カテゴリ:宗教・哲学・思想( 43 )

寅さんとイエス (筑摩選書)

米田 彰男/筑摩書房



著者は、高校在学中に神父になることを決意し「蟻の町」(現・潮見教会)で働いた後、信州大学理学部を卒業。その後、カナダのドミニコ会哲学神学院、スイスのフリプール大学などで、哲学・神学・聖書学を学ばれ、現在、カトリック司祭、清泉女子大学教授でもある、米田彰男氏。

下記は「プロローグ」から(省略して引用しています)

女子大学で講義するようになって20年近くになるが、教室で「寅さんの『男はつらいよ』を観たことがある人」と尋ね、「はい」と手を上げる生徒がこの数年ほとんどいなくなった。常日頃思うことであるが、我々現代人は、果てしない功利性の追求から、

寅さんの「聖なる無用性」にもう一度帰りゆかねばならない。

その思いを込めて、寅さんと、そして世界の多くの人が神と呼ぶイエスの、風貌とユーモアについて何か語ってみよう。

寅さんに関しては、すでに多くの人が興味深い文章を書き記している。井上ひさし監修の『寅さん大全』都築政昭『寅さんの風景』吉村英夫『「男はつらいよ」の世界』など...

私の人生の歩みの中で、寅さんと共にいつも心に懸かっているのは、イエスという人物である。イエスについても、決して少なくはない人々がそれぞれの観点から文章をしたあtめている。日本語で読めるものに限っても、非常に高いレベルのイエスに関する書物に出会う。

田川建三『イエスという男』、A・ノーラン『キリスト教以前のイエス』や大貫隆『イエスという経験』等がその例である。山浦玄嗣の四福音書訳『ガリラヤのイェシュー』も興味深い。(中略)

寅さんを捉えるためには第一作から第48作全体の中で丸ごと捉えることが必要であり、その時、より一層味わい深いものになる。第一作のはち切れんばかりの若き寅さん、押さえても押さえきれないエネルギー、常識のはみ出しに顔を背ける人もあろうが、その人が第1作だけではなく第48作をも観たなら、あれっと思うことだろう。どちらも渥美清演じる寅さんである。

イエスについても同じことが言える。イエスを丸ごと捉えることが大事である。しかしその作業は寅さん以上に困難を極める。イエス自身は何一つ書き残していない。限りなき大物は文章を残さない。ソクラテス然り、孔子然り、イエス然りである。

(引用終了)

第一章「人間の色気」

「寅さんの場合として」では、

『男はつらいよ』を第1作から順に第48作まで観てゆくと、寅さんがだんだん弱ってゆく姿を目の当たりにすることになる。その大きなターニングポイントである、いしだあゆみ出演の第29作「寅次郎あじさいの恋」と、浅丘ルリ子(リリー)出演の第48作『寅次郎紅の花』が紹介され、「非接触、非破壊」を守り通す寅さんの、人間の気品、色気が語られる。

「イエスの場合として」では、

(a)「情欲をもって女を見る者は誰でも、すでに心の中で女を姦淫したことになる」(マタイ5章28節)

その途方もない要求について「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ」の福音書の違いや、映画『ダ・ヴィンチ・コード』に登場したQ資料についてや、

また、イエスの言葉の真意に迫るために、イエスの時代のユダヤの社会における、一般的な女性観はいかなるものであったか、という問題から、「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ」と共に、グノーシスという思想に基づく数多くの福音書が書かれたが、マルキオンという当時は異端とされた人物が、旧約聖書を廃止、ルカ福音書と、パウロの書簡のみを聖典として採用し、、その試みが正統派キリスト教の正典化に拍車をかけた。。というような聖書学に基づく内容なども。

(b)イエスをめぐる女性たち

『ダ・ヴィンチ・コード』の主役、マグダラのマリアについて、Q資料には、イエスに言及した資料は見つかっていないことや、ナグ・ハマディ文書、死海文書、ユダの福音書などが登場し、

著者は、寅さんのことよりも『ダ・ヴィンチ・コード』の記述の方が気になるようで、正直「いったい寅さんはどこに?」というような内容なんですが、

最初の方に「20世紀でもっとも進んでいる学問は原子物理学と聖書学であるといわれるほど発達し、、、聖書の内容は、いかなる学問的分析にも耐えられるものであり、どれほど深く学問のメスを入れても、びくともするものではない」という、尊敬する山本七平氏の『聖書の常識』からの言葉もあり、安心して読んでいると、

著者の主張は、イエスとマグダラのマリアの関係を語るにあたって資料としているものは、グノーシス思想に基づく福音書である以上、イエスをめぐる女性について論ずるためには信憑性を欠いたものとならざるを得ない。

など、ところどころ、カトリックの司祭らしい「力技」も感じられ、

著者が「小説」として軽んじている『ダ・ヴィンチ・コード』の底本である『レンヌ=ル=シャトーの謎』では、イエスとマグダラのマリアの関係について相反する内容が、もっともっと「聖書学」ぽく書かれていたなぁと、思ってしまう。

◎関連記事『レンヌ=ル=シャトーの謎』(p425~ほか)

そんなこともあって、この章は、イエスとマグダラのマリアの関係を否定する箇所に力が入り過ぎていて、寅さんという人間の気品や、色気については、わかるような気がするものの、

イエスの「色気」に関しては、かなり、わかりづらい。

また、

第二章「フーテン(風天)」について、
第三章「つらさ」について
第四章「ユーモア」について、でも、

今年になって、初めて『男はつらいよ』の第1作を観た、私のような「寅さんビギナー」にとって、本書は、寅さんの魅力について、具体的なドラマを紹介しつつ語られていて、続きを見るうえで参考になるのですが、

イエスに関して書かれている部分は「聖書ビギナー」にとって、分りやすいとは言えない内容で、

イエスには風天性があり、陽気で楽しい人物だと、著者のようなカトリックの司祭も認めておられるようですが、

その「つらさ」については、レヴィナス、ゴッホ、遠藤周作「沈黙」、シモーヌ・ヴェイユ、ヒトラー、親鸞「悪人正機説」、パスカル「パンセ」などから語るというありがちな内容で、

イエスのユーモアについては、さらに一段と、感じ取りにくい....

寅さんが描かれている部分と、イエスの表現の「差」が大きい点が、全部難解な本を読了するより、意外と疲れる上に、満足感も少ないかなぁ。。

◎[Amazon]寅さんとイエス
______________

[内容説明]イエスの実像については、マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネという四つの福音書が典拠とされてきた。さらに、二〇世紀後半になって発見された幾つかの資料は、イエスとその周辺について無視できない情報をもたらしている。その分析を通して見えてきたのは、イエスの風貌とユーモアは、たとえば寅さんの世界に類似しているという意外な発見だった。聖書学の成果に『男はつらいよ』の精緻な読み込みを重ね合わせ、現代が求めている聖なる無用性の根源に迫る。

[BOOKデータベース]真の幸福・人生とは何だろうか?功利性のみが支配する現代の中で、寅さんとイエスとを比較。聖書学の成果に『男はつらいよ』の精緻な読み込みを重ね合わせ、現代が求めている聖なる無用性の根源に迫る。筑摩書房 (2012/7/12)



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by yomodalite | 2012-10-05 08:23 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

新ユダヤ成功の哲学―なぜ彼らは世界の富を動かせるのか

越智 道雄/ビジネス社



本書は2007年に出版された、アメリカ研究の大家である越智道雄氏によるもの。

ユダヤ関係の読書はハズレ率の高さがハンパないジャンルで、クリスチャン右派や保守派による宗教的敵意が基本となっていたり、また、彼らを親にもっているせいか、一見違っているようで、マインドはほぼ同様の宇宙風味の「ニューエイジ」系に支持されている「ユダヤ陰謀論」か、

もしくは、その「陰謀史観」を否定している(副島隆彦氏と越智道雄氏以外のほとんど)バカバカしさすらない「本の形をしたゴミ」か、

多くのビジネスマンが通勤時に読んで、そのまま一生、電車通勤を止められない「成功哲学」ものの、いずれかなんですが、

本書は、普通のビジネスマン向けの「成功哲学」ではなく、ビリオネアレベルの成功に興味があるビジネスマン向けで、ユダヤ人の成功マインドについても、ユダヤの長い歴史を振り返った本格的なもののうえに、非常に凝縮された編集がされていて、

「成功哲学」を経済的に成し遂げなくても、、と思う「読書家」にとっても価値のある内容で、私は図書館で借りた後、購入しました。

価値ある内容については、目次をご覧になっていただければわかると思いますので、
個人的に興味深いと思った箇所を少しだけメモしておきます。(省略引用)


◎成功遺伝子8「選民思想」マインドセット

普通、民が神を選ぶものだが、ユダヤ教は神がすべての民族の中からユダヤ民族を選んだ。したがってユダヤ教徒は「選ぶ自由」はなく、「選ばれる宿命」しかなかった。この世界史上でも異例の信仰体系が、ユダヤ教徒をヒューマニズム(人間中心主義)、その延長である民主主義という近代化の主流思想との相克に巻き込んでいく。

「選民」という言葉はユダヤ教の原典にはなく「神にえり抜かれた(ブハルタまたはアム・セグラー)という動詞で表現されている。後者はセグラーだけだと「神の宝物」という意味でもある。ブハル(選ぶ)という語の旧約での使用頻度は175回で、それほど多くはない。

つまり「選民」という人間側の優越性ではなく、あくまで「神がえり抜く」という神の絶対的主体性、ユダヤ教徒の絶対的受動性が強調されているのだ。しかもすべての戒律を「殺すな」「姦淫するな」と動詞でビシビシ差し付けてくるこの神の有無を言わさぬ単純かつ鋭い鮮烈な激しさは戦慄的といえる。  

申命記7〜6〜8、新共同訳バイブルの「貧弱」は、原文では「最も少数」となっている、今日世界でわずか1450万人程度のユダヤ系は、選ばれた当時はもっと少数だった。(遺伝子の定義より)


(中略)その後、ユダヤ教徒らがヨーロッパでゲットーやシュテートルに囲い込まれたことが「選民思想」をカバラ思想の形で彼らの間に増殖させた。しかし、選民思想がイエスの優位を奪うことを直感したキリスト教徒の疑惑から、ユダヤ教をモダナイズするアメリカのユダヤ教少数派「再建派(リコンストラクショニズム)」などのように、シナイ山頂でのモーセの受戒や選民思想を否定する宗派も登場した。

ただ、神が否応なく民を選んで信徒にした世界史上でもきわめて特異な例ゆえに、ヤハウエは「事ごとに人事に介入する神」である。今日のユダヤ系の41%がそれを信じている(在米団体「ユダヤ連合会議(CJF)」による1990年度調査。この調査で「ユダヤ系の定義は国籍や文化でなく宗教だ」とするユダヤ系は75%に達した)

介入する神とは何者か? YHWH(ヤハウエ)とは語義的に動詞の「to be(成ること)」である。つまり、ユダヤ教の神は名詞よりも動詞なのだ。したがってユダヤ系を「約束の地」へとせき立てた神の「トゥー・ビー」(動詞性)とは、「われはなんじとともにその地へ赴くであろう」(I'll be there with you)となる。あるいは「われはなんじらにこれこれのことを引き起こす者である」(I am be who cause〈things〉to be)となるのである。

この神自身の痛烈な「動詞性」ゆえに、ユダヤ系自身「動詞的」たらざるをえなかった。

「コンピューターは情報を動詞化する」とは非ユダヤのビル・ゲイツの言葉だが、コンピューターの開発者の多くはユダヤ系だったのである。(「介入」する神より)

ピューリタンの選民思想は、しかし、他民族社会特有の「民族性」の強調が強まってくるにつれて削ぎ落されていき、ユダヤ系は自らの選民思想と文化多元主義的なアメリカの間で苦悩することになった。ユダヤ教三派のうち、左派の改革派、前述の再建派、いや中道の保守派すら、基本的には選民思想の没主体性(逆にユダヤ教の絶対性)をアメリカン・デモクラシーの主体性(逆に他民族集団同士の相対性)とどう折り合いをつけるかに悩み、その案配の違いが、宗教間の違いと特徴を形づくることになるのである。

私註)ラビ・シュムリーはWikipediaによれば、戒律遵守に厳しい「正統派(Orthodox)」。ユダヤ教は、やや厳しい「保守派(conservative)」ゆるやかな「改革派(Reformism)」「再建派(Reconstructionism)」と、「特定宗派なし派(No Label)」に分かれているらしい。

◎成功遺伝子9「ヘブライ的時間の貫徹」
なぜユダヤ系にとって「歴史は繰り返さない」のか?


ヘレニズム的(ギリシャ的)時間」は季節ごとに円周を描く、ゆとりのある時間だが、反復だから厳密な意味で何一つ新しいものはなく、したがって個人もなく、人は生まれ変わるだけで(輪廻転生)、歴史はつくられない。

他方、「ヘブライ的時間」は創世から終末へと非可逆的に流れる厳しい時間だが、刻々に新しい展開が発生、個人は生まれ変わらず(輪廻転生なし)、したがって個人はあくまで個人であり(人生の一回性)、それらの個人が歴史を構成していく。

ヘブライ的時間は、世界とともに時間を創出したヤハウェが最終的にはユダヤ教徒を自らが生息する「時間の外(永遠)」へと回収するまで非可逆的に流れ続ける運動率をもつ。だからこそヤハウェとは「成る to be」を意味し、「物事を引き起こす」という動詞的機能をもつのだ。

ユダヤ系が創出した古代ではまったく新しかったこの時間概念こそ、ユダヤ文化の成功遺伝子の基幹染色体を形づくった。(遺伝子の定義より)

◎[Amazon]新ユダヤ成功の哲学
◎[参考ブログ]お金学

☆少し似たタイトルですが、副島氏と副島研究所メンバーによる、
こちらのユダヤ本も知的好奇心が刺激されて「金儲け」に興味がない人にもお奨め!

◎[Amazon]金儲けの精神をユダヤ思想に学ぶ




(写真はクリックすると拡大します)
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by yomodalite | 2012-09-11 20:03 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?

副島 隆彦/PHP研究所



猛暑の中、もっと軽いエンタメ本を望んでいたにも関わらず、仏教とは何か?というテーマの本に齧りついてしまいました。

副島氏は、今年の8月までに、『中国は世界恐慌を乗り越える』『ロスチャイルド 200年の栄光と挫折』『国家は有罪(えんざい)をこうして創る』『中国 崩壊か 繁栄か!?』『欧米日 やらせの景気回復』『ロン・ポールの連邦準備銀行を廃止せよ』 『アメリカが作り上げた“素晴らしき"今の世界』などなど、熱心なファンでも読み切れないほど、多くの著作を出版されているのですが、

私は本書に一番期待していて、発売直後に急いで読み、出版社の「仏教についての衝撃の宗教論」という宣伝に嘘はないと思いました。いわゆる日本仏教的な考えに慣れている人だけでなく、日本最高峰のインド哲学者で、仏教学者でもある中村元氏の著者を読んできたような方でも、知的興奮を覚える内容で、衝撃をうける箇所も、人によって様々ではないでしょうか。

副島氏の熱心な読者にとっては、この本は『時代を見通す力』の続編という部分もあり、また、副島氏の先生でもある小室直樹氏の宗教論から、さらに展開された内容になっていると思いました。

本書の中から、副島氏が出した結論を、3つだけ紹介すると、

◎キリスト教と仏教は、同じである

◎般若心経は、ブッダの教えとは異なる

◎ブッダもイエスも大乗仏教ではない

ということ。

副島氏は、ブッダとイエスは同じ思想をもっていて、2人の共通点は、この世のすべての人間を現世の苦しみから救おうとしたという点で、だから、副島氏はブッダとイエスが大好き!だそうです(はぁと)

ですが、、、残念なことに、

ブッダとイエスの「救済」は、失敗に終わり、人類の救済はなく、おそらくこれから先もない(ぐっすん)

とも書いておられるんです。

「人類の救済はない」これからも、、ない。

ということに、ショックを受ける方も多いかと思いますが、

ここが、すごく大事なところで、、

私は、本書を読む前から、私たちが知ることができる人物としては、マイケル・ジャクソンと三島由紀夫だけが、本当にそのことを理解していた。と思っていました。

それは、ここでは書ききれないので「マイケルと神について」という記事を書き始めましたが、ものすごく長いので、くれぐれも副島ファンの方はご覧にならないでくださいw

さて、本書は赤線を引きたいところが、多過ぎる本なのですが、

第六章「般若心経になぜ仏陀の名前は無いのか?」から下記をメモしておきます。

(p142から省略して引用しています)

「中論」は「すべては無である」といっているのではない。「有」とともに「無」を否定しているのである。西洋のアリストテレス以来の実在論では、有か無かどちらかである。有でければ、それは無、無である。無でなければ有なのである。ところがナーガルジュナを始祖とする仏教の論理(副島隆彦註。すなわち、それはブッダその人の教えではない)はそうは考えない。

江戸前期の臨済僧である至道無難(しどうぶなん)が主張した「草木国土、悉皆成仏」
(『仮名法語』)の中に、

草木も 国土もさらに なかりけり 仏といふも なおなかりける

という歌がある。(臨済宗の)祖師の1人である仏教僧が、空(くう)を説明して人々を教え導くために「仏はいない」と公然といっているのである。

破天荒の秀才と言われた法然は、さらに激しい。法然は、どんなに仏法を学んでもどうしても納得することができず、栄西(ようさい)の元を訪れて、仏について質問した。栄西が答えて曰く。

「仏などいない。いるのは狸と狐ばかりである」(中略)

キリスト教はヘレニズム世界(ギリシャ文明)を通過したときにギリシャ思想の洗礼を受けており、アリストテレスの実在論を根強く受継いでいるのである。だからどうしても、「無」であれば「有」ではないと考えてしまう。

しかし、(ナーガルジュナによって作られた西暦2世紀から後の仏教によると)実在論を否定する。実在論と、形式論理学を超えるナーガルジュナの論法を用いる。そのため以後の仏教とは、「無」であると同時に、「有」であっても、それで一向に平然としていられる。「仏なんか無い」といったそばから、仏様を肯定し仏様に礼拝し、仏像をつくってこれにもまた礼拝する。(中略)まさしく、一切は、空であるからである。(中略)

西暦150年にナーガルジュナ(龍樹)によって創られた大乗仏教は、キリスト教のマリアさまが阿弥陀如来と観世音菩薩となって、その中に組み込まれた。「般若心経」=中観派の思想は、ゴータマ・ブッダ(釈迦)その人の思想とは異なるのだ、と強く主張する。私にとっては、このことは重要である。そして「空とは無である」「死ねばすべて無となる」とする法相宗の立場を私は決然として支持する。

小室直樹先生は、この法相宗という、ブッダその人の思いを最も正しく強固に保持している宗派について、次のように鋭く解説した。それはまさしく「輪廻転生」の否定である。

以下、『日本人のための宗教原論』のP208~210から、本書より省略して引用。

法相宗の徹底的解説、これが『豊穣の海』の大切な1つのテーゼなのだが、残念ながら、この点を学者も宗教者も文芸評論家も指摘していない。宗教を知らないからなのだ。これまでの大方の評論家や読者は『豊穣の海』を輪廻転生の物語と理解している。(中略)聡子の言葉を正当に解釈し、理解すれば、三島が言っていることが理解できる、つまり、人間の魂が輪廻することはない、ということである。(中略)

唯識の思想は大変難解だが、一言でいえば、「万物流転」、すべてのものは移り変わる、ということである。(中略)

結論から言えば、魂の輪廻転生を否定した三島は、
生まれ変わって復活するのは何かという宿題を読者に残した。


(小室氏の文章引用終了)

私は、この法相宗の立場を支持し、三島由紀夫を愛惜し追慕する。(中略)

ここから「般若心経」そのものを解説する。まず、このお教の全文を私なりに分かった自分の翻訳文を載せる。(←本書でお読みください)

私の理解では、このお経はブッダの弟子の舎利子(シャーリープトラー)が書いて伝えたもので、さらにその上に龍樹が自分の「空」の思想(中観)を混ぜ入れて書いた、とする。(中略)

このお経には、ついにゴータマ・ブッダその人は現れなかった。ブッダはどこに行ったのだ。観音菩薩(アヴァローキテーシュヴァラ)と舎利子に、説いた(教えた)のはゴータマ・ブッダその人であるだろうか?そんなことは、どこにも書いていない。

(後文略。引用終了)

[Amazon]隠された歴史 そもそも仏教とは何ものか?

___________

[目次]

第1章:お釈迦様の教えはどこへ行ったのか
日本人がうっかり信じ込んでいること
マグダラのマリア?
観音菩薩、弥勒菩薩の「菩薩」とは何か
大仏は大日如来である
チベット仏教の思想
GODは神(かみ)ではなく天(てん)と訳すべきだ
お釈迦様と観音菩薩
ブッダとキリストが望んだ人類の救済はなかった
日本ではブッダと阿弥陀如来の像は区別がつかない
人類の文明は2500年前から下り坂/修行の主流は出家すること
カースト制度を激しく嫌ったお釈迦様)

第2章:2世紀頃、仏教にキリスト教が流れ込んだ
ギリシャ、ローマの影響を受けたガンダーラ美術と仏教伝来
敦煌の仏教壁画
私が2000年にすでに書いていたこと
キリスト教の影響を受けた観音様はマリア様

第3章:ブッダの言葉こそ本当の仏教
釈迦=ブッダの一生
ブッダが必死で修行した町
「無益な苦行を行うことは、どうも無駄なことだ」
ブッダの死語250年を経て現れたアショーカ王
根元のところで仏教を理解する
輪廻転生は仏教思想ではない
仏教を教団化した極悪人デーヴァダッタ

第4章:宗教の中心は「救済を求める思想」
「人間は死んだら全て終わりであり、消滅し、無に帰る」
龍樹がつくった大乗仏教
救済を求める思想
救済を求めない自力としての禅宗

第5章:救済思想の否定として生まれた禅宗
中国人仏僧がさまざまな仏教の宗派を生み出した
「何者も信じない」禅の思想
『臨済録』の真髄/禅は徹底的に自力
密貿易の文書作成係だった日本の臨済宗の僧侶
禅僧の思想が行き着いたもの

第6章:般若心経になぜブッダの名前は無いのか?
262文字の般若心経
小室直樹先生による空の思想の解説
輪廻転生の否定
副島隆彦による般若心経の翻訳
大乗の「四諦八正道」(したいはっしょうどう)などについて

第7章:「悪人正機説」を解体すると見えてくること
「世尊布施論」(せそんふせろん)こそは日本に伝わったキリスト教の「聖書」そのものである
悪人正機説の本当の意味/親鸞の教え
キリスト(教)あるいはブッダ(=仏)教における「愛」
キリスト教と仏教は、同じである

第8章:法華経を通じて見えてくる大乗仏教の正体
法華経について
観音経は法華経の一部

第9章:現代の阿弥陀如来の姿
インドの神さまたち
大日如来はチベット仏教で密教の仏様
現代の阿弥陀如来は何になって生きているか―結論
ハイデガーの「最後の人論」とガルブレイスの「ゆたかな社会」
オタク(ナード)こそが人類の新しい進むべき道である
コミケに行ってわかった現代の阿弥陀如来

第10章:道教とキリスト教
『三国志演義』の義兄弟の思想
中国の道教も起源は伝来したキリスト教であろう
中国を侵略した悪いイギリス
阿弥陀、観音様を信じながら、「キリスト教を信仰している」と言った中国人女性たち
人類のあけぼのはバグダッドのシュメール人

第11章:現代と救済
空海と最澄
空海が言った弥勒下生(みろくげしょう)
キリストの復活と再臨

あとがき



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by yomodalite | 2012-08-03 08:14 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)
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般若心経に関する本て、ものすごくたくさんありますよね。といっても、私はつい最近まで、ほとんど興味がなくて、、尊敬する小室直樹氏が、名著『日本人のための宗教原論』

(以下大幅に省略して引用)

そもそも、現代の日本に残っているのは、本来の意味での仏教とは言いがたい。いや、現代のみならず、日本に入ってきたときから本来の仏教とは変質していて、日本に広まるにつれ、さらに変質は拡大し、、(中略)

有名な「色即是空、空即是色」という文言にしても、一切のもの(色)は実在しない、それが「空」であるという理解をする人もいるけど、それは「唯物論」ではないか。一切のものを否定する仏教の本質とは「唯物論」に他ならない。。

この批判は、インドでは盛んになされた批判である。仏教を本当に理解するには、この「仏教は唯物論ではないか」という批判から入っていくのがよい。この批判に答えるために、インド仏教は苦心した。(中略)

仏教が、魂を否定するとは「魂」という実体が存在することを否定するという意味なのである。

日本人にとって、この難解無比な仏教哲学の最も手頃な解説書は?と問われれば、筆者は三島由紀夫の『豊穣の海』四部作を挙げる。

法相宗の徹底的解説、これが『豊穣の海』の大切な1つのテーゼなのだが、残念ながら、この点を学者も宗教者も文芸評論家も指摘していない。宗教を知らないからなのだ。これまでの大方の評論家や読者は『豊穣の海』を輪廻転生の物語と理解している。(中略)聡子の言葉を正当に解釈し、理解すれば、三島が言っていることが理解できる、つまり、人間の魂が輪廻することはない、ということである。

結論から言えば、魂の輪廻転生を否定した三島は、生まれ変わって復活するのは何かという宿題を読者に残した。(中略)

仏教は、元来、エリートのための宗教である。高度な哲学体系を持ち、厳しい修行を要求する。仏教は、体を痛めつけるような苦業こそ要求しないが、その修行の厳しさたるや、尋常一様なものではない。

(引用終了)


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と言っておられたので、私は、日本人が仏教をなんとなく理解できるかのように思っていることは、その神髄とも言われる「般若心経」を曲解することになりかねないので、生半可な解説書は絶対に避けようと思っていたんですね。

誰の本とはいいませんが、ほんのちょっぴり読んだだけで、それのどこが「空」なの? と言いたくなる本が多いと思うんです。

そんなわけで、「般若心経」を読むのは、もっと年をとってからでもいいかなぁとも思っていたんですが、三島由紀夫へのマイブームを発端に、仏教本も少し読みたくなってきて、、仏教は、近代科学の先駆けとも言われ、最新科学に至り、科学は仏教に追いついたとも言われています。それゆえ、科学者であり、こちらの本で感動した経験もある、柳澤氏の本には期待していたんですけど、期待以上だったというか、

ページを開いてすぐに「わぁ!」と声をあげてしまいました。

表紙から受ける印象よりも、中身の方がずっと素敵で、堀文子さんの絵も見開きで、何枚も使われています。薄い本ですが、自分にも知人へのプレゼントとしても素敵。



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下記は「あとがき」から。(省略して一部を引用しています)

「般若心経」について、どうしてこのような現代語訳が出てくるかといいますと、私は次のように考えました。これは私の解釈であって、絶対に正しいというものではありません。みなさんにはみなさんの解釈があるのだと思います。

私は釈迦という人は、ものすごく天才で、真理を見抜いたと思っています。ほかの宗教も同じですが、偉大な宗教というものは、ものを一元的に見るということを述べているのです。「般若心経」もおなじです。

私たちは生れ落ちるとすぐ、母親の乳首を探します。お母さんのお腹の上に乗せてやるとずれ上がってきて、ちゃんと乳首に到達します。また、生まれたときに最初に世話をしてくれた人になつきます。その人が見えなかったり、声が聞こえないと泣きわめきます。このように、生まれ落ちた時点ですでに、ものを自己と他者というふうに振る舞います。これは本能として脳の中に記憶されていることで、赤ちゃんが考えてやっていることではありません。

けれどもこの傾向はどんどん強くなり、私たちは、自己と他者、自分と他のものという二元的な考え方に深入りしていきます。元来、自分と対象物という見方をするところに執着が生まれ、欲の原因になります。

ところが一元的に見たらどうでしょう。二元的なものの見方になれてしまった人には、一元的にものを見ることはたいへんむずかしいのです。でも、私たちは、科学の進歩のおかげで、物事の本質をお釈迦さまより、少しはよく教え込まれています。

私たちは原子からできています。原子は動き回っているために、この物質の世界が成り立っているのです。この宇宙を原子のレベルで見てみましょう。(中略)

あなたもありません。私もありません。けれどもそれはそこに存在するのです。物も原子の濃淡でしかありませんから、それにとらわれることもありません。一元的な世界こそが真理で、私たちは錯覚を起こしているのです。(後文省略・引用終了)


本書は、こんな感じで、上に、柳澤氏の現代語訳。下欄に、原文があります。



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また、リービ秀雄氏の英訳は、原文と、その意味、英訳、という3つが比較できるページにあります。こちらは柳澤氏の文章の英訳ではなく、原文から訳されたもののようです。(その部分はまだよく読んでいませんが、、)「般若心経」の英語本は多く出版されていて、ネット上で読めるものをいくつか見たのですが、リービ秀雄氏の訳は、それとはまた違う印象でした。


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さらに、般若心経の原文全文と、その読み方が書かれたページもあって、もう至れり尽くせり。

で、肝心の柳澤氏が読み解いた、日本語訳なんですが、、、

言おうか言うまいか迷ったのですが、私は11ページまで読んで「ARE YOU Listening?」を読み直しました!

大いに自覚はあるのですが、やはり重病なのかもしれませんw。そんなところも含めて、是非ご確認を!

☆☆☆☆☆(満点)

◎[朝日新聞]本当に苦しむ死に直面 生命科学者・柳澤桂子さん

◎[Amazon]生きて死ぬ智慧

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[出版社・著者からの内容紹介]/生命科学者による現代詩訳・般若心経絵本。当代きっての生命科学者・柳澤桂子と生命曼荼羅を描き続ける人気日本画家・堀文子が合体! いままでで、最も明晰な日本語と最も美しい映像で般若心経に込められた「いのちの意味」が感得できる。リービ英雄の英訳付。小学館 (2004/9/18)



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by yomodalite | 2012-07-14 11:59 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

私と宗教―高村薫、小林よしのり、小川洋子、立花隆、荒木経惟、高橋惠子、龍村仁、細江英公、想田和弘、水木しげる (平凡社新書)

渡邊 直樹(編集)/平凡社




ダーリンの図書館本。返却日当日に、その魅惑的人選に気づいて慌てて読んでみる。

本書は『宗教と現代がわかる本』の2007年版から2011年版までの5冊に掲載した記事を再構成して纏められたもので、登場するのは、高村薫、小林よしのり、小川洋子、立花隆、荒木経惟、高橋恵子、龍村仁、細江英公、相田和弘、水木しげる。

宗教をもっているのは、日本では少数派と見なされているので、自分を多数派で、しかも「宗教」など反近代的なものだと思っている常識人(自分では知識人だと思っている場合がある)の人は、「カルト」など、本当にどんな意味かもわかっていないような、怪しい外来語で蔑んでみたり、判断を下すことに疑いをもたない人も多いですね。

わたしは、特定の宗教を信心したことはありませんが、関心はあって、様々な信者の方から、その宗教のバイブル的な本をもらったり話を聞いたりするのも好きです。でも勧誘を断れなかったということはないので、しつこい勧誘にあうのは、その宗教の欠かせない特徴というよりは、信者になった人と、自分との関係や、態度が原因となっていることも多いと思っているのですが、、

わたしに「ターゲット」としての魅力がなかったせいなのかもしれません(笑)

でも、どんな素晴らしい宗教も「豚に真珠」と同様で、信心する人の態度や、相性の問題が大きいと思うんですよね。

下記は、目次から。

高村薫「善男善女でない私がたどり着いた死生観が「空・縁起」なのです
・言葉でないことを言葉で書こうとした道元
・母の頭の中には仏教と近代哲学が同居していた
・キリスト教の「原罪」にはずっと違和感があった
・大震災の体験で、近代の合理主義から解き放たれた
・仏教を小説で書くことには、もともと大きな矛盾がある
・現代人に可能な形での発心のしかた、とはどんなものなのか

小林よしのり「わしの中の宗教心と近代主義をどう折衷するかが問題だ」
・靖国神社の霊は共産主義より強いというのか
・真言宗の寺で不動明王に見守られ、わしは育った
・仏教徒 vs マルクス主義者という両親の議論を聞いていた
・戦後の日本は「死の不安」を直視することを避けつづけて来た
・何かを伝えられるとしたら自分の「たたずまい」でしかない。

小川洋子「超越者ではなく伴走者としての神」
・お金に縁のない金光教がつつましい幸せを教えてくれた
・カウンセリング要素の濃い金光教独自の「お取次」
・神様は高みにいるのではない。信者と同じ地平に立ってくださる
・信じるものがあるから毎日を楽に生きられる
・私は死者の声に耳を傾けながらそれを小説にする「取次者」です

立花隆「ぼくが宗教嫌いになった理由」
・キリスト教に対して疑いを持つきっかけ
・日本と韓国に入ってきたプロテスタントは原理主義
・人間の感覚の持つ不思議さを宗教は利用してきた
・がん、ホスピス、臨死体験について
・ウィトゲンシュタインの『哲学宗教日記』のおもしろいところ
・自分自身の生涯の残り時間をどう使うか
・宇宙の問題に比べたら宗教を信じるなんて、ばかみたい

荒木経惟「照れるけど“幸福写真”はいい!!」
・60過ぎたらポートレート行くぞって、昔から決めていた
・笑顔のポートレートが最高!って思うようになった
・写真は被写体との関係が大事、デジタルはコミュニケーションを奪っちゃう
・写真にも人生にも、宗教にもエロスが必要

高橋恵子「女優という職業、そして信仰」
・「真如苑」と出会って先が明るくなり希望がもてた
・脳性マヒで亡くなった兄の供養をしたい
・さまざまな宗教との和合を説く「真如苑」の教え
・生まれて死んでいくのは自然のサイクル

龍村仁「おおいなるもの、目に見えないものをいかに映像化するかが最大の挑戦です」
・見えないもの聞こえない音をドキュメンタリースタイルで撮る
・自我の奥深いところですべてがつながっている感覚
・ジャック・マイヨールが私たちに教えてくれたこと
・生かされていることに気づくと、生きるためのエネルギーが湧いてくる

細江英公「ポンペイ、広島、アウシュビッツの悲劇を静かに伝える」
・大野一雄の踊りの基本には“生きること”がある
・数値化できないものの価値観を保っていなければいけない
・2000年前に絶滅した町は、今日の人たちに警告を発している
・間接的な原爆体験者として静かに語りかけること
・宗教宗派を超えてみんなが1つになって祈ることができればすばらしい

想田和弘「患者さんと健常者を隔てているカーテンを取り除く」
・誰が患者さんで、誰が患者さんでないのか
・ナレーションもBGMもモザイクもすべてなし
・宗教も精神科の世界も似たところがある
・参与観察の方法から「観察映画」が生まれた
・宗教の力が肯定的に発揮されると、大きな力になる
・映画の撮影後に3人の患者さんが亡くなった
・自分のシーンは使わないでほしい、と言われたら......
・「客観的真実」を宣言するドキュメンタリーへの違和感

水木しげる「宗教とアニミズムを分けるものは何か」
・80年代からは神のステージに入った
・縄文時代から続く精霊信仰の生き残りが妖怪
・不幸が訪れない場合、人は無宗教で平気
・文明社会でこね回したものは、だめ
・「素朴な祖先からの生活」に属しているかどうか
・「祖霊」との深いつながりのなかで生きてきた
・日々祖霊化する水木しげるはふるさとのように懐かしい


それぞれ現在活躍中の、魅力的な方々ばかりなので、共感もでき、また為になる内容ばかりなのですが、わたしには、高村氏が語っていた内容が印象に残ったというか、引っ掛かりを感じました....

なんて言っていいのかわからないのだけど、憧れの先輩が、遠くに行ってしまわれたというか、、元々、先輩はわたしとは違って「わたくしは....」という世界にお住まいの方ですし、ミステリー小説を捨てられたことには、寂しくても、しかたないなぁと感じで、シェイクスピアにも付いて行きますっ!という思いはあるんですけど、

「新リア王」の政治家の扱いとか、小沢一郎批判とか、大阪ダブル戦など、最近の高村氏の政治への積極的な発言を聞いていると(TVニュースは絶対に見ないようにしているので記事で確認しただけですが)、正直どう考えたらいいのかわからなくて、、、

たぶん、それは、シェイクスピアにも、ドストエフスキーにも繋がってないんじゃないかという疑問というか、違和感があって、そこから、高村氏の仏教の見方とか、日本の歴史とか、全部少しづつ違和感があってよくわからなくなっているのかなぁ....(原発脱却への賛否ではなく)。

立花隆氏は、その最盛期もそんなに読んでいるわけではないのですが『宇宙からの帰還』『臨死体験』など、科学と宗教の境界線を探る仕事をされて、また「現実」へとすんなり戻ってこられたところなどは、

最期に登場した、水木しげる氏が「ねずみ男」を常にバランサーとして配置していながら、最終的に神のステージに入ったと語るような「絶好調」と、逆なんだけど、同様に「イイ感じ」(本人にとっては)なのかなぁとか......

編者の渡邊直樹氏が言われるように、宗教について、私たちはもっと知らなくてはいけないし、もっとオープンに語ればいいと思いました。


最期に、編者である、渡邊直樹氏の「はじめに」から冒頭の詩を。

死んだら死んだで生きていくのだ

(草野心平の詩「ヤマカガシの腹の中から仲間に告げるゲリゲの言葉」より)

◎報道ステーション「直木賞作家・高村薫さんに聞く」
◎大阪ダブル選 私はこう見る/ショー化に危機感/高村薫氏 作家(毎日新聞)
◎高村薫さんの原発に関するNHKインタビュー《Togetter》
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[内容紹介]『宗教と現代がわかる本』2007~2011年版に掲載された記事を再構成。日本を代表する10人の表現者が、「宗教」と自身のかかわりについて語る。3.11後の生き方を考えるために。平凡社 (2011/10/17)

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by yomodalite | 2011-12-05 20:34 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

誰が日本を支配するのか!?検察と正義の巻

佐藤 優責任(編集),魚住 昭責任(編集)/マガジンハウス



映像夜間中学講義録 イエスタディ・ネヴァー・ノウズ(DVD付)

根本敬/K&Bパブリッシャーズ



ドリアン・グレイの肖像 (光文社古典新訳文庫)

ワイルド/光文社



脳と日本人 (文春文庫)

茂木 健一郎,松岡 正剛/文藝春秋




12月は上記の本たちに、すごく心を動かされていたのですけど、ブログには書けませんでした。

『脳と日本人』は、どこをチョイスしたらいいか、わからないぐらい刺激的な箇所が多過ぎて、『夜間中学』にもお世話になって、すっかり生徒気分だったり、オスカー・ワイルドは、『古典を読みなおすぞ!』シリーズの手始めとして、ついでに、MJと、オスカー・ワイルドと、エドガー・アラン・ポーについてだらだら書きたいという野望もあったんだけど・・MJに関しては、ニューアルバムのせいで、それどころじゃなかったり・・(それにしても、まさか『VISION』を買うとは思わなかったなぁ....しかも国内版で)


武道的思考 (筑摩選書)

内田 樹/筑摩書房



下記は、内田樹氏の著書についてのメモ。

第二章 武道的心得より

真の賢者は恐ろしいほどに頭がいいので、他の人がわからないことがすらすらわかるばかりか、自分がわかるはずがないこと(それについてそれまで一度も勉強したこともないし、興味をもったことさえないこと)についても、「あ、それはね」といきなりわかってしまう。

だから、自分でも「ぎくり」とするはずなのである。何でわかっちゃうんだろう。そして、どうやらわれわれの知性というのは「二重底」になっているらしいということに思い至る。

私たちは自分の知らないことを知っている。自分が知っていることについても、どうしてそれを知っているのかを知らない。(中略)

それは、解答するに先立って、私たちの知性の暗黙の次元がそれを「先駆的に解いている」からである。


以前、他人の技を批判してはいけない、と多田先生に教えていただいたことがある。「どうして他人の技を批判してはいけないのですか」と先生にお訊ねしたら、先生は「他人の技を批判しても、自分の技がうまくなるわけではないからだ」と答えられた。そして、「批判して上達するなら、俺だって一日中他人の技を批判しているよ」と破顔一笑されたのである。


「自分のような人間は自分だけである方が自己利益は多い」という考えを現代人の多くは採用している。「オリジナリティ」とか「知的所有権」とか『自分探しの旅」とかいうのはそういうイデオロギーの副産物である。けれども「オリジナルであること」に過大な意味を賦与する人たちは、そのようにして「私のような人間はこの世にできるだけいない方がいい」という呪いを自分自身かけていることを忘れている。

「私のような人間ばかりの世界」で暮らしても「平気」であるように、できれば「そうであったらたいへん快適」であるように自己形成すること、それが「倫理」の究極的な要請だと私は思う。

「世界が私のような人間ばかりだったらいいな」というのが人間が自分自身に与えることのできる最大の祝福である。

でも、これはむずかしい課題である。

ふつうに人は「世界が私のような人間ばかりだったら」気が狂ってしまうからである。他者のいない世界に人間は耐えられない。だから、論理的に考えれば、「私のような人間ばかりでも平気な私」とは「一人の人間の中に多数の他者がごちゃごちゃと混在している人間」だということになる。

一人の人間の中に老人も幼児も、お兄ちゃんもおばさんも、道学者も卑劣漢も、賢者も愚者も、ごちゃごちゃ併存している人間にとってのみ、「自分みたいな人間ばかりでも世界はけっこうにぎやかで風通しがいい」と観じられる。

倫理的とはそういうことだと私は思う。

つねに遵法的で、つねに政治的に正しく、つねに自己を犠牲にして他人のために尽くし、つねににこやかにほほえんでいる人間のことを「倫理的」だと思っているひとがいるが、それは違う。

だって、そんな人で世界が充満していたら私たちはたちまち気が狂ってしまうからだ(少なくとも、私は狂う)だから、「そんな人間」は「倫理的」ではない。「倫理」というのは、字義どおりには「集団を成立たせる理法」のことである。

(引用終了。でも、このあとも重要な文章が続きます)

嫌になるほど、ためになることがてんこもりで、困ってしまう名著。

☆☆☆☆☆(満点)

[目次]
第1章 武道とは何か?
第2章 武道家的心得
第3章 武道の心・技・体
第4章 武士のエートス
第5章 二十一世紀的海国兵談
あとがき 「武道的」ということ

(本書のことを、ブログ掲載の文章から、武道的文脈を編集、加筆したから、とりとめがないとか言うような「バカ」なひとは、わたしの周囲に来ないで!っていう「呪い」をかけておこうっと。そういう「呪い」は、かけてもいいって書いてなかったかな? あれ、逆だったかな.....)
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[内容紹介]「いのちがけ」の事態を想定し、高度な殺傷術として洗練されてきた日本の武道。幕末以来、武道はさまざまな歴史的淘汰にさらされ、それに耐え、そのつど「変身」を遂げつつ生き延びてきた。本来の意味は失われても、「心身の感知能力を高め、潜在可能性を開花させるための技法の体系」である武道には、今こそ見るべき叡智が満ちている。──読めば読むほど気持ちがシャキッとして丸くなる、達見の武道論。筑摩書房 (2010/10/15)


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by yomodalite | 2010-12-26 12:40 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(5)

悪魔の用語辞典 これだけ知ればあなたも知識人

副島 隆彦,SNSI副島国家戦略研究所/KKベストセラーズ




多くの方が『日本のタブー』というタイトルから、想像する内容とは、すこし異なっていて、

本書は、昨年末に出版された 『悪魔の用語辞典』の第二弾で、巻頭に副島氏の「ヒューマニティーズ(人文)、そしてルネサンス(人間復興)とは何か」という文が、60ページほどあり、その後、副島氏の弟子にあたる方々が、それぞれ、下記のテーマを、通常の辞書ではわからない部分に踏み込んで、解説されているという構成になっています。


【優生思想】eugenics ― 人口削減思想の生みの親(崎谷博征)
【安楽死】euthanasia ― 安楽死は功利主義から生まれた(石井利明)
【薬】drug/medicine ― クスリの大部分は疚しさで出来ている(六城雅敦)
【不老不死】immortal ― 魂だけが不死である(足助友子)
【金融工学】financial engineering ― 市場価格を操作する八百長理論(根尾知史)
【ポジティブ】positiv ― ポジティブ思考を解剖する(中田安彦)
【論理的思考】logical thinking ― 論理(logic)とは“連想”である(下條竜夫)
【教育】education ― 教育とは洗脳である(藤森かよこ)
【リベラル】liberal ― リベラルとは友愛である(吉田祐二)
【説明責任】accountability ― 誰もこの言葉の真の意味を知らない(廣瀬哲雄)
【税金】tax ― 税金は悪であり、廃止されるべきである(佐藤研一朗)
【法の支配】rule of law ― 支配階級の冷徹な意思(中谷央介)
【ロビー活動】lobby ― 薄汚いものだがデモクラシーには必要なもの(古村治彦)
【正規分布】normal distribution ― 平均値という幻想(原岡弘行)
【人口】population ― 本当は恐ろしい「持続可能な社会」(高野淳)
【石油】petroleum / hydrocarbon ― 石油は生物(化石)起源ではない(桑原義明)



「愛」や「正義」といった内容や「悪魔の用語辞典」というわりには、極一部、多少青臭かったり、若さが感じられた、第1弾より、現代的な言葉が並んでいるせいもあり、より洗練された「辞典」になっているように感じました。

本家アンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」のような、風刺精神とか、アイロニカルな雰囲気ではありませんが「オックスフォード英語辞典」を、日本人が理解するための最良ガイドになっていると思います。

帯で見えにくくなっていますが、カバー画は、ロダンの「悪魔の手」が使われています。

また、帯に書いてある、

ランボーの「酩酊船」とは精神病者用の病院船だ

川端康成の『伊豆の踊り子』は少女売春の話だ

ミケランジェロは共和政のために命懸けで戦うフィレンツェ防衛隊長だった。
しかし、自分だけヴェネチアに逃げた思想転向者である。そして偉大な芸術家になった。


という内容は、巻頭の、副島氏による「ヒューマニティーズ(人文)、そしてルネサンス(人間復興)とは何か」という文章にあるのですが、

これは、日本の文学部では教えない、世界文学の真実から始まり、神秘主義とは何か、宗教から、発生した権利、自由思想とは何かを、日本の文学や歴史をも含めて語られていたり、マックス・ウエーバーによる、プロテスタンティズムが、近代資本主義をつくったという「嘘」から、「メディチ家とは何か」、ダンテの「神曲」、ルネサンスとは何かという話題につづきます。

メディチ家の話は、塩野七生さんの多くの本や、マンガの題材としても、また、ダヴィンチを筆頭に、ルネサンス芸術も、日本で人気があるはずなんですが、ミケランジェロについての良書には、これまで出会ったことがなく、この中で挙げられていた、羽仁五郎氏の『ミケルアンヂェロ』と『都市の論理』は読んでみなきゃと思いました。

「ルネサンス」という言葉の意味についての解説があり、ミケランジェロとマキャベリ、コジモ・メディチ、ロレンツォ・メディチ、プラトン・アカデミーから、カバラ、グノーシス派。。。芸術家として、最後にボッティチェルリが登場する、これらの流れが60ページほどで語られています。

この巻頭文は、本当に凝縮した内容で、神と人間という考え方に慣れていない日本人には「ヒューマニティーズ」を、こういった流れで解説された経験がない人が、ほとんどではないかと思いますが、もし、これを読んで、それぐらいのことは知ってたなどと思った人は、鮮やかな解説を読むと、すぐに納得して、共感してしまう、おっちょこちょいな方ではないでしょうか(笑)。

わたしは、副島氏の本を読んでいたおかげで、マイケル・ジャクソンが、めったにいないレベルの相当な読書家だったことに、気づくことが出来、彼がミケランジェロをどう理解していたかが、多少でも想像できるようになったので、彼の絶望の深さも、芸術家として見据えていた山の高さも、少しは把握できたように思います。

一年前の『悪魔の用語辞典』のときと、同じことを、もう一度言います。

My Brother & Sister!2011年は、この本から始めましょう!!!

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[出版社による紹介]本当のことこそ、語られない。巧妙に隠される。なぜなら、本当の真実は、たいていの場合、目をそむけたくなるような、恐ろしいことだからだ。

本書のタブーの題材は日本に限定されない。世界、とくに欧米において「常識」であることで、日本人には知らされていないことをたくさん「日本のタブー」として取り上げてある。

それらの真実を知ることは、日本人が生き延びるために必要なことだからだ。

アホな文学好きたちは真実を知らない。世の中は差別と排除とカネの論理で動くのだ。
それなのに、その真実を見ようとしないで、キレイごとだけですませてしまおうとするのは、つまり善人とはただのアホの別名だからだ。

禁忌を破れ! 目を見開いて、この真実を見よ!
この世は本当に、穢〔きたな〕らしいのだ!

[巻頭文の内容]
ヒューマニティーズ(人文)、そしてルネッサンス(人間復興)とは何か ー 副島隆彦
  
・この世で隠されている本当のこと
・言葉を隠して真実を隠そうとする
・文学の世界に隠された差別
・ランボー「酔いどれ船」に隠された真実
・人類の歴史は病原菌との闘いだった
・温泉宿の真実が伝わらない
・ルターが始めた、真実を隠そうとするローマ教会への抵抗
・自由には「貧乏人たち用の自由」と「金持ちたち用の自由」がある
・私、副島隆彦が資本主義の精神のユダヤ先祖返りを解明した
・なぜ日本人はヨーロッパが分からないのか――それはメディチ家を理解しないからだ
・フィレンツェを理解しないとヨーロッパが分からない

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by yomodalite | 2010-12-23 00:13 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

革命か戦争か―オウムはグローバル資本主義への警鐘だった

野田 成人/サイゾー



この本は、3月から読み始めていたのに、ようやく最近読了しました。

これまでに“信者”が書いた本を読んだのは、早川紀代秀が書いた(部分的ですが)『私にとってオウムとは何だったのか』のみ。地下鉄サリン事件(1995年)から、すでに15年が経ちましたが、国家レベルの事件の真相が現れるには、それでも、まだ早いのかもしれません(わたしがもっとも疑問なのは、村井の殺害と、他の信者より年長で医師でもあった林郁夫の死刑が回避されたこと)。

でも、元信者による告白本としては、もう、そろそろ良本が現れる頃ですし、出版元は、オウム信者の脱洗脳で、有名な苫米地英人氏と関係の深いサイゾーということもあって、期待がありました。

ただし、冒頭から第3章ぐらいまでは、以前に書いたように、優秀な理科系の頭脳の持主がオウムにハマっていった様子など、今ひとつ個人的な具体性にかけるというか、他でも読んだような内容で、あまり惹かれなかったんですが、第4章からは、幹部が一斉に逮捕された後、正悟師であった野田氏の責任が重くなり、謝罪や、賠償、住人との軋轢を通して、教団内部の様々な動きを捉えている部分や、教団が上祐派と、依然として尊師絶対で後継者家族を中心としたグループに分かれていく様子などは、本書で初めて読みました。


(下記は、注目個所を要約してメモしたもの)

・獄中の麻原は、破防法適用の前に、長男(当時4歳)と次男(当時2歳)を後継者として指名し(彼らの対して「リンポチェゲイカ」という尊称も指示があった)教団運営体制について、2人の息子、4人の娘を、5人の正悟師に加え運営にあたるという指示があった。

・麻原は、獄中から、破防法の適用を予言し、真理は弾圧されるが、1997年は間違いなく真理元年になるというメッセージを送ってきたが、破防法は回避され、1997年も何もおこらなかった。

・上祐は、1989年の衆議院選挙の落選の際、結果を陰謀とする麻原に対して、たった1人反論した。

・1988年、上祐は獄中から「パソコン事業で稼いだお金は、被害者への賠償に回したらいいのではないか」という提案をしてきたが、当時、金庫番でもあった野田氏は、まだ教団の真理と正当性を信じていたため、耳を貸さなかった。

・松本和子(妻)、次女、三女(アーチャリー)は、教祖をないがしろにするものとして、出所後の上祐の教団運営に批判的だった。(松本和子は裁判では教祖と教団を批判し麻原と離婚すると発言していた)村岡達子、杉浦茂・実兄弟、二ノ宮耕一は懐柔され、反上祐で固まり、野田氏は、上祐寄りとして危惧されるようになった。しかし、三女らの、陰から教団に指示を出すというやり方は、責任の所在がはっきりせず、その後、多くの正悟師が混乱を来たしていった。

・2003年、三女の指示により、上祐は「修行入り」し、教団運営にかかわることができなくなった。

・松本家からの指示は現場レベルで納得できない理想論に偏っており、危険分子でもあるが、実務能力と立場上、野田氏を重用せざるをえなかった。

・実務的な話に介入するのは、松本和子だったが、三女はいきなり電話をかけてきて怒鳴ることもあった。また直接、サマナに「無限地獄行きだね」と宣告することもあった。この当時、三女は、和光大学から入学拒否された際「カルト教団の娘というだけで入学拒否するのは人権侵害。教団とはもう関係ない」と主張していた。

・2004年、野田氏、薬事法違反で逮捕。このとき、野田氏は謝罪を主張したが、教団は「公判で事実関係が明らかになる推移を見て判断する」という判断だった。

・2004年後半、上祐は松本家批判を力説し支持者を集めていく。松本家は荒木(広報)を使って、反上祐宣伝を開始。二ノ宮は幾度か豹変するものの、上祐批判側につき、杉浦茂は途中から一貫して反松本家。

・四女の家出が、原理派の一角を崩すことになる。原理主義者であった、杉浦実と村岡達子は経理を任されたことと、四女による松本家の内実から、徐々に松本家から距離をおくようになる。

・2006年、原理派と上祐派の対立は激しくなり、村岡、杉浦は発言力を失い、松本家の信頼は薄いものの、正悟師としての位と自らの立候補により、野田氏が「アーレフ」の代表となり、上祐は「ひかりの輪」という宗教団体を立ち上げる。

・しかし、元々松本家の信頼が薄く、原理派とそりが合わない、野田氏は教団内で支持を集まられず、2009年3月、除名宣告を受ける。直接のきっかけは「麻原を処刑せよ」という一般大衆向けの原稿.....

(本書からのメモ終了)


野田氏の主張は、自身の除名宣告を正当化するところを差し引いて読むべきですが、どうやら、あまり人心掌握力には長けていない様子や、批判を承知で、自分の想いをぶつけている点は好感を持ちました。また、野田氏がオウムの総括を通して、資本主義への提言をしている部分は、些か固過ぎて、評価しにくいのですが、ハルマゲドン支持者らしい論理が集約されているとも言える。

ボランティア活動と、謝罪活動への取組みの具体的な活動からは、野田氏の本来、オウムに求めていたものが感じられ、また、苫米地氏との特別対談では、オウムの仏教理解を正確に知る、対談相手により、釈迦の空論や、チベットで新たに発見された、昔のサンスクリット語の経典や、オウムが中沢新一の指示でダライ・ラマにお金を払って、チベットに経典を買いに行った話など、以前に洗脳を解いた都沢和子(元オウム信者。当時は美人信者として有名だった)からの話として、紹介されている。

また、苫米地氏は、野田氏の資本主義批判への、具体的な議論相手としてもふさわしく、この対談部分がなかったら、本書の面白さは、かなり減じていたと思う。宗教的理解と、経済が両方わかる対談者は希少で、こういった話相手が、野田氏の周辺にいなかった(野田氏だけでなく、誰にとっても)こと、教祖逮捕後も、残された信者や、被害者、周辺住人、マスコミなどに対応して、自身の論理を進めて行くことは本当に困難だったと思う。

また、サリン事件で逮捕された、多くの信者たちにも、死刑でなく(日本では死刑になると発言手段は相当制限される)、終身刑であれば、事件を無駄にすることなく、生涯をかけての真摯な提言がされただろうと思う。

◎革命か戦争か―オウムはグローバル資本主義への警鐘だった

◎元オウム教団幹部 みどりの家族代表 野田成人のブログ
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[内容紹介]野田成人氏は、アーレフでは代表まで務めた人物ですが、その後、麻原原理主義派と対立し教団を追われたという特別な立場から、教団および一連の事件を総括しております。オウムの破滅的状況を内部から見てきた同氏は、その状況を綻びを見せ始めたグローバル資本主義社会となぞらえ、「その後に待つのは、革命か戦争か」と説きます。その言葉の真意を、本書でご確認いただければ幸いです。サイゾー (2010/3/11)



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by yomodalite | 2010-07-14 13:24 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(3)
聖書って難しいとあらためて思う今日この頃。MJの悲劇に関しても、メディアの問題もあるけど、宗教観の問題もかなりあるんじゃないかと。。。イエスの事を金髪、碧眼だと思っている西欧人は多いですし、彼が、神のことや、イエスについて語っている感じは日本人の感じ方とは、また別の感じがあるというか...

で、今頃になってルターの宗教改革とか、魔女狩りが気になったり....現在のようなマスコミという存在がなかったとしても、そういう集団ヒステリーの土壌が....とか、ぼんやり考えてはみるものの、よくはわかりません(苦笑)

で、悪魔のことも、やっぱりよくわからない。悪魔も、地獄も、日本では、なんだか、適当に輸入してますけど、本場は、そうではないというか、日本では、水木しげるの妖怪辞典に仏教界や、神道界が、反応するなんてことないですけど、あちらは、そうは行かないみたいです。

「聖書」は、とてつもなく重いというか、日本仏教も、神道も「聖書」がなくて、ホント良かったねーーと感じ。

わたしは、水木しげるの『妖怪辞典』も『墓場の鬼太郎』も読んでいませんが、水木氏は「自分の生き方の基本はゲーテ」と語っておられるようなので、もしかしたら、あれも、欧米の「悪魔辞典」の日本置き換えの可能性もあるのでしょうか?(『悪魔くん』というマンガもあるみたいだし...)

で、本書なんですが、デーモンとサタンは、どう違うの?という疑問に、日本で、もっともわかりやすく、答えてくれた傑作マンガ『デビルマン』から「悪魔」を探ったいう謳い文句で、著者は以前にも『悪魔生誕ーデビルマンの悪魔学』(未読)という著書を、共同編集により出版されているようなので、これは、もしかしたら、かなり、こなれた感じで説明いただけるのではないかと期待したんですが、残念ながら、そうではありません。

『デビルマン』や『魔王ダンテ』のマンガ掲載も多く、第一章は、『デビルマン』のデーモン族について、なぜ『デビルマン』は「デーモンマン」ではないのか?という疑問から始まり、期待が高まるのですが、この、冒頭での、デーモン、デビル、サタンの違いについての説明から、もう、いきなり学術的で、この先の話も『デビルマン』を読み解くといった内容では全然なくて、「悪魔」に、深い興味がある人にしか読めない、極めて学術的なもの。わたしのように、出来るだけ簡単に、かいつまんで説明して欲しい♡と思う人には、まったくお奨めできません。

キリスト教が、ユダヤ教、グノーシス主義と拮抗していた時代のこと、そこから、なにが異端と見なされていくかなど、すごく興味深いテーマが扱われているものの、この「入門書」を読む前に読むべき「入門書」が、何冊か必要と思われ、この内容で『デビルマン』を副題に出したのは、良質なツリと言えないかも。

目次に注目すると、すごく期待できるレファ本なんですが、本書の引用・参考文献の中から、3冊ほど読む方が、わかりやすい気がしなくもない(笑)。でも、第5章の「堕ちた神々の系統」、第6章の「悪魔の分類学」とか、第7章の「文学における悪魔」、付録の「ソロモンの遺訓」要約とかは、やっぱり感謝すべき内容。図書館で借りて、ざっくり読んでわかる内容ではないものの、購入して、ゆっくり考えながら読むには良い内容かなぁ。

[目 次]
序 — 悪魔との出会い
第一章 悪魔の正体
デーモンとデビル
デーモン=神霊
デビル=中傷者=悪魔
《サタン=敵対者》と《サタナス=悪魔》
第二章 悪魔の輪郭
悪魔ベリアル
アスモデウス
追放された天使
サタナエル
悪霊マステマ
堕天使とネフィリム(巨人)たち
さまざまな悪魔が登場する「ソロモンの遺訓」
第三章 新約聖書の悪魔像 —《誘惑者》とルキフェルの誕生
新約聖書の堕天使
悪霊の頭
誘惑者としての悪魔像
この世の支配者
マナセ王を惑わした悪魔
地獄の王ではなかったサタン—キリストの冥府下り
ルキフェルの誕生—美しい悪魔—
第四章 諸宗教の悪魔
グノーシス派の悪魔観
マニ教の悪霊
イスラム教の悪魔、魔物
ゾロアスター教の悪魔 
第五章 流刑の神々
悪魔にされた異教の神々
堕ちた神々の系統
異形の悪魔と異形の神々
前人類の物語
第六章 魔女狩りと悪魔学
悪魔との契約
魔女のしわざ
空中飛行とサバト
黒ミサ
魔女狩り
悪魔学の勃興
悪魔の分類学
悪魔の名前
第七章 文学における悪魔
『神曲』の悪魔 ルキフェル
ファウスト伝説と文学
マーローの『フォースタス博士』
ゲーテの劇詩『ファウスト』
異色の魔術師『マンフレッド』
レールモントフの『悪魔』
恋する悪魔
反逆者(=英雄)としての悪魔
創造者への怒り—永井豪の『魔王ダンテ』と『デビルマン』
付録「ソロモンの遺訓」要約
引用・参考文献一覧





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by yomodalite | 2010-07-10 21:07 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)
本日から2010年のブログ始め。

昨年のブログ始めは、林真理子氏の『文学少女』だったのですが、私の中では、2008年は、副島隆彦氏の『中国 赤い資本主義は平和な大国を目指す』に始まり、2009年は、08年の年末に出版された、副島隆彦、佐藤優両氏の『暴走する国家 恐慌化する世界』で始まったと記憶しています。

2009年は、6月25日にマイケル・ジャクソンが亡くなるという衝撃を受け止めるのに本当に永い時間を必要とした1年でしたが、彼が亡くなるまで抱いていた疑問を解くうえでも、また作品や人柄への正統な評価も、副島氏の本を永年読んできたことが非常に役に立ったと思ってます。

それで、昨年末に出版された本書の紹介を、西寺郷太氏の“小沢一郎・マイケル・ジャクソン同一人物説”を見習って、副島隆彦・マイケル・ジャクソン同一人物説として展開したかったのですけど・・・(ちなみに、副島氏は小沢一郎の最大にして最良の擁護者でもあり、この説はまったく突拍子もない説ではなく、むしろ、小沢一郎より「作品」がある分、似ている部分が多いのですが、時間がかかるので今回は省略)

とにかく、タイトルや、ジャケットからは想像しにくいとは思いますが、

「Thriller」というタイトルのアルバム収録曲が、Baby be Mineや、The Girl is Mineとか、The Lady in Lifeだったり、「Dangerous」に、Heal The Worldが収録されていることを知っているMJファンにはお分かりとは思いますが、

また、小沢一郎、MJ、副島隆彦という3人が、自分が学んできたこと全てを惜しみなく与え、弟子を教育してきたことや、

マスコミにおいて、常に激しい攻撃されてきたことなどの(副島氏の場合は無視されてきた)共通点を考えれば、ダンスと音楽の天才で愛と平和の人であるMJが、非常に知的で、ビジネスマンとしても超優秀だったことと同じく、

ベストセラーの経済本の著者であり、政治学者の副島氏が、実は「愛の人」であることも、もう隠しようがないように思います。

では、ここから内容です!

巻頭から、ビアスの『悪魔の辞典』の紹介と、それにインスパイアされた本書を出版する理由に関して、60ページほどの文章が続き、悪魔とは何か、神秘とは何か、愛の思想とは何か、、、たった60ページほどの文章ですが、日本人がそれらを理解するための一番の近道が示唆されています。

副島氏の示唆を受けずに、グノーシスや、カバラーについて、何冊読んでも、魔術を興味をもって、ヘブライ語を勉強したところで、私たち凡人には真実に辿り着くことなど出来ないでしょう。人生は短く老いは早いですから。

本文の用語辞典には、下記の21項目があり、最初の「正義」を副島氏が執筆し、後はお弟子の方が担当されています。

・正義 ー 副島隆彦
・官僚組織 ー 廣瀬哲雄
・税金 ー 廣瀬哲雄
・陰謀 ー 中田安彦
・エリート ー 中田安彦
・社会工学 ー 古村治彦
・正しい/間違い ー 吉田佑二
・良いこと/悪いこと ー 吉田佑二
・自然 ー 下條竜夫
・自然法 ー 中谷央介
・啓蒙 ー 下條竜夫
・政治 ー 佐々木貴浩
・資本主義 ー 石井利明
・価格 ー 根尾知史
・スピリチュアリズム ー 原岡弘行
・マインド ー 崎谷博征
・愛 ー 足助友子
・ポリティカル・コレクトネス ー 石井利明
・フェミニズム ー 藤森かよこ
・分析 ー 高野淳
・預言者 ー 高野淳

続編、続々編と続いていけば、益々有意義な大辞典になりそうな内容。
2010年は、この本から始めましょう!!!

★★★★★(最高にDangerousで、Invincibleな副島氏に今年も目が離せません)

[出版社/著者からの内容紹介]騙されるな! すべてを疑え! そして暴け!
アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』の精神にならい、体制側が押し付けてくるあらゆる知識を疑い、その裏に隠されている真実を暴く。騙されない日本人になるための本。
本編に入る前に、副島隆彦による「悪魔主義・神秘主義」の歴史を俯瞰し、その正体を解き明かす圧巻の巻頭文を掲載。「強欲・拝金」の思想がいかにして誕生したか、そして、「悪魔」と悪罵を投げつけられる側にこそ、真実の生き方が隠されていたことが示される。
稀代の予言者にして百学の思索家、副島隆彦と高弟が暴く「誰も語らないこの世の真実」!
【収録見出し語】正義、官僚組織、税金、陰謀、エリート、社会工学、正しい/間違い、良いこと/悪いこと、自然、自然法、啓蒙、政治、資本主義、価格、スピリチュアリズム、マインド、愛、ポリティカル・コレクトネス、フェミニズム、分析、預言者

[BOOKデータベース]“悪魔”こそが正しい。―たとえ、洗脳された社会に「悪魔」と罵られようと、この潔癖で毅然とした真実の生き方を捨て去ってはいけない。我ら、日本の真の読書人階級が選び取るべき生き方がここにある。稀代の予言者にして百学の思索家、副島隆彦と高弟が暴く「誰も語らないこの世の真実」!アンブローズ・ビアス『悪魔の辞典』の現代的復活。KKベストセラーズ (2009/12/16)

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by yomodalite | 2010-01-04 19:17 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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