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4月を振り返ってみたら、ブログに書いた本は『ニーナ・シモン自伝』だけで、しかも、本の内容についてはほとんど何も書いていませんでした。。あさってが「お引越し」で、まだまだ落ちついて読書ができる状態ではないのですが、、多

読習慣には日々のウォーミングアップも必要で、素早く読める本を、常に何冊か読み飛ばしておくことも重要なので、、

読飛ばした本の中から「すごく重要な本」の紹介リンクとか、

最近お気に入りの音楽などを。


まず、「すごく重要な本」は、

『原発洗脳ーアメリカに支配される日本の原子力』

原発に関する本は、このブログにはあまり書いてませんが、それなりに読んだ中ではこの本と、一見原発とは関係なさそうな『エリア51』と、『日本再占領』が、私にとってベスト本で、

苫米地氏の本は、頭のいい人が書いた読みやすい本で、内容は特濃。

下記は、紹介動画と書評のリンクです。


☆ブログ「ざまあみやがれい!」」の管理人、座間宮ガレイ氏による本書の紹介




☆『ジャパン・ハンドラーズ』『日本再占領』の中田安彦氏による書評
◎苫米地英人『原発洗脳』と有馬哲夫『原発と原爆』を書評する。


本書以外の4月は、

とても素敵な出版社「土曜社」で買った『日本脱出記』『大杉栄自叙伝』などから、大杉栄に浸かっていたけど、まだまだ浸かりたいので大阪に着いたら『獄中記』も買うと思うし、、河出書房『大杉栄・日本で最も自由だった男』で中森明夫氏の対談が面白かったので、以前途中でやめた『アナーキー・イン・ザ・JP』にも再チャレンジしようかと思ったり、、

もういいかなぁと思っていた天皇本ですが、

井沢元彦、島田裕巳の両氏による『天皇とは何か』は一応読んだ。

それと、、

MJのエホバ神への信仰を理解するために、不確定性原理とか、不完全性定理などで、本当に「神は死んだ」と言えるのか。という疑問から、あちこちとつまみ食い程度で、手を付けてみたんだけど、、とりあえず、MJもそーゆー疑問をかなり通過した上で、信じているんだなぁというところまではわかったかも。。

そんなわけで、、

意外と読書に時間使ってたからか、

あさって引越しなのに、まだ全然だったりして。。。(;_;)(-_-;)(=_=;)




今日の音楽!

EASY TIGER - Paint This Town (acoustic version)




EASY TIGERの曲は、

フジテレビの新番組「ASIAN VERSUS」で紹介されていたもの。
彼らと対戦した Jinsil もすごく素敵で、、

◎こちらの番組サイトに動画があります!




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by yomodalite | 2013-04-26 21:52 | 311関連 | Trackback | Comments(0)

サンカーラ―この世の断片をたぐり寄せて

田口 ランディ/新潮社



久しぶりに小説を読もうという気分で手に取ったのですが、これは小説ではありませんでした。

著者の永年にわたる原発との関わりから著された『ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ : 原子力を受け入れた日本』では、原発について知りたいと思う、多くの一般の人々に、バランスのとれた知識と情報を。という主旨で書かれたものでしたが、

本書は、その内側というか、そこで書かれた著者の経験を、一冊の本としてまとめるための苦心、「反原発」の人々からの批判や、著者自身の原発に対しての揺れ動く気持ち、作家として、一個人として、それらすべてにバランスを保ってきた田口氏の深い苦悩が凝縮された本になっています。

また、描かれているのは震災に限らず、同居していた、夫の両親の介護や、彼らへの看取りのことから始まり、被災者だけでなく、他者への関わりについての悩み、そして、著者のデヴュー作『コンセント』から綴られている、兄の自死への思いなど、心にこびりついて、癒えることが想像できないような苦しみについても、繰り返し描かれていて、

著者がたぐり寄せた「この世の断片」は、非常に多彩で、感情を揺さぶられる断片が、次々に語られていく。

反原発の人の多くが「無知ゆえに」と無条件に信じていた、被災地に残る人々の様々な姿や、日本に長く暮らす、イタリア人ジャーナリストと同行して行ったイタリアでの体験、また、田口氏は、オウム真理教信者で、地下鉄サリン事件の実行犯でもある林泰男とも文通していて、この10年間で旅をしてきたのは、カンボジアの地雷原、アウシュビッツ、グラウンド・ゼロ、ベラルーシ、チェルノブイリ、キリング・フィールドなど暴力と関係のある場所。。

私は、昔観て、当時とても好きだった『ベルリン・天使の詩』を、もう一度観たくなり、ヴェンダース監督の新作『Pina / ピナ・バウシュ踊り続けるいのち』を、本書で知り、その映画も、ピナ・バウシュのパフォーマンスのことも久しぶりに思い出して、やっぱり、とても観たくなった。(本書で、ピナの「あの振付け」という独特の振付けのことが思い浮かばなくて、自己嫌悪を感じるぐらい悔しかった)


☆3D映画だったなんて。。絶対映画館で観ておくべきだった。。本当に残念。
◎[公式サイト]『Pina / ピナ・バウシュ踊り続けるいのち』


下記は、終章「サンカーラ」から、省略して引用。

震災後「ブッダについて書いてみたい」と思い立った。
もともと仏教には興味があった。自身、津波、そして原発事故。あまりに大きな災害が続き、新聞、テレビ、ネットで心の救済が叫ばれる。でも、私には災害でこころに傷を負った人たちに向けて差し出す言葉が立ち上がって来ない。なにを語ってよいのかすらわからなかったのだ。

心を救うというのはどういうことだろう。

考えるよりどころとなったのが、ブッダの教えであった。ところが、実際に災害に起こってみるとブッダの教えを救済として語る人はほとんどいない。その理由もわかる。いままさに家族を、家を、土地を失い、悲しみと絶望のなかで呆然としている人たちに対して、ブッダの教えはあまりに冷酷に思えるからだ。(中略)

サンカーラとは、この世の諸行を意味する。
私という意識の経験の蓄積、様々な印象を寄せ集めたモザイク…

(引用終了)


田口氏が冷酷だと思い、ジョン・レノンも厳しすぎると感じたブッダに関して、最近、私の中では、かなり独自なイメージが拡がってきていて、自分でも困惑していて、、著者が読んだと書いてある本も全部読んだわけではありませんが、ブッダ自身の言葉に一番近いと思われるものであっても、本人が書いたものではないし、、、もしかしたら、私たちは「悟り」という言葉に幻惑されてきたんじゃないか。と、最近よく思っていました。

ブッダは、弟子たちと違って、寺院の中で本を読んでいたのではなく、王子の世界から、奴隷状態に苦しむ人々の中に入っていき、それは「出家」という名の「駆け込み寺」とは違って、より現実を生きていくことで、苦行とは、特別な修行ではなく、生きていくことそのもので、

彼は、人々に厳しいことを言ったのではなく、たとえ飢え死にしそうでも、あきらめないで前に進めと自分に向けて言っていて、苦しい生活を送る人々に今の苦しみはいつかは終わり、輪廻によって永遠に苦しむことなどないと説き、彼らを「同志」として勇気づけ、

それまでの「ヴェーダ」の教えとは異なる、ブッダの考え方を知った人々が、それを見て「悟り」を感じたんじゃないかと。。

そんな風に勝手に思うようになっていました。

著者が問い、苦しんだ日々を経て、たどり着いた地点は、そんな私の勝手な解釈から遠いものではなく、今、特に苦しみを感じていない私には得るものがありましたが、

田口氏が深く悩まれたように、今、傷を負ったような人々に対して
有効な「答え」は、、ない。のかもしれません。

急いで「答え」を出すことを良しとし、簡単に「答え」が検索できるように思える世の中では、誰かが、答えを知っていると思いがちで、

でも、苦しみが「財産」に、苦しんだことが「人生への満足」に変わることが、ある。ということを、ほんの少しだけでも感じてくれれば…  自らの体験を通して表現された田口氏の試みは、

仏教を学んだ多くの人々よりも、
仏教書を読んで学んだわけではない、ブッダに近いかもしれない。と、私は感じました。

☆[Tuchinoko Media]2012年twitter書籍大賞か!? 「サンカーラ」が絶賛の嵐
☆[Tuchinoko Media]twitter上で絶賛が加速中 、入手困難な『サンカーラ』

◎[Amazon]サンカーラ:この世の断片をたぐり寄せて













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by yomodalite | 2013-01-19 08:52 | 311関連 | Trackback | Comments(6)

ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ: 原子力を受け入れた日本 (ちくまプリマー新書)

田口 ランディ/筑摩書房




本書は「最初に出会う新書」をコンセプトにした、ちくまプリマー文庫から、2011年9月10日に出版された本。

311以降、本当に多くの人が、原発について考えてきたと思います。でも、原発再稼働の停止を求めるデモが盛り上がりを見せる一方で、その数に酔った人たちは、運動への小さな疑問を呈しただけで「原発推進」のレッテル張りをするなど、議論の熟成からは遠くなっているような印象も…

田口ランディ氏が、これまで原子力について学ばれてきた歴史は、多くの国民が「ここから始めよう」と思えるような、バランスのとれたものだと感じました。

下記は「はじめにー私はなぜ原子のエネルギーに興味を持ったか?」から。
(中略と書いていない部分も大幅に省略して引用しています)


私は茨城で育ちましたから、茨城県にある東海村原子力発電所については小さい頃から聞き知っていました。関東圏の北にあってやや存在感の薄い茨城の「勲章」のような存在でした。そこは日本で最初に建設された原子力発電所だったからです。当時、原子力は最先端の科学、21世紀のエネルギーでした。(中略)

原子力が危険なのだ、ということを意識したのは、1986年のチェルノブイリ原発のときです。私は26歳になっていました。自分も地球のためになにか行動しなければという気持ちになりました。それで、反原発の集会や、原発の危険を訴える本など読みましたが、今から思えば、ただ流行に乗っただけの行動でした。

チェルノブイリ原発事故の話題はしばらくテレビや新聞で報道されていましたが、いつしか消えていきました。日本はその頃もさらに経済成長を遂げていて。時代はバブル期にさしかかっていました。原子力発電を止めて節電を、という世論はどうでもよくなり、好景気のなかで誰もが潤い、湯水のようにお金を使い、電気を使い、都市は不夜城のようになって、エネルギーの問題などどこかに吹き飛んでしまったのです。(中略)

私が原子力…ひいては核エネルギーというものと向き合うようになたきっかけは、14歳の私が「もう人生が終わっているだろう」と思っていた40歳のとき、1999年に起こった茨城県東海村の臨界事故がきっかけでした。(中略)

茨城県東海村で起こった臨界事故は、報道で知れば知るほど奇妙でした。事故を起こしたJCOという会社は原子力発電の燃料となる低濃縮ウランの製造過程で起こりました。事故後の捜査で、この会社の社員たちが正規の製造工程を勝手に簡易化した「裏マニュアル」に従って仕事をしていたことが判明しました。(中略)

マスコミはJCO のずさんな管理体制、社員のいいかげんな作業態度に対して一斉に批判を浴びせました。私もそういう報道を見て、まったくひどい、いくらなんでもよくそんな危険なことができたものだと思いました。

そして、当時、定期的に発行していたインターネットのメールマガジンを通じて、テレビ報道を聞きかじっただけの、熟慮もしていない幼稚な意見を発表したのです。すると、「私はJCOの元社員です」という男性から一通のメールが届きました。何度もメールのやりとりをしていくうちに、それまで知らなかった原子力業界の事情がわかってきました。

原子力の問題に関して発言するとかなり辛辣な批判を投げつけてくる方たちがいらっしゃいます。専門外の人間が、このような科学技術の分野に首を突っ込む必要があるのか?必要はありませんでした。専門家の方がたくさんいらっしゃいます。私は見知らぬ人から誹謗中傷されるのが、とても怖かったし、この問題にあまり関わりたくなかったので、原子力に関する発言を止めてしまいました。

2000年8月6日に、広島テレビのご依頼で広島にまいりました。4日間ほど滞在して原爆に関する取材をし、今度は「核兵器」と向き合うことになりました。ここにも「放射能物質」「被ばく」という問題がからんできます。最初のうちは、原子力の問題と、原爆の問題は、私のなかではとても遠い位置にありました。(中略)どんなに原爆を体験された方のお話を伺っても、どうしても現実感をもつことができません。そういうジレンマを小説に描いた作品が『被爆のマリア』でした。

それからも、原爆の取材は続けてきましたが、だんだんと興味が「そもそも原爆とはなにか? 核とはなにか?」ということに移ってきました。人類最初の被爆国である日本人は、これほど核兵器で痛手を負っているにもかかわらず、なぜ、原子力という核エネルギーに対しては寛容なのだろうか。

北村正晴先生は、東海村の臨界事故をきっかけに独自の活動を開始されました。ですが、原発に関する反対派と推進派の間の亀裂はとても深く、しかも修復不可能なほどよじれてしまっていました。専門家は市民の理解力不足を嘆き、市民は専門家を御用学者となじる。そのような関係ではとても、対話は成立しません。

2010年10月、私と北村先生は明治大学をお借りして「ダイアローグ研究会」という自主ゼミのようなものを立ち上げます。第1回は「原子力の問題でなぜ対話が困難なのか?」というテーマで、2回、3回と継続的に「原子力と対話」の問題を取り上げて議論をすすめてきた矢先、2011年3月11日に福島第一原発の事故が起こったのでした。

福島の事故現場付近は放射能汚染の被害を受け、多くの方たちが、住み慣れた家を離れなければならない事態になりました。原発を止めるにしても、原発停止、解体、廃炉までには長い時間を要します。

私はこの機会に、自分が取材をしつつ12年間考えてきたことをまとめてみようと思いました。それは原子力は《核エネルギー》であるということ。そして、日本が核エネルギーを使用するようになたことは、ヒロシマ、ナガサキに原爆が投下されたことと無関係ではない。ヒロシマ、ナガサキ、フクシマは、分断された点としての出来事ではなく、ひと続きの人類史なのであることを、多くの方に知ってもらいたいと考えたのです。(引用終了)


また、田口氏は、偶然にも震災の5日前にツィッターを止めていたのですが、事故後それが正解だったと思ったそうです。発言はまずメーリングリストで発表し、信頼できる複数の人間に間違いを指摘してもらい、偏見や自分の身勝手な思いが全面に出ていないか意見を聞き、それからブログで公開するようにしました。個人の感情などつぶやいている場合ではないと思われたそうです。

2年間続けた twitter を、私はこの時、自分が情報を発信する道具として全く信頼していませんでした。かなり没頭してこのメディアを使い切った結果として私が行き着いた結論は、私にとって、このメディアは不要だ、ということでした。即効性はありますが、熟慮には向かなかったのです。(P135~136)


☆写真はクリックすると拡大します!

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◎[Amazon]ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ : 原子力を受け入れた日本
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BOOKデータベース/世界で唯一、原爆を落とされた国が、なぜ原発大国になったのだろう?ヒロシマ・ナガサキとフクシマは、見えない糸でつながっている。そのつながりを、歴史を振り返り、圧倒的な想像力で描き出していく。これからの「核」の話をはじめるための、最初の一冊。 筑摩書房 (2011/9/5)



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by yomodalite | 2012-07-21 09:57 | 311関連 | Trackback | Comments(0)
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photo : 2012.4.30



2012年GWの福島は、とてもとても桜がキレイで、田畑が荒れていました。

下記は、副島隆彦と行く、福島バスツアー[1]の続きです。


◎2012.4.29(日)

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三春の旅館から、浪江町「長泥」へ。


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まだ出来て間もないように見える「山茶屋小学校」(閉鎖中)


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廃校になっている小学校の近くには、様々な計測機械があり、それぞれの機械には「Climatec」「極地研」「京都大学 防災研究所 城戸由能」のシールが貼られている。

◎Climatec
◎城戸由能のホームページ
◎国立極地研究所



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そこから、少し離れたところにある、元は畑だったような場所の「土」を採取する。

ツアー参加者には線量が高い土が人気で(笑)、副島先生は「すぐ線量が落ちちゃうんだよなぁ」「事故直後のもっと線量が高い頃の土を保存しておきたかった」と言っておられました。私もジップロックに詰めて持ち帰り。せっかくなので食べられるような「ハーブ」の栽培にでも使用してみたいと思ってます。



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この場所の空間線量


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地面に近いところ(この機械はアルファ波も感知するもの。数値が高く出ることが多い)


長泥から飯館村へ。



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飯館村役場前の線量計

役場の周囲には、飯館村の素晴らしさがよく伝わるコミュニティセンターなどの施設が充実していて、休日にも関わらず、地域の老人住宅を巡回している住民によるパトロール隊や、そこを憩いの場にしている住民の方などが大勢おられました。



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素敵な施設だなぁと写真を撮ったところで、住民の女性2人に「どちらの団体ですか?施設内の撮影の許可は?」と質問される。その質問から瞬間的に、住民にとって、自分の家の中を撮影されたような気持ちなんだなぁと理解する。

「どういう目的で?」と言われたので、副島氏の原発事故直後からの活動や、福島の復興を心から応援していることなどを、手身近に説明し、住民の方が読むのに、1番相応しいと思った著書『放射能のタブー』をメモして渡す。

「福島の食材は危ないと思ってるんでしょ?」と言われるので、ここにいる人はそうではないと思っているから来ていると言うと「でもね、あなたたちは、たまに食べるだけでしょ。私たちは安全だって言うのも、危険だっていうのも複雑なんです」と言われる。「そうだよねぇ」と思う。

能で感じることも、身体で感じることも、それぞれの能力や感性の違いによって、感じ方もいろいろあると思う。ただ、遠くにいながら、自分が気持ちが悪いと思うことを、他人に押し付けようと一生懸命になり過ぎる人には、何か目的があるのか、もしくは、あまりにも自己中心的過ぎるように感じられる。

私個人は、数年前まで2年ごとに引っ越ししてきたほどの「引っ越し好き」なので、どんなに便利な場所であれ、生まれた場所から一歩も出ない人が1番理解できないし、以前の福島が好きだった人、ここに良い思い出がたくさんある人には、起きてしまった変化は堪え難いものかもしれないけど、でも、今の福島から「未来」が見えるひとも大勢いると思う。


飯館村から、最近、警戒区域を解除された「小高」地区(南相馬市の原発20キロ圏内)へ

◎福島県南相馬市小高地区(MAP)


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南相馬の「道の駅」。


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海岸はずっと遠くなのに、津波の水がまだ全然引いていないところも多い。

◎[youtube]ほぼ一年前2011年4月9日の「小高」

映像内にある倒壊した建物は、現在もそのままのところも多く、
道路封鎖になる部分だけ片付けたという印象。


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田村市にある「ひふみ農園」へ。

ひふみ農園とは何か?ということを説明したいんですが、実は私にもよくわかりません。

◎同月2012年4月にひふみ農園に行かれた方のブログ

日月神示は、明治生まれの岡本天明の自動書記によって降ろされたとされる神示で、1990年代から中矢伸一氏の著作により、一般にも知られるようになったもので、原文を解読し漢字仮名交じり文に書き直されたものを「ひふみ神示」と言い「ひふみ祝詞」という真言というか、神聖視される呪文があるらしい。

◎日月神示(Wikipedia)

中矢氏は、福島の地に大変なエネルギーを感じておられるようですが、私にはさっぱりわからないし、副島氏も「さっぱりわからない(笑)」とは言っていたものの『放射線怖い派』に相対するという点で意気投合し、新著では対談もされているようです。

◎中矢伸一氏の「今週の一言」福島を真に復興させるために必要なこと

岡本天明は、大本教の流れを汲んでいる人で、中矢氏の本も副島ファンよりは、ベンジャミン・フルフォードが好きな人にウケそうなんですが(フルフォード氏とも対談本あり)、私は外国産の「アセンション系」には興味がないのですが「大本」には若干興味があるので、この本は読もうかな。

◎「日月神示 立直しの「超」暗号」(アマゾン)

◎関連エントリ「日本を動かした大霊脈/中矢伸一」

4月29、30日の福島は初夏を感じさせる暑さですこぶる快晴、ときどき梅や、しだれ桜も多く見られ、福島全域で美しい桜が楽しめました。

◎東日本大震災の現場(26)福島県南相馬市小高。これが被災者の今年の「花見」
◎東日本大震災の現場(27)南相馬市小高地区の倒壊した文化財、織物工場
◎東日本大震災の現場(28)福島県南相馬市 新田川の桜並木で聞いた話
◎東日本大震災の現場(29)相馬市 中村城跡の桜
◎東日本大震災の現場(30)福島県三春町「滝桜」と「内出の桜」

三春町の「滝桜」は遠くから見てもめちゃめちゃ大きくて満開になるとハンパないです。しかも夜になるとライトアップされて…


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この日の晩は、旅館で先生を囲んで宴会。


翌日、最終日はいわき市へ。四倉海岸、Jヴィレッジ、小名浜漁港を見て、郡山駅で最終解散となりました。

Jヴィレッジ周辺は警戒が激しく、写真撮影も禁止。建物に損傷は感じられないものの、フットサルコートにまで東電の寮が建てられていて、もうサッカー施設には戻してもらえないような気がして、寂しい思いがしました。小名浜漁港はお土産が豊富なんですが、海鮮関係は築地より高くて、手が出ず。

それと、副女(副島ファンの女子のこと)の方とは、修学旅行のときより、いっぱいおしゃべりしたかもw




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by yomodalite | 2012-05-02 14:26 | 311関連 | Trackback | Comments(10)
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photo : 2012.4.29.南相馬の海岸



副島隆彦が付きっきりでバスガイドをやって、あちこちの避難所の跡地や仮設住宅や、原発周辺の、海まで含めてぐるりとご案内します!

という文言に、激しく心を奪われ、副島氏が「福島原発・難民キャンプ」と呼ぶツアーに参加してきました。

朝・夕、旅館で食事し、温泉に入って、キャンプもしておらず、実感としては『桜満開!春のふくしまを満喫 副島隆彦と行く2泊3日バスツアー』だったのですが、2012年のGWの思い出として、ちょっぴりメモしておきます。



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◎2012.4.28(土)

右手に見えているのが、郡山にあるビッグパレットから50mも離れていない場所にある仮設住宅。目の前にホームセンター、ファミレス、オートバックスなどが揃った便利な環境(仮設の敷地内には住民用の床屋、郵便局もあり)。



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仮設住宅の基本的構造には、大きな差はないようですが、各戸に置かれた花のプランターには、グリーンカーテン用のネットも設置してあって、夏には日差しよけが出来るような工夫もされていました。

◎ビッグパレットふくしま
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敷地内には、地域で保護されたペットたちの「仮設住宅」もありました。他地域の人の目に触れる機会も多いことから、ここは「仮設住宅の旗艦店」なのかも。



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ここから、国道288号線、大熊町境の検問所へ。



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空間線量は、このぐらい。



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地面に近いと、これぐらい。


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機動隊の車両脇の地面には、水仙の花がたくさん咲いていてキレイです。



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立ち入り禁止の看板から50mも離れていない場所の住民の方。(写真撮影とブログにアップの許可済。ブログの意味がわかったかどうか、多少疑問だけど、でも、かわいく撮れてたから、、いいよね!)「水仙ね、キレイに咲いてるでしょう。今は1週間に1ぺんぐらい帰って来てる」と言っておられました。

大熊町境の検問所から、都路の学問道場・福島復興事務所へ。



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これは、事務所の道路側にある看板。学問道場の「ふくしま復興にむけて」の思いが、こだわりのラーメン屋が、食材への思いや、ラーメンに賭ける気持ちを綴ったような文字で書かれている。


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事務所内にある、副島氏自身が書いた「教義」。

まるで、小学校高学年ぐらいの優秀な生徒が書いたような文字(いい意味で)。4番目は後から思い出して付け加えたらしいのですが、お金の「金」という字にまで、ルビがふってあるところが、やっぱり普通ではない(もちろん、いい意味でw)。



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ご近所に住む、復興事務所の大家さんが、保護した犬。


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by yomodalite | 2012-05-01 23:37 | 311関連 | Trackback | Comments(0)

つぶやき(2012.3.11)

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photo : CNN Reports! Animal celebrities of Japan!



茂木健一郎 ‏ @kenichiromogi
たむ(8)利他を測ることは、自分の知性、感性を磨くことにもなる。知性とは、つまりは利他を突きつめた一つの境地である。自分のことばかり考えているやつは、結局こじんまりとしてしまう。学問でも芸術でも、本当にすばらしいものは利他を貫いている。そこに世界があるからだ。



3.11以降、ボランティア活動や義援金、被災地のことや、そこに住む人のこと、そして日本全体のことや、未来のことなど… 多くの人が「利他」を通して、自分の考えを述べていると思う。でも「利他」というのは、本当に難しいことだと、つくづく思う。

人は、相当に意識しなくては、利他意識を利用して、結局は自分のことを考えるもので、そこから逃れるのは容易じゃない。「都合のいい他者」から逃れるには、他者をできるだけ多く設定することだと思うけど、そうすることで「自分の歩む道」を整合できる人なんて、ほとんどいないと思う。

私は文系でも理系でもなくてどっちもダメなんだけど、数字を見るよりは、文字を見る方が好きなので、仕方なく、多少の知性の向上のために文章は読んでいるのだけど、最近、文系の人の文章から「知性」を刺激されることが少なくなっているように感じる。特に、文系の人が「数字」とか「データ」を使っているような文章は、もう見るのも嫌だ。。

たぶん、元々「数字」がキライだからという理由が一番大きいのだけど…w


「この国を動かす人たちが、人よりお金が大事で、今までどおり儲けてきた人がこのままその利権構造を守るために原発推進を維持しなくてはならないと考えている...」


そのとおりだと思わないこともないけど、この国を動かすほどの人の利権は「原発推進」じゃなくても得られるし、どちらかと言えば、この国を動かす人たちの原発利権からの撤退の早さの方が驚いた気がする。事故後の報道を見ていると、この国の本当にトップにいる人たちは「原発」の構造的欠陥も、「核」を扱うということが、それが平和的利用であっても、日本には許されていないということも、両方知っていた人たちで、まさに、そういったことが「本当の利権の正体」という気もする。。。


海外は「こう伝えている」というのも、文系の人が好きな「データ」だけど、

◎BBC This World 2012 Inside the Meltdown
◎BBC「津波の子供たち」"Japan's children of the tsunami " 3.11


私は日本人として、被災地に住む方が、イギリスに住むよりずっとマシだと思うし、たぶん、私は、イギリスの食生活よりは、被災地の食べ物を食べてる方が健康に過ごせるし、病気にならないと思うので、被災地の人が「現実的」に、そこに住み続けることを選ぶのもすごく理解できる。

チェルノブイリが「チェルノブイリ」のままなのは、ソ連が崩壊し、ウクライナが原発を手放さず、発展し続けたせいだと思う。ヒロシマ・ナガサキを経験したのに… という嘆きは大きいけど、ヒロシマ・ナガサキで酷い被爆をした人とそれほど離れたところにいなかった人が、その後も健康で、長生きされた人も多く、被爆2世と言われる人にも、特に健康上の悪影響がなかったことをよく知っていて、一番詳細なデータも「日本」には(当然アメリカにも)あるはずだと思う…

◎チェルノブイリ原発事故から25年が経過したウクライナの今。


deepthroat ‏ @gloomynews
時事◆ガザ空爆、5人死亡=イスラエル軍 goo.gl/UZiGd 「武装勢力の幹部ら5人が死亡した」


deepthroat ‏ @gloomynews
時事◆カダフィ大佐の死因不明=「処刑情報」は確認できず-国連調査団 goo.gl/Uxorm 「リビア新政府当局が大佐の遺体の解剖情報を提供しなかったほか、目撃者とも接触できなかったと説明」※結局、調査ができなかったというわけ。


藤原直哉 ‏ @naoyafujiwara
大遠征の怖さはイランはよく知っているはずだ。だからおびき寄せてたたく戦法だろう。しかし、米国は実感を持って大遠征の怖さを知っているのだろうか?

◎http://kwww3.koshigaya.bunkyo.ac.jp/wiki/index.php/ペルシア戦争

G-Unit のファンだったカダフィの息子は、今どうしてるのかなぁ…




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by yomodalite | 2012-03-11 18:53 | 311関連 | Trackback | Comments(0)
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2011年5月3日のNHKインタヴューの他、それまで新聞に掲載された記事などをまとめました。

『高村薫さんが語る “この国と原発事故”』NHK「ニュースウォッチ9」インタビュー(2011年5月3日)

インタビュアー(大越健介NW9キャスター)
高村薫(太字)
ナレーション(青字)

(大越キャスター)
一進一退が続く福島第一原発。今回の事故は私たちが原子力にどう向き合うべきかを考える上で、大きな分岐点になったとも言えそうです。これまで原発を題材にした小説を発表し、その脆さや、原発をめぐる社会の歪みと言う物を問いかけてきた大阪在住の作家、高村薫さんにインタビューしました。
 
作家の高村薫さん。
25年前のチェルノブイリ原発の事故をきっかけに、原発の持つ危うさに関心を持ってきました。その5年後に発表された小説「神の火」。原発の構造を徹底的に取材し、テロや戦争に対して脆弱だと警鐘を鳴らしました。しかし今回、恐れていた事態が津波で引き起こされた意味は重いと考えています。


大越)原発がやられたんだ、と知った瞬間、どんなことを思われましたか

自分が生きている間に、こう言うことが起こるとはよもや想像していなかったので、この先も日本の国が、国としての形をちゃんと保って存続できるかどうか、それくらいの瀬戸際に立たされている大きな事故だと思うんですよ

何故、事故は避けられなかったのか。高村さんは、非常用のポンプや電源が屋外に設置され、対策が施されていなかったことに愕然としています。

『想定外』という言葉が使われていましたけれど、今回の場合にはそもそも想定しなければならないことが想定されていなかったという意味では、『人間のやることには限界がある』以前の話で『問題外の事態』だったとわたくしは思っているんですね。『これで大丈夫だろうか』という想定をするときに、非常に恣意的に自分たちの都合のいいように作ってきたという感じがします。ですからこれはわたくしは、『科学技術のモラルの問題』だと思います。

さらに、高村さんが厳しい視線を送っているのは「政治」です。原発推進の是非をめぐる対立。政治家が客観的データを元に論ずるより先に、原発を「政争の具」にしてしまったと感じています。

「村が二分され賛成反対に分かれて対立する不幸な歴史がずっと続いてきたわけですよね。その中で、本当の技術的な問題が結局誰も理解出来ないまま、あるいは正しい情報が出ないままになってきた」

高村さんは2005年に発表した著作の中で、原発誘致に携わった政治家にこう発言させています。「電源多様化を名目に、わが国では代替エネルギーとしての原発増設に拍車がかかった。疾走する原子力事業に対して、政治は時々に正しい舵取りを成し得たのか否かだが、答えは少々心もとなかったと言わざるをえない」(高村薫:著「新リア王」より)


この日本の原子力政策が行われてきた半世紀は‘55年体制’と同時でしたので、原発の問題が常に賛成か反対かに分かれて、常にイデオロギーと一緒にされてきたんですね。それが非常に不幸なことで、わたくしたちが消費者あるいは国民として、イデオロギーや政党色を(脇に)置いて、まさに科学技術としてどのような技術的な評価が行われてきたのかを知りたいんですね。

そして、事故が起きた今こそ、判断に必要なデータがあると指摘しています。

この地震国で原子力発電をするときのコストを、もう一度冷静に計算する必要が絶対にあると思うんです。それは例えば、耐震化工事にかかる費用、あるいは事故が万一起きたときの保障や賠償の費用。その上でわたくしたちが、それでも原発を使うのか、それこそわたくしたちの選択にかかっていると思うんですね


最終的な選択を迫られるのは私たち自身だ、という高村さん。
日本のエネルギー政策や暮らしのあり方が問われていると考えています。


わたくしたちが今できるのは、逃れられない現実に耐えてみつめ続けるか、あるいは目をそらしてなかった事にするか、逃げるか、なんですね。わたくしは逃げてはならない、と思いますね。現実に福島で、生まれ育った土地、仕事も家も子どもも何もかもある土地を追われて現実にきょう明日にも逃げていかなくてはならない方達がおられる。それをなかった事にして、時間が経てば元通りになるという根拠はどこにもない。

大越)これだけのことがあっても、今の豊かな電力供給を原発がになっている以上は、それに乗っかって生きていく道を無意識に選択している人達も実際多いですよね。

これまでと同じように生きるという選択肢はないんだと思っています。わたくし自身は、今すぐには無理だけれども10年とかいうスパンで考えたとき、日本は(原発から)脱却をして次のエネルギー社会に進むべきだと思っています。原子力発電という技術を否定するものではありませんけれど、日本は地震国なので無理だと、そういう理由です。

(大越キャスター)
高村さんは、「自分は科学技術に対して全面的に信頼を持って育ってきた世代で、科学技術というものを前向きに評価している」ということでした。そこで、この震災を機に次世代のエネルギー社会を作るという夢を掲げて一歩抜け出すことを、日本は考えるべきではないかと話していました。原発を徹底的に取材して警鐘を鳴らしてきた作家の良心が、そう語っているように思えました。

◎文字起こしの引用先 http://akisadoor.blog118.fc2.com/blog-entry-102.html


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『巨大地震の衝撃・日本よ! 作家・高村薫さん』
「毎日新聞」(2011年3月17日付夕刊)から一部を紹介。


「いつも強く思うのは、原発の技術者と私たち一般人との認識の根本的なズレです。原発は実験室にあるわけではなく、一般社会のなかで住民の生命と隣り合わせで稼働している」。わが国の原発の歴史は約半世紀に及ぶ。「これほどの大事故がなかったのは奇跡です。安全性の根拠としていた格納容器に損傷の恐れが発覚した今回、私たちの社会常識の方が正しいことが明らかになった」。なぜ、「安全神話」は築き上げられたのか。「電力会社や国、政治家の責任は重い」と強い口調で訴える。

大阪府吹田市の閑静な住宅街に高村さんの自宅はある。ここで高村さんは1995年、6,400人が犠牲になった阪神大震災を体験した。以来、自然災害で失われた命について深く考え続けてきた。あれから16年。「教訓は、生かされていない。今、そう思います」

阪神大震災では、高層マンションが建つ地域で、地面が軟弱化する液状化現象が見られた。だが、東京の湾岸地域をはじめ名古屋や福岡など大都市では、タワーマンションが新たにそびえている。大阪も例外ではない。高村さんは「大阪の中心部には活断層があり、その上に主要な都市機能がのっている。東京も当然、首都機能の分散が進むと思ったら、逆に集中に向かっている」と指摘する。

国の地震調査委員会は首都直下地震について、阪神大震災(M7.3)と同規模の地震が今後30年以内に70%の確率で起きると予測、中央防災会議は最悪の場合は死者1万1,000人と予想する。

地下深く穴を掘り、建物を高層化する技術は日進月歩だ。「人間は、技術を開発すると必ず活用する。地下鉄もビルもその深さと高さを競ってきた。海抜0メートルのまちができたのも技術があるから。20世紀の文明はそのように進んできた」

高村さんは「私にはタワーマンションに住む人の気持ちがわかりません。エレベーターが止まったら、どうやって水を持ち運びするんですか。それが日本の現状です。地震に対する備えは、次の100年の暮らし方を考える一部なんです。被災していなくても、自分のことのように考えなければならない」。日本人の防災意識に疑問をなげかける。

<自分だけは大丈夫>

被災していない日本人は、自然の猛威に直面してもまた、根拠のない楽観に逃げ込もうとしているのではないだろうか。

「自然災害は人間の歴史の中では起こりうる。しかも、高齢化が進む21世紀という新しい時代は、高度経済成長期とは違う暮らしの価値観が必要だと思う。より人間のサイズに合った生活を選択する方が、より自然で無理のない社会ができる気がして仕方ない」

活断層の真上で暮らす日本人が、震災を人ごとで済まされるはずがない。島国である日本列島の海底には、多くのプレートがひずみをたたえながら潜んでいる。日本という国が存在する限り、地震という難から逃れるすべはない。

引用元 http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10880835385.html



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『原発の不祥事  原子力利用の資格あるか』朝日新聞(2007年4月5日)

原子力発電が、設備機器の設計・維持と操業の両面で非常に高い技術と厳しい管理を要求される事業であることに、21世紀の今日も変わりはない。その上使用済み核燃料や放射性廃棄物の処理も、簡単にはゆかない。にもかかわらず私たちが原子力利用を決断し、支持してきたのは、エネルギー資源確保のほかに、安全操業が技術的に保証されているとする国と電力会社の説明を信じたからだった。ところが今日のありさまはどうだ。    


次々に明るみに出た原発の不祥事は、①検査漏れ②検査データの改ざん③検査中の原子炉事故④報告義務違反の四つである。いずれも深刻であるが、検査中に制御棒が脱落した事故については、改良前の沸騰水型原子炉の構造上の欠陥の可能性がある以上、現在稼働中の同型原子炉を停止して、対処方法があるのかどうかを徹底的に検討する以外の選択肢はない。       
                                   

問題は、維持管理と運転にかかわる人間の、ミスである。「人間の技術に完全はない」という理性と「それでも原発の事故は絶対に起こしてはならない」という現実に立って、原子炉には何重もの安全装置が備えられている。
にもかかわらず、定期検査を欺き、データを改ざんし、臨界事故まで隠していたとなると、人はもはやシステムが想定している以上に、出来が悪い生き物だと考えるほかはない。                       
                        
そして、人間の出来が悪いのであればなおさら、国と電力会社はミスが起こるたびにシステムを見直し、改善に改善を重ねて安全を確保すべきところ、それすらも怠り、隠蔽(いんぺい)し続けてきたのである。今日の事態は、日本人は原子力を利用する資格がないと言ってもよいほど深刻であると、まずは言いたい。

半世紀前、原子力発電は国が主導して推進された。旧通産省と科学技術庁の二頭立てで責任の所在があいまいだった歴史は経済産業省が主導するかたちになった今日も尾をひいている。電力会社と重電メーカーと国はいまも時代遅れの巨大な産業体を構成したまま、時代の変化に即応することもできず、ひたすら思考停止している感がある。

それだけ特殊な技術でもあるということだが、年々新たな立地が難しくなって四半世紀余り、エネルギー多様化や産業構造の変化の傍らで、原子力技術の担い手は確実に層が薄くなりつつある。原子力工学科を廃止する大学も
増えたいま、一度薄くなった層は簡単にはもとに戻らない。しかも、現状では著しい技術の発展も望み薄であり、私たちは年々原発の安全への不安を大きくしているのである。

今日の原発関係者の質の崩壊は、「臨界事故を隠蔽する」という発想に如実に現れている。技術者であれば、検査中に制御棒が脱落するような事態に直面したとき、まずは原子炉の構造上の不具合を疑って青ざめるべきだろう。臨界事故など、まさに会社の体面や保身以前の恐怖であるべきだろう。

そうでなかったというのなら、これは会社や業界の体質以前の問題で、そもそも原子炉とはどんなものかが分かっていないのだと言わざるを得ない。核分裂の制御ができない状態がいったい何を意味するのか、分かっていない人びとが、マニュアルを頼りにスイッチを入れたり切ったりしているのが原発の現状だとしたら、これ以上の悪夢はない。  
               

私たちは、将来も原発と共存せざるを得ないのである。まずは政治、監督官庁、電力会社、メーカーの間で責任の所在をはっきりさせ、次に、薄くなった技術者の層を回復する手だてを大急ぎで取ることである。

引用元 http://hakodadi.iza.ne.jp/blog/entry/2271683/


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『原発を捨てられるか否か 未来への選択 決断の時』
北海道新聞夕刊(2011年4月20日)


未曾有。想定外。壊滅的被害。東日本大震災発生から1カ月余、私たちはどれだけこれらの言葉を繰り返したことだろう。地球規模の自然の前で人間の営みはときに為(な)すすべもないことを思い知らされてもなお、被害の大きさを捉えきれず、受け入れることもできない私たち日本人のいまの思いが、これら紋切り型の言葉に集約されている。

<中略>

今回の大震災では、福島第1原発の原子炉4基が冷却系の外部電源を失い、一部が炉心溶融に至るという最悪の原子炉災害が引き起こされた。水素爆発による原子炉建屋や、格納容器の損傷と、高濃度放射性物質の大気中や海への漏洩は、半径数十キロ圏の住民の生活を不可能にしたばかりか、飲料水や土壌、農畜産・海産物への放射性物質の蓄積が、周辺地域の生活経済を将来にわたって崩壊させようとしている。さらに、日本からの食料品の輸入禁止措置に踏み切る国が増え、観光客が消え、投資も縮小して、日本経済も当分冷えきってゆくだろう。原子力が安価な電源だというのは大嘘である。

この世界有数の地震国で、チェルノブイリと比較されるほど深刻な事故を引き起こした日本の商業原発は、もはやどんな理由をつけても、存続させるのは無理だろう。今回私たちは、原発が安全か否かという半世紀にわたる論争がいかに無意味だったかを学んだ。問題は、安全か安全でないかではない。そんなことは神しか知らないのであり、要は私たちが受け入れるか否か、だけなのだ。将来的に原発を捨てて電力不足に苦しもうとも、次の大地震と原子力災害に怯えて生きるよりはいいと思えるか、否か。いま私たちは、未来のためのそんな選択を迫られるほど決定的な地点に立っていると思うべきである。
 
このまま漫然としていては中途半端な復興と、経済の縮小衰退が待っているだけであれば、決断の一つや二つしないでどうするか。
 
私たちはいま、16年前とは比べものにならない厳しい未来を予感し、不安と不透明感に包まれている。欲しいのは小さな安心である。原発の不安が一つ取り除かれたなら、代替エネルギーへの転換に向けて多くの新産業が動きだす。それが希望を生み、被災地にも仕事をもたらす。折しも統一地方選挙が行われているが、政治家はいまこそそうした希望を語るときだろう。

引用元 http://hakodadi.iza.ne.jp/blog/entry/2271683/


政官財界は「思考停止」高村薫さんが大阪で講演

作家の高村薫さんが25日、大阪市で開かれた関西プレスクラブの会合で講演し、福島第1原発の事故を体験しても原発から撤退しない政官財界を「思考停止している」などと批判した。原発事故の映像に「破滅の予感がした」という高村さんは「発電コストや電力の安定供給など、現実的な制約を全て勘案しても、国民の生命の安全という見地から商業原発から撤退する結論が出ると思った」。だが予想は裏切られ「当然あると思っていた『道理』がなかった」と失望した。(2011年07月25日)

引用元 http://www.47news.jp/movie/general_national/post_4626/

☆参考サイト
◎[Togetter]高村薫さんの原発に関するNHKインタビュー
◎[動画]高村薫「報道ステーション」出演

◎高村薫の原発廃絶論(An Investor's Eye)
◎高村薫と村上春樹(An Investor's Eye)
◎松岡正剛「千夜千冊」新リア王(上・下)

◎田口ランディ「原発事故から1年・いま、私が感じていること」(2012.3.08)



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by yomodalite | 2012-03-07 10:31 | 311関連 | Trackback | Comments(0)
[2012.3.19追加] 革命思想家 吉本隆明の死に際して(副島隆彦)

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http://blog.livedoor.jp/oyabun1/archives/51503228.html



週刊新潮・平成24年1月5・12日新年特別号に掲載されたを記事を、雑誌から全文書き起こし(編集側の見出しや文章の間に挟んであるコメントは省き、写真も雑誌掲載とは異なります)、その他の新聞掲載もまとめました。


「吉本隆明」2時間インタビュー「反原発」で猿になる!

僕は以前から反核・反原発を掲げる人たちに対して厳しく批判をしてきました。それは今でも変わりません。実際、福島第一原発の事故では被害が出ているし、何人かの人は放射能によって身体的な障害が生じるかもしれない。そのために“原発はもう廃止したほうがいい”という声が高まっているのですが、それはあまりに乱暴な素人の論理です。

今回、改めて根底から問われなくてはいけないのは、人類が積み上げてきた科学の成果を一度の事故で放棄していいのか、ということなんです。

考えてもみてください。自動車だって事故だって亡くなる人が大勢いますが、だからといって車を無くしてしまえという話にはならないでしょう。ある技術があって、そのために損害が出たからといって廃止するのは、人間が進歩することによって文明を築いてきたという近代の考え方を否定するものです。

そして技術の側にも問題がある。専門家は原発事故に対して被害を出さないやり方を徹底して研究し、どう実行するべきなのか、今だからこそ議論を始めなくてはならないのに、その問題に回答することなしに沈黙してしまったり、中には反対論に同調する人たちがいる。専門家である彼らまで“危ない”と言い出して素人の論理に同調するのは「悪」だとさえ思います。

いま、原発を巡る議論は「恐怖感」が中心になっています。恐怖感というのは、人間が持っている共通の弱さで、誰もがそれに流されてしまいがちです。しかし、原子力は悪党が生み出したのでも泥棒が作ったわけでもありません。紛れもなく「文明」が生み出した技術です。今から100年ほど前、人類は放射線を発見し、原子力をエネルギーに変え、電源として使えるようにしてきました。原子力をここまで発展させるのに大変な労力をかけてきたわけです。

一方、その原子力に対して人間は異常なまでの恐怖心を抱いている。それは、核物質から出る放射線というものが、人間の体を素通りして内臓を傷つけてしまうと知っているからでしょう。防護策が完全でないから恐怖心はさらに強まる。もちろん放射能が安全だとは言いません。でもレントゲン写真なんて生まれてから死ぬまで何回も撮る。

普通に暮らしていても放射線は浴びるのです。大体90歳くらいまでは生きられるところまで人類は来ているわけです。そもそも太陽の光や熱は核融合で出来たものであって、日々の暮らしの中でもありふれたもの。この世のエネルギーの源は元をただせばすべて原子やその核の力なのに、それを異常に恐れるのはおかしい。

それでも、恐怖心を100%取り除きたいと言うのなら、原発を完全に放棄する以外に方法はありません。それはどんな人でも分かっている。しかし、止めてしまったらどうなるか。恐怖感は消えるでしょうが、文明を発展させてきた長年の努力は水泡に帰してしまう。人類が培ってきた核開発の技術もすべて意味がなくなってしまう。それは人間が猿から別れて発達し、今日まで行ってきた営みを否定することと同じなんです。

文明の発達と言うのは常に危険との共存だったということも忘れてはなりません。科学技術というのは失敗してもまた挑戦する、そして改善していく、その繰り返しです。危険が現われる度に防御策を講じるというイタチごっこです。その中で、辛うじて上手く使うことができるまで作り上げたものが「原子力」だと言えます。それが人間の文明の姿であり形でもある。

だとすれば、我々が今すべきは、原発を止めてしまうことではなく、完璧に近いほどの放射線に対する防御策を改めて講じることです。新型の原子炉を開発する資金と同じくらいの金をかけて、放射線を防ぐ技術を開発するしかない。それでもまた新たな危険が出てきたら更なる防御策を考え完璧に近づけていく。その繰り返ししかない。他の動物に比べて人間が少し偉そうな顔をできるようになった理由は、こうした努力をあきらめず営々とやってきたからではないでしょうか。

そして、仮に放射能の防御装置ができたとしたら、その瞬間から、こうした不毛な議論は終わりになる。科学技術というのは明瞭で、結果がはっきりしていますから。

正直言って原発をどうするか、ちゃんとした議論ができるにはまだ時間がかかるでしょう。原発を改良するとか防御策を完璧にするというのは技術の問題ですが、人間の恐怖心がそれを阻んでいるからです。反対に、経済的な利益から原発を推進したいという考えにも私は与しない。原発の存否を決めるのは、「恐怖心」や「利益」より、技術論と文明論にかかっていると考えるからです。

もちろん、原子力を語るとき核兵器の問題は避けて通れません。戦争で大切なのは、主として兵器ですから、改良して相手に優るようにしていくのが戦時の技術開発です。そうやって開発してきた原子爆弾は、今や、人類を何度も滅亡させられるだけの規模に達している。しかし、人間が原子力という技術を手に入れたとき、それがどんな現実をもたらすかまでは想像していなかった。どんなに優れた人でも予想できなかったのです。

一番わかりやすい例はアインシュタインだと思います。アインシュタインは相対性理論を提唱した理論物理学の大家ですが、原子力の利用については、原爆を開発することに賛成していますよね。しかし、アインシュタインは後で被害の大きさを知りショックを受ける。そこで「自分は原子力を兵器に用いることに反対した」と態度を翻す。被爆弾からどれだけ大量のエネルギーが生み出されるかという計算はできても、結果を見たら、とてもそんな反対賛成云々なんて軽卒なことじゃなかった。あれだけ、優秀な頭脳で、あれだけの業績を上げてきた科学者でさえ、とことんまで想定できていたかは疑わしい。

今回の原発事故も天災とか人災などと言われていますが、やはり危険を予想できなかった。つまり、人間は新技術を開発する過程で危険極まりないものを作ってしまうという大矛盾を抱えているのです。しかし、それでも科学技術や知識というものはいったん手に入れたら元に押し戻すことはできない。どんなに危なくて退廃的であっても否定することはできないのです。それ以上のものを作ったり考えだすしか道はない。それを反核・反原発の人たちは理解していないのです。

福島原発の事故が起きてから、よく思い出すのは第二次大戦後の日本社会です。当時、僕は敗戦のショックに打ちのめされて迷いに迷っていた。敗戦を契機にほとんどの価値観が180度変わってしまいましたから。知りあいにも「もう日本はお終いだ」と自決する人もいた。

そんな中で、当時の大人たちが敗戦に対する責任をどう考えているのか、文学界の中でもそれを問う雰囲気がありました。特に私は小林秀雄に、

「あなたはこの戦争とその結果についてどう考えているのか」

と聞いてみたかったのです。他の文学者はいい加減な答えをしたとしても、小林秀雄は尊敬していた人でしたから、何を考えているのか知りたかった。今のような状況の中で、答えが欲しかったのです。折しも若手文学者たちが先輩たち1人一人に意見を聞く機会があった。そこで、意見を求められた小林は、

「君ら若い人たちは、考え方を変えるのもいいかもしれないけれど、俺はもう年寄りだからね。“今は違う考えになっている”なんて言う気はさらさらない。だから、戦争中と同じ考え方を今も持っているさ」

と答えたんです。そう言われたら、突っ込みようがない。私はその答えを聞いて、小林秀雄という人は、考え方を易々と変えることはしない、さすがだなぁ、と思いましたね。世の中では時代が変わると政府も変わる、人の考え方も変わる。それがごく当然なのですが、僕はそれにもの凄く違和感があった。だから、福島原発を取り巻く言論を見ていると、当時と重なって見えてしまうんです。

原発を捨て自然エネルギーが取って代わるべきだという議論もありますが、それこそ、文明に逆行する行為です。たとえ事故を起こしても、一度獲得した原発の技術を高めてゆくことが発展のあり方です。

僕はこういう立場ですから、保守的な人からも、進歩的な人からも、両方から同じように攻撃されて、言ってみれば“立つ瀬がない”という状況でした。批判はしょっちゅうです。それも、ちゃんと名を名乗ったり、政党や党派を明らかにしての批判ならまだ反発のしようもあるけど、覆面を被ったままでやっつけにくる。特に今みたいな状況の中では誤解のないように言うのは中々難しいんです。

しかし、それでも考えを変えなかったのは、いつも「元個人」(げんこじん)に立ち返って考えていたからです。

元個人とは私なりの言い方なんですが、個人の生き方の本質、本性という意味。社会的にどうかとか政治的な立場など一切関係ない。生まれや育ちの全部から得た自分の総合的な考え方を、自分にとって本当だとする以外にない。そう思ったとき反原発は間違いだと気がついた。

「世間で通用している考え方がやっぱり正しいんじゃないか」という動揺を防ぐには、元個人に立ち返って考えてみることです。そして、そこに行き着くまでは、僕は力の限り、能力の限り、自分の考えはこうだということを書くし、述べるだろうと思うんです(終)


source : http://ninsito2.blogspot.com/2012/01/blog-post_6478.html

1月6日、吉本氏の娘である作家のよしもとばなな氏が、この件に Twiitter で言及した。

「父のことですが、もうあまりちゃんと話ができないので、まとめる人の意訳があるかと。私が話したときは、基本的に賛成派ではなく廃炉と管理に人類の英知を使うべきだ的な内容ではないかと察します。 一部をとりあげて問題にするのはどうかやめてください。父は静かに介護生活をしていますので」。

「ただ、父は今私に対してでもちゃんとお話できるときとできないときがあります。質問できないので、 これ以上代弁をするのは父のこれまでの仕事に対して失礼だと思いますので、申し訳ありませんが、 コメントをひかえさせていただきますね」。

「なんでインタビューに答えられるのか?と問われたら日によって頭がはっきりしている日があるからとしか言いようがないです。『人類が開発してきた技術はどんなものも否定すべきではない。廃炉対策にも徹底して英知を使うべき、後戻りだけするのはむつかしい』という内容ではないかと察します」。

source : http://www.tanteifile.com/watch/2012/01/06_01/image/01.jpg

よしもと氏の発言との関連で気になるのは、昨日の記事でも触れたルポライターの鎌田慧氏の指摘だ。 吉本氏を酷評した後に、次のように書いている。「週刊新潮編集部のコメントは『電力不足が表面化しても、テレビ・新聞は原発の再開について“タブー”のように扱うばかりだ』というもので、 記事の狙いは見えすいている」。

☆週刊新潮の雑誌紙面の写真
http://www.tanteifile.com/watch/2012/01/06_01/image/02.jpg
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◎毎日新聞(東京夕刊)掲載年月日 2011.5.27 

「この国はどこへ行こうとしているのか」科学技術に退歩はない
特集ワイド:巨大地震の衝撃・日本よ! 文芸評論家・吉本隆明さん


雨がポツリポツリと降るなか、路地奥の行き止まりに自宅はあった。案内されて和室で座布団に座ると、隣には白い猫が1匹。吉本さんは四つんばいで現れた。糖尿病や前立腺肥大、足腰の衰えなどで、体が不自由な状態にある。日本の言論界を長年リードした「戦後最大の思想家」は、そのまま頭が床につくくらい丁寧なお辞儀をした。白内障の目はこちらをまっすぐ見つめていた。
 
東日本大震災の取材で歩いた現場を「焼け野原にも似た光景でした」と伝えると、聞こえにくくなったという耳に神経を集中させていた吉本さんは静かに語り出した。「おっしゃったような光景から東京大空襲を思い出します。友達を捜すために焼け野原を歩きました。煙に目をやられた人々がトボトボ歩き、周囲には遺体が転がっているだけでどうにもならない。逃げた方向によって全滅に近い地区もあったと思います」。何かを訴えるように両手を動かす。
 
東京・月島生まれの詩人であり、文芸評論家。政治、経済、宗教、哲学、カルチャー……あらゆる分野にわたり、出した本は300冊以上。1960~70年代には多くの若者の支持を集め、今も言論界で活躍する。「知の巨人」とも呼ばれる。
 
吉本さんは大震災について「僕は現場まで行くことができない。戦争では戦闘の近くまで出かけていき実感しているけれど、今回は距離の隔たりがある。避難民がもっとごった返している場面を想像していたんだが、ポツンポツンとして静かな感じがする……」。
 
ふと、04年に出版された吉本さんの著書「人生とは何か」の一節を思い出した。
 
<(体は)ボロボロの状態です。「老いる」ことと「衰える」ことは意味が違いますが、こんな状況になったときには、死にたくなっちゃうんですよ。年を取って、精神状態がある軌道に入ると、なかなか抜け出せないのです。僕は死のうとか、自殺しようとまではいきませんでしたが、「これは生きている意味がないんじゃないか」ということは、ものすごく考えましたね。(略)結局は、その状態を自分自身で承認するほ
かないのです……>
 
まずは現実を受け入れ、そこから始めるしかない。今の東北の被災者に似ている、と思った。
 
吉本さんは1982年、文学者らによる反核運動を批判する「『反核』異論」も出版している。その中で核エネルギーについてこう記した。<その「本質」は自然の解明が、分子・原子(エネルギイ源についていえば石油・石炭)次元から一次元ちがったところへ進展したことを意味する。この「本質」は政治や倫理の党派とも、体制・反体制とも無関係な自然の「本質」に属している。(略)自然科学的な「本質」からいえば、科学が「核」エネルギイを解放したということは、即自的に「核」エネルギイの統御(可能性)を獲得したと同義である>
 
東京工業大出身の「知の巨人」には、科学技術に対する信頼が底流にあるようだ。「原子力は核分裂の時、莫大(ばくだい)なエネルギーを放出する。原理は実に簡単で、問題点はいかに放射性物質を遮断するかに尽きる。ただ今回は放射性物質を防ぐ装置が、私に言わせれば最小限しかなかった。防御装置は本来、原発装置と同じくらい金をかけて、多様で完全なものにしないといけない。原子炉が緻密で高度になれば、同じレベルの防御装置が必要で、防御装置を発達させないといけない」
 
目線はぶれることなく、記者を向いている。こちらは専門的な内容を頭の中で必死に整理し、質問する。
 
「福島の土地に多くの放射性物質が降り注ぎました。2万人以上もの人々が住んでいた場所から避難していますが」と問うと、吉本さんは「ひどい事故で、もう核エネルギーはダメだという考えは広がるかもしれない。専門ではない人が怒るのもごもっともだが……」と理解を示しつつも、ゆっくり続けた。「動物にない人間だけの特性は前へ前へと発達すること。技術や頭脳は高度になることはあっても、元に戻ったり、退歩することはあり得ない。原発をやめてしまえば新たな核技術もその成果も何もなくなってしまう。今のところ、事故を防ぐ技術を発達させるしかないと思います」
 
吉本さんの考えは30年前と変わっていない。「『反核』異論」にはこんな記述がある。<知識や科学技術っていうものは元に戻すっていうことはできませんからね。どんなに退廃的であろうが否定はできないんですよ。だからそれ以上のものを作るとか、考え出すことしか超える道はないはずです>
 
話し始めて1時間半、卓上の緑茶をすすると、ぬるかった。家の人が熱いお茶をいれ直してくれた。吉本さんは手ぶりがつい大きくなり、湯のみをひっくり返した。記者がティッシュで机をふいた。
 
「人間が自分の肉体よりもはるかに小さいもの(原子)を動力に使うことを余儀なくされてしまったといいましょうか。歴史はそう発達してしまった。時代には科学的な能力がある人、支配力がある人たちが考えた結果が多く作用している。そういう時代になったことについて、私は倫理的な善悪の理屈はつけない。核燃料が肉体には危険なことを承知で、少量でも大きなエネルギーを得られるようになった。一方、否定的な人にとっては、人間の生存を第一に考えれば、肉体を通過し健康被害を与える核燃料を使うことが、すでに人間性を逸脱しているということでしょう」
 
いつの間にかいなくなっていた白い猫が、再び部屋に入って座布団に寝転んだ。吉本さんは気づいていないかのように続けた。「人類の歴史上、人間が一つの誤りもなく何かをしてきたことはない。さきの戦争ではたくさんの人が死んだ。人間がそんなに利口だと思っていないが、歴史を見る限り、愚かしさの限度を持ち、その限度を防止できる方法を編み出している。今回も同じだと思う」
 
気づくと2時間半が過ぎていた。吉本さんは疲れるどころかますますさえている。自らの思想を「伝えたい」という思いのみが衰えた体を突き動かしているのだと感じた。
 
「ただ」と続けた。「人間個々の固有体験もそれぞれ違っている。原発推進か反対か、最終的には多数決になるかもしれない。僕が今まで体験したこともない部分があるわけで、判断できない部分も残っています」
 
話を終えると吉本さんは玄関口まで送り出してくれた。言葉だけではなく「全身思想家」に思えた。




◎日経新聞 2011年8月5日朝刊(文化面)掲載

「8.15からの眼差し 震災5カ月」
科学に後戻りはない 吉本隆明氏 原発 完璧な安全装置を


詩人で批評家の吉本隆明氏(86)は戦時中、軍国主義少年だった。その体験を自らに問い、戦後、独自の思想体系を築いた。戦後思想の巨人に、今回の震災体験を聞いた。

――3月11日は、どうしていたか。
 
「自宅のこの部屋で書き物をしていたと思う。足腰が不自由で、自宅周辺のことしか分からないが、地震の後は、不気味なほど、静かだった」
 
――戦中と比べると。
 
「あのころの東京は、人々も町中の印象も、どこか明るくて単純だった。戦争で気分が高揚していたせいもあったろうが、空襲で町がやられた後でも、皆が慌ただしく動き回っていた。
 
今度の震災の後は、何か暗くて、このまま沈没して無くなってしまうんではないか、という気がした。元気もないし、もう、やりようがないよ、という人が黙々と歩いている感じです。東北の沿岸の被害や原子力発電所の事故の影響も合わせれば、打撃から回復するのは、容易ではない」
 
――復興への道は。
 
「労働力、技術力をうまく組織化することが鍵を握る。規模の拡大だけを追求せず、小さな形で緻密に組織化された産業の復興をめざすべきだ。疲れずに能率よく働くシステムをどうつくっていくか、が問われるだろう。
 
それには、技術力のある中小企業を大企業がしっかり取り込む必要がある。外注して使い捨てるのではなく、組織内で生かす知恵が問われている。この震災を、発想転換のまたとない機会ととらえれば、希望はある」
 
――事故によって原発廃絶論がでているが。
 
「原発をやめる、という選択は考えられない。原子力の問題は、原理的には人間の皮膚や硬い物質を透過する放射線を産業利用するまでに科学が発達を遂げてしまった、という点にある。燃料としては桁違いにコストが安いが、そのかわり、使い方を間違えると大変な危険を伴う。しかし、発達してしまった科学を、後戻りさせるという選択はあり得ない。それは、人類をやめろ、というのと同じです。
 
だから危険な場所まで科学を発達させたことを人類の知恵が生み出した原罪と考えて、科学者と現場スタッフの知恵を集め、お金をかけて完璧な防御装置をつくる以外に方法はない。今回のように危険性を知らせない、とか安全面で不注意があるというのは論外です」
 
――明るさは戻るか。
 
「全体状況が暗くても、それと自分を分けて考えることも必要だ。僕も自分なりに満足できるものを書くとか、飼い猫に好かれるといった小さな満足感で、押し寄せる絶望感をやり過ごしている。公の問題に押しつぶされず、それぞれが関わる身近なものを、一番大切に生きることだろう」

よしもと・たかあき 1924年東京生まれ。東京工大電気化学科卒。著書に「言語にとって美とはなにか」「共同幻想論」「最後の親鸞」「家族のゆくえ」、詩集「転位のための十篇」など。

source : 「将門Web」



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by yomodalite | 2012-02-17 09:06 | 311関連 | Trackback | Comments(0)

時代を生きる力/高城剛

時代を生きる力

高城剛/マガジンハウス

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高城剛氏は、マスメディアでの評判の悪さとは逆に、読書界では評判の高い方。

本書は、昨年出版されたもので、大好評だった『私の名前は、高城剛。住所不定、職業不明』と同じく、Q&Aになっていて、震災後の日本のエネルギー問題、マスメディア、政治....など、日本の現状と未来について、高城氏がガンガン答えて行くというもの。

現在の高城氏の考えがよくわかり、多くの人にとって学べる点や、ヒントに溢れている本で、コンパクトな体裁も2色使いの本文も、忙しい人でも読める親切設計になっています。


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☆写真は、体裁を説明するもので、内容の「ポイント」ではありません。想像よりずっと濃い内容なので、ぜひ本書で!



こういう人をツブそうとするのは、何故なんでしょうか?高城氏は、日本の有名人では、たぶん最も速い時期に『ショック・ドクトリン』を紹介されていた方のような気がするのですけど、そんなことなども「三宝会」に嫌われる要因だったのでしょうか?

◎「三宝会/小沢潰しを狙う組織」


以下は「まえがき」から(大幅に省略して引用しています)

本書は、どのように21世紀を生きたらいいのだろうか、について僕が考えた現状分析と今後の展望、そしていくつかの提言である。世界に目を向けると、とっくに冷戦が終わり、共産主義である隣国中国は経済大国になって、新興国は続々台頭し、インターネットが世界を網羅し、どこでも瞬時に情報をやり取りすることが可能になって、その風景は「フラット化された世界」と呼ばれることになる。

『第三の波』で有名なアルヴィン・トフラーは、国家や企業ではなく、個人の力が増大するのが21世紀の象徴的現象である、と言う。トフラーは発言力があり、行動力がある個人の力の増大を「インディビジュアル・エンパワーメント」と呼んでいる。マスという大きな集合体から、力を持った個々の集合体へ。実はこれが、大きなエネルギーを必要とした大量生産社会からの脱却を意味し、この動きが21世紀の力の鍵となると僕は思っている。

残念ながら、我が国では、まだまだ圧倒的にテレビの力が強く、結果、20年前までの日本式システムをいまだに強固にし「情報談合」が日々行われている。この日本の「情報の壁」を突破しない限り、日本が自ら大きく変わることはできないだろう。

少し先の未来は、どうなるだろう? 可能であればふたつのところに住んで行き来し、できればふたつの仕事をし、そのふたつを合わせると力が倍増するようなことが可能かどうか、徹底的に追求してみるのは、いまなのではないか。

成熟した国家は、個々があたらしい自己を追求することで強い個人が生まれ、その集合体でしか、次のヴィジョンはないのではないか、そのような個性的であり責任感がある政治家や官僚が増えなければ外交すらまともにできないのではないか.....世界的な俯瞰した目をもつあたらしい強い日本人が増えることになり、日本そのものがよりあたらしく強固になるのではないか、と思っている。

どちらにしろ、311以降は、あらゆる人たちがあらゆる関係を見直す時期に来ているのは間違いない。家族や友人、会社や国家に至るまで、その間の見えづらくなっていた関係が思わぬ浮上をしたため、多くの人々があたらしい現実に直面しているからである。

今年は、奇遇にも年初に自分の執筆年とした。数多くの提言を続けていきたいと思っている。いまこそ、21世紀の生き方を皆で考え追求すべき時だから。 高城剛


(引用終了)

今まで1冊も高城氏の本を読んだことのない人、もしくは、大分前には読んだことがあるけど....と言う方に最適。特に“ハイパーメディアクリエイター”に苦笑した経験がある方は必読!

☆☆☆☆☆(満点)

◎ポッドキャスト『私の名前は、高城剛。住所不定、職業不明』出版時のインタヴューについて、吉田豪氏が語っています!

◎時代を生きる力(アマゾン)
____________

[内容紹介]大好評を博した、高城剛さんの著作本第2弾。今回は、東日本大震災後の日本のエネルギー問題、マスメディア、政治、ライフスタイルに関しての特別寄稿。前回同様、Q&Aの形で高城さんが“日本の未来”をどう考え、何をすべきか考えているかが明らかに。 Q 東日本大震災や原発事故を通して、いかがお考えですか? Q 政府や東電が情報を隠していると言われていますが? Q 震災復興は、どのような手だてがいいでしょうか? Q エネルギー政策については、いかがですか? Q 具体的な代替エネルギーは、どのようなものがいいと考えますか? Qエネルギー産業は、今後どうなるのでしょう? ずばり、日本が良くなるには、どうしたらいいのでしょう? Q もし、具体的に発電をしているのなら、問題点も含め教えてください。Q 外交に関しては? マガジンハウス (2011/6/23)

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by yomodalite | 2012-02-08 12:39 | 311関連 | Trackback | Comments(1)
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3.11への言葉を、わたしの「備忘録」として。

【バルセロナ共同】9日のスペインのカタルーニャ国際賞授賞式で配布された作家村上春樹さんの受賞スピーチの原稿全文は次の通り。(原文のまま)

「非現実的な夢想家として」

僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。

僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
 
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
 
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1・8秒短くなるほどの規模の地震でした。
 
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
 
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
 
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
 
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
 
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
 
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
 
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
 
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
 
どうしてか?
 
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
 
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
 
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
 
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
 
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
 
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
 
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
 
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
 
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
 
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
 
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
 
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
 
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
 
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
 
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
 
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
 
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
 
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
 
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
 
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
 
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
 
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
 
理由は簡単です。「効率」です。
 
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
 
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
 
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
 
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
 
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
 
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
 
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
 
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。



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ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
 
「大統領、私の両手は血にまみれています」
 
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
 
しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
 
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
 
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
 
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
 
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
 
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
 
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
 
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
 
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
 
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
 
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
 
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)


☆村上氏のスピーチは日本語で行われている
◎村上春樹カタルーニャ国際賞スピーチノーカット音源ー1

☆関連記事
◎ロバート・オッペンハイマー 愚者としての科学者

☆参考資料
◎村上春樹エルサレム賞スピーチ全文(日本語訳)





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by yomodalite | 2012-01-30 12:13 | 311関連 | Trackback | Comments(3)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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