カテゴリ:現代文化・音楽・訳詞( 133 )

秋とプリンス

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並木の銀杏がすべて金色になるまでは、「秋」は終わらないって思いたいんだけど、なんだかすっごく寒くなってきて、アラジンストーブを出して、灯油も買いに行ったり、お鍋メニューも多くなってきて、「年末」だとか「冬」だとか、いろいろ忙しい季節が近づいてきたような気がするんだけど、

気のせいだよねw

西寺さんが『プリンス論』で言及していた曲をすべて混ぜ込んだプレイリスト・・を創る予定で、プリンスの楽曲を年代順に聴きまくってたんだけど、やっぱり、今の自分にグッとくるやつを最初に創りたくなってきて、

殿下のお気に入り曲を、なんとか「2枚」にまとめてみようと、毎日リストから入れたり出したりを繰り返してる。

こちらは、この曲だけは、今、絶対に外せない!

”Gold” の秀逸なカバー

素敵な訳詞もついてます!







殿下のオリジナル曲が収録されているのは、『The Gold Experience』というアルバムなんだけど、Amazonでは中古の取扱いのみで、タワレコでは廃盤、iTunesでは検索なし?!そんな馬鹿な・・と思うんだけど、この頃の、殿下は「Prince」から改名して、「The Artist Formerly Know As Prince」というアーティスト名になっていて、、この名前でも検索してみたけど、やっぱり「ない!」。プリンスの楽曲を、iTunes検索する場合も、CD表記のままではダメなことが多くて、曲名を全部小文字にするとヒットするとか、なにかと、ややこしいんだけど、

『The Hits / The B-sides』『The Very Best of Prince』『Ultimate : Prince』といったベスト盤にも収録されてないのね(驚)



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by yomodalite | 2015-11-03 10:04 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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今、日本中でかなりの人がこの本を読んで、プリンスを聴き直しているんじゃないでしょうか。私もそんなひとりで、ここ数年、圧倒的な差で独走していたMJなんですが、最近ほんの僅差でプリンスが上回っています。


ちなみに今日は、現在、絶賛骨折り中! ついさっきも、childspirits先生と、「みんな、マイケルで踊りまくってるのに、《マイケル太り》なんてしてるの、日本中で私たちだけじゃない?」などと憂いつつ、ダイソーのジャイアントコーン美味しいよね。と盛り上がってた、そんな罪つくりな『HIStory』と同年に発売された『The Gold Experience』(1995)から聴き始め、

iTunesの年代順プレイリストによって、今、『Emancipation』(1996)に移ったところなんだけど、これは、3枚組で全曲聴くと3時間ぐらいかかるんだけど、『プリンス論』では、第5章に記述があって、

「ワーナーでの最後の新録アルバム《カオス・アンド・ディスオーダー》の発売から、わずか3ヶ月後の1996年11月1日。」

あ、そっかぁ、『Emancipation』と『Chaos And Disorder』は同年だったっけ。iTunesの「プリンス・フォルダ」のプレイリストの表示順序を「年」に設定してあるんだけど、同年の場合は、アルファベット順が先の『Chaos〜』が先になるなんてことはないのね・・・でも、同じ「プリンス・フォルダ」に入ってるから、『Chaos〜』は、この次にプレイされるのか、、あ、、ちがうなぁ。。『Emancipation』のDisk 1の後、Disk 3、そのあと『Chaos〜』で、次がDisk 2になってる(???)。

まだ、『Emancipation』のDisk 1終わってないけど、今気づかなかったら、ずっと『Emancipation』を聴いてるつもりで、『Chaos〜』を聴くことになってたんだわ。ふぅーーー。

という具合に、とにかく、プリンスについて語るのはむずかしい(?)


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私のiTunesの「プリンス・フォルダ」には、最新アルバムの「HITnRUN Phase One」を含めて全部で18枚のアルバムが入ってて、入れてないディスクも4枚ぐらいあるはずなので(ベスト版やシングルや再発版はのぞく)、私にとって、プリンスは一番多くのアルバムを所有しているアーティストなわけですが、私にはプリンスについて語ることなんてまるで出来ないし、この程度の枚数ではファンと認めてももらえないというのが、プリンスなんだけど、本当にこんなにいっぱいあるのに、さらに、これまた山のようにある「アンリリースト」まで買う人がいるなんて、、いや、買う人がいるのはわかるけど、すべて聴き込んでいるなんていう人が、音楽を仕事にしてない人の中にいるのかな?

「プリンスは、この年のヴァレンタイン・デーに、22歳となったマイテと結婚。新婚旅行でハワイを訪れ、その2ヶ月後には、彼女が妊娠したことを発表。こうしたプライヴェートの充実が、《イマンシペイション》の持つ「祝福」のムードに拍車をかけた。

あーー『Emancipation』って祝福ムードだったんだぁ。殿下の音楽って、そーゆー感情とかイマイチよくわかんないんだけど、、そういえば、DELFONICSで有名な曲で、様々な人がカバーしてる「La-La (Means I Love U)」とか、すっごく甘い感じで歌ってる。。 でも、西寺氏が悲痛なアルバムだって言う『HIStory』だって、色々と大変な時期だっただけでなく、結婚して、長年待望してた子供ももうすぐ生まれる(と、MJは思ってた)ときのアルバムだし、そーゆー私たちのような普通の人々にとってわかりやすい “物語” を、天才と呼ばれるアーティストに適応できるのかなぁ。。

なんてことを思っただけでなく、ナンダカンダとこの間に用事を済ませてたら、あっという間に、『Chaos〜』に突入。第4章によれば、

「このアルバムの「荒削りなロック・バンド感が好きだ」と言う声を聞くこともあるが、僕はこの作品に関しては、彼のすべてのキャリアの中で最も低い評価を下している。」

えっーーー、このアルバムが西寺氏の最低なんだ。

「薔薇の花束が燃やされ、《1999》のレコード盤の瞳のイメージに涙が書かれ、踏みにじられ割られていた。しかも、その涙の中には、逆さまになったワーナーのロゴが・・・」

っていう感じは、音楽的にはあまりしないし、エレクトリックサウンドがあんまり好きでない人にとって、90年代のプリンスのアルバムの中ではとっつきやすくて聴きやすいアルバムなんだけど、それは、レコード会社の意向による大衆迎合や、移籍にともなう在庫整理・・ってことなんでしょうか。西寺氏が最低評価なのは、音楽的にちょっと昔のロック風というか、新しさに欠けるからなのかな。でもそこがまた良かったりもするので、私の不満はたったの11曲ってことぐらいなんですけどw

てなことを思いつつ、この間に一本電話受けてたら、あっという間に、また『Emancipation』に戻ってて、リスナーの方では、なかなか『Emancipation』から解放(emancipation)されませんww

「書き終えた今、あらためてこう思う。「もしも「プリンスの楽曲を一曲も知らない」という人がいたならば、その人は幸運だと。「ポップ・ミュージック史上最高の天才」の魔法を、この瞬間、ゼロから体感できるのだからー。」

何曲かわかんないぐらい知ってはいるものの、この魔法から、私が解かれる日が来る気配は全然ない。

同時代のライバルであるプリンスとマイケル。二人を語る場合に必ず言われるのは、「人種を超えた」ということ。でも、それって、つくづく「白人目線」というか、つまり、エルヴィスを見て、黒人がどう思ったかについては、「言葉がなかった」ってことなんだよね。そんな風に、確実に存在しているけど、まだ認識できないせいで、語られていないことはいっぱいあって、

ふたりは、ありきたりの物語を拒否しようとする姿勢も似通っていて、それゆえ、言葉にも慎重で、音楽評論家の手に負えないというところも・・・でも、マイケルは「大きな物語」を意識してたから、今後は長く「語られていく」と思うけど、おそらく、プリンスは老年になっても話題作を作り続ける天才であり続けるかもしれないけど、一生、言葉とは相性が悪いんじゃないかなぁ。。。

さて、これから、西寺さんのお気に入り曲をすべて混ぜ込んだプレイリスト創ってみよっと。。





youtubeでは削除されまくりのプリンスですが、やっぱり音楽がないと寂しいので、、マイテがたくさん登場するエロい曲で、この本には記述がない『The Hits 2』と『The Hits/The B-Sides』にしか入ってないシングル、"Peach" にしたかったんだけど、ニコニコ動画にしかなかったので(http://www.nicovideo.jp/watch/sm8935844)、1991年の「Diamonds and Pearls」に入ってるエロい曲、“Cream”を貼っておくので、最近のもう少し崇高な感じの曲は、アルバムを買って聴いてね。


(音楽が始まるのは1:55〜)





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by yomodalite | 2015-10-21 21:09 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

ローリング・ストーンズを経営する: 貴族出身・“ロック最強の儲け屋”マネージャーによる40年史

プリンス・ルパート ローウェンスタイン/河出書房新社




40年にわたってストーンズのビジネス・マネージャーだった著者の自伝。第三章から、ようやくストーンズのメンバーが登場し始めるのですが、スペイン生まれで、ドイツ・バイエルン地方の貴族だった両親や、ヨーロッパのエスタブリッシュメントの生活感や考え方が窺い知れる部分など、ストーンズに関係のない部分にも興味深い点が多い本です。

そんな本書の中から、

各章のエピグラフのメモと、マイケルに関するエピソードを記録しておきますw

第1章
子どもたちだけが、なにを探しているのか、わかっているんだね
ーーーサン・テグジュペリ

第2章
軽薄については多く語られている。
軽薄な人々とは、結局、一部の慈善家、改良派よりも世界に及ぼす害は少ない。愚かなことを少しもしない人は信頼するな。
ーーーバーナーズ卿

第3章
経験とは何か別のものを探している間に得るもの
ーーーフェデリコ・フェリー二

第4章
病的な音楽しか金にならない
ーーーフリードリッヒ・ニーチェ

第5章
わたしだとてもよく知っている。(←原文ママ)
ならず者らは、望みを糧にくらすというのを。
ーーーアイスキュロス

第6章
今過ぎゆくこの瞬間以外、人生はすべてが思い出、
あまりにすばやく過ぎ去り、とても追いつけない
ーーーテネシー・ウィリアムズ

第7章
これまで不正が義務だったことはない
ーーーアンソニー・イーデン

第8章
人はいつも時が物事を変えてくれると言うけれど、
それはあなた自身が変えなければならないものだ。
ーーーアンディ・ウォーホル

第9章
自由なライオンは自分自身の野生の法則に従うことができる
ーーーR.H.ベンソン

第10章
友を許すより敵を許す方が簡単である
ーーーウィリアム・ブレイク

第11章
わずかな真実に足をつっこめば、自由に飛べる
ーーーアンドリュー・ワイエス

第12章
自分の好きなことをやりながら生きていけたら、それは素晴らしい人生だ
ーーーアーメット・アーティガン

エピローグ
ああ、歳月の過ぎゆくことのいかに早きことか。
ーーーホラティウス


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ポール・マッカートニーとエルトン・ジョンの前例があったものの、多くの人々にとってミックが騎士の称号をもらうことは驚きだった。しかし、それほど奇妙なことでもなかった。過去には、ジョン・ギールグッドに騎士の称号を与えることに抗議する人々でセント・ジェームズ・ストリートが騒然としたことがあった。また、建築史学者ジェームズ・リース・ミルンが授与者リストに載ったと噂された時にも、これを阻止しようと似たような騒動が起きた。ミックヘの授与は、アートの世界の異性愛者たちにとって、ちょっとした勝利だった。


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私はアンディ・ウォーホルが1975年に創作したミックの肖像画と同じ路線の美術プロジェクトを立ち上げようとした。今回はマイケル・ジャクソンの肖像画を考えていた。マイケルの弁護士ジョン・ブランカにこの話を持ちかけると、マイケルが快諾したとの返事をもらったので、私はロンドンのルフェーヴル・ファイン・アート・ギャラリーのデズモンド・コーコランとマーティン・サマーズに相談した。二人の見解では、アメリカでもっとも評価の高い現役の肖像画家はアンドリュー・ワイエスだった。



 
そこで私たちはメリーランド州ブランディワインにあるワイエスの自宅で打ち合わせをすることにした。その地所は私たちの知り合いの画家、陽気なウェイマウスとして知られるジョージ・ウェイマウスが所有していた。ジョン・ブランカがニューヨークからワイエスのエージェントを伴って到着した。マイケル・ジャクソンは、カリフォルニアからターバンとローブをまとったニキビ面の若手マクロビオティックのシェフ、そしておそらく子どもの頃からマイケルの面倒をみているに違いない70代のチャーミングなガードマンを同行してきた。
 
アンドリュー・ワイエスはマイケル・ジャクソンととても気が合ったようで、ランチのあいだマイケルに「肖像画のためにどんなコスチュームを着るか考えなくてはね」と語りかけていた。二人ともコスチュームオタクだった。マイケルが「僕は南北戦争の騎兵隊将校の制服が着たい」と言うと、ワイエスは「素晴らしいね。メイン州の海のそばにある私の家に来てもらって一緒に肖像画に取り組もう」と答えた。
 
それからアンドリューがマイケルに好きな画家は誰かと尋ねると、「ピエロ・デラ・フランチェスカ」と、彼は即答した。私はびっくりして、フォークを落とした。「君は印象派が好きなの?」とアンドリューが続けると、「そのとおりだよ、セザンヌは別だけどね」。このやり取りに私は呆然とした。マイケルは偉大な画家たちの作品に対して、明らかに審美眼を待っていた。二人ともよく語り、魅力的で、すべてが私の期待とは正反対だった。

同じくらい驚いたのは、イタリアのボルゴ・サンセポルクロやアレッツォの小さな教会にあるピエロ・デラ・フランチェスカの絵について、ワイエスに尋ねたところ、彼が「外国には行ったことがない」と答えたことだった。世界的に有名な画家なのにイタリアを訪れたことがなかったのだ。
 
残念なことに、このプロジェクトは日の目を見なかった。ワイエスの妻ベッツィが、彼と愛人ヘルガの不倫を知り、その仕返しとして、ワイエスがやりたがっていたマイケル・ジャクソンのプロジェクトを止めさせたのだ。ワイエスは2009年1月に亡くなったので、これが実現していたら彼の最後の大作品となったことは間違いない。マイケル・ジャクソンとはブランディワイン訪問後に、ロサンゼルスとロンドンのコンサートで数回会い、楽屋で楽しくおしゃべりをしたが、彼も6か月後に帰らぬ人となった。

(引用終了 P203〜205)


全体的に、すこし雑な翻訳なので、意味がわかりにくい部分はあるのですが、、

MJは、ピエロ・デラ・フランチェスカ好きで、印象派好きだけど、セザンヌは嫌い(私もーーー!!!)


ワイエスが有名人の肖像画を描くなんてイメージなかったんだけど、マイケルの肖像画見たかったなぁーー!

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この絵の女性との関係が、妻ベッツィを怒らせただけでなく、
マイケルとのプロジェクトを潰すことになっていたなんて。。


南北戦争の騎兵隊将校の制服。。。

スリラーで8冠受賞することになったグラミー章のときの衣装など、スリラー期のミリタリーファッションがもっとも「南北戦争の騎兵隊将校の制服」に近いように思えるのですが、、MJのミリタリー趣味は生涯続くものでした。グラミー受賞直後のオークションで『風と共に去りぬ』のオスカー像を1億円余で買ったことなど、MJは南北戦争に対してのこだわりを人生の最後まで持ち続けていたんですね。

そして、肖像画も「戦う男」として後世に残したかったんですね。

ちなみに、アンドリュー・ワイエスの息子のジェイミー・ワイエスは、ケネディや、ウォーホル、ヌレエフといった有名人の肖像画を描いています。。


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by yomodalite | 2015-08-05 06:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(6)
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DOLL編は、今回で最後。。。


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by yomodalite | 2015-07-26 15:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(7)
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美しき「愛従姉妹」たち、DOLL編... まだ続きます


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by yomodalite | 2015-07-26 06:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)
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そんなわけで、、


「愛従姉妹」ビジュアル編!



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by yomodalite | 2015-07-24 06:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

マリファナも銃もバカもOKの国 言霊USA2015

町山 智浩/文藝春秋



記録しておきたいと思う良本が溜まる一方なんですが、町山氏の米国カルチャー本は、かの国の歴史をふりかえるときの資料としても欠かせないので、個人的に興味がある部分のみ、ちょっぴりメモ。。

色々と驚いたことの中で、もっとも気軽なきもちでいられたのは、あの「イート・イット」のアル・ヤンコビックが2014年にビルボードで1位になってたことかなw

◎まえがき

「ガンズ&ウィーズ(銃と大麻)自由への道」というドキュメンタリー。

プロ・ガン(銃所持の権利擁護派)は、プロ・ライフ(人工中絶反対派)と共に、保守的で、右翼的で、キリスト教への信仰心が強く、南部や中西部の田舎、共和党支持者が多い「赤い州」に住み、白人のブルーカラーが多い。同性愛者同士の結婚に反対し、進化論を学校で教えることに反対するキリスト教保守と重なる。イメージとしては拳銃をぶらさげたカウボーイ。

マリファナ擁護派は逆で、平和主義でリベラル。同性婚や人工中絶には寛容。東部や西海岸の都会、民主党支持者が多い「青い州」に住む。マイノリティやゲイ、インテリが多い。イメージとしてはピースフルなヒッピー。
この左右の対立は激化している。。。

◎12 O’clock (バイクをウィリーさせて、ほとんど垂直に立たせたまま走ること)

12 O’clock Boysとはモトクロス暴走族のこと。人工に対する殺人率で、シカゴ、デトロイトに次ぐ第3位の危険地帯メリーランド州ボルチモアで問題化している。作家ポーが亡くなった場所で、現在は立派な墓も立てられている。そこから歩いて20分ぐらいの場所が「ウエスト・ボルチモア」というギャング抗争の激しい場所で、2000年代の傑作TVドラマで、オバマ大統領も大好きな『ザ・ワイアー』(彼はオマール・リトルのファン)の舞台だった。

◎Groundhog Day(春の到来を意味する欧米の「啓蟄」のこと)

ゴーストバスターズの主演俳優、ハロルド・ライスミスが監督した映画『Groundhog Day(邦題:恋はデジャブ、ビル・マーレイ主演)』。ラブコメでありながら、カフカ的な不条理ドラマ。ニーチェの永劫回帰にヒントを得て、未来のために現在があるのではなく、今日のために今を生きる。というテーマ。カミュの『シーシュポスの神話』。。。

◎Act of Killing(殺人の演技、殺人という行為)

『アクト・オブ・キリング』は、1965年9月30日から1〜2年の間にインドネシアで100万人が虐殺された出来事を、半世紀後の今、虐殺者自身が演じてみせるドキュメンタリー。当時の大統領スカルノは、宗主国オランダと戦って独立を勝ち取った建国の父だったが、50年代の冷戦下で、米国に追従しない独自路線を取り始め、中国とつながるインドネシア共産党の指示を得るようになった。スカルノが貧しい農民から人気のある共産党を味方につけたのは、大統領と拮抗する勢力である軍部と対抗するためだったが、9・30事件が起こり、スハルトは、スカルノを軟禁して実験を握る。

監督は、虐殺された遺族とは接触できなかったものの、虐殺の実行者たちは、得意気にその経験を語り、虐殺に積極的に加担したインドネシアの新聞経営者は「敵に対する憎しみを煽るのがマスコミの役目だ」と誇らしげに語った。

◎Washington Redskins original Americans Foundation(ワシントン・レッドスキンズ・アメリカ先住民基金)

アメフトのチーム名レッドスキンズは、そのチーム名がずっと問題視されてきた。レッドスキンズとは、インディアンの差別的蔑称だから。改名を拒否してきたオーナーは、抗議運動を交わす目的で「ワシントン・レッドスキンズ・アメリカ先住民基金」を作り、またもや世間は首をかしげた。コメディアンで、「コルベア・レポート」のキャスター、スティーブン・コルベアの対応は、、、

◎Normcore(ノームコア=ノーマル+ハードコア。過激に普通。ファッションの最新トレンド)

オレゴン州ポートランドについて、映画『ベルベット・ゴールドマイン』や『エデンより彼方に』の監督ヘインズは、「僕みたいにニューヨークやハリウッドから引っ越してきたアーティストや作家は多いよ、チャク・パラニュークとか、ガス・バン・サントとか、、」と言う。ポートランドはゲイだけでなく、ヒップスターと呼ばれるアートや音楽が大好きで資本主義と暴力を嫌い、エコロジーやフェミニズムに関心の強い自由人が集まる街。

2011年に始まった『ポートランディア』というコント番組はヒップスターが主役。「あの街には90年代の夢がなだ残っているんだ。覚えているかい?地球を救う歌を歌っていた時代を、ブッシュ政権なんかなくて、かわいい女の子はみんなメガネっ子。。」

彼らは、レストランで野菜の産地や、飼育方法を聞き、ゴミ箱に大量廃棄されている食物に抗議し。。。

◎Backfire Effect(バックファイア〈逆発〉効果/自分が信じるものを否定する証拠を突きつけられると、それを拒絶し、さらに信じるようになる心理)

税金で嫌でイギリスから独立したアメリカでは、国に何か取られるのも国からもらうのも嫌われる。国民健康保険をはじめあらゆるものが「共産主義的」と罵倒される。水道水のフッ素陰謀論、ワクチン陰謀論、今盛り上がっている陰謀論は「アジェンダ21」国連がエコロジーの名のもとに世界国家をつくるための共産党宣言だと騒がれ始めた。

◎Meninism(メニニズム、アンチ・フェミニズム運動)

◎Orange Is The New Black(オレンジ色は新しい黒)

『Orange Is The New Black』は、ネット映像配信サイトがはじめたオリジナル・ドラマ。オレンジは囚人服の色で、黒はファッションの基本という意味で、女子刑務所を舞台にした実録コメディ。レズビアンシーンが多く性転換者をリアルに描いている。

◎China is like Hollywood in the 1920s(中国はまるで1920年代のハリウッドだ。元コロンビア映画会長)

2014年、コメディ映画が消えた。アメリカ人が笑いを求めなくなったのではなく、中国が原因。中国ではシネコンが次々に建設され、スクリーン数で米国を抜いて世界一になるのは確実で、ハリウッドのSFX満載のアクション大作に人気が集中している。コメディは、風刺やゴシップ、時事ネタがわからないと笑えないからウケない。

◎Word Crimes(言葉の犯罪)

あの『今夜はイート・イット』のアル・ヤンコビックのアルバムが2014年の7月、ビルボードNo.1に輝いた!一曲目はHappyの替え歌『Tacky(ダサい)』♪俺は靴下はいてサンダル履く、だってダサいから。デートの勘定でクーポンを出す、だってダサいから、葬式でツイートして、死人とツーショットで写メする、だってダサいから…




ロビン・シックのメガヒット「ブラードライン」の替え歌で『Word Crimes』

間違った英語を使うと「言葉の犯罪だ!」と小うるさい奴の怒りを代弁する「Itの所有格で It'sとアポストロフィをつけるな。それは It is の略だろ」Literally(文字通り)をただの強調につかう奴にもご立腹。「LITERALLY couldn't get out of bed(文字通りベッドから出られなかった)」なんて言う奴の顔を文字通りバールでこじ開けてやりたいよ。バールのようなものじゃなく(笑)。




『ミッション・ステイトメント(企業の経営理念)』の歌詞は、

「常に効率良く企業戦術を機能化させねばなりません。国際規模のテクノロジーに投資し、核となる人材能力にレヴァレッジをかけるのです。並外れたシナジーを全体的に管理するために」歌っているアルも意味がわからないらしく、馬鹿げたダブルスピークやバズワードを歌にしたらしい。




『ファースト・ワールド・プロブレムス』は

「メイドが風呂を掃除しているからシャワーが使えない。満腹でティラミスが入らない。食料品を買いすぎて冷蔵庫に入らない。家が広すぎて無線LANが届かない。Amazonの送料を無料にするために欲しくないものを買わなきゃ。





◎Fappening(ファプニング=ハリウッド女優たちの女優自撮りヌード流出事件)

◎Narco Corrido(ナルコ・コリード=メキシコの麻薬カルテルを賛美する歌謡曲)

腕にはAK-47ライフル、
肩にはバズーカ背負って、
お前らの首を切り落とす
俺は殺しが大好きだぜ

こんな歌をナルコ・コリードと呼ぶ。コリードはスペイン語でバラード、ナルコは麻薬、残虐な現実とかけ離れた陽気な音楽

◎Fresh Off The Boat(船から降ろしたての活きのいい魚。アジア亭移民への蔑称)



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by yomodalite | 2015-06-27 20:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

JAY‐Z―ロッカフェラ王朝を築いたヒップホップの帝王 (warp ARTIST SERIES (3))

ジェイク ブラウン/トランスワールドジャパン



☆[2]の続き

第8章「ハードノック・ライフ」

ジェイのアルバムシングル以外で、一番成功したコラボレーションは、マライア・キャリーとデュエットした「ハートブレイカー」ではないだろうか。郊外に住むアメリカ人のアイドルであったマライア・キャリーとのコラボは、ファンの年齢層をすべてカバーし、永遠にヒップホップのアイコンとなるよう、彼のステータスを変えた。一般へのアピールにもかかわらず、彼は何もせずに失う金額に静かに腹を立てていた。ニューヨークの非合法の海賊盤売買で多額の金を失っていたのだ。90年代末のナップスター(音楽交換ソフトの先駆け的存在)による新しいファイルシェアのブームに便乗したものではないとしながらも、多様なジャンルにおいてアーティストの可能性と印税からの利益は奪われていた。

傷害事件の真相
 
発売予定の4枚目のアルバムプロモーンョンをイベントで行った後、クラブに現れたジェイは、パーティーの出席者に、ライバルであるランス・アン・リベラが来ていることを伝えられた。競争相手であるジェイを不法な手段で妨害するためにジェイのレコードを大々的に違法コピーした黒幕だと噂されるリベラ(本人はその訴えを否定している)にジェイは静かに近づき、リポーターによると、まるで挨拶をしようとするかのように近付き、リベラの腹部にナイフをつきたて、耳元で「俺のハートを踏みにじったな」とささやいたと。
 
音楽業界の取締役ランス・リベラは夜中0時前に、腹部を1カ所、肩を1カ所刺され、ニューヨークのセントビンセント病院に運ばれ、木曜午後、医師の監視の下、落ち着いた状態で退院した。ジェイ・Zは木曜の夕方、マンハッタン・ミッドタウン南署に出頭。デフ・ジャムは『ジェイ・Zはこの事件への関与を否定している』と発表。

ジェイ:「争いが行き過ぎた。違法コピーとは関係ないよ。間違った噂はされてるけど、一つ一つを直していくわけにはいかないからね。俺とアンはうまくいってなかった。でも怒ってたわけじゃない。ナイフのことについては話したくないね。相手が俺にクールなら、普通に話して、俺も犬丈夫なんだ。でも相手が俺を脅したり、攻撃してきたら、俺もやり返すしかなくなってしまう。俺が育ったところでは、間違った人々をたくさん見てきたよ。どんだけ真実を信じていても、それが気にかかるから、俺は罪を認めたんだ。アンにしたことは今までで1番ばかげたことだった。何年間も一生懸命働いてきて、すべては一晩でなくなるんだ。俺は自分のことを誰も近付けない存在だと思ってたけど、この事件は俺のすべてが簡単になくなってしまうことを気付かせてくれた。だからもっと慎重になるようになったよ」
 
AP通信によれば、ジェイは50万ドルから100万ドルでりベラと示談したという。2001年10月17日、マンハッタンのニューヨーク州最高裁でジェイは、ランス・リベラを剰したことを認め、第3級暴行罪(軽犯罪)で3年の保護観察処分となった。

第10章「ザ・ブループリント」
拳銃不法所持の容疑で逮捕
 
ニューヨーク市警はヒップホップの世界で「暴力的な文化」と言われているものに基づき、警察のギャング対策部隊は、有名ミュージシャンがよく立ち寄るナイトクラブなどの見回りを始めた。「いつも暴力事件が起こる場所は音楽業界である。真実を無視するのは無知だ」と市警の報道担当、ブライアン・パーク巡査部長は語った。
 
警察のこの動きは、音楽業界に関連する暴力事件事件を防止すると同時に、ラッパーたちを犯罪の犠牲になることから守るためのものだとしている。「クラブや夜の繁華街などで暴力事件になりうる行動を防ぐために監視し、業界関係者が標的や犠牲者にならないようにしている」とパークは語る。「これはヒップホップだけでなく、音楽業界全体に対してだ」
 
ジェイ・Z、DMXを代弁する弁護士のマレー・リッチマンは「これは考えられるすべての、憲法で定められている人権を侵している」とコメントした。ラン・DMCなどの弁護人、ピーター・フランケルは警察の態勢を「信じられない。いったい、いつからラッパーたちが犯罪組織になったんだ? 彼らの言ってることは、そこに何千もの違うアーティストがいたとしても、ラップという音楽をしているすべてを一緒と考えて、みんな一緒だとしている。彼らが本当に考えているのはすべてのラッパーはチンピラで、犯罪者で、だからみんなのプロファイルを集めようとしているんだ」と憤慨した。

悲しいことにジェイ・Zは、ニューヨーク市警の監視プログラムに隠された論理の犠牲者となる。拳銃も持っていないのに拳銃所持で逮捕されたのだ。ジェイ・Zがレコード会社取締役を刺した罪のため法廷入りする3日前、警察はジェイのボディーガードが拳銃を所持していたと主張し、ジェイ・Zと、彼のボディーーガードだったとされる男が逮捕された。ジェイ・Zの弁護士ロバート・カリナは逮捕後に声明を出した。「私たちは、この事件の証拠はジェイ・Zの無罪を証明すると信じている。早い解決を願っている。そしてほかの数多くの有名人は武器を持ったボディーガードを使っていることを強調したい」。ニューヨーク州法では、もし警察が車内で拳銃を発見した場合、同乗者全員が拳銃所持で告訴される。
 
罪状認否で、ジェイ・Zは「100パーセント無罪」と宣言した。法廷の外に集まったファンはジェイを激励し「無罪!無罪!」と叫び、ジェイ・Zは待たせていたメルセデスベンツに急いで乗り込んだ。その場を去る前に「あれは俺の母親だよ」と群衆の中の1人を指差し「彼女はどこでも行きたいとこに行って、みんなに顔向けできるんだ。だって息子は100パーセント無罪なんだから」と答えたのだ。

事件の結末
 
ジェイ・Zの銃器不法所持(第3級)の罪状認否後、ロウラ・ワード判事は検察官が求めていたよりも3万ドル少ない1万ドルで彼を保釈した。この判事は明らかにヒップホップのファンではない。ジェイ・Zの弁護士ステイシー・リッチマンが彼の保釈金を下げてほしいと頼んでいた。ジェイを「音楽の天才」と呼んだ時、判事は当惑していた。そしてリッチマンが、彼の本名はショーン・カーターでジェイ・Zとして知られていると説明した。「それでも誰だか分からない」とワード判事は答えたという。リッチマンは論議を続け、このラッパーにする拳銃所持は「とても怪しい」とした。
 
ジェイ・Zが逮捕される直前、彼は車内の間仕切りの後ろにおり、ボディーガードが拳銃を所持していたのに気が付いていなかったとリッチマンは主張し、ボディーガードのハムザ・ヒューイットは罪状認否し釈放され、同乗していたほかの2名、レコード会社取締役のタイラン・スミスとリムジン会社オーナーのロメオ・チャンバーズも釈放された。ヒューイットの弁護士でジェイ・Zの弁護人でもあるロバート・カリナは、ヒューイットはジョージア州で銃器所持の許可書を持っていると言った。しかし、判事はそれでもヒューイットがニューヨークで拳銃を持つことは非合法であるとした。

拳銃所持の裁判は2001年10月16日まで延期され、結局すべて不起訴になった。いまだにこの事件を振り返り、ジェイ・Zはヒップホップ界に対するニューヨーク市警の先入観が、逮捕の元凶であるとした。「俺はほとんどボディーガードとI緒にいないんだ。俺は自分の行きたいところに行くからね。いつも一人でスポーツゲームを見に行くよ。でも、もしパーティー的な雰囲気の、入が犬勢いるところだったら? それは、もちろんマイケル・ジャクソンやブリトニー・スピアーズと同じだよ」

「俺は拳銃を持ってなかった。俺はリムジンに乗っていたんだぜ。間仕切りのあるやつさ。前座席で何か起こってるかなんて、分からないよ。あの時はそうだな、俺はやつがちゃんとしなきや、って考えていたよ。警官と冗談を言ってたんだ。俺は笑ってたよ。そしたら警官が『後ろを向いて、手を後ろに回せ』ってさ。もう笑ってなかったね。その警官は俺の車だから、俺を逮捕するって言った。俺の指紋と写真を撮って。後で分かったよ。ただメディア向けのためだったんだ。すべてはイメージだったんだ」
 
* * *

カニエ・ウェスト(『ザ・ブループリント』のベスト曲「テイクオーヴァー」などをプロデュース):「このレコードを手がけたということは、俺も歴史の一部になったということさ。
 
ジェイ・Zは拳銃所持と暴行容疑という、二つの犯罪裁判を持ち、彼はヒップホップの中で一番攻撃されているアーティストとなる。ジェイは『リーズナブル・ダウト』で描いたゴッドファーザーではもうじゅうぶんでなくなり、自分自身が神でなければならなくなった。自分をエホバになぞらえてホヴァ(H・O・V・A)と呼び、どこでも彼は「神のMC」「世界の8番目の不思議」とされたのだ。
 
アルバムはアメリカの近代史の中で一番悩まされた9月11日に発売され、ジェイの6枚目のアルバムは、彼の過去6年のバイブルとなり、第1週目で42万6000枚を販売した。

ジェイ:「9月11日にアルバムが発売されて500万枚くらい売れて、俺は『わお、すげIな』って感じだった。でも、すべてのことに矛盾してて、911で亡くなった人に対しては非常に残念に思うよ。そして同時に、この時に言えば、それを忘れる人は誰もいないからね」
 
ジェイの成功は、彼の犯罪を過去に置いていくことになる。2年前にランス・アン・リベラを剌した罪を認め、3年間の保護観察処分を受けた。そして法廷から求められたのではなく、各種の911チャリティーヘの募金のためのコンサートに参加し、ロッカフェラ・レコードを通じて、出身地の200年ほどの歴史の中で、最悪な悲劇の犠牲者のために経済的な貢献をした。ジェイが去年の夏のホット97サマージャムの最中に、初めて名指ししたNasとの抗争が激しくなり『ザ・ブループリント』の曲中の「テイクオーヴァー」は、Nasがジェイの仲間ビーニー・シーゲルを攻撃した答えであった。「俺はおまえのアルバム全部の売り上げを、初めの1週間で売ったぜ。この業界に10年いるって? 俺は5年だ。賢くなれよ、10年でアルバム4つだけ。ニガ、割り算できないみたいだな。10年に1枚はホットなアルバムができる計算かよ。それじゃあ遅いんだよ。もっといい流れにしろよ、ニガ、おまえのはゴミなんだ」
 
この争いへの理論的根拠をジェイが解き明かす。「俺にとってこれはスポーツなんだ。〈テイクオーヴァー〉でのビーフ(罵倒)はスポーツみたいなものさ。俺はリリック的にはやつを尊敬してるよ。俺はゲームの頂点にいると思っているからね。彼のキャリアと俺のキャリアを比べることはできないけど、それは俺の意見であって。これはみんなの技を磨くためなんだ。それがラップというものなんだよ。ラップは競争の激しいスポーツなんだ。そうやって成り立っている。これに金が絡んでくると、いろいろなフィーリングが出てくる。トップにいたみんなが経験していることさ。

第11章「ザ・ブループリント2 2002年」
ヒップホップの帝王とR&Bの帝王
 
ジェイ:「ベスト・オブ・ボス・ワールズ・ツアーはすぐ近くの劇場に来る。R・ケリーは人々が彼を愛する歌をやるし、俺は自分のアルバムからも歌う。そして俺たちはアルバム『ベスト・オブ・ボス・ワールズ』からの歌をやるんだ」残念なことに、このツアーが始まる前、そして3月のアルバム発売の少し前、R・ケリーが幼児ポルノの容疑で起訴されたのだ。
 
違法コピーの海賊たちはまたジェイを襲った。R・ケリーとのタッグ『ベスト・オブ・ボス・ワールズ』は3月まで発売にならないが、このバージョンのLPはすでにリークされている」過去にジェイとロッカフェラ・レコードは海賊盤の妨害に長い時間を費やし、アルバムがブラックマーケットに流れるのを発見すると、最後の段階で曲を足したり、減らしたりして『ザ・ブループリント』の発売を2週間早めるなどしていた。しかし、海賊盤の競争相手の1つがケリーのビデオテープ(14歳少女との性行為などが映っているもの)であった時、二人ともトラブルが起こり始めていることを知った。このセックステープは新たに発見、発売され、2002年夏のR・ケリー逮捕の最後の理由となった。この逮捕劇によるメディアの雰囲気は、皮肉にもこのセックステープと海賊盤『ベスト・オブ・ボス・ワールズ』の売り上げの両方を煽り立て、ジェイ・ZとR・ケリーの場合、これまでに発売されたほとんどの作品で待望の第1位の座を否定されたことはない。だが、この作品は、みんなをがっかりさせる第1週で23万枚という、中途半端な数字に終わった。
 
ビルボード誌のホットR&B・ヒップホップチャートでは第1位を獲得し、結局はプラチナにも認定されたが、さえない売り上げは、ジェイがAクラスの売り上げを誇っていた成績に、大きな黒丸をつけたと考えられる。もっと最悪なのは、デフ・ジャムはこのアルバムのすべてのツアー、まだ作っていなかったビデオ、印刷プロモーションのすべてをキャンセルし、ケリーのスキャンダルがゴシップに飢えている国民に捕まり始めるのに伴い、ジェイは素早くマイナスイメージの可能性のある露出を避けるように努めた。
 
ケリーはこのテープは陰謀だと訴え、初めにこのテープはニセモノだと主張した。「俺はその関係のプロじゃないけど、これだけは分かっている。これは俺じゃない。世界は俺が歌うのを見るために準備万端なんだ。これは嘘だよ、それが俺たちの対処の仕方だ」ケリーの弁護士、ジョン・M・トウイーはこのポイントを繰り返し、明白に「メディアが待っているすべてのテープはニセモノ」と述べたが、悲しいことに、そのテープはケリーにこの罪での裁判を言い渡すくらい、判事を説き伏せるのにじゅうぶん本物だった。(yomodalite註:ケリーと被害者とされる少女が否定、裁判の結果ビデオに出演していたのはケリーではないとされ無罪判決が出された。Wikipediaより)

デフ・ジャム
 
アイランド・デフ・ジャムがジェイを12月の引退の後に、高い地位の取締役として同社に引き抜きをかけているという噂が8月終わりから流れ始めた。ジェイはただこう述べるだけだった。「まだ何も決まっていないよ。ほかの企業と同じようにデフ・ジャムからもオファーが来てる。この機会については本当にうれしいし、光栄だけど、まだ何も決まってないから、これからどうするかは分からない。でも、キャリアの次の段階として、取締役の地位には就いてみたいね。殿堂入りするくらいのスポーツ選手がいたら、普通は素晴らしいコーチになるよね。だって選手はコーチ自身がやってたのも知ってるし、痛い目にも遭ってるし、機転が利くのを知ってるから、尊敬されるだろ。俺が思うにはアーティストも同じようにすべきだと思うんだ。ラップはマーケティングの視点からみると巨大になりすぎて、みんなビジネスとしての音楽じゃなくて、音楽としてのビジネスだってことを忘れているんじゃないかと思うんだ」

「音楽が最優先されるべき。上からのプレッシャーが強くて、今のアーティストはヒット曲を作るようになってしまっているんだ。すべてはヒット曲を作るためにね。俺たちはアーティストを作るのに一生懸命じゃなくなっている。フランキー・ライマンを何度も見てきたよ。とても成功しているレコーディングで、それが終わると彼ら以外の人たちがマスターテープを持って、大金持ちになって、いなくなっていくのを見てきた。俺が取締役になっても、俺はアーティストだから、俺のチームから出てきたすべてのアーティストはきちんと扱われる」

* * *

ジェイ・Z、デイム、そしてビッグスは、ロッカフェラレコードの50%の株式を、3000万ドルで、デフ・ジャムに売却した。この売却後、ジェイ・Zは、デフ・ジャムレコードの社長になった。

(引用終了)

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by yomodalite | 2015-03-02 00:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

JAY‐Z―ロッカフェラ王朝を築いたヒップホップの帝王 (warp ARTIST SERIES (3))

ジェイク ブラウン/トランスワールドジャパン



☆[1]の続き

(下記は、省略・要約して引用しています)

デイモン・ダッシュという男

ロッカフェラ・レコードの設立とデフ・ジャムとの提携の何年も前、ジェイのパートナーであるデイモン・ダッシュはすでに伝説を築いている途中だった。1971年5月3日、ニューヨークの東ハーレムで生まれ、ジェイのように秘書として長時間働いていた母との母子家庭でダッシュは育てられた。幼少から数字に明るい子どもであり、理由が不明のまま退学となるまでは、マンハッタン市街にあるエリート・フレップ・スクールの奨学生であった。その後コネチカット州に引っ越し、再びサウスケント・ボーディングスクールの奨学生となる。アイビーリーグ大学への奨学生になりうる可能性を秘めながらも、ダッシュは高学歴への道程を突然遮られることとなった。

ダッシュ:「俺が15歳の時に、母がぜんそくの発作で逝ったんだ。その後も学校生活に打ち込んだ。だって母は何においても一番を与えてくれたから。俺はアップタウン(ハーレム地区)出身だけどパークアヴェニュー(高級地区)の学校に行ってた。かなり高級だったよ。別荘があって、メイドやシェフが普通にいる子たちに囲まれてた。でも俺とそんなに変わらなかったよ。そこでの友人は今でも友人だよ。でも行くのをやめたんだ、ローファー履いて、カーキのパンツにブレザーの制服を着て、ここに帰ってくるのがどんなに難しいことか分かるかい。サウスケントから戻ってきて、町でウエストハイスクールっていう一番悪い高校に行ったんだ。そしてまた退学になった。俺のことを傲慢だと思ったんだろうね。だから結局GED(大学検定)を取ることになった。俺には2つの生活があった。アップタウンでの生活はハーレムで、ダウンタウンでの生活はパークアヴェニューと81番通りにあった公立高校で。だから両方を見れたんだ」
 
ボーディングスクール時代、ダッシュは白人郊外型アメリカ像の中に黒人文化の可能性を含んだ、ビジネスマンとして初めての悟りを開く。

「ストリートで何か起こっているかに興味のある人たちの層の厚さに驚かされたよ。そして将来、それをどうにかしてビジネスにしようと決めて、ストリートを売り出そうと思ったんだ。楽しくて、金が稼げる仕事をしたかったからね」

ジェイ・Zとデイモン・ダッシュの出会い

ダッシュ:「初めてジェイに会ったのは21歳の時だった。マネジャーとしてレコード契約を取ったのが19歳の時だけど、レンガを食わされたね。つまり売れなかったってことだよ。それでビジネスについて、どうやって売り出すかについて再び学ばなきやいけなかったんだ。ジェイと出会った時、すべて白分たちでやろうって決めたんだ。あれをこうしろとか、ああしろなんて他人に言われたくなかった。何の影響も受けない。すべての才能は賭けなんだ」

ジェイ:「俺がデイモン・ダッシュに初めて会ったのと同じころ、彼はアーティストのマネジメントもしていた。デイモンはハーレム出身で、俺はブルックリン。

ニューヨークから来た人は誰でも、どれだけアップタウンとブルックリンのやつらが違うか分かるけど。マンハッタンは作り、ブルックリンは真似する。でも俺はハーレムが有名な『やってみろ』の精神をいつも持っていたんだ」

ダッシュ:「ジェイはいいラッパーとして知られていたけど、ビジネスが好きじゃなかったみたいでね。俺たちはまったく違う環境で育ったけど、すぐに仲良くなったよ。俺はジェイに会いにブルックリンにあるフレッシュ・ゴードンスタジオまで行ったんだ。これはすごいことだよ。だってその当時ハーレムのやつはブルックリンには行かなかったんだ。

やつに会って一番初めに気が付いたのは、ナイキ・エアーを履いているってことだったんだ。それはハーレムのやつらだけがやっていたことで、それをやつはちゃんと履きこなしていた。靴ひももすべて、ちゃんとしてたよ。その時にこいつはやるやつだなって思ったね。それから二人は友達になった。

ハーレムやブルックリンから来た人間は、お互いにクレイジーなステレオタイプを持っているんだ。でも俺らはいい友達になったよ。俺たちはストリートレーベルをやれるって思ったね」

ジェイ:「俺とデイム、そしてもう一人のパートナーであるビッグス(キャリーム・バーク)はブルックリン、ハーレムと違うところから来たけど、俺たち3人をつなげていたのは野望だった。自分たちの可能性に見えを張って、ロッカフェラ・レコードを設立したんだ。俺たちは同じことを望んでいた。レコード会社、フィルム会社も全部計画の一部だった。でも俺とデイムはまったく正反対の人間。彼は論議と交渉に生きる人。俺は交渉には向いていない。スタジオにいるのがいいんだよ」

ニューヨークのストリートから

ロッカフェラは会社レベルとしての信用を築きながらも、ストリートでの勢いを保つことを心掛けていた。プロモーションのために雇ったストリートチームは、持っているものすべてを自ら稼いできたハングリーなハスラーたちからなる、まさにストリートのチームであり、競争心を燃やしていた。ジェイとデイムはまるでドラッグディーラーを使うようにチームを動かし、地域の角すべてに人を配置し、彼らはプロモーション用のポスターやチラシを張ったり、車のトランクに入っているシングルを売ったりした。それに気付き始めていたメジャーレーベルが、彼らを無視できないほどの勢いを築いていく。

ニューヨークでのヒップホップは勢いに乗っていた。大げさに言えば、ファンクなベースからトランクのウーファーまで、窓はがたがた揺れ、人々は戦っていた。
 
冷酷で無常、残忍なビジネスとして、ヒップホップの企業家はレコード業界を生来あるべき姿で運営した。公に打ち出しているイメージでは、これといってアクティブな本当のコンセプトがないのにもかかわらず、すべての手順を踏んだ。ラップスターは消えるかもしれないが、彼を手がけた人々はどれだけその宝石が貴重であったかを知っており、歯から溶け出してくる金の重さまで正確に分かっている。
 
ほとんどのヒップホップ界のプレーヤーは、自分たちの故郷を忘れることはない。ストリートで信用され続けることが、基本的には必要とされているので、ほとんどの場合、忘れられないのだ。有名なMCが成功する。次の責任は家族の面倒を見ることになる。当然、家族をスタッフとするか、新しいラップスターとしてデビューさせるなどだ。ほかのアーティストでいうと、ビギー(ノトーリアス・B.I.G.)がP・ディディにしたように、ジェイはロッカフェラに全力を注ぎ始めた。

◎[Wikipedia]ノトーリアス・B.I.G.
◎[Naverまとめ]ヒップホップ東西抗争とは

デフ・ジャムとの契約
 
1995年中盤、ジェイのデビューアルバム『リーズナブル・ダウト』が完成し、ロッカフェラはプライオリティとの販売契約を通し、初めての独立アルバムを発売した。そして団地地区に抑えられないほどの勢いを築き始め、その現象は業界にまで広がることとなる。それはデフ・ジャムのA&Rの取締役が気付くほどに広がった。特にリオ・コーエンは映画『ナッティー・プロフェッサー』のサウンドトラックにジェイのシングル「エイント・ノー・ニガ」を使うようにスカウトしたのだ。
 
このサウンドトラックにジェイが出演したことが、アイランド・デフ・ジャムとの完全契約交渉にこぎつけるきっかけとなる。シュグ・ナイトがデスロウ・レコーズで、ショーン・コムズ(P・ディディ)がバッドボーイで成功した波を目の当たりにしながら、ジェイとデイモン・ダッシュは違う道を歩んだ。
 
1997年にはアイランド・デフ・ジャムにレーベルの半分のシェアを約150万ドル(約1億5600万円)で売却したのだ。

第6章「ブルックリン・ファイネスト」ジェイ・Zとビギー・スモールズ

ビギー(ノトーリアス・BIG)と、2PACが他界した後、スタイル的にはエミネムも顕著な可能性があったが、1996年からはアーティストとしても、商業的にも、ジェイ・Zに勝るMCは存在しなかった。

ノトーリアス・BIGとの競演

ジェイが公にビギーと組んだことで、ニューヨーク中と全国的に、ハードコアなラップファンの間で、ジェイの信用性を高めることになる。驚くこともないだろうが、この二人のデュエットはデフ・ジャムとバッドボーイにアレンジされたというよりも、二人がジョージ・ウェスティングハウスエ科高校に共に通った時から5年以上続いた個人的な交友に基づいて考案された以外の何物でもなかった。

ジェイ:「1996年に『リーズナブル・ダウト』を発売した際、ヒップホップはストリートと同じくらいホットだった。高校からビギーを知っていたし〈ブルックリンズ・ファイネスト〉をやるために、再会した時は、本当に親しくなってたよ。俺たちは毎日話したよ。ビギーは面白いんだ。心も広いし、俺とは真剣なのか?なんて疑ったこともなかった。

トゥパックと罵り合いを始めた時、ビギーが黙っていられたのは賢いからなんだ。そして、本当に状況がビギーを残念がらせていたのはよく分かっていた。俺たちはスラム街での人生という、特定の人生から逃れるために一生懸命働いてきたんだ。それは初めからラップバトル以上に思ってきていることだった。

トゥパックが俺に的を定めてきた時も、深刻には受け止めていなかった。ビギーとつながっているやつなら誰でも攻撃しようとしていたのを知っていたからね。でも俺は反撃をやめなかった。『おい、パック。俺はデジタル・アンダーグラウンドの時代から、おまえのファンなのに』ってね。だから、彼が殺された時、俺は取り返しのつかない人を亡くしたと思ったよ」
 
ジェイはパックとビギーの間に起こっていた抗争を避けようとしていたが、東西海岸抗争の真っただ中でビギーと共に作ったシングルは、ニューヨークのキング(ビギー)からもらった保証とその注目度で、ジェイの味方になっていた。ジェイはメディアにトゥパックのライバルだとされても、それを正すことに一生懸命にはならなかった。しかしビギーには悲しいことに、その時間は残されていなかった。
 
結末はこうだ。トゥパックと、その6ヵ月後にビギーも銃弾に倒れ、ジェイ・Zは自ら意図せずに明白な後継者として残された。ビギー殺害のすぐ後、親友への気持ちをジェイはこう語る。「ビギーの葬式に行くのは重大決心だった。葬式には行きたくないんだ。それを最後の思い出にしたくないんだよ。ビギーとは高校時代から知り合いだった。目が合うと、頷きあった。そして二人とも音楽業界にいて、いつも『一緒に何かやろう』って言ってた。とうとうやって、息が合ったんだ。俺にとってなくしたものが何なのか、言葉にはできないよ。ドラッグゲームで誰かを負かすよりひどい。だってストリートに入った時点で、死か刑務所は覚悟しているだろう。これは音楽なんじゃないのか? 俺はそう言い続けるよ」

☆[3]に続く


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by yomodalite | 2015-02-28 06:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

JAY‐Z―ロッカフェラ王朝を築いたヒップホップの帝王 (warp ARTIST SERIES (3))

ジェイク ブラウン/トランスワールドジャパン



JAY-Zは、MJの「This Time Around」や「Unbreakable」に参加した、Notorious B.I.G.亡き後のブルックリンで最高のラッパーになっただけでなく、レーベル経営者や、アパレルやレストラン経営などビジネスにおいても「帝王」になった男。

本書は、音楽評論家で、ベルサイユレコードの社長でもあり、50CENTや、2PACの著書もある、ジェイク・ブラウンという人が書いていて、JAY-Zに対して100%肯定的といっていい内容なのですが、

私は、モトーラ(ブルックリン出身)への人種差別批判など、マイケルのインヴィンシブル期研究のために読んだので、個人的に気になった箇所をメモしておきます。


(下記は、省略・要約して引用しています)


ドラッグ戦争

アメリカでドラッグと言えば、いつも黒人と白人になる。黒人がほとんど存在しない田舎でさえも、黒人は売る側で、白人は中毒になる側だ。コカイン原産国のほとんどは南アメリカなので、アフリカ系、ラテン系アメリカ人が責められることになる。
 
メディアは一度も、アメリカのスラム街においてドラッグ中毒になっている有色人種を取材しない。これと同じ理由で、郊外の道路は滑るほどスムーズなのに、ダウンタウンの道路の穴ぼこは補修されることはない。同じ理由で、スラム街には給料の小切手を換金する場所があり、郊外には銀行がある。また同じ理由で、スラム街のドラッグ問題は夜になれば郊外に帰る人たちには影響がないので、警察も防ごうという形だけ見せているのと、ドラッグをめぐる戦いがスラム街だけに属している限りは問題ではないので、スラム街の成長している事業はドラッグ取引のみである。郊外に住んでいる、CNNやFOXニュースを見ている人たちにとってドラッグをめぐる戦いとは、ちょっと行き過ぎた黒人をめぐる戦いにしか見えないのだ。
 
仕事が不足している黒人を抱えるスラム街の貧困と、生活状況を切り抜けるためにドラッグを使う人々と、ドラッグを売る人のつながりを、もし私たちがきちんと理解していたら。赤ちゃん用パンパースは郊外もスラム街も同じ値段で売られているのを理解していたら。酒、歯磨き粉、トイレットペーパー、洋服、電気、電話代、車のローン、車両保険も同じ値段なのを理解していたら。なぜアフリカ系アメリカ人をテーマとした映画は、スラム街の生活について、こうした家庭生活の一面を見せていないのが分かるだろうか。
 
アイス・キューブはこのテーマを映画『フライデー』や『バーバーショップ』の中で扱い、ジョン・シングルトンは映画『ベビーボーイ』の中で少し触れている。スラム街の生活について描かれた映画は、どの点から見ても、メインの黒人キャラクターが、ドラッグディーラーか売春あっせん者、ヤクザ者といった悪者が一番流行るのだ。黒人の配管工が家族を支えるために働いている映画はほとんど目にしないが、今までに白人農夫が同じように慟いている映画は何万回も見てきた。映画の中で、ドラッグを売る黒人男性のほとんどが、子どもを養うかスタジオ代を稼ぐかが主な理由であるという事実に、黒人の監督も含め映画製作者が触れることはほとんどない。
 
考えてほしいのは、クリントン大統領の生活保護改正後の時代に、アフリカ系アメリカ人の女性は次から次へと子どもを産め、そうすれば永遠に政府から補助金をもらえるという噂が、郊外に住むアメリカ人に存在することだ。給付合は5年が限度で、第3子からは厳しく制限される。では、どうやって若い両親は子どもを育てればいいのだろう。例えば、最低賃金の時給5・95セント(約680円)しかもらえないファーストフード店での仕事では、家賃さえ払えないのは誰にでも分かることだ。そこで赤ちゃんの父親はドラッグを売る。これは簡単なことなのだ。そうすると、ドラッグの売り上げのほとんどは、子どもを育てる若い黒人男性に責任があるのだろうか。そんなわけはない。これはよくある、若い黒人男性のほとんどが家庭を放棄する、という郊外アメリカ人の噂に反することになる。

アメリカの白色系人種はマウリー・ポビックの有名なトークショーで、父親のDNA鑑定を見るのが大好きだ。しかし、そのショーに出ている男性が父親だと証明されたとき、彼がどうやって子どもを養っているかの追跡調査には触れたことがない。もし、ドラッグの利益が養育費に当てられるなら、結果は方法を正当化しないだろうか。では、有名なラップアルバムや映画に出てくる典型的なドラッグディーラーとは違う、メルセデスベンツにも乗っていない、今売っている量では稼ぎもほとんどないような小規模のドラッグディーラーが、自分のデモテープをレコーディングするスタジオ代に、その金を使うのはどうだろう。

ハスラーになるか、ラップスターになるか
 
スラム街を脱出する方法としてバスケットボール選手になるのは簡単ではないし、ラップスターになるのも数少ないチャンスしかない。しかし、黒人男性はこのどちらかで頑張ろうと一生懸命である。もし、ドラッグを売るのに一生懸命なら、どちらかをこんなに頑張るだろうか? 答えは簡単。頑張らないだろう。普通の郊外に住んでいる家族は芝刈り機の音を耳にして育つが、普通のスラム街に住んでいる家族は、銃撃と警察のサイレンを聞いて育つ。「なぜ普通に仕事をしないんだろう?」的な精神構造は白人だらけの郊外にだけ浸透している。
 
ドラッグを売っているアフリカ系アメリカ人のほとんどが、スラム街から脱出するという目標のためにその道を選んだのは事実である。皮肉にも、企業的観点から見れば、彼らは理想的な従業員なのだ。自ら事業を始め、動機もじゅうぶん、利益追求型、猛烈に競争心が強く、なんでも喜んでするというのは出世に必要なのだ。しかし彼らはスーツの代わりにジャージーを着ているために、ドラッグディーラーの罪は、詐欺師まがいの証券ディーラーやエンロン社の取締役より100万倍重い。偽善はメディアがとらえる若い黒人男性がどうなるかよりも恐ろしく、それは現在白人アメリカの悪夢である。
 
ヒップホップ界において元ハスラーであったジェイ・Zが、一夜にして会社重役になった。彼の変身は売る品物が変わったという違いしかない。たとえスラム街での売り上げが、郊外のショッピングモールと同じくらいの成果を収めているナイキやティンバーランドのような企業でさえ、ハーバード大卒と同じくらいセールスマンとして才能があって賢かったとしても、元ハスラーは雇わないであろう。90年代後半のヒップホップのルネッサンス期まで好調だったレコード業界だけが、ハスラー(ドラッグディーラーのこと)たちに仕事の機会を与えるのにじゅうぶんな度胸のある業界だったのだ。
 
レコード業界が抱えたリスクは、ほとんど毎回良い結果を生んだ。この業界は、ウォール街が夢見るよりも金で動いているのだ。90年代初めのインタースコープのようなレーベルは、デス・ロウにモータウンレコードはポップ音楽用で、自分たちがヒップホップの手本なんだということを証明する機会を与えた。バッドボーイ(レーベル)を通じてPディディはそのバトンを引き継ぎ、ショーン・ジーン・クロージングでさらに新しい領域へと踏み出し、90年代後半にロッカフェラが頭角を現すころまでには、その乗っ取りは成功していた。デイモン・ダッシュとジェイ・Zは、独立し、洋服をデザインして作ろうとしていただけでなく、自分たちが使う携帯電話や飲む酒、そして履く靴を自ら作ろうとしていたのだ。

2004年のフォーブス・フォーチュン誌で、ジェイ・Zの純資産が2億8600万ドルと掲載された時、このゲームは終わった。アフリカ系アメリカ人がやっとひとかけらのパイを勝ち取ったのだ。ジェイ・Zは黒人版のジョン・D・ロックフェラーで、ジェイ・Zが現代社会において黒人富豪の祖先となったことで、彼の次世代を目指す黒人たちは、ラップでもビル・ゲイツと同じ地位まで上り詰めることができることを理解した。ロッカフェラ・レコードだけを考えると、ジェイ・Zと彼の会社は社会構造までをも彼壊したのだ。

ジェイ:「俺たちは悪者を応援する。映画『スカーフェイス』のやつらみたいな世界中の悪者をね。やつらは勝ち目のない戦いでも、何らかの成功を収めているんだ。長続きしないけど。俺たちは結末を意識せず、いいとこだけを見ている。そんな状況から這い上がってくるようなやつには、俺たちが付いている。考えてもみろよ、マーシー団地で育って会社を持てるか?団地出身なんて似たようなもんなんだ。いいことは一生起こらない」
 
それはアメリカに根付いている差別制度のせいだけで、黒人が何かを所有する、という考え方はアメリカの白人社会を恐怖に陥れる。正直、白人たちは何におびえているのだろう。

80年代のドラッグ流行

80年代前半のティーンエージャー・ハスラーとしてのジェイ・Zを振り返れば、刑務所、そして命すら落としかねない恐怖など、危険と感じるものが山ほどあった。なぜマーシー団地でドラッグ取引に参加することになったのかを、ジェイ・Zはこう語る。

「俺が売り始めたころはちょうどドラッグ流行の全盛期で、みんなにとって大変な時だった。特に家の近所辺りはね。あの辺は面倒なことになってたよ。廊下とか、どこにでもドラッグがあったから。もう匂いがするんだ。その当時はどちらかしかなかった。そう、やってるか、動かしているかだ」

「ロングアイランドに彼女がいたんだ。ロングアイランドでは家があって、木もあるんだ。彼女は恵まれていたよ。よくそこへ遊びに行って、シリアル、クッキー、ミルク、おやつを食べてから、家に帰ったんだ。金がなかったから食べ物を持って帰ってきたこともあった。彼女が袋に入れてくれて、恥ずかしかったよ。家に帰ってくると、友達が『おい、あのクッキーまだあるか?』って。俺は『ないよ』って答えたんだ。たかがクッキーで、親友にウソつくんだ。一緒に育ってきた親友に『もうあのクッキーはないよ』って言うんだぜ」

「そしたらやつは隣の家に行ったから、俺はミルクをグラスいっぱいに注いで、クッキーを取り出して、テレビの前に座った。そして顔を上げたら、窓の外で親友は首を横に振りながら俺を見てた。『このままじゃヤバイ。なんとかしなきゃな』って。それが、ハスラーと言われる職に就く理由だった。



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by yomodalite | 2015-02-27 06:00 | 現代文化・音楽・訳詞 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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