カテゴリ:評論・インタヴュー( 75 )

聞き出す力/吉田豪

聞き出す力

吉田 豪/日本文芸社

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本書は、『週刊漫画ゴラク』という、私たちのような女子(愛と平和と正義と謙虚な姿勢が大好きで、地球にも優しい… と自分では思っている)がまず手に取ることのない、というか、売り場の近くに行くことすら躊躇うほど、これでもかと巨乳を強調した女が表紙に描かれていそうな(知らないけどきっとそうに違いないw)「下品な雑誌(いい意味でww)」の連載をまとめて、2014年の暮れに出版されたもの。

吉田氏は「あとがき」で、書き下ろしの単行本企画をすべて断っていて、大ベストセラーの『聞く力』(阿川佐和子著)の便乗本を出して欲しいというオファーが殺到したときも、全部スルーしたのに、ブームに一足も二足も遅れて、ここまで全力で便乗した本を出すことになったのは、『漫画ゴラク』イズムに他ならないと、述べられ、

そして、「どうせ便乗するなら表紙のデザインには「ミナミの帝王」や「白竜」的な黒社会テイストを微妙に混ぜて、これは黒い連中が便乗したんだったらしょうがないと思わせる手口です!」と、その手の内を明かしただけでなく、「読んだ人が『人の話を聞くための実用書じゃなくて、インタビューの面白エピソード集じゃん!』という意見も、黒社会テイストで潰していきます!嘘です!」と素人レヴュワーが言いそうなことへのフォローも欠かさない。

いまどきの新書って、実際の内容よりも、目次づくりに叡智が詰まっているものが多いんですが、本書の「騙しのテクニックww」にあふれた「目次」もとても素晴らしいもので、


第一章 「聞き出す力」の基本テクニック
相手を乗せるための技術

其の1  いい答えが返ってきたら、いいリアクションで返すこと
其の2  普通なら聞きにくい話にどれだけ踏み込むか
其の3  空気が悪くなるとしても、引かないところは絶対引くな
其の4  NGネタを相手のほうから話させる聞き出し方
其の5  心を開かれすぎず適度に突き放す、この距離感が大切
其の6  打ち合わせなしのガチンコインタビューの「つかみ」術
其の7  全く知らないエピソードを引き出すための「受け身」術
其の8  相手と意気投合するための「焦点」を見極めよ
其の9  タブーを恐れず取材相手の人間性に斬り込め
其の10 取材相手が話す内容に関してのジャッジは読者に委ねる気持ちで
其の11 答えを事前に予想しても意味なし。想定外の答えこそ
其の12 あえてリアクションしないことで、面白い話を引き出すこと
其の13 興味を持てない相手には愚痴から入れ! 重くても受け止める度量が必要 
其の14 あなたにとって○○とは……なんて質問は、上級者にのみ許される!!

第2章 「聞き出す力」の心構え
インタビューに臨むときのスタンスを固めよ

其の15 自分語りは話を引き出すための道具、記事では裏方に徹すべし
其の16 子供を取材するときは、こちらが怯えるくらいがちょうどいい
其の17 相手を好きにならなければ、インタビューはできないものである!!
其の18 些細なつながりを大事にすることでインタビューのチャンスが訪れる
其の19 直接会って話すまで、その人の本当の姿はわからない
其の20 八ッキリと現実を語ってもらい、それを受け止めること!!
其の21 直接話を聞けない相手の心境に想いを馳せることも時には大事
其の22 多感な中高生アイドルの取材には細心の注意を払うべし!?
其の23 インタビュー前の下調べはプロとして最低限の礼儀なのだ!!
其の24 下謀へをキッチリしてこそ「予定外の展開」が生み出される
其の25 ネットは使利たが過信は禁物。自分の足で探した情報を信用すへし!!
其の26 インタビューにはテクニック以前に一般常識が非常に大事
其の27 遠足同様、家に帰るまでが取材。取材以外の場所で相手との距離を詰めろ
其の28 インサイダー情報は、どう記事にするかではなく、どう便うかが重要
其の29 近いうちにインタビューする相手の悪口はなるべく言わないこと
其の30 インタビューで取材対象の人生が変わることも!だからといって萎縮は厳禁    

第3章 危機を回避する「聞き出す力」
不利な状況から面白い話を引き出すには

其の31 人と接する上でハードルは限界まで下げておけ
其の32 インタビューは取材後が勝負。無難にさせないための戦いに勝利すべし
其の33 どんなトラブルにも悠然と流れに身を任せる度胸を持つべし
其の34 知識が皆無な取材時には、話を上手く合わせて聞き出す余裕を持て
其の35 対面せずに取材するときにこそ常識や礼儀が大事
其の36 相手から怒られるくらいのことを聞く覚悟が必要
其の37 インタビューで重要な「話しやすい流れ」を作って本音を聞け
其の38 いついかなるときも、どんな場所でもインタビュアーは沈着冷静であれ        
其の39 最初は要注意人物と思われていても気にしなくて良い?

第4章「聞き出す力」応用自在
さまざまなケースに学ぶインタビュー術

其の40 無邪気さは、時には大いなる武器となる
其の41 話が合っても盛り上がるのは程々に。相手に信用されないほうが良し?
其の42 他のインタビュアーと同じ条件の中で違いを出すのが腕の見せ所
其の43 手強い相手に対する最終手段、それは気弱で素人なインタビュアー
其の44 インタビュアーもゴーストライターも「引き出す力」が重要なのは一緒
其の45 聞いてはいけない深い部分を引き出すのは諸刃の剣でもあることを心得よ
其の46 プロインタビュアーと名乗る以上、自分のスタイルは守り抜く
其の47 取材対象と会って終わりではなく始まりに過ぎないと心得るべし
其の48 インタビューにビビりは禁物。どんなに恐ろしい相手にも果敢に切り込め!!
其の49 相思相愛のインタビュー相手に出会ったときこそ油断は禁物!!
其の50 不自然なインタビュー記事はクレジットをチェックし、色々想像するべし

[特別付録]人間関係がうまくゆく魔法の潤滑剤「間く力」をいまこそ養おう
吉田豪 × 阿川佐和子 互いの聞くカに迫るI

[あとがき]

で、、こんな素敵な見出しに釣られて、内容を読んでみると、確かに本書は「人の話を聞くための実用書」ではないと言うことがわかります(笑)。でも、それが逆に、現在の「マニュアル本」や「自己啓発本」が、本当に実用的なのか?という疑問さえも呼び覚ますというか、

本当に役立つことって何なの?とさえ思えてくるんですね。

経済的になにが有利とか、健康には何がいいとか、美しくあるためにとか、幸せの基準とか、その他色々な信条や、宗教、イデオロギーや、政策とか、そういった自分が信じていることを基盤にして、物や、人を判断すると、優劣とか、善悪とか、敵と味方とか、好き嫌い、、が簡単に生まれてしまうわけですが、

本書は、「人から話を聞き出す」こと以上に、「直接会って話すまで、その人の本当の姿はわからない」とか、「興味をもてない相手に興味をもつ方法」といった、吉田氏の「The Art Of Loving」といった内容で、

一番重要なマニュアルは「幸せになれるか?」だとすれば、
素晴らしい実用書だといえると思いました。

当然のことですが、なべおさみ氏が長年ガマンしたことや、長渕剛のやり口(笑)とか、インタビューの面白エピソード集としても素敵な本で、私が一番好きなエピを一個だけ選ぶとすれば、2013年に最も衝撃を受けたのが「ユリイカ」で森川すいめいという精神科医が鬼束ちひろにしたインタヴューで、編集サイドは、精神面がヤバそうな鬼束をカウンセリング的に掘り下げようと考えたものの、真逆な展開に。。という「其の43」の記事かなぁ。。



それと、、あらためて、『漫画ゴラク』ってどんな雑誌なの?と検索してみたら、なんとあの『ミナミの帝王』を連載している雑誌だったことが判明。やっぱ、マイケルに絡んでた!(どこがだよw)




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by yomodalite | 2015-10-08 13:07 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)
私がややこしい本を読んでいる隣で、ダーリンが読んでいた図書館本なんですけど、、

ちなみにこの本の前は、梶原一気の弟で、真樹日佐夫氏の『ああ五十年身に余る―真樹日佐夫ワル自伝』を読んでいて(ダーリンはすごく面白かったらしいのでこの後読むかも)、またもや下品な本を、、とは思ったものの、なんとこの本にも、朝堂院氏が登場していてw、

それ以外の13人のアウトサイダーたちも全員、さまざまな分野から選ばれた方々なのですが、知らない人も多く、極薄い興味でパラパラと斜め読みしているうちに、ずんずんと惹きこまれ、読み終わる頃には、今年読んだ本の中で、一番面白いノンフィクション本だったかも。。とさえ思えてきました。2012年に出版された本なんですけどね。

著者はヘアヌード本のプロデュースから「毛の商人」と呼ばれた方ですが、私は氏の文章を読むのは初めてで、どんな方かも知らなかったのですが、学生運動を経験した「団塊の世代」の中でも、当時の熱さや、社会への思いを持ち続けていて、もしかしたら同世代の方の中では、現在もっとも面白い仕事をされておられるのかも。それと、高須基仁氏は、高須クリニックの院長とは親戚なんだそうです。

タイトルは、歎異抄の有名フレーズ「悪人正機」から名づけられているのですが、自身を「悪名」と呼ぶ高須氏は、アウトサイダーとは、アウトローと似ているけど、ニュアンスがちがうと言う。アウトサイダーは、少数派で、何かを最初にやる人で、それが花開いたとき、その人はいないというのがアウトサイダー。

そして最初の対談者である、前田日明と、柳美里には「自分がやったことが広がっているのに、自分はそこにいない」という哀しみをとりわけ感じると。

[内容メモ]

前田日明
韓国に言いたいことがたくさんある。在日外国人の参政権の問題、自分はkの法案を通せば在日であるとかいろんな人に将来に禍根を残すと思っているので、大反対なんです。。

朝堂院大覚
朝鮮総連売買、朝青龍暴行疑惑、亀田問題、、、亀田問題の背後には、元の所属ジムである協栄ジムの亀田親子へのファイトマネー未払い問題があるわけです。本来コミッションは、ファイトマネーを払うようにする義務があるのに、当時のコミッショナーが仕組んだ。。。(番外編対談):ロアビルのフラワーの上にある朝堂院の息子がやっている店。。。朝堂院の息子のひとりは関東連合の頭の1人で、顔は絶対に見せない。。。朝堂院が恐喝しているとき、俺が真ん中に入って。。。朝堂院氏は、スポーツ団体のすべてのトップをやってますね。。。そういう名刺をがんがん作って作ってくるんだよな。。。任侠右翼に多い手口ですよね。。。朝堂院が去年の10月以降メディアには一切出なくなった。基本的に恐喝しにくい時代になったんだろう。俺に言わせれば、彼のはわかりやすい恐喝。ただ、ヤクザではないから、暴力装置は感じない。基本的に一匹狼の人なんだろうな。。。朝堂院さんは、企業経営者だったから、企業の不正を教えてあげて、コンサルタント料をいただいているんでしょうかね(笑)。。。朝堂院は資本主義の弊害に対して、ものを申しているだけだろう。警察は、資本主義の隙間でやってくる人間は逮捕しない。


自伝がイマイチで、少し興味を失いかけていた朝堂院氏ですが、本書でまた少しだけ理解できたというか、恐喝という言葉を、はじめて「いい意味」に捉えそうになってしまいました(苦笑)



斉藤智恵子
浅草ストリップ劇場、ロック座の会長。(北野武に)私が勝新太郎の「座頭市」を監督してと言ったんです。。。早乙女太一は私の子どもでした。。

石井和義
出所から2年。元K1プロデューサーが考えてきたこととは。。。

柳美里
キャバクラをテーマに「アサヒ芸能」で、『雨の夜、日曜の朝』という官能小説を書いているけど、今までとは読者層がちがう。これはファンに対しての裏切りというか、、、

川崎タツキ
決して後ろに下がらないボクサー。少年院、ヤクザ、薬物依存地獄を乗り越えた生き様。

戸川昌子
渋谷のシャンソンバー「青い部屋」は、従業員の持ち逃げという不測の事態で、存続の危機に陥った。。

杉浦和男
2011年は地下格闘技ブームに沸いた。中でも異彩を放ったKRUNCHを主催する足立区の伝説的不良。。。

山本直樹
連合赤軍をテーマにした『レッド』の漫画家。ママ友の中にも永田洋子はいる。。。

ルミカ
自身がいじめられた経験をもとに、「いじめ74(なし)ツアー」と題し、74カ所をツアー。。。

秋田一恵
弁護士。永田洋子の弁護をつとめる。。。

ごとう和
「りぼん」でデヴューし、現在はレディースコミックを中心に活躍。東電福島原発事故の20年前、原発の恐ろしさを描いたマンガ、『6番目の虹』を発表。

黒岩安紀子
団鬼六の未亡人。1999年に歌手デビューし、「知覧の母」「母は老いても」を発表。「団鬼六は最後までSM小説を恥じていた」。。

[番外編対談]高須基仁×平井康嗣対談
週刊金曜日の発行人、北村肇はかつて「サンデー毎日」の編集長をしていて、「週刊金曜日」に別の基軸を作りたくて、高須氏の人脈を利用しようとした。。(本書は「週刊金曜日の連載から出版されたもの)





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by yomodalite | 2014-11-18 00:29 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

やさしさをまとった殲滅の時代 (講談社現代新書)

堀井憲一郎/講談社




2014年、新春第2冊目の本も、
昨年の11~12月に読んだ本の中から(汗)、
いつもなら長ーーい感想文を書いていたレベルの本ですが。。

現在55歳の堀井氏がとらえようとしている「時代」とは、60年代から現代までを俯瞰するもの。若者文化の紹介者としてのホリイ氏の変化に気づいたのは07年に読んだ『若者殺しの時代』からですが、ホリイ氏は、そこから一層危機感を深められている様子。

全体に漂うムードも、結論めいたものも、明確さに欠けていますが、時代を振り返りたいと思う40代以上の「かつての若者」にとっては、無意味ではない「もやもや感」ではないでしょうか。

また、ホリイ氏と同世代だけでなく、ほんの数十年で日本はどう変わったのか。10年20年で、世の中はどれぐらい変わるものなのか。。現代の「日本好き」の若者にも得るものがあると思う。

◎[参考書評]町田の独り言
◎[参考書評]読書メーター


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by yomodalite | 2014-01-16 14:24 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

けもの道を笑って歩け

園子温/ぱる出版




2014年、新春第一冊目の本は、、

昨年の11~12月に読んだ本の中から(汗)、
いつもなら長ーーーーーい感想文を書いていたレベルの本を、
個人的事情によりw、短めに紹介します。

けもの道を笑って歩け/園子温

今もっとも観たい映画監督の本。
少年時に観た映画のタイトルを借りて語られる様々な話、父親との確執、映画監督になるまでの葛藤、また、これまでの映画制作についての話は、まさに「裏話」というべきもので、企画の通し方や、宣伝の仕方など、映画製作を目指していない者にとっても、勇気を与えられるというか、本書はちょっぴり毛色のちがう「自己啓発本」でもあり、

園氏の映画をすでに観ている人だけでなく、
これから観ようという人にとっても面白いガイドブックになっています。

尚、本書は『非道に生きる』という本と内容においてかなり被っているので、そちらをすでに読んだ方は買わない方がいいですが、、初めての方は、本書の方が厚みがある分、デーモニッシュな「おかず」が多いと思いました。

◎[Amazon]けもの道を笑って歩け

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by yomodalite | 2014-01-15 18:19 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

吉田豪の喋る!!道場破り プロレスラーガチンコインタビュー集

吉田 豪/白夜書房

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わたしは、橋本真也と小川直也の対戦に胸が熱くなったり、K1やプライドのような格闘技イベントは好んで見ていましたが、

プロレスはほとんど見たことがなく、本書で何度も登場する、新日とか、全日とか、Uインターとか、それぞれの大イベントや、有名試合についてもまったく知らず、

登場するプロレスラーの方で、顔とお名前がわかった方は全体の半分以下で、多くの団体が旗揚げしたり、また、そこから独立したり、引抜かれたり、経営に失敗したり、、といった変遷もさっぱりわからないのですが、

でも、なぜかプロレスラーの話を聞くのは大好きなんです!

知っていても、知らなくても、吉田豪氏による、各人への話の振り方、掘り下げ方が素晴らしく、どの方々も全員が個性的すぎるほど濃い方々ばかりなので、読了後は、読み終わってしまったことが寂しくなってしまいました。

わたしは、プロレス界において、悪役(ヒール)の方がいいひと。と言う評価は「本当」ではない。と思います。

ヒール役とは「ヒーロー」を目指さない人々で、自分と他人の実利を重んじ、そこには争いも和合も含まれる。

対して、ヒーロー役の人は、何にせよ、とにかく本気で「ヒーロー」を目指している人ばかりで、彼らは「正義」に関してもすごくこだわっている。ただ、正義とはなにかとか、なにが正義なのかということは、むずかしい問題で、自分の正義については、誰もが信じやすく、それが実利と反している方が輝く場合も多い。

ヒーローに比べると、悪役の個性の方が様々、、とも言えなくて、プロレスラーは、正義も悪も本当に十人十色で、登場するプロレスラーすべてが濃厚なのに15人も続くので、元がとれるどころか、永遠につづく「食べ放題」のようなんですが、それが地獄ではなく、やっぱり「天国」のようで...

インタヴューは2011~2013年に行なわれたものなので、全盛期のプロレスを知るレスラーにとっても、ファンにとっても、現在の衰退したプロレス人気からは、寂しくなりそうな予感もあったのですが、自分の選択した行動に、大きな後悔を感じているというレスラーであっても、とにかく自分を信じて戦ってきたからなんでしょうか。どこか清々しい魅力に溢れていて、引退した方々も含め、ほぼ全員がプロレスがやりたい。と思っておられるようです。

この素敵な面々が顔を揃えた表紙をここに貼付けておけることに、大きな幸せを感じてしまったので、本書でインタヴューはされていないけど、名前だけはいっぱい登場した、前田日明氏や、高田延彦氏の本も読まなきゃ。と思いました。

今頃 … なのかもしれませんが、

わたしにとってはちょうどいい感じで「寝かせた」気がします。。

天龍源一郎「俺みたいな生き方、するモンじゃないよ」
武藤敬司「いま、あえて言うプロレスLOVE」
蝶野正洋「レスラーはリング上の職人です」
藤波辰爾「どんなに怒っても、お腹はすくんだよね」
ドン荒川「冗談で試合はできない。いつも真剣勝負(笑)」
藤原喜明「ナメられたら終わり。ジャンケンでも負けるな」
山崎一夫「常識人? う~ん、どうなんですかねぇ」
船木誠勝「一回壊さないと新しいものは作れない」
鈴木みのる「ガキが簡単に『ガチで』って言うとイラつくんです」
宮戸優光「プロレスというものは強さが一番ですから」
鈴木健「他団体とはガチンコでやるのが絶対正しい」
菊田早苗 「プロレス界のスターになりたかった」
大仁田厚「引退試合は電流爆破って決めてんだ」
ミスター・ポーゴ「怖いものはお化け。好きな映画は『ゴースト』」
マサ斎藤「いつだってGo for broke」

◎[Amazon]吉田豪の喋る!! 道場破りプロレスラーガチンコインタビュー集

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by yomodalite | 2013-09-20 09:59 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(2)
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今回の引越しをきっかけに、資料関係の整理もしまくった。雑誌に関しては、書籍よりも迷うことが多くて、この部分だけ切り抜いておくべきかと迷ったり、残しておいた目的が文章ではない場合が多いので、目次からは判断できないことも多い。

1995年7月の『SWITCH』は、ハーヴェイ・カイテルが表紙の地味さから、中身を見ずに処分しかけたのだけど、ペラペラしてみたら、日本一カッコいい写真家・操上和美氏による「勝新」が現れて驚いた。

また、インタヴュアーは秋元康。彼が勝新を天才として語っていたエピソードはこのときのことだったんですね。

当時読んだ記憶はなかったのですが、今になって発見できるなんて、
これも「偶然完全」なんでしょうか。。



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(インタヴューは抜粋して引用しています)

俺は監督をやりだしてからものの見方が違ってきた。例えば、役だけを演じる場合は、自分と違う人生経験をしている監督の演出の目で、俺がキャメラに撮られていく。監督としてキャメラを覗く立場になってからは、自分が芝居していてもその自分をもう一人の自分の目で撒っている。と同時に、自分を自分の目で演出すると、偶然の芝居ってできないんだよ。みんな知ってるから。だからラッシユ見ててもつまんない。みんなわかっちゃってるから。

そういう意味では勝新太郎という監督も、勝新太郎という役者も不幸だ。いっぺんドキュメンタリー手法で勝新太郎の映画を撮ってみたい。いつ、偶然完全の間だとか、いつ偶然完全の失敗だとかが出るか、わからないだろ。ラッシュ見るとき、きっと面白い偶然完全がフィルムの中に納まっていくんじゃないかと思う。


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監督は役者にインタビューしなくては駄目だ。「こういうことになってきたけど君ならどうする」というインタビューをして、俳優、女優たちの個性を引き出していく。芝居の上手下手は二の次だ。俳優の捨て台詞を言っているところの表情を丁寧に撮らなくちゃいけない。テーマの台詞を、さりげなく捨て台詞のように撮らなくちゃいけない。映画ってえのは、誤解する演技をカットバックに使ったら、とってもいい効果が生まれる時があるんだよね。例えば、ポルノフィルムを見せてそれぞれの表情を映しておく。それをカットバックに使うんだが、実際は見るに堪えない、人間が人間を殺しているシーンとか。


北海道でデニス・ホッパーに会った時、俺が雪を見て「好きなだけ侍ってけよ」って目で言ったら、彼も雪を見て「サンキュー」って目で答えてくれた。言葉でなく目で話し合えることは嬉しいね。


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この間テレビ見てたら、100幾つのおじいさんが、「もう〜」という言葉を使う人が多いという話をしていた。「幾つですか」と凪ねると「もう70です」とね。彼は「まだ、100歳です」と答える。「もう」っていうのは牛の返事だ。そのおじいさんが喋る言葉というのは、今の渋谷、六本木の連中が喋ってる言葉じゃない。江戸時代の言葉なんだよね。


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今ちょっと作りたい作品は、偽物の勝新太郎の話。もしかしたら、ここに来てるのも偽物かもしれないっていう話さ。人の言うことに異を唱えない、使いやすい勝新太郎。その偽物の勝新太郎が売れていく話さ。本物の勝太郎が一日5万円もらうか、10万円もらうかわからないけど、場末の見せ物小屋や、旅館のショーなんかに出て物真似をする「偽物」として生きていく。

島倉千代子や三船敏郎、錦之助、高倉健の偽物が集まっている一座なんだ。で、その偽物連中に言われるんだ、「似てないね、勝新に」って。


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こんなストーリーも浮かんでるんだ。俺が東京から九州までカンガルーを運ばなくちやいけないって話。カンガルーをどうしても連れて行かなくてはいけないんだよ。それも人間扱いして。

そのカンガルーのお腹に国連が関与している大事な物が入ってるんだよ。それを知らずに俺はカンガルーを連れて九州まで行かなくてはいけない。しかも新幹線で。
 
で、カンガルーが何だか知らないけど、俺のこと好きになっちやってね。何かというと、俺をこう見つめてね。嫌なんだよ俺は、カンガルーが。そういうような企画もあるんだ。

飯田橋の警察病院で、頭から背広を掛けられ両手にタオルを掛けられて手錠を隠しエレベーターに乗って降りたところで、俺は背広とタオルを振り落として一般の患者の待合所を花道の出のように歩いていった。患者たちは、勝新だ、勝新だって騒いで嬉しそうに俺を見ている。手錠姿で歩いているところを一般の人たちに見せることしか、今の俺には楽しませることはできないんだから。その夜、俺は逮捕された。理由は病院の検査の結果、「お前の体が悪いからだ」。ああ、これは面白い台詞だな。おかげで今、こうして元気でいられるんだ。俺の人生経験で損をしたってことは、一回もない。


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黒澤さんのおかげで日本映画は世界にしらしめることができた。俺は尊敬してた。してた故に、本当にがっかりしちゃった。「俺はお前に負けないぞ、俺の作品だ」という態度が嫌になった。自分の演出のいいところを見せたいって言うんだけども、俺は武田信玄やってんだから。武田信玄と黒澤じゃあ、格が違うんだからさ。
 
俺ねえ、今だったらいい男に撮ってほしいの。女の人も俺も綺麗に撮ってもらいたい。今度やる映画はまさにそうであってほしいね。二人の勝新太郎のも。構想はすっかり練れてるんだよ、警視庁のシーンも拘置所に住んでた時の場面も。あの部屋に入ってくる風。拘置所のコックのおかげで俺の体は健康なんだ。

あっ、そうそう、看守でさ、俺のファンがいたんだよ。周りに人がいる時は、「コラーッ!坐ってろ、ここは楽をするところじゃないっ」って怒鳴ってた男が人がいなくなったら急に「すいません、今人がいたもんですから。あの、私、勝さんのファンで。ハッパなんて皆やってますよねえ」なんてさ。あいつに俺、祝儀やりたいんだよ。あの看守どうしたよ。探しといた? 探してない? お前、俺の言ったこと何もやってねえじゃねえか。あいつに祝儀上げたいんだよ。

(インタヴュー終了)

この上の写真で、手にしている煙草は「キャスター・マイルド」...

勝新も、渋澤龍彦、立川談志、そして清志郎も、咽頭がんで亡くなっているんだなぁ。喫煙してなければ・・・なんていいたいんじゃなくて、健康とか長生きを目的に生きてカッコいいわけないってこと。


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by yomodalite | 2013-05-08 19:31 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(3)

新・人間コク宝/吉田豪

吉田豪氏の「人間コク宝」シリーズは、これまでに4冊出版されていて、こちらは、2010年に出版されたシリーズ第3弾!

梅宮辰夫/木村一八/K DUB SHINE/月亭可朝/ジェリー藤尾/蛭子能収/長門裕之/ミッキー安川/生島ヒロシ/三遊亭楽太郎/赤井英和/吉川銀二/新沼謙治/大和武士/ビートきよし/金山一彦

2012年に読むのに、この人選ってどうなの?と思われた方、、私もそう思います。

☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2012-11-08 08:31 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

サブカル・スーパースター鬱伝 (徳間文庫カレッジ)

吉田 豪/徳間書店



みうらじゅん、リリー・フランキー、松尾スズキ、川勝正幸、大槻ケンヂ … サブカル界のスターたちの「鬱」に、プロ・インタヴュアーの吉田豪が挑む!

インタヴュー当時、40歳を目前にしていた吉田氏は、師弟関係ともいえるような接し方をしてきたリリー・フランキーが、売れると同時に、メンタルな状況が悪化するという経験を目の当たりにし、「サブカル文系男子は40歳くらいになると鬱になる」ということに気づかれたようです。

私も、その説は「真実」だと思います。

サブカルには、なんの関係のないという方でも、30~40代では、ガンになるより、鬱をこじらせる確率の方が遥かに高いと思われますので、まだ経験していないという方は、男女を問わず、本書を読んでおかれるといいのではないでしょうか。

リリー・フランキー氏は「鬱は大人のたしなみ」と言い、大槻ケンヂ 氏は「体でものごとを覚えてこなかったからじゃないか」と言い(しかしレスラーには鬱が多いとも言う)、川勝正幸氏は、藤原ヒロシ鬱にかかり、そういえば『丘の上のパンク』を読まないとと思ったり、吉田豪氏による追悼文にも泣かされたり、

杉作J太郎氏は『ガンダムSEED』のモノマネをしてたら元気になって、菊地成孔氏は『珈琲貴族』での全裸エピソードを語り、みうらじゅん氏は「弱みをみせるな」と説き、ECD氏は車谷長吉の「人生相談」(朝日新聞)を紹介し、松尾スズキ氏は「普通じゃない人は、この世界には入ってくんな」とアドヴァイスし、

枡野浩一氏は「町山さん、厳しすぎる」という意見があると思っていて、唐沢俊一氏は、母親との半同居により「常識的社会人に戻る時間がマズかった」と分析し、女優Oとの関係も、、

最後に登場する、唯一の女性執筆者、香山リカ氏は、自分の鬱を語っているのではなく、書籍化にあたって、これまでの連載分への感想などを書いていて、

「率直にいって、こういう感性のありかたがすごく懐かしい感じがしましたね、これが本来のミュージシャン、あるいはアーティストといわれている人たちの心のありかただよねっていう感じです」

と語っておられるのですが、TACOに参加されていた頃を知っている私としては、現在の香山氏は、ご自身でも言っておられるように「見る人が見たら詐欺」のようで、「村上隆や茂木健一郎のような器用さが、逆に不思議なんですけど、、」などと、言われることの方が不思議でした。

お酒も飲まない私としては、「嗜んだ」と言えるのは、鬱と薬だけのような気もしますし、スターの方々の「たしなみ方」も、垣間みてみたいと思って、気軽に読みはじめたんですが、

「感想まとめリンク」にある、心構えが出来るとか、40歳になるのが怖いようで、楽しみ、、というような感想も理解できなくはないほど、スターの方々は病みっぷりも華麗で、個性的で、男気を感じたり、、

医者が出してくれる「お薬」や、色々と心配してくれそうな「お悩み相談」よりも、副作用がなくて、、、と言いたいところなんだけど、

具体的な症状とか書かれているのを見ると、苦しかったときのこととか、リアルに思い出してしまうし、、

「参考書評リンク」の最後にある吉田豪さんでさえ、収入が減っているとは … 出版不況は本当に深刻なんだなあ … には、出版業界じゃなくても「フリーランス」で、今も仕事をしているすべての友人を思い出してしまうし、、

本書の中で、大槻ケンヂ氏が

豪ちゃんは、鬱は大丈夫だと思うよ。なぜかと言うと、やっぱり偉人伝をたくさん読んでるから。

ーータレント本で人の人生を学んでますからね。

それが、リンカーンじゃなくて、山城新伍とかだっていうところが、また問題ではあると思うんだけど(笑)。笑っちゃうけど、鬱になったときって偉人のいい言葉みたいな感じの本を買うんだよ。で、ドストエフスキーの「絶望の中にも焼け付くような強烈な快感がある」って発言とか、そういうのを読むとガーン!となるんですよ。

だから、破天荒な人生を生きた人の言葉をたくさん知っている人は強いと思う。豪ちゃんは、そのオーソリティじゃないですか。大変なときも真木蔵人の言葉を思い出したりしてさ。

ーー「忍者スタイルで逃げろ」とか(笑)でも、そういう偉人の代表だった山城新伍さんがいま老人ホームにいるわけだから(雑誌掲載後、2009年8月12日死去)、そういうのを思うと…。

そこも勉強になるじゃない。たぶん豪ちゃんは、自分の作ってきた本に助けられると思うよ。その中の偉人の言葉に。それも、何かちょっと微妙な人の言葉に助けられたら面白いよね。ABブラザーズの人とかさ。(引用終了)


(大槻氏の「マイケルだよ、俺」には、、「全然ちがうわ」とツッコミましたが...)


と語られていて、確かにそうなんだけど、

人は、自分が作ってきたものに助けられるんだけど、
一方でものすごく苦しめられるでしょう?

でも、ジョンの本を読んでて思ってたんだけど、吉田豪と同じ乙女座で「自分が一歩を踏み出す前に、それまでの歴史を逐一知っておかなくては気が済まない」と言っていたあの人も、やっぱり、常に歴史上一番のパイオニアについて、よく読んでいたことが良かったんじゃないかとか、

そーゆー自分の想像が及ばないような天才のことを想像するというのも、あまりにも自分と次元が違っていてどーなの?と思うことも多いのだけど、自分ではたどり着けないような「地点」にまで、引き込める人が「偉大な先生」であって、そーゆー人を見つけられた方が、危険なんだけど、やっぱり運がいいんじゃないかなぁとか、

基本的に「読書」は、危険なもので、

「知る」とか「学ぶ」ということは、全部危険に満ち満ちていて、

そもそも、生きているというのは、常に死にそうになるぐらい、すごく「危険」で

だから、長生きするとか、役に立つとか、成功するとか、間違いないとか、、
もう全部「詐欺」だと、最近は結論しているので(笑)、

偉人伝でもあり、ときどき笑えるところもありつつ、
すごく危険で「死」に近いところもいっぱいある本書は、
やっぱりすごく素敵な本だと思いました。


☆上記に挙げた執筆者以外にも、糸井重里氏、いとうせいこう氏などのエピソードや、
あとがきには、町山智浩氏による意味深い発言も!


◎[Amazon]サブカル・スーパースター鬱伝
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[内容紹介]「サブカル男は40歳を超えると鬱になる、って本当!?」プロインタビュアー吉田豪が、そんなテーマに沿って、リリー・フランキーをはじめ、大槻ケンヂ、みうらじゅん、松尾スズキなどのメンバー(ほか、川勝正幸、杉作J太郎、菊地成孔、ECD、枡野浩一、唐沢俊一)に全力インタビュー! クイック・ジャパン誌上で『不惑のサブカルロード』 と題 して連載されたものに、精神科医にしてサブカル者である香山リカへの新規インタビューや、吉田豪自身の補稿もくわえての書籍化。イラストは、『プロレススーパースター列伝』『男の星座』の原田久仁信。

[BOOKデータベース]昭和平成世紀末、ゼロ年代にIT世代、戦後団塊高度成長、バブル崩壊経済低迷、日本中のあれこれが変革するなか、若者文化の一翼をになったサブカルチャー。しかしそんなサブカルものも不惑を境になぜか心の落とし穴にハマるという…はたしてそれは真実か、ならばその実体は?現在各方面で八面六臂の活躍を繰り広げる吉田豪が11人の当事者たちに迫る。 徳間書店 (2012/7/21)



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by yomodalite | 2012-10-16 09:20 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)
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黒澤明監督『野良犬』Stray Dog



うほほいシネクラブ/内田樹[2]のつづき

[追記あり]

みなさま。あけましておめでとうございます!私は、本日(元旦)の「モラッター」

『迷っても光の多い道に進んでごらん』とマイケルからメッセージをもらいました。

関東・東北にお住まいの方は、元旦から揺れるという不穏な一年の始まりになりましたが、でも、今年が「揺れる」年であることは間違いないですし、何がおきても後悔しないように毎日過ごしてまいりましょう!

昨年は、古典の深みに足を踏み入れ、重量級の本なども読むことになり、これまで知らなかった世界や、自分の範囲を超えた歴史の重みを実感しまって、そして、そのことで、ますますMJにのめり込み、もはや中毒症状の進展は納まりようがない域に達しつつあるような...

そんな私が、去年から引き続いて、今いちばん興味があるテーマは「MJの映画」です。

どんな映画を創りたかったのか? そして、本当に創りたかったのか?という点にも多くの疑問をもっています。

他にも、色々散らかしたままになっているものもあり、そこは、強く意識はしておきたいものの、まだまだという感じがするんですが、MJの映画については、なんか「来てる!」って感じがするんですよね。。(あくまで当社比)

と、まぁ、今年のスタートはそんな感じですが、とりあえず、内田先生の本のメモを続けますね。

第4章「おとぼけ映画批評」から(抜粋・省略して引用しています)

黒澤明監督ご逝去

ずいぶん前に伊丹十三との対談の中で、蓮見重彦が黒澤映画の「徴候」として「上がばたばた、下がどろどろ」という図像的な強迫があることを指摘していました。この指摘には「眼から鱗が落ちた」思いがしました。

私はそれまでフォルムメーカーというのは、なんらかの言語化できるメッセージを発信しているものであって、映像そのものに固執して、ただ、そういう「絵」がほしい一心で映画を作っているなんて思ったことがなかったからです。

しかし、蓮見の指摘する通り、黒澤の映画で印象深い映像はことごとく『野良犬』も『七人の侍』も『影武者』もとにかくなんでも、上では(旗とか洗濯物とか木の枝とか)「ばたばたするもの」が風にはためき、下では(泥とかペンキとか屍体とか血とか)「足にからみつくもの」がねとねとしているのです。

黒澤はしばしば「完全主義」というふうに言われましたが、それはある種の「言語的メッセージ」の媒体として映画を考えるから出て来る評価であって「ある絵が欲しい」ということが最優先であるようなフィルムメーカーであれば「もっと風を」とか「もっと雨を」「もっと土をどろどろにして」とか注文するのは考えてみれば、当たり前なのです。

黒澤の場合は幸いプロットもすごく面白いので、つい映画のメッセージを言語的な水準に求めてしまいますが、それはおそらく黒澤の映画を「堪能する」ためには適切なアプローチではないのです。きっと黒澤にとって「上がばたばた下ねとねと」というのは、人間とその世界についての根本的な図像学的表現なのでしょう。

私は、少し前まで、MJのビジュアルセンスを、こーゆーのが好きなんだなぁというように「嗜好」として受けとっていたのですが、今は、一般の人やアーティストと比べても「嗜好」で選ぶことが、非常に少ないひとではないかと思ってます。


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黒澤明監督『野良犬』Stray Dog


追悼・黒澤明その2

....「演技」ということの本質において、仲代達矢は根本的に思い違いをしているように私には思われます。それは仲代的演技の対極にある演技者を考えれば分かります。私が、仲代的=新劇的=デカルト的演技術の対極に想定するのはクエンティン・タランティーノの芝居です。

役者タランティーノは恐いくらいに上手い。どう上手いかというと、喜怒哀楽の演技が「とってつけたように不自然」なのです。ふつうの上手い役者は喜怒哀楽の表現を「自然に」演じようとします。怒りや怯えやおかしさの感情が「心の内部からわき上がってきて、表情に現われる」という感情表出回路をたどろうとする。

これに対してタランティーノはいきなり「とってつけたように」怒り「とってつけたように」笑います。それはタランティーノが人間は怒るときに内側からこみ上げて来る情動に身を任せているのではなく、誰かが怒るのを見た「映像的な記憶」をたぐり寄せて、それを「再演」してみせるものだと思っているからです。(たぶん)

伝記によると、タランティーノは生まれてからの人生をほとんど映画を見るか、映画を撮るかのどちらかの仕事で過ごしてきたそうです。教養も、美意識も、イデオロギーも、修辞法も、感情表現も、映画から学んだのです。だから、この人はおそらく「名状しがたいほどリアルな現実経験」というものを、たぶん知らないのだと思います。

どのような個人的体験をしても、それが常に「あ、これはあの映画のあのシーンだ」というかたちで映画的記憶とリンクしてしまうからです。そのような人間の感情表現が「とってつけたよう」になるのは当然です。

しかし、このような感情表現についての理解は、人間の精神の動きについての、彼なりの観察を踏まえています。そして、私はこの見識は深いと思っています。

心理学的知見によれば、幼児はまずまわりの大人たちの「表情の模倣」からその感情生活を始めます。表情の模倣によって、その表情がもつ感情を追体験する。表情はまさしく「とってつけたように」外部から到来するのであり、感情はその「とってつけた」表情の効果として、幼児の内部に発生するのです。

こういうふうに考えると「上手い役者」と言われる人の演技があまりリアルではなく「変な役者」がときに異常にリアルな理由が分かると思います。

MJも常に「あの映画のあのシーンだ」と思うことが多い人のように思います。多くの偉大なアーティストが、少年でありながら「老成」している理由にも共通しているのかなぁ。


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黒澤明監督『野良犬』Stray Dog


『ジャッキー・ブラウン』

.....ロラン・バルトはこんなことを書いています。

「ギリシャ悲劇ではテクストは二重の意味をもつ言葉で編まれている。そして、それぞれの登場人物は2つの意味のうちのひとつしか理解していない。この終わりなき誤解が『悲劇』を『悲劇』たらしめているのである。しかし、その二重性を理解しているものがいる。それどころか、こういってよければ、自分の前で語っている登場人物たちの無理解そのものを聞取っているものがいる。これこそ読者(聴衆)である。かくしてエクリチュールの存在全体があらわになる」(『作者の死』)

ギリシャ悲劇を知ってか知らずか、タランティーノの映画文法は『ジャッキー・ブラウン』でも印象的な使われ方をしていました。

作家は「登場人部が経験したこと」以上のことを書いてはならないと言ったのはサルトルで、文学が「何かについての物語」ではなく「物語そのもの」になるためには「何かについての経験」ではなく「経験そのもの」になるためには、そのような禁欲が必要だということをサルトルは指摘したわけですが、それと同じ「節度」を私はタランティーノのうちに見出すのです。


タランティーノはサルトルなんて読んじゃいないでしょう。でも、私たちが生きている世界をそのまま物語の水準に移すときに、ある種の精密な「技巧」がなくてはすまされないということについて彼ほど意識的なフィルムメーカーはあまりいないような気がします。


『ライフ・イズ・ビューティフル』

私はユダヤ人の迫害を扱ったドラマにふれると、映画でも小説でも、被害者に対する同情よりは、加害者に対する怒りと憎しみで身体がきしむような感じになってしまう。でも、この映画で、ファシストやSS隊員たちは決して悪魔のように描かれていない。

グイドと帽子の取り替えっこをする椅子屋の主人、恋敵の市役所の役人、彼らが支持したイデオロギーが、隣人たちを強制収容所へと連れ去ることになる。もちろん彼ら自身が手を下したわけではないけれど、彼らはジェノサイドの協力者である。この市民たちひとりひとりは決して有害な人物ではない。

個人的にはあるいは愛すべき多くの美質をもっているだろう。しかし、彼らには何かが決定的に欠けている。それは想像力だ。

自分のひとつひとつの行為が、他者たちにどのような影響を及ぼすことになるのか。それを考察する回路が、この人たちには構造的に欠落している。だから彼らはまるでちょっと不機嫌にルーティンワークをこなすような仕方で、大量虐殺に加担することができる。

その一方、グイドに権力も金も社会的プレスティージもないけれど、想像力だけは豊かにある。彼の世界で、彼は「王子」であり、素敵な彼女は「王女さま」である。(中略)たしかにグイドの想像力は、世界を美しく愉快な物語で彩ることはできるけれど、世界を変えることも、苦しむ人々を救うこともできない。その意味では、これもまた「閉じられた想像力」にすぎない。

想像力のない人間は世界を滅ぼすだろう。けれど想像力があっても世界は救えない。微笑みながら滅びるだけだ。もちろん、それだって不機嫌な顔をして滅びるよりはずっと素敵なことだけど。

(引用終了)

☆メモは、私が何度も意味を考えてみたいと思ったところを抜粋しました。本書の全体としては、軽い内容なのに含蓄があるという文章が多いと思います。


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by yomodalite | 2012-01-01 23:01 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)
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うほほいシネクラブ/内田樹[1]のつづき

第二章「街場の映画論」より(抜粋・省略して引用しています)

『冬のソナタ』と複式夢幻能

『冬のソナタ』全20話を見終わる。今頃こんなところに感想を記すのはまことに時宣を得ない発言であることは重々承知であるが、あえて言わせていただく。

泣いた。ずいぶん泣いた。ユジンが泣くたびに、チュンサンが泣くたびに、私もまた彼らとともにハンカチ(ではなくティッシュだったが)を濡らしたのである。『冬ソナ』は日本の中高年女性を紅涙を絞ったと巷間では喧伝されていたが、そういう性差別的な発言はお控え願いたいと思う。

老狐ウチダでさえ「それから10年」というタイトルが出たところから(第三話の終わりくらいからだね)最後まで、暇さえあればむせび泣いた。心が洗われるような涙だった。

「ユジン、戻り道を忘れないでね」というところでは、頬を流れる涙を止めることができなかった。ミニョン、おまえ、ほんとうにいいやつだな。一方、サンヒョクが「ユジン、もう一度やり直さないか」と言うたびに、チェリンが「ミニョン、私のところに戻ってきて」と言うたびに、私はTVに向かって「ナロー、これ以上うじうじしやがると、世間が許してもおいらが許さないぞ」と頬を紅潮させて怒ったのである。

ともあれ、一夜明けて、われに返ったウチダは、映画評論家として、この世紀の傑作についてひここと論評のことばを述べねばならない。韓流ドラマの3つのドラマツルギーは「親の許さぬ結婚」「不治の病」「記憶喪失」だという。

しかし、私は今回韓国TVドラマおよび韓国恋愛映画に伏流するドラマツルギーの定型が何であるか確信するに至った。それは「宿命」である。宿命というと大仰だが、言い換えると「既視感」である。「同じ情景が回帰すること」それが宿命性ということである。


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かつてフロイトはそれを「不気味なもの」と名づけた。重要なのは「何が」回帰するかではなく「回帰することそれ自体」である。

「宿命」について、かつてレヴィナス老師はこう書かれたことがある。

宿命的な出会いとは、その人に出会ったそのときに、その人に対する久しい欠如が自分のうちに「既に」穿たれていたことに気づくという仕方で構造化されている、と。

はじめて出会ったそのときに私が他ならぬその人を久しく「失っていた」ことに気づくような恋、それが「宿命的な恋」なのである。


はじめての出会いが目眩のするような「既視感」に満たされて経験されるような出会い。私がこの人にこれほど惹き付けられるのは、私がその人を一度はわがものとしており、その後、一度はその人を失い、その埋めることの出来ぬ欠如を抱えたまま生きてきたからだという「先取りされた既視感」。それこそが宿命性の刻印なのである。

明治の速度

高橋源一郎の明治文学講義 in 神戸女学院。いちばんびっくりしたのは「明治の人は早口だった」という知見である。実は私も前からそう思っていたのである。最初にそれに気づいたのは、川上音二郎のパリ公演の録音というのを大滝詠一師匠の『日本ポップス伝』で聴いたときである。異常に早口なのである。川上音二郎と言えば「おっぺけぺ」の人である。自由民権運動の闘士である。

戦前の映画のせりふも速い。音楽もそうだ。戦後になってアメリカ文化が入ってきて、生活のテンポが速くなった....と一般には言われているが、実は人間の話す速度は遅くなっているのである。そのことについて、高橋さんのご高説を一部紹介しよう。

「明治に近づけば近づくほど、登場人物たちの会話が早口になるんです。

僕は、遠い時代のものがだんだん遠く感じられる理由ってのは何かって言うことを考えるんです。もちろん、自分が知らないとそういうようなこともありますが、スピードが違うんじゃないかっていう気がするんですね。

『野菊の墓』の原稿7、80枚っていうのは、ただ単に短いというだけでなく、速いんです。スピードが。『坊ちゃん』も大変速い小説ですね。このスピードのまま映画化したら、早回しのフィルムを見ているようで、とても不自然に見えるんじゃないかと思います。

この速い世界を映画にする、それはたぶん『虞美人草』や『たけくらべ』の時代までは可能だったのかもしれませんが、カラーの時代になったときすでに、我々自身のスピード感が違っていた。ある意味ゆっくりしている。どういうスピードかっていうと、僕は、テレビ的スピードじゃないかと思うんですね」

さすが史上最強の批評家、タカハシさんである。映画の早口から、それが文学そのものが内在させている「物語の速度」に連関していることを看破するとは。この「明治文学の速度」という知見はきわめて多産なものであるように私には思われる。(引用終了)

私は、常々「江戸」は「東京」より速いと思っていました。そしてその理由を、人生を概ね50年ぐらいと思って生きている人の方が、70歳を過ぎてからの「介護人生」を待っている現代人より、焦りがあるからだと思っていたんですが「カラーテレビが遅い」という知見には驚きました。

立川談志が、志ん生には最後までかなわなかったと言っているのも、晩年でも志ん生のスピードの方が速くて、その速さに付いていける観客がいないことも、理由のひとつかもと思っていましたけど....このスピードは、今後「グローバル社会」が進むことで、ますます「ゆっくり」になっていくでしょう。

それは、今よりもっと「野暮」な社会になることだとしか思えないと、暗くなりそうなので、遅くしか読めない「古典」とか、外国語を読む量を増やす方が、精神衛生上いいような気がしてます。


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photo : John Waters


ジョン・ウォーターズ賛

ジョン・ウォーターズの『ヘアスプレー』を見る。よい映画である。あまりに面白かったので、ジョン・ウォーターズの自伝『悪趣味映画作法』を取出して読む(訳者は町山智浩+柳下“ガース”穀一朗)。ウォーターズは17歳のときにディヴァインに会うんだけど、そのときの回想。

「他人に悪影響を与えるのにはもううんざりしていて、そろそろ自分にも悪影響を与えてくれるような人に会いたかったのだ」

そうでしょうね。そういえば、ウオーターズのアイドルがラス・メイヤーだということを知ったのもこの本でだった。ラス・メイヤーの『ファスター・プッシーキャット キル!キル!』は、ウォーターズのオールタイムベストで、この映画について、こうコメントしている。
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photo : 『Hairspray』John Waters


「過去15年間、ぼくは『ファスター』のリヴァイバルには、何十キロ遠くても必ずかけつけるようにしている。フィルムも借りて、友人と映画のスタッフには私語厳禁を言い渡したうえで、無理矢理鑑賞させた」

僕が一番気に入ったのは、ウォーターズのもうひとりのアイドル、ハーシェル・ゴードン・ルイスについてのコメント。

「ぼくはルイス氏の怪物的3部作『血の祝祭日』『2000人の狂人』『カラー・ミー・ブラッド・レッド』を近所のドライブインシアターで発見した。ティーンエイジのカップルが車から走り出てゲロを吐くのを見たとき、ぼくはこの監督になら死ぬまでついていけると思った」

僕もジョン・ウォーターズと小津安二郎になら死ぬまでついていける(2005年3月1日)


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『Hairspray』John Waters



私は、ウォーターズの映画は『ピンクフラミンゴ』以外は記憶がなく『ファスター・プッシーキャット キル!キル!』も流し見した程度で、近いうちに『クライ・ベイビー』(ジョニー・デップ主演)を観なくちゃと思っていた程度で何もわかっていないのですが、

ウォーターズの映画にまったく触れたことのない人に、念のため付け加えると、ウォーターズと、小津映画の雰囲気はあまりにも違います。(一般的なイメージとしては。。。)それで、内田先生の「死ぬまでついて行ける」発言にはビックリして、しばらく考えていたら、意外と似てるかもと感じ始めて、さらにビックリしたって感じでしょうか。。

とにかく、私は、この発言で『ヘアスプレー』も観なきゃと思い、ウチダ先生にも、ますますついて行きたいと思いました。


集中講義終わる

ハリウッド映画をトラウマ、抑圧、代理表象、転移などにからめて論じるというスタイルは、これまでと同じだけど、今回は「同期」「閾下知覚」「暗黙知」「無意識的言語活動」といったことに軸足を置いてみた。初日の朝に、寝床の中で「アナグラム」の話を思いついて、あれこれ資料に付け加えたところから話の筋道がどんどん変わってしまった。

これまでにアナグラムについて、それが識閾下でのある種の言語活動であることはとりあえずわかっている。それがコミュニケーションにおいて死活的に重要であることまでは分かっていたのである。

だが、時間意識の形成とアナグラムをつなぐ理路がよくわからなかったのである。それがぼんやりわかってきた。

アナグラムは「閾下の言語活動」であり、そこでは時間も空間も意識次元とはまったく違う仕方で展開している。この識閾を適切にキープする能力が人間の人間性をどうやら最終的に担保している。そんな気がしてきたのである。

識閾を設定し保持する力こそが、実は人間の知性の核心なのではないか。識閾というのは、フロイトの術語を使って言えば「無意識の部屋」と「意識の部屋」を隔ててる、あの番人のいる「扉」のことである。

この「扉」の管理がしっかりしてはじめて人間は「論理」とか「時間」とか「自我」とか「他者」といったものを維持することができる。この扉の開け閉めが緩んで、無意識の心的過程がダダ漏れになってしまうと、時間も論理も自我も、みんなまとめて吹っ飛んでしまう。


無意識と時間意識のかかわりについて考えるきっかけになっったのは、春日先生にうかがった統合失調症の「幻聴」の話である。幻聴というのは、自分の思考が声になって聴こえるという病症である。幻の声が自分の思考を「先回り」をして言い当ててしまう。患者は「宇宙人からの指令が聴こえる」とか「脳内にチップを埋め込まされた」といった定期的な作話によって「合理化」しようとする。

でも、よく考えたら「そんなこと」は誰にも起こる。アナグラムの例から知られるように、私たちは瞬間的に一望のうちに視野にはいるすべての視覚情報を取り込んで処理することができる。本を開いた瞬間に見開き2ページ分の視覚情報を入力するくらいのことは朝飯前である。だから、私たちはページを開いた瞬間に2ページ分「もう読み終えている」。しかし、私たちは「すでに読んでしまった文」を「まだ読んでない」ことにして、一行ずつ本を読む。

なぜ瞬間的に入力された情報を段階的に取出すような手間ヒマをかけるのか。

私にはその理由がまだよくわからない。よくわからないままに、直感的な物言いを許してもらえれば、たぶん、それは「手間ひまをかける」ということが「情報を適切に処理すること」よりも人間にとって重要だからである。「手間ひまをかける」というのは言い換えると「時間を可視化する」ということである。

おそらく、無時間的に入力された情報を「ほぐす」という工程を通じて人間的「時間」は生成する、一瞬で入力された文字情報をあえてシーケンシャル処理することは、知性機能の「拡大」ではなく、機能の「制限」である。私たちの知性はおそらく「見えているものを『見えていないことにする』という仕方で「能力を制御する」ことで機能している。

それに対して、統合失調症の人たちはおそらく「見えているものが無時間的にすべて見えてしまう」のである。かれらは「<超>能力が制御できない」状態になっている。発想の転換が必要なのだ。私たちは精神病というものを知性の機能が停滞している病態だと考えている。そうではない。逆なのである。人間の認識能力が制御されずに暴走している状態が統合失調症なのである。

私たちの中では実際には無数の声や、無数の視覚イメージが乱舞し、私たちの理解を絶した数理的秩序が支配している。その中の「ひとつの声」だけを選択に自分の声をして聴き取り「ひとつの視野」だけを自分の視線に同定し、理解を絶した秩序の理解可能な一断片だけに思念を限定できる節度を「正気」と言う。たぶん、そうだと思う。

この「理解を絶した数理的秩序」を私たちの貧しい語彙をもって語ろうとすると、それは「宇宙人の声」とか「CIAの監視」といったチープでシンプルな物語に還元されてしまう。だから、それについてはあえて語らない。それが知性の節度なのだ。ウィトゲンシュタインが言ったように「語り得ないものについては沈黙すること」が知性の生命線なのである。

アナグラムという現象は、人間の言語活動のうち、少なくとも音韻選択は識閾下でも活発に活動していることを示している。アナグラムについて書かれた詩学者が1冊も存在しないという事実は、アナグラムが人間の知性が統御すべき領域の出来事ではないということを意味している。おそらくそのことを古代人は知っていたのだ。というようなことを考えて映画を見る。

映画の中には無数のでたらめな表象が飛び交っている。とくにハリウッド・バカ映画の場合、映画を中枢的に統御している「作者」はもう存在しない。

フィルムメーカーたちが映画づくりにかかわる動機はきわめて多様である。あるものは金を儲けるために、あるものは政治的メッセージを伝えるために、あるものは宗教的確信を告白するために......それぞれがてんでかってな仕方で映画の現場に参加している。そこにはどのような意味でも「秩序」というようなもおが打ち立てられるはずがない。

しかし、それらの娯楽映画を分析的に見ると、すべてのフィルターがある種の「数理的秩序」に類するものに従って整然とする配列されていることがわかる。


いったい「誰」がその秩序を用意して、どうやって数百人数千人のスタッフ、キャストをその「意」に従わせたのか?私には説明ができない。たぶん、誰にも説明できないだろう。(引用終了)

このアナグラムの話は、本書の中で、私がもっとも理解できなかった部分(特に前半)で何度か考えてみたかったので、メモしておきました。

☆うほほいシネクラブ/内田樹[3]につづく


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by yomodalite | 2011-12-31 13:33 | 評論・インタヴュー | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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