カテゴリ:報道・ノンフィクション( 79 )

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水道橋博士は、著書『本業』で、田原氏のことを「日本で初めてのAV男優である」(詳細は『濃厚民族』)と紹介していますが、その本にも登場し、あのマイケル・ムーアにも多大な影響を与えたという、原一男氏は「この本を読んでショックを受けた」ことから、ドキュメンタリー作家となったと言う........

(ふぅーーー)読むしかないじゃん!

で、探してみたところ「アマゾン」にも「日本の古本屋」にも「カリール」にも東京都立図書館の「統合検索」でも見つからなかったんですが、なぜか東京都中央区の京橋図書館で借りられました(京橋図書館でも「書名検索」には出てこなくて「田原総一朗」検索でようやく発見....《別置》だからなんでしょうか?)

そんな感じで、ちょっぴり苦労して探し出した本書なんですが、、

田原総一朗氏のドキュメンタリー番組は『田原総一朗の遺言』(水道橋博士や、時代の証言者であるゲストと討論をした番組などシリーズ全7作)として、最近DVDで発売され、

◎『田原総一朗の遺言』(アマゾン)

わたしは、このDVDの元になった番組で、映像による「ドキュメント」を見たときは、昔のテレビは自由で過激だったんだなぁというのが第一印象で、フィルムに移っている「若者」にも「風俗」にも、その時代が描かれていると感じました。

ところが、本書から感じたのは、驚くほど現代的で、1969年という「カラーテレビ」が一般家庭に普及して間もないTVの黎明期にも関わらず、田原氏が、ここで語っていることは、現代の新書として発売になっていても特に違和感がない部分が多くて....(そんなことあると思います?)。

DVDにまとめられているのは「永田洋子と連合赤軍」「一線を越えたジャーナリスト達」「永山則夫と三上寛/田中角栄」「藤圭子/べ平連 小田実」....など、その時代の有名人や、歴史的事件に関わっているものなのですが、

本書は、田原氏が上記と同じく、東京12チャンネル(現・テレビ東京)で、製作していたドキュメンタリーで「青春」をテーマにした5つの番組の裏側を綴ったもので、登場するのは、すべて無名の若者たち。


「はじめに」テレビ・ドキュメンタリー・わたし(省略・要約して引用)

......ドキュメンタリーとは、ものごとをありのままに捉えるべきだという、もっとも根源的な誤りが、いまだに大きな顔をしてまかりとおっている。そのよい例が、ドキュメンタリー番組に登場する若者たちのしらじらしさだ。現実の世界では造反をくり返しているのに、ブラウン管の若者たちは、レディメードの古びた〈青春像〉を忠実になぞっているばかり。(中略)

ドキュメンタリーとは、実はすべて〈演出〉されたもの、つまり〈やらせ〉なのだ。〈やらせ〉のドキュメンタリーだけが、実像を捉えることができ〈やらせ〉でない〈ありのまま〉のドキュメンタリーなどは、ことごとくとんでもないまやかしか〈やらせ〉さえする価値のないドキュメンタリーだとわたしは考えている。

あなた自身を素材にしてカメラとマイクを向ける、あなたの行動にカメラとマイクがつきまとう。そのとき、あなたはどうする?

あなたは演技をするに違いない。

〈かくし撮り〉あるいは〈盗み撮り〉相手にまったく気づかれずに撮影する。それが、奇妙に現実感があるためにフィクションであるテレビドラマや映画にもずいぶん活用されている。しかし、〈かくし撮り〉でありのままのあなた自体を捉えられるかということになると、答えは「否」である。

いくら〈かくし撮り〉をしようが、取材すると宣言された以上、あなたの意識は金輪際カメラとマイクから離れることはないだろう。そして〈かくし撮り〉があなたにとって一番見せたくないあなたを捉えたとしても、あなたがそれを公開することを拒否するだろう。

つまり〈かくし撮り〉で捉えられるものは、わざわざ〈かくし撮り〉にしなくても捉えられるあなたなのであって、それにもかかわらずドキュメンタリーが〈かくし撮り〉を多用するのは、多くの場合、より現実感を強くする、つまりニセものを少しでもありのままらしく見せる〈だまし〉のテクニックに過ぎないのである。

それでは、カメラとマイクを武器にしたドキュメンタリーで人間の内部を捉えることは不可能なのか。可能だとわたしは考えている。わたしは、むしろ、カメラとマイクがあるからこそ、人間のポーズの内側を捉えられるのだと考えている。(引用終了)


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(下記は、大幅な省略や、要約を交えて引用していて、あくまでの私が記憶を呼び起こすためのものです。田原氏の言わんとするところを押さえているとは言えないこと、また、その魅惑的な文章とも異なることを、ご了承くださいませ)

「青春との出会い」彼女の内なる狂気へ

1966年、S・Yという二十歳のバスガイドを取材した『S・Y 二十歳』いわば、わたしに悪魔的影響をおよぼした女。しかし、彼女は、むろん希代の悪女でも、英雄的な女性でもなかった。彼女を私に紹介してくれたのは、友人であるディレクターだが、わたしがそのディレクターに出した注文は「平凡で明朗な女性であること」。

ただし、彼女との初対面では「平凡も程度問題だ」と八つ当たりをはじめ、ひそかに、カメラマンが素材の変更を要求するのを期待したほどだった。

彼女は日の出前に出社し、運転手が来る前にバスの掃除を終え、食事をする前に、裸足でバスを水洗いする。そんな彼女だったが、他のガイドたちがおしゃベリをしているところへS・Yが入って来ると、なんとなくその場がしらけてしまう。

わたしは、彼女たちの城の中に闖入したためのぎこちなさだろうと思っていたが、それだけではなさそうだった。S・Yの周囲にある違和感の原因は一体何なのか?その謎を解明しようとするカメラマンの眼は次第に〈殺意〉を帯びて来た。

わたしは、思いきって、S・Yの部屋にガイドたちを集め「S・Yをどう思うか」という問いから取材を開始した。ガイドたちの顔色が変わり、ひとりはわたしを睨みつけて立とうとした。わたしが、黙って彼女たちが「おちる」のを眺めていると、S・Yは感情をむき出しにし「やめて!」と叫んだ。S・Yを誘い、2人だけで行ったビアガーデンで、

「本当は、あたし、田原さんたちの取材を利用しようとしていたのです」

「あたし、原爆ッ子なんです」

「原爆なら、隠すも隠さないも.....、あなたは犠牲者なんだし、
みんなは同情するはずで......」

「同情なんて言葉を聞くとぞっとします。こわいんです。その同情がわたしの家族をめちゃくちゃにしてしまったのですから..... 姉も、そのために死にました」


歩きながら、わたしは〈話して貰ってよかった〉というための格好のつく言葉を探そうとした。信頼、勇気、連帯、愛......。だが、ぴったりとくる言葉が思いつかないまま、黙って肩を並べているうちに、彼女の存在がしだいに重くなってきたような気がした。

彼女はわたしの手を握った。その手にほんの少し力を入れさえすれば.....。しかし、わたしは手に力を入れるかわりに、そっと彼女の掌から抜きさった。

一時間後、わたしはカメラマンに電話をして「広島に行くことになるかもしれない」とだけ伝えた。だが、次の日、あらためてS・Yの告白を取材しようとしたら、彼女は「もう一度話をしたい」と言い出したのである。

その夜、十時、赤羽駅東口の喫茶店〈T〉。

「わたしのいったことは、全部ウソです」

S・Yは、いきなり言った。胎内被爆も、姉の被爆者手帳もすべてウソだという。

S・Yは、しばらく唇を噛み締めて1冊のノートをテーブルの上に出した。かなり汚れたノートで『日記Ⅳ』と記してある。その夜『日記Ⅳ』を読んだ気持ちをひと言で言えば〈後悔〉だった。見なければいよいものを見てしまったという気持ちだった。その日記は、N観光へ務めてから、ずっと書き続けたものらしく、そのノートを見るかぎり、一日も欠けてはいない。

一番量の多いのは、7月20日の、ガイドをやめた友人との男性論議で5ページ。一番短いのは、8月6日〈黙祷〉の二字。ところが、8月26日、突然日付けだけで空白のページが現われる。つづいて27日も空白。そして28日。

「なぜ、あんなに空がきれいだったのだろう。部屋は静かだし、窓の外の道路を毎日同じ時間に通る豆腐屋さん。(中略)

事件が起きたのは、25日の夜10時過ぎ、荒川のKS橋の上......(後略)」


事件の翌日、N観光ではすでにひとつの噂がかたまりはじめていた.....

だが、こうして事情がわかったところで、わたしが感じたものは「困惑」だった。知りすぎてしまった。知りすぎてしまったために動きがとれなくなってしまった、というのがいつわりのない気持ちだった。もし、ノートを見せられていなかったら、彼女を〈原爆の犠牲者〉として描くこともできた。

2日後、8月6日、21回目の原爆記念日、わたしたちは、荒川の堤防でこの取材最後のシーンの撮影をした。夕日を背に堤防を歩くS・Y、その顔のアップ。風にひるがえる髪、その髪ににじむような太陽のハレーション。彼女の日記のナレーションバックになる映像....

それから、2週間後の放送後、視聴者から3本の電話があった。1本は、S・Yをわたしに紹介してくれたラジオのディレクターからだった。「なかなか面白かったよ」「それにしても、大テレビ局の大ディレクターが、小娘のPRの片棒をかつがされたみたいだな」とつけくわえた。

わたしに「もしや」という疑問が起こってきたのである。こう考えると、いくつも思い当たるふしがある。

わたしは、見つめることだけに終始しようと思って、素材を選んだのに、どうやら、見事に見つめることを放棄して、彼女のために旗をふってしまったようだ。S・Yにしてみれば、危険度の大きいバクチだったに違いない。そのバクチに彼女は賭けた。最後にはわたしにゆだねるという捨身の勝負にでた。ドライに計算した行為の中に、そんなひたむきな若さゆえの手応えを、はっきりと身体に感じたからである。

そのとしの11月。わたしは取材でN観光の近くまで行ったとき、S・Yを訪ねてみた.捨身のバクチに勝って、再び女の住居権を与えられ、文字どうり「平凡で明朗な」女性に戻っているはずの彼女に会って「してやられたよ」とひと言憎まれ口をたたいてやろうと思ったからである。

ところが、S・Yは3ヵ月前にN観光を辞めていた。わたしたちが取材した直後である。顔見知りのガイドに聞くと「あのテレビの放送も見ないで行ってしまったの」ときょとんとした表情で言った。

すべてが、一挙に謎に戻ってしまった。

S・Yの消息はそれっきりわからない。だが、近頃になって、わたしは、彼女もわたしたちの取材の中で何かを確かめようとしていたのではないかと思えてきた。

わたしたちが彼女を見つめ、彼女を追いつめることで〈何か〉を確かめようとしていたとき、彼女も見つめられること、追いつめられることで〈何か〉を確かめようとしていたのではないか。だからこそ、彼女は、わたしたちの執拗な追いつめ方にも耐えたのではないか。

彼女は、わたしたちにはわからない〈何か〉を確かめ得た。だからこそ、新しい生活にとびこんでいったのではないだろうか。しかし、わたしがこう考えるのは、べつに根拠があってのことではないし、わたしたちの取材が彼女に何を与えたのかもさっぱりわからないままだ。

☆青春 この狂気するもの/田原総一朗[2]につづく



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by yomodalite | 2012-01-27 15:05 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者

藤永茂/朝日新聞出版




『闇の奥』と『「闇の奥」の奥』を読んで、藤永茂氏の本をもっと読みたくなったのですが、氏の著作の中に、この名前を発見して読む前から胸が熱くなりました。

オッペンハイマーの名前は、もう記憶のない人の方が多いのかもしれません。でも、3.11後に行われた、村上春樹氏のカタルーニャ国際賞スピーチを読んだ人は、そこで思い出された方もいるでしょう。

ロバート・オッペンハイマーは「原爆の父」と言われている人です。
私は、少女時代にその名前を知ったものの、マンハッタン計画とトリニティ実験、ロスアラモス研究所と、そのメンバーで「水爆の父」と言われたエドワード・テラーの名前を覚えただけで、それ以上考えたこともなく、

エドワード・テラーの息子がアストロ・テラーという名前だと知って、テラーは息子にアストロと名づけるようなタイプなんだなぁと驚き、その彼が書いた小説(『エドガー@サイプラス』 )を読むという、どうでもいい迂回をしただけで、ずっと忘れていました。

註)上記は当時の記憶で、今、調べてみたところでは、アストロ・テラーは孫らしく、アストロという名もエドワードが名づけたわけではないようです。


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Robert Oppenheimer



そんなわけで、本書に書かれてあることは、私にとって初めて知ることが多く、オッペンハイマーへの評価の変節も、原水爆の開発や研究に対する議論もよく知らないのですが、それでも、本書が「オッペンハイマー伝」の決定版であると思うのは、

著者が「おわりに」で

本書は多数の文献にもとづいて書かれた。オッペンハイマーと面識のあった方々にも接触したが新しい事実は得られなかった。私が、会話や状況の叙述を勝手に創作した箇所は1つもない

と書かれているように、本書は、これまでの様々な文献から多くを引用し、それらをまた別の文献で補強したり、反論するという手法に徹底し、これまでの著者がくり返してきた「安易な想像による物語」を許さないという姿勢が貫かれていること、

また、同じく「おわりに」では、

村山馨著『オッペンハイマー』については感謝の意を表しておきたい。10年ほど前、すでにオッペンハイマーに強い関心を持っていた私には、村山氏の著書がオッペンハイマーに対して心情的に好意的すぎるように思われた。私には別のオッペンハイマー伝が書けると思ったのである。

それから、10年、私はかなり広く読み漁り、絶えずオッペンハイマーのことを考えて続けてきた。その結果、私が見出したことは、私も、まわりまわって、結局は村山さんが立っておられた場所に戻ってきてしまったという事であった。


という記述もあるのですが、読者にとって、著者の20年以上に渡る「まわりまわった」結果を1冊の本で読めることは、とても幸せなことだと思いました。


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村上春樹氏は、カタルーニャ国際賞スピーチで、オッペンハイマーについてこう語りました。

ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
 
「大統領、私の両手は血にまみれています」

トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」

しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。(引用終了)


◎村上春樹・カタルーニャ国際賞スピーチ全文



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このとき、村上氏が、過ちを犯した科学者の代表として引用したオッペンハイマーの言葉は、反原発を叫ぶ人々にとって、わかりやすい科学者像であり「物語」でしょう。

この場面だけでなく、オッペンハイマーの言葉は、被爆国であるがゆえに、原爆の罪を追求できなかった日本以外では、様々な人によって厳しく追及され、多くの「物語」で「セリフ」として切り取られています。

日本には「原爆の日」も「終戦記念日」もあるのに、これほど、オッペンハイマーのことが忘れられているのは、日本の敗戦をどうするかを考えた人たちの「戦略」によるものなのでしょう。私は今その戦略を否定する気にはあまりなれない。

下記は、村上氏のスピーチ後半部分から。

壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。

それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
 
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。(中略)
 
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
 
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。

我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。(引用終了)



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全文を読むと、安易な科学者批判ではなく、多くの人々へのメッセージと、文学者としての自分の今後を述べた部分に力点があるのだと思いますが、

村上氏は、すべての人々が、被害者であると同時に加害者で、その過ちは「効率」であり「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」を、もう一度心に刻み、そのことを厳しく見つめなおさなくては、またどこかで同じ失敗が繰り返されると述べ、

オッペンハイマーの「過ち」を語り、私たちは、核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの中心命題に据えるべきだったと言う。

全体的に素敵なスピーチなのですが、私はこれを読んだとき、なぜか、あまり感動することができませんでした。それは震災のショックが大きかったせいもありますが、

過ちの理由は簡単で「効率」と言い切られたことと、

被害者であり、加害者であるのは「日本人」全体であるのに対し「小説家」として未来の希望を語るだけで「小説家の責任」については語られなかったことに対してなのかもしれません。

時刻通りに動く電車など、勤勉で真面目な仕事ぶりで世界的に認知され、優れた科学者に恵まれた日本が、なぜ、2度も被爆国にならなければならなかったのか?

それは、人が必ず「過ち」を犯すものだからではないんでしょうか?

わたしは、村上氏の「過ちは繰り返しませんから」よりも、日本人が声をあげることなく、世界に伝わった「メッセージ」は、そうであっただろうと思います。

私は、過ちを繰り返さないという「言葉」が、文学者として、大きな「過ち」ではないかと思う。

震災で傷ついた人々が見られる夢は「非現実な夢」なんでしょうか?

原爆や、原発事故のように、多くの人が1度に甚大な被害にあうことはなかっただけで「言葉の過ち」は、大勢を不幸にし「死」をも招いてきたはずです。

本書は、これまで大勢の小説家や文筆家が描いてきた、科学者や政治家の責任を問う「物語」とは異なり、誇り高い科学者が「本当の人の愚かさ」について書いた「物語」です。


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藤永氏は、大江健三郎が『ヒロシマノート』で述べた、

ロスアラモスの有刺鉄線の中でひたすら働いた6000人の人間たちには原爆地獄への想像力が欠けていた。

について、

それが人間というものである、と私は考える。人間は想像力の欠如によって、容易にモンスターとなる。このことが他人事ではないという自覚から、私はオッペンハイマーという“モンスター”について書き続けているのである(p160)

と言い、物理学者にとって永遠に魅力を失うことのない学術都市「ゲッチンゲン」に現れた、若き日のオッペンハイマーのほっそりとした若い詩人を思わせる容姿や、現代詩、特にT・S・エリオットの『荒地』を愛誦し、高等学術研究所の所長として、エリオットを招き、ヒンズー文学にも強い関心を寄せ、その聖典『バガヴァド・ギーター』を原語で読むためにサンスクリットを学んだという「オッピー」(オッペンハイマーの愛称)の人物像を、様々な証言から「立体化」していく。

わたしには、ここで描かれたオッペンハイマーが、大江健三郎氏より、想像力がないと思えなかっただけでなく、政治家がその国民の民度と同様であるということと同じく、原爆を落とした国が「12歳ぐらい」と判定した基準を、大江氏の文章から感じました。

村上春樹氏は、私たちが等しく「非現実的な夢想家」になるべきだと言う。

私に想像力がないせいか、それが素晴らしいことなのかどうかよくわからないのですが、

「過ち」が許されない「計算」を基礎とする科学者たちが、どんな「夢」を紡ぎ、そして「過ち」に気づいたとき、それを修正するために、どのような「政治」があったのか。

それらの「現実」は、小説家の想像よりも「夢」のないものだったのでしょうか。

藤永氏が、科学者の愚かな過ちに対し、同じ科学者として、オッペンハイマーを洞察する「眼」には、久しく出会った事のない「ヒーロー」を感じ、村上氏のスピーチに感動できなかった理由も、この本には書かれているように思えました。

数学も科学も苦手なので、本書の物理学用語を難しく感じる点は多々ありました。それでも、私にとって、この本は「現実」に光が感じられるものでした。

日本が戦後と呼んだ時代は、確実に遠くなっていますが、新たな戦争は確実に近づいているでしょう。原爆も、原発も、人の愚かさも、過ちは常に繰り返されることを確認するために、

日本人必読の書だと思いました。

1996年出版の本ですが、決して古くなることのない名著です!
◎[Amazon]『ロバート・オッペンハイマー』オンデマンド版
◎[Amazon]『ロバート・オッペンハイマー』朝日選書版(レヴューあり)

アメリカでは、オッペンハイマーについて、活発な議論があり、ドキュメント映画も、彼をテーマにしたオペラ作品もあるようで、戦後、日本の教育が戦争責任という言葉で、ひたすら「反省」してきたことに比べると、米国の方が原爆投下を「戦争の早期終結のため」という理由に集約されているわけではないようです。

◎ロバート・オッペンハイマー(ウィキペディア)
◎エドワード・テラー(ウィキペディア)
◎ドキュメンタリー映画『The day after Trinity』
◎メトロポリタンオペラ「ドクター・アトミック」(徒然なる all over the World)

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by yomodalite | 2012-01-03 23:35 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)
「悪党顔」のひとの本が続きますが、、隣でダーリンが読んでいたんです....

古典に手を出すようになってから、同時進行の本が倍増していて、ホントに、もうこんな「下品な感じの本」を読んでる場合じゃないって思ったんですけど、、

「フィクサー」って、大好きなんですよね。(読書としてw)

ただ、「フィクサー本」って、なかなか良書は少ないと思うんです。取材も難しいし、ほとんどの場合、フィクサーは自分からは語りませんし、これまで、このブログに記録した「フィクサー本」でも、これは面白いと思ったのは『田中清玄自伝』ぐらいでしょうか。

本としての、面白さだけでなく、本人の「大物感」や「魅力」という点でも、本書には期待していませんでした。

というのも、フィクサーは自分からはなかなか語らないものですが、朝堂院氏は、現在、youtubeにも多くの動画がありますし、そこで見る氏の風貌からも、どこか“マンガチック”で、これまでの「フィクサー」と言われた人に比べると、歴史的スケール感に乏しいという印象も持っていました。

(現在の活動を見ると、今は「フィクサー」ではないのだと思います)

著者の大下英治氏は、分業体制で大量出版を維持している、熟達のノンフィクション作家の方ですが、本書と同じ竹書房のシリーズは、そっち方面の方々よりの「物語」になっているような印象も強く、

まぁ、とにかく、そんな期待薄な感じで読み始めたところ、第一章にある「血判の儀式」(売上げ目標達成の決意を示すために、社員の前で、愛蔵の日本刀により、自らの前腕を突き刺すという行為)で「ドン引き」...期待度はさらに急降下し、

本書の半分くらいを過ぎても、なかなか引き込まれることがなかったのですが、そこから、だんだん朝堂院氏の印象が変わっていったのは、彼がオウム事件の黒幕として疑われ、それをきっかけに、ここまでの順風満帆な人生から、様々な活動が困難になっていき、ついに、松浦良右(まつうらりょうすけ)という名前を改名するまで追い込まれた後も、

商売人でありながら、検察や銀行に対しても、主義主張にブレがなく、確固とした信念を貫いていて、読了後、自分でも驚いたんですが、、朝堂院氏のことがちょっぴり好きになりました。

たぶん、わたしの中で評価がグンと上がったのは、他のフィクサーの方はすべて、アメリカ占領下の日本で、良くも悪くも、米国の日本統治に関わることで「利権」や「特権」を得てきた方々ばかりですが、朝堂院氏はそうではないようです(早合点かもしれませんが。。)

本書で特に注目したのは、朝堂院氏は暴力団を一切使ってこなかったにも関わらず、1997年の山口組N0.2の若頭、宅見勝が射殺された事件(「宅見事件」)の容疑者の弁護のために、優秀な弁護士を紹介したというところ(p216「司忍と後藤忠政」)

当時、若頭補佐だった司忍が、護衛の組員に拳銃を持たせていたとして銃刀法違反容疑をかけられ、指名手配される。司は翌年出頭し、逮捕、起訴され、後藤忠政は、司の力になるために朝堂院に力を求め、朝堂院は、有力弁護士で、元最高裁判事の横井へ依頼する。

なかなか首を縦に振らない横井に、朝堂院は、こう説得した。(以下省略引用)

「先生、今回の事件は、いちヤクザの問題ではないんです。共同正犯は、いつどこで親分が子分に拳銃を所持しておれを守れ、と指示したかが明確になってはじめて成立つ。ところが、ヤクザだから、親分が指示しなくても子分が拳銃を所持していれば、行動原理として同様だという理屈で逮捕した。

この法律はアメリカが強引に日本に押し付けている。これが日本の判例となり、社会全体に拡大すれば、大変なことになります。政界と秘書の関係も同じことになります。これは罪形法廷主義の原則をやぶることになりませんか」その後、朝堂院は、何度も横井を尋ね説得を続けた。(引用終了)


という部分です。

(この後、現在の小沢一郎の逮捕まで、実際「大変なこと」になってますよね)

このとき容疑者であった司忍が組長になり、後藤氏の山口組での株は上がったのですが、元々、戦後アメリカとの関係で成長してきた「ヤクザ」の世界で、その後、後藤氏は小泉内閣でも暗躍し、最終的にジャマになった米側から、移植手術のご褒美を最後に引退した氏と違い(この部分は後藤氏の著書『憚りながら』を読んだ私の個人的感想)ポーズだけではないなぁと思った点で、

日本の右翼は、その源流から現在までに、完全に変節していますが、老師系の方から、行動派の方まで含めて、これほどの経済力を基盤にして行動できた方も、他には見当たらないように思えますし、

朝堂院氏は、天皇家や菊の紋章のブランドにも頼らず、武道を通じて、日本の歴史や精神性を受継ごうとされていたり、

その経済力の源も、急速冷凍の技術力による実体のある「商品」で、これまでの「フィクサー」と呼ばれた人と比べて、独占的な権益などではなく、お金の生み出し方に、卑怯な手口が感じられないというか、、

わたしは、この人と、MJの繋がりというのはすんなり納得できました。帽子、サングラス、オリジナルデザインによるオーダーメイドファッションなど、朝堂院氏のファッションに関しての感覚は、どこかMJに似てますしねw

そんなわけで、朝堂院氏のマイケル本も、やっぱり読まないとって思いました。

☆読みました!『マイケルからの伝言』
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◎[音声による解説]最後の黒幕・朝堂院大覚
◎MJJAPAN設立記者発表会レポート

[目 次]
序章 フィクサーの系譜
第1章 血判の儀式 ー 父の会社再建
第2章 親・後藤田‐反・中曽根
第3章 検察が狙った後藤田の首
第4章 石原慎太郎 ー 尖閣列島 ー アキノ
第5章 ニカラグア巨大運河計画
第6章 オウム事件黒幕説
第7章 山口敏夫に渡した拳銃
第8章 裏社会コネクション ー 許永中の頼みごと
第9章 TSKCCCビル争奪戦
第10章 朝鮮総連詐欺事件
第11章 マイケル・ジャクソンの亡霊
第12章 生まれた子供が57人
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朝堂院大覚/本名、松浦良右。大阪枚方で400年続いた名家に生まれ、父方の祖父は枚方の大地主で不動産業を営み、米相場でも成功した。父は満州へ陸軍大尉として出兵し、帰国後は朝日新聞の傍系会社の朝日ビルディングの経理担当重役に就任。母は、戦前、松下乾電池(松下電工の当時の稼ぎ頭)の代表取締役専務。乾電池事業は、母キノの父である吉田幸太郎が支えた事業だった。

同志社中学校・高等学校を経て、同志社大学を卒業。1982年3月、当時空調設備工事会社ナミレイの会長であったが、空調設備工事業界の大手高砂熱学工業の株式を買い占め、筆頭株主の力を盾に高砂熱学工業の社長等を脅して業界提携やナミレイ発行の株式引き受けを押しつけたとして、当時ナミレイ社長だった実兄の松浦幸作ほか、ナミレイの他の役員等と共に強要罪で逮捕される(執行猶予判決)。

1996年、オウム事件の黒幕に仕立て上げられたことから、松浦良右から「朝堂院大覚」に改名。「朝堂院」は政務・儀式の中心となる建物群のことで、平安時代の国家的儀式や政治を司る場。大覚は、仏語で「悟りを開くこと、大きな悟り、大悟」のことを指す。

ファッションも「和装」スタイルに変わったが、これも、長着、羽織、袴と3つに分かれている和装品を1つに縫い上げたオリジナルデザインによるもの。また草履のつま先には、護身のため、鉄でできた銀色の金具が取り付けてあり、「刀」も袋に入れて持ち歩いている(居合道の家元として警察より所持を許可されている)

1998年7月に来日したマイケル・ジャクソンに士道館空手道名誉五段を授与する。更に「マイケル・ジャクソン・ジャパン」を立ち上げマイケル・ジャクソンのレジャーランド設立構想を仕掛けるが、頓挫した模様。

2007年にTSK・CCCターミナルビルのテナントとして、所有者と立ち退きについて争う(同ビルは最終的には2008年3月に解体された)。 また、狂言師の和泉元彌が能楽協会より「退会命令」処分を決定した際、和泉元彌の後見人として能楽協会の対応に介入する 。

政界から武道界まで幅広い交友を持ち、田中角栄や後藤田正晴と懇意であった。他にも亀井静香・石原慎太郎・小池百合子とその父の小池勇二郎や、高市早苗らとも親しい[要出典]。また空手道家同士ということで、添野義二や真樹日佐夫などとも懇意であり、杉原正康が館長を務める白蓮会館が主催する全日本空手道選手権大会も支援している。

竹書房 (2011/4/7)




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by yomodalite | 2011-10-30 00:14 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)
わたしがこどもの頃、このひとのCMを見ない日はなかったかもしれない。

笹川良一氏は、「黒幕」「フィクサー」といった表現で、メディアでの良い扱いを見たことがない方なのですが、本書は、笹川氏の「悪名」の裏側にあった素顔を掘り起こした力作。

昭和の傑物の素顔は、今の時代にあっては、その世界的なスケールの大きさに惹き付けられ、身近な人間への考えられないほどのケチぶりにも驚かされる。

ただ、すでに、これまでの笹川氏への悪評のほとんどが、非常に「小柄」であったと感じているものにとっては、この物語では、ちょっぴりもの足りなさも感じました。

競艇事業を始める前の笹川氏の莫大な収入に対して、相場や先物取引という表現だけだったり、巣鴨プリズンに入るきっかけや出るきっかけ、『田中清玄自伝』が面白かっただけに、田中氏との関係に関して、ほとんど触れられていないのところや、児玉誉士夫氏との関係も。。

「悪名」という名の汚名返上に力が入りすぎていて「悪の魅力」に乏しいところが、ちょっと残念というか、昭和の傑物を平成テイストで扱ってしまった感じ。

◎作家・工藤美代子氏が『悪名の棺』で明かした日本の黒幕・笹川良一「艶福家の私生活」

[BOOKデータベース]メザシを愛し、風呂の湯は桶の半分まで。贅沢を厭い、徹底した実利思考と天賦の才で財を成すも、福祉事業に邁進し残した財産は借金ばかり。家庭を顧みず、天下国家、世のために奔走。腹心の裏切り行為は素知らぬ顔でやり過ごし、悪くは“有名税”と笑って済ませた。仏壇には、関係した女の名が記された短冊を70以上並べ、終生、色恋に執心した。日本の首領の知られざる素顔。書き下ろしノンフィクション。幻冬舎 (2010/10)





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by yomodalite | 2011-08-15 08:37 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

続 突破者/宮崎学

続・突破者

宮崎学/同時代社

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著者の話口調による文体で、濃厚な人生の記録がてんこもりな本。

地震酔いや、ツイッターの見過ぎなのか、目線を縦に動かすのもしんどかったり、ちょいとTVをつけようものなら、あんまり見たくないタイプのオヤジ達が、聴きたくないような内容ばかり話していたりして、

もう、本当にオヤジにはうんざりぃーーーなので、

キレイなこととか、オシャレなこととか、エロいことしかw、考えたくないって、わたしも思っているんだけど、ちょっと無理して、読んでいたら、

瓦礫の隙き間に「カワイイ花が咲いてたよ」って気分になったので、紹介します。

これを読むきっかけは、震災パニックでこれまでにないほどツイッターを見ていたとき、この本に関するツイートが目に留まったから。

1996年にベストセラーになった『突破者』は、なんとなく読んだような気がしていたんですが「とっぱしゃ」ではなく「とっぱもの」だったことも知らず記憶違いをしてました。

本書は『突破者』の後から、現在までの15年を記した本ですが、前作を読んでいなくても、問題のない内容で、

栗本慎一郎、白川勝彦、野中広務、円より子、田中康夫、鈴木宗男、辻元清美...など、政治家との関わりや、

盗聴法、住専、田中義三と偽ドル札事件、橋田信介、差別問題、田中森一、三井環....など、15年間、新聞を賑わせた話題の多くに、著者にしか、語られないであろう視点で記されています。

この震災に、時代の替り目を感じている方は多いと思いますが、本書は、昨年の11月に出版されているのですが、なんだか、今の状況を察知していたような「悪い予感」は、あとがきの、こんな言葉にも。

この15年間の私の迷走のなかで、私は今、1つの確信を得たことがある。それは、この国や社会が歪なものであるということ、そして、その歪さゆえにもう永続きはしないということである。わたしの命と同じくらいの寿命しかないと思われる。

そうであるなら、その断末魔に自分の手で末期の水を与えてやるのも悪くないと思い始めている。これが今の私の正直な気持ちである。


著者は、2005年に癌の手術をし、2010年に、ホテルのロビーで大量の血を吐いて緊急入院され、そうした状況を察知した古くからの友人の「生きているあいだに」という勧めにより、完成された本のようです。

宮崎氏には「政治的なひと」というイメージを持っていましたが、想像以上に「時代」に関わってこられたんだということを、あらためて知り、

読む人それぞれの15年を思い出させ、そのときには感じなかった「裏面」を通じて、今、時代を振り返るに相応しい本だと思いました。

他の誰にも書けない、他にはない本というのが、わたしの中では一番高い評価基準なんですが、これは、まさに、そういう本で、

女の人生からは、決して学ぶことの出来ない「男」にしか書けない貴重な本です。

宮崎氏の縦横無尽な、政治への関わりは、そういった手法に慣れていない、一般のひとにとって、今までは、関係なかったかもしれませんが、これからを考えるうえでは、参考にすべき点が多いのかもしれません。

☆☆☆☆★(老若男女におすすめ)

◎『続 突破者』/宮崎学(アマゾン)
__________________

衝撃のデビューから15年。ベストセラー自伝の書き下ろし続編! 「正義」をかざすインチキ漢、脱獄計画で俺を助けた闇の将軍、どうにも手が付けられないアホ、清く正しい市民の群れ、刑務所で出会った男と女……。奈落の闇を、俺は野蛮の声をあげて泳いできた。孤立を恐れず、進むほかないだろう。同時代社 (2010/11/26)



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by yomodalite | 2011-04-28 11:54 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)
ウィキリークス アサンジの戦争(1)のつづき


9. アフガニスタン戦争報告書 ー サイバースペース 2010年7月25日
「武装勢力の卑怯な行動の結果、罪なき命が失われたことを悲しく思う」クリス・ベルチャー(米陸軍少佐 アフガニスタンにて)

当時から謎が多いとされたアフガン紛争だが、2007年6月17日に発生したこの事件について米陸軍特殊作戦報道部は、こう伝えた。「空襲の初期報告で、神学校にいた7名の子どもの死亡を確認。これは罪のない一般市民を盾にして自らの身を守るという、アルカイーダのやり口そのものだ」クリス・ベルチャー陸軍少佐は語る。「武装勢力の卑怯な行動の結果、罪なき命が失われたことを悲しく思う」ところが、この3年後、ウィキリークスが入手した米軍の戦争報告によってこの事件の「真相」が明らかになる。報告書は、この空襲がただの「空襲」でなかった事実を示していた。

10. イラク戦争報告書 ー サイバースペース 2010年10月22日
「ご存知のように、我々は死者の数を数えない」トミー・フランクス大将(元・米軍中央軍事司令官)

イラク戦争報告書は“数字”がすべてを物語っている。米英両軍による、痛し痒しの「解放」がなされた後も、アメリカ政府やイギリス首相はイラクでの民間人死者の公表を拒否し続けてきた。トミー・フランクス大将の「我々は死者の数を数えない」という2002年の発言は、悪い意味で有名になり、その後何度も引用されてきた。フランクスが「自由のイラク作戦」を決行する1年前の言葉である。ところが、2010年10月、大量に流出したイラク戦争報告書のデータが公開され「存在しない」はずの民間人の犠牲者数が判明した。イラクへの侵攻以来、少なくとも6万6081名の民間人が犠牲になっている事実が明らかになった。

11. 公電 ー スコットランド ロッホナガー近郊 2010年8月
AcollectionOfDiplomaticHistorySince_1966_ToThe_PresentDay# 58文字のアサンジのパスワード

リビア、アメリカ両国間の外交上の駆け引きについて見えてきたのは、複雑で実に興味深い「絵」だった。超大国が「おだて」や裏工作、盗聴、時には弱いものいじめまでしながら外交を行っている実態が浮かび上がってきた。核開発の野望を抱き、巨万の富をもたらす石油貯蔵庫を抱える指導者の、呆れるほどに常規を逸した態度ー側近にもめったに見せない真実の姿を示されていた。また、イギリス人記者の立場からすれば、国際舞台で実力以上の力を発揮していると自負する我が祖国が、自分で選べる選択肢には限りがありそうだという実態もはっきりと見て取れた。

12. 世界 一 有名な男ーストックホルム ソーニャ・ブラウンのフラット 2010年8月13日の金曜日
「ソーニャは何度も手を伸ばしてコンドームを取ろうとしたが、アサンジは彼女の両腕を取り、脚を押さえて阻止した」(スウェーデン警察の調書より)

「ジュリアン・アサンジが強姦罪で訴えられた」という爆弾情報が飛び込んできた。リーとデイヴィスは、大慌てで国際電話を何本もかけ続け“性の対立劇”の経緯を追いかけた。この醜聞は最終的に、スウェーデン検察当局のイギリスへの「アサンジの身柄引き渡し」要求へとつながっていく。1つだけ、確かなことがある。ジュリアン・アサンジは多くの人々がその言葉から想像するような、いわゆる「強姦魔」では決してない。つまり、タブロイド紙のヘッドラインに踊る「レイプ」という言葉から想起されるような、計画的で残忍な性的暴行の罪で訴えられているわけではないのだ。

13. パートナーの不安 ー ロンドン「ガーディアン」編集主幹室 2010年11月1日
「私は闘争を好む人間だ」ジュリアン・アサンジ(オックスフォード テッドグローバル会議での発言)

ウィキリークスと提携を続ける3メディアは、ジュリアン・アサンジと会うべきときが来たと思った。すべてがとんでもなく厄介なことになりそうだったのだ。

14. 嵐の前に ー マドリッド ミゲル・ユステ通り「エル・バイス」社 2010年11月14日
「まるでスロットマシンだよ。コインの出口で帽子を持ってればいいだけだった」アラン・ラスブリジャー(「ガーディアン」編集主幹)

ボサボサ頭で画面に映る彼らの姿は、テロリストの隠れ家に捕われてた人質のように見える。そのうちの1人がカメラに近づいた。手に持った1枚の紙をことらへ向けている。そこには謎めいた6桁の数字が書かれていた。スイス銀行の秘密口座? 電話番号? あるいは「ダ・ヴィンチ・コード」と何か関係でもあるのだろうか?
実を言えば、彼らは過激派でも捕われた人質ではなく、スペインの新聞「エル・バイス」の記者たちだ。紙に書かれた謎の数字も身代金の要求額などではなく、25万以上もの外交公電の1通を示す番号なのである。すでに提携関係にあったイギリス、アメリカ、ドイツの3メディアー「ニューヨーク・タイムズ」のビル・ケラーは、これを「三国同盟」と名付けたーに後から参加した「エル・バイス」は公電データを分析する部屋を用意する時間がなかった。同紙とフランスの「ル・モンド」紙は、この“ウィキリークス・パーティー”に遅れて参加したため「Dデー」として合意した公開日まで2週間の間に公電を調べなくてはならなかった。

15. 公開日 ー スイス バーゼル パディッシャー駅 2010年11月28日
「行けっ! 行けっ! 行けーっ!」(「ガーディアン」紙ニュースルーム)

バーゼル パディッシャー駅は、その朝、この駅は別のことでその名を知られるようになる。地元局「ラジオ・バーゼル」編集長のクリスチャン・ヒープがパディッシャー駅で「デア・シュピーゲル」を見つけたのである。表紙にはセンセーショナルな見出しが躍っていた。「発覚!アメリカは世界をどう見ているのか」小見出しには「米外務省の極秘文書」とある。赤字の表紙には、世界各国の指導者の写真が、米国外交文書からの屈辱的な引用文とともに、ずらりと並べられていた。

ヒープのラジオ局はさっそくこのニュースを流し、匿名のツイッター・ユーザーが自分でそれをたしかめようとした。ブログの世界ではすぐに「地元の匿名ジャーナリスト」が思わぬお宝を掘り当てたらしい」という情報が広がった。「もう止められないとわかった。つまり我々の情報も漏洩してしまったわけだ」ラスブリジャーが皮肉っぽい口調で振り返る。

午後6時にさしかかる頃には「ガーディアン」のウェブサイト制作スタッフがコンピュータースクリーンを前に待ち構えている。制作部長のジョナサン・キャソンが訊ねた。「行くかい?」カッツが答える「行けっー」その瞬間。スタッフの口々に引き継がれ、たちまち広がっていった。史上最大の漏洩情報公開ー通称「ケーブル(公電)ゲート」ーはこうして実行に移されたのだった。

16. 史上最大の機密漏洩 ー サイバースペース 2010年11月30日
「それは歴史家の夢であり、外交官の悪夢である」ティモシー・ガートン・アッシュ(歴史学者)

私たちは、ウィキリークスから何を学んだのだろうか。通常の情報漏洩事件と同じように、意見は真っ二つに割れた。「自分は何でも知っている」と思っている保守的な都会人にとっては、今回流出した公電の内容は大して面白くないものだった。アラブがイランを好きではない?ロシア政府が腐敗?アフリカの一部は国民から搾取している?おいおい、そんなことは誰だって知ってるぞ。お次ぎは何?ローマ法王が何とカトリックだったって?

こうした人々にとって、今回公開された資料は当たり前のことが書いてあるだけで、“外交に関する退屈な睦言”に過ぎない(これは「ロンドン・レヴュー・オブ・ブックス」)誌の表現だ。学者のグレン・ニューウェイは「ニコラ・サルコジ仏大統領が“背が低くナポレオン・コンプレックスがある”と評されたって、別に何とも思わない」と語っている)

その一方で「アメリカ人のマナーの悪さはこんなものではないはずだ」と論じる人もいた。左派は大いに失望し、時に疑いさえ抱いた。公電が短いのはイデオロギー的な編集や検閲が行われたからだ。イスラエル関連の公電がなぜこれしかないのか?片や、右派や政府は、公電の公開は公共の利益になどならない、と主張し始めた。米国政府は「漏洩によって多くの人々の命が危険にさらされ、同盟国や友好国との関係を困難にし、テロリストを助けるものだ」といって非難した。

こうした議論が忘れられているのは、民主主義が完全に機能していなかったり、ロンドンやパリやニューヨークで見られるような言論の自由がなかったりする国々の多くが公電の内容を待ち望んでいたという事実である。そして、それこそがウィキリークスによる情報公開の力だった。

17. ウォンズワース獄舎のバラッド ー ロンドン ウエストミンスター治安判事裁判所 2010年12月7日
「私は他の苦しむ魂と共に歩いた」オスカー・ワイルド(「レディング獄舎のバラッド」より)

幾多の人々にとってジュリアン・アサンジはネット時代の聖セバスチャンになった。「神」を信じぬ者どもの矢に射抜かれた殉教者だ。この前夜、スウェーデン司法当局は、ストックホルムで2人の女性に暴行をはたらいた容疑に対し、アサンジの逮捕状の発布を決め、彼はインターポール(国際刑事警察機構)に指名手配された。手配書の容疑は“性犯罪”だ。ウィキリークス関係者によれば、出頭の覚悟を決めた後、ようやくアサンジはぐっすり眠ったらしい。アサンジの保釈は認められなかった。マイケル.ムーアが保釈金として2万ドルの提供を約束し“政府が生贄に手をかけようとするのに知らん顔を決め込むのは止めよう”と呼びかけた。

アサンジを擁護する者の中には彼を個人的に知っている者もいたし、そうでない者もいた。アメリカの面子を潰したという本当の“罪”のために投獄されようとしているのだと彼らは考えていた。一方アサンジは囚人としての新しい生活に適応しようとしていた。保釈申請が却下されてから1週間が経っていた。12月14日ー2度目の出廷をする頃には、アサンジの名前は天まで届きそうなほど高まり、イギリスの有力者たちも続々と彼の支援に駆けつけるようになった。傍聴席のチケットは、まるで、「チャーリーとチョコレート工場」に登場する「夢の招待券」を入手するようなものだった。

18.ウィキリークスの行方 ー イギリス ノーフォーク州エリンガム・ホール 2010年クリスマス
「年長者に辟易としているネット時代の若者にとって、ジュリアンは素晴らしいショーマンだ」ジョン・ヤング(クリプトーム主宰)

アサンジは「ガーディアン」のイアン・カッツ、そしてルーク・ハーディングと共にキッチンに腰を下ろしながら、ウィキリークスの不確かな将来に思いを巡らせていた。相変わらず不安は消えなかった。昨晩のフォックスニュースで、また1人目立ちたがりのコメンテーターがアサンジの死を要求したのだ。もしアメリカに引き渡され、刑務所に入れられたら、どうすればいいのだろう。アサンジの弁護士の味方も厳しかった。「アサンジはグアンタナモ基地に拘束されるらもしれない、死刑判決が出るリスクは現実に存在するのだ」クリスマスになると、“ウィキリークス現象”が終わってしまったのではないかとさえ感じられるようになった。膨大な量の情報をリークしたとされる、ブラッドリー・マニングは、春には軍法会議にかけられる予定で、その後は間違いなく、軍刑務所で恐ろしいほど長い年月を過ごすことになるだろう。

ウィキリークスの物語により(やや微妙ながら)すぐに興味深い“成果”が表れたのは、通常ならばあまり目立たない国だった。チュニジアの米大使が同国の支配者一族の腐敗や目に余る言動について激しく非難した公電が公開されると、何万人という抗議者が立ち上がり、ザイン・アル=アービディーン・ベン=アリーを大統領の座から失脚させたのである。きっかけは失業中の26歳の大卒者が、野菜の街頭販売を役人から禁じられ、絶望から引き起こした焼身自殺だった。

彼の死が契機となって、全国的な暴動が起こった。反乱の背後にあったのは、長い間くすぶっていたベン=アリー一族の腐敗を知り尽くしていた。その意味ではウィキリークスは必要なかった。だが、ウィキリークスの“真の効果”と呼ぶべきものは確かに存在した。チュニジアの若者が「ガーディアン」のウェブサイトによせたコメントには、生まれ育った国家体制に抱いていた、あきらめの気持ちが、ウィキリークスによって、希望に変わったという思いが綴られていた。

◎『ウィキリークス アサンジの戦争』(アマゾン)

《関連サイト》
◎『ウィキリークス アサンジの戦争』立読み電子図書館
◎ウィキリークス・ウォッチ・ジャパン WikiLeaksの翻訳のまとめ等
◎ウィキリークスとアサンジ-ガーディアンに「登場」(2010.12.04)
◎ウィキリークスが明らかにした問題ー英ガーディアンエッセイより(2010.12.07)
◎日刊ウィキリークス




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by yomodalite | 2011-03-31 15:31 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

ウィキリークス WikiLeaks アサンジの戦争

『ガーディアン』特命取材チーム,デヴィッド・リー,ルーク・ハーディング/講談社



ウィキリークス本、2冊目。

こちらは 上杉本と違って「今そこにある危機」の渦中にある日本人にとっては海外のことって感じかもしれませんが、

スピルバーグが映画化の権利を買ったと言われているウィキリークス本の1冊なので(もう1冊はアサンジから離反した元同僚による「Inside WikiLeaks」)スリリングな展開が、小説のような感じで楽しめます。

もっとも、お住まいの地域によっては、もうスリルは懲り懲りという方もいるかもしれません。(ちなみに、これを書いている途中も何度か揺れて、こちら東京でもかなりドキドキしました)

ただ、内田樹先生もこう言っておられますので、

levinassien 内田樹
花を見ながら耳を澄ます人もいるし、音楽を聴きながら耳を澄ます人もいるし、読書しながら耳を澄ます人もいるし、自動車を運転しながら耳を澄ます人もいる。それぞれがそれぞれの仕方でもう聞こえない死者の声をそれでも聞き届けようとしてます。そのパーソナルな選択に僕は敬意を払いたいと思います。(2011.3.30)

とりあえず「読書」を続けることにします。

「ガーディアン」は、ウィキリークスに最も早く接触し、その情報公開の伴奏者となってきたイギリスの名門新聞。本書はその記者チームによる著作で、ウィキリークスと大手メディアとの間で情報をシェアし、一定の日に同時に各メディアが報道を開始するというパターンを作ったのは、ガーディアンの記者によるものらしい。

今、自国のメディアの不甲斐なさを感じる人は多く、海外メディアの原発記事に目を通している人は多いでしょう。でも、世界でも優秀なはずの英国メディアが、イラクで民間人が殺害されていることにショックを受けるというのは、これは日本で言うところの「タテマエ」なんでしょうか?

どんなに、崇高な目的を掲げたって、そもそも、民間人が殺されていない「戦争」なんて一回でもあるんでしょうか?日本だって、原爆よりも、東京大空襲の方が、大勢亡くなっているようなんですが....

本書を読んで思ったのは、自分に直接関係ないことほど「真実」は見えやすいということでしょうか。

菅直人首相よりは立派に見える指導者がいて、優秀なメディアがあっても、戦争で人の命を奪ったり、奪われたりすることから逃れられない。わたしなら、兵隊になるよりは、原発で働いて、ガンになる確率が高くなる方を選ぶけど、頻繁に戦争に行かされている国民は、そうではないという「洗脳」を生まれたときから受けているんでしょう。(原発賛成ってわけではないですよ)

そんなわけで、

おそらく急増しているに違いない「将来は自衛隊」ですが、本書を読めば「将来はハッカー」とか、純理案、寿里安、亜賛侍、なんて名前も増えたりするかもしれない「内容」は下記の通り。

1. 秘密の館 ー イギリス ノーフォーク州 エリンガム・ホール 2010年11月
「アサンジには超笑ったよ」ジェームズ・ボール(ウィキリークス)

ロンドンの夜の薄暗がりに現れたその姿は、まるで老女のようだった。アサンジは尾行を心配するあまり、女装したのだ。その頃、ウィキリークスは、バグダッドで米軍のヘリコプターがロイターの社員2人を含む民間人12名をビデオゲームのように射殺する動画の公開やアフガン戦争に関する米国の機密文書を「ガーディアン」紙との前例のない契約・協力によって公表し、短期間のうちに広く知られる存在になっていた。アサンジとその仲間は、ロンドン西部にある外国人特派員やメディア関係者の溜まり場である「フロントライン・クラブ」からエリンガムに逃げてきた....
24歳のジェームズ・ボールは、アサンジが採用したデータアナリストで月給をもらって働いている。

2. 技術兵の「正義」 ー イラク 米軍ハンマー前線作戦基地 2009年11月
「電話なんて家に置いてくればよかった」レディー・ガガ(「テレフォン」)

夏の酷暑を過ぎた11月のイラクは温暖だ。だが、米軍ハンマー基地に駐留する者たちにしてみれば、何月だろうと外の空気はまとわりつくように重かった。技術兵のブラッドリー・マニングもそこにいた。マニングは情報分析官として1日中、基地内のコンピュータールームで最高機密情報を読み続ける。ところがマニングは、基地着任の初日からセキュリティの甘さに戸惑っていた。
数ヶ月後、マニングは基地を覆い尽くす米軍の“文化”を痛烈に批判するようになる。のちに事件が発覚した際、階級の低い軍人がこれほど膨大な極秘資料に無制限にアクセス出来たという事実に人々は驚いた。

3. ジュリアン・アサンジ ー オーストラリア メルボルン 2006年12月
「素顔で語れば、人はもっとも本音から遠ざかる。仮面を与えれば、信実を語るだろう」オスカー・ワイルド(19世紀イギリスの詩人・作家)

出会い系サイト「OKキューピッド」のプロフィールによると“ハリー・ハリソン”は35歳、男性、身長6フィート2インチ(約188㎝)自己紹介は次の通り。

警告:堅実な普通の男を探してるって? だったら他を探してくれ。俺は君が求めているようなロボット人間じゃない。最初から互いの時間を無駄にするのは止めておこう。
当方、情熱的で頑固なインテリの活動家。情事と子どものため、時には犯罪の陰謀のために美女を求めている。快活で遊び心があって、学歴とは関係なしに知性が高い女性、さらに勇気があり、上品で、内面の強さがあり、世界や自分が愛する人々のことを戦略的に考えられる女性を希望。
政治的混乱に耐えている国の女性に惹かれる。西洋文化は無価値で空虚な女性を作り出しているようだ。あ、そうだね。女性だけに言えることじゃないね!
俺はとても知的で、肉体的にはケンカっぱやいけど、女性と子どもはちゃんと守るよ。
俺は危険だ、気をつけろ、そうすれば??????????!

さらにプロフィールには「自信がないなら返事はよこすな。俺は忙しい。勇気がある者だけ連絡をくれ」という警告までついている。もう、おわかりだろう。ハリー・ハリソンは偽名で本名はジュリアン・アサンジである。
1971年7月3日、アサンジはオーストラリア北部で生まれ、母親の父は学者で大学の学長まで務めた人物。母クリスティーンは17歳のと家出しカウンターカルチャーに浸り、ベトナム反戦デモで出会った若者と恋に落ちたが、関係はすぐに終わった。その若者がアサンジの父親だった....

4. ウィキリークスの誕生 ー ドイツ ベルリン「カオス・コンピューター・クラブ」年次総会 2007年12月
「権力者の情報を公開しながら、捕まらないようにするにはどうすればいいのか」ベン・ローリー(暗号化のエキスパート)

ヨーロッパ中のハッカーが集う「第24回カオス・コミュニケーション年次総会」で、ダニエル・ドムシャイトベルク(ダニエル・シュミット)はアサンジと出会い、ウィキリークスの技術システムの基本設計に専念することになる。ダニエルとアサンジは3年後に苦い結末を迎えることになるが、当時は地球の至る所にウィキリークスのサーバが設置出来る安全な場所を整えたいという希望で一致し、スウェーデンにサーバが、情報漏洩の聖地と化した。(ただし、アサンジは後にスウェーデン人の“マナーとモラル”を侵したとして逮捕される)

5. 「アパッチ」のビデオ ー ノルウェー トンスベルグ クオリティ・ホテル 2010年3月21日
「子どもを戦闘に巻き込んだのは彼らの責任だ」米軍ヘリコプターパイロット

SKUP(ノルウェー調査報道財団)結成20周年を記念する総会のパーティーに数百人ものノルウェー人記者が集まり、国外からもジャーナリストが招かれていた。
「素敵な服と素敵なユーモアをお持ちください」と招待状には書かれていたが、ジュリアン・アサンジは首までファスナーを上げた茶色の革ジャケットといういつもの格好だった。「いいものを見たくないか?」アサンジは彼と同じくスピーチを行う予定だった「ガーディアン」記者のデヴィッド・リーに話しかけた。細身の身体と長い銀髪のアサンジは、その少年のような微笑みで、すでに傍らにいる女性たちを魅了しかけていたが、この誘い文句はリーの心も惹き付けた。リーのホテルの部屋で、ドアをロックし、チェーンもかけた後、小型のネットブックを取出し、しばらくして画面にはモノクロームの映像が流れ始めた。
空中から撮影されたこの影像は、世界中のユーチューブで繰り返し再生されることになる。米軍武装ヘリの機関砲の乾いた連続音ー負傷者をワゴン車に乗せようとしている運転手が映るが、その車も激しい攻撃を受けた。車内に子どもたちがいるにもかかわらず。。無線通信で「子どもが負傷した」と告げられると、ヘリのパイロットは弁解するようにこう答えた「子どもを戦闘に巻き込んだのは、連れてきたヤツらの責任だからな」ネットブックで再生された39分ほどの「殺戮」ビデオを見た瞬間、リーは驚愕した。こんな影像は見たことがなかったからだ。

6. ラモとの対話 ー イラク 米軍ハンマー前線作戦基地
「こんなことを君に話しているなんて信じられないよ」Bradass87

ブラッドリー・マニングはアサンジが米軍アパッチ・ヘリの動画を公開してから数週間が経過し、ネット上のチャットでは、不安のあまりに「心が3回ほどおかしくなった」と打ち明け「必死に自分を癒そうとしている」と打込んだ。アメリカ人のハッカーのラモは「ニューヨーク・タイムズ」を始めとする、ありとあらゆる企業のコンピューターに潜入した罪で、2年間の執行猶予を受けた過去を持つ。ネットを通じてラモに心情を吐露し始める何日か前に、彼は技術兵から上等兵に降格されていた。
結局、ラモの告発によりマニングは逮捕され、クウェートの米軍基地の軍刑務所に収容された。マニングの友人たちは彼が拷問に近い状態に置かれ続けているという。最近、読書が許されるようになったマニングが2010年の終わりにリクエストした本ーそれは、カントの『純粋理性批判』だった。

7. 取引 ー ベルギー ブリュッセル レオポルド・ホテル 2010年6月21日午後9時30分
「地球上で最大のデカいネタだと思った」ニック・デイヴィス(「ガーディアン」記者)

「ジュリアンが小型のラップトップを出した。すぐに開いて、キーを叩いて何かを打込む。それからナプキンを持ってこう言ったんだ。『オーケー。これで君たちの物だ』。『何が?』と訊くと、ジュリアンはこともなげに答えた。『ファイル全部。パスワードはこのナプキンだ』って」
アサンジはナプキンに印刷されていたホテルの文字やロゴを丸で囲みながら「ノースペース」(スペースなし)と書き加えた。これがパスワードだ。そして隅に3つのアルファベットを書く。GPG。これはアサンジが一時的に使用するウェブサイトに用いる暗号化ソフトである。暗号めいたナプキンは、まるでジョン・ル・カレの推理小説を思わせ、演出効果抜群だった。

8. 作戦会議室 ー ロンドン キングス・プレイス「ガーディアン」本社 2010年7月
「キャンディ・ショップにいる子どもみたいな気分だった」デクラン・ウォルシュ(「ガーディアン」パキスタン特派員)

ニック・デイヴィスは秘密の厳守に固執するあまり、当初は副編集長のイアン・カッツにさえ、プロジェクトの件を話すことを拒んだくらいだった。ところが、自分が最高機密のプロジェクトに関わっているという噂があっという間に広まっていることがわかって、大いに慌てることになる。新聞社というのは、長く何かを隠しておくには不向きな場所なのである。
デヴィッド・リーが不平を漏らす。「巨大なデータの山から小さな砂金を探すようなものだよ。ネタがあるかどうかなんて、どうしてわかる?」
「インターネットがジャーナリズムを食いつぶすと言われることがあるが、ウィキリークスの記事は“両者の融合”だった。伝統的なジャーナリズムの技とテクノロジーの力、その両方を使って、驚くべき記事を世に送り出す。将来、データジャーナリズムは目新しい驚くべきものではなくなるかもしれないが、今のところは革命的だ。世界は変わった。変えたのはデータだ」
「死傷者数」の統計が初めて手に入るのも、また注目すべき点だった。米軍は少なくともこれまで、民間人や「敵」に関しては「死者数を把握していない」と虚偽の主張を繰り返していたが、その記録が記者たちの目の前にあった。

ウィキリークス アサンジの戦争(2)につづく



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by yomodalite | 2011-03-31 14:54 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

ウィキリークス以後の日本~自由報道協会(仮)とメディア革命~ (光文社新書)

上杉 隆/光文社




さて、本でも読みますか。。。

昨今の情報過多の毎日で、今さら「ウィキリークス」って気分じゃないし、なんか遅くね?って気も....

確かに、あっと言う間にウィキリークス本も一杯出版されちゃうし、わたしも、もういいかって気分だったり、ウィキリークスに関する本より、ウィキリークスが何を伝えているかの方が興味あるし....って思ってたんですね。

で、結局、ウィキリークスに関しては、本書と『ウィキリークス アサンジの戦争』の2冊しか読んでいませんが(『ウィキリークス アサンジの戦争』は後日)、

本書の著者である、上杉隆氏に関しては、ラジオ、ネット等などでの活躍はよく存じていましたけど、著作を読むのは初めてです。ですから、上杉氏の著作をすでに何冊かお読みになっている方とは、意見が異なるのかもしれませんが、そうでない方には、

「黒い池上彰」(わたしは池上氏の番組は見てないんですけど....)として、これまで何度も声を大にして訴えられてきた「記者クラブ問題」と「ウィキリークス」の両方を、わかりやすくポイントを絞って書かれていて、お得な1冊かもしれません。

本書に対して、ウィキリークスのことより、結局、記者クラブ問題ばかりが書かれているという感想は、的外れとは思いませんが、でも、ウィキリークスに日本の暴露情報を期待したって難しいでしょう?(ていうか、どこまで外圧頼み?)

だって日本人は英語が不得意な人がほとんどな上に、多少英語ができる人は日本のことをあまりわかってないか、米メディアに洗脳されてる人がほとんどですし、、

膨大な情報から、日本にとって重要な情報を取捨選択し、すばやく、日本語で伝えられるという状態が、ウィキリークスのスタッフにある確率もすごく低いと思うんです。

残念ながら、日本は「ウィキリークス」以後どころか、大手メディアの信じられないほどの「劣化」や「腐敗」から始めるしかなく、むしろ、日本の問題を棚上げせずに、真摯に受けとめつつ、活動されているのは、極わずかな人しかいないという「事実」も、震災後の今なら、より多くの人が理解できるのでは?

ガーディアン誌など、同じ英語圏の一流メディアのスタッフでさえ、ウィキリークスの膨大な情報から、重要な情報を見つけるのに相当手間取っています。それなのに、日本では、普通に公開されるべき情報ですら「記者クラブ」という濾過装置を通してからでないと得ることができない。

そんな異常事態を何年も見過ごしたうえでの「東電原発事故」だったってことを、わたしたちは、「今そこにある危機」として、あらためて、よく知る必要があると思います。

◎ウィキリークス以後の日本ー自由報道協会(仮)とメディア革命(アマゾン)

__________

[BOOKデータベース]日本のマスメディアが「暴露サイト」と報じるウィキリークスの本質とは何か?同様に、犯罪者扱いされている創設者のジュリアン・アサーンジとは何者か?なぜウィキリークスの出現は(日本以外の)世界中で「情報の9・11」と言われるのか?記者クラブが情報統制を行い、真のジャーナリズムが存在しない日本では報じられない“事実”を解説。また、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアが大きな役割を果たしたとされるチュニジアのジャスミン革命やエジプト革命にも言及。ウィキリークス以後の世界で何が起ころうとしているのか、著者が暫定代表を務める「自由報道協会(仮)」の活動も含めて解説する。光文社 (2011/3/17)

[出版社からのコメント]新聞・テレビが報じない"不都合な真実"とは?いま世界で、日本で何が起き、何が変わろうとしているのか?"日本のアサーンジ"の異名を持つ著者が解説。日本のマスメディアが「暴露サイト」と報じるウィキリークスの本質とは何か? 同様に、犯罪者扱いされている創設者のジュリアン・アサーンジとは何者か? なぜウィキリークスの出現は(日本以外の)世界中で「情報の9・11」と言われるのか? 記者クラブが情報統制を行い、真のジャーナリズムが存在しない日本では報じられない"事実"を解説。
また、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアが大きな役割を果たしたとされるチュニジアのジャスミン革命やエジプト革命にも言及。ウィキリークス以後の世界で何が起ころうとしているのか、著者が暫定代表を務める「自由報道協会」(仮)の活動も含めて解説する。





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by yomodalite | 2011-03-30 16:24 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

犬を殺すのは誰か ペット流通の闇 (朝日文庫)

太田匡彦/朝日新聞出版



マジメな本が続きますが、、、

先日、ある方から「動物愛護管理法」の改正に向けてのメールをいただきました。今年の9月末までに、改正案のための署名を集めたいとのことでした。

一部のペットショップやブリーダー、また、無責任な飼主により、大勢のペット達が「処分」されていることをご存知の方も多いと思います。

わたしは子供のころから、とにかく「殺傷」がキライで、「血」を見ることにも、めちゃめちゃ臆病だったので、どうしても踏んでしまっているかもしれない蟻を除けば、ホントに小さな虫だって、殺さないように気をつけてきたつもりです。(メールをくださった方は、お会いしたことはない方なので、そんな私を見込んでくださったわけではないのですが。。。)

また、以前、視覚障害者の音楽家の方と仕事をして、盲導犬と一緒に5時間ほど一緒に過ごしたときも、「彼」の自動改札に苦心する姿や、雑居ビルの外側に取り付けられた、鉄製の螺旋階段の昇降を手助けするところ(エレベーターに乗ることを遠慮されたんだと思います)、

2時間以上を過ごした中華レストランで、円卓の下に大きな体を小さくして、息づかいすら聴こえないほど静かにしていて、そのあまりの存在感の無さに私の方が「彼」を忘れてしまって、席を立つときに、うっかり、尖ったブーツの先で蹴ってしまったときも微動だにしなかった「彼」の姿は、

わたしの「思い出すとすぐ泣けるエピソード」のひとつです。

ですから、動物を愛する気持ちも、彼らの心と通じ合えるという思いも、人並みにある方だと思うのですが「法律」の問題となると、すぐに賛成していいのかどうか、判断できませんでした。

というのも、動物愛護の精神は、突き詰めていけば、人間とぶつかるものです。「人権」も保証されていない世の中で「アニマルライツ」を強く主張して行くことは、愚かな人間を、動物よりも「下」に置きかねない部分があるからです。

また、わたしには「法律」で定めることは、できるだけ「拡大」しない方がいいという考えもあり「罰則」の増大や「法律遵守の厳罰化」、子供が事故にあったときなども、親の責任を糾弾するような「自己責任」が過重な世の中にも、息苦しさを感じています。

親の責任を過重にし、他人を子供に寄せ付けてはいけないという世の中の「空気」は、子供に真の愛情をもって接しようとした、マイケル・ジャクソンのような人に「性的幼児虐待」という疑惑を植え付けることにも繋がりましたし、

犯罪防止のための、新法案や、改正は「取り締まる仕事」を増やすことと、監視するシステムの構築に繋がっていることも確かです。

わたしは、そんなことも考えつつ、今回の「動物愛護管理法」の改正に求められていることや、現状の問題点を知りたくなり、この本を読んでみることにしました。

本書は、雑誌「AERA」で、2009年から連載されていた記事の構成を大幅に変え、多くの書き下ろし部分を追加したもので、2010年の9月に出版されたものです。

著者は「アエラ」の編集員で、わたしが日頃から大キライ!と言っている元新聞記者の方ですが、本書は著者のきもちが込められた綿密な取材と、各自治体等のデータも豊富にあり、この問題を考えるうえで、必要なデータがよくまとめられている「良書」だと思いました。

ペットの殺処分も、連載時の反響から、自治体にも変化が起こったり、消費者が知識を得たことで、減少傾向にも繋がったようです。

罪のない、ペットたちの命のために、法律改正が必要かどうかだけでなく、

無責任に捨ててしまう一般の飼主もそうですが、特に、ブリーダー、ペットショップの意識改革も「ビジネスの問題」なので、

消費者が賢くなることによって変えられることはたくさんあると思います。

深夜にペットを販売しているペットショップや、
生まれたての子犬の可愛さに、つい目がいってしまうことにどんな問題が潜んでいるか
ペットと暮らしたいと思うとき、考えておくべき様々な条件など、、

わたしたちが、ペットに対して、間違いを犯さなくても済むような予備知識も教えてくれます。図書館にも置いてある本だと思いますので、是非ご一読をお勧めします。



☆「動物愛護管理法を変えるデモ」は、今年の2月に行われたようです。

ペットの殺処分は減少傾向にあるようですが、法律改正の方は、業者の反対票が多く、厳しい状況だと聞いています。

先頭に立たれた、女優の浅田美代子さんのメッセージと動画のリンクを貼っておきます。

わたしは、明石家さんまさんと、永年仕事をしている浅田さんを素敵な人だと思っていますし、女優だけでなく、タレントとして「人々を楽しませるお仕事」をされてきた方は「人間にも優しい方」ではないかと思っています。

「運動」には、業界主導のものが多く、それらの広告塔になるタレントは、ギャラも貰えるうえに、イメージアップにも繋がり、美味しいことばかりですが、この活動は、業界と反発する運動なので、

浅田さんは、業界からの嫌がらせなど、芸能活動にとってマイナスになることはあってもプラスになることはないという覚悟で立上がられているのでしょう。

私は「法律改正」について賛同する者ではありませんが。。。

◎浅田美代子さんの動画(2010年3月19日首相官邸訪問)
◎殺処分寸前だったイヌが心を開く瞬間

「浅田美代子さんからの御願い」
2011年2月26日「動物愛護管理法を変えるデモ」の際のメッセージ


ペット・ショップは、とても楽しい所です。愛らしい愛玩動物達は、私達の友であり、心を和ませてくれるパートナーです。そして、運良く、親切な飼い主に巡り会う事が出来た彼らは幸運です。しかし、運が悪く、誰にも引き取られ事のなかった彼らの運命を御存知ですか?

動物を家族に迎え入れると言う行為は、大変素晴らしい事ですが、それと同時に命と言う重大な責任と思慮深い選択が求められる事を理解していますか?

日本だけで年間 30 万(300,000)頭、毎日 1000 近くの愛されるべき動物の命が処分されているのが現状です。動物を本当に欲しがる人達にとっては、動物が御金では手にする事の出来ない掛け替えのない友と成り得る事もありますが、生体販売業界にとっては、ただの金儲けの道具に過ぎません。そして「補充>成長>売れない>処分>補充>成長>売れない>処分>・・・」と言う状況が続く限り「補充>成長>売れない>処分>補充>成長>売れない>処分>・・・」と言う悪夢の様な連鎖が途絶える事はありません。

☆飼い主の要望によって殺処分される理由
・病気を患って、治療費が高額だから
・新しい犬(猫)を買ったから
・大声で鳴いて、近所から苦情が来た
・発情期になってしまい、うるさい
・妻が妊娠した
・(親など)と同居するする事が決まった
・引っ越す事になった
・子供を産んだから、親犬は、もう要らない
・言う事を聞かない
・いつまで経っても糞便の場所を覚えない
・年を取ってしまい、飼うのが面倒になった
・犬(猫)が子供を沢山生んでしまい、こんなに飼えない

私は、保健所から一頭の子犬を引き取る事を決意しました。御座り、御手、待て、おしっこの場所も分かる、こんな子達が、日本だけで年間 30 万頭、毎日毎日 1000 頭も殺されていると思うと現実が本当に辛い。動物を一頭買えば、その数十〜数百倍の動物が犠牲に成ると言う事を全ての人に知って置いて貰い、動物を飼う事に責任と義務を持って頂きたい。今回のデモは 5 年に 1 回見直されるか見直されないかの動物愛護管理法を変えるチャンスです。この先 5 年間で再び 150 万頭の動物が犠牲になる事のない様に皆様の御協力を御願い致します。—女優 浅田美代子
____________

[内容紹介]
年間約8万匹の捨て犬が殺処分されている。その背景には、オークションを中心とする日本独特のペット流通がある。「売り時」を逃した犬を処分する業者と、ゴミのように回収する行政。アエラ記者が「命の衝動買い」のツケを告発する。朝日新聞出版 (2010/9/17)


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by yomodalite | 2011-03-10 08:59 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

黄泉の犬/藤原新也

本書は、森達也氏の『A3』に登場したことから、確認のために読んでみました。

このブログで、たぶん初めて、この言葉を使うと思うんですが、、、

でも、いつだって評価の高い、藤原氏には安心して言える気がする。。。

わたしは、この人がずっと「キライ」でした。なぜ、そう思うのかは、自分でも説明できない。でも、あの頃、藤原氏の描く不毛は、バブルの恩恵を受けていることに無自覚か、もしくは、免罪符として必要な人のために存在しているんじゃないかと思っていて、今もそうだったと思っているだけ。

『A3』では、他にも数多くの本が引用されていて、巻末の参考資料(41冊)の中から、麻原彰晃によるものと『キリスト教史Ⅱー宗教改革以後』など、オウムと直接関係ないものを除くと、下記の25冊になります。

・オウム法廷(全13巻)/降幡賢一
・オウム「教祖」法廷全記録(全8巻)/毎日新聞社会部編
オウム裁判傍笑記/青沼陽一郎
・オウム真理教とムラの論理/熊本日日新聞編
麻原彰晃の誕生/高山文彦
・「オウム真理教」裁判傍聴記/江川紹子
・裁かれる教祖/共同通信社社会部編
約束された場所で―underground〈2〉/村上春樹
・二十歳からの20年間ー“オウムの青春”の魔境を超えて/宗形真紀子
さよなら、サイレント・ネイビー 地下鉄に乗った同級生/伊藤乾
・オウムはなぜ暴走したか。内側からみた光と闇の2200日/早坂武礼
「麻原死刑」でOKか?/野田正彰、大谷昭宏、宮台真司、宮崎学、森達也
・獄中で見た麻原彰晃/麻原控訴審弁護人編
私にとってオウムとは何だったのか/早川紀代秀、川村邦光
・ジ・オウムーサブカルチャーとオウム真理教/プランク編
・検証・オウム真理教事件ーオウムを決別した元信者たちの告白/瀬口晴義
・オウム真理教大辞典/東京キララ社編集部編 西村(新人類)雅史、宮口浩之監修
オウムーなぜ宗教はテロリズムを生んだのか/島田裕巳
「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔/森達也
・黄泉の犬/藤原新也
・サリンー1995・3・20/中島尚志
オウム帝国の正体/一橋文哉
革命か戦争かーオウムはグローバル資本主義への警鐘だった/野田成人
・オウムと私/林郁夫
・オウムからの帰還/高橋英利

リンクがあるものが読了したもので、読んでいない本もまだまだありますが、『A3』では、2006年に出版された『黄泉の犬』について、

重要な仮説が提示され、事件の様相を一変させる証言を書いたにも関わらず、あらゆるマスコミから無視され、この内容にしてインタヴューが一件もないというの、は経験からして考えられないことで、腹にサラシを巻いて命がけで取材するような者のいないこの時代を象徴している。

という、藤原氏のブログの文章が紹介されていたので、腹にサラシを巻いて取材した部分が、どうしても読みたくなりました。

その部分は、作品の重要な魅力をバラすことになるので、ここに書くことはできませんが、サラシを巻いただけでなく、ギラリと抜き身が光る内容で、藤原氏は、やはり「本物」だと思い、引用した図書の多くに挑戦を投げかけている『A3』の中でも、作品として、森氏がもっとも強く挑戦状を叩き付けたのも、本書なのではないかと思いました。

ただ、『黄泉の犬』は、常に評価の高い、藤原氏の著作の中でも、評価の高い近年の作品ですけど、『A3』を読了後に読むと、その限界もはっきりしたように感じられます。オウム解題としては『A3』が明らかに上をいっていると思いました。

◎黄泉の犬 (文春文庫)/藤原新也

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[BOOKデータベース]藤原新也インド旅伝説に新たに衝撃の一章が加わる!青春の旅を記録した処女作『印度放浪』から34年―その長きにわたって著者が封印してきた衝撃の体験がついに明かされる!『メメント・モリ』の感動を再び甦らせる。藤原新也、インド紀行完結篇。

[MARCデータベース]「オウム真理教の何が若者たちを惹きつけたのか」という疑問を糸口に、かつてインド、チベットを放浪した著者が独自の宗教観を展開する。『週刊プレイボーイ』連載の「世紀末航海録」を大幅に加筆改稿して単行本化。文藝春秋 (2006/10)、文庫版(2009/12/4)





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by yomodalite | 2011-02-01 22:58 | 報道・ノンフィクション | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite