カテゴリ:☆MJアカデミア( 49 )

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☆註を追記修正しました

(③の続き)

ウィラ:あなたが言うように、彼は自分の芸術を通して、繰り返し私たちに「自分の歴史を作るんだ」と呼びかけていた。そして、自分たちの歴史を知ることの重要性も考えていたのね。この春の記事で、ライシャとジョイエと私が話したように、アルバム『ヒストリー』にも「ヒストリー」という曲にも、歴史に言及した部分がたくさんあるのよね(*1)。そして、「ヒストリー」のプロモーションフィルムにも、歴史に触れた重要な部分があって、特に撮影された場所についてはね。それについては、あなたもかなり調べてると思うんだけど、わかったことを話してもらえるかしら。



エレノア:そうね、このショート・フィルムで証明されたのは、MJがたいていの人よりもはるかに歴史をよく理解していたということ(ずっと言ってることだけど、私にとっては「HIStory」について調べること自体が、歴史の勉強になった)。そして、彼は、歴史から学ばない人々は、過ちをくり返すという考えを強く支持していた。


「ヒストリー・ティーザー」の舞台を、長いソビエト支配が終わった1994年のハンガリー・ブダベストにしたことや、ソ連をイメージさせるような映像を使ったことで、その当時のマイケル・ジャクソンの歴史や、アメリカにおけるアフリカ系アメリカ人の歴史、世界中の抑圧された人々の歴史を、ソ蓮の支配下で、「拷問にかけられ、糾弾され、強制収容所に入れられ、多くの人が死んだ集団農場で強制労働を担わされた」ハンガリーの人々の歴史に結びつけている。


そのつながりが明確なのは、「ヒストリー・ティーザー」で行進している兵士たちが、ソ連の制服を着て、ブダペストの英雄広場(*2)に向かっているということ。その中心には、896年のハンガリー建国を記念して、1896年(ハンガリーがオーストリア・ハンガリー帝国に属していた時代)に建てられた、千年記念碑があるのよね(*3)


意義深いことに、千年記念碑は英雄広場の中心を占めているけど、建築として広場の角に位置しているのは、国立西洋美術館と現代美術館で(*4)、広場には、芸術と英雄という二つのテーマが融合していて、英雄的な芸術というか、英雄としての芸術家は、帝国の遺産として存在しているのよね。



ウィラ:そういうの、いいわよね。「英雄としての芸術家」というのは、新しいタイプのヒーローと言えるわね。そしてこの考え方を視覚的に表現したのが、「ヒストリー」においてそびえ立つマイケル・ジャクソンの彫像ね。


英雄広場は戦場の英雄や、政治の英雄を讃える像がたくさん建てられている場所だけど、「ヒストリー・ティーザー」で私たちは、もうひとつ、他のものをすべてを見下ろす像を目にする。でも、その像は新しいタイプのヒーローの像で、彼は、地図上の境界線を変えようとする軍のリーダーや政治のリーダーではない。私たちの考え方を変え、違う文化や、違う民族の、世界中の人々と共感し合おうと私たちを鼓舞する、パワフルな芸術家。だからこの像は、あなたの言う「ヒーローとしての芸術家」を真に表現したものなのよね。



エレノア:「レッド・オクトーバーの賛歌」をソ蓮の制服を着た兵士たちの映像に重ねて見てみると、その「レッド」と関わりのある2つの「十月革命」が思い浮かぶ。1917年、皇帝が支配するロシア帝国を倒し、ソビエト連邦を権力が移った10月のボリシェヴィキ革命と、第二次世界大戦以後、ハンガリーを支配していたソビエトを打倒しようとして失敗に終わった、1956年のハンガリー革命。この革命は、数十年後に起こるソビエト連邦崩壊の原因にもなった。マイケルは、歴史をふり返ると、ひとつの革命は、多くが次の革命に、そして、そのまた次の革命にもつながっていくと考えていた。それは消えることのないパターンなのよね。



ウィラ:それは興味深い解釈だわ、エレノア。ロシアの十月革命については、「レッド・オクトーバー賛歌」でもふれられている。


Sail on fearlessly

Pride of the northern seas

Hope of the Revolution

You are the burst of faith of the people

In October, in October

We report our victories to you, our Revolution

In October, in October

And to the heritage left by you for us


恐れを知らず海を行け

北の海の誇りを胸に

革命の希望を胸に

君たちは人民の信念をみなぎらせ

十月に、十月に

我らの革命の勝利を君に告げよう

十月に、十月に

君たちは我らの遺産となるだろう



エレノア:新たな軍隊(私たちや、彼のファン?)は、マイケルが、殴ったりしないのに、腕にしていた、あの「バンデージ」(アームカバー?)のように、撃つことの出来ない木製の銃を持ち、旗やプラカードに彩られた英雄広場を行進していく。「握りこぶし」で鼓舞するのではなく、「開いた手」で投げキッスをするマイケルは、新しい時代のヒーローを表していて、彼は、征服~革命~征服という連鎖を終わらせ、すべての人の幸福のために、一緒に働くことができる、そんな人類の新しいイメージを提示することを目標にしている(*5)。ロシア語がわかればいいんだけど、残念ながら私には、旗や制服の腕章になんて書いてあるかわからないのよね。



ウィラ:実は、Google翻訳や、Babefishを使って旗のメッセージを翻訳しようと思ったんだけど、うまくいかなかったわ。(ロシア語として)認識可能な文字でないのかも。それで、私の大学のヨーロッパ言語の専門家である Bjørnに、旗と兵士の腕章のことを訊いてみたんだけど、彼の答えが素晴らしかったの。


兵士の腕章にあるのはキリル文字(ロシアの文字)ではなく、むしろ、ルーン文字に似ている。おそらく、ナチのSSのロゴに発想を得たのだと思う。調べてみたところ、腕章にある文字をルーン文字のアルファベットの中に見つけることはできなかった。このフィルムのために新たに作られたものではないだろうか。三人の兵士のアームバンドもこのパターンのバリエーションだと思う。
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その他の不明の文字は、判読できるともできないとも言いがたい。そういうわけで、兵士たちは、ロシア人かも知れないけど、ドイツ人でも、アメリカ人でもあり得る。はっきりとした印がついていないということだね(*6)


だから、私たちは、兵士をロシア人と決めつけるのではなくて、もっと広範囲にとらえた方がいいのかもね。腕章が「新たに作られた」ということは、そういうことではないかしら。 Arcadio Coslov が先週のコメントに書いていたわね。


軍事パレードはロシア、フランス、ドイツ、中国、そしてアメリカでも開催される。それは、多くの国でミリタリーカルチャーの一部だ。でも、たとえば、パレードに紙吹雪がひらひら降り注いでいるのは、きわめてアメリカ合衆国っぽい。


Arcadioや Bjørnによれば、これらの兵士たちの国籍については、いろいろと混ざっている印だと考えられるのね。マイケル・ジャクソンは、ロシア風の制服とナチ風の腕章、そしてアメリカ風の軍事パレードを合体させて、私たちがこの軍をどう「読み取る」べきか、あえて、わかりにくくしているのよ。考えれば考えるほど、そう思えてくるのよね。腕章に、特定の国を表すような言葉やシンボルをつけるのではなく、「新たに作られた」言葉をつける事によって、兵士たちの国籍は、意識的に曖昧なままにされている、と。



エレノア:これは興味深い事実が満載の記事で読んだんだけど、実は、ハンガリー人は、ソ連の軍隊の制服を誰も着たがらなくて、それで、イギリス人を雇うことになったんですって。



ウィラ:それは、面白いわね!兵士役の人々に、ソ連のユニフォームを着てもらうために、様々な障害があったってこと? 記事の英語訳では、


マイケルは、このショート・フィルムを特別なものにするために、彼の命運を賭け、5百万ドルの私財を投資した。数百人の若いハンガリー人が、ビデオの出演者として働くことを希望したが、彼らは全員平和のメンバーを演じたがった。
第二次世界大戦の始めにヒトラーの軍隊が集結して、凱旋の行進をするシーンを再現するために、ハンガリー人のエキストラたちは、赤軍の兵士のユニフォームを着ることを拒否した。そのため、本当の兵士を雇うために、イギリスの新兵募集のサービスを利用しなくてはならなかった。100人の英国海兵隊と何人かの落下傘兵が集まり、これらの兵士は、1日あたり135ドルをもらい、四つ星ホテルに泊まって、無料の旅行も楽しんだ。兵士を雇うだけで、約150,000ドル以上もかかっていた。


マイケル・ジャクソンは、そういったトラブルや出費を考慮しても、ソ連のユニフォームを着てもらうことが重要だと考えていたにちがいないわね。ということは、私たちにも、彼らをソ連の兵士とみてほしいということでしょう。これは興味深い点ね、エレノア。(「5」に続く)



註)_____________



(*1)「HIStory」の歌に込められた歴史については、この会話が終わったあとの記事で紹介します。


(*2)英雄広場/ハンガリーの首都ブダペストにある広場。


(*3)千年記念碑/英雄広場の中央にある記念碑。イシュトヴァーンへの王冠と大主教十字を持つ聖ガブリエルを戴く円柱の台座には、7部族の長の騎馬像がある。また、その左右の英雄像の中には、建立当初は、ハプスブルク朝の人々の像もあったが、第二次世界大戦後、ハプスブルク朝の像は建て替えられ、現在は、左側に、イシュトヴァーン1世からラヨシュ1世までのハンガリーの国王の像があり、右側には、政治家や将軍たちの像がある。


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(王冠と大主教十字を持つ聖ガブリエル)


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(*4)「千年記念碑」の左右には、ブダペスト西洋美術館と、ブダペスト現代美術館が建っている。


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英雄広場/千年記念碑・聖ガブリエル像(中央右)

国立西洋美術館(左上)、現代美術館(右角)




(*5)原文は、Leading a new kind of army (us, his fans?), whose rifles (arms) are “bandaged” in white (like his arm is bandaged?), marching into Budapest’s Heroes’ Square which is festooned with banners, opening his “not-iron” fist to throw kisses,・・・


bandaged in whiteは、通常は包帯を巻いていることを表すのですが、この文章は、腕(の複数形)と武器が同じarmsという言葉であることから、マイケルが殴り合いをしないのに着けていた「bandage(日本ではアームカバーとも呼ばれていますが)」と、発砲することが出来ない、銃身が木で出来た銃(in whiteには「白木で」という意味がある)を「同じ意味」にとらえ、また、戦いを鼓舞する「こぶし(fist)」や、「鉄拳ではなく(not-iron)」、「(手を開いた)投げキッス」という対比を文章にしているのだと思います。


さらに、会話では触れていませんが、ライフルドリルをしている兵士達の左腕に施された白いアームバンドは、よく見ると包帯をぐるぐる巻いたもののように見えます(そのせいで、通常は腕章部分に縫い付けられるバッジが腕から浮いている)。



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兵士の腕も武力を行使するためにあるのではない、あるいは兵士の腕も傷ついているということが連想されるのですが、いずれにしても、銃やマイケルの腕が戦いのためのものではない、ということとつながっているのではないでしょうか。つまり、2:00~2:10のこの場面には、すべてのarm(s)が包帯で巻かれているという、重層的な意味が込められているようです。


映像の2分過ぎに、ライフル・ドリルと呼ばれる動作がでてくるのですが、兵士が回しているライフルは木製で、金属で出来た銃身部分がなく、武器にはならないものです。



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マイケルの「bandage」



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格闘家の「bandage」



(*6)文字に関しては、以前「マイケルとチャップリンのエスペラント(2)」でも言及しましたが、その後さらに調べた結果も、これと同じ結果でした。




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by yomodalite | 2015-12-26 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

「Part 3」を訳し終えて

ウィラとエレノアの会話の途中ですが、この記事の翻訳を手伝っていただいたchildspiritsさんからメッセージをいただきました。

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yomodaliteさんから、この記事の話を聞いたのは、かなり前だったような気がします。訳そうと思いながらずっと手をつけられないでいたのは、怠け癖のせいもあるのですが、いったん手をつけてしまうとエラいことになりそうな気がしたからです。実際、エラいことになりました。

なにせ対談が長い!ということもあるのですが、そこに出てくる映画、歴史、思想に関する知識のバックグラウンドが自分に欠けていることを痛感させられまくりで、参りました。なにしろ、撮影の舞台がブカレストの英雄広場であることも、それがどんなところかさえ知らなかったのですから。ひとつの言葉、一行の表現に、延々と悩んだり、調べたりすることの連続。けれど、それを繰り返しながらでも、パート3まで連続して訳して、本当に良かったと思います。連続して訳さなければ、わからなかったことがありましたから。

パート1,2で、『意志の勝利』や『独裁者』と「ヒストリー・ティーザー」の関わり、その引用の仕方が論じられている時点では、映像の歴史の中で特別な位置を占めるこれらの作品について、自分は実は何も知らなかったということを認識させられましたし、MJの知識や教養の広さと深さに改めて感心していました。この対談でエレノアが言ってるように「彼はどうやってこんなに勉強したの?」という感じです。ただ彼を見上げている感じ。

でもパート3を読み終えた今私が感じているのは、自分にとって、「彼はどうしてこんなに優れた教師なんだろう?」ということです。それはMJをただ見上げるだけではなく、彼が与える課題を自分はどう考えるか、という相互作用的な関係です。

パート3には、「ヒストリー・ティーザー」に引用されている作品が新たに三本論じられていていますが、ここまで来て私はやっと、MJがヒストリーでいろいろな作品を引用していることの意味が納得できたような気がします。知識の披瀝などではもちろんなく、単なるオマージュでもなく、そこに浮かび上がってくるのは、人や物事を見る目の多様性、つまり「歴史」を見る目の多様性というメッセージでした。

そして、歴史を一つの切り口ではなく、多様な観点で見るためには、どんな相手も理解しようとする共感力が必要だということ。MJというと、「その人のモカシンを履いて二つの月を歩いてみるまでは人を判断してはならない」という言葉がファンの間で引き合いに出されますが、「ヒストリー・ティーザー」は、意外なことに、その精神をもっとも強く伝えているショート・フィルムではないかと、今では思います。

先に、「連続して訳して」良かったと書きました。「ヒストリー・ティーザー」という作品について、上に述べたような自分なりの納得や感動に至ったのは、訳しながら読んだからだと思います。

もし英語で読んでいたら、本当はよくわかっていない部分でも「そうなんだとか「そういうもんか」と読み飛ばしてしまい、対談者たちの考えはだいたい解った、という地点にとどまったでしょう。でも、訳すという作業は、そこに出てくる物事についての理解が曖昧だと日本語が作れないので、yomodaliteさんとともにずいぶんと調べものをすることになりました。

Aという事柄を調べれば、芋づる式にBもCもということになり、時間もかかりましたが、いままで他ではしなかったような勉強ができましたし、二人であぁだこうだと議論を進めながらやることで(ウィラとエレノアが語りあうことで作品への理解を深めていったように)、以前には考えたこともなかったような見方にたどり着くことが出来ました。それはとてもわくわくする体験です。
なぜならMJが「ヒストリー・ティーザー」に込めた思いが、2015年の冬の日本に生きている私たちにも、身にしみて伝わってくるような気がしてくるからです。

対談に出てくる通り、「ヒストリー・ティーザー」は「怖くて不気味な感じで、誇大妄想の産物のように見える」作品です。それは、MJに批判的な人たちだけでなく、多くのファンにとっても、もちろん私にとってもそうでした。でも、この作品が一見してメッセージのわかりやすい作品だったら、ウィラやエレノアがこんなに議論することはなく、私たちも考えたり学んだりさせてもらえなかったし、そこにあるメッセージは頭の中にちょっととどまって去っていったかもしれません。

製作から20年経っても私たちが「歴史をどう見るか」ではなく、「歴史ってなんだろう」みたいなことを考えられるよう、MJがたった3分弱のなかに凝らした無数の仕掛け。私たちがあぁだこうだと言ってるのを見て、MJが「やっとわかった?でもまだまだ」と笑っているような気がします。ほんとにすごい教師です。

(childspirits)



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by yomodalite | 2015-12-25 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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ウィラ:それは本当に重要なポイントね。それでもうひとつ、そういった繋がりを思い出したんだけど、『ターミネーター2』と『レッド・オクトーバーを追え』と「ヒストリー・ティーザー」、実は『独裁者』もそうなんだけど、これらはすべて、新しいタイプのヒーローを中心にした作品だということ。『ターミネーター2』のヒーローはジョン・コナーでもサラ・コナーでもない。二人とも勇敢だけど、ヒーローはターミネーターという、人の命を守るためにプログラムし直された、暗殺サイボーグなのよ。型にはまらないヒーロー像について話をしなくてはね!


ある意味では、『レッド・オクトーバーを追え』はより型破りと言えるわよね。そこには二人のヒーローがいる。ソ連の原子力潜水艦の艦長とCIAのアメリカ海軍分析官。艦長は亡命し、新しいテクノロジーを西側と共有するのを望んでいるんだけど、ソ連首脳部はこれに気づき、敵の手に渡すくらいなら彼の潜水艦を沈めてしまえと、海軍に命令を出す。そして合衆国上層部に、艦長はならず者で危険人物だと伝え、アメリカ軍に潜水艦を攻撃するように要請する。これはたいていのアメリカ人なら喜んでやりそうな任務よね。



エレノア:「ならず者で危険人物」というのは「武装した危険人物」と似てるわよね! 『ターミネーター2』でサラとジョンとターミネーターが、コンピューター会社を爆破することで、スカイネットを破壊し、迫り来る核のホロコーストを未然に防ぐシーンを思い出したわ。警察は、彼らが「武装した危険人物」だと警戒する。でも、どちらかと言えば、完全武装して、ターミネーターを破壊しに行っている警察の方が危険なのよ。『レッド・オクトーバーを追え』のプロットでもそうだけど、もし「善(アメリカ軍とか警察)」が「悪(ロシアの潜水艦艦長とかターミネーター)」を殺していたら、それで終わりよね。だから、マイケル・ジャクソンが言っているのは、「彼らは僕を指さして、怖がったり、危険人物だと言っている。僕はただ地球を癒やして、僕たちが生き方を変えなければやって来てしまう悲惨な結果を、避けようとしているだけなのに」ということ。



ウィラ:たしかに。どちらの作品も、「善」と「悪」に対する従来の考え方に、大きく挑戦しているわよね。両方とも、従来の「悪」が最終的にはヒーローになる。


さらに通常と違うのは、『レッド・オクトーバーを追え』という映画では、まったく違った境遇の人の身になって考えてみることや、想像力を働かせて世界を見ることで、最終的に他者への共感がおこること。通常のアクション・アドベンチャー映画では、他者への共感に重きが置かれることはない。でも『レッド・オクトーバーを追え』では、それが物語の核になっている。CIAの分析官は、艦長のことを調べ、一度顔を合わせてもいて、彼を理解し、彼が何を大事にしているかも理解している。もっと重要なのは、分析官は人の身になって考える性格で、自分を艦長の立場に置き、艦長がどのような動機で、何をしようとしているかを理解する。このずば抜けた共感力で、彼は艦長の行動に対して、他の人たちとはまったく違う解釈をする。攻撃しようとしているのではなく、援助しようとしているのだと。



エレノア:サラとジョンがターミネーターを理解したこと。そして、マイケル・ジャクソンのファンがMJを理解し、今も理解しようとしているのと同じね。



ウィラ:確かにそうね。マイケル・ジャクソンのファンたちは、彼のことを、一般的な人たちとは非常に違った目で見ている。なぜなら、私たちは、彼に共感し、彼の視線でものを見るから。それはいい点よね。


とにかく、『レッド・オクトーバーを追え』では、非常に異なる文化圏のまったく違う二人の男が、両方とも、従来の常識や指導者たちを否定する。心情の違いを大きく飛び越えて、大西洋の中立地域で会い、相互理解に至る。だから、彼らをヒーローにしたのは、戦いにおいての行動ではなく、むしろ共感して、理解することや、自分とまったく異なる誰かを信用する勇気と、戦争を避ける知恵なのよね。それはまさに、チャーリー・チャップリンが『独裁者』の最後、パワフルで感動的な演説で訴えていたこと。そしてもちろん『独裁者』も、通常とは違うヒーローを登場させた映画よね。自分の意志に反して世の注目を浴びる場所に押し出されてしまった、シャイで心優しい床屋が、その立場を使ってファシズムを批判し、戦争を避けようとするのだから。


そう考えると、他者への感情移入は、私たちが「ヒストリー・ティーザー」を理解する際にも深く影響があったと言えるわね。 この作品は、一見すると怖くて不気味な感じで、誇大妄想の産物のように見える。「ポップシンガーが、かつてないほど厚顔無恥に、空虚な栄光に彩られた自己神格化を大真面目にやった例」だと、ダイアン・ソーヤーが批評家の言葉を借りて言ったようにね。でも、「ヒストリー・ティーザー」が作られた前年の1993年に彼に起こったことや、彼がキャリアを通して成し遂げようとしたことを、マイケル・ジャクソンの側に立って考え、この作品が創られているときから続いていることを、細部まで注意深く観察して見てみれば、私たちも、冒頭のエスペラント語の意味や、その後のロシア語の歌詞の意味、『独裁者』や『意志の勝利』やその他の映画が反映されていることに気づいて、『レッド・オクトーバーを追え』のCIA分析官と同じように、違った解釈が出来るようになる。



エレノア:まったくその通り。マイケル・ジャクソンについてあらゆることを学んで、何が彼を動かしていたかについて、私が確信しているのは、彼は、私たち人間が、自分たちを救うために必要な変化を成し遂げる能力を持っていると信じていたということね。争い合い、地球から文化を奪い取るというパターンに、救いようがないほど囚われているわけではない、と。


『ターミネーター2』でジョン・コナーと母親とターミネーターは、これ以上存在し続ければホロコーストを引き起こすことになるコンピューター・テクノロジーを破壊するんだけど、その直前、ジョンはこう言うのよ。「未来は書かれていない。運命なんてものはない。それは、私たち自身で作るものだ」 これは、もちろんマイケル・ジャクソンが「ヒストリー」という曲に込めたメッセージよね。



Every day create your history

Every path you take you’re leaving your legacy ….

All nations sing

Let’s harmonize all around the world


毎日、あなたの歴史が創られる

どんな道に進んでも、人は何かを残していく

すべての国々が歌う

そのハーモニーを世界中に響かせよう



どの歌でも、マイケル・ジャクソンは、世界のハーモニーを導く変化、というテーマに戻っていく。彼は人間は自分自身を変え、自分たちの歴史を作り、過去で未来を縛ることを拒否する力を持っている、と信じていた。



ウィラ:そうね。この考え方は、彼の生き方や仕事を貫くものだった。たぶん80年代前半に書かれたと思うんだけど、「Much Too Soon」でも、彼はこんな風に言っている。



I hope to make a change now for the better

Never letting fate control my soul


さあ、より良い方向へ変わろう

決して運命に魂を左右されずに



そして、死の前日か前々日に撮られたThis Is Itの「Earth Song」の場面でも、彼はこう言ってる。



The time has come. This is it. People are always saying, “They’ll take care of it. The government’ll … Don’t worry, they’ll …” They who? It starts with us. It’s us, or else it’ll never be done.


時は来てる。今しかないんだ。みんないつも言うよね。「誰かがやってくれる。政府がやってくれる。心配しなくても、誰かが…」って。誰か、って誰? 自分から始めなきゃ。自分から。じゃなきゃ、なにも始まらないんだ。


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(DVDでは、1:28:44〜)


人生の最後の瞬間までずっと、彼は、私たちの運命は私たちの手にあるんだ、自分で歴史を作るんだ、そして「世界を癒やそう」、とみんなを励まし続けていたのよね。



エレノア:彼は音楽をその変化をもたらすための手段だと考えていたのよね。私たちの感情に訴える力があるんだと。実を言うとね、ウィラ、人間の性質や私たちの選択を変えることも、私たちが新たな道に向かうという望みも、マイケル・ジャクソンと彼の音楽の力に対する強い信頼がなければ、私はいまごろすべての望みを失っていたかも知れない。


私は、マイケル・ジャクソン自身が、新しいタイプの人間像を体現していたと思うのね。完全なる人間の形、戦争ではなく、平和を呼びかける新しい種類のヒーローを。あの彫像と、作り変えられたサイボーグを結びつけることで、「ヒストリー・ティーザー」は、マイケル・ジャクソンこそが革命だと言っている。でも、それは心の内にあるもので、思考や感性、特に、感性に革命を起こすことで、武力行動ではない。そして、彼は、私たちの心に触れ、共感力を養うために、あなたが変化をもたらすための手段だという芸術の力を深く信じていた。(④に続く)






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by yomodalite | 2015-12-23 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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(①の続き)

エレノア:そのあと「ヒストリー・ティーザー」では、歴史と映画作品の両方が引用されていて、画面と音の関係は、私たちが何を見ているかを音が解説してくれるようになっている。非言語的で、時に遠回しに説明するような。たとえば、私たちが最初に目にするのは、トゥルルの像(→Part 2)なんだけど、これはハンガリーの「国鳥」であり、ハンガリーの国家主義を象徴している。そして、エスペラント語の言葉の後に聞くのは、軍靴の音。



ウィラ:それらはなにか不穏な空気を表現しているのよね。ヘリコプターの音のような・・さっきあなたが言っていたように『地獄の黙示録』のオープニングの音ね?



エレノア:そう。一連のオープニングシーンは、マイケル・ジャクソンの歴史を、帝国支配の歴史を象徴するようなハンガリーの歴史の中に組み込んでいる。そして、エスペラント語の直後に軍靴の音があることで、マイケル・ジャクソンの物語と、彼の世界観は、情景と音の対比と、平和と戦争を並列させることで、語られる。



ウィラ:すごく興味深いわ、エレノア。「情景と音」がかみ合っていないように見えるのは確かよね。Bjørn Bojesen が去年の記事で私たちのために翻訳してくれたけど、男性は、エスペラント語で「世界共通の母と、愛と、音楽の癒やしの力」について叫んでいるけど、目に映るのは軍国主義的な、恐い映像よね。だから、叫ばれているエスペラント語の意味がわかると、あなたの言う「平和と戦争の並列」が強烈にわかるわね。



エレノア:そうね。次に、労働者たちが巨大な像のようなものを建設している場面では、溶けた金属のシャーッというような音や、ハンマーを打つ音、工場内の音が聞く者をおびやかすように大きく流れていて、『ターミネーター2』で、サイボーグが組み立て直され、新たなミッションをプログラムされている場面を思い起こさせる。



ウィラ:確かに、その場面では、『ターミネーター2』の対決場面でかかる工場の音のような音楽が、しつこく繰り返し流れている。このクリップでわかると思うけれど。(最初の動画が削除されたので、代用動画です)






0:35から0:50のところが特にわかりやすいわね。「ヒストリー・ティーザー」の0:15から0:40でも、まったく同じような、うなるような工場音がくり返し流れている。






エレノア: そして、そういった情景と音が赤いユニフォームを着た軍隊のイメージに重なっていき、「ヒストリー・ティーザー」のサウンドトラックは、「レッドオクトーバーの賛歌」という『レッドオクトーバーを追え』の音楽に変化して、それは、その映画だけでなく、ソ連と冷戦の脅威との関連をも思い出させる。



ウィラ: そうね。この引用はとても大事だと思う。ここに、「レッド・オクトーバーの賛歌」の、ロシア語と英語の歌詞がついたリンクを張るわね。この歌詞を読むと、家から遠く離れて何ヶ月も過ごす、兵士や戦艦乗組員の気持ちになるわね。「ヒストリー」で流れるロシア語の部分の訳はこんな感じ(この動画は削除されたので動画には歌詞はありません)。







Cold, hard, empty

Light that has left me

How could I know that you would die?

Farewell again, our dear land

So hard for us to imagine it is real and not a dream

Motherland, native home

Farewell, our Motherland


寒く、つらく、虚しい

光は私を置き去りにした

君が死んでしまうなんて、どうして私にわかるだろう?

今また旅立つ、懐かしき我らの国

これが現実で、夢ではないなんて

想像することもできない

母国、わが故郷

さらば、我らの祖国よ



最初の部分は、艦長の境遇を語っている。彼の妻は前回の任務中に自殺してしまった(君が死んでしまうなんて、どうして私にわかるだろう?)。彼は妻といるべき時間を海で過ごしてしまったのね。「私は結婚したその日から、妻を未亡人にしてしまった」そして、彼は大きな葛藤を感じながら、再び海に赴くのよ。


でもそのあと、人称代名詞は「私」から「我ら」に変わり、続く歌詞は、故郷から離れて何ヶ月も過ごす兵士たちや乗組員たちみんなの感情を表しているように見える(今また旅立つ、懐かしき我らの国/これが現実で、夢ではないなんて、想像することもできない)。つまり、前回の記事で話したように、マイケル・ジャクソンは(先駆者であるチャーリー・チャップリンのように)根本的には戦争や帝国主義に批判的なんだけど、上からの命令を遂行している兵士や戦艦乗組員をけなしたりはしない。そうではなくて、彼らの置かれた複雑な状況を理解し、彼らに心を寄せているのよ。この部分の歌詞でそれがよくわかる。



エレノア: 歌詞を見つけてくれてありがとう、ウィラ。いまのあなたの解釈には100パーセント同意するわ。



ウィラ: この曲は40秒くらいのところから、「ヒストリー・ティーザー」の前半部分ずっと流れるんだけど、『ターミネーター2』の音楽を引き継ぐ形で「レッド・オクトーバーの賛歌」が入ってくるのよね。


そしてあなたが言ったように、エレノア、ここも「情景と音」がかみ合っていない例よね。と言うか、音が情景を攪乱しているところがある。表面的には、兵士たちが誇らしげに英雄広場に行進しているけれど、ロシア語の歌詞は、兵士たちが感じているかも知れない、嘆かわしさや、人間的でもっと微妙な感情を伝えているのよね。


ところで、この曲はベイジル・ポールドゥリスの作曲なんだけど、この人は『フリー・ウィリー』の最初の2作のサウンドトラックも書いているのよね。そしてもちろん、マイケル・ジャクソンもこの2作に関わっている。彼が作曲して歌った「Will You Be There」は第一作のテーマソングだし、「Childhood」も二作目に使われている。第一作は1993年、二作目は1995年に公開されていて、これはちょうどアルバム『ヒストリー』を作っていた頃なのよね。だから、1990年代の中頃、マイケル・ジャクソンとベイジル・ポールドゥリスには多くの接点があったのではないかしら。



エレノア:それは知らなかった。興味深いわね。



ウィラ:でしょう? それで、『ターミネーター2』についてあなたが言っていたことに戻るけど、予告編を調べてみたら、いくつかのバージョンがあることがわかった。実際、ディレクターズカット版DVDには8種類の予告編が入っているの。大々的に宣伝された映画だったものね!でも、これは初期のバージョンで、「ヒストリー」にもっとも近いものではないかしら。あなたが言ってるのは、これよね、エレノア?(こちらの動画も削除されたので、感じがわかるものを貼ってます)







エレノア: そう、それよ。1:03くらいから、ターミネーターが組み立て直されるシーンが始まる。ターミネーターは、アーノルド・シュワルツェネッガーが演じていて、彼が第1作目の『ターミネーター』で初めて言った「アイル・ビー・バック」という言葉は、彼のトレードマークになった。その映画で彼は、あらゆるものを投げつけられるんだけど、『ターミネーター2』の予告編で、生き残った彼はもう一度戦うために、帰ってくる。


これが、「ヒストリー」を作っている時のマイケル・ジャクソンの心情の手がかりでないとは思えないわよね!『ターミネーター2』は、マイケル・ジャクソンへのバッシングがエスカレートしていく直前の1991年公開だけど、映画本体と同じく予告編も、MJの物語を語る助けになる。『ターミネーター2』の要素を「ヒストリー・ティーザー」に入れることで、激しい怒りに燃えていたマイケル・ジャクソンは、誰にも自分を引きずり下ろせない、と宣言していた。マイケル・ジャクソンは、華々しく復活していたのよ。



ウィラ:面白いわ、エレノア! つまり、彼はターミネーターのように、「アイル・ビー・バック」と言ってたわけね。



エレノア:そう。そして『ターミネーター2』とマイケル・ジャクソンと彼の物語には、他にもすごく興味深い関連がある。たとえば、ナレーターは言う。「かつて彼は未来を破壊するようにプログラムされていた。しかし今、彼の使命は未来を守ること。彼の忠誠はひとりの子供に…」そしてターミネーターを演じるアーノルドは言う。「おれを信じろ(Trust me)」。これも彼を有名にしたフレーズね。MJがこの予告編を参考にしたのは不思議ではないわ。この映画の未来と子供を守るということ、それは、あのときの彼の人生そのものだもの。彼には、児童虐待の疑惑に面と向かって罵倒し返すような方法はなかった。そして、疑惑をかけられたことによって、信用(trust)という言葉は、彼にとって大きな課題となった。



ウィラ:確かに、そういう見方をすると、つまりターミネーターは脅威のように見えて実は「未来と子供を守っている」それは、マイケル・ジャクソンがこの映画を引用した大きな意味よね。そして、「おれを信じろ」というセリフも、私たちが以前に話した問題を思い起こさせるわ。誰かを信用するとか(サイボーグや、ソ連の潜水艦艦長や、姿を変え続けるポップスター)、誰が世界を脅かしているとか、私たちにわかるのか?という問題。



エレノア: そうね。そしてここで話しているようなつながりから言えば、MJは高らかに宣言している。「もちろん、僕を信じていい、僕の音楽を信じていい」と。「本心でなければ歌わない」(訳者註:ヒストリーという曲のイントロ部分)と言っているわよね。彼の曲の力というのは、彼の生の感情が吐露されていることにあり、自身の奥深いところから湧き上がってくる真実を音楽で表現し、私たちの奥深いところに訴えかける、彼の飛び抜けた能力にある。その真実は、ある人にとっては解放であり、ある人にとっては脅威になる。だから、主流派は、その名前を貶め、力を奪うために、彼に「あらゆるものを投げつけた」のよ。



ウィラ:さらに興味深いのは、その予告編のなかで、金属を溶かして、ターミネーターの骨格を作っているシーンよね。それは、「ヒストリー・ティーザー」で、溶かした金属を流し込んで巨大な像とエスペラントの星を作っているシーンとすごく似ているんじゃないかしら。



エレノア:そうね。ターミネーターを作り直している場面を元にしたといっていいんじゃない?ターミネーターは人類を救うために戻ってくる(人類自身から守るため。人間を破壊するスカイネットや手下のサイボーグたちを生み出したのは人間だから)。そしてマイケルが、彼のキャリアでもっとも政治的なアルバム『ヒストリー』発表と共にアーティストとして戻ってきたのも、このひどく狂った世界を癒やすために全力を尽くしていることや、私たちを私たち自身から救い出す、という彼の意図を強調し再確認するものだった。


それに、MJとロボットが結びついているというのも興味深いわよね。彼のロボットダンスは有名だから。チェコの劇作家が作ったロボットという言葉は、チェコ語の「robotnik(ロボトニク)」からきているんだけど、robotnikは、強制労働を意味する言葉で、奴隷を表す古いスラブ語から派生し、かつてのオーストリア=ハンガリー帝国では(「ヒストリー・ティーザー」はハンガリーで撮影されている)、19世紀後半、裕福な地主層に対して反乱を起こした小作人たちを言うのに使われていたって、知ってた? すごくない?



ウィラ:全然知らなかったわ。



エレノア:実は、私も知らなかった。ひとつの言葉に、これほど多くの歴史が含まれているなんて!でも、私が調べた経験から言えば、MJはこういったことをすべて知っていたと思う。「ヒストリー・ティーザー」は、MJや、彼の彫像とロボットを結びつけ、アフリカ系アメリカ人が奴隷であったことと、オーストラリア=ハンガリー帝国における小作人たちの強制労働を結びつけ、同時に、ロボットのような存在から自由の身へと変化するという考え方にも触れているのよね。


「ヒストリー・ティーザー」に『ターミネーター2』を反映させたのは、マイケル・ジャクソンが戻ってきたということを私たちに告げるため。そして、ターミネーターが「おれを信じろ」と言ったのと同じように、私たちに、「彼らが語る物語」ではなく、実際に起こったことに対するMJの解釈を信じろ。と言っている。


それだけではなくて、『ターミネーター2』に言及することは、私たち自身について語ることでもある。それは、人類は絶え間なく戦争をくり返し、自己破壊のループに陥っているとしても、我々は変わることが出来る、真の変化は可能なのだ、ということ。『ターミネーター2』の最後で「もし機械や、ターミネーターに、人の命の大切さを学ぶことが出来るなら、たぶん私たちにも出来るでしょう」と、サラ・コナーが言っているようにね。(③に続く)





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by yomodalite | 2015-12-22 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

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新年まであと十日余り、慌ただしさも増してきた今日この頃ではありますが、ついに、「HIStory Teaser」の会話の最終編です。


時節柄、相応しい話題ではないのかもしれませんが、今日からお正月にかけて、会話終了後の補足記事も含め、HIStory関連の記事を随時アップしていきたいと思いますので、気が向いたときに、ご覧になってください。


意外にも『Michael Jackson Tapes』と『Honoring the Child Spirit』の2冊合わせたよりも、悩んだ箇所がたくさんあって、childspiritsさんと私は、今年中にこれを紹介することができて、「自分で自分のことを褒めてあげたい」ような気分も味わいましたが、これまで気がつかなかったこともたくさん見えてきて、マイケルがどれほど多くの歴史を意識していたかについて、愕然としたことも一度や二度ではありませんでした。


今回は、『意志の勝利』や『独裁者』という、このショートフィルムの前面に現れている映画ではないので、その引用は瑣末なものだと思われるかもしれませんが、それらは、いわゆる「オマージュ」とは違って、まさに「歴史」を意識したものです。


何かを説明するとき、そこに物語がないと、私たちはなかなか理解することができないものですが、物語というのは、意味のある断片が、いくつか組み合わさって、おのずと出来上がってくるものではなく、物語をつくるために、必要な断片を、組み合わせて、意味をつくるものです。歴史は、勝者が創ると言われていることもそれと同じことですが、事実から報道をつくるときも、ブロガーも、方向性を決めなければ、文章を書くことはできないものです。


ウィラが自分のブログを会話という形にしているのは、ひとりで書く形式では、マイケルを利用して、自説を語ることにしかならないということを、よくわかっているからだと思います。エレノアも、このフィルムを説明するための筋を作ることを避け、ひたすら読み取ることに専念しています。それで、私はこれをすべて紹介したいと思ったんですね。(前回の補足記事で、少し先走ってしまって、今回の会話と一部カブっている部分もありますが・・)


マイケルがこのフィルムに膨大な引用をしている意味はなんなのか? それは、彼が、どういった歴史をピックアップしたかを知ることから、ようやく始まるのではないでしょうか。


これが、『HIStory』ともう一度出会うきっかけになってもらえたら、と願いつつ。。



☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2015-12-21 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

(1)の続き


ヒストリー・ティーザーのエスペラント語は、オープニングで男が叫んでいる、







“Diversaj nacioj de la mondo konstruas ĉi tiun skulptaĵon en la nomo de tutmonda patrineco kaj amo kaj la kuraca forto de muziko”


“Different nations of the world build this sculpture in the name of global motherhood and love and the healing power of music.“


「さまざまな国が、世界共通の母と、愛と、音楽の癒やしの力の名のもとに、この像を建てよう!」


と、そのあと溶鉱炉のようなところで、


“Venu ĉi tien!”

Come over here!


こっちへ来い!


という音声の二カ所のみで、


『独裁者』と違って、エスペラント語が文字として登場するところはありません。



このフィルムに登場する文字を見てみると、



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これは、ロシア語っぽくて、私はロシア語なんてチンプンカンプンなんですが、でも、少し違っているというか・・・ロシア語に使われているキリル文字の「З」「Ж」「Є」「У」を、ちょっぴり変えて造ったんじゃないかなぁ・・・

一番上部に並んでいる4文字も、「И」「Ф」「Я」までは、ロシア文字ですが、一番右側の三角みたいなのは、「Д」ではないような・・ロシア語だけじゃなく、おそらく非スラブ系文字で探しても少し違うんじゃないでしょうか? 

https://ja.wikipedia.org/wiki/キリル文字一覧

でも、、「Д」は「デルタ」だから、やっぱり文字デザインとして「△」もアリ??・・(ロシア語だとして、英語変換すると「IFAD」?)

なんてことを思っていたら、同時進行で調べていたティーザーの音楽に『レッド・オクトーバーを追え』のサントラが使われていることが判明!(kumaさん、moulinさんありがとーーー!!!!)

ちなみに、この曲の前にかかっている音楽については、「ターミネーター2」を加工してあるとか、後半は「レッドオクトーバー」と同じ作曲者の「Honor and Glory (1996 Olympic Games)」じゃないかとか、いや、1996年って『HIStory』よりも前じゃん・・などの話があったものの、結局、この前後の音楽は、MJの音楽チームが適当に創ったのではないか・・という感じになってきているんですけど、どなたか、わかる方はおられますか?(ブラッドさんは何か言ってないのかな・・)






この曲は、Hymn To Red October(レッドオクトーバーの賛歌)という題名なんですね。


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じゃあ、やっぱりロシア語だったのかな?と思いつつ、『レッド・オクトーバーを追え』の「Wikipedia」を見てみたら、

映画の冒頭では「КРАСНЫЙ ОКТIАВR」と赤い文字で表記される(一見ロシア語かと思うが、いわゆる偽キリル文字表記の一種)。

と書かれていて、


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こちらは、ティーザーと違って、私にはまったく「偽」っぽく見えなかったんですけど・・REDは「КРАСНЫЙ」だけど、Octoberは「октября」だったんですね。いずれにしても、ティーザーの文字がロシア語なのかどうかは、よくわかりませんが、

ソヴィエトの「十月革命」を指すレッド・オクトーバーは、“革命” という意味を感じさせますよね。

ベルリンの壁が壊れ、ソヴィエト連邦が崩壊したのは、ヒストリー発売の4年前(1989年)ですが、同じ年、撮影が行われたハンガリーでも、MJが、社会主義崩壊後にいち早く公演を行ったルーマニアや、自分の家として国宝のような城を買おうとしていたり、「ジャクソン・ランド」を建設する計画もあったポーランドでも(→参考記事)、東ヨーロッパ諸国の共産主義国家が次々に崩壊しました。「ヒストリー・ティーザー」の社会主義的な雰囲気からは、そういった国々に新たな光をもたらそうとしていた、MJの意志が感じられます。



また、その他の文字に目を向けてみると、


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(兵士たちは上部の星がないデザインではあるものの
MJと同じバッジ)



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(袖の部分もMJのバッジと同じ文字?)



よくはわからないものの、これらは、現在の主要な言語よりも古い、文字の根元を思わせるような、架空の文字ではないでしょうか。。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ルーン文字
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘブライ文字
https://ja.wikipedia.org/wiki/古ヘブライ文字


そして、この隊を率いているMJは、エスペラント語を話す溶鉱炉にいた男たちが造っていた「丸の中に星」のバッジをつけてはいるものの、

彫像とは異なるデザインになっていて、使われている文字も違います。


ちなみに、MJの逆側の腕のバッジはデザインが違っていて文字はなく、「777」のみです。


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では、

この隊を率いているMJは、彫像の男ではないのでしょうか?

というか、

エスペラント語で、「あらゆる国に共通した母と愛と音楽の力の名のもとに、この像を建てよう!」って言ってた像に、どうしてエスペラント語ではなく、英語で「POLICE」って入っているんでしょうね?(笑)

全然「エスペラントの星」じゃないじゃないですか(笑)

あの蒸せ返るような溶鉱炉で作業していた、エスペラント語を話す男たちも、出来上がった像を見て、( ゚д゚)ポカーン て感じでw、「話が違う!」と、MJに文句を言っても不思議でないような・・

隊を率いているMJが「POLICE」で、彫像とバッジを逆にした方が、しっくりくるような気がするんですけどねぇ・・

まだ、Part 3もあることですし、とりあえずこの疑問は、保留にしておきますが、

このティーザーの中で、架空ではない文字は「KING OF POP」などのプラカード以外に、もうひとつあるんですよね。

それは、MJのブーツの前面にはっきりと入っている

「DOMINICAN」という文字。


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えっーーー、ドミニカ共和国・・・せめてハイチにしてくれないかな(なんでw)とか、一瞬、頭が混乱したんですが、これは、おそらく、

「最近、リサ・マリーと結婚したんだよね、ドミニカ共和国で

という、MJの人生の1ページというか、歩みwを記念したものではないかと。

それは、確かに「HIStory」ですからね(笑)

そんなところで「Part 2」の補足もこれで終了(ふぅーーー)





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by yomodalite | 2015-10-30 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(4)
これは、HIStory Teaser, Part 2「独裁者」の内容への私の補足です。

エスペラント語に関する記事で、MJはなぜ、あの映像作品のオープニングで、作品のテーマを紹介するために、殆どの人が知らないような言葉を使ったのだろうという疑問が持ち上がったわよね(チャプリンが『独裁者』でエスペラント語を使ったことにも同じ問いができる)。(→ ③)

この問いについて、チャップリンの場合を先に考えてみたいんですが、

『独裁者』でエスペラント語が使われているシーンは、


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例えば、このナチを思わせる兵士たちの後ろにある看板には「TABAKBUTIKV」と大きく書かれていますが、その下左「CIGAROJ(葉巻)」や、下右「CIGAREDOJ(煙草)」がエスペラント語で、TABAKBUTIKV(Y)は、エスペラント語では変換できないのですが、TABAKは、ドイツ語その他の言語で「煙草」という意味のようです。


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こちらの写真の看板は、vestajoj = clothing(服)、malnovaj = old(古)「古着屋」と、D]olcj fresaj legomaj = Sweet fresh vegetables(甘くて新鮮な野菜)「八百屋」のようで、これ以外にもいくつかエスペラント語の看板が見られます。



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『独裁者』では、ナチスと思われる兵士や国は架空のものですが、チャップリンが演じている床屋はユダヤ人で、この場所は、ユダヤ人居留地(ゲットー)と思われますが、当時、ヨーロッパ各地にあったゲットーでは、通常、その国の言葉とイディッシュ語や、ヘブライ語が使われていて、看板に「エスペラント語」が普通に使われている場所があったのか、少し調べてみたんですが、そういった場所は見当たらず、


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(ゲットーのポーランド語とヘブライ語の看板)



私の最初の想像では、

ザメンホフの祖国ポーランドで、ナチが造った最大のゲットー、ワルシャワ・ゲットー(「ザメンホフ通り」と呼ばれる通りもあった)を象徴するために、街の看板にエスペラント語を潜ませたのではないかと思ったのですが、ザメンホフ通りにエスペラント語の看板があったかどうかについてもわかりませんでした。


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(ゲットーのポーランド語とヘブライ語の看板)


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(1940年10月のワルシャワ・ゲットーでは、
標識にドイツ語とポーランド語が書かれている)




最後のスピーチ部分や、ハンナに希望のメッセージを送っている部分などに「エスペラント語」が使われているのなら、その言語がもっていた「希望」という意味や、チャップリンの国際主義的な意識というのもわかりやすいのですが、

ユダヤ人であることをボカして表現したわけでもないのに、なぜ、ゲットーにエスペラント語が使われているのか?

そこが「なぜ、チャップリンはエスペラント語をつかったのか?」というウィラとエレノアの問いであり、私の疑問でもあったのですが、結局その答えはよくわかりませんでした。

ただ、ゲットーが「エスペラント語」で溢れているというのは、おそらく、ヒトラーをおちょくる映画として先行していた、ユダヤ人である三バカ大将の映画にはない発想だったのではないでしょうか。

私は、チャップリン自身がユダヤ人ではなかったからこそ、このゲットーを、伝統的なユダヤ色ではない風景にしたような気がします。

チャップリンのスピーチにある、

すべての人を助けたい。ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、黒人も、白人も。

それは逆にいえば、ユダヤ人だけが被害者ではない。ということでもあるでしょう。

共通の言語があれば、民族グループの不和に苦しまず、新たなコミュニケーションの道具になると考えたザメンホフに、チャップリンは自分に近い精神を見出し、その気持ちが、伝統的なユダヤ・コミュニティではなく、エスペラント語が看板に書かれている街を創造させたのではないでしょうか?

チャップリンは「エスペラント語」に希望があると思ったのではなく、民族的・言語的な基盤が異なっていることが、憎しみや偏見の主な原因になっている。と考えたザメンホフに共感し、すべての人の団結を訴えた。

マイケルがチャプリンから引き継いだのは「エスペラント語」というよりは、チャップリンの「団結」への気持ちであり、

それが、マイケルの「JAM」になったのではないでしょうか。


ヒトラーについても、特に戦争が絡んだ歴史については、中立的な態度で学ぶのはとても困難なものですが、『The trump and dictator』というドキュメンタリー映画の製作者のひとりが、ガーディアン紙に書いていた記事に、チャップリンが『独裁者』を創っていた時期のことが少し載っていたので、要約でちょっぴり紹介します。



ヒトラーが政権を取った1933年、スタジオの多くがユダヤ移民によって経営されているにもかかわらず、ハリウッドは彼の政策を批判しなかった。


批判することでヨーロッパのユダヤ人がさらなる苦境に陥ることを懸念し、ヨーロッパでハリウッド映画が不評になることも避けたかった。また、1939年に、英仏が参戦したとき、アメリカでは90パーセント以上が参戦に反対だった。


1931年にチャップリンがドイツを訪れたとき、大変な人気だったことを、ナチスは懸念していたが、これは、チャプリンが『独裁者』を撮る発端になったかもしれない。


チャップリンは「私の映画に政治的なものは一本も無い」と語っていたが、ある意味ではすべての彼の映画が政治的だとも言える。堅苦しい社会の中で、彼の存在は「反抗」を表すものだった。ナチスが彼を嫌悪したのは、そういった権力者を茶化すような姿勢だった。


1938年、チャップリンが『独裁者』の脚本を書き始めた時、アンチ・ナチの映画はハリウッドの本流ではまだ無く、ようやく38年に出てきたときも、現実に起こっていたことを考えればリアリティはなかったが、「独裁者」の製作が発表された時、


イギリスはヒトラーを怒らせるのをさけて上映禁止にし、ハリウッドのユダヤ人プロデューサーたちはチャップリンに製作を辞めるように言ったが、当時の大統領フランクリン・ルーズベルトの介入もあって、続けることになった。


チャプリンは二役を演じることに決め、バクテリア国の独裁者ベンツィーニ・ナパロニを演じていたジャック・オーキーは、当初、Benzino Napaloniというイタリアの独裁者役だった。チャプリンの仕事は進まず、


ようやく撮影が始まったのは1939年の9月で、第二次世界大戦勃発の数日後だった。撮影は秘密裏に進められたが、最後にシーンを撮る頃は、すでに、フランスもデンマークも陥落寸前で製作を中断することも考えた。ヒトラーの存在は、もう笑っていられる場合ではなかったから。


でも、彼は中断せず、エンディングを変えた。


元々は、グリフィスの『イントレランス』にならって大々的な平和主義のモンタージュで終わるつもりだったが、撮れば撮るほど納得がいかなくなり、チャプリンは、映画をスピーチでしめることを決意した。そのスピーチは、独裁者のものでも、床屋のものでもなく、チャプリン自身のもので、スピーチは賛否両論を引き起こし、今でもそれは続いている。


映画は大当たりしたが、占領下のヨーロッパ、南米の一部、アイルランドで上映禁止となり、アメリカにおいては、チャプリンの終わりの始まりとなった。


(要約引用終了)


では、マイケルのエスペラントに続きます。。






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by yomodalite | 2015-10-29 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

マイケルとPOLICE

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これは、HIStory Teaser, Part 2「独裁者」の内容への私の補足です。


みなさん、③の記事にあった

あの巨大な像が除幕されたとき、私たちには片方の腕についた腕章が見える。そこには、エスペラントの星の下に、太字でPOLICEと記されている。

という部分、確認されました?





動画の(3:13〜)


本当に一瞬で、なにが書いてあるんだろうと注目させるように、ズームアップしておきながら、ほとんど読めないようにするという、隊長のイケズな性格というか、乙女心を鷲掴みにする、焦らしのテクニックというか、後々まで考察したがる人にちょいと餌をまいてやったみたいな、そんなこんなが入り混じった「よくあるやつw」にホイホイとハマって何度も見てみたんですが、

右から「ECIL~」と来て、その次は、私には「U」に見えて、もしかしたら、「POLICE」に見せかけて、ちょっぴり違うんじゃないかと。


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それで、実際の彫像の写真を探してみたんですが、なかなかその部分の文字がはっきり見えるものが見当たらなくて、

「ヒストリー」のプロモーションでは、ティーザーの映像だけでなく、川を横断する彫像とか、何体かの彫像が造られているのですが、映像で使われている彫像を造った人の写真によると、


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実際のバッジを参考にしているようですね。それで、気付いたんですけど(遅っ!)、この彫像は、デンジャラス・ツアーのときのMJを模して造られていますよね。それなら、ツアー衣装はどうなってたんだっけ?



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と、確認してみたところ、
はっきり「POLICE」って書いてありますね。

自分でもびっくりしたんですけど、私、この衣装のバッジが「POLICE」だったことに初めて気づきました(大汗)


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(黒Verの衣装も同じ)



MJのミリタリー好きも、警察関係のグッズが売っている店によく行っていた話なども知ってはいましたが、専属デザイナーを抱え、いくらでもオリジナルの衣装が創れるMJは、そういったものを参考にしてバッジを造っていても、何人ものカメラマンを雇って、後世に記録されることを大いに意識していた、あの世界ツアーの衣装のバッジが「POLICE」だったなんて・・・

あのサングラスを外すまでの長い長いあいだ、ずっーーーと凝視してたはずなのに、一体どこを見てたのか(でもね、大画面でブカレスト見ても、その文字はなかなか見えないんだってば・・再度言い訳w)、とにかくあのステージ上のMJは「POLICE」として登場して、サングラスでみんなを見回したあと、”JAM” を歌っていたんですね。


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(両腕のバッジは同じデザインで、アームバンドの星と月のデザインは「Man In The Mirror」のCTEシャツと同じ)。


ちなみに、
バッドツアーの衣装のバッジは「Special Officer」なんですよね(ヒストリーツアーのベルト部分にもついてますが・・)


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こちらは、マイケル・ブッシュの『キング・オブ・スタイル』(ただし、この衣装についても、ティーザーの衣装についても参考になる言及はなし)の表紙にもなってる、あの衣装の前面にいくつもついてて(ヒストリー・ツアーの衣装のベルトにも)、


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赤と黒とシルバーのこちらのスーツの腕部分にも同じ形の「Special Officer」が付いてます。


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Special Officerは、POLICEと違って、仕事内容がはっきりしているわけじゃなくて、仕えている場所によって異なるようなものだと思うんだけど、MJの場合は、世界中の人々を守るために特命を受けた大佐?みたいな感じかなぁ。。

でも、「POLICE」は、、

マイケル・ジャクソンは、兵士にも警察にも敵意を持っていないように見える。・・あのとても表情豊かな兵士たちへの敬礼は、ひとつのメッセージ・・抑圧者の意志を遂行する使命を負わされた人たちに・・敵意や憎しみではなく共感や尊敬・・(→ ④)

というのは、もちろんそのとおりで、MJは、2007年に来日したときも、米軍基地に慰問に行って、彼らに感謝のきもちを述べています。平和主義者であっても、軍の仕事についた人々や、主義主張がちがう人を馬鹿にしたり、批判や、敵意を見せることはしなかったですよね!

ですから、ここで警察官に対してそういった意味合いがあることは不思議ではないですし、アルバム『ヒストリー』で、トム・スネドンを歌ったと思われる「D.S」にしても、憎しみを昇華しなければ、時間をかけてあんなカッコイイ曲にできませんからね。

ただ、そういった理由で、デンジャラス・ツアーのオープニング衣装すべてと、ヒストリーティーザーまで、「POLICE」バッジというのは、ちょっと違和感ないですか?

この彫像の除幕式も、集まった人々は歓喜の表情を見せていますが、覆いを外す爆薬の指示を出している人物とか、夜空を飛び交うヘリコプターも、その物々しさは、世界共通の母と愛と音楽の癒やしの力を象徴して建てられた像への「祝祭」というよりは、

常にメディアに追われ、激しい取材合戦に巻き込まれ、そして、このあと起こった、裁判のときの史上最大のメディアの狂乱を「予告」しているかのような、、

そんなことを思って、「Special Officer」や、「POLICE」のバッジを付けているMJを見ていると、

僕は正義は信じてない。正義は信じているんだけど、司法の《正義判断》は信じていないんだ… MJTapes「黄金律に従おう」より

と言っていたこととか、「大審問官」(→要約リンク)のことなどが脳内をうずまき、ますますデンジャラス・ツアーの ”JAM” がカッコ良く見えてきたり、何度も仄めかしつつも、それ以上は言えないギリギリで書いた「この記事」にいただいた、ちいちゃんママさんのコメントの言葉を借りれば、「キリストの受難から殉教への道をなぞらえるスキーム・・」とか、あらゆるところにみられるMJの驚くべき計画性・・てなことも考えてしまって、しばし呆然となってしまったのですが、

ヘリコプターのシーンについては、「Part 3」でも言及されていますので、次回、そちらもお楽しみにぃーーー!

とりあえず、「エスペラント語」についての補足に、続きます!



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by yomodalite | 2015-10-28 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(2)

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(③の続き)


「ヒストリー」では、MJは一度もしゃべったり歌ったりダンスしたりしないけれど、彼の顔を体が多くのことを伝えていて、私に伝わってきたのは、チャップリンが床屋としてしゃべったあの台詞にすごく近いものよね。


申し訳ないが、私は皇帝になどなりたくない。そんなことはごめんだ。私は誰も支配したくないし、征服したくもない。私は、できるなら、すべての人を助けたい。ユダヤ教徒も、キリスト教徒も、黒人も、白人も。私たちはみんな、お互いに助け合いたいと思ってる。人間とはそういうものなんだ。私たちは、お互いの不幸でなく、お互いの幸せによって暮らしたい。憎み合ったり、軽蔑し合ったりしたくない。この世界には、だれにでも暮らせる場所がある。この大地は豊かで、誰にでも恵みを与えてくれる。人生は、自由で美しいはずなのに、私たちは進むべき道を見失っている。



スピーチ全体の和訳

http://nikkidoku.exblog.jp/16974980/



ウィラ:すごい演説よね。アメリカの映画史上最高の演説だという人も大勢いる。『独裁者』は全編通して見ることをみんなに勧めるわ。まだ見ていない人も、とにかくチャップリンの最後の演説だけは見てほしい。ガービッチの、以下のような演説の後だけに、余計に心に響くのよね。


勝利こそが価値あるものだ。今日、民主主義や自由や平等は、人々を惑わせる言葉に過ぎない。いかなる国家もそのような考えの下に進歩はない。そんなものは、何かことを起こそうとするときの邪魔になるだけだ。そのようなものはさっさと捨ててしまおう。将来、一人一人の国民が、絶対服従のもとに国家の利益に奉仕することになるのだ。それを拒むものには思い知らせてやろう。市民としての権利は、すべてのユダヤ人、非アーリア人種から剥奪されることになる。彼らは劣った者であり、それゆえ国家の敵である。彼らを憎み、見下すのが、真のアーリア人種全員の義務である。


このあと、独裁者のふりをしたユダヤ人の床屋という二重の役を演じるチャップリンが、立ち上がって、さっきあなたが引用したような、すべての人に愛を呼びかける演説をする。


私たちはみんな、お互いに助け合いたいと思ってる。人間とはそういうものなんだ。私たちは、お互いの不幸でなく、お互いの幸せによって暮らしたいんだ。


下記の動画は、『独裁者』の最後の部分で、ガービッチの演説と、それに対するチャップリンの激しく心揺さぶられる演説が入っている。





元記事動画が削除のため全編動画を貼り付け

ガービッチの演説は1:57:00~



エレノア:抜き出してくれてありがとう、ウィラ。実際に映画でこれらの演説を見ると文字で読むよりもはるかにパワフルね。



ウィラ:そうね。そして、この最後の部分を見ると、『独裁者』がどのように視覚的に『意志の勝利』の堂々としたスケール感を出しているかもわかるのよね。『意志の勝利』のはじめで、ヒトラーが自動車でのパレードとともに登場するところがあるんだけれど、チャップリンはそれを再現し、権力を誇示する威圧的な建造物や兵隊の長い列も再現している。これらは「ヒストリー・ティーザー」でも再現されているわね。ここにあるのは、『意志の勝利』と『独裁者』と「ヒストリー・ティーザー」からの場面を切り取ったものだけど、その類似性がすぐにわかる。つまり、どの作品でも、背景には国家の力を示す巨大な象徴があり、前景には果てしなく続く隊列がある。



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『意志の勝利』の一場面



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『独裁者』の一場面



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『ヒストリー・ティーザー』の一場面



こういった映像によって、『独裁者』も『ヒストリー・ティーザー』も『意志の勝利』における広大な視野をとらえている。ただ、『独裁者』では、その広大な視野に次々と、自国のファシスト体制に従う兵士たちによって、ユダヤ人市民が抑圧され、殺害までされるという、帝国主義のイメージが織り込まれる。



エレノア:そう、『独裁者』は風刺作品なんだけど、深い苦悩と多くの論争を巻き起こす問題を扱ってもいる。「ヒストリー」も同じなのよね。そして、『独裁者』と同じように、「ヒストリー」は、多くの点でぎりぎりのラインまでやっている。高い技術で簡潔にやるという見事な手腕で、「ヒストリー」はリーフェンシュタール的な映像を、ナチスの恐るべき作品と『独裁者』の両方を思い起こさせるために使っている。マイケル・ジャクソンの立ち位置を、歴史的に、そして、個人的にはっきりさせるためにね。


MJJJusticeProject の洞察力の「ある記事」によれば、


彼のヒーローであるチャーリー・チャップリンと同じく、マイケル・ジャクソンは『意志の勝利』の視覚的効果を引用しつつ、そこにある感情を引きずり下ろした。チャップリンはオスカー候補にもなった『独裁者』でその映画を風刺し、ジャクソンはナチス体制の犠牲者たちを讃え、いまだにファシスト的信条を支持する人々の心のあり方を冷笑するためにその映画を引用した。


ウィラ:その記事は、ヒストリー・ティーザーを歴史的文脈に置き、予告されたアルバム『ヒストリー』を文脈の中に置く、とてもいい内容だった。



エレノア:リーフェンシュタール風の華麗な式典の場に、ヒトラーのような独裁的な指導者ではなく、マイケル・ジャクソンを置いた「ヒストリー・ティーザー」は、『独裁者』に出てくる穏やかな床屋が、ちょっとした変装で、ヒトラー的人物の代役になってしまう場面を思い起こさせるのよね。ナチスドイツのことを思い起こさせながら、ジャクソンとユダヤ人の床屋を結びつけることで、「ヒストリー」は黒人の体験とユダヤ人の体験、黒人のゲットーとユダヤ人のゲットー、ユダヤ人が受けた扱いと黒人がアメリカで受けた扱い。といったことについて、それとなく言及している。



ウィラ:それは興味深い見方ね、エレノア。独裁者という意外な役を演じるマイケルは、『独裁者』で、思いもかけず押し出されて、独裁者の役を演じることになったユダヤ人の床屋の体験を、自分と同列に置いている。ひとつ違っているのは、床屋が自分が望みもしないのに、その状況に放り込まれたことで、すごく戸惑っているのに対して、マイケル・ジャクソンはそうじゃない。彼は「ヒストリー」の中で、ゆったりと自信に満ちて見える。



エレノア:ただね、ウィラ、明らかに、マイケル・ジャクソンは独裁者の役を演じているんじゃなくて、独裁者に取って代わったように見えるのよね。軍隊の先頭で、大股で歩いている彼は、独裁的なリーダーがいそうな場所を独占している。でも、私たちは、独裁者の代わりに、マイケル・ジャクソンという、独裁とは対極の立場をとるひとりの男性を見るわけ。あの床屋のように、「皇帝になどなりたくない」と思っている、誰かを支配したり、征服したりするなんてことのない彼をね。


でも、MJがくつろいだ様子で、床屋はまったくそうではなかった、というのは同感だわ。ただ、結局彼らは二人ともその役柄に忠実だったということじゃないかしら。床屋は脚光を浴びるのに慣れてないし、ジャクソンは政治家ではないけれど、慣れていた。



ウィラ:そうね。



エレノア:でも、彼のあの美しい笑顔については、再び言及したくなっていたから、あなたが、あの瞬間についてとりあげてくれたことは嬉しいわ。私は、彼の笑顔は、チャップリンの歌の「スマイル」を視覚的に表現したものだと思う。そして、それは、アルバム「ヒストリー」のエンディング曲でもあった。彼の放つ輝きは、苦しみを覆い隠すもの。その苦しみはチャップリンにとっては馴染み深いものよね。


でも、マイケルと軍隊の場面に話をもどすと、あのシーンは、チャップリンの『独裁者』の最後の演説のもう一つの部分に繋がると思うのね。実のところ、あの演説は「ヒストリー」のための脚本集みたいなものだと思う。


兵士たちよ。あなたを軽蔑して、奴隷にするような人間に従うな。彼らは、君たちが、何をして、どう思い、何を感じるべきかまで指示し、君を、家畜のように扱って、砲弾の餌食として利用しようとしている。君たちは、機械でも、家畜でもない、心に愛と尊い人間性をもっている人間だ。だから憎んだりしない。愛のない者だけが憎むのだ。愛されず、不自然な者だけが。兵士たちよ!奴隷として戦うのを止めて、自由のために戦うのだ!


制服を着たロボットのような兵士たちの最上位に立つリーダーとして、MJは新しい上官の姿を提示している。「野蛮に・・・奴隷化する」のとは異なった種類のヒーローとして、彼は国家の仕事をするために徴兵されたすべての人々が、その過程において人間性を失っていくことに共感し、MJは、兵士たちが体現している体制にではなく、兵士たち自身と一体であろうとする。彼は偉大な心の大きさを示し、チャップリンの言葉を借りれば、「罪のない人々を拷問にかけ、拘束する」ようなシステムを非難する。そんなことをしてしまう人ではなくね。拷問する人もされる人も、帝国の邪悪な罠に捕らわれているということなのよ。



ウィラ:それは大事な点ね、エレノア。チャップリンが演説のこの部分を、独裁者の抑圧的な命令を遂行している兵士たちに向けて話し、彼らの人間性に訴えているというのは、すごく大事な点。チャップリンは、彼らが悪いことをやってしまったのは否定しない、彼らが市民を傷つけ、殺しさえするところも描いている。ただそれでも、彼らを悪魔だとは言わない。むしろ、兵士たちも、彼らを「見下し、奴隷にする・・家畜のように扱い、使い捨てにする」リーダーたちの犠牲者だ、と暗に伝えている。


そして、あなたが言うように、マイケル・ジャクソンは、兵士にも警察にも敵意を持っていないように見える。それは彼らが、それぞれの立場で命令を遂行していると思っていたからなのよね。実際、彼は兵士たちの隊列と一緒に歩いている。



エレノア:そう。あのとても表情豊かな兵士たちへの敬礼は、ひとつのメッセージよね。たとえ抑圧者の意志を遂行する使命を負わされた人たちに対してであっても、敵意や憎しみではなく共感や尊敬を感じているという。



ウィラ:そう。そして、スーザン・ウッドワードがメールで私に指摘したように、あの巨大な像が除幕されたとき、私たちには片方の腕についた腕章が見える。そこには、エスペラントの星の下に、太字でPOLICEと記されている。(☆)



エレノア:スーザンに感謝ね。それは気づいてなかったわ。もう一度見てみないと。



ウィラ:私も気づいてなかったのよ。でもそれは、重要なディテールだと思う。マイケル・ジャクソンがサンタ・バーバラ警察とのあいだで経験したこと、特に裸にされて取り調べを受けたことを考えれば、彼が警察全体に憎悪を感じていてもちっとも不思議じゃない。でも、「ヒストリー」からはそういう感じを受けない。彼が表現しているのはもっと複雑なものなのよね。


率直に言えば、そういった行為は一種の借用だと思うのね。白人の歌手や音楽家がジャズからヒップホップに至るまで、「黒人」音楽を借用して、白人の観点からそれを作り直したのと同じように、「ヒストリー」でのマイケル・ジャクソンは、白人がもつ権威のイメージ(そして人種を根拠にした権威主義の例として、ナチスドイツ以上のものがあるだろうか?)を流用し、多国籍であるエスペラントの観点からそれを作り直しているということ。あるいは、もっと良い例えだと、Queer Nation(*)みたいなグループや多くの黒人ヒップ・ホップアーティストたちが、過去に自分たちが投げつけられてきた軽蔑の言葉、たとえば「ニガー」とか「クィア」などを借用して、今はそれを名誉の印として受け入れ、それによってそれらの言葉から負の力を抜き取ってしまった、というようなことかな。


エレノア:そうね、借用して変容させているのよね。帝国主義や国家主義の権力構造は、人間の文化によって作られてきた方法よりも、他者を征服することが、人間本来の性質が持たらす生き残り戦略だと考える。だから、彼らは、優れた技術の所有者が優勢になると仮定する。でも、私たちの技術は、農業でも、産業、軍事でも、私たちの生存にとって逆効果になっている。まさに今、私たちの中の何人もの人々が、戦争によって住む場所を奪われたように、あまり遠くない将来、私たち全員が住めなくなるような、そういった世界を構築しつつある。


チャップリンはこう言ってる。


私たちが得た知識は、私たちを皮肉にし、賢さは、私たちを冷たく、不親切にしている。私たちは、考えてばかりいて、感じることが少なくなっている。機械化よりも人間性が大事で、賢くなるよりも、親切や思いやりの方が必要なんだ。こういった本質を失ってしまったら、人生は暴力的になり、なにもかも失ってしまう。


私たちは黒人への奴隷制度を撤廃したことなんかを、優れた人間の特質だと誇ったりするけれど、実際のところ、私たちは、お互いに対話する方法を変える必要があるとは、あまり信じていない。集団としても、個人ベースでもね。でも、マイケル・ジャクソンはそういう見方に与しなかったんだと思う。彼は自分を信じ、根本的なレベルでの変化をもたらす手段としての芸術の力を信じていた。まったく異なった意味での「意志の勝利」を思い描いていたのだと思う。


自分自身とこれまでの冷酷な専制君主を対比させることで、マイケル・ジャクソンは、彼の価値観、つまり芸術は世界を癒やすことが出来ると信じるアフリカ系アメリカ人アーティストとしての価値観と、他者への抑圧につながる価値観との違いや、システムの悪を指摘し、そこに捕らわれてしまった人たちのことも思いやるのよね。



ウィラ:見事なまとめ方だと思うわ、エレノア。ありがとう。そして、再びこの複雑な映像作品への理解を深める試みに参加してくれてありがとう。私たちの議論の結論は次の記事で。そこで、また他の重要な作品について語りましょう。


もうひとつ、皆さんに知らせたいのだけれど、米国議会図書館が最近、ジョー・ボーゲルによる『スリラー』アルバムについての論文を発行しました。このブログの「Reading Room」に加えておくわね。



エレノア:いいニュースね。こちらでわかるようにしてくれてありがとう。では、議論の最後のパートでまたご一緒できるのを楽しみにしてるわ。


(HIStory Teaser, Part 2 終了)


(☆)「巨大な像が除幕されたとき、片方の腕についた腕章のエスペラントの星の下のPOLICE」その他については、「次の記事」で!



☆この続きの「Part 3」はこちら



(註)____________


(*)1990年3月にニューヨーク市で設立された、LGBTQ(レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー、ジェンダークィア)の活動家組織のひとつで、同性愛者への差別と嫌悪の撤廃を目指している。





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by yomodalite | 2015-10-27 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)
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『独裁者』でユダヤ人の床屋の役を演じるチャップリンは、現実の状況を踏まえチャップリン自身の思いをこんな風に言っている。

今、私の声は世界中の何百万という人たちに届いている。何百万の絶望の淵にある男性や、女性、そして、幼い子供たち、罪のない人々を拷問にかけ、拘束するシステムの犠牲者に、届いている。

そして、その考え方によって、二人とも悪意ある攻撃を受けることになる。なぜなら、彼らが世界の調和を目指すこと、世界的な変化を本当にもたらしうる彼らのグローバル・コミュニケーションの力、そして彼らのスターとしてのパワーは、民主主義や国際主義よりも階層制度と国家主義を信奉している人々にとって、脅威だったから。


ウィラ:そうね。本当に同感するわ、エレノア。


エレノア:そう、マイケルの人生のあの時期につくったヒストリーで『独裁者』を、特に最後のスピーチを連想させることで、マイケル・ジャクソンは、自分がマスコミによって悪魔に仕立て上げられ、法の手によって不当かつ暴力的に扱われたことと、チャップリンの境遇とを重ね合わせている。そして、自分とチャップリンに向けられた性的異常者であるという非難は、社会が切望する変化を引き起こすような行動に火をつけるアーティストの政治的な力、つまりマイケル・ジャクソンが間違いなく持っていた力(そして今も持っている)を恐れる社会が使う道具だと言っている。

そして、重要な点として、彼らの世界平和や和解への関与は、国際言語であるエスペラント語が「ヒストリー」にも『独裁者』にも使われていることでも表現されている。「ヒストリー・ティーザー」のオープニングは、エスペラント語の音声で始まり、『独裁者』では、ユダヤ人のゲットーのシーンの看板の一部にエスペラントが書かれているのよね(*1)


ウィラ:そうね。私もそれは重要な点だと思う。エスペラント語については、2013年の記事(「¡Porque Soy Malo, Soy Malo!」)でも少し話して、簡単な歴史を説明したわよね。

エスペラント語は1800年代後半、世界の平和や理解を進める助けになるように、多くの異なる言語の要素を使って作られた。具体的に言えば、L.L.ザメンホフによって、言語や国籍や民族の区別を超えたコミュニケーションの中立的な手段として作られた。

だから、あなたが言ったように、本当にそれは「国際語」で、「世界の平和と理解」という使命を持っていたのよね。


エレノア:そうね。でも、エスペラントを前面に押し出していながら、よくわからないようになっている。多くの人はそれに気づいてないし、(『独裁者』を見る人と同じように)、エスペラント語だとわからず、意味もわからず、その重要性を完全に見逃していて、そもそもエスペラント語が出てきていることにまったく気づいていないと思うけど、

このサイトの読者でエスペラントの専門家である、Bjørn Bojesenとともに、かなりの議論をしてくれたおかげで、「Dancing with the Elephant」の読者は、それが使われていることに気づいただけでなく、その言葉の意味も知ることができた。(今、そのポストを再読してみたら、Bjørnさんは、エスペラントが『独裁者』で使われていることもコメント欄に書いていたのね)

ヒストリー・ティーザーの冒頭で語られているエスペラント語の言葉を訳すと、

「さまざまな国が、世界共通の母と、愛と、音楽の癒やしの力の名のもとに、この像を建てよ!」

となる。この、エスペラント語で話されている言葉は、『独裁者』にエスペラントが使われていることを思い起こさせるだけではなく、『独裁者』のラストの演説に込められた感情をも伝えている。そして、言語と言葉の内容の両方が、マイケル・ジャクソンが、世界の調和を生み出す条件としてのグローバル・コミュニケーションの重要性を信じていたことを示している。特に彼は、世界のいろいろな国々を愛(L.O.V.E.)と平和でひとつにするための手段としての音楽の力を信じていたのよ。

調べてみたところ、国際語であるエスペラントという名前に「希望」という意味があるのは偶然ではない。そして、それが「国際主義」をも表現しているということが、「ヒストリー・ティーザー」を理解する鍵じゃないかと思うようになったのね。

エスペラント語に関する記事で、MJはなぜ、あの映像作品のオープニングで、作品のテーマを紹介するために、殆どの人が知らないような言葉を使ったのだろうという疑問が持ち上がったわよね(チャプリンが『独裁者』でエスペラント語を使ったことにも同じ問いができる)。

私が思うに、主な理由のひとつは、見ている私たちの好奇心をかき立てるためじゃないかしら。私たちに、その言語を特定して、言われている言葉の意味を見つけて欲しかったのでは。なぜならば、それらの謎を解くことで、私たちはより大きな疑問を見つけることになるから。

たとえば、エスペラント語の歴史を深くひもとくと、「ヒストリー・ティーザー」と『独裁者』にエスペラント語が使われていることは、MJとCC(Charles Chaplin)を結びつけるだけでなく、ドイツとロシアのエスペランティストたちともつながっている。彼らの平和主義者的、国際主義者的な運動は、ヒトラーやスターリンに体制の転覆をはかるものだと見なされ、暴力的に罰せられたり、時には処刑されたりしたのよね。

自身の著作『我が闘争』で、アドルフ・ヒトラーは、ユダヤ人が世界を征服した時、国際的な謀略に使われうる言葉として、エスペラント語のことを言及している。ホロコーストで、エスペランティストたちは殺された。特に、(エスペラント語の創始者である)ザメンホフの家族は選び出されて殺害された。エスペラント語は1939年に禁止され・・・1937年には・・・スターリンがエスペラント語を「スパイの言語」だと非難し、エスペランティストたちを追放したり処刑したりした。エスペラント語の使用は、事実上1956年まで禁止されていた。

ウィラ:ああ、私はまったくわかっていなかったわ。じゃあ、「ヒストリー・ティーザー」にエスペラント語の言葉やシンボルがあるというのは、ものすごく強いメッセージなわけね。それは、あの映像作品の全体主義者的なイメージを根底から変えてしまうものね。どうしてあなたが、「エスペラント語・・・そしてそれが表す国際主義が、このフィルムを理解する上での鍵だ」と言ったのか、ようやくわかり始めたわ。


エレノア:よかった、わかってもらえて!とにかく、この映像のオープニングをエスペラント語の呼びかけにしたことで、マイケル・ジャクソンは、彼自身の「デンジャラスな」国際主義者的な傾向を主張し、それによって彼にもたらされる危険も明らかになった。マイケルが受けた困難の源は、彼や、彼の考えが重大な脅威だとみなされたことによるもので、彼にとっても、その文化は重大な脅威よね。 悪名高いファシストのイメージを使うことで示されたように、「ヒストリー・ティーザー」が表現した脅威は、今もそこにある。影に隠れていてもね。

“We’re talkin’ danger, we’re talkin’ danger, baby!” ー「Stranger In Moscow」
(僕たちは危険なことを話してる。危険なんだよ、ベイビー

オープニングシーンでは、真っ暗な画面にエスペラント語の言葉が流れ、並行してブーツのスタッカート・ビートが入り、そのあと地を踏むブーツと、トゥルル(*2)という、古代ハンガリーのシンボルである鷲の石像の映像が続く。(「ヒストリー・ティーザー」はブダペストで撮影された。後述)それから、アメリカのスワットチームが現れる。一見威嚇的かつ攻撃的に、彼らは、画面の下方からせり上がるように、観客に向かって行進する、映画の『パットン大戦車軍団』風にね。その後、場面は労働者が溶けた金属を流す作業をするところになるけど、これはソビエトのプロパガンダ映画で工場労働者の肉体美を描いていたのを連想させるわね。

マイケル・ジャクソンがどんな人で、何を訴えていたかを知っていると、MJの映像作品が、帝国主義者や全体主義者を思わせる映像で始まるというのは、違和感がある。見えているもの以上のものがここにはあって、何かとても興味深いことが進行しているとわかる。その何かは、「ヒストリー・ティーザー」にエスペラント語が使われていることの重要性に気づき、その言葉の意味を理解すると、より一層はっきりと見えてくる。なぜなら、エスペラント語で話されているのは、この作品の労働者が、全体主義体制のもとでの労働者を示しているのではない、と言っているわけだから。そうではなくて、彼らは、様々な国を代表して、自分の芸術を世界平和を進めるために捧げている「男の記念像」を作っていることを表しているのよ。

その像に加えて、労働者たちは、これもエスペラントの象徴である「巨大な星」も鍛造している。エスペラント語について勉強していてわかったんだけど、このエスペラントのシンボルの星は、5つの角が、ヨーロッパ・アメリカ・アジア・オセアニア・アフリカという5つの大陸を表しているのよ。この場面から1分後くらいに、エスペラントの星がMJのユニフォームもついていて、平和の星が、平和を願うスターの身を飾っているのを私たちは目にする。


ウィラ:とても興味深いわ。それで、『意志の勝利』にあるふたつの重要な場面を思い出したんだけど。映画の中心となる場面は、この映画のビジュアルの面に触れるとき、ほとんどの映画制作者が引用する、目の前に整然と列をなしている数十万の兵士たちに、ヒトラーが演説するシーン。そのシーンの始まりは、ナチス・ドイツのシンボルである、巨大な鉄の鷲を見上げる静止画像で、それからカメラがパンして、私たちは、その「鷲」が円の中に刻まれた巨大な鉤十字の上にあるのを見る。

一方、「ヒストリー・ティーザー」は、ハンガリアン・トゥルルのような鷲を見上げる静止画像から始まる。私がわかる範囲で言うと、この鷲の映像は、見る人によって違うことを意味する、もっと言えば正反対のことを意味する、複雑なシンボルなのではないかしら。でも、ウィキペディアはそこらへんについて、きちんと説明はしていない。こんな風な説明なんだけど。

トゥルルは、マジャール(ハンガリー人のこと)の創成神話において、最も重要な鳥。神の使いで、生命の木のてっぺんでさえずるとされている。まだ生まれていない子供たちが鳥の姿の精霊となって、その傍らにいる。

そのあとの場面では、労働者たちは、巨大なエスペラントの星を円の中に溶接している。つまり、これらの映像を通して、「ヒストリー・ティーザー」は、『意志の勝利』にあるファシズムと全体主義のシンボルを流用しつつも、それを破壊し、まったく新しい形に作りかえているのよ。


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『意志の勝利』にある、鉄の鷲をあおぐ画像と、
「ヒストリー・ティーザー」の鷲(トゥルル)の写真


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『意志の勝利』で円の中にある巨大な鉤十字と、
『ヒストリー・ティーザー』における円の中のエスペラントの星


鉤十字も星も、薄青の背景から差し込む光を受け、巨大なモニュメントとして浮かび上がっている。さらに気をつけてみると、労働者たちは、星のせいで小さく見える(ひとりの溶接工が星に当たる部分に座り、彼の持つトーチランプから火花が出ている)。要するに、星はとても大きく、この「星」がもつメッセージが、あの「鉤十字」にとって変わったことがわかるように、それは大きくなければならなかったのよね。


エレノア:すごいわ、ウィラ。これらの画像は、マイケル・ジャクソンが細部に注意を払っていることや、シンボルがもつ力を深く理解していることを示しているわね。エスペラントの星を、鉤十字と対比させ、さらに、ソビエトの兵器や、警察官のバッジや、アメリカの陸軍大将の制服を飾っている、より伝統的な五芒星の意味や、ポップ・スターとしてのマイケル・ジャクソンにも結びつけている。『ヒストリー』という作品は、「HIStory(彼の物語)」のメッセージと「HIStory(彼の歴史)」におけるヒーローを、伝統的な軍事的レジェンドやヒーローたちと対比させ、


マイケル・ジャクソンは、人間のエネルギーが帝国や国家の利益に供するための支配を生み出すために注がれるのではなく、新たなグローバル・コミュニティを作り出すために使われるような世界をめざそうと私たちに示している。


オープニングの後に浮かび上がるイメージは、膨大な人数の軍隊で、その軍を誰が率いているのかはわからない。でも見るものをじらすように、彼を象徴するあの膝上のブーツをはいた足のショットでヒントが示され、最後に彼の美しい顔が映され、この軍を率いているのが他でもないマイケル・ジャクソンであることが明らかになる。(④に続く)



(註)_________


(*1)『独裁者』のゲットーに見られるエスペラント語については、Part 2終了後の記事で。


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(*2)上下とも、トゥルルの写真

◎参考記事
「天までのぼる木にはトゥルルという名の霊鳥が住む」


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by yomodalite | 2015-10-26 06:00 | ☆MJアカデミア | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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