カテゴリ:映画・マンガ・TV( 123 )

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『FOUJITA』が始まる前にやっていた予告編で観たくなった映画。今回の上映は、1969年の映画をデジタルリマスターしたもの。






平日のお昼に観たのですが、予想以上に人が入っていて驚いたのですが、ピロスマニは、加藤登紀子さんなどの歌でおなじみの「百万本のバラ」のモデルだったんですね。

でも、酒場で見初めた踊り子マルガリータへの思いや、バラのエピソードというのは、この映画が描きたかったこととは少し異なっているようