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うほほいシネクラブ (文春新書)

内田 樹/文藝春秋

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内田樹氏の映画本。内田本にハズレがないのも、重要な箇所に線を引こうとすると、すべての行になってしまうことも、やっぱりいつもどおり。しかも、新書としては、最重量の厚み(2センチ程)で、面白さが詰まっているので、どこを切り取ろうか決められないぐらいで....ホント困ってしまうのですが、、

返る田舎のない身なので、年末からお正月まで、本書からのメモを、気が向いたときに追加していきたいと思います。 

これまで内田氏の映画論は、小津映画についてのものぐらいしか知らなかったのですが、ジョニー・デップや、タランティーノ、特にジョン・ウォーターズをそこまで高く評価されていることは全然知りませんでした(嬉しいっ)

「まえがき」より(省略して引用しています)

本書は僕にとって3冊目の映画論の本です。最初が『映画は死んだ ー 世界のすべての眺めを夢見て』次が『映画の構造分析 ー ハリウッド映画で学べる現代思想』本書に収録したのは、その2冊を出した後にさまざまな媒体に寄稿したものと、ネットで公開したけれど、これまで活字化されなかった映画についての書き物です。

第一章は、本書のタイトルになった「うほほいシネクラブ」読売新聞の「エピス」という紙面に連載した映画評で、2004年から2008年まで、月に一回試写会に行って映画を観て、それについて書くという仕事でした。

第二章は「街場の映画論」は僕のブログから拾い上げた「映画に言及した雑文」とパンフに寄稿したもの。

第三章「小津安二郎断想」は小津安二郎のDVDブックに連載したもので、小津のコレクションから1本抜き出して、じっくり隅から隅まで見て、思いついたことを書くという愉悦的な仕事でした。

最後の第四章「おとぼけ映画批評」は、1998年にインターネットのHPを開設してすぐ連載を開始した個人的な映画評です(2003年まで5年間続けました)。当時のHPのアクセスは100くらいで、読んでいるのはほとんど知りあいで、友だちと居酒屋で、生ビールなんかごくごく飲み、「どう、最近なんか面白い映画見た?」というようなカジュアルな口調で書かれています。

メディアの映画評では、新作しか扱いませんが、今は古い映画でも、ネットで上でクリックすれば済みます。そういう新しい技術的環境を享受していながら、いまだに新作しかレヴューしないというのは、ちょっとおかしいんじゃないかと、、あらゆる時代のあらゆる作品はつねに現時点におけるレビューの対象となりうる。いささか過激かもしれませんけれど、そういう開放的な立場から書かれた映画評というのだってあってもよいと思います。(引用終了)

第一章の「うほほいシネクラブ」の映画評は、それぞれ新書の1ページぐらいの分量なんですが、それでも、内田氏の思想・哲学が垣間見れるというか、匠の技や至芸を堪能できてしまうという例をほんの少しだけ。(省略・抜粋して引用)

『2046』
ことばは誰にも届かない。けれども人々は語ることを止めず、その誰にも届かないことばを、響きのよい音調で、あるいは絞り出すように、あるいはつぶやくように語り続けます。おそらく、聴き取って欲しい人にことばの「意味」が届かないとわかったときに、人間はいちばん美しい「音声」を発して、それを補償しようとするからでしょう。

『エターナル・サンシャイン』
アメリカのみなさんは、年に一度『クリスマス・キャロル』映画が見たくなる。これは僕が最近発見した「ハリウッド映画の隠された法則」の1つです。

おのれの人生を凝縮した時間のうちに幻視することによって「回心」を経験する、という話型はアングロサクソンの方々の琴線にふれるもののようです。この映画も『クリスマス・キャロル』ものに分類してよろしいと思います。

人間と言うのは不思議なもので、確定したはずの過去に「別の解釈可能性」があり、そのとき「別の選択肢を取った場合の私」というものがありえたと思うと、なぜか他人に優しくなって、生きる希望がわいてくるんです。

これは本当。若い人も長く生きてればわかるようになります。

『チャーリーとチョコレート工場』
「ティム・バートンにはずれなし」「ジョニー・デップにはずれなし」というのは僕が経験から学んだ貴重な教訓です(もうひとつ「メル・ギブソンにはずれなし」というものもあります)

僕が興味をもったのは、この映画がアメリカ社会に伏流するある隠された心性をストレートに表現していたということです。それは「母親に対する子供の抑圧された悪意」です。

『Always 3丁目の夕日』
おそらく僕たちには「一度として所有したことのない過去を懐かしく思い出す能力」が備わっているのです。この映画はそのような想像力が生み出したもののように僕には思われます。

『シン・シティ』
映画が固有の現実性を獲得するためには、フィルムメーカーと観客が「同じ側」に立って映画内的現実を見つめているよいう状況設定が必要なのです。「こちら」にフィルムメーカーと観客、「あちら」に映画そのもの。この二項対立関係が成立すると、映画そのものが(もう人間が作り出したものではなく)固有の悪夢のような現実性を持ち始めて自律的に存在するようになるのです。真に創造的なフィルムメーカーは(タランティーノもそのひとり)そのことを知っています。

『ミュンヘン』
この映画の心情的な通低音は「アメリカに住むユダヤ人がイスラエルに対して感じる疾しさ」です、現在アメリカに住んでいるユダヤ人たちは、もう十分にアメリカ社会に根付いているにもかかわらず「もしも、ここでまたホロコーストが起きたら....」という悪夢のような想像からはなかなか逃れることができません。

万が一そのようなことが起きたとしても、逃れるべき「祖国」があるということが彼らを心理的に支えています。イスラエルという「心理的な支え」があるからこそ、アメリカのユダヤ人たちは「普通の生活」を享受できている。

しかし、当のイスラエルでは人々は存亡をかけた戦争を繰り返し、日常的にテロに脅かされ、テロを行っています。ですから「私たちアメリカのユダヤ人は、イスラエルに踏みとどまっている同胞の血と罪によって、おのれの市民的平和を購っているのではないか?」という疾しさは程度の差こそあれ、アメリカ・ユダヤ人のうちに伏流しているのです。

『バベル』
4つの物語に共通するのは「言葉が通じない」と言う状況です。言葉が通じないことがむしろ出会いたいという欲望を亢進させるのです。「あなたの言いたいことはよくわかった」という宣言は「だから、私の前から消えてよろしい」という拒絶の意志を含意しています。僕たちはむしろ「あなたの言いたいことがよくわからない。だから、あなたのそばにいたい」という言葉を待ち望んでいるのです。

『The 有頂天ホテル』
「自分らしく生きる」というのは、自分の中からこみあげてくるピュアな欲望や衝動に身を委ねるということではなく、人々が自分に期待している役割を粛々と演じきる覚悟性のうちにある。たぶん三谷さんはそういうふうに考えているんじゃないかと思います。(大人ですね)

『父親たちの星条旗』
クリント・イーストウッドは偉大なフィルムメーカーです。もしかすると未来の映画史には20ー21世紀で最も偉大なハリウッド映画監督として記憶されることになるかもしれません。『ダーティハリー』と『ガントレット』で刑事映画のスタイルを完成させ『ペイルライダー』と『許されざる者』で西部劇のスタイルを完成させ『ハートブレイク・リッジ』と『父親たちの星条旗』で戦争映画のスタイルを完成させたんですから。

スタイルの完成させたというのは、これ以上洗練された映像を作り出すことがほとんど不可能をいうことです。彼の映画について形容する言葉を1つだけ選ぶとしたら、それは「洗練」ということになるでしょう。

「洗練」というのは「過剰」の反対です。ですから、彼の映画ではすべてが「少しだけ足りない」

俳優は説明的な演技を禁じられており、画面は観客が予想するよりもわずかに早くカットアウトされ、ライトは画面の隅々まで行き渡って、俳優の表情をくまなく見せるには少しだけ足りません。重要なセリフを語るときは、観客が少しだけ耳を澄ましてわずかに身を前に乗り出さなければならない程度にわずかに音量が抑えられる。すべてが「少しだけ足らない」。

『硫黄島からの手紙』
硫黄島で死んだ二万人の兵士を鎮魂する映画はどう考えても日本人が自力で作るべき映画でした。この映画の中で僕たちは「天皇陛下万歳』と「靖国で会おう」という常套句に何度か遭遇します。これまでに見たどのような映画でも、僕はこのようなイデオロギー的言明に悪寒以外のものを感じたことがありません。けれども、この映画においては、僕はその言葉に不覚にも目頭が熱くなりました。

間違いなく多くの日本の兵士たちは死に際して、最後の希望をその言葉に託したのです。その動かしがたい事実が淡々と、どのような判断も込めずに、ただ記述的な仕方で示されているときに「そのような言葉を口にすべきではなかった」というようなあと知恵の政治的判断はほとんど力を持ちません。

このことがどれほどの力業であるかを理解したければ、日本人のフィルムメーカーが「アメリカの兵士たちが日本軍と戦って死ぬ映画」を作って、そのアメリカ人兵士たちのたたずまいの描き方の精密さがアメリカの観客たちを感動させるという事態を想像してみればよいでしょう(僕には想像ができません)

『ヘアスプレー』
ジョン・ウォーターズ師匠(私が「師匠」と敬称をつけてその名を呼ぶフィルメメーカーはこの世に小津安二郎と、ジョン・ウォーターズのお二人だけです)の、ボルチモア讃歌シリーズの中でも名作の誉れ高い『ヘアスプレー』(1988年)のリメイクです。

この師匠のスゴいところは「テーマなし(ほとんど)ストーリーなし」であるにもかかわらず始まってから5秒後に映画の中に引きずり込まれ、エンドマークが出るまで時の経つのを忘れてしまうスーパーな「娯楽映画」を作ってしまうところです。

映画はただ1つのことしか扱っていません。それは「ロケンロールへの愛」です。ロケンロールは20世紀のアメリカ人が誰にも気兼ねすることなくそれに対する無条件の愛を信仰告白することが許された唯一の対象でした。

ロケンロールこそ、1945年以後のアメリカ人が肌の色を超え、信教の違いを超え、階級を超え、政治的立場を超えて、1つに結びついた、たった一度だけの歴史的経験だったのでした。


ブルースは黒人の音楽であり、カントリーは中西部の白人の音楽であり、ポップスは中産階級の音楽であり、ラップは非抑圧階級の音楽であったからです。そのようなきびしい社会集団ごとの境界線がすべての文化財を乗り越え不能な仕方で切り刻んでいる中で、唯一「ロケンロール」だけは「ヒップ」なアメリカ人であると自己申告しさえすれば誰もが「自分のための音楽」として認知することのできる「開かれた音楽」だったのでした。

そのような文化的な「入会地」はもう21世紀のアメリカ社会には存在しません。だからアメリカ人たちは今万感の哀惜を込めて、ヘアスプレーで固めた髪の毛をロケットのように点に突き上げ、リーゼントを決めた兄ちゃん、姐ちゃんが底抜けに陽気なダンスをすることができた「ケネディが大統領だった時代」を目を潤ませてながら回顧しているのです。(引用終了)

エイミー・スチュワートを見ていると、妙にジョン・ウォーターズの映画が観たくなってきてたんだけど、『ヘア・スプレー』置いてないのね、TUTAYA DISCAS....

☆うほほいシネクラブ/内田樹[2]に続く


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by yomodalite | 2011-12-29 19:47 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)
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解読「地獄の黙示録」/立花隆[1]のつづき

(引き続き要約して引用)コッポラが、後半30分は、神話ないし寓話として見てもらいたいと語るとき、その背景には、こういった諸材料を用いて彼自身の神話を構築しているという事実がある。この他にコッポラが巧みに取入れた材料としては、ドアーズのジム・モリソンが作った「ジ・エンド」がある。


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by yomodalite | 2011-12-01 16:27 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)
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今年の夏に、思わぬきっかけでやって来てしまった「マーロン・ブランド・ブーム」。それから、彼の映画を色々観ましたが『地獄の黙示録』は以前に1度観ていることと、戦争映画が苦手なこと、そして、この映画の役がブランドにとって、とても偉大な役だったのではないかと思うと、緊張して、簡単には観ることが出来ないうえに、

わたしは、通常、映画を観るまえには、情報も評判もあまり取入れないで観たい方なんですが『地獄の黙示録』は、難解とされる文学作品が原作ということもあって、そうでなくても、意味のとり違えや、省略のしすぎなどの問題をかかえる字幕スーパーを、もっとも信用できないタイプの映画なので、ある程度、注意すべき点を、事前にチェックしておきたいと思って、本書を読みました。

