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テロリズムの罠 右巻 忍び寄るファシズムの魅力 (角川oneテーマ21)

佐藤 優/角川学芸出版




『テロリズムの罠 左巻』に続き、『テロリズムの罠 右巻ー忍び寄るファシズムの魅力』は、2008年のロシア・グルジア戦争は、国家間の懸案を武力で解決するという傾向を強め、リーマンブラザーズの破綻による世界不況で、各国政府は保護主義政策に傾いているなか、オバマ米大統領が国民を糾合し、国家体制を強化しようとしている姿勢に、危険な要素を感じるところから始まる。

イタリアのムッソリーニによるファシズムと、ナチズムを区別することが重要で、自由主義的な資本主義によって生じる格差拡大、貧困問題、失業問題などを国家の介入によって是正するというかなり知的に高度な操作を必要とするのが、「ファシズム」。

「ファシズムは、欧米の良質な知的伝統を継承した運動なのである。」

しかし結論を先取りしていうとファシズムの処方箋は好ましくない。

著者は、「はじめに」で、ファシズムの美点を紹介し、序章からは、その戦争への危険性を論じるという内容になっている。

序章では、「思想戦」、第1部「血と帝国の思想戦」では、ロシア、中国など社会主義国家の過去と現在を、著者の専門領域ともいえる分析力で読ませられるのですが、第2部「甦るファシズム」では、著者が強い影響を受けている宇野弘蔵のマルクス論を、さらに経済哲学的に考察した滝沢克己が引用されると、私には全くついていけなかった。ちなみに、滝沢克己氏の不安と恐慌の関係についての文章とは、

<じっさい、私のこれまで考えたところでは、右に述べた一点においては、「恐慌」は少しも「不安」と異ならない。相違は、「不安」が客体的主体としての人間の、絶対主体そのものに対する直接の関係のある特定の仕方に伴って避けがたく人間の世界に起こってくる現象であるのに反して、「恐慌」ないし一般に経済的・社会的な不安定は、同じ客体的主体としての限界の内部で、人間以外の個々の客体に対して関係せざるをえないその関係のある特定の仕方に伴って、必然的に人間の世界に起こってくる現象だという点だけなのである。>

この文章は、『「現代」への哲学的思惟ーマルクス哲学と経済学』という著書からの引用。上記でもたった7行の文章に、4回も「人間」とことわっているが、他の文章も、異常に「人間」率の高い文章で、滝沢氏が人間であることを疑わせるほど(笑)。

第2部は、第8章の雨宮処凛、あるいは「希望」の変奏まで、上記のような呑み込み難い文章が続きますが、その後は、厚生事務次官の殺傷事件や、田茂神論文などコンテンポラリーな話題から「あとがき」ー人種主義の足音へと順調にまとめられていますが、読了後は手を付けなければ良かったという印象。佐藤氏には、もうそろそろ、作家としてよりも、日本の優秀な外務省職員として職場復帰してもらいたいと思います。
________________

【BOOKデータベース】ロシア・グルジア戦争、リーマン・ブラザーズの破綻…。新自由主義イデオロギーが駆動するグローバル資本主義のもとで帝国主義化するアメリカ、ロシア、中国など、大国各国の政権と国体の変動を詳細に検証。資本主義の恐慌と過剰な搾取が生み出す社会不安と閉塞感が排外主義・ファシズムへと吸収される、現下の世界情勢の危機を警告する。 角川学芸出版 (2009/2/10)


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by yomodalite | 2009-04-28 15:24 | 政治・外交 | Trackback | Comments(0)

テロリズムの罠 左巻 新自由主義社会の行方 (角川oneテーマ21)

佐藤 優/角川学芸出版



本書は、角川学芸出版のウェブマガジン『WEB国家』に連載されていた「国家への提言」に加筆修正したもの。左巻、右巻と2冊同時出版されていて、それぞれ、左派・右派向けかと思いきや、そうではなくて、左巻は新自由主義、右巻はファシズムをテーマにしている。

左巻きは嫌いだから、右巻だけ読もうと思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、両巻読んだ感想で言えば、左巻から読んだ方がわかりやすい内容になっていて、リーマンブラザーズの破綻を契機に起きた世界不況が、新自由主義に基づくグローバル資本主義の終焉を招くであろうという予測から、新自由主義の見直しの必要性を説いた内容になっている。

佐藤氏は、新自由主義は、国家と社会がもつ暴力性を加速する傾向にある。という。

新自由主義は、生活における貨幣の比重を高めてしまう。貨幣は本性として暴力的であることを認識し、新自由主義が市場による競争で合理的で公正な配分ができるというのは嘘で、市場において、豊かな者と貧しい者では、初期段階でもっている道具や情報に格段に差があることを指摘。宇野弘蔵のマルクス経済学に沿って、新自由主義の行方について語られている。

『テロリズムの罠』というタイトルは、わかりにくいのだけど、

秋葉原無差別殺傷事件は、国家を直接の標的にしていないが、「社会」を標的にしたテロである。テロは社会を弱体化し、国家が収奪する対象である社会が弱体化し基礎体力が衰えると、国家は弱体化する。秋葉原無差別殺傷事件が他のポトスに向けられたときの危険を認識したため、政府は迅速に対応し、派遣労働者に対する法整備を急速に進めた。テロにおびえ、あわてて対症療法するのは弱い国家であり、日本国家の弱体化は、国民の目に明らかになった。格差から生じる不満を政治はどのように理解するべきかを、元官僚であった佐藤氏が考察すると、『国家の罠』を逆さにしたタイトルになった、ということか。

各章により、インテリジェンス、旧ソ連、ロシアについての内容は興味深い点が多いものの、これを『テロリズムの罠』というひとつのパッケージの納め方には、居心地が悪かったり、風呂敷を広げ過ぎた感もあるような。。。

第2章の『蟹工船』異論では、小林多喜二がプロレタリアートの実態を知らずに書いた部分を、雨宮処凛氏との対談などを通して指摘し、第5章の内閣崩壊では、安倍〜福田の内閣の性格とその崩壊を解いている。

あとがきでは、テロとクーデターを避けるためには、日本を愛する人々が、暴力によって「世直し」を試みると、その結果、国家が暴力性を高める。この認識を共有することがテロやクーデターの歯止めになる。そのために思想がもつ力をいまここで発揮しなくてはならない。としているのだけど、どこからも援助されることのない、純粋に「日本を愛する人々」による暴力的な世直し、というものが想像できないし、国家の暴力性には様々な形体(軍隊・警察権力の強化〜税金の収奪、格差の定着)があるが、愛国者の抵抗(テロ・クーデター)は、幅がせまくなる一方であるなら、歯止めが「国家」の弱体化に繋がるかどうか。。。

『国家』本が飽和状態であると出版社側は判断したのだと思うけど、やっぱり本書は『国家への提言』のほうが、すっきりした内容になったと思う。
★★★☆

【目 次】
序章ーなぜいま国家について語らなくてはならないのか
・国民の災厄に備える
・国家権力の本質
・「不可能の可能性」に挑む

第1部ー滞留する殺意 暴力化する国家と社会の論理
 
第1章 国家と社会の殺人
・「社会」へのテロリズム
・「物神」と殺人

第2章 『蟹工船』異論
・「蟹工船」という問題
・葉山嘉樹『海に生くる人々』を読む

第3章 控訴棄却
・鈴木宗男疑惑の本質
・「欲望」する検察

第4章 農本主義の思想
・思想としての「土」
・「農本主義」を再考せよ

第2部ー沈みゆく国家 新自由主義と保守主義の相克

第5章 内閣自壊
・安倍内閣「自壊」の内在的論理
・新自由主義による日本国家・日本国民の簒奪
・ファッショの危機

第6章 情報漏洩
・国家とインテリジェンス
・インテリジェンス戦争

第7章 支持率2パーセントでも政権は維持できる
・求心力なき国家
・信任なき政権、崩壊せず

第8章 北方領土と竹島
・メドベージェフの“シグナル”
・領土問題の交渉術

あとがき テロとクーデターを避けるために
________________

【BOOKデータベース】秋原原無差別殺傷事件、うち続く政権崩壊…。二〇〇七年から「最悪の年」二〇〇八年にかけて起きた国内の数々の事件・出来事、そして一大ブームとなった『蟹工船』の犀利な読解・分析を通じ、日本国家を弱体化すると共に暴力化し、日本社会の中に絶対的貧困とテロリズムへの期待を生み出した新自由主義の内在論理を徹底的に解読する。 角川学芸出版 (2009/2/10)



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by yomodalite | 2009-04-27 15:45 | 政治・外交 | Trackback | Comments(0)

対論・異色昭和史 (PHP新書)

鶴見 俊輔 上坂 冬子/PHP研究所




上坂冬子氏が亡くなったというニュースを数日前に知り、読むべき著作を探していたら、鶴見俊輔氏との対談本が出版されたばかりだという。過日、姉である鶴見和子氏のきもの本に出会い、鶴見俊輔氏のことも思い出していたところだったこともあり、お二人の対談集には惹き付けられました。

異色とありますが、後藤新平の孫で、米内内閣の閣僚を父にもつ鶴見氏は、戦中、戦後の重大事件の内部情報を肌で知っている上に、上坂氏の率直な質問や物言いも加わり、他では聞けない内容が、二人の息のあった対話で進んでいくのが、気持ちいいほど面白い。

87歳の鶴見氏が、今でも天才少年のような若々しい知性を保っているのも驚くのだけど、79歳の上坂氏も少女のような率直さで、先輩の鶴見氏に切り込んでいて、まさか、この対談後まもなく亡くなったとは本当に信じられない。本書で、死後のことを語っている箇所もあるのだけど、まさに遺言どおりに清々しく、そして後に残るものへ、素晴らしい本を残されたことは、立派としか言いようがないです。

「戦時体制には爽やかさがあった」

思想信条が異なると思われていた二人はこのことを共感しあい、戦前真っ暗史観とは異なる昭和史を語り合う。数のうえで言えば「異論」かもしれませんが、戦後アノミーによって病に陥った大半の知識人の中で、健康な知性を持ち続けられたのが、ごく僅かだったというだけ。

上坂氏は“右”鶴見氏は“左”という枠組で語られるお二人ですが、最近のネトウヨ的勘違い保守や、子どもじみたヒステリーサヨクとは一線を画す内容で、めったにない大人どうしのさわやかで濃い内容の対談。

参考サイト↓
極東ブログ[書評]対論・異色昭和史
極東ブログ[書評]対論・異色昭和史 その2
鶴見俊輔の母
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【内容紹介】雑誌『思想の科学』への投稿がきっかけで交流が始まった二人。半世紀ぶりに再会し、語り合った昭和の記憶とは?
鶴見氏は、昭和三年の張作霖爆殺事件の号外を覚えているという。八歳年下の上坂氏が、戦前から戦後の体験談について、根堀り葉掘り質問をぶつける。「米国から帰国したのは愛国心かしら?」と問う上坂氏に、「断じて違う!」と烈火のごとく否定する鶴見氏。
一方で、「戦時体制にも爽やかさがあった」と吐露する上坂氏に対して、「私もそう感じた」と応える鶴見氏。やがて議論は、六〇年安保、べ平連、三島事件、靖国問題へ。六〇年安保のデモ行進に誘われた上坂氏は「後にも先にもデモに参加したのはあれが初めて」と。その後、ノンフィクション作家として自立してゆく。上坂氏の原点に、鶴見氏らとの交流があったというのは興味深い。
現在では護憲派、改憲派という立場を異にする二人だが、いまだからこそ訊ける、話せる逸話が尽きない。圧巻の一六五歳対論! PHP研究所 (2009/4/15)

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by yomodalite | 2009-04-26 22:40 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

落語家はなぜ噺を忘れないのか (角川SSC新書)

柳家 花緑/角川SSコミュニケーションズ



落語家が噛んだところを見た事がない。1時間ぐらいある噺でも、たったひとりで澱みなく話せるというのはいったいどうして?という疑問をもった落語ファンは多いと思います。といっても残念ながら本書は、記憶術に関しての本ではなく、花緑さんの落語論というべき本。花緑さんの真面目なキャラが全開で、落語初心者向けに易しい本です。

師匠で祖父でもある五代目柳家小さんはもちろん、小三治、さん喬、小せん、古今亭志ん朝、立川談志、立川談春、志らく、春風亭昇太、桂米朝などが登場しますが、面白エピソードではなく、それぞれの落語家の修行に関する話題が主。巻末には、花緑版『笠碁』の全文が収録されています。

全編とおして真面目な本なのですが、花緑さん、あとがきで、「私はそうとう「野暮」な落語家です」だって(笑)。野暮を尽くして立派な落語家になりそうな方です。

【目 次】
第1章 落語家はなぜ噺を忘れないのか
第2章 いかにして噺に命を吹き込むか
第3章 落語家にとっての噺の種類
第4章 自分のネタを作る―『笠碁』への挑戦
第5章 伝承芸としての落語
巻末 柳家花緑版『笠碁』―全文収録
_______________

内容(「BOOK」データベースより)落語家が高座に上がるまでにやっていること、高座の上で考えていることを、自らをモデルに明かす。タイトルの「落語家はなぜ噺を忘れないのか」に始まり、「どうやって噺を面白くするのか」「どんな噺が難しいのか」等々、落語にまつわる創意工夫を公開。あまり明かされることのない、落語家の頭の中、手の内を見せる。祖父であり、人間国宝ともなった五代目柳家小さんからの教えも随所に登場。柳家一門および一門を超えて受け継がれていく落語の伝承が感じられる一冊。 角川・エス・エス・コミュニケーションズ (2008/11)

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by yomodalite | 2009-04-21 10:38 | お笑い・落語 | Trackback | Comments(2)

きもの春夏秋冬

山下 悦子/平凡社



こちらは、信頼する女装家 三橋順子氏の「順子の好きな着物エッセイ」での紹介により読んでみました。

著者は1929年生で大塚末子きもの学院院長秘書を経て独立し、きもの教室や裏千家茶道教室を主催しているきもの研究家。フェミニズムの人とは別人です。

今のきものの衰退の元凶ともいえる、着付け教室と茶道教室を両方主催してきた著者の着物への想いが詰まった一冊。

著者が75歳のときに出版されたものですが、読了後に2004年出版と気づいてちょっと驚くほどクラシックな本です。

巷の大手着付け教室や、呉服屋の見識の無さなどを批判的に書いている部分があるのですけど、着付け教室が、着物の権威者として「お洒落」の審査員化していることの野暮に関して、自らには思い当たるところがないようで「結婚式に黒喪服で」の新聞への抗議など、どっちもどっちというか。。

女の衣服や靴に対しての思いは、今も昔もというところはありますけど、特に着物となると、その執念は暗く深みが増していくところがあります。

深すぎて「お洒落」じゃなくなっていった「きもの」、もてなしの心や遊びがすっかりなくなってしまった女たちばかりの「茶道」...著者には「道」はあっても「楽」が感じられない。「道楽」じゃなくなると、なぜか「反知性」の世界になっていくようです。

本書に流れる怨念のような感性をスルーして読まれることをお奨めします。

【内容メモ】

着手は乙姫さま
浅草鳥越の呉服屋で目に留まったきもの。披露宴の受付用と納得し、高額に目をつむり手に入れたそれは、玉糸紬の白地に深い藍の小紋。一幅に四つ並んでくり返される逆波の間隔は三寸。小さい貝、波間の建物は竜宮城、仔細に見てみれば逆巻く波と見えたのは玉手箱の煙だった。機知に溢れた小紋柄に、披露宴に向かないとは思いもしなかった。

数十年たって、京都の高名な染織家から「波に竜宮城の柄は、着手は乙姫さまという意味がある」と教えられた。。。

お召が好き
上野池之端にある有名な帯締めの店「道明」で、「お召し料でいらっしゃいますか」と訊ねられても驚いてはいけない。お召し物はきものの敬語だが、「お召」といえばお召縮緬の略称。縮緬の横しぼに対し、縦にしぼが感じられる。お召の筆頭は西陣お召。中級と言われた桐生お召は絶えたようだ。縞お召、絣お召、縫い取りお召、マジョリカお召。。。様々なお召の流行があった。

桜の帯留め
梅が終わると桜の帯留めを身につける。横3センチの楕円形、黒に金の桜がにぶく光る肥後象嵌(ひごぞうがん)。肥後象嵌は、近江から鍛治師を迎えて武具を作らせたのが始まり。

目貫は刀の柄の両側、握るところに一対つく縦2センチ、横6センチほどの金具で菊花などをかたどり装飾性が高い。

笄は先端は耳かきの形で、古く「髪掻き」の言葉。実際に乱れた髪をなで整える役目もしたが、江戸時代の女性の髪飾りになり、武士の笄は、斬り落とした敵の首の耳からさし通して首実検に使われた。

小柄は文字通り小刀で、握る部分が刀身の鞘に添ってあらわれている金工の意匠は笄と揃いで、これを合わせて三所物を称する。

時を経て、目貫は、小柄や笄を切って帯留めになった。柄頭は、頭部に紐穴があり刀の柄、握る部分がすべらぬように紐を巻くための始まりで、通した平打ちの紐幅は三分。これを帯留にと考えたのは、芸者であるというのは、著者の推理。

矢絣
矢絣はどうしても白地に紫、それもお召でなければならない。母が遺してくれた矢絣の銘仙は平織りの銘仙の紫の浅さと鼠地の色目が心にぴたりとこなかった。(〜この後更新予定)

☆参考サイト
「日本刀各部の名称」
「ウィキペディア日本刀」
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【出版社/著者からの内容紹介】忘れられて久しいきものに関する知識やしきたり、今と昔の比較など実用性も加味しながら、着付け教室の生徒との交流や四季折り折りの情緒豊かなエピソード

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by yomodalite | 2009-04-20 23:28 | きもの | Trackback | Comments(0)

ダンディズムの系譜―男が憧れた男たち (新潮選書)

中野 香織/新潮社



目次には、ブランメル、オスカー・ワイルドなど... 澁澤龍彦、生田耕作氏らのダンディズムに関する著作で馴染み深い名前が並んでいて、一瞬既読感で一杯になるものの、序章で、NHK・BS「今夜決定?!世界のダンディー」(‘08)という討論番組への疑問に共感し、また著者が今ダンディズムを語ることにどんな意味があるのか?という問いを内包したうえでの著作をいうことがわかり、読んでみました。

ちなみに、NHKの番組で名前が挙がったメンバーは、マイルス・ディヴィス、ジョン・レノン、ダリ、ウォーホル、植木等、薩摩治郎八、後藤新平、周恩来、チェ・ゲバラ、エドワード・サイードで、最終的に「世界最高のダンディー」は、姜尚中が推薦したエドワード・サイードに決定。

この番組は、私も視聴者として非常に違和感と不満を感じたものだったのですけど、著者も、イングリッシュ・ダンディの系譜にありえない決定であるとし、また現代の日本のダンディと考えられている要素にも異議を唱えている。

例えば、現在の日本でダンディといえば思い浮かべる人の多い「白州次郎」も、著者はダンディとは異なるという。

白州のスマートに王道を行く感性は、本来の意味でのダンディではなく、世間からマイナス視されるような価値を、ことさら大声で論じ立てることなく、プラスに転じてみせるような皮肉なひねりというか複雑さが必要で、マイナス要素があまりない白州には、そういった屈折が感じられない。と。

序章からもう少し引用すると、

ダンディとは、元祖を生んだ英国においても、実は100%のほめ言葉ではない。
突出しない同調をよしとする世間の価値観にささやかに抵抗すべく、意識的に、偽悪的に、軽佻浮薄は表層で武装することもあるダンディは、見方によっては、愚かしくぶざまに見える存在である。

ダンディと呼ばれた男たちは、堂々と、演技的に、「空気を読めない」、いや「空気を読んだうえでぶちこわす」男たちだった。徹底して個を貫き、世間を支配する枠組とはまったく別の枠組をもちこむことで、その他大勢にすがすがしく優越した。(引用終了)

紹介されているダンディ達は16人。英国で廃れつつあったダンディズムがフランスで詩的哲学として結晶化され、現代に引き継がれたことなど、人物列伝だけでなく、歴史としてのダンディズムが描かれているところも興味深い。

終章は「日本におけるダンディズム」。粋とダンディを比較するのは、気の遠くなるような課題であるとは思うけど、本書の粋版ほど、読みたい本はないとも思えるほどなので、いつか出版されることを期待してます。

中野香織公式ウェブサイト
http://www.kaori-nakano.com/
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【出版社/著者からの内容紹介】華麗な装い、大胆な立ち居振る舞い、事に臨む態度で、氏素性に関係なく周囲をひれ伏させる男がいた。
「ナポレオン(英雄)になるより、ブランメル(ダンディの祖)になりたい」と詩人バイロンにいわしめた、絶対的な魅力の正体とは? 時代ごとのカリスマ、理想の男たちのまばゆい系譜と「愛され力」を、気鋭のファッションジャーナリストが徹底解剖する。 新潮社 (2009/02)


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by yomodalite | 2009-04-17 15:37 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

カムイ伝講義/田中優子

カムイ伝講義 (ちくま文庫)

田中 優子/筑摩書房

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本書は、法政大学での講義と、小学館の『決定版 カムイ伝全集』の出版特別企画、ウェブ版「白土三平とカムイ伝の世界」に連載された「カムイ伝から見える日本」をもとに書き下ろされたもの。

昨年出版された田中優子氏の著作なので、早く読みたかったものの『カムイ伝』が未読のため躊躇していたのですが、読了後の結論から言えば『カムイ伝』が未読でも結構楽しめます。

田中氏は「江戸ゼミ」の講義に『カムイ伝』を使用したのは、江戸のビジュアル資料として、都市で消費されるメディアのみが注目されているが、都市住人以外の人々の生活を描いた資料としてはもの足らない。『カムイ伝』には、江戸の百姓、非差別民、漁師、武士など、村の人々の生活や生き方など、さまざまなテーマが描かれているからだと、説明している。

壮大なテーマをもち、未だ完結していない『カムイ伝』のサブテキストとしては、もちろんですが、江戸の身分制度と、現在の格差社会との違いは何かなど、江戸時代の日本に興味がある人には、惹かれるテーマが満載です。

★★★★☆

☆参考サイト↓
白土三平とカムイ伝の世界
松岡正剛「千夜千冊」カムイ伝/白土三平

【内容】
第1章 『カムイ伝』の空間と時間
舞台となっている日置藩に岸和田を想定し、リアルな空間としての城下町の成り立ち。

第2章 夙谷の住人たち
江戸時代の穢多非人の生活と実像。

第3章 綿花を育てる人々
江戸時代に初めて体験される「綿花栽培」を通してみる百姓の生活。高価な肥料を必要とする綿花栽培の導入と崩壊。

第4章 肥やす、そして循環する
排泄物を肥料とする、江戸時代の循環型社会。さまざまな肥料。肥料の情報化と商品化。都市生活と貨幣経済は、無駄で無意味なゴミを出す。

第5章 蚕やしない
蚕から布まで。絹の国産化。絹織物の高度な発達。養蚕と絹の拡大は、原日本人と大陸人の混血の拡大。生糸の隆盛に反して苦しい生活を強いられたことによりおこる生糸一揆は、厳しい専売制にも原因があった。

第6章 一揆の歴史と伝統
一揆とは「揆(みち)を一つにする」という漢語。百姓一揆のルール、一揆の原因、百姓一揆は近代労働争議の先頭を走っていた。

第7章 海に生きる人々
『カムイ伝』の漁のシーンの迫力。納屋集落。技能をもった漁師が全国を移動しながらその技法を伝え、流通が進み市場が拡大した。

第8章 山に生きる人々
エネルギー源であった山の管理体制(環境対策)。新田開発は環境破壊。発展と破壊が共存する世界。日本の森林はなぜ残ったのか。マタギ(狩猟専業者)の生活。サンカ(山部漂泊者)の生活。平和な鉱山町。

第9章 『カムイ伝』の子どもたち
子どもとは何か?。たくさんの親。生きる力とは何か。

第10章 『カムイ伝』の女たち
社会的性差の克服。娘組、嫁組、婆仲間。恋愛と結婚。女性の存在感。

第11章 『カムイ伝』が描く命
「命」とは何か。殺すことにも生かすことにも使える技術。島原・天草の乱。二つの外科手術。生態系。

第12章 武士とは何か
江戸時代の武士は矛盾そのもの。武士の生活の実態。武士は必要だったか?

おわりに いまもカムイはどこかに潜んでいる
現代日本人そのものが、この歴史のなかでいかなる存在なのか、考え込むようになるテーマにあふれている『カムイ伝』。総中流が達成された70、80年代よりも、現代は『カムイ伝』が身近に感じられる世界だ。
__________

【BOOKデータベース】コミック界の巨星・白土三平のライフワークが江戸学の新視点を得て、新たな輝きを放つ!「いまの日本はカムイの時代とちっとも変わっていない」競争原理主義が生み出した新たな格差・差別構造を前に立ちすくむ日本人へ—。江戸時代研究の第一人者が放つ、カムイ伝新解釈。 小学館 (2008/10)



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by yomodalite | 2009-04-15 15:30 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

きもの自在/鶴見和子

きもの自在

鶴見 和子/晶文社



きもの自在 (ちくま文庫)

鶴見 和子,藤本 和子/筑摩書房




最近こちらのブログでは、ちっとも着物をあれこれしてませんが、脳内では様々な悩みやアイデアが渦巻いております。そういうアイデアというか、思いつきというか、実験というか、、、も、お披露目にはちと早いし、便利そうなグッズも、購入品も、お店情報も、紹介するほどではないと思う今日この頃。

本書を読むきっかけになったのは、『女装と日本人』の著者で、女装家の三橋順子氏の「着物大好き」というサイトの「順子の好きな着物エッセイ」で紹介されていたから。三橋氏とは、好きな着物のセンスがそんなに近いとは思いませんが、自らを性同一性障害ではなく性別越境者とする「女装」は、自分の中の未知の女を発見する旅をされているようで共感しています。

私も将来的に着物で日常をすべて過ごすようになりたいものの、まだまだ着物コスプレの日々は続くでしょう。着物に関するバックグラウンドが全くなく、新しい着物を出来るだけ買いたくないものの、着物遺産はあまりにも少なく、女子ばかりのお稽古道の中での、着物にまつわる知識や習慣にも、あまり影響を受けたくないものが多く、お金も使いたくない。そんな自分が参考にしたい着物本となると、なかなか巡り逢えません。

「順子の好きな着物エッセイ」で紹介されている本は、未読のものもあり、全部読んでみたいと思います。

さて、本書の著者、鶴見和子氏は、元東工大教授。ヴァッサー大学で哲学修士号、ブリティッシュ・コロンビア大学で助教授をつとめた後、プリンストン大学で社会学博士号取得。柳田國男や南方熊楠の研究で知られ、弟は鶴見俊輔、祖父は後藤新平、父は元厚生大臣というエスタブリッシュな家庭に育ち、幼い頃から着物に囲まれ、亡くなるまで日常を着物で過ごされています。

その育ちから想像どうり着物遺産に恵まれ、うらやましい限りなのですけど、本書は1993年出版で著者は75歳。それまでの着倒した着物を順々に作り替えて、最後まで「布」として愛していく生き方や、アジアの布を着物や帯に仕立てていく技、そして、着物を美しく着るのに一番大事なのは着る人の「姿勢」で、それには、何かしら伝統芸能を学ぶことだ。という結論。

何かしらの伝統芸能を何にして、どこで学ぶか、、、何年も迷っている課題にまた突き当たってしまいましたけど、決して嫌に感じなかったのは、やはり本書に真の魂があったからでしょう。

アジアの布から着物へという試みに関してが、一番興味のあったところなんですけど、帯以外は実例が見られなかったのは残念。サリーに輸入羽二重を裏打ちしたものが一番見たかったんですけどね。今、裏打ちなしで、サリーを夏のキモノとして、単衣で仕立てて、優れもののポリ襦袢(ウェルキー♪)で、着られないものか、実験してみたくてウズウズしてます。

著者が贔屓にしていた銀座「増多屋」は、すでにありませんが(ですよね?)、道明の組紐、祇園の「ない藤」の履物はあこがれのお店ですね。ワードロープすべて、こちらで揃えることはできませんが、「ない藤」の前つぼは、前緒がぴんと垂直に立つことの美しさだと思っていたのですけど、この前つぼにより親指との間が開かず、細身の足になるんだそうです。

私より遥かに細い足幅の人に言われて、自分のガサツな足元にシュンとしてしまいました。


女鍼灸師のつぶやき
http://blog.livedoor.jp/miki00011/archives/51173418.html
_______________

【MARCデータベース】インドのサリーや中国の刺繍布をきものや帯に仕立て、異文化の豊かな出会いを楽しみ、すりきれたきものは帯や羽織、袋物に…著者のきもの術は自由自在。のびやかで気持ちのいい"きもの暮らし"を提案する。晶文社 (1993/12)

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by yomodalite | 2009-04-13 14:42 | きもの | Trackback | Comments(0)

おことば 戦後皇室語録

島田 雅彦/新潮社



本著は、実際の皇族の発言を時代順に、島田氏の解説とともに編集されたもので、無限カノン3部作の2年後に、出版されています。

「おことば」は、新聞など、公的発言のみで、私的な発言は含まれていないので、折々に聞いたものや、歴史として知っているものばかりですが、こうしてまとめて読むことで、昭和、平成、未来へと、皇室が時代とともに歩んできた歴史が感じ取れます。

影響の大きい皇室の「おことば」は、慎重に考え抜かれているものだけに、血が通いにくいもののような印象もあったのですが、ここに集められた「おことば」をあらためて読むと、むしろ、考えに考え抜かれた結晶という印象。

島田氏は、その「おことば」ひとつひとつに解説を加えているが、天皇や皇室にごく普通に尊敬の気持ちをもつ一般の国民への文章としてバランスがとれている。

天皇の著作を多数出版されている原武史氏は、

「おことば」だけでは、昭和天皇ばかりか、昭和天皇よりも「お祭」に熱心な現天皇の姿をもとらえることはできないのである。

と、本書を評していますが、公表を禁じられた文章こそが「真実」とみる姿勢もいかがなものか。なにを伏せ、なにを公表するか、その決定があって、はじめて天皇の「おことば」であり、奇跡的なまでに永く続いた天皇の知恵の結晶だと思う。

本書は2005年の発行なので、悠仁さま誕生前なのですが、現在、雅子妃への批判は益々勢いが増している様子。男子を産めなかった雅子妃の苦しみの大きさを国民が理解できなかったという「結果」は、非の打ち所のなかった美智子妃の苦労や、前途洋々のキャリアウーマンだった雅子妃の受難を経て、もう輝かしい妃の誕生を期待することはできないでしょう。

紀宮は結婚によって平民になったが、女子の皇族の身分の不確かさを一向に考える気のない保守派は、果たして本当に「保守」なのだろうか。現在の自称保守派が、極短い日本の歴史感の中でのみ皇室をとらえ、利用している態度を見るにつけ、皇室の未来は明るいとは言えないと思う。「万世一系」が非科学的としても、皇室の廃れることのなかった長い歴史を、尊重しない態度の人には辟易とする。

日本の真の伝統は、形骸化した祭事ではなく、松岡正剛氏いわく、「一途で多様な国」。古代から一貫して「主題の国」ではなく「方法の国」であったこと。皇室の永い歴史には、現在の危機に対応する知恵があるはず。だとおもうのですけどね。。。

本書のきっかけとなった『無限カノン』三部作、すぐに読んでみたくなりましたが、『豊饒の海』4部作が、まだ『奔馬』の途中なので、だいぶ後になりそうだなぁ。。。

※章タイトルは本書どおり。見出しタイトルは異なります。

第1章 占領というどん底から
最初の「おことば」は、あの玉音放送から。占領時代〜マッカーサーが日本から去るまで。

第2章 「開かれた皇室」は大衆とともに
明仁皇太子の初めての外遊、皇族とは何かに悩む宮家、テニスコートの恋、「皇室アルバム」。。。

第3章 「象徴」天皇の黄金時代
東京オリンピック、万博、欧州訪問、2・26事件。。。

第4章 世界市民への道
明仁皇太子の沖縄訪問、昭和天皇の米訪問、戦後の帝王教育、皇族と帰国子女との共通点。。。

第5章 そして、昭和は終わった
皇太子夫妻の銀婚式、日韓併合、徳仁親王の理想のタイプ、正田家の哀しみ、紀子さま。。。

第6章 無関心にさらされて
中国訪問、皇室に嫁いだ雅子妃、皇太子の英国留学、皇室とキリスト教、失語症、皇族のマスコミ批判。。。

第7章 予測されざる危機
不惑を越えた皇太子、21世紀の皇室、「ゆかり発言」の衝撃、未来の皇室の憂鬱、「人格否定発言」の真意、女帝論議、適応障害、娘から見た皇后。。。
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【MARCデータベース】皇室はずっと、僕たちの隣にあった。玉音放送から人格否定発言まで、戦後60年の「おことば」から日本を照らすアンソロジー。皇室の方々の心の奥まで踏み込み、その目に日本や世界はどう映ったのかを探っていく。 新潮社 (2005/6/29)

波 2005年7月号より

「おことば」と「お祭」――島田雅彦と三島由紀夫
原 武史

 島田雅彦は、「無限カノン」と名付けられた『彗星の住人』『美しい魂』『エトロフの恋』の三部作において、皇室に対する並々ならぬ関心を示した。その点で「無限カノン」は、おそらく島田自身が意識していたように、三島由紀夫の最晩年の作となった『豊饒の海』四部作に酷似している。
 しかし、最晩年の三島が、『英霊の聲』にせよ「文化防衛論」にせよ、宮中で行われる「お祭」に注目していたのに対して、島田は天皇をはじめとする皇室メンバーが発する「おことば」を重視する。すなわち、三島が戦前、戦後を一貫する「お祭」に天皇制の最後の望みを託していたとすれば、島田は一九四五(昭和二十)年八月十五日の玉音放送から始まる数々の「おことば」のうちに、それがほとんど聞き取れなかった戦前とは異なる天皇制のかたちを見ようとする。このたび刊行された『おことば 戦後皇室語録』には、このような島田の問題関心が、鮮やかに反映されているといえよう。
 では、両者の違いはどうして生じたのか。三島は自決の一カ月前に、磯田光一に向かって「本当は宮中で天皇を殺したい」と本音を漏らしたほど、昭和天皇を呪詛していたが、天皇本人に会ったことはなかった。だが、何人といえども訪れることができないはずの宮中の賢所(かしこどころ)には、立ち入りを許されている。六六年一月三十一日付のドナルド・キーン宛手紙で、三島は「長篇(『豊饒の海』――引用者注)の取材で、この間宮中の賢所へ行つて内掌典に会ひ、平安朝の昔にかへつた気がしました」と書き、感激を率直に吐露している。
 一方、島田は宮中の賢所に立ち入ったことはない反面、皇室の一員であった高円宮憲仁とは、三軒茶屋の居酒屋でプライベートに会えるほど親交を結んでいたことが、『おことば』で明かされている。同書全体に滲み出る皇室に対する島田の親近感のようなものは、おそらくこのことと無関係ではないだろう。島田の「おことば」に対する関心も、実は個人的な体験に裏打ちされたものであるような気がしてならない。
 けれども、ここに収録された「おことば」だけで、戦後の皇室の歩みを語ることができると考えるのは、あまりに一面的である。本書では例えば、『入江相政日記』(朝日新聞社)に収められた昭和天皇や香淳皇后らによる多くの興味深い言葉が、ほとんど収録されていないからである。
 いや、そもそも「おことば」がすべて資料に残されていると考える方が間違っている。三島が注目した「お祭」における天皇の「御告文」のように、いまだに公表を禁じられた文章があることを忘れてはならない。皇居の外では即位以来、「日本国憲法を遵守し」「〔私自身〕韓国とのゆかりを感じ」「〔日の丸・君が代は〕やはり、強制になるということではないことが望ましい」などと発言してきた現天皇は、皇居の内では黄櫨染御袍(こうろぜんごほう)を着て神々の前でうやうやしく「御告文」を読み上げる「お祭」を、大小合わせて毎年三十回前後も行ってきた。
 私たちはその声を、決して聞くことはない。「おことば」だけでは、昭和天皇ばかりか、昭和天皇よりも「お祭」に熱心な現天皇の姿をもとらえることはできないのである。
 かつて三島には、日本政治思想史を専攻する橋川文三というよき理解者がいた。三島の言う「文化概念としての天皇」というのは、軍隊や近代国家の制度と直結した瞬間に「政治概念としての天皇」にすり変わってしまうものである――橋川は「文化防衛論」をこう批判した。しかし橋川の批判は、果たして正鵠を得たものであったか。宮中の賢所を訪れた三島は、そこで「お祭」が戦後も変わらぬまま続いていることに気づいたはずである。その体験を共有しなかった橋川は、究極のところで三島を見誤っていたのではないか。
 きわめて僭越ながら、私は島田にとって、三島にとっての橋川文三のような存在でありたいと念じている。ただし橋川がそうであったように、読者は往々にして著者の期待を裏切る。橋川が宮中の賢所を訪れることがなかったように、私も高円宮のような皇族と言葉を交わしたことはない。それを百も承知の上であえて言えば、天皇や皇族の「おことば」に「君徳の偉大さ」を学んだという島田は、宮中で続けられてきた「お祭」に「祭司かつ詩人である天皇のお姿は活きてゐる」とした三島を、もっと強く意識するべきではなかったか。 (はら・たけし 歴史学者)

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by yomodalite | 2009-04-12 20:29 | 天皇・皇室 | Trackback | Comments(0)

キャプテン・アメリカはなぜ死んだか (文春文庫)

町山 智浩/文藝春秋




本書は『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』と同じく、『週間現代』の連載をまとめたもの。ベストセラーの続編ではなく、同時期のコラムの異なる編集のようです。(2ヶ月違いの発刊)

『アメリカ人〜』は、政治に関するコラム集で、こちらはそれ以外のカルチャー系のコラムなんですが、どうして『週間現代』連載で、2冊とも講談社じゃないの? なんで出版社が違うの?という疑問に関して、著者は本書のあとがきで、答えているんですが、どうやら、ブッシュ、小泉時代の大掛かりなマスコミ対策にひっかかったような。。。でも文芸春秋がOKいうのも(?)

Chapterは9編。

・Living in America
・American Nightmare
・Taking Care of Business
・Rock in The USA
・Culture Wars
・Boob Tube
・Celebrity Meltdown
・Nippon Daisuki!
・American Dreamers

「Boob Tube」の意味がわからなかったのですが、どうやらTV受像機とか、番組放送のことみたいですね。

時事ネタのコラム集ですが、今読むのはもちろん、数年後に読んでも貴重な資料になりそうな、口当たりは軽いけど濃くて深い内容は町山氏ならでは。『アメリカ人〜』を読んだ人も、読んでいない人にも!
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【内容紹介】★ブッシュの人生は『エデンの東』だった。★『サラ、いつわりの祈り』はいつわりだった。★プレスリーもスーパーマンもユダヤ系だった。★南北戦争で勝ったのは南軍だった?★セックスとドラッグに溺れるアーミッシュ。★ネオナチ美少女双子デュオ!★グーグル社員はブログするとクビ?『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』に続く、「本当のアメリカ」がわかる最前線コラム100本! 太田出版 (2008/12/18)

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by yomodalite | 2009-04-10 21:38 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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