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マイケルを拒絶していた時代【4】の続き


「THIS IS IT」上映から今日で88日経ちました。DVD発売までに、これまで考えたことをとりあえずまとめておこうと思ったのですが、思っていたより長くなってしまいました。

彼が亡くなったときから、それまでの否定的な報道はなりをひそめ、急激ともいえる賞賛が吹き荒れました。でも、それらは

「彼の影の部分ではなく、一番良いときを記憶しておこう」

というものがほとんどでした。

でも、わたしは、彼の人生の全てが知りたくなるという日々を何日も過ごしているうちに、

マイケルに対してあった疑問や、違和感に関して、彼が1ミリも間違っておらず、いかに自分が間違っていたかに気付いたんですね。

わたしは、Monty Pythonの “Always look on the bright side of life” という曲が大好きで、自分に対しては、よくそのように慰めているんですけど、

彼の人生は、彼の音楽・ダンスだけでなく、すべてを通して本当に見事でした。

この文章は、「THIS IS IT」を見るまで、または観た後も、やっぱり、マイケルに対して残ってしまった疑問や、違和感と、マドンナが語った「なぜ彼を見捨てることになったかのか?」という自分自身の懺悔の気持ちで書いています。

この時代、本当に彼が、たった1人で多くのことを考え、成し遂げ、戦ってきたのか、ということが、胸に刺さり過ぎて、つい長くなってしまいましたが、もう少しおつきあいくださいませ。

* * *

マドンナが、追悼の際、エピソードとして語ったデートのとき、ふたりは“In The Closet”という曲でのデュエットについて話し合っていました。マドンナは、マイケルのファッションセンスをもっと磨くように促し、自分が男性で、マイケルが女装をしてはどうかという挑発的な提案もしますが、マイケルはこれを拒否。結局、SFではスーパーモデルのナオミと共演し、モナコのステファニー王女も声で参加しています。

◎Michael Jackson-In the closet

この歌の官能的な詞は、こちらのとてもとても素敵なサイトででご確認ください。

◎“In The Closet”訳詞(「マイケルの遺した言葉」より

マドンナは、さっぱりした性格で、度量の大きい、本当に優れたエンターティナーだと思いますが、このエピソードは、彼女や、また多くのアーティストと、マイケルが決定的に違う点をよく表していると思うんですね。

こういうエッチな歌を、とてつもなく神々しく表現できるアーティストは、少なくともポップミュージックの世界では、彼しかいないでしょう。


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マイケルは、世界中にダンサーを増やし、今セクシーなダンスは、ポップミュージックに欠かせないものになっていますが、シンガーのほとんどは、売れる戦略として、セクシーさを無理矢理求められている気がするんですよね。

でも、本来舞踊は、宗教儀式に欠かせないものであり、世界中の多くの地域で、今でもそうであるはずです。彼のような特別なダンサーでなくても、踊りを通して、神との一体化を感じているダンサーは大勢いるし、わたしたちが毎年行なっているような祭りという行為も、そうです。

ダンサー達は、顔や体に化粧を施し、そして、そこには化粧を施された “子供” もいたはずです。

すべてのポップミュージシャンが、そのことを完全に忘れていく中、彼だけがより一層、神との感覚を強めていきました。

そして“60minute”のインタヴューで、エド・ブラッドリーが言った、

“40も半ばの男性が、赤の他人の子供たちと同じ寝室で寝る行為”への非難は、今、本当に考えなくてはならない問題だと思います。

残念ながら、幼児性欲者は、一定数の割合で存在してはいますが、その分母と分子を冷静に考えてみるべきです。

赤の他人にすべて気をつけなくてはいけないんだったら、親がいなかったり、もしくは、親が虐待者のこどもは、どうすればいいんでしょう? 一緒に寝てくれる父親がわりの男性に、一生出会えないことになってしまいます。

万が一の事故が、我が子に起こったら、、と思うのは、親にとっては、当然の感覚ですが、常に、他人を疑い、親の保護で子供をスポイルしてしまうことで、世界中から、愛が失われてしまっています。

ベッドの問題だけでなく、学校の行き帰りに、親が迎えにいかないだけで、激しい非難を受けるようになったのは、なぜなんでしょう? 報道のありかたが、わたしたちに与えている悪影響は、もう見逃せないものになっていて、

パパラッチだけでなく、歴史も格式もある報道番組ですら、これほどの間違ったメッセージを発してしまっている現実には気が重くなるばかりです。

このあと、ナレーションでは「今の彼にかつて世界トップスターとして君臨していた頃の面影はありません」という言葉がありましたが、そのナレーターの頭にあった、彼のイメージは “Beat It” や、“Bad” の頃のものだったのでしょうか? 

マイケルが子供や、若い男女だけでなく、その親からも認められる存在だったのは、それらの歌には「ウエストサイドストーリー」などの親世代の若い頃のスターのイメージが被っていたからです。その後 “Black or White” の後半で見せる暴力や際どい性的表現も、当時のマイケルがもっていた好青年的ルックスと、超絶ダンステクニックによって、まだ、ヒットの燃料になっていましたが、徐々に、そのあまりにも超人類的な彼の個性は、普通の若者にとって、感情移入しにくい存在となっていきます。

それと、呼応するかのごとく、彼は、当時の常識的な目で見れば、尋常ではないのではと思わせるぐらい、益々、子供にのめり込んでいるように見え、ピーターパンシンドロームの代表選手のように、徐々に嘲笑の対象になっていき、

彼の尋常性白班症という病気から起こる、病的な肌の白さは益々進み、同時に、そのメイキャップも濃くなる一方で、人間ぽさがまったく感じられない、まるで、アニメキャラを目指しているかのような彼の特異なルックスは、どんどん受け入れがたいものになっていきました。

わたしが彼のショートフィルムで、最後までなかなか受け入れがたかったのは、
“You Rock My Wourld” でした。

ギャングと酒場が舞台であるのは “Smooth Criminal” と同じですが、ミュージカルスタイルだった “Smooth Criminal” と異なり、実際に血の匂いを感じさせる「クライム・サスペンス映画」に出演していた俳優たちが醸し出す雰囲気がリアルなのにも関わらず、マイケルは濃いメイキャップをほどこした非現実的な男として、酒場への登場から脱出まで、本当に見事なカッコいいダンスがあったにも関わらず、どうしても、その顔が気になって、せっかくのダンスに集中できないぐらい、浮いているように見えました。


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わたしは「THIS IS IT」後も何度も思いました。せめて、このくらいのメイクじゃダメなの?、、赤い口紅はいらなくない?と。

「THIS IS IT」でも“フィルム・ノワール”の代表作『ギルダ』 -Gilda(1946年。監督:チャールズ・ヴィダー)のリタ・ヘイワースや、ハンフリー・ボガートとの共演を、同様の更に進化したような濃いメイキャップでしていましたよね。

でも、その謎というか、疑問は、最近になってようやく薄らいできました。

“60minute”のナレーターが「今の彼にかつて世界トップスターとして君臨していた頃の面影はありません」と言った頃の彼は、史上初の黒人アイドルから、黒人でありながら、どこかジェームズ・ディーンであったり『ウエストサイドストーリー』の登場人物のように、人種を越えた若者のスター像を演じているところがありましたが、もう彼は、そういうスター像には、一切興味がなく、彼が真に追求したのは、ダンサーとしての存在です。

彼のあまりに多彩な才能から、重要視されていませんが、彼は俳優としても、かなりのものです。そして、少し油断すると、当時でも、彼はめちゃめちゃ “男前” になってしまうのですが、それは、完璧な芸術家であろうとした、その頃のマイケルにとっては、少し邪魔なものになって行った。。。

ここで言っている、ダンサーとは、通常のエンターテイメント界のそれではなくて、神の儀式における踊り手のことです。

彼は、神のことをよく語っていたし、非常に信仰心が強いことも、イエスに近づこうと努力しているなど、度々その真剣さに心打たれていたにも関わらず。。わたしは、彼のメイクがそこに関係があるとは、ずっと気がつくこともなく違和感を抱いていました。ついつい女子の萌え心で、かつてのマイケルを追ってしまうところがあったんですね(反省)

彼はダンサーとして、常にメイキャップを欠かさないことで、日々、日常に溺れないように過ごし、様々な映画の神(アイコン)たちの中で、ダンサーとして存在することを模索していたんだと思います。

☆この後、「マイケル・ジャクソンの顔について」という考察を始めました

こちらは、[2]から始まっています。





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by yomodalite | 2010-01-24 22:26 | MJ考察系 | Trackback | Comments(15)
マイケルを拒絶していた時代【3】の続き


「フレディ・マーキュリー追悼コンサート(Freddie Mercury Tribute Concert)」の出演者は、

メタリカ
デフレパード
ボブ・ゲルドフ
U2
ガンズ・アンド・ローゼス( アクセル・ローズ、スラッシュ)
ロバート・プラント
ポール・ヤング
フィル・コリンズ
アニー・レノックス
デヴィッド・ボウイ
ジョージ・マイケル
エルトン・ジョン
エリザベス・テイラー
ライザ・ミネリ


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アニー・レノックス



今考えると、1991年にフレディー・マーキュリーが45歳でエイズで亡くなったときが、本当に80年代の終焉だったのではないかと思う。

マイケルのソロ30周年を祝うコンサートで、マイケルとジャクソンズを紹介したエリザベス・テイラーは、ここではエイズ撲滅について語り、“You Are Not Alone” を歌ったライザ・ミネリは、フレディも大ファンだったようで、このときは “We Are The Champions” を歌っています。

現在エイズで亡くなる人は激減し、当時の衝撃や、それがいかに文化に影響を与えたか、80年代にセックスをする機会のなかった世代には、きっとわからないでしょう。

エイズは、発生当初「ゲイの病」と言われ、本当に数多くのアーティストの命を奪いました。それが “狙い撃ち” だったという説が真実だと思えるほどに。

貧しい地域にお金を届ける活動と、エイズのための活動は、その後も続けられましたが、90年代以降、なぜか、世界から“愛”はどんどん失われ“愛”はお金に換算できるもののようになっていき、マイケルを拒絶していくことになる90年代が始まりました。

マイケルが、この2つの大きなコンサートに参加していなかったことは、今考えると非常に意味があるように思えます。(ライオネル・リッチーはバンドエイドに参加していますし、 MJはフレディとも他のクイーンのメンバーとも関係が深かったのに...)

また、ライブエイドで、本来そういった精神の元であったフォーク音楽や、ジョーン・バエズ、ボブ・ディランが否定されていったのも象徴的でした。

なぜ、エチオピアに食糧を!というチャリティーが、“音楽の力”を奪っていったのか?このあと、その問いを誰よりも考え続けたのが、マイケル・ジャクソンだったんだと、今はそう思えてなりません。

“We are the would”をほとんど1人で作曲したマイケルは、参加メンバーの中でも、当時もっとも光り輝いていて、若者に影響力のあるスターでしたが、当時のPV映像を見ると彼は非常に控えめです。それは参加メンバーの中で一番若かったせいではないでしょう。

彼は、熱唱スタイルが多い他の出演者と違って、このとき、いつもより女性的な声で歌っています。彼が歌っているのは、2パートなんですが、最初は別撮りのような映像で、彼は当時ダイアナ・ロスによく似た顔なんですが、そこに後からダイアナ・ロスの映像が重なります。2回目は、ダリル・ホールのソウルフルな歌の後なんですが、このときは、マイケル、サングラスかけちゃってます!

マイケルの後は、ヒューイ・ルイス、シンディ・ローパー、キム・カーンズのこれまた白人熱唱系。で、そのあと、全員合唱スタイルになると、マイケルは、前列一番端の目立たないところで、ダイアナ・ロスとだけ、手を繋いでいるんですが、ここからはもうほとんど映っていないんですね。

ライブエイドのテーマソングだった“Do they know it's christmas”はイイ曲ですが、そのタイトルも歌詞も先進国の奢りが感じられなくもありません。その後にマイケルが創っていく、チャリティーソングや、メッセージソングのタイトルからは、お金集めより、音楽の力を大事に考えられたものだということが、よくわかると思います。

◎We are the World(アフリカの飢餓と貧困の解消)
◎Heal The World[SUPER BOWL Live](世界を癒そう)
◎What More Can I Give(9.11アメリカ同時多発テロ後)
◎I have this dream!(カトリーナハリケーン)(Unreleased)
◎We've Had Enough(イラク戦争に対する反戦歌)

☆ジャニーズ「Jフレンズ」のために、MJが書いた曲
◎Children's Holiday - [Concert Live!!!]
◎People Of The World - J-FRIENDS(阪神淡路大震災)

この時代から、貧富の差が激しくなったアメリカは「中流家庭」が激減し、急速に“愛”が失われていった90年代以降、その危機感を切実に感じていたアーティストはマイケル・ジャクソンだけでした。

「彼を見捨てた」発言が、マドンナにしか言えなかったのは、彼女がマイケルと同じように「80年代サヴァイヴァー」だったからですが、彼女だけでなく、誰も彼のように深くは考えられなかったし、行動も出来なかった。

マイケルを拒絶していた時代【5】に続く





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by yomodalite | 2010-01-22 17:10 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)
マイケルを拒絶していた時代【2】の続き


バンドエイドのメンバーは、フィル・コリンズ(ジェネシス)/ボブ・ゲルドフ他ブームタウン・ラッツ/スパンダー・バレエ/ミッジ・ユーロ(ウルトラヴォックス)/デュラン・デュラン/ポール・ヤング/バナナラマ/シャラマー/ボノ他U2/ポール・ウェラー(スタイル・カウンシル)/クール&ザ・ギャング/ジョージ・マイケル/ボーイ・ジョージ(カルチャー・クラブ)/スティング(ポリス)/デヴィッド・ボウイ/ホリー・ジョンソン(フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド)/ポール・マッカートニー/トレヴァー・ホーン・・・

ジョージ・マイケル、ボーイ・ジョージ、エルトン・ジョン(ライブエイドに参加)は、ゲイであることをカミングアウトし、デヴィッド・ボウイ、ミック・ジャガー(ライブエイド参加)は初期の頃、売れるためにバイ・セクシャルであると公言し、フレディ・マーキュリーもまたそうでした。現在より、中性的であることはアーティストにとって重要と思われていました。


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スティーブ・ストレンジ



スパンダーバレエ、ウルトラボックス、デュラン・デュランは、当時“ニューロマンテッィク”と言われ、着飾ったファッションとメイクが特徴でした。マイケルが好きだった、アダム・アント(ライブエイドに参加)もそのひとり。

ニューロマンティックは、スティーブ・ストレンジが主宰していたクラブ・ビリーズで開催されていたデヴィッド・ボウイ・ナイトが発祥で、彼のバンド、Visageには、バンドエイド発起人のミッジ・ユーロも在籍。



上記以外でライブエイドに参加しているのは

・ジャック・ニコルソン、ベッド・ミドラー(司会)
・アダム・アント
・エルヴィス・コステロ
・シャーデー
・ハワード・ジョーンズ
・ブライアン・フェリー
・デヴィッド・ギルモア
・ダイア・ストレイツ
・クイーン(全出演者中、最多6曲を披露)
・ザ・フー(この日限りの再結成)
・エルトン・ジョン
・シンプルマインズ
・プリテンダーズ
・マドンナ(バックステージでの態度の悪さから、ベッド・ミドラーから嫌みのこもった紹介をされる)
・トム・ペティ&ハートブレイカーズ
・カーズ
・レッド・ツェッペリン
・ミック・ジャガー
・ティナ・ターナー、ライオネル・リッチー、ディオンヌ・ワーウィック、
・ハリー・ベラフォンテ(“We are the would”メンバー)ほか、

ジョーン・バエズ、ボブ・ディラン(二人ともこのライブで過去の遺物と酷評される)など、まだまだ書ききれないぐらい程大勢いるんですが、ライブエイドはイギリスとアイルランド系だけでなく、当時有名だったほとんどの白人ミュージシャンが出演しています。


西寺郷太氏のファンの方は「ウィ・アー・ザ・ワールドの呪い」をご存知だと思いますが、バンドエイドに参加したミュージシャンも、皆このあと、力がなくなっていきました。西寺氏のように詳しく調べたわけではありませんが、大雑把にいって、このあたりから、白人音楽がもっていた素晴らしい文化が消えていったように思います。

渋谷陽一氏は、「ウッドストックは、イベントそのものが大きな事件であった。しかし、ライブエイドは「チャリティ」という話題を借りなければイベントが成り立たず、音楽の影響力が低下した証拠だ」という旨の発言をしています。(ウィキペディアより)

この後、1992年に行われた「フレディ・マーキュリー追悼コンサート:Freddie Mercury Tribute Concert」は、エイズ撲滅のためのチャリティー・コンサートとして、ロンドンのウェンブリー・スタジアムで72000人の観客を集め行なわれました。






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by yomodalite | 2010-01-22 14:59 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)
マイケルを拒絶していた時代【1】の続き


少年に対する性的虐待で逮捕後、CBSによる保釈後初のインタビュー(2003年11月20日、少年に対する性的虐待で証拠不十分のまま逮捕される。12月25日、CBSによる保釈後初のインタビューを受ける。米国では12月28日の60ミニッツで放映、日本では翌2004年4月10日にTBSの深夜CBSドキュメントで紹介された。)

◎60minute(インタビュアー:Ed Bradley)

マイケルへの悪意に満ちたインタヴューは数多く残されているけど、これを最初に見たときは最悪だと思いました。インタヴュアーでなく、マイケルが。

“60minute”は、60年代から放送されている、格式も人気も高いドキュメンタリー番組。エド・ブラッドリーは、長年同番組で、様々なインタビューをしてきた非常に良識のあるベテラン記者。マイケルの言っていることは、正論なのだけど、はっきり言って、こんな風変わりな容姿の男と、同じベッドで、というのは、大抵の親なら危険信号を察知してしまうと思う。(←動画参照)

このメイクの上に、往年の女優にあてるような強い照明で顔を照らしているのも、マイケル側の要求のように見えるし、これでストレートな性意識だと思う方が不思議。せいぜい虐待はなかったかもしれないけど、やはりどこかおかしいと思われてもしかたがなく、疑惑の払拭にはまったくならないどころか、増大させてしまっていると思う。

その後、イエスの言葉を引用するのも最悪。アメリカの保守派のクリスチャンにとって、もっとも受入れ難い人物にしか見えない。ずっとナチュラルな容姿だった頃から、ホモセクシャル疑惑が絶えなかったのに、ホモ疑惑に加えて幼児性欲者というレッテルを貼られてもしかたがないようにしか見えない。

MJ)みんな何でもセックスに結びつけるでしょ。僕にはそんな気持ちは全然ないのにね。僕はこどもたちを愛し崇めている。それが真実なのに。。。

Ed)わたし自身の経験から言えば、40も半ばの男性で赤の他人の子供たちと同じ寝室で寝る男性に心当たりはありませんが。。。


最終的に、ナレーションで「今の彼にかつて世界トップスターとして君臨していた頃の面影はありません」の後、この事件がキャリアにどう影響したかと尋ねられ、アメリカでだけ売れていないことを彼は陰謀だと口にした後、もうこれ以上は言いたくない。体が痛くてガマンできないと、インタビューをストップさせるが、中止前にファンへのメッセージをと言われると、今度の歌を聴いてくれれば、僕のすべてがわかる。といって“childfood”紹介。。。。。

♪僕には幼児期がなかった。。辛い少年時代だった。色眼鏡で見ないで。僕のことを理解して愛して欲しい。。。♫

この頃のマイケルは、自分には幼児期がなく、辛い少年時代だったということを言い過ぎていたと思う。多分マイケルは、それが一般の人にとって、一番わかりやすく、感情移入しやすいと思っていたというか、とにかく感受性のスイッチの多さと感度の良さが最高レベルの人なので、大勢の人から、そういう問題を感じ取っての発言だったと思うのだけど、それがマイケル自身の幼児期にこだわり過ぎる人としてのイメージが固着したのは残念だったと思う。

子供時代にあれだけ大成功してみんなに愛されていたことを、否定することにもなっているし、もっと愛してって言われても、これだけ売れてるのに。。。と、白けた人も多かったでしょう。。。

どうして、あれだけ観客の心をとらえた人物が、ここまで、一般の人のきもちと、真逆な態度を取り続けたのか。

それは、ステージや、音楽作りも、ダンスも、人を喜ばすためにやっているから、お客が喜ぶことが大事だけど、インタビューで自分の主張は絶対に曲げたくなかったからだと思います。

わたしは、当時、このメイキャップをしなきゃイイのにと、何度も思ったけど、今は、この姿勢こそがマイケルだと、本当に思う。

あのメイキャップが、当時の彼にとって、絶対に必要だったんだということは、ミュージックエアチャンネルで『クイーン現象:The Queen Phenomenon』というドキュメントを見て、突然気がつきました。

影像でのフレディ・マーキュリーは、何歳の頃かはわからないのだけど(亡くなったのが45歳なので、40歳前後だと思うのですが)「10年たてば人は確実に成長するし、いまだに髪を伸ばし、女性用の下着を付けていたら、周囲の人間も呆れるはずだ。俺だって馬鹿げていると感じる」と、インタビューに答えているんですね。

フレディ・マーキュリーは、ジャクソンズ脱退間近だったマイケルも、心から憧れていたような、本物の天才です。そのフレディが40歳ぐらいにして、この発言。。。

これは、マイケル・ジャクソンというアーティストの人生を最後まで見てしまったから感じることであって、普通の伝説レベルの天才(変な言い方ですが)で、こんなものです。というかマイケルさえいなかったら生涯気づくことはありませんでした。

天才が天才である時期は意外と短いものです。たったひとりをのぞいては。。。

この番組では、ライブエイドのクイーンのライブ映像と、フレディが亡くなった後に行われた「フレディ・マーキュリー追悼コンサート:Freddie Mercury Tribute Concert」の模様が映し出されていました。

ライブエイドは、イギリスとアイルランドのロック/ポップス界のスーパースターが集まって結成されたチャリティー・プロジェクト「Band Aid」によるライブ。バンドエイドは、1984年、エチオピアで起こった飢餓を受け、発起人のボブ・ゲルドフとミッジ・ユーロにより書かれた「Do They Know It's Christmas?」をリリース。

「We are the would」は、これに影響を受けた翌年のプロジェクトでした。

マイケルを拒絶していた時代【3】に続く





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by yomodalite | 2010-01-22 14:28 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)
「THIS IS IT」を初めて観た日から今日で84日が経ちました。

一体何日経ったのか、今日改めて確認したくなったのは、この間私が毎日ずっと泣き続けてきたからです。正直もっと長い期間のように感じていたのですけど、84日なら涙が涸れないのも仕方がないと少しだけ納得しました。

ここまで、もっとも涙が溢れて仕方がなかったのは、観客として映画館にいたときではありません。これまでに4回観に行きましたが、観客として彼を観ているときは、彼から発せられる力に圧倒され、感動を受取る喜びが大きかった。わたしは、ロンドンでのチケットを取ろうともしていなかったし、彼が亡くなったニュースは非常にショックではあったけど、その瞬間には泣くことはなかった。

でも、なにかとてもしまった!という気がしてたまらなくなり、気持ちがざわつくのは、何故だろうと思い、彼の作品を聞き直し、これまで聴いていなかったすべての作品が聴きたくなり、『マイケル・ジャクソン全記録』の旧版、『マイケル・ジャクソン観察日誌』を参考に、思春期ですら、音楽をここまで聴き込んだことはなかったかも。と思えるぐらい真剣に、苦手な英語の歌詞と格闘しながら、彼の音楽を聴く毎日が続きました。


この頃の私のきもちを、最も代弁してくれたのは、マドンナによる追悼スピーチでした。
◎Madonna Pays Tribute to Michael Jackson


同い年のクイーン・オブ・ポップは、彼の偉業を紹介しただけでなく、

彼の死を知った瞬間「私は彼を見放してしまった」ということ以外頭にうかばなかった。
私たちが、彼を見捨てたのです。
かつて世界中を熱狂させた偉大な人物を、平気で見過ごしていたのです。
彼が家族やキャリアの再建にいそしんでいる間、世間は批判に徹しました。
みんなが彼を裏切ったのです。


という、彼の死を知った瞬間に私が感じたことと、同様の感情を吐露してくれました。マドンナは、1991年当時のデートを振返り、その後に始まった現象を“魔女狩り”と称し、マスコミでもなく、無理解な世間の人々でもなく、アーティストや音楽ファンが集まっている中で、自分と、私たちみんなが彼を見捨てたと、MTV主催の追悼式で述べた、ただ一人のアーティストでした。

2000年前後から、マイケル再評価の動きは少しづつ始まっていて、マイケルチルドレンというべき世代からのリスペクトは、めずらしくなくなっていました。会場に集まっている大勢も彼の偉業がわかっている人がほとんどの中で、マドンナがあえて言った「私たちが彼を見捨ててきた」と語った意味はすごく重かったと思います。

整形と肌の漂白は、散々ネタにされてきたけど、彼は鼻を整え、肌が白くなってから、真に世界的なスターになったのだから、そのことが「私たちが見捨てた」という理由ではまったくない。

頻繁に“奇行”と称された、彼の行動も、ごく普通のハリウッドスターに比べても、特別なものは何もなかった。それなのに、どうして彼は一時あれほど、奇怪に見えたのか?

その理由のひとつは、彼のメイキャップに原因があったと思います。

本当に、それは、マドンナが言ったように、かつてすべての男の子と女の子の憧れだった人物としても、彼が生涯続けた子供への慈善事業にも、まったくふさわしいように見えなかった。

マドンナがしたように、私も必死で彼の動画を夢中で探した。毎日毎日飽きるほど、彼の姿を追っていくうちに、今まで知らなかった彼の姿がいくつも見え、涙が止まらない日々は止みそうにないと思えるほど、彼の素晴らしさを知ることになったけど、それでも、どうしても理解できなかったのは、彼のメイクでした。

低俗なマスコミ報道に影響を受けなかったファンでも、彼の急速な女性化?としか思えない厚塗りメイクには、違和感と拒否反応があったと思う。私も、“You are not alone” “Childhood”は、ギリギリ許せても、“You Rock My Would”のような作品で、あのメイクをするマイケルがどうしても納得が行かなかったし、それは最後まで残った、彼への謎でした。

パパラッチが撮った写真ではなく、彼の魂であるはずの、SFの中でも、彼が異形に見えたのは、どうしてなんだろう?

彼は、こどもと一緒の写真ですら、赤い口紅を欠かさなかった。

「THIS IS IT」からはまだ84日だけど、彼の死後からは、既に209日。約7ヶ月もの間、彼の動画や画像を見て、わかったのは、彼は、メイクしていない時か、それが女性的でないときは、昔とほとんど変わらないほど美しく、十分素敵だった。それなのに、一体どうして?

彼はインタビューで、スターでいること、マイケル・ジャクソンでいることは、サイのような皮膚が必要と語っていました。

史上最大のパパラッチの被害者である人物が、丈夫な仮面を必要とすることは、心理的に理解できないわけではない、、でも、、

この謎の答えは、もうこれ以上は解けないかもしれないと思っていたとき、ミュージックエアチャンネルのクイーンのドキュメンタリ番組を観ていて、突然その答えが降りてきたような気がしました。

マイケルを拒絶していた時代【2】に続く




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by yomodalite | 2010-01-20 19:30 | MJ考察系 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite