カテゴリ:☆MJアカデミア( 49 )

Boy, is that Girl with You?(1)

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2009年に、アメリカ議会図書館で『スリラー』のショートフィルムが永久保存されるというニュースを聞いた方は多いと思います。それは「アメリカ国立フィルム登録簿」に保存されたということで、ショートフィルムとしては史上初の快挙だったのですが、


そういった「マイケル・ジャクソン・アカデミー」の今が垣間見える記事を「Dancing With The Elephant」から紹介します。


取り上げられているのは、マイケル作品の中で『スリラー』以上に言及の多い『ブラック・オア・ホワイト』。今回ウィラと対話しているのは『マイケル・ジャクソン・コンプリートワークス(Man In The Music)』の著者、ジョー・ヴォーゲルです!


翻訳は、childspilits先生に全面的にご協力いただきました。



Source : https://dancingwiththeelephant.wordpress.com/



Boy, is that Girl with You?

APR 2


ウィラ:今週は長年の友人ジョー・ヴォーゲルに来てもらえてとってもうれしい。あ、Dr ジョー・ヴォーゲルと言わなきゃね。この前話した時から、あなたはたくさんのことを成し遂げたのよね。どうしてたか、話してくれる?



ジョー:こんにちわ、ウィラ。また話せてうれしいよ。ここのところ忙しくしてたけど、このサイトはいつもチェックしていて,そのたびに新しい、すごい議論が繰り広げられてた。あなたとジョイエは、マイケル・ジャクソンの創作活動や人生の様々な面について、素晴らしい探索をしているよね。あなたが言ってくれたように、僕は、最近ロチェスター大学でPhDを終えて、いまは、ジェームズ・ボールドウィン(*1)についての本を書いてる。彼の1980年代の文化やメデイアに対する批評に焦点を合わせてね。



ウィラ:面白そうねぇ。あなたはブログでも度々ボールドウィンについての論文を載せていたけど、本を書いていたことは知らなかったわ。



ジョー:これは博士論文のひとつの章をふくらませたものなんだけど。ボールドウィンの仕事について詳細に調べ始めると、彼の洞察力の凄さに驚くね。彼の作品は、今日の世界に生きている僕たちにこそ大事なものだよ。


それと、MJに関連したものもいくつか書いた。一部はもう活字になっていて(議会図書館の『スリラー』の項目とか、アルバム『エスケイプ』のライナーノート)、スクリブナー百科事典(*2)のために書いたものや、僕たちがこれから議論する「僕はシーツなんか恐くない:『ブラック・オア・ホワイト』における黒人の男らしさ再考」という論文も近く出版される(この論文は「The Journal of Popular Music Studies」誌に掲載された)。



ウィラ:それについて話すのを楽しみにしていたのよ。あなたの論文には、私を魅了し、驚かせた点がたくさんあった。たとえば、あなたは「ブラック・オア・ホワイト」を映画産業における人種差別の長い歴史を覆そうとしたものだと見ていて、その差別の歴史をふり返ることから始めてるんだけど、正直言って、あの部分にはショックを受けたわ。


あなたが指摘しているように、ハリウッドの最初の映画、私たちがいま考える映画という意味での最初の作品は、D・W・グリフィスの「國民の創生」だった(*3)。これはクークルックスクラン(KKK)を讃える映画で、事実、元々の題名は「クランズマン(The Clansman)」だったのよね。


あなたは論文で次のように指摘してる。


その映画は映画という娯楽産業の形を変える、新しい芸術形式の先駆けとなった。『國民の創生』は当時もっとも収益をあげた映画で、インフレ率を換算すれば、史上もっとも収益をあげた映画かもしれない。制作に10万ドル以上かかった初の映画で、音楽をつけた初の映画であり、ホワイトハウスで上映された初の映画で、最高裁や議会で上映された初の映画で、何百万もの観客を動員した初の映画でもあり、それは、アメリカが生んだ大ヒット作だった。


『國民の創生』はアメリカの新興映画産業に大きな影響を与えたのよね。映画とはどういうものか、どうあるべきかについて、人々の考え方や、人種についての一般的な考え方が形成されるのに手を貸した。そしてあなたは『ブラック・オア・ホワイト』も、そうした課題に取り組んだと考えている。アメリカにおける、人種と映画産業という双頭の怪物に戦いを挑んだと。



ジョー:そのとおり。ラルフ・エリソン(*4)は『國民の創生』のことを、「スクリーンを通して、けだものじみたレイプ犯と、ニタニタ笑いにギョロ目の道化という、ふたつの黒人像を捏造した」と述べている。あの映画は南部だけではなく北部でも、もの凄いパワーと影響力を持っていた。ロサンゼルスでもね。初上映では、スタンディングオベーションが起こったんだ。





*黒人の描き方の例 2:08:42~、2:17:02~ 2:29;20~




ウィラ:そうね。実際、映画のストーリーの転換点は、白人女性をレイプしようとしたという罪に問われた黒人男性が殺されるところだし、異人種間結婚や「けだものじみたレイプ犯」としての黒人男性に対する恐怖は、最初から最後まで描かれ続けている。たとえば、映画の終わりに、二組の白人カップルが同時に結婚式を挙げる。そして、それは、北部から来た兄妹が、南部の兄妹と結婚するんだけど、彼らを結びつけているのは、つまり、南北戦争の惨禍のあとの北部と、南部を結びつけているのは、黒人男性への恐怖だということなのよ。



ジョー:マイケル・ジャクソンは映画の歴史に精通しているけど、興味深いと思うのは、1991年に、世界中で推定5億人が見たというすごい環境で、マイケルはこの生まれたばかりの、つまりD・W・グリフィスが長編映画のパイオニアだったように、彼自身がパイオニアになったショート・ミュージック・フィルムというメディアを使って、グリフィスが遺した黒人男性についての、そして黒人という人種全体についての神話に異議を申し立て、それに代わるものを提示しようとしたことなんだ。



ウィラ:そうね。あなたが書いているように、


グリフィス自身、あの作品の重要な目的が、「白人の中に、とりわけ白人女性の中に、黒人男性に対する嫌悪感を植え付けること」だと認識していた。


さらにあなたはこう言っている。


グリフィスはその目的のために、人種間の違いを誇張し、「あからさまな対比のある世界」を描いた。黒人の登場人物のほとんどは顔を黒く塗った白人が演じ、実際の黒人の肌の色は人によっていろいろ差があるにもかかわらず、皆一様に、実際よりも黒い色に塗っていた。そして黒人たちはしばしば暗いところで、狂ったような笑みや、肉欲にとりつかれたような表情で現れる。一方白人の主人公たちは、まばゆく輝くオーラをまとっていて、それが彼らの白さや生まれながらの高貴さを強調している。


マイケル・ジャクソンは、『ブラック・オア・ホワイト』のショートフィルムで、より複雑で、より俯瞰的な人間に対する見方を提示することによって、この「あからさまな対比の世界」に異議を申し立てた。そして彼の抗議は「白か黒か」という皮肉の効いたタイトルで始まる。この作品には、真っ黒なものも真っ白なものも、殆ど登場しない。



ジョー:そのとおり。音と映像で、彼はたえず「カテゴリー」に対する我々の理解に揺さぶりをかけ、注意深く複数のものを同時に提示して、緊張のバランスをとる。マイケルのこの作品は、グリフィスの映画の中心にあった前提、つまり人種の純粋性や、そこから発展した白人優越主義という誤謬を、根底から覆すものだったんだ。



ウィラ:本当にそうね。たとえば、グリフィスは顔を黒く塗った白人俳優を使って、人種の違いをまるで漫画のように表現したけど、マイケル・ジャクソンが私たちに見せたのは、黒と白両方の色で顔にペイントを施したアフリカの部族の男性たちだった。つまり彼らの顔は、白と黒のコラージュよね。これは大事なシーンで、このシーンとともに、ブラックオアホワイトの音楽が始まり、マイケルが登場する。私がすごいと思うのは、登場するなりマイケルは、この男性たちと踊るのよね。そして、単純な人種の定義を揺るがし、それに抵抗している彼の顔は、こういう部族の男性たちの真ん中に最初からあるのよ。黒と白のアートに飾られた、男性たちの顔に囲まれてね。


作品の後半には、あの有名なモーフィングの連続シーンがあって、アメリカン・インディアンの男性の顔が、黒人女性に変わり、それから白人女性に変わり、次に黒人女性、東アジアの女性、というふうにどんどん変化していく。私にとっては、黒と白のペイントを施した部族の男たちとモーフィング、このふたつのシーンは、あなたが言った「人種の純粋性という誤謬」をアートの形で表現しているのだと、私には思える。


生物学的には、「人種」というものは無い。つまり、片方に黒い遺伝子、もう片方に白い遺伝子がある、というものではないのよね。人種というのは、生物学的事実ではなく文化的なコンセプトによって生じるもの。人間は、肌の色や顔の特徴や髪質など、膨大な身体的特徴情報の集積で、人種の区別というのは人為的に与えられたものに過ぎない。




Black Or White(モーフィングで終わるShort Ver)





《註》_________



(*1)ジェームズ・ボールドウィン/アメリカ合衆国の小説家、劇作家、詩人、および公民権運動家。著作の大半は、20世紀半ばのアメリカ合衆国における人種問題と性の問題を扱っている。黒人であり、同性愛者であることに関連した社会的なコンプレックスや、心理的圧力を掘り下げた。

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/ジェイムズ・ボールドウィン)



(*2)スクリブナー百科事典/The Scribner Encyclopedia of American Livesのこと。世界的に知られているアメリカ人が掲載されている。ジョー・ボーゲル氏が書いたのは、「世界におけるアメリカ:1776年から現在まで」のマイケル・ジャクソンの項。



(*3)「國民の創生」/D・W・グリフィス監督による1915年公開の無声映画。リリアン・ギッシュ主演。物語は、南北戦争とその後の連邦再建の時代の波に翻弄される、アメリカ北部・ペンシルベニア州のストーンマン家と、アメリカ南部・サウスカロライナ州のキャメロン家の二つの名家に起こる息子の戦死、両家の子供達の恋愛、解放黒人奴隷による白人の娘のレイプ未遂と投身自殺などの出来事を、南北戦争、奴隷解放やエイブラハム・リンカーンの暗殺、KKKの黒人虐待などを、白人の視点から壮大な叙事詩のように描いている。

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/國民の創生



(*4)ラルフ・エリソン/アメリカ合衆国の小説家・文芸評論家・音楽評論家・エッセイスト。小説『見えない人間』(Invisible Man、1952年)によって、1953年に全米図書賞を受賞した。

→ http://ja.wikipedia.org/wiki/ラルフ・エリソン


☆(2)に続く




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by yomodalite | 2015-05-09 21:00 | MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

もうたくさん!「We've had enough」(6)

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☆もうたくさん!「We've had enough」(5)の続き


ウィラ:同感だわ、エレノア。そして彼はその考え方を、『Dancing the Dream』という彼の詩集にある「Heaven is Here」という詩に美しく表現している。


You and I were never separate

It’s just an illusion

Wrought by the magical lens of

Perception


きみとぼくは別のものではない

別々だと思うのは、魔法のレンズが創り出した

物の見え方のせいで

それこそが、まさに幻想なんだ


There is only one Wholeness

Only one Mind

We are like ripples

In the vast Ocean of Consciousness


ここにあるすべてのものが、

ひとつであり

ひとつの精神からできていて

ぼくたちの意識は

広大な海の

さざ波のようなもの


Come, let us dance

The Dance of Creation

Let us celebrate

The Joy of Life …


さあ、一緒に踊ろう

創造のダンスを

生きている喜びを

一緒に祝おう


◎[詩の全文和訳]http://nikkidoku.exblog.jp/20103916/


エレノア:この美しい詩は、彼の作品にくりかえし登場するもう一つのテーマを表している。我々は別々の存在ではない。「君は僕の分身なんだ」ってこと。


ウィラ:まさしく。


エレノア:「We've Had Enough」の子供たちのように、マイケル・ジャクソンは、人を結びつける内なる力を保ち、それが彼のビジョンのもととなって、「We've Had Enough」に描かれるような行為の残酷さや、野蛮性、あまりに愚かで何ももたらすことのない「狂気」をはっきりを見極め、認めるという能力と賢さをもっていた。


子供が、大事なものを失い、不正によって、心に傷を負うとき、彼もまた傷を負う。本当は、私たち全員が傷を負うべきなのよ。でも、歌詞の次の部分でマイケルが言っているとおり、私たちはそうしない。その代わり、、


We’re innocently standing by

Watching people lose their lives

It’s as if we have no voice


私たちはただ呆然と立っていて

人が死んでいくのを見てるだけ

まるで声を失ったかのように


もし人が死んでいくのを見たら、どうして「呆然と立って」いることができるの?彼は皮肉としてそう言っているのかもしれない。でなければ、私たちを、宗教的あるいは文化的な洗脳に犯された、「罪なき犠牲者」だと思っているのかも。私の推測では、私たちは「罪なき傍観者」でもあり、「罪を犯した人間」でもある、その両方だけど。


そして、歌の冒頭で湧き上がった憤りは、最初は警察や兵士に向けられたものだけど、いまや、私たちを洗脳するシステムに向いているし、洗脳を許してしまう私たち自身にも向いている。だって、私たちは声を出せるのよ。なのに、それを使わないことを選んでる。こういう行為をやめさせる責任は私たちにあるのに、それを怠っている。エドモンド・バーク(18世紀のイギリスの思想家。アイルランド生まれ)の有名な言葉にあるように、「悪の勝利のために必要なのは、善人が何もしないこと」なのよ。


ウィラ:マイケルはまた、私たちが「他の人が死んでいくのを見ても」何もせず傍観しているなら、私たちの力も弱まってしまう、と言っているのでは。それは、私たちを黙らせてしまう。「まるで声を失ったかのように」


エレノア:人が亡くなっているときに、私たちが、自分を罪なき傍観者だと信じて何もしないでいるなら、それは明らかに間違っている。「Earth Song」の歌詞で言えば、「我々はどこにいるのかさえわからなくなっている。でも、遠くまで漂い続けたことだけはわかってる…」言い換えれば、私たちは道徳の羅針盤を失ってしまったということ。


一方で、私たちに出来たことが何もなかったわけじゃない。マイケルは、私たちにすでに何かをしてなきゃいけなかったと言う。


It’s time for us to make a choice

Only God could decide

Who will live and who will die,

There’s nothing that can’t be done

If we raise our voice as one


決心するときなんだ

誰が生きるか、誰が死ぬか

判断できるのは、神だけなんだ

みんなが声をひとつにすれば

できないことなんて何ひとつない


They’ve gotta hear it from me

They’ve gotta hear it from you

They’ve gotta hear it from us


彼らは僕の話を聞くべきだ

彼らはあなたの話を聞くべきだ

彼らは私たちの話を聞くべきなんだ


We can’t take it

We’ve already had enough

Deep in my soul, baby

Deep in your soul and let God decide


これ以上だなんて

もうたくさんだよ

私たちの魂の奥でも

あなたの魂の奥でも

決めるのは神なんだ


私たちこそ、「神の」意思を表現する媒体なんだと認識しなければ、と彼は言っているように思う。だから、彼は私たちに、切羽詰まった、絶望に満ちた声で、「魂の奥」の力に心を開き、「判断をするのは神」だとわからせようとする。


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ウィラ:そうね。それは重要な指摘だわ。バラク・オバマが何度も引用している、エイブラハム・リンカーンの言葉を思い出す。「私が知りたいのは、神が我々の側にいるかどうかではない。大事なのは我々が神の側にいるかどうかだ」つまり、マイケルは、自分をよく見つめ、正しいことを為すために、神への理解を使うべきだと言っている。自分の利益のための行動を正当化するために神を利用するのではなくね。


エレノア:もし私たちが自分の魂の奥を見つめて、「内なる神と、小さな力で、公益を求める運動」に携わって考えれば、国とか、ひとつの人種とかではなく、私たちを含めた地球全体にとっての善は、あるグループのために、他のグループが犠牲になることはない。そして神の判断は、私たちの道徳の羅針盤を正常に戻し、我々が抱える矛盾によって閉じ込められていたパワーを、解き放つ役割を果たしてくれる。マイケル・ジャクソンは、このエネルギーが存在することを、真摯に信じていた。このエネルギーに導いてもらえば、私たちは何でも成し遂げられると。


そして、この詩のタイトルは、私たちが頭をはっきりさせ、心と知性の結びつきを取り戻すことが出来れば、自分の身に起こっているこれらの不正を感じられるはずだ、ということを明らかにしている。なぜなら、不正が行われ、私たちは皆、その結果に苦しんでいるのだから。そして彼は、私たち全員が「もうたくさんだ」ということを、いつわかって、何をするのか、と疑問に思っている。


ウィラ:そうね。だから、歌の終盤に彼は以下のようなアドリブを入れたのよね。4 :10くらいからだけど、、


They’ve gotta hear it from me

They’ve gotta hear it from you

They’ve gotta hear it from us

We’ve already had enough

(He’s my brother)

We’ve already had enough

(Dear God, take it from me

It’s too much for me

That’s my brother

It’s too much for me

That’s my brother, baby

That’s my lover)

We’ve already had enough


彼らは僕の話を聞くべきだ

彼らはあなたの話を聞くべきだ

彼らは私たちの話を聞くべきだ

もうたくさんだ

(彼は僕の兄弟なんだ)

もうたくさんだ

(親愛なる神よ、私の言葉を信じてください

私にはもう手に負えないのです

あれは、僕の兄弟で

あれは、僕の愛する人)

もうたくさんなんだ


武器を持たない1人の父親が、通りで警察に殺されるとき、遠い国に住む1人の母親が、自分の家にいながら爆撃で殺されるとき、マイケル・ジャクソンは、私たちに、自分には関係ない、遠い出来事だと思ってほしくないのよ。自分のことだととらえ、もし「私の兄弟」なら、「私の愛する人」なら、と考えてほしい。それは、私たちみんなの身に起こっていることなんだと。


エレノア:何もしないことによって、自分自身を破滅に追い込んでいってる、ってことね。


ウィラ:まさしく。


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エレノア:「We've Had Enough」がいつ作られたか知らないけれど、発表は2004年のアルティメットコレクションで、彼が裁判を控えている時期だった。その裁判で、彼は収監され、子供たちに会えなくなる可能性もあった。10年前に始まった、ものすごくつらい時期。だからこの歌は、怒りと絶望が、深い悲しみや同情やフラストレーションと混ざった感情を表している。彼の後期の作品の多くがそうであるように。


そして、彼の声に込められた必死な叫びを聞くと、彼が、ここに出てくる子供たちや、同じような境遇の幾千の子供たちの痛みを感じているだけでなく、彼自身、そして私たちみんなも、同じ邪悪な構造の罠にはめられている、と感じているのがわかる。その構造は、あの手この手で私たちから力を奪う。だけど、彼はその構造だって打ち壊すことができるし、打ち壊さなければと信じている。


でも、悲しくて、恐ろしいことだけど、「もうたくさん」とはなっていない。この歌がレコーディングされて何年も経つのに、警察や軍との衝突で、罪なき人が死に続けている。警察部隊が次第に軍隊みたいになり、軍事活動が、若い兵士が制御盤に向かって、まるでテレビゲームでもやるように人の命を奪うという、人の顔の見えないものになってからは特にそう。


でも、おそらく、その構造に勝てる確率はすごく低い。はっきりとものを言えば代償は高くつく。彼がこの歌の最後でほのめかしているように。「僕はまだ生きていて、それは、自分次第なんだ」と。でも、悲しいことに、彼はもう生きてはいない。この歌の子供たちのように、彼は善と悪の違いを知っていた。信じられないほどの強さと勇気で、公権力に立ち向かった。心を開き、生命の力を自分の中に呼び込み、自分の生き方や作品を通じて、不正に対して声を上げようと私たちを鼓舞した。彼はあきらめなかったし、決してそこから降りなかった。そして、彼は最も大きな代償を払った。


ウィラ:そうね。それが、今回最初に取り上げた、D.B.アンダーソンの記事が言ってることでもある。


マイケル・ジャクソンは、自分が目にした真実のためなら、矢面に立つことを決して恐れなかった。ジャクソンは、いつだって、世界規模のリーダーとして頼れる人だった。私たちが感じていることすべてを表現してくれた。大人になってからの彼の人生は、社会運動実践のカタログのようなもの。


飢餓、エイズ、ギャング問題、人種問題、環境問題。戦争で荒れたサラエボでコンサートを行ったのも、ジャクソンだった。911のあと、みんなに呼びかけてチャリティソングを作り、コンサートを開いたのも、ジャクソンだった。世界的な名声のすべてを使って世の中を変えようとしたのも、ジャクソンだった。彼はいつも矢面に立っていた。


彼の政治的姿勢ゆえに起こったことは、売り上げを落とすこと以上に悪い事態だった。権力に対して真実を言ったために、ジャクソンはターゲットにされた。そして、D.B.アンダーソンの言うとおり。彼は自らターゲットになり、ものすごい代償を払ったのよ。


エレノア:でも彼は、行動しなければそのツケはあまりに大きいという、強烈な真実を私たちに示した。そして、行動を起こそうという必死な呼びかけを残した。


They’ve gotta hear it from me

They’ve gotta hear it from you

They’ve gotta hear it from us


彼らは僕の話を聞くべきだ

彼らはあなたの話を聞くべきだ

彼らは私たちの話を聞くべきだ


We can’t take it

We’ve already had enough


もうこれ以上はいやだ

もうたくさんなんだ


(ウィラとエレノアの記事終了)


☆和訳「We've had enough」に続く




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by yomodalite | 2015-04-03 08:58 | MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

もうたくさん!「We've had enough」(5)

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☆もうたくさん!「We've had enough』(4)の続き


エレノア:そして、人種のことを忘れちゃいけない。白人至上主義者とキリスト教ファンダメンタリズム(原理主義)は、しばしば密接に関係し合っている。



ウィラ:残念だけど、それは事実ね。ただ、あなたは、国家あるいは、宗教や人種や民族や性的指向などをベースにして成り立っている集団が、自分たちの行為を、その行為が暴力的だったり弾圧的だったりする場合は特にだけど、正当化するために、神の概念や神の意志を都合よく利用する傾向があるという、重要なことを指摘してると思う。


それは、ジョイエと私が去年の3月の記事でとりあげた「All in Your Name」でも、マイケル・ジャクソンが取り組んだ問題だと思う。


ガーディアン紙の記事には、「ジャクソンは、未完の曲を持って、バリー・ギブのもとを訪れた・・・アメリカ合衆国がイラクに侵攻する約3ヶ月前に」とある。その歌で、彼は迫りつつある戦争だけではなく、「あなたの名のもとで」行われるすべてのことについて、疑問を呈している。


彼は、神の名の下に行われている残虐な行為に心底怒り、苦しんでいて、神の存在自体に疑問を投げかける。でも、神への強い信仰なしに生きていくこともまた、マイケルにとっては非常な苦しみ。それを彼はバリー・ギブと声を合わせて歌っているのよね。


So what is my life

If I don’t believe

There is someone to watch me?

Follow my dreams

Take all my chances

Like those who dare?

And where is the peace

We’re searching for

Under the shadows of war?

Can we hold out

And stand up

And say no?


誰かが見守ってくれていて

私の夢を気にかけてくれて

チャンスや、勇気を信じられなかったとしたら

人生にどんな意味があるのだろう

そして、私たちが求めている平和は

どこにあるのだろう?

戦争の影の下で

私たちはできるだろうか

踏みとどまり

立ち上がり、Noと言うことが


Only God knows

It’s all in your name

Follow me to the gates of paradise

They’re the same

It’s all in your name


神だけがご存知なんだ

すべてはあなたの名前でしたこと

どんな天国の門であっても

それらはすべて同じこと

すべてはあなたの名において



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神は慈悲深いと信じることは、マイケルの人生の土台のひとつといえる。教会で育ち、その宗教的な信条に導かれ、あらゆる狂乱を経験してもなお、正常な精神を保ってくれた。神への信仰なしに生きることなど、彼には想像がつかなかった。だから、彼は繰り返し歌ってる。「(誰かを=神)信じることができなければ、人生にどんな意味がある?」


でも、一方では、恐ろしい行為が、神の名のもとに行われ続けている。「私たちが求めた平和はどこにあるのか?この戦争の影の下で・・・すべてはあなたの名において」


そして、私たちは、宗教的な不寛容と聖戦を中東や、それ以外の戦闘地域にも広がっていくのをずっと目にしている。そのことも、マイケルにとって耐えがたいことだった。


エレノア:とても深いわね。ウィラ・・・「平和はどこにあるのか?」という歌詞は、数年早く書かれた「Earth Song」に似た響きがある。「平和はどうなったんだ。あなたの一人息子に誓ったはずでは?」マイケルはこの問題を本当に長い間考え、格闘してきた。


ウィラ:私もそう思う。そして、彼は分岐点で立ち止まり、何を信じるべきか、何をするべきかを、必死にわかろうとする。そして、「All in Your Name」で彼は、慈悲深い神への信仰を保ちながらも、立ち上がって、宗教戦争や、宗教による不寛容に反対する立場をとろうと決意し、葛藤を克服する。そして彼とバリー・ギブは歌う。


Can we hold out

And stand up

And say no?


私たちはできるだろうか

踏みとどまり

立ち上がり

NOと言うことが


Only God knows


神だけが知っている


◎『All In Your Name』全訳


エレノア:この歌は、マイケルが直面した深刻なジレンマを完璧に表現している、とあなたたちが議論したのをよく覚えてるわ、ウィラ。 彼がよく、L.O. V. E.と表現した力に対して、深い共感と結びつきを感じていたことを考えると、なおさらね。この歌は、彼が9月11日にどれほど苦悩し、絶望的な気持ちになったかを表している。そう、彼は、あの日ニューヨークにいて、恐怖の光景を目撃していた。


この歌、そして、ここで描かれた物語もまた、「神についての疑問」と悪(evil)の問題が、彼の頭を離れなかったことを示している。そして、彼のジレンマは、「We've Had Enough」の子供たちが直面したジレンマと同一なのよね。子供たちは心の奥で、自分や親たちを襲う悪(evil)は、愛であり善なる力である彼らの神のせいではないこと、全能であるはずの神が、こんなひどいことが起こるのを許すはずはないことを知っている。それでも、ひどいことは起きる。ならば、子供たちにどう答えれば良いのか?


マイケル・ジャクソンは、ジレンマへの解決法を、「We've Had Enough」に出てくるような、曇り無き眼を持つ子供の、無垢な知恵に見つけたんだと思う。国家の行為を裏で支え、「撃て」と命令し、どの命が重要かそうでないかを決めるような、国家に属した神ではなく、ある人たちが「内なる神」と呼ぶ、すべての人にとっての善を実現する力が存在することを、子供たちの中に見いだした。もしも、その力に気づき、私たちがその力を使えるなら、できないことはないんだと。でも、その「もしも」はとてつもなく大きい。なぜなら、私たち大人は、それを無視することもできて、ほとんどの場合、そうする方を選ぶ。


そういった私たちのような、自分の中の無垢な知恵に触れることができなくなっている大人とは違い、MJはいつもそこへ続く道を広く開け、五感を研ぎ澄まし、神経を隅々まで活発に働かせ、深い感情とパワーを作品に注ぎ込んでいた。そしてそのパワーを使い、私たちの魂の奥深くへと入りこみ、私たちの中の無垢な部分に触れることができた。


それは、人と人を結びつける、愛と共感のこと。人々を別々に分けるような恐怖や怒りではない。そして、彼は、私たちの中に無垢な力が存在することを信じ続けた。どれほど、それを否定する証拠が数多くあったにもかかわらずね。


☆(6)に続く





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by yomodalite | 2015-04-02 06:00 | MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

もうたくさん!「We've had enough」(4)

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☆もうたくさん!「We've had enough」(3)の続き


エレノア:子供たちの問いは、神の問題へと通じ、神と国家との関係という問題を提起している。この女の子からすれば、国家は神の許しなく振る舞っているいうことになるのでしょう。彼女はとても難しい問題を私たちに突きつけている。



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by yomodalite | 2015-03-31 06:00 | MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

もうたくさん!「We've had enough」(3)

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☆もうたくさん!「We've had enough」(2)の続き


エレノア:まさにそうね。ただ、最初の物語のテーマは人種で、2番目の物語は国籍よね。


ウィラ:そう。あるいは、宗教や民族やそれらの組み合わせと言ってもいい。でも、私たちがこれらの物語を聞いて、それをどのように解釈したり、場面をどのように頭に描くかに関わりなく、歌詞を歌うマイケル・ジャクソンの声は哀しみに満ちている。彼の心はきっと、北アイルランドで親を失った子供や、イラクやスーダンやセルビアやイスラエルや東南アジアで親を亡くした子供に対する哀しみでいっぱいなんだと思う。子供の観点からは問題の解釈なんかどうでもいいのよ。子供にとっては、母が父が殺された、そのことだけしかないのよ。「We've Had Enough」は、親を失った子供の視点に立つことを、私たちに促すのよ。


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by yomodalite | 2015-03-30 06:00 | MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

もうたくさん!「We've had enough」(2)

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☆もうたくさん!「We've had enough」(1)の続き

エレノア:でもね、興味深いことがあるのよ、ウィラ。どちらの場面でも、マイケルはわざと、非常に重要な情報を入れないでおいて、見事なやり方で、その空白を私たちに埋めるようにゆだねている。

最初の場面では、マイケルは小さな女の子の人種を特定していない。私たちにわかるのは、何らかの理由で、少女から愛が奪われたこと。この子はどんな人種でもあり得るし、誰の娘でもあり得る。そして、私たちはみな、即座に彼女をかわいそうだと思う。人種はわからない。なんの偏見もない。でも、状況が(街なかで警察官に、市民のために働き、市民を守るのが仕事であるはずの警察官に父親である男性が殺されたこと)彼女をアフリカ系アメリカ人であることを想像させる。

そして、2番目の話では、少年の住む国は特定されていない。彼はただ、遠いところにいる貧しい少年で、彼にはなにか恐ろしいことが起こっている。私たちは引き込まれ、同情心が湧き上がる。しかしここでも、状況が(戦争地域で、平和をもたらすのが使命のはずの、平和維持隊という名の軍隊や、平和維持隊のミサイルに母親である女性が殺されたこと)この少年は何人でもいいわけではないと想像させる。彼はイラク人かアフガニスタン人で、いずれにしても、アメリカ合衆国が不健全な形で関わっている国に住んでいて、おそらくはムスリムよね。

書かれていないことについては、聞き手が想像してくれるだろうとMJがわかっていたということ自体が、本当に多くのことを伝えている。それは、マイケルが人間の性質を理解し、私たちが、これらの残虐行為を実は認識していることを知っていたということ。ここに描かれたような状況は、私たちがずっと前から知っていたことで、彼はそれもよくわかっていた。

そして、マイケルはまた、少女の人種や少年の国籍を特定しないことによって、私たちが彼らに共感や同情を持ちやすくなること、けれどいったん彼らの親たちの死の状況が明らかになれば、私たちが黒人であろうと白人であろうと、その少女の人種や少年の国籍について想像でき、それが、罪なき黒人の命や、罪なきイラク人やパキスタン人の命が奪われているということに、私たちみんなが気がついているんだということの証明になる、という流れについてもわかっていた。

私たちは、どのように扱われているかによって、その人たちが誰であるかがわかるのよ!だから、わかったことに対して、自分はなんの責任もないと言うことは出来ない。罪なき命が奪われるという残酷な状況は、いつものことで、私たちには関係ないという人もたくさんいるけれど、それは、もうビジネスになってしまっているんだから。


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ウィラ:でもね、こういうこともあるわ、エレノア。私と同じ高校の男の子は、大学1年生の時に警官に殺された。彼は白人だったのよ。


エレノア:でも、あなたがそれを今でも憶えているのは、それが日常的な事ではなかったからじゃない?黒人の男性や少年が殺されたり収監されたりするのは、日常的なことなのよ。今週初めにアカデミー賞の授賞式があったでしょ。そこで興味深かったのは、コモン(Common:アメリカの、グラミー賞を受賞しているヒップ・ホップアーティストであり俳優)が、南北戦争前に奴隷として働いていた人間の数より、今日アメリカ合衆国の監獄に入っている黒人男性の数の方が多いという事実を持ち出したこと。


ウィラ:そうね。その収監率の高さは、アメリカの悲劇だわ。でも、私がブラッド(殺された白人の大学生)の死を憶えているのは、それがひどい事件だったからなの。私は彼を小学校三年の時から知っていた。彼は飛びぬけたユーモアのセンスの持ち主で、それ故にトラブルに巻き込まれることもあった。それでも先生たちが彼を好きだったのは見ていてよくわかったし、まわりの生徒たちも彼が大好きで、彼には悪意なんていうものは全然無かった。本当に面白いやつだったのよ。でも、高校で、いわゆる荒れる時期を迎えたのね。それで、ある夜友達と、盗んだ車をぶっ飛ばしてしまった。そしたら警察沙汰になって、彼は殺されてしまったの。査問委員会が開かれたんだけど、そこでも警察の行動は適正だったという決定が下された。

それから、数年前に、私と同郷の若い白人男性が、2歳の娘の父親なんだけど、その彼が、州間高速道路の休憩地帯に車を停めていて、警官に殺されたの。州警察官となにかで激しい口論になって、その時手に持っていた銃を手放すのを拒否したのね。そしたら、警官は彼を射殺してしまった。彼の銃には弾が入ってなかったことは、あとになってわかった。彼をよく知る友人と話した時、その友人は、警察が事件を「警官を使った自殺」と呼んでいると言っていた。つまり、実は、彼は警官に殺されたがっていたと言うのね。それで、私の友人は、恐ろしいことだが、そうかも知れない、と言ったわ。友人は、殺された彼を子供の頃から知っていて、その死にショックを受けていたけど、あいつは確かに近頃落ち込んでいて行動も荒れていた、だから起こったことは本当に自殺かも知れない、とね。

私が言いたいのは、事はすごく複雑だということ。警察の仕事というのはとても困難なもので、白黒と判断がつくことだけじゃない。あなたがさっき言ったように、チャールズ・ブロウの息子に引き金を引いた警察官は黒人だったし、若い白人たちも、特に貧しかったり、ホームレスだったり、虐待にあったり、何らかの問題を抱えてる場合は、警察に殺される。黒人の方が、白人よりもターゲットにされやすいのは確かで、それもはるかに高い確率よね。

でも、白人だって爆弾から逃れられる訳じゃない。北アイルランドで失われている罪なき命のことを考えてみて。だから、人種というのは、今ある構図の大きな要素には違いないけど、私たちは皆、非常に軍国主義的な時代に生きていて、誰もがターゲットにされる可能性があるということ。他と比べて、ずっとターゲットになりやすい人々は確かにいるんだけどね。


エレノア:でもね、ウィラ、それは日常茶飯事に人が殺されている問題とは違うんじゃない。私が言いたいのは、マイケルも同じことを言いたいのだと思うけど、アメリカにおいてアフリカ系アメリカ人が警察に殺されるというは、本当に日常のことになっていて、もはや誰も気に留めなくなっている、ということなのね。#BlackLivesMatterは、状況が何も変わってはいないことを示していて、最近の抗議者たちが抗議しているのはそのことに対してなのよ。

「We've Had Enough」は、国家の敵ではなく、普通のアメリカ市民であったり、公的には戦争に参加していない、他の国の市民に対して、この国がとる行動の結果としての悲劇に特に焦点を当てている。全身武装した、強大な国の権力によって、不必要に、なんの配慮もなく、貧しい人、弱い人が殺されていくという物語を語っている。これらの物語に登場する人々は、理由もなく殺されている。

少女の父は犯罪者ではなく、少年の母は敵兵ではない。もしマイケルの詞がパキスタンや、あるいはアフガニスタンのことを指しているなら、アメリカはどちらの国とも戦争状態ではなく、ただその国に敵兵が潜伏しているというだけのことなのよ。MJが言っているのは、アメリカ合衆国は、彼らが本当の脅威かどうかは関係ない、なぜなら彼らの命なんかどうでもいいから、という観点でものを見てる、ということ。そしてマイケルは、どうしてそんなことが言えるのか、と私たちに問いかける。

それぞれの国で、いろいろな人々が捨て駒にされている。それが、この歌で人種も国籍も特定しなかったもう1つの理由じゃない? どういうことかというと、アメリカ合衆国では、警察の任務の対象になるのは圧倒的に黒人であり、さらに、9.11後はムスリムが軍の標的になっている。だから、歌詞の空白部分は、あなたが誰であるか,どこに住んでいるかによって、ちがう埋められ方がされるわけね。


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ウィラ:そして、歴史のいつの時点に立ってるかによっても埋め方は違う。たとえばアメリカでも、メキシコや日本やアイルランドやイタリアや中東や朝鮮やポーランドやプエルトリコや中国などからの移民が、それぞれの時代に、差別され、おまえらの命なんかどうでもいいというように扱われてきた。そしてもちろん、アメリカン・インディアンたちも、どうでもいいように扱われてきたのよ。

だから、マイケル・ジャクソンは、いろいろな理由で見捨てられてきたすべての人々のために声を上げている、と私は思う。アメリカで警察の暴力の犠牲になるのは圧倒的に黒人であり、爆弾の犠牲になるのは圧倒的に「他者」、つまり他の人種、他の宗教、他の国籍や民族であることは確か。

実際、私はアメリカが原爆を、日本の2つの都市には落としたけれど、ヨーロッパには決して落とさなかったという事実に関して、とてもいやな議論を聞いたことがある。もしドイツかオーストリアかイタリアが1945年の8月にまだ戦争をしていたら、私たちの国はそこに原爆を投下しただろうか?それともアメリカ人はそんなこと考えもしなかったか?という議論。


エレノア:興味深いわね。私も、たとえヨーロッパにイスラム過激派が集中しているという強力な証拠があったとしても、アメリカがドローンを使って爆撃するとは想像しがたいわ。


ウィラ:そうね。アメリカの政策担当者は、自分たちに近いと見なした人間と、「他者」と見なした人間とでは、違うルールを適用するものね。

だから人種の問題は、「We've Had Enough」で表現された、2つの物語に重くのしかかっていると思うけれど、同時に、それが明確にされていないことも大事だと思う。ある意味、人種的偏見が明確にされていないことは、物語の強力な要素になっている。私たちは自分の心の中で、複雑な歴史について思いを巡らさずにはいられなくなるから。








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by yomodalite | 2015-03-27 06:00 | MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

もうたくさん!「We've had enough」(1)

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☆この記事の「まえがき」はこちら


下記は「Dancing With The Elephant」の記事より和訳。


ウィラ:白人の警官が武器を持たない黒人男性を殺す事件が最近目立っている。いままでもさんざんあったことだけど、一番最近の犠牲者は、ミズーリ州ファーガソンにおけるマイケル・ブラウンとニューヨーク市のエリック・ガーナー。


これらの事件に対して、#BlackLivesMatter(blacklivesmatter.com/)の抗議者たちはデモを組織し、マサチューセッツとカリフォルニア、イリノイとジョージアの間にある都市や街の道路を封鎖したりして、国中で抗議運動をしている。そして、D.B.アンダーソンが「ボルティモア・サン」で指摘したように、抗議者たちの多くはマイケル・ジャクソンの、声なき者を代弁する歌「They Don't Care about Us」を歌っている。



They Don't Care About Us

発売当時この動画は公開禁止になり、別の動画が公開されたが、

今度は歌詞に差別用語があるという理由で曲もオンエア禁止になった。





原文:Messenger King

和訳:マイケル・ジャクソンは発言することを恐れなかった。


しかし、私たちの友人エレノア・バウマンは、最近のメールで「They Don't~」ほど有名ではないが、もう一曲、権力の濫用に対して、真っ向から力強く立ち向かっている歌があると指摘した。それは「We've Had Enouth」という歌。



We've Had Enouth

こちらは当時ボックスセットにのみ収録された曲で

動画はファンメイドのもの。





心を捉えて放さないその歌の歌詞は、制服を着た男たちに殺される、罪もない人々のことを表現している。たとえば、最初に歌われているのは以下のような光景。


She innocently questioned why

Why her father had to die

She asked the men in blue

“How is it that you get to choose

Who will live and who will die?

Did God say that you could decide?

You saw he didn’t run

And that my daddy had no gun”


彼女は無邪気に尋ねる

どうしてお父さんは死んだの

彼女は青い制服の男に尋ねる


「誰が生きるか、誰が死ぬか、

どうしてあなたが決めるの?

神様がいいっていったの?

お父さんは逃げたりしなかったのに。

銃も持っていなかったのに」


ウィラ:エレノア、あなたの言うとおり。この歌は、いま書かれたといってもおかしくない。この歌詞と、いま起こっていることは、ぞっとするくらいシンクロしてる。でも、こういった話はずっと前からあるもの。論理学の教授、グレッグ・ケアリーが「ハフィントン・ポスト」で書いているようにね。


エレノア:こんにちは、ウィラ。「We've Had Enough」について語ることに誘ってくれてありがとう。この歌はマイケル・ジャクソンの作品の中でも、最も強力なプロテストソングのひとつよね。


ウィラ:こちらこそ、ありがとう。


エレノア:それから、D.B.アンダーソンの「They Don't Care about Us」についての素晴らしいコラムについても触れてくれたこともうれしい。2つの曲はとても密接につながっているから、抗議者たちがマイケルの曲を歌っていることを、D.B.アンダーソンが伝えてくれてよかったと思う。他のニュースメディアではどこにもマイケルの名前も「They Don't Care about Us」と抗議活動の関係も語られていなかったから。


ウィラ:実際には、私はそのことに言及している報道をいくつか見たんだけど、レポーターたちは抗議者がマイケルの歌を歌っていることに驚いているみたいだった。でも、D.B.アンダーソンはそうじゃなかった。実際、彼の歩いた道のりや、彼が検察からいかに標的にされたかを知っていれば、つまり、非常に不確かな証拠で起訴され、警察やメディアから有罪だと決めつけられ、屈辱的な身体検査を行われ、裁判は公の目にさらされ、最終的には自分の家を出ることを余儀なくされた、ということを知っていれば、抗議者たちがマイケルの歌を、特に「They Don't Care about Us」を歌うのは、まったく当然なことだと思えるはず。



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エレノア:あの歌における「They = 彼ら」は「We've Had Enough」の「彼ら」(彼らはあなたから、私から、私たちから、きちんと話を聞くべきだ)と同じ。ちょうど「They Don't Care about Us」の「Us = 私たち」が「Earth Song」の「私たちはどうなんだ」の「私たち」と同じであるように。そして、もしかしたら、「We've Had Enough」の「We = 私たち」は「They Don't Care about Us」の They と Us をひとつにしたものかも知れない。ちょっとそんな感じがする。とにかく、どう見ようと、マイケル・ジャクソンがこれらの代名詞にいろんな意味を込めていることは確かよね。


ウィラ:そうね。


エレノア:「We've Had Enough」には、最初から心をわしづかみにされる。哀しみと怒りに満ちた彼の美しい声が、あの素晴らしい歌詞を歌い始めるんだもの。


Love was taken

From a young life

And no one told her why


愛が奪われた

子供の人生から

そして誰も彼女にその訳を言わない


ウィラ:そう。そして、私たちはやがてこの小さな女の子から「奪われた愛」が、彼女を愛し、守っていた父親のことで、彼は「またもやの暴力犯罪」によって殺されたことを知る。つまり、本来その父親を守るべき「青い制服の男たち」が、彼を殺した張本人たちということ。



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エレノア:そうね。そして、この暴力犯罪から、微かな光として得られる教訓は、良いか悪いかはわからないけど、女の子の人生の行方を指し示すものになる。最近の事件を考えると「We've Had Enough」は、時が変わっても起こることは同じだと、私たちに苦く思い出させる歌よね。事実、つい最近だけど、私はこれに近い、心の痛む事件をニュースを知った。命は無事だったんだけど、あるおじいさんが、孫を可愛がったり、面倒みたりできなくなってしまったのね。


他にも、ニューヨーク・タイムズのコラムニストのチャールズ・ブロウの息子が、イェール大学の図書館から出てきた時に、警察官に銃を向けられ、職務質問を受けたという事件もあった。この場合は、息子も警察官も黒人で、重要な点は警察官の方は制服を着ていて、職務執行中であったということ。


あなたが言ってた、ケアリーの記事の中ではこう書かれてる。


我々の社会における、人種の力関係は変化した。でも、基本的なパターン、つまり武器を持たない黒人男性(あるいは少年)がいて、警察官と遭遇する、なにか問題が起こり、警察官が発砲する、というパターンは変わらない。とんでもなく憂鬱で、そして本当に不公平な事態。(私たちはようやくこの暴挙を意識しはじめているのか?)


でも、「We've Had Enough」の第一節だけでは、物事の全体、少なくともマイケル・ジャクソンが伝えたかった事の全体はわからない。だから、マイケルは第二節を書いて、そこではもう一人の子供、たぶん、イラクかアフガニスタンの子供が親を失う。でも、今回登場する制服は、警官服ではなく、軍服。そしてこの光景も、いやになるほどおなじみの光景。


In the middle of a village

Way in a distant land

Lies a poor boy with his broken toy

Too young to understand

He’s awakened, ground is shaking

His father grabs his hand

Screaming, crying, his wife’s dying

Now he’s left to explain


遠く離れた国のある村の真ん中

壊れたおもちゃを手に貧しい少年が眠っていた

世の中のことはなにもわからず

地響きがして、少年は目を覚ます

父は彼の手を掴み、泣き、叫ぶ

母が死にゆき、残された父は

子供に話してやらねばならない


He innocently questioned why

Why his mother had to die

What did these soldiers come here for?

If they’re for peace, why is there war?

Did God say that they could decide

Who will live and who will die?

All my mama ever did

Was try to take care of her kids


少年は素直に尋ねる

どうしてお母さんは死んだの

あの兵士たちは何をしに来たの

平和のためだと言うなら、どうして戦争をしているの

神様は、誰が生きて、誰が死ぬのか

彼らが決めてもいいって言ったの?

お母さんは、僕たちの世話をしていただけなのに


「We've Had Enough」で、マイケル・ジャクソンは、ふたつの悲劇的でありながら、あまりに見慣れた状況を表現した。警察に殺される罪なき男と爆弾、あるいはミサイルに殺される罪なき女性。両者とも、顔のない、国家による行為の犠牲者。


ウィラ:そう。そこがすごく重要なところね、エレノア。それらふたつの場面をあのように並べることで、マイケル・ジャクソンは両者の関連性を描き出した。そして、聴く者にその関連性を見せようとした。こうやって並べられると、私たちは、警察官に街で父親を殺された少女と、兵士に母親を殺された少年の共通性に目を向けずにはいられない。


エレノア:そのとおりね。それらの共通性を明らかにする中で、マイケルは、私たちに2つの状況が孤立した出来事ではなく、大きくとらえれば1つの文化パターンの一部だということを見せている。国家権力が、一見過失のように見せかけながら、罪なき人の命を奪い、それに対して誰も何もしない、という行動パターンのね。


☆(2)に続く



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by yomodalite | 2015-03-26 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

「Dancing With The Elephant」の記事を紹介します!

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MJJFANCLUB JAPANで、管理人の方が丁寧な訳で紹介してくださっている、ウィラとジョイエの会話をお読みになった方は多いと思います。『M Poetica』の著者である、ウィラ・スティルウォーター博士と、MJFCのファウンダー、ジョイエ・コリンズ氏のブログ「Dancing With The Elephant」は、私がもっとも好きなMJブログです。


マイケルが旅立ったあと、世間の彼への見方は一変し、性的幼児虐待とか、変人であるということが覆されても、彼の顔の変化については「白斑症という病気の被害者」を強調するばかり。そこには、彼の意思や、アートが詰まっているという私の期待に応えてくれるものはどこにもなく、スティルウォーター博士が同様の表明をしてくれたときは、世界で初めて共感できる方を発見したように感動し、なんだか肩の荷が降りた気さえしました。


その他、「マイケル・ジャクソンは私たちが想像すらできないようなレベルの悪口雑言に耐えていたけど、私たちが想像できないほどの喜びも経験していた。彼はどん底も、とんでもない高みも感じていた。(http://yourockmyworld829.blog88.fc2.com/blog-entry-3480.html)


という感覚を基調にした内容の多くに、いつも感嘆しながら眺めてはいたものの、自分で翻訳する力はなく、残念に思っていたのですが、今回紹介する記事は、ウィラと彼女の友人である、エレノア・バウマン氏との会話です。


その内容は、私が、MJの顔の変化へのこだわりのあと、のめりこんだ問題の多くに関わっていて、それで、、


「今、この記事を紹介できないんだったら、もうブログにマイケルのことを書く意味なんてない!」


と、私に泣きつかれたchildspirits先生の全面協力のもと、記事を翻訳することが出来ました。


内容は、まだ記憶に新しいミズーリ州ファーガソンで起きた、白人警官に黒人青年が射殺されたことへの抗議で、マイケルの「They Don't Care about Us」が歌われたことから始まり、もうひとつのプロテストソングである「We've Had Enouth」の解釈へと進みます。


冒頭で紹介されているD.B.アンダーソンによる記事を以前に読んだとき、私は、心を動かされることはありませんでした。マイケルをどんなに高く賞賛されていても、彼が、他のセレブたちに望む基準を、MJに求めているように感じられたからです。



でも、ウィラとエレノアの会話が行き着いた地点には、マイケルの偉さと、自分への情けなさを痛感して、号泣せずにはいられませんでした。



☆もうたくさん!「We've had enough」へ





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by yomodalite | 2015-03-25 21:54 | MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

認知神経科学の教授が語るマイケルの創造性

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こちらで発見した記事(Scoop.it!)なんですが、オックスフォード大学出版局で本を出している著者やスタッフが、哲学、文学、経済学など、あらゆるアカデミックな分野にわたって、自分の考えたこと、研究していることなどについて語られているブログで、

認知神経科学の教授が、真の天才の創造性について、マイケルを例にあげて書いてます。



☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2014-10-07 00:22 | MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite