カテゴリ:マイケルと神について( 29 )

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☆「ディーパック・チョプラ Part 1」の続き

MJは、晩年までチョプラと交流していますし、チョプラを全面的に否定するつもりではないということをご了承の上、続きをお読みくださいね。

チョプラと、MJとの違いについて・・・

チョプラは「人間の存在」を、物理的に存在している「場」だけでなく、人間の知覚では処理できないものの、量子の領域の「場」も存在していて、それは科学的にも証明されていると言っています。

また、そのうえに、知性または意識による「仮想領域」というスピリチュアルな領域の「場」も存在していて、

人は誰もが「スピリット(霊魂)」だから「わたしと他人は同じもの」だと言っている。

これは、MJの詩 『I YOU we』と似た考え方ですし、『ARE YOU Listening?』も思い出されます。

また「仮想領域」の証明には、物理学を援用し、

電子を語るには、粒子か波長かのどちらかの状態を選ばなくてはならない … 位置か運動量のどちらかを観察し … 電子は粒子でもあり波長でもある …ハイゼンベルグの不確定原理とか、 観察しなければ、可能性は可能性のまま … という、シュレディンガーによる思考実験や、数学的に構想された次元のなかでは、どれだけ時間や空間が離れているように見えても、ふたつの出来事の間の距離はつねにゼロ … というミンコフスキーの八次元超空間とか、

ニールス・ボーアをはじめとする物理学者たちは、電子か粒子か波長か、どちらかの実体に変えられるのは人間の意識だけ … など、これらの物理学的事実から、観察者として振る舞おうとする人間の意識がなければ、すべてのものは純粋な可能性としか存在することはできず、

さらに、それらの量子物理学が示唆する可能性に興味を示しつつも疑問を抱いていたアインシュタインも、Aの観察がBにも影響を及ぼすとするなら、エネルギーの交換もなく、光の速度よりも素早く、統合や意思疎通がなされたことになる。この思考実験は世の中に存在するあらゆる世界観とは対立しているので、アインシュタイン・ポドルスキーの逆説として知られているが、後の実験結果では、この量子物理学の法則は依然として有効で「すべて」である領域での意志伝達と結合が現実に存在することが証明されています。

と、言っていて、

これは、チョプラの師匠で、物理学の学位をもち、超越瞑想の創始者であるマハリシ・マヘーシュ・ヨーギーが、超越瞑想(TM)の純粋意識を、物理学上の「統一場」と同一視しているのと同じく、物理学者たちの思考実験によって想像した空間を、精神世界の「場」として捉えているようです。

精神世界を物理学や天文学で証明しようとする流行は、マハリシ、チョプラの東洋系だけでなく、キリスト教を信じられなくなったクリスチャンの子どもたちによるニューエイジ系でも盛んで、チョプラには「仮想領域」に行くための「審判」は特にないようですが、

ニューエイジ系では「魂の上昇」(アセンション)など、根底にイエスの復活神話のイメージが強いので、どうしても「審判」意識が強くなるようです。

超越瞑想は、ポール・マッカートニー、クリント・イーストウッド、デヴィッド・リンチといった、私の大好きな人たちも支持している「方法」で、私ももっと学んでみようかなぁと思わなくもないのですが、

◎[参考記事]大きな魚をつかまえよう/デヴィッド・リンチ

ポールと一緒にマハリシの元にいた、ジョン・レノンは、当初支持していたマハリシを、後に批判しています。(この批判については、この後のジョン・レノン編も参照ください)

◎[Wikipedia]セクシー・セディー
◎[動画]The Beatles - Sexy Sadie (2009 Stereo Remaster)
◎[和訳] Sexy Sadie

MJは「量子の世界」をイメージし、チョプラからインスピレーションを受けた詩も書いていますが、

魂はカルマに基づいて解釈し、選択する観察者で、人間関係の集合であり、この集合から生まれる文脈や意味が、人生をつくりあげる。人間は自分がことさら独創的な存在ではなく、魂は意味、文脈、関係、神話の集合である。これらの集合が、わたしたちが参加する物語をつくりあげる、カルマによって条件づけられた、日常の思考、記憶、欲望を生み出すものである」

という、チョプラの「カルマ・セオリー」は、否定しています。

◎[関連記事]カルマと正義[1]『The Michael Jackson Tapes』

何かを発見しようと思った時、私は過去に為されてきたことを全部読み返すことから始める。。

という科学者エジソンの言葉と、

本当の音楽が私のところにやってくる時 ー 
天空の音が、理解を凌駕した音が、やってくる時 ー 
私自身は単なる媒介にすぎないから、何も関係がないのだ。唯一の喜びといえば、私に与えられるそうした音を書き写すことだ。私は媒介でしかない。が、そうした瞬間のために私は生きている。


という、ジョン・レノンの言葉の両方を「自伝」の冒頭に掲げたMJが、

ジョンが、マハリシに感じた疑惑について深く考えていなかったり、それを、弟子のチョプラに対しても検証していないなどとは、私には思えないので、もう一度「カルマ」と「スピリッツ」について、しつこく考えてみたいと思います。

まず、「カルマ・セオリー」について。

MJが言うように、私たちの日常は「カルマ・セオリー」で溢れています。霊や魂がまったく存在しないと考える人より、そうでない人の方が多そうですし、死後の世界を描いた「物語」は巷に溢れていて、死後の世界などないと言われると、なんだか寂しい気がする人の方がたぶん多いでしょう。

だから、輪廻転生を信じる人の方が多く、その転生に、何かしらのセオリーを求めてしまうことに抵抗できる人も少ないと思います。

MJが時代から拒否され始めた90年代から、米国では、階級の移動は困難になり「アメリカン・ドリーム」には陰りが見え始め、「がんばれば、成功できる」という信仰は、大学どころか、大学院に行かなくては、いい仕事にはつけないという社会を生み、高い教育費に加え、長期間の学校生活を続けられない人々からチャンスを奪い、生まれたときから「運命」が決まってしまう、階級の固定化が進みました。

世界の富が、ほんの一握りに集中するような社会になると、それまでの社会で安定していた人々は、リスクの高い「成功を求める」よりも、自分より下層を意識して、心の安定を得ようとする人々が増え、

一億総中流と言われていた、日本でも、徐々にそういった変化が訪れ、DQN(ドキュン)という言葉が生まれたのは、90年代後半のようですが、自分が「中流」だと思うために、自分より下の階級を必要とする人々が増えました。

「カルマ」は、それなりに、恵まれた環境に生まれた人々にとっては受容しやすいものですが、そうではない人々にとっては納得できるものではないでしょう。にも関わらず、その両方の人々を「カルマ」を通して納得させようとする。。

「カルマ」は仏教ではなく、古代ヒンドゥー教の四姓制の階級制度(カースト)に起源があるようです。

◎バラモン教(Wikipedia)

司祭階級バラモンが最上位で、クシャトリヤ(戦士・王族階級)、ヴァイシャ(庶民階級)、シュードラ(奴隷階級)によりなる。また、これらのカーストに収まらない人々はそれ以下の階級パンチャマ(不可触賤民)とされた。カーストの移動は不可能で、異なるカースト間の結婚はできない(Wikipediaより)。

このバラモン教のカーストに反旗を翻したのが、ブッダですから、本来のブッダの教えには、カルマも輪廻転生もありません。

これは、イエスがユダヤ教の戒律に反旗を翻したことと同じで、イエスが言ったことが一番表現されているとされる「山上の説教」と、キリスト教徒の行動が矛盾だらけであることと同じく、仏教もブッダが亡くなると、どんどん、色々な考えが混じってきて、それは進化しているようでいて、実体としては、既得権益者の権利を守るという方向に集約されていきます。

現在、米国にも、日本にも、カースト制などという法律はありませんが、階級の固定化が進んだ現在、この既得権益層にとって都合がいい考え方は、人々が、知らず知らずのうちに信じてしまっている「カルマ」によって脈脈と受け継がれていませんか?

MJが言っているように、そういった戦略を仕組んでいるような人々こそが「邪悪な人々」なんですが、

カルマをスピリチュアルという言葉で美しく捉えている人々は、下層にいる人々にはそこにいるべき理由があると考え、自分が下の層に落ちないように、様々な「レベルアップ」に熱を上げるようになり、そういった努力をしない(出来ない)人々をますます軽蔑するようになる。

こういったことは「洗脳テクニック」として、確立されていて、メディアにも確固とした「マニュアル」があります。

2005年の小泉元首相による、郵政民営化選挙は「B層」という階級を意識させることに成功し、日本人としての「純血」や「愛国心」に、価値を見出したい人々を囲い込むために、理由なき人種差別や、国籍差別に、もっともらしい理由づけをするような言説で人気を得ようとする政治家も増えました。

生活保護受給問題も、自分よりも「下層」に注目させ、民衆同士を分裂させる戦術ですし、、

MJが言うように、民衆に憎しみや、差別を生み出す「カルマ論」など、どこが宇宙のセオリーなんでしょう?

ヨガや、アーユルヴェーダや、瞑想で、健康になったり、精神が開かれたような経験を味わったとしても、その素晴らしい経験とカルマ論は本当に相関関係があるでしょうか?

「信仰」には、疑うのではなく、信じることが重要という千年単位の「洗脳」もあり、実際のところ、教育と洗脳の違いは微妙なものですが、良い教師は生徒が自分で考えられるように教える人のことで、

洗脳者とは、大勢の人が、それが「真実」だとか「真理」だと思えるような教えを発明し「真理を知る人」として「神の代理人」や「宇宙の代理人」になる人のことではないでしょうか。

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by yomodalite | 2012-09-19 08:53 | マイケルと神について | Trackback | Comments(9)
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☆「Heal The Kids”とは何だったのか」の続き

シュムリーと、MJの考え方の違いについては、少し説明できたと思うのですが、彼が、MJのことを「ユダヤの人々や、その教えから “エホバの証人” との類似や、同様の契約を感じたようです」と言っていることや、「ユダヤ人に直感的に親近感を抱いていた」という件については、少し書き足らなかったように思います。

わたしは、一部のMJファンによる、彼の周囲が、常にお金の亡者ばかりで、カタログをめぐる陰謀や、財政難から『THIS IS IT』の契約に追い込まれたというストーリーに懐疑的なのですが、それは、その考え方に、キリスト教徒の「お金儲け」に対する嫌悪感と、そのお金に対する感覚が異なる「ユダヤ人」への強い嫌悪感が透けて見えるからです。

わたし自身は「拝金」よりも「清貧」の心情の方が理解できますし、ヘレニズム的な時間感覚や、悠久の世界に身を委ねていたいと、よく思いますけど、

マイケル・ジャクソンというひとは、子供のころから、一分一秒も無駄にすることなく、限られた命をとことん尽くしきらなくてはと常に思い、ビジネスに関して学ぶことも一切怠らなかった。

◎[参考記事]「Gold」誌インタヴュー[1]

清貧信仰のファンは、MJの神聖化のために、彼が商売が上手いということが受け入れられない。そのため、周囲をすべて「悪者」にしてしまったり、MJへの評価も過小なものになっていて、わたしは、そういった「MJ被害者史観」も、彼の「受難」のひとつだったのではないかと思っています。

このビジネス専門誌のインタヴューでも、音楽ライターのヴォーゲルは現在のMJへの一般的なビジネス評価を披露しているだけですが、インタヴュー前から、専門誌の編集長が、ヴォーゲルよりも高く評価している感じは伝わると思いますし、

10年近く、アルバム発売もツアーも行なわなかったMJが「ジリ貧」だったのは、確かにそうかもしれませんが、同じ時期に、どれだけ多くの米国人が投資に狂い、破産したことか。。音楽業界だけでなく、米国全体の衰退がはっきりした段階で、

MJだけが奇跡的に蘇ったことを、私は「偶然」とは思っていません。

『Michael Jackson, Inc.』が、『THIS IS IT』以降の経済的成功だけでなく「MJのジリ貧時代」の堅実さにも、言及してくれてるといいんですけどね。(追記:国内発売されました。結果は… )

根強い人種差別を乗り越えただけでなく、史上最高の成功を納めた後も常に進化し続けるという彼の精神は、クリスチャン的(ヘレニズム的)ではなく、 ヘブライ的時間感覚に近く、シュムリーが言うように、ユダヤ人と近いと言えなくもないと思います。

そんなことも踏まえつつ、

一見、シュムリーよりもずっと相性が言いように見え、『Dancing The Dream』にも影響を与え、晩年まで交流があったディーパック・チョプラ(Deepak Chopra)の考えと、MJの違いをほんのちょっぴり説明したいと思います。

