カテゴリ:裁判・法律・犯罪( 21 )

「少年A」14歳の肖像(新潮文庫)高山文彦

1997年の神戸連続児童殺傷事件については、つい最近まであまり興味を抱いておらず、様々な事件について、加害者が書いたものも、被害者遺族が書いたものも、それなりに読んできてはいるものの、残忍な犯行をおこしたのが少年だというこの事件に関しては、書ける人がいないのではないか、という疑問があって、それで読書をためらっていました。

当時もっとも売れるミステリ作家だった宮部みゆき氏は、

一読して頭を抱えたことや、この事件が連日報道されていた当時、ひどく気落ちし、自分にはもう「現代」はわからない。という深刻な壁に突き当たり、。。人間のなかの未知の恐ろしい部分について、知ったかぶりをするのはもうやめよう。恐れ憚ることを思い出そう。それこそが今いちばん欠けている処方箋なのかもしれない。。

と、文庫版のあとがきに書いていて、それは、私がこの事件に関して読書をしてなかった理由とも似ているのだけど、今年、事件を起こした少年自らが書いた本を読んだことから、ここまで、優れたノンフィクションライターが、この事件をどう描いてきたのかについて知りたくなり、『少年A矯正2500日全記録』に続いて、こちらも読んでみました。

行間から溢れ出る高山さんの真摯な情熱に襟を正しながら… と宮部氏が、書いているように、残忍で悲劇的な事件を追いながらも、本書のどこかに救いがあるのは、少年に対してだけでなく、著者の人間全般へのやさしさが見え隠れするところでしょうか。それは、凡庸なノンフィクションライターが書いたものからは感じられないもので、先に読んだ草薙厚子氏の本よりもずっと「文学的」な魅力がありました。ただ、Aの母親に対しては、『少年A矯正2500日全記録』よりも、厳しく責任を負わせる書き方で、少年犯罪が大きく報道されるようになったことと、少子化には大きな関連があると思わざるをえませんでした。

元少年Aの出版へのヒステリックな批判が、私にはよくわからなかったのですが、本書の終盤で、

Aの場合、被害にあったふたりの子供の親が詳細な手記を単行本として出版した。それでずいぶん救われたそうだ。私の著作を読ませようというのは、こんどは客観的な立場で書かれたものをAに読ませ、自分が犯した事件の全体像と社会的評価について理解させようという意図であるらしい。Aがどのように私の2冊を読むのか興味のわくところだが、いずれ私は彼に会いに行こうと思う。きっと私は彼に本を書かせようと仕向けるだろう。悔恨や反省ばかりを並べ立てる手記のたぐいではない。なにもかもあの事件のころにたちかえり、自己の欲念や殺人衝動、そしてなぜ殺害の対象が淳君でなければならなかったのか、学校や家族の真実の物語をふくめて一点の嘘いつわりも許さない極私的ドキュメントである。怪物の文学である。

という文章があって、元少年は、これに応えたのだと思いました。

高山氏が書いたもう一冊『地獄の季節』も読まなくてはと思いました。




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by yomodalite | 2015-07-16 16:38 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

少年A矯正2500日全記録/草薙厚子

少年A 矯正2500日全記録

草薙 厚子/文藝春秋

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『絶歌』に関しての報道は、本の中身に問題があるかのように報道されていますが、実際の内容は、むしろ矯正教育が無事に行われたことの証明にもなっているような穏当なものでした。

わたしには、元少年Aが本を書いた罪は、メディアの本質を理解しなかったことだと思えてなりません。

ただ、彼が『絶歌』の中で何度も謝っているのは、被害者とその遺族だけではなく、なにかに他にも「謝っている」ようで、それが何なのか気になって、他の本も読んでみました。

本書の全体的な内容についてはこちらの参考記事を。

下記は、私が個人的に気になった箇所のメモです。

◎Aに再犯の恐れはない
 
「医療少年院でやるべきことはすべてやりました」少年院関係者が胸を張った。平成十五年三月二十五日、関東医療少年院の院長は、関東地方更生保護委員会に対してAの仮退院を申請した。
 
Aは両親や兄弟と住むことになるのか、その近くで一人住まいをするのか、それとも家族から離れて遠くに住むのだろうか。彼のすぐ下の弟は大学生で、三男は高校生。さほど広くないマンションで生活しているから、Aが割り込むスペースはないのかもしれない。A本人は「はやく社会に帰りたい」、「日本の一角で『匿名』で静かに暮らしたい」と望んでいるという。
 
ある少年院関係者は、ただひたすら生き続けてほしいと願っている。「被害者のニーズには極力応えてほしいと思います。社会に貢献するところまではいかないまでも、普通の人として七十歳、八十歳まで生き続けてほしい。それが私たちの願いです。逆に言えば、彼が生き続けることを社会が許容してほしいということ。その程度に余裕のある社会であれば非常によいことだと思っています。結果が出るのはずいぶん先のことだと思いますが、彼もまたその程度に余力のある人間であってほしいと思います」

時にはAと、結婚の話もするという。Aは、どう考えているのか?「結婚の話になると、『いいです、いいです。そこまではとても考えられません』と言っています。それどころか、『自分は生きていけるのか? 仮退院しても、実際に自分をケアしてくれる場所が……』と心配していた時期もあります。大人は子どもを産んで、育てて、先に死んでいくわけですが、彼のように性中枢が未発達なまま育つケースというのは、本当にわずかな割合でしか起こらない。そういう少年でも、社会がなんとか手をかけ、社会復帰させ、そして受け入れていってほしいのです」
 
Aが結婚して、子どもを作るかどうかは未知数だが、彼が希望するなら、それを阻む理由はないと関係者はいう。平成十五年五月、森山真弓法務大臣(当時)が、平成十五年内にAが仮退院するという見通しを述べた。「贖罪意識がつくられつつあり、社会の中で保護観察処分に移行するのが更生のために有効だとの報告を受けました」(中略)

ある関係者は「Aに再犯の恐れはない」と強く言い切った。

「退院したAが何者かに襲撃され、そのときに暴れて人に怪我をさせるという、その程度の恐れはあります。しかし、彼が以前と同じパターンで小さな子どもを殺す可能性はゼロです。なぜなら、もはや彼にはその『原因』がなくなったからです」ただし、Aを待ち受けるのは拉致や襲撃だけではないと、法務省は神経を尖らせている。

「たとえば、大金を債んで手記を書かせようとする者もいるでしょう。それで億単位のカネが入ったら、彼は自由に動き回れるようになってしまう。だから、一挙に押し寄せるであろう様々な誘惑をはね返すケアも必要なのです」 実際にそういう動きが出てきていると、法務省は警戒するのだ。被害者遺族への慰謝料、総順二債円という莫大な債務を抱えたAは、今後の生き方についてこう語っているという。

(yomodalite:これについては、この著者だけではなく、当然Aにも注意していたでしょう。手記を書くなというのは、Aをここまで導いた人々との約束でもあったわけですね。Aの本の中での「謝罪」には、それが出来なかったという意味もあるのだということと、おそらく事件に関わった他の同業者たちの怒りもその掟破りへの反発からなのでしょう)

「できることなら仕事をしたい。汗水垂らして働いて、償いのお金をコツコツと払っていきたいのです。そして、許されるならば、お墓参りをさせてほしい。あるいは、手紙を受け取ってもらえるならば送りたい。遺族の方と調整がつけば、できる範囲で精一杯のことをさせてもらいたいのです」
 
それは、Aが一生をかけて果たさなければならない当然の義務だろう。山下彩花ちゃんの遺族に寄り添ってきたジャーナリストの東晋平氏は、次のように話した。「A君の社会復帰について、山下さんには正直『怖い』という思いがあります。これは誰もが抱く感情でしょう。矯正されたといっても、それは矯正教育に関わった人の主観であり、客観的に証明しようがない。けれども、その上で『被が更生への道を歩き出していると信じたい』という思いがあるのではないでしょうか。単なる社会復帰ではなく、厳しい現実でよりよく生きる。ここからが被にとって、本当に厳しい道でしょう」(中略)

少年院関係者は、Aには社会を泳いでいけるだけの体力はつけたと強調する。
 
「世間が入院当初のような『殺せ! 殺せ!』の大合唱だったら、まさに暴風雨の海に子どもを投げ出すようなものです。その時期のことを思い出せば、世間の荒波も少しは静まったと思います。だから、少年院としてはAに、水泳でいうと千五百メートルを泳ぎきるだけの体力はつけました。ただし水泳でも、いきなり海に飛び込ませたら溺れてしまうから、少し練習させる。そのウオーミングアップの時期が仮退院なんです。ウォーミングアップさえさせていただければ、千五百メートル泳ぎきるだけの力は身についているはずです。プールに水を張らないとしたら、それは社会の責任です」
 
仮退院期間中、Aは社会からの語感や冷たい視線に晒されることになる。どれくらい打たれ強くなれるかが、出院後の波を左右するはずだ。法務省はAを社会復帰させるために、万全の処遇体制を整えるだろう。そして、何よりも重要なのは家族がどう対応するかだ。(中略)
 
Aの母親は、自分の息子が淳君を殺害したことを知っていたのではないか、と疑問を投げかける人も少なくない。(中略)報道された事実のみを追えば、母親がAの深夜の行動に気づかなかったというのも、甚だ疑問である。母親としての第六感が働き、「もしかしてウチの子が……」と思ったことはなかったのだろうか。
 
「酒鬼薔薇聖斗」事件が起こる四年前の1993年2月12日。イギリスのリバプール郊外で、当時十歳だった二人の少年、ジョン・ベナブルズとロバート・トンプソンが、当時二歳の男の子ジェームズ・バルジャーちゃんをショッピングセンターから連れ去り、殺害する事件があった。遺体は四キロ離れた線路上で、列車に轢断された状態で発見された。この事件はイギリスを震憾させ、凶悪事件が起こるたびに引き合いに出される。
 
ヨーロッパ諸国では、刑事責任が問われるのは大半が十四歳からだが、イギリスでは十歳からとなっている。通常、十七歳までの被告は少年裁判所で裁かれるが、殺人などの重罪は一般の裁判所で審理される。十七歳以下の未成年容疑者は、原則として匿名で報道しなくてはならないが、重大犯罪の場合、裁判官の権限で実名公表の禁止原則が解除されることもある。この二人の少年犯も、判決前から実名と写真が報道され、公判でも実名公表が許された。二人は誘拐・殺人罪で無期禁固刑となったが、二〇〇一年に仮釈放され、生涯にわたって保護観察下に置かれるという。仮釈放を決定したとき、高等法院は、社会復帰のため、二人に新たな名前と架空の略歴を使うことを許可した。以後、マスコミが写真や住所を公表することは許されない。犯人の一人は保護観察のもと、大学にも進学したという。ちなみにイギリスでは、「バルジャー事件」をきっかけに少年犯罪の危険性に関心が高まり、厳罰化の傾向が強まったとされる。(中略)


平成十六年三月十日、少年Aはついに仮退院した。Aは、たしかに改善の兆候をいくつも示し、完治に向かったことは事実だろう。しかし、本当に完治したかどうかは、誰にもわからない。この七年の間、彼に関わった教官たち、彼の家族、そして彼害者家族たちのためにも、彼が再び罪を犯さないことを祈りたい。法務教官たちの苦悩は、少年Aが出院してからも決恚て終わることはないだろう。
 
Aの矯正に関して、ある重要な立場にいた法務省幹部は振り返る。
 
「当時、神戸少年鑑別所を指導し、送致先、テストバッテリー、鑑別所スタッフ、予算等々のすべてにかかわる立場にいた者たちでさえ、ここまで成果を上げてくれるとは思っていませんでした。改めて、世界に冠たる日本の少年矯正の底力を見た気がします。世論を真摯に受け止めつつも、どんな批判があってもビクともしません。感情的な憶測や偏見では、被害者と加害者の将来にかかわる判断はできません。七年間にわたって悪戦苦闘してきた少年院の実感を信じるしかないと思います。我が国の臨床心理学をリードし、各種の心理テストを開発してきた鑑別所と、世界一の処遇効果を誇る少年院の総力を挙げての実践と判断は、単なる感情論を超えたものですから………」(P182〜200)


下記は、著者である草薙厚子氏に関してのメモ。

(このあと「奈良エリート少年自宅放火事件の真実」の際に起きた問題の要因が少しだけ透けて見えるような内容だったので)

