カテゴリ:☆マイケルの愛読書( 34 )

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今年出版された『ケンジントン公園のピーター・パン』の新訳を読みました。
これは、バリが初めてピーターパンを登場させた小説『小さな白い鳥』から、ピーターが登場する部分だけを抜粋して出版された作品なんですが、海賊フックと戦ったりする前の話で、ピーターがまだ赤ちゃんのときの話なんですね。


新訳の光文社文庫のあとがきには「小さな白い鳥』に関しても詳しく書かれているのですが、ここでは、訳者による「パン」についての解説を紹介します。

(省略・要約・抜粋して引用)

「パンとはどんな神様なのでしょうか」
19世紀に広く愛用sれたランプリエールの『ギリシャ・ローマ辞典』で「パン」の項目を引くと・・

パンは羊飼い、狩人、そして田舎のすべての住人の神であり、ローマ神話のファウヌスとしばしば同一視されました。その血統については、ヘルメス神とドリュオペー(ニンフが棗の木から花を摘んだために、木になってしまう女性)の息子だとか、ゼウスとカリストー(ゼウスに愛され、女神ヘーラーに嫉妬され、熊に変えられてしまった乙女)の息子だとか、諸説あり、

また、その名前の「パン」は、ギリシャ語で「すべて」の意味(由来は諸説あり)で、姿形は、頭に小さな一本のツノが生え、肌の色は赤みを帯び、鼻は平らで、脚、腿、尻尾は山羊といったもの。

古代エジプトでは、八柱の偉大な神の一人として崇拝され、その像は山羊の姿をしていましたが、パンは、豊穣の象徴であり、エジプト人は彼を万物の原理と見なし、

ローマ時代のティペリウス皇帝は「大神パンは死せり」という声を聞き、また、パンは田舎に住む人々を怖がらせたことで、人が言われのない恐怖に取り憑かれるとき、これを「パンの恐怖」と言うようになり、これが「パニック」という言葉になった・・・

パンの性質は、みなさんが知っているピーター・パンには、ほとんど見られませんが、本書のピーターには、それがまだ残っています。

その一つが「葦笛」であり、もう一つが「山羊」です。

日本人がかつて中国の学問や文化をお手本にしたように、ヨーロッパ人にとってギリシア・ローマの文芸は敬愛する古典であり、ヨーロッパの文学や絵画にもしばしば登場し、パンの神に関しては、19世紀後半から20世紀にかけて、象徴派や耽美派の美術が盛んになると、キリスト教のアンチテーゼとしての異教世界や、産業文明に対する自然を象徴するものとして、また人間の欲望の解放の象徴として、新たな脚光を浴びたようです。

たとえば、デンマークの作家イェンス・ペーター・ヤコブセンに「アラベスク」という詩があり、イギリスの作曲家フレデリック・ディーリアスは、この詩を歌詞とした声楽曲「アラベスク」を書きました。

また、牧神をテーマにした詩で有名なのは、フランスの詩人、ステファン・マラルメの「牧神の午後」。作曲家のドビュッシーは、この詩に霊感を受け、「牧神の午後への前奏曲」をつくり、ドヴュッシーと並び称されるフランスの巨匠ラヴェルが作曲したバレエ「ダフニスとクロエ」は1912年にディアギレフバレエ団によって初演され、ニンフとパンの神に対する牧人たちの素朴な信仰が描かれています。

一方、世紀末のドイツ、ベルリンでは1895年に芸術雑誌「パン」が刊行。「パンの会」も結成され、イギリスでは、1894年にアーサー・マッケンが『パンの大神』という短編集を発表。これは、パンを魔界の象徴として用い、この神の恐ろしさを強調した作品でしたが、ケネス・グレアムの小説「The Wind in the Willows」に登場するパンは、美しい歌声で、主人公を行方不明になった息子がいる場所へと呼び寄せます。

こういった例ほど有名ではありませんが、モーリス・ヒューレットという詩人が発表した戯曲『パンと若い羊飼い』の冒頭には、「少年よ、少年よ、汝は永遠に少年なりや Boy, boy, wilt thou be a boy for ever?」と書かれていて、まるで大人にならないピーターパンの出現を予告しているかのようです。

バリーがこの作品に影響されたかどうかはわかりませんが、研究家のアンドリュー・バーキンは、バリーはこの戯曲を知っていただろうと、指摘しています。

(引用終了)
ちなみに、研究家のアンドリュー・バーキンの本は、マイケルも読んでいた本です!

バリが空想した「ネヴァーランド」は、マイケルによって何年も実在することになり、その庭には、ピーター・パンの像だけでなく、ヘルメス像が建てられていました。(HIStoryツアーのオープニング映像にも登場。→リンク)また、ドヴュッシーは、マイケルのお気に入りの作曲家であり、ディアギレフバレエ団で「牧神の午後」の振り付けとダンスの両方をこなしたニジンスキーは、マイケルのパイセンで・・・。


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光文社文庫飯の解説は、抜粋した部分以外も、ピーター・パンの創造者で、その最大のモデルでもあったバリー自身や、作品に大きな影響を与えた母親についても、よくまとめられているのですが、キャプテンWの存在が消えてしまっている本編の方は、マイケルのいないネヴァーランドのように寂しく感じられ・・

私的には、こちらの訳本の方をオススメします(しかもお値段も安いw)


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by yomodalite | 2017-08-19 00:00 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)
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パリス・ジャクソンが、ローリング・ストーン紙のインタヴューの中で、「寝る前に私たちに『A Light in the Attic』を読んでくれた父を知るのは、父の子どもである私たちだけ」と語っていたので、どんな本なのか読んでみたくなりました。

こちらの素敵なブログで、マイケルと関連がありそうな本として『Giving Tree(大きな木)』が取り上げられていましたが、
『A Light in the Attic(邦題「屋根裏の明かり」』は、『Giving Tree』と同じシェル・シルヴァスタインの作品。シルヴァスタインはアメリカで何冊もベストセラーになっている人気作家ですし、私もその世界観から、マイケルは『Giving Tree』も『The Missing Piece(ぼくを探しに)』も、子供に読んであげていたような気がするのですが、

その2冊と比べると『A Light in the Attic』は、より大人向けというか、一本の線によるイラストと、抽象的なストーリーが最後まで続くのではなく、1コマのペン画に、早口言葉や言葉遊び似た詩がついているものが134篇もあって、マザーグースのような感じ。

リズムや音を大事にするマイケルの歌詞の世界とも通じるところがあって、これを口にする、マイケルパパの楽しそうな様子が想像できたり、大人になったパリスが特にこの本を挙げた理由も、ページを開くとすぐにわかるような気がしました。

和訳本は、これまでのシルヴァスタイン本の翻訳と同じ『聖少女』の倉橋由美子氏で、言葉遊びに満ちた134篇もの詩を訳すなんて、ホントに大変なお仕事だと思いますが、日本語でも楽しめるように色々と工夫されていて大満足!

でも、どうしても原本も照らし合わせて読みたくなってしまう本なので、私は和英両方買ってしまいました。

参考記事・・・

シルヴァスタインって、ソングライターとしても大活躍してて、シンガーとしてアルバムも出してる人だったのね!

屋根裏の明かり

シェル・シルヴァスタイン,倉橋 由美子,Shel Silverstein/講談社





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by yomodalite | 2017-03-08 07:00 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)

死は永遠の別れなのか: 旅立つ人の最期の証言から

デイヴィッド ケスラー/東京書籍



久しぶりに、マイケルが読んだ本を紹介します。

著者は実践的な死生学の第一人者。死生学ってそんなに耳にする言葉ではないように思いますが、個人の死とその死生観についての学問で、具体的には自己の消滅としての死に向き合うことで、死までの生き方を考える学問だそうです。(⇨Wikipedia)

本書の著者プロフィールによれば、ディヴィッド・ケスラーは、師匠であり、死生学の権威であるエリザベス・キューブラー・ロスとの共著『永遠の別れ』『ライフ・レッスン』をベストセラーにし、ホスピス関連で最大のベストセラーになった『The Needs of the Dying(死にゆく人に必要なこと)』は、マザーテレサに絶賛され、エリザベス・テイラーや、アンソニー・ホプキンス、マイケル・ランドンなどと共に、MJもケスラーのクライアントだったとのこと。

ディヴィッド・ケスラーのサイト、http://grief.com の「About David」には、他にもセリーヌ・ディオンや、ダイアナ妃、またMJの葬儀のときの写真もあるのですが、これらの写真をクリックすると、有名人の死の際、よくインタヴューを受けていることがうかがえるケスラーの動画に移動します。語っている内容はよくわからないものの、「実践的」と言われる感じがわかるというか、彼は、宗教の違いを超えて、幅広く受け入れられる「死」の話ができる人なのでしょう。

で、肝心の本書なんですが、

これが、マイケルの書庫にあったかどうかは確実ではなく、また、下記で見ると同じ著者の他書に比べて評価も低いのですが、


実際にマイケルに会い、クライアントとして接していたというケスラーの単著3冊の中から選択したというのが理由で、これ以外に読んでいないので、他書との比較はできませんが、読んでみて感じたのは、想像以上に「スピリチュアル風味」がなかったこと。

医療従事者が、患者が亡くなったときに実際に見聞きした体験が淡々と語られていて、これらのエピソードをまとめた著者も、話すと「信用に傷がつきますよ」と言われたことなどを冒頭で語るなど、ディーパック・チョプラよりも普通の「医者が書いた本」という印象。

マイケルがクライアントだったのが、いつ頃のことなのかもよくわかりませんでしたが、年の離れた多くの友人だけでなく、死を目前にした子供たちとも数え切れないほど多く接してきたMJには、死とどう向き合えばいいのか悩むことが多かったことでしょう。また、死後の世界をどう考えるかは、彼の信仰を深める上でも、重要な問題だったと思います。

本書にその答えがあるとは思いませんでしたが、デスベット・ビジョンについて、医療従事者の証言だけでなく、文学作品における話題などもありました。



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by yomodalite | 2016-05-30 06:00 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)

チャップリンとヒトラー――メディアとイメージの世界大戦

大野 裕之/岩波書店



(本書は、マイケルが実際に読んだ本ではありませんが、この著者と同様に、熱心なチャップリン研究者だったマイケルは、これと同様の内容を読んでいたと思われるので、「マイケルの愛読書」に分類しました。)

こちらは、「ヒストリー・ティーザー」に関する会話を、訳しているときに発見した本なのですが、これまで『独裁者』という映画に、あまり感動できなかった人、また、マイケルのチャップリンを尊敬する気持ちをより深く知りたい人に、超おすすめします!

「同じチョビ髭を持ちながら極めて対照的な生涯を歩んだ二人の天才は、わずか4日ちがいで生まれたという偶然性から、ともに芸術家を志したという共通点、あるいはショーペンハウアーの読者だったというトリヴィアに至るまで、話題には事欠かない。しかし、本書は二人の伝記ではない。本書は、チャップリンとヒトラーの〈闘い〉を描く。」(第1章「チャップリンの髭、ヒトラーの髭」より)

と、著者が語るこの本は、チャップリン研究家として、国際的にも活躍されている大野裕之氏が、今年(2015年)出版した本。

1974年生まれの著者は、脚本家・映画プロデューサー・演出家・作曲家・俳優・映画研究者・振付師・・と、まさにチャップリンを学んだことから、人生を歩まれているような方で、


ここ5年間、チャップリンとヒトラーとの闘いを追ってきました。チャップリン家の資料をひもとき、草稿や日誌,当時の新聞記事を読み込みました。チャップリンに対してのナチスからの度重なる妨害の記録を読んで心が重たくなり,一般人からの脅迫の手紙に心底恐怖を感じました。そんな中でも、「今こそヒトラーを笑い飛ばすべきだ」と信念を貫いたチャップリンから喜劇の役割というものを教わりました。 
この研究は本当に辛い作業でした。1万ページ以上ある資料と格闘するのが辛かったのではありません。ナチスの妨害だけでなく、母国のイギリスからも本国アメリカからも製作中止を求められ、会社の身内からも反対される。当時のアメリカはほぼ親ナチス国で、マスコミも手を替え品を替え妨害する… かたやナチスは戦争へと突き進んでいく。誰も味方になってくれない状態で、チャップリンはたった一人で闘い続ける。そんな最悪の状況を、生々しい資料で追いかけるのは本当に辛かったのです。どんな人でもあの状況では途中で製作をやめていると思いました。それゆえに、ついに1939年9月9日付けの制作日誌で、本日撮影開始、の文字を見たとき、資料庫で一人で手を叩いてしまいました。すごい!これはすごい!ほんまに撮影が始まったんや! 
チャップリンは、創造の秘密を明らかにしなかった秘密主義者でもありました。明らかにしなかった理由は想像つきます。とくに『独裁者』に関しては苦闘よりも死闘と呼ぶにふさわしい。語りたくもなかったのでしょう。でも、その闘いの様子を知ることは、現代社会に多くのことを教えてくれます。 資料の解析に時間をかけたことで、脱稿は遅れに遅れました。しかし、結果、戦後の70年の夏に出版することになったのは、偶然とはいえ、意味があったのかもしれません。
「メディア」という戦場で「イメージ」を武器に闘った二人の話は,過去のこととは思えないほど,21世紀の〈世界大戦〉を先取りしていて,今まさに現在進行形の話です。

読む前は、ヒトラーという、これまでメディアに散々描かれ、今も描かれ続けている人物をテーマにしていることも、また、『独裁者』という映画の批判にも称賛にも、ちょっぴり食傷気分を感じていた私ですが、読み始めてしばらくすると、この映画ができるまでの、本当に命がけの展開に目が離せなくなり、史実として知っていた事実に感情がともなわれ、著者が「今まさに現在進行形」だと言われることに大いに共感しました。

このブログを見てくださっている方なら、本書の副題、「メディアとイメージの世界大戦」を、『HIStory』や、マイケル・ジャクソン自身と重ねてみない人はいないでしょう。

マイケルが生涯尊敬して止まなかったチャップリンを、私たちが今知るために、大野氏が描いたこの本ほど素晴らしい本はないと思います。

エレノアや、ウィラが言っていた、

『意志の勝利』が作られた1934年から『独裁者』が作られた1940年のあいだに、とても多くのことが起こった。そして、1940年から第二次世界大戦の終わりに起こったことによって、それらの映画の意味や重要性も変わった。

ということや、

第二次世界大戦で明らかになったことは、『独裁者』に対する私たちの感じ方を変え、『意志の勝利』への見方も180度変えたということ。
(マイケルは、)『独裁者』がチャップリンへの世論を変えるのにどれだけ影響があったか、確実にわかっていたはず。

ということが実感できるだけでなく、

私には、マイケルが長年の夢だった映画を創ることができなかった理由についても、わかるような気がしました。

これを読み終わったあとの『HIStory』には、新たな発見がきっとあるはず・・・



☆サントリー学芸賞受賞!!!


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by yomodalite | 2015-12-02 06:00 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)
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私が初めて、マイケルとシャーリー・テンプルとの関係について知ったのは、オックスフォードスピーチだったと思います。そこでは、「ふたりは会ってしばらくの間、言葉も交わさず、ただ涙した」と言うような表現がされていて、シャーリーのことを巻き毛の金髪がかわいい1930年代頃の子役スターというイメージしかなかった私は、マイケルが会いに行ったとき、すでに彼女は人々から完全に忘れ去られ、消息を探すことさえ困難で、財政面でも精神的にもとても悪い状態だったのでは… と想像していました。

それで、数年前に初めて『MJ Tapes』で、シャーリーとの出会いの部分を読んだときも、マイケルが、かつての子役スターを慰めるために、彼女を訪問したのだと思って飛ばし読みしていたんですが、翻訳を公開するうえで、再度読み直してみたら、まるっきり逆だったので驚いたんですよね(自分の英語力のなさが怖い)。(→「マイケルとシャーリー・テンプル:深くつながる心」

そんな反省もありつつ、数年ごしで、マイケルとシャーリーの出会いの部分を公開することになった、この機会に、マイケルが最後の最後まで「心の糧」とした女性の魅力について、ちょっぴり知りたくなったので、会話の中に登場した『Child Star』を読んでみました。

『MJ Tapes』では、「僕はまだ読んでいないんだ」と言っているので、正確には、愛読書の認定はできないのですが、この会話のあと、MJはより大きな困難に見舞われ、また、それを乗り越えたあとのステージを準備していた2009年でさえ、彼女のことを「心の糧」としていたことを考えると、やっぱり、その後に読まなかったとは思えないんですよね。


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THIS IS ITのリハーサルでも彼女のバッジが胸に



では、前置きが長くなりましたが、

本書は、1988年に出版されて、アメリカで大ベストセラーになった本で、、、

(下記の青字は本書を要約して抜粋したもの)

ふたりの男の子のあと、女の子を熱望した母親、ガートルードは34歳でシャーリーを妊娠し、女性的本能のありったけを総動員して、ラジオのクラシック音楽を聴き、文学書を声高に読み、美術館をめぐり歩き、途中わざわざ立ち止まってはその建築的な美しさを称賛し、映画館では、同情の涙をそっとぬぐいながら、ロマンティックな映画の音響や刺激に、まだ生まれていない子供をさらしただけではまだ飽き足らず、花々や自然の美しさについて感想を述べながら海まで歩き、うちよせる波のリズミックな音、太平洋の風に鳴る椰子の美しい景色、、

などなど、とにかく胎教を最大限、重視した母親によって生まれたシャーリーは、プロのダンサーとして訓練をさせたいという母の願いによって、3歳になるとすぐに、ミセス・メグリンのダンス教室に通うようになる。

私は彼女の映画を見たことがなく、『MJ Tapes』の翻訳のために、動画を断片的に見ただけなのですが、その中で印象に残った、伝説のビル・“ボージャングルス”・ロビンソンは、シャーリーよりもずっと前から有名人だと思っていたのですが、当時7歳だったシャーリーは、彼をほぼ同時期に映画出演のチャンスを手にいれた、もっとも相性のよかった「相方」と考えていて、

その頃、映画界で黒人が活躍する機会は限られていたが、この不利な点にさえ彼の気はくじけなかった。賭け事好きのスポーツマンタイプの男で、酒も飲まず、女を追いかけもせず、幸せな結婚をしており、幸運の女神を絶対的に信頼していた。大きなチャンスを狙って西の方にウィンクを送りながら、彼の職業上の救いが、ミセス・メグリン・ダンス教室の「一群の子供たちが作り出すさざめきと混乱のなかにあろうとは、誰にも予想できなかった。とりわけ、ビル・“ボージャングルス”・ロビンソンその人にとっては、思いもよらぬことだった、と。

また、ビル・ボージャングル・ロビンソンは、「神様はシャーリーを唯一無二の存在として創られた。あの子に続く者は二度と現れないであろう」と述べているそうです。引退後に外交官となり、ガーナ大使となった彼女には、成人後も人種的な偏見がなかったように感じられ、そういったところもマイケルが愛した理由だったように感じました。

シャーリーはデビュー前にかなりのダンス訓練をうけていて、子役の可愛らしさでスターになっただけでなく、今でも彼女の歌が教科書に載っているほど、彼女は歌と踊りで魅了したミュージカルスターだったのですね。







その他、この本に書かれていることは、私にとっては知らないことが多すぎて、また、彼女のような女性が自分のきもちを表現しようとしたエッセイを、魅力的な日本語にするのはむずかしいからか、意味が通じない箇所がかなり多いうえに、上下巻のボリュームがあり、最後までかなりガマンを強いる読書だったことは確かで、おすすめすることはできません。

彼女について知るうえでは、シャーリーのWikipediaは詳細で、自伝を読んだあとでも、概ね、客観と主観の違いしかないように感じました。


清教徒として生まれ、明るく健気、楽天的で清楚というイメージのシャーリーは、国民の誇りとして、二度目の結婚の際は、懇意にしていたFBI長官が部下に素行調査をさせるほど、アメリカ社会の上流階級から守られた存在で、85年の生涯すべてにおいて彼女の地位は揺らくことはなかったと、そこにはあるのですが、

しかし、ダイアナ妃や、ジャクリーヌ・オナシスなど、マイケルには上流階級の女性の優雅さを好むところがありましたが、ふたりはいずれも世紀の悲劇に見舞われ、ダイアナ妃はメディアの魔の手から逃れられなかったことで生涯を閉じました。

恵まれた生まれであっても「悲劇のヒロイン」になったプリンセスはめずらしくありません。

また、MJの親友、エリザベス・テイラーも、少女時代からスターとして、晩年まで過ごしましたが、彼女が本当に「大女優」になったのは、成人後のことであって、シャーリーのように少女時代に、その「子供らしさ」で、アメリカを代表するような国民的スターになり、そこから最後まで道を外れなかったというのは、これまで誰も成し得なかったことです。

彼女の輝かしい人生は、差別を受ける黒人として生まれ、メディアから最大限の逆風をうけたマイケルとはかなり異なっているようにも思えます。

「ほとんどの子役スターは、ハリウッドの子役時代に対して何らかの心の傷を抱えている。しかしシャーリーは、ハリウッドという危険な虎の穴に入って、その体験を楽しみ、けろりとして無傷で出てきたほとんど唯一の存在であった」(Wikipediaより)

この「けろりと無償」の裏に、どれほどの辛さがあったか、それは、彼女を生涯「心の糧」としたマイケル以外にはわからないことなのかもしれませんが、

どんなビッグスターとも比較にならないほどの飛び抜けた売り上げを誇ったシャーリーには、仕事のプレッシャーだけでなく、誘拐をはじめとした、他の子役スターが経験しなかったほどの様々な恐怖があったはずです。

無垢で明るい魅力を保ち続けることほど「強さ」を必要とすることはないのだ。と彼は感じていたのではないでしょうか。

私は、シャーリーの自伝を読んでいて、ダイアナ・ロスの自伝のことも何度か頭をよぎりました。翻訳のむずかしさはあるものの、シャーリーの自伝は、彼女の文才や知性を感じさせるものでしたが、ダイアナの自伝はどちらかといえば、その逆で、読者が聞きたいと思う部分を避けたというだけでなく、感情をそのまま綴ったような文章からは、彼女が矛盾を抱えたまま、ただ前を向いて突き進んできたことだけが伝わるようなものでした(特に公私ともに関係の深かったベリー・ゴーディへの記述は二転三転し、矛盾に満ち溢れている)

ただ、マイケルが生涯尊敬し続けたふたりの女性には、共通点もあるようにも感じられたんですね。

シャーリーは、生涯アメリカ社会の富裕層の一員として過ごし、彼女の生きかたには国家が奨める「模範」と言っていい「正しさ」が感じられる一方、ダイアナは、貧しい黒人家庭に育ち、シンガーとしての成功だけでなく、不倫や、奔放な恋愛で世間を騒がせ、芸能界の熾烈な争いから、彼女の周囲で傷ついていったライヴァルたちのことも度々取り上げられてきた。

その生き方に憧れ、真似したいと思うとき、彼女たちの支持者は、それぞれ重なっているようには思えないのですが、シャーリーはアメリカ社会の富裕層にふさわしいと思って、自分のスタイルと決めたわけではなく、また、ダイアナも、どんなに後ろ指を指されても自分の選択に恥じるところはないと思っていた。

人は様々なものさしで、自分が信じる「正しさ」を判断するものですが、マイケルにとって、もっとも重要なのは、大人の良識ではなく「無垢な心」で、それは、誰にとってもこうするのがいい。という規範があるものではなく、激しく批判されても、貫き通す「強い心」を養うことで守られるものであり、ひとり歩んでいく孤独に耐えることだと、彼は考えていたのではないでしょうか。

彼は、実の母とダイアナの両方を、自分の子供の後見人に指名していましたが、熱心な信者としての生活を第一に考え、何度夫が浮気をしたり、外に子供を作っても離婚しなかった母親と、ダイアナも180度違った生き方をしているようですが、マイケルの母も、自分の信仰を子供や、ほかの誰にも押し付けることはなく、「ただ、自分が信じる道を、ひたすら自分の努力によって進んでいく人生」という意味では共通していて、それは、マイケル自身にとっても、自分の子供たちへのメッセージとしても、そうあるべきだと思っていたのではないでしょうか。

また、シャーリーとダイアナは、ふたりとも母親からの教えをとても大事にしていて、マイケルも母への感謝を常に語っていましたが、彼自身は自分の子供に母親を与えなかった。マイケルには「そうでなければならない」条件のようなものより、なにかもっと「大事なもの」を瞬間瞬間で感じとるセンサーがあって、私は、そこにいつも行き当たりばったりの「感性」と呼ばれるものではない、どこか一貫した「論理性」を感じるんですね。

そして、読みにくく、決して理解できたとは言えないシャーリーの自伝にも、ときおり、それと同じ類いの知性が感じられました。


______________

註)この上下巻には、シャーリーが生まれてから、22歳で二度目の結婚をし、映画界を引退するまでが描かれています。『MJ Tapes』の中で、マイケルが「いま彼女は2冊目の本を書いている」と言っていた本は、政界に入って外交官を務めていた頃からを取上げて執筆していたようで、二巻になる予定だったそうですが、最終的に出版されなかったようです(要確認)。






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by yomodalite | 2015-09-15 06:00 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)

ホイットマン詩集―対訳 (岩波文庫―アメリカ詩人選)

ホイットマン/岩波書店




マイケルは、インヴィンシブル期といっていい1999年後半、「TALK magazine」のインタヴューで、気に入っている作家を聞かれ、「サマセット・モーム、ホイットマン、ヘミングウェイ、トウェイン」と答えています。

MJ : "I watch cartoons. I love cartoons. I play video games. Sometimes I read."

Q : "You mean you read books?"

MJ : "Yeah. I love to read short stories and everything."

Q : "Any in particular?"

MJ : "Somerset Maugham.. Whitman. Hemingway. Twain."



そんなわけで、この中で一度も読んだことがなかったホイットマンを読んでみようと思い、岩波文庫の『対訳・ホイットマン詩集』を購入。

岩波の対訳文庫といえば、ウィリアム・ブレイク、エドガー・アラン・ポー、イェイツと、これまで疑問ばかりが増幅することが多かったのですが、


本書には、ホイットマン自身による全詩集『草の葉』から33篇が収録されていて、訳者である木島始氏の素敵な「まえがき」により、ホイットマンの世界に惹きこまれ、これまでのように読み出して数秒で「マジ?」と言いたくなるようなこともなくw、私にとって最適な入門書になりました。



以下は「まえがき」から抜粋。


詩集『Leaves of Grass “草の葉”』をよんで、こういう作品をイギリス文学は生み出したことがない、という意味のことを、今世紀のもっとも批評眼のある女流作家ヴァージニア・ウルフが述懐しているのにふれたとき、ああ英語文化の生え抜きのひとにしてそうなのだ、とわたしは思ったものだ。

『草の葉』こそ、アメリカが生み出したものであり、アメリカをしてアメリカたらしめている根源ではないかと。岡本太郎風にいえば、アメリカの土壌からの「爆発」が『草の葉』となったのではないか。

1855年の初版から、1892年のいわゆるDeath Bed Edition 臨終版にいたるまで、詩人自らが活字、造本、宣伝と自分の意思を可能なかぎり詩集出版で実現しようと全力を尽くした。詩の編成や、改訂、改題も数多く、受け取る人によって何年版を最良とみなすかも、異なってくる。


このあと、木島氏は、初版につけられた序文を、対訳付きでいくつか紹介してくださっています。すべて素敵なのですが、今日の気分でほんの少しだけ抜粋します。


The art of art, the glory of expression and the sunshine of the light of letters is simplicity. Nothing is better than simplicity … nothing can make up for excess or for the lack of definiteness.

わざのわざ、表現の栄光、文学の光の太陽の輝きとは、単純さだ。単純さにまさるものは、何もない・・・過剰とか、明確さの欠如とかをつぐなうことができるものは、何もない。


読んでいるうちに、自分でも訳してみたくなったので、原文を探してみたところ、


想像以上に長い序文で、、速攻コピペして「いつかやる」フォルダにしまい込んだのですがw、とりあえず、この部分の続きを含めてパラグラフで抜粋したものをメモ。。


The art of art, the glory of expression and the sunshine of the light of letters is simplicity. Nothing is better than simplicity … nothing can make up for excess or for the lack of definiteness. to carry on the heave of impulse and pierce intellectual depths and give all subjects their articulations are powers neither common nor very uncommon. But to speak in literature with the perfect rectitude and insouciance of the movements of animals and the unimpeachableness of the sentiment of trees in the woods and grass by the roadside is the flawless triumph of art. If you have looked on him who has achieved it you have looked on one of the masters of the artists of all nations and times.

You shall not contemplate the flight of the gray gull over the bay or the mettlesome action of the blood horse or the tall leaning of sunflowers on their stalk or the appearance of the sun journeying through heaven or the appearance of the moon afterward with any more satisfaction than you shall contemplate him. The greatest poet has less a marked style and is more the channel of thoughts and things without increase or diminution and is the free channel of himself.

He swears to his art, I will not be meddlesome, I will not have in my writing any elegance or effect or originality to hang in the way between me and the rest like curtains. I will have nothing hang in the way not the richest curtains. What I tell I tell for precisely what it is. Let who may exalt or startle or fascinate or soothe I will have purposes as health or heat or snow has and be as regardless of observation. What I experience or portray shall go from my composition without a shred of my composition. You shall stand by my side and look in the mirror with me.



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by yomodalite | 2015-09-11 12:00 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)
しばらく前に流出した1993年版の『GHOST』のBGMになっていた”Seeing Voices”。

I sing of what you see and might think about Because of what you see.

僕はあなたが見て、考えそうなことを歌にする あなたが見るもののために。。

から始まる ”Seeing Voices” の歌詞は、聾唖者にむけた歌詞になっているのですが、






この曲のアイデアの源泉だったオリバー・サックスの『手話の世界へ(Seeing Voices)』は、ろう者の世界から、言葉を話すこと、教えることの本質や、子供の発達や、神経系の発達とはたらきについて、考えさせられるとても興味深い本で、あらゆる意味で、マイケルが興味をもった本だということがよくわかる本です。

わたしは昔、手話の世界は世界共通で、手話さえ覚えれば、世界の人々と会話できるのでは?と思ったことがあったのですが、実際は、国によって手話も異なっていて、本書によれば、英語圏の手話だけでも何種類もある。

また、聴覚障害の子供をもつ母親が、一般学級に通学する方が、より広い世界を経験できると考え、手話ではなく、読唇術を学ばせているTV番組も見たことがあったのですが、

本書を読むと、手話がパントマイムのような「手振り身振り」だけではなく、洗練された文法(話し言葉とは異なる)をもつ、奥深い世界をもった言語であり、音声言語より高い次元の言語であることも示されていて、生まれつき耳の聞こえない子どもは、できるだけ早く手話の使い手に出会い、また、聞こえる両親も手話を習って、親子の交流が可能になるように努力をし、手話を第一母語として習得することの意味についても書かれています。

ろう者のための、ろう者によるユニークな大学、ギャロデッド大学のこと、また、遺伝性聴覚のために、島の全員が手話で話すことになったマーサズ・ヴィンヤード島での出来事、また、子どもの知性を豊かに引き出すための母子のやりとりなど、興味深い内容が多すぎて困るほどなんですが、

読書中に、アナザーストーリーズ「“燃えよドラゴン”誕生 ブルース・リー最後の闘い」の放送があり、人種を超えたと称されたふたりの共通点の多さに驚くと同時に、彼らと似ている勝新太郎のこともまたまた思い出してしまって、、

一流ミュージシャンでもある勝新は、視覚障害者の世界を描くうえで、MJのショートフィルムに匹敵するぐらい音にこだわり、視覚障害者が見ている世界を視覚化することを考えていましたが、MJはダンサーとして、音の視覚化に興味があっただろうなぁと。。


最後に、米原万里さんの『打ちのめされるようなすごい本』から、本書の素晴らしさが簡潔に伝わる書評を。


独自の文法備えた空間言語
オリバー・サックス『手話の世界へ』
 
発見の驚きと喜びに満ちた本だ。読了後、付箋をつけた頁の方がつけない頁を上回ったことに気付いた。そのふせんが、私の目からはがれた鱗にも見えてくる。
 
手話は、音声言語を字句通りマイムに転換したにすぎないという偏見を木っ端微塵に打ち砕かれたばかりではない。人間は外界から摂取する情報の九割を視力に頼る。だから聴力よりも視力を失う方が遥かに絶望的だと思い込んできた。意思疎通と思考の具であり、人類の遺産や文化への参入に不可欠な、従って人間を人間たらしめている言語は、健聴者が圧倒的多数を占めるこの世界ではまず何よりも耳で聞きロで発するものであることを失念していた。文字言語でさえ音声言語を前提として成立しているのだ。

「聞こえないということそれ自体が苦痛なのではない。苦痛はコミュニケーションと言語の断絶とともに訪れる」しかし喪失は新たな獲得をもたらす。音声言語獲得前に失聴した幼児が意思疎通を求めて止まない人間本来の強烈な欲求に突き動かされて手話を獲得していく過程は感動的だ。言語を空間化し空間を言語化する能力が大脳と脳神経系の進化を促しながら驚異的に発達していく。

手話で寝言をいう老婆や、哲学や化学の手話による講義風景に目を見張りながら、手話自体が語彙のみならず独自の統語論、文法、意味論を備えた完全なひとつの言語であることを知る。その音声言語との相違は、音声言語同士の、例えば日英両国の違いを遥かに凌ぐものである。つまり手話は一種の民族文化にさえ匹敵するのだ。

そしてあらゆる異文化との接触がそうであるように、手話を知ることによって言葉や人間の本質のより重端的な探究と根源的な見直しが可能なことを本書は雄弁に語る。だから自己蔑視と主体性の欠如を特徴としていたろう者たちが、ろう大学での闘争を通して独自のろう文化の担い手であることに目覚め、自己を確立していく姿を描いた最終章は圧巻だ。
 
厳密で正確かつ柔軟で軽やかな訳文の読み易さに舌を巻いた。ろう者である訳者のこの並外れて鋭い言語感覚こそが、本書のメッセージを十二分に裏付けてもいる(佐野正信訳)ーー読売新聞1966.2.18





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by yomodalite | 2015-06-16 06:00 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)

迷い鳥たち

ラビンドラナート タゴール/未知谷

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本書は、『ギタンジャリ』と同じく、タゴール自身が英訳して出版した作品集。

1916年に、タゴールが来日し、横浜の三渓園内にあった松風閣に滞在することになったとき、部屋に案内し、障子を開けると、眼下に東京湾の真っ青な海と房総の山々が窓いっぱいに拡がり、涼しい海風とともに一羽の鳥が窓の中に飛び込んできた。タゴールはそのときの感動から、「さまよえる鳥が私の窓に来る」A stray bird comes to my window という句を作り、それがこの詩集のタイトルにもなった。初版本には、三渓園のオーナーである、原富太郎への献辞も添えられていたようです。

また、この本の詩の形式はアフォリズムというか、2〜3行ほどの短い詩で構成されているのですが、それも日本の俳句に影響を受けたものらしく、タゴールは、早くから日本に関心をもち、日本人の自然を愛する美意識を高く評価していました。

しかし、その後、彼は日本の帝国主義に失望し、来日中の講演でも批判をしたため、当時の日本政府から疎まれるようになり、日本のアジア初のノーベル賞受賞詩人に対する歓迎の熱も潮が引くように冷めていったようです。

でも、マスコミの熱狂は冷めても、本書にはいつの時代にも人の心を動かさずにはいられない「名言」のような言葉があふれていて、

1992年の「EBONY/JETインタヴュー」で、マイケルが引用していたと思われる詩も。。

本書の訳詩に、英詩も併記して、いくつかメモしておきます。

IT is the tears of the earth that keep her smiles in bloom.
大地を花ほころばせるのは、大地の涙があればこそ

IF you shed tears when you miss the sun, you also miss the stars.
太陽をみうしなって涙をながすなら、あなたは星たちをもみうしなう。

"WHAT language is thine, O sea?"
"The language of eternal question."
"What language is thy answer, O sky?
"The language of eternal silence."

「海よ、あなたの言葉はどのような言葉ですか」
「永遠の問い、という言葉です」
「空よ、あなたの答えはどのような言葉ですか」
「永遠の沈黙、という言葉です」

WHAT you are you do not see, what you see is your shadow.
あなたが何者なのか、あなたには見えない、あなたが見るのはあなたの影法師にすぎない。

MAN is a born child, his power is the power of growth.
人間は天性の子どもであるがゆえに、その持てる力とは成長する力のことなのです。

MAN does not reveal himself in his history, he struggles up through it.
人間とは、じぶんの歴史のなかにおのずと姿をあらわすというのではなく、それを通じて努力して進むことそのものなのです。

THE Perfect decks itself in beauty for the love of the Imperfect.
完全者は、不完全者への愛のために、美でもって自身を装う。

WRONG cannot afford defeat but Right can.
悪は敗北する余裕をもつことができないが、正しきことはそれができる

EVERY child comes with the message that God is not yet discouraged of man.
子どもは、どの子も、神はまだ人間に失望していないというメッセージをたずさえて生まれてくる。(*)

TO be outspoken is easy when you do not wait to speak the complete truth.
率直に話してしまうのはたやすい、あなたがほんとうの真理を語りかけたいというのでなければ。

IF you shut your door to all errors truth will be shut out.
あなたがすべての誤りにたいして扉を閉ざすならば、真理も閉め出されることになる。

THE world has kissed my soul with its pain, asking for its return in songs.
世界はそれがもつ苦痛でわたしの魂に口づけし、その返礼を歌にするようもとめた。

THE service of the fruit is precious, the service of the flower is sweet, but let my service be the service of the leaves in its shade of humble devotion.
果実の役目は貴重であり、花の役目は甘美なものであるけれど、わたしの役目は、つつましい献身で木陰をつくる、樹木の葉のようでありますように。

MEN are cruel, but Man is kind.
「人びと」は残酷だ。しかし「人」は優しい

LIFE has become richer by the love that has been lost.
人生は失われた愛によっていっそう豊かになる。

THAT love can ever lose is a fact that we cannot accept as truth.
愛が負ける、などということは事実としても、真理とみとめるわけにはいかない。

MAN'S history is waiting in patience for the triumph of the insulted man.
人間の歴史は忍耐づよく待っている、侮辱された人間が勝利するのを。

LET this be my last word, that I trust in thy love.
わたしはあなたの愛を信じます。これをわたしの最後の言葉とさせてください。

________

(*)マイケルのインタヴューでは、"When I see children, I see that God has not yet given up on man." 「子供たちを見れば、神は人間を見捨ててはいないことがわかる」ですが。。。



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by yomodalite | 2015-05-28 06:00 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)
本書は、こども時代のことや、母への思い、また著者がこどもの気持ちになって書かれた詩が中心に納められています。

この中から、「children OF THE WORLD」や、「こちらのメモの詩」などにインスピレーションを与えた詩を、タゴール自身の英訳詩も併記してメモしておきます。


On the seashore of endless worlds children meet. The infinite sky is motionless overhead and the restless water is boisterous. On the seashore of endless worlds the children meet with shouts and dances.

世界の海の岸辺に
子供らは集う
果てしない大空は
頭上に動かず
泡立つ碧い水は
終日踊る
ああ 浜辺に満ちる賑わいよ
子供らは集う

They build their houses with sand, and they play with empty shells. With withered leaves they weave their boats and smilingly float them on the vast deep. Children have their play on the seashore of worlds.

砂で家を建て
貝殻で遊ぶ
木の葉で
小舟を折り
碧玉色の大海に
浮かべる
世界の海の岸辺に
子供らは集う

They know not how to swim, they know not how to cast nets. Pearl-fishers dive for pearls, merchants sail in their ships, while children gather pebbles and scatter them again. They seek not for hidden treasures, they know not how to cast nets.

子供らは泳ぐ術も知らず
網を打つ術も知らない
海女は真珠を求めて潜り
商人は船を漕ぎ駆け巡っているけれど
子供らは小石を見つけては集め
積んで遊んでいる
子供らは富を求めず
網を打つ術も知らない

The sea surges up with laughter, and pale gleams the smile of the sea-beach. Death-dealing waves sing meaningless ballads to the children, even like a mother while rocking her baby's cradle. The sea plays with children, and pale gleams the smile of the sea-beach.

海は泡を立てて笑い
浜辺も笑う
逆巻く波は
揺籠をゆする母のように
優しい調べを
子供らの耳に歌う
海は子供らと共に遊び
浜辺は笑う

On the seashore of endless worlds children meet. Tempest roams in the pathless sky, ships are wrecked in the trackless water, death is abroad and children play. On the seashore of endless worlds is the great meeting of children.

世界の海の浜辺に
子供らは集う
暴風雨は空に彷徨い
船は遥かな海に沈み
死の使者が飛んでゆくけれど
子供らは遊ぶ
世界の海の岸辺に
子供らの大いなる集いがある

(神戸朋子訳)


*タゴール自身は詩にタイトルをつけていないと思いますが、一般的にこの詩は「On the Seashore」と呼ばれているようです。




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by yomodalite | 2015-04-27 21:00 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(3)

タゴール詩集 ギタンジャリ―歌のささげもの

ロビンドロナト・タゴール/風媒社

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去年読んだ本で、ブログに記録しておかなくちゃと思う本が溜まり過ぎていて、2015年の最初に紹介する本を何にしようか迷ったのですが、こちらは、私が思う『ギタンジャリ』のベスト翻訳本。

ディーパック・チョプラ氏が、マイケルが旅立つ2週間前の会話で、彼がタゴール詩集を読んでいたと明かしていたことで(『ギタンジャリ』かどうかはわからないのですが…)、この詩集を読んでみたという方も多いと思います。


私もそのひとりで、多くの翻訳本がある『ギタンジャリ』をすべて読み比べてみたわけではないのですが、本書は、一般的な単行本よりも一回り小さく、厚み1センチのコンパクトサイズ。タイトル部分は、銀箔押しで、ベッドサイドやお気に入りの読書スペースに置いておくのにも相応しい素敵な装幀で、平易な言葉で散文的に訳されているだけでなく、英語詩も併記されています。

本書の「はじめに」から、要約して引用します。

タゴールの詩稿は、画家のウィリアム・ローセンスタインの奔走によって詩人のイェイツや、エズラ・バウンドに見出され、英語詩集『ギタンジャリ』は、イェイツの序文とともにロンドンのインド協会から発行され、その数年後、タゴールは、アジア人として、最初のノーベル文学賞に輝く。英語版の『ギタンジャリ』は、小説家のアンドレ・ジッドによるフランス語訳をはじめ、世界各国で翻訳され、詩人の増野三良が日本語に訳した『ギタンジャリ(歌の祭贄)』が出版された翌年の1916年に、タゴールは初めての日本訪問を果たしている。タゴールは詩作のかたわら、演劇、小説、評論、作曲、教育、絵画といった分野でも活躍し、20世紀前期のヨーロッパ、アジア、南北アメリカなどの諸国を歴訪しながら東西文化の交流にひと役買った。

題名の『ギタンジャリ』は、ベンガル語で《歌のささげもの》という意味である。

収録作の多くが、作者である「わたし」から、永遠の存在である「あなた」へとささげられた歌の形式で書かれている。「あなた」が、神であるならば、これらの歌はすべて神にささげられた詩人の祈りであるといえるだろう。

英語版の『ギタンジャリ』は、1910年に上梓したベンガル語版『ギタンジャリ』から、53篇、その前後の10年ほどの期間にものした『ささげもの』「渡し舟』などの詩集から50篇、しめて103篇のベンガル語の韻文を自選し、タゴール自身の手で英語の散文に翻訳して1冊にまとめられた。

それぞれの詩に通し番号が打たれているだけで、題名はついていないが、元々バラバラに書かれた作品である。

(引用終了)

通し番号だけでは内容がわかりにくい「目次」には、詩の冒頭が日本語と英語の両方で記されていて、


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対訳もある本文は、こんな感じ。。


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横浜三渓園で撮られたというタゴールの写真に、なぜか既視感を覚えたりw、私が海外の詩を日本語にするときに思い描いている「理想」(散文的で、詩的な印象の漢字や表現をできるだけ避けたもの)に近いからでしょうか。『Dancing The Dream』に納められていたら、マイケルが書いたと思ってしまうような詩もいくつかあって、そんなことも、「ベスト翻訳本」に選んだ理由なんですが、、



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「訳者あとがき」より、要約して引用します。

タゴールは英語の独特な擬古文で『ギタンジャリ』を書いた。少年の頃から、サンスクリット語のヴェーダ文献や叙事詩、中世インドの宗教詩に親しむとともに、シェイクスピア、バイロン、ワーズワースなどの英語の詩文にも傾倒し、青春時代には《ベンガルのシェリー》という渾名がついたという逸話もある。タゴールが詩の翻訳を試みるときに、英語の擬古文を採用したのは、自然のなりゆきだったにちがいない。しかし、わたしは英語のテキストが擬古文だからといって、日頃なじみのない古雅な日本語に訳すのではなく、水のように透き通った現代語に置き換えていくことに、ひたすら心血をそそいだ。本書を訳すにあたり、先行する訳業の数々を拝読して幾重にも敬意を表したうえで、これから初めてタゴールを読もうとしているひとの心にも自然に届くような日本語をあてはめていくことを肝に銘じた。

(引用終了)


本書から一篇だけ選ぶのに、すごく迷いました。

次に訳そうと思っている『Dancing The Dream』の “WHEN babies SMILE” や“children OF THE WORLD”を思い出す詩もあったのですが、わたしは、MJがチョプラに、「タゴールの詩を読んでいる」と言ったのは、そのこと自体が、「別れの挨拶」だったように思えて、それで、そういった詩の中から選んでみました。

*  *  *

わたしは知っている、この世が見えなくなる日が訪れることを。

いのちは無言で立ち去るだろう、わたしの眼に最後のとばりを垂らして。


それでも星は夜の見張りをして、朝はいつもどおりに起床するだろう。

海の波のように時間がうねり、愉しみと苦労を打ちあげるだろう。


わたしの時間の終わりをおもうとき、時の障壁が破れて、

死の光に照らされたあなたの世界の素朴な宝のありかが見える。

そこでは身分の低い席ほど大切にされる、卑しいいのちほど大切にされる。


わたしが無駄に待ち望んだものと、わたしが手に入れたもの ーー

それらは消えるにまかせよう。

かつてわたしが拒絶して見過ごしたものだけを、いつわりなく手元に残してくれ。



I KNOW THAT the day will come when my sight of this earth shall be lost, and life will take its leave in silence, drawing the last curtain over my eyes.


Yet stars will watch at night, and morning rise as before, and hours heave like sea waves casting up pleasures and pains.


When I think of this end of my moments, the barrier of the moments breaks and I see by the light of death thy world with its careless treasures. Rare is its lowliest seat, rare is its meanest of lives.


Things that I longed for in vain and things that I got-let them pass. Let me but truly possess the things that I ever spurned and overlooked.



◎[Amazon]タゴール詩集 ギタンジャリ―歌のささげもの




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by yomodalite | 2015-01-05 13:05 | ☆マイケルの愛読書 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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