カテゴリ:宗教・哲学・思想( 43 )

「汝みずからを知る」のはむつかしい・・・

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システィナ礼拝堂の「デルフォイの巫女」




『汝、みずからを知れ』(グノーテイ・サウトン)

『度を過ごすなかれ』(メーデン・アガン)


デルフォイの神殿には、上記2つの格言(箴言とか神託とも言う)が書かれていたらしい・・・ただ、プラトンは3つあったと言っていたとか・・・ちなみに、Wikipediaの「デルポイの神託」には、3つの格言が刻まれていた。となっていて、3つめは、


「誓約と破滅は紙一重」(無理な誓いはするな)


この部分の注釈にはプラトンの『カルミデス』が挙げてあるので、プラトン説を採用したみたいなんだけど、でも、数のことより、神託を受けるためには、どうすればいいのか?とか、ギリシャ神話の神であるアポロンには、デルフォイの神殿を受け継いだとされているのだけど(それでアポロン神殿とも言われている)、どうして彼が受け継ぐことができたのか?とか、


あのミケランジェロのシスティナ礼拝堂にも描かれている『デルフォイの巫女』が受けた神託と、アポロンのはどう違うのか?などという疑問が、脳のあまり稼働してない領域にほんの少しだけど長くこびりついていたところ、

今、アポロン神殿の「汝みずからを知れ」は、神でない人間は必ず死ぬ。ということを知れ。という意味で「FA」になっているらしい、と小耳にはさみ、本屋に行って確かめてみたところ、ギリシャ・ローマ神話本で「アポロン」の項を見ると、たしかにそんな感じの記述が多くて、、アポロンは、美貌と、音楽、芸術に優れ、輝ける神でありながら、冷酷さ、残忍さをも併せ持っていたとか、なんとか・・・


とにかく、今本屋に置いてあるギリシャ・ローマ神話本には、そう書いてあるものが多かったんだけど、山本光雄氏は1905年生まれで、東大哲学科を卒業された方なので、きっと、ここまでの経緯についても書いてくださっているのでは・・・と、祈るような気分で、『ギリシア・ローマ哲学者物語』(講談社学術文庫)を見てみたら、期待どおりだったのでメモしておきます(あむさん、この本のこと教えてくれてありがとーー!)。


(下記は省略して引用しています)


『ギリシア・ローマ哲学者物語』後編・哲学者の憂い〈第十二夜〉より


これは東大の斎藤忍随君がヨーロッパ土産にくれた。骸骨の下に書いてあるギリシア文字は、グノーチ・サウトン、すなわち「汝みずからを知れ」だ。



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これをもらったときには、詳しいことはわからなかったが、その後「古代文化」という雑誌にこれと同じ図版があって、大阪大学教授の角田文衛氏が「酒宴の骸骨」という小論を書いておられた。原物はローマの国立テルメ博物館の所蔵。もとは、一八六六年にクインチリウス兄弟の別荘跡から発掘され、食堂の床面を飾っていた大理石のモザイク画で、骸骨をモチーフにしたモザイク画や酒杯の図柄は、一、二世紀の流行となっていた。


角田氏はセネカの話にも出たペトロニウスの作と言われる『サチュリコン』を参考にして次のように言っておられる。「〈汝みずからを知れ〉とは哲学の始祖タレスの言葉として伝えられている。しかし〈クインチリウス邸〉の食堂の床に記された〈汝みずからを知れ〉は深遠な意味をもった蔵言ではない。つまりそれは〈汝みずからも死すべき者であることを知れ〉という警告であり、それゆえにこそ命のあるあいだにできるだけ愉んでおけというのである」と。こうした考え方の底流をなしていたのは、当時のローマ世界に瀰漫(びまん)していた俗化されたエピクロス哲学であった、とされている。

 

私は氏の所論に賛成する。エピクロス学派について言うと、始祖のあとで有名なのはキケロより十年ばかり前に死んだローマの詩人哲学者ルクレチウスである。彼の著『物の本質について』はエピクロス哲学のいわば聖典だ。その後、紀元後二世紀ごろまでにその学派の哲学者として名前をあげるに値するような者はオイノアンダのヂオゲネスとヂオゲニアノスの二人くらいだろう。でもその学派そのものが衰微していたわけではない。


「汝みずからを知れ」に返ろう。この策言は当時より約百年以前に生きていたローマの詩人オヴィヂウスにおいてはかなり違った意味で利用されている。彼の著作に『アルス・アマトリア』すなわち『恋愛術』というのがある。その中で彼が恋愛術を説き教えているところに、詩人の姿をしたアポロンが現われてきて、こう言うのだ。

 

淫奔(いんぼん)なる愛を説く師よ、いざ、おまえの弟子たちをわが神殿に導き来れ。各自おのれ自身を知るべしと命ぜるかの文字、かの世界にあまねく知れわたりたる文字のあるところへ。おのれ自身を知る者にして、はじめて賢明なる愛はおこないうべし、またあらゆる仕事もおのれが力に応じて完了するなるべし。生来美貌に恵まれし者は、その点より眺められよ。色艶のよき肌をもちたる者は、ときに肩を裸にして横たわるべし。



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生来美貌に・・眺められよ。ときに肩を裸にして・・の例w




以上は樋口氏の訳を拝借したが、全部を自分で読んでみるがよい。この引用では、「汝みずからを知れ」は「汝みずからの身体の美点・長所を知れ」という意味に解され、その知った美点・長所を恋人の獲得と確保のため利用せよ、と忠告しているのだ。

 

この『アルス・アマトリア』を紀元前二年の作だとすると、それより四十二、三年前に書かれたキケロの『ツスクラヌム談義』においてもこの箴言がもち出されている。そこではオヴィヂウスとは反対に、それはわれわれの肢体や体格や容姿を知ることを命ずるのではなくて、「汝の魂を知れ」と命ずるものだと解されている。そして魂を知るということが神的なことだから、その篇言はある頭の鋭い人の作ったものだけれど、神に帰せられることになったという趣旨のことが述べられ、ついで魂の不滅の問題が論じられることになる。


しかし、このキケロの解釈はプラトンの『第一アルキビアデス』ですでに述べられていることだ。プラトンの『プロタゴラス』では、この篇言は七賢人が相そろって、デルポイの神殿に詣でて彼らの知恵の初なりとして、「やり過ぎるな」という箴言といっしょにアポルロンに奉納したことになっていて、『カルミデス』にも出てくる。この対話編では健全な思慮の徳、すなわち節制の定義が求められるのだが、ソクラテスの話し相手のクリチアスは、「健全な思慮」とは、つまり「自分自身を知ること」であると答える。しかしその解釈は『第一アルキビアデス』の解釈との一致から見て、プラトンのものとしてさしつかえはあるまい。


それによると、この箴言は「ごきげんよう」という普通一般の挨拶の代わりに神様が参拝者へなさる挨拶として、この「汝みずからを知れ」を奉納したのであって、その意味は「思慮健全であれよ」というのと同一である。しかし世間の人は別なものと思っているようで、また「やり過ぎるな」「保証、その傍に破滅」(誓約と破滅は紙一重)という箴言を後に奉納した人たちも同じくそう思い、また、それを忠告だと考え違いし、自分たちもそれに劣らぬ忠告を捧げるつもりでそうした、というのである。


しかし諸君にはおそらくその両者がどうして同一のことを意味するのか、すぐにはわかるまい。で、ちょっと説明しておこう。


『チマイオス』で「思慮の健全な」は「正気の」という意味で使用され、思慮の働きが睡眠によって、あるいは病気によって、あるいは神がかりによって拘束され、狂わされている心の状態と対立させられている。つまり、いろんな種類の「狂気の」と反対の意味で使用され、そして「正気の」人のみ自分自身のことを行ない、自分自身を知ることができるという昔からの言葉が正しいものとして承認されている。したがって「正気であること」は「自分白身を知ること」の必須の前提として、両者は同義だと主張されることになったのだろう。

 

次に「汝みずからを知れ」とソクラテスの「汝の無知なることを知れ」という勧告との関連も少々わかり難いかもしれぬ。プラトンは『ピレボス』でこういうようなことを言っている。神様が人間に「汝みずからを知れ」と命じられるのは、人間が自分自身を知らないからのことである。しかしこの自分自身についての無知は三種類ある。その一つは金銭に関し、自分を自分の財産以上の金持だと思う場合、他の一つは身体に関し、自分を真実ありのまま以上に大きく美しいと思う場合、最後の一つは魂の徳に関し、事実そうでないのに、自分を徳のすぐれた者だと思う場合である。この三つの場合は後にいくほど、そう思い違いする人数が多くなる。そして最後の場合は、権勢をもって影者、後者は笑うべき強い者とそうでない者とがあるが、前者は憎むべき醜悪な者である。


したがって右の関連において考えると、「汝みずからを知れ」は、「汝自身の無知を知れ」ということを意味することになるだろう。

 

ところで、この箴言はさきの『プロタゴラス』では七賢人の合作ということになっていたが、また別の伝えでは七賢人の一人のタレス、あるいはキロンの作となっている。また別の伝えもある。いま七賢人、あるいはその一人の作だとすると、そのときにおいてはどういう意味をもっていただろうか。それを推定する資料はほとんどないので、確実なことは言えないようだ。


私としては諸君に私の前編「哲学者の笑い」の第一夜の話を思い出すことをお願いする。「知恵のもっともすぐれた者」として自分に贈られてきた黄金の鼎(かなえ)をソロンは、「神こそ知恵のもっともすぐれたお方である」と言って、デルポイの神殿に奉納したというのである。この関連において考えてみると、「汝みずからを知れ」はソクラテスが『弁明』において言っているように、もっとも賢いと言われる人間の知恵さえも神の知恵に比べれば、まったく取るに足らぬことを知れという意味になるだろう。

 

またプルタルコスの小論に『デルポイのEについて』というのがある。そこで、内殿の入口に掲げてあるこのギリシア文字エイについていろいろな解釈が述べられているが、そのうちのペリパトス学派のアムモニオスの解釈では、Eは「汝はある」という人間の神に対する挨拶である。そして表玄関に掲げてある「汝みずからを知れ」は逆に神から人間への挨拶である。それは、エイは二人称単数のエイすなわち、「汝はある」で、神が永遠の存在者であるということを意味するのに対し、人間は絶えず生成消滅する可死的存在者であることを言うものである、というのだ。


プルタルコスといえば、紀元後一世紀ドミチアヌス皇帝治下、ローマで一時講義をしていたことがある。絵葉書の文字が書かれる数十年前のことだ。したがってこの時代では世間一般の人々にはやはり「汝みずからを知れ」は「汝の可死的なる者であることを知れ」という意味にとられていたのだろう。


しかしその解釈からただちに「それゆえに生を享楽せよ」というエピクロス学派の結論は出てこない。ボエチウスの『哲学の慰め』でも、獄中に呻吟する彼に「哲学」の化身によって「自分自身を知る」ことが勧められ、「実のところ、自己自らを知るときにかぎり他の諸物の上に卓越し、これに反して自己を知ることをやめれば動物の下に堕するというのが人間の本性なのだから」と言われている(岩波文庫、畠中尚志氏訳)。そして、ここではエピクロス学派とは反対のことが結論されている。


ともかく「汝みずからを知れ」という箴言そのものが謎なのだ。

いや、「汝みずから」がすでにスフィンクスの謎だ。


プロクロスが『第一アルキビアデス』の注釈の初めに言っているように、「自分自身を知ること」が哲学の初めだ。

 

哲学を学ぶ諸君! 諸君も正気をもって自分自身をよく調べたまえIーーこう言いながら、しかし私自身のために想い出す一つの話がある。哲学の祖タレスはあるとき何がむずかしいことかと尋ねられて、「自分白身を知ることだ」と答え、また何か容易なことかと尋ねられて、「他人に忠告することだ」と答えたということだ。

 

では、今夜はここまでにしよう。


(引用終了)



◎「3.11」関連の記事は、こちらのカテゴリにあります。

http://nikkidoku.exblog.jp/i45/





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by yomodalite | 2016-03-11 22:38 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(2)

オウム真理教の精神史ーロマン主義・全体主義・原理主義/大田俊寛

オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義

大田 俊寛/春秋社




『ヒストリー』20周年で、アメリカだけでなく、日本の1995年を思い返しているのですが、その年は、阪神大震災が起こり、オウム真理教によるサリン事件があった年でした。

20代から30代までグノーシス主義の研究に専念したという著者は、2011年に出版された本書で、これまでに出版されたオウム関連書籍を、元信者、ジャーナリスト、学問的著作に分類し、特に、学問的分野において、適切に論じられているものがなく、


・中沢新一『「尊師」のニヒリズム』

・宮台真司『終わりなき日常を生きろーオウム完全克服マニュアル』

・大澤真幸『虚構の時代の果てーオウムと世界最終戦争』

・島薗進『現代宗教の可能性ーオウム真理教と暴力』

・島田裕己『オウムーなぜ宗教はテロリズムを生んだのか』


著者は上記の代表的な五点の問題点を

オウム事件の原因を70年代後半から80年代以降の日本社会、すなわち、高度経済成長を達成した後の日本社会の問題に帰着させていることである。このような着眼はまったく間違っているというわけではないが、端的に言って、視野が狭すぎる。現代の日本社会においてオウムのような「カルト」が発生するに至ったのは、それに先行するさまざまな歴史的要因の蓄積があり、学問的分析においては、そのような要因をも視野に収めなければならない。
それとは逆に、仏教研究を専門とする学者によって執筆された論考にしばしば見られるものだが、オウムの問題を、例えば仏教史全体から考察しようとすることは、視野が広すぎる。宗教のあり方はそれぞれの時代によって大きく異なっており、近代以前の仏教の教義とオウムのそれを比較することは、両者の根本的な差異が大きすぎ、有効な分析にはなりえない。オウムはしばしば原始仏教へと回帰することを訴えたが。その精神史的ルーツが本当に仏教にあるのかということ自体を疑問に付す必要があるだろう。


という。このあと、オウムの教義が近代宗教の特質を備えていることを確認すると、「第1章」では、そもそも「宗教」とは何なのか、について、キリスト教の成立から、主権国家と政教分離に至るまで。といった内容が展開され、やはり「視野が広すぎる」のでは? と思うものの、


そのあとの第2章で、サブタイトルにもあるように「ロマン主義」、第3章で「全体主義」、第4章で「原理主義」と、近代宗教や精神史の総括が簡潔にまとまっているので、オウムのみならず、宗教やスピリチュアル、オカルト、陰謀論を考えるうえでは、ちょうどいい視野と言えるのかも。(ただし、本書の「ロマン主義とは何か」という説明は、宗教のなかの「ロマン主義」を説明する文章であって、精神運動全般としてのロマン主義を誤解させかねない点は要注意)


下記は、神智学、ニューエイジ思想、トランスパーソナル心理学、チベット仏教、インドの導師・・など、現在のスピリチュアルの根源が数多く登場する、


第2章「ロマン主義ー闇に潜むわたし」から(省略・要約して抜粋)


近代においては、主権国家の枠組みのもと、科学力・経済力・軍事力等が歴史的に類を見ない速度で発展し、またそれに伴って、社会の巨大化と流動化と複雑化が右肩上がりに進行していった。それではこのような社会において、人々が心理的に求めるものとは何だろうか。それは、世界の全体像を知りたい、ということである。


今や社会はあまりにも巨大化しており、事実上、誰もその全体像を一つの視野に収めることができない。また、社会はあまりにも高度に複雑化しており、誰もその詳細を見通すことができない。誤解してはならないのは、社会の全体像を把握することができないのは、それが非合理的な存在だからではなく、合理的に組み上げられたネットワークそのものが、今やあまりにも巨大で複雑なものと化しているからである。しかし人々は、自分が生きている世界の構造を知り、その全体像を見渡したいという欲望を断念することができない。そこから、幻想的な「世界観」が生まれることになる。

 

そして次に、自分が生きている意味を知りたい、ということである。啓蒙主義は、万人には平等な理性が与えられていると説くが、このような主張は実は、群衆社会に生きている人々にとっては、不安や恐怖の原因でしかない。なぜならそれは、自分自身が他の誰とでも交換可能な存在に過ぎないということを示すものだからである。人々はむしろ、自分がかけがえのない存在であり、自分の人生に固有の意味があるということを実感したいと欲する。複雑な社会のなかで一つの部品のように生きている自分は「偽りの自分」に過ぎず、「本当の自分」は見えないところに隠れている、と考えるのである。

 

近代人のこのような心理的欲望から、多種多様な幻想が析出されてくることになるが、ロマン主義という思想は、その主なものの一つである。


ロマン主義的宗教論の系譜をたどる上で、最初に取り上げておきたいのは、ドイツの神学者フリードリッヒ・シュライアマハーが著した『宗教論』という著作である。1799年に初版が公刊された『宗教論』は、副題に「宗教を軽んずる教養人への講話」と記されており、もはや人間は宗教という迷信にすがる必要はないとする、当時の先進的知識人に向けた反論として執筆された。


彼は、心のなかに湧き上がる宗数的感情を「宇宙の直観」と呼ぶ。『宗教論』では、究極的存在者を「神」という言葉でなく、「宇宙」や「無限(者)」という用語が使用される。『宗教論』という著作は、キリスト教の本質を捉えることを目的としているが、それ以上に、個別宗教としてのキリスト教やその人格神の観念を突き抜け、宗教一般の本質へと到達しようとしたものなのである。そして彼が言う「宇宙」とは、目に見える宇宙の背後に、あるいは人間の心の深部に存在する、不可視で精神的な「宇宙」なのである。


『宗教論』という著作は、美しい文体と説得力のある論理の運びによって多くの読者を獲得し、後世にも長く影響を与えた。しかし、実際に、シュライアマハーが提唱したことをそのまま実現しようとすると、オウムのような「カルト」的傾向を帯びた宗教が立ち現れることになる。また、人間の心の中には「宇宙」という無限の世界が広がっており、それに触れて自己を変革することに、宗教の本質があるというアイデアは、その後、数多くの心理学者たちによって具体的に展開される。(→ウィリアムズ・ジェイムズ『宗教的経験の諸相」~P63)


* * *


19世紀にヨーロッパで生まれたロマン主義という潮流は、20世紀後半のアメリカ・ニューエイジ思想においてヴァラエティに富む表現や実践方法を獲得し、60年代以降、日本では「精神世界」というカテゴリーが作り出され、ニューエイジ思想以上に雑多な内容のものがそこに放り込まれた。具体的には、東西の神秘主義、錬金術、魔術、ヨーガ、密教、禅、仙遊、輪廻転生、超能力、占星術、チャネリング、深層心理学、UFO、古代偽史などであり、一見したところ相互にどのような関連を持っているのか見分けがたいが、その大枠は、何か「宇宙的なもの」を感じさせてくれる対象の集まり、ということになるだろう。


シュライアマハーは「心のなかの宇宙」に触れて本当の自分に目覚めることを宗教の本質とし、宇宙を経験するために古今東西のさまざまな宗教について学ぶべきであると提唱したが、日本の「精神世界」論は、ポピュラーな水準でそれを具体化したもので、オウムもまた、こうした精神世界論のなかから生み出されたものの一つだったのである。

 

日本にヨーガを持ち込んだのは、心身統一論で知られる中村天風、神智学系のヨーガ団体の竜王会を主催した三浦関造、ヨーガ教典の翻訳に努めた佐保田鶴治などがその先駆けとなるが、クンダリニー・ヨーガを広く社会に浸透させたという点から考えると、超心理学を提唱した本山博、阿含宗の教祖である桐山靖雄に注目する必要がある。

 

本山博(1925~)は、霊能者の母を持ち、東京文理科大学(現・筑波大学)で博士号を取得した本山は、自らの神秘的経験を科学的に検証することを志す。その成果として1963年に公刊された処女作が『宗教経験の世界』。この著作では、超感覚的な存在を科学的に探求する試みが世界中で始まっていることが紹介され、J・B・ラインの超能力(ESP)研究、ユングの深層心理学、そしてヨーガの実践による超感覚的なものの体験が挙げられている。論理構成としては、ヨーガの修行者や霊能者が主観的に体験している超感覚の世界を、いかにして科学的に明らかにしうるかという問題が取り上げられ、著作の結論部においては、宗教経験に全体として三つの段階の深まりがあること、その第三段階おいては「心霊との全き一致」が生じることが論じられる。

 

本山の活動は、「超心理学会」の開設や「宗教心理学研究所」の運営など多岐にわたるが、1978年に公刊された『密教ヨーガ』という著作では、ヨーガの目的が「身体や心を健全にするだけでなく、人間の存在そのものを霊的に進化させ、宇宙の絶対者と一体にならしめるところにある」と説かれ、宇宙との一体化を実現するためには、クンダリニーを覚醒させ、身体内の七つのチャクラを問くことが必要であると説かれる。この著作には、本山自身の体験についても豊富な記載があるが、クンダリニーが覚醒したとき、一時的に身体が空中に浮揚したということが述べられている。オウムの信者のなかには、本山の著作や指導によって最初にヨーガに触れたという者も数多く存在した。

 

ヨーガや密教の修行をポピュラーなものとするのにより大きな役割を果たしたのは、本山の活動と並行して発展した、桐山靖雄(1921~)の「阿含宗」である。オウムの初期信者たちの多くが阿含宗に所属しており、麻原自身もかつて阿合宗で修行していたことが知られている。桐山は81年に『1999年カルマと霊障からの脱出』という著作を公刊し、ノストラダムス・ブームに荷担するとともに、悪しきカルマの増大によってこの世に破局が訪れるという形式の終末論を唱え、その論法はオウムにも引き継がれていった。また、阿含宗は関連会社として平河出版社を経営しており、桐山の著作だけでなく、ニューエイジ関連本も多数出版された。そのなかの一冊が1981年に中沢新一による『虹の階梯』である。(P99~104)


* * *


第3章「全体主義 ー 超人とユートピア」から(省略・要約して抜粋)


フランス革命の標語「自由・平等・友愛」に示されているように、近代社会を支える理念とは、個々の人間が自由で平等な主体として存立し、友愛の念を持って相互に尊重し合うということである。啓蒙主義においては、あらゆる人間には平等に理性が備わっているとされ、ロマン主義においては、個々の人間は他に還元できないかけがえのない固有性を持っていると見なされる。人間のあいだの共通性に着眼するのか、あるいは差異性に着眼するのかという点において、啓蒙主義とロマン主義の主張は対極的であるが、それでも両思想のベースには、人間の本来的平等の観念が存在していると見ることができるだろう。

 

しかし、地縁や血縁から切り離された「自由で平等」な個人が都市部に集合して群衆化し、アノミー的に裁き続ける近代社会において、人々は逆説的にも、生の指針を示し、自分を導いてくれる、特権的な人物の存在を強く希求するようになる。


一例を挙げれば、啓蒙的な自主独立の精神に立脚していたはずのフランス革命は、実際にはロベスピエールという一人の「カリスマ」によって唱導された。また、ロマン主義において、宗教の本質は心のなかに潜む宇宙を独白に探求することであるとされたが、自らの霊性をどれほど深く探求し、開発したかに応じて、人々から「導師」として仰がれるような高位の人物が現れてきた。


政治哲学者ハンナ・アーレントは群衆意識の性質について、次のように述べている。


大衆は目に見える世界の現実を信ぜず、自分たちのコントロールの可能な経験を頼りとせず、自分の五感を信用していない。それ故に彼らには或る種の想像力が発達していて、いかにも宇宙的な意味と首尾一貫性を持つように見えるものならなんにでも動かされる。事実というものは大衆を説得する力を失ってしまったから、偽りの事実ですら彼らには何の印象も与えない。大衆を動かし得るのは、彼らを包み込んでくれると約束する、勝手にこしらえ上げた統一的体系の首尾一貫性だけである。(『全体主義の起原』第三巻、80頁)


人々の利害はあまりに細分化・多極化しており、すべての人問に共通する利害を見出すことが難しい。ゆえに政治家や運動家は、特定の利害ではなく、明確に目には見えないものの、個々人がそこに自らの生の基盤があることを実感し、自我を没入させることができるような「世界観」を提示しようとする。全体主義とは一言で言えば、孤立化した個々の群衆を特定の世界観のなかにすべて融解させてしまおうとする運動なのである。


アーレントは、全体主義が構築する世界観について、次のように論じる。


全体主義運動は(中略)権力を握る以前から、首尾一貫性の虚構の世界をつくり出す。(中略)全体主義プロパガンダは大衆を空想によって現実の世界から遮断する力をすでに持っている。不幸の打撃に見舞われるごとに嘘を信じ易くなってゆく大衆にとって、現実の世界で理解できる唯一のものは、言わば現実世界の割れ目、すなわち、世界が公然とは論議したがらない問題、あるいは、たとえ歪められた形ではあってもとにかく何らかの急所に触れているために世間が公然と反駁できないでいる噂などである。(『全体主義の起原』第三巻、八三頁)

 

白身が生活する現実世界の全体像を見渡すことができない群衆は、現実世界の「割れ目」に存在するものを手掛かりにして、幻想的な世界観を作り上げる。ナチズムの場合で言えば、肯定的な存在としては、「ゲルマン民族の血の高貴さ」であり、否定的な存在としては「ユダヤ=フリーメイソンの陰謀」ということになるだろう。群衆はこうした不可視の想像物を基礎に据えることによって、幻想的で二元論的な世界観を構築する。すなわち、彼らは、自らの本来的アイデンティティはゲルマン民族としての血統にあるが、劣等民族であるユダヤ人や秘密結社のフリーメイソンがその高貴さを汚そうとしている、こうした相克こそが世界の実相である、と思い込むのである。


エーリッヒ・フロムがナチズムの運動に雪崩れ込んでいった群衆の心理を「自由からの逃走」と呼んだように、根無し草としての放恣な自由に疲れ、苦悩を抱える群衆は、その心の奥底では、強固な束縛こそを希求しているのである。(~P117)


* * *


近代人に「超人」というヴィジョンを提示しだニーチェは、近代の世界においてはもはやキリスト教の原理が通用しないこと、キリスト教が提示してきた目的論的な歴史観が失効してしまったことに、もっとも正面から向き合おうとした。主著の『ツァラトゥストラ』で、主人公のツァラトゥストラは、独白に近いスタイルで「超人」について語り始める。しかしそもそも、なにゆえに超人の存在が必要とされるのだろうか。

 

ひと言にで言えば、それは、キリスト教の神がすでに死んでしまったため、神の存在を基準として人間主体を陶冶してゆくという従来の方法が、もはや通用しなくなったからである。ニーチェは、キリスト数的な主体から超人へと至る精神の歩みを、駱駝、獅子、小児という三段階の比喩を用いて語っている。駱駝とは、敬虔の念に溢れた重荷に耐える精神、キリスト教の規範に従属する禁欲的精神のことを指すが、これに対して獅子は、「われは欲す」という欲望と意志の言葉によって、その生き方を打ち砕く。しかし獅子も、新しい価値を自ら創造することはできない。それが可能なのは、無垢な小児である。小児は、過去については忘却し、その目は常に新しい始まりに対して開かれ、世界生成のありのままの姿を肯定する。「創造の遊戯」によって新たな価値を生み出すことができるのは、小児=超人なのである。

 

ニーチェは、プラトン主義的な形而上学や、神の国の実現という目的=終末を設定するキリスト数的な歴史観を、空虚な「背後世界」の存在を仮定し、それによって人間の価値や存在意義を提造しようとする錯誤的な思考であるとして、厳しく退ける。それに代わってニーチェが持ち出すのは、いわゆる「永劫回帰」の世界観である。あの世などという「背後世界」は実在せず、存在するのはあくまでこの世だけである。そしてこの世において、万物は流れ去るとともに、再び同一の状態へと回帰する。死もまた、人間の生にピリオドを打つものではない。人の一生はまったく同じあり方で、同じ世界のなかに再び回帰してくるからである。何らの意味も目的も終わりもなく、流れ去っては、永久に回帰し続ける世界。しかし、ニーチェの思想は、シュタイナーやユングのような20世紀のロマン主義者たちに多くの霊感を与えただけでなく、ナチズムにおける進化論や人種論を支えるバックボーンともなった。(P126。ウェーバーのカリスマ論~群集心理学~精神分析のパラノイア論)


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『わが闘争』において、ヒトラーがユダヤ的なるものとして指弾している対象、民主主義、マルクス主義、マスメディア、国際金融資本、売春業などには、確かに共通した傾向が見られる。それは、人間を慣れ親しんだ故郷の大地から引き剥がし、不透明で流動的な社会へと投げ込むもの。すなわち、近代的な群衆社会の特性を象徴するものなのである。しかしながら、彼の思索は、論理的一貫性を備えているとは言い難い。具体例を挙げれば、ヒトラーは、マルクス主義と資本家を共にユダヤ的だと見なしているが、言うまでもなくマルクス主義は資本家の打倒をその政治目標として掲げており、対立する両者がともにユダヤ的というのは、辻褄があわない。そこでヒトラーが持ち出すのが、いわゆる「ユダヤ陰謀論」である。ユダヤ人による活動はきわめて多岐にわたり、一見したところ支離滅裂で、ときに対立しているかのように思われるが、その背後にはすべての糸をひいている秘密結社が存在し、ある目的を達成するために、隠された計画を進めているのである。


表面的に露わになったものにはその「裏」があるのではないだろうか、と考える「陰謀論的解釈学」は、必然的に裏の裏、裏の裏の裏を追求することを余儀なくされ、その妄想の連鎖には歯止めが利かなくなる。(~P148。「洗脳の楽園」~グルジェフのワーク、ヤマギシ会の農業ユートピア)


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第4章「原理主義ー週末への恐怖と欲望」


原理主義という言葉は、本来、20世紀初頭のアメリカに現れたキリスト教・プロテスタントの一派を名指すために使われ始めた言葉であるが、視野を広げてみれば、キリスト教やその他の一神教だけでなく、日本の宗教思想にもその存在が認められる。日蓮主義はその一例であるが、日本において特徴的なのは、オカルト思想に由来する原理主義、例えば「竹内文書」に基づいた偽史的世界観や、ノストラダムスの予言書に基づく終末思想が大きな影響力を振るい、国内に流入したキリスト教原理主義と奇妙な混淆を起こしていることである。


アメリカ社会において一般に原理主義が広まったのは、急速に普及したテレビによって、「テレビ説教師」と呼ばれる人物たちが登場したことによる。彼らの歴史観は「ディスペンセーション主義」と呼ばれ、その最も有名な書物はハル・リンゼイが1970年に公刊し、アメリカで1800万部を売り上げた『今は亡き大いなる地球』である。リンゼイはイスラエルの再建を終末へのカウントダウンが開始された確証であるとみなす。同時にイスラエルの存在は、中東情勢を不安定にする要因となっており、メギドの丘(ハルマゲドン)に「諸国の王」が呼び集められ、最終戦争が引き起こされるための条件が徐々に整いつつある。旧約聖書のエゼキエル書にあにイスラエルの敵として登場する「ゴグ」をソ連のことだと考え、両者の間に核戦争が勃発すると予測する。ダニエル書の記述から「北の王」をソ連、「南の王」をエジプトだとし、エジプトもイスラエルへの侵入を目論んでいると考える。世界情勢は聖書の預言どおりに進行しており、ハルマゲドンは間近にせまっている。とする。(P177。~ブランチ・ダビディアン)


アメリカのキリスト教原理主義の信仰形態は、日本にも伝達された。日本ホーリネス教会の創始者、中田重治は、世界の終末とキリストの再臨が迫っていること、、そしてその際、正しい信仰をもった信者は救済されると説いたのだが、そこで、根本的な疑問に直面する。果たして、神の救済計画の中に、日本人の救済が含まれているのだろうか?このような疑問に回答し、信仰への確信を得るために、中田はきわめて突飛な論を引き寄せる。いわゆる「日ユ同祖論」である。(P183。~竹内文書、ローゼンベルグの『20世紀の神話』、ヒヒイロカネ)


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第二次大戦中から戦後にかけて、日本では最終戦争や、終末論に関する言説は影を潜めたが、1970年以降、再び活気を取り戻す。ハル・リンゼイが提示した終末論を焼き直した書物を執筆する人々が現れ、彼らの著作も多くの読者を獲得するようになり、その代表者の一人が、宇野正美である。宇野は、キリスト教の終末論に加え、ユダヤ陰謀論を唱えるようになり、1986年に出版された『ユダヤがわかると世界が見えてくる』『ユダヤがわかると日本が見えてくる』の二書は、100万部を超えるベストセラーになった。


また、1970年代半ば以降『地球ロマン』『UFOと宇宙』『迷宮』など数々のオカルト雑誌を公刊し、『ムー』や『トワイライト・ゾーン』の発刊、編集にも間接的に関わった、武田崇元は、東大法学部在学中にトロツキーを始めとする共産主義の思想に触れ、卒業後は大本教の出口王仁三郎の霊学思想へと軸足を移した。結果として武田の世界観は、共産主義と大本霊学という二つの革命思想を混淆させたものとなり、「霊的革命」「霊的ボルシェビキ」と称され、『はじまりのレーニン』などの革命感は、中沢新一にも影響を与えたと言われる。武田の著作はそれほど多くはないが、「有賀隆太」というペンネームで書かれた『予言書 黙示録の大破局』という著作の末尾に、世紀末の日本に「オカルト神道」が復活し、その流れから「再生のキリスト」が出現することが予言されている。(P193。~五島勉『ノストラダムスの大予言』~仏教による千年王国の実現~川島徹『滅亡のシナリオ』)


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このあと最終章の第5章で「オウム真理教の軌跡」として、麻原の出生からのサリン事件に至るまでの軌跡が綴られています。


◎[Amazon]オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義



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by yomodalite | 2015-10-19 23:20 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

ユダヤの「生き延びる智慧」に学べ/石角完爾

著者は、京都大学在学中に、国家公務員上級試験、司法試験に合格し、同大学を首席で卒業後、通産省へ。その後ハーバート・ロースクールから、ペンシルバニア大学証券金融研究所研究員を経て、現在は、千代田国際経営法律事務所所長、国際弁護士として、アメリカ、ヨーロッパを中心にM&Aのサポートする著者は、50歳を過ぎてから、ユダヤ教に惹かれ改宗することを決意する。

他の宗教とは異なり、ユダヤ教への改宗は、信者になるというだけではなく、「ユダヤ人」になるということ。

日本人からユダヤ人になるのは、簡単なことではなく、宗教指導者であるラバイ(=ラビ)の元で何年も厳しい勉強をし、筆記試験や、口述試験を何度か受け、数々の儀式を行い、死後、自分の遺体を火葬しない誓約書を提出し、割礼手術を受ける。手術はラバイの立会いの元、病院で行ったものの、術後、2週間も出血と痛みがあった。また妻も改宗するという条件があり、冬の三浦海岸で、素っ裸になって海に浸かる儀式を経て、あらためてユダヤ式の結婚式を挙げた。(「はじめに」より)


これほど優秀なひとが「簡単なことではない」というユダヤ教について、冒頭から学ぶ気が失せるようなことが書かれているうえに、「浮かれる日本への警鐘」というサブタイトルどおり、耳の痛いことが満載の本書なのですが、

「第4章・生き延びるためのヒントはユダヤの教えに」から、

「なぜリベラルアーツ教育は日本に根づかなかったのか」を引用します。


あるボーディングスクールを訪ねたとき、こんな標語の書かれたポスターが貼ってあるのを目にした。

A bill of rights is what the people are entitled to against every government on earth.
地球上のあらゆる政府に対して抵抗する人民の権利こそが基本的人権である

これは、アメリカ合衆国第三代大統領であり、アメリカ独立宣言の主要な起草者であるトーマス・ジェファーソンの言葉(*)である。
 
ボーディングスクールとは、リベラルアーツ教育を行うところだ。日本では「リベラルアーツ=一般教養」などと誤った訳が与えられているが、とんでもなく馬鹿げた間違いである。今の日本には、そもそもリベラルアーツの概念すら存在しない。
 
リベラルアーツとは何か?それはギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持つ、人が身につけるべき実践的な知識・学問のことだ。原義は「人を自由にする学問」であり、それを学ぶことで人は初めて非奴隷たる自由人になれた。
 
時代は下って、アメリカで発達した現代のリベラルアーツ教育は、人文科学、社会科学、自然科学に加え、物の考え方に重点を置いた教育が行われる。全寮制による少人数教育であることも特徴だ。
 
と、ここまでの説明は辞書的な一般論である。私なりの解釈をいえば、リベラルアーツ教育とは、冒頭の標語に書かれていたように、政府に抵抗し、政府を倒すための戦略的思考を教える教育である。政府に抵抗する人民のために銃を持つことが権利であると同じように、政府に対抗するための学問を修めることも人民の最も重要な権利なのだ。
 
だからこそダグラス・マッカーサー元帥は、第二次世界大戦後、日本からリベラルアーツ教育を奪い去ったのである。そんなものが日本にあると世界にとって危険だからだ。だからこそ豊臣秀吉は刀狩りをやったのだ。そんなものがあると秀吉の支配に危険だったからだ。同じことである。
 
マッカーサーは日本をアメリカのいいなりになる羊ばかりの国にするために、リベラルアーツの欠如した教育制度をつくった。6・3・3・4という日本の教育制度からは、リベラルアーツを修める機会がすっぽり抜け落ちていることに日本人は気づかなかった。その挙句、どうなったか? 日本には受験教育と就職戦争だけが残った。一つでも上のランクの大学に入ろう。早く大学に入って就職活動をしよう。そういう若者ばかりを育てた。結果として、戦略的思考ができる人間は日本からはほとんど生まれなくなった。
 
これこそはアメリカの思う壷であった。”愚かな国、日本” を収奪の対象とすることが戦後70年にわたって行われてきた。日本の国富という国富はすべてアメリカに吸い上げられた。その結果が今の日本の体たらくである。
 
経営学の巨人、ピーター・ドラッカーはいっている。
 
「マネジメントはリベラルアーツである」
 
ドラッカーのいうマネジメントには、企業のマネジメントはもちろんのこと、国家のマネジメントも含まれる。
 
先に挙げたトーマス・ジェファーソンの言葉を紹介したポスターは、ケンタッキー州のレキシントンにあるトランシルヴァニア大学のキャンパスに貼られていたものだ。トランシルヴァニア大学は小さなリベラルアーツ・カレッジである。その大学の標語が「単なるリーダーになるな、パイオニアになれ」といっているのだ。
 
パイオニアとは、いうまでもなくある分野の開拓者、つまり人がやっていないことを、先頭に立って切り開く者という意味である。これぞまさに、今の日本に最も求められている起業家のことではないか。リベラルアーツ教育はパイオニア精神を叩き込む教育なのだ。日本人は政府に反抗したり、政府を倒そうとしたりしない羊のような人間の集合である。それはアメリカによってつくられた現実だったが、結果的には政治家や官僚にとっても、都合の良い状態なのだろう。
 
マッカーサーの「謀略」以前に立ち戻って、日本人はリベラルアーツ教育の必要性を議論するべき時である。

(引用終了)



(*)イギリスに統治されていた13の植民地が独立したことを宣言した、アメリカの独立宣言は、トーマス・ジェファーソンが起草し、1776年7月4日に大陸会議によって採択された(この頃、日本は鎖国中の江戸時代)。基本的人権と革命権に関する前文、国王の暴政と本国(=イギリス)議会・本国人への苦情に関する28ヶ条の本文、そして独立を宣言する結語の3部から成り、中でも、「全ての人間は平等に造られている」と唱え、不可侵・不可譲の自然権として「生命、自由、幸福の追求」の権利を掲げた前文は、アメリカ独立革命の理論的根拠を要約し、後の思想にも大きな影響を与えた。

ちなみに、

マイケルが、オックスフォード・スピーチで「子どもたちの権利」について話す前に、ジェファーソンを登場させているのも、それが米英の基本的人権の土台になっているからですね。

(下記はスピーチの該当部分)

みなさんご存じのように、イギリスとアメリカは、第3代大統領トーマス・ジェファーソンが起草した独立宣言の「奪うことのできない権利」(生命・自由・幸福の追求)をめぐり争っていました。2カ国がジェファーソン大統領の主張をめぐり争う中、子どもたちにも「奪うことのできない権利」があるということは論議されなかったのです。

これらの権利が徐々にむしばまれていけば、世界中の子ども たちの多くが、幸福や安全を享受できなくなります。そこで、すべての家庭に児童権利法案が取り入れられることを強く望みます。 条項を挙げると、

・愛される権利。自ら求めずとも。
   
・守られる権利。どんなことがあっても。
   
・かけがえのない存在だと感じられる権利。何も持たずにこの世に生を受けようとも。
   
・話を聞いてもらえる権利。大人にはおもしろくない話でも。
   
・寝る前に読み聞かせをしてもらえる権利。夕方のニュースや、『イースト・エンダー』(イギリスの家族ドラマ)に時間を取られることなく。
   
・教育を受ける権利。学校で銃弾におびえることなく。
   
・かわいがられる対象となる権利 (たとえ平凡な外見だとしても)。

どの人も、自分が愛される対象であると実感することが、認識の土台、つまり意識のはじまりなのです。髪の色が赤か茶色かを知る以 前に、肌の色が黒か白かを知る以前に、どんな宗教に属しているかを知る以前に、自分が愛されていることを実感できなくてはならな いのです。




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by yomodalite | 2015-07-05 20:00 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

無神論/竹下節子

無神論―二千年の混沌と相克を超えて

竹下 節子/中央公論新社

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私たちは、キリスト教や聖書がわからないだけでなく、「無神論」は、もっとわかってないんだなぁと最近になって気づきました。自分のことを「無神論者」だと思ってしまう日本人は多いですが、神がいないことを、とことん考えた人など日本の歴史の中にはいません(神の存在について考えた人もいませんけど)。

キリスト教ってどうしてこんなに宗派が多いの?と思った人も多いと思いますが、ユダヤ教を否定したキリスト教はカトリックを生み、カトリックを否定したプロテスタントは改革を進めるうちにユダヤ教に近づいていき、フリーメーソンもイルミナティも「プロテスタント」だという見方もあるようですが、なぜか、カトリックの司祭にもメーソンはいて、もっと理解しがたいことに、福音派のメーソンもいたりして、それでも彼らは「スパイ」というわけではなく、公にそれを認めるかどうかという議論もあるのだとか。。

とにかく、この3つは、長年の間お互いをディスりあっているので、手の内が見えていたり、手慣れてもいて、そしてそのディスりあいは、お互いを「無神論」だと言うことでもある。

下記は、著者の志の高さに拍手を送りたくなった「はじめに」から省略して引用します。

ヨーロッパの基礎を作ったのはローマ・カトリックだ。文化の温床でもあったけれど、政治の道具でもあり、攻撃と弾圧のシステムでもあった。(...)人間の宗教の歴史とは、いつも偶像崇拝の歴史に重なるのが常なのだ。2000年前に、神殿に閉じ込められたユダヤの神を解放したイエスのキリスト教はローマ帝国から「無神論」だと呼ばれて非難された。16世紀のヨーロッパでは、巨大な教会組織の中に閉じ込められたカトリックの神を解放しようとしてプロテスタント諸派が産声を上げ、「旧教」と「新教」は、互いに互いを「無神論者」と罵り合った。

17世紀にはリベルタン(自由思想者)が生まれ、デイスト(理神論者)が登場した。デイストとは、神を世界の創造者とはするが、人格的存在としては認めず、奇跡・預言・啓示などを否定する立場の人々である。天地創造した後で独り子イエスを地上に送って犠牲にした神とは別に、天地創造した後で被造物への不干渉を決め込む神や、宇宙の偉大なる設計士としての神が生まれた。現代の福音派キリスト教の説くような創造の「グランド・デザイン」をする神もいる。無神論を唱えた共産主義といえども、一党独裁の儀式化は、神政政治モデルを採用した疑似宗教のようなものだった。

そして、それぞれの「神」に、それぞれの「無神論者」が戦いを挑んだ。今も挑み続けている。キリスト教世界の神と無神論は光と影のようにセットになっているのだ。その拮抗を見なければ歴史はわからない。

しかし、キリスト教文化圏発の近代社会が地球のスタンダードとなりグローバル化か進むとき、皮肉にも、イスラム世界をはじめとする政教一体の宗教思想が侵入してきた。20世紀以降にヨーロッパに「移住」してきたイスラムの神には無神論の影がない。宗教と無神論の拮抗のノウハウをすでに失いつつあるキリスト教文化圏にとって、それは思いがけない脅威となってしまった。

キリスト教原理主義の台頭、モラルなき弱肉強食の新自由主義と拝金主義の蔓延など、神と無神論が二極化しつつあり混乱しているのだ。その戦いを「一神教同士の戦い」などと単純に眺めている日本は、イスラム同様、そもそも無神論の影を持たず、神と無神論の対立なしに、ポストモダンの相対化の混沌に突入してしまった。だから日本は外交の言葉が紡げない。

キリスト教無神論を知らなければ、キリスト教が生んだ近代理念とその変貌とを真に理解することはできない。無神論を知ることは、神を知ることだ。無神論とは神への執念である。それは「来し方行く末」に思いをめぐらさずにはおれない人間に対する洞察であり、存在の意味への挑戦であり、生き方を模索する哲学でもある。

政教分離に至る危機の時代を象徴する鋭角的なエッフェル塔と、豊かで丸いサクレ・クール聖堂が二つながら今日も観光客を魅了する国にいて、神から無神論が、無神論から神が、いつか互いに解き放たれて世界平和の力になる日を夢見て、この本は構想された。無神論を語ることは神を語ることと同じように広範囲にわたるので、その全貌を紹介することはむろん不可能だ。ここではまず、良くも悪くも現代文明のスタンダードとされている「西洋近代」を創ることになったヨーロッパにおける無神論の系譜を辿り、さらにそれが立体的に見えるようにいくつかのテーマに光を当ててみた。いつの時代にも、真の無神論的感性こそが、神を普遍へと招き、人を無限の高みへ誘い、永遠と有限とを和解させるのだ。

(引用終了)

本書ではこのあと、無神論の歴史について、事細かにというか、もう少し省略できたんじゃないか、特に「不信心」と「無神論」は区別すべきではないかとか、逆に興味深い記述が来た!と思ったらすぐに終わってしまうとか、『ユダ ー 封印された負の符号の心性史』と同様の少し残念な展開が待っていたり、

また、フランス在住の著者が思う「無神論」は、フランスのそれであって、アメリカの「無神論」とは少し様相が異なっている。ということも・・・それでも、他にこのテーマでいい本があるわけではないので、

19世紀までの記述から、本書の面白さが少しわかる箇所をメモしておきます。

無神論は理性主義の衰勢と連動した。理性主義の観点から大きく分けると、「無神論」の系譜と「異端」の系譜は実は対極にある。すなわち、「無神論」として警戒されたのは、世界の説明と人間の営みに「神を必要としない」態度であったのだが、いわゆる「異端」のほとんどは、その逆で、「信仰」の非合理的な部分を拡大して理性を犠牲にして神学上のバランスを崩す、という態度であった。

カトリック神学の正統派は、民衆の間に根強く残っていた多神数的で呪術的な「蒙昧」に比べて、はるかに「無神論」に近いところにあったのである。それはキリスト教がその出発点において持っていた偶像崇拝否定や呪術否定という啓蒙的な「無神論」的スタンスを多かれ少なかれ持ち続けていたということを物語っている。

15世紀には、ニコラウス・クザーヌスの弁証法的否定神学が確立し、後のドイツ哲学にも大きな影響を与えることとなる。しかし、人間の無知を認識する否定神学の流れは、やがてすべての神学の否定に通じるペシミズムとニヒリズムにも向かっていった。理科系の「神離れ」が西欧近代というモダニズムを生み、文科系の「神離れ」がポストモダニスムを生んだといえるかもしれない。結局のところ、理性至上主義も懐疑と無神論をはらみ、理性を放棄した神秘主義も絶望と無神論をはらんでいたということで、すべての試みが「近代無神論」を用意するのである。

* * *

中世の知識人(神学者、聖職者、貴族)と、その中間には、学生や文学者や芸能者や都市民による不信心が広がっていた。芸能者や吟遊詩人、学生らは共通語であるラテン語を使って、恋愛や性について自由奔放な歌を高吟していた。現存するテキストで有名なのは、11世紀から13世紀にかけてのものと見られる写本群『カルミナ・ブラーナ』で、ドイツの音楽家オルフによる世俗カンタータによって日本でもよく知られている。そこには「魂は死ぬ、体しか大事にしない」とか「永遠の救いよりも官能だ」などというカトリックの教義に明らかに反する言葉がたくさんある。教皇庁のあるイタリアでも、中世末期からルネサンス初期にユマニスム(人文主義)が広まり始めた。ボッカチオの『デカメロン』の中の父が三人の息子にダイヤを残す話の中では、三人の息子はそれぞれユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒となっている。ボッカチオはラテン語作品として神々の系譜も説いた。(〜ヨーロッパ中世の無神論)


17世紀のヨーロッパのカトリック教会に衝撃を与えた無神論的事件の一つは日本で起こった。イエズス会のポルトガル人宣教師でありながら、拷問に耐えかねて禅宗に帰依してしまったクリストファン・フェレイラの存在である。過去に空海が『三教指帰』で儒教や道教に比べて仏教が優越することを証明したように、キリスト教よりも仏教の優越を説いたわけではなく、フェレイラの論議を見ると、それは実は中世末期からルネサンスにかけてすでにヨーロッパの至るところに出回っていた反キリスト教、反宗数的言説の踏襲である。フェレイラの棄教にショックを受けてその後あえて日本行きを志願した宣教師は少なくなかった。遠藤周作がそれをモデルにして『沈黙』という小説を書いたのはよく知られている。現代のフランスでも、ジャック・ケリギーが『断末魔』という小説によってフェレイラの転向の心理を分析している。

しかし、フェレイラは殉教した日本人キリシタンに比べて苦しみに耐える力が足りなかったからでも、無理やりキリスト教弾劾の書を書かされたわけでもなさそうである。フェレイラの属するイエズス会では前述したガラス神父の善に見れるように、プロテスタントやリベルタンの言い分かすでに広く知られていた。フェレイラは科学者としても最先端にいた人らしく、天文学や外科医学の書物も奢して日本における蘭学の基礎を築いた。「理性の善用による進歩主義」の勧めは彼の本音に近いところにあったものだろうし、彼のキリスト教批判には、アリストテレス主義、アヴェロエス主義、エラスムスの影響が見え、さらにそれらをつないでいたマラノズム(マラノス主義)の影もある。フェレイラは、15世紀のレコンキスタ(失地回復運動)以来カトリックに改宗したイベリア半島のユダヤ人の家系出身だった。彼らは隠れユダヤ人を意味する「マラノス」と呼ばれたが、実際にカトリックに帰依した者、プラグマティックでリベラルな精神であった者、隠れてユダヤ教を実践する者などいろいろだった。このマラノスがプロテスタント国に亡命してユダヤ教に再び戻ることもあった。アムステルダムに移住したイベリア半島出身マラノスのユダヤ家庭の三代目に生まれて無神論的哲学の先駆となったスピノサとフェレイラには通底するものがあるかもしれない。

フェレイラが科学的合理主義者としての使命をまっとうしたところを見ると、当時の日本では、主として政治的思惑からキリシタンが弾圧されたとはいえ、キリシタンのもたらした科学技術は積極的に取り入れられたことからも、むしろアヴェロエスの「ニつの真実論」的な折り合いが信仰と理性の問にあったように思われる。そんな中であえて一神教に帰依した日本の信者たちにはダブル・スタンダードを使い分けることなど不可能で、それ故に殉教へと突き進んだ一般人が少なくなかったのかもしれない。彼らはキリスト教には帰依したものの、ヨーロッパではすでにキリスト教と表裏一体となっていた無神論的な言説についてはまったく知らされていなかったのである。その後250年間続いた徳川時代には、戸籍を司る檀家制の仏教が強制された。日本の支配者にとって、フェレイラによる内部からのキリスト教反駁は歓迎すべきツールであっても、「神仏を拝む蒙昧」にまで敷衍されては大変なことになる。蘭学はそんな江戸時代の日本で少しずつでも受け継がれていったが、同じ二五〇年間にヨーロッパが体験する「無神論による脱宗教の近代」という激動からは、日本は何も学ばぬままでいたし問題の所在すら意識化されなかったのである。

フェレイラの少し前に日本人キリシタンで「再転向」してキリスト教批判のを書いた不干斎ハビアン(巴鼻庵)という人物がいる。この書は芥川龍之介の『るしへる』という短編によっても知られたが、この人はもとが禅僧でキリシタンに改宗してフェレイラと同じイエズス会の修道士となって、仏教や神道よりもキリスト教が優れていることを説く『妙貞問答』を著した論客だ。一神数回士の優劣論議の伝統を口本の仏教や神道に応用するには日本人論客が必要だったはずで、この書の意味は大きい。しかし幕府の儒学若林羅山が「排耶蘇』という書で触れている論争を経て、棄教し、一転して『破提宇子(はだいうす)』を著した。林羅山はキリスト教だけでなく儒教と神道以外はすべて排除する立場であり、ハビアンもキリスト教を捨てた後、仏教に戻ったわけではない。彼のキリスト教批判は元イエズス会士らしくヨーロッパのキリスト教批判の定石に則っているが、そこに白人による覇権古義と優越思想への批判が盛り込まれている。この人が日本の宗教を捨てて「舶来宗教」に走ったことも、それを再び捨てて排撃しはじめたのも、それぞれの伝統社会における居心地の悪さの表明だったのかもしれない。
 
時代に先行した科学主義の精神が、その光をまずキリスト教普遍主義とイエズス会の科学精神に求めようとして得られず、異文化の壁に突き当たって閉塞する個人となってしまった例であろう。ハビアンの無神論はキリスト教であることがとりあえずデフォルト(標準環境)であった17世紀ヨーロッパでのそれとは違って、形而上学へと醸成されることはついになかったのである。(〜17世紀の無神論)

* * *

個人主義心理学がペシミスティックな無神論を孤絶に紡いでいた生存戦略の中で、20世紀以降のポストモダンの時代に最も大きな影響を与えたのはフリードリヒ・ニーチェである。「神は死んだ」という宣告で有名なニーチェは、神なき虚無の中で絶望する代わりに、力の意志を選び、超人思想の構築に至った。妹への手紙の中で「魂の平和がほしいのなら信じるがいい。真実の使徒でありたいのなら、探し求めるがいい」と書いたように、ニーチェは宗教の幻想に留まることも、絶望の中に立ちすくむことも拒否した。ニーチエは西欧近代における「神殺し」が実はキリスト教の世俗化であり、近代の「人間教」の理念がすべてキリスト教のシステムを非宗教化しただけであることを見抜いていたのだ。
 
牧師の息子であったが18歳の頃にはすでに、聖書解釈学や理想主義的哲学の前にはキリスト教は形骸化するだろうと予感していた。友人のルー・アンドレアス・サロメはニーチェが激しい宗教感情の持ち主で、神の死におののいていたことを証言している。ニーチェはキリスト教の神がもはや信じ難くなっていることの持つ意味の恐ろしさに誰よりも早く気づいた。神は死んだ。我々が神を殺したのだ。
 
神殺しはどのように行われたのだろう。まずルターが神を各人の個人的信仰に拠るものだとしたことで殺した。神自身も、人間を哀れみ過ぎたことで自らの死を招いた。神は神学に息の根を止められた。科学や心理学の発展も神を殺した。そして、そのように断末魔に苦しむ惨めな神の姿を見るに忍びないニーチェ的な意志によってさらに止めを剌されるのだ。
 
最悪なのは、人々が神を殺したことに気づいていないことだ。キリスト教をユマニスムに置き換えただけで、倫理学も形而上学も実は何も変わっていない。人々はまるで神がまだ生きているかのように振る舞っているのだ。
 
今や、人は神の死という現実を見据えて、神なしで生きることに慣れなければならない。それには二つの方法がある。一つは「大衆向け」の方法で、奴隷の倫理を選ぶこと、つまり神の代わりに、科学や進歩や民主主義や真実といった偶像の新しい神の影を拝んでいればいい。そのうちに、人は生存条件の悪い場所を捨てていくのでこの世はますます狭まるだろう。温め合うために身を寄せ合うこともあり、快適に生きるためにも毒を盛り、快適に死ぬためにも毒を盛る。みな平等で、昼も夜も楽しく生きて健康に気をつけて、適度な「幸福」に生きて満足していればよい。これが超人の反対の「末人」の道である。

もう一つは真の無神論者、すなわち「超越」幻想から解放されて神のいない世界を引き受ける人々向けの「超人」の道である。真実や意味などは存在しない。すべては許されている。超人にとってのモラルとは力の意志である。神の前の平等というキリスト教の平等に薇づくモラルは馬鹿げている。

超人は、永遠に回帰し続ける世界を前に英雄的に生きる。ショーペンハウアーのような諦念と絶望は超人の道ではない。しかし、抗し難い運命の前で自由に生きることを選択するのは、それ自体が矛盾している。ニーチェは懐疑に蝕まれ、自己を真に信じるためには狂気の道しかないと追い詰められた。こうして19世紀の超人は狂気の中に突き進み、次の世紀には、平等な小市民の幸福を追求する「末人」たちが近代とポストモダンの世界を埋め尽くすことになるのである。(〜19世紀の無神論 P140)

(引用終了)


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by yomodalite | 2015-05-22 06:00 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(2)

ユダ ー 封印された負の符号の心性史/竹下節子

ユダ - 烙印された負の符号の心性史

竹下 節子/中央公論新社

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著者の本は、これがはじめてだったのですが、以前、出版された本も読まなきゃというきもちになりました。

本書の「はじめに」から省略して引用します。

「イスカリオテのユダ」は、イエスの十二使徒のうち、イエスと同じ、イスラエルの十二部族のユダ族、つまり、ダビデの部族に属している、ただ一人の弟子で、のちに世界最大の宗教の救世主となるナザレのイエスに最も近い人物の一人だった。

しかし、主イエス・キリストを裏切り、十字架刑のきっかけを作ったユダは、イエスの復活とキリスト教の誕生を見ぬままにエルサレム近郊で命を絶っている。

当然キリスト教の教義からも弾き出され、キリスト教のグローバリゼーションにも関与しなかったとしても不思議ではないのに、ユダは、キリスト教世界の心性を逆説的に裏から支える大きな存在に成長し、宗教だけではなく、思想、哲学、政治、文学、芸術のすべての分野をインスパイアし続けた。

そればかりではない。欧米キリスト教国の価値体系が近現代世界のスタンダードとなる過程でローマ・カトリック教会をはじめとする既成の宗教体制が弱体化したり分裂したりして、民主主義や共和主義や社会主義や自由主義などの世俗イデオロギーが支配する陰で、イエス・キリストが忘れられ、神が姿を隠していったにもかかわらず、ユダだけは生き延びた。

その結果、文化多元主義の名のもとに宗教倫理がおおっぴらに説かれなくなった世界でも、ユダという悪のキャラクターを通して、キリスト教文化圏の国々は実は、さまざまな善悪の基準を共有しているのだ。ユダは、裏切りや赦し、罪や罰についての、歴史に裏打ちされた暗黙の物差しを提供している。

この本では、まずユダが「裏切りのキャラクター」としていかに突出したものであるかについて非キリスト教文化圏の例と比べ、目本におけるユダへの先入観を見た後で、キリスト教神学の中でユダがどのように解釈されてきたかについて解説し、それと並行してヨーロッパ世界でユダ伝説がどのように必要とされてどのように形成されてきたのかを概観する。

次にユダがこのように人々の心を捉えて放さなかった理由の一つであるその「両義性」について考える。

さらに、ユダがその創立神話の要のひとつとなっているキリスト教がメンタリティに刷り込まれている国々の状況を考えるために、ローマ・カトリック教会に多くを負ったヨーロッパ的なもの、そこから抜け出したプロテスタント的なもの、またヨーロッパと文化的に近いロシアにおける正教的なものの中でのユダ像の変遷をたどる。ユダ像の変遷はキリスト教世界の変遷を裏側から見たものに他ならないからだ。

最後に、キリスト数的なものから解放されたユダがユダヤ人への社会的差別にどのように燃料を提供し、20世紀におけるナチス・ドイツのホロコーストとどう結びついていったかを見てみよう。

支配関係の固定に執着するのではなく、愛によって自由な人間の営みを鼓舞するのはすばらしいことだ。

けれどもそれが有効になるには、裏切りや憎悪への洞察が必要だ。
 
国際社会の一員としてルールを作ったり守ったりすることに参加するのは平和のために大切なことだ。

けれども、本当にそれが平和に結びつくには、ルールを放棄したり破ったりした時の関係の修復や免償の機微や匙加減を知ることが必要だ。
 
キリスト教文化圏でどの時代に、どの国の誰がユダについて何を言ったかに耳を傾けてみることが、それを助けてくれるに違いない。

(引用終了)

下記は、魅力的な内容が垣間見える「目次」

◎序章
・ユダの持つ時代性と地域性 
・非キリスト教世界での「裏切り者」のプロトタイプ

◎第一章 ユダの神学とキリスト教の成立
・キリスト教の成立とユダの役割 
・ユダの教いと神学   

◎第二章 ユダの両義性
・裏切りは人間性の一部
・裏切りの動機   
・裏返しの善悪二元論
・ユダの裏切りの評価 
・民衆の中のユダ   

◎第三章 ヨーロッパにおけるユダ像のヴァリエーション
・国で異なるユダ像   
・ユダのフォークロァ   

◎第四章 プロテスタントとユダ 
・バルトとユダ   
・レンブラントとユダ
・ユダと宗教音楽  

◎第五章 ロシアのユダ   
・ユダの騎士団   
・ロシア文学のユダ   
・スターリン時代以降のユダ  

◎第六章 反ユダヤ主義とユダ
・ドレフュスとゾラ
・ナチス時代のユダ
・ルーマニアのユダ
・遍在するユダ
・ホロコーストの後  

◎終 章

上記だけでワクワクしてしまいますが、さらに「コラム」もあって、

《コラム》
・ユダと性   
・ユダと美醜   
・「さまよえるユダヤ人」とユダ
・ユダと音楽   
・ネルヴァルのユダ   
・アベ・エガーのユダ   
・諜報活動とユダ  
・ユダのDNA 

ここまで、ユダを「大盛り」にされても、もうおなか一杯、カンベンして。と何度か言いそうにはなるものの、竹下氏には、巷にあふれる反ユダヤ論者のように、頑なに自分が信じる真実を握りしめたまま、思考が止まってしまっている方とは、まったく逆の魅力を感じました。

日本人にとって、一神教を理解するのは、本当に厳しいことで、宗教関係者は、聖書を理解しているわけではないということがわかるまで、学習することさえむずかしい。

これ一冊しか読んでいませんが、著者は、厳しい道を歩まれた方ではないかと思い、他の本にも興味が湧きました。

私にそんな風に思わせた「終章」から省略して引用します。

ユダを、より高尚な理念に殉じて自らの属する共同体を裏切るテロリストと見る考え方は、スターリン時代のロシアのアンドレーエフやヴォローシンらの著作にも流れていた。そして、スターリンのソ連が消滅しようとも、ホロコーストのナチス・ドイツが壊滅しようとも、

「信念に従って抵抗運動に身を投じるテロリスト」といういわば「必要悪」のユダのイメージは生き残っていた。
 
アパルトヘイト政策に抵抗して戦ってきた南アフリカの白人の作家アンドレ・ブリンクは『恐怖の所業』の中で、「イエスが抵抗の気力を無くしたのを見てすべての希望が潰えたユダ」というテーマを取り上げた。

ユダはイエスがその理念を遂行するように強く迫ったに過ぎない。しかし捉えられたイエスは何らの抵抗をしなかったのでユダの試みは挫折したのである。そんなユダを果たして「裏切り者」などと坪ぶことなどできるのだろうか。

社会の変革を目指すものは時として強硬手段に出なければならないこともある。革命を期待し確信する裏切り者たちが歴史を作ってきたのだ。

ラテン・アメリカのエルネスト・ゲバラやサルバドール・アジェンデにせよコンゴのルムンバにせよ、実力行使の反体制派が、革命が成功するか失敗するか、または殺されるか生き延びるかなどによって、テロリストになったり英雄となったりするのは世の常だ。逆に、たとえ明らかな人権無視の軍政を敷く独裁者でも米ソの冷戦中は「共産化の脅威」を防ぐために自由主義諸国から黙認されていたことも記憶に新しい。冷戦が終わっても、先進国は後進地域の政治に介入しては独裁者を支援したり排除したりし続けるが、その基準は人道でもイデオロギーでもなく、現地の多国籍企業の利益であったりする。特に人口が増え資源もあるアフリカは、ヨーロッパにとって言葉も通じる旧植民地国という歴史だけでなく地理的にも近い。

2013年12月10日のマンデラ追悼セレモニーでアメリカ初の黒人大統領であるオバマはマンデラが「自分は聖人ではない」と言っていたことを回想しつつ、演説の最後にマンデラの思い出と南アフリカに神の祝福を祈った。オランダとイギリスの植民地であった南アフリカで優勢な宗教はキリスト教であり、国家にも「神の祝福」という言葉が出てくる。マルクス主義の影響を受けてできたANCに合流したマンデラは無神論の立場を表明していたが、1990年2月に釈放されたマンデラが最初の夜を過ごしたのは、アパルトヘイト廃止のために活躍して1984年にノーベル平和賞を受賞した英国国教会のデズモンド・ツツ大司教のもとであった。
 
テロリストから一変して聖人のように崇敬され平和と和解のシンボルになったマンデラだが、その後のANCの汚職問題もあり、南アフリカは世界で最も貧富の格差の大きい国の一つになっている。ヨハネスブルクのスラムに住む黒人たちはマンデラのことを「ビル・クリントンやスパイス・ガールと仲良くなるなど社会的裏切り者だ」と非難し、ANCのタカ派は白人の多国籍企業の利権を奪わなかったマンデラを「ユダ」と呼ぶ。
 
マンデラが「汝の敵をも愛せよ」と説く救世主であるのか、多国籍企業の利潤のために国民の期待を裏切ったユダであるのか、賞賛にも非難にも微妙にキリスト教的レトリックが使われているのが分かる。異文化異民族地域を植民地化しか時にキリスト教にしろイスラム教にしろ、宗主国の普遍宗教を押しつけることに成功した場所では良くも悪くもこうした共通の言葉が利用されるのだ。国家神道のような民族宗教を押しつけようとする場合とはまったく事情が異なってくる。

特にキリスト教のようにその根本に平等主義や平和主義がある宗教で、しかも懺悔、悔悛することで罪が教され免償してもらえるシステムのある宗教というのは便利だ。「過去の過ち」を糾弾された側に逃げ場を提供し、南アフリカでは実際に内戦を回避する根拠にもなった。神の独り子を罪なくして殺したことですべての人間の贖罪が果たされるという逆説を合んでいる宗教の力をマンデラも無視しなかったわけである。


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by yomodalite | 2015-02-08 00:00 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(3)

アメリカの反知性主義/リチャード・ホーフスタッター

アメリカの反知性主義

リチャード・ホーフスタッター/みすず書房

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反知性主義が、現代日本を象徴する言葉として、取り上げられるようになり、元外務省職員で作家の佐藤優氏は、それを「実証性や客観性を軽んじ、自分が理解したいように世界を理解する態度」と語りました。

本書は、1963年に書かれ、ピュリツァー賞を受賞した古典的名著ですが、描かれているのは、もっと古い時代、アメリカ建国期のピューリタリアニズムの再検討から始まり、反知性主義の源流を、キリスト教信仰復興運動と関連づけている。本書が、今読んでも、驚くほど古さを感じないのは、名著であるだけでなく、何十年も遅れて、キリスト教がほとんど信仰されていない日本に「反知性主義」が起っているせいで、それが、多くのプロテスタントにも、聖書にも、イエスにも、実際には、あまり関係がなかったことが理解できるからでしょうか。

建国時には、社会の各分野をしめていたジェントルマンが凋落し、知識人を敵だと考えるようになっていった背景には、キリスト教を母体とした信仰復興運動があり、キリスト教を滅亡させようとする陰謀の告発や、王制を復活させ、英国の傘下に置こうとしているという策謀があると考える人々の歴史が順を追って描かれています。彼らが、どれほど教育を嫌い、知性を敵視してきたか。反知性が、多くの面で反ユダヤと重なっている理由にも、思い当たる点があるでしょう。そして、こういった知的な著書を読むとき、これも、常に感じてしまうことですが、著者は、やはりユダヤ系らしい。

反知性主義が、日本を覆うようになったのは、バブル世代が、土台のない知性しか持たなかったからかもしれません。80年代以降に生まれた人たちは、まともな知性に出会うことはなかった、かわいそうな世代だと思いますが、今のアメリカのような社会に住みたくないのなら、古典を読んで、土台のしっかりした知性を身につけるしかないと思う。

二段組みで厚み3センチほどありますが、この手の本にはめずらしいほど読みやすい翻訳!今のアメリカがどうやって創られていったのかに関心がある人にとっては必読本。プロテスタントの宗派に興味がある人にも。



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by yomodalite | 2015-02-04 01:16 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

「かなしみ」の哲学 ― 日本精神史の源をさぐる/竹内整一

「かなしみ」の哲学―日本精神史の源をさぐる (NHKブックス)

竹内 整一/日本放送出版協会




日本人はどうして「かなしみ」という否定的な感情に親しみを覚えるのか?

本書では、あらゆる角度から「かなしみ」について語られているのですが、

日本人の精神史においては、こうした「かなしみ」を感受し表現することを通してこそ、生きる基本のところで切に求められる、他者への倫理や、世界の美しさ、さらには、神や仏といった超越的な存在へとつながることができると考えられていたのではないか。つまり、「かなしみ」とは、生きていること〈死ぬこと〉の深くゆたかな奥行きをそれとして感じさせる感情なのではないかーー。

と「はじめに」には書かれています。

最近の私は、欧米の古典を読むうえで、「かなしみ」や、「もののあわれ」といった日本的な情緒で、ものごとを理解をしないように心掛けているんですが、反知性主義の時代と言われる、今の日本の現状は、宮台氏が言うように「感情の劣化」のようでもあり、


日本人が他者への共感を感じるには「かなしみ」という感情はとても大事で、また、世界から「LOVE」が失われているように感じるのも、深くゆたかな奥行きのある「かなしみ」が欠けていて、正義行動や、権利行動にばかり駆り立てられているからかもしれません。

差別を失くせ。という主張をどれだけしても、他者への同情や共感をもたれなければ、自分と同じだとは思えない。個性が尊重され、個性が競われる一方で、人類に共通した感情を確認することは、いつの時代であっても大事なことですが、現代では特に重要に思えます。

本書は、源氏物語や伊勢物語といった古典から、漱石や小川未明、宮沢賢治、井上陽水、谷川俊太郎、天童荒太、、に言及し、引用は幅広く、「かなしみ」について考えるために、コンパクトにまとめられた名著だと思いました。

全体の内容については、他の書評を。


下記は、私の個人的なメモです。

(引用開始。要約して引用しています)

「やさしい」は、太宰治のキーワードのひとつでもあるが、たとえば彼はこういうことを言っている

文化と書いて、それに、ハニカミというルビを振る事、大賛成。私は優という字を考えます。これはすぐれるという字で、優良可なんていうし、優勝なんていうけど、でも、もう一つ読み方があるでしょう? 優しいとも読みます。そうして、この字をよく見ると、人偏に、憂うると書いています。人を憂える、ひとの淋しさ、忙びしさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、また人間として一番優れている事じゃないかしら、そうして、そんな、やさしい人の表情は、いつでも含羞(はにかみ)であります。

私は含羞で、われとわが身を食っています。酒でも飲まなきや、ものも言えません。そんなところに「文化」の本質があると私は思います。「文化」が、もしそれだとしたなら、それは弱くて、敗けるものです、それでよいと思います。私は自身を「滅亡の民」だと思っています。まけてほろびて、その呟きが、私たちの文学じゃないのかしらん。「昭和21年4月30日河盛好蔵宛書簡」(p81−82)

「優」のもともとの意味は、「わざおぎ、役者」である。「優」[やさし」には、どれほどかは「見せること」の演技性・作為性がふくまれているということが、こうしたところからもうかがうことができる。
 
それは偽善だ、嘘だということにはならない。大宰の言い方でいえば、「人を憂える、ひとの淋しさ詫びしさ、つらさに敏感な」「優しさ」には、そうした要素をふくむことによって、何とかその「淋しさ詫びしさ、つらさ」といったものを共悲・共苦しえているということである。大宰その人の「道化」といわれる側面もそこに由来している。
 
人は、簡単に「同じ」ではありえないのであって、そこを安易に「同じ」としてしまうとき、偽善や押しつけがましさといったことが起こってくる。「同情するな」「情けはいらない」「あわれむな」といった拒否反応は、それを感じとったところに生じるのである。

ー 以上、第4章 他者に向かう「かなしみ」より


遺された者の「かなしみ」については、「悲哀の仕事」という考え方がある。

これはフロイトの精神分析用語であるが、小此木啓吾は、それをこうまとめている。
 
……「悲哀」とは、愛する対象を失うことによってひきおこされる一連の心理過程のことである。フロイトは、相手を失ってしまったという事実を、知的に認識することと、失った相手を心からあきらめ、情緒的にも断念できるようになることとは、決して同じではないという。……頭ではよくわかっている。しかし、どうしても会いたいという思慕の情は、決してわかっただけで消えるものではない。……すくなくとも一年ぐらいのあいだは、これらの情緒体験を、心の中でさまざまな形でくり返す。この悲哀のプロセスを、心の中で完成させることなしに、その途上で悲しみを忘れようとしたり、失った対象について、かたよったイメージをつくり上げたりしたりして、その苦痛から逃避してしまうこともある。……しかしこうしたさまざまな心の動きによって、対象喪失をめぐる自然な心のプロセスを見失い、対象喪失を悼む営みが未完成なままになる心理状態は、心の狂いや病んだ状態を引きおこす。

「悲哀の仕事」とは、こうした対象喪失の「悲哀のプロセスを、心の中で完成させる」営みである。この考え方は、むろん精神分析にかぎらず、より一般的にわれわれが死者を送り弔う一連の儀式の中にもさまざまなかたちで見出されるものでもある。
 
「弔う」とは、もともと「問う」ことであり、「訪う」ことである。死者を訪問して、死者の思いを問うことである。柳田邦男の言葉でいえば、死者の[物語」を聴きとめることである。そのようにして死者の「物語」を完結させることが、同時に、こちら側の「悲哀の仕事」をも完遂させていくことになるということであろう。(p158)

「遺された者にとって、死が辛く悲しい。しかし、悲しみのなかでこそ、人の心は耕されるのだ」(柳田邦男「死への医学」への日記)(p160)

ー 以上、第7章 別れの「かなしみ」より


三水清は、以下のようなきびしい感傷批判を展開している。

・感傷は、何について感傷するにしても、結局自分自身に止まっているのであって、物の中に入ってゆかない。
・感傷はすべての情念のいわば表面にある。
・特に感傷的といわれる人間は、あらゆる情念にその固有の活動を与えないで、表面の人口で拡散させてしまう人間のことである。
・あらゆる物が流転するのを見て感傷的になるのは、物を捉えてその中に入ることのできぬ自己を感じるためである。自己もまた流転の中にあるのを知るとき、私は単なる感傷に止まり得るであろうか。
・感傷には常に何等かの虚栄がある。
・感傷には個性がない、それは真の主観性ではないから。その意味で感傷は大衆的である。
・感傷はたいていの場合マンネリズムに陥っている。
・感傷はただ感傷を喚び起こす、そうでなければただ消えてゆく。
・宗教はもとより、芸術も、感傷からの脱出である。
 
三木の批判の要点は、大きく分けるとふたつある。ひとつは、感傷が、表層的・静観的であること、もうひとつは、感傷が、個性を持たない、大衆的なマンネリズムに陥っていること、の2点である。

竹田青嗣は「歌謡論」のなかで「悪しきセンチメンタリズム」は、他人の目をひそかに意識し、利用する」自己哀惜のナルシズムとは、他人の目を意識しながら、それに乗じて自己の「かなしみ」をあおりたてること、高ぶらせることだという。

「他人による承認」、あるいは、「他者の目の利用」というセンチメンタリズムは、自分みずからの経験や実感に基づいておらず、そこでの表現は「大人にも子供にもあまりかわりなく、定型的な情動をよび覚ます」ものである。センチメンタリズムとは、簡単に「我と他と何の相違があるか」「皆同じではないか」と乱暴に一括してしまうところにあるということである。

ハンナ・アーレントの言うように、「哀れみは、残酷さそのものよりも残酷さそのものより残酷になる・・・感傷の際限なさが限りない暴力の奔流の解放を助ける」ということも十分ありうるし、「もののあわれ」もまた、他者性・超越性がいささかでも失われるならば、「世界を既知の同質性へと変容させるたえのイデオロギー」として「感性のファシズム」として機能してしまう危険性をもっている。(p191)

ー 以上、第8章「かなしみ」の表現より


「かなしみ」は、それを「かなし」まなければ「もっと何かを失」ってしまうものであり、さらには、それを「かなしむ」ことにおいてこそ、その失われゆくもの、失われてしまったものにつながりうるかもしれない感情でもある。(p207)

「物のあはれ」というのは、結局は、われわれのうちにある、何かしらの「永遠の根源」なるものへの思慕ではないか。喜びも「かなしみ」も、すべての感情は、「永遠の根源」への思慕を含むことによって、初めてそれ白身が喜びとなり、「かなしみ」となる。

それはいつもそう意識されているわけではないが、たとえば、「ああ楽しいなあ」、と思えばそれはずっと楽しくいたいと思うし、「ああいとしいなあ」、と思えば、それはいついつまでなどとは言わずに、ずっと愛していたいと思うものだ、だから、愛はかならず「かなしみ」となるのだ、と。

われわれは有限である。にもかかわらず、愛は愛のなかに永遠を目指すから、それはどうしても「かなしみ」にならざるをえない。ー 和辻哲郎『日本精神史研究』(p209−210)

「物のあはれ」「かなしみ」は、それ自身が、かぎりなく純化されようとする傾向をもった「無限性の感情」の発動でもある。すなわち、「物のあはれ」「かなしみ」とは、われわれのうちにあって、われわれを「永遠の根源」へと帰らせようとする、根源自身の働きだというのである。だからこそ、「それによって、我々は過ぎ行くものの間に過ぎ行くものを通じて、過ぎ行かざるものの光に接する」ことができるというのである。
 
綱島梁川は、「神はまず悲哀の姿して我らに来たる。・・・我らは悲哀を有することにおいて、悲哀そのものを通じて、悲哀以上のあるものを獲来たるなり」と表現していた。

また宣長は、その根源の働きを神々の働きと言い、親鸞は阿弥陀如来の働きとしていた。

ー 以上、第9章 有限性/無限性の感情としての「かなしみ」


人間の一生はたくさんの哀しみや苦しみに彩られながらも、その哀しみや苦しみの彩りによってさえ、人間は救われ癒されるのだ・・・哀しみも豊かさなのである。/なぜならそこにはみずからの心を犠牲にした他者への限りない想いが存在するからだ。/そしてまたそれは人の中に必ずなくてはならぬ負の聖火だからだ」(藤原新也『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』)

エロスとは、男女のそれだけではないよ、真理を知りたいとか、力を持ちたいとかいうのもエロスなんだよ。(山折哲雄氏の言葉)

「その星は小さすぎて見上げてもわからないだろう、でも、その方がいい、ぼくの星は、夜空いっぱいの星のなかの、どれかひとつになる、そしたらきみは、夜空ぜんぶの星を見るのが好きになるだろう」(『星の王子さま』の最後、もとの星に戻ってしまうという王子さまの言葉)

ー 以上、「あとがき」より

(引用終了)

☆星の王子さまの言葉は、この詩と似てますね!


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by yomodalite | 2014-12-15 11:59 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

ケンブリッジ白熱教室・第4回「哲学的幸福論」[2]

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宗教や、占いは、「答え」を与えてくれます。ただ、それは、誰かが出した答えを、信じることです。


精神分析も、いわゆる陰謀論も、なぜ、自分はうまくいかないのかについて「答え」を与えてくれますが、そこからどうすればいいのかという方法論や、思考方法は与えられず、誰かの責任にしまいがちです。


マーティン博士が言うように、日常の経験を理解するために哲学が役立ったという記憶はありませんが、どんな答えが待っているのか、わからないところまで、思考を続けることが出来たら、人生の最後まで、好奇心が薄れることなく、それは、早く答えを知ることよりも、もしかしたら、、ということはあるような気がします。


☆下記は、第4回「哲学的幸福論」[1]の続きです。


とにかく、ナポレオンの革命後の自由化の理論が、幸福の増大を約束していることは明らかだ。フランス帝国が実際に幸福に関する約束を果たしているということに納得していなかった人物がいる。とても勇敢な思想家、シャルル・フーリエだ。

シャルル・フーリエ(1772-1837)

フランスの哲学者。自給自足の理想的な共同体「ファランステール」を基本とした共産主義を提唱。性愛も含めた自然的欲望の肯定を主張した。主な著作:「四運動の理論」「愛の新世界」


彼は、19世紀初頭、状況をどのように改善すべきか、彼の理論を述べた手紙をナポレオンにあてて書いた。あまり上手くいってない、だから、私はあなたがこうすべきだと思う。とナポレオンに言ったわけだが、それに関して感謝されることはなかった。フーリエは「ファランステール」の理論を思いつく。文明の何かいけないのか? とフロイトが問う。答えは「私たちには幸福がある。幸福があり過ぎるから。私たちは自分たちを少し抑制する必要がある。つまり、昇華の理論。ある欲望を他のものに置換すること、あるいは、別のものに向けることだと説明しよう。

だから、ナポレオンが失恋して、いや、ナポレオンが作家になりたいという欲望に破れて、「わかった。ここで、帝国を始めよう」と思う。ということに向ける。あるいは、方向転換するということだ。これはおそらく昇華の究極の行動だと思う。言い換えれば、あるものを投げ出して、それを埋めるためのより良いものを考えつくことだ。でも、元々の欲望はあきらめなくてはならない。特に性的欲望。そして、性的欲望を芸術や政治、橋の建設などに置き換えるということだ。

ここで、私の友テッドの話に少し戻りたい。

一度、彼に昇華の理論の概略を説明したことがある。そして、その理論がいかに良い理論かを提示した。なぜなら、彼はあるとき、欲求不満を感じていたから。それに関して、彼がなんといったか憶えている。彼が言った、「NO!」 彼は今まで昇華の理論に出会ったことがなかった。彼は注意深く聴いてからこう言った。「NOだ」。それはやってみた。でも上手くいかない。私は自分の欲望を昇華させるのではなく、自分の欲望を満たしたい。だから、彼はフロイトではなく、もっとずっとシャルル・フーリエのようだった。

なぜなら、フーリエは言う。文明の主な問題は、すべての人が欲求不満であることだ。彼らの情熱は満たされていない。まったく満足が得られないというのが、極ふつうのことになっている。それに対するフーリエの解決法は、それなら、満足を得てみろ。というものだ。

「ファランステール」は未来のもので、素晴らしいユートピア的コミュニティ。おそらく、君たちが空想していたようなヨーロッパ人が現れて、台無しにしてしまう前に、タヒチに存在していたようなもの。仕事は楽しみに変わり、海はレモネードに変わる。これは、フーリエの奇抜な考えの1つだが。そして、そこには常にセックスがある。幸福は、長い間、フランスにおいて、特に性的な意味をもっていた。でも、重要なのは革命後のフランスにおいて、すべての人が幸せになるはずだった。そして、その幸福は常に続いていなければならない。苛立や不満がときどき介入してくるような隙間を残してはいけない。それは災いの元である。

フーリエもまた、同世紀の少しあとにゴーギャンがやるように、タヒチとブーガンヴィルから着想を得ている。フーリエはこう書いている。愛はこの惑星の残りのどの場所でより、タヒチの小さな島で最大の進化を遂げてきた。

「ファランステール」について、フーリエは素晴らしく詳細な説明を与えている。例えば、すべての人に良い食べ物が与えられなければならない。だから、フーリエは料理オリンピックのようなものが、未来におこると思い描く。そして、彼は似たようなものが、セックスのオリンピックという形で、4年に一度ではなく、「ファランステール」においては、毎晩行われることを構想する。これは、フーリエの偉大な作品、『愛の新世界』の中でも述べられている。彼が調和と呼ぶ、素晴らしい未来の時代、そこで彼は、大量姦通、公開乱交、緊急時の性的出動サービスを想像する。誰かが満足出来ずに絶望的になっているときのための緊急出動だ。

その信じられないような性的ユートピアに関して、非常に面白いことが1つある。フーリエがそれを「ミニマム」、最低限と表現していることだ。私がまず思ったのは、「なんてことだ。では、マキシマム、最大限はなんなんだ?」(笑) どうしてそんな時間があるのか、どうやって他のことをやるのか? これがフロイトの言わんとすることだ。昇華はどこにあるのか? どうやって他のことを達成するのか? でも、重要なのは、素晴らしい機械のように永遠に幸福機械を動かし続けなければならない。飽和するまで、満足するまで、隙間や休憩なしに動かし続けなければいけないことだ。ワーズワースの不死の暗示を引用すれば、満ち足りていること。

ワーズワースの良い表現、満ち足りた至福、これが「ファランステール」が生み出さなくてはならないものだ。

学生:「ファランステール」は大量の嫉妬を生み出すことはないのですか?

大量の嫉妬。。。それは面白い。

学生:もし、みんなが、最高のものになろうとしたら、歯医者には何が起こるでしょう?

ああ、、、銀や銅メダルの人? 

学生:まったくメダルを取れない人です。

金を目指して、賢明に競争しなければいけないということか。うん、これはとても面白い質問だと思う。だから、おそらくフーリエの理論は、実際には意味をなさないわけだ。さらに、不幸と嫉妬の歴史は、19世紀の作家たちのテーマにされている。フランスの文脈で言えば、悲嘆小説と呼ぶものとして、もっともよく知られているのが、1857年に書かれた『ボヴァリー夫人』。

でも、私がここで言及したいのは、トルストイのもう少し後の小説、『アンナ・カレーニナ』だ。この小説は冒険心の強い女性が、フーリエの言うような、魅惑され、満たされた夢をもって、若くして人生を終える話だ。トルストイの冒頭の一文は、今から引用するが、おそらく、それなりに馴染みがあると思う。

幸福な家庭は、どれも似たものだが、

不幸な家庭はいずれも、それぞれに不幸なものである。


これは、どういう意味か? 幸福は、抽象、理論であるが、一方で、不幸は、なにか現実的で、特定のもので、作家がそれについて書くことができる。という意味だと思う。不幸は、模倣現実主義に属するものだが、幸福は、ユートピア哲学者たちだけのものだ。

ならば、いったい、誰が私たちを救うことができるのか? マイケル・ジャクソンが哀れな声で尋ねるように、おそらく誰でもない(*)

だが、私は、新実存主義の二元的な実践は、少なくとも、私たち自身の精神疾患に洞察を与えてくれると考えたい。

答えは、サルトルの「即時対峙存在」の分析、そして、神の不条理の理論の中にあると思う。彼らの説明が意味をなすようにするために、ある特定の現代神経認識科学を利用して考えてみたい。


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まず、君たちに2つのことを尋ねていきたい。

なぜ、私たちにはデジャブがあるのか? 

もうひとつは、足のフェティシズム(笑)

私は、この2つの現象が説明を与えてくれることを願っている。よし、デジャブ、君たちは以前なにかを見たことがあるという感覚をもったことがあるか? 例えば、ある家に行って、過去に訪れたことがないはずなのに、なにか薄気味悪い、とても良く知っているもののような感じがする。君たちはみんな経験があるにちがいない。誰か説明してくれないか? なぜなら、デジャブには、完全に信じられる、あるいは証明出来るような説明がないのではないかと思うから。どうぞ。

学生:時間と空間は流体のようなものです。私たちの潜在意識が気づかないうちに、その流体を通って、今までに行ったことがあるところに、たどり着くのです。

なるほど。とてもいい説明だ。だから、これは、言わば、魂、あるいは、精神、あるいは肉体から離脱した自己が、時間を自由に動き回って、空間を自由に動き回っていて、組織化されてはいないが、連続性がある。よし、それは、素晴らしい。

他の理論はあるかな?

学生:よくわかりませんが、私に起こるデジャブは、ずっと昔にどこかに行ったことがあるように感じるようなものです。

前世の生まれ変わり説?

学生、いいえ、、、

君の理論は、実際に君は、過去のどこかの時点で、その場所にいたのに、そこにいたことを忘れてしまったということ?

学生:おそらく、、それは、精神のトリックのようなものだと思います。よくわかりませんが、異なる場所からの、異なる要素の組み合わせが、ひとつのものとなって現れているのではないでしょうか?

はい、、クリス、どうぞ。

学生:僕もその意見に同意します。なぜなら、私たちの脳は、美的に心地よいものに惹かれます。無意識の中で、僕たちは、これらの画像をつくりだし、そして、これらの画像が現実に再現されたとき、つまり、頭の中で、創り出された像に一致する家を見たとき、過去に見たものを思い出した。と思わせるのだと思います。

なるほど、それはいい。だから、私たちは、その先行する画像をいつももっている。ということか。これは、とてもプラトン的な考え方ではないか。なぜなら、プラトンは、もし、家の先行する像、つまり、理想形をもっていなければ、それが家だと、どうやって理解できるのか? と言っている。

だから、理解する前に、家の知覚を、家の認知的地図と比較している。通常これら2つのものは一致する。でも、デジャブの場合、君は「ああ、、」と言うことになる。通常、デジャブにはならずに、これら2つのものが一致するが、それが分離して、デジャブの瞬間、2つのものが少しずれている状態になる。だから、現実と、非現実の感覚を同時にもつことになるのだと思う。

ここに、もっとつまらない説明があるが、それでも、私は気に入っている。

これが、もっともな理論かはよくわからないが、、

ある情報処理と関係している。そうだ、ときどき、デュアルプロセス認知と言われる。これは、よく知られたダニエル・カーネマンの著書『ファスト&スロウ』からだ。

ダニエル・カーネマン(1934- )

アメリカの心理学者、行動経済学者。認知科学や、心理学研究を経済学に統合し、2002年にノーベル経済学賞を受賞。『ファスト&スロウ』は、人間の意思決定システムから、経済学までを網羅した代表作。


彼の説明は、

前にここに来たことがあるか? この本や、カフェ、ホテル、この場所に? 「イエス」、私は自分そういうかもしれない。ほんの数秒前、私は、最初この部屋がどんな場所かを調べていたとき、比較的組織化されていない、自発的なやり方で、情報を処理していたときに。

第二の段階は、もちろん、私たちの日常の知覚だ。ああ、私は部屋に歩いて入った。私は家に歩いて入った。この人に会った。それが第二段階だ。

通常、私たちは、第一の認知の段階をもたない。ときどき、第一の段階に行くと、デジャブを経験する。おそらく、これは、理想的な精神の状態。プラトンや、マイケル・ジャクソンが、哲学の中で振りかえり、思い出そうとするものだ。

そして、ルソーの「自然の状態」でもあるのではないかと思う。情報処理の最初の形式。それは、組織化されていない状態。一時的な幻影の状態。私の古い友人テッドが、それほどにも憧れた状態。。。

ここで、足のフェティシズムの問題に移ろう。

そうだ、ここで、無遠慮にならせてもらう。他人のつま先を愛する人々がいる。でも、なぜ? これが決定的な問題だ。一体、なぜ、彼らは、つま先に対して、熱心になるのか?

君は、おそらく、これについての意見をもっているだろう。どうかな。

学生(さっき時間と空間は、、と答えた女性):考えはありますが、ここでは言わない方がいいと思います。

なるほど。。それは興味をそそる。私がもっともらしいと思う理論を挙げよう。

私は、偉大な脳の専門家。ラマチャンドランに言及したい。

ヴィラヤヌル・S・ラマチャンドラン(1951- )

インド出身、アメリカの神経科医、神経科学者、存在しない手足が激しく痛む「幻肢痛」や「共感覚」などの脳神経系が専門。主な著作:『脳の中の幽霊』


彼は、この問題に関する素晴らしい答えを思いついたと思う。

彼は、脳が身体の地図を持ち歩いていると言う。でも、もちろん、この地図は、身体と同じ構造を持つわけではない。ちょっと難しいが、この脳内地図では、科学的、電子的な形式、認識的形式において、足は生殖器の近くに格納されている。だから、そこには、いわゆる神経交差がある。あるいは、配線の交差があると。

だから、私たちは、性的特徴づけされた “つま先” の感覚をもつわけだ。そして、ラマチャンドランは、幻肢の現象をもちだす。手足が切断された後も、脳の混同によって、まだ、そこにあるかのように感じる。脳が理解できていない状態だ。自分の腕がもがれてしまったことを知っているが、まだ、そこにあるように感じる。自分の身体の認識的地図をもっていて、それが混乱させているからだ。

これを単純に、混乱、あるいは、混沌と呼ぶこともできる。でも、この状態から、私たちは、融合や、調和の観念も、また引き出せると思う。そして、これは、私たちがすがり続けることができない、維持することができない状態だ。そして、おそらく感情移入と、自閉症の違いについて、議論することもできる。

ここで、私は心理学者、サイモン・バロン=コーエンが、生後1日の乳児たちに対して行った、非常に面白い実験について言及したい。

サイモン・バロン=コーエン(1958-)

イギリスの発達心理学者、自閉症の研究で知られる。主な著作:『共感する女脳、システム化する男脳』


この実験は、魅力的な女性の大学院生によって行われた。乳児は大学院生の顔を見る選択肢を与えられた。あるいは、ここに、とても面白いものがある。ひもにぶら下がって、回っているおもちゃがある。無機的な動きをしていて、魅力的な大学院生とは反対に、機械的なもの。その選択をすることができる。

それで、彼らは何人のこどもが大学院生の顔を見て、何人のこどもがおもちゃを見たかを書き留めていった。統計の数値にはくわしく触れないが、彼の主な推測は、男の子はおもちゃを見る傾向があり、女の子は顔を見る傾向があるというものだった。

彼の理論の一部は、性別による違い。私は、次の彼の考えは面白いと思う。

彼が主張するのは、性差をこえる人がいて、彼はそれを体系化する人、感情移入する人と呼ぶ。私がこの実験で、もっとも問題だと思うのは、もし、私がこどもで、ベビーベッドに横たわる、生後1日の乳児の立場にいると考えたら、私はこう言うだろう。「両方とることはできないの?」 魅力的な学生と、おもちゃ、両方とることはできないの? 彼女を見ている間に、おもちゃで遊んでもいい? これに何の問題があるというのか?

これまでの講義でも触れたが、どのように脱構築という言葉が生まれたのか? 

もちろん、偉大なジャック・デリダの発明。

ジャック・デリダ(1930-2004)

フランスの哲学者、1960年代の後半から70年代にかけて登場したポスト構造主義の代表的哲学者。私たちの哲学の営みそのものが、常に古い構造を破壊し、新たな構造を生成している。という「脱構築」の概念を提唱した。


デリダは文章の中の神髄を拾い出すのが非常に上手い。対立、その核にある分離的サイン、これが、彼がやることだ。この簡単な例、誰か、彼のニーチェについての随筆を知っているかな?

彼はとても不思議な、奇妙な面白いものを選ぶ。それは、ニーチェのノートの端に書かれていたものだったと思う。ニーチェはこう書いている。

私は傘をなくした。

そして、その奇妙で重要とは思えないような文章から、デリダは、彼の哲学全体を導く。これが出来るのは素晴らしいことだ。物事が上手くいっているようなとき、それは哲学ではない。なにかが上手くいかなくなるときこそ、哲学だ。そして、何かを失くして、そこにあって欲しいものがないとき、それが、哲学がもっともその姿を露にしているときだ。なぜなら、機械がうまく機能していないから。

そして、これは、先日、私が重要な会議へと急いでいたときに起こったことを考えさせる。自転車のチェーンが外れてしまったのだ。これは、私に現代コンピューティングの父、アラン・チューリングのことを思いださせた。彼も、ケンブリッジで、私の自転車に似た、よく壊れる自転車に乗っていた。

アラン・チューリング(1912-1954)

イギリスの数学者、人工知能の父。計算機科学の発展に大きな影響を及ぼし、「アルゴリズム」「計算」の概念を定式化、コンピューター誕生に重要な役割を果たした。


彼が書いた人工知能についての『イミテーション・ゲーム』は、君たちも読んだことがあるに違いない。人間と機械を対抗させる思考実験。彼の偉大な論文を読んだことがあるかな? その中で、彼はコンピューターと、人間の違いを言うことができるか?と問う。

彼が1950年代にこの論文を書いたとき、人間と機械の違いを言うのは、実際とても簡単だったが、今はもっともっとむずかしい。そして、彼は当時、すでにこの区別をするのが、どんどんむずかしくなると言っていた。おそらく人間と機械を区別するのは、不可能になると。

現代のフランス人哲学者、ベルナール・スティグレールが技術の話をするとき、SFの父、ジュール・ベルヌが創り出した小説『海底二万マイル』の登場人物、ネモ船長のことを考える。

ベルナール・スティグレール(1952 - )

フランスの哲学者 著書「技術と時間」は、哲学と技術の関係や、社会と技術の関係を中心に書かれ、人間の生み出した技術が創り出した時間と、その時間に支配される人間を描き出す。 


自分の快適な潜水艦ノーチラス号の中に、潜水艦の中には、人間と機械があって、スティグレールならば、人間と機械は分離できないと言う。そして、人間と機械は、世界の他の部分と切り離されている。私たちは機械の窓から、世界を観察しているのだ。チューリングが人間と機械を比較して、2つの違いを区別することが不可能になるというとき、それは、人間は、すでに機械的なチェーンがかかったり、外れたりするものを含んでいるからだ。故障、あるいは、サーフィン用語ではワイフアウト、転倒への必然的な傾向をもっている。

次は、偉大な人類学者、クロード・レヴィストロース

クロード・レヴィストロース(1908-2009)

フランスの社会人類学者。民俗学者、 構造主義の中心的人物。代表的な概念のひとつ「料理の三角形」では、生のもの、調理したもの、腐ったもの、の3つの頂点を設定し、複雑な社会現象の基礎となる構造を研究。主な著書:『悲しき熱帯』『構造人類学』


彼の素晴らしい「料理の三角形」の中で、生のものと、調理されたものについて話している。私はレヴィストロースが主張したことをやってみるが、これらのことを、元々の文脈から話して使う。

最初に、私たちは20世紀のフランス哲学的思想の中に、実存主義的思考と、構造主義じたいの間の違いを見ることができる。知的歴史におけるこれらの象徴的な瞬間を、「生のもの」と、「調理されたもの」という言葉にあてはめてみると、生のものの実存主義から、調理された構造主義へ、脱構築は、ふたつの違いが分けられた後に出てきたものだが、即時存在の周りで踊っている、対峙存在の相関を風刺している。

レヴィストロースの「料理の三角形」とは、

「生のもの」→ 生のものに手を加えて「調理したもの」

「生のもの」→ 生のものが自然に変化した「腐ったもの」

この3つを頂点とする三角形を、社会や文化の考察に用いる方法論のひとつ。

マーティン博士は、この「料理の三角形」の生のものに「実存主義」を、構造主義を「調理したもの」と置き換えることで、共に、人間や社会を考察する、実存主義と構造主義の密接な関係性を指摘している。


生のものと、調理されたものの間のどこかに、私たちがもつ、ふたつの情報処理システムがある。そして、不安、不条理な脱構築、不幸、嫉妬が、そのギャップを埋めることになる。

新実存主義において、私が素晴らしいと思うのは、これが、失敗の哲学だからだ。

上手く失敗しなさい。


成功は、単なる慣習の遵守の中でやっていることに過ぎないと、新実存主義者は言うだろう。これは、カミュが反抗という言葉を使うときに指しているものだと思う。彼は逸脱性を受け入れることを意味している。2つの例を紹介しよう。

ブリジット・バルドー、私はバルドーが大好きだ。理由の1つには、彼女は、彼女について、ボーヴォワールが書いた、ロリータ症候群についての素晴らしい随筆を笑ったから。バルドーは、ロリータ症候群を、実際に読んで、それを笑って捨てた。おそらく真実であるべきだという要求のせいだと思う。バルドーは動物愛護のために映画をあきらめた。彼女はそうやって、自分自身の神話から逃れたんだ。

そして、2つめの例は、私の古い友人テッド、彼は転倒の芸術を極めた。サーフィンは存在が不安定であることを証明するという意味で、実質的に脱構築と同等だと思う。そして、テッドは偉大な18世紀の航海者と違って、サーフィンが必ずしも精神の動揺の癒しにはならないことを発見した。

私が実証してきた「幸福」というのは、抽象的で手に入れられないものだ。むしろ、プラトンの理想形、真・善・美の理論のように、地球上に存在しない理想的な状態。私が何かについて、不平を言っていたとき、古い心理学者の友人が、私に言ったことがある。確か、仕事が忙しすぎたんだと思う。そのときの彼の言葉はこうだ。

痛みを楽しめ。

それがそこにあるすべてだ。


私の心理学者の友人が、この言葉で言おうとしていたことは、私たちはこれらの命令から、自分を解放する必要があるということだ。私たちの人生を支配する規範、要求、幸福でなければならない。この不可能な理想的状態に到達しなければならないという要求からの解放。私たちをこんなに惨めにしているのは、これらの理想的状態だ。

なぜなら、私たちは、それを手にいれることが出来ないからだ。

私たちは、理想的な認知的地図と、二級品である日常経験の間の不一致に苦しんでいる。

テッドに捧げる意味をこめて、サーフボードを取り出してみたい(机の下からサーフボードを取り出す)。



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私は、テッドを、ここで象徴するために、このサーフボードを使っている。死んだテッドは、今日ここに、私たちと一緒にいることは出来ない。このサーフボードの形で、物としての姿をもつことを除いては。だから、私はこのサーフボードを、テッドだと考えたい。でも、私はこの授業の最後に、私のお気に入りの2人の哲学者、サルトルとカミュに戻ることにしたい。

2人は、サーフボードに上手く象徴されていると思う。私がテッドを象徴するために使っている、このサーフボードの中で、二元的実践が起こっている。

これが、サルトルで、


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(2人のサーファーが描かれている上の部分)


こちらが、カミュだと考えたい。


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(同じサーフボードの下の部分)


少なくとも、このサーフボード上では、二元的実践のダンスの中で、2人は繋がれている。その1つは、不可能な単一性を達成しようと努力し、もう一方は、差異と多様性を探しているのだ。

でも、最後に、これが「美しい」ところだが、

今回、上手く論証できているといいが、二元的実践は、君たちが実際に理解しなければならないようなものではない。君たちはそれをここに(サーフボードの中に)見ることができ、それになることもできる。

ここで、終わりにしよう。どうもありがとう。

(講義終了・番組スクリプト終了)

(*)マイケルが哀れな声で尋ねるように...

マーティン教授がこのとき思い浮かべたのは、おそらく「Earth Song」でしょう。この曲はイギリスで最も売れたマイケルの曲で、♪ What about sunrise、What about rain… から始まり、Where did we go wrong Someone tell me why(私たちはどこで間違えたんだ。誰か理由を教えてくれ)という歌詞があります。





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by yomodalite | 2014-12-07 20:49 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

ケンブリッジ白熱教室・第4回「哲学的幸福論」[1]

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この下の番組の概要説明の部分では、第2回の講義は「どうして、マイケル・ジャクソンは自分の容姿にそんなに不安を抱いたのか?」という問いから始まるかのようですが、実際の講義はそうではなく、

◎第2回「美と醜悪の現象学」

その不安は多くの現代人が抱いている悩みであり、彼のこどもへの執着も、顔の変化についても、現代の価値観を越えた「理想型」への追求だったということを示唆するものでした。

現代では、美容整形にしても、精神医学にしても、自分が望んだように「直す」ことができる。という可能性が、永遠に満足できないことにも繋がっている。それでは、哲学はその悩みを解決できるのか。というのが、今回の内容だと私は思いました。

☆下記は、第4回「哲学的幸福論」のスクリプトです。


(番組開始)

第1回の「ベッカム実存主義」では、
マーティン博士が考えた、サッカー選手ベッカムが、パリ生活の中で哲学的な考察を行う“架空のブログ”を題材に、講義を行いました。「アレックス・ファーガソンは、ベッカム実存主義者ではなく、ファーガソンは保守的な本質主義者だ」 ー ベッカムを実存主義者、ベッカムの師匠ともいえるファーガソン監督を本質主義者と見立てた思考実験を行い、自分自身を主体として、変化や多様性を認める実存主義的な生き方を学びました。

第2回の「美と醜悪の現象学」では、
「彼は確かに20世紀最高のパフォーマーのひとりだ。どうして彼は、自分の外見にそんなに不安を抱くのか」 ー 世界的なポップスター、マイケル・ジャクソンの美に対する執着と苦悩について考察。「美は世界の人々につきまとう亡霊だが、決して実現されないもののままだ」 ー 古代ギリシャのプラトンや、自分の容姿に強いコンプレックスを抱いていたサルトルの哲学を用いて、人間には理想の形というものが存在しないこと。美は人間を超越した状態だという考え方を講義しました。

第3回の「FBI対フランス哲学者」では、
「ときどき、アメリカから大きな資料の包みが送られてくるのだが、大きな文字でFBI連邦捜査局と刻印されている」 ー マーティン博士が入手したFBI捜査資料をもとに、サルトルとカミュを徹底分析。第二次大戦後、個人の存在にこだわり続けたカミュ、そして実存主義を社会や共同体にまで拡げたサルトル、ふたりの変遷と対立について語りました。

第4回は、「哲学的幸福論」
私たちはなぜ不幸だと感じるのか、幸せはどこにあるのか、実存主義だけでなく、南太平洋の楽園タヒチに理想郷を求めた画家ゴーギャンや探検家ブーガンヴィル、さらに、ジャック・デリダなど現代の哲学や最新の科学、社会学・人類学など多様な知見を駆使して、答えを探します。

(講義開始)

今朝、ここに来るとき、19世紀の偉大なフランスの詩人ボードレールが言ったことについて考えていた。彼が言ったことはこれだ。

「世界は巨大な病院で、そこにいる患者はみなベッドを変えたがっている」


これが面白いのは、それが本当だと気づいたところで、ベッドを変えたいと願うのをやめはしない。ということ。なぜなら、私たちはそれほど根本的に自分たちの人生に不満だからだ。これは、私がどうしてフランス哲学に興味をもつようになったかを説明している。また、どうして私がハワイでユートピア的な青年期を過ごすことになったかを説明している。

ここからは、本当の話だ。

オアフ島で、私は偶然、精神科医に出会った。彼女は私がどこから来たのかと尋ねたので、「イギリスです」と応えた。すると、彼女は言う。「あなたはとても幸運なひと」 私は思った。それは馬鹿げていると。ハワイは世界で最高の場所。あなたが、私を幸運だという意味がわからない。すると、彼女は言う。「なぜなら、イギリスでは、あなたが惨めでも、誰もそれを気にしないから。イギリスでは惨めであることを期待されている」 彼女は自分がうつ病の専門家であることを説明してくれた。それで、私は言った。「そんなはずがない。ハワイで鬱になる人がいるんですか?」 でも、それは、私の無知だった。この島は幸福の島、アロハの島では。そして、彼女は私に3つのことを指摘した。

1つめ、ハワイでは、世界の他のどの場所とも同じ比率の人が鬱状態である。2つめ、ハワイの問題は、幸福であることを期待されている。だから、鬱になったとき、ただ、鬱になるだけでなく、鬱になることに罪を感じるのだ。だから、二重に打撃を受けることになる。そして、彼女が指摘する3つめの点は、ハワイは正確に言うと、アメリカだから、鬱になり、罪を感じ、さらに豊かなはずのときにも、お金がないとなると、三重の打撃を受ける。彼女はこう結論づける。ハワイは本当に最低な場所。

フロイトも、ハワイは最低とは言わなかったものの、似たようなことを言っている。文明とその不満の中で、フロイトが言うには、私たちが根本的に惨めなのには、3つの理由がある。

ジークムント・フロイト(1856-1939)

オーストリアの精神分析学者・精神科医。精神分析の創始者として、無意識と、性的衝動を重視した精神分析学を確立。文学や芸術の分野にも大きな影響を与えた。主な著書:『精神分析入門』『夢判断』臨床心理学の基礎を築いた。


フロイトの3つの理由を言う前に、なぜ、私たちがこんなにも根本的に惨めなのかという理由をひとつ挙げてくれないか? 講義に行かなければならないからです。とは言わないで欲しい。

学生:おそらく、人間の性質の一部なのではないでしょうか? なにか上手くいかないことがなければならないと思うことです。

自ら望んでいる?

学生:そのとおりです。劇的なことがあった方が面白くなるからです。そうに違いない。

学生:私たちは強い願望をもっていて、更なるものを成し遂げたいと思うからです。

だとすると、決して到達することができないために、欲求不満になるということか。そうだ。。精神的なゴールがいつも動いているから、両方の意見が正しいにちがいない。おそらく、フロイトの3つの理由の底にあるものだと思う。その3つとは、これは、フロイトが文明の失敗を責める理由だ。

1つめは、宗教。なぜなら宗教は天国がどこかにあるからという可能性を設定するから。

2つめは、奇妙にも発見の後悔。あとで話をするが18世紀の大航海時代、それは地球上に天国があるという非現実的な期待を提示したから。

そして、彼の3つめの理由はとても面白い。フロイトが思いついた3つめの理由を知っている人はいるか? よし、3つめの理由。これは驚くべきことに、自己批判的だが、フロイトの精神分析学そのもの。それが責めるべきものだ。なぜなら、精神分析学は、すべてを治すことができることを示唆するからだ。もちろん、私たちは幼少期のトラウマなどを持っているが、精神分析学者が治してくれるから、心配しないということ。だから、フロイトは、実は反フロイト派だといえる。

私は4つめの理由を加えたい。それが、違法な薬物。私たちはどこかに “ハイなもの” が存在していると思うから、気持ちが沈んでいるように感じる。私の考えでは、フランス哲学はこの解毒剤だ。フランス哲学は、私たちがなぜそんなにも惨めなのかを理解させてくれる。また、私たちを惨め過ぎるところから解放する。簡単にいえば、不快だと感じることを、どうすれば快く感じることができるかを教えてくれる。惨めなことの罪の意識をそれほど抱かなくてもよくなる。フランス哲学は、日本人が悟りと呼ぶものを与えてくれる。

私が60年代を憶えてくる年齢だといっても驚かないだろう。自由恋愛、超越の内在、幻覚物質の広がり、実は、私は1760年代の話をしている。個人、そして社会の自由化が躍進した時代。幸福は到達出来るもので、実際、18世紀の後半にすでに達成されていた。フロイトが指摘するように、私たちイギリス側を代表するジェームズ・クック船長が関わった、偉大な発見の航海の中で。でも、忘れてはいけない。もうひとりの素晴らしい船長、ブーガンヴィル。

ルイ・アントワーヌ・ド・ブーガンヴィル(1729-1811)

フランス人として初めて世界一周航海を達成。フランスの航海者、探検家。ポリネシアの天国が海の彼方に実在する。という印象を与え、大きな反響をよんだ。主な著作:『世界周航記』


『世界周航記』によると、彼の世界一周の旅は、フランス帝国拡大や、発見や拡大といった政治的理論とは、あまり関係なく、むしろ、幸福の追求のためだったようである。そして、幸福は、特に太平洋の楽園、タヒチで実際に発見された。ブーガンヴィルは2つのことを強調する。

1つは、タヒチ人は快適で満足した生活を送っていて、それほど激しく働かなくてもいい。彼はこれを奇跡のように感じた。

2つめは、みんなが、ブーガンヴィルや、クルーの気を惹こうと言い寄ってくること。特に半分裸のタヒチ人女性たち。でも、男性も寄ってくる。でも、彼が驚いたのは、女性が概してフランス人船乗りたちは、世界のどこに行っても、女性を口説いていたという背景があるが、ブーガンヴィルいわく、女性たちの方から、フランス人船乗りたちを口説いてくるのは、革命のようで、これが初めてだった。それで、彼は南半球ではなにかが逆転しているにちがいないと思った。

ブーガンヴィルは、幸福自体の追求をはじめただけでなく、幸福は単に追求されるだけではなく、手に入れられるものだという考えを確かに発展させる。幸福はまさに南半球にあって実現されている。南のものを北に輸送すればいいだけの問題だ。

フロイトは自分の理論を確立する際に、18世紀の世界地図、特に北と南の分断を、人間精神の地図に、無意識的に置き換えたと考える人もいるかもしれない。つまり、すべての楽しいことは南半球にある。

これは、フロイトが喜びの原理と呼ぶものだ。一方、北半球は、彼が現実の論理と呼ぶものが投影されていて、快楽主義的で野性的な自己を抑制する。私たちはこの物語には、付随する結果があることを知っている。いくつかの名前に言及したい。

1人はほとんど知られていない人物だが、私の古い友人、テッド・ディーハースト。ちなみに、彼はときどきボード上の貴族として知られている。なぜなら、彼は子爵だったからだ。でも、彼は封建的なもの、貴族社会などを捨てて、サーフィンをしに、ハワイに移り住んだ。彼はハワイに行って暮らし、そして、最後にはそこで死んだ。彼はアメリカ人とのハーフでもあった。だから、これは、彼の個人的な独立宣言でもあった。よし、もっと有名な人で言うと、ポール・ゴーギャンだと思う。

ポール・ゴーギャン(1848-1903)

19世紀のフランス、ポスト印象派の画家。西洋文明に絶望したゴーギャンは楽園を求めて南太平洋にあるタヒチに渡り数々の傑作を生み出した。


北半球、特にフランスに失望して、19世紀の終わりに、南に行き、素晴らしいタヒチやタヒチ人の絵画を生み出した。私たちは幸福の理論がフランス革命に影響を与えたことを知っている。例を挙げてみたい。詩人カミーユ・デムーランは刑を言い渡され、断頭台に上がり、正確にいえば、タヒチを夢見ながら。

カミーユ・デムーラン(1760-1794)

革命的ジャーナリストで政治家。バスティーユ襲撃の際に群衆を扇動、1794年、革命政権の恐怖政治を終了させようとして、体制側に告発され、投獄後処刑された。


これは、彼が処刑場へと連れて行かれる直前に、牢獄で書いた最後の作品だ。

j'étois né pour faire des vers, pour défendre les malheureux , pour te rendre heureuse, pour composer, avec ta mère et mon père, et quelques personnes selon notre cœur, un Otaïti.


簡単に訳すと、

私は詩を書くために、不運に勝ち向かうために、あなたを幸せにするために、あなたの母親と、私の父親と、数人の気の合う者たちを幸せにするために、そして、ここフランスをタヒチを創り出すために生まれた


君たちは、自問するかもしれない。ゴーギャン、そして私の古い友人テッド、そして、デムーラン、彼らの中に幸福に到達した人はいるのか? たぶん。でも、それは短い間だっただろう。よし、ここまでについて、質問ある?幸福を本当に体験したある人物の特定の例を見ていく前に、ここまでのところは、ほとんど理解できたか?

あるいは、ここまでのところで、特に質問はあるかな?

学生:もし、北の道徳観念が、多文化の総合連結によると考えるなら、つまり、私たちがたくさんの異なる文化を見ることが出来る一方で、1770年代のタヒチ人は、それまで他の文化圏の人と会ったことがありませんでした。だから、幸福の概念は、多数の者の統合ではなく、小さな集団の概念に基づくものなのではないでしょうか?

面白い。確かにそれはありうる。どこかで触れるつもりだが、幸福についての1つの理論で、コミュニティ全般に渡る類似性や調和を扱うものがある。そこでの考えは、私たち自身のグローバル文化の混合に反して、比較的、分化されていないものだ。確かに、君の理論は非常にもっともな理論だと思う。サルトルの「地獄とは他人のことである」という意味で考えることは別として、デュルケムが面白いこと言っている。

エミール・デュルケム(1858-1917)

フランスの社会学者:独自の視点から社会現象を考察。社会学の確立に大きな成果をあげた。主な著作:『社会分業論』『自殺論』


デュルケムはこう言う。世界には言うまでもなく、たくさんの犯罪がある。そして犯罪は幸福、あるいは幸福の欠落に関係があるものだが、彼は言う。よし、成人たちの世界を想像してみよう。もし、原始的なという言葉を使うことができるなら、よし、君がそこで仮定しているようなコミュニティのことだ。でも、成人たちの世界について考えてみようと、デュルケムは言う。そのコミュニティでは、今、私たちにあるのとまったく同じ比率の犯罪がおこるだろうと。基準があがるために、人々はそこでも必然的に規範から逸脱しようとする。したがって、罰を受けることになるからだと。

私は調和的で原始的なコミュニティというものが、おそらく、どこかに存在すると、想像したいが、私たちは、常にその中間的な混合状態にあって、それは、非常に不満足で、私たちはそれを治さなくてはと思い続けるのかもしれない。

学生:僕は「隣の芝はいつも青い」と言おうと思っていました。そして、それは無知が幸福をもたらし、知がその反対なのかという議論を持ち出すと思います。

そうだ、「隣の芝はいつも青い」。それは、とてももっともな理論だ。ここで、1776年のブーガンヴィルと、タヒチの場合に焦点をあててみる。よし、先ほど見た絵を思い出してほしい。これには、まちがった表現があると思うが、それについて出された様々な説明から、私が驚くのは、たとえ、さっき言ったように、これが比較的安定した、比較的、分化されていない元来のコミュニティで、彼らが幸福だと仮定してみよう。彼らは「隣の芝は青い」のでは?とは思っていないと仮定する。

でも、現実はどこからか、船が現れると、すぐにみんなが、「わぁ、、他の人が何をやっているかを見に行ってみよう」となる。だから、もし、彼らが本当にコミュニティに満足しているなら、彼らに船は必要ないはずだ。これは、実際、私たちがどこかで混じり合うことを熱望していることを示していると思う。

幸福は不思議なことに、ナポレオンによっても取り上げられている。ナポレオンはフランス皇帝であり、彼がしたいようにすれば、何にでもなれた。でも、彼は最初から皇帝だったわけではない。彼ははじめルソーを手本にして作家になろうとしていた。驚くかもしれないが、彼の最初の随筆の1つは、実際に、幸福をテーマとしていた。その作品は後に、彼の秘書によって、賞を受賞した随筆と表現された。実際は、賞の受賞にはまったく及ばずに終わったのだが。君たちも、おそらく知っていると思うが、ルソーは懸賞論文に応募し、一等を受賞することで、キャリアをスタートさせた。

最初の対話編、『学問芸術論』だ。だから、ナポレオンは、この懸賞論文の広告をみたとき、こう感じた。よし、ルソーに出来るなら、私にも出来るはずだ。それで、辛口の批評を受けた。「非常に明白な夢」と書かれた。これはおそらくその時点で非常に優れたものだとは思わなかった。ということだと思う。ナポレオンは非常に不快に思った。それで、その代わりに皇帝になることに決めた。

だから、私は学生の小論文にコメントを書くとき、いつも躊躇する。もし、否定的なことを書いたら、どこかに行って、皇帝になってしまうかもしれない。でも、そのうち、「もっとも明白な夢」と書いてみよう。それが君たちにどんなことを引き起こすか見てみるために。



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by yomodalite | 2014-12-06 20:00 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

宗教の倒錯/上村静

宗教の倒錯―ユダヤ教・イエス・キリスト教

上村 静/岩波書店

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本書について、著者は、「宗教は人を幸せにするためにあるはずなのに、なにゆえその同じ宗教が宗教の名のもとに平然と人を殺してしまうのか?」という、素朴な問いに答えることを目的としていると言う。

宗教関連の本として、私にとって、ここ数年のベスト本なのですが、それゆえ、思うところが多過ぎて、なかなか感想を書けずにいました。


世界の不公平や悪の原因をユダヤのせいにし、激しい敵意をむき出しにして、「正義」や「真実」を語り、「洗脳」されていると煽る本が現代日本でも数多く見られます。


キリスト教では、ユダヤ人は、イエスを十字架にかけたと憎みますが、キリスト教ができた後、イエスと同様、様々な異端を弾圧し、処刑し、異教徒と激しく戦争してきたのも、キリスト教会です。


数多の陰謀論にも見られる「反ユダヤ主義」の原因について、一般の読者が理解できるように書かれている本は稀で、ユダヤ教にも、キリスト教にも精通した聖書研究者で、特に日本人による著作となると、本当に希少だと思います。


著者が説明しようとした「倒錯」は、私たち日本人のほとんどが意識することなく過ごしていることですが、それは特定の宗教の問題ではなく、一神教の問題として、遠くから眺めていられる時代は終わり、私たちは欧米で行なわれてきた歴史から、何も学ぶことなく、同じ過ちを繰り返そうとしているようです。


答えについては、本全体から読み取るべきですが、

購入の際の立ち読み箇所としては、

第16章「キリスト教のユダヤ教からの分離」からがお奨めです。


◎[Amazon]宗教の倒錯ーユダヤ教・イエス・キリスト教






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by yomodalite | 2014-07-28 22:27 | 宗教・哲学・思想 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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