チョプラは、インドの伝統から、仏教、哲学、アーユルヴェーダなどを取り入れ、米国ハーバード医学学校と神学学校で基調講演を行い、米国のニューエイジやスピリチュアル分野における第一人者で、自己啓発分野の著作を多く出版しています。

チョプラの本には「宇宙のダンス」とか、MJと相性の良い言葉や表現が多く見られ、『Dancing The Dream』に収められた詩「QUANTUM leap」という言葉も、チョプラの思想の基本ともいえる概念のようなのですが、

チョプラ氏が「自分が書いたもののなかで最も好きだ」といった『ゆだねるということ』(『迷ったときは運命を信じなさい』改題。原題は「The Spontaneous Fulfillment of Desire」 2003)から、大幅に、省略・要約して引用します。

◎[Amazon]ゆだねるということ(上)

第一部 無限の可能性から

1. ほんとうの自分がいる「場」


物心がついた瞬間から、
人はこの世の中で自分が置かれている立場に疑問を持ちはじめます。

「なぜ、わたしはここにいるのか?」
「どうすればこの世の中で自分の居場所を見つけられるのか?」
「わたしの運命はどうなるのか?」

人類は永遠にこう問い続けているのです。子供のころ、未来は自分の好きなように物語を描くことのできる真白い紙でした。未来には無限の可能性が広がり、新しい発見が約束されていました。ところが大人になるにつれ、身のほどを知るよう「諭され」、夢は萎んでいきます。しかし、子供時代のときめきを取り戻す方法があります。

ほんとうの現実とは何かを理解し、あらゆるものが互いに関連をもち、分ちがたく結びついているという真実に気づきさえすればよいのです。(中略)

そんな人生への第一歩として、3つの存在レベルとはどのようなものか、
理解しておきましょう。

◎第一の存在レベル 現実 ー 物理的な領域

第一の存在レベルである物理的(物質的)な領域は、わたしたちがもっとも親しんでいる、目に見える宇宙のことです。この世界は現実世界とも呼ばれ、三次元の硬い境目をもつ物質や事物のすべてが含まれています。わたしたちが見たり、聞いたり、触れたり、味わったり、かいだりできるすべてのものがここに属しています。

人体、風、大地、水、ガス、動物、微生物、分子、この本のページもすべて、
第一の存在レベルのものなのです。

物理的な領域では、時間の矢印と呼ばれるように、時間が過去から現在、未来へと一直線に流れているように見えます。物理的な領域に存在するすべてのものには、始まりと中間と終わりがあり、永遠ではありません。この世のすべては、生まれるといずれは老いて死んでいきます。

科学者は日食が発生する時刻や継続時間を計算で出すことができます。世の中の「常識」として理解されているすべてが、この物理的な領域における出来事なのです。

◎第二の存在レベル 量子 ー エネルギーの領域

すべてのものが情報とエネルギーから成り立っているのが第二の存在レベルです。量子(QUANTUM)の領域と呼ばれているこのレベルに存在するものには、すべて実体がありません。すなわち、五感で知覚することはできません。ふつう「自己」だと考えている精神、思考、自我などのあなたの一部はすべてこの量子の領域に含まれているのです。精神や思考に形はありませんが、現実に存在していることを疑う人はいません。

この領域は、精神という観点から考えると、いちばん理解しやすいでしょう。しかし、この領域にはそれだけでは語り尽くせない多くの要素が含まれています。実は、宇宙に存在している形あるものはすべて、量子の領域のエネルギーと情報が形となって現れてきたものにほかならないのです。

物質的な世界に存在するすべてのものが、実際には上布とエネルギーで成り立っていることを説明する方法があります。有名なアインシュタインのE = mc2の公式です。物質(質量)とエネルギーは、形が違うだけで実は同じものなのです。

量子の領域での出来事は、光の速さで発生しているため、人間の知覚では処理できません。人間が事物を別々のものとして認識しているのは、エネルギーの波に異なる情報が含まれているからです。

量子の領域を覗ける目をもっていたら、世の中はどう映るでしょう? そこでは、物理学的な世界で固体だと思っていたすべてのものが、光の速さで無限の空間に現れては、消えていきます。宇宙では、ものが現れては消えているのです。

こんな禅問答もあります。ふたりの僧が、風に揺れている旗を見ていました。ひとりの僧が「揺れているのは旗だ」と言いました。するともうひとりの僧が「いや、揺れているのは風だ」と強く反論しました。そこに、僧たちの師がやってきました。そこで、ふたりは「いったい、どちらの意見が正しいか教えてください」と尋ねました。すると師は「どちらも間違いだ。揺れているのは意識にほかならない」と答えたのです。

精神はエネルギーや情報が集まる場です。すべての思考はエネルギーであり、情報なのです。実際にはエネルギーのスープであるものを、目に見える物理的な実体だと認識することで、あなたは自分の身体や世界を想像してきました。では、この想像をつくり出している張本人である精神は、いったいどこから生まれてくるものなのでしょう?(P35~P43をかなり省略して引用)

◎第三の存在レベル 「すべて」である領域

第三の存在レベルは、知性または意識でなりたっています。この存在のレベルを、仮想領域、スピリチュアルな領域、可能性の漁期、「すべて」である知性(非局所的知性)と呼ぶことができるかもしれません。ここは情報やエネルギーが、無限の可能性のなかから表面に浮かび上がって来る場所です。

自然のもっとも根本的かつ基本的なレベルは、物質的なものでも、エネルギーや情報のスープでもありません。それは純粋な可能性の場なのです。このレベルは、空間や時間を超越した「すべて」である領域(非局所的領域)で営まれています。この領域には時間も空間も存在していません。

少し理解しにくい考えかもしれませんので、簡単な例を挙げてみましょう。今、この本を読んでいるあなたの目は、ページの上の黒い印刷物を眺めています。あなたの脳波この印刷物を文字や言葉という象徴に変換し、意味を理解しています。ここで一歩引いて、「読んでいるのは誰か?」「自分の思考の背後にある意識とは何か?」と自分に問いかけてみましょう。

あなたの脳は素早く暗号を解読し、分析し、翻訳していますが「本を読もう」という意志が働かなくては読むことはできません。では、その意志はどこから生まれてきたのでしょう? ほんの少し注意をずらせば、あなたの内面にいる存在、つねにあなたをある行動へと仕向けている「総合令官」がいることに気づくでしょう。

あなやの内面にはふたつのプロセスがあり、あなたの思考は二重になっています、つまり、あなたという「一部」の億に、魂という「すべて」である知性が存在し、本を読むという体験をしているのです。その体験は第三のレベルで発生しています。(中略)

哲学者は何千年もの間「スピリット(霊魂)」の存在について論争してきましたが、この「すべて」である知性、すなわちスピリットが実存している証拠が出てきたのは、ようやく20世紀に入ってからのことです。(p48)

広大な海にエゴ(自我)は存在しません。魂を理解するのに、海は素晴らしいたとえになります。海をあらゆるものを同調させる「すべて」である現実、無限の可能性の場、仮想領域としてイメージしてください。無限の可能性にみちた巨大な海が「すべて」なら、波は「ひとつ」です。しかもこの「すべて」と「ひとつ」は密接に結びついています。(p79)

広大な海のなかには、激しく自己を主張する個人的な「わたし」は存在していません。波や海の干満は存在していても、結局、そのすべては海です。

わたしたち全員が、人間の姿を借りた「すべて」であるものの「ひとつ」のパターンなのです。誰もがみな、スピリットなのです。(p82)

身体、感情、思考、個性のいずれも、自分の力で形づくったものでもないとすれば、いったい自分とは誰なのか、と首をかしげてしまうかもしれません。すぐれた宗教的伝統によれば、「わたしとは他人である」というのが偉大な真理のひとつです。他者がいなければ、わたしたちは存在していないでしょう。(p91)

魂は、あなた個人の経験した意味や影響力をもっています。魂とはさまざまな人間関係のなかで、解釈したり、選択したりしている観察者です。(中略)最後に、魂をさらに明確に定義しておきましょう。

「魂はカルマに基づいて解釈し、選択する観察者である。魂はまた、人間関係の集合であり、この集合から生まれる文脈や意味が、人生をつくりあげている」

わたしたちの物語は、カルマや経験から生まれてくる記憶を通して築かれる人間関係、文脈、意味からつくられています。この物語が実現した瞬間、人間は自分がことさら独創的な存在ではないことに気づくでしょう。

「魂は意味、文脈、関係、神話の集合である。そしてこれらの集合が、わたしたちが参加する物語をつくりあげる、カルマによって条件づけられた、日常の思考、記憶、欲望を生み出すものである」

魂に触れた瞬間、ドラマの台本をすべて見て、全体を理解できるようになります。自分の人生の意味を物語全体の文脈のなかで理解しているので、一瞬一瞬が、かけがえのない時間になります。でもそれ以上に心を浮き立たせてくれる事実があります。気に入らなければ、物語は書き換えることができるのです。

(引用終了)

かなり省略して引用しているのですが、チョプラが考える「人間の3つの存在レベル」について、大雑把に把握できたと思います。

哲学者は何千年もの間「スピリット(霊魂)」の存在について論争してきましたが、この「すべて」である知性、すなわちスピリットが実存している証拠が出てきたのは、ようやく20世紀に入ってからのことです。

と、続いていく、チョプラの「スピリット」の実存説明の詳細は、実際に本を読んでもらいたいのですが、大雑把な感じで、MJとの違いについて、

☆ Part 2 に続く

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by yomodalite | 2012-09-14 09:58 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)
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☆「エリ・ヴィーゼル Part 2」の続き

人は、古来から神に捧げる「生贄」という神話を創造してきました。十字架にかけられたイエスを、キリスト教徒が「神の子羊」と呼ぶのも、神は人類のためにイエスの犠牲を必要としたという聖書の解釈によるものです。

ヴィーゼルの『夜』が、ユダヤ民族の「教え」にまで影響を与え、ヴィーゼルが神秘宗教化したのも『夜』で描かれた、子供への残虐な行為を「聖なる犠牲」として受け止めたからで、

それらは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教という「アブラハムの宗教」に共通してよく知られている「創世記」にある、アブラハムが自分の子どもイサクを神に捧げようとする話に由来しています。

◎イサクを捧げようとするアブラハム:創世記 20-22章

MJに原稿を依頼したユダヤ教の雑誌編集者が、彼の前で歌った「心に響く歌」も
それと同じテーマでした。

◎The Day I Sang for Michael Jackson(2)

神は、アブラハムの信仰を試した。しかし、イサクを本当に捧げようとしたとき、神はアブラハムの真実を認め、子供を助けた。それならば、なぜ、ユダヤの子供は犠牲にならなければならなかったのか。ナチに奪われた幼い子供たちの命は、なんのために「犠牲」になったのか。我々ユダヤ人は、何かを忘れていたのではないか。我々はエルサレムに帰ることを目指して、エジプトを出たのではなかったのか。

ユダヤ教にとって、聖書と「シオニズム」は分離しがたいものなんだと思います。

民族は流浪し、さまざまな土地で生きるすべを磨いているうちに、彼らには、異教徒にはないリアリズムが身に付き、そのため各地で成功するユダヤ人も増え、その土地に馴染むユダヤ人も多くなった。ところが、異教徒たちも、ユダヤ人を真似て同じようなやり方をしだすと、競争が激しくなった。

排除するターゲットを絞ることで、他のグループをひとつにまとめる。
戦争には、旗印が常に必要とされます。

戦争中、ヒトラーはその感情を利用してドイツ国民をひとつにし、戦後、ヒトラーを絶対悪とすることで、ユダヤ民族は結束を固めた。

ヒトラーや、ホロコーストの真実に「偽り」があったとしても、ユダヤ人の差別の歴史は疑いようもない「事実」です。その拭いがたい罪を「ヒトラー」に集中させたのは、ユダヤ人以外の民族の知恵で、ユダヤ人は「表向き」で、その考えに賛同した。。

MJが少年の頃に教育係だったローズファイン先生が「ドイツに着陸するだけで動揺した」という経験は、そのことを如実に語っていますし、

MJもその頃から、ずっとその問題について考えてきて、ユダヤ人に対して深い同情心と、現状の問題点の両面から、人々の心が癒される方法を考えて、ユダヤ教を学ぼうとしたんだと思います。(勉強自体はシュムリーに会う前からしてたと思う。。)

