カテゴリ:歴史・文化:美術( 48 )

世界システム論講義(ちくま学芸文庫)/川北稔

プリンスショックで、読書記録を書くことだけでなく、読んでも頭に入らなかったんですが、こちらは、お手軽サイズの良書でオススメ!

* * *

世界システム論は、アメリカの社会学者・歴史学者、イマニュエル・ウォーラステインが提唱した「巨視的歴史理論」(→Wikipedia)なんですが、本書は、ウォーラステインの主著の翻訳をされた阪大名誉教授が行った放送大学での講義をまとめたもので、

ウォーラステインの『近代世界システム』は4巻もある大書ですが、こちらは、2015年に出版された、厚み1センチほどのコンパクトサイズの文庫で、現代日本を考えるうえでも、重要な示唆に富む1冊だと思いました。

下記に、

第2章:アジアにあこがれたヨーロッパ人から、「なぜ『ヨーロッパ』世界システムになったのか」を省略してメモしておきます。

(引用開始)

・・・なぜヨーロッパは「中核」になったのか。じっさい、近代を生み出したとされる火薬や羅針盤や印刷術などは、ことごとくアジア、主に中国の発明したものであったし、海外への探険や航海にしても、中国のほうが先に展開したともいえる。すなわち、コロンブスやバスコ・ダ・ガマに先立つ15世紀前半(明代初期)には、イスラム教徒であった廷臣鄭和が、7度にわたって「南海」を探険し、ジャワ、セイロン(スリランカ)、インドから、ペルシャ湾、東アフリカあたりまで進出していた。バスコ・ダ・ガマがインドのカリカットを訪れたとき、そこの住民は、もっと以前に東からきた鄭和の大軍団のことを記憶していたといわれている。その探険・航海のなかには、数万人の規模に及ぶものもあり、規模の点でも、ヨーロッパ人の「大航海」に匹敵するものであった。
 
 とはいえ、結局のところ、近代世界システムは、コロンブスやガマの航海を前提として、ヨーロッパ人の主導のもとに成立した。それはあくまで「ヨーロッパ世界システム」となったのであり、「明朝世界システム」とはならなかった。この事実は、どのようにして説明されるだろうか。ヨーロッパの生産力が、アジアのそれを上回っていたからだろうか。ヨーロッパの商業がだんぜん発達していたからだろうか。いずれも、ノーである。技術水準ばかりか、農業や製造業の生産力そのものも、おそらくアジアのほうがヨーロッパより高かっただろうと考えるべき理由はいくらもある。商業も、アジアのほうがだんぜん盛んであったということができる。こうしてみると、ますますヨーロッパではなく、アジアが世界を席捲し、「アジア世界システム」が近代世界を統合しても不思議ではなかったように思われる。
 
 しかし、ヨーロッパのシステムと中華システムには、決定的な違いが一つあった。すなわち、前者は政治的統合を欠いた経済システムであったということである。中華システムの「中核」は、明であれ、清であれ、とにかくユーラシア大陸の東部一帯をひとまとめにして支配する「帝国」となっていたのに対して、西ヨーロッパは、まさしくそのような統合を欠き、「国民国家」の寄せ集めにすぎなかったのである。帝国は帝国内部での武力を独占し、武器の浸透や発展を阻止する傾向が強い。これに対して、国民国家の寄せ集めであったヨーロッパでは、各国は「競って」武器や経済の開発をすすめた。このことが、16世紀における東西の武力の圧倒的な差となって現れたとみるべきであろう。
 
 アメリカ人の歴史家K・ポメランツは、その著『大分岐』において、18世紀末まではヨーロッパと、中国に経済水準や技術水準の差異はなかったとして、ヨーロッパが「アメリカ」という、巨大な資源供給地を得たことが、東西の歴史的明暗をわけたとしている。その点では、本書の理解とほぼ同じである。ただ、ここでは、ヨーロッパが「アメリカ」を得たのは、たんなる偶然だとはみない。中国が対外進出を控えて、むしろ「海禁」とよばれる鎖国政策に転じていくのに対して、ヨーロッパが「大航海」に熱中するのには、しかるべき理由があったと思われる。

(引用終了)


下記は、「ちくま学芸文庫版へのあとがき」より省略して引用


「世界の一体化」という表現をよく聞きます。しかし、この表現は、厳密にいうと間違いです。「世界」とは、もともと何らかの意味で「一体化」しているまとまりのことをいうのだからです。じっさい、もともと地球上には、「世界」が沢山ありました。

「地中海世界」や「中華世界」、「インカ世界」などです。歴史学上、「帝国」とよばれるものは、それ自体ほぼひとつの「世界」でした。帝国の支配者たる「皇帝」は、国王とは違って、理念上「世界」を支配しているので、自己と対等の者の存在を認めなかったのです。
 
 ところが、こうしたさまざまな「世界」は、1500年頃以後の歴史において、しだいにヨーロッパを中心とする「近代世界システム」に吸収されていってしまいます。中世のヨーロッパは、神聖ローマ皇帝のもとに、理念的にはひとつの「帝国」であったともいえますが、近代世界システムは、帝国として政治的に統合されておらず、たんなる大規模な分業体制として成立したことが特徴です。しかも、この近代世界システムには、「飽くなき成長・拡大」を追求する内的動機が内蔵されていたことが、この拡大の一つの原因です。こうして、20世紀の始まる頃、地球全体が、ほぼこの近代世界システムに吸収され、「世界」(ワールド)は「地球」(グローブ)と同じ意味になったのです。したがって、一体化したのは、世界ではなくて、地球なのですが、何となく私たちは、「世界の一体化」という言葉に慣れてしまったのです。もっとも、歴史的経緯はともかく、結果的には、どちらでも同じことなのかもしれません。

 この本は、これからの世界がどうなっていくのかを考える前提を提供する目的で、こうした観点から、過去500年ほどの過程をたどりました。本書のような見方に対しては、たとえば、アジア史が書かれていないので、ヨーロッパ中心的だというような、趣旨を取り違えた批判がよくされます。しかし、現代の世界(地球)が一体化しているとして、その現代世界は、どこからきたのかということを考えると、ごく最近までのそれは、やはりヨーロッパを中心とした世界システムの延長線上にあったといわざるをえません。ヨーロッパ世界の展開には、地球上のあらゆる部分が、多くは「周辺」として、それぞれきわめて重要な役割を果たしていくのですが、近代世界システムがヨーロッパ的なものであることは、否定のしようがありません。中華世界やインド洋世界が、ヨーロッパやアメリカを席捲して、中国やインドの価値観が世界の価値観になったわけではないのです。イスラムを中心とした世界システムとか、東南アジアを中心とした世界システムとかいうものも、歴史的には、当然存在したでしょうが、それらの世界システムが地球を一体化させたわけではありません。
 
 歴史家は、それぞれ自己の専門としている地域や時代に愛着をもちますし、それはとても大切なことですが、贔屓の引き倒しでは困るので、明日の世界を考えるには、なぜヨーロッパ的・資本主義的な近代世界システムが地球を覆うことになったのか、という問題を避けてとおることはできないのです。・・・

(引用終了)





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by yomodalite | 2016-07-04 12:00 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

世界を変えた書物はどの国から多く出版されていたのか

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稀覯本の詳細や、「知の森」をイメージした会場全体の様子は下記のリンクを!



会場内が撮影自由だったのが嬉しかったのですが、こちらでは、「世界を変えた書物はどの国から多く出版されていたのか」という映像によるグラフが興味深かったので、そちらの写真を。

(このグラフは、竺覚暁『工学の曙ー世界を変えた書物 解題年表』という書籍に記載されている約2300冊の書物からの集計)

色や形が刻々と変化する有機的な映像を写真に撮ったため、見づらい色合いになっていますが、

コメントとその時代の主要な出来事も追加しました!


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◎1450年
圧倒的に、イタリアがリード。その次にドイツ、フランスとスイスは拮抗し、ベルギーとオランダもほぼ同じで続いている。

☆百年戦争(フランスの王位継承をめぐって、ヴァロワ朝フランス王国と、プランタジネット朝およびランカスター朝イングランド王国の戦い。これによって、フランスとイギリスの国境線が決定する)


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◎1475年
独走イタリアがさらに拡大、ドイツとフランスが一位との差を縮め、スイスが後退。スペイン、オーストラリア、ベルギーが拮抗し、イングランドが出現する。


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◎1500年
独走イタリアをフランスがドイツをリードし、勢いを増すイングランドとオーストリアが後を追い、スペイン、ベルギー、ポルトガル、スイス

☆ブラジルが発見される



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◎1525年
イタリア、フランス、ドイツ3カ国が拮抗。スイスが盛り返し、ベルギー、イングランド、スペイン、ポルトガル。オーストリアは縮小化。

☆イタリア戦争(1521−1526)/ハプスブルグ家(神聖ローマ帝国、スペイン)と、フランス(ヴァロア家)が、イタリアを巡って繰り広げた戦争。

☆教皇レオ10世(メディチ家出身)は、神聖ローマ皇帝カール5世と結び、フランス支配下のミラノを奪還し、ロードス島の聖ヨハネ騎士団とヴェネツィア共和国の連合軍はオスマン帝国に敗北する。


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◎1550年
イタリアが3カ国の拮抗から抜け出して、首位に返り咲き、2位がフランス、スイスがドイツを破り、イングランドとドイツが拮抗。

☆アルタン・ハーンの軍が北京を包囲


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◎1575年
イタリアの首位は変わらないものの、書籍量が減少。2位フランス、3位ドイツはスイスを抜き返し、オランダ、スイス、イングランドが拮抗。


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◎1600年
出版国が広がる。首位イタリア、2位ドイツ、フランス、スイス、オーストリア、オランダ、イングランドが拮抗。スコットランドとチェコが急上昇。

☆イギリス東インド会社創設
☆関ヶ原の戦い(日本)
☆ウィリアム・シェイクスピア、『ウィンザーの陽気な女房たち』を執筆


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◎1625年
フランスが首位。2位がイタリア、ドイツ、オランダ、イングランドが拮抗。次いで、急上昇したポーランド、スペイン、ベルギーも拮抗。

☆三十年戦争/ボヘミアにおけるプロテスタントの反乱をきっかけに勃発、神聖ローマ帝国を舞台に、1618年から1648年に戦われた戦争。スウェーデンが参戦した1630年以降は、フランス王国ブルボン家とオーストリア大公国ハプスブルク家のヨーロッパにおける覇権をかけた戦いともなった。


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◎1650年
イングランドが首位。2位がフランス、イタリアは3位に陥落。オランダ、ドイツ、スイスが拮抗し、スペインが追いかける。

☆イングランド・オックスフォードにヨーロッパ初のコーヒー・ハウスが開店。
☆トマス・ホッブズの『リヴァイアサン』刊行(1651年)


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◎1675年
首位イングランドは変わらないものの、2位のフランス、3位のイタリアが差を縮める。縮小したドイツはオランダと拮抗し、オーストリア、スペインが後を追う。

☆イギリス:グリニッジ天文台完成。
☆パリに世界で最初のカフェができる。
☆ジョヴァンニ・カッシーニが土星の環が複数の輪で構成されていることを発見。
☆バールーフ・デ・スピノザの『エチカ』完成(出版は没後)
☆江戸幕府、伊奈忠易が無人島(ぶにんじま、現在の小笠原諸島)を調査。



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◎1700年
首位イングランド、2位フランス、3位イタリアの順位は変わらず、ドイツとイタリアの差もほとんど縮まっていない。次いで、オーストリアとスペインが拮抗

☆デンマーク=ノルウェーおよびポーランド=リトアニア共和国がスウェーデン・バルト帝国を攻撃。これをきっかけに大北方戦争が勃発
☆デンマーク=ノルウェーおよびドイツのプロテスタント地域にてグレゴリオ暦が採用される。
☆スウェーデンにてスウェーデン暦が採用される。
☆ウィリアム・ダンピアがヨーロッパ人として初めてニューブリテン島に到達。


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◎1725年
首位イングランドが拡大し、2位フランスとの差を広げ、3位のイタリアはオランダに追い上げられる。ドイツとスイス、新たに登場したロシアが拮抗


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◎1750年
フランスとイングランドは同率首位。わずかな差でイタリアが3位。間を開けられてスイスが続き、ドイツ、オーストラリア、ロシア、スコットランドが拮抗。オランダは縮小しスウェーデンと拮抗。

☆バウムガルテン、『美学』第一版出版。
☆ドゥニ・ディドロらによる百科全書の刊行が始まる(1751年)
☆ベンジャミン・フランクリン、雷の中で凧をあげ、雷が電気であることを証明(1752年)
☆イギリスでグレゴリオ暦が採用される(1752年)



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◎1775年
フランスが首位。わずかな差でイングランドが2位。3位イタリアとの差が拡大、ドイツがそのあとに続く。スイス、スコットランドが拮抗、アイルランド、オーストリア、スウェーデンと同様の位置にアメリカが出現。

☆アメリカ独立戦争勃発(1775 -1783年)


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◎1800年
首位フランスの勢力が大きく拡大。2位イングランド、アメリカが急成長し3位。次いでドイツ、ロシア。イタリアは大きく後退し、スウェーデン、スコットランドと並ぶ

☆フランス革命戦争: マルタ護送船団の海戦でイギリスが勝利。
☆アメリカ議会図書館発足。
☆伊能忠敬、蝦夷地を測量
☆トーマス・ジェファーソン、アメリカ合衆国第3代大統領に就任(1801年)


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◎1825年
首位フランスの後を、ドイツ、イングランド、アメリカがほぼ同率で並ぶ。その後を、ロシア、イタリア。

☆ボリビアがスペインから独立する。
☆文政の異国船打払令。
☆ブラジル独立を承認
☆南米でアルゼンチン・ブラジル戦争が起きる(1825 -1828年)


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◎1850年
首位イングランドの後を、ドイツが猛追。フランスは3位に降格し、その後がアメリカ

☆ホーソーン『緋文字』発表
☆アメリカン・エキスプレス設立
☆ヴァグナー『ローエングリン』初演
☆イギリス海峡で初の海底ケーブル敷設
☆米国でカリフォルニアが31番目に州となる
☆シドニー大学創立(オーストラリア初の大学)
☆テニスン(英国)が桂冠詩人となる



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◎1875年
首位イングランド、ドイツ、フランス、アメリカという順位は変わらず。

☆サン=サーンス交響詩「死の舞踏」がパリで初演
☆ビゼー歌劇「カルメン」パリで初演(オペラ=コミック座)
☆ドイツ帝国でドイツ社会主義労働者党結成
☆東京気象台設置
☆チャイコフスキーピアノ協奏曲第1番アメリカで初演(ボストン、独奏ハンス・フォン・ビューロー)
☆ニューヨークで神智学協会設立
☆英国がスエズ運河株式会社を買収(44%)
☆抄紙会社(のちの王子製紙)が開業



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◎1900年
ドイツが首位、2位イングランド、3位はフランス、アメリカが拮抗。次いでオーストリアとロシアが拮抗し、そのあとを初登場の日本とインドが追う。イタリア、クロアチア、アイルランド、スコットランドはアジア勢よりも後退

☆プッチーニ歌劇「トスカ」イタリアで初演(コスタンツィ劇場)
☆英国皇太子(後のエドワード7世)暗殺未遂
☆パリ万国博覧会開催され、地下鉄が開通する
☆パリ五輪(第2回夏季オリンピック大会)開催
☆凸版印刷創業
☆東京電気鉄道(後の都電)設立
☆京都法政学校(後の立命館大学)創立(中川小十郎)
☆女子英学塾(後の津田塾大学)開校(津田梅子)
☆夏目漱石が大日本帝国文部省留学生として英国に留学



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◎1925年
イングランドが首位、2位アメリカ、3位ドイツ、4位フランス、次いでイタリア、僅差で、ロシアと日本

☆イタリアのベニート・ムッソリーニが独裁宣言
☆日本の娯楽雑誌『キング』創刊
☆国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)再建
☆アドルフ・ヒトラー『我が闘争第1巻』公表
☆アドルフ・ヒトラーを保護する組織としてナチス親衛隊設立
☆クー・クラックス・クラン(KKK)第1回全国大会を開催(ワシントンD.C.)
☆柳田國男が雑誌「民族」を創刊。民俗学と民族学の連携を提唱。


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◎1950年
アメリカが他を引き離して首位に。2位イングランド、3位に日本が急上昇。そのあと、イタリアとドイツが拮抗し、次いで、ロシア、オランダ、フランスは大きく後退する。

☆イギリスが中華人民共和国を承認する。このため台湾の国民党政府は、イギリスと断交する。
☆アメリカ、ソ連、イギリスがベトナム民主共和国を承認する。
☆朝日新聞と毎日新聞が名古屋市での印刷を再開。
☆寿屋(現・サントリー)が「サントリーオールド」を発売。
☆警視庁がD・H・ローレンス作、伊藤整訳の『チャタレイ夫人の恋人』を猥褻文書として摘発。
☆ピーナッツ (漫画)、連載開始。
☆中国人民解放軍がチベットに侵攻(チャムドの戦い)
☆マザー・テレサ、神の愛の宣教者会設立。


グラフは1950年まで。この後のグラフも見たかったなぁ。。



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by yomodalite | 2015-11-25 06:00 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(2)

「世界を変えた書物展」

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連休中に、金沢工業大学の稀覯本コレクション「世界を変えた書物」展を見に行きました。



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私には読めない本ばかりではあるものの、このページだけじゃなくて、表紙や、背表紙、見開きに使ってる紙とか、扉の部分も見れたらいいのに・・と思いながら、上から、下から、覗き込むように眺めていたんですけど・・



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会場に、グーテンベルグが活版印刷技術の実用化に成功したあとの時代の、世界各国の出版量をグラフ化した映像が流れていて、ちょっと興味深かったので、そちらを次ページにメモしておきます。





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by yomodalite | 2015-11-24 16:39 | 歴史・風俗 | Trackback | Comments(0)

陰謀の世界史/海野弘

海野弘氏の「陰謀論本」をもう一冊。こちらの初版は『世界陰謀全史』よりも前の2002年に出版され(あとがきによれば、著者が「CIA」について書いているときNYテロ事件があった。という時代)、2006年の文庫版は厚み2センチほどある大書で、参考文献や登場人物の索引や関連書籍の紹介も多い。

『世界陰謀全史』とよく似たタイトルですが、こちらは、フリーメーソン、ユダヤ、イリュミナティ、ロスチャイルド、ロックフェラー、ルーズヴェルト、英国王室、フェビアン協会、三百人委員会、外交問題評議会(CFR)、財団、銀行、アレン・ダレス、CIA、ケネディ、ニクソン、キッシンジャー、レーガン、ブッシュ、クリントン、KGB、MI5とMI6(英国情報部)、モサド、ヴァチカン、マフィア、ハワード・ヒューズ、マーチン・ルーサー・キング、超古代史、エイリアン・UFO、ナチ・第4帝国。という30項目から書かれているものの、主にアメリカの陰謀論について書かれています。

海野弘氏の本といえば、これまで『モダン都市東京』とか『ヨーロッパの装飾と文様』など美術やデザインをテーマにしたものしか知らなかったので、陰謀論系の本を書かれていたことが意外だったのですが、こちらは、よくある対象に憎しみを抱かせるような内容ではなく、著者のこれまでの本と同じように、テーマについて広く散策してまわるような視点が健在で、さまざまな陰謀論の定番を楽しむことができます。

個人的には「ハワード・ヒューズ」の章に期待していたのですが、彼に関しての〈陰謀論〉が膨大すぎるわりには、記述が短かすぎて、期待をこえるものではありませんでした。ヒューズの場合は、彼の超人ぶりがあらゆる物語を飲み込んでしまうためなのか、〈解釈〉の方に新鮮味や真実味が感じられなくなるということもあるのかもしれません。


下記は「プロローグ」より(省略・要約して引用しています)

コンスピラシーの資料を集めだしたときにぶつかったのが、デヴォン・ジャクソンの『コンスピラノイア!』(1999)である。コンスピラシーとパラノイアを合成した言葉で、副題に「すべてのコンスピラシーの母」とあり、多くのコンスピラシーが網の目のように絡み合っている見取図をつくりあげていて、実に面白い。この本に刺激されて、コンスピラシー論を書いてみたくなった。ティモシー・メリー『コンピラシー帝国』は、戦後アメリカのパラノイア文化という副題で、トマス・ピンチョンなどの小説を中心として、現代アメリカの陰謀妄想をとりあげ、ピーター・ナイトの『コンスピラシー・カルチャー』(2000)は、「ケネディからXファイルへ」と題され、マスメディア、テレビなどによって増幅されるコンスピラシーが一種の〈文化〉となっている状況を分析している。1997年には『陰謀のセオリー』という映画もつくられた。

なぜ私たちはコンスピラシー・セオリーにとりつかれるのだろうか。ティモシー・メリーは〈エージェンシー・パニック〉からだ、としている。私たちは多くのことをエージェンシー(代理)にまかせなければならない。エージェンシー・パニックとは、自律性、自由意志が奪われることへの大きな不安を意味している。ある人の行動はだれかにコントロールされ、強力な外部のエージェントによって仕組まれている(『コンピラシー帝国』より)。エージェンシーパニックは、自分が外の力に操られている、と感じるだけでなく、その直接のエージェントは、さらにその影の力に操られているとエスカレートしていく。

コンスピラシーの本場はなんといってもアメリカである。どこの国にも陰謀はあるが、陰謀が大衆文化にまでなって、人々に親しまれている国はアメリカしかないのではないだろうか。なぜ、アメリカの陰謀は面白く、アメリカ人は陰謀のセオリーが好きなのだろうか。20世紀の終わりのアメリカでは、コンスピラシー・セオリーがいたるところにあり、ファーストレディでさえ、コンスピラシーの語を全国テレビでくりかえした。とにかくアメリカでは陰謀が多く、建国以来、陰謀だらけであったともいうが、さまざまな人種の集まりであるアメリカは、いつもなにかの〈敵〉をつくり、そのイメージに対してまとまり、アンデンティティをつくってきたのだそうだ。しかし〈陰謀〉が文化になり、日常会話に入ってくるようになったのは、1960年代になってからである。

(引用終了)


下記は、「エピローグ」より(省略・要約して引用しています)

アル・ハイデル、ジョーン・ダーク編『コンスピラシー・リーダー』は「パラノイアマガジン」に載った陰謀のセオリーのアンソロジーで、この本の序文は〈陰謀〉がいかにカウンターカルチャーになったかをよく伝えている。90年代にはコンスピラシー・ウェブサイトもあらわれ、1997年、陰謀パラノイアは最高潮に達した。

ジョージ・E・マーカス編『理性的パラノイアー説明としてのコンスピラシー』(1999)は、パラノイアとコンスピラシーのカルチュラル・スタディーズ集で、まず陰謀史研究の出発点として、リチャード・ホーフスタッターの『アメリカ政治のパラノイアスタイル』がとりあげられている。この先駆的論文は今読んでもすばらしく、アメリカには陰謀史観の伝統があることを明らかにしている。

しかし、90年代にはそれまでにはなかった新しい状況があらわれた。ジョージ・E・マーカスは、パラノイド・スタイルとコンスピラシー・セオリーが根拠があると見られるようになったのは、2つの理由があるという。

ひとつは冷戦時代の米ソの対立で、政府までもがパラノイアックな陰謀を信じたので、社会全体、体制側、マスメディアまでもが、パラノイアになり、国際政治もそれに浸ってしまったこと。もうひとつは、政治や経済の世界に、ゲーム的な枠組みが入ってきて、戦略、戦術が重要になり、パラノイアスタイルが使われるようになったからだ、という。

しかし、ゲーム化はひとつの危機をもたらす。ゲームは現実世界や本質から遊離させてしまう、見えているものだけで、その背後は空虚なのだ。マーカスはそれを「写実の危機」といっている。ゲームとしての歴史は相対的なものなのだ…






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by yomodalite | 2015-07-29 16:02 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(2)

世界陰謀全史/海野弘

先日、「陰謀論」をテーマにした本を何冊か読んだ。といった本のなかの一冊。

タイトルは陰謀全史ですが、世界におこった陰謀の歴史ではなく、陰謀論の主役になった集団を年代別に紹介してある。といった内容。

著者は、「陰謀論がなくならないのは、現代世界に霧がかかり、はっきり見えなくなっているからではないだろうか、私たちはそれをはっきり見たいと思い、そのための眼鏡を必要とする。その眼鏡のひとつが陰謀論なのである」とし、

「世界は謎である。世界は秘密と陰謀に満ちている。そのような世界を解読したい、はっきり見たいと思う時、陰謀論という〈アプリ〉が必要となる」と。

マーク・ブース(『世界の秘密史ー秘密結社に操られる』)は、小説はエゴイストに関するものだといっている。つまり個人としての視点から世界を眺めるのである。個人が世界を彼自身の視点から眺め、解釈すること、逆に言えば、世界を解釈しようとする個人がたくさん、すなわち大衆としてあらわれたことと、陰謀論の一般化とは関連している。一般の人が個人として、世界に対してそれぞれ意見を申し立てることができるようになったことが陰謀論の流行とつながっている。すなわち、権力、体制側の解釈としての「大説」に対する個人の抵抗としての「小説」なのである。

世界は複雑化し、部分化していくが、細部へのこだわりは全体を失わせ、世界はバラバラに見えてくる。そのばらばらの部分をつないだ統一的な理論が求められ、陰謀論は呼び出される。

陰謀論者は、さまざまな陰謀説を自在に呼び出すことができ、自在に組み合わせて自説をつくりだすことができる。第一の法則は、陰謀説は、あくまで、今、ここ、にかかわっていることを示し、その説が起源が何万年前のものであろうと、その血脈は受け継がれ、今、ここに生き続け、今なお有効であると考えられるのである。

どんなに古いものでも、すべてを今のこととして考える。今をどう説明するかが重要なのである。それが、「すべてのものは、今につながっている」という法則になる。

というのが、プロローグの要約で、

ここから、隠謀全史の本編となるのですが、それらはウィキペディアの文章にも似て、陰謀論がもつ「解読」の魅力には乏しく、またそれらの真実を覆そうという意図もなく、

21世紀の『秘密結社の手帳(澁澤龍彦)』のような、
夏の読書にふさわしい暑苦しさのない「陰謀論本」だと思いました。

個人的には、第2章の「W・B・イエイツのケルト薄明」、第3章の「ユング・カルト」に興味があったのですが、本書は、まずは妄想全史を俯瞰的にながめてみる。ための「アプリ」のようです。

《第一章》陰謀マトリックスの三つの軸
――フリーメイソン、テンプル騎士団、薔薇十字団
●陰謀論の三つの神話
●フリーメイソン――秘密結社の原型
●テンプル騎士団――秘密の戦士たち
●薔薇十字団――魔術と革命

《第二章》十九世紀末――オカルト・ルネサンス
●現代陰謀論の開幕――フリーメイソンとフランス革命
●十九世紀の心霊主義――フォックス姉妹、ブラヴァツキー夫人の神智学
●フランスの魔術ルネサンス
●黄金の夜明け団
●W・B・イエイツのケルト薄明
●アレイスター・クロウリー 大いなる野獣

《第三章》アーリア神話 大陰謀
――1900年から第二次世界大戦まで
●オカルティズムと戦争――世界征服の陰謀<ナチズム>
●ユング・カルト――陰謀史のユング
・フロイトとの訣別とユングフラウ
・大戦とユング
・ロックフェラーと<心理学クラブ>
・オットー・グロス
・古代異教カルト、そしてアメリカへ

《第四章》アメリカ大陰謀時代――第二次世界大戦以降
●コンスピラシー・アメリカン
●カリフォルニア・コネクション
●アシッド・ドリーム
●カルト戦争

エピローグ
・二十一世紀の陰謀論





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by yomodalite | 2015-07-28 14:00 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

陰謀論にダマされるな!/竹下節子

最近、タイトルに「陰謀論」が入った本を何冊か読みました。そのきっかけは、『無神論』『ユダ ー 封印された負の符号の心性史』の竹下節子氏の著作ラインナップにこのキーワードを見つけたからで、氏が「陰謀論」をどのように扱われたかに興味があったんですね。


本書は2010年の出版なので、出版界での「陰謀論本」ブームも、まだ勢いがあった頃ではなかったかと思いますが、2015年の今、出版界のブームは去っていても、取材や裏取りを一切行わないネットニュースでは、人を惹きつける楽な手法として、いまだにフリーメーソンやイルミナティなどの古典的なネタが使われていますし、あらゆる情報を陰謀論的な「プロット」にあてはめることに夢中になる個人ブロガーは、今もあとを絶たない。


マネしやすいものは、ネットではより増幅するからですね。


竹下氏は、フランス在住で、東京大学大学院比較文学比較文化修士課程修了。同博士課程、パリ大学比較文学博士課程を経て、高等研究所でカトリック史、エゾテリズム史を修めておられる方。これまでに読んだ2冊の本も学者らしい内容で、精読するにはしんどい内容でしたが、そのなかで、私が理解できた数少ないことのひとつは、ヨーロッパの無神論はアンチ・カトリックから生まれている。ということ。


つまり、ヨーロッパでは宗教=権威で、そこから自由になることが「革命」であり、同時に、様々な「啓明思想」や、聖書を読み変える「神秘思想」も流行した。欧州では、民衆の思いと無神論が一体化していて、知識人以外の無神論の歴史がすごく長いわけです。


ところが、アメリカは、プロテスタンティズムによって創られた国ですから、人々が神の国の理想を追い求め、宗教自体が改革をし続けるため、無数の宗派が生まれることになった。そして、それらの宗派を信じる誰もが、なぜ理想の国へとたどり着けないのかという疑問をもち、その謎を解明したいと思う民衆の要求が、フリーメーソンなどの「啓明思想」や、古い魔術や「神秘思想」などを現代に蘇らせることに繋がった。


と、ここまでは、前書2冊を読んでいるときに思ったことなんですが、


下記は、本書の「プロローグ」から(省略して引用しています)、


陰謀論や終末論は逆説的な現象である。「謀略者」は時として、普通人の理解を拒む少数の強力なグループであったり、実在の巨大権力であったりする。陰謀を「暴く人々」も、少数エリートのグループとして「陰謀の真相」を守りながら、ヒーローのように戦ったり、逆に自分達だけの危機回避を図ったりするし、できるだけ多くの人と連携して「真相」を分け合う一種の布教活動に熱心であったりする。


私たちは自分がいつか死ぬことを「知っている」けれども死がいつどのようにやってくるのか分からない。その実存的な不安は、昔は宗教や民族や家族の大きな物語に組み込まれていた。けれども、今や分断され「自己実現」や「自立」を期待される個人の人生プランの中で、死は想定されていない。「私の死」が、「世界の終わり」に投影されているのだろうか。終末予言とは、自死のメガ・ヴァージョンなのかもしれない。


終末論において、死が生から切り離されて忌むべき「悪」のレッテルを貼られたように、陰謀論においては、無数の謀略や謀議に、常に過大で邪悪な意図が付与されている。


小さな子供たちの顔が輝くならば、それは「善」なのである。反対に、それがたとえジョークや悪ふざけであろうとゲームであろうと、小さな子供たちの顔を曇らせるような陰謀論や「神話」は「悪」なのであり、私たちはそれに加担するべきでない。


陰謀論の多くは、まるでそれ自体が陰謀であるかのように、そっと耳でささやかれ、世界の終わりが、「あなたの終わり」のようにささやかれるのに震えたり、陰謀論という仮想世界の見かけの整合性に感動したり、「謀略者」の悪意に共振したりする。


「陰謀」という名の悪が外にあれば、私たちは相対的に自分を犠牲者として憐れむこともできるし、見えない世界の論理で、見える世界を説明する手際によって世界を理解したい気分になれるかもしれない。けれども、そんな「安心」を得ることで満足していてもいいのだろうか。


(引用終了)



私がここまでマイケルについて書いている理由の中には、そういった思考方法に流されたくないという思いが強くあったのですが、それとは逆に、自分が書いたものが、彼らへの養分になっている例を発見して、何度もブログをやめようと思ったり。。


「謎をとく」とか、「解明したい」というきもちは共感できますが、自分が発見したい内容を無理やり「隠されたメッセージ」だと言ってみたり、結論ありきで、情報をパズルのように組み立てて「謎が解けた」と思えるだなんて、私には、自分に酔っているか、本末転倒としか思えないのですが。。。



本書の「あとがき」より(省略して引用しています)


「陰謀論にダマされるな!」というのは、出来合いの答えに騙されるなということでもあるし、逃亡や攻撃に惹かれる自分自身の心に騙されるなということでもある。この本はその呼びかけの一つだ。現代の終末論や陰謀論のルーツがヨーロッパやアメリカにあることを明らかにしたが、それを肥大させてきたのは、日本を含むグローバルな現代社会に共通したエゴイズムだ。


私たちはみな、少しづつ加害者であるし、被害者でもある。でも、だからこそ、同じ「よりよい世界」を描くこともできると、信じたい。


(引用終了)



正直にいうと、本書で、個々の陰謀論に反証を試みている内容は、力のある論理だとは思いませんでした。様々な陰謀論への本当に有効な反証というのは、ほとんどの場合不可能なものですから。


でも、著者が「ダマされるな!」という姿勢には、なにかにつけて「隠されたメッセージ」を発見してしまう人とは比較にならないぐらい、真実への真摯な姿勢を感じました。


陰謀というか、共同謀議は、いつの時代の、どのグループにもあるもので、それを陰謀論という「筋」にすることで「真実」から遠ざかるということに、陰謀論者は、あまりに無自覚で、


自分の正義だけを信じ、人々から信じる力を奪っていることにまったく気づいていない。


今を読み解くためや、なにかわからないことを解明するために、科学のふりをした精神分析を用いたり、さまざまな過去のピースを集め、パズルのように組み立てるという思考方法は、日々書くネタを探してしまうブロガーには便利な方法です。


筋(プロット)があると、読者は「次はどうなるのだろう?」と思うことができる。とマイケルも言っていましたが(→2007年「EBONY」インタビュー)、「陰謀」や「隠されたメッセージ」という筋は、バラバラのピースをまとめるのに、もってこいなんですね。


その手法に目新しさはないのですが、書き手は、ミステリ小説の結末のように、謎が解明できたという快感で書かずにはいられないのでしょう。


本当にダマされてはいけないのは「陰謀論」ではなくて、「自分」になんですよね。


そう考えると、「自分」にダマされやすい人とは、


誰かを「バカ」や「悪」と断定しやすい人なのかもしれません。



◎[Amazon]陰謀論にダマされるな!





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by yomodalite | 2015-07-21 15:27 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

大阪の神さん仏さん/釈 徹宗、高島幸次

大阪の神さん仏さん

釈徹宗,高島幸次




大阪に興味があるひとの方はもちろんですが、お寺や神社に興味がある人なら、読んでみたらきっと得する本だと思います。

数年前から続いている神社やお寺へのブームの中で、特に「大阪」に興味を抱く人はそれほど多くはないと思いますが、神社やお寺に関して本書以上におもしろい本はめったになく、またそのテーマに「大阪」ほどユニークな場所もないと思います。

東京から大阪市内に引っ越してまだ半年余ですが、私は、大阪に関して語られている類型的な言葉など一切忘れて、この地の霊力wを感じるべきだと、毎日布教したくなるほど、ヤラレているので・・・

大阪の聖地を語らせたら、このコンビは最強だ!

という『大阪アースダイバー』の著者、中沢新一氏による帯コピーにも激しく同意してしまいます。

釈 徹宗氏は、内田樹氏との共著など、数多くの対談本を出版されていますが、仏教関係のこととなると、内田氏が、合気道の達人のせいなのか、はたまた、最近始められた「能」においても、師匠から学ぶというスタイルが元々好きなせいなのか、釈氏にちっともツっこんでくれない。という不満があったのですが、

高島氏は、大阪文化にも、近世の歴史に詳しいだけでなく、つっこみ力にも優れていて話題も豊富なオモロいおっさんです。

◎[参考書評]ブック・アサヒ・コム「書評」
◎[参考書評]読書日記


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by yomodalite | 2014-01-17 09:58 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

ミケランジェロの暗号/ベンジャミン・ブレック、ロイ・ドリナー(著)

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つまらない本が多い「ミケランジェロ本」ですが、本書はちょっぴり面白い本です。


☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2013-02-09 12:19 | 歴史・文化 | Trackback | Comments(3)

ミケランジェロ伝 ー 付・ミケランジェロの詩と手紙/アスカニオ・コンディヴィ

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ミケランジェロ本の個人的なメモです。

(序より)アスカニオ・コンディヴィの『ミケランジェロ伝』は、ミケランジェロを直接識っていた人物がその時代に書いた伝記として、歴史的に尊重されており、ミケランジェロ研究の基盤になっている。コンディヴィ自身はこの天才の弟子だったと言っているが、どの程度のものであったかは不明、ただ、同じ頃に出されたジョルジョ・ヴァザーリの有名な『美術家列伝』が興味中心の読みもので、それを不満としてコンディヴィが敢えて書いたという点に、意義があるだろう。五世紀後の今日のいわゆる「研究」とは意味が違い、当時の他の伝記と同様に、表面の事実を記述しただけの平板なものであるが…

と序にあるように、本書は、様々な本に引用されている基本書。翻訳をされたのは、これも基本書であるロマン・ロランの『ミケランジェロの生涯』も訳されていて、彫刻家でもある高田博厚氏。

厚みが4センチぐらいあるうえに、文字も小さく、見た目も中身もずっしりと重い。訳者による序文は16P、実際にコンディヴィが書いた部分は6ミリぐらいなんだけど、ジローラモ・ティッチァーティが書いた「補伝」が7P、コンディヴィはこう書いているけど、ヴァザーリはこう書いていて、ロマン・ロランは… というような「註」は、なんと本文よりも文字が小さい上に、長くて1センチほどあり、、その他「略年譜」までで、全体の半分ぐらい。

あとの半分が「ミケランジェロの詩と手紙」なんですが、詩に関しては、手紙の「注釈」のような感じで、挿入されていて、詩集として味わうには、あまり適当ではない印象。

基盤のコンディヴィ本+ミケランジェロ自身による手紙と詩がまとまって一冊に!。なっていることが、あまり嬉しくない。なぜなら、重いし、文字が小さいし、高価だから(定価10300円。中古価格はさらに高い)。

◎[Amazon]ミケランジェロ伝 ー 付・ミケランジェロの詩と手紙


コンディヴィの文章は、シンプルな内容なので、この部分だけ、もう少し現代語にアレンジして「文庫」にすればいいのに。と思う。(ていうか、古典の翻訳物は「絶版」にしてないで、すべて電子出版にすればいいのに。原書は、すでに無料でネットで読めるんじゃないのかな?)

コンディヴィが書いた部分に関しては、こちらの『ミケランジェロ伝』と同じだと思いますが、実際に確認はしてません。


下記は本書からのメモ

第五十六章

ミケランジェロは子供の頃から非常な努力家であった。天成に加えて叡知があり、これらをかれは徒らな労力や勉強から獲たのではなく、ひたすら自然そのものから学びとろうとし、つねに自然は真の鏡として自己の前に在った。それゆえ解剖してみようと思わなかった動物は一つもなかったし、人体においてはなおさらであった。

この勉強に全生涯を賭け、それを専門の職とする人も、かれほどには精通していなかったほどであった。ーーこれは絵画や彫刻の術に必要な知識をいうのであって、解剖学者が観察するような精密さをいうのではない。だからかれが制作した像は、どのような画家も模倣しえないような技術と智慧に充ちているのである。
 
自然の力、努力なるものは神によって定められ命じられた或る限られた圈をもっており、普通の力量をもってしてはこれを超えることは不可能だと、わたしはつねに考えていた。
 
これは単に絵画や彫刻においてばかりでなく、一般のあらゆる芸術や学においても同様である。自然がその力を或る一人に寄せるとき、かれはその技術における鏡となり規範となり、第一級の境が与えられる。こうしてその後に誰かが技術において、あるいは読まれあるいは見られるに価する何物かを生み出そうとするとき、それは最初の人がすでに生み出したと同じもの、あるいぱ少くともそれと似通ったもの、その道を行ったものでなければならない。

もしそこを歩まずに、真実の道を離れれば離れるほどかれは下落して行くだろう。プラトンやアリストテレスの後に、かれらに従わなくて、価値をもった哲学者が幾人あるか? デモステネスやキケロの後に幾人の雄弁家があるか? ユークリッドやアルキメデスの後に幾人の数学者があるか? ヒポクラテスやガレンの後に幾人の医者があるか? ホメーロスやヴィルギリウスの後に幾人の詩人があるか? 

そしてもし誰かが、これらの学の一つにおいて努力奮闘し、自ら第一級の境に到達すると同時に、その境がすでに占められているのを発見したとするならば、かれは先人がすでに示しているものが完全そのものに他ならぬことを認めて、自分はその仕事を去るか、あるいは判断力をもっているならば、完全なる理想として先人の模倣に身を委ねるであろう。


第六十一章
 
かれは遠近法や建築に専念した。これがどのような効果を与えたかはかれの作品が示している。ミケランジェロは建築の主要部分を知ったのみでは満足せず、それの利益と便宜になることならすべてを知りつくそうとした。たとえば繋材とか架梁あるいは足場などのこと。これらのことにかれは専業の者のように精通していた。これは次のようなユリウス2世の頃の事柄で解る。
 
ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の円天井を描かねばならなかったとき、法王はブラマンテに命じて足場を遣らせた。ところがかれはあのような建築家であったにもかかわらず、その造り方をまるで知らなかった。天井の方々に穴を穿って、そこから綱を垂らして足場を釣らせた。これを見てミケランジェロは笑った。そして穴のところへ来たら絵をどうするのだとブラマンテに訊いた。

ブラマンテは弁解の余地がなく、また他の方法でやるよりほかはないとしか答えなかった。これが法王のところへもって行かれた。ブラマンテは同じことを答えた。法王はミケランジェロの方を向いて、「これが駄目なら、お前が行って造れ」と言った。ミケランジェロは足場を取り除き、その沢山の綱をはずして、その手伝いをした或る貧乏な男にくれてやった。これで男は二人の娘の持参金をつくって嫁がすことができた。こうしてかれは綱なしで足場を迫ったが、どのように重いものを載せてもしっかりしているように巧く工夫して組み立てられた。これがブラマンテの眼を開けさせるもととなり、かれは足場の造り方を覚えたが、その後のサン・ピエトロの建築に大変役立った。
 
これらの事柄すべてにおいて、ミケランジェロは他に比肩を許さなかったが、かれは建築を自分の専門の仕事にしようとは少しも思っていなかった。


第六十三章
 
かれぱ、徳があり豊かな談話によってよき果実を亘られるような人たち、内部から美の光が輝き出るような人だちとは心から友情を保っていた。たとえば稀な良識と仁慈のゆえに交ったいと尊くいと署名なる君ポーロ(私註:レジナルド・ポール。イギリス史上最後のカトリックのカンタベリー大司教)のごときがあった。また中にすぐれてよきもの、加えて稀れに見る優れた批判力を見出して交ったわが最も尊敬する保護者クリスポ枢機卿があった。またかれは尊きサンタ・クローチェ枢機卿に親密な友情を抱いていた。

これは最も成敗あり最も謙虚な人なので、かれが心からあがめて語るのをわたしはよく聞いた。それにいと尊きマッフェイ、かれはこの人の仁慈と良識とをつねに語っていた。またかれは最高の尊敬の念を新たにしながら、つねによき聖老と呼んでいたパウルス法王を悟ぶ生きた記念として、ファルネーゼ家全部の人心あまねく敬愛していた。あるいはまたかつてチェゼナの司教であったいと尊きエルサレムの大司教の開放的な自由な性質を非常によろこんで、ごくうちとけてしばしば交際した。またわたしのいと尊き保護者、美わしぎ思い出の人、才能あるすべての人の港、リドルフィ枢機卿に密接な友情を抱いていた。

この他にも書き洩らしたーー面倒なためではなくーー幾人かがある。クラウディオ・トロメイ閣下、ロレンツオ・リドルフィ氏、ドナート・ジャンノッティ氏、リオナルド・マレスピーニ氏、ロッティーノという人、トンマーゾ・デル・カヴァリエーレ氏その他の名誉ある貴紳たち、これらの人々のことはここに詳しくは述べないが、最後にミケランジェロはアンニバル・カーロに非常な愛情を抱いていた。かれはこの人の中に自分にきわめて適うところを見出して、もっと以前から交らなかったのが悲しいとわたしに話していた。

けれども中でも特別にかれぱペスカラ侯爵夫人を非常に愛した。彼女も心からうちとけてかれを愛し、かれは彼女の気高い精神に魅されていた。今で心かれはなお、真にやさしい爰に充ちた彼女の手紙を沢山保存している。彼女の心から溢れ出た心ので、かれもまたいくたびとなく彼女に詩を書いた。

かれは彼女をほんとうに愛しており、こう言ったのをわたしは記憶している。

ーー彼女がこの世の生を終えたとき、彼女に会いに行った。そのとき、手には接吻したが、額と顔には接吻しなかった。それを思うほど悲しいことはない。ーーこの死のためにかれはしばらく茫然として、まるで意識を夫ってしまったようであった。

この夫人から希われて、かれは十字架から解き降される裸形のキリストを描いた。

キリストは、二人の天使から腕を支えられていなかったならば、捨てられた死体のように、いとも聖き母君の膝下に倒れ伏したであろう。そして彼女は涙と悲しみに充ちた顔で、十字架の下に坐り、両手を天に延ばし腕をひろげて叫ばれる。ーーそれは十字架の柱に書かれており、こう読まれる。

NON VI SI PENSA QUANTO SANGUE COSTA !
いくばくの血ながれしや
はかりしられず!
 
この十字架は、一三回八年の受離日の誦経行列に自党によって遅ぱれ、その後フィレンツェのサンタ・クローチェ寺院に安置されたものに似ている。

彼女への愛のために、かれはまた十字架のイエス・キリストを描いた。これは普通描かれているような死せるすがたではなく、顔を神なる父に向け、気高いすがたで言っているかのようである。ーーエリー・ エリー・ 体は死んでぐったり落ちかかったようではなく、まだなお死の苦痛に悩み身をよじらせながら生きておられるようである。


第六十四章
 
かれは学識ある人との談話を非常によろこび、また散文や韻文の作者の研究によろこびをもった。特にダンテを讃美し、この人の驚くべき天才力をよろこび?その作の殆どすべてを暗記していた。ペーフルカにもまた劣らず感嘆し、これらを読んでたのしむばかりでなく、折りにふれて自分で作って楽しんでいた。

かれのものとされているいくつかの十四行詩(ソネット)で解るように、それはかれの偉大な創意と悟性のよき見本であるが、これらについてはヴァルキの解説と批評が出ている。しかし、かれはこれを自分の仕事とするより、むしろ感興のために作ったので、いつも自分を認し、その面での自分の無能をとがめていた。
 

第六十五章

旧新約聖書やそれについての解釈をした人々、たとえばサヴォナローナの書いたものなどを、かれぱ多大の研究と興味とをもって読んだ。(私註:サヴォナローナが熱烈な説教を開始したとき、ミケランジェロは15歳。ロマン・ロランは、ミケランジェロのいかなる書簡にもサヴォナローナとその事件についての痕跡はない。としている。が、変名を使って兄への手紙に書いているらしい)かれは、この人に非常な好意を抱いており、未だに胸中にサヴォナローナの生き生きした声の記憶をとどめている。またかれの体躯の美しさを特に愛し、その美を最もよく理解しつくした人のようである。このような愛ゆえに、淫狽な汚らわしいもの以外には美に対する愛を理解しえないような肉情的な人々ぱ、かれを憎み悪口の種とした。それはあたかもソクラテスと開会したとき、自分の父の傍で目覚め起きたのと違わなかったアルキビアデスが、ソクラテスから純な愛され方をしたのではなかったと言うに等しい。
 
ミケランジェロが愛について語り論じたのをわたしはいくたびとなく聴いた。かれはプラトンの作品中に見出される愛の他には語らなかったと現にいる人たちからも間いている。わたし自身はプラトンが言ってるものは何だか知らないが、しかしこのように長く親密にかれと交って来たわたしば、かれの口から真実の言葉より他にかつて聞かなかったことを承知している。それは若者に起りうべき抑えがたいあらゆる奔放な慾情を根絶させるほど力強いものであった。かれの中に汚い考えの生れなかったのは、これによっても認めることができよう。かれが愛したのぱひとり人間の美のみではなかった。ありとあるすべての美を愛した。

美しい馬、美しい犬、美しい田舎、美しい植物、美しい山、美しい森、すべての場所、それぞれに美しく類いないもの。これらを驚くべき愛情をもって讃美した。かくして蜜蜂が花から蛮を集めるように、自然から美を集め、それを作品の中に憂した。そしてそれらはつねにこれらのみなが絵の中で叫び声をあげているかのように描かれた。ヴィーナスを作った作者は、T入の処女を見るだけでは満足せず、沢山の処女を究めることを願った。そしてそのそれぞれから一番美しい一番完全な部分を取って、かれのヴィーナスに与えた。実にこの道によらずに(これのみによって真の理論は獲得しうる)芸術の或る境に到りうると考えるのは、大それた誤りである。


第六十七章

かれは自分のものを多く人に与えた。売ろうと思えばいくらでも金になるようなもので、たとえば他でもない、あの親友のロベルト・ストロッツィ氏に贈った二体の像である。自分の制作に物惜しみしなかったのみならず、しばしば財布で、文筆家、画家を間わず、何人かの貧しくして技倆を有する人や努力家の暮らしを肋けてやった。これをわたしは確言することができる。何故ならわたし自身それに俗したのだから。かれは、かれの主義としてよりもむしろその善良な性質からして、他人の働きをーーかれの芸術の領域においてさえーー決して嫉まず、いつもすべてにわたって賞讃していた。

かれが人にものを教えようとしなかったかのように多くの人が言っているが、これは事実ではない。かえって心からよろこんで教えた。わたし自身それをよく知っている。かれはわたしに芸術上のかれの秘密をすっかり開いて見せてくれた。けれども不運にも、かれはそれに価いしない弟子かあるいは価いしても辛抱力のない弟子しかもつことができなかった。

かれらはかれの訓練の下に2、3ケ月いると、もう大家になったように思い上がってしまう。かれはいつでも親切に教えてやろうとしたが、外見以上によくしてやろうとしたので、それを知られることをよろこばなかった。さらにかれがつねに古い慣わしどおりに芸術を庶民の中にではなく高貴な人々の間に育てることを望んでいたのを、知っておく必要がある。


第六十九章

ミケランジェロは立派な体つきの人である。肉太りにふとっているというよりは頑丈な骨太の体格である。生れつきという以上に、身体の鍛錬と、食物や、性における節制によって健康である。幼少のときには虚弱で病気がちで、太人になってからは二つの持病をもっていた。数年の間は尿水過剰で弱り切っていた。この病気は、前に言ったレアルド氏の手術と熱心な介抱によって癒されなかったら、結石にすすんでいたであろう。

かれはいつもいい顔色をしていた。そしてその体格は次のようである。中背で、肩幅はひろく、他の部分もこれによく釣合っており、どちらかと言えば細そりしている。頭蓋の形は、額の方で円く、耶より上の部分が頭の周縁の半分以上を占めるような具合になっている。だからこめかみが耳よりいくらか前へ突き出ており、耳は頬より出ている。頬は顔の残部よりは出ている。頭は顔の割合にしては大きいと言っていい。顔は前から見ると四角で、鼻は少し潰れている。これは生れつきではない。子供の頃、トッリジアーノ・デ・トッリジアーニという獰猛で横柄な男が拳骨でかれの鼻の軟骨を砕いたのである。そのときかれは死んだようになって家へ運ばれたが、このためにトッリジアーノはフィレンツェから消えてしまい、それから悪い死にざまをした。

それでもこのようなかれの鼻は顔や顔の部分と釣合っている。唇は薄い方だが、下の方は心持ち厚く、だから横から見るとわずか外へ突き出ている。顎は上述の部分によく伴っている。横から見た額は殆ど鼻より前にある。鼻は真中の小さな隆起を除けば殆ど砕かれていない。眉には僅かの毛があり、眼は他に比べてどちらかと言えば小さく、角色をしているが、黄や青にきらきら光る数個の斑点がある。整った耳、黒い頭髪、同じ髭。ーーーしかし七十九歳の今は灰色の毛が夥しく混っている。かれの肖像画で詳しく見られるように、髭は叉に分かれていて、指四、五本の幅の長さで、あまり厚くない。

この他多くのことが言い残された。けれどもわたしはこれの発表を急ぐ理由のために、これをそのままにした。或る人物が、わたしがかれらの手に委ねたわたしの労作の栄誉を奪おうとしていることをわたしは聞いている。それでもし他に崖かこの著述をやろうとし、同じ『伝記』を書こうとすることがあるならば、そのときわたしはわたしの知っているすべてをその人に語るか、あるいは心から好意をもってそれを書いて与えよう。
 
長年の間にかれやその他の人々からわたしが巣めておいたかれのソネットやマドリガルを近く公表できると思う。これは、その詩想のいかに尊いものであるか、かの聖なる精神からいかばかりに美しい意想が生れ出たかを、世に知らしめるであろう。これでわたしはおわる。






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by yomodalite | 2013-02-05 10:25 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(2)

ケルビムの歌(Hymn of the Cherubim)

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年末になると、ベートーヴェンの第九「歓喜の歌」がよく歌われるようになったのは、いつぐらいからだったでしょうか。

◎歓喜の歌(歌詞)

わたしには、この歌詞の内容はなかなか理解できないのですが、特に、

口づけと葡萄酒と死の試練を受けた友を

創造主は我々に与えた

快楽は虫けらのような弱い人間にも与えられ

智天使ケルビムは神の御前に立つ


という部分がむつかしいんですよね。

そもそも、智天使(ケルビム)というのが、なんだかよくわからないですし・・でも、そう思うのは、わたしだけではないらしく、ケルビムの表現は、時代によって様々に解釈されていて、いわゆるエンジェル、キューピッド系から、乙女ぽいもの、モンスター系までいろいろな表現があって、

「眠れるキューピッド」は、若きミケランジェロの失われてしまった作品なのだけど、その後に創った像が「バッカス」と言われると、なんだか、この情景に関係があるのかなぁと思ってみたり(ただし「歓喜の歌」の詩をかいたシラーは、ミケランジェロより200年以上後の人)

天使の階級として、上位の天使には3つの種類があり、

・熾天使(セラフィム / 単数形はセラフ)
・智天使(ケルビム / 単数形はケルブ)
・座天使(スローンズ / 単数形はスローネ)

古い聖書の記述では、ケルビムにはそれぞれ四つの顔があり、第一の顔はケルビムの顔、第二の顔は人間の顔、第三の顔は獅子の顔、第四の顔は鷲の顔である。とも言われていますが、ルネサンス時代のケルビムは、赤子に羽根があるものが主流のようです。

そんな階級だとか、なにを勝手に決めてワケわかんないことを・・ということになったのでしょうw


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Michelangelo's Putto, Sixtinische Kapelle



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Raffaello’s Putto



◎ケルブあるいはケルビム
◎ベートーヴェン 交響曲第9番- ケルブ(智天使)とは

で、、そんなことをぼんやり考えていたときに聴いていたのは、ベートーベンではなくて、

チャイコフスキーの「ケルビムの歌」



*他のキリスト教教会や、一般的にはケルビム(智天使)ですが、チャイコフスキーの信教であるロシア正教では(二コライ堂など、日本のハリストス正教会)「ヘルヴィム」という。ルネサンス絵画では、翼を持つ赤子として描かれている「Putto」と同一。

◎ヘルヴィムの歌(Wikipedia)

☆ヘルヴィムの歌は「聖金口イオアン聖体礼儀」の一部
◎聖金口イオアン聖体礼儀 (チャイコフスキー)

チャイコフスキーの「ヘルヴィムの歌」を聴きながら、ミケランジェロの「バッカス像」(ディオニュソス)に思いを巡らせつつ、MJのことを考えているとw、

ウーロン茶でも「ビリビリ」と酔いが回ってきて… お正月は、たぶん、そんな感じで過ごしそう。。

今年も東京にいるせいか、普段と全然変わらないけど。。


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by yomodalite | 2012-12-28 08:40 | 歴史・文化:美術 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite