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AEG裁判「タジの証言」

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(こちらは、証言時のタジとは時代が異なる写真です)


この記事をお読みになる前に、こちらの「長いまえがき」も、お読みくださいませ。


AEG裁判でのタジの証言を抜粋して紹介します。

私はネットの傍聴スクリプトを信頼すべきではないと思っています。有志による傍聴は、裁判が始まる前から、被告を批判か、擁護か、態度がはっきりしている方ばかりなので、公平性に疑いがあるからです。

ただし、ここで紹介するタジの証言は、被告を批難する内容ではなく、MJについて語っているだけなので、取りあげた「メモ」についても、より詳しくわかると思ったので記録しておきます。

引用元のスクリプトから省略した部分は、

彼とMJとの関係、どの程度MJと一緒にいたか、「3T」や「キャプテンEO」の説明、映画『ムーンウォーカー』のセットにいたときのこと、タジが制作したゾンビ映画「Code Z」についてなど、その他、裁判上のクドい部分や、質問に対しての審議、彼が「メモ」を入手した経緯など、数多くの質問を省略していることをご了承ください。

◎SOURCE(某所で問題が指摘されたサイトのようですが、その某所よりも問題があるのかどうかなど、私にはさっぱりわかりません。

引用部分は、上記をかなり下までスクロールしないと出てきませんが、和訳の気になる点や誤記は、遠慮なくお知らせくださいませ。英文併記はポリシーなんですが、今回は転載は避けるべきだと判断しました。

(引用開始)

☆質問者は、ジャクソン家側の弁護士で、答えているのが、MJの甥タジ・ジャクソン


Q. あなたが成長していく間、ふたり(MJとタジ)は、音楽や映画について多くを語り合ってきたのですか?

A. はい。前にも言いましたが、それが僕らの絆でした。映画やフィルムに対して抱いている熱い想いを共有しあってきたのです。

Q. 映画やフィルムに対する愛情を、どれぐらい前から共有してきたのですか?

A. 僕がこどもの頃からです。僕らはよく古い映画を観て分析したものです。彼は独特の鑑賞法をもっていました。初めは音響をオフにして ーー 音は視覚の邪魔になりますからね。観終ったら今度は音を出してもう1度観るんです。

彼は何か理由があったのでしょうけれど、いつも『レイダース/失われたアーク』のインディ(ジョーンズ)が砂袋と黄金の像を差し替えるシーンの話をしていました。

とにかく、彼はいつでも本を読んで何かを学んでいました。映画製作や監督業についても多くの本を買っていましたね。それらを隅から隅まで読んでいて、僕にテストしたものです。僕らはいい映画製作の本を見つけたら、僕らふたりのために2冊買うというちょっとした誓いをたてていました。僕がいい本を手に入れたら、もう一冊を彼に送って、あとからその本に関するクイズをお互いに出し合うんです。

Q. その過程で、あなたは映画のシナリオを書けるようになれと言われたのですか。

A. はい。

Q. 失礼。シナリオでなくて、曲を書く方でしたね。

A. シナリオと、曲。両方です。

Q. 両方?

A. はい。

Q. 彼はどちらにも情熱をもっていたのですか。

A. どちらにもです。

Q. 彼が特定の映画学の教授を雇ったり、クラスを受講していたかご存知ですか?

A. ヴェガスにいた頃、僕は叔父に教えていた南カリフォルニア大学の教授に出くわしたことがありました。彼は自分同様、子供たちにも映画製作に関する専門知識を学ばせていたのです。

Q. あなた方は映画製作の計画として、具体的にはどんなものを検討していましたか?

A. 「ツタンカーメン王」や、「Chicago Seven」と呼んでいた映画がありました。それから、「透明人間」をリメイクする話も出ました。叔父は私に原作本を渡して、映画の脚本にするようにも言いました。

Q. あなたの叔父はツタンカーメンに興味をもっていたのですか?

A. 彼はツタンカーメンが大好きでした。エジプトもその文化も。一緒に本屋へ行くと、それらについて目につくものすべてを・・・ファラオや王家の墓、ツタンカーメンに関するあらゆる本を何でも買おうとするのは、よく知られていることです。

Q. 彼がなにかツタンカーメンの映画の特別な準備をしていたのを知っていますか?

A. 彼の家へ行ったとき、映画版「ツタンカーメン」の絵コンテやシーンの模型、その映画に関する様々なメモを見ました。

Q. 彼と一緒にスリラーの3Dバージョンの制作に関して話したことはありますか?

A. ええ。彼は"Thriller 3D"をとても楽しみにしていました。

Q. 「3Dスリラー」の準備のために、何かふたりでしたことはありますか?

A. 彼は僕に3Dの技術を学んでほしいと思っていました。アバターが公開され、3Dというものが再び人々を熱狂させる前のことです。「キャプテンEO」が3Dで製作されていたこともあって、彼は3Dがずっとお気に入りでした。

ヴェガスで、彼と彼の子供たちと一緒に3Dショーを見に行きました。海を舞台にした… なにか海に関する作品でしたが、彼はテクノロジーが本当に好きで、再びみんなをあっと言わせることがしたかったのです。

Q. それで、彼はあなたに3Dを研究するよう頼んだのですね?

A. 勉強して、知識を身につけ、それの達人になることを。

(中略)

Q. 映画を作るという彼の計画や構想について、あなたと彼は議論しましたか。

A. はい、彼はよく話していました。「THIS IS IT」のすぐ後になりそうだと思っていました。

Q. わかりました。今度は、メモや文書を作成するという、あなたの叔父上の習慣についてお話を伺います。

A. いいですよ。

Q. まず教えていただけるでしょうか。ネバーランドでも他の場所でも良いのですが、彼が仕事をしているときやツアーをしているとき、あなたはどれくらいの頻度で彼と一緒に過ごしましたか。思い返してみてください。

A. 難しい質問ですね。生まれてこのかた、何週間も続けて叔父と過ごすことがしばしばありました。家にいるときもいないときも。ツアー先に行くこともありましたから。

Q. では、子供の頃は一度に何週間も彼と一緒ということがあったのですね。

A. そうです。

Q. わかりました。ツアー中ですか、ホテルでですか、それともレコーディングをしているときですか?

A. いずれの場合もありました。

Q. あなた自身は、一番長いときでどれくらいネバーランドで過ごしましたか。

A. ネバーランドに住んでいたんです。私だけ、家族とは別に。一年くらいでしょうか。

Q. わかりました。その間、あなたは彼と一緒の時もあったということですね。

A. はい。たいていの時間を叔父と過ごしました。。

Q. 一緒にいるとき、人生の計画を立てたり目標を達成するために、何かを書いてそれを利用するという彼の習慣を目にすることはありましたか。

A. はい。しかし、それは一緒に住んでいたときだけでなく、私がずっと目にしていたことです。

Q. 彼はあなたに、同じような習慣を身につけさせようとしましたか。

A. しました。しかし、私自身が望んだことでもあります。その習慣が役に立っているのを目にして、自分もやってみたくなった。そういうことです。

Q. それで、あなたはそれを学びましたか?

A. はい。

Q. あなたは今も、彼のやり方や習慣を使いますか?

A. もちろんです。

Q. あなた自身の生活で?

A. ええ。今もそうです。

Q. あなたが一緒に過ごしたり、暮らしていたとき、いろいろなプロジェクトに関して彼と働く機会がありましたか?

A. はい。

Q. 彼と共同でプロジェクトに関わることがあったのですね。

A. はい。

Q. 彼が参加する会議にあなたも出席して意見を言ったことは?

A. あったと思います。

Q. それらの会議は、対面でしたか。それとも電話での会議ですか。

A. 主に電話によるものです。叔父はたいていの場合、電話での会議を好みました。私にとっては、彼が受話器に向かって話すのを見る機会になりました。ビジネスの進め方などを学ぶことが、私にとってが大事だと叔父は考えていました。それでたいていは電話での会議になり、私はそれを観察していたのです。

Q. 大体でいいのですが、今までに何回くらい、叔父様の電話会議に参加してきましたか。

A. 今までに、ですか。

Q. そうです。思い出してみてください。

A. 100回以上でしょうか。

Q. わかりました。それでは、実際の会議はどうでしょう。対面での会議にも出席なさってるんですね。

A. たぶん、20回くらいでしょうか。適切な回答とは言えないかもしてませんが、それぐらいですね

Q. そういった会議のための準備とか、ブレーンストーミンングを手伝ったことはありますか。

A. はい。

Q. どれくらい多くそれを行なったと言えますか。

A. それが映画や映像についての会議なら、多くの会議に、大抵の会議に出席しています。

Q. あなたが見たところ、文書やメモについて、彼が教えたことは、自分で開発したやりかたかどうかは別にして、なにかシステムに基づいていましたか?

A. はい、それは確かです。そのようなことに関して、叔父はとてもシステムに基づいたやり方をするんです。

Q. そして、彼はあなたにそのシステムを教えたと?

A. 教えてくれました。でも、自分で感心したり、観察して覚えたところもあります。

Q. そういうものがあれば私たちも人生において成功することができると思うのですが、彼の分類の仕方やシステムの作り方を表しているような証拠を提出してくれましたか。

A. そうですね。何かのお役に立つならと。はい、出しました。

(AEG陣営から意義がとなえられるが、裁判官から認められる)

Q. まず最初に尋ねたいのですが、あなたが目にした、あるいは教わった、そのシステムにおいて、叔父様は創作のヒントを得るための法則があると信じ、それを実行していたのですか。

A. 彼にはある、信念によるシステムがありました。それは何のためかというと…それはつまり…あまり詳しく言いたくないのですが、つまり…

Q. 我々は、あなたから秘密を聞き出そうとは思いませんよ。

A. いえ、それは秘密と言うわけではありません。基本的に、今では誰でも知っている『ザ・シークレット』という本にある考え方というか、『引き寄せの法則』です。つまり「思ったことを信じることが実現につながる」ということです。(*1)

Q. わかりました。

A. 「思考の現実化」、それはまさに叔父そのものでした。彼は人生で成し遂げたいことや達成したいゴールを絶えず書き出していました。

Q. 彼はなにかあなたに見せましたか?

A. 僕の目の前でもよく書いていましたが、彼のそういったものを直接見たのは、子供の頃スリラーについてのものです。彼は自分の鏡に書いていました。「史上最高売上を誇るアルバム」と。

A. 確かにそれは現実になりました。でも、彼が書いたときはまだ現実ではなかった。そんなことを考えているのは彼だけだったのです。そういうことに関して、叔父の能力はすごかった。彼の頭に浮かんだことは、たいがい現実になったのですから。

Q. あなたは、彼が鏡に言葉を書いたとおっしゃいましたね。そのような「引き寄せの法則」に基づいたメモを、叔父様はどんなところに書いていましたか。

A. 基本的には、紙があるところならどこにでも。メモを多く見れば見るほど、実現に近づくと考えていたので。

Q. どんな紙でもいいのですか。

A. 私が目にしてきたところでは、書ければ何でも良かったようです。文字が消えないものなら。それらを「引き寄せの法則」として、基本的に彼は自分のゴールや成し遂げたかったことを、書けるとこならどこにでも書いていました。目にする機会が増えるほど現実になりやすいからです。

自分に宛てて書かれたもので、情感のこもった大事なものは、記念にとっておいたり、「この時これをした」と彼が忘れたくない記憶をとどめてくれるようなものも、保管していましたね。

私が目にして、そして今も実践しているのは、To Doリストのようなものです。たとえば、彼がミーティングを行うとなったら、電話か対面かにかかわらず、そのミーティングで彼が相手に理解してほしいテーマやポイントを書いておくのです。

引き寄せの法則に関わらず、彼はそれが自分や創作に関わることなら、書くよりも前にやっていました。でも「何と何とが必要、今すぐ」的なものは、いわゆるTo Doリストにしていました。

Q. 他の人に向けてですか?

A. 他の人に向けてです。

Q. 彼のためにやって欲しいことを、ですか?

A. そうです。何故なら彼は、自分で出来る事は、すみやかに実行するからです。

Q. それでは、このメモを書く習慣をあなたは、子供から大人になるまでずっと見ていたのですね。間違えありませんか。

A. はい。

Q. このような書き付けやメモを叔父様が書くのを、何回くらい目にしたかわかれば、教えていただけますか。

A. 数え切れないほどです。

Q. それで、あなたがネバーランドに一年間住んでいる間、叔父様と一緒のときでもそうでないときでもいいのですが、この手のメモを目にすることがありましたか。

A. はい。

Q. あなたが叔父様の所有物の管理をしている間も、この手のメモを目にする機会があったのですね。

A. はい。

(審議による中断 → 続行)

Q. ジャクソンさん。叔父様(MJ)が亡くなった後、キャロルウッドの家に行ったことがありますか。

A. はい。

Q. どうして行かれたのですか。

A. それは・・・叔父の所持品のいくつかを集めておくためです。

Q. どうしてそのようなことを?

A. 私のいとこ(MJの子どもたち)のためにとっておいてやりたいと思ったのです。私の母が亡くなったとき、母の家にあった、本来なら自分たちのものをずいぶん失いました。

Q. どうしてですか。

A. 倉庫から出して、そしてヴェガスでオークションにかけたのです。母の持っていたものはすべてオークションで落とされたのです。そんなことがいとこ達の身に起こって欲しくありません。

Q. それはつらい経験でしたか。

A. 身を切られるように。

Q. いとこたちのために物を持ち出したと?

A. はい。いとこ達のためでした。自分たちが味わったつらさを味わわせたくなかったんです。

Q. その作業の中で、叔父様の寝室にあった書類入りの箱も持ってきたのですか。

A. はい。

Q. それらの書類はあなたが作ったものですか?

A. はい。

Q. あなたが宣誓証言をしたときに両方の弁護士(訴訟代理人)にあてて作ったのですか。

A. そうです。

(中略)

Q. 『This Is It』が終わったところで、彼は映画製作を目指すつもりだったのですね。

A. 『This Is It』が終わったところで、少なくとも優先順位を移そうとしていたと思います。最優先事項を映画へと。

Q. その時点で、あなたは映画製作に彼と共同で取り組むつもりだったのですね。

A. おそらく、プリンスをはじめとする彼の子供たちも一緒でした。子供たちも映画にかかわることになっていたはずです。

Q. その映画に備えるために3Dを勉強するようにと、彼はあなたに言ったのですね。

A. できるだけ3Dのことを学んでおくようにといいました。おじは新しく作る映画はすべて3Dでやりたかったのだと思います。それで、私に技術的なことを学び、3Dについてあらゆることを知っておいてほしかったのです。


Q. 『Leg Diamond』や『Smooth Criminal』の映画を作ることについてもあなたに話していましたか。



A. はっきりとお答えできません。なぜかというと『Leg Diamond』について、私はあまり知らないので。『Smooth Criminal』の映画については「Chicago Seven」みたいな感じになるようでしたが、いずれにしても私にはよくわからないのです。「Chicago Seven」はギャングの映画で『Smooth Criminal』のような作品になっただろうとは思うのですが、実際どんなものかは… 過去に一度も具体的な話になったことがなくて、単なる話、思いつきだけだったんです。

Q. わかりました。あと、あなたは今日ツタンカーメン王の映画のことを話してらっしゃいましたね。あなたとおじ様と彼の子供たちが、映画製作にかかわる予定だったのですね。

A. はい。それ以外に、もっと力のある人たちも参加していたでしょうが、たしかに私たちは参加する予定でした。

Q. しかし、計画では、あなたとマイケルが共同で監督するということでしたね。

A. はい、話に出た映画全部かどうかはわかりませんが、少なくともツタンカーメン王の映画に関しては、共同監督という形をとるつもりでした。

Q. そして、おじ様は、ロンドンでの 『This Is It』の公演が終わったら、一緒に映画をやろうとあなたに言ったのですね。

A. 叔父が最後に私に言ったのは、「これが終わったら、僕たちは映画をやるよ」でした。だから、私は一緒にやるのだと理解したのです。

Q. その言葉を聞いたのは、あなたのおじいさま達が、5月に結婚60周年の記念パーティーをやったときですね。

A. そう、その時です。

Q. その時すでにマイケルとあなたは、ワン・ツー・ジャクソンというユニットを組んで映画を作る計画を練っていたのですね。

A. はい。

Q. ワンがマイケルで、あなたがツー?

A. そうです。2番手という意味ですけどね。私がツーです。

Q. 彼はあなたに、3D版スリラーや「Chicago Seven」を作るために、あなたよりもケニー・オルテガと組むというような話をしましたか。

A. それは、私でもそうします。叔父もそうしていたでしょう。私の知るところでは、叔父はある時点で、他の映画のためにピーター・ジャクソン(*2)と組もうとしていました。私だけが特別扱いされていたわけではないのです。叔父はいつも誰かと組んでやることを考えていました。ヴェガスでの3D版スリラーについては、具体的にどうするかを私に話してくれ、同時に3Dについて勉強するように言ったのです。私は3Dの知識を身につけてそのプロジェクトに参加することになっていたと思います。

Q. その時点で、3D版スリラーに関してはおじ様はヴェガスでどんなことをしていたのでしょうか。

A. 彼は企画書をもっていて、それと模型がありました。オリジナルのスリラーの良さを損なわず今の時代に合わせるとどうなるかを示すものです。他には… 動画のような物はなかったと思います。

Q. つまり、彼はまだいかなる映像もとっていなかったと?

A. 私の知るかぎりでは。


(引用終了:July 11th 2013 Transcripts of Taj Jackson)


(*1)ロンダ・ハーン著『The Secret』のこと。また著者に影響を与えたのは『The Science of Getting Rich』(『富を「引き寄せる」科学的法則』)』だと言われている。

そして、さらに、その本の元になったのは、ウィリアム・ウォーカー・アトキンソンのThought Vibration or the Law of Attraction in the Thought World(1906)(『引寄せの法則』)だと思います。

◎[Wikipedia]ザ・シークレット

(*2)ピーター・ジャクソンについては[Note 4]のメモに名前がありましたね。



タジが制作したゾンビ映画「Code Z」予告編



AEG裁判に関しては、これで終了。

ツタンカーメンをテーマにした、MJミュージカル、また[No.5]では、メモの最後で「オマーン」を強調していることについて再度言及と書きましたが、それについても、またなにかの機会にということで!(ふぅーー)


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by yomodalite | 2013-11-08 20:10 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(7)

GHOSTS Making “Skeleton”

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GHOSTSのメイキング映像の中でも、骸骨(Skeleton)シーンの
46分というロングヴァージョン!

めちゃめちゃ「グッと」くるシーンが満載なので、捕獲しておきます。


☆続きを見る!!!
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by yomodalite | 2013-09-05 09:43 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(3)
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2013年の6月最後の日は、1987年の思い出を。

シェイクスピアからオペラ、ミュージカルまで手がける英国の映画・演劇の演出家で、
『スターライト・エクスプレス』や『キャッツ』で有名なトレヴァー・ナンが、
マイケルに会ったときのことを語った文章です。

こちらは、kumaさんにお願いして翻訳してもらいました。



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Michael Jackson's Peter Pan obsession
ピーターパンになろうとしたマイケル・ジャクソン

いくらか不安を感じながらだが、マイケルジャクソンの衝撃的な早すぎる死の後に巻き起こった論争にたいして、私も何か言いたいと思う。避けようのないことだが、繰り返し問われてきた疑問がまた浮上している。彼の精神は健全だったのか、彼は裁判で問われたように性的児童虐待をしたのか、という疑問である。誰もが納得する答えは出ていない。

しかしこれからお話しすることは
彼の本来の人間性に光を投げかけることになるかも知れない。

1987年のこと、ロンドンにいる私の法的代理人のところに、マイケルジャクソンの代理だと名乗る人物から接触があった。その人物は数ヶ月先までの私のスケジュールを知りたいと言った。そして、マイケルの世界ツアーの日程と調整し、日にちを決めて世界のどこかでマイケルと私が会うことができないかと言った。

「何の用事で会うんです?」私の代理人はびっくりして聞き返した。相手は「マイケル」が今までと違う新しいツアーコンサートの制作について話したがっている、と言った。

その話を伝えられて、私はてっきり、コメディアンのケン・キャンベルにやられたのだと思った。彼には前に一杯食わされているのだ。今回もドッキリに決まっている。

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◎Ken Campbell(Wikipedia)



2日後、私の代理人はよりはっきりした口調の電話を受けた。マイケルのマネージャー、フランク・ディレオと名乗る人物からだ。彼は、イギリス以外はすべての国をまわる勢いの、マイケルのツアースケジュールをスラスラと言ってのけた。これは正真正銘のマイケルのマネージャーなのでは?

そのマネージャーは、私が演出しているクレイジーな実験的ミュージカル、『スターライト・エクスプレス』のことをマイケルは「ちゃんと知って」いて、「そのアイデアを共有したい」と思っている、と言った。

私は、そのスーパースターがシドニーのパラマッタスタジアムで数回のコンサートをやる同じ時期に、『レ・ミゼラブル』の新しい舞台のリハーサルのために同地に滞在する予定だった。「それじゃ、シドニーで会うことができるな」と口にはしてみたが、これで私がまた仕掛けに引っかかったら、ケンは大喜びするだろうな、と考えていた。

オーストラリアに出発する直前、今はもう亡くなった私の法的代理人ビル・フォーニアーは、私がシドニーで泊まるホテルの名前をマイケル側に伝えていいかと聞いてきた。

私は「ほーら、やっぱりドッキリだ」と声を上げたが、ビルはこの交渉は本物に違いないと言った。「でも、どうして僕のホテルの名前を知りたいんだ?」

「それはだね」とビルはもったいをつけて言った。「マイケル・ジャクソンが言うには、彼は君と同じホテルに滞在して、オーストラリアにいる間に何度か会って話をしたいらしいんだ」


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“Starlight Express”



シドニー港にかかった橋を見下ろすように建っているリージェントホテルに到着して数日後、私は興奮気味のアシスタントマネージャー二人から、マイケル・ジャクソンの一行がたしかに30階建てのそのホテルの、最上の二階分をそっくり予約していると教えられた。

ますますとんでもない展開だ。結局、私の「レ・ミゼラブル」のリハーサルが終わる頃、マイケル・ジャクソンのツアーの一団が到着し、その後すぐ、ビルが仲立ちして、私たちは会うことになった。

マイケル・ジャクソンのいるところに入っていくのは、それがたとえ招待であっても、イングランド銀行に盗みに入るくらい大変だった。少し進むごとに、何人もの人に質問を受け、数え切れないほど「写真付き身分証」の提示を求められた。

すべてがきっちりと無線機で確認されるごとに、私は少しづつ「その存在」に近づいていた。29階から、最上階の30階へ。部屋に通じる廊下から、入り口のドアへ、ドアを開けたところの控えの間へ。そしてついに、私は大きく、ガランとした感じのラウンジに入った。床から天井に届くほど大きな窓があり、そこからの眺めは、世界でも有数の素晴らしいものだった。

時折、全身白に身を包んだ人たちが、柔らかそうな白い室内履きをはいて、部屋の中を音もなく動いていた。私はなんだか、集中治療室で徹夜の看病をしている人みたいな気分になった。

その場は静まりかえっていた。

やがて、赤のベルベットのパンツに赤のシャツ、思っていたよりずっと肌の色が青白く、唇には口紅を感じさせる「彼」が現れた。キング・オブ・ポップは、私と握手を交わし、自分と会うために「時間をさいていただいて」と、深い感謝の念を示してくれた。

そして、白いお仕着せの服を着た人々が動きまわって珈琲と美味しそうな軽食を運んでくると、それは細かな気遣いを示してくれた。彼の歩き方は、扁平足というか、微かなぎこちなさが感じられて、私が思っていたよりなめらかな動きではなかった。

私の中に残っていた疑念がかき立てられた。もしかしたら、世界で最も有名な男性の、超一流のそっくりさんと一緒にいるのではないか?

彼は1メートルと離れていないところに座っていた。私たちの会話が、どちらかといえば、たどたどしく進んでいく中、私が気づいたのは、彼の顔の皮膚移植によるかすかな変色と思われるものであり、彼の目の輝きであり(それは過去を思い出すときには悲しみに潤むこともあった)、女の子のようにソフトな声(笑い声は特にそうだった)の響きだった。

私はどのような人間として彼に接していいのかわからなかったが、マイケルと対面しているということの非現実感から抜け出して、やっと「これは実際に起こっていることなんだ」と頭で考えられるようになると、同時に、自分自身でいられるようになった。

自分は感激でいっぱいのいちファンとして会うべきか、多少は共通の言語を持っている音楽業界の人間として接するべきか、違う分野の鍛錬を積んできた年上の人間として、冷静な評論をすべきか、私は考えた。

私はそれら3つすべてをやってみた。彼の新しいアルバム「Bad」について話し、世界中をコンサートしてまわることの大変さについて話し、彼のすごい振り付けのダンスリハーサルの様子や、徹底的に独自なものを創作できるチャンスについて話した。

彼の質問に答える形で、私は「キャッツ」や「スターライト・エクスプレス」について話した。それらのショーは、劇場で音楽を楽しんでもらうのに、もっと周りと一体になれるような形はないかという意図の元に、私が演出したものだった。

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“Starlight Express”



お返しに、マイケルは私に彼がどんなにもっとみんなを驚かせるようなこと、たとえば観客の頭の上を飛び回るようなことをやってみたいかと話した。「あぁ、それならどうしたらいいかわかるよ。できるよ」と私は軽い口調で言った。

「ピーター・パンをやったとき、みんなを観客の頭の上に飛行させたんだ」

空気が激しく一変した。彼はまるで身体に電流でも走ったような反応を見せた。椅子の端に腰掛けて、大きな手で自分の両腕をつかんだ。片方の手には手袋がはめられていた。

「ピーター・パンをやったの?」彼はささやき声になっていた。

「そう、ロンドンでね」

マイケルは飛び上がって言った。「あなたがピーター・パンの演出をしたの?」高い声がさらに高くなり、彼は私の前をウロウロし始めた。「ああ、どうしよう。ピーター・パンだって。信じられない」

私は我々がやっている「ピーター・パン」では、子供の役はすべて大人が演じていると話した。マイケルは部屋中を飛び回り、目に涙をいっぱいためて、僕の前にひざまずき、私の両膝に手を置いた。そしてこう言ったのだ。

「ピーターの役をやりたいんですが、遅すぎますか?ピーターを演じさせてもらえませんか。ピーター・パンを演じたいと、ずっとずっと願ってきたんです」

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Trevor Nunn's PETER PAN



その瞬間から、私は彼の新たな親友になった。白衣に身を包んだ人たちが入り口のところに待機して、押さえきれない嬉しさからでた「ウォー」とか「キャー」とかいう叫び声に、ご主人さまが見も知らぬ訪問者に殴られでもしているのではと心配していた。

マイケルは、ピーター・パンの物語を隅から隅まで知っていて、いろいろなせりふを暗唱した。喜びが彼を幼い頃に引き戻してしまったのか、彼はとても無防備な子供のように見えた。

私は突然、彼の最大の望みを叶えられそうな人間、ということになってしまった。思いがけなく、このように事態が急変したので、私はそれが何を意味するのか、何の表れであるか、ということに思いが至らなかった。しかし、チャイルドスターとしてのマイケルがどんな風だったか、とか、彼が感じる、大人であることの奇妙な不快感というものがいま表に出てきていている、ということは感じていた。彼がこんなふうに感情を爆発させることは、とてもプライベートなことで、まれなことだということも。

私たちの会見は2時間後におわった。終わる前に、私は、次の夜に彼のコンサートに行くことを「約束」させられた。私は夕方の5時半にホテルの地下にある駐車場にいることになっていた。私は前回と同じような「検問」をくぐってそこについた。そして信じられないことに、ドライバーと、二人のセキュリティ・・・

そしてマイケル・ジャクソンが乗っている、黒い窓ガラスのドーモビール社製のキャンピングカーに案内されたのである。

私は、スタジアムまでマイケルと同じ自動車に乗って、暗い車内で外から見えない存在になるという、今までに無い、そしてこれからもないであろう経験をした。我々が通ると、車内からははっきりと見えるファンの群れが「愛している」と叫び、窓ガラスに触れようと手を伸ばしてきた。私はつかの間マイケルとステージ裏に連れて行かれ、その後、巨大な机を置いたサウンドオペレーター席のすぐ横にエスコートされた。それは観客席の中で最高の場所だった。

私には守らなければいけないことがあった。どういうことかというと、車で移動している間、マイケルはいろいろな言い方で私に伝えたのだ。ステージ演出とか彼のやっていることで、何か良くないと思うことがあったら言って欲しいと。「良くないところなんか無いに決まってるよ」と答えると、マイケルは差し迫ったような表情で、念を押した。

「いいえ、絶対に言ってくれなくては困ります。言ってくれる人が必要なんです。今とはどんな変化がつけられるか考えて・・・どうすれば僕が飛べるか考えてください」

マイケルは、もちろん、素晴らしかった。ダンサーとして比類なく、音楽は彼の口からだけでなく、「バッテリーフル充電」という感じの彼の身体全体から湧きだしていた。

もの凄い盛り上がりのフィナーレの後、私は再びステージ裏に案内され、キャンピングカーに乗せられた。すぐに、すべてを出し切って抜け殻のようになったマイケルと、短身でずんぐり、ごま塩頭をポニーテールにした中年の男性が、乗り込んできた。ディレオ氏だった。

私はマイケルに、彼のステージがどんなに素晴らしかったかと伝えようと思った。しかし、マイケルは「ほんとのことを聞かせて欲しい。今はだめです。明日言ってください」とだけ言った。

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Trevor Nunn, HM The Queen, Andrew Thomas James, Dexter Fletcher, Joss Ackland, Miles Anderson, Jane Carr – at the royal Gala Performance




ホテルに戻ると、彼のマネージャーは,マイケルが12時間の睡眠をとるまでは話は無し、と念を押してきた。私は、次の日の正午にホテルの部屋に来るように言われた。その時までには、私はマイケルに提案できるアイデアをまとめていた。「マン・イン・ザ・ミラー」のあたりで、物語の要素を入れるといいのではないかというアイデアだ。そうすればひとりの人間の、二つの面を表現することができる。

1つはBadにあるような、エネルギー全開の、セクシーで動物的なマイケル、もう一つは、繊細で優しく、想像力豊かで無垢なマイケル。後者はショーのクライマックスで空を飛び、会場をあとにする。

マイケルが約束した時間きっかりにやって来たとき、彼はディレオ氏と一緒だった。このことは状況を倍ややこしくした。なぜなら、マイケルは依然大喜びで夢見心地で、ちょっと感情を込めすぎなくらいで、「ぜったりやりたいよ」「素晴らしいだろうね」と言っているのに対して、マネージャーの方はまったくビジネスライクで、「どうやってやるのかきちんと説明してください」みたいな調子で、細々したことを聞いてきたのだ。

私ははっきりと感じた。マイケルは自分と私を、大人の目の前にいる二人の子供としてみているのだと。そして、私に「こんな親の言うことを聞いちゃだめ」と一生懸命伝えようとしているのだ。彼はこれからの計画について話したくてたまらなかった。私に、イングランドへ帰る途中にロスに寄って、と求めた。そうすれば、もう一度会って話ができる、と。

私の次の仕事、つまりブロードウェイのミュージカルのリハーサルの場所に居合わせることができるように、自分のリハーサルの場所をニューヨークにしてもいい、と言い張った。私は、ロスとニューヨークでマイケルに連絡が取れる電話番号を教えられた。

私が、幼い娘を自分の部屋から連れてくると、マイケルは娘と一緒にポーズをとって写真に収まってくれた。その写真は、今ここで話していることが真実であると証明する、唯一の証拠である。


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“Starlight Express”



その後何回も電話してみたが、一度もマイケル自身につないでもらうことはできなかった。マイケルを取り巻く集団が、ある指示の元に、とても礼儀正しくだが、私を排除しようとしたのだという考えが、私につきまとった。

大事なのはそんなことじゃない。私が言いたかったのは、マイケル・ジャクソンが、大好きなピーター・パンの住む場所である、ネバー・ランドの名を冠した地に、牧場付きの子供のための遊園地を作ったと聞いたとき、私は少しも驚かなかったということだ。性的児童虐待で彼が告発されたとき、私はそんなことはウソだと信じていた、そして今も信じているということだ。単純なやつ、と言いたければ言えばいい。でも、マイケルは確かにピーター・パンだったのだ。

ピーターはロスト・ボーイという子供の一団を率いている。子供たちは彼のリーダーシップに頼っているが、一方でピーターも同じくらい子供たちを必要としている。ロスト・ボーイたちはピーターと同じ大きな部屋に暮らし、みんなで一つの大きなベッドに眠る。ネバーランドに少年たちを招待し、同じ部屋で過ごし、みんなで一つの大きなベッドに眠る・・・

これらは性的虐待の訴えの、主たる疑惑としてあげられたものだ。しかし、ピーターというのは,両性具有的な存在なのだ。男女の性別など無く、ウェンディに慕われるが、彼女の、異性としての愛情に答えるつもりなどない。

ピーター・パンの作者であるJ・M・バリは、自分も児童虐待の疑いをかけられた。永遠に子供でいたいという、ピーターの切なる願い、大人になって、大人の社会と馴れ合っていくことに対する恐れは、かなりな範囲、バリ自身の経験によるものだっただろう。バリは、おそらくは、夫婦の交わりのない結婚生活を送りながら、よそのうちの子供をとてもかわいがったのだ。

マイケル・ジャクソンはどうだったかって?彼はタブロイド紙の世界ではあの名前(Wacko Jacko?)で呼ばれるような人物だったかも知れないが、ピーター・パンに対する熱狂の中に私が見たものは違う。それはうそ偽りのない、真実の姿だった。

本当は、ピーター・パンは、彼が演じたかった人物などではない。
それは、マイケルがなりたかった人物なのだ。


© Trevor Nunn (2009年「SUNDAY TIMES」より)
Theatre director Trevor Nunn talks about meeting Michael in 1987

(引用終了)


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by yomodalite | 2013-06-30 17:09 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(3)
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もうすぐ発売されるウェンブリーのライブVDの情報は、
みんなも散々見ていると思うし、
BAD期は、あまり話題にしないというポリシーwもあったんですけど、、

ついに、我慢ができなくなってしまいました。


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この時代のMJのこと、、「美しき獣」みたいだと思っていたんだけど、、


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でも、、それが “Human Nature” でもあるんだなぁ。。


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☆このページで “Human Nature” の高画質ライブが公開されています!
◎1988 Bad Tour stop at London's Wembley Stadium “Human Nature”

翼がなくたって、誰でも「エクスタシー」を感じることができる …

もう、、ホントに、昇天しそうっ!



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by yomodalite | 2012-09-12 11:25 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(0)
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photo : “The last Child 2008” Gottfried Helnwein



私にとって『HIStory』は、初めて発売直後に買ったMJのアルバム。美術系だった私は、MJよりも先に、ヘルンヴァインのファンだったので、ブックレットに彼のアートワークを見つけたときは、なんとなくMJと私との距離が近くなったように感じたのですが、Little Susieは、当時はあまり好きではありませんでした。最近になって、あらためて「名曲」だと感じるようになったのは、私自身の子供時代への思いが変化したせいなのかもしれません。

そんなこともあって、2010年に書かれた Vanessa Appassamy の記事を訳してみました。Appassamyさんは、2010年になってから『HIStory』や『Blood ・・』など、MJの問題作について書いている印象があった方で、また、伊藤俊治氏によるヘルンヴァインへのインタヴューの内容は、これまでに読んでいたものと異なり、「彼がどんな風に組み立てられているかが分かる」とか「自分で現像することはできない」など興味深いものだったので。

苦手な英語力を最大限駆使した訳なので、気になる点や間違いは、遠慮なくご指摘いただけると助かります。


[ファンメイド動画]LITTLE SUSIE




An Appreciation of Michael Jackson's Little Susie
Apr 18, 2010 Vanessa Appassamy

Little Susie 鑑賞
2010年4月18日 ヴァネッサ・アパサミー

Little Susie is a incredible artistic achievement, the orchestral ballad, which was misunderstood by the press, paints a somber image of a forgotten child.

『Little Susie』は、素晴らしく芸術的な管弦楽によるバラードで、忘れられた子供の、暗澹とした心情を描いた曲ですが、メディアには理解されなかった。

Little Susie is featured on HIStory: Past, Present and Future: Book 1, however unlike the majority of the songs on HIStory (many of which were written in response to the events of 1993), Jackson penned Little Susie possibly many years earlier (Halstead, Craig and Cadman, Chris. Michael Jackson: The Solo Years. Authors OnLine Ltd. 2003. pg. 106).

『Little Susie』は『HIStory : Past, Present and Future : Book 1』に収録されていますが、他の多くの収録曲とは異なり(多くが1993年の出来事に応じて書かれている)、おそらく、ジャクソンは『Little Susie』を、それらよりもずっと前に作曲していました。(『Michael Jackson : The Solo Years』2003年、P106より)


Critical Reception of Little Susie :
Little Susie 批評への入り口

Little Susie alongside Childhood were described in Billboard Magazine as "maudlin ... so treacly and overwrought ... they drown under the weight of their own thick, sappy pretentiousness" (Melinda Newman. 'Michael Jackson's HIStory Lesson Comes Packed with Extracurricular Activities.' Billboard Magazine. Jul 1 1995. pg. 18).

ビルボードマガジンは、『Little Susie』並びに『Childhood』は、感傷的で甘ったるく、大げさに、もったいぶった、滑稽な思い上がりだ。と書きました。(Melinda Newman「マイケル・ジャクソンの歴史授業は、課外授業も豊富」1995年7月1日、P18)

Little Susie, Childhood and Jackson's cover of Charlie Chaplin's Smile were described by The New York Times as "the creepiest new songs" (John Pareles. "Michael Jackson is Angry, Understand?" New York Times. Jun 18 1995).

ニューヨークタイムスでは、『Little Susie』『Childhood』と、ジャクソンによるチャップリンのカバー曲『Smile』を「ぞっとする新曲」と書きました。(John Pareles「マイケル・ジャクソンの怒りを、どう解釈するか? 1995年6月18日)  

Rolling Stone Magazine declared both Little Susie and Childhood as "uncut Hollywood fluff" (James Hunter. "HIStory: Past, Present and Future, Book 1" Rolling Stone Magazine. Aug. 10 1995).

ローリング・ストーン誌は、『Little Susie』『Childhood』は、共に「ハリウッド映画のNGシーン」と書きました。(James Hunter、1995年8月10日号)



Central to both Little Susie and Childhood are the artworks which are featured in the accompanying booklet to the HIStory album; Gottfried Helnwein's 1972 photograph "Lichtkind" (Child of Light) which is titled Little Susie and an undated and untitled drawing by Jackson, which includes the handwritten lyrics of Childhood (Michael Jackson. HIStory booklet. Sony BMG pg. 37 and 34).

『Little Susie』と『Childhood』両方に注目すべきは、アルバム『HIStory』に添えられた小冊子の中のアートワーク。『Little Susie』では、1972年のゴットフリート・ヘルンヴァインによる「Lichtkind」(光る子供)と題された写真と、タイトルも日付もなく『Childhood』の手書きの歌詞が書かれている、ジャクソンによるドローイング(『HIStory』ブックレット、P37、P34)


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photo : “Child of Light (Lichtkind) 1972”
◎ゴットフリート・ヘルンヴァイン(Wikipedia)


Helnwein's photograph recreates a crime scene, in which an unidentified child's body lays on a decaying wooden floor, a lone penny positioned beside her. The unconscious child's head and eyes are heavily bandaged, her dress, seems new and unworn, and recently placed on her tiny frame, while light, seemingly from above, accentuates her wrists and closed eyes.

ヘルンヴァインの写真は、犯罪現場をそのまま表現しているようで、身元不明の子供の身体が横たわる木製の床には、1セント銅貨が、ポツンと置かれています。意識のない子供の頭と目には、しっかりと包帯が巻かれ、服は、まだ、新しい様子で、彼女の身体は、最近、そこに置かれたように見えます。一方、上からの光は、彼女の手首と、閉じられた目を強調しています。

Thematically similar, Jackson's drawing is of a saddened child, obediently seated in the corner of a forgotten room, whose small body leans towards the wall for protection. The depicted child tightly grasps onto a microphone, which is attached to a ceaseless electric cord that weaves itself outside the room, to the outside world, a place the child is hopelessly trying to resist.

主題に関して類似している、ジャクソンのドローイングでは、部屋の隅に従順にうずくまる、可哀想な子供が、その小さな身体を庇うように、壁に身体を寄せています。描かれている子供は、マイクをしっかりとつかんでいますが、その電気コードは部屋の外、子供が抵抗し、絶望している外部の世界へと繋がっているようです。


Thematic Concerns of Little Susie and Childhood
Little Susie と Childhood における懸念すべきテーマ

Both Little Susie and Childhood offer narratives in which the child protagonists are left to fend for themselves, as they are left disappointed and disillusioned, alone and isolated. Little Susie paints a grim image of a young girl named Susie, who was abandoned by her father, and left orphaned when her mother passed away. Susie drifts from family to family, abused and neglected, her pain and suffering ignored by the adults who were meant to protect her, and only come to Susie's aid in her death.

『Little Susie』と『Childhood』は、どちらも、子供たちを主人公にした物語で、自活をさせられている子供たちが、失望し、幻滅を感じて、1人で孤立している。『Little Susie』は、スージーという名前の少女が、残酷に描かれていて、彼女は、父親に捨てられ、母が亡くなった後、親族の間をたらい回しにされ、虐待を受け、養育を放棄されている。彼女の痛みや苦しみは、彼女を保護するはずの大人たちによって無視され、彼らは、スージーが亡くなるまで、彼女を援助しようとしなかった。

Susie's only comfort is the tune she sings to herself, which plays repeatedly on her musical box. The opening verse of Little Susie refers to a murder, however it can also be interpreted the character of the narrative, committed suicide, her only escape from her tortured existence.

スージーが、唯一、心が安らぐのは、彼女が、自分のオルゴールのメロディにあわせて、歌を歌っているとき。『Little Susie』では、最初のヴァース(サビ前の部分)で、殺人が示されているが、彼女にとって、自殺への傾倒は、虐待を受けている存在から脱出する、唯一の方法だったという、物語も解釈されている。



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Childhood on the other hand, also refers to a child desperate to escape their current existence, but through imagination and wonder, a delightful whimsical existence Jackson declares through the song, as something he was denied due to being a tirelessly working child-star. As a then father of two, Jackson would publish an article which appeared on Beliefnet.com, in which he recalled how all he ever wanted as a child was just to be an anonymous kid at play :

また『Childhood』では、現在の生活から逃れたくてたまらない、子供について言及している。辛抱強く働いてきた、チャイルドスターとして、与えられなかった、素晴らしい想像力による、幻想的で気ままな生活を、ジャクソンは歌によって宣言しました。その後、ジャクソンは、2人の子供の父親として、子供時代、無名の子供が遊んでいる様子を見て、彼が、かつて望んだことを「Beliefnet.com」に記事として、公表しました。

"More than anything, I wished to be a normal little boy. ... I had to accept that my childhood would be different than most others. But that's what always made me wonder what an ordinary childhood would be like" (Michael Jackson. "My Childhood, My Sabbath, My Freedom" Beliefnet.com Dec 7 2000).

僕は、何よりも普通の少年になりたかった ... 僕は、自分の子供時代が、多くの他人と異なることを受け入れなくてはなりませんでしたが、それは、普通の子供時代が、どのようなものなのかと、常に、僕に想像させました(マイケル・ジャクソン「私の幼年期、私の安息日、私の自由」2000年12月7日《和訳→》http://mjfcmoonwalk.com/ >> MJ Write > My Childhood, My Sabbath, My Freedom )

[関連記事]The Day I Sang for Michael Jackson

"I'm Peter Pan in my heart" - Michael Jackson (Quote from Living With Michael Jackson: A Tonight Special. Dir. Julie Shaw. Granada Television 2003.)

「僕は、心の中ではピーター・パンなんだ」ー マイケル・ジャクソン
(2003年のTV番組「Living With Michael Jackson」より)

Within the lyrics of Childhood, Jackson refers to being considered "not okay" and "strange" for wanting to remain a child at heart. Jackson's ultimate display of his inner-child would be realized through the creation of Neverland Valley Ranch, his home, which featured an amusement park, open zoo, playground, swimming pool, arcade and train station named after Jackson's mother Katherine Jackson.

『Childhood』の歌詞で、ジャクソンは、心の底から、子どものままでいたいと思うことが「了承されない」ことに言及し、それを「奇妙である」と思われていることを表現しています。ジャクソンの究極の「インナー・チャイルド」は、彼の家である、ネヴァーランド・ヴァレー・ランチに、動物園や、遊園地、スイミングプールなどの総合的な娯楽施設を備えて、実現され、列車の駅の名前は、ジャクソンの母親、キャサリン・ジャクソンにちなんで、後から名付けられました。


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Katherine Station


Neverland eventually became the idyllic home for Jackson's children, a place which offered privacy and allowed Jackson to be himself, amongst all the things he loved, and he would open it's gates to disadvantaged children for many years. These experiences of children, free at play, had to be recreated by Jackson, and yet they are the same experiences many take for granted.

ネヴァーランドは、やがて、ジャクソンの子供たちにとっては、のどかな家になり、ジャクソンのプライヴァシーが許され、彼が、自分自身で居るために、大切なものがすべてある場所でもあり、また、障害を抱える子供たちにも、彼は、永年に渡って門を開いていました。子供が、自由に遊べるという、多くの人々にとって、当然の経験と同じことを、ジャクソンは再現することで、自らを休養させなければなりませんでした。

The namesake of Jackson's home also refers to the fictional island, Peter Pan and The Lost Boys would frequent, a place which forever allowed it's inhabitants to remain children at play, in James M. Barrie's play Peter Pan: or The Boy Who Wouldn't Grow Up (1904).

ジャクソンの家と同名の虚構の島「ピーター・パンと道に迷った少年」にも言及します。永遠に、子供のまま、遊ぶことが、住民として認められている、ジェームズ・M・バリ脚本の「ピーターパン:あるいは大人になりたがらない少年 (1904)」

"Peter Pan in Neverland reveals the painful and tortured psyche of James Matthew Barrie. It illustrates how his literary creation was a desperate attempt at repairing his lost childhood, but also in keeping it intact forever" (Judit Szekacs-Weisz, Ivan Ward. Lost Childhood and the Language of Exile Karnac Books, 2005 pg. 92).

ネヴァーランドのピーター・パンは、ジェームズ・マシュー・バリの、痛みや苦悩を暗示しています。彼の文学的創造は、失われた少年期を修繕するために必要で、それらを永久に保存しておくための絶望的な試みでした。(Judit Szekacs-Weisz, Ivan Ward(編)『Lost Childhood and the Language of Exile』2005年、P92)

◎[関連記事]小さな白い鳥/ジェイムズ・M・バリ
◎[関連記事]ロスト・ボーイズ ー J・M・バリとピーターパン誕生の物語


Jackson always spoke openly of his complex childhood and through Little Susie and Childhood explores various issues he himself experienced as a child. Both Little Susie and Childhood present children as intelligent, aware and susceptible to their environments. Jackson viewed ones childhood, as their most important journey, it was a time he believed should be nurtured and cherished.

ジャクソンは、常に、彼の複雑な少年期について公然と語ってきました。『Little Susie』と『Childhood』における様々な問題は、彼自身が、子供だったときの経験と同様で、『Little Susie』も『Childhood』も、知的で、状況を認識し、環境に影響されやすい子供たちを表現しています。ジャクソンは、その少年時代を、彼らにとって最も重要なツアーの中で過ごしましたが、それは、彼が成長するために、大事にされなければならなかった時間でした。

Jackson was denied such an existence, but fatherhood somewhat allowed Jackson to find an emotional balance, as he stated at the 2001 Oxford Union Address "I realize that I cant be a whole human being, nor a parent of unconditional love, until I put to rest the ghosts of my own childhood' (Michael Jackson: The King of Pop, The Big Picture! The Music! The Man! The Legend! The Interviews: An Anthology. By Jel. D Lewis (Jones). Amber Jones 2005. pg 162).

ジャクソンは、そういった生活を与えられませんでしたが、自身が父親になってから、感情的なバランスを見つけることが出来るようになったと、2001年のオックスフォード大学で述べました。

「僕は、僕自身の少年時代の幻影を治めることが出来なければ、完全な人間になることもできないし、無条件の愛を注ぐことができる親にもなれないと気づいたのです」

(Jel Jones『Michael Jackson : The King of Pop, The Big Picture! The Music! The Man! The Legend! The Interviews : An Anthology』2005年、P162より)

source : http://vanessa-appassamy.suite101.com/





☆しばらくしてから出回ったヘルヴァイン撮影の写真を2枚追加・・・

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by yomodalite | 2012-06-18 09:18 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(11)
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photo : Elie Wiesel & MJ



オフィシャルサイトで、少しだけ紹介された記事を、全訳してみました。

◎ラビ・シュムリー、MJがナチの支持者だったというウソに不快感

ラビ・シュムリーが話しているのは、MJへの愚かな「レッテル張り」への反論と擁護ですが、くだらないタイトルとは異なり、シュムリーとの議論のこと、イスラエルの首相や、エリ・ヴィーゼルが登場するなど、私には興味を惹かれる内容でした。

色々と、迷って訳しているところが多いので、日本語部分はご注意の上、間違いや、気になる点は、お気軽にご指摘くださると、たいへん助かります。

The Revolting Lie That Michael Jackson Was a Nazi Sympathizer

All a man has in this world is his good name. The book of Ecclesiastes says that a good name is better than fine oil. Our reputations determine what others think of our character. We have a right, therefore, to defend our name against scurrilous and slanderous attack. When those we know cannot defend themselves, we must stand up and speak out on their behalf.

人がこの世で手にできるものは、名誉につきる。伝道書には、名声は良い油よりも優ると書いてあります。私たちが手にする評判というものが、他の人々が、どんな人間として見るかを決定づけるのです。私たちは、下品な中傷などの攻撃から、名前を守るための権利を持っていますが、私たちがよく知る人物が、自己弁護することが出来ない場合、私たちは、彼らの代わりになって、自由に発言しなければなりません。

I generally try to avoid the gossip that is so often said and writing about Michael Jackson. Libraries of nonsense have been written about him, and now that he is tragically no longer alive, he cannot defend himself. In general I see no point in highlighting slanderous material about him by responding to it.

私は、通常、マイケル・ジャクソンについて、何度も言われているようなゴシップや、彼について書かれた無意味な蔵書群について書くことは、避けてきました。悲劇的なことに、今、彼は生きておらず、自己弁護することが出来ませんが、一般的に、それらに反応することは、彼に対しての中傷をより強調することになり、良い点を見出すことはありません。

But several headlines recently caught my attention when I heard that a man who claims to have worked as Michael's bodyguard made the incredulous charge that Michael was a Nazi sympathizer. This kind of viciousness should usually not be responded to because it just gives it more credibility for the retelling. But the slander against Michael's name in this instance is so great that it deserves to be rebutted.

しかし、いくつかの「見出し」は、私の注意を惹きました。最近、私が聞いたのは、マイケルのボディガードとして働いていた男が、マイケルが、ナチの支持者だったという、懐疑的な告発をしたこと。そんな悪質なものに、応答しても、より多くの信用を与えることになるだけですが、しかし、このような類いの、マイケル対する中傷は、影響力が大きいので、それは反論すべきだと思いました。

As is well known, I was Michael's Rabbi for two years. During that time, we discussed every subject under the sun. A great deal of it was captured in the conversations we recorded specifically for publication in the books that became The Michael Jackson Tapes and its follow up, Honoring the Child Spirit. In one of those conversations, Michael spoke of Hitler's mesmerizing oratorical skills.

よく知られているように、私は2年間、マイケルのラビでした。その間の間、私たちは、太陽の下で、様々な課題について、多くの議論をしました。それらを録音した中から『The Michael Jackson Tapes』が出版され、それに続く『Honoring the Child Spirit』も本になりました。そういった会話のひとつとして、マイケルは、人々を魅了するヒットラーの演説技術のことを話しました。

*ラビ・シュムリーが、MJと対話した2冊の本を全訳しました!

He said that oratory is in many ways one of the most effective tools that evil uses to manipulate others and thereby gain power. Michael argued that Hitler used many of the same techniques that showbiz performers use today in order to manipulate audiences and steer them toward evil deed. I was disheartened when the book was first published to see some newspapers highlight these comments of Michael completely out of context and misrepresent him as someone who could have admired Hitler. Nothing could be further from the truth.

彼は、演説というのは、いろいろな意味で、邪悪な意志を持った人間が利用するのに、もっとも有効な手段で、演説によって、人々を操り、それによって権力を得るのであると。現代のショービジネスのパフォーマーが聴衆を扇動し、不道徳な行為へと駆り立てる際に用いる手法の多くは、ヒトラーが使ったのと同じものだと、主張していました。本が最初に出版されたとき、いくつかの新聞が、それらのマイケルのコメントを強調し、彼がヒトラーを賞賛していると、完全に誤って伝えているのを見て、私は、大変落胆しました。これほど、真実から程遠いものはありません。



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Rabbi Shmuley Boteach


Michael detested and despised anyone who would do harm to another human being, especially the Nazis who gassed six million Jews, one and a half million of whom were children. Michael loathed everything Hitler stood for. As I have consistently stated, Michael was a great friend of the Jewish people. He celebrated his relationship with the Jewish community and never shied from demonstrating how much he learned from Judaism through our conversations and friendship.

マイケルは、人に危害を加える人間は、誰であっても、嫌悪し、軽蔑しました、600万人のユダヤ人(その中の150万人は子供だった)を、ガス室に送った、ナチスに対しては、特にそうです。マイケルは、ヒトラーを表現するすべてを嫌悪し、私が一貫して主張してきたように、彼は、ユダヤの人々の親友であり、ユダヤ人社会との関係を祝福していました。ユダヤ教についても、私たちの会話や、友情を通して、彼が、そこから、どれほど学んだかは計り知れません。

In one of our first meetings I gave him a mezuzah as a gift, which consists of a small scroll from the Torah that is affixed to the doorpost. I did not give it to him with the intention that he put it on his door as his was not a Jewish home. Nevertheless, Michael insisted that we put it on the front door of his rented home in Manhattan.

私たちが、最初に出会ったミーティングで、私は彼に贈り物として、メズーザー(註1)を贈りました。それは、トーラー(ユダヤ教の律法)が書かれた小さな巻物で、ドアの外側に取り付けるようなものなのですが、彼の家は「ユダヤの家」ではないので、私は、彼に、そのような意図で贈ったわけではありません。しかしながら、彼は、マンハッタンで賃貸している彼の家の正面玄関に、それを置くことを望みました。

A few weeks later he came with me to the Carlebach Synagogue in Manhattan one of the happiest days of the Jewish calendar, Shemini Atzeret, and told me later, as part of The Michael Jackson Tapes, that it was the happiest night of his life.

数週間後、彼は、私と一緒に、マンハッタンのCarlebachのシナゴーグ(註2)に行きました。ユダヤ暦の中でも、最も幸せな日の1つである「Shemini Atzeret」(註3)のことは『The Michael Jackson Tapes』にも少し書きましたが、その後、彼は、その日のことを「人生の中で、最も幸せな夜だった」と言いました。

As the boy superstar of the Jackson 5, Michael had a Jewish tutor who traveled with him and helped to raise him whose name was Rose Fine. Michael spoke of her in The Michael Jackson Tapes with great affection and revealed to me that he and Janet covered many of his former tutor's expenses as she aged.

ジャクソン5で、スーパースターになった少年のころ、マイケルには、彼を育てるための、ユダヤ人の教育係がいました。ローズ・ファインという名前で、優しく思いやりにあふれた彼女のことは『The Michael Jackson Tapes』の中でも語られていますが、彼女が、年老いてからは、マイケルと、ジャネットが、彼女の支払いの多くを補っていました。

In one of the conversations he says that as the group's plane landed in Germany, Mrs. Fine became agitated. Michael asked her why and she shared with him the horrors of the Holocaust. He was just a boy and it was the first time he had heard of the wholesale slaughter or Europe's Jews.

その会話のひとつで、彼は、ジャクソン5が乗った飛行機が、ドイツに着陸すると、ファイン夫人が動揺するようになったと語っています。マイケルは、彼女にそれがなぜか尋ね、彼女は、彼とホロコーストの恐怖を共有しました。マイケルは、まだほんの少年で、大量殺人についても、ヨーロッパのユダヤ人のことも、彼にとって初めて聞くことでした。

Later, I would take Michael to meet and converse with my dear friend, Nobel Peace Laureate Elie Wiesel -- arguably the greatest living Jewish personality -- who further shared with him the horrors of the Holocaust and the importance of reconciliation and love. Prof. Wiesel showed Michael boundless acceptance and affection, which Michael warmly reciprocated.

その後、わたしは、親しい友人で、ノーベル平和賞受賞者のエリ・ヴィーゼル(註4)ーー 生存しているユダヤ人の中で、最も偉大なパーソナリティーー に会うために、マイケルを連れて行きました。ヴィーゼル教授とマイケルは、ホロコーストの恐怖だけでなく、和解と、愛の重要性について共感し、ヴィーゼルは、マイケルに無限の愛情を示し、マイケルもまた、それを暖かく受けとめていました。

Michael's strong feelings for the Jewish community meant he was even prepared to suffer professionally for his love of Israel and the Jewish people. It is well-known that in 1993 Michael went to Israel on his Dangerous Tour where he performed for 160,000 fans in Tel Aviv. My dear friend Frank Cascio, later to become Michael's manager, accompanied him and he told me how much Michael loved being in the holy land. Less well known, however, is the following story.

マイケルのユダヤ人社会への強い感情は、イスラエルや、ユダヤの人々への愛のために、仕事の面で困難に出会うであろうことも覚悟していました。1993年、マイケルが「デンジャラス・ツアー」で、イスラエルに行き、テルアビブの16万人のファンの前で、ショーを行ったことはよく知られています。私の親友のフランク・カシオ(その後、マイケルのマネージャーになった)も、彼と同行していて、マイケルが、その聖地を、どれだけ愛していたかを、私に伝えてくれました。しかし、これから話すことは、それほど有名ではありません。

In late 2000, a Jewish philanthropist called me and told me that Israeli Prime Minister Ariel Sharon was coming to his home that night for a reception. He said it would be good for Israel if Michael would come there and meet with the prime minister. I turned to Michael, in the presence of some of his professional staff, and asked him if he would like to meet the Israeli prime minister. Michael immediately jumped at the opportunity and told me he would love to do so.

2000年の終わりに、ユダヤ人の慈善家が、私に電話をしてきて、イスラエルの首相アリエル・シャロンが、夜、彼の家で行われる歓迎会に来ると言いました。彼は、マイケルがそこに来てくれて、首相に会えば、イスラエルにとっていいだろうと言ったので、私は、マイケルのスタッフの何人かに、彼がイスラエル首相に会いたいかどうかを尋ね、彼に出席することを求めました。マイケルは、その機会に、すぐに飛びつき、是非出席したいと、私に伝えました。

However, the people who surrounded him at the time mentioned that it might not be a good idea. They said that Sharon was hated in many parts of world, especially in Arab nations. A photograph of Michael with Ariel Sharon could spark a significant backlash including a boycott of Michael's albums and music. Michael immediately dismissed their concerns and said that he felt very excited to meet the prime minister. A few minutes later we embarked in Michael's van and crossed town to the meeting.

しかしながら、彼の周囲の人間は、それはいいアイデアではなく、世界の多くの国々、特にアラブ国家では、シャロンが嫌われていて、マイケルと、アリエル・シャロンの写真は、彼の音楽アルバムの不買運動を含む、深刻な反動運動の口火を切ることになると言いましたが、マイケルは、彼らの心配を一蹴し、首相との面会に興奮して、数分後には、彼の車は、街を横切り、面会へと向かっていました。

The pictures of Michael greeting Prime Minister Sharon, along with me and our dear mutual friend Uri Geller, appeared throughout the world. Michael's professional staff were correct. The very next day websites called for a boycott of Michael's music saying that he supported Israel's "hated" leader. However, Michael did not care. Michael loved Israel and the Jewish people and he was thrilled to meet someone of Prime Minister Sharon's stature.

マイケルが、シャロン首相に挨拶した写真は、一緒にいた、私や、私たちの共通の親しい友人、ユリ・ゲラーと共に、世界中の至るところで現われ、マイケルのスタッフ達の意見は正しく、その翌日には、マイケルが、イスラエルの「嫌われもの」のリーダーを支援したと言って、彼の音楽のボイコットが、ウェブサイトによって始まりました。しかし、マイケルは心配することなく、イスラエルと、ユダヤの人々を愛し、他にも、シャロン首相のようなレベルの人間に会うことのスリルを楽しんでいました。



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Shmuley Boteach, Uri Gellar, MJ, ARIEL SHARON


Above everything else in our relationship, Michael was immensely sensitive to my family's Jewish observance and did everything to respect it at all times. When we would visit him at his homes and hotel suites, he would always order kosher food from local restaurants for us. He developed a taste for the cuisine of some well-known kosher restaurants and would often go there on his own after getting to know the restaurant through me.

私たちの交友において、もっとも強調したいのは、マイケルが、私たちユダヤ教の遵守をとても尊重してくれて、気を遣ってくれたことです。彼は、私たちが、彼の家やホテルの部屋を訪ねたときも、いつも私たちのために、地元のレストランから、kosher food(ユダヤ教の法に従って料理されたもの)を注文してくれましたし、彼は、kosher food レストランの料理法にも興味を深め、私から知った、いくつかの有名レストランに、ひとりで行くこともしばしばでした。

The speech I composed for him, based on our conversations, that was delivered at the Oxford Union in March, 2001 -- one of his crowning achievements where he received a standing ovation and which, unfortunately, has yet to be released by his estate -- was filled with Jewish references and wisdom. Michael told me to leave it all in. As a Jehovah's Witness he felt an immediate kinship and bond with the Jewish people and their teachings.

2001年の3月、オックスフォード大学で語られたスピーチ(スタンディング・オベーションを受けるような、彼の輝かしい業績のひとつだが、不運なことに、彼が生まれた地においては未だに発表されていない)は、私たちの会話をベースに、私が構成したので、ユダヤの知識や知恵で満たされていましたが、マイケルは、それをすべて入れたままにしておくように私に命じました。彼は、ユダヤの人々や、その教えから瞬時に「エホバの証人」との類似や、同様の契約を感じたようです。

Michael was an African-American male who told me that he and his family had experienced a great deal of discrimination in their lives. Surely it is adding insult to injury to accuse Michael of a racism that was never expressed through his actions and never felt in his heart.

マイケルは、アフリカ系アメリカ人として、彼も、彼の家族も、人生で多くの差別を経験したと私に語りました。彼の行動にも、心の中にも、一度もなかった人種差別主義によって、彼を非難することは、彼がそれまで受けてきた傷に塩を塗るようなものです。



Shmuley Boteach, "America's Rabbi," is the international bestselling author of 27 books and has just published Kosher Jesus. He is currently running for Congress to represent New Jersey's Ninth District. His website is shmuleyforcongress.com. Follow him on Twitter @RabbiShmuley.

シュムリー・ボアテック(Shmuley Boteach アメリカのユダヤ教指導者)は、27冊の国際的なベストセラーをもつ作家で『Kosher Jesus』は、彼の最新刊です。また、彼は、ニュージャージー州の9番地区の議会のために奔走中です。彼のウェブサイトは「shmuleyforcongress.com.」で、ツイッターは「@RabbiShmuley」をフォローしてください。

source : http://www.huffingtonpost.com/rabbi-shmuley-boteach

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Pop superstar Michael Jackson finds a quiet corner to sit in at Israel's Masada, the legendary last outpost of Jewish zealots who fought against the Romans nearly 2,000 years ago, in Masada, in this September 19, 1993 file


註1
◎mezuzah(メズーザー)画像検索
◎mezuzah(メズーザー)Wikipedia
トーラーに書かれている戒律が記された巻紙がケースに入っている。ドアなどに取り付けることが多く、結婚式などの贈り物としても、一般的。

註2
◎Carlebach(MJが訪問したシナゴーグ)
◎Celebrities Grace the Carlebach Shul’s Annual Dinner June 20th 2011, NY

(上記の記事)マイケルは、その訪問を「人生最高の日」と言った。
THE CARLEBACH SHUL has had many celebrity visitors before. Michael Jackson called his visit the best day of his life.

註3
2011年のパーティーでは『Black Or White』のSFに出演した、マコーレー・カルキン(Macaulay Culkin)も出席。
◎Carlebach Shul’s Annual Dinner June 20th 2011, New York City

父親役のジョージ・ ウェント(George Wendt)の姿も。
◎Carlebach Shul’s Annual Dinner June 20th 2011, New York City
◎ジョージ・ウェント、MJとの「ブラック・オア・ホワイト」ビデオ製作について語る

註4
エリ・ヴィーゼルの名言
There are victories of the soul and spirit. Sometimes, even if you lose, you win.
魂と精神の勝利というものもある。時には、たとえ負けても勝つのだ

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photo : Elie Wiesel


◎エリ・ヴィーゼル(Wikipedia)
Wikipediaの記述にある批判は、ノーマン・フィンケルシュタインの著書『ホロ・コースト産業』によって、大きな話題になりました。

◎[参考記事]『ホロ・コースト産業』について
イスラエル・ロビーが、米国政治にどれほど大きな影響を与えているかについては、やはり、ユダヤ人の2人の国際政治学者による『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』に詳しく書かれています。

民間人の被害にいっさい躊躇することなく、大都市の生活の場を焼き払った空爆や、広島・長崎への原爆を「ホロ・コースト」と呼ぶどころか、自己批判することしか思いつかなかった、私たち日本人に、ユダヤ人同士の争いのことはわかりませんが、、、

シュムリーは、あくまで、マイケルは、ユダヤの良き友人で、その痛みを深く共有する人物だったことを説明しているだけなので、どうか誤解なきように。それに、MJが、イスラエル・ロビーの利益に偏ることがなかったということは、イスラム社会での絶大なマイケル人気や、彼の交友関係からも明らかですよね。

☆エリ・ヴィーゼルと、ノーマン・フィンケルシュタインの参考記事(私はフィンケルシュタインが本物なのかどうかは知りませんが…)
◎私の闇の奥「Jester としてのマイケル・ムーア」

☆エリ・ヴィーゼル財団の「Humanitarian Award」は、1994年はヒラリー・クリントン、2002年はローラ・ブッシュ、2007年はオプラ・ウィンフリーが受賞。

Elie Wiesel Foundation Humanitarian Award.
On May 20th,Oprah Winfrey was honored in New York by the Elie Wiesel Foundation with their Humanitarian Award. The award honors individuals who dedicate their time to fighting indifference, intolerance and injustice and whose accomplishments are consistent with the goals of the Foundation. Past recipients include First Lady Laura Bush in 2002 and Senator Hilary Clinton in 1994.

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photo : Oprah Winfrey, Elie Wiesel


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by yomodalite | 2012-06-06 09:03 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(9)
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☆Two Seas Records[2]の続き

「地味な作業」の最後です。翻訳作業に、疲れてきたので、、ますます「ヤバい」恐れがあります。引きつづき、日本語部分には、充分にご注意のうえ、お気づきの点は、ご指摘いただけると大変助かります。


2 SEAS RECORDS SPEAKS ON KATRINA SINGLE

Michael Jackson's long-awaited charity single wasn't written by him. In fact, the lyrics were commissioned for a contest that was won by a songwriter who was subsequently kicked to the curb rather than rewarded for his work.

マイケル・ジャクソンの待ちに待ったチャリティー・シングルは、彼によって書かれませんでした。その歌詞は、マイケルの作品として、報酬を与えられたのではなく、コンテストで優勝したソングライターに対して、契約を蹴られた仕事への拘束に対してでした。

Ric Kipp, who describes himself as being in his mid-40s, is a veteran Nashville musician who works in a local wine store for $9 an hour. In 2002, he entered a songwriting competition sponsored by AOL on behalf of writers-producers David Foster and Carole Bayer-Sager for their now defunct music company, Tonos(their other partner was Kenny "Babyface" Edmonds).

Ric Kipp(40代中頃と自称)は、地方のワイン店で、1時間当たり9ドルで働く、ナッシュビルのベテラン音楽家です。2002年、彼は、今は亡き音楽関係会社、Tonos(ケニー「ベイビーフェイス」エドモンズが関係者として知られる)のために、作曲家でプロデューサーでもある、デヴィット・フォスターや、キャロル・ベイヤー・セイガーらを審査員とする、AOL主催の作曲コンテストに出場しました。

The contest promised the winner that Jackson would record their song and possibly place it on an album. The song would be used for charitable purposes. Jackson was advertised as the composer of the instrumental part of the song.

コンテストは、ジャクソンが彼らの歌をレコーディングし、アルバムに収録することや、歌が公益のために使用されるだろうと、優勝者に約束し、ジャクソンは、その曲を完成させるための協力者になっていると報道されていました。

But now the song, called "I Have This Dream," could be part of an interesting authorship dispute. Kipp won the contest with his lyrics. Kipp tells me that when he was brought to a Los Angeles studio for the prize recording, Foster told him he was excited about the lyrics and wanted to use his work. But the award-winning Bayer-Sager, Kipp says, was intent on using her own lyrics.

しかし、現在、"I Have This Dream" と呼ばれるこの曲の一部には、興味深い原作者論争があります。Kippの歌詞はコンテストに勝利しました。Kippが、私に語ったところによれば、コンテストの勝利者として、ロサンジェルスのスタジオに連れて来られた時、フォスターは、彼に、歌詞に興奮し、仕事で使用したかったと伝えたといいましたが、賞を授与したベイヤー・セイガーは、自分の歌詞の使用に余念がありませんでした。

Unfortunately, this would completely contradict the press release Tonos, Jackson and AOL released on May 10, 2002, which included this wordage :

不運なことに、これは、2002年5月10日、Tonos が発表したプレス・リリースや、ジャクソンおよびAOLのリリースと完全に矛盾するでしょう。それには、こんな言葉が含まれていました:

"The contest gives AOL members the opportunity to co-write a song with the BMI-affiliated "King of Pop," as well as with Foster and Bayer-Sager. The winning submission will be recorded by Jackson himself and may be released as part of an upcoming album. All proceeds from the song will be donated to children's charities around the world."

「コンテストは、AOLのメンバーとして、フォスターやベイヤー・セイガー同様、BMIと提携している "King of Pop" とも共同で作曲する機会を与えます。優勝者には、ジャクソン自身によってレコーディングされ、来るべきアルバムの一部としてリリースされるという任務があり、その曲の売り上げは、世界中の子供たちへのチャリティーに寄贈されるでしょう」

Kipp tells me that after he won the contest he was brought out to Los Angeles. Tonos and AOL gave him $1,500 for expenses, did not put him up at a hotel and kept him waiting in the studio for Jackson for several days before giving up the ghost. Jackson was simply not coming. He never did show for the promised recording session.

Kippは、コンテストに勝利した後、ロサンジェルスに連れ出されたと語る。Tonos と AOL は経費として、彼に1,500ドルを与え、ホテルに置いたまま、彼が諦めるまで、スタジオではジャクソンを数日間待っていましたが、ジャクソンは来ませんでした。彼は約束されたレコーディングセッションを一度も見せることはありませんでした。

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Kipp says he not only wrote the lyrics but composed a musical "bridge" for Foster, who recorded the finished product with one of Faith Hill's female back-up singers.

Kippは歌詞を書いただけでなく、フォスターによるミュージカル「ブリッジ」を作曲し、フェイス・ヒルの女性バックボーカルの歌手と完成品をレコーディングしたと言います。

Kipp says that Foster's son-in-law, Simon Gillies, even videotaped the writing sessions for a possible documentary about the contest. In the end, Kipp says he went home and "I never heard from any of these people again."

Kippは、サイモン・ギリーというフォスターの義理の息子と、コンテストに関するドキュメンタリーの可能性についての議論も録画しましたが、結局、Kippは帰宅後「二度とこれらの人々の誰からも便りをもらうことはなかった」と言う。

Gillies, who ran the A&R department for Tonos, confirmed for me that he did tape the writing sessions. He also revealed that that Foster, his father-in-law and not Michael Jackson, wrote the music for the song with one of his associates. "Jackson had nothing to do with it," he said.

TonosのためA&R部門を運営していたギリーは、私のために、彼が作曲したセッションを録音し、さらに、マイケル・ジャクソンではなく、彼の義父であるフォスターが、彼の仲間のうちの1人と、その歌のための音楽を作曲したことを明らかにしましたが、「ジャクソンは、それとは、まったく関係がありませんでした」

Cut to the other day, when a friend told Kipp he'd read about Jackson's new charity single called "I Have This Dream." If it's ever released, the single is intended to help the people of the Gulf Coast, even though the hurricane is now almost five months in the past and other artists have already put out their own singles.

日を置いた別の日に、Kippの友人が彼について語ったところによれば、Kippが、"I Have This Dream"と呼ばれる、ジャクソンの新しいチャリティソングについての記事を読んだのは、ハリケーンが起こってから、およそ5ヶ月を過ぎた頃で、それがリリースされるのは、湾岸地域の人々を助けるためで、(自分以外の)他のアーティスト達によって「シングル曲」になるだろうということ。

Ironies abound here : Kipp told me when I spoke to him that he's originally from New Orleans and that his family home was wiped out by Katrina, so his relatives might benefit from any money raised by charity singles.

ここには、いくつかの「アイロニー」があります:私が彼と話をしたとき、彼はニューオリンズから、実家がカトリーナによって、徹底的に破壊されたと、私に伝えました。したがって、彼の親類は、チャリティー・シングルによって、調達された資金を、受け取ることができるかもしれません。

Unfortunately for Kipp, the "dream" in the title has become a nightmare. At first he thought winning the contest would be a breakthrough for him in the music industry. Back in 2002, when he won the contest, he thought he'd made it at last. Instead, the roller coaster ride that ensued more or less undid him.

不運にも、Kippには、タイトルの中の「夢」は悪夢になりました。最初、彼はコンテストに勝つことが、音楽産業での突破口だろうと思いました。後に、彼は、2002年にコンテストに勝ったとき、ついにそれが出来たと思いましたが、その代わり、彼には、多くの浮き沈みが、次々と起こることになり、それが彼を滅ぼしました。


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Dr. King's famous 'I Have A Dream' speech


"Rich people don't realize what something like this does to you," he told me. "It was like the boy who cried wolf. We thought everything was going to come from this."

「裕福な人々は、それが、どういうことになるか説明しようとしません」と、彼は私に言う。「それは、オオカミが来ると、嘘を言った少年のようなもので、わたしたちは、それが、これからやってくるのだと思っていました」

Alas, things turned out quite differently. "We were promised everything and got nothing," he said.

哀しい哉、そこからの展開は違っていた。「私たちは皆、約束されていたことについて、何も得ませんでした」

Now, of course, there's a problem. Jackson's publicist Raymone K. Bain told me: "Kipp won the contest but his lyrics weren't deemed worthy of a song sung by Michael Jackson. Carole told me she rewrote them."

さて、当然ですがここには問題があります。ジャクソンの広報であるレイモン・ベインは、私に語りました。「Kippは、コンテストに勝ちました。しかし、彼の歌詞はマイケル・ジャクソンによって歌われるのに相応しいとは考えられませんでした。キャロル・ベイヤー・セイガーは、私に、彼女がそれらを書き直したと伝えました」

Bayer-Sager says that Kipp's lyrics were simply not good enough, and that in the end she, Foster and Jackson rewrote them.

ベイヤー・セイガーは言う。Kippの歌詞は、単純に言えば、充分ではありませんでした。それで、結局、彼女と、フォスター、ジャクソンによって、それらを書き直したのです。

"It was always understood that Michael wouldn't record the song if it wasn't up to our standards," she said.

「もし、その曲が、私たちの標準レベルになければ、マイケルがレコーディングしないことは想像できました」と、彼女は言う。

That this philosophy undermines the whole reason for having a contest and selecting a winner was a subject she didn't broach.

このコンテストは、ある哲学をもっており、それは、彼女が勝利者を選ぶことに、消極的になることが出来ないテーマでした。

What does seem to have happened, from reading over lyric sheets that Kipp sent me, is that he won with one set of lyrics, then Foster and Bayer-Sager began massaging them. Eventually, a finished song was produced, with a combination of lyrics. But in the intervening time, Kipp's contribution was cut to nil, and now nearly nothing remains of his work.

ハプニングが起こったように見えるのは、彼は、歌詞セットのひとつとして優勝しましたが、Kippの歌詞が読まれた後に、私が派遣され、それで、フォスターと、ベイヤー・セイガーによって練り上げられたからです。結局、曲は、歌詞のコンビネーションがない状態で、完成し、その過程に、Kippの貢献が介在した時間も、また、彼の仕事として、今、残っていることも、ほとんどない状態です。

Bayer-Sager, Foster and AOL are all part of the Time Warner family. Bayer-Sager has had a long association with the company; she is the wife of former longtime Warner Bros. co-chairman Robert Daly.

ベイヤー・セイガー、フォスターとAOL は、すべて「タイム・ワーナー」の傘下です。ベイヤー・セイガーは、その会社で、最も長く関係があり、彼女は、以前、ワーナーブラザーズの会長、ロバート・ダーリーの永年の妻でした。

Foster has produced and recorded exclusively for the Warner Music Group since long before it was sold to a group of investors. And AOL was famously merged into Time Warner several years ago.

会社が、投資者グループに売られる、ずっと前から、フォスターは、その多くの作品を、ワーナー・ミュージック・グループのために制作し、レコーディングしていて、また、AOLが、数年前にタイム・ワーナーへ合併されたことは有名です。

Source : http://www.michaeljackson.com(表題と関連しない部分は省略)


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『Michael Jackson For The Record』より

I have This Dream

Song Michael wrote with Carole Bayer Sager and David Foster. subject of a song-writing contest organised by "Tonos Entertainment" and "AOL Music".A statement released by Tonos read :

曲は、マイケルと、キャロル・ベイヤー・セイガー、デヴィッド・フォスターによって書かれました。Tonos Entertainment 主催、AOL Music後援の、作曲コンテストの際の、Tonos による発表

"Music serves as a salve for what ails the human spirit and a remedy to the soul during troubled times. Now, these three musical icons have created an inspiring musical landscape entitled I Have This Dream, and they're asking AOL members to come up with an optimistic and uplifting lyric, to complete this anthemic song"

「音楽は、問題の多い時代に、人の魂や、精神を治療し、苦しみを癒すことに役立ちます。さて、これらの3つの音楽アイコンは、創造し、人を元気づけるような音楽のある風景を有しています。私はこんな夢を見ます。そして、AOLのメンバーの方から、楽観的で気持ちを引き上げてくれるような歌詞が来ることによって、それらが暗示するように完成されることを願います」

The contest attracted over 1,000 entries and was won by Ric Kipp, whose lyric "best reflected our vision for the song".

そのコンテストには、1000以上のエントリーがあり、優勝は、Ric Kipp。その歌詞は「最も私たちのヴィジョンを反映した曲」だった。

Widely expected to be included on Michael’s album, INVINCIBLE, but didn’t feature. Speaking to TV Guide in November 1999, Michael said :

マイケルのアルバム「INVINCIBLE」に収録されると、大きな期待をされましたが、そうなりませんでした。1999年11月号の「TVガイド」で、マイケルはこう言っています。

"There’s a song on the album called I Have This Dream. It’s a millennium song about the world and the environment, that I wrote with Carole Bayer Sager and David Foster".

「I Have This Dream」と、呼ばれる曲は、アルバム上にあります。それは、世界と、環境に関するミレニアムの曲として、キャロル・ベイヤー・セイガー、デヴィッド・フォスターと一緒に、僕が書きました。

◎Interview with TV Guide Magazine (1999)

Version, with numerous guest vocalists including R. Kelly, Snoop Dog, James Ingram, Shanice, the O’Jays and Michael’s brother, Jermaine, slated for release in early 2006, in aid of the victims of Hurricane Katrina. Played during a court disposition in London in 2008 - remains unreleased.

R. ケリー、スヌープ・ドッグ、ジェームズ・イングラム、シャニース、ザ・オージェイズ、マイケルの兄弟、ジャーメインなどを含む、大勢のゲストボーカリストの参加し、ハリケーン・カトリーナの犠牲者の支援のために、2006年の最初にリリースする計画で、2008年に、ロンドンでの裁判の処分の間に演奏されましたが、リリースはされませんでした。


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リリースされていない曲だけど、、途中で「プライヴェート・ムービー」での、MJのツアーに対しての発言が含まれているものが多いのだけど、どうしてなのかな?(MJの意志なの?ご存知の方は、是非教えてくださいませ)下記は「含まれていない」もの。

◎Michael Jackson - I Have this dream

下記は、現在流通している「歌詞」。

これが、上記で言っているように、MJが、ベイヤー・セイガーや、フォスターと一緒に書いたものなのか、Kippなのかは不明(ご存知の方は、是非教えてくださいませ)


"I Have This Dream"

verse 1

some people say
I live in a fantasy
because I see the world
differently
visions come to me
in my sleep
I closed my eyes
to see what God is showing me

close your eyes
and imagine with me
see the wonder
in every living thing
if we can live our lives
the way it is in my dreams
love will take us to a place where
god can be seen

this is my dream

I have this dream
this i believe
the world a place for all humanity
if we could take love to it's highest level
more than the world has ever seen
I have this dream

verse 2

let's put Gods love opn display
angel of love come my way
it really up to you and me
one world together in harmony

in my dream I see heaven
and the face of the one perfect being
I see people turning into angels
and God giving them their wings

this is my dream

chorus

I have this dream
this I believe
the world's a place
for all humanity

if we could take love
to it's highest level
more than the world has ever seen
I have this dream


repeat chorus
copyright c 2002 Eugene Kitt
http://www.metrolyrics.com/

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by yomodalite | 2012-05-31 13:33 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(0)

Two Seas Records[2]

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August, 2005 Gala Dinner in Dubai



Two Seas Records[1]に、引きつづき「地味な作業」を続けます。日本語部分は、充分ご注意の上、お気づきの点は、お気軽に、ご指摘頂けると大変助かります!


AliCat
Joined: Mar 2009
United States
Wednesday, February 2, 2011 - 16:40
2 Seas Records Speaks On Katrina Single

May 10, 2006


BAHRAIN-BASED record label 2 Seas Records has denied reports that it refused to hand over a Michael Jackson charity song. Fox News reported that the company was holding onto the master tapes of the charity single I Have a Dream, which was due to be released to raise money for US victims of Hurricane Katrina.

バーレーンに拠点をおくレーベル「2 Seas Records」は、マイケル・ジャクソンのチャリティーソングの配給を拒絶したというレポートを、否定しました。FOXニュースは、会社がチャリティーソングのマスターテープ「 I Have a Dream」を保持していると報道しました。それは、米国のハリケーン・カトリーナの犠牲者のための資金を調達するためにリリースされる予定でした。

However, a 2 Seas Records spokesman said it had received no request to deliver the tapes. "2 Seas co-operated to the utmost in every way we could," said the spokesman. "We paid for the whole production and gave Michael everything he needed. "As for the delivery, there was never any request to hand over the tapes."

しかしながら、「2 Seas Records」のスポークスマンは、テープを流通させるという注文は受けていなかったと言う。「2 Seas Records は、できる限りの方法で最大限に協力しました」「私たちは、生産全体の代価を払い、必要としたものすべてをマイケルに与えましたが、テープの配給や、流通させるという注文はありませんでした」

The spokesman said that he wasn't aware of Jackson's intentions or whether the superstar intended to break his ties with Bahrain. Meanwhile, Bahrain-based AAJ Holdings - which hired Jackson to provide advice on creating theme parks and music academies - has refused to comment on reports of a split.

スポークスマンは、ジャクソンの意図や、スーパースターが、バーレーンとの関係を絶つつもりだったかについては、気づいていなかったと言います。その間、バーレーンの「AAJホールディングス」(テーマパークおよび、音楽アカデミーを作ることについて、ジャクソンをアドバイザーとして雇っていた)は、分裂の報道に関してコメントすることを拒否しました。

Fox News again reported the separation, but a spokesman for the company said it could not comment because the matter was "still confidential". Internet sites have reported that the superstar plans to join forces with producer Teddy Riley, who worked with him on his Dangerous album. They said they plan to work together on his comeback album, which is reportedly scheduled for release next year.

FOXニュースは、再び、彼らの分裂を報道。しかし、会社のスポークスマンは、その問題が、まだ「極秘事項」だったので、コメントすることができなかったと言い、インターネット・サイトは、協同制作者である、テディー・ライリー(アルバム『デンジャラス』で協働した)と、スーパースターが協力する計画があると報道しました。彼らは、彼の復帰アルバム(伝えられるところによれば、それは来年リリースの予定)で、相互に協力する計画であるという。

Recording artists said to be involved in I Have a Dream include Keisha Cole, Ciara, Snoop Dogg, Babyface and R Kelly. It was written by Jackson in response to the disaster, which occurred in August last year and was the most destructive and costliest natural disaster in the history of the US

『I Have a Dream』に関係すると言われていたレコーディング・アーティストは、Keisha Cole、Ciara、Snoop Dogg,、Babyface および、R Kelly。それは、昨年8月に生じた、米国の歴史上、最も破壊的で、最も被害の大きい自然災害に応じて、ジャクソンによって書かれました。


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Michael In Bahrain 2005 - 2006



Two Seas Records

Two Seas Records is a record label based in Bahrain. Guy Holmes, is named as CEO of Two Seas Records. Holmes also remains chairman of London-based independent record label Gut Records.

Two Seas Records はバーレーンに本拠があるレーベル。ガイ・ホームズがCEOとして指名されていますが、ホームズは、依然として、ロンドンの独立したレーベル「ガット・レコード」のチェアマンのままです。

On April 18, 2006, Michael Jackson, seeking to continue his singing career after being acquitted on sex abuse charges, signed an exclusive recording contract with Two Seas Records to record a new album set for release in 2007.

2006年4月18日、性的虐待罪に対し無罪を宣告された後、歌手としてのキャリアを継続しようと努力するマイケル・ジャクソンは、2007年にリリースの準備ができていた、新しいアルバムのレコーディングについて、Two Seas Records との独占契約に調印しました。

In September 2006, Jackson's publicist, Raymone Bain, announced that Michael Jackson has left 2Seas. She says Jackson will be recording his comeback album on his newly formed business/record label, The Michael Jackson Company, Inc. However Guy Holmes says Jackson never finalized a deal with the label in the first place.

2006年9月に、ジャクソンの広報担当(レイモン・ベイン)は、マイケル・ジャクソンが「Two Seas Records」を離れたと発表し、新しいビジネスおよびレコードレーベルである、マイケル・ジャクソン・カンパニー株式会社で、ジャクソンは、カムバック・アルバムをレコーディングするだろうと言います。しかしながら、ガイ・ホームズは、ジャクソンが、レーベルでの取り引きを完了しなかったと言います。

Source : http://www.michaeljackson.com(表題と関連しない部分は省略)

☆参考記事「The Guardian」
Michael Jackson, the sheikh and the comeback album
that came too late(26 June 2009)


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Michael Jackson's popularity in the Arab world!!!



[2008年11月18日]
バーレーンのアブドラ・ビン・ハマド・ハリファ(Sheikh Abdulla bin Hamad Al Khalifa)王子が17日、米有名歌手のマイケル・ジャクソンさんを、契約不履行で470万ポンド(約6億8000万円)の返済を求める訴えを、ロンドンの高等法院に起こした。

王子の弁護人によると、王子は、2005年の児童性的虐待裁判の後、経済的に貧窮していたジャクソンさんを金銭面で援助していたという。ジャクソンさんのスタッフからの依頼で「ネバーランド」公共料金として3万5000ドル(約340万円)を、その後も100万ドル(約9600万円)を支払ったこともあった。そのほか、ジャクソンさんの裁判費用220万ドル(約2億1000万円)も含め、王子がジャクソンさんのためにさまざまな支払いを立て替えていたと、弁護人は主張している。

王子はさらに、ジャクソンさんのミュージシャンとしてのキャリアを復活させようと、独自のレーベルでCDのリリースを予定していた。レコーディングは児童性的虐待裁判が結審した翌日に実施され、作詞作曲は王子が担当。このCDの売り上げを2004年のスマトラ島沖地震による津波の被害者救済のために寄付する予定だったと、王子は述べている。ちなみにこの曲は、法廷で公開される予定だ。

王子は、こうしたプロジェクトのためジャクソンさんに事前に支払っていた必要経費、470万ポンド(約6億8000万円)の返済を求めて、今回の訴訟を起こしたという。

一方、ジャクソンさんは王子から受け取った金銭は「贈り物だった」として、王子の主張を否定している。裁判所に出廷していないが、ロサンゼルス(Los Angeles)からテレビ電話で参加。「王子は誤解している」などと述べ、2人の間には契約が成立したプロジェクトは1つもなかったと反論している。(c)AFP

Source : http://www.afpbb.com/

[2008年11月19日]
米歌手マイケル・ジャクソンさんを契約不履行で訴えているバーレーンのアブドラ・ビン・ハマド・ハリファ王子が、「ジャクソンさんに裏切られた」と思っていることを明らかにした。18日、ロンドンの高等法院に出廷した王子の弁護人が述べた。王子の弁護人によれば、王子はジャクソンさんと契約を結んでいたという。

契約書には、ジャクソンさんが音楽アルバムの発売、自叙伝の出版、公演活動を行うにあたり、王子が事前に必要経費を支払い、ジャクソン氏の作品収益の印税などから700万ドル(約6億8000万円)を受け取ると明記されていたという。

ところがその後ジャクソンさんがこの契約を守らなかったとして、王子が事前に支払った必要経費700万ドルの返済を求めたところ「贈り物だった」として断られたという。 
 


18日に出廷した王子の弁護人は、「親友だと思っていた人物だったので、王子は手ひどく裏切られたと思っている」と述べた。一方ジャクソンさんは、2人の間には契約が成立したプロジェクトは1つもなかったと反論している。ジャクソンさんは2005年、児童性的虐待裁判が結審したあと、子どもたちやスタッフを連れてバーレーンを訪れ、2006年5月に欧州や日本に向かうまで滞在していた。

ジャクソンさんの弁護人は、「王子はジャクソンさんに対し、とても親切だった」としながらも、「問題の契約は、両者による共同事業における契約上の合意だが、実質的に成立した契約ではなかった」と主張している。(c)AFP

Source : http://www.afpbb.com/

[2008年11月21日]
契約不履行でバーレーンのアブドラ・ビン・ハマド・ハリファ王子に訴えられている米有名歌手マイケル・ジャクソンさん(50)が来週、英高等法院に出廷し証言する見通しとなった。ジャクソンさんの弁護士が20日、発表した。

弁護士のRobert Englehart氏は、ジャクソンさんは不特定の病状により米ロサンゼルスからビデオ中継で証言するとの同法院への申請を撤回するとし、「ジャクソンさんは医師から、2日以内に渡航する許可をもらった」と述べた。ジャクソンさんは今週末に英国入りし、24日に証言する予定。

英国放送協会(BBC)によると、これに先立ち高等法院ではジャクソンさんは不特定の病状を抱えており、出廷して証言することはないとの見通しが伝えられていた。だが弁護団は、「適切な身支度」によりジャクソンさんはロンドンで証言することも可能だと語っていた。(c)AFP/Prashant Rao

Source : http://www.afpbb.com/

[2008年11月24日]
M・ジャクソン裁判、バーレーン王子との示談成立
米有名歌手マイケル・ジャクソンさんをバーレーンのアブドラ・ビン・ハマド・ハリフ王子が契約不履行で訴え、700万ドル(約6億8000万円)の返済を求めている裁判で、示談が成立した。

ジャクソンさんの広報担当が23日、明らかにした。ジャクソンさんが証人として出廷するため、裁判の行われているロンドンに向かう飛行機に搭乗する直前、弁護団から主な内容に関して示談が成立したとの知らせが届いた。この示談成立により、ジャクソンさんは24日の裁判には出廷しないという。(c)AFP

Source : http://www.afpbb.com/

たった6日で示談が成立!(怪w、バーレーンの王子はMJのSONY交渉に協力してる?w






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by yomodalite | 2012-05-30 10:08 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(0)

Happy Birthday La Toya!!!

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photo : March 31, 2010

今日は、ラトーヤのお誕生日(5月29日)!!!

写真・動画ともに、大体「古→新」で並べてありますが、
写真と動画の年代は異なっています。
また、ラトーヤの顔に興味があるという方には「レーシック手術」動画をお薦めします!

☆1980年の「アメリカン・バンド・スタンド」
◎[動画]Dick Clark Interviews LaToya Jackson - American Bandstand 1980

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photo : June 16, 2004 Crest Whitestrips Style Awards

☆三姉妹の中でも、子供の頃から、ラトーヤだけ「黒人の血」が流れてないって感じ。
◎[動画]Save The Bones For Henry Jones live on the Jacksons Show

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photo : May 29,2008 birthday party special guest RuPaul
◎[動画]RuPaul(ル・ポール)バイオグラフィー

☆ジャー兄の「ダイナマイト」ダンスに続いて、ラトーヤが登場!
◎[動画]Solid Gold Dancers with LaToya Jackson - First Show of Season 5

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photo : October 31, 2009 Millions of Milkshakes in West Hollywood

◎[動画]Bad Girl (Official Music Video)

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photo : March 31, 2010

◎[動画]LaToya Jackson performing "Such A Wicked Love" in 1989

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photo : October 11, 2010 in West Hollywood 
(右から)Kathy Hilton, LaToya, Paris Hilton(パリスが大根足に見えてしまう)


☆眉毛が気になる人もいると思うけど、、80年代はみんなこうだったのだ(驚)
◎[動画]LaToya Jackson's Step Up Workout Intro

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photo : October 25, 2010 "The Celebrity”

☆欧州ではキャラが魅力的なら、、歌ヘタでもOKという文化があるよね!
◎[動画]LaToya Jackson in Mexico

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photo : June 17, 2011 BOA steakhouse restaurant in West Hollywood

◎[動画]La Toya Jackson - SexBox Video

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photo : June 28, 2011, Barnes & Noble at The Grove

◎[動画]Celebrity Big Brother 2009 Latoya Jackson Enters The House

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photo : June 28, 2011, Barnes & Noble at The Grove

◎[動画]La Toya Jackson In Poland

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photo : June 28, 2011, Barnes & Noble at The Grove

☆1、2年前のレーシック手術。「スッピン」ラトーヤがいっぱい見られます! 
3:23分~ メイクしてないと少女時代とあんまり変わってない????(驚)

◎[動画]La Toya Jackson's Eye Surgery Part 3 of 3

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photo : February 23, 2012 visiting the 'Wendy Williams Show' in New York

◎[動画]"Starting Over" on La Academia

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photo : May 18, 2012 "Glam Rock To Erase MS"


そういえば、、

リビーも今日が誕生日!



☆リビーは歌いだすと、急激に「黒い血」が騒ぐという感じがする
◎[動画]Rebbie Jackson performs Ticket to Love (1986)

☆チープトリックのロビン・ザンダーとのデュエット!
◎Robin Zander & Rebbie Jackson : "You Send the Rain Away"

☆2011年のライブ、MJの「Fly Away」を歌う
◎Rebbie Jackson: Fly Away (Live)




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by yomodalite | 2012-05-29 14:36 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(0)

Two Seas Records[1]

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(左から)Abdulla Hamad Al-Khalifa, MJ, Guy Holmes



MJのレコードレーベル「Two Seas Records」に関する記事です。インヴィンシブル以降のMJの行動を探る「地味な作業」で、面白いところはありません。

また、いつもどおり「ヤバい英語力」を最大限駆使して訳していますので、お気づきの点は、遠慮なくご指摘いただけると、大変助かります。

Michael Jackson Sails With Two Seas

Michael Jackson has taken a step towards a return to his musical career by signing an exclusive recording agreement with Bahrain-based Two Seas Records. The label is a joint venture between the embattled pop star and Abdulla Hamad Al-Khalifa.

マイケル・ジャクソンは、バーレーンに拠点を持つ「Two Seas Records」と独占的なレコーディング協定に署名することで、彼の音楽キャリアへのカムバックの一歩としました。そのレーベルは、戦闘準備が整ったポップスターと、Abdulla Hamad Al-Khalifa(アブドラ・ビン・ハマド・ハリファ Sheikh Abdulla bin Hamad Al Khalifa の表記も)との合弁事業です。

Jackson, who has been in Bahrain since shortly after his June 2005 acquittal on child molestation charges, is said to be working on new material. A new album is tentatively scheduled for release in "late 2007," according to a statement.

ジャクソン(児童性的虐待罪への無罪判決の直後、バーレーンに行ったことがある)は、新しいタイプの仕事に取り組んでいると言われ、新しいアルバムは、2007年の終わり頃、リリースの予定であると発表された。

"I am incredibly excited about my new venture and I am enjoying being back in the studio making music," Jackson says.

僕は、新しい事業に信じられないほど興奮し、スタジオで音楽を創るために戻ることを楽しんでいます。とジャクソンは言う。

U.K. record executive Guy Holmes has been tapped as CEO of the Two Seas label and will also be tasked with managing Jackson's other business interests.

英国のレコードの代表取締役、ガイ・ホームズは「Two Seas label」のCEOとして要請され、また、ジャクソンの他の重要な仕事の管理者でもある。

Holmes will also remain chairman of Gut Records, which last spring scored a massive U.K. hit with Crazy Frog's version of "Axel F," essentially a popular ringtone attached to a manic animated character. Gut has also released music from Tears For Fears, the Wildhearts, Sparks, Fannypack and Aswad.

ホームズは「Gut Records」のチェアマンのまま、去年の春は massive U.K で、Crazy Frog の "Axel F" という有名なアニメキャラクターの着メロをヒットさせ、Gut Records では、Tears For Fears、the Wildhearts、Sparks、Fannypack and Aswad の音楽をリリースしました。

Holmes' Gut label is already promoting an association with Jackson, as a digital player on its Web site is streaming a Hi Tack remix of his 1983 hit "Say Say Say," subtitled "Waiting for U."

ガットのウェブサイトでは、デジタル・プレーヤーにより、ジャクソンとの関係がすでにプロモーションされていて、彼の1983年のヒット曲 "Say Say Say" がリミックスされ、そこには、"Waiting for U" (あなたを待っている)のサブ・タイトルが付けられています。


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2005年10月、ロンドンのホテル駐車場でファンに囲まれるMJ。このときの映像は「Two Seas Records」から発売された(めずらしくサングラス外して、撮られる気全開だと思ったら、売る気まで満々だったとはw)


In his earliest solo years, Jackson recorded for Motown, which had been home to his sibling group, the Jackson 5. The group shifted to Epic in the mid-1970s and in 1979 released Jackson's breakout solo album, "Off the Wall." His international superstardom was solidified with subsequent albums "Thriller" (1982), "Bad" (1987) and "Dangerous" (1992).

彼のもっとも初期のソロ活動は「モータウンレコード」からでした。ジャクソン5という彼の兄弟グループで、1970年代の中頃から「エピック」に変更になり、1979年、ジャクソンはそのグループから離れ、ソロアルバム「オフ・ザ・ウォール」で、国際的なスーパースターになり、その後「スリラー」(1982)、「バッド」(1987) 、「デンジャラス」 (1992)で、さらに、その座は確固たるものになりました。

His final studio set for the Epic was 2001's "Invincible," which debuted at No. 1 on The Billboard 200 and has sold more than 2 million copies in the United States alone, according to Nielsen Soundscan.

Nielsen 調べによれば、彼の最後のスタジオアルバムは、2001年のエピックによる「インヴィンシブル」で、それは、ビルボード200において初登場1位、アメリカだけで200万枚を超える販売枚数を売り上げました。

Jackson accused the label of poor promotion, which led to a public spat with label parent Sony and its then president, Tommy Mottola. Epic has continued to mine the artist's career with a string of releases since then.

ジャクソンは、貧弱なプロモーションを行ったそのレーベルと、当時の社長トミー・モトーラを告発し、諍いへと発展しました。エピック自身は、契約を継続し、アーティスト(MJ)のリリースは、その時以降も続けられています。

Holmes appointment to effectively manage Jackson's career comes on the heels of reports last week that Jackson, in a move to stave off insolvency, has reached a deal with creditors to refinance more than $200 million in loans secured by his stake in the Beatles' song catalog.

ホームズが、ジャクソンの仕事を有効に管理するという契約は、ジャクソンが、ビートルズの曲を含むカタログを担保にした、債権者への支払い不能を避けるための動きで、2億ドル以上のローン財政を立て直すことで合意した、先週の報告書のすぐ後に続いて行われた。

Jackson had been living off his 50% share of the Sony/ATV Music publishing catalog, which includes more than 250 copyrights from the Beatles. Jackson purchased ATV in 1985. Ten years later, in a deal orchestrated by his longtime attorney John Branca, Jackson merged ATV with Sony's music publishing division; the entire catalog is valued at around $1 billion.

ジャクソンは、Sony/ATV ミュージックのカタログの50%のシェアを頼りにしていて、それは、ビートルズの250を超える著作権を含んでいます。ジャクソンは1985年にATVを購入し、10年後に、彼の永年の弁護士、ジョン・ブランカによって、その版権の所有は、ソニー・ミュージックとの合併事業にしました。全カタログの価値は、約10億ドルと評価されています。

Source : www.billboard.com

☆上記の写真と同じ場面の動画。あの裁判の終了後から4ヶ月後。
◎[動画]Michael Jackson In London 2005


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October 2005 London Visit



2 Seas Records Out / Teddy Riley In - New Album 2007!!!!!!!
Michael Jackson : Leading the New Jack Swing revival?
The pop megastar working with Teddy Riley


Michael Jackson has parted ways with new record label Two Seas and collaborated with U.S. producer Teddy Riley, Sound Generator can report.

新レーベル「Two Seas」で、マイケル・ジャクソンの新たなレコーディングのサウンド・ジェネレーターとして協力した、米国プロデューサー、テディー・ライリーについて報告します。

Despite signing a new album deal with the newly established, Bahrain-based label, founded by Gut Records chairman Guy Holmes and Prince Abdulla Hamad Alkhalifa, Jackson is said to distanced himself from the organisation after a row with Holmes.

ガットレコードによって設立され、バーレーンを拠点とするレーベルで、新アルバムの契約に署名したにもかかわらず、議長ガイ・ホームズおよび、Abdulla Hamad Alkhalifa 皇子と、ジャクソンは、彼自身が語ったところによれば、ホームズと対立した後に、そこから離脱した。

Jackson's publicist, Raymone Bain, confirmed the stat had "cut all ties" with Holmes, while also confirming the formation of a new holding company for his business interests - the Michael Jackson Company, Inc., which will act as a publishing and recording label for his 2007 album release.

ジャクソンの宣伝担当(レイモン・ベイン)が、確認したところによれば、ホームズとは「関係をすべて断ちました」。一方、マイケル・ジャクソンの新しい持ち株会社は、財界における重要なものになり、出版および、彼の2007年のアルバム・リリースのためのレコード会社になるでしょう。

Taking over the role of the now defunct MJJ Productions, the company will be charged with restructuring Jackson's personal and business affairs.

現在消滅したMJJプロダクションの役割を引き継いで、その会社は、ジャクソン個人およびビジネスの責任を負うことになるでしょう。

Moving onto the Teddy Riley situation, with an announcement coming this month that Riley was involved in producing the entirety of Jackson's comeback set, which is still reportedly on course for a 2007 release. In a statement at the beginning of the year, Riley revealed he was spearheading a New Jack Swing revival - a musical style he had helped pioneer in the mid-1990's with BLACKstreet and SWV. Most of the acts involved are set to release new music next year under Riley's guise, with a big tour also planned.

今月発表されたところによれば、テディー・ライリーは、ジャクソンの復帰計画の全体に関係していて、それは、依然として、2007年リリースの最中だということです。その年の最初の声明で、ライリーは、彼が、ニュー・ジャック・スイング(彼が開拓した音楽スタイル:1990年代中頃の、BLACKstreetや、SWVなど)のリヴァイヴァルの先頭に立っていることを明らかにし、また、そこには、来年、大きなツアーと共に、新しい音楽をリリースする計画も含まれていました。

Source : http://prince.org/msg/8/203185


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AAJ Holding(Bahrain-based. which hired Jackson to provide advice on creating theme parks and music academies)



2005年6月13日
マイケルのすべての起訴事実に対して「無罪」の評決が下される。

2005年6月20日
Amazonで「オフザウォール」が、前日の4060位から132位にランクアップ

2005年7月05日
SONYミュージック「エッセンシャル・マイケル・ジャクソン」発売(一週間後の英国チャートで2位)

2005年7月26日
SONYミュージック、DVD「ライブ・イン・ブカレスト」が発売

2005年
8月20日、マイケル、バーレーン政府関係者とドバイに到着

2005年10月
ロンドンでの映像が「Two Seas Records」から発売

2005年12月7日
SONYミュージック、ヒットシングル20曲が、06年1月~3月にかけて再発売されると発表

2006年1月7日
テーマパークや、音楽アカデミーなどのエンターテイメント・プロジェクトをペルシャ湾岸地域で展開すると案について、バーレーンを本拠地とする「AAJ ホールディングス」と交渉中だと報道

2006年4月15日
マイケル、ソニー/ATVミュージックパブリシングの財政再編を行ったと発表・共同所有してきた米国SONYコーポレーションの支援を受けた。

2006年4月19日
2シーズレコードから、ニューアルバムを発表すると報道

2006年9月28日
2シーズとの提携関係が解消された旨が発表




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by yomodalite | 2012-05-28 08:01 | マイケルジャクソン資料 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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