「あとがき」

私が東京少年鑑別所法務教官を拝命したのは十数年前のことだ。およそ二年間の勤務だったが、法務省矯正局の人たちをはじめ、家庭裁判所の判事、調査官たちと知り合い、良い関係を築くことができた。大学を卒業したばかりの小娘を温かく指導して下さった方々には、今でも心から感謝している。
 
自分で言うのもロ幅ったいが、当時の私は矯正教育に高い志を待っており、社会のため、誰かの役に立ちたいと切望していた。非行少年の多くは幼少期に、親からの間違った躾、差別、虐待、いじめ、過干渉などを受けて苫しんでいる。彼らは、ある意味では被害者だと思う。彼らの人生を正しい方向に導いてくれる人が周囲にいたら、おそらく矯正施設に入らなくて済んだろう。
 
偉そうに聞こえるかもしれないが、私は彼らの社会復帰のため、少しでも役に立ちたいと思って毎日を過ごしていた。ところが残念なことに、一部の職員から受けたハラスメントをきっかけに、私は志半ばで辞めざるを得ない状況に追い込まれてしまう。悪夢だった。私は自分の気持ちを踏みにじった人を憎んだ。今でも思い出すと怒りがこみあげてくる。しかし、今回の取材を通して、私が志半ばで辞めてしまった矯正教育を、心ある職員たちが立派に成し遂げていることを知った。おそらく彼、彼女たちは、毎日のように心を痛め、悩み、汗や涙を流しながら、誰かのために自分を犠牲にして働いているに違いない。
 
「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」。鎌倉時代に親鸞が説いた悪人正機説である。私はこれを「自分の悪を自覚し、そのために泣き、悔いることのできる人間こそが教われる。自分の中の悪にも気づかず、うぬぼれ、心を固く閉ざしている人間は教う必要はない」という意味だと解釈している。教科書でしか習わなかったこの教えが、今、とても心に響いている。少年院の職員たちは、皆このような気持ちで非行少年たちに接している。矯正教育はいつも逆説的な発想から始まるのだ。
 
しかし、今回の取材では、ある少年院スタッフとの間で実に残念な事件があった。私にはこのスタッフが「自分たちこそ善人である」と勘違いしているとしか思えなかった。二〇〇三年秋、「週刊文巻」に第一回の「少年A 医療少年院矯正日記」が掲載された数日後のことだ。施設の外観を確認するため、関東医療少年院の周辺を見て回っていると、ある職員から隣の官舎の敷地に意図的に入ったと咎められ、強制的に名刺を奪い取られたのである。私が「矯正日記」の筆者だとわかったのか、たちまち職員の顔色が変わり、やがて私は十人ぐらいの男性職員に囲まれ、威圧的に罵倒され、怖くなって立ち去った後も無言で追跡されるという心理的妨害を受けた。後でわかったのだが、職員を牽引していた人物が統括専門官であり、平成16年には本省に戻って大きなポストに就くと聞いて、私は一層怒りを感じた。公務員の「密室性」は全く変わっていなかったのだ。

(引用終了)

◎マイケルとジェームス・バルガー事件の関連記事


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by yomodalite | 2015-06-22 06:00 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

『絶歌』/元少年A(2)

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私はなにか調べたいことがあると、かなりしつこくネット検索することがあるけど、誰かの感想については、自分が見たり読んだりする前には、極力見ないようにしてます。

『絶歌』に関しては、大きく報道されたので、多くの批判があることだけはわかっていたけど、読了後に、ブログに参考記事を載せるために少しだけネット徘徊したら、想像以上にあらゆる人々が、その内容にも、出版にも厳しい批判をしていて、あらためて驚いた。

あらためて、、だなんて、

今さらそんなことで驚かないよね(笑

単に書き言葉の「常套句」を使っただけだって言いたいけど、

でも実は、本当に驚いたの、マジで(バカって懲りないね)

いっぱい驚いたのあったけど、メンドくさいから一個だけ。


内田樹 ‏@levinassien 6月16日
ある週刊誌から「絶歌」読んで感想聞かせてくださいというオッファーがありました。「やです」とご返事。「邪悪なもの」は近づくだけで何かが損なわれるから近づかないようにというのは師匠の教えです。

内田樹終了ーーーーー!!!(しないで欲しいけど。。)

佐々木俊尚氏の『21世紀の自由論』で、

この勢力はたとえば、原発に反対し、自衛隊の海外派遣に反対し、日本国憲法九条を護持し、「国民を戦場に送ろうとしている」と自民党政権の集団的自衛権行使や特定秘密保護法案に反対している。文化人で言えば、作家の大江健三郎氏や瀬戸内寂聴氏、音楽家の坂本龍一氏、学者では「九条の会」事務局長で東大教授の小森陽一氏、神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏、経済学者の浜矩子氏。政治勢力としては福島瑞穂氏と社民党、生活の党と山本太郎となかまたち。元経産省官僚の古賀茂明氏。一緒にくくられることに抵抗のある人もいるだろうが、メディアの上で「リベラル勢力」という呼び方で視界に入ってくるのはそういう人たちだ。

しかしこの「リベラル勢力」は、いま完全にほころびている。

最大の問題は、彼らが知的な人たちに見えて、実は根本の部分に政治哲学を持っていないことだ。端的にいえば、日本の「リベラル」と呼ばれる政治勢力はリベラリズムとはほとんど何の関係もない、彼らの拠って立つのは、ただ「反権力」という立ち位置のみである。

イギリスでは、ブレアの人道的介入に対して、保守派が「国内の利益を最優先すべきだ」と批判した。保守派は一国平和主義的な思想を持つ傾向が強い。そうなると日本の「リベラル」は、欧米の保守派の意見に近いということさえ言えてしまう….

という主張を自ら証明してしまっている、のでは?

そんなことよりも、もっと大事なことが、、というのはわかるけど、それなら、なにもつぶやかないで欲しかった。現代日本では一応「思想家」なんだから。。(ぐっすん)


僕は野球選手の名前も、テレビタレントの名前もほとんど知らなかった。当時の僕にとってのスターは、ジェフリー・ダーマー、テッド・バンディ、アンドレイ・チカティロ、…… 世界に名を轟かせる連続殺人犯たちだった。映画『羊たちの沈黙』の公開を皮切りに90年代に巻き起こった「連続殺人犯ブーム」に僕も乗っかり、友だちの家に揃っていた『週間マーダーズブック』や、本屋に並んだロバート・K・レスラー、コリン・ウィルソンの異常犯罪心理関係の本を読み耽った。(『絶歌』より)


90年代、酒鬼薔薇より遥かに多くの人を残虐に殺害した人についての本がたくさん出版されていたし、そういった殺人者を扱った本だけでなく、実際に猟奇殺人を犯した佐川一政は、ほんの数年の療養を経ただけで、サブカル界で活躍する場を与えられていた。確実にその頃の業界を知っている人間が、いったいどの口で、出版社のモラルだなんて言っているんでしょう。

(一個って言ったくせにぃ、、)

◎久田将義コラム


サブカル界の人間がこぞって「正義」を振り回す時代がくるなんて、90年代には想像もしてなかった。時間に追われて、お金のために書いたくせに、人間としての自分の「心」を優先だなんて、よくもそんな「薄っぺら」なことを(驚)。『実話ナックルズ』とか『ダークサイドJAPAN』のような下衆な(いい意味でw)雑誌を創っている人たちは、正義を売ることだけはしないという「矜持」を持っているものだと思っていた私が甘かったです。「GOD LESS NIGHT」よりよっぽど鼻じらんでしまったんですけど、、

「遺族」の気持ちを第一に考えるということがどこまでできるものなのか、安保法案や、今後の日本の様々な問題への対応も踏まえて、拝見させていただきますね。


なんだかんだ勢いづいたから、もう一個言っとくw

◎元少年A『絶歌』よんでみた : ロマン優光連載33

かつてはトンガリ少年だった自分が、すっかり「凡庸で薄いサブカルさん」になったからって、どシロウトが書いた初めての作品に、自分の現状をぶつけてどうするの?


こちらは、共感した記事。


本当に残念なことだけど『絶歌』について書かれた著名人の批判より、元少年Aが書いたものの方がずっと「心に迫った」。

残虐非道な殺人鬼なのに、どうしてかなって思ったけど、彼が、誰よりも更生しようとしてたからなのかも。。それが仮に、出版社側の「クリエイティブ」であったとしても、お金を出す価値があったのは『絶歌』の方なんだから、売れたってしかたがない。

いつの時代も極端にふれた動きしか見えないし、強く批判している記事もモラルや遺族のためではなく「お金のため」。ただ、本家よりも考えていないし、もはや本も買えないビンボーな人をお客にするには、これぐらいの文章で十分だって思っていることも大勢の人に見透かされている。

「正義」が蔓延るのは、経済のために「戦争」だってしかたがないと、みんな心の中では認めているから。



2015年06月17日
訃報「アスタルテ書房」店主・佐々木氏ご逝去

エディション・イレーヌ松本氏から連絡をいただきましたが、アスタルテ書房店主の佐々木一彌氏は、6月14日夜に入院先の病院でお亡くなりになったとのことです。お葬式等はすでにご家族のみで済まされたとのこと。アスタルテ書房については、ご子息には引き継がれる意思がまったくないそうなので、このまま閉店となるのでしょう。在庫品は古本組合の市で処分されることになりそうで、閉店セールの予定もいまのところないようです。

もう、京都まで終了しそう。。。(泣)





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by yomodalite | 2015-06-19 17:35 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

『絶歌』/元少年A(1)

私のブログでは、めずらしく「話題の本」を紹介します。

ご遺族の方による出版社への抗議文は下記に一部を転載しましたが、遺族は出版によって、事件が改めて注目され、ご子息への残忍な行為が再び社会に知られることに大きな精神的苦痛を感じておられるようです。それは多くの被害者遺族に共通した、それ以外にはないといえるような感情だと思います(ただし、もうひとりの遺族である山下さんは、今年の3月に「彼の生の言葉が社会に伝われば、そういった犯罪の抑止力になれるのでは」と述べておられます)。

遺族が、犯罪によって受ける苦痛は今も昔も変わらない。でも、現在のようなネット社会で、犯罪被害者が被る二次被害は拡大していく一方で、それは、マスメディアが検察の情報ばかりを垂れ流し、加害者への憎悪を掻き立てることで加熱していく、事件とは何の関係もない私たちのような野次馬の稚拙な行動によって起きているものです。

本が出版されたことは、今現在騒がしく取り上げられてはいますが、事件が起きたのは1997年のことです。あのとき14歳だった少年が、それから18年を生きて語りたいことを、私は読まずにはいられませんでした。

遺族の出版差し止めの要求を聞き、手にすることさえ罪悪感を感じる思いでしたが、読み進めるうちにその後悔は消えていきました。想像以上に真摯な内容だったからです。

これまでも、何度か死刑囚の人が書いた本を読みましたが、この本はそれらとは異なるものだということは、読みだしてしばらくしてようやく気づきました。落ち度のない少年少女を殺害しながら、矯正教育後「社会復帰した元少年」が書いた本は、これが初めてではないでしょうか。

この本の出版意義は、おそらくそこに尽きるのではないかと思います。

未成年で複数の殺人事件を起こしても、加害少年は社会復帰を前提に刑期を終えることになる。実際にそうした少年が、社会復帰後、成功といえるような職業について生活している例については、以前に読んだ『心にナイフをしのばせて』でも考えさせられたことですが、少年犯罪の場合、加害者は口をつぐみ、事件を忘れる方が生きやすいものです。

でも、酒鬼薔薇聖斗にはそれが出来なかった。

この事件では、犯行が残忍だっただけでなく、犯行後の行動も加害者の自己顕示欲が垣間見えるものだったので、今回の出版についても、加害者の自己表現欲求や、金儲けという感覚を抱く人が多いのだと思いますが、一読した感想はそうではありませんでした。

死刑囚が刑を待ちながら、刑務所で反省の日々を送るのではなく、社会に出て、真摯な謝罪の日々を送ることのむずかしさ。彼はまさに遺族が望むように、常に被害者のことを忘れず、自分がしたことに真剣に向き合って18年を生きてきた。

それゆえに、彼はもうこれからどう生きていいのかわからなくなっている。

ご遺族が、出版差し止めを要請した文書には、

本事件により筆舌に尽くしがたい被害を被り、事件後約18年を経て、徐々に平穏な生活を取り戻しつつあるところでした。また、私たちは、毎年加害男性から手紙をもらっており、今年の5月の手紙では、これまでとは違い、ページ数も大幅に増え、事件の経緯も記載されていました。

私たちは、加害男性が何故淳を殺したのか、事件の真相を知りたいと思っておりましたので、今年の手紙を受け取り、これ以上はもういいのではないかと考え、少しは重しが取れる感じがしておりました。ところが、貴社が本誌を出版することを突然に報道で知らされ、唖然としました。

これまでの、加害男性の謝罪の手紙は何であったのか?

今にして思えば、心からの謝罪であったとは到底思えなくなりました。18年も経って、今更、事件の経緯、特に淳への冒涜的行為等を公表する必要があったとは思われません。むしろ、加害男性は自己を正当化しているように思われます。

とありました。

絶対に忘れられることではなくても、ほんの少しづつではあっても被害者遺族は平安へと向かっていた。それが出版によって打ち壊されることへの怒りはもっともなことですが、加害少年にとっての18年は、罪が年々重くなっていく一方の歳月だった。罪の重さをより感じるようになったのは、それが自業自得なんだと、加害者が完全に理解しているからで、私には、この本が自己を正当化するために書かれたとは思えませんでした。

本書は、二部構成になっていて、第一部は、幼少時から犯行を犯すまで。第二部は、少年院生活を終え、2012年12月までのことが書かれています。

読み出して、まず思ったのは、元少年Aが並ではない文章力の持ち主だということ。

300ページほどの本をひとりで書くというのは大変なことなので、編集者の力や、ゴーストライターがついていることも考えられなくはないのですが、本の構成も、比喩に関しても、本人が長い間何度も構想して書いたことを感じさせるものでした。

第一部には、ふたりの少年少女への犯行だけでなく、猫への残虐行為についても、生々しい描写で描かれていて耐え難い箇所があります。彼は自分の性的嗜好を文学的に表現するために、この本を書いたのでは?と疑いたくなりましたが、読み進めるうちに、彼は、精神科医が自らに下した「性サディズム障害」を受け入れ、自分のおぞましさから絶対に逃げないという決心から、包み隠すことなく赤裸々に書いたのではないかと思うようになりました。

そして、なぜこのような少年に育ってしまったのか。という責任について誰もが考える両親についても、それぞれ彼らの真面目な仕事ぶりや、息子に対して人並み以上に愛情深く育て、犯行後にさえ、自分を支えてくれたこと、また、加害者家族として苦しんだ兄弟たちについても、犯行時の残虐な描写以上に、きめ細やかに描かれています。

そして、被害者の少年少女に何の罪もないのはもちろんなのですが、彼はこの残虐な犯行について、学校にも、友人にも、自分の家族にもまったく責任はなく、本当に誰のせいでもなく、ただただ、自分が生まれつきのモンスターであるために起こったのだということを説明するために、言葉を選び、懸命に文章を駆使しようとしているように感じました。

被害者遺族のためにも、読んでいない人は絶対に語らないでほしい本だと思います。







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by yomodalite | 2015-06-18 09:56 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

反省させると犯罪者になります(新潮新書)

反省させると犯罪者になります (新潮新書)

岡本 茂樹/新潮社

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今年出版された新書でもっとも重要な本に選びたくなる一冊。

人目を惹く意外なタイトルで釣ろうとする新書は多いですが、本書は、冒頭から「反省させると犯罪者になる」ということを、自分が犯罪者になることなど1ミリも考えたことなく、犯罪者の気持ちを想像したことなどないという人に、丁寧に説明されている本。

凶悪犯罪は年々減っているにも関わらず、現代ほど、犯罪者に厳罰を与えよ。という声が高まった時代はないと思う。

無宗教と言われる日本人の多くに支持されている「人に迷惑をかけない生き方」を、自分に強いてきた人が、迷惑の最たる「犯罪」に対して厳しい態度なのは当然のことで、それは昔から変わらない。

ただ、かつての「プロの物書き」は、独自取材によって、新たな視点を投入し、集約されそうになる意見に、一石を投じることを使命としている人も多かったけど、今はそんな記事は必要とはされていないし、筆名を持ち、記事を有料で書いている人もいなくなった。ネットは無料だし、新聞社の収入は広告であって記事ではない。

あらゆる記事は無料になって、オピニオンリーダーと言える人はひとりもいなくなり、専門知識も、経験もいらず、調べることもしない記事は、ただ対立を煽り、共感者を囲い込み、考える材料ではなく、炎上の燃料ばかりを投入して、加害者への悪感情を爆発させることが、被害者に寄り添うことであり、それが「正義」だと信じさせる。

多くの人が共感し、参加できる「場」を提供さえすれば「広告」を出す場所としては十分だからだ。

本書は、厳罰化に進もうとする現代に警鐘をならし、
犯罪者への対応だけでなく、教育とは何かをも問う良書だと思う。


☆Kindle版もあります!
◎[Amazon]反省させると犯罪者になります (新潮新書)





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by yomodalite | 2013-12-27 21:29 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

別海から来た女 ― 木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判/佐野眞一

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北原みのり氏の『毒婦。』により「木嶋佳苗」に、惹き付けられてしまったので、佐野眞一氏の「木嶋佳苗」も読まなくてはと思っていたのですが、この2冊は、やはり両方読んでおいて正解だと思いました。

(以下、太字は本書から。省略して引用しています)

第一部「別海から来た女」で、著者は、佳苗が高校時代まで住んでいた北海道「別海(べっかい)」に注目する。

東京23区の2倍の面積をもちながら、人口は1万6千人しかいない大酪農地帯で、司法書士の父をもち、クラスで唯一ピアノが弾ける佳苗は、町のエリートだった。その佳苗と彼女の母親にピアノを教え、家族ぐるみでつきあっていた医者夫婦の妻から、佳苗は、小学生時代に、貯金通帳を盗むという事件を起こしていた。

衝撃的な証言だった。家の中の小銭をくすねるくらいなら、幼さゆえの出来心で済まされる。だが貯金通帳となると、話は別である。木嶋はたぶん生得的なサイコパス(反社会的人格障害)である。木嶋の幼少期は、特別に貧しい環境にあったとも、ネグレクトや性的虐待といった激しい精神的ダメージを受けたとも思えない。

たしかに、この記述からは、生得的な「異常」という判断もやむ終えないと思う。お金や、物ではなく、小学生が「貯金通帳」に興味をもつことも、佳苗のような早熟な子供が、それを実際に換金することの困難に気づかないというのも、不思議を通り越して「不気味」すら感じた。

ただ、著者は、佳苗の母親の実家に取材し、そのインターフォン越しの声から

あくまで声の印象だけだが、憔悴している様子はなかった。むしろ声の調子は明るく、それが却って奇異だった。

という、凡庸なジャーナリストやマスコミと同様な「印象取材」や、その後も、著者は、事件に関する町の噂を聞くため、別海の飲み屋に取材し、

「木嶋佳苗のお父さんは五年ほど前に交通事故で亡くなったんだけど、交通事故に見せかけて娘の木嶋佳苗が殺したっていうのがもっぱらの噂なの。」

という証言を得るものの、その事件の取材も浅く終了してしまって、その噂が、当時の事件直後のものなのかもはっきりしない。

その他、本書には、木嶋佳苗の意味を探ろうとしているものの、全体的に薄味なものになってしまっていると感じる点が多かった。それは、この事件がインターネットの普及によって起きただけでなく、凶悪犯罪がTV報道だけで過熱していた頃とは異なり、「稀代の毒婦」から「木嶋佳苗被告は声がかわいい」「案外イケてる」 までのイメージの変遷が、取材のスピードよりも早く、

著者は、そのイメージに再度「疑惑」を呈したものの、新たに話題になった「木嶋佳苗像」を「サイコパス」と定義したのでは、著者も語っているように、

私たちはこの事件からなぜ目を離せないのか。
それはおそらく、この事件に関心をもつすべての人が、木嶋佳苗にだまされた人に、
いくらか似ている自分に無意識のうちに気がついているからである。


の答えは出ない。佐野氏は、

佳苗のシティギャルへの憧れも、その行動様式も“シティギャル”には、絶対真似できないふるまいだったことを、木嶋本人は気づいていない。

とも書いていますが、佐野氏が、うっかり露呈してしまった“シティギャル”への評価の高さに、佳苗のどこかに「いくらか似ている自分」を発見してしまう女子の多くは「苦笑」したことでしょう。

また著書は、別海での取材から2年3ヶ月後の死刑判決の直後に公表された、木嶋佳苗の手記に対して、

この手記を読んだ者の中には「勾留生活も、本があれば無聊に苦しむことはありません」といった文言や、立花隆や小倉千加子などの著者の読書遍歴をあげて「相当の教養の持ち主」と驚いた人もいたようだが、私から言わせれば、こういう連中は人間を深く洞察する観察眼が欠けている。

これだけ書き連ねながら、読む者に何の感動も与えない文章を書けることの方が、むしろ驚きだった。すべてどこかで聞いたことのある文章の切り貼り、パソコン用語でいえばコピペである。いくら読んでも、木嶋が何のためにこの手記を書いたかわからない。


と語る。私にも、佳苗の文章が、なんのために書かれているのかはわからないし、佳苗には死刑から免れたいという気持ちがないとは思えないものの、しかし、殺害しなかった被害者の証言にあるように、彼女は、睡眠剤を飲ませ、財布からお金を抜き取った相手から、逃走もせずに再度会い、また、その相手にまったく同じように睡眠剤を飲ませるなど、犯行の発覚を恐れるどころか、むしろ、犯行の意志を伝えようとしているとしか思えないような行動をとっていたり、

そもそも、彼女の事件は、お金目当てで近づいた男から離れるのに「保険金をかけずに」殺害しているという不可解さにあり、それは、彼女が、少女時代から窃盗に抵抗がなく、どれほどの嘘つきであったとしても、まったく解明できない「謎」で、

私には、そういった佳苗の不可思議さを知るうえで、彼女の手記はとても興味深く、また、その言葉遣いや、その読書遍歴にある著者の名前から、教養を感じたからでなく、本書のような「どこかで聞いたことのある文章」や結論とは違った「オリジナリティ」に、今のアラサーより若い女性に共通する男への「絶望」を感じ、文学的に興味をもったのだと思う。

木嶋佳苗にのめり込んだ、北原氏と違い、佐野氏は、彼女に騙された男たちを不甲斐ないと思う気持ちからか、佳苗を突き放そうとすることに徹していて、それは、彼女に「いくらか似ている自分」を感じてしまう、私には良い読書経験でした。

◎[Amazon]別海から来た女―木嶋佳苗 悪魔祓いの百日裁判

でも、彼女の手記を高く評価することが「人間を深く洞察する観察眼が欠けている」との主張には、まったく同意できないので、

下記に、佐野氏が「コピペ」と評価した、佳苗の手記を再度「リンク」しておきます。

◎[死刑判決・木嶋佳苗被告の手記を読む]朝日新聞 読後雑記帳

◎参考書評「極東ブログ」



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by yomodalite | 2012-10-09 13:12 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(3)

毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記/北原みのり

毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記

北原 みのり/朝日新聞出版



毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記 (講談社文庫)

北原 みのり/講談社

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ネットで知り合った男性たちから、1億円以上のお金を受け取り、周囲は不審死が絶えなかったという、彼女が実際に殺害したとすれば、前代未聞の女性犯罪者である、木嶋佳苗の裁判傍聴記。

週刊朝日が、この裁判の傍聴記に白羽の矢を立てたのは、コラムニストで、女性のセックストイショップ「ラブピースクラブ」の代表、北原みのり氏。私は、事件を扱った書籍は結構読んでいるのですが、本書は、

容疑者の罪の妥当性や、容疑者の生い立ち、パーソナリティー、事件に至るまでの歴史や、事件の社会性などを探りながら、取材を重ねていくジャーナリストや、

事件の冤罪疑惑や、メディア報道とは、まったく別の容疑者の顔を垣間みることが多い、弁護士による著作ともまったく違った印象でした。

裁判傍聴記がメインになっていて、木嶋佳苗の犯行に関して、新たな事実が盛り込まれているわけではないのですが、読者が読んで面白いと感じるのは、やはり、著者の女性ならではの目線ですね。

女性ジャーナリストにも、女性弁護士にも、女性検事にも、女性特有の視線を感じることはありますが、著者は、彼女たちとは違って、犯罪に対してではなく、木嶋佳苗という女性そのものに注目しているところが新鮮で、本書の第一章は、次のような記述から始まります。(省略して、部分的に引用しています)

約2年4ヶ月の勾留を経た37歳の木嶋佳苗に、そういった陰は見えなかった。というより…… ナマ佳苗は、生き生きと、キレイだった。

決して美しいとはいえない佳苗の容姿はセンセーショナルに報道されてきた。腫れぼったい目、肉付きの良過ぎる体、全体的に不潔そう…そんなイメージを持った人は多いはずだ。が、実際に数メートルの距離で見るナマ佳苗から、だらしなさや、不潔さや、醜さは、全く感じなかった。

シミ一つない完璧な白、絹のような美肌だ。なにより意外だったのは、佳苗の小ささである。155センチあるかないか、特別に太った女というほどでもない。そして、なんといっても、声だ。それはあまりにも優しく上品だった。

実際、ナマ佳苗を見、声を聞いた男性記者たちが休廷中に「思ったほどブスじゃない」「声、可愛くないか?」「十分イケル」「見ているうちに、どんどん可愛くなってきた」とひそひそ話しているのを耳にした。

ボールペンは100円のノック式のものだが、ノックの仕方が、なんていうか、優雅なのだ。ひとつひとつの所作がきれいだ。

(引用終了)

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木嶋佳苗のブログ(表紙はこの写真からデザインされているようですね)



たぶん、著者は「決して美しいとはいえない」佳苗が魅力的に見えたのは、なぜだろうという視点で、佳苗の一挙手一投足を見ているので、彼女の魅力をより発見してしまうという点もあるのだとは思います。

でも、彼女は、婚活サイトで出会った「冴えない男性」を惑わせただけでなく、お金目当てでなく付き合った男性の中には、取材で訪れた女性記者に「ジャージ姿なのに、とてもセクシー」と思われるような男性もいたり、しかも、そのセクシーな男性は、強気なモテ男だったにも関わらず、やはり、佳苗に振り回されている。

本書を読んで、木嶋佳苗にどこかシンパシーを感じてしまうという女性は意外と多いと思う。彼女に同情したくなる点は、まったく見られないにも関わらず、なぜかそう感じてしまうのは不思議ではあるのだけど、

おそらく、その理由は、本書に彼女の犯行についてのページが少なく、また、女性にとっては、この事件の被害者たちに同情できる部分がないからでしょう。

彼女は、自分の魅力を最大限に生かし、男から金を貢がせるために、頭脳も神経も総動員し、大変なエネルギーを使っている。一方、彼女に貢がされた男性はと言えば、、、たぶん、彼らは自分をバカだとは思っておらず、自らが選ばれるという視点もない彼らは、なぜか、女性を見る目があると思っている。

彼らが女性にできることと言えば「お金」しかない。

と、決して少なくはない数の女性は思うだろう。

しかし、クリエイティブな嘘をつくことができる、佳苗の犯罪には、殺害という、どう考えてもリスクが大きく、彼女の「頭の良さ」とは正反対の「闇」があって、たぶん、そこが、女性が木嶋佳苗に興味をもってしまう点ではないでしょうか。

木嶋佳苗に対し、かなり好意的に書かれている著者の連載を読んだ、佳苗はこれを嫌ったという。そして、著者はそこから「私のことは、私が書きますから」というメッセージを受け取ったようです。

確かに、かなりの文学好きを感じさせる、佳苗自身による手記は、確実に読んでみたいと思わされました。(死刑判決後の手記全文は下記にリンクしました)この事件が華やかに報道されていた時期はほとんど興味がなかったのだけど、本書を読むと、佐野真一氏の男性目線で書かれた『別海から来た女』も読みたくなってきました。

◎[Amazon]毒婦。 木嶋佳苗100日裁判傍聴記

☆参考サイト
◎毒婦について(北原みのりコラム)
◎憧れは「松田聖子」な木嶋佳苗、ブスでデブなのにモテるワケ

◎参考書評「極東ブログ」

◎死刑判決・木嶋佳苗被告の手記




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by yomodalite | 2012-07-18 08:51 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

三浦和義 敗れざる者たち/三浦和義、河村シゲル

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本書は、2年前に出版されているんですが、全く注目していませんでしたし、当時、書店で見かけたとしても、絶対手に取ってないと思います。だって、三浦氏の顔のアップとか、あえて、ひらがなの“ぶんか社”とか、もう、何もかも恥ずかしくて、手に取ることも、ましてや、レジに持ってくなんて、絶対無理ですよね?(笑)

☆続きを読む!!
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by yomodalite | 2010-06-07 09:35 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(4)

福田君を殺して何になる/増田美智子

福田君を殺して何になる

増田 美智子/インシデンツ



◎[2012.2.21追加]元少年に死刑判決 - 死刑の是非の前に問いたい是非

初めての育児に一生懸命だった若い妻と、幼い子供の両方を奪われた夫、本村洋氏の怒りは、裁判の経過中、死刑判決を望む旨を強く表明し続け、一審での無期懲役の判決には「司法に絶望した、加害者を社会に早く出してもらいたい、そうすれば私が殺す」など、激しいものでしたが、守れなかった家族への責任感の強さから発せられる、本村さんの言葉には、これまでの刑罰論に一石を投じるような論理があり、今まで顧みられなかった被害者遺族の人権にも注目を集め、多くの人を感動させました。

私も、このときの本村さんに、たいへん感動した1人です。

でも、本書のタイトルや、そして著者がまだ20代の女性であることを知って「もしかしたら。。。」という期待と共に読了し、それは、ほぼ期待どおり、満足のいく内容でした。

「殺して何になる」という問いに、

・被害者遺族が満足する。
・殺人に対して、死刑という刑罰がくだされるのは当然。
・なぜ凶悪犯罪者の命を救おうとするのかわからない。

上記のような考えの方は、是非一読されることをオススメします。

本書の帯には、3人の文章の抜粋があります。

ひとりは、本事件の弁護士を途中解任され、『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』を出版された、今枝仁弁護士。

被告である福田君。

そして、もう1人は、被害者遺族である本村洋さん。

本村さんの文章は、本書への直接の推薦文ではありませんが、彼の今の心境がよく著わされています。死刑執行でスッキリした気持ちになれるのは、被害者遺族ではなく、まったく関係のない私たちのような野次馬だけだということが。。。。

本村氏の真摯な“聖戦”に対して、警察発表の忠実な犬にして、常に事件後の傍若無人な加害者であるマスコミ報道を鵜呑みにした世論により、「死刑」が執行されることは、本当にも相応しいことなんでしょうか。

著者の取材方法、取材者への態度や気配りなどに、批判的な人も多いですが、私は、それ以上に、批判を承知したうえでの著者の行動力と、真に重要な問題提起に感動しました。

というか、信頼していた著述家の中にも、この取材方法への批判を真っ先に挙げる人がいたことにはショックを通り越して絶望すら感じました。彼女の取材に気配りがされていないなら、マスコミはどうなんですか?

死刑に興味をもって、見聞きした数少ない経験を通してわかったのは、死刑の廃止と存続には、それぞれの既得権益者による、不毛な議論しかないということです。

本書が明らかにした主内容は、

・少年の悪印象を決定づけた“不謹慎な手紙”の真相
・少年の実像
・少年が死刑になった“真の理由”

上記3点なのですが、中でも、死刑判決が下されることになった最大の責任は、弁護団にあることを明らかにした点です。(批判されている弁護団は、世論を味方にすることが困難な裁判を何度も戦ってきて、司法の判断を知り尽くしていることが、逆に戦略ミスを招いたという側面もあるような気もするのですが....)

少年への匿名報道は、将来の社会復帰を考えてこそのはずですが、少年法を逸脱した死刑を課せられようとしている“少年”の匿名には、一体どんな意味があるのでしょうか?

事件の報道や本書への評判も、1度リセットして、本書を読んでみれば、匿名での死刑判決という、明らかな人権侵害を問題にせず、少年の実名明記のみを問題にして、本書が語られる“本当の理由”が、朧げながら見えてくるはずです。

本書の発売にあたっては、光市母子殺人事件の被告の名前を明らかにしたことで、実名報道の是非をめぐって賛否両論が大きく報じられ、また、弁護側は本書に対し、出版禁止の仮処分を広島地裁に申し立てた。

被告の死刑に異議を唱えた内容にも関わらず、なぜ被告弁護人から出版禁止を申し立てられたのでしょうか? その真相を知りたいひとへ。

☆今のところ、本書の意義を伝えている唯一の書評。
「404 Blog Not Found」

☆追加
鬼蜘蛛おばさんの疑問箱
___________

【内容説明】現在、光市母子殺害事件の被告人は、どのような心境で毎日を過ごしているのか。被告人と同じ年の著者が、マスコミ情報に頼らず、自分の足で取材し、事件関係者らの「生の言葉」から、この事件の意味を問い直す。



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by yomodalite | 2009-11-27 15:44 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

徹底抗戦/堀江貴文

読みたい本が手に入らない。そんな活字ギレ症状から、こんな本も。

読書前から、堀江氏は本当に気の毒だと思っていましたし、日本の司法の怖さは、刑事事件での数々の冤罪疑惑、鈴木宗男、佐藤優両氏の逮捕長期勾留、植草一秀の痴漢逮捕、小沢秘書の逮捕。。などから痛感し、最近特に司法権の乱用が目立っていると感じていました。

本書で堀江氏が主張しているように、宮内氏主導の犯罪を社長である堀江氏になすりつけることも、検察の筋書き通りなら、宮内元副社長の横領容疑を起訴しない、というやり方に「徹底抗戦」するのは困難を極めるでしょう。

司法の主人が日本国民ではないということの実例は古くは「ロッキード事件」が思い出されますが、ロッキード事件の不可思議さに気付かされたのは、事件後かなりの時間が必要でしたが、最近では、一時集中的に報道するものの、司法の正しさが信じられている期間は短く、一年後には逮捕容疑者による出版本が売れて容疑者への支持が集まる、ということも、もう慣例になっているような気がしますが、片棒を担いで一斉報道したマスコミも、一向に反省もしなければ、検察批判をすることもありませんね。

検察の横暴は重要な問題ですけど、ホリエモンのこの本は、「国策捜査」の名を知らしめた『国家の罠』のようなパワーを秘めた著作とは異なり、堀江氏が自ら分析したように、

「露悪趣味があるから、言葉を省略し過ぎるし、同時に自分が善玉に見られることのむず痒さがあって、ぶっきらぼうに思われる発言をたくさんした。その結果、モラルのない人間の代表と見られるようになった」

という逮捕前までのホリエモン節とあまり変わらない、ITにも、金融にもまったく興味がない“ヤンキー”にすら、届く可能性のある軽い本。本当にお気の毒な境遇にあることは間違いないのですけど、あまり同情も、支持する気持ちも湧いてこないのは、人徳でしょうか。

ただ、この人は服役中に読書三昧の生活をおくるうちに、ものすごく化けて帰ってきそうだな〜という期待は少ししてます。(無責任すぎるんとちゃう?自分)

★★★(ガンバレ!ほりえもん。君はまだ若い)

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【内容紹介】2年前に“国策捜査”で逮捕・起訴され、現在、最高裁に上告中の元ライブドア社長・堀江貴文氏。
数年前、日本を騒がせた「ホリエモン旋風」と「ライブドア事件」について、マスコミ報道は山のようにあったが、堀江氏から見えていた風景はまったく違うものだった。それを自ら書き下ろすことで、「ホリエモンとライブドアの真実」を明らかにし、堀江氏逮捕がいかにおかしな、検察の暴走・横暴によるものだったかを明らかにする。

近鉄買収、ニッポン放送・フジサンケイグループ買収、総選挙出馬、国策捜査・逮捕、仲間たちの裏切り、拘置所での暮らし、裁判、有罪判決、そしてこれからの夢…。特に堀江氏が東京地検特捜部に逮捕され有罪判決を受けた点は、今の検察・裁判所がいかに腐った危うい組織であるかを浮かび上がらせる。と同時に、生意気でふてぶてしい青年という印象だった堀江氏が、実はけっこう真っ直ぐでエネルギー溢れてていいヤツだったとか、ライブドア事件は山のように報道されたが、実はその真相は全然伝わっていなかったということもわかる。 集英社 (2009/3/5)





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by yomodalite | 2009-06-26 15:44 | 裁判・法律・犯罪 | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


by yomodalite