ヴィーゼルが「ホロコースト」を神聖化できたのは、「ホロコースト」という大きな受難を契機に、約束の地エルサレム(イスラエル)を忘れそうになっていたことへ民族的反省を促し、ユダヤ教にとって、聖書と「シオニズム」は分離できないものだということを再認識させたからで、

一般的なユダヤ人と接する機会のない、日本人にとっては「金融ユダヤ人」というイメージが強く「ユダヤ教」も合理的思考をリードしてきたという印象しかありませんが、特別な成功をしなくては生きていけないという環境を背景にして、何事にも励んできたユダヤ人に成功者が多いのは当然ですが、

黒人がみんな歌がうまかったり、運動神経が良いわけではないことと同じく、不器用で、成功とは無縁のユダヤ人も大勢いて、そこにも「断絶」がある。

でも、ヴィーゼルと「ホロコースト神話」には、その両方から支持される魅力があって、だから、ヴィーゼルは「シオニズム」の旗手となり、シュムリーにとっても、ユダヤ教のプリンスであり、民族的英雄なのでしょう。

ユダヤ人ではない、フランス人のモーリヤックも、また、殺人事件で子どもの命を奪われた母親も「子どもの死」という受け入れがたい哀しみに、どうしても意味を求め、犠牲を無駄にしたくないと考えるのは世界共通です。

最近、日本ではめずらしく大きな抗議行動になった、原発デモも「原発再稼働」によって被害が繰り返されることの「恐怖」によるものでしたが、哀しみや、憎しみ、恐怖というのは、平和を望む気持ちよりも強い感情で、国も、民族も、あらゆる集団は、その方がひとつになれる。

でも、ガンジーは戦争が始まったとき、

ヒトラー主義は、反ヒトラー主義によっては打ち負かされないだろう。反ヒトラー主義は、ただ、ヒトラー主義を無限に昂じさせるだけである。(『わたしの非暴力』より)

と言いました。

どんなに罪のない子どもが犠牲になり、加害者に大きな罰を与えたところで、哀しみを癒すことができるのは、結局は「許す」ことだけで「憎しみ」は必ず、哀しみの連鎖を生み出します。

I would never teach hatred, ever. That's not what I'm about.
僕は憎むことは決して教えない。それは僕が言いたいことじゃない。

◎[参考記事]MJの愛読書『預言者』より “罪と罰”


MJの「Heal The World 財団」は、1992年に設立され、設立当初から「子供たちが一番大切だ」というコンセプトを掲げています。

◎[参考記事]THE HEAL THE WORLD FOUNDATION(Legend of MoonWalk)

それなのに、なぜ、2000年にユダヤ人のメンバーとともに、新たに『Heal the Kids』を設立したんでしょうか?

これは、私の想像でしかありませんが、、

MJは、フィンケルスタインとは真逆なスタイルで「ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時が来ている」ことを語り、ホロコースト神話によって、生み出されている新たなる不幸によって、またしても「犠牲になっている子どもたち」のことを彼らに感じてもらいたかったのではないでしょうか。

シュムリーが語っているように、ヴィーゼルが同情によって心が動く人間で、人の哀しみがわかり「子供の犠牲」によって動かされた人間なら、ユダヤ人が先頭に立って、犠牲になっている子供たちを救う運動をおこすべきだ。と考えたのではないかと思うんです。

シオニズムや、ホロコースト神話や、ユダヤ人への批判よりも、

まだ、なんの歴史をもたない、未来の子どもたちを救おうという気持ちでひとつになることができたら、今起きている不幸も、これから起きる不幸も、防ぐことができ、世界中の大人たちの心も癒される。。

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『Heal the Kids』のシンボルは、

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「メノーラー」と呼ばれるユダヤ教の象徴に似ていませんか?


私には『Heal the Kids』のシンボルは、メノーラーに子供を組み合わせて図案化されたように見えます。メノーラーは燭台をモチーフにしたユダヤ教の象徴で、ユダヤ教のシンボルと言えば「ダビデの星」が有名ですが、

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イスラエルは、国旗は「ダビデの星」ですが、国章は「メノーラー」が使われています。


結果から言えば、MJの計画は上手く行かなかった… 『Heal the Kids』は1年足らずで破綻したようです。

でも、私は、MJがシュムリーからユダヤ教を学んで、ヴィーゼルに会ってくれたおかげで、歴史と宗教と政治が、常に一体になっていることも、ユダヤの歴史や、聖書を、自分に近づけて考えてみることができて、ノーベル平和賞に「2度もノミネート」されてるのに「6歳も年下」のシュムリーから、MJは低姿勢で自分から学んでいた。なんていう自慢も

余裕で許すことができたので … \(^▽^)/

☆「ディーパック・チョプラ Part 1」続きます。


Diana Ross - If we hold on together(日本語+英語字幕)


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by yomodalite | 2012-09-09 10:55 | マイケルと神について | Trackback | Comments(7)
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☆「エリ・ヴィーゼル Part 1」の続き

(註釈2)では、シュムリーがヴィーゼルの名前を出したことを「なぜか…」と表現しましたが、

「もし、この世界に、真実、本物の天国と言えるような “審判” があったとしたら、ヒトラーがしたようなことを、彼が長い間、罰せられることもなく出来たはずがないだろう」

それから、こんなことを言う人もいる。「もう二度と、こんなことが起こらないように、人々に教えるために、ホロコーストのような行為が行なわれた」

世界に何かの教訓を与えるために、百万もの幼い命が必要だなんてことはない。僕は絶対にそうは思わない。ヒトラーは単にああいうことを、報いを受けることなくやれてしまったっていうことなんだ。


という、MJの発言は元々ヴィーゼルを想定して言っているのだと思います。

この後のシュムリーの解説文が長いのも、米国の読者にはここまでで、ヴィーゼルを思い浮かべる人が多いということを想定したからで、MJが「はっきりさせたいことがある」と切り出したところで、宗教談話が終わっているのも、それが理由のような気もします。

MJは「ヒトラーのホロコースト」は、天国の審判の存在を否定するもので、神の教訓などでは絶対にないと言っていますが、ヴィーゼルは「ヒトラーのホロコースト」を、神が許した理由を考え、ユダヤ人だけに行なわれた「特別に意味があるもの」としての解釈を試みているようです。

ヴィーゼルの『夜』という作品は、世界に比類のないとてつもなく恐ろしい残虐な行為が描かれていると思って読み始めると、不謹慎な言い方ですが、少し肩すかしにあうというか、戦争の残虐さ、悲惨さを描いた、他の文学作品と比べて「唯一無二の…」とは、私には感じられなかったのですが、

ただ、フィンケルスタインが言うように「彼の地位がその人道的活動や文学的才能によって得られたものでない」とは言えないというか、ヴィーゼルの『夜』は小説でありながら、ノンフィクションとして読まれ、ヒトラーと戦争に傷つけられた民族の心をひとつにするような文学的な力があったんだと思います。

◎[Amazon]『夜』新版

その史実としての正確さよりも、人々の心に必要な歴史小説 …

内容は真逆ですが、日本の戦後を支えた歴史小説、司馬遼太郎の『坂の上の雲』もそういった小説であると思います。司馬史観と言われるものが、戦後の日本人に必要だったように、ヴィーゼル史観が、ユダヤ人には必要だったのではないでしょうか。

ユダヤ人が賠償金を求めていないのは米国だけですが、『坂の上の雲』に、日本人が米国への敵意を忘れさせる効果が大きかったことも見逃せない事実です。

日本人は米国を許すことができ、ユダヤ人はヒトラーを絶対に許さない。それは真逆の行動ですが、心性がまったく違うからとは言えません。どちらも、それが戦後を生き延びるために「有利な選択」であり、戦勝国の体制に沿った行動だからです。

内田樹氏は『坂の上の雲』がこれほど愛され読まれている理由を、

それは『坂の上の雲』が国民文学だからだと結論し、ヴィクトル・ユーゴーの『レ・ミゼラブル』はフランスの、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』はロシアの、マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』はアメリカの、それぞれ国民文学で、巨大なスケールを持った政治劇の場合もあれば、市井の人々の生活を活写した物語の場合も、そこに共通するのは、強い人間性を持った主人公を登場させ、「我々はこういうタイプの人間が好きだ」という宣言をなしているという点である。

その偏りのある人間的選好が、長期にわたって国民のふるまいや価値観に影響を及ぼし続けたとき、それは「国民文学」と呼びうるだろう。


と結論しています。ユダヤ人は「国民」ではありませんが、『夜』には、それらと同じ性質があって、戦後のユダヤ人の生き方に大きく影響を与えたのではないでしょうか。


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それは、他民族から見ると理解しにくいのですが、同じような「偏り」はどの民族にも必ずあります。日本には他民族が少ないので、安心してその感情に浸ることができますが、さまざまな国に暮らし、歴史的に敵対を繰り返してきた異教徒の批判の眼に、常にさらされてきた、普通のユダヤ人が、その限られた人生の中で「民族主義」に惹かれ、

その苦難の一番の理由が「国をもたないこと」だと結論し、イスラエルへの建国を夢見るのは、自分だけでなく、未来のユダヤ民族のことを考えても抗えない魅力に溢れ、すでに米国で充実した生活をしている成功したユダヤ人が、そのお金を使って、極端にイスラエル寄りの政策を米国に実行させていることも、恵まれない同胞への同情心が大きく、

フィンケルスタインの父親の友人が最終的にイスラエルに行ってしまった話も、他国で永年に渡って成功した日本人の多くが、老後は帰国することと同じく、やはり、お金だけとは言えない、抵抗しがたい感情によるものではないでしょうか。

フランソワ・モーリヤック(ノーベル文学賞)の『夜』の序文から省略して引用します。

外国のジャーナリストがたびたび私のところに訪ねてくる。私には彼らが恐ろしい、私の考えをすっかり打ち明けてしまいたい気持ちと、フランスに対してどういう感情を抱いているのか分らぬ話し相手に武器を渡すことにならないかという危惧とで、板挟みになるからである。

その朝のこと、テル・アヴィブのある新聞社から派遣されて私に質問しにきた若いイスラエル人は、はじめから私のうちに共感をよびさました。(中略)私は占領期の思い出話をもちだすところまでいった。私は若い来客にこう打ち明けた。

あの暗うつたる歳月に見たいかなる光景も、オーステルリッツ駅に来ていた、ユダヤ人の子供を鮨詰めにした、あの幾台かの貨車ほどに私の心に深く刻み込まれはしなかった…。それでいて、私はそれらの貨車をわれとわが目で見たわけではない。じつは、私の妻が見て帰ってきて、そのとき憶えた恐怖感がまだ少しも抜けやらぬままに語り聞かせてくれたのである。

当時、私たちはナチスによる絶滅方法をまるきり知らずにいた。それに、そのような方法を誰に想像できただろうか!(中略)その子たちがガス室や焼却炉に供されようとしていたとは、私にはとうてい思いもよらなかった。

以上のことを、私はそのジャーナリストに打ち明けずにはいられなかった。そして私が「何度も何度も、その子たちのことを考えましたよ!」と言って溜め息をついたところ、彼は私に言った。

「私はそのなかのひとりです」

(引用終了)

シュムリーも言っていたように、ヴィーゼルが、アウシュビッツにいたのは16歳(最初に移送されたときは15歳)。その年齢の東欧の少年は、モーリヤックがまるで実際に見ていたかのように記憶している、貨車に鮨詰めにされた「子ども」には見えない年齢のように思えますが、、、

モーリヤックの序文は、この後も、この小説の印象的な場面をすべて書ききってしまうかと思うほど長文で、それは序文として書かれたというよりも、戦後に芽生えた、ヒトラーの残虐な政策を見逃してしまったという良心の呵責から、どうしても述べずにはいられないのではないかと、私には想像せずにはいられませんでした。

さらに、モーリヤックの序文を続けます。

そのなかのひとりであったのか!彼は、母親と熱愛する妹とが、父親を除く身内の者すべてが、生き身の人間を焚き物とする炉のなかへ消えてゆくのを見たのであった。父親については、彼は来る日も来る日もその殉難に立ち会い、そして、その臨死の苦闘に、またその死に、立ち会わなくてはならなかった。しかも、なんという死! この書物は、そのときの状況を述べているから、この書物を発見する仕事は読者にお任せする。(中略)