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by yomodalite | 2011-12-01 16:14 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)
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先日、以前やんちゃさんに教えてもらった千代田図書館に行ってみたら、図書館のイベントとして「靴磨き」をやっていた。“靴をみがいて自分も磨く”ということらしい。

◎イベントは終わってますが....
◎図書館「見直し」計画

わたしは、靴磨きはしてないんだけど、その周辺には「自分磨き」に関連する書籍が、表紙が見える形でディスプレイされていて、こちらは、そのとき目に入った本。

とにかく、今、思想レベルのものじゃないと....って思う気持ちが強いせいか、この赤と黄色の表紙に思わず惹き付けられてしまいました。

赤塚不二夫がいつからマンガを描かなくなったのかに興味があって、少し調べてみたけどよくわからなかった。でも『天才バカボン』は1967年が連載スタートで、1978年に一応完結しているらしい。

赤塚不二夫は、マンガではなく「赤塚イズム」で30年余りを生きてきたのだと思う。

1956年『嵐をこえて』で漫画家デビュー
1962年『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』連載開始
1967年『天才バカボン』連載開始
1969年「ひみつのアッコちゃん」「もーれつア太郎」がテレビアニメ化。
1971年「天才バカボン」がよみうりテレビ系でテレビアニメ化。
1975年「元祖天才バカボン」がテレビアニメ化。
1988年「おそ松くん」「ひみつのアッコちゃん」がテレビアニメ化。
1990年「平成天才バカボン」「もーれつア太郎」がテレビアニメ化。
1998年「ひみつのアッコちゃん」が放送スタート。
1999年「レレレの天才バカボン」がテレビアニメ化。
2008年 肺炎のため逝去。享年72歳。


赤塚不二夫の代表的なマンガは、ほとんど「アニメ」になっている。マンガをあまり描かない、というか、天才マンガ家として苦悩の時代に、アニメからの莫大な収入があったことが、タモリを育てることになったんじゃないかと思う。

本書の中で、赤塚氏は何度かタモリにちょっぴり厳しいことを言っている。でも、タモリはタモリで、赤塚が自分を育てたことを重く考えていて、『いいとも』を棄てられないんじゃないかな。。で、そーゆーことは、タモリと同じ「獅子座」の中居くんに強く影響を与えていて....というような想像を、わたしは勝手にしていて、勝手に残念に思っていたりする。

本書の対談が企画されたのは1999年の春で、対談終了したのは2000年。生きている間に赤塚らしい対談本を作って欲しいという夫人の願いにより実現した、赤塚不二夫最後の対談集。

赤塚氏ともっとも関係の深いタモリとのエピソードは色々知られているけど、本書で語られていることを、タモリの口調以外で読むと笑えるというよりは「壮絶」としか言いようがなかったり、

柳美里はすごく緊張してるけど(そりゃそうだよね..)色々がんばっているという感じで、

立川談志(赤塚に立川不死身という落語家名を与えた家元)とは「がん経験者」としての話、若手の笑い、フレッド・アステアの『イースター・パレード』(談志はアステアが大好き)や映画の話、桂枝雀の鬱やもちろん落語の話も。。

赤塚氏が「志ん生の、蛙が立って歩くやつ。吉原行くやつ」って言ってるのは『蛙の遊び(蛙の女郎買い)』という噺。(私もこれが大好きで何度も聴いてる)

北野武は、映画の話が多くて、この当時大島渚の『御法度』に出演していて、赤塚氏はたけしが原作で以前の助監督が撮った『教祖誕生』が面白かったとか、たけしはウッディ・アレンの『カメレオン』が好きだとか....

ダニエル・カール氏には、開口一番「会いたかったんだよ。あなたにお会いしたかったの。昔からファンだったんだよ。4年前の『徹子の部屋』に出たときのビデオも持ってるんだよ.....で始まり、最後は「だけどこいつは外人なんだから、こんな奴と話しても仕様がないんだ。俺の娘がさぁ、イギリス野郎とな.....」で終わります。

荒木経惟は本書の表紙の写真も撮影。赤塚氏はアラーキーの妻陽子さんのことを凄いイイ女、本当に何でもわかってるイイ女だったと言ってますが.....酷いことしてますw

松本人志は『赤塚不二夫のマンガ入門』を見て漫画家を目指していた。松本の『VISUALBUMー安心ー』(コントビデオ)の「荒城の月」、『ごっつええ感じ』のトカゲのおっさんの話、松本が一生懸命にやらないと...と言うと、赤塚氏は「タモリに言っとこ....見習え!って」

対談中も当然のように酒を求め、最後までグラスを手放さなかった赤塚氏のお酒は、30歳を過ぎてから対人恐怖症をやわらげるためだったらしい。このときは相手をホテルで迎えるときは、2時間も前に約束の部屋に入りベッドで横になり、身体の快復に努めた。

この本は「赤塚イズム」の基本を学ぶには、あまり良書ではないかもしれないけど、わたしは「偉人の晩年」に興味があって読みました。物語系のマンガはあまり読まないのだけど、ギャグマンガは大好きで、

乙女よりも、もっと儚く、そして尊いギャグマンガとギャグマンガ家の「命」とか「魂」とか、出版社がもっともっと大切にしてくれたらなぁと思う....

◎赤塚不二夫対談集『これでいいのだ。』(アマゾン)

赤塚不二夫の対談集として、2000年1~7月『サンデー毎日』連載を中心にした『バカは死んでもバカなのだ』も忘れずに読まなきゃ。。
___________

[内容紹介]天才たちの言葉を聴け。『天才バカボン』『おそ松くん』で日本の笑いの歴史を変えた天才・赤塚不二夫が、同じく天才と呼ばれる者たちと語り合う。笑いの神髄に迫る言葉の数々、心して聴け。赤塚不二夫VSタモリ、北野武、松本人志、立川談志、荒木経惟、ダニエル・カール、柳美里の対談集。天才たちの対話は、ときに笑いの神髄に迫り、ときに生と死に触れ、ときに常人の理解を超えた高みに達する。笑いを極めたい者、生に迷う者、必読! 単行本(2000/1/14)、文庫版メディアファクトリー (2008/12/20)

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by yomodalite | 2011-10-25 10:55 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(4)
やっぱり、ホリエモンの本は面白い。

今回はじめて「タカポン」と呼んでみようかなぁと思ったけど、最終章で2013年には「ニューホリエモン」をお見せしたいと堀江氏が語っていたので、やっぱりホリエモンで。

現在長野刑務所で服役中の堀江氏は、元々精力的に出版活動されていた方ですが、2011年は、6月20日に収監されるまでに、本書を含めて下記の10冊を出版されていて、

◎成金/画:佐藤秀峰(2011/2/16)
◎儲けたいなら科学なんじゃないの?/成毛 眞 共著(2011/3/18)
◎ホリエモンの宇宙論/堀江 貴文(2011/4/19)
◎わたしの3.11ーあの日から始まる今日/茂木 健一郎、山田スイッチ他(2011/5/20)
◎収監 僕が変えたかった近未来(2011/6/7)
◎嫌われ者の流儀/茂木 健一郎共著(2011/6/14)
◎お金はいつも正しい(2011/6/21)
◎再起動 ー 君たちに東日本大震災後の世界を託す(2011/6/25)
◎田原総一朗責任編集 ホリエモンの最後の言葉(2011/7/25)
◎だからテレビに嫌われる/上杉 隆共著(2011/9/16)

わたしは『成金』『わたしの3.11』『嫌われ者の流儀』に続いて本書を読みました。

第1章・第2章 ドキュメント3.11

震災当時の怒濤のツイッターを、ドキュメントとして振り返る内容。わたしが、震災直後に、ホリエモンのツイートを見たのは、とにかく死ぬことが怖いと言っていたほりえもんが、同じ東京都民としてどんな行動を取るかに興味があったからです。でも予想に反し、彼は「東京は絶対にだいじょうぶ」と言い切り、

大量フォロワーをもつ社会的責任として、膨大な量の安否確認ツイートを繰り返し、義援金の窓口を設定し、また情報ボランティアだけでなく、被災地に直接出向くなど、驚くほどの行動力を発揮されていました。

なにをすればいいのかも、状況への判断も難しかった、あの頃のホリエモンの行動は、非常に迅速でありながら、適確だったと今から考えても思う。わたしは、以前からボランティア基金の使われ方に興味があったので、多くのブログが採用していた基金のバナーや、日赤には疑問があったけど、

具体的に、震災直後に確実に必要とされるお金をどうすればいいかについては、まったく考えておらず、堀江氏の行動から、本当にいざという時の行動力は、日頃から蓄えられるものだということに、あらためて気づかされました。

第3章 シュミレーション「東北独立特区」

震災後の日本がこれからどうすればいいのか。これからそれを向き合わなくてはいけないと思うことで、結果フリーズしてしまう。そんな震災鬱から抜出すには、どうすればいいのか。その答えはイメージすることに尽きると堀江氏は言い、具体的なヴィジョンが紹介されている。

そのイメージとは、1人のジャーナリストが「生まれ変わった新しい東北」をルポルタージュしているという設定で、テーマは「出所後、私が住んでみたい東北」。

第4章 東北から日本の未来を拓こう

原発エンジニアの海外流出を防くことから、産業再生による復興プランが非現実的であること、東北から新しいジャパンモデルを発信するために重要なこと、集合知による逆転の発想について。

第5章 新国家計画

東北復興について考えているとき、堀江氏の頭を占めていた、国家とは何か。どうあるべきかについて。現在の日本の問題点を鋭く指摘する内容。

さいごに

2011年5月28日、六本木ヒルズで書かれた文章。2013年、みんなにニューホリエモンを見せられることを楽しみにし、みんなも、みごとに日本を再起動したことを、自分に見せて欲しいと書かれています。

特別対談 2010年10月9日に行われた瀬戸内寂聴との対談

わたしはこの対談で、堀江氏が東大で宗教学を専攻されていたことを初めて知りました。寂聴氏は、死が怖いという堀江氏に、遠藤周作氏の話や、自身の様々な説教体験を語りますが、意外にも堀江氏が非常に宗教的であったことに気づかされ、氏のこれまでのイメージとは異なる、古典的人物像が浮かび上がります。


震災直後の氏のツイートを目撃し、すでにライブドア裁判に疑問を持っている人にとっても、本書の内容は、あらためて読む価値のある内容。氏の発想には、議論を呼び起こす力があり、有意義な反論や、質問を投げかけたくなる魅力が詰まっている。

単行本の厚み(12ミリぐらい)以上の内容の充実は、ホリエモンの深さから来ていると思いました。


☆☆☆☆☆(満点)
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[内容紹介]東日本大震災後、東北そして日本はどう進むべきか。その道筋を照らすのはこの国で暮らすみんなの集合知。本書は「ソーシャルメディア」「経済」「心」の3テーマを軸に、ポスト3・11の希望あふれる未来像を提示するロードマップだ。著者の独創的な東北独立特区シミュレーションは必読。瀬戸内寂聴さんとの特別対談も収録。ホリエモン渾身の書下ろしラストメッセージ。新生ニッポンの主役は君だ! 
徳間書店 (2011/6/25)





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by yomodalite | 2011-10-02 11:55 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)
堀江氏の本はいつも面白い。と言っても、やたらと本が多いので、堀江タグにある本以外では『そこまで言うか!』(勝間和代 × 堀江貴文 × 西村博之)と、『成金』ぐらいしか読んでいませんが、

『成金』は、マンガのように面白かったし、『そこまで言うか!』は、カツマー本(1冊も読んでない)ではわからなかった勝間和代について知ることができ、いずれの本も疲れないし、元気が出るか出ないかと言えば「出る」寄りで楽しめました。

多分、それは、これらの本が「大衆」に向けられて書かれているからだと思うんです。

すごく頭のイイ人が「大衆」に向けて書いているという本は、昔から少ないので貴重なんですが、特に最近はこれとはまったく似て非なる「B層」向けが多いので、よけいに貴重なんですよね。

「B層」向けの本を書いてしまう人と言うのは、セレブだとかエリートだと思っている自分の周囲が、自分と同じ程度なので「頭がいい」ということが実際どういうことなのかわからなくなっているのだけど、自分の偏差値から、世の中は自分より「頭が悪いひと」がほとんどだと思っている。

それなのに、自分より上位成績者にだけ(主に東大生)、偏差値だけで頭の良さは計れないという怨念をもっていて、全然頭がよくないのに「知ったかぶり」が常態化しているせいか、他人のミス(漢字を間違えたなど)を見つけると、鬼の首をとったかのごとく責めてみたり、

自分は、絶対に大衆ではないと思っているので、大衆は、自分のように高級レストランで食事しないと思っていたり、1000円でヘアカットしなくては大衆ではないとか、大衆は「どじょう」のようなものだと思っていたりするので、

大衆としては、毎日、疲れることばかりなんですが、、

ほりえもんも、もぎけんも、本当に頭がいいので、知らないことは「知らない」と言えたり、議論をすれば、必ず「決着」がつくという、判断のものさしがあるので、仮に、間違っていたり、また意見が違っていることがあっても、話し合いをすれば、よりよい意見がまとまったり、より深くなったりということが期待できるので、疲れないんですよね。

亀井静香とほりえもんが、両方、議員になってくれてたら良かったのに、、
こんな方が「収監」されてしまうとは、、

茂木氏が、収監が決まってしまったほりえもんに対し、ザッカーバーグ(フェイスブック創始者)と比べて、自分の運命が不当だと思わないか?と言うと、ほりえもんは、

「まあ、でもザッカーバーグよりいい女と付き合っていると思いますけど(笑)」と答えたり、

オスカー・ワイルドの『獄中記』読んだことある?には、ほりえもんは「読んだことない」と答えていて、茂木氏がすごくいいから、ぜひ読んで、ほりえもんにも『獄中記』を書いてほしいと言うお願いに「読みます。今書名をメモしました」と書かれていました。

この本は、わたしも少し前から読んでいたんですが、すごく興味深い本なんですよね!

2年6ヶ月の懲役は本当に長過ぎて、気の毒でならないんですが、ほりえもんが出所後の目標を明るく書かれていたり、氏の『獄中記』も読めるかもしれないということなど、やはり、こちらの方が救われた気がしました。





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by yomodalite | 2011-09-11 22:00 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(3)

ゲーテの警告 日本を滅ぼす「B層」の正体 (講談社+α新書)

適菜 収/講談社



下記の太赤字=「ゲーテの言葉」、赤字=「適菜氏の言葉」青字=「レヴュアーの言葉」

アマゾンレヴュアーが指摘している「B層好みに書かれたB層批判の本」、「自分はA層だと言い聞かせるB層向けの巧妙な戦略」などに概ね賛同しますが、

ワンフレーズを駆使した、単純仕分けによる政治家批判も、結局は自分が一番頭がいいというポースがしたいだけの体制側TV向け政治評論家と同じような芸風に見えて、

随所に「炎上」を狙ったとしか思えない現状理解や、「B層」というキーワードだけでなく、マーケ祭り!と言いたくなるぐらい、

ちょっぴりやけくそ気味なサーヴィス精神で「教養第一主義」が説かれています。

以前フルフォード氏との共作だったこの本は、一見よくある陰謀論本に見せかけて、一神教の問題を扱った、ゲーテやニーチェの思想に基づくものでしたが、

その後、フルフォード氏は「B層」から「θ層」に読者を移行させ「ユダヤの叡智」を理解しようとも、させようともせずに、イルミナティを扱ってしまうのも、

太田龍から、フルフォードへと、ああいった「芸風」が受継がれているのも、B層が、抽象的概念が大好きで、思考能力が欠如しているからなのに、想像力だとか、イマジネーションだとか勘違いしてしまうのも、すべて、わたしたちに「教養」がないからで、

本当は「想像力とは、実在しないものを空想することではない。それは現実から離れたものではなく、現実に照らし合わせて、ものごとを予想し、推測すること」ですよね。

また、1975年生まれで、36歳の著者が、ニーチェ研究者になったものの、哲学を売る相手が「B層」しかいないのは、その前の世代が、近代もクリアできていないくせに、エラそーに「ポストモダン」とか言って浮かれてたせいだと、適菜氏より年上のわたしなどは、今、猛烈に反省しているところなので、

「ゲーテはそれほどフィーチャーされていない」とか「ゲーテと無理やり関係づけてる」ようには思いません。

そんなことを言っているのは、どうせ、ゲーテだって、1、2冊買って、パラパラして見ただけのくせに、なんとなく読んだような気分になってるだけで、しかも、適菜氏の『キリスト教は邪教です』とか『はじめてのニーチェ』すらも、どこかのレヴューだけで、わかったようなことを言っている人なんじゃないでしょうか。

そもそも、哲学を他人の解釈で手っ取り早く理解しようなんて根性で、賢くなれるわけがないんですが、どうも、手っ取り早く理解しないと「A層」になれないと思っていたりもするんですよね。

かつての「インテリ」と「大衆」という区分は、それぞれが納得し、プライドを持って生きていましたが、それらと比べると、AからDまでの区分というのは、経済的成功で区分けされているので、層の移動に脅えざるを得なくて、

マーケティングと言うのは、もともと「高学歴のB層向け」の手法でしたが、永年付き合いのあったスポンサーには、その内実がバレてしまって効力がなくなってきたり、TVとか雑誌で、消費者に直接洗脳するというのも米国から輸入した方法でしたが、輸入業者には、開発者のような智慧もなく、売り手の開拓と市場の拡大の両方を謀ってみたものの、

バカな売り手を開拓しようとするあまり「バカ」なことを言い過ぎるなど、開拓しようとした側も「バカ」だったので、結局「売り手」ばかりで、ますます「パイ」が小さくなっているんじゃないでしょうか。

この本の読者は、わたしを含め、すべて「B層」です。(間違いない!)

だから、ここから抜出すには、適菜氏が「ゲーテの言葉」として言われるように、

「偉大な時代における偉大なものに学ぶ」ことであり、過去の偉大な精神に接近するための一番の方法が「読書」で、ゲーテによれば読書とは心の糧を見つけようとするものではなくて、作者の精神に接近することが重要....だと思います。

適菜氏は、こうも言っておられます。

では、具体的に何を読めばいいのか? ー 古典です。

「生まれが同時代、仕事が同業、といった身近な人から学ぶ必要はない。何世紀も不変の価値、不変の名声を保ってきた作品を持つ過去の偉大な人物にこそ学ぶことだ」

ですよねーーー。わたしも大好きな「あのひと」が何を学んでいたか、想像しているうちに、やっぱり「古典」なんだなーって、しみじみ思ってたんです。(ゲーテ、意外と気が合うーーあっでも、女こどもや、主婦は、古典を読もうが何をしようが、ダメなんでしたっけ?)

「法律というのはいい気になって幸福の量をふやそうとするよりは、弊害の量を減らそうと努めるべきだ」

ホント、すぐ法律でなんとかって思うタイプにはうんざりっス。税金が増えて、監視する人が増えるってことが、どんなに弊害があるか。。。

教養人は、絶対善を求めず。これは保守の基本的態度ですよねーー。

あっ、いけない。調子に乗って、適菜氏の受け売りで、ゲーテを理解してしまいそうになってた。もう、こんな本読んでる場合じゃなかったです。

なんか、この本の、最初の方の「政治家」の扱い方を見ると、どこかの政党からお呼びがかかるのを(もちろん議員としてではなく)待っておられたり、それとも、やっぱり代理店だったり、新聞社だったり....だって、B層マーケってこういうことでしょう↓

◎民主党次期代表 広告代理店に意見求め野田佳彦氏の案出る

これで、適菜氏も「A層」に昇格されるんでしょうか。

◎ゲーテの警告ー日本を滅ぼす「B層」の正体(アマゾン)
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[内容説明]日本をダメにしたのは官僚ではなく、B層 小泉、小沢、鳩山、菅…、「民意」を問い続けると恐ろしいことが起きる! 衣食住、文化、スポーツ、すべての分野で起きているB層化現象をゲーテ研究者が解説

[BOOKデータベース]「活動的なバカより恐ろしいものはない」―ゲーテ。小泉純一郎、小沢一郎、鳩山由紀夫、菅直人。なぜ我々は三流政治家を権力の中枢に送り込み、「野蛮な時代」へ回帰したのか?「B層」をキーワードに、近代大衆社会の末路を読み解く。講談社 (2011/8/19)

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by yomodalite | 2011-09-06 21:29 | 評論・インタヴュー | Trackback(2) | Comments(0)

みうらじゅん対談集 正論。

みうらじゅん/コアマガジン




ダーリンの図書館本。2009年の対談集。

対談相手は、峯田和伸(銀杏BOYZ)、山田五郎、杉作J太郎、遠藤賢司、田口トモロヲ、ウクレレえいじ、和嶋慎治(人間椅子)、根本敬、ROLLY、いとうせいこう、安齋肇、猫ひろし、水野晴郎、喜国雅彦、大槻ケンヂ、泉麻人、西城秀樹、久住昌之、しりあがり寿、松久淳、RYO(ケツメイシ)、高木完、内田春菊、JAGUAR、カーツさとう、清水ミチコ、ATSUSHI(ニューロティカ)、スチャダラパー、はな、リー・フランキー、南伸坊、泉晴紀、山口隆(サンボマスター)、井筒和幸、久本雅美、吉田豪。

以下の抜粋箇所は、なんとなくです。

◎峯田和伸(銀杏BOYZ)

みうら)般若心境って、今風にいうと応援歌ぽい感じがするんですよ。(中略)あの『イマジン』と同じやり口ですよ。ジョン・レノンは多分これに影響受けたんだと思うよ。

峯田)原理としてはアイウォンチューと一緒ですもんね。

みうら)ボブ・ディランの曲の作り方。わけ分かんないこと言っといて、最後は分かり易く.....

峯田)アイウォンチュー!

みうら)これが、きっと、何千年も掴んできてる歌詞の構図なんですよ。

峯田)知らず知らずのうちに、我々音楽家っていうのはこの図式に組み込まれてたんですね。

みうら)きっとね(笑)特にロックの歌詞はね。ここから学んでいくと全世界のハートを鷲掴みに出来ると思ってるんですけどね。

◎山田五郎

みうら)人ってそれぞれだからって、諦める境地。それさえ分かれば、信者になるよりは簡単な気がするよね。

山田)でもそれは人のタイプだよ。信者タイプと教祖タイプがいるんだよ。昔ね、女性誌の偉い人に「女性誌を作る男は、編集部の女性全員とヤるか、誰ともヤらないかどっちかだ!」って説教されたことがあって。

みうら)どっちも努力だね(笑)

山田)それを聞いた時、俺はどっちかていうと全員とヤらない方しか出来ないなって思ったよ。その時に「ハイ喜んで!」って全員とヤれるタイプが、教祖になれる人なんじゃない?

みうら)確実に体育会系の人だよね。

山田)だから、体育会系なんだよ、教祖って。意外に。

◎杉作J太郎

杉作)僕は、物書きとしてはもう終わったと思うんですよ。仕事もほとんどないんで。

みうら)はっきり言わないで下さいよ(笑)

杉作)ないんですよ。僕、今、サンドイッチマンだけですから。今日もこの後また行くんですよ、下北の駅前に。

みうら)え?何のサンドイッチマンですか?

杉作)映画『任侠秘録人間狩り』と『怪奇!! 幽霊スナック殴り込み!』の。

みうら)自分の映画の宣伝活動じゃないですか!

f0134963_17545177.jpg◎遠藤賢司

みうら)みんな自分のことが嫌いになるんですよ。
その方が楽だから。

遠藤)俺だってたまには嫌いになることもあるよ。

みうら)エンケンさんでも?!そんな時はどうするんですか?
ふて寝ですか?

遠藤)何してんだろうねえ。あとね、お世辞じゃなく、あのみうら君から貰った「つっこみ如来」・・・あれ一昨年眼の手術の時病室に飾ってたぐらい、好きですね。あの業の塊で出来たような「つっこみ如来」を見ると、以前にも増して自分を好きになっちゃうんだよね。あれこそ真の芸術だね。

みうら)ええ、本当ですか(笑)。嬉しいなぁ。

注:「つっこみ如来」みうらじゅんが生み出した、世の中の煩悩に対してツッコミを入れる仏様。 じゅんの恩返し(ほぼ日刊イトイ新聞)

◎田口トモロヲ

トモロヲ)昔、彼女相手に一ヵ月毎日、ガバって押し倒すシーンの練習してたら降られた

みうら)しょうがないなぁ(笑)

トモロヲ)僕らのゴールは、仕事をし続けることだからさ。

みうら)それぐらいしか残ってないよね。現役で死ぬってやつでしょ。沢山の人から認めてもらうよりも、自分が自分で満足することが一番難しいからね。

トモロヲ)人の評価で満足出来ない自分が一番面倒くさいね。

◎ウクレレえいじ

ウクレレ)それで、『ひまわり』受かって。ヤッター!って思って現場に行ったらエキストラの仕事ばっかり。でも黒澤監督の映画の現場もあったんですよ。リチャード・ギアも出演してる『八月の狂詩曲』っていう映画です。長崎空港に到着する300人の中の1人が僕です(笑)僕どうしても目立ちたくて、本番で変な動きというか踊りをしたんです。そしたら「カット〜!」と。助監督が飛んできて「きみ、何やってんだよ〜!」とメチャメチャ怒られまして(笑)。そしたら「ドンウォーリー」と英語が聞こえてきたんです。振り返るとリチャード・ギアが優しく僕に微笑んでいたんです。僕、一応、リチャード・ギアと共演したんです(笑)。

◎根本敬

根本)「エロ」に「ス」が付かないからね。アートって要は「ス」だからさ、俺たちには。だから同じことやってて、アートって言ってくれて、高く根付けされるんだったら、魂くらい売りに出さないと失礼だもんね、本物のアートの人達に(笑)。そんなねぇ、魂ぐらいさ……。

みうら)ちょろいもんだよ、魂ぐらいさ(笑)

根本)みんな魂ってのを重く考えすぎてるよね。でもさ、我々の場合、自分からアートって言っちゃいけないんだよ。

みうら)思ってないしさ(笑)

根本)戦略的な面でさ。自分は知らんぷりしといてさ、そっちへ仕向けといて、誰かに言わすんだよ。それで「そんなことないよ」って言うのがいいよね。……って本当はこんなこと言っちゃいけないんだけどさ、ワザワザ言うところに出自が出るね。結局漫画家だって

みうら)手の内バラすのもサービス業だからね(笑)なんか、実は手抜いたりした方がアートにみえるんじゃないの?サイン頼まれても一生懸命書くより適当に書いた方が値打ちある感じがするじゃん。

根本)水木しげるがいいこと言ってて。水木先生の妖怪の定義なんだけど、妖怪っていうのは、下らないものを一生懸命に見る努力をして、目に見えないものを無理矢理見ることなんだって。(中略)

みうら)さすがだね。水木先生って、自分のことを「水木さんはさぁ」って呼ぶじゃん。それは「矢沢はさあ」っていうのと同じ世界でしょ。(中略)

根本)ある日突然言い出すのも変だけど、少しずつ言っていけばね。みうらさんだって最初からサングラスかけてたわけじゃないからね。

みうら)そうだよ。サブカルイメージ戦略だもん(笑)(中略)

みうら)このロンゲ、本当はロック系じゃないからね。インド系の方だからね。

根本)そうそうそう。良くて、ジェリー・ガルシア系だよ。

注)ジェリー・ガルシアは、グレイトフル・デッドの中心メンバー。
◎グレイトフル・デッド(ウィキ)
◎Jerry Garcia(グレイトフルデッド)画像検索ページ


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yomodalite : 良くても悪くてもジェリー・ガルシアじゃないんじゃない?


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yomodalite : ほぼ、そっくり(笑)
このヘアスタイルは70年代に関係ありそうw


みうら)良く言ってね(笑)。そこは大切だよ。暑くて切りたいなぁって思っても切れないわけじゃない。サービス業だから。もう老眼も入ってて、全然見えないのにサングラス頑張ってかけてるわけだからね、こちとらは(笑)

根本)電車混んでるのに自分が座ってる隣の席空いてもなかなか座る奴がいない時に「まだ、やれる!」と思うもの、今や。

yomodalite : 全然見えなくても、サングラスには、なんか色々「がんばって」って部分もあったのかな。(関係者ばっかりのリハのときとか、孤児院に行くときとか。。)

◎いとうせいこう

みうら)野球って、スターがいて、あとは作業員な感じがするね。

いとう)作業?

みうら)作業してるよね。打ったやつを取って処理してる。

いとう)ああ、処理してる!

◎安斎肇

みうら)最近、石原真理子の会見でさ、芸能リポーターが「書かれた人はどのような気持ちになると思いますか?」とか言ってたでしょ(中略)

安斎)石原真理子とヤッたのに書かれてない人もいっぱいいるわけよ。「何で俺書かれてないんだろう?」って。そういう人達の気持ちを考えなさいってね(笑)

みうら)そこかー(笑)。安斎さんがまず書かれてなかったじゃん。俺もう、カッチンきてたよ!

安斎)知らないよ(笑)。何で俺が? いつヤってんの? いつ逢ってんですか?

みうら)この話ちょっと面白いから、飲み屋でしようかと思ってるの。「安斎さんねぇ、書かれてないらしいよ!」って嘘、ちょっと面白くない? これ信じないかなあ。


西城秀樹が、みうらじゅんと、かみ合っているところが素敵だったり、水野晴夫との対談は、半分ぐらいは、ぼんちゃんが答えていたり(水野氏が亡くなってから、ぼんちゃんはどーしているのだろう。どーでもいいけど。。)、抜粋箇所以外に、様々な「名言」がありました。

◎浅草キッド水道橋博士が「故・水野晴郎さんのホモ疑惑を流したのは自分たち」と激白!!
◎西田和昭(ぼんちゃん)



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この本と、全然関係ないけど、、、


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こちらもほぼそっくりーーー!!!
世界中に発信された中村俊輔の写真。


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エスパニョール対リバプールの試合中、フラフラと飛んできた一羽のインコを、俊輔が拾い上げて、ピッチの外に出るようにうながしたときのもの。


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[出版社/著者からの内容紹介]それぞれの人生、それぞれのセイロン。いい大人の青春対談集。総勢38人、総ページ400以上の超ボリューム!

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by yomodalite | 2011-09-02 23:10 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

セックスメディア30年史欲望の革命児たち (ちくま新書)

荻上 チキ/筑摩書房




アラフォー女子として思うのだけど、今の20代は大変だと思う。それは、不況とか経済的なことよりも、恋愛するのがすごくむつかしいような気がするから。バブル世代と言われるけど、当時は◎金、◎ビと分類されて、あの頃の東京でのビンボーは、現在の格差社会でのビンボーより、遥かに惨めで、楽しい恋愛生活を送るのは、それなりに厳しい戦いがあったのだけど、それでも、あの頃の男には絶対に恋愛しなくては、彼女をつくらなければという思いがあったと思うけど、今の若い男はそうではないと思う。

一生出逢うことのないような、美人で、可愛くて、抜群のスタイルの女のあんなことや、こんなことまでが「無料」で見られるという経験を10代の頃から経験してきている男たちと、どうすれば愛しあうことが出来るんだろう。

太古から、男たちのエロに賭けるパワーは、世の中を動かす最大のパワーだったと思うのだけど、これほど簡単にエロを手に入れてしまえるようになったら・・・本書は、今まさに人類が直面している、極めて重要な問題意識を日頃から抱いている者としては、読まざるを得ないという気持ちで手に取りました (* ̄∇ ̄*)

著者の荻上氏が運営する 「SYNODAS」には、レベルの高い知見が集まっていて、興味深いのですが、これまで荻上氏自身には、痒いところから相当離れたところを、ゆる〜く撫でてくれるような相性の悪さを感じることが多くて、

本書も、第一章「いかにして出会い系は生まれたか』、第二章「変化するウェブ上の出会い」部分では、大学レポートのように内容を割り増ししたような、回りくどいアプローチに、いつもの失望感を感じましたが、

第三章「何がエロ本を殺したか」で「オレンジ通信」の元編集長や、芳賀書店社長、第四章「『エロは無料』の衝撃」での、動画ナビゲーターや、ア×××総合サイトの担当者などのインタビューが非常に優れていて、

特に、第五章「性と快楽のイノベーション」の株式会社「典雅」の松本光一社長や、オリエント工業の林拓郎氏インタビューは「プロジェクトX」で特集されていたら、その中でも名作になりそうな物語で、

松本社長の「機能の部分をつくるのと、デザインをつくるのは、同じくらい労力がいります。これまでのア×××グッズは、機能面ではまだ頑張ろうとしていたところもあります。でもトータルでデザインされていない。それは、iPodをつくったのに、塩ビの箱に入れて梱包し「いっぱい聴けるクン」という名前で売っているようなものです」

という日本の製造業のひと全員に聞いてもらいたいような名言もあり、この本を読んで「T×××A」を買いたくなってしまう人も多いと思う。(私まで買いたくなった。使い道ないのに。笑)

全体を通して、やっぱり「痒いとこはそこじゃない」という不満はあるものの、気づいていなかった「スポット」を刺激されたような感じでしょうか。

◎ 「テ◎ガ事件」水野敬也のウケる日記

◎セックスメディア30年史(アマゾン)
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[内容紹介]80年代から10年代までの性産業の実態に迫り、現代日本の性と快楽の正体を解き明かす! 筑摩書房 (2011/5/11)



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by yomodalite | 2011-08-02 10:19 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(2)

わらしべ偉人伝―めざせ、マイケル・ジョーダン! (角川文庫)

ゲッツ板谷/角川書店

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本書は、2001年1月〜2003年1月まで「SPA!」に連載され、2003年5月に単行本化。この文庫版は、2007年5月に出版されたもの。

これまでのエッセイやレポートと違い、これはインタヴュー集なんですが、会った人の紹介により、次にインタヴューする人が決まるというシステムで、最終的に、ゲッツ師匠がこよなく愛する“MJ”、マイケル・ジョーダンを紹介してもらいたいっ!という熱い願望を込めつつも、そのことは、インタヴュー内では一切、触れては行けないというルールで、始まられていて、そこが、タイトルの『わらしべ...』に繋がっているんですね。

で、その偉人伝、最初の偉人とは、、

針すなおさん! 様々な人の似顔絵と、モノマネ番組の審査員としても活躍した方。

ここからは、すべて紹介によるものなので、この方のみ、ゲッツ師匠が選んだわけですが、意外といえば意外ですし、MJとの繋がりは皆無と思われるものの、芸能界には顔が広いかもと思わせる人選。。。

果たして、針すなおさんとは、いかなる人物なのか?という内容は、本書で確認して頂きたいのですけど、なんと、この後すぐに紹介されたのは、まず、誰も名前を知らないだろう、ゴールデン街のバーのママ。。。既に2回目にして、この偉人伝は、渋すぎる人選へと突入し、この当時も、今も「誰それ?」みたいな方々が、大勢出演されるインタヴュー集になっています。

で、それらの有名、無名の人々から、あのゲッツ師匠が、何を引き出したのか、あるいは引き出さなかったのか?という内容も、本書で確認していただきたいのですけど(笑)、結果を言えば、やっぱり引き出したり、引き出さなかったりなんですね(笑)で、引き出さなかった回は、ゲッツ師匠の「芸」と「技」で、何とかやっているという感じでしょうか(笑)

あの「友だちの輪(古!)」とは違い、こちらは週刊連載ではありながら、次の紹介者が、常にインタビュー後に決まるという「ルール」は、やらせなしに守られたようで、紹介者のインタヴューが連載締め切りまでに間に合わないということも、しばしば。。で、そんなときには、ゲッツファンにはおなじみのケンちゃんやセージも登場してます。

文庫本化にあたっても、インタヴューは行われた順番どおりで、

第一章 「いぶし銀座」
第二章 「深爪アーティスト」
第三章 「トンガリ右京」
第四章 「野菊のヤンキー」
第五章 「妖怪タンメン」

と、なんかわかるような、さっぱりわからないような、章タイトルに、様々な“意外な人たち”が、繋がっていて、

これは、、、ある種の「旅」のようです。

ゲッツ板谷と行く「因果鉄道の旅」(←by根本敬)なんだと思います。

また、この連載は、50人というキリのいいところで終了し、そして、最後に、とうとう、MJが登場します!!!しかも、2人も!(笑)

最後に、マイケルファンとして、ひと言。

本書の内容には、ジョーダンは登場しないんですが(ネタバレ?)、ジャクソンの方は、登場するんです。なぜなら、高須クリニックの人が登場するからなんですね(苦笑)。
で、高須氏を否定するつもりはありませんが、こういった美容外科医の発言にも、いつか決着つける!(笑)ために、今後も精進して行きたいと思います!!!!
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[BOOKデータベースより]ライター界の特攻隊長・ゲッツ板谷が各界の偉人に直撃インタビューを敢行!そして、その偉人が「偉い」「すごい」と思っている人を紹介してもらい、次回はその人に会いに行くという“活字版テレフォン・ショッキング”。登場するのは、堀内恒夫、伊集院静、ピエール瀧、市川染五郎、京極夏彦、水木しげる、崔洋一ほか全50人+α。最終目標のマイケル・ジョーダンめざし、ゲッツ板谷と大物ゲストのぶっちゃけトークが炸裂する。角川書店 (2007/05)



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by yomodalite | 2010-11-28 19:58 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite