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キング・イン・ザ・ミラー

清涼院 流水/PHP研究所

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えっ、今頃?と言われそうですが、、「今でしょ!」という声が聞こえたんです(嘘)。

私は、桜庭一樹、清涼院流水といった、ライトノベルを戦場にしてきた作家が、共に周囲から「マイケル・ジャクソンに似ている」と言われ、『THIS IS IT』をきっかけに作品を発表したことに興味を覚えてはいたものの、清涼院氏の小説(ではなく大説らしいのですが)は未読だったので、まずは、作品を読んでからにしようと思い、「新本格」の作家として、興味をもちつつ未読だった氏の「大説」に、これを機会に出会う予定だったのですが、どんどん後回しになってきて、

それで、とりあえず、こっちを先に。ということになってしまいました。

本書は、著者が「内容紹介」で、「マイケル・ジャクソンの生まれてから死ぬまでを描いた小説であり、各章ごとに設けられたテーマに沿って成功哲学を学べるビジネス書でもあり、そして、もちろん、マイケルの傑作群について語った音楽本でもあります」と書いているとおりの作品なので、ファンにとってはすべて知っている内容でしょう。

でも、MJの情報に詳しいからといって、熱心なファンだなんて言えないよね。他人をどんなに観察したところで、自分を深く見る眼がなくては、情報は、単なる情報のままで、次々と現われる「正」や「悪」や「善」に、吸い寄せられて、自分だけが真実を知っている「正義の味方」のつもりで、人や社会を責めてばかり。なぁんてことになりがちでしょ?

他人ではなく、自分を観察するのは、すごくキツいし、そんなことをしているうちに、今度は、自己嫌悪から脱け出せなくなってしまうものね。

下記は、本書の「あとがき」から。(全文引用)

2009年6月25日ーーマイケル・ジャクソンは、復活コンサートの開幕を3週間後に控えて、この世を去りました。彼の劇的な死は衝撃波のような勢いで世界中に拡散し、浸透しました。
 
今なお、多くの人々が彼の死を悼んでいます。その数は今後、増え続けることはあっても、減ることはないでしょう。彼が消えても、彼の音楽は現在進行形で新たなファンを獲得し続けています。疑いなく人類史上、唯一無二のアーティストである彼は、まさしく永遠の存在となりました。
 
マイケルは、終生、メディアと闘い続けた人でした。そのメディアが彼の死後、てのひらを返して彼を英雄として称えたのは皮肉な話ですが、それが良い結果を生んだ面もあると思います。
 
この本における、3人めの「ぼく」ーー本書の作者は、正直に告白すると、かつては熱心なマイケル・ファンではありませんでした。マイケルと同い年のライヴァルであるプリンスとマドンナ、そして妹のジャネットの音楽は愛聴していましたが、まさしく、思春期にメディアに刷り込まれた歪んだイメージによって、マイケルは理解できない人だと思い、意識的に敬遠していたのです。
 
誤解が解けたのは、月並ですが、まさにメディアがてのひらを返した報道を開始し、映画『ディス・イズ・イット』を観たおかげです。以後、マイケルヘの関心奇強めて、個人的に調べていくうちに、自分は、なんという誤解をしていたんだ … と、世界が反転したような衝撃で愕然とするとともに、深刻な自己嫌悪に陥りました。同時に、今はもうこの世にいないマイケルヘの罪悪感で押しつぶされそうにもなりました。マイケルヘの心からの謝罪の気持ちで、胸がいっぱいになりました。
 
ぼくが激しい自責の念に襲われたのは、自分白身も、外見や肩書では決して他人を判断せず、偏見や差別など先入観で人を判断することをなによりも毛嫌いして生きてきたつもりだったからです。それなのに、思春期に刷り込まれたメディアのゴシップ報道に踊らされ続けていたのです。
 
実は、プリンスの大ファンである親友は、ずっとぼくの人間性を「かなりマイケルっぽい」と言い続けてくれていました。ほんとうなら、それ以上の賛辞はなかったはずなのですが、以前のぼくは、自分が冷やかされたように感じて、傷ついてすらいました。なんという愚か者だったのか……。最近、彼と話した時に、その反省を伝えると、「やっと自覚したんだね」と笑われました(余談ですが、ぼくは晩年のマイケルと身長・体重が同じなので、少なくとも体型は確実に似ています)。
 
ぼくは作家としてデビュー以来14年間、一貫して「世の中をハッピーにしたい」という第一目標を公言し、そのことだけを考えて、活動してきました。しかし、ぼくの場合は、マイケルと違って技巧があまりにも未熟なので、作品に込めたメッセージは読者の一部にしか伝わらず、それどころか、正反対の意味に曲解されることさえ多くありました。自分の力量不足は大前提として自覚しつつも、「どうして、こんなにも誤解されるんだろう?」と、コミュニケーションの難しさを痛感させられたこともしばしばです。そうした経験を重ねるにつれて、「コミュニケーションというものは、まず誤解しあうことが前提であって、理解しあえたとすれば、それは奇蹟的なことなのだ」という、ある種の諦観にも連していました。
 
ただ、ぼくが受けてきた誤解は、マイケルが彼の人生で受け続けてきた誤解に比べれば、大したことではありません。かく言うぼく自身も、彼のことを誤解していたわけですし。
 
マイケルは、なによりも第一に、人々があらゆる偏見や差別を超えて、手と手をとりあえる平和な世の中を望んでいました。それは、ぼく自身の最大の願いでもあります。ぼくの活動は、マイケルと比べるとスケールがミニマムすぎて世の中には大した影響は与えられないかもしれませんが、せめて自分にできることは、ベストのチカラで、こつこつと積み重ねていきたいと思っています。これまでもそうしてきましたし、これからも、この姿勢が変わることはありません。
 
今では、もちろん、マイケル・ジャクソン関連のすべての曲を深いレヴェルまで把握しているぼくは、マイケルの歌で好きな曲を挙げ出すとキリがないですが、こうした話の流れの中では、やはり、本書のタイトルの由来でもある「マン・イン・ザ・ミラー」が、あたまに浮かびます。「マン・イン・ザ・ミラー」は、マイケル自身の作ではありませんけれども、そのメッセージは、まさにマイケルのいちばん伝えたかったことであり、彼自身も、この曲をとても気に入っていました。
 
「もし、きみがこの世界をより良い場所に変えたいと願うなら、まずは鏡の中の人物といっしょに始めればいいんだよ。これ以上わかりやすいメッセージはないだろう?」
 
ぼくは、本書のタイトル「キング・イン・ザ・ミラー」に、ふたつの意味を込めています。
 
ある海外の有名人は、こんなことを言いました。「われわれは、マイケル・ジャクソンと同じ『マン・イン・ザ・ミラー』をお手本にしている。つまり、それは、マイケルの鏡に映っているマイケル自身のことさ」
 
もしあなたの自宅の洗面所にマイケルのポスターが貼ってあったなら、キング・オブ・ボッブは、いつでも鏡の中にいるでしょう。そうでなくても、心の中の鏡には、お手本として。
 
また、「キング」が意味するもうひとつの存在は、ぼく自身も含めた、一般大衆のことです。
 
ある有名なベストセラー作家は、こんなことを言いました。「読者というのは決して満足することがなく、つねにわがままな主張を押しつけてくる王様や女王様であり、作者は、彼らに従順に奉仕し続ける奴隷にすぎないのです」
 
14年も作家活動を続けていると、右の言葉は、実感をもって受け止めることができます。
 
作家にとっての読者は紛れもなく「キング」であり「クイーン」ですが、ひとたび自分が読者の立場になった時には、もちろん、それは当の作家自身にも当てはまることです。
 
実際、メディアのつくった歪んだイメージに踊らされてマイケルを見ていた以前の自分は、間違った思い込みに縛られ、傲慢な気持ちで彼を見下していた愚かな「キング」でした。それを自覚するだけの思慮を、かつてのぼくは持ちあわせていませんでした。
 
全員がわがままな「キング」や「クイーン」であるわれわれ一般大衆は、まるで檻の中の動物を観守るような高みから、マイケル・ジャクソンという人物の一生を観察し続けました。
 
しかし、いざ視点を逆転させると、よりくわしく観察されていたのは、実は、檻の外にいたはずのわれわれなのではないでしょうか? 檻の中の動物にとっては、外から自分たちを覗き込んでいる人間のほうが、珍妙で、動物よりも危険で、醜い存在なのではないでしょうか?
 
われわれが「キング」を観ていたつもりで、観られていたわれわれこそが「キング」あるいは「クイーン」だったとすればーー彼の目には、ぼくたちの姿は、どのように映っていたことでしょう?
 
本書は、半年間に及ぶ準備期間を経て、個人的な強い思い入れにより作者の誕生日8月29日に起筆し、マイケル・ジャクソンの誕生日である8月29日に脱稿いたしました。
 
作中の記述は基本的にすべて事実に基づいていますが、一部に想像で拙った部分や、わかりやすくするために脚色した箇所があることは、念のため、おことわりしておきます。
 
執筆に際し、多くの資料に目を通しました。資料によって矛盾した情報やデータがある際には、作者の独断で、より信用性が高いと思えるものを採用しました。特に参考にさせていただいたものを左に記して、御礼申し上げます。ありがとうございました。

・西寺郷太『新しい「マイケル・ジャクソン」の教科書』(ビジネス社)
・西寺郷太『マイケル・ジャクソン』(講談社現代新書)
・アフロダイテ・ジョーンズ(押野素子・訳)『マイケル・ジャクソン裁判』
(ブルース・インターアクションズ)
・Michael Jackson“Moonwalk” (Doubleday)
・Michael Jackson“Dancing the Dream”(Doubleday)
・Michael Jackson Thriller 25th Anniversary The Book(ML Publishing Group)
・Adrian Grant“MICHAEL JACKSON A VISUAL DOCUMENTALY 1958 - 2009”(OMNIBUS PRESS)
・Adrian Grant“MICHAEL JACKSON MAKING HISTORY”(OMNIBUS PRESS)
 
かつてこんなにも人を好きになったことがないかも … というほど今では愛しく想えるミスター・マイケル・ジャクソンと、今年2月に逝去した父に、本書を棒げます。

2010年8月29日 
清涼院流水 拝

(引用終了)

◎[Amazon]キング・イン・ザ・ミラー
◎「日本の小説は海外で相手にされてない」
清涼院流水の小説英訳プロジェクト「The BBB」


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by yomodalite | 2013-09-24 14:37 | ☆マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(4)
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Die wahre Geschichte(ドイツ版カバー)


踊りたくなる気持ちもありつつ、6月25日は、この本を読んで過ごしました。

日本版は、ちょっぴり首をかしげたくなるような表紙なんですが、発売されたばかりのこの本の著者の名前を見て、速攻「ポチ」ってしまったんです。このブログにMJのことを書き始めたのは、インヴィンシブル期以降の彼のことを知りたかったからなので、当時のマネージャーである、ウィズナー(Wiesner)には、すごく興味があって。


素顔のマイケル・ジャクソン

ディーター・ウィズナー/講談社

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ページをめくると、ヒストリーツアーや、バンビアワードのときの写真があり、
キャサリン・ママからの「本書に寄せて」では、

ディーター、息子がひとりの人間として描かれているエピソードの数々を提供してくれてありがとう。そして、息子が残した多くのプロジェクトや計画を、広く世に知らしめてくれたことに感謝します。

という、2011年10月の言葉があり、

今までずっとわからなかった「MJユニバース」についても多く書かれてあって、
私は狂喜したんですが、

Amzon.comでも、Amzon.ukでも、一件のレヴューもありません。
英語翻訳されてないからですね。(たぶん。。)

http://www.amazon.com/Michael-Jackson-Dieter-Wiesner/

それなのに、

日本語で読めるなんて!(嬉)

企画協力として名前がある、リチャード松浦氏(朝堂院大覚氏の息子)の尽力によるものでしょうか。また、翻訳者によるあとがきはありませんが「訳注」からは、菊池氏の丁寧なお仕事ぶりも伝わりました。


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確かに、ウィズナーが「最後の10年間、最も近くにいた男」かと言われれば、
すぐに、ツッコミたくもなります。

彼がマネージャーだった頃、MJへの面会を厳しく制限していたように、彼も解雇後から晩年までは、MJに会いにくい状況だったでしょう。ただ、ウィズナーだけでなく、他の元関係者の多くが、自分が一番マイケルのことを考え、彼のためになる仕事をしていたと思っていることについては、私は、それぞれの人が、そう信じるだけのことは「ある」と思っていますし、

本書で「MJの敵リスト」として挙げている人のことも同様にそう思います。

ウィズナーは、MJ自身がつかった言葉として「システム」という言葉を挙げ、

彼を取り囲む「システム」に、逃げ道を許されなかったのだ。

と語っています。

でも、私は、普通に生きたいと思う人間で、そのシステムに加担していない人がいるとは思えません。

また、普通以上の生き方をしたいと願う、優れた人であっても「システム」から逃れることなど、ほとんど不可能だと思っています。

本当に特別な天才が、その有り余る才能に、永年磨きをかけ続け、
常に「鋭さ」を大事にして、
どこまでも「鈍さ」を憎まない限り。。


MJは、両親も、兄弟も、成人後も感謝の念を忘れなかった、ベリー・ゴーディ、前人未到の作品を共に作り上げたプロデューサー、クインシー・ジョーンズ、最盛期のマネージャーである、フランク・ディレオも、莫大な財産取得に大きな尽力をした、ジョン・ブランカ、一流レコード会社の社長としてだけでなく、敏腕音楽プロデューサーとして時代を築いたトミー・モトーラ、そして、ビジネスとは関係なく、愛情をかわした女性とも、ほとんど例外がないと言っていいほど、自分から離別していますが、

その理由は、彼がとことん「鈍さ」を憎んだからだと、私は思います。

誰をも愛し、出会った人の誰からも愛されたMJは、人は憎まなかったけど、人の「鈍さ」には、自分にも、他人にも、どこまでも厳しかった。

でも、愛にも、幸せにも、優しさにも、自分が信じた道を歩み続けるということの中にもどっぷりと「鈍さ」は潜んでいるもので、MJのことを思って、彼のためになるように考えたつもりでも、彼のその厳しい基準を満たすことは、誰ひとりとしてできなかった。

彼の「エネミーリスト」は、とてつもない高い理想を、実現しようとしていた「ドリーム・リスト」の裏返しというか、相手の中に、自分の変えるべき点を見ていることから、書かれたものだと思います。

というのは、毎日飽きることなくMJのことを考え続けた私の「4年目の結論」ですが、本書は、そんなつまらない「結論」より、ずっと面白く、

MJの完全委任権(power of attorney)を持っていたウィズナーが、様々なビジネスの現場での思い出を語ってくれていて、比較的近い時期に、MJと行動を共にしていた、フランク・カシオの本と同じぐらい、生き生きとした「素顔のMJ」が満載です。

終盤には、現在の裁判にも関連する、いわゆる「死の真相」についての話もありますが、彼に関わろうとした、お金だけが目的でない、優秀な人々のすべてが「なぜ、この心優しき天才が、こんなに不安定な生活を送らざるをえないのか」と思い、ファンもなぜなんだろう?と思う。

でも、目の前に常に「乗り越えるべき壁」を見てしまう男にとって、

私は「安定」こそが、最大の敵であり、そのせいで、彼は常に(どんなに辛いと感じても)「不安定」を保っていたのだと思います。

だから、、誰にも助けてあげられなかったのだと。
私は、そういった、やりきれない思いを抱きつつ、「僕は人を憎むことは教えない。「世界を変えるのではなく、自分を変えよう」という、彼のメッセージを考えなきゃと思っていますが、

本書は、週刊誌風の「ネタ」が、好きな方も、嫌いな方も、また、嫌いといいつつ、好きとしか思えないような人(笑)にとっても、面白い本だと思いました。


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by yomodalite | 2013-06-27 10:29 | ☆マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(0)
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☆『マイケル・ジャクソン 孤独なピーターパン』[1]の続き


[追記あり]『マイケル・ジャクソン 孤独なピーターパン』からのメモを続けます。
[1]に書き忘れていましたが、本書には写真ページが32ページもあり、それらはモノクロで画質も荒めですが、そのほとんどに日付が入っているところが魅力的でした。

☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2013-03-24 09:00 | ☆マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(2)
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急な転勤によるバタバタで、読書タイムがほとんどとれないのだけど、、
でも、疲れがとれるような「癒し本」は読みたい。
そんな思いから、この本のことを思い出しました。

☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2013-03-21 13:01 | ☆マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(0)
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☆[2]の続き

私が今更ながら、この本に興味を持ったのは、本書の文章をじっくり読んだうえで、MJ自身が選んだ4枚の写真と、それ以外の写真を比較してよく見てみたかったからですが、撮影時の「物語」は、かつて、広告業界の末端にいた者として、23歳でこのプロジェクトに参加したアルノ・バニの気持ちが、手に取るようにわかるような気がして興奮してしまいました。

専属メイクのひとの「ツイート」では、この撮影はジャケット撮影ではなく「It was just an experimental photo shoot. 」と言っていたり、青い目は何を表現しているのか?という質問にも「It did not represent anything.」と非常にそっけなかったので、

本書がこれらの写真を「ジャケット用の撮影だった」と言っていても、オークション用に「盛った表現」の可能性も疑っていたんですが、

撮影前の長い準備期間、レコード会社幹部も含めたミーティングを何度も行ない、最終的な撮影現場には、それまでの制作スタッフも撮影に同行していることから、これが「ジャケット用の撮影」だったことは間違いないし、専属メイクのひとも、バニとの撮影は、ワトソンよりも前だったと言っていて、バニも、この撮影は7月の初めだと言っているので

「7月3日~4日、マイケルはニューアルバムのため、パリ郊外のスタジオ内でほとんどの時間を費やし、7月3日にはニューアルバムのジャケット用写真の撮影をしました」

という[Legend of MOONWALK 99年8月5日発行分]の記述も、バニとの撮影のようですね。

ただ、ポーズをとっているのではなく、撮影のために想像力あふれる「ストーリー」を組み立てて挑んだ撮影に対し、自分が参加していないからといって「It did not represent anything.」と言ってしまうメイクのひとは、専属美容師として、個人に雇われている期間が長過ぎて、クリエーターとして作品を創造する人の気持ちがわからなくなっているのでしょう。

バニは、自分が出来たことを誇りに思うと同時に、出来なかったことを残念に思っているけど、自分のメイクが採用されなかったのは「会社のせい」としか思っていない彼女は、永年、MJの好みを知り尽くしてきたから、そう思ってしまうのでしょうか。

彼女には、ロンドンのデモで、社長をクビにするほどの力がありながら、どーして「ジャケット」を自分で選ぶくらいのことが出来なかったのか? という疑問を、まずは感じて欲しい。。でも、

彼女も、『THIS IS IT』にわだかまりがある人も、

人が生きている。ということが一番重要だと考えているひとが多いからなのかなぁ。。。

そういった「死生観」の違いで「真相」の見え方は異なりますからね。。


わたしは、死ぬよりツラいことや、生きるよりも大切なことは、たくさんあると思ってます。

この写真が、アルノ・バニの元に戻った経緯に関しては、本書でも詳しい説明がなく「マイケル・ジャクソンは怖れも遠慮もなく、その写真をアルバムに使わずにアルノの手に戻そうと決心し」た経緯についてもこれ以上は書かれていないけど、あの、ヘルンヴァインにさえ、1枚しか「作品」として認めていないMJが、時限装置つきとはいえ、4枚も作品とすることを認めている…

その理由を、私なりに想像すると、

ヘルンヴァインの写真が、当時の「マイケル・ジャクソン」の肖像写真であるのに対し、バニには、フォトグラフィストとしての能力で、今後の「マイケル・ジャクソン」を描いてもらいたいという要望があったからでしょう。

MJセレクトの4枚は、


L' CEIL BLEU《片目にブルーのメイクをしたマイケル・ジャクソン》
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FOND ROUGE《深紅の緞帳を背景にしたマイケル・ジャクソン》
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LA CAPE D'OR《金色のケープを羽織ったマイケル・ジャクソン》
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LA MAIN D' ARGENT《銀色の手をしたマイケル・ジャクソン》
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他にも、
IN THE STUDIO《スタジオのマイケル・ジャクソン》
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というテーマの写真があるけど、下記の2つは「ベタ焼き」しか残されていない。

LE MIME《パントマイム》
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BLACK OR WHITE《ブラックオアホワイト》
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☆ベタ焼きとは?

写真家で、しかも加工を前提とした作風のバニが「ベタ焼き」を公表するなんて、ありえないことで、MJとの仕事のあとも、業界的な仕事になじまず、先鋭的なキャリアを積んできたバニが、これを出品したのも「お金のため」じゃない。

MJに選ばれた4つのテーマは、選ばれなかったテーマよりも、より絵画的な世界で、その中から、さらに「人間的な表情から遠い顔」を、彼は選んでいる。

また「銀色の手」と「金色のケープ」の顔は、彼の哲学原理を表した詩「ARE YOU Listening?」の一部が描かれている肖像画の顔や、ショートフィルム「You Rock The Wourld」で、マーロン・ブランドが演じる「ボス」と対峙した後の顔ともよく似ていて、

これらを選んだのは、やっぱり「アンブレイカブル」や『インヴィンシブル』を意識していたからじゃないかな。

◎[参考記事]マイケルジャクソンの顔について(38)スペードのKING

肖像画を書いたデイヴィッド・ノーダールは、絵の完成に期限が設けられたのはこの絵だけだった。と語っているので、あの絵もアルバムに関連して考えられていたのかなぁ...

彼が考える『インヴィンシブル』とは、ミケランジェロが「ダヴィデ像」で表現したように、

千年先をも見据えるような「怒り」を表現しつつも、


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「子供の無邪気さ」も同居させなくてはならない・・


そんな、相反する2つの顔を、MJは、いくつかの作品で演じ分けるという俳優のような表現ではなく「マイケル・ジャクソンの顔」としたい。とずっと考えていた。

「アンブレイカブル」は、MJの最後の作品にとって、どうしても形にしたいテーマで、彼はその表現に悩み抜いていたけど、それは、どこか自分でも納得がいかなかったし、理解もされなかった。

でも、

それから、2度目の幼児虐待疑惑により、裁判にかけられたり、この時代最高のアーティストとして、誰よりも苦しんで、それでも負けなかった。それで、ようやく、MJは、

これが「アンブレイカブル」なんだと言いたくて、「THIS IS IT!と言ったのだ。

どうしても、彼が、誰かによって追い込まれたと思わずにはいられない人に、共感できるようなことは書けそうにないけど、、結局それらの真相は「死生観の違い」なんだと思って「マイケルと神について」を書き始めた。

当時のわたしは「お花畑」も「サーカス」の世界も好きではなかったけど、今は、セレクトされなかった《パントマイム》や、薔薇の絨毯を歩いている《ブラックオアホワイト》の大きな写真が見たいと思う。


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最終的に「作品」になったものより、そのままの写真が、もっと、もっと見たかった。

でも、この頃、MJは、今までの彼に近い写真は封印し、人間らしくない表情の「顔」を選ばずにはいられなかった。


彼が思い描いた「アンブレイカブルな男」には、それぐらい前例がなかった。。

ということでしょうか。



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by yomodalite | 2012-12-02 19:02 | ☆マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(4)
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☆[1]の続き

この本を買って、最初によかったと感じた、ジェロミーヌ・サヴィニョンの文章から、大幅に省略して紹介します。

素敵な本を書いてくれた著者と、翻訳者の方に深く感謝します!

MJが亡くなった後の商品に対して、あまりにも安易に「金儲け」という批判がされているのを見るといつも哀しくなります。金儲けを批判するのは簡単ですが、実際に商品を創って「金儲け」をするのは大変なことです。

(引用開始 *下線は私が入れたもの)

今日4月11日、どこにでもあるようなホテルの、特徴のない、感覚を麻痺させるようなありふれた豪華な部屋で、マイケル・ジャクソンは夢想に耽りながら、気晴らしにサンデー・タイムスのページをめくって不安やもの憂さを紛らわしていた。

すると突然、付録ページ「スタイル」の表紙が彼の視線を虜にした。架空の都市にかかる靄を背景に、モデルのアストリッド・ムニョスが、金色の額縁を思わせるドレスの襟ぐりから現実離れした様子で浮かび上がっている。

うっとりするような写真を撮ったカメラマンと絶対に知り合いになるべきだとマイケル・ジャクソンは心に誓った。写真を撮ったのは、23歳になるかならないかの若いパリっ子カメラマン。ファッション界において巫女と言われる、ロンドンの貴族を思わせるようなイザベル・ブロウに見出されたばかりだが、その荒れ狂う独創性は、彼女を魅了し、すでに数ヶ月前から彼と仕事をしていたのだ。

マイケルは取り巻き連中に、作品集を携えてアルノにニューヨークに来てもらうように頼み、アルノはニューヨークにやって来た!

さぁ、おとぎ話「スリラー」の始まりだ。リムジンとボディガード、ウォルドルフ=アストリアにあるプライヴェートのビリヤード・ルーム付きスイート、レコード会社幹部との顔合わせのビジネスランチ。これはマイケル王子さまの王国で行なわれている礼儀作法の速習教育のようなもの。

ドキドキする状況はまだ続く。控え室で待ち構える人々、トランシーバーを持った連中や、うつろな目をしたボディガードの一団、長く感じる短い待ち時間、魅惑的な時間の前に受ける検査…。人目につかない廊下で、やっとドアが開くと、そこにアイドルがいた。

ビロードのスリッパをはき、サテン地のパジャマを着たマイケルは、アルノを抱きしめた。奇跡だ!


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マイケルは時おり気に入った写真をしなやかな手つきで撫でながら、ゆっくりと拍手をし、うっとりしながら「僕はこれが好き…」と、夢の世界に入り込んだような声で囁いた。マイケルのアシスタントたち、マネージャー、アーティストディレクター(原文ママ)の一団は、サロンの奥で静かに待機して、マイケルが好きだという写真の出典をあせって書き留めていた。

マイケルは、アルノに一緒に仕事をしたいと強く望んでいることを知らせ、次のアルバムジャケットを作るのはアルノだ。アルノをおいて他にはない」マイケルは将来のために、その他の提案、スタイル、シナリオについても考えてくれるように頼んだ。

アルノはまず初めにチームを編成した。自分のような突拍子もない若い男女のグループ、絶対的なマイケルのファンたちだ。みんなドキドキ胸をときめかせ、興奮状態でアイデアを続々に出して、最初の構想は活気に溢れていた。

準備なしのブレインストーミングでは、それぞれが自由にアイデアを出したり、レコード会社の気詰まりしそうなマーケティング担当者と馴れ馴れしく話をしたこともあった。すべてが内密に進められていたので、マイケル・ジャクソンの身体サイズが小説めいた隠し事として「ニューヨークから準公文書扱いで、特別な配達人によってパリにある写真家の弁護士宅に配送された」というような妄想を抱いたりもした。

マイケルは布地を撫でるのが大好きだった。スパンコールの瓶の中に嬉しそうに手を突っ込んでは、真珠母雲が舞い上がるのを見ようと、その上に息を吹きかけていた。次の瞬間、彼は片足でくるりと回って見せ、手本にしているフレッド・アステアのことをアルノに熱っぽく語っていた。彼が大好きなのは、急に有頂天になるきちんとしたジャケット。突然トランス状態になって、床を叩く高級皮の靴ーー

アルノを驚かせたのは、マイケルがすべてを気に入って何にでも賛成したことだ。「彼は何でも気に入ってくれる。それは僕がいつもギリギリの厳しい状態だったからではなく、彼がなんでも写真を連写することを望んでいたからだ。そこには服やメイクアップ用品、それに織物などの品物がいっぱいあった。僕たちには、すべてが楽しかったんだ」

マイケルが望んでいるのは、次のアルバム『インヴィンシブル』に使う写真を超えるものだ。それは、まるで彼の王国に突然姿を現した不思議なピーターパンのような、大切にしている兄弟分がマイケルに四六時中、より激しく夢を見させることだった。

撮影の時期は7月初め、パリで極秘に行なわれることになった。マイケルにはダンサーとしての厳しい修行経験もあり、真実を追究しようとする断固とした多くの要求もあり、子供っぽい自信もあったので、遠慮なく400回近くもダメ出しをした。“ダンスの化身” の写真は、アルノの霊感を帯びた目によって撮影されたものばかりだ。それは熱い仲間意識のなかでイメージされていった、メインとなる4つのシナリオの中から、たった1枚を選んでアルバムに使うためだからだ。



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冒険のようなプロジェクトは、パリのプラザホテルで幕を開けた。それは、“行動開始日” の前日、マイケルが滞在する部屋で行なわれた仮縫いの時間から始まった。姿を現したマイケルは相変わらず愛らしく、いたずらっぽく、デリケートで、痛ましい感じさえした。

翌朝、アルノのスタッフはパリ郊外、南西部にある、イシ=レ=ムリノーの広大な映画スタジオに全員揃っていた。このスタジオは今回の特別なプロジェクトのために無理に借りたもので、ハリウッドの発注条件に従って準備されていた。王子さまを迎える準備は万端だ。


平均年齢25歳のアルノのチームは緊張して固くなりながら、
彼らのアイドルを待っていた。王子さまはまだ来ていない…。

午後一時頃には、みんなの気力も低下した。“MJ” は来ない。情報は何ひとつない。昼食をとっている彼らに、ジャクソンのスタッフが勢揃いしたと知らせが入った。この時、アルノとチーム全員の不安は頂点に達していた。さらにレコード会社のエスコート、メイクや衣装のグループがやって来た。どちらかというと雰囲気は冷ややかで…。

これで重苦しい一日は終わった。

翌朝、気力は最低だった。すると突然、トランシーバーからニュースが届いた。マイケルは自動車道路のどこかで、ファンやパパラッチを巻いているところだという。ほっとした気持ちと、好奇心で待ちきれない気持ち。アルノはついに姿を現したマイケルを迎えた。マイケル・ジャクソンとアルノ・バニによる撮影のセレモニーが始められる。

マイケルは疲れて憔悴しているように見えた。むなしさに取りつかれたみたいで、彼を守ってあげようと抱きしめたくなるほど、ふらふらしていた。けれど、信じられないようなカリスマ性やパワー、そして影響力が、胸をつくような弱さの下に隠れていた。彼の集中力はスタジオセットでみんなを驚かせた。

息子のプリンスは決して遠くに行こうとはしなかった。彼ただひとりが、マイケルに取りついている邪魔をする何かを払い除ける呪文を口にすることができるようだった。「ダディ。カッコいいよ!」と言って、父親が変身するのを見ながら、ジャクソン・ジュニアは夢中になっている。

極端な集中力と正確さでアイドルスターは極めて親切に、写真家のヴィジョンに従った。マイケルの専属美容師がとがめるような視線を送るなかで、お気に入りの髪の毛がバッサリ切られた。それは彼の取り巻き連中から受ける漠然とした、我慢のならない圧力への反抗ではなかったか。

表向きは彼とポップスターという彼の身分を守る名目で配置されていながら、ダサくて、悪魔のようで、貪欲なやり方すべてから解放されるための絶望的な試みではなかったのだろうか。その不快感から、彼は息苦しさえ覚え、それゆえ死んでしまいそうなのだ。

スタイルと照明の構図が決まると、マイケルは約束した筋書きどおりに完璧に行動した。スタジオにはモーツァルトの「レクイエム」が流れていた。





最後の日、撮影が終わる頃、マイケルはアルノに挨拶をして、去って行った。

手を合わせ「サンキュー、ヴェリー・マッチ、サンキュー・ソー・マッチ、サンキュー、サンキュー」と何度も繰り返しながら。

撮影チームは、まだ夢見心地のまま、マイケルを遠くで見送っていた。すると突然、虚しくなって途方に暮れてしまった。と同時に、“ポップ界の星の王子様” に彼の奥底にある真実を返してあげられたという満足感と、ドキドキするほどの歓びに浸っていた。

「天使でいることは、おかしなことだ、と天使は言う」
Être ange c'est étrange dit l'ange(*)

マイケル・ジャクソンという黒人の若者は、音楽とダンスの世界のバンビ=E.T.であり、その誕生によって、ディズニーランドの人気スターの1人として「ミドル・オブ・ザ・ロード」(プリテンダーズの80年代のヒット曲)のように、すべては蜃気楼のなかに沈み、すぐに閉じこもってしまった。





◎[参考・訳詞]IN THE MIDDLE OF THE ROAD(日々の糧と回心の契機)


同様に彼は1950年代というアメリカン・ドリームの転換期の子供である。世界で最も豊かで、最も悲しい国のパラドックスとは、次のようなものだ。

成功が生きることの悲しみという単調でメランコリックな歌、そしてエドワード・ホッパーのノスタルジックな絵画しかもたらすことが出来なかったということ。

マイケルがソロ活動を始めた時、クインシー・ジョーンズは、さなぎを美しい蝶に脱皮させた。そのハイブリッド作品のもつ矛盾をはらんだ荒々しさは、普遍的で、無邪気で、生き生きとした喜びに満ち溢れ、そして理性を超えた変形音楽へと溶け込んでいったのだった。

レコード産業とジャクソン一族の時限装置はためらうことなく続いて、この恵まれた真実の瞬間を粉々に打ち砕いてしまった。取るに足らない気まぐれで、突然アルノに夢中になったマイケルを、黙認するだろうと誰もが思った。争点はもっとずっと重大だった。それはマイケルが “本気” だったからだ。

「この写真は自分の好きなように作ったもの。だから自分に関係のあることなんだ」マイケル・ジャクソンは怖れも遠慮もなく、その写真をアルバムに使わずにアルノの手に戻そうと決心し、無意識のうちに、クインシーと出会った頃のマトリックス風な美しい作品を復活させた。

彼がニューヨークでアルノに聴かせた「ユー・ロック・マイ・ワールド」のように、アルノはその夜、“自分の人生がどこでそれ以前と違ってしまったのか” ということに気づいていなかった。

(引用終了)

(*)翻訳者註・「天使でいることは、おかしなことだ、と天使は言う」
エートル アンジュ セ テトランジュ ディ ランジュ」“アンジュ”(天使)という音の繰り返しを生かした語呂合わせ。


☆アルノ・バニが監督したSuperbusのPV





☆アルノ・バニが監督したパリのMAC/VAL
(ヴァル・ド・マルヌ現代美術館)のビデオ








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by yomodalite | 2012-11-29 09:24 | ☆マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(0)
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どうして今頃、この本をって思うよね?

わたしもそう思わなくもないんだけどw、でも、なんとなく記録しておきたくなったので、ニュースにはあまり興味がないという方のみ、どうか、続きをお読みくださいませ。

さて、、最近、益々そう思うのですが、

『インヴィンシブル』発売前、MJは本当に苦悩していたと思うんです。

それは、どこかの会社との軋轢とか、メディアの偏向報道とか、例のとんでもない濡れ衣の疑惑とか、、そーゆーことではなくて、

純粋に、この最後のアルバム(にしてもいいと思ってた)を、どう提示し、どんな風に発表するのがいいのか、音楽部分だけでなく、宣伝やパッケージといった売りに方も、これまで以上に悩み...

子供の精神の素晴らしさへの希求は、ますます強くなる一方で、完璧に成熟した作品を創りたいという、自分への厳しい要求・・ すべてに究極レベルを求めることで、彼は、自分で自分をどこまでも追い込んでいく

それは、周囲からは無駄の多い行動にも見え、彼の行動に矛盾を感じるひとや、また、彼の精神状態の危うさを心配するひともいれば、馬鹿にする人もいる...

でも、天才とは、普通の人が抱えきれないような苦悩を自ら背負い込み、それらを表現していくものでしょう。

周囲からでなく、自分自身の「深い矛盾」に最後まで耐え抜くことができた者こそ、真の天才で、MJはその歴史的天才の基準で、常に自分を測ってきた。


MJを語るとき、そういった「天才としての苦悩」ではなく「周囲による被害者史観」ばかりが語られるのは、彼が「キング・オブ・ポップ」として、超天才でありながら、普通の人々への親しみをも大事にしたからですが、その視点にばかり囚われていると、MJが『インヴィンシブル』と命名した作品の境地に、ほんの少しでも近づくことはできないのではないかと。

それで、『インヴィンシブル』のジャケットのことも気になってしかたないんですが、、

最近「An Appreciation of Little Susie」のコメント欄で、ヘルンヴァインや、アルノ・バニとの撮影現場を想像したことが、またもや気になってきて、掲載されている写真はネットで散々見ていたんですが、文章も読みたくなってきたので買ってみたんです。

結果から言えば、送料込み500円ほどで手に入れたせいか、私にはとても満足な内容で、

当時のMJが『インヴィンシブル』な「マイケル・ジャクソン」を求めて、どんなことを考えていたのか、に興味がある人、アメリカン・レヴューに飽き飽きしている人、また、自分以外はすべて「金の亡者」にしてしまう、あまりクリエイティブではないヘアメイクの人の独善的な扇動に疲れたという人のために、

本書の「ファンスタスティック」な部分を共有したいと思いました。


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Arno Bani



この本は、オークションカタログとして出版され、MJのバイオグラフィーから始まり、写真家のアルノ・バニの写真と、その撮影時のエピソードを、ジェロミーヌ・サヴィニョンがまとめて書いている。という構成で、ジェロミーヌ・サヴィニョン(Jeromine Savignon)は、サン・ローランや、ジャン・ルイ・シェレル、キャシュレル、ジャック・ファットに関する著書がある、ファッション業界の優秀な執筆者です。


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Jean Louis Scherrer and Jeromine Savignon



また、このオークションの主催者であるピエール・ベルジェは、あのベルナール・ビュフェの“恋人”でもあり、若きイブ・サン・ローランの才能を発見し、彼が亡くなるまで公私ともに唯一無二のパートナーと言われたひと!

◎[参考記事]イヴ・サンローラン、 天才デザイナーの苦悩と真実[1]
◎[参考記事]イヴ・サンローラン、 天才デザイナーの苦悩と真実[2]
◎[参考記事]イヴ・サンローラン、 天才デザイナーの苦悩と真実[3]

米国の映画産業では映画が創れなくなった、モンタナ州ミズーラ出身で、イーグル・スカウト(最高位のボーイスカウト団員) 出身のデヴィッド・リンチが、フランスに助けられたように、フランスには、一般的にアメリカ人が苦手とする芸術や、アーティスト自身をも支援する土壌がありますよね。

アルノ・バニ自身も、そういった「アート好き」の土壌で、若くして才能を発掘されたアーティストで、MJが彼を発見した「サンデー・タイムズ」(英国の高級紙)で、バニを取り上げた、イザベラ・ブロウは、英国版VOGUEの編集スタイリストとして、ステラ・マッカートニーや、アレクサンダー・マックイーンなど多くの新人デザイナーを発掘しただけでなく、彼女自身もスゴいひと!(今のレディ・ガガに負けないぐらいぶっ飛んでた)


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彼女自身が発掘した帽子デザイナー(フィリップ・トレーシー)
の帽子を身につけたイザベラ・ブロウ
◎[参考記事]数々の才能を発掘した名物スタイリストが死去


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photo by Arno Bani :THE SUNDAY TIMES(1999.4.11)





天才発掘において、確固たる審美眼をもつイザベラ・ブロウが、発見したばかりの若き才能に、MJが、心を奪われ... という本書の中身については、②に続きます。




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by yomodalite | 2012-11-28 09:16 | ☆マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(0)
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1984年に出版され、現在は絶版本の本書については、下記のサイトに情報があります。

☆わたしに、この本を紹介してくれたパセリさんが、
この本の素晴らしさを知ったのは、こちらの素敵なサイト

◎「今夜はRead It」

☆パセリさんの素敵なサイトでは、監修をされた田川律さんによるジャクソンズ全米ツアーレポート「ダラスの星空はマジックのようだった」とカバー裏の「マイケル評価を鋭く分析する」という文章がpdfで読めます。
◎「Paseri's cafe」

☆また、こちらの素敵なサイトでは、目次に加え、著者が指摘した「両性具有」の説明に、著書にはない写真も加えて紹介されています。
◎「続・織田真理的生活」

I マイケル・イン・ドキュメント(翻訳者著)
 
ダラスの星空はマジックのようだった
 
グラミー賞授賞式の夜

II マイケル・光と影(ここから著者のキャロライン・レイサム著)
 
プロローグ
 
レコード界の奇跡
 
ミュージカル映画の救世主
 
キング・オブ・ビデオの誕生

Ⅲ 神話の中のマイケル
 
<発見された>天才少年マイケル
 
モータウン時代
 
エピック移籍の周辺
 
マイケル神話の今日性

<解説>「マイケル現象」の変化について


(目次は上記サイトから引用)

ちなみに、目次にもあるように、上記のサイトでは「ダラスの星空はマジックのようだった」だけでなく「グラミー賞授賞式の夜」も、田川氏によるとされているのですが、パセリさんの目次pdfにもあるように「グラミー賞授賞式の夜」を、田川氏が書いたものなのか、よくわからないし、田川氏が書いた[解説]でも、なんだか曖昧でよくわかりません。

でも[Ⅱ]からの文章と比べると、「グラミー賞授賞式の夜」は「ダラスの星空~」と文体が近くて、確かに上記サイトで書かれているように田川氏の文章のような気もします。


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それで、、ふと思ったのですけど、

もし、そうだとすれば本書の魅力の大半は、キャロライン・レイサムじゃなくて、田川律氏の文章の素敵さにあるんじゃないでしょうか(解説ページには、翻訳:林令子、江川由美子、監修:田川律とある)

そういえば、表紙にも、キャロライン・レイサム/田川律 としてありますし、、

これまでの多くの翻訳マイケル本では、欠点のない人間などいるわけがないという、凡庸でジャーナリスティック(苦笑)な著者により、MJは、無理やり、欠点を創造されることが多かったのですが、本書では、キャロライン・レイサムにより、実際に多くの人が感じることと同様の感動が、素直に文章化されているだけでなく、田川律さんの「音楽・芸術愛」から滲み出る魅力が大きいのでは?と思って調べてみると

◎田川律(Wikipedia)

現在77歳で、60年代のアングラ演劇ブームを、唐十郎や寺山修司と競った「黒テント」の講師をされていたり、音楽評論家として「ニューミュージック・マガジン」創刊メンバーであるだけでなく、レコーディングディレクターや、舞台演出もされていて、料理研究家でもあり、2008年にはドキュメンタリー映画の「主役」にもなっているというスゴい方!

☆70歳を超えてから歌手に目覚められたらしい「田川律主催のライブ」最初に歌われた、帽子にメガネの方が田川氏。
◎田川律ライブ VOL.2 "男らしいってわかるかい"

◎「ゆめみたか~愛は歌 田川律」伊勢真一演出
◎[youtube]『ゆめみたか~愛は歌』


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原著の表紙(「今夜はRead It」より)



で、そんな素敵な田川氏の文章の後、本書の「プロローグ」では『スリラー』のレコーディングの話から始まり、自伝の『ムーン・ウォーク』が、もうすぐ発売されるというところまでが描かれています。

(レイサム氏が書いた「結び」の部分を、下記に引用)

マイケル・ジャクソンのお気に入りの『ピーター・パン』の冒頭にはこうある。

「子供たちは、たった1人をのぞいて成長していく」と。

マイケルはもう十年近くも、ピーター・パンをお手本に、すさまじい意志力とひたむきな集中力をもって努力をつづけてきた。ピーター・パンと張り合おうとすることはたしかに彼の想像力を発展させてきた原動力だった。だが、かのピーター・パンですら、「永遠の子供時代」というのが悲しい運命であることに、とうとう気づかされるのである。そしてマイケルが、同じ挫折を感じる兆候がすでに見受けられる。

類いまれな知性と、素直な感性から、マイケルはまちがった場所にとらわれていたりはしない。

遅かれ早かれマイケル・ジャクソンは、わずらわしいかかわりあいにみち、辛い制約を余儀なくされる大人の世界に入っていくだろう。だが、マイケルのような偉大な才能にとってこうしたステップは、かえって芸術的な表現力を磨いてくれる公算が大きい。

だからこそ私たちすべてのマイケル・ジャクソンファンは、彼の未来に、前向きに期待していようではないか。


(引用終了)

みなさまがおっしゃる通り『知られざるマイケル』は、お近くの図書館で是非!という意見に激しく賛同します!

☆この本は、ブックデザインが「宇野亜喜良」というところも、歴史的な感じでスゴいのですが、残念ながら宇野氏のイラストが使われていることもなく、極普通の装釘なので、中古品5千円は、やっぱりちょっと高いかなぁ。。

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by yomodalite | 2012-05-13 11:16 | ☆マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(6)

傷痕/桜庭一樹

傷痕

桜庭 一樹/講談社



この本のことは、書こうかどうしようかすごく迷いました。本のことも着物のことも、最近あまり書いていない変なブログではあるものの、一応、本を取り上げるときは「おすすめ」したいという気持ちで書いているのですが(2010.2.4以降のこと)、この本は誰かに薦めたいとは思わない。

これは、桜庭氏が、私のために書いてくれたんだと思ったので、個人的な感想文を書いておくことにします。

「もし日本にマイケル・ジャクソンがいたら....て思いついたんですけど....銀座の廃校になった小学校を、和製MJが買い取って、ネヴァーランドを創るって話で....そこでどうやって生まれたかわからない娘と2人で暮らしているのだが....ある日事件が...っていうものを書いてまして。。」

と桜庭一樹氏が、NHK-BS「週刊ブックレヴュー」で語っているのを聞いて、初めて「桜庭一樹」に興味を持ったという私は小説読みとしても、全然イケてないと思う。

◎ひとりごと ミケランジェロほか(2011.1.24)

マイケルが亡くなったとき、本当に多くの優れた文化人たちから、想像以上に「空虚な言葉」を聞いた。決して鈍感ではなく、若者文化に多くの貢献をしてきた素敵な人たちが、なぜこれほど「マイケル・ジャクソン」を語ることができなかったのか?ということは、マスメディアの嘘や、欺瞞といった、もう語ることすらシラケてしまうこととは違って、強いショックを受けたのだけど、

まだ、そのときは読んだことがなかった、この女性作家の、荒唐無稽としか言いようのない「銀座のMJストーリー」には、不思議と期待してしまった(私がそのあたりに住んでいて、あの小学校の付近を散策したときのことを思い出したからかな… )。

でも、その後、桜庭氏の作品を後追いして、彼女がこれを書くことの必然性が、なんとなくわかってきた。

マイケル・ジャクソンを「文学」で扱うのは難しいと思う。彼に限らず、ダンスも、音楽も、語ることが難しいのだけど、誰もが「天才」と感じつつも、同時に、その親しみやすさと優しい雰囲気で愛されるという、本来「天才」としてはありえない大衆性の弊害で、この天才は音楽やダンス以外の話題に事欠くことがなく、なんとなく彼の音楽を聴いてきた人々は、彼を物語の類型にあてはめ、多くのファンも自分が一番理解しやすい「マイケル・ジャクソン」を求めて、まるで自分のことのように、熱心に彼の真実を語ってきた。

とにかく、考えられないほどの有名人である彼は、まったく関係がないような本を読んでいるときも、突然、想像もしていなかった場面で登場することがあって、その度に、ドキっとしたり、「違和感」を感じてしまうことが多い。

最近読んだ本の中では『ザッツ・ア・プレンティー』という、2011年3月11日から始まる、娘が書いた立川談志の闘病記にも「マイケル・ジャクソン」が登場した。

2011年4月2日

まだ麻酔も効いているだろうに、第一声〈何をしたんだ?〉と紙に書いた。手術内容を一応説明したが、とにかく眠ってほしかったので、皆病室から出た。たぶん眠るだろうということで家に帰った。

また嫌な予感がしてナースステーションに電話すると、家に帰りたいと言っているらしい。眠剤も効かないらしい。とにかく、今日は家族は来ない方がいいと言われた。どうやっても帰れるはずもなく、少しでも早く家に帰るための手術だったのに、なんでわかってくれないんだろう。一週間ぐらいで帰れるのに。「わたしの名前は立川談志」だからなのか?

でもきっと、私たちのほうが父の本当の気持ちがわかっていない。早く死にたいのだろうか? マイケル・ジャクソンと同じなのか?(p20)


この「マイケル・ジャクソンと同じなのか?」という問いが、どういう意味なのか、今でもはっきりわからないのだけど、本書には、毎日、談志が「サイレース」という睡眠導入剤を欲しがっていたことが何度も書かれている。それが、天才落語家としての日々に欠かせなかったということも理解できるし、ましてや、このときは、末期がんの痛みだけでなく、声を奪われるという「立川談志」にはありえない状況。

談志は、マイケルを自分の後継者に指名したフレッド・アステアの大ファンで、弟子にも「音曲」の重要さを厳しく教えていた人なので、談志になりたいとまで言う、弟子の志らくが「マイケル・ジャクソン」をさっぱり理解していなかったことにショックを受け、だから、志らくは、談志にはなれないんだと思ったくらいなので、談志の本にマイケルが登場するのは、不思議じゃない。

だから、たぶん、ギクっとしたんだと思う。娘が、天才の父親に対してまったく普通に接している姿になんだか言いようのない思いを感じて、これは読むべきではなかったと思ったのだ。

本当に不思議なことだけど、私も含めて、MJファンは彼のことを、ものスゴい天才だと思っているにも関わらず、なぜか、自分のことのように考え、彼のことを、まるで家族のように思っていたりする。

そんな対象をテーマに、小説を書こうなんて、すでに高い評価を得ている日本の人気作家としては異例なことで、作品として高い評価を受けにくいことも、きっと承知の上で、それでも、桜庭氏は「キング・オブ・ポップ」の物語を書かなくては!と思われたんじゃないだろうか。

◎『傷跡』を書いているときの『桜庭一樹読書日記』

どうしてそう思うのかは、説明できそうにないけれど、、桜庭氏と、マイケル・ジャクソンは「世界地図の部屋」で繋がっていて、そんな作家は、たぶん、日本では「桜庭一樹」しかいないようにも思う。

『傷跡』は銀座の廃校に住む「キング・オブ・ポップ」の話で、マイケル・ジャクソンを描いているわけではないので、彼の事実とちがう点はいっぱいある。そもそも、これほどの世界的なスターが、日本に住んでいるということに、どうしても違和感を感じる人も多いでしょう。

でも、わたしたちの「マイケル・ジャクソン」は、やっぱり日本に住んでいて、わたしたちと一緒に成長してきているからこそ、わたしたちは、まるで彼のことを、ときどき家族のように感じてしまうんじゃないかな。それに、たぶん「マイケル・ジャクソン」は、あなたが知っているアメリカにだって住んでいない。だから、実際に彼と住んでいたことのある兄弟が、彼のことを話していても、違和感を感じる人が多いのだ。

わたしたちは、彼がカリフォルニアのサンタバーバラに住んでいたことをよく知っているけど、それでも、わたしたちが実際に知っているのは「ハリウッド」に住んでた「マイケル・ジャクソン」でしかない。どうして「銀座」なのかなぁと私も不思議だったけど・・でも、やっぱり「銀座」でいいと思う。だって、一番キラキラしていてキレイな街だから。

私は、巻末に《参考文献》として掲載されている本はもちろん、その他、さまざまの資料も相当見てきたつもりだけど、桜庭氏の描いた「キング・オブ・ポップ」は、私のMJに「遠い」とは思わなかった。

「キング・オブ・ポップ」のことを、なぜか、私も、まるで家族のように感じていることもあったのだけど、でも、よく考えてみると、彼の姉妹だと感じたことはないし、妻になりたいと思ったり、それを望んだこともない。


「残された娘の名前は、傷跡(キズアト)。ーーーー それが、わたしです。」


彼の娘になりたいと思ったことは、もっとなかった。それなのに、なぜか、胸がいっぱいになった。

そうか、私は彼が亡くなってから「傷跡」になっていたのか ---- そんな風に思った。

(引用開始)

プロローグ

彼 ーーー この国が20世紀に生み落した偉大なるポップスター、キング・オブ・ポップ ーーー がとつぜん死んだ夜、報道がこの国のみならず、世界中を黒い光のように飛びまわった。

それから約30分後、アメリカからの報道によると、原子力科学者会報より「終末時計がさらに5分、進んだ」ことが正式に発表された。

おりしも、重たい冬はまだちっとも終わっていないのに、熔けて北海を漂流し始めた氷山の欠片と、その上で悲しげに咆哮し続ける白い牡熊の映像や、南の国を襲った未曾有のゲリラ豪雨が、ダウンタウンの月の街ーー屋根がなくって毎晩月が見えるからだというーーをまるごと押し流していくニュースや、季節外れの奇怪な山火事が悪夢のように南米大陸を広がる事件が続いて、彼の死亡をヒステリックに流し続ける報道の合間に、まるで世界がそれをひどく悲しんでいるかのような錯覚をさせるタイミングで繰り返しはさみこまれた。

彼は “偉大なる変人” とも “世界の友人” とも呼ばれた。ただ、ポップスターでありながら、さまざまな働きかけを通して、この国の歴史で唯一、ノーベル平和賞の候補に挙げられた経験のある男性だった。やがては消えていくだろう、閃光のようなチャイルドスターの1人として40数年間にこの世に現れた後、見事に大人の唯一無二のポップスターとして花開いた。同時に、周囲によってスポイルされた変人とも噂され始めた。20代の後半で、銀座にあった名門小学校の廃校を聞きつけ、大金をはたいて校舎と敷地を買い取ると、奇怪な改造を施した。そこを最後の楽園と呼んで、はじめは1人で、11年前からは2人で、棲み始めた。そして今夜、そう今夜だ、とつぜん死んでしまうまで、コンサート以外のほとんどの時間を奇妙な楽園に引きこもった。

彼は51歳だった。

相棒 ーーー 娘らしき、11歳の子供が、1人、残された。

誰も、彼女がどうやって、誰から生を受けたのかを知らなかった。凄腕のイエロー・ジャーナリズムさえも、ただ、噂を繰り返すばかりで、決定的な真実を捕まえることができないままだった。

パパラッチと世間の目を恐れて、父親は彼女に、バリ島で購入したという魔除けの仮面を被らせていた。老女の如き皺を刻まれた、無表情な木彫りの面だった。50もの要項が並ぶ守秘義務の書類にサインをした、楽園の関係者たち ーーー それはいつも無数にいたが ーーー 以外、“偉大なる変人のひとり娘” の顔を見たものはほとんどいない。11年もの間、パパラッチは敗北し続けていた。なにしろ彼女は学校に行くこともなかったし、父親に連れられて外に出かける以外は、楽園の敷地から一歩たりとも出ることがなかった。魔除けの仮面の奥にある真の表情を知るすべはなかった。

残された娘の名前は、傷跡(キズアト)。

ーーー それが、わたしです。

(第6章以外は、各章の冒頭部分を引用)

一章 終末時計
わたしは、白くって、長いダックスフントの胴みたいに長い、いつもの車に乗せられて病院を出たところだったーーー車に備えつけられたテレビジョンかが、ニュースを流し続けている ーーー「今夜もいるのかなぁ」と誰ともなく聞いた。「親を亡くした孤児の群れみたいな、あの人たち」仮面に開けられた2つの穴越しに外を指差してみせる ーーー「孤児の群れみたいって、傷跡。ファンのことを言ってるの?」スタッフが問い返してくる。ーーー「週末時計っていうのはね、核戦争の危機や環境破壊によって、破滅の日が近づくのに合わせて進んでいく架空の時計のことだよ。確かシカゴの大学にあるんだっけ。地球最後の日までを象徴として示していてね。ひどいことがあるたびに針が動かされるってわけだ」

二章 孤島
キング・オブ・ポップの話をしようと思う。これから、すこしだけ。こんなおじさんが、と若い人には笑われるかもしれないが、でも、このおじさんはね、いつだったか、一度だけ彼と ーーー あの世界的なスターと手をつないことがあるんだよ。それはそんなに昔のことではないのだけれど、でもひとまずは、ずいぶん時を遡って、30年前ほど前。ぼくがまだ大学生だった春のある出来事から話してみたい…

三章 胡蝶
ある政治家 ーーー4、5年も経てば日本史の教科書に写真つきで載ってるレベルの、つまりは有名な元首相だ ーーー の、下半身スキャンダルを、以前、熱心に追ってたことがあるんだ。ずいぶんおかしな話過ぎて、結局のところはお蔵入りになっちまったんだけどな…

四章 風の歌
大騒ぎの末に、この世のどこからか彼の手の中に生れ落ちてきた娘の名前が、よりによって「傷跡」だって聞いたとき、あたしが思ったのは「えっ、なにそれ?」だった。傷跡?その名は、あたしにこそ相応しいのに。冗談じゃないよぉ。まったくね。ーーー もっとも、このあたしには名乗るほどの名前なんて、ない。例の事件のころは未成年だったから、新聞にも週刊誌にも本名なんて書かれなかったし… イエロー・ジャーナリズムは、あたしをこういう通称で呼んでた。「復讐(ベンデッタ)、って。

五章 魔法
あの子が生まれて数ヶ月経って、家の床から床へと元気よくハイハイし始めたとき。パパが鉄工所のクレーン運転仲間から教えてもらった占いを試すと言い出した。わたしは3歳だったから、その不思議な夜のことをかろうじて記憶している…

六章 世界地図
彼 ーーー 偉大なるポップスターにして、長年、私を雇っているボスの弟 ーーー がとつぜんこの世から消えて、2ヶ月が経ったその朝は、一見、いつも通りいやってきたと感じられた。すくなくとも私には、だ。もとろん、こうやっていま私が運転している、リムジンの座席で、腕を組んで黙りこんでいるボスが、はたしてどう思っているのかはわからないが。でも、それはいつも通りのことだ。ボス ーー 孔雀は、車内では寡黙な女だから。

ここ2ヶ月で、セキュリティスタッフの数は3分の1に減らされていたから、1人1人にしわよせがきて、毎日けっこうな負担だ。たとえ、我々がなんとしても守らなくてはならなかったあの男 ーーー 銀狐(シルバーフォックス)がもうどこにもいないとはいえ….

わたしは、青くってダックスフントみたいに長い孔雀用の車に乗せられて武道館から出たところだった。今夜の夜の街は、まるで、水に沈んでしまった古代の廃墟みたいに静かに感じられた。人の姿もほとんど見えなくて。天井のシャンデリアがしゃらりと音を立てて揺れる。隣に座る孔雀は目を閉じて、頬杖をついている。

(新しい、世界地図を…つくる…それぞれの旅に、出なくては……)

(引用終了)

☆参考サイト
http://blogs.yahoo.co.jp/konpeitou_06/52555558.html


オール読物「BOOK TALK」
桜庭一樹「実在した偉大な人物の喪失感を書く」(2012.3 第67号)


「桜庭さんはマイケル・ジャクソンに似ている」版元の担当編集者と飲んでいるときに、そう言われたのが、この作品を書くきっかけになっだそうだ。

「そんなこと言われたら、気になりますよね。それで映画『THIS IS IT』を見に行ったら、自分に似た部分は見つけられなかったけど(笑)、マイケルの今まで知らなかった姿を見ることができた。それから気になって。最初は元は小学校だった場所が女子刑務所になっていて、そこから脱走する小説を考えていたんですが、舞台をそのままに、マイケルの話にしました。一話書いて担当者に見せたら、酔っ払って話したことを忘れてましたけど(笑)」

話は、20世紀が生んだ偉大なるポップスターが突然世を去ったことから始まる。残された“傷跡”という名前の愛娘をはじめ、彼の姉やスタッフたち、ファンや、長く追っていたスキャンダルジャーナリストら複数の視点で彼のことが語られていくーー。

ポップスターが住んでいたのは、銀座の名門小学校の廃校跡。兄弟でグループデビューし、やがてソロで成功した彼はそこに自らの楽園を作る。だが、やがて、彼に楽園で性的暴行を受けたと訴える少女が現れ、莫大な示談金を受け取った。傷跡も誰の子か、実ははっきりしない。そして彼の死の原因も・・・真相は薮の中である。

「でも、そのいかがわしさもスターのうちなんじゃないかな、と」マイケル・ジャクソンをそれほど知らなくても、彼の死に衝撃を受けた人は多いだろう。その喪失感は桜庭さんがかつて体験した、昭和天皇崩御の際に重なるところがあるという。

「ひとつの時代の終わり感と、新しいことが始まる予感とでもいうのでしょうか」ポップスターが日本人かどうか、はっきりとは書かれていないが、この物語の舞台はもちろん日本である。

「マイケル一家をモデルにアメリカを舞台にすると、アメリカの歴史になってしまう。でも私は今まで同様、日本の時代や歴史を書きたかった。なので人種差別や宗教問題など、マイケルを語るうえで大事な要素を入れられなかったこともありますが、実在の人物をモデルにした足枷はなかったかな」

初期の代表作を、と言われて書いたという『赤朽葉家の伝説』と、直木賞を受賞した『私の男』をひとつの到達点とすると、『傷跡』は新たな幕開けを告げる作品と言えるかもしれない。

「昔からの担当者にも、描写が以前と全然違うと言われました。桜庭一樹が変わっていっている、と読む人に感じさせる1冊なのかもしれませんね」(雑誌からの書き起し)

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by yomodalite | 2012-03-13 09:16 | ☆マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(8)

マイケルからの伝言

松浦 大覚/さんが出版



MJ本としては、ちょっぴり「今更」な感じではありますが『最後の黒幕』を読んで、朝堂院氏に興味をもってしまったので.....

本書は2010年の6月25日に出版されたもので、著者が、あの日の衝撃から1年をかけて想いを綴ったという内容になっています。

以下「マイケルとの約束」(序にかえて)から、省略して引用します。

《息子 マイケルに捧ぐ》という献辞を目にして、奇異の念を抱かれた人も少なくないと思う。「そんな資格が著者にあるのか」と、お腹立ちの向きもいることだろう。この本を手に取る多くの読者の、唐突な疑問にますお答えしなければならない。

読者のなかには私のことを、また私とマイケルとの関係を知っている方々もいるかもしれない。だがご存知ない方々のためにご説明する必要がある。(中略)

私がマイケルと初めて会ったのは、1997年9月のことだった。彼の動向にはメディアの目が四六時中光っていて、自由な行動がとれない。そんな環境におかれていて、マイケルは私と会いたいと熱望した。誰にも知られずに会うことは出来ないかと。それまでの私は、マイケルに特別な関心をもっていたわけではない。

私のもとには、相談事を持ち込んで来る人達が大勢いる。親しい人々から、政財界の著名人も少なくない。日本のみならず世界にそうした人々は大勢いた。国家元首級の人物もいるし、不当に自由を抑圧された民族のリーダーもいる。私は有名無名を問わず先入観を持って人と会うことはしない。だからマイケルが私に会いたいと切望していることを知ったときにも、その理由を調べる必要は感じなかった。何事も本人に会ってからの話だ。

当時私は、国賓待遇の外国の重要人物を非公式に入国出来る人脈とルートを持っていたので、マイケルの希望をいれて迎えることのできるように手配させた。こうして世界中のメディアに知られることなく、マイケルは極秘裏に来日した。(中略)

極秘来日で私と過ごした3日間、文字通り膝を交えて私とマイケルは語り合った。マイケルが私と会うことを切望した理由もわかった。それぞれの世界でやってきたことは、舞台こそ違え、目指す理念は同じものだった。

人類の平和と、差別のない社会の実現。自由を抑圧する巨大な権力に立ち向かう有志を支援すること。地球の環境を浄化し、子供たちには希望の持てる未来を用意し、国境や民族や人種を超えて愛に満ちた地球とするために何をなすべきか。さらには宇宙の法にまで話はおよんだ。(中略)

壮大なビジョンばかり話していたわけではない。彼は映画が大好きで読書家でもあった。私が主宰する空手道にも興味を示した。私が彼の目の前で空手の連動型を示すと、マイケルは即座にやってみせた。初回で私と同じ速さで寸分違わずやってのけたのだ。正直私は舌を巻いてしまった。人間のなせる技ではない。

素直に私が褒めると、マイケルは無邪気な子供のように喜び、ちょっと誇らしげに微笑を返して寄こした。そして「こんなふうに父さんに褒められたことは一度もなかったのに...」と言いながら、ふっと笑顔を曇らせた。打ち解けるにつれて彼は実にさまざまなことを何の構えもなく私に話した。まるで、私が実の父親のように。

そして、少しはにかみながら私にこう言ったのだ。

「あなたにもし、そのお気持ちがあるなら、僕がファーザーと呼ぶことを受入れていただけますか?」と。

もちろん私に異存はなかった。こうしてマイケルは、自ら望んで私の息子になったのである。血肉をわけた親子ではなかったが、心の絆で結ばれた父子になった。そして、私の実の子どもたちが世界中に50人以上いることを話すと、「ワォ!」と、それが口癖のマイケルは、心底驚いて「なんて素晴らしいんだ!」と感激しきりだったことを昨日のように思い出す。

マイケルは私の子どもと仲良しになりたいと望んだ。ファンの中には、彼が翌年公式来日したときに、常に隣にいた男の子を憶えておられる方がいるかもしれない。「謎の少年」と話題にもなった。その子は私の実子で当時12歳のリチャードだ。

私とドイツ系女性の間に生まれたハワイ生まれのハワイ育ち。その後もマイケルと文字通りのブラザーとして彼と幸せな日々を過ごした。だからマイケルの訃報には私以上に衝撃を受け深く悲しんだ。この本を執筆するにあたり、マイケルの音楽に関する事柄、ことに楽曲に関しては私より詳しいから、音楽シーンで特筆すべきことなどに進んで協力し、翻訳も行ってくれた。

マイケルと私の、世間からみれば秘密会見の内容は、翌年、公式に来日したときまでに発表可能な一部がまとめられた。そしてマイケルと私が同席したホテル・オークラの記者会見で発表されることになった。世界中から700人の報道陣が集まった。

さまざまな媒体でそれを目にし耳にした人たちも少なくないだろう。本文で改めて紹介するが、ここでは『日本と全アジアに於けるマイケル・ジャクソンの映像と画像の排他的独占権を朝堂院大覚に与える」旨の契約書を2人の合意文書として公表したことに留める。

朝堂院大覚とは、私が主宰する国家武道会議の総裁として現在も用いている名乗りで、本書の著書名は本名の姓・松浦と組合わせて新たな名乗りとした。

1998年の記者会見は、前年、私とマイケルらが語らった構想実現のための足懸かりとなるはずのものだった。親密な父子となった私たちは理想の実現のためにビジネス・パートナーともなったのである。その記者会見の時期、マイケルの言葉によって、私が「マイケルの日本の父」であることも公表された。また、親愛なる息子に空手の名誉段位も授与した。こうした経緯があるので、私が本書の献辞に息子マイケルと記したのも故なしとしないことが諒解していただけただろうか。(中略)

私の役割は、生前のマイケルが語った熱い思いを本書で届けることである。そして、それを果たすべく第一歩を踏み出すことにしよう。願わくば、本書を通読し終えた読者の方々が、マイケルの真意に触れ、時代に先駆けて出現した稀有な存在が導こうとした世界を共有していただければ、これにまさる幸せはない。

2010年6月吉日 東京新橋にて  松浦大覚

(引用終了)

第一章「心を開くマイケル」
・その日
・極秘来日
・白い肌の黒人
・膝を交えて
・そのときのマイケルの事情
・宇宙基本法・弱者救済・環境問題
・天啓
・ファーザーとお呼びしてもいいですか?


第一章は、極秘来日でMJと会い、2人が打ち解けて行く様子が描かれていて、この部分はコアはファンにとっても興味深い内容になっていると思います。これまでに多くの人が彼のことを語っていますが、それらと本書が異なるのは、著者が出資者として、マイケルに会っているところですね。

(もう少し踏み込んだ言い方をすると「借金をするときのMJ」がほんの少し垣間見られるということでしょうか。ただし、著者はそうは書いてませんし、自慢やそれをアピールする気持ちもないようで、もちろん額も書かれていないのですが、、おそらく数億円の出資はしているのではという「推測」を私はしています)

にも関わらず、著者が、MJから感じた印象は『マイケル・ジャクソンの思い出』の著者にも似ていて、さらに驚くのは、実際にMJに会っていない『私たちの天使』の著者以上に、MJに「神の子」を見てしまっているところなどは、

日頃から、MJを自分の神のように尊敬している私から見ても、彼の人心掌握術のスゴさにあらためて感心し、MJの「こんなふうに父さんに褒められたことは一度もなかった...」の「殺し文句」の効き目の裏側にある、今現在でも名誉が回復されていない、ジョーパパには、ますます同情したくなってしまいました。


第二章「闘うマイケル」
・98年の再開
・《マイケル・ジャクソン・ジャパン》と《ワールド・オブ・トイズ》
・リチャードからのメッセージ


第二章は、翌年98年の公式来日で再開したときの話から。MJは『インヴィンシブル』の制作中で、プリンスは1歳5ヵ月。パリスの誕生を電話で伝えてきたことや、著者が権利をもつと主張する、MJの日本における排他的ビジネスパートナーの正当性と、ローティーンの頃にMJに出会った、息子リチャードによる思い出。

第三章「語り継がれなかった自伝」
・自伝『ムーンウォーク』から
・《ジャクソンファイブ》
・75年の移籍
・激動の80年代
・逆風の決意
・ハーフ・タイム
・民族解放運動を支援する
・語り継がれなかった自伝・新たな地平線
・ネイション・オブ・イスラムへの傾倒

第四章「死の真相とマイケルの復活」
・突然の死
・マイケルは謀殺された
・復活 その意味するもの
・マイケルは死して復活した


第三章、第四章は、ファンにとっては、見知っている内容が多いと思います。ただ、著者は、マイケルの魅力について、まだあまり知らない人にも説明したいという意図が強く、自伝「ムーンウォーク」に書かれなかったMJの真意を掬いとろうされていることなど、その心情には、姉の『インサイド・ザ・ジャクソンファミリー』にも通じるところがあり、第4章で、著者が考える「死の真相」も、姉がMJの死の直後に抱いた感想と似通っているようです。

著者は本書で、マーレー医師を実行犯とし「故殺」に「共謀罪」を加えるべきだと主張。医師が雇われたときの経済状態に不信を抱き「MJの死によって誰が得をするか」と問い、MJが公演をこなすことが不可能だと莫大な損害を被らなければならない。その解決方法として、公演中止は不可抗力だと主張したかった勢力があり、損失に対する保険金詐欺も含めた計画的殺人だと考えておられるようです。

そういった意見は、著者だけでなく、多くの「死の真相」本(『マイケルに起きた真実』など)によって主張されていることで、本書はその件に関して、新たな調査や事実が加えられているわけではありません。

(このブログでは、それらの「真相」に関して、これまでも異論を述べて来ていて、もう一度、繰り返しにはなりますが。。)私もそういった考えが主催者側に全くなかったと考える方が「不自然」とも思うのですが、それでも、私が、それを「真相」だと思わないのは、

マーレーの行動があまりにも「計画的」でないことと、
それらの「計画」を、MJが「THIS IS IT」を決断する前に深く理解していたということ


という2点で、それは、著者が最終章で主張しているような「MJの預言」という点においては、相反する考えではないとも思っています。


第五章「マイケルは神の子か」
・MJは音楽を超えた
・MJの歌詞に秘められた預言(メッセージ)
・MJバイブル
・宗教を超えたウェーブ


すでに、目次からも、イッテる感じが「ビンビン」と伝わってきますが、そのせいでしょうか....私には、著者の気持ちが「すんなり」納得できましたので(笑)、特に納得した箇所を引用します。

音楽家以外のモーツァルトやベートーヴェンは語られない。プレスリーやビートルズは音楽家以外の栄光を保てるか。神の子と呼ばれたのはマイケルただ1人だ。

また、著者はMJバイブルとして、彼の歌詞を、大西恒樹氏の翻訳から(http://mjwords.exblog.jp/)『タブロイド・ジャンキー』『ブラック・オア・ホワイト』『マネー』『マン・イン・ザ・ミラー』『ヒール・ザ・ワールド』が掲載され、ここまで読んでくれた読者に提案として、(下記は省略引用)

MJが天分である音楽の才能を駆使して世の中に訴えかけたことを、行動に移すことだ。それは愛のウェーブを起こすことだ。手始めに私は、日本からそれを始めたい。それを世界中に広げていきたいと思っている。MJを失ってからの私は、深い喪失感の数ヶ月を過ごしたが、彼の意志を継ぐための「マイケル・ジャクソン・ムーブメント」を始めるべきではないかと考えた。MJを神輿にかつぐとなると、拒否反応を持つ人々もいるかもしれない。(中略)しかし、最終的にどういう名称になるかはともかく、私の中では、あくまで「マイケル.ジャクソンの世界を変えるムーブメント」なのである。(後略)

最後に「あとがき」からも、引用します。

マイケルの訃報を耳にした時の衝撃と、名状しがたい喪失感は筆舌には尽くし難い。涙さえ忘れてただ茫然自失して、長い時間を過ごした。深く辛いときには涙さえ出ない。泣きたくても涙は出なかった。涙腺が枯渇していた。血の涙を流すようだった。

わたしは虚ろな数日を過ごした。たぶん数週間。私はその時、掛け替えのないマイケルの存在に改めて気づかされた。その穴のあいた思いが今回の執筆のさなかに、至福で埋められていくような幸福感を味わった。(中略)

私に私欲などない。それは私の人生遍歴を読んでもらえれば理解していただけると思う。言葉のイメージから私が標榜しようとする「ムーブメント」にアレルギーを抱く人がいるのは承知の上だ。しかし、マイケルが、既成の宗教によって解決しえない現状に、新たな「愛の園」の必要を説いた。なればこそ私は、真実の世界平和のためのムーブメントの実現を約束する。それがマイケルから託された伝言なのだ。(中略)

マイケルは、明治時代に世界的ベストセラーになった新渡戸稲造の「武士道」を愛読していた。驚くべきことに「葉隠れ」も読んでいた。日本人の多くが「武士道は死ぬことと見つけたり」を曲解していたのに、マイケルは、すなわち武士とは、いつ死ぬか分からない、それを日常の心得として、毎日を生きる。いわば生きることの有難さを感謝して生きるという反語なのだということを、自分の生き方に投影していた。(中略)

マイケルはサムライの精神を持っていた。武士道の精神的支柱は「仁・義・礼・智・信」の五常の徳目である。「仁」はつきつめれば他者への思いやりだ。「義」は弱者を見捨てず、勇気を持って力のない人たちになり代わり、正義を行うことだ。「礼」と「智」は今更説明の必要はないだろう。「信」こそはマイケルを愛する者とマイケルの絆だ。もうお解りだろう。すべてがマイケルの生き方に当てはまる。

復活したマイケルが、打ちひしがれた私を励まし、日本を世界に向けて再始動する拠点とすることを願ったことは故なしとしない。それを託された私は、「ただ行動あるのみ」なのだ。マイケルの復活によって、私も蘇生した。ありがとう。マイケル。   
2010年6月吉日  松浦大覚

(引用終了)

引用した部分以外でも、著者は、マイケルの名前を利用していると思われることや、彼を神輿にかつぐことの、拒否反応をよく理解されていて、自分よりも詳しいファンへの気遣いなども感じられ、「黒幕」「フィクサー」と言われるような人物とは思えないような謙虚さも、本書全体から伝わりました。

たぶん、朝堂院氏は、それらの誤解を、マイケル以外の活動においても、常に経験されているからでしょう。私はこの「謎の人物」に対し、ますます興味をもちました。

とはいえ、朝堂院氏の日本での権利に関しては、やはり「ハラハラ」すると言うか、MJエステートが一括している方がいいように思え、そのあたりの私の感情は、大好きなラトーヤへの感情とも近いような....

◎MJエステート、日本で2件目の主張と争う

また、朝堂院氏が本書でも使用している「空手道本庁 総裁」という肩書きですが、空手有段者の我が家のダーリンは『最後の黒幕』を読了後、Youtubeで動画を見まくり、氏のモノマネがすごく上手くなったのですが(笑)、道場生の前でやったところ、誰も朝堂院氏を知らなくて
(笑)、今のところ、私にしかウケないことを残念がってます(笑)


「国士」の伝統と歴史を感じさせる「演説スタイル」なんですが、
平成の世ではキビシーかなぁ。。。
◎NEWS TODAY 2011.10/12詐欺年金 朝堂院大覚 激怒part1

◎マイケルからの伝言(アマゾン)


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by yomodalite | 2012-01-16 16:33 | ☆マイケルジャクソン書籍 | Trackback | Comments(2)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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