カテゴリ:文学( 168 )

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古典って実際に読んでみると、紹介されていた「あらすじ」や、映画や演劇になっているものとは、まったく印象が違っている、なんてことがよくありますよね。

『ノートル=ダム・ド・パリ』もリメイク作がとても多い古典ではあるものの、原作はとても読みにくいことでも知られていて、実は私も最後まで読んだことがない作品だったのですが、

鹿島茂氏の解説で「100分 de 名著」に登場!

下記は、期待どおりだった第1回のメモです。
(第二回は、本日午後10時25分~10時50分/Eテレ)
ノートル=ダム・ド・パリは、誰も作者がいない集団建築によって作られた大聖堂。
物語は15世紀のパリを舞台に、宿命によって翻弄される人間たちの愛や嫉妬をめくる悲劇である。

鹿島茂)フランス革命で廃墟になった大聖堂を、ユゴーは、人類の進化の過程であると考えた。ここから本当の進化が始まる。神よりも個人が大切だという近代が始まると。

伊集院光)神が作ったものと、個人が作ったもの、というのは、この作品を読み解く上で重要なポイントですね。

鹿島茂)そこには大きなる断絶があるわけです。ユゴーは断絶を結びつけることを考えた。
この作品にはリメイク作が多く存在するが、作品ごとにまるで内容が違う。リメイク性の多さが特徴ともいえるが、それはユゴーの特殊性でもある。ユゴーは、「無数の人の声が聞こえる霊媒みたいな人」であり、「民族の古層と結びついている」。この作品は、それゆえ神話的小説になり得た。

[ユゴーについて]

ユゴーは、異なる考え方をもつ両親に育てられた。共和党支持者で、性欲旺盛で愛人の元に去ることになる父親、王統派で厳格で禁欲を押し付ける母、反発し合う両極端な両親の元、ユゴーは光と闇、美と醜など、相反する要素が共存するのが、人間であると考えるようになる。

当時のフランスの歴史は、混乱を極め、ナポレオンが失脚し、王政が復興、その後再び人民が立ち上がり、七月革命が勃発。ユゴーは七月革命が起こる直前に、ノートル=ダム・ド・パリの執筆を開始する。

正反対な両親と、政治の大転換が作品に大きな影響を与える。この作品は、矛盾を抱えたユゴーの魂の叫びでもあった。


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[作品の序文]

ーー この物語の作者がノートルダム大聖堂を訪れたとき、作者は、塔の暗い片隅の壁に、次のような言葉が刻みつけられているのを見つけたのである。


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私はいぶかった、解き当ててみようと努めた、この古い聖堂の額(ひたい)に、罪悪か不幸かを表すこのような烙印を残さずにはこの世を去っていけなかったほどの苦しみを味わったのは、いったいどんな人間だったのだろうか、と。ーー

鹿島茂)共和派と王党派。ユゴーはどちらを支持するでもなく、矛盾を抱えたままでいいと居直った。そうでないとやっていけられないと思うほど、それは強烈な矛盾だった。

作者のいない大聖堂の中に刻まれた「宿命」という言葉は、個人の自己表現である。しかし、宿命という言葉には、個人の欲望を抑制して集団が優先される社会や、個人の欲望を引っ込めざるを得ないことを強いられることも… 集団と個人のあつれきの中でドラマが生まれる、それこそが宿命。

外側の世界と価値が逆転する、奇跡御殿。偉かった人が、ダメな人間になり、ダメな人間が急に偉くなったり…

伊集院光)ユーゴーは価値観は混在する。絶対的なものは信じていない…

鹿島茂)ユーゴーは、健常な世界があれば、逆転世界があるのが正常な人間の世界であると考えた。

伊集院光)それがリメイク作品への対応の高さにも繋がっていて、子供向けのいい話として抽出することもできる…

(番組からのメモ終了)



最近のアーティストや、識者の発言を見ていると、誰もが自分が信じている一方の立場で語っていて、それを支持しないのは、彼らが理解していないからで、理解さえすれば、その正しさはおのずと明らかなので、いち早く変革することが、正しいだなんて考える人ばかり・・・

偉大なものとは、芸術でも、思想でも、無数の人の声を聞き、古層とも、未来とも繋がっているものなのに。

そして、私の人生の中で出会えた、そんなアーティストは、マイケル・ジャクソンしかいない!

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by yomodalite | 2018-02-12 14:08 | 文学 | Trackback | Comments(0)
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このところ、チョコ一粒ではどうにもならなくて、がっつりスイーツを食べに行くことで頭がいっぱい、もうマジそれ以外考えたくないような日を3日ほど過ごして、ようやく事前予約というか、注文してから30分待たなくちゃならない、パンケーキを食べにいくことに。

パンケーキの有名店って、ハワイとかアメリカ以外では、大阪発祥の店が多いので、大阪駅が最寄駅という我が家の近くには、選びきれないほど美味しそうなお店がいっぱいあるんだけど、ホイップクリームや、フルーツが多すぎない方が・・・

というチョイスで今日選んだのは、全国に支店があるこちらのプレミアム・パンケーキ!

このふわふわを3段重ねにしたやつを崩さないように、店員さんがおそるおそるという感じでもってきてくれる様子に、別に上に重ねなくても・・って思ってしまうんだけど、そうなると、同じく大阪発祥の有名店で全国展開している「幸せのパンケーキ」と見た目変わらなくなっちゃうからなのかな・・・

メイプル全部かけの方が、SNS映えはすると思うけど、最後まで飽きずにいただくには、バターも、メイプルシロップもお好みでチビづけしていく方がいいかも。パンケーキって、そのボリュームに引いちゃうことも多いんだけど、ここは、ホイップクリームの量が多くないせいか、ひとりでも行けちゃうね。

で、そんなふわふわパンケーキを食しながら(という体で)、最近読んだ本を。

未だに『1Q84』が読み終わっていないこともあって(現在最終6巻の前半)、なるべく小説には手を出さないようにしてはいるんだけど、つい読みたくなってしまったのがこちら。


夫のちんぽが入らない

こだま / 扶桑社




強烈なタイトルの印象からは、あざとさも見え隠れしているような気もしたり、現在は顔出しもしておられる、まんしゅうきつこさん(美人)が書かれていたものとか、誇張された自虐や、コンプレックスをネタにして書かれた面白い文章なのかな、と思っていたんですが・・・

ちょっと違ってました。

想像していたより、笑える箇所は少なくて、著者も、その夫も、共に「教師」で、著者の書かずにはいられなかった気持ちと、身バレしたくない気持ちの両方が錯綜している感じが「リアル」で、

なんでも自分のせいにしてしまう著者に、入れられない「夫」の愛撫が足らないだけなんじゃないか、と言いたくなって、やきもきしているうちに、徐々に著者は「入らなくていいじゃん」と思うようになり・・・

確かに、夫婦は、性生活より「家族感」の方が大事だし・・兄弟とか、家族なんていう方がむしろ幸せだよね・・なんて思っていたのに、なぜか、その後も不幸はより深刻になっていって・・・

自虐ネタを軽々と飛び越えて行ってしまうのは、著者の律儀な性格と、著者と同じぐらい不器用な「夫」とのコラボレーションの相乗効果も功を奏しているようで、読者として、なかなかに心が重くなるという「体験」を味わわせていただきました。

読書って、山登りのような危険はないかもしれないけど、快適な空間の中で行われる「冒険」だから、いいことばかりじゃないのも醍醐味であり、平穏無事な生活が「幸福」とも言えない。

183レビューの大反響本なので、ここに書くのは止めようかとも思ってたんだけど、ここ数ヶ月で読んだ本の中で、やっぱり一番印象的だったので。

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by yomodalite | 2017-05-20 07:00 | 文学 | Trackback | Comments(0)
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巷では、4年ぶりの新作長編小説の話題でいっぱいだというのに、今頃になって『1Q84』を読み出した私は、黒原敏行氏が『闇の奥』のクルツとの対面と似た場面と言っていた箇所をクリアし、今、青豆がミッションを終えたあたりを読んでます(BOOK 2の後編《文庫版4巻》)。

クルツよりも、マーロン・ブランドが演じていたカーツや、麻原のことが、映像のごとく浮かび上がってきて、『アフター・ダーク』のときにもういいかなと思ったことと、長編なのに続きを読ませる魅力の両方を思い出しながら、とにかくこれを読み終わるまで、他の小説は読めないって思ってたんだけど、そうは言ってられない事態が起きた。

なんと、このブログにもときどき登場していただいた藤永先生が小説を発表されたのだ!


およそ30年前に発想したと言われていますが、「一人の老物理学者が100パーセント確実な暗殺用機器を完成させ、核軍拡に狂奔する世界に対して神を演じようとする」というのは、まさに “今” の物語!

藤永ブログは、小説『闇の奥』のことにしても、シリアやクルド人のことも、私には知識が少なすぎて、理解できないことの方が多いのですが、

『地獄の黙示録』から、『闇の奥』の訳書と解説本へとたどり着き、メールを差し上げて以来、マイケルのことを、ポール・ヴァレリーのいう「大芸術」として考えてくださったり、勝新の『座頭市』や、フィギュアスケートについても、私のブログのあらゆる話題に反応してくださって、自分の父親よりも遥かに年上の先生の若々しさ(御歳90歳)と、しなやかさに仰天したことは一度や二度ではないのですが、それは、今回の小説にもいかんなく発揮されていて・・・

主人公の老化学者、白鳥譲治

量子化学者、大学教授として、人種のるつぼと言われる米国やカナダで永年暮らし、人種・民族問題の名著『アメリカ・インディアン悲史』を著し、英語圏の大学で、20世紀で最も多く使用された文学作品と言われる『闇の奥』の解読や、古典文学から現代文化までの幅広い教養、そしてそれらすべてを内包して培われた現代政治への問題意識など、白鳥譲治は、藤永先生自身がモデルではないかと思う人は多いでしょう。

娼婦ジャンヌ

そして、白鳥とは真逆の人生を歩んでいるはずの美貌の娼婦ジャンヌ・・高校の文学教師から、ボードレールやランボー、ロートレアモンの『マルドロールの歌』や、ジャリの戯曲『ユビュ王』を読まされ、今井正のドキュメンタリーに衝撃を受けた彼女の人生もまた藤永茂の「ペルソナ」のようにも感じられる。しかも、ジャンヌは、村上春樹が描く「女性」よりもリアルで、そのエロティックさは、日本の中高年だけでなく、多くの世界作家の「男目線」とも違っている。

今回、村上春樹の小説と交互に読むことになったのは、まったくの偶然ですが、私にとって、藤永茂と村上春樹は、浅からぬ関係があります。

311後に、村上氏がカタルーニャ国際賞で、オッペンハイマーに言及したときに、ちょうど『ロバート・オッペンハイマー』を読んでいて、それは村上春樹の物語(ファンタジー)に違和感を覚えるきっかけにもなったから。


夢を見ることは小説家の仕事で、小説家にとって大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。

と村上春樹は言う。

しかし、人が夢を分かち合うためには、現実の共有も必要だ。でも、フェイクニュースや、オルタナファクトという言葉が飛び交う “今” だけでなく、私たちが、現実や、事実を共有することはずっとむずかしい問題であり続け、世界に垣根がなくなったように見える現代では、人々が夢を分かち合うことの困難さだけが、可視化されているようにも見える。

村上春樹に癒される人が世界中にいるのは、村上氏が言うように、「人々と夢を共有している」からではなく、アイデンティティを喪失し、社会から疎外されているという感覚のまま、引き篭っていられるための居心地のいい装置になっているから。村上春樹が、現実を把握することをやめ、自己批評性を放棄していることで、読者も批判や現実から逃れることができる。

1984年に起きたことで人々が共有できる歴史と、個人にとっての1984年は違う。そういった無数にある物語ではなく、「1Q84」を共有することが、人々と夢を分かち合うことになる。それが、小説家としての仕事だと、村上春樹は言っているのだと思う。

夢とは見るものではなく、実現させるもの。

村上春樹は、そんな風には言えないわたしたちを少しだけ別の世界へ連れていってくれるけど、藤永茂の「夢」はそんなことではない。

村上春樹の小説では固有名詞がキーワードとして話題になることが多く、読者もゲーマーのように、そこに隠しコマンドやメッセージを発見したがる。それらは、ハルキ世界を表現する調度品であり、ゲームを支配しているのはあくまでも「作家」だ。

でも、藤永世界での固有名詞は、「狂奔する世界に対して “神” を演じようとする」ために、歴史を踏まえ、ひとつひとつ必要な手順を踏んできたことを示すものであり、調度品でも、知性を演じるためのアクセサリでもなく、まさに世界を攻略するためのロールプレイングであり、本当のゲームのための「知識」であり「武器」なのだ。

世界作家となった村上春樹は、311のとき、村上春樹が、日本人は核に対して「ノー」を言うべきだったとは言っても、原爆を落とした相手が広島や長崎だけでなく、もっと世界中に爆弾投下を行っていることには何も言わない。

鴻巣友季子氏が、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』の書評で、「かつて村上の小説にうっすらあった自己批評性としたたかなユーモアはどこへ行ったんだろう? その謎の方が気になる」と述べたように、自己批評性とユーモアの欠如は「偽善」という感覚を失わせる。でも、『オペ・おかめ』の主人公、白鳥譲治の「偽善」への感覚は、藤永茂と同じように鋭敏だ。

第1章「人間のペルソナ」
白鳥譲治はジキルとハイドのように、化学者でありながらテロリストなのか。彼が実行しようとしている米国大統領へのオペレーションの名前は「おかめ」。一体なぜそんな名前が?そして、白鳥がジャンヌに近づいた理由とは・・

第2章「仏たちの面立ち」
白鳥譲治の驚くべき前半生が明かされ、おかめの仮面が意味していたものも明かされる!

イサム・ノグチの作品が好きで観に行ったり、また家に彼がデザインした家具がある人は多いでしょう。でも、この記事の一番上の電子書籍の表紙絵を見て、「イサム・ノグチ」の作品を思い出した人は少ないのではないでしょうか?

実は私もそうでした。

香川県のイサム・ノグチ庭園美術館も、札幌のモエレ沼公園も訪れたことがあり(両方ともこの小説に登場します)、イサム・ノグチのテーブルも使っている私ですが、第2章でそれが明かされるまで気づきませんでした。

「おかめ」は、イサム・ノグチの作品の名前でもあり、それはノグチのペルソナでもあったのだ。


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知ってると思っていたものに対して、自分がいかに知らなかったか。イサム・ノグチのことだけでなく、読んでいる間、何度もそんな感覚におそわれて、私は2009年以降、マイケルに対して感じてきた感覚を、もう一度強く感じることになりました。

藤永先生は、少数民族や世界文学など、日本人が考えることが少ない難しいテーマについて多く書かれていますが、この小説はそうではありません。

『永遠の0』という大ベストセラーの感想文に「零戦にも、戦争にも、興味がない、少女から老女までと、すべての日本人に!」と書きましたが、

この小説でも同じような気持ちになりました。読みやすい海外ミステリのような面白さから、予想もできない着地点へと引きずり込まれる快感と、決して忘れてはいけない記憶。
右翼でも左翼でもなく、日本が好きだったり嫌いだったりしながら、世界が平和であってほしいと願う、すべての日本人に。

Must Read!! Must buy!!!
☆まだ、Kindleで本を読んだことのない人へ。

電子書籍リーダーがなくても、スマホがあれば、Kindle本を読むことはカンタンです。無料のKindleアプリをダウンロードすれば、すぐに読めます。紙の本が好きな人は多いと思いますが、興味がある本がKindle販でも出版されている場合、簡単に立ち読みができて、紙の本を買うときの参考にもなります。

例えば、今話題の菅野完氏の『日本会議の研究』
その他のフォーマットにKindle販の表示があれば、そちらをクリックすると「1クリックで今すぐ買う」の下に「無料サンプルを送信」というボタンがあるので、そこをクリック。サンプル販で読める量は、本によってかなり違いがあり、電子書籍の作りも、文字の書体や大きさが自由に変えられないものもありますが、
『オペ・おかめ』は激安価格にもかかわらず、文字の書体や大きさが変えられる、上質な作りなので「Kindle本」が初めての人にもオススメです。

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by yomodalite | 2017-03-17 07:00 | 文学 | Trackback | Comments(0)
週末は、大阪でも雪が降るのかも・・・
大阪に来て、もうすぐ満4年になろうとしているのに、市内ではまだ一度も雪をみたことがなく、心配と期待の両方で、いつもより早く予定を済ませ、午後は待機するような気分で家にいたんだけど、結局ほんのわずかに白いものが散らついただけ。吹雪の中、マラソンをしている京都の風景を見て、こんなにも違うものかと驚く。

近所のひとによれば、大阪市内で雪が降るのは、かなり稀なことらしい。雪だけではなく、関西の気象を見ていると、関西6県の中で、ひときわ小さく真ん中に位置する大阪は、周辺地域に守られているような気もする。

雪が降り出したら、飛び出して撮影する準備もしていたのだけど、結局、部屋でぬくぬくしながら、ずっと『あひる』を読んでいた。

この日(→)、散々迷った今村夏子氏の新作は、結局単行本を選択。三島由紀夫賞という大きな賞を受賞したときも、もう小説は書かないかも・・と言っていた今村氏は、『あみ子』を読んだ誰もが待ち望んでいた次作を、福岡の出版社が創刊した無名の文学誌に掲載した。それが、芥川賞にノミネートされ、出版社が湧いた気分を想像すると、なんだかこっちまで興奮してしまうのだけど、書き下ろしが2作ができた経緯も、今村さんらしい欲のない話のように思える。


「たべるのがおそい」にも注目して、早く読みたくて何度も迷ったのだけど、やっぱり、他の2作品も一緒に読める単行本まで待ちたい気持ちが上回った。でも、そんな待ち遠しい思いで単行本を手に入れたらいれたで、どういうわけか、すぐに読むのがもったいなくて・・

外が寒すぎるせいで、むしろ部屋があたたかいような、そんな日をずっと待っていた。そう、ちょうど今日みたいに。

「あひる」も、「おばあちゃんの家」も、「森の兄弟」も、子どもが中心に描かれていて、私がこんなに読みたかったのも、それが理由だったのかもしれない。

今村氏は1980年の生まれなのに、出てくる子どもは、ビワが好きだったり、「おとうさん」は島倉千代子好きで、おばあちゃんは、もっと昔の「おばあちゃん」のようで、なんだか懐かしい気もするのだけど、ほっこりする話かといえば、そうではなく、淡々とした謎があり、不可解だけど、ヨーロッパ映画のような不親切さとは無縁で・・・

また次作が待ち遠しくてしかたなくなった。そういえば、今村氏も大阪市内に住んでおられるのだとか。

あひる

今村 夏子/書肆侃侃房



今村ワールドの初体験は、『こちらあみ子』がオススメだけど、『あひる』は、Kindle Unlimitedの対象本です。

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by yomodalite | 2017-01-16 08:21 | 文学 | Trackback | Comments(0)

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2016年中は読むことがかなわなかった『イエスの幼子時代』をようやく読了。英国最高峰の文学賞ブッカー賞を史上初の2回受賞し、ノーベル文学賞も受賞した、J・M・クッツェーの本はこれが初めてだったけど、鴻巣友季子氏の翻訳がいつもながら読みやすくて期待通り楽しめた。


邦題は、 原題「The Childhood of Jesus」の直訳だけど、聖書の話とも、歴史上のイエスの記述とも違っていて、半分ほど読み終わるまで、これがどういう類の小説なのかもわからなかったのだけど・・


主人公の中年男は、自分の子でも孫でもない5歳の少年を連れて、移民や難民が集まるような「セントロ・デ・レウピカシオン・ノビージャ」という場所に降り立つ。ふたりにはそれぞれスペイン語の名前が与えられていて、中年男はシモン、少年はダビードと身分証に書かれている。


そこでは、社会福祉が整っていて、人々は親切で、きちんとしているようで、どこか生気がなく、シモンは違和感を感じながらも、与えられた船の荷揚げの仕事に就く。でも、シモンは真面目に仕事をこなしながらも、単純な作業や、不効率な部分に不満がないわけではない。


ある日、シモンは、倉庫にネズミの大群を発見して叫び声を上げるが、同僚は「我々人類が栄えるところにはネズミも栄える」と、意に関しない。シモンが、「どうしてネズミに汚染された倉庫に、何千トンの単位で、穀物を貯蔵しておくんだ?1ヶ月ごとに需要に見合うだけ輸入すればいいじゃないか。どうしてもっと効率良くできないんだ?」と言うと、


同僚は「あんたの言うようにしたら、おれたちはどうなる?馬は?・・・つまり、おれたちの獣じみた労働生活から解放したいと言うんだな・・・そういう職場では、粒がカサカサ言うのを聞きながら、積荷に肩に担ぎ上げたり、物とじかに触れ合うこともできなくなる。人間の糧となり命を与えている食物との接触を失うんだ。


われわれは、なぜ、自分たちが救済されるべきだとこうも強く信じ込んでいるんだろうな、シモン? おれたちは無能でほかに出来ることがないから、こんなに荷役をして暮らしていると思うか?・・・わかってきたろう、あんたも仲間なんだよ、同志。・・・愚かなのは俺たちじゃない。愚かなのは、あんたが頼りにしている小賢しい理屈だ。そのせいで、答えを見誤ってしまうんだ・・」


という具合に、ノビージャの人々は哲学的な会話が好きで、船の荷揚げの仕事が終わったあと、さまざまな倶楽部に参加して余暇を過ごしているが、そこでは、語学やプラトン哲学だけでなく、女性と過ごすことより、人体デッサンを学ぶ方が人気w。


シモンには、少年の母親を探すという目的があるが、名前も住所もわからず、ただ、会えば確実にわかる。という強い確信だけがあって、ある日、山の上にある蔦に覆われた門の中で見かけた女性が、ダビードの母親に違いないと感じ、その女性(イネス)に、母親になってほしいと頼むと、不思議なことに、若い独身の彼女もそれを引き受けてしまう。


しかし、シモンは直感だけでイネスを選んだものの、子育ての経験もない彼女の教育方針には、口を挟みたくなることも多く、また、少年ダビード(イエス?)は、覚えたばかりのチェスですぐに大人に勝利するなど、並外れたところはあるものの、大人の言うことを聞かず、イエスというよりは、暴君的で、ダビデ王のようでもあり、妙に「数字」にこだわったりw、「ライセ」のことも信じているw


物語の終盤、自分が三男坊になるために、兄弟を欲しかっていたデビートは、ヒッチハイクをしていたフアンという青年に出会う。「あとがき」によれば、フアンは、クッツェーの名前、Juanのスペイン語形で、つまり「ヨハネ」だということ。この続編の『イエスの学校時代(The Schooldays of Jesus』も刊行予定で、すでにそちらもブッカー賞のリスト入りとか・・早く読みたいっ!



イエスの幼子時代

J・M・クッツェー/早川書房

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by yomodalite | 2017-01-10 23:44 | 文学 | Trackback | Comments(0)
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日曜のこと。天気も良くてあたたかくて、紅葉を見にドライブするのがぴったりな気がして、外でも使えるカセットコンロと、ちっちゃなプライパンと、バドミントンセットだけ車に詰め込んで出発した。

ダーリンが「紅葉見にいこーーうよ」って、ソコだけ何度も歌うので、一旦マイケルストップして、youtubeで全曲リプレイ。私も負けじと大声で「土日は千円高速走らせて、いこーーよ」って歌う(バカ夫婦)。





久しぶりに車の屋根を開けて、気持ち良い風に吹かれながら、市内から1時間以内で行ける川遊びや、バーベキューが楽しめる場所に到着。来る途中のコンビニで買ったウィンナーとか、卵とか、ししゃもとか、全然BBQとは言えないようなショボさなんだけど、それでもすごく美味しくて、

赤や黄色に美しく色づいた山を眺めて、川で遊ぶ子供の歓声を聞きながら、超絶ヘタなバドミントンでちょっぴり汗を流したりして、精一杯カラフルコミュニケーション(50TA)して、すごくリフレッシュできた・・・

はずなんだけど、なぜかそうはならなかった。

3時を過ぎて、空が少し暗くなると、気持ちも暗くなってきて・・・朝からずっとゾワゾワとした不安が、こんな清々しい場所でのんびり過ごしても改善されなかった焦りも加わって、もうこのままの気分で家に戻れない・・・それで、私だけ駅前で車を降り、急いで書店に向かった。

とにかく、日本の小説が読みたい。

今の自分の不安とは全然ちがう世界に浸っていたい。少し息苦しいような気持ちでメモしてあった本を片っぱしから探して、手に取っては棚に返すことを繰り返した。

一番最初に探したのは、『こちらあみ子』を読んでから、次作が待ち遠しくて仕方なかった今村夏子氏の『あひる』。


単行本化まで待つつもりだったんだけど、どうしても今日読みたくなって、検索機で掲載されている文学誌(「たべるのがおそい vol.1」)の在庫を調べたら・・ない。

大げさじゃなく、本当に崩れおちそうな気分だったのだけど、なんとか気持ちを鎮めようと、先日の「アメトーク」の読書芸人に初めて登場したカズレーザーおすすめの本を何冊か立ち読みして回っているうちに、この書店にもその番組の特設コーナーがあることに気づいた。


人気作家ばかりだし、元々読もうとおもっていた作品も多いのだけど、いい感じとは逆に胸がドキドキする状態だったせいか、どれも最後まで読めそうになくて、もう立っているのも限界になってきたところで、コーナーの隅っこに「たべるのがおそい」が1冊だけ置いてあることを発見し、あわててその一冊を掴み、西加奈子氏の『まく子』と2冊を抱えて、座って読める場所へ移動して、ドキドキしながら、『あひる』のページを開いた。

『あひる』は、ほんの数十ページの短編。普段なら聞き入ってしまうこともある、書店内で流れている著者による本の宣伝放送も、この日はじゃまにしか感じられず、冒頭の数行で、もうこの場所では読みたくないという気持ちになってしまった。

それで、「たべるのがおそい」に関しては、『あひる』以外のページを長く見ていた。今村氏以外にも、穂村弘氏が冒頭のあいさつ、円城塔氏の短編があり、投稿作品もレベルが高そうで、ちょっと素敵な現代短歌も多く納められていて、編集者によるおすすめ本のコラムも面白そう。



それでも、単行本まであと数日待つかどうか決められない(出版元は同じく書肆侃侃房)。


だんだん悩んでいることに苦しくなって、今度は『まく子』を開いてみる。

まくことが好きなのは、男だけだと思っていた。
1位になったF1レーサー、優勝した野球チーム、土俵入りするお相撲さん、いつだって何かをまいているのは、男だ。例えば節分の日、神社の刑ないで豆をまく人たちだって、女より男の方がはしゃいでいるし、ぼくのクラスメイトでも、水をぶうっと吹いて遊ぶのや、砂場の砂を投げつけてくるのは、いつだって男子だ。

11歳の男の子がそう語っていて、今日読むのは、これしかないと思った。


書店から家までの20分ほどの間、早く家に帰って、ベッドに潜り込んで、この本を読み耽っていたいという一心で、早歩きしていたんだけど、家が近づいてくると、帰ってすぐやらなくてはならないのは、夕食作りだと気付いた。

そういえば、結婚してた。みたいな感じで、少し愕然としたんだけど(今さら?)明るく「ただいまーーー!」っていうところまでは回復できた。

アメリカにも韓国にも、西加奈子がいればいいのに。。


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by yomodalite | 2016-11-15 13:55 | 文学 | Trackback | Comments(0)

数ヶ月前に出版された枡野浩一氏の小説という名の実話、というか私小説? 離婚についてと、会えなくなった息子の話はまだ続いていて、あーーこの話はまだ続くんだなぁと思いつつ、やっぱりそれが読みたかったような気もして・・、芸人として舞台に立たれていたことなどはこの本で初めて知りました。


本の中では、「神ンポ」という略称が度々出てくるのだけど、元々は「神様がくれたインポ」というタイトルでWebで連載されていたもの。書籍化するときにこのタイトルに変更されて、うさぎがカワイイ装幀に、中村うさぎさんの手厳しいコピーが付いています。


