カテゴリ:文学( 166 )

狂人失格/中村うさぎ

狂人失格 (本人本)

中村うさぎ/太田出版

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久しぶりに小説を読みました。

中村うさぎさんの「小説」も、初めて読んだのかもしれません。もっとも、これが「小説」なのかどうかは微妙なのですが・・・海外の古典とか、若干のお勉強気分以外で、小説を読むことが、めっきり少なくなっていたのだけど、数日前に、この小説に、裁判で名誉毀損の判決がおりたというニュースを聞いて、すごく読みたくなった。そーゆー人は多かったようで、しばらくの間、Amazonでも楽天でも、入荷待ち状態だったのだけど、

私は、その「宣伝」には、積極的に乗りたいというか、この本には、お金を払っておきたいと思いました。厳しい道を歩まれているなぁと思って。。

文章を書くという表現のキツさについては、うさぎさんだけに限らず、感じることが多いのだけど、現代の、日本の、女の、「文学作品」というものが、多少なりとも「古典」のスタイルを受け継いでいて、本当に可能なのか?という点において、中村うさぎさんほど、嘘がつけないひとはいないんじゃないかと思う。

以前、ユーミンと中村うさぎ氏のトークショーのような番組を見たとき、

ふたりがお互いに共感しているのは、自分に対しての客観性というか、自己評価への厳しさだと感じたのだけど、それでも、永年高いクオリティの作品を創り続け、自他ともに認める天才アーティストであるユーミンですら、うさぎさんには一目置いていて、

うさぎさんは、ユーミンの才能に嫉妬しつつも、今、現在において、自分の方が厳しい道を歩んでいて、自分の方が、自分に嘘をついていない。と自負していて、ユーミンもそれを認めざるをえない。

ユーミンにとっての音楽は、どんなに制作に苦しいことがあっても作品という「喜び」がある。それに比べると、中村うさぎさんにとっての文章は「身を削る」ことばかりのような、、なんとなく、そんなことを感じた番組でした。

◎ユーミンのSUPER WOMAN 「中村うさぎとめぐる東京の夜」<1>
◎ユーミンのSUPER WOMAN 「中村うさぎとめぐる東京の夜」<2>

小説のモデルから、名誉毀損で訴えられた作品としては、ずっと以前に読んだ『石に泳ぐ魚』のことも思い出しました。

その作品も、訴えたモデルの人以上に、著者が身を削って書かれたと感じられる美しい作品だったけど、柳氏の作品は「文学という神」に捧げられていたと思う。

でも、中村うさぎさんは、文学の神ではない、自分の内なる神に対して戦っていて、それは、すぐに癒しを求めようとして、カンタンに浄化されることを望む、わたしたちには一番理解したくない毒を孕んでいて「作品」という昇華をも拒んでいるように思える。

名誉毀損で訴えたひとのことを、これを読むまで知りませんでしたが、彼女は自身のブログで、何度も顔出ししたうえに、自分がモデルであることも公言し、自費出版した自著の宣伝もしている。賠償額はそのことを考慮したうえでの決定らしい。

私には、この本は、最初からこのような結果を予想し、モデルである彼女に、うさぎさんが多少でも期待していたとは1ミリも思わないので、陳腐な内容も、小説とは言えないような文体にも、筋の通った「地獄巡り」を感じました。

☆カンタンに癒されたり、魂が浄化されたくない人に!
◎Amazon『狂人失格』


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by yomodalite | 2013-06-19 09:10 | 文学 | Trackback | Comments(4)

無垢の予兆/パティ・スミス詩集

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最近、10年ぶりに来日公演も行なったパティ・スミス。私も久しぶりに彼女の音楽を聴いたり、本を読んだりしてます。

☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2013-02-12 07:39 | 文学 | Trackback | Comments(0)

読んでいない本について堂々と語る本/ピエール・バイヤール

読んでいない本について堂々と語る方法

ピエール・バイヤール/筑摩書房



2012年の12月は、今日までに、7冊しか本のことを書けなかった。

そのせいなのか、一瞬、このタイトルを見てハッとしたのだ。で、、それと同じぐらい一瞬で「何のために?」と思い返したものの、一応、本は読んでみた。だって、「みるみるわかる!」と書かれている本で、みるみるわかったこともなければ、「**とは何だったのか?」という本に、答えが書かれていたこともないし、

本というのは、実際に読んでみないと本当に何が書かれているかわからないものなので、この本が、本当に「読んでいない本について」書かれたものなのかどうかだって、読んでみないとわからないからね。

で、その内容なんですが、、

本書は2008年に出版されていて、読書ブロガーなら「ひとこと」言いたくなるような性質の本ということもあり、凄腕の書評ブロガーの方が、素敵な書評を書かれています。

◎わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる
◎読書論の極北 - 読んでいない本について堂々と語る方法(404 Blog Not Found)

上記の、おふたりの書評はお見事としか言いようがないほど鮮やかで、特に、小飼弾氏が短くまとめた結論、

本を読んだら、今度は「自分」を読め。

というのは、流石『弾言』の著者!

読んでいない人にはわからないと思うけど、本書は、そこそこ読書慣れしている人ほど、トラップに気をつけて読もうと思う本で、そーゆー本をあっという間に読んで、すばやく、こんな結論を出せる人が、いったい、なんのためにこの本を読んだのかわからないぐらいなのだけど、、

こういう技を見せつけて、スゴい人だと思われるため、、ですよね、きっと。

私は本書を読んでいるときは、そんな風に読んでいませんでしたが、本を読んだら、今度は「自分」を読め。という読み方は、この本に限らず、するようになっていて、それで、本を読むより、自分を読む方にずっと時間がかかってしまうのだ。

それでいい。とは思っているけど、

2012年の12月は、これまでにないぐらい、その時間が長くなって、果たして、本当にその本を読んだのかどうかわからなくなってしまうほどで、

何か別の「脳内本」を読んだような気がするのだ。この本だけじゃなく。。

そんなわけで、読んでいない本はもちろん、
読んだ本についても堂々と語りたくなかった。

わたしには、堂々と語る必要もなければ、読んだふりをする必要もないのだけど、、読まなくてはいけないと思うような立場の人というのは、つくづく「読んだふり」をするものだと思う。

同じテーマについて、何冊も本を読んでいると(そうなる理由はつまらない本ばかりという理由が多い)、読んでいない本について堂々と語る人たちばかりがいる業界を発見してしまうし、一般の読者にも、私だけでなく「脳内本」を読んでいる人もすごく多い。

例えば、、

◎[Amazon]現人神の創作者たち

上記のAmazonレヴューも、全員、脳内本を読んでいるとしか思えないのだけど、小谷野敦氏は、これに限らず(というか、むしろこの本は読んでるっぽい)読んでいない本について堂々と語るプロフェッショナルだと思う。評論家の仕事って、ほとんどが、そういうものだけど。。

以上、

読んだけど、あまりよくわからなかった本について堂々と語る。
ということをしてみました。

読んだにも関わらず、自分のことを考え過ぎて、書くのに時間がかかっている本については、2013年に持ち越すことにしますので、

来年もよろしくお願いします!