この並外れた書物が私の心を捉えて放さなかったわけは、もうひとつの側面から来ている。ここで自分の身の上を語っている子どもは〈神〉に選ばれた子であった。

彼はものごころついてこのかた、タルムードに心を奪われ、カバラーの奥義に通じようとの野望を発し、「永遠なるお方」に心身を献げて、ただ「神」のためにのみ生きていた少年が、信仰を有する者にとっては最悪の所行に出逢った、ということ。すなわち「一挙に絶対の悪を発見したこの幼い魂のなかで〈神〉が死んだ」、ということに。

「… 子どもたちのからだが、押し黙った蒼穹のもとで、渦巻きに転形して立ち上ってゆくのを私はみたのであったが、その子どもたちのいくつもの小さな顔のことを、けっして忘れないであろう。私の信仰を永久に焼尽してしまったこれらの炎のことを、けっして忘れないであろう。生への欲求を永久に私から奪ってしまった、、、」
(以下略)


ホロコーストの犠牲者の割増しが目に余る現在、この序文を読むと、モーリヤックが最初に読んだときの印象と同じようには、この小説を読めないというか、彼がこの小説の評価に与えた影響についても想像してしまうのですが、この小説がどれだけ「歴史的真実」なのかは、さておき、

無関心だった、それゆえ幼い子どもたちの犠牲を見逃してしまったという良心の呵責は、モーリヤックだけでなく、ヴィーゼルの『夜』の主題のひとつです。

『夜』の2007年の「新版」には、さらに、ヴィーゼル自身による、やはり「長い」序文があり、そこには『そして世界は黙っていた』という表題のもと、最初にイディッシュ語で書かれたという原稿の記述もありました。

冒頭部分を引用します。

はじめに信仰があった、幼稚ながら。そして信頼があった、空虚ながら。そして幻想があった、危険ながら。

私たちは〈神〉を信じていた、人間に信頼していた、そしてこのように幻想を抱いて生きていた。すなわち、私たちの各人のうちには〈シェキナー〉の炎の聖なる火花が預けられており、私たちはひとりひとり、みずからの目のなかに、また〈魂〉のなかに〈神〉の似姿の反映を宿している、との幻想を。

これは私たちのあらゆる不幸の原因とは言わないまでも、その源泉であった。


下記は、『夜』第一章、冒頭部分の要約

ヴィーゼルの故郷、シゲットに住む、道化のように不器用で、口数が少なく、よく歌を歌い、夢見るような大きな目をした男 ー 《堂守りのモシェ》

ヴィーゼル少年は、シゲットの町を裸足で歩く《堂守りのモシェ》から、何時間も「カバラー」(ユダヤ教の神秘思想)について聞いた。少年は彼が好きだった。しかし、ある日《堂守りのモシェ》は、ハンガリーの憲兵によって家畜用の貨車に詰め込まれ、その列車はかなたに消え去った。外国から来たユダヤ人はシゲットから放逐されることになったのだ。移送囚たちのことはすぐに忘れ去られた。何ヶ月かが過ぎ去り、生活がいつしか平常通りに戻った頃、《堂守りのモシェ》は、会堂の入り口そばに坐っていた。

移送囚を乗せた列車は、ハンガリーを越えてポーランド領に入ってから、ゲシュタポの手にゆだねられたのであった。列車はそこで止まり、、

《堂守りのモシェ》は、とにかく逃亡に成功した。しかし、彼はすっかり変わってしまっていた。

彼の目にはもう喜びが映っていなかった。彼はもう歌わなくなった。〈神〉のことも〈カバラー〉のことも話してくれなくなり、自分の見てきたことだけを話した。そして、人々は彼の話を本気にするどころか耳を貸そうともしなかった。

「ユダヤ人のみなさん、私の言うことを聞いてください。お願いするのは、ただそれだけです。金もいりません。憐れみもいりません。ただどうか話を聞いてください」彼は薄明の祈りから夕べの祈りまでのあいだ、会堂の中でそう叫んでいた。

「あんたにはわからないんだよ」と、彼は絶望をこめて言った「あんたにはわかりっこないんだ。おれは助かった、奇跡的に。首尾よくここまで戻ってくることができた... 」

1942年の末ごろのことだった。

わたしたちは、ヒトラーが我々を絶滅する意志があるのかどうかさえ、疑っていた。それゆえ人々は、あらゆることに、戦略に、外交に、政治に、シオニズムに、関心を寄せていながら自分自身の境遇には無関心だったのである。《堂守りのモシェ》すらもう黙っていた。話し疲れたのであった。彼は目を伏せ、背中を屈め、人々に目を向けないようにしながら会堂内や通りをさまよい歩いていた。(要約終了)

有名なヴィーゼルの言葉

人々の無関心は、常に攻撃者の利益になることを忘れてはいけない

今日我々は知っている。
愛の反対は憎しみではない。
無関心である。
信頼の反対は傲慢ではない。
無関心である。
文化の反対は無知ではない。
無関心である。
芸術の反対は醜さではない。
無関心である。
平和の反対は、平和と戦争に対する無関心である。
無関心が悪なのである。
無関心は精神の牢獄であり、我々の魂の辱めなのだ。



シュムリーが、マイモニデスや聖書から考えを述べているときとは異なり、ヴィーゼルはユダヤ民族の王子で、私の最も偉大なヒーローだと熱く語っている感情が少し伝わったでしょうか。ヴィーゼルの『夜』は、すでに現代ユダヤ教の聖書に組み込まれているかのようです。

しかし、ユダヤ教では「悪魔」はいないと書かれていて、

その記述ゆえ、シュムリーは人間であるヒトラーを「心の底から邪悪」で「絶対に矯正不可能」な「絶対悪」とする事実を際限なく求めてしまう・・・

シュムリーは、MJが自分なら「ヒトラーの心だって変えられる」と言ったとき、そこに1人の《堂守りのモシェ》を見たでしょう。

しかし、MJは、

僕たちはいろいろ話して来たけれど、はっきりさせておきたいことがある。のあとに、

ユダヤ教が教えとして「悪魔」はいないと記した意味は、そうではないのではないか。と、シュムリーに話すつもりだったのではないでしょうか。


☆「Heal The Kids”とは何だったのか」に続く


◎以下は参考資料

☆ヴィーゼルの講演(10:45~ヴィーゼル登場)
私には、彼が何を言っているのかはまったくわかりませんが
観衆に何度も笑いを起こさせる力があり、彼の講演が魅力的なことが伝わります。
◎[動画]An Evening with Elie Wiesel

☆オプラ・ウィンフリーが、ヴィーゼルとアウシュヴィッツに訪問した番組
◎[動画]Oprah and Elie Weisel at Auscwitz Part 1

◎上記のTV番組のスクリプト

◎LAタイムズに掲載されたイスラエル人歴史家による「イラン攻撃すべし」論説と
それに対する反論、歴史家による再反論の記事(2012年3月18日)

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by yomodalite | 2012-09-07 10:22 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)
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☆黄金律に従おう(註釈2)の続き

エリ・ヴィーゼルは、マイケルが信じている人ではなく、シュムリーが信じているだけなので関係ないと思われるかもしれませんが、

MJのオックスフォード・スピーチは「Heal The Kids」財団のスタートに伴って行なわれたもので、そこには、シュムリー、エリ・ヴィーゼル、シモン・ペレス(イスラエル前首相。MJはペレスの後のシャロン首相にも会っている)、ユリ・ゲラー、エリザベス・テーラー、というユダヤ教メンバーが揃っていました。

そんな中、マイケルが「僕ならヒトラーの心に触れることが出来る」と言っていたことに、私と同じように胸が熱くなって欲しいので、エリ・ヴィーゼルについて、しつこく続けます。


◎[参考記事]『Heal the Kids』 関連(Legend of MoonWalk)


シュムリーが心から心酔し、MJも「マンデラのような人だね」と言ったヴィーゼル、そのヴィーゼルに、もっとも先鋭的な批判をしたのがノーマン・フィンケルスタイン!!

この2人の本を、自分がユダヤ人だったらどちらを支持するか?
という視点で考えてみませんか。

ちなみに、2人はともにアシュケナージ(白人系ユダヤ人)で、年齢差はあるものの甲乙つけがたい(いかにも学者風の眉間のしわや、その額にかかる銀髪を掻き揚げる仕草とか、高い鼻がたまらないと思うような女子にとっては…w )魅力があり、カリスマ性も申し分ないと思います。

まずは、フィンケルスタインから。


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フィンケルスタインの『ホロコースト産業』は、

ユダヤ人で、収容所から生還した両親をもつフィンケルスタインによる、同胞の創りだした「ホロコースト神話」から発生した様々な問題点をあぶり出した画期的な著作で、

イスラエルやアメリカのユダヤ人団体が、イスラエルの軍事的優位が明白になった1967年以降、ナチによるホロコーストを突然思い出し、ホロコースト生還者の定義を拡大させ、そのことを理由に過大な賠償請求を行っているとした上で、

受け取った賠償金をホロコースト生還者へ適切に分配せず、自らの事業に流用するなどして私物化しているとも批判し、また、米国政府を動かしてスイスから多額の補償金をゆすりとった経過を分析し、2000年に出版。米国国内では完全に黙殺されたものの、世界各国で大きな反響を呼んだ本。

ユダヤ人以外の著者が書いた、読んでいると知らず知らずのうちに脳が単純化される「ユダヤ陰謀論本」(主にイルミナティを悪魔や宇宙人として描く本で、教養の低いクリスチャンを対象に書かれているため、その稚拙さから権力者には何の打撃も与えず、有名芸能人や罪のない多くのユダヤ人を貶める役割だけは大いに果たしているもの)と違い、

本書は、読むだけで、頭が良くなったような錯覚をしてしまうほど切れ味鋭く、フィンケルスタインは「陰謀論」に関してこう述べています。

いわゆる「陰謀論」なるものは、それ自体ここで改めて語る価値のないものだ。しかし、だからと言って、現実の世界で個人や機関が戦略をめぐらせたり陰謀を企てたりすることがないということにはならない。そんなことを信じるのは、巨大な陰謀組織が世界のできごとを操作していると信じるのと同じぐらい子供じみている。

アダム・スミスは『国富論』で、資本家は気晴らしや娯楽の場さえ滅多に顔を合わせないが、交流すれば結局は、大衆に対する陰謀ないし物価値上げの策略となる」この一文でもって、スミスの古典を「陰謀論」と呼ぶ者がいるだろうか。ところが現実には、事実を「政治的に正しくない」やり方で並べたものがあった場合には、その信用を失墜させるための用語として「陰謀論」という言葉が見境なく使われている。

したがって、強力なアメリカ・ユダヤの組織、機関、個人がクリントン政権と手を組んでスイスの銀行に攻撃を仕掛けたと主張することは、明らかな陰謀論とされる(反ユダヤ主義という批判は言わずもがな、だ)。だが、スイスの銀行が共謀してナチ・ホロコーストのユダヤ人生還者とその相続者を攻撃したと主張することは、陰謀論だとは言われない。(本書の序章より)

☆ホロコースト史の第一人者ラウル・ヒルバーグと、オックスフォード大学のアビ・シュライム教授、ともにユダヤ人学者による、フィンケルスタインの終身在職拒否について

◎[動画]フィンケルスタインはなぜ大学から終身在職を拒否されたか


本書の引用を続けます。

(ヴィーゼルを中心に省略して引用)

序論「ユダヤ人以外の苦しみに心を開くべき時が来ている」

本書はホロコースト産業を分析し、告発するためのものである。(中略)ザ・ホロコーストは、各個人による恣意的なものではなく、内的に首尾一貫した構造物である。その中心教義は、重大な政治的、階級的利益を支えている。実際に、ザ・ホロコーストがイデオロギー兵器として必要不可欠であることは、すでに証明済みだ。これを利用することで、世界でもっとも強力な軍事国家のひとつが、その恐るべき人権蹂躙の歴史にもかかわらず「犠牲者」国家の役どころを手に入れているし、合衆国でもっとも成功した民族グループが同様に「犠牲者」としての地位を獲得している。

この犠牲者は途方もない配当を生み出している。その最たるものが、批判に対する免疫性だ。しかも、この免疫性を享受している者は皆ご多分に漏れず、道徳的腐敗を免れていないと言ってよい。この点から見て、エリ・ヴィーゼルがホロコーストの公式通訳者として活動していることは偶然ではない。彼の地位がその人道的活動や文学的才能によって得られたものでないことは明白だ。

ヴィーゼルが指導的役割を演じていられるのは、むしろ、彼がザ・ホロコーストの教義を誤りなく言語化しているからであり、そのことによって、ザ・ホロコーストの基礎となる利益を支えているからである。(中略)

私の両親は、ワルシャワ・ゲットーとナチ強制収容所からの生還者だった。両親以外の親族は、父方も母方もすべてナチに殺された。(中略)私の両親は、死ぬまで毎日のようにそれぞれの過去を追体験していたが、晩年には、大衆向けの見せ物としてのザ・ホロコーストにまったく関心をしめさなくなっていた。

父の親友にアウシュヴィッツの収容所仲間がいた。買収など考えられない左翼の理想主義者で、戦後のドイツからの補償金も信念に基づいて受け取りを拒否していたのだが、最後にはイスラエルのホロコースト博物館「ヤド・ヴァシェム」の館長になった。

父は心から失望し、最後にはこう言ったーーあいつもホロコースト産業に買収された、権力と金のために信念を曲げたのだと。(中略)両親はよく、ナチの大量殺戮をでっちあげたり利用したりすることについて、なぜ私がこれほど憤るのかわからないと言っていた。

いちばん分りやすい答えは、それがイスラエル国の犯罪的な政策と、その政策へのアメリカの支持を正当化するために使われているから、ということだ。(中略)ホロコースト産業の今のキャンペーンは「困窮するホロコースト犠牲者」の名の下にヨーロッパから金をむしり取るためのものであり、彼らの道徳レベルはモンテカルロのカジノの水準にまで低下してしまっている。


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「第2章・ホロコーストの唯一性をめぐる議論の不毛さ」


ホロコーストの唯一性という主張から、ザ・ホロコーストは合理的に理解不能だという主張までは、ほんの一飛びだ。ザ・ホロコーストが歴史に前例のないものなら、それは歴史を越えたものであり、したがって歴史によって把握できないものである。

まさにホロコーストは、説明不能であるが故に唯一無二であり、唯一無二であるが故に説明不能なのである。

ノヴィックはこれを「ホロコーストの神聖化」と揶揄したが、この神秘化を誰よりもさかんに行なっているのがエリ・ヴィーゼルだ。

ヴィーゼルにとってのザ・ホロコーストは、事実上の「神秘」宗教である、というノヴィックの見解は正しい。よってヴィーゼルは朗誦する ーー

ホロコーストは「暗闇へと導き」「すべての解答を否定し」「歴史を越えてとは言わぬまでも、少なくとも歴史の外にあり」「認識も描写も拒絶し」「説明も視覚化もできず」「理解も伝達も決してできない」ものであり、「歴史の破壊」と「宇宙規模での有為転変」を印するものである。その神秘を垣間みることができるのは、生還者という名の聖職者(=ヴィーゼル)のみである。

しかし ーー とヴィーゼルは明言する ーー ザ・ホロコーストの神秘は「伝達不可能であり」「それについて語ることさえできない」。こうしてヴィーゼルは、通常25000ドルの講演料をもらい、運転付きのリムジンで送り迎えを受けながら、アウシュビッツの「真実」という「神秘は沈黙の中にある」と語るのである。

この見方では、ザ・ホロコーストを合理的に理解することは、突き詰めていけば、ザ・ホロコーストを否定することになる。合理性によってザ・ホロコーストの唯一性と神秘性が否定されるからだ。さらに、ザ・ホロコーストをそれ以外の苦しみと比較することも、ヴィーゼルにとっては「ユダヤ人の歴史に対する全面的裏切り」となる。

数年前にニューヨークのあるタブロイド紙がパロディで、「マイケル・ジャクソン、6000万人と核ホロコーストで死亡」という見出しを載せた。するとヴィーゼルは、「昨日起こったことをホロコーストと呼ぶ神経が分らないホロコーストは一つしかない…」と投書欄に激しい声を寄せた。

また、新しい回想録では、

「アウシュヴィッツとヒロシマは20世紀の “2つのホロコースト” 」だと躊躇なく発言したイスラエルの元首相シモン・ペレス(Shimon Peres)を「言ってはならないことを言った」と非難している。

ヴィーゼルお気に入りの決め文句は「ホロコーストの普遍性はその唯一性にある」だ。しかし、比較も理解もできない唯一無二のザ・ホロコーストが、どうすれば普遍的な次元を持つというのだろう。(p57 中略)

もし、エリ・ヴィーゼルが「解釈の第一人者」でなかったら、「アメリカでのホロコーストをめぐる議論はどうなっていただろう」答えを見つけるのは難しくない。ヴィーゼルは、そのイデオロギー的有用性という機能において傑出していた。

ユダヤ人の苦しみの唯一性、永遠に有罪の異教徒と永遠に無罪のユダヤ人、無条件でのイスラエル擁護と無条件でのユダヤ人利益擁護 ー エリ・ヴィーゼルはザ・ホロコーストそのものなのである。

(p63 引用終了)

読書でも映画でも、突如として、MJが登場して驚くことが多いのですけど・・。また、このヴィーゼルが言ってる「昨日起こったこと」って翌日が911だった、30thのこと? でも、911のときに、そんなパロディ無理だよね?。。


次は、ヴィーゼルの魅力について語りたいと思います。

☆「エリ・ヴィーゼル Part 2」に続く


◎以下は参考資料

☆ユダヤ人監督による、MJを「反ユダヤ」だと非難した「ADL」の実体と、
現在の「反ユダヤ主義」やイスラエルを描いた傑作ドキュメンタリ。
イスラエルの少年少女たちが、マイダネク(アウシュヴィッツに次ぐ規模の収容所)
を訪問する様子や、フィンケルスタイン、ミアシャイマー&ウォルトも
その4から登場しますが、ヴィーゼルは登場しません。

◎[映画Defamation]ユダヤ人と名誉毀損 反ユダヤ主義の実体 その1
◎[映画Defamation]ユダヤ人と名誉毀損 反ユダヤ主義の実体 その2
◎[映画Defamation]ユダヤ人と名誉毀損 反ユダヤ主義の実体 その3

(5:25~フィンケルスタインも登場)
◎[映画Defamation]ユダヤ人と名誉毀損 反ユダヤ主義の実体 その4

(8:12~)ミアシャイマー登場。(12:24)~フィンケルスタイン
◎[映画Defamation]ユダヤ人と名誉毀損 反ユダヤ主義の実体 その5

◎[映画Defamation]ユダヤ人と名誉毀損 反ユダヤ主義の実体 その6(終)

◎[参考記事]アメリカの分裂したユダヤ人

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by yomodalite | 2012-09-05 21:21 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)
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☆黄金律に従おう(註釈1)の続き

それぞれの宗教には、それぞれ問題点もあって、厄介な部分も多いですが「God」を持たない、日本人にとって一番の問題は「黄金律」を共有していないことかもしれません。

また、(註釈1)で、マイモニデスに執着したのは、MJの信念が青い理想からではなく、歴史への深い理解を背景にしているということを紹介したかったからだけでなく、シュムリーのヴィーゼルへの傾倒についても、マイモニデスから考えてみたいという気持ちが芽生えたからで、

(註釈2)は、その他へのツッコミと、どうして「そんなにヴィーゼル?」について、ほんのちょっぴり。。

☆註4、☆註5

MJ:僕も悪魔は非常に邪悪だと思う。悪魔はこの部屋や世界中の裏側に潜んでいて、彼らは本当に忙しい。みんなゲイになってしまうし、同じようなことをしている女性もいる。だから、僕は悪魔は人の心の中にいると思うんだ。

シュムリーは、この後、マイケルにが「ゲイへの偏見はない」と真面目に擁護してくれちゃってますけど、、

(SB註:マイケルのゲイへのコメントについて。私が思うに、マイケルは自分が見た世界を表現したのではなく、すべてを悪魔の責任にしようとする人々が言うことを、言い換えて表現したのだと思う。マイケルが同性愛嫌悪の意見を言うことを、私は一度も聞いたことがないし、彼はそのような性格ではまったくない。彼はときどき、出会った男性が同性愛者かどうかを当てるゲームをしていたが、それは、悪魔的かどうかというような判断ではなく、彼らが自分に対して慕ってくるかどうかに基づいていた)

MJは、シュムリーが「devil」という言葉は使わないものの、骨の髄から「絶対悪」を強調するので、普通の人の中にある「天使と悪魔」を表現したんであって、一般的に旧約聖書に書いてあると思われているゲイへの偏見に対し、それが本当なら、現代の悪魔はめちゃめちゃ忙しいし、マンツーマン指導か(笑)っていうジョークだって、わかるってば!!

◎こちらのキリスト教会(プロテスタント)では、聖書には同性愛が禁じられているとは書いてないという詳しい説明があります。

シュムリーの教会でも、上記と大体同じような解釈なんでしょうか?

でも、世の中にはどこかの圧力団体が成功した手口をまねて、何かに付けてケチをつける機会を狙っている団体がいっぱいあるので、擁護してくれたことには感謝します。


☆註6

MJ:マリリン・マンソンはステージで「神を殺せ!聖書を引き裂け…」と言ってるけど、メディアは彼を攻撃しない。彼がまるで女性のような胸をしていてもね…

マンソンについて詳しくないのですが、MJはマンソンの批判をしているのではなく、対象によって「基準」を変える、メディアの欺瞞を批判しているんだと思います。

また、マンソンのように、宗教団体から批判されるようなパフォーマンスに対して、メディアが批判しないのは、マンソンの反抗精神が体制に脅威を与えないからで、MJが嫌われたのは、彼が本質的な部分で、自分が所属する「体制」や「偽善」や「悪」をついてくることへの嫌悪からでしょう。

『Man in the MIllor』に感動した人であっても、自分を振り返るより、他人を責める方が何千倍も楽ですし、利益になりますからね。本質的に批判することが難しいと感じると、根拠のない人格批判とか「レッテル張り」で貶めようとするのは、マスメディアに限りませんよね。


☆註7、註8

僕たちはいろいろ話して来たけれど、はっきりさせておきたいことがある。イエスは、ある人々を右におき、また、ある人々を左において「終末の日」に、左側の人々が地獄に飲み込まれて永遠に罰を与えられる。

それは、フェアじゃないんじゃないかな?この世界には善良な人々がたくさんいて、どんな宗教でも、どんな人種でも何の問題もない。もし、この世界に、真実、本物の天国と言えるような「審判」があったとしたら、ヒトラーがしたようなことを、彼が長い間、罰せられることなく出来たはずがないだろう。
(この後の部分も含めて)

MJはカルマを否定し、キリスト教や、多くのスピリチュアル思想にも見られる「審判」も否定した後に、シュムリーに、ふたりの同意点を確認しようとしていますが、シュムリーはなぜか、ヴィーゼルの話にもっていこうとしています。

SB : 私たちはエリ・ヴィーゼルと共に、大勢の子供たちが亡くなったアウシュヴィッツに行く日が来るだろう。それは心に強い印象を残す。彼の『夜』という本を読むべきだ。彼の本は20世紀で最も影響力のある1冊だ。アウシュビッツにいた頃、彼は16歳だった。ウイーゼルは、世界一有名なホロコーストからの生還者だ。

これは「東大話法」の規則4、

(自分に)都合のよいことがない場合には、関係のない話をしてお茶を濁す。

というよりは、

マイケルが本質的なところをついて来たので、本能的に自分の世界に「逃避」しようとしているんでしょう。

シュムリーは、MJがヴィーゼルを読んでいない前提で話していて、未読の読者に「ノーベル平和賞」などの先入観を植え付けようとしてますけど、ここまでのMJの考え方から想像すると、彼がユダヤ教を学ぼうとした時点で、現在のアメリカン・ユダヤに多大な影響を与えている、ヴィーゼルの主著を読んでいないとは、私には思えません。(ヴィーゼルの平和賞受賞は1986年)

◎[Wikipedia]エリ・ヴィーゼル

また、以前『夜』を読んだ印象からは、シュムリーが、ヴィーゼルをそこまで重要視する理由がわからなかったのですが、この会話を読んで、再度『夜』を読み直してみて、MJの問いかけから、シュムリーがヴィーゼルの話に繋げたのは、ヴィーゼルとホロコーストが、現代ユダヤ教にとって「神秘思想」になっているからだと思いました。


☆「エリ・ヴィーゼル Part 1」に続く

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by yomodalite | 2012-09-04 14:15 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)
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☆黄金律に従おう『The Michael Jackson Tapes』の続き

カルマを完全に否定したことも、ここで、あらためて正義を信じないと言いきったのも、MJがこれほど信念を持っているのは、彼が「思想」レベルで物事を考えているからで、この会話は、彼の2万冊におよぶ読書がどのようなものだったかが透けて見えるような内容だと思いました。

そして、この会話の後に起こった裁判のときの態度も、言葉だけではなく、全身でそれを表現するものだったと思います。

人種差別、宗教、反ユダヤ主義[1]で、シュムリーは「マイケルはユダヤ人に直感的に親近感を抱いていた」と言っていました。それは裏を返せば、シュムリーが、MJに親近感を抱いていたということだと思いますが、2人の「正義」に関する考え方には、かなりの隔たりがあるようです。

正直なところ、シュムリーの「ホロコースト絶対主義」による、度を超えたユダヤ擁護を聞いていると、わたしもちょっぴり「反ユダヤ」的な心情に傾いてしまいそうになるのですが、、

MJは人種で差別することは絶対にするべきではないということを「理想主義」でなく「現実主義」として語ろうとし、また、シュムリーは、人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]で「MJが、ヒトラーのような邪悪な人間を許すことができるのは、彼が純真だから」と言っていますが、私には、MJの考えは歴史をよく学んでいるからとしか思えません。

信仰者が少ない日本では、宗教と言えば「魂の救済」という印象が強いですが、歴史好きのMJからは、宗教の、思想、法律、政治のツールとしての視点が強く感じられます。

彼の固い信念がどのように育まれたかについて、多少でもお届けしたいという気持から、少々メンドクサイ感じのことを書いちゃいますけど、、、

夜露死苦っ!


☆註1

SB:君は、正しいことをした人には報酬が与えられ、犯罪者は罰せられるべきだと思わないの?善良な人は繁栄し、悪人は失脚し落ちぶれるべきだとは思わないということ?

ほとんどのMJファンでも、MJではなく、シュムリーと同じく「正しいことをした人には報酬が与えられ、犯罪者は罰せられるべき… 」と考えていませんか? そして、そうでなければ、人類も、地球の未来もないと考えていませんか?

これに関して、下記も含め、今後もなんとかMJの考えを「解説」したいと思っているんですが、、、

☆註2、3

A famous Jewish philosopher named Maimonedes said "Habit becomes second nature" and they have done. They become evil.

SB:有名なユダヤ人の哲学者マイモニデスは言った。「習慣は第二の天性なり」


"Habit becomes second nature" で、検索すると、カバラー(ひと言でいうと、ユダヤ教の伝統的神秘思想)系のサイトが上位に並び、私の訳語「習慣は第二の天性なり」で日本語検索すると、この言葉は、古代ギリシャの哲学者・ディオゲネス(Diogenes)の言葉として紹介されていることが多いようです。

ディオゲネスは、紀元前412年 - 紀元前323年の人で、マイモニデスは、1135年 - 1204年なので、オリジナルは、やはりディオゲネスの可能性の方が高いのかもしれません。

わたしが、ここまでに仕入れた知識をもとに、たぶん、こうなんじゃないかなぁというレベルで、話を進めると、

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は「聖書」を同じくする宗教で、ユダヤ教は旧約聖書をバイブルとし、キリスト教は、旧約聖書と新約聖書の2つをバイブルとしていますが、ユダヤ教では新約聖書を認めておらず、旧約聖書の編集内容も異なっていて、ユダヤ教では、聖書は『タナハ』『ミクラ』と言い、

『タナハ』は、下記の3つで、それぞれの頭文字「TNK」に母音を付けて、タナハと呼ばれている。

・トーラー(「モーセの五書」と呼ばれる。Torah)
・ネイビーム(預言者。Nevim)
・クトビーム(諸書。ヨブ記、箴言、ダニエル書を含む11巻が含まれる。Ketubim)

マイモニデスは「中世の最も偉大なユダヤ哲学者」と呼ばれている人なんですが、彼の著作でもっとも有名なのは『迷える者たちへの導きの書』(「迷える者の手引き」)で、この著書により、彼はユダヤ教にアリストテレス主義(事物や物事にはすべて原因と結果がある)を導入したと言われています。

◎アリストテレス(紀元前384年 - 紀元前322年)Aristoteles
◎マイモニデス(1135年 - 1204年)Moises Maimonides

これは、現実主義(リアリズム)の元祖であるアリストテレスの支持者たちによる、一神教批判に対し、神の実在は証明可能で、アリストテレスの論理によって証明可能である。とする思想書で、ギリシャ哲学とユダヤ教神学との調和を目指したもの。

シュムリーが「正義判断」に関して、審判にとても熱心なのは、この物事にはすべて「原因」と「結果」があるという考えから来ていて、それは、彼の神の存在意義にも関わる根幹です。

アリストテレスは、イスラム教にも大きな影響を与え、また、ダンテの『神曲』にも多大な影響を与えていて、3大宗教は、それぞれ「聖書」を、どう現実にあわせていくかを巡って、工夫をこらしているというか、苦悩していくわけですが、

ユダヤ教よりも早くから、アリストテレスの影響が大きかったイスラム教と、マイモニデスによって、リアリズムが導入されたユダヤ教は「拝金」を肯定し、合理主義思想に傾いていくのですが、キリスト教はそこにもっとも苦悩し、今に至るまで「合理主義」を教義に導入できないようです。

マイモニデスの話に戻りますが、

ユダヤ教では、タナハ(聖書)の中の「トーラー」(モーセの五書)以外に、他にも「タルムード」というものがあって、これは現実の生活を規律する書で、その基本部分を「ミシュナ」と言うらしく、そのミシュナ形式で書かれ、従来の膨大なユダヤ法に関する諸資料を体系的に分類し、かつ法典化したものが、

マイモニデスが書いた「ミシュネー・トーラー」

ですから、マイモニデスは哲学書『迷える者たちへの導きの書』を書いて、それを立法化し、ユダヤ教の「聖書」に組み込んだ人なんですね。

そんなわけなので、色々余計なことまで書きましたが、シュムリーが、 "Habit becomes second nature" を、マイモニデスの言葉と言ったのは、間違いとは言えないというか、たぶん「ミシュネー・トーラー」にそういった記述があるからでしょう。

さらに、その件には関係ないのですが、

当時、マイモニデスはアラビア語でこれを書いたので、セム語圏にはすぐ伝わりました。当時の知識人層の言葉はアラビア語で、ここから、ヘブライ語 → ラテン語 → と聖書は翻訳されていったので、当時のローマでは、聖書は教会関係者しか読むことが出来ず(というか、教会関係者もあまり読めなかった可能性がある)、

これを、マルティン・ルター(1483年 - 1546年)がドイツ語に翻訳したことで、初めて市民層に広がり、これまでの「聖書の嘘」への怒りによって、宗教革命が起きる。

それが「プロテスタント」の始まりで、新約聖書しか信じない!はずだったんだけど、教会の権力はスゴいので、折衷しているうちに、キリスト教は教義としては整合性にかけ、矛盾が多いものとなっていく。

一般的に、3大宗教は、イスラム教がもっとも新しく、預言者として一番新しいのもムハンマド(マホメッド)だと思われていますが、

・ムハンマド(570年頃 - 632年 別名、マホメッド、モハメッド)
・マイモニデス(1135年 - 1204年)
・マルティン・ルター(1483年 - 1546年)

と考えれば、キリスト教が、もっとも発展途上にあり、文化的にも未熟であると考えられなくもないでしょう。

『米国 ユダヤ キリスト教の真実』という本から引用します(省略・要約して引用)

私が、Enlightenmentに「啓蒙」という公式の訳語をつけないのは、この訳語が「Enlightenment(エンライトメント)」の思想詩的な意味をまったく伝えていないからです。Enlightenmentの文字通りの意味は、闇に「灯り」をともし、明るくすることです。権力化したキリスト教のもと、理性的思考が抑えられ、恐怖だけが支配していた闇を吹き飛ばし、フランス革命を実現して、世界を近代に変えたのが Enlightenment です。その内容から見て「理性革命」と訳すことにします。

(yomodalite註:フリーメーソン、イルミナティもこの流れから生まれたものです)

理性は、世界中の人間が本来持っているもので、宗教的な精神操作で抑圧されない限り、自律的に発達します。それはギリシャ時代には、一つの頂点に達し、それに続くローマ帝国時代にも「ヘレニズム」(ギリシャの意味)文化として頼もしい発展をしました。

この「自然な理性」がほとんど突然に断ち切られるのは「キリスト教の一宗派」だけを絶対化し、他を消滅させるために開かれた「ニケア宗教会議」で、ここで、三位一体を絶対の信仰とすることが定められました。この「三位一体信仰」に徹するには、徹底して理性を抑圧する必要がありました。

ギリシャ時代の「理性的哲学者」の文献はすべて破壊し尽くされました。今残っているのは、イスラム世界から近世になって移入されたものです。(中略)

スファラディと呼ばれるユダヤ人はイスラムの人々と平和共存し、イスラム世界の物資や文化をヨーロッパに仲介導入する役を果たしていました。仲介として果たした最も大きな役割は、ギリシャ文化の原典をイタリアに伝え「ルネッサンス」が起こる手助けをしたことです。(引用終了。p94~96)


この章に直接関係しない部分も含めて引用しましたが、MJがどうしてあんなにもミケランジェロが好きだったのか?についての重要ポイントなので… 

中世ヨーロッパのキリスト教、主にカトリック教会の国々が、聖地エルサレムをイスラム教国から奪還することを目的に派遣した「十字軍」の最初は、1096年 – 1099年で(諸説ありますが)、最後が、1271年 - 1272年。

これらの戦争は、もし兵士が聖書を読めていたら起こらなかったのではないでしょうか。

圧政に苦しむ民の不満を、常に他国へと向けるという権力者の戦略は、今現在もまったく変わっておらず、どーゆーわけだか、日本でも、原発を落とした国を憎むより、隣国と争うように常に仕向けられていたり、宗教が政治にもっとも利用されている米国では、今も十字軍のようなことが続けられていますが、

「反ユダヤ」の起源も「十字軍」遠征から始まったようですが、現在のアメリカ・ユダヤによる「イスラエル政策」も、これの裏返しかもしれません。

ユダヤ人のタルムードには、異国の民は「ゴイム」(家畜、豚、獣などと訳されている)と記されていると「反ユダヤ」の人はよく主張しますが、それが事実だとしても、

日本人が「鬼畜米英」と言っていたこととどこが違うのでしょう?

米国が、日本人を「ゴイム」と思っていなかったら、無差別の空爆や、原爆投下が出来ると思いますか?

私には、ユダヤ人をかばう理由は何もありませんが、書いてあって実行しているなら、それは「正直」であって、まったく正反対のことが書かれているのに、やってることが同じなら、それは「大嘘つき」で「偽善者」ですが、実体としても、多くのキリスト教会で、中世から、現在まで、ユダヤ人を「ジーザス・キラー」と教えてきました。

MJが「正義」の心は大事だけど、正義判断は信用しないと言っているのは、自分の正義を人が判断する必要はないということで、正義は神とは関係ないという考えです。また歴史を冷静に遡ってみて、対立しているどの場面においても「絶対悪」が存在しなかったことが、よくわかるからでしょう。

十字軍はいずれの戦いにも破れ、エルサレム奪還という目的にも「正義」はありませんでした。キリスト教の合理思想への嫌悪と「正義」への執着は、このあたりに「トラウマ」があるのかもしれません。

一方、最初の「律法」を作ったのはセム族ですし、あらゆる正義判断のために、さまざまな「法律」が必要ですが、法律にはそれを創る「技術力」というものが必要です。正義に絶対的な「正しさ」を求めてしまう人に天秤を調整するということはできませんからね。

またまた、マイモニデスの話に戻りますが、

ユダヤ教が、これまで現代思想を取り込むことにあまり躊躇せず、ラビの学者としての性格を重要視したのも、聖書を、ラビの柔軟な知性によって読み解くというマイモニデスからの影響が強いからだと思います。

中世キリスト教の暗黒と比較すると、ユダヤ教では、当時の世界一の哲学者による考えが「聖書」に反映されましたが、一方、キリスト教では「三位一体」信仰により、多くの科学者、思想家が「無神論者」「反キリスト」と厳しい批判を受けました。

MJの神の考え方は、そういったキリスト教会に激しく批判されてきたスピノザや、ニーチェの思想に近く、

また、教会の意向は、芸術家の仕事にも強い影響を与えていましたが、それに反旗を翻し、ギリシャの神々を復活させようとしたのが、

MJが常に意識して来たミケランジェロです。

MJがミケランジェロこよなく愛し、自分の作品を「システィナ礼拝堂」と比較するように創って来たことが、彼のカルマや正義に関する考えと繋がっていて、彼の考えが「ブレない」のは、彼が子供っぽく理想を語っているからではなく、深い歴史への洞察によるものだということを、ちょっぴり説明したくて、

マイモニデスの註期が長くなってしまいました。

☆黄金律に従おう(註釈2)に続く。



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by yomodalite | 2012-09-02 14:52 | マイケルと神について | Trackback | Comments(2)
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☆人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]『The Michael Jackson Tapes』と、
☆人種差別、宗教、反ユダヤ主義(註釈)の続き

Happy Birthday!!! のページをたくさん見てくださってありがとうございます! 

引きつづき『The Michael Jackson Tapes』の和訳ですが、「Jehovh's Witnesses years and Religion」は、今回の章で終了です。

Following the Golden Rule ー With All People
黄金律に従おう


P.128~

SB:Let's get back to Jusitice. When you see so many injustices with no recourse to justice, when people are killed and their murderer is never found, when garbage is written about you continue to believe in justice?

MJ:I don't believe in justice. I believe in it but I don't believe that…

英文表記はここまでで省略。本をお持ちの方は、和訳の内容をご確認のうえ、気になる点や間違いは、遠慮なくご指摘くださいませ。途中ポイントになるような箇所のみ、英文も併記しました。


SB:正義の話に戻ろう。君は、多くの不正が放置されていたり、人が殺されても、殺害者が見つからなかったり、また、君についてのゴミのような記事が書かれていても、正義を信じ続けることが出来ると思う?

MJ:僕は正義は信じてない。正義は信じているんだけど、司法の「正義判断」は信じていないんだ…

SB:君は、正しいことをした人には報酬が与えられ、犯罪者は罰せられるべきだと思わないの?善良な人は繁栄し、悪人は失脚し落ちぶれるべきだとは思わないということ?(☆註1)

All these are man - made things. I think evil is in people's hearts. This is where you and I might disagree. I don't think there is some devil out there manipulating our thoughts. That is what I was taught.

MJ:そういったことは、すべて人が創ったことだよ。僕は悪(evil)は人々の心の中にあると思う。この件に関して、君と僕とでは意見が違うだろうけど。僕は悪魔(devil)が外側から、僕たちの心を操っているとは考えない。これは僕が教えられたことだけどね。

SB:ユダヤ教では、悪魔(devil)という存在は信じられていない。したがって、私たちは君の考えにそれほど反対はしない。ただ、私たちと異なるのは、非常に有害なことをする人々は、その悪事を自分の内側に取り入れて自分のものとしていく。だから最初は邪悪な行為をしただけかもしれないが、そのうち、その人自身が邪悪(evil)な存在になってしまう。有名なユダヤ人の哲学者マイモニデス(☆註2)は言った。「習慣は第二の天性なり」(☆註3)

人は行なったことと同じものになるから、彼らは邪悪であり、ヒトラーのような人間には何も希望もない。そして、誰もが、君でさえも、その法則からは逃れられない。彼らのような人間は、骨の髄まで邪悪なのだ。

MJ:僕も悪魔は非常に邪悪だと思う。悪魔はこの部屋や世界中の裏側に潜んでいて、彼らは本当に忙しい。みんなゲイになってしまうし、同じようなことをしている女性もいる。だから、僕は悪魔は人の心の中にいると思うんだ。(☆註4)

(SB註:マイケルのゲイへのコメントについて。私が思うに、マイケルは自分が見た世界を表現したのではなく、すべてを悪魔の責任にしようとする人々が言うことを、言い換えて表現したのだと思う。マイケルが同性愛嫌悪の意見を言うことを、私は一度も聞いたことがないし、彼はそのような性格ではまったくない。彼はときどき、出会った男性が同性愛者かどうかを当てるゲームをしていたが、それは、悪魔的かどうかというような判断ではなく、彼らが自分に対して慕ってくるかどうかに基づいていた)(☆註5)

SB:こんな残酷な世界で、私たちが正義を信じ続けるためにはどうすればいいと思う?

Follow the Golden Rule. Be kind to your neighbors, love them as much as you would love yourself, do unto others...

MJ:黄金律(☆)に従うこと。隣人に親切に。自分を愛するのと同じように彼らを愛し、他の人にも同じように行なうこと...

☆黄金律(Wikipedia)

SB:君は罪を罰せられることなくうまく逃れようとする人々を見てどう感じるのだろう?怒りを感じない?公平でない卑劣な人々がいるとは思わないの?

MJ:腹が立つよ。だけど、僕は世界にはそういうことがあると知っている。僕のワールドツアーのテーマはこうなんだ。人に親切に、世界を癒そう、ここから違う自分になろう、人を愛そう。それは教会に行くことに似ているけど、僕は説教はしない。僕は音楽とダンスを通してそれを伝えるんだ。

マリリン・マンソンはステージで「神を殺せ!聖書を引き裂け…」と言っているけど、メディアは彼を攻撃しない。彼がまるで女性のような胸をしていてもね…(☆註6)

SB:君は、そういった卑劣な手段で成功したような人々を見て、いつも神に「僕には理解出来ない」と言っているのかな?

No, because I know how feel.

MJ:そうだね。僕にはその気持ちはわからない。

SB:じゃあ、君はそんなときどうするの?

MJ:僕は、世界には善良な人々がいることを信じている。そして、この世界に神が存在していることも信じているけど、神が「審判」を行なうとは思わない。神が降りて来て「あなたは申し分ない。しかし、あなたは引き抜くつもりだ」なんていうことは、僕はしないと思う。

SB:この世界に地獄がないということは、ユダヤ教でも同じだ。罪を洗い清めるための罰はあるけど、永遠に処罰されるような罰はない。

Really? I think that is all beautiful because we were all taught to believe in the devil and Lucifer and the burial ground, where you never get resurrection and judgment.

MJ:本当?それは素晴らしいね。なぜなら、僕たちは(クリスチャン全般を指していると思う)は、悪魔や堕天使(ルシファー)や死後の世界のこと、君は信じないだろうけど、キリストの復活や、審判の日を信じるように教えられてきたからね。

There is a decision being made right now as we talk. Jesus is putting certain people on the right, and when the end of the would comes all those people on the left will be swallowed up and they will be dead forever.

僕たちはいろいろ話して来たけれど、はっきりさせておきたいことがある。イエスは、ある人々を右におき、また、ある人々を左において「終末の日」に、左側の人々が地獄に飲み込まれて永遠に罰を与えられる。(☆註7)

That's not fair is it? There are a lot of beautiful, good people in the world no matter what religion, no matter what race. If there was really such a thing as real true heavenly justice, I don't think Hitler would have got away with what he did as long as he did.

そんなのはフェアじゃないだろう? この世界には善良な人々がたくさんいて、どんな宗教でも、どんな人種でも何の問題もない。もし、この世界に、真実、本物の天国と言えるような「審判」があったとしたら、ヒトラーがしたようなことを、彼が長い間、罰せられることなく出来たはずがない。

Then you get those people who say, " It happened for a reason, to teach the would never to let it happen again. "

それから、こんなことを言う人もいる。「もう二度と、こんなことが起こらないように、人々に教えるために、ホロコーストのような行為が行なわれた」

My foot ! You don't need a million of those little kids to die to teach the would. I am not going for it. They let him get away with it.

そんなばかな!世界に何かの教訓を与えるために、百万もの幼い命が必要だなんてことはない。僕は絶対にそうは思わない。ヒトラーは単にああいうことを、報いを受けることなくやれてしまったっていうことなんだ。

One day when this is over we will get Elie Wiesel to take you to Auschwitz, where so many of those children died. That would be poignant. You have to read his book, Night. His books is one of the most influential books of the twentieth century. He was sixteen years old when he was at Auschwits. He is the most famous Holocaust survivor in the would.

SB : 私たちはエリ・ヴィーゼルと共に、大勢の子供たちが亡くなったアウシュヴィッツに行く日が来るだろう。それは心に強い印象を残す。彼の『夜』という本を読むべきだ。彼の本は20世紀で最も影響力のある1冊だ。アウシュビッツにいた頃、彼は16歳だった。ウイーゼルは、世界一有名なホロコーストからの生還者だ。(☆註8)

(Professor Elie Wiesel is a prince of the Jewish people and one of my greatest heroes. As I mentioned earlier, I introduced Michael to Professor Wiesel, the Nobel Peace Laureate, and they had several meetings.

(SB註:エリ・ヴィーゼル教授は、ユダヤ民族の王子であり、私の最も偉大なヒーローの1人です。前にも言いましたが、私はマイケルをヴィーゼル教授[ノーベル平和賞受賞者]に紹介し、彼らは何度かミーティングを行なった。

Wiesel was my guest over two visits while I was rabbi at Oxford, and we have become close friends. It was my fervent hope that Professor Wiesel would take Michael under his wing, and it was Michael's great honor to have one of the world's foremost humanitarians believe in him for a few months.

ヴィーゼル教授は、私がオックスフォード大学のラビであった期間に、私の元に2度訪れ、私たちは親しい友人になった。ウィーゼル教授の下に、マイケルを連れて行くのは、私の強い希望でもあり、そして、世界一の人道主義者のひとりに、2、3ヵ月の間信頼されたことは、マイケルにとっても大きな名誉でした。

Later, when MIchael got arrested on charges of molestation, I called Professor Wiesel and apologized for vouching for Michael and what I thought to be his sincere intentions to help children. Professor Wiesel once told me that he saw compassion in has always been a wise counselor in my life and I continue to be blessed with his inspiration and guidance.)

その後、マイケルが猥褻行為の罪で逮捕されたとき、私はヴィーゼル教授に電話をして、マイケルと私が子供たちを助けるという考えは、誠実な意図によるものだと説明し、彼の保証人になったことを謝罪しました。ヴィーゼル教授は、かつて、私にとって同情は、常に人生の賢いカウンセラーであり、そのインスピレーションに今でも恵まれ続けていると語りました)


He is not bitter. He is like Mandela in that way.

MJ:ヴィーゼル教授は、冷酷で厳しいというような人ではなく、マンデラのようなタイプだね。

So you don't believe in justice ? You have seen it subverted too many times to believe in it ?

SB:君は正義を信じるには、あまりにも多くの人が罪から逃れるのを見て来たから、それを信じないの?


I believe there should be justice but I don't believe in the justice system. That's what I should say. You have seen the things that go on in the world and how people get away with them.

MJ:僕は正義はなくてはならないと思っている。でも、司法制度は信じてない。それが僕の言いたかったことだよ。世界で進んでいる物事や、それに関わる人々が、そこからどう逃れるか見てきたからね。

The majority of the good people that you have met, have they prospered ?

SB:君が出会ってきた善良な人々の大部分が、それで上手くいくと思う?


Absolutely

MJ:絶対大丈夫!

☆黄金律に従おう(註釈1)に続く



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by yomodalite | 2012-09-01 09:14 | マイケルと神について | Trackback | Comments(22)
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こちらの、とてもとても素敵なブログの方が、これまでにMJが好きだといった曲を、たくさんメモしてくださっていて、すごく興味深く見たのですが(感謝!)、

この、MJ's Favourite music の中で、今まで聞いたことがなかったうえに、聞いた後も、なんだか意外だったのが、BeeGees の How Do You Mend A Broken Heart と、R. Kelly の Ignition に挟まれている、

Pride of Lions の「Gift Of Song」。

ちょっぴり調べてみると、Pride Of Lions は「Eye Of The Tiger」で有名な Survivor のメンバーで、Cheap Trick, Sammy Hagar, REO Speedwagon, The Beach Boys… に曲を書いた、ヒットソングライター、Jim Peterik の現在活動中のバンドみたいです。

◎Jim Peterik(Wikipedia)

Jim Peterik の音楽は、Cheap Trickと、The Beach Boys を除くと、私には苦手なタイプの音楽が多くて、この曲もそんなに好きというわけでもなく、また、他のフェイバリットソングに比べて、一般的にもあまり人気がある曲でもなさそう… でも、そうなると余計に、どうしてMJはこの曲が好きなのかな?と思い出して、、

それに、曲名も、バンド名も「宗教っぽい」というか、日本人にはあまりない感覚が漂ってきたり、また、秘かに探っている「MJのライオン好き」というテーマにも繋がっている気もして、

となると、これは「マイケルと神について」にも関係がありそうな気がしてきて… w、

ちなみに、エホバの証人に改宗した後のプリンスの曲に、" Lion of Judah " という曲があるのですが、 “ユダ族のライオン”とは、イエスのことを指していることが多く、それは旧約聖書の中の、神のみ子について「見よ,ユダ族の者であるライオン」と述べている箇所から来ているようです。

◎Prince "Lion of Judah" lyrics

◎[参考記事]「見よ,ユダ族の者であるライオン」(ものみの塔ライブラリー)
◎[参考記事]「聖書と映画 ナルニア国物語 ライオンと魔女」

ライオンは、イエスという人物を表している場合も多いのですが、

( "Lion of Judah" という曲は、プリンスの曲だけでなく、このタイトルの曲はたくさんあるのですが、その多くは、「Christian Rock」と言われるもの)

古代エジプトのスフィンクス、ギリシャ神話、またアジアでも、スリランカ(ライオン国という意味)、シンガポール(ライオンの都という意味)から、日本に伝わった獅子も、

英国紋章や、英国紋章と同じ「ネヴァーランドの門」にまで、もう、みんな、どんだけライオン好きなの?と日頃から思っていたところ、バンド名が「Pride of Lions」なうえに「gift(神の恵み)」だし、MJがお気に入りだなんて、、

と、つい思ってしまったので、いつものように、ヤバい英語力を駆使してテキトーに訳してみました。日本語部分はご注意の上、間違いや、気になる点は、お気軽にご指摘くださいませ。




The Gift of Song
by Pride of Lions

I place my gift upon the altar
The stage is set, I'm feeling strong
This is the best I have to offer
Share with me this gift of song

ステージの準備はできた。わたしは強い気持ちを感じて、
祭壇の上に贈り物を置くように
自分に与えられた最高のものを、みんなにも贈りたい
この歌という贈り物を


This is my life and here's my story
From the beginning to this day
Music became my road to glory
My saving grace along the way

私の人生、そしてここには私の物語がある
音楽を始めてから、私が歩む道は輝くようになり、
それは、今日まで私の救いだった


Then on that midnight rise to fortune
I was blinded by the footlights of the stage
Now face to face with my reflection
At last the child has come of age

それから、運命は闇夜から上昇していった
ステージでの脚光で、自分を見失うこともあったけど
今は、その反射によって、自分が見えるようになり、
気がつくと、ついに、子供から大人になっていた


I place my gift upon the altar
The stage is set, alone I stand
This is the best I have to offer
Say you'll take me as I am
And I will rise to expectation
Your inspiration keeps me strong
Music's the best I have to offer
Share with me this gift of song

わたしは祭壇の上に贈り物を置くように
ステージの上にひとりで立っている
これは、わたしが贈ることができる最高のもの
あなたは、わたしとともに、立ち上がると言う
あなたのインスピレーションは私を強くし、
音楽という自分に与えられた最高の贈り物を、
みんなにも、歌として届けたいんだ


All of my life I've worn disguises
I fooled so many just like you
I hid behind a false impression
I thought the world could see right through

わたしの人生は、偽りばかりで疲れ果て、
あなたと同じように大勢を馬鹿にしていて、
世界がすっかりわかったような気分で
黙ってみてればいいと思っていたんだ


Now I stand where every eye can find me
Here I stand before you one and all
With all my faults, I'm only human
But in His eyes I'm ten feet tall

今、みんなの眼が自分に向けられたところに、わたしは立っているけど
ここでは、わたしだけでなく、誰もがみんな立っている
わたしは、間違いだらけの、ただのひとりの人間で、
彼(神)から見れば、わたしは、3メートルぐらいの高さにいるだけ


And it all comes down to the message of the sound
It's working the gift that God has given
Serving the muse by which we're driven
It's giving life your best
It's the privilege with which we're blessed
Tonight I am your music
I pray I pass the test

神が与えた贈り物は、音のメッセージとなって、降り注がれる
わたしたちは女神に導かれて、人生最高の時を与えられる
今夜、わたしたちが音楽によって祝福される権利があるのか、
わたしは、そのテストに合格出来るように祈ります


I place my gift upon the altar
The stage is set, alone I stand
This is the best I have to offer
Say you'll take me as I am
Just let me leave you with one melody
The world can sing when I am gone
Music's the best I have to offer
Share with me this gift of song
This gift of song

ステージの準備はできた。わたしは強い気持ちを感じて、
祭壇の上に贈り物を置くように
自分に与えられた最高のものを、みんなにも贈りたい
あなたは、わたしとともに、立ち上がると言う
わたしが、ここを去るとき、
世界が歌うことができるひとつのメロディーを残すことができたら
音楽という自分に与えられた最高の贈り物を、
みんなにも、歌として届けたいんだ



◎[歌詞参照]http://www.maxilyrics.com/


大体の内容がわかったからでしょうか、最初はピンと来なかったんだけど、
やっぱり「名曲」だという気がしてきました。。

MJがイイっていうものに、ホント、弱いなぁ。。(苦笑)



◎黄金律に従おう『The Michael Jackson Tapes』



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by yomodalite | 2012-08-26 13:21 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)
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☆人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]『The Michael Jackson Tapes』の続き

下記は、人種差別、宗教、反ユダヤ主義[1][2]の、註釈 … というか、
私の独自見解とか、感想のようなものです。

☆タイトルの Anti - Semitism について

Anti - Semitism を「反ユダヤ主義」と訳すのは、一般的なんですが、Semitism は、セム族から来ていて、セム族というのは、旧約聖書に由来する言い方で、セム、ハム、ヤペテという、ノアの3人の息子の名前で、伝統的な三大民族の先祖とされています。

セムは黄色人種、ハムは黒人種、ヤペテが白人種という記述がよく見られるのですが、これは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という「God」という神をもつ宗教内の区分なので、セム族は、アラビア人、エチオピア人、ユダヤ人、アッシリア人、フェニキア人といった、セム語系の言語を用いる民族と考えた方がいいと思われます。

でも、現在の語句として、明らかに「セム族主義」ではなくて「ユダヤ主義」なのは、セム族が「キリスト教」「イスラム教」と「ユダヤ教」に分離したことに対して、ユダヤ教に本家意識があることと、

また、ユダヤ人と言われる人々の中には、アシュケナージと言われる「白人種」もいるけど、現代のユダヤ教にとっては、シオニズム(パレスチナ帰還再建運動)に対しての賛否が、もっとも重要な問題のひとつだから、Jewish とか Judaismではなく、反ユダヤ主義の場合、特に「Anti - Semitism」というのかなぁと、私は思っているのですが、違うんでしょうか?(教えてエロい人!)

◎[関連記事]「ユダヤ人とは誰かー第13支族・カザール王国の謎」


☆ユダヤ教・キリスト教・イスラム教…

ユダヤ教から、別れていったキリスト教が、勢力拡大のため、教祖がユダヤ人にも関わらず、本家のユダヤ人を厳しく差別したり、セム族同士であるイスラム教からも、教義の違いから批判され、厳しい立場のユダヤ教なんですが、最も弱点と思われるのは、ユダヤ人のエジプト脱出の物語を起源とするユダヤ教には、民族主義が強すぎて、他民族への布教に向いていない(熱心ではない)という点だと思います。(民族ではないという点を強調し、改宗者も歓迎されていますが…)

その点、キリスト教は、イエスの受難をユダヤ人差別に利用し、ローマ帝国の帝国主義にも、イエスという人物の魅力を最大限利用したため、聖書は、他民族への布教が可能になり、世界に拡大したのだと思います。

しかし、旧約、新約の両方を聖書にするというキリスト教会の権力は、今で言えば、権力者がメディアを独占するようなものですから、教会内の腐敗が激しくなり、自分たちが守れないことばかり、人々には厳しく押し付けるということがあまりにも多くなり、カトリックから、プロテスタントという改革を経て、より現実的な「イスラム教」へと発展していきます。

イスラム教は、現実的であるがゆえに、イスラム国家では宗教政治(王国政治)が可能になるんですね。

西洋では、政教分離は緩やかな分離になっていて、日本は政教分離を厳格に分離していて、まるでそれが良いことのように思われていますけど、本当はそれが出来ないのは、そのどちらにも欺瞞や問題点があると認めているようなものですよね(違いますか?)

欧米が、メディアの洗脳による「民主主義」で、イスラム国家を、独裁者政権として激しく批判しているのは、大雑把に言えば、そーゆーことではないかと。。。

でも、Godを神とする「一神教」である、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教で、いずれも「イエス」は重要人物として扱われ、人気があるのですが、現在、もっとも偶像崇拝を認めていないイスラム教圏内で、MJの人気が高いのは、もしかしたら、その影響もあるのかも。。


☆註1(人種差別、宗教、反ユダヤ主義[1]『The Michael Jackson Tapes』)

SB:私は、むしろ、マイケルがユダヤ人に直感的に親近感を抱いていたと思う。

シュムリーは、自分の陣営にMJを取り込みたくて、そう言っているという部分も大きいと思うし、MJは常に相手の話をよく聞いて、自分の意見をもっていると思っている人の多くに見られる「上から目線」ではなく「下から目線」で懐に入るのが、すごく上手いので、

ユダヤ教のラビだけでなく、独自の武士道に生きるというようなタイプ(朝堂院大覚)まで、様々な人に同様の感想を抱かせてしまう天才ではあるのだけど、、

真面目で勉強熱心で、合理的選択に長けているという点では、共通点があり、、この件に関しては、次の章の註釈でもしつこく説明します。


☆註2(人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]『The Michael Jackson Tapes』)

SB:彼もくすくすと笑うの?(Does he like to giggle ?)

MJは、このことを何度も語っていて、シュムリーは若干「小バカにして」聞いているという感じなんですけど、でも、MJは、笑いと子供っぽさが重要だと真剣に考えていて、シュムリーには特にそれが足りないと言っているんじゃないでしょうか?(他の章でも、自分のイタズラ好きを熱心に語ってるし…)。

中世では、笑いは「悪魔の表現」と言われてきて、それが暗黒の中世を生み、笑いの自由化には時間がかかりました。笑いが注目されたのは、キリスト教の後期なので、ユダヤ教のラビには特に教えてあげなきゃと、道化師の末裔である、MJは思っていたのかも。


☆註3(人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]『The Michael Jackson Tapes』)

MJ:彼は子供たちに話しかけた「後で」僕と握手したんだ。それは正しい順序だよね。

MJは、こどものことを、フェティッシュに好きなのではなく、大人にとって、社会的にこどもを第一に考えることが、利他的に考えるということにおいて、もっとも間違いの少ない、世界共通の考え方だと思っているんじゃないかな。(口先だけでそう思っていても、ガンジーにしろ、マンデラも、もちろんMJも、徹底的に実行できる人はいませんからね)


☆註4、註5(人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]『The Michael Jackson Tapes』)

SB:子供が人を信じやすいという問題でもあり、同時に、君が抱えている問題でもある。

SB:有害な悪魔であっても、君はその悪魔にも良いところがあると言いたい。それなら、人を裁くシステムについては誰かに依頼したらどうだろう。それは君が世界に貢献するようなことではなく、率直に言って、その件に関して君は良くない仕事をしてしまう恐れがある。


こういったシュムリーの「MJ評」は、ファンや、MJの周囲にいた関係者にも多く見られる考え方だけど、、それは、MJを自分サイズで「ちっちゃく」判断しているからだと、私は思います。

彼が子供っぽい考えで、そう言っているのではないということについては、このあとの記事でも説明します。


☆註6(人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]『The Michael Jackson Tapes』)

SB:この問題で人々ができる唯一の方法は、彼らをこの世界から追い出すことだけだ。

こういった考え方が、現在の米国の裁判好きで、戦争好きな体質を生んでいると思う。
(でも、日本でもこういった考え方が、どんどん侵蝕していますね。)


☆註7(人種差別、宗教、反ユダヤ主義[2]『The Michael Jackson Tapes』)

SB:君は酷い報道をして来た人々や、子供を傷つける人々を除いて、君の心の中のすべての人々を許して来たのかい?

MJ:そうだよ。


MJが『Heal The Wourld』という曲をつくった後、ユダヤ教のラビに接近し、ユダヤ教徒の生活や習慣までも熱心に学んだ「理由」は、このことを彼らに教えようと思ったからでしょう。


◎黄金律に従おう『The Michael Jackson Tapes』につづく
◎マイケルと神について(番外編)Pride Of Lions 訳詞



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by yomodalite | 2012-08-24 08:31 | マイケルと神について | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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