!(2人で歩きながら外へ)


 
MJ出演のオプラショーと言えば「初めて白班を告白」として有名ですけど、その疑惑に関しては、あまりにもあっさりというか、かなり珍しい病気なのに「色素が破壊される病気なんだ」とだけで、病名もはっきり言ってない。普通、ここは医者に説明させて、エリザベスは出さないよね。

オプラも、新曲の「Give in to me」の刺激的な内容にも関わらず、MJに童貞なの?なんて質問をしていて、相変わらずMJがブルックシールズの名前を出したことには納得が行かないものの、肌の病気の件はすぐに納得して(?)突っ込まず。

もうすでに、Black Or White、Remember The Time、In The Closet、Jam、Heal The Worldも発売後、すっかり白くなり、整形疑惑も肌漂白も散々報道された後なのに、これじゃあファン以外には伝わらないと思うんだけど、それでもMJは言いたくないっていうか、とにかく「病気」と捉えられるのがすごく嫌で、「奇跡」「マジック」として、見てもらいたい。という思いが強く感じられます。

さらにこの後、子供への献身的な慈善活動を紹介したと思ったら、次のビデオでは、超セクシーに「Give in to me(俺にひれ伏せ!)」って(笑)

この番組で、彼が最も主張したかったのは「童貞だと?、ふざけんな!」という叫びだったのかww、と思ったのもつかの間、次は遊園地で乗り物...(笑)

でも、この後「Who is it」で、大人の愛の世界を描いたSFを作り、ヒストリーツアーでは、股間を強調した金パンで、世界中の女子を失神させたり.... やっぱり童貞疑惑は許せなかったんだと思う(笑)

しかし、そのツアーでも、やっぱりセクシーさだけじゃなくて、子供への愛と世界の平和もあれば、SM(ダンサーやギタリストの衣装)もあって、野球もある(笑)といった、なんでもありの「世界」で、それは、彼の現実認識でもあると思います。

彼のアルバムも、映画「ムーンウォーカー」も全部そうですよね。

子供たちの優しいお兄さんでありながら、妖しげな酒場に行き、犯罪に巻き込まれながら、子供を助けて、ロボットに変身(!)、なぜか、その後セクシーなロックスターへ(笑)






この最後の曲がビートルズの「Come Together」というところも、MJの「食えない」ところではないかと・・・

この曲はシュールな内容で、英語話者でも解釈が難しい詩ですが、ドラッグを思わせる隠語や、Got to be a joker・・とか、子供にドラッグ漬けにしようとする悪党と闘ったあとに、それを道徳や正義や潔癖さといったところから回避したいというか・・

(1)の冒頭で紹介したヴィクトリーツアーの顔から、Bad期になって、もっと肌がもっと白くなると、あまりにも普通に美しい白人顔になってしまうので、白人ではありえない(白人以外でもありえないけど)ピーターパン鼻にしてみるとか、

なぜか、ケツあごにした後のBad期の方が、無邪気な子供っぽい笑顔を見せるようになったりするなど、常に相反する2つ以上の面を表現せずにはいられないのがMJだと思います。

大体、この頃からピーターパンってやたら言われてたけど、ケツあごなのにピーターパンって?(笑)その後、MJが赤い口紅をつけるようになったときも、やっぱり、ケツあごのまま、ヒゲの脱毛さえしてないことを見落として「女性願望」とか。。

MJが整形の回数を語るとき、よくアゴのこと忘れるとか、マイケル・ジャクソンの外観にも書かれているけど、なぜか大勢の人も、そこんとこ忘れてますね。

人間の眼というのは、自分にとって都合が良かったり、見たいところしか、見えなかったりするもののようです。

まあ、そんなわけなので、ヒストリーツアーで、何百万人もの女を散々悩殺した後は、また別の「顔」をと、考えるのが、MJだと思うんです。

で、その次の“顔”なんですが、長くなったので、次に続きます。

☆(4)に続く



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by yomodalite | 2010-04-15 22:35 | マイケルの顔について | Trackback | Comments(7)

マイケル・ジャクソンの顔について(2)醜形恐怖はありえない

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☆(1)の続き

冒頭の写真は、ヒストリーツアー後に行われた雑誌表紙撮影
1999年11月29日、TVガイド誌特別号。

新しいアルバム造りとミレニアムに向けて、彼がニュールックを模索していたように見えますね。



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このときのインタヴューの和訳は、こちらのとてもとても素敵なサイト → Interviews → TV GUIDE Interview 1999 をご覧ください

では、ビューティー写真で心を落ち着かせたところで、キモい時期について、みなさんいろいろと思い出される時期があるとは思いますが、やっぱり多くのファンも納得のキモイ時期は、1998年〜2003年ぐらいではないでしょうか。

(注:便宜上、今後も「キモい」「グロい」などの表現をさせていただきますが、ブログ主はMJの真のレガシーを守りたい気持だけは誰にも負けない、勝てるかどうかは別として・・という思いですので、何卒ご了承くださいませ)

中でも、ヒストリーツアーが終わって、アルバム“インヴィンシブル”を完成させ、そのプロモーションと、30周年コンサート(30th Anniversary Celebration, The Solo Years)の頃(〜2001年)のMJは、顔に表情がなく、鼻が更に細く、上を向くようになっていたと思います。これの理由も探りたいのですが、

まずは、彼が極度の醜形恐怖症という心の病を患っていたのか?
という点に関して、はっきりさせたいと思います。




1997年ヒストリーツアー終了間際の9月17日



当時のMJの顔は、ほうれい線の外側が変わりやすいようですね。体重の増減による影響や、病気による浮腫もあるのかもしれません。TV放送時は過酷なワールドツアーの最後の方で激やせしている状態ですが、この直後にツアーは終了し、その4年後に最後のオリジナルアルバム“インヴィンシブル”が発売されます。


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アルバムとしての“HIStory”(ディスク2)は、メディア批判などのストレートな怒りを伴った、悲痛な表現に溢れていると言われていますが、ツアーとしては、デンジャラスツアーより、笑顔が大幅にアップしたMJの「I LOVE YOU〜!」と、ゴールドのセクシー衣装が強く記憶に残っている方が多いと思います。

インヴィンシブルのプロモーション期間は、史上最大の世界ツアーでファンの大歓声を浴び続けた後、これまでのアルバム全てに捨て曲が1曲もないという凄まじい完成度のアルバムを作り続けてきたMJが、さらなる最高傑作を求めてスタジオに籠って集中し続けていた後だったということを、よ〜く頭に入れて見る必要があると思うんです!

“天才”について、わたしたち一般は、天然とか狂気とかをイメージしがちなんですが、MJは非常に自覚的で、狂気に溺れたことはありませんが、とにかく“極端”であるという気はします。

アーティストとしてのスイッチがOFFになることは、多分ないのだと思いますが、パフォーマーとしてのスイッチはON、OFFが本当に極端... と軽く言い訳が済んだところでw

では“20/20”インタヴューから、2年後の写真を見てみましょう。知っている方は見なくてもいいです。彼が「醜形恐怖症」ではないか、と疑っている人のみ、下記のサイトをご覧ください。写真アップしたくないし、リンク出来ないので、場所だけお教えしますね。

後日注:MJのユル〜〜い姿がたくさんアップされているアドレスのみ紹介していましたが、リンク先が消えてしまいました。ただ、他所でもそういった写真は数多く発見できると思います。とにかく、パパラッチ以外のプライヴェートでも、完璧に整えた状態でないどころか、寝起き?とか、髪ボサの状態でも、ごく気軽に撮影に応じている写真が「無数に発見」できるので...

醜形恐怖は「絶対にありえない」んですよね。。

むしろ、そういった写真が多すぎて、少しは醜形恐怖を持ってくれ!って言いたくなるというか(笑)




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(冒頭の雑誌の裏表紙)



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by yomodalite | 2010-04-13 22:56 | マイケルの顔について | Trackback | Comments(16)

マイケル・ジャクソンの顔について(1)

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▲上の写真は、ヴィクトリーツアー(1984年)のパンフのもので、この頃、すでに2回は鼻の整形が終わっていますが、まだあごは割れてません。

▼下の写真は、2004年。あの裁判が始まる前にネバーランドの敷地内でジョナサン・エクスリー(Jonathan Exley)によって撮影されたもの。2009年亡くなってから発売された「ローリングストーン」誌の表紙にもなってます。



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▼こちらは、2007年に撮影された、イタリアの超一流メンズファッション誌「ルオモ・ヴォーグ」誌での特集から。撮影は超有名フォトグラファーのブルース・ウェーバー。




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上記3枚をよく見ていただきたいのですが、肌の色と、ケツあご以外に、顔の造形として、どこか変化しているところがあるでしょうか?

目まぐるしく変化したはずのMJの顔なんですが、どういうわけだか、ほとんど変化がないように見えるのではないでしょうか。

わたしは、これをもって、MJはそんなに整形したわけではないとか、彼の変顔はすべてマスコミのせいなどと言うつもりではないんです。

残念ながら、MJには、確かに “キモい時期” があったと思います。

何故そうなったのか、本当にMJは整形を繰り返したのか?そして、それは「醜形恐怖」や「幼児期のトラウマ」によるものなのか。ということについて考えたいと思っています。

(今日初めて訪問してくれたファンの人どうか怒らないで!ここはファンブログではありませんが、ブログ主は何かにつけてMJのことばかり考えていて、これまで、MJのビューティー写真にはかなり力を入れてきました。他記事もぜひ参照くださいませ。

例えば....

◎MJトライアルファッションショー
◎Happy Birthday Michael!!! 2010
◎Happy Birthday Michael!!! 2011
◎Happy Birthday Michael!!! 2012(Part 1)

など。。)


MJの歴史は、私のブログでは以下のように分類します。

◎Off The Wall 期 (1979 - )
◎Thriller 期(1982- ) ※Victry Tour 1984 - We Are The Would 1985.3.28
◎Bad 期(1987 - )
◎Dangerous 期 (1991- ) 
◎HIStory 期 (1995 - ) ※ヒストリーツアー(1996 - 1997)
◎Invincible 期(2000 - ) ※アルバム発売は2001年。制作期も含めて
◎Trial 期(2004 - )
◎Post Trial 期 (2006 - )
◎This Is It 期 (2009 - )

マスコミ的には、1987年のTV番組「20/20」で整形中毒と言われ、MJ自身がバーバラ・ウォルターズに電話をかけたり、同年のピープル誌「この男は変人か?」、1992年「デイリーミラー」誌の一面「スカーフェイス(傷跡だらけの顔)」(1998年に綿密な調査の結果、傷だらけになっていなかったという謝罪文掲載)など、彼の整形に関しての話題は「Bad」期から激しくなっています。

とはいえ、この頃の彼の整形を “失敗” と考える人は少なく「Dangerous」期までは、多くの人はまだ彼の整形を成功例として捉えていました。

それが、陰りを見せ始めたのが「Invincible」期だと思います。

わたしは彼の死後「整形中毒」と言われていたMJが、求めていた “顔” が何だったのかを知りたくて、来る日も来る日も、彼の顔を探し続けてきたんですけど、彼のキモイ時代は、ほとんどが、この前後の時期のものだということに気づきました。

この頃の主な出来事。

◎TVガイド特別号表紙(1999)無精ヒゲのスタイル

◎オックスフォード大学スピーチ(2001)

◎幼年期の読書と就寝時の読み聞かせを促進する目的により、書籍を手渡し読み書きが出来るようになるように訴える「Michael Jackson International Book Club」設立。

◎ナスダックの市場開始ベルを鳴らす(2001)

◎30周年記念コンサート(2001)

◎「インヴィンシブル」からのファーストシングル「You Rock My Would」のSF

◎「インヴィンシブル」発売記念、ヴァージンメガストアでのサイン会(2001)

◎「メン・イン・ブラック2」のエージェントM役(2002)

◎MJFC主催のパーティー「$ONY」(2002)

◎バルコニーからの子供吊り下げ事件(2002)

◎バンビアワード「ポップアーティストオブザミレニアム」賞受賞(2002)

◎バシールのドキュメンタリー「リヴィング・ウィズ・マイケルジャクソン」(2003)

◎上記への反論「裏切られたマイケルジャクソン〜未公開テープが語る真実」(2003)

◎FOX-TV「マイケル・ジャクソン・プライヴェート・ホームムーヴィー」(2003)

◎BETアワード授賞式で、ジェームズ・ブラウンにアワードを贈る(2003)

◎サンタ・バーバラの空港で逮捕される(2003.11.20)

◎エド・ブラッドリーによる「60ミニッツ」インタヴュー放送(2003)


☆マイケル・ジャクソンの顔について(2)に続く



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by yomodalite | 2010-04-12 00:38 | マイケルの顔について | Trackback | Comments(8)

御家人斬九郎『冬木町の女』

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たぶん、当ブログの検索キーワードランキングで、もっとも長くランクインしている方が『御家人斬九郎』なんですが、あのトム・クルーズが、制作・主演した作品ではなく、本当の「ラストサムライ」は、『御家人斬九郎』ですよね!

時代劇チャンネルで、1月から放送されていたハイビジョン・ニューマスター版全シリーズ完全放送も、ついに終了。(この後、DVD発売という情報を、確かな筋から聞いたはずなのに、まだアナウンスされてない?)

これまでも、「美男・美女」のカテゴリで、6回も取り上げてるんですが(そのうち3回が最終回の「最後の死闘」)、今日は、最終・第5シリーズのラス前『冬木町の女』を。

この作品が好きな人は、きっと多いと思うんです。

純情なアバズレ、美保純演ずる“つや”が、斬九郎に出会って、見る見るうちに可愛くなっていく姿や、芸者の蔦吉との斬九郎をめぐる嫉妬、同じ男を好きになったものどうしが一瞬にして、その女の器量を正確に計りあっている様子が、演技力に長けた、2人の名女優によって見事に演じられているところも見どころですし、

黄昏に佇む“つや”の儚い恋心を、手の込んだ照明と、それに合わせた“つや”の着物。。淡い夢に彩られた、印象深い作品になってます。

つやは、十手持ちを怖がっているところから、冬木弁天堂の周辺で賑わった、並び茶屋の女というよりは、夜鷹に少し近い私娼の感じもするのですが、着物女子としては、斬九郎の頼みにより、夜の冬木町で男を待つときの“つや”の着物など、場面によって、きちんと選ばれている点も、TV時代劇のレベルを超えていて感動しました。

そんなわけで、今回は、いつもより斬九郎が少なめですが... (全20枚)


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(つや)蔦吉さん・・・ごめんね。
(蔦吉)何がさ。
(つや)焼もち灼かせた。


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(蔦吉)・・うん、妬けた
(つや)ほんの少し・・夢みたかったの
(蔦吉)見た?
(つや)・・・静かに頷く


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by yomodalite | 2010-04-07 21:33 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(20)

MJ Glasses Collection (3) ※メガネ動画の和訳あり

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◎MJ Glasses Collection (2)の続き

2005年のおしゃれメガネ写真を紹介したついでに「老眼鏡」動画も。


2002年のバンビアワード
公の場で初めて老眼鏡をかけたときのもの
MJ登場は3:10〜ファースト老眼鏡は4:00〜




裁判後の2006年
中東滞在でリラックスするMJの
自然なメガネの取出し方がたまらない
(低画質)





2007年日本で開催されたVIPパーティー
熱狂的ファンを前にしても
サングラスを取ったのは老眼鏡をかけた極わずかな時間


VIPパーティー翌日のキャンプ座間訪問





以前「メガネ動画」でもアップした
SUN誌のインタヴュー
内容はイジワルですが
長時間メガネMJが見られます。





☆☆☆ここから下は、2010年10月31日に内容を更新しました☆☆☆

◎タイトルとは異なる内容になっている理由は、こちらをお読みください

上記のSUNのインタヴューは、頻繁に消されては、再アップされる動画です。また、この下にあるインタヴューの和訳は、コメント欄の経緯とは別のものに差し換えました。

動画については、詳しくはわかりませんがTV放送はされていない、SUN(雑誌)によるインタヴューだと思います。また、この映像の権利を、当時のマネージャーであるSchaffelが主張しているのは、解雇された元マネージャー、Wiesnerの訴えに対抗するために、Schaffel案によって撮られたからでしょうか。

鎮痛剤の影響により、Wiesnerとの契約を結んだ書類を覚えていないということを、MJは言っていると思います。で、それを映像として押さえ、指揮しているのは、Schaffelのようです。←下記の(注2)参照

インタヴューに登場する、Ronald Konitzerと、Dieter Wiesnerは、MJの元ビジネスパートナー。Dieter Wiesnerは、2003年にpower of attorneyと言われる、完全な委任権をもっていた人物で、Ronald Konitzerは、Wiesnerよりも、さらに前からスタッフだった人物のようです。

◎Ronald Konitzer インタヴュー
◎Dieter Wiesner's official website

上の、Konitzerのインタヴューは、2005年の裁判で、検察とMJの敏腕弁護士Mesereauの両方から告発された(ただし起訴はされていない)ことへの反論だと思われます。

Konitzer&Wiesnerと、Schaffelの3人は、いずれも2005年の裁判で、Mesereauに告発されています。裁判の勝利のために、当時のMJの周囲から彼ひとりを救うためのMesereauの「戦略」だと思いますが・・・私には、Konitzerの「MJもよく知っていた」というのは、嘘ではないように思えます。。

また、こちらのとてもとても素敵なサイトによれば、

2003年の1月にWiesnerとKonitzerは、正式にMJと契約を結び、以前のTrudy GreenとHoward Koffmanを首にして、「MJ Universe」と呼ばれる、カムバック計画に取り組もうとしていたけど、Bashirの"Living with Michael Jackson"の、驚異的な影響に襲われ、Schaffelは、元妻デビーに、MJのためのインタヴューを依頼し(GMTVの独占インタヴュー)、一方、WiesnerとKonitzerは、Janet Arvizoに会ったりしつつ、MJは、WIesner&Konitzerと、Schaffelに、Bashir反論番組の制作を依頼する。

Wiesner & Konitzer(と彼の家族も一緒に)は、ネバーランドに泊り込みで、反論番組の制作に取組み、Janet Arvizoをネバーランドから移動させたり、ウェブにも記載があるNisha Katariaのプロデュースも平行してやっている。2003年6月10日に、MJは、新しい事業顧問として、Charles Kopplemanとも、契約していますが、2003年12月の段階で、MJは、 Wiesner&Kontizerと、Schaffelの3人と、常に連絡を取り合っていたようです。

☆では、下記が、動画の和訳です。

Interviewer: Were you under the influence of drugs or alcohol that impaired your ability to understand what you were doing?
インタヴュアー:あなたは、薬や酒による影響で、判断力に障害がありましたか。

MJ:It could have been medication, yes.
MJ:あったかもしれません、ええ。

Interviewer:Ok what medications were you taking in about January of 2003
インタヴュアー:2003年の1月に、何の薬を飲んでいましたか。

MJ:It could have easily been pain medications because I had some serious injuries on tour.
MJ:鎮痛剤だったと思います。ツアーで深刻な怪我をしたので。

Interviewer:On what tour?
インタヴュアー:何のツアーですか。

MJ: I had a serious fall, it was - i'm not sure it was a tour, it was a show that we did. a benefit show. and I had an accident also at home, so I'm sure it was something to do with that.
MJ:かなり高い所から落下しました、ツアーと言えるかどうか、僕たちが行なった慈善関係のショーでした。それから、家でも怪我をして、それが関係していることは確かです。

Interviewer:And um, so is it your testimony today that you gave a power of attorney to Dieter Wiesner and Ronald Conitzer (sp?) when you were under the influence of prescription medication?
インタヴュアー:今日はあなたが処方箋薬の影響があったときに、Dieter Wiesner とRonald Konitzer(ビジネス・パートナー)に、委任権を与えたことを証明するんですね。

MJ:Could have been, probably.
MJ:そうですね。たぶん。

Interviewer:That's a probably?
インタヴュアー:たぶん?

MJ:Probably, yes, probably.
MJ:そうですね、たぶん、そうです。

Interviewer:Were you impaired by the taking of prescription medications or something else at the time you signed these 2 documents?
インタヴュアー:これらの2つの書類にサインしたとき、あなたは処方箋薬による判断力に障害か何かありましたか。

MJ:Could have been.
MJ:そうですね。

Interviewer:Is that your best recollection, is that you signed these while impaired, not knowing what they meant?
インタヴュアー:判断力の障害によって、それがどういうものか知らずに、あなたがサインしたということを、思い出せるのは、それが精一杯ですか。

MJ:Couldn't really say so, but I'm not...I don't know.... 
MJ:はっきりそうだとは言えないけど、僕は…僕はわからないんです。

Interviewer:How long during 2003 were you impaired because of the taking of prescription medication?
インタヴュアー:あなたがサインしたとき、処方箋薬による判断力の障害はなかったということですか。

MJ:Could have been...I don't know.
MJ:そうかもしれないけど…わかりません。

Interviewer:How long during 2003 were you impaired because of the taking of prescription medication?
インタヴュアー:2003年の間どれくらい処方箋薬による判断力の障害がありましたか。

MJ: I don't know.
MJ:わかりません。

Interviewer:Was it most of 2003?
インタヴュアー:2003年のほとんどですか。

MJ:I'm not sure.
MJ:はっきりわかりません。

Interviewer:Did Dr. F___ prescribe that medication for you?
インタヴュアー:Dr.F__(名前が聞き取れない)があなたに処方した薬ですか。

MJ:No it wasn't F___, I think it was a local.
MJ:いいえ、Dr.F__ではなく、それは地元でだったと思います。

Interviewer:March 31 2003, were you still impaired because of the taking of prescription medication?
インタヴュアー:2003年3月31日、あなたは、まだ処方箋薬による判断力に障害がありましたか。

MJ:Could have been.
MJ:そうかもしれません。

Interviewer:Now during the period of time you were impaired by the taking of prescription medication, was this an impairment that lasted like all your waking hours, or did it come and go?
インタヴュアー:では、処方箋薬による判断力に障害があった期間、あなたは動いている間中ずっと障害がありましたか、それともあったりなかったりでしたか。

MJ:Comes and goes...not all of your waking hours, of course not...yes.
MJ:あったりなかったり…動いている間中ではないです、もちろん違います…はい。

Interviewer:Now during the the period of time you were taking this medication where you weren't impaired, did you ever tell one of your advisors that you were concerned about your impairment and they better watch what you're signing during this period of time?
インタヴュアー:では、この薬を取っている間であなたに障害がなかったとき、あなたは誰かアドバイザーに、あなたが処方箋薬による判断障害を気にかけていること、そして、この時期に何にサインしているか、彼らが注意した方が良いと伝えましたか。

MJ:Not that I recall.
MJ:思い出す限りではしていません。

注1)ツアーというか、慈善関係のショーと言っているのは、たぶん、1999年のヒズ・フレンズ・コンサートのミュンヘンで起きた事故のことだと思われます。ただし、こういった怪我なども、契約とか保険とかに関わるので「表向き」の理由かもしれません。家での事故というのは、厳しい不眠状態のときに、よくあるんですけど、本当に突然、気を失って、頭から落下するように倒れるので、酷い怪我を負うことがあります。

◎http://legend-of-mwfc.la.coocan.jp/ → MJ&Friends '99 →
ミュンヘン(ドイツ)編
___________

MJは、ビジネス・パートナーとして、Kontizer、 Wiesner、Schaffelの3人と契約していましたが、KontizerとWiesnerは、2人一緒に行動していることが多いようです。

3人は、いずれも、Bashirドキュメンタリの後のトラブル・シューティングを任されるのですが、WiesnerとKontizerが、先に解任され、それが不満で、訴えたため、残った(追出した?)Schaffelが、それに対抗しているのでしょうか?

インタビュアーが言っている、委任権(power of attorney)は、本人よりも、権利をもつほどの、権利らしく、これに「無効」を主張するために、このインタヴューは行われているんだと思います。

注2)これが「使われた」時期や、目的に関しては、よくわからないので、Schaffelが、Wiesnerを、MJのために告発したいのではなく、Mesereauの告発後、自分のために「利用している」のかもしれません。(←こっちの方が正しいのかな??)

この動画の見方は、2つあると思います(MJの状態に限定)

1)MJは、大変な権利をもつ書類にも、判断力がなくなるほど、薬の影響があった。

2)鎮痛剤の影響を利用して、Wiesnerの委任権を「無効」にしようとしている。

このときのMJから、ドラッグの影響を感じる人もいるでしょう。ただ、私には、そうは見えないというか、裁判だから、その路線に乗らざるを得ないんだけど、鎮痛剤の影響があったなんて、言いたくないし、仕方なく、「probably」「Could have been」「I dont know」とか、ギリギリのところで、答えているように見えるというか、むしろ、非常に冷静に見えるんですけど、、、

みなさんは、どう思います??

ただ、上記のどちらにしても、MJ側に鎮痛剤中毒を利用せざるを得ない点があったということかなぁ。

当時、Kontizer、 Wiesner、Schaffelは、いずれも、Bashirの番組に対抗する反論番組にも、更に、その後の「プライベート・ムービー」にも、関わっています。Schaffelの例の映画も、この当時に撮られたものですね。

なので、 Wiesner&Kontizerは、自分たちも、これらに関わったのに、最終的にSchaffelに持って行かれ、Schaffelも、当時の状況としては、成功とは言えず、儲けになっていない段階で、解雇され、その後、エステートが美味しいところを持って行った。

って、いうことじゃないかと、思うんですけど、違うかなぁ?

デビーは、Schaffelから依頼されたときは、MJや子供にも会わせてやるとか、MJにすごく感謝されるだろうとか、彼の危機を救ってくれとか、言われたので、喜んでインタヴューを受けたのに、MJからは、何のリアクションもなく、単にSchaffelの金儲けに利用されたように、感じたんじゃないでしょうか。。

◎『マイケル・ジャクソン裁判』/アフロダイテ・ジョーンズ

第24章「“Beat It” デビー・ロウの証言」で、デビーは、自分が行ったインタヴュー映像から、Schaffel、Wiesner、Konitzerが、 お金儲けをしようとしていた。と証言しています。(P398〜400)

こちらのブログ(http://michaels-page.seesaa.net/article/146308686.html)に引用があります。ただし、著書の引用としては限度を超えているので、迷ったのですが、本書を所有している方でも、どの部分か、すぐに思い出して欲しいので、紹介します。

デビー・ロウは、ここで、マイケルの関係者を「日和見主義のハゲタカ」と評しているんですが、わたしは、デビーが、あまりにもナイーブ過ぎると思いました。こういった行為が、ハゲタカだとか、MJが利用されていたってことになるなら、例えば、日本の芸能事務所も含め、タレントのマネジメント事業は、成立たないと思うんですけど。。。

フランク・ディレオ以降のマネージャーが、わかりにくい、ひとつの理由は、MJが、アルバム発売や、ツアーも、ショーも行っていなかったからだと思います。様々な裁判や、逆風から、彼のやりたかったことが、出来なかったという見方も、もちろん出来るのですが、ファンなら、『インヴィンシブル』以降のアルバムは、よほどの完成度に至っていなければ、出すつもりがないことや、子育てに一生懸命だったり、パフォーマンスなども、する気がなかったことなどは、理解できるでしょう。

わたしは、どちらかと言うと、この時期、MJは自分でセーブしていたんじゃないかと思っています。と言っても、静かな生活をさせてはくれないメディアに対して「割れ鍋に綴じふた」的な、仕事は必要ですし、様々な慈善関係の仕事や、今までのショービズ的な仕事とは多少異なる需要のために、MJは彼らと契約していたのではないでしょうか。

仕事として「成立」したら、報酬が受取れるという契約で、余程の仕事でなければ、受けたくないMJと、ビジネスをしようと思っていた、この頃のパートナーが、デビーが言うように、「すべての決断を下し、マイケルに相談せずに、決断を下すことも多かった」というのは、仕方がないことでしょう。仕事が成立する前に、アイデアだけで、解任されたくないですからね。

彼らが、支払いに関する裁判を、悉く起こしているのは、相当な期間を、その仕事に費やしたのに、最終的に報酬が得られなかったからか、努力に見合うものでなかったからで、通常のことのように、思えますし、Raymone K. Bainが、2009年に、エステートを訴えたことも同様なんじゃないでしょうか?

☆Raymone Bain、4400万ドルの損害賠償を求め、MJエステートを訴える
http://newsbizarre.com/2009/05/raymone-bain-michael-jackson-publicist.html

☆Raymone Bainの請求が棄却される
http://yourockmyworld829.blog88.fc2.com/blog-entry-744.html

彼らが、成功しなかったのは、あの頃のMJへの逆風を考えると、致し方ないと思えるし、彼らが、裁判を起こす気持ちは、わからなくもないように思うんだけど、違うかなぁ。。

2人の妻の言っていること(メイクのカレンや、女子ファンへの態度なども、共通する部分があるので、MJは、女性には、そういう風に言いたかったんじゃないかと思います)は、ビジネスを理解してなさ過ぎると、思えてならないんですが、でも、それだからこそ、MJは、リサや、デビーを愛していたのだろうし、信用できたというか、そーゆー人も、周りに欲しかったんじゃないでしょうか。


まっ、とにかく、彼らを庇う理由は、全然ないので「Power of Attorney」に関して詳しい方や、これに関係ありそうな情報、Schaffelらの悪行についてとか、英語が間違ってるとか、色々なご指摘、情報、反論も、大歓迎なので、よろしくお願いします。

あと、「MJ Universe」と言われる企画の内容がわかる方も、是非教えてください。もしかしたら、これは、Schaffelの映画にもあった、ネバーランドに大勢のひとを招待したパーティーのことでしょうか?


☆[2013年追記]「MJ Universe」については、その後出版されたディーター・ウィズナーの著書『素顔のマイケル・ジャクソン』に詳細な記述がありました。

☆☆☆追加更新☆☆☆

Schaffelの悪行について。
Schaffelが、MJ擁護の仕事から一転したのがいつなのか、まだわからないのですが、解雇後に、MJに対して、訴えを起こしている内容から、そのように思われたのではないでしょうか。

例えば、このニュースとか。。。
◎TAPES SHOW TWO SIDES OF JACKO → こちらの要約は、MJ Glasses Collection (5)に掲載。

☆☆☆11月1日追加更新☆☆☆

え〜〜っと、何を書いてるのか、わからない方が、ほとんどでしょうか?ごめんなさい。ホント、まだ資料を読んでいるところで「ある考え」を主張しようとしているわけではないんです。

ここまで書いてきた段階で、あの裁判で、Mesereauが、Schaffelらを告発する理由に関して、まだ、Mesereauの発言を、全然読んでいません(汗)

当然、これは、あとで押さえないといけないんですが、とりあえず、Schaffelらがどんなことを言っているかを、先に読んでいます。

Schaffelらを告発する理由として、Bashirドキュメンタリの契約の際に、彼らが、最初から、Bashirの意図をわかったうえで、MJを嵌めようとしていて、Bashirとの間には、金銭の授受もあり、その後も、味方を装い「反論番組」でも稼ごうとした。

つまり、Bashirとの共謀ですね。これが、金銭の授受などで、はっきりしているんだったら「黒」ですよね。

でも、そこは、わたしは、まだわからなくて、もしかして、Schaffelらと契約したのも、Bashirに騙されたという意見も、Mesereauの戦法としては、MJが無邪気で、鎮痛剤中毒があったからっていう「イメージ」だけで、主張していないかという疑問があったので、もしかしたら、順序が逆なのかもしれませんけど、先に、Schaffel達の主張を見ている段階です。

なので、この後も、もう少しSchaffelらの言い分を更新していくと思いますが、どうかご理解くださいませ。

◎MJ Glasses Collection (4)に続く

☆2010年10月31日より以前の関連記事
◎MJトライアルファッションショー
◎マイケル・ジャクソン裁判 2005.1.31 - 3.24
◎MJ Glasses Collection (1)


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by yomodalite | 2010-04-07 07:04 | goofy grin | Trackback | Comments(13)

MJ Glasses Collection (2)

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▲写真は2005年3月2日

◎MJ Glasses Collection (1)の続き

あまりにも誤解が多い不世出の天才の知られざる魅力について、同時代を生きた者としてやるべきことをやっておきたいんですが、怒りを抑えることも、涙を堪えることも、大量のゴミの山を掻き分けることも時間がかかり、実際、他の読書はあまり出来ていません。

というのも、『マイケル・ジャクソン』は、

複雑な構成を持つ長大な作品で信仰や死、国家と教会、貧困、児童虐待、父子・兄弟・異性関係などさまざまなテーマを含む小説で、「思想小説」「宗教小説」「推理小説」「裁判小説」「家庭小説」「恋愛小説」としても読むことができるからなんです。
(『カラマーゾフの兄弟』ウィキペディアより)


と、軽く言い訳も済んだところで、メガネフェチの方、お待たせしました!!

パート2は、MJのプライベートを彷彿するような様々な表情を、
バリエーション豊富に揃えてみました。


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March 4, 2005▲かなりボケているけど、このときのラトーヤのグラスも超オシャレ。
ファッションも、ミニスカート+ニーハイブーツ!!で素敵なんですけど、
MJとの絡みがないのでアップできず。

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March 14, 2005▲この日はパジャマデーの延期後、再び行われたギャビン証言の日。
やっぱり、勝負服は赤です。

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March 14, 2005▲

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March 14, 2005▲こ、このブレスは、ゲルマニウム配合??

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March 23, 2005▲

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April 1, 2005▲

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April 5, 2005▲

「警察手帳の本物を見るのははじめてだ。この機会にもっとよく見せてくれないか?」

『天才数学者の事件簿』主演:マイケル・ジャクソン

(本当は御手洗潔の語録より)

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April 6, 2005▲

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April 7, 2005▲

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April 8, 2005▲

「世の中に、天才という人種と、そうでない人種との二種類がいるわけではないのです。
確かに今ぼくには自然界の精霊と交信する能力が与えられています。

でもそれは、他にこういう役割を担えそうな人物が見当たらないから、
たまたま僕にその役が割り振られているに過ぎない。
もっとふさわしい人物がほかに現れれば、この役はそっちへ移るでしょう。

天才というのはね教授、歴史上のほんの一瞬、大勢の人間がこぞって間違った道へ
入り込んでいるとき、天がこれを救済できそうな一人の道化に与える、
気まぐれの別名なのです」


(御手洗潔の語録より)

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April 12, 2005▲

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April 20, 2005▲

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April 27, 2005▲

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April 28, 2005▲

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May 5, 2005▲

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May 10, 2005▲

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May 13, 2005▲

「すっかり食べる事を忘れてた。人間不便なものだな、
食べたり眠ったりする無駄な時間を節約できたら、
人間はもっとすごい事がやれるのに」


(御手洗潔の語録より)



◎MJ Glasses Collection (3)に続く


☆関連記事
◎MJトライアルファッションショー
◎マイケル・ジャクソン裁判 2005.1.31 - 3.24
◎MJ Glasses Collection (1)






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by yomodalite | 2010-04-06 07:32 | マイケルジャクソン裁判 | Trackback | Comments(4)

マイケル・ジャクソン裁判(2005年の動画)

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2005年の関連動画を集めました。
写真はすべて2005年5月6日のもの。


裁判前のMJによる声明




FOX-TV
ジェネラル・リベラのインタビュー
(2005年2月5日放送・収録は2005年1月)
Part1〜5まであります。

(INTERVIEWSから、At Large with Geraldo Rivera 2005を選ぶ)


2005年2月の動画





散々報道された3月10日のパジャマデー
(当日は背中の痛みが酷かった)




4月4日のMJとファンの交流映像。
BGMは、We Are The Would(MJソロ・バージョン)




ファンから贈り物をたくさん受取らなくてはいけないのも大変...






5月5日の動画(高画質)





無罪確定の6月13日
極限まで憔悴しきったMJ
歓喜の声を挙げるファン


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by yomodalite | 2010-04-04 07:00 | マイケルジャクソン裁判 | Trackback | Comments(7)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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