♪この狭い心の檻を壊して自由になりたいの。ファッションモンスター♫ 

(と、紅白できゃりーぱみゅぱみゅが歌っている時に書きました)

◎[Amazon]読んでいない本について堂々と語る方法


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by yomodalite | 2012-12-31 21:56 | 文学 | Trackback | Comments(0)

だいじょうぶ3組/乙武洋匡

あの「カウパーキング」のボーカル、ZETTOにして、下ネタと、差別ネタへの見事な返しで、フォロワー50万人以上をもつ、乙武洋匡氏の自伝的小説。

不自由な体で、教師という職業をどのようにされていたのかなぁと疑問に思っていたのですが、特別な介助員の方がついておられたようです。小説では白石優作という、その介助員の方は、乙武氏(小説では、赤尾慎之介)の小学校からの同級生でした。


第一章より(省略して引用しています)

学校の行き帰りも、放課後も、いつも一緒に過ごした。体育の着替え、図工で彫刻刀を使うとき。音楽でリコーダーを吹くときは、白石が指を動かし、赤尾が息を吹き込むという二人羽織のような演奏で、クラスじゅうの喝采を浴びた。赤尾の横には、いつも白石がいた。

もともとが引っ込み思案で、自分に自信をもつことが出来ずにいた白石にとって、クラスでも一、二を争うほど勉強ができ、いつも学級委員を任されるような積極性とリーダーシップを持った赤尾は、どこかまぶしい存在だった。絶望的な境遇にありながら、なぜ、こんなにも屈託のない明るさで人を惹き付け、逆境にも逃げることなく立ち向かっていくことができるのか。

その答えは、知り合って20年がたった今でも見つかっていない。だが、そのことについて考えていると、ふしぎと自分にもエネルギーがわいてくるような気がして、高校進学を機に別々の道を歩んでいたが、2年前の春から、2DKのマンションを借りて一緒に住むことになったのも、白石が提案したことだった。

(引用終了)

教室では、水泳の授業に脅える子や、上ばきがなくなる子がいて、東京の子なら必ず行く、高尾山に遠足に行き、運動会や、バレンタインデーといったイベントが訪れ、転校していく子供もいる。。。

かつて、小学生だったことがある人なら、誰しも経験する思い出が甦って、
きっと、赤尾(乙武)先生の授業が受けたくなります!


◎[Amazon]『だいじょうぶ3組』


☆これは、カウパーキングじゃなくて、
乙武先生が共演したFUNKISTとの曲




乙武 洋匡 ‏@h_ototake
いやだなあ、Sですよ。ニヤニヤ RT @_zonish: 乙武さんの返信を見ていたら、どれも乙武さんを中傷するような内容ばかりに返信していて驚いた。乙武さんはマゾですか?

乙武 洋匡 ‏@h_ototake
あ、絶対そっちのほうが面白かった!くっそ。くっそ……。 RT @yosh144: え、Zじゃないんですか(笑)!? RT @h_ototake: いやだなあ、Sですよ。ニヤニヤ RT @_zonish: 乙武さんはマゾですか?

乙武 洋匡 ‏@h_ototake
酉の市にやってきました! http://twitpic.com/bbbwe0

乙武 洋匡 ‏@h_ototake
わはは。カネ取ったほうがよかったですかね(笑)? RT @rollingcradle: 乙武さんが酉の市に行ってるようだ。見世物小屋の立場がないではないか。

乙武 洋匡 ‏@h_ototake
これは、あれかい。「ボールでな」というボケ待ちかい? RT @0096laUnicorn: 乙武さんは、WBCメンバーに選ばれてますか?

乙武 洋匡 ‏@h_ototake
狙いどおりです(*´∇`*) RT @sky_raker: 乙武さん存在がエグいです

乙武 洋匡 ‏@h_ototake
最大級の賛辞をありがとうございます(*´∇`*) RT @KAOTAN819: 乙武さんの八重歯がエロいです。

乙武 洋匡 ‏@h_ototake
あれ、紅白出場メンバーの名前に、COWPERKINGがないけれど、何かの間違いかな?

乙武 洋匡 ‏@h_ototake
それだ。 RT @__sudachi__: カウパーキングで白組なのはリアルすぎるからではないでしょうか。

乙武 洋匡 ‏@h_ototake
ちなみに、COWPERKINGの音源は、こちらから取り寄せることができます。よかったら、聴いてみてくださいね♪ 
http://amnicola.net/?pid=51410796

乙武 洋匡 ‏@h_ototake
いや、俺が脱ぐ! RT @YUTA_YAMAZAKI: いや俺が脱ぐ! RT @kenken_RIZE: じゃあ俺が脱ぐ! RT @JOY19850415: 脱ぐな!最強に厚着しなさい! RT @YUTA_YAMAZAKI: 心まで脱ぐよ。君の為に。

◎2013年3月23日公開、映画『だいじょうぶ3組』公式サイト

☆[現役小学生「子役」の感想]続編である『ありがとう3組』も読んでみようっと!
◎乙武先生へ「ありがとう3組」感想文(はるかぜちゃんのブログ)





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by yomodalite | 2012-12-04 09:47 | 文学 | Trackback(1) | Comments(2)

ズタボロ/ゲッツ板谷

ズタボロ (幻冬舎文庫)

ゲッツ 板谷/幻冬舎



『ワルボロ』『メタボロ』に続く、待望の板谷家サーガ第3弾『ズタボロ』

大切な人を守らなくてはならない!そう思えば思うほど、大切な人への思いに忠実すぎる少年は、そのデッカい愛に翻弄され、終わりのない暴力の世界に、どこまでもどこまでも進んでいく。。

(下記の「青字」はAmazonレヴューから)

発売後10日余にして、既に、Amazonレヴュー9件。私と同じく、続編を待っていた人が多かったのでしょう。暴力的なものは苦手で… という女子のレヴューだけでなく、ここまでのレヴューすべてに共感し、みんな「ゲッツ」のこと愛しているんだなぁと思って、その「愛」にも、もちろん共感してしまう。確かに『ズタボロ』は、

小説は読んだ事ないとか
しばらく活字から遠ざかっていた …


という人にも読めるし、楽しめるかもしれない。でも、

『ワルボロ』『メタボロ』を読んでいない方でもすぐに入っていけると思います。
「ズタボロ」からいきなり読んでも凄く楽しめる作品だと自分は思いました。


に関しては、これまで、そこそこ小説を読んできた人だったら、
絶対に最初から、この自伝的小説を読んで欲しい。

下記は本書の「プロローグ」から(大幅に省略して引用しています)

このシリーズの2冊目『メタボロ』を書いてる時にオレは突然、脳出血を患った。ある日の昼、原稿を書きはじめたら、ちょっと前まで7時間も眠っていたというのに、またメタメタ眠くなってきたのである。で、しょうがないので再びベッドで横になって目を覚ましたら、あろうことか、2ヶ月も経っていたのだ。

そう、その間にオレは脳の血管が切れ、意識を無くして病院にズッーーと入院していたのである。

人間は頭の血管の肝心なところが切れると、まず顔が曲がってしまう。そう、目や鼻や口が定位置にあるのは、実はいつもその位置を脳が管理しているからなのだ。が、その機能が壊れてしまったオレの脳は、その仕事を放棄してしまった。すると途端に口が右に曲がり、それにつられるようにして鼻やアゴまでも右に大きく曲がっていた。目も左右2つの高さが微妙に違い、しかも焦点が全く定まっていなかった。

ウチの家族は病院の先生に「コーイチさんは、文章を書く仕事に戻るのは難しいと思いますね」と言われていたらしい。

が、ある日、突然オレの意識と記憶が戻ったのである。オレの目、鼻、口の場所は元に戻し始め、日常会話も大分まともになってきたが、日本にある県を全部書けという問題には秋田、山形、熊本の3県しか書けなかった。

それでも2カ月後には、オレは短いエッセイを書き、週刊の連載を始め、途中だった『メタボロ』も書き始めた。オレは、自分が完全復活したと思った。これからまたゲラゲラ笑えて、時には少しシリアスな文章もガンガン書いていけるという自信も戻ってきた。

が、それは甘かった…。自分には高次脳機能障害という、その中でも主に記憶障害が残っていて、いくら文章を書いても次々と思い出せない人や物の名前が出てくるのである。途中で何度も(あれ… あの名前何だったっけ?)とつかえていると、早い話が全然話に乗っていけなくなるのである。

そう、オレは文章をリズムで書く方なので、ポンポンと色々なフレーズが飛び出してきて、それを文章に組み立てているうちにドンドン筆が止まらなくなり、また、自分でも笑ってしまうようなギャグが所々でボコン、ボコン!っと出てくる。が、こうも色々な名前が思い出せないと、そのターボが全然かからないのだ。

そう、オレの脳は85%ぐらいは回復しているのだが、文章を書く作業というのは、その残りの15%を主に使うのである。また、友だちと話していても前のようにギャグが出なくなり、だから電話で話す機会も随分減った。

そして、脳出血を患ってから4年が経った時、オレはネットで自分と同じく脳卒中系の病気で倒れたが、見事に復活している人を調べた。が、本格的に倒れた後、以前と変わらなく再び羽ばたけているのはミスチルの桜井くんぐらいで、自分と同じく脳の血管が切れ、しかも、丸2ヶ月も意識と記憶を失ったという物書きは、遂には見つからなかった。

が、オレは、このシリーズで “ある事” をアピールするために最後まで文章を書かなくてはいけない義務がある。

いや、もっとわかり易く言えば、これがプロとして文章を書く最後の仕事になっても構わないから、オレは “ある事” を一本背負いしなければならないのだ。


果たして、今のオレにソレができるのか…。

ま、本来なら4年前に、脳出血で1度終わった才能である。納得のいく内容が書けなくても、それは仕方のないことだ。

でも、オレは書く。とにかく、書いていくっ。だから、まず最初に叫ばせてくれ。

うををををををををををををを〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!

(引用終了)


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徐々に笑いよりも、涙、そして暴力をも加速してきた「ボロ」シリーズですが、本作は今までよりもさらに笑いが少なく、ゲッツ氏独特のリズム感もあまり感じられません。

でも、物語が終わりに近づくにつれて、やっぱりドンドンと惹き込まれていって、最後には泣かずにはいられなかったし、今、プロローグを書き写しているときも、何度も、涙が込み上げてきました。

そしてこの「ズタボロ」は恐怖のプロフェッショナルも現れて暴力描写もキツイのに作者のはにかみと品、周囲の人との愛の力で、いがらっぽい読後感を持つ事などまるで無い。若い人にも読んでもらいたい。「崖から転がり落ちそうになった子を捕まえるライ麦畑の捕まえ役」ホールデンと同じ慈しみのある人が記した青春の書だと思うから。

激しく同意。。まだ、コーちゃんに出逢っていないひとは、
今すぐ『ワルボロ』から是非!!


☆著者によせられた「コメント」も熱いっ!!!
◎[ゲッツ板谷の波風日記]新刊「ズタボロ」、文庫版「メタボロ」発売!!

◎関連記事『ワルボロ』
◎関連記事『メタボロ』

◎Amazon『ズタボロ』

☆真紫のスーツに10センチのシークレットブーツを履き、韓国のカジノで2億円負けた日の翌日、その2億円をやはりギャンブルで取り返すというドラマチックかつ超絶下品な「竹脇」が車の中でいつも聴いているオペラ『道化師』の “衣装をつけろ” のアリア。

Pagliacci - 道化師(Daisuke Takahashi)





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by yomodalite | 2012-10-24 12:31 | 文学 | Trackback | Comments(0)

ヴァンパイア/岩井俊二

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大好きな岩井俊二監督の最新作『ヴァンパイア』。公開後すぐに観に行こうと思ってたんだけど、なんとなく渋谷に行くのが億劫で、、(なんでかわかんないけど、、)それで、先に「小説」で読んでみよう思いました。

◎映画『ヴァンパイア』公式サイト

岩井氏の映画の魅力は「ネタバレ」に影響しないし、岩井氏の「小説」を体験したい気持ちもあって、なんと言っても、今回は「吸血鬼」がテーマですから、文学的興味があったんです。

☆ここから先もストーリーの結末にはふれていない「ひとりごと」のような内容です。

吸血鬼をテーマにした作品は、日本にも「名作」がありますが、最近、夥しい数の「吸血鬼」をテーマにした文学や、映画がある国々の、神や宗教のことを考えていて、つくづく、そういった「本場」では、水が豊かではなかったために、実際に血に飢えるという経験があるのだということを痛感したり、、

聖書での「血」に対する記述を読んでいると、日本はやっぱり「血と薔薇」の国ではないのだということを意識していたのですが、それゆえに、日本の「吸血鬼」は、文学として個性的で面白いのでは … という思いもあり、岩井氏の作品は、まさにそうなんじゃないかと、映画への期待とはまた別の興味もあって読みはじめました。

で、結論から言えば、これはまさにそういった「本場」にはないような物語で、

殺人者である主人公の描写など、これまでの映画からイメージする「岩井俊二の世界」とは、また別の味わいがあるのですが、吸血鬼物語として独自の魅力があり、やっぱり「岩井ワールド」を堪能できました。

読んだ後、やっぱりDVD化の前に、映画館に行こうかなぁと、今迷っているところです。

◎Amazon『ヴァンパイア』
________________________________

[内容紹介]惹かれあう孤独な魂たち。この世の果ての恋物語ーー。
鬼才・岩井俊二が脚本・監督・音楽・撮影・編集・プロデュースを務める映画の原作!

「死ぬなら君の血をくれないか」
「僕はヴァンパイアなんだよ」

学校では自殺を考える生徒を説得する誠実な教師を演じながら、プライベートでは自殺サイトに接触し、若い女性の自殺を幇助する代わりに、血を飲ませてもらっていたサイモン。自殺志願者の間では有名な存在で恐れられている。ある日、血を抜かれた若い女性の遺体が相次いで発見された。“ヴァンパイア"と呼ばれる連続殺人犯が世を賑わす中、サイモンは、新たな女性との出会いを求めようとする……。
孤高なる美意識と世界観で読者を魅了し救済する、岩井ワールド炸裂の恋物語! 幻冬舎 (2012/8/24)

[BOOKデータベース]血を抜かれた若い女性の遺体が相次いで発見され、“ヴァンパイア”と呼ばれる連続殺人犯が世間を騒がせる。犯人はアルツハイマーの母の面倒を見る善良な高校教師、サイモン・ウィリアムズ。被害者の女性は皆、自殺志願者であった。血に取り憑かれた男と犠牲者たちとの数奇な共犯関係の絆。彼らは人知れぬ場所で儚くも希有な愛を育んでゆく。孤高なる美意識と世界観で読者を魅了する岩井ワールド。エーテリアルな愛の物語。




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by yomodalite | 2012-10-23 11:40 | 文学 | Trackback | Comments(0)

GOSICK - ゴシック/桜庭一樹

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ライトノベルって、これまで読んだことなかったんですが、ラノベ出身の作家さんて、岩井志麻子、小野不由美、中村うさぎ氏などなど、博学で、筆力があり、個性的な方も多いので、きっと豊潤な世界に違いないと思っていた矢先、

ジョセフ・ヴォーゲル氏の『Man in the Music(コンプリート・ワークス)』の368ページに、「Ghosts」は、かつてエドガー・アラン・ポーが「魂の恐怖」と呼んだ探求の曲だ。マイケルが恐怖やパラノイア、変容、超自然現象、グロテスクさといったテーマに興味を示していることはよく知られており、そのため批評家は、彼を「世界初のゴシック・スーパースター」と呼ぶようになった。

マイケルが天才である所以の一部は、ゴシックの歴史を理解しただけでなく(彼はゴシックについてかなり熱心に勉強していた)、それを新たな興味深い方法で自分流に取り入れたことにある。「Thriller」や「Ghost」などの曲とミュージックビデオによって、彼は本質的にゴシック・ポップとも言うべきポップミュージックの新たなジャンルを開拓したのである。

この破壊の美学を通して、マイケルは自分をモンスターだとか、変人呼ばわりする世間に挑んでいた。彼が人生や作品をどのように「ゴシックとして具体化した」かについては、多くの学術的調査がなされている。

ネバーランドという謎めいた「城」に始まり、変容し続けるアイデンティティ、楽曲に常につきまとうパラノイア、恐怖というモチーフまで、マイケルはこの世代の最も顕著なゴシック・ヒーローであり、また悪役なのだ。
(引用終了。この後も面白いのだけど…)

という記述を読み、そういえば、桜庭一樹氏と言えば、『THIS IS IT』を観た編集者から「マイケル・ジャクソンが、桜庭さんにそっくりだった」と言われたお方。そうか、そんなところでも繋がりが、、とまぁ何かと、MJに絡めて勢いづいてしまう私なんですが、

ついに、この本を読むときが来た。と思ってしまいました。


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武田日向氏のイラストによる、アニメ版DVD



冒頭のことば

野原をよこぎって追いかけてゆくと、ウサギがいけがきの下の大きなウサギあなにとびこむのが見えました。すかさずアリスもそのあとからあなにとびこみましたが、そのときはあなからでてこられるかどうかなど、まったく考えてもみませんでした ー 『不思議の国のアリス』ルイス・キャロル 楠悦郎訳 新樹社刊

プロローグ ー 野兎を走らせろ!

大きくて黒いものが ーー
横切った。
犬だ、と子供は思った。宵闇にまぎれる。闇のように黒い犬。猟犬だ。その四肢はつややかに黒く、二つの目が、闇の中で燃える青い炎のように揺らめいていた。

子供は、黒い森を抜けて、ようやく村道を歩き出したところだった。お使いにしては遅過ぎる時間だった。はやく暖炉の燃える暖かな我が家に帰りたかった。近道しようと、村外れののその屋敷の庭に一歩入った途端、その猟犬に遭遇したのだった。子供は思わず、数歩、後ずさった。ーー ぐしゃり。

足の裏に、いやな感触がした。柔らかく、生暖かい液体をふくんだなにかを踏んだ。足下を見下ろすと、ぐじゃぐじゃになった小さな肉塊が落ちていた。赤い肉。血の滴を跳ね返す、茶色い毛皮がところどころ見えていた。長いふわふわした耳が肉塊の中から覗いていた。そして、それに埋もれたガラス玉のように丸い瞳。夜空の暗黒を写して、暗く虚しくこちらを見上げていた。

…… 野兎だ、と気づいた。

顔を上げた。猟犬の閉じた口蓋から、一筋の生々しい血がぼとりと、落ちた。
こいつが食殺したんだ…… !

(後略)
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迷宮、黒い犬、黒い森、ゴシック・ワールドへの完璧な導入部のあと、ライトノベルに必要不可欠な魅力的なキャラクターが登場する、第一章「金色の妖精」から

それから十年後ーー。
ヨーロッパの小国、ソヴェール王国。
山脈の麓に構えられた、名門聖マルグリット学園の、豪奢な石造りの校舎の一角で……。(中略)

ーー聖マルグリット大図書館。
学園の敷地の隅にひっそりと建つその建築物は、200年以上の時を刻んだ、欧州でも指折りの書物庫の1つである。(中略)角塔型の大図書館は、壁一面が巨大な書棚になっていた。中央は吹き抜けのホールで、遥か上の天井には荘厳な宗教画が輝いている。そして書棚と書棚のあいだを、まるで巨大迷路のように、細い木の階段がいかにも危なっかしくつないでいた。(中略)

一説によると、この大図書館は十六世紀初頭、聖マルグリット学園の創始者である国王によって建設された、らしい。恐妻家でもあった国王は、愛人との逢い引きにひたるため、大図書館のいちばん上に秘密部屋をつくった。そして階段を迷路上に配置したのだ、と……。(中略)

迷路階段を、上る、上る。……まだまだ上る。(中略)そこには……。

植物園があった。

大図書館のいちばん上の秘密の部屋は、国王と愛人のためのベッドルームではなく、緑生い茂る温室に建設され直していた。(中略)その温室から階段の踊り場に、半身を投げ出したように、大きな陶人形が置かれていた。(中略)その陶人形は口にパイプをくわえ、ぷかり、ぷかり、と吸っていた。白い細い煙が天窓に向かって上っていく。

一弥はスタスタとその陶人形……いや、人形そのものに思える美貌の少女に近づくと、

「返事ぐらいしろよな、ヴィクトリカ」

少女の緑色の瞳は、床に並べられた書物の上を忙しく行き来していた。彼女の頭部を中心点として放射線状に並べられた書物は、古代史から、最新の科学、機械学、呪詛に錬金術……。英語からフランス語、ラテン語に中国語と、書かれた言語もさまざまだ。

それらを無造作に流し読みしていた少女ーーヴィクトリカが、ふっと我に返り、顔を上げた。一弥の不満そうな顔を見上げると、一言、「なんだ、君か」(中略)「天気がいいからって、花壇で逢い引きか?」

「いや、逢い引きじゃなくて、ただ喋ってただけだよ。あのね、無人の豪華客船〈QueenBerry号〉って怪談を聞かされ、て……って、(中略)よく当てるよね……。感心しちゃうよ……」

ヴィクトリカはしばらく返事もせず、書物を読み進めていたが、ようやく一弥の言葉が脳に到達したらしく、「ああ」とうなづいた。

「それはだね、君。五感を研ぎ澄まし、この世の混沌(カオス)から受け取った欠片たちを、わたしの中にある“知恵の泉”が、退屈しのぎに玩ぶのだよ。つまり再構成するのだ。

気が向けば、君のような凡人にも理解できるよう、さらに言語化してやることもある。まぁ、たいがいは面倒なので黙っているがね」

(引用終了)

ヴィクトリカの様々な書物から得た知識の話は尽きることがないのだけど、九城一弥という、日本から来た優秀な留学生という「凡人」に説明しているうちに、彼女は、耐えがたい退屈を感じて頭を抱えてしまう。慌てた一弥君は、聞いたばかりの「奇妙な事件」の話をしだし、

そこに、三つ揃いのスーツに、派手なアスコットタイ、扉の桟に体重をかけて、斜めに立つというナイスポーズを決めた、犯罪好きの貴族出身の警部、ド・ブロア警部が現れ、

なんだかんだあって、ド・ブロア警部と、帝国軍人一家の三男で、成績優秀な留学生、九城一弥と、久しぶりの“外出許可”を得たヴィクトリカは、週末、ヨットで一泊旅行の旅に出発する。〈QueenBerry号〉と書かれた、豪華な船で。。。

という、まるで、シャーロック・ホームズが、身長140センチぐらいのツンデレ少女になったような、大人も子供も楽しめそうな作品で、力のある作家が、少年少女のために、気合いを入れて書いたことがよくわかる完成度の高いエンタメ小説。

(私の頭の中では、一巻を読んでるときは「Ghosts」よりも「Smooth Criminal」だったかな。。)

これまで、掃除とか、洗濯を終えると、すっかり『天守物語』の天守夫人になっていた私ですけど、今夏のバカンスは、ソヴュール王国に行って、聖マルグリット学園の大図書館のいちばん上で、書物に囲まれて過ごす予定です。。

◎[Amazon]GOSICK - ゴシック(角川文庫)

☆『GOSICK』は、まだ第一巻を読んだところですが、この続きを「アニメ」で観るのもいいなぁと思いつき、こちらも借りてきてしまいました!(文庫版の[1]の完結は、DVDの[2]の半分で終了)
◎DVD『GOSICK - ゴシック』

本で読むか、アニメで観るか、迷うところですけど、、

☆アニメ版は予想以上にチャーミングな出来で、また、小説の描写から想像していた以上に、ド・ブロア警部が変な髪型だったりして、、アニメ版は全部観てしまいそう。(Amazon評価は、1巻に2話収録という短さなど、1巻で物語が完結しないという点さえなかったら、もっと高かったはず…)
◎[Amazon]DVD『GOSICK』

☆私が実際に読んだのはこちら。著者による長い「あとがき」も面白かった!
◎[Amazon]ゴシック(富士見ミステリー文庫)

◎[関連記事]Michael's Horror Story



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by yomodalite | 2012-07-29 20:10 | 文学 | Trackback | Comments(0)

もういちど 村上春樹にご用心/内田樹

もういちど村上春樹にご用心 (文春文庫)

内田 樹/文藝春秋



本書は「自分が村上春樹をどう読んでいるか」を全人類を代表して語っている(柴田元幸談)と言われる内田樹氏が、2007年に刊行した『村上春樹にご用心』の続編ではなく「改訂新版」。

私は、村上春樹について書かれた本は、これまで、ブログに書いていないだけでなく、まったく読んだことがなく、村上春樹について書かれた本だけでなく、5年前に読書ブログを始めたときから、村上春樹の本については書かないって決めてました。日本で一番有名な作家について、私が語ることなんて・・という理由で。

本書についても、そんな感じで、村上氏について語りたくないんですけど、私が、マイケル・ジャクソンについて考えているときに、よく思うことについて、すごく共感したり、為になるなぁ。と思った部分だけ、メモしておくことにします。

(引用開始)

僕も文学研究者ですから、ベタな主観性で書いたものはろくなものにならないのはわかってます。でもね、なまじな客観性を取ろうとするのもよくないんですよ。レヴィナス論を書いたときに思ったんですけど、自分より明らかにスケールの大きい人を相手にする場合に、自分自身を中立的、客観的に保とうと思うと、結局何もできないんです。

そういうときはもう「すみませんでした」と言って土下座をして両手をついて「秘密を教えてください」ってにじり寄っていくしかない。批評家とか研究者じゃなくて、弟子とかファンのスタンスです。

学問的には弟子とかファンのスタンスはタブーですけど、巨大な人を相手にするときは、タブーを破らないと、その人の、人間の通常レベルを超えたところにはどうしてもたどり着けないんじゃないかと。

こういうふうに育って、こういう文体訓練して、こういう人の影響を受けて、こういう人生を経て、こういうテーマで書きましたって。それを読んだ人が納得して、なるほど、だから、こういうものを書いたのかってわかったような気になる。

読者に一種の全能感、爽快感を与えるわけだから、そういう仕事も必要だと思うんですけど、

実際にはそれってその作家なり、思想家なりのスケールを縮減してしまって、昔僕らがよく使っていた言葉ですが、「最低の鞍部で巨大な人を乗り越えてしまう」ことになりがちなんですよね。

どうせならなるべく高いところににじり寄っていかないと。で、別に超えなくてもいいんじゃないかと思うんですよ。「高いですねー、こんな高いところがあるんですね」ってことを示すだけでも、学者の仕事としては成立すると思うんです。([特別対談]柴田元幸×内田樹『村上春樹はからだで読む』より)


村上春樹は「翻訳」をした。それは彼自身の言葉を使えば「他人の家の中にそっと忍び込むような」(『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』)経験である。同じく翻訳を業とする者として、この感じはよく分かる。

それはいわば、「自分の頭」をはずして、自分の身体の上に「他人の頭」を接ぎ木するような感じのする経験である。ふつうの人は逆のことを考えるかも知れない。他人の身体に自分の頭を接続するさまを想像するかも知れない。

そうではないのだ。他人の頭に自分の身体を接続するのである。

だって、自分の頭をもってしては他人の頭の中で起きていることを言語化することができないからだ。けれども、自分の身体は他人の頭から送られる微弱な信号でも感知することができる。

頭は「意味」しか受信出来ないけれど、身体は「意味以前」のものでも受信できる。

頭は「シグナル」しか理解出来ないけれど、身体は「シグナルになる以前のノイズ」を聴き取ることができる。他人の頭から送られてくるのは、輪郭のくっきりした語や文ではない。

ノイズである。ある種の波動であると言ってもいい。その波動を私の身体が受け止める。すると、その波動と共振する部位が発生する。「何か」がその波動と干渉し合って、震え始め、響きを発し始める。とりあえずその響きは私の身体の内側で起きている私の出来事である。私自身の骨や神経や細胞が現に動いて、その共振音を出しているのである。自分自身の身体が発しているノイズであれば、それをシグナルに変換することはできる。

おそらくそれが翻訳という仕事の本質的な構造なのだと私は思う。

自分の身体を他者の頭脳に接続して、身体に発生する「ざわめき」を忍耐づよく聴き取って、それを自分の脳にもわかる言葉に置き換えてゆく。(「すぐれた物語は身体に効く」より)


「知性の節度」こそ偉大な学者のすべてに通じるおのである。私が「節度」と呼んでいるのは、ここで「最小限度の暫定的な例示」と呼ばれるデータ(ベンジャミン・フランクリンのテクスト)をマックス・ウェーバー自身は言えないということである。

ここに資本主義の精神を理解する手がかりがある、とマックス・ウェーバーは思った。にもかかわらず、「ふぅん、そうなんだ。で、どうして、フランクリンの書いた本の中に鍵があるとあなたは思ったの?」という問いにウェーバー自身は答えることができない。

「知性の節度」というのは、「どうして私はこんなに賢いのか、自分では説明できない」という不能感のことである。

「どうして私はこんなに賢いのか」について得々と理由を列挙できるような人間はたくさんいるが、それは彼らが「理由が説明できる程度の賢さ(というよりは愚かさ)の水準にとどまっているからである。(中略)

「私にはそれが説明できるが、なぜ『私にはそれが説明できる』のかは説明できない」

世界史的レベルで頭がいい人が抑制の効いた文章を書くようになるのは、この不能感につきまとわれているからである(と思う。なったことがないからわかんないけど)(中略)

「説明できる」ということと「確信をもつ」ということは違う次元の出来事である。

「確信」をもっているのは、僕ではない誰かだからである。(中略)

サルトルは小説に「神の視点」を持ち込むべきではない、ということを述べた。(中略)人々はサルトルにこぞて同意した。文学から「神の視点」を排除せよ。(中略)小説家は神の視点に立つことを自制し、登場人物が彼ら彼女らの棲息する虚構世界内部で実際に見聞きできていること以上のことを書いてはならない、ということが以後、不文律となった(はずである)。

それから半世紀経った。ところが作家たちは相変わらず全知全能の書き手が登場人物の内面や、まだ起きてないことや登場人物が知るはずもないことをことこまかに描写することを許している。(中略)

サルトルは、実はもののはずみで全知全能の神の視点からしか見えないはずのものが見えるということがときどき起こり、そのことを僕たちは知っているということを見落としたのである。(「100%の女の子とウェーバー的直感について」より)

(引用終了)



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◎[参考サイト]一条真也のハートフル・ブログ

◎[Amazon]もういちど 村上春樹にご用心
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[内容紹介]『1Q84』やエルサレム・スピーチをウチダ先生はどう読んだのか? ハルキ文学の読み方がもういちど変わる! 新たなテクストとともに『村上春樹にご用心』を再構成=アップデートした改訂新版、待望の刊行! アルテスパブリッシング (2010/11/19)




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by yomodalite | 2012-07-25 10:56 | 文学 | Trackback | Comments(0)

続 三島由紀夫が死んだ日/中条省平 (編・監修)

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☆ 正編『三島由紀夫が死んだ日』

続編で、私が最も印象的だったのは、10歳のときに、三島由紀夫と「煉瓦亭」で対談した神津カンナ氏が、9歳で出版した「詩集」を見せたときのエピソード。これまで、大学生との対話からも感じた、誰にでも、真摯な対応をしてきた三島が、子供にも同様に真剣で優しい態度で接していたことが伝わり、また、神津氏が、その後に読んだ多くの「三島論」にしっくりこないと言われている点にも共感しました。

他にも、三島の研究者である井上隆史氏による、三島が大学時代につけていた「会計日記」など最新資料の分析や、楯の会の制服を発注した当時の西武デパートの社長で、文学者でも辻井喬氏による、神奈川近代文学館での講演、衝撃的な写真集『薔薇刑』の写真家として、事件後、写真を求めようとするマスコミに「事件とは無関係」と断りつづけた、細江英公氏、

あの日を「最期の悲劇のために選ばれた日」という蜷川幸雄氏は、アートシアター新宿の横の露地にあった「蠍座」という、三島が書いた看板がある劇場を、若き演劇人の域に、三島が遺した「傷跡」だと語り、

詩人で、三島に関わる詩も書いている高橋睦郎氏は、今こそ三島の「喪明け」だと言い、彼の死を様々な「独断」から解放してあげなければならない時期ではないかと言う。三島はサービス精神旺盛で、出会った誰もが、自分こそが三島さんと一番親しかったと思い込ませるところがあると。


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なんだか、知れば知るほど「あの人」と似ていると、私は、またもや思ってしまうのだけど、でも、三島も、MJも、誰も「独断」から、逃れることはできないけど、どんなに誤解を受けても、語られなくなることを望んでいないから「サービス精神」が旺盛だったんじゃないかなぁ。。

最後は「豊穣の海」の第一巻『春の雪』を映画化された行定勲氏で、エピローグは、事件の日、家に帰ると、母が自分が「後追い自殺」するかもしれないと心配して(実際に当時後追い自殺した若者が何人もいた)、目を泣き腫らしていたという映画評論家で、2005年『みやび 三島由紀夫』を監督された、田中千世子氏による「自決から遠く離れた人々に生きる三島」など… 私には、続編の方が興味深いと感じる点が多々ありました。

『みやび 三島由紀夫』(Amazon)

下記は、三島の『命売ります』に触発されて『自由死刑』を書き、『豊穣の海 四部作』を意識して『無限カノン 三部作』を書いたという、島田雅彦氏の “「みやび」なアナーキスト” という文章から。

三島由紀夫をこれから、あるいは、もう一度読んでみようという人に、ぴったりな素敵な文章だったので、そこから、大幅に省略・簡略化して、ちょっぴり紹介します。


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いわゆる三島事件が起こったとき、私は小学校3年生(9歳)で、「俳優がハラキリしたらしい」と思ったのでした。考えてみれば、三島由紀夫の名前を9歳の子供も知っていたということ自体、当時の日本における三島の知名度の高さを物語っています。(大映の「からっ風野郎」に主演し、時代劇で人斬りの役を演じていた)

その後成長するに従って、三島由紀夫の傑作群を読んでいくことになるのですが、それと同時に三島が、とても1人の人間が成し遂げたとは信じられないような多彩な活躍をし、いかに幅広く、かつ深く日本の文化に影響を与えたのかを、驚きを伴って知ることになります。そういう三島を、私はかねてから「多面体」と呼んでいます。