愛のことはもう仕方ない

枡野 浩一/サイゾー

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そして、おそらくこの本でお勧めされていたことから読んだ、小説らしい小説がこちら。


こちらあみ子 (ちくま文庫)

今村 夏子/筑摩書房

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表題作は2010年の太宰治賞受賞作で(「あたらしい娘」から改題)、「ピクニック」が同時収録された単行本『こちらあみ子』で第24回三島由紀夫賞受賞。私が読んだちくま文庫版には、小編「チズさん」も収められている。

巻末に、町田康氏と穂村弘氏というビッグネームおふたりによる解説と書評がついていたのですが、


下記は、町田康氏の解説から省略してピックアップしたもの。


・・人は人が作ったものから勇気や力、あるいは、また別の、そうした簡単な言葉で表しがたいものを確かに受け取り、それが自分のなかに間違いなく残り、その後の人生に影響を及ぼすことがある。そのとき、その作ったものとはどんなものか。例えば小説だった場合、どのように書かれるべきなのか。その例を挙げるならば、私は、本書、『こちらあみ子』のようであるべきだと思う。・・


・・この世で一途に愛することができる人間はどんな人間か。その一途な愛はこの世になにをするのか。一途に愛する人はこの世になにをされるのか。・・


・・一途に愛するためには、世間の外側にいなければならない。しかし、人間が世間の外側に出るということは実に難しいことで、だから多くの場合は一途に愛することはなく、他のことと適度にバランスをとって愛したり、また、そのことで愛されたりもする。つまり、殆どの人間が一途に愛するということはないということで、一途に愛するものは、この世に居場所がない人間でなければならないのである。・・


・・「あみ子、ってのは、特殊な人なんですね」と多くの人が思うだろうが、そうではなく、この小説を読んで私たちは、簡単な言葉で表しがたいものが確実に自分のなかに残っているのに気がつく。世の中で生きる人間の悲しさのすべてを感じる。すべての情景が意味を帯び、互いに関係し合って世の中と世の中を生きる人間の姿をその外から描いていることにも気がつく。


なぜ、この小説ばかりがそうなるのか。


それは、人になにかを与えようとして書かれているのではなく、もっと大きくて不可解なものに向けて書かれているからであろう。


「ピクニック」は乾いていてなおかつ切ない。幸福なお母さんから遠いところにいる者たちの信仰は尊くて惨めで。「チズさん」も向こう側から描かれていて、この世の人間の言葉や動きが、ひどくぎこちなく、不自然で、しかし、実際に私たちがその通りであるようにも感じて眩暈がする。


今のところ私たちが読むことができる今村夏子の小説はこの3編だが、いずれも時代を超えて読み継がれるべきであると私は思う。


(引用終了)


今年(2016年)の芥川賞候補になった『あひる』は2年ぶりの新作のようです。




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by yomodalite | 2016-09-12 06:00 | 文学 | Trackback | Comments(0)
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亡くなったという報道を聞く前に、私が知っていたまえけんさんは、見た目から何から、とにかく何もかもが違うのに、あの天才アイドル松浦亜弥の超ド級の可愛らしさをまったく損なうことなく、同じぐらいの可愛いらしさでモノマネされたことと、マイケルの誕生日へのメッセージぐらいでした。

◎我が親愛なるマイケルジャクソン様

でも、突然の死の報道で、親友だったというカンニング竹山氏が、まえけんさんが監督脚本を手がけた映画のことを語っているのを偶然TVで見て、初めての小説を完成させ、そこから映画を創ったあとに亡くなられたのだと知って、私は、ああ、なんか上の方から呼ばれちゃったんだと思ったのだ。

神が愛そのものだというなら、天使は、エンターティナーのような人ではないかと私は思っている。そういう人は、ある程度の役目を果たすと、天から呼ばれて、「よくやった。そろそろこっちに戻って来い」って言われるんだと。

天使がそこで、「もう少しやってみたい」とか、「まだまだ」とか、即答すればいいんだけど、ちょっぴり疲れていて、「そうだなぁ」なんて一瞬でも思ってしまうと、天の方では、可愛い天使たちを、すぐに休ませてあげたいから・・・それで、突然旅立ってしまうなんてことが起こるような気がするのだ。

ファンの人に怒られるかもしれないけど、マイケルがショーを目前にしていたとか、プリンスが倒れた「ペイズリーパーク」とか、神は、彼らが一番働いている場所をよく知っているから、そこには何度も現れて、同じことをずっと聞いてきたのだと思う。

短編集であるこの本には、それぞれの章に花の名前がついている。

エーデルワイス
家庭教師をしている12歳の少女を愛している37歳の男

ダリア
安全なセックスだけを楽しみたいと「秘密乱交クラブ」に入会した平凡なOL

ヒヤシンス
他人の部屋に忍び込み、彼らの生活を感じることが好きな男

デイジー
マンガの中の登場人物を愛し続けてきた29歳の女

ミモザ
SMの「ご主人様」を求め続けるエステ業界で成功した女性経営者

リリー
性的欲求や嗜好がまったくない32歳の女

パンジー
美しい母に恋心を抱いたまま、30歳を過ぎたピアノ教師

カーネーション
老作家に恋した、本ばかり読んでいる20代の女

サンフラワー
鏡に映る自分を好きになれない、ボクシング嫌いのボクサー


主人公は全員、世界と折り合いがつかず、生きづらさを感じていて、罪とのギリギリを行き来してしまう危うさを抱えているけど、まえけんさんは、それぞれの「咲き方」を模索していて、文章は、章を追うごとに凄みを増していく。とても処女作とは思えないような作品を読み終わると、巻末には「本書は、書き下ろしです」という文字。

文章力もスゴイけど、これを映画にしたいと思い、監督まで務め、またそこに、素晴らしい俳優たちが集まったことが、とても納得できる作品で、本当に多才な人だったことがよくわかって、

マイケルやプリンスが旅立つ場所が、そこしかなかったように、まえけんさんが、新宿が倒れたということには意味があるということも、この小説を読んで、強く感じました。



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まえけんさん、ありがとう!


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by yomodalite | 2016-06-02 12:00 | 文学 | Trackback | Comments(0)

書店主フィクリーのものがたり

ガブリエル・ゼヴィン/早川書房

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プリンストン大学の大学院でエドガー・アラン・ポーを研究していたフィクリーは、妻の助言から、アリス島でたったひとつの小さな書店アイランド・ブックスを経営することに。しかし、売り上げは観光客が訪れる夏だけ・・妻を事故で失ったあとは、ひとり売れない本に囲まれる毎日だった。


アメリア・ローマン(エイミー)は、ナイトリー・プレスという出版社の伝説の営業担当の後任として、アイランド・ブックスに赴いた。彼女は、長年独身で通してきた老人が78歳で結婚し、その花嫁を二年後の83歳で亡くすという、80歳の老人の回想録『遅咲きの花』を売り込むが、フィクリーに「好みではない」と言われてしまう。どんな本がお好みなのか?と聞くと、フィクリーは、「お好み」を嫌悪をもって繰り返し、


「お好みでないものをあげるというのはどう? ポストモダン、最終戦争後の世界という設定、死者の独白、あるいはマジック・リアリズム。才気ばしった定石的な趣向、多種多様な字体、あるべきではないところにある挿絵ーー基本的には、あらゆる種類の小細工。ホロコーストや、その他の主な世界戦争の悲劇を描いた文学作品は好まないーーこういうものはノンフィクションだけにしてもらいたい。文学的探偵小説風とか文学的ファンタジー風といったジャンルのマッシュ・アップ。児童書、ことに孤児が出てくるやつ。うちの棚にヤング・アダルトものは詰めこみたくない。四百頁以上のもの、百五十頁以下の本はいかなるものも好まない。リアリティ・テレビの番組に登場する俳優たちのゴーストライターによる小説、セレブの写真集、スポーツ回想録、映画とのタイアップ、付録のついている本、言うまでもないが、ヴァンパイアもね。デビュー作、若い女性向けの小説、詩、翻訳書。シリーズものを置くのも好まないが、こちらのふところ具合で置かざるを得ないこともある。そちらのことをいうなら、次の長大なシリーズものについては話す必要はない・・・。とにかく、ミズ・ローマン、哀れな老妻が癌で死ぬという哀れな老人のみじめったらしい回想録なんてぜったいごめんだ。営業が、よく書かれていますよと保証してくれても、母の日にはたくさん売れると保証してくれてもね」


アメリアは、顔を紅潮させ、当惑というよりは怒りを感じながら、このせいぜい十歳ほど年上の相手に、再度聞く。「あなたはなにがお好きなんですか?」

 

「今あげたもの以外のすべて、短篇集はたまにごひいきなやつがあるけど、客は絶対に買わない」・・・



偏屈な書店主と、出版社の営業と、島の数少ない住人・・未読のものや、昔読んで思い出すのに時間がかかるような海外作品もたくさん登場し、果たしてこれから面白くなるのか、あまり期待できないような序盤とはうってかわり、物語は徐々にラブストーリーのようでもあり、父と娘の話でもあり、大雑把なあらすじとしては、ベタといってもいいような展開を見せつつも、最初にフィクリーが「好みでない」と言っていたことがフリになっていたかのように、「本好き」が楽しめる要素が何重にも仕掛けられていて最後まで楽しめます。


13章あるものがたりには、すべて短編のタイトルが掲げられ、フィクリーによる短いコメントがついているのですが、物語の始まりは、ロアルト・ダールの『おとなしい凶器』。



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翻訳者のあとがきには、これらの短編はすべて読んでいなくてもいいけど、オコナーの『善人はなかなかいない』だけは読んでいた方がいいかもしれない。と書かれていますが、




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この本を読んだあと、『善人はなかなかいない』を読んでも、二度楽しめると思います。私はそうでした。




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ある日、書店の中にぽつんと置かれていた小さな女の子マヤ。フィクリーは彼女を娘として育てる・・・




そして、最後もロアルト・ダールの『古本屋』


「・・・人生を長く続ければ続けるほど、この物語こそがすべての中核だと、ぼくは信じないではいられない。つながるということなんだよ、ぼくのかわいいおバカさん。ひたすらつながることなんだよ。



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◎[Amazon]書店主フィクリーのものがたり


1. おとなしい凶器 ー ロアルト・ダール

2. リッツくらい大きなダイアモンド ー F. スコット・フィッツジェラルド

3. ロアリング・キャンプのラック ー ブレット・ハート

4. 世界の肌ざわり ー リチャード・ボーシュ

5. 善人はなかなかいない ー フラナリー・オコナー

6. ジム・スマイリーの跳び蛙 ー マーク・トウェイン

7. 夏服を着た女たち ー アーウィン・ショー

8. 父親との会話 ー グレイス・ペイリー

9. バナナフィッシュ日和 ー J.D.サリンジャー

10. 告げ口心臓 ー E.A.ポー

11. アイロン頭 ー エイミー・ベンダー

12. 愛について語るときに我々の語ること ー レイモンド・カーヴァー

13. 古本屋ー ロアルト・ダール



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by yomodalite | 2016-03-24 06:00 | 文学 | Trackback | Comments(0)

モナドの領域/筒井康隆

モナドの領域

筒井 康隆/新潮社

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2015年の暮れに出版された、当時81歳の著者が最後の長編だという作品。


モナドについては、ライプニッツのも、数学のも、まったくわからないのだけど、日本の日常に「GOD」が現れるこの小説はかなり楽しめました。


カトリックの幼稚園に通い、プロテスタントの同志社大学を卒業し、神の問題はなじみが深かったという筒井氏は、いわゆる信者としてではなく、GODに興味がある人だというのは、以前読んだ本の解説でも感じていたんですが、SF作家の神テーマってソソられますよね。


ミステリ小説からは、ずいぶんと遠ざかっているので、これが「ミステリ」として面白いのか、どうなのかはわかりませんが、GODが話すことを目的に犯罪を犯した裁判で何を語ったのか、にワクワクしてしまう人には、おすすめ!


GODは、本が売れない出版社の社長の商売の相談にのったり、世界の破滅を救ってほしいと嘆願されたり、さまざまなタイプの人と話をするのですが、そこから、去年から続く『HIStory』20周年にちょっぴり関係がありそうなところ(?)を、あんまりネタバレしないようにピックアップすると、


「あなたのような存在を、今まで想像できた人はいるんでしょうか?」という質問に、


「何人もいるよ。デカルト君とかカント君とか・・彼らは哲学の方法を学問的にしようとして・・・ハイデッガー君はそういう一義的なものに批判的だった。だから師匠のフッサール君の・・・ハイデガー君は存在の問題にした・・・ハイデガー君はトマス・アクィナス君を読んでおるくせに、勉強したとは絶対に言ってはおらん・・・なあに彼の文章を読めば・・一目瞭然だろう。トマス君は今、どうも正当に評価されておらんようだが・・」


など、その他の箇所も含めて、筒井GODは、なんだかんだトマス主義者で、


「どうすれば自分の書きたいことが書けて、しかも読者に喜ばれて、作家としても成長する、そんな作家になれるんだろうか?」と悩む若い作家からの問いには、


「お前さんはジャン=フランソワ・リオタール君の本を読んでおらん。その種の議論なら今のところ彼が一番の優れものだ。ジオタール君は、政治の技術と芸術の問には相関関係があると考えた。政治が形而上学的な理想を形成しようとする時の様態と、芸術がギリシャ語で言うテクネー、つまり技術のモデルが、プラトン君以来詩を『鋳直し』や『型押し』として考えられてきた様態だ。プラトン君の『国家』にも書かれているように、政治の問題は人間の共同体のために善のモデルを遵守することにある。政治哲学が芸術を見習ってきたと言ってよい。これが中世、ルネッサンス、近代へと時代によって変化しながら続いてきた。


ところがナチズムがこの関係を逆転させてしまった。芸術が政治の役を果たすようになったんだ。ナチはありとあらゆる形態のもとにエネルギーの全体的な動員をするため、メディア、大衆文化、新しい技術などを大いに利用した。そして『トータルな芸術作品』というワグナー君の夢を実現した。実はだね、今日の政治もこれとは別の正当化や時には正反対の議論のもとに、やっぱり同じ症状を呈しているんだよ。近代民主主義では大衆の意見が、リオタール君がテレグラフィック、つまり遠隔映像的と言っている手続き、規制したり記述したりする様ざまな種類の遠隔記入によって鋳直されなければならないという原理でヘゲモニー、要するに人びとの意見による主導権が存続している。だけどナチズムが勝利したのもまたこの方法によるものだった。


しかし、これに従属しない思考やエクリチュール即ち書く行為は孤立化させられて、カフカ君の作品のテーマが展開しているようなゲットーヘと追い込まれてしまう。ゲットーと言っても単なるメタファーじゃないよ。何かの隠喩じゃないんだ。実際にワルシャワのユダヤ人たちはただ単に死を約束させられていただけじゃない。彼らはナチがチフスの脅威に対抗するため建設することを決めた壁をけじめとして彼らに対する『予防措置』の費用まで負指しなけりゃならなかった。現代の作家にとっても事態は同じだよ。作家たちがこれに抵抗すれば、ただ消え去るようにあらかじめ定められてしまう。つまり作家たちは自分たちの予防措置である『防疫線』を作るのに貢献しなきやいけないんだ。


そうしている限りはこの防疫線の庇護のもとで作家たちの破滅は遅延させられる。作家たちはその作品がコミュニケーション可能なもの、交換可能なもの、つまり商品化可能なものになるよう自分の思考のしかたや書く方法を変えることによって、ほんのつかの間の空しい延命、作家生命の遅延を『買う』んだ。ところがだな、こうした思考や言葉の交換や売買は、逆説になるが『どのように考えるべきか』『どのように書くべきか』という問題の最終的な解決に貢献しとるんだよ」


「え、それはなぜですか?」


「つまり、人びとの主導権を一層確固としたものにする、ということに貢献しておるんだよ。このリオタール君の考えかたは正しいもの、真であるとわしは決定している。お前さんが思考しなければならず、書かなければならず、その限りにおいて抵抗しなければならないというこの指令の送り手は、いったい誰なのか、その正当性はどのようなものか、こうした問いかけこそがまさに開かれたままの問いかけなんだよ」



と、、こちらも、まったく読んでないジャン=フランソワ・リオタールを正しいと決定されていたり、


多様体論または集合論についてはどうお考えでしょうか?なんて質問には、


「あれはプラトン君のいうエイドスとかイデアとかミクトンというものに・・・これは本来の無限ではないな・・・だからこれを悪無限などと・・・」とか、


他にも、ディヴィッド・ルイス君もある程度は正しいのだが、ではなにが間違っているかというと・・・なんてことにも、ガンガン答えていかれるので、


河川敷で発見された片腕のこととか、ベーカリーで評判になった腕の形のバゲットの謎のことなんか、すっかり忘れているうちにエンディングになってしまいました。


ちなみに、表紙の絵は、筒井氏の息子である筒井伸輔氏による「偏在するGODを表現した絵」だそうです。


◎[Amazon]モナドの領域/筒井康隆



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by yomodalite | 2016-03-14 06:00 | 文学 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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