日本文化の広告塔 MISHIMA

世界各国から、20~30人の人が一堂に会して「私の国の人物であなたたちが最も影響を受けたのは誰ですか」と聞いていくゲームが、アメリカのある都市で、35人が参加して行う機会がありました。すると、三島由紀夫の名前を、ほとんどの国の人がベストスリーの中に入れたのです。三島が日本文化の広告塔としての役割を、戦後から現在に至るまで一貫して果たしてきたことは、日本人にとって極めて有利な点だといえます。

三島1人がいてくれたおかげで、日本は自国文化の世界的なコンテキストというものを与えられているので、欧米はじめ、どんなに日本の歴史や日本文化に対する知識が普及していない国に行っても日本文化に対するパースペクティブが既にある程度できていて、それに寄りかかることができる。

三島は自ら日本文化を広く知らしめるための広告塔たらんとして「ジャポニズム」とでも呼ぶべき欧米人が日本文化に期待するエキゾチシズムの要素を意識して作品に取り込むというようなことを、かなり自覚的に行うというサービス精神まで示していたのです。


純文学作家と大衆作家の一人二役

三島は「多面体」であると述べましたが、まず、彼の本業である小説の分野だけ考えても、果たした役割は実に多様なものでした。本来、純文学作家と大衆作家の二人に分散されるべき役割を1人で担うことができた極めて稀有な作家だったのです。30数年間の文筆生活において、これだけの膨大な作品の分量を生産しようと思ったら、夜に酒など飲んでいる場合ではない。二日酔いなどになっていては絶対に書けない。常に朝しっかりと目覚めて、深夜に及ぶまで書き続けなければ到底生産できない分量です。

10年に1度は純文学の成果としての名作をよに問うていた訳ですが、そうした純文学作品だけでは、とてもあれだけの作品量には到達しません。その合間合間に、勤勉なる労働によって無数の大衆向け作品をも生み出したというわけです。

こうした刻苦勉励の賜物とはいえ、三島由紀夫ほど存命中に同時代的な人気を獲得した作家もめずらしい。同時代的に人気のあった作家の作品と言うものは、普通は忘れられるものですが、三島の作品は没後35年たった今でも皆に読まれている。


ゲイカルチャーと世界進出

サブカルチャー(というよりアングラカルチャー)の中でも、三島が特に積極的にコミットしたものの1つに「ゲイカルチャー」というものがあります。戦後、特に60年代から70年代にかけて、他の作家に先駆けて海外に紹介されたのは、谷崎潤一郎、川端康成、そして三島由紀夫でした。この3人は、言ってみれば日本文学の王道と目されていた私小説からは、かなり逸脱した作品を書いた人たちですが、彼らに共通し、当時の欧米において日本文学に何が求められていたかといえば、それが実は、3人とも「同性愛」の世界を描いていたという点なのです。

この3人の作品を翻訳して紹介したサイデンステッカーや、ドナルド・キーンらに代表される日本文化紹介のパイオニアとなったジャパノロジストたちの多くは、戦時中は主に海軍で日本軍の暗号解読に従事していた人々です。戦争が終わってやることがなくなった彼らの多くが、戦後は自分たちの趣味の追求に走り、日本を極めて「美的な世界」として紹介することになったのですが、その重要な要素が実は同性愛だったのです。

こうしたジャパノロジストたちの嗜好を見抜き、自らの作品が海外で翻訳されることによって世界に対する日本文化の広告塔たらんとした三島は、欧米人のジャポニズム、エキゾチシズムへの欲求に応えるためのサービスの重要な要素として、同性愛を巧みに作品のテーマに取り入れたのだと考えられます。

(引用終了)


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実際の、島田雅彦氏の文章は、もっと内容豊富で、上記で紹介していない「見出し」には、戦後演劇最大の功労者、サブカルチャーの案内者、日本文壇の交通整理役、『春の雪』は不敬小説…?、皇室への屈折した思い、「文化概念としての天皇」とは、など。

[目次]

口絵1 オブジェとしての三島由紀夫-撮影 細江英公
口絵2 天才のオーラに魅せられて-作 横尾忠則

まえがき-中条省平
プロローグ 新資料から推測する自決に至る精神の軌跡-井上隆史

辛すぎた四十五年の生涯-辻井 喬
誠実なる警告-細江英公
最期の悲劇のために選ばれた日-蜷川幸雄
存在感獲得への熱望-高橋睦郎
時間に楔を打ち込んだ男-四方田犬彦
おじさんはもうすぐ死ぬけれど-神津カンナ
「みやび」なアナーキスト-島田雅彦
失われた日本の美を求めて-行定 勲

エピローグ 自決から遠く離れた人々に生きる三島-田中千世子
あとがきにかえて 三島由紀夫は歴史になったか-中条省平


◎『続 三島由紀夫が死んだ日』あの日の記憶は何故いまも生々しいのか(Amazon)
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大好評を博した三島由紀夫没後35年記念アンソロジー『三島由紀夫が死んだ日』の続編!

辻井喬、細江英公、蜷川幸雄、高橋睦郎、四方田犬彦、神津カンナ、島田雅彦、行定勲、田中千世子ら超豪華執筆陣が語る1970年11月25日。戦後を代表する天才作家・三島が凄絶な割腹自殺を遂げたあの日を、彼らはどう迎え、いまはどう観るのか…「日本人の心に刺さった棘」と呼ばれる真の理由が浮かび上がる。三島の予言が次々と的中しつつある現在、私たちは三島の叫びをどう受け止めるべきなのか。三島研究者・井上隆史白百合女子大助教授による新発見資料の解読や細江英公の歴史的写真集『薔薇刑』、横尾忠則の「三島関連作品集」も口絵に収載した決定版!



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by yomodalite | 2012-06-29 10:07 | 文学 | Trackback | Comments(9)

三島由紀夫が死んだ日/中条省平 (編・監修)

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現在、熱烈なマイブームが来ている「三島由紀夫」。本書は、2005年に続編も含め、2巻出版されているのですが、続編のことは、最近になって気づきました。

下記は、監修をされた、中条省平氏(フランス文学・映画評論家)の「まえがき」から。


三島由紀夫が昭和45年(1970年)11月25日に割腹刎頸という衝撃的な自死を遂げてから、すでに35年の時間が経過しました。この歳月は、たいていの出来事を記憶の戸棚に片付けるに十分な長さです。しかし、三島由紀夫の自殺はいまだに神秘のオーラに包まれたまま、人間精神の深みが持つ解明しがたい魅惑と恐れとを投げかけています。三島の死はいまでもなまなましい「事件」なのです。(中略)

自衛隊が憲法改正に立ち上がることはないと悟った三島は、「これでおれの自衛隊に対する夢はなくなったんだ」と言い残して切腹します。この顛末を見るかぎり、三島の自殺は政治的なものであり、自衛隊蜂起の火付け役になることに失敗した責任をみずから取ったように見えます。これが三島が自決にいたった表面的な理由です。

しかし、この説明が「表面的」にすぎないというのは、三島は最初から決起が成功するとは思っていなかったからです。(中略)

また、三島は自分の主張を政治利用しようとする勢力がいることにも自覚的でした。たとえば、一部保守派が三島と楯の会を、日本に徴兵制を敷くための地ならしに利用するのではないかという疑念に対しても、自決直前の最後のインタヴュー(聞き手は古林尚)で、こう答えています。

「ぼくはそうやすやすと敵の手には乗りません。敵というのは、政府であり、自民党であり、戦後体制の全部ですよ。社会党も共産党も含まれています。ぼくにとっては、共産党と自民党は同じものですからね。まったく同じものです、どちらも偽善の象徴ですから。ぼくは、この連中の手にはぜったい乗りません。いまに見ていてください。ぼくがどういうことをやるか(大笑)」(小学館版『群像 日本の作家 三島由紀夫』)(中略)


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三島の死には、政治的な速効性はありませんでしたし、三島自身もそんなことは初めから思ってもいませんでした。しかし、30年以上たった今から考えると、彼の最後の行為は、戦後日本の精神的荒廃への生命を賭した警告という意味が際立って見えてきます。この日本の荒廃を、三島は一貫して、今のインタビュー発言にもあるとおり、「偽善」と呼んでいます。(中略)

「こんな偽善と詐術は、アメリカの占領とともに終はるだらう、と考えていた私はずいぶん甘かった。おどろくべきことには、日本人は自ら進んで、それを自分の体質とすることを選んだのである。政治も、経済も、社会も、文化ですら。〈中略〉

私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代はりに、無機質な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう」
(「果たし得ていない約束 ー 私の中の25年」、『決定版 三島由紀夫全集 36』

この30数年前の予言が、恐ろしいほどの正確さで今の日本の姿を言い当てているのを見て慄然としない人がいるでしょうか。三島由紀夫の自決にこれほど遠大な射程距離があったことは、経済バブルの崩壊に帰結した20世紀が終わった今こそよく実感できることです。

(引用終了)

最近になって、ようやく私が実感していたことと同様の感情を、代弁してくださったような、とても魅力的な「まえがき」だったのですが、三島について、多少は「あれこれ」読んできた、私にとって、本編は「まえがき」ほど、魅力的ではありませんでした。

三島を実際に知っていたり、彼がいなくなった時代に生き、現在活躍中の執筆者による文章は、三島が言っているように、からっぽで、ニュートラルで、抜け目がないことに「自覚」が感じられず、これまでに何度も読んだ内容と変わりばえしなかったからでしょう。

ただ、やはり中条氏による「死とエロティスズムと絶望をこえて」は、中学から三島のファンで、事件当時、16歳だった、中条氏のこれまでの思いが伝わるような文章で、

特に、三島が亡くなった翌年の春に出版され、自決にいたる4年間の軌跡」(帯文)を年代順に87編のエッセーで構成した『蘭陵王』という文集の紹介(笠原和夫脚本・山下耕作監督・鶴田浩二主演のヤクザ映画『総長賭博』や、アラン・ドロン主演『サムライ』を絶賛し、ヴィスコンティ監督の『地獄に堕ちた勇者ども』のナチス観を批判し、赤塚不二夫、水木しげるを熱く賞賛している)や、

◎「蘭陵王」MP3(映画『11.25 自決の日』で、三島が剣舞した曲)

『行動学入門』に収録された「革命哲学としての陽明学」のエッセーも、三島の遺言として重要と記し、1970年が日本人の近代精神史における分水嶺で、それを、当時、痛切に意識した日本人は、三島由紀夫を除いてほかにいなかったといっても差し支えないと記し、三島の、このエッセーの最後に書かれた、若者へのメッセージを伝えてくれています。


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(引用開始)

平田弘史の劇画や、赤塚不二夫のマンガに夢中になた若者たちが、そうしたサブカルチャーに飽きて、正統的な教養が欲しくなるときが、かならず来るといいます。そんなときでも、ヒューマニズムやコスモポリタニズム(さしずめ今ならグローバリズムというでしょう)へと逆行することだけはしないでくれと語って、このエッセーをこう締めくくるのです。

「若者は、突拍子もない劇画や漫画に飽きたのちも、これらの与えたものを忘れず、自ら突拍子もない教養を開拓してほしいものである。すなわち決して大衆社会へと巻き込まれることのない、貸本屋的な少数疎外者の鋭い荒々しい教養を」

(引用終了)

このあとの、中条氏による、あとがき「三島由紀夫とはだれだったのか」も気持ちが熱くなる文章で、また、三島の最後の原稿『豊穣の海』の第四巻「天人五衰」を受け取られた、当時の編集者、小島千加子氏が、原稿を受け取るまで「最終回」であることを知らされておらず、原稿が入れられた封筒が、タクシーの中で開けるのも困難なほど、厳重に封印されていたこと、最後の原稿を渡すとき「最終回」を見て驚く頃には、事件が始まっていなければならないことなど、

大事を決行するまでの日常の段取りと、周囲に気づかれぬ算段、気配りの中で「天人五衰」を書き進めた力業と、気力に瞠目し、事件後は、日本の文学の編集者として、見る鏡を失い、空虚感を克服するのが骨で、三島さんと共に自分も終わったと職場を去る若い編集者も多かったという記述が印象的でしたが(本書には、最終回、昭和45年11月25日と書かれた直筆原稿の写真も掲載)、

他の有名執筆者の方の文章は、最近、三島由紀夫の文章に多く触れ、その潔癖さから、誤った影響を受けているからでしょうか。

特に、生前の三島と親交があった、瀬戸内寂聴氏が、三島について、何度も「売文」されているにも関わらず、仏教者として『豊穣の海』について踏み込まれることなく「不死」などと書かれることには、軽い「吐気」を感じました。

☆『続 三島由紀夫が死んだ日』につづく

[目次]

主なき三島邸(撮影・篠山紀信)
まえがき 中条省平
プロローグ 三島由紀夫の死は、当時どう論評されたか

最後の原稿を受け取った日     小島千加子
三島由紀夫の不死         瀬戸内寂聴
「日本」という病         篠田正浩
静かなる恐怖           森山大道
消された歴史の舞台        猪瀬直樹
「本気」の時代の終焉       呉智英
「革命なしの反革命」の奇跡    鹿島茂
死とエロティスズムと絶望をこえて 中条省平

あとがきにかえて
「三島由紀夫とはだれだったのか」 中条省平
三島由紀夫[略年譜]


☆出版社の紹介には、日垣隆氏の名前もありますが、実際の本には集録されていません。
◎[Amazon]三島由紀夫が死んだ日

◎[書評空間]三島由紀夫が死んだ日 あの日何が終わり 何が始まったのか
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[MARCデータベース]昭和45年11月25日、三島由紀夫、自決。あの日、何が終わり、そして何が始まったのか…。瀬戸内寂聴、篠田正浩、猪瀬直樹ら各界著名人が、三島の死の歴史的意味を考える。没後35年、三島由紀夫回顧展記念アンソロジー。



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by yomodalite | 2012-06-28 09:59 | 文学 | Trackback | Comments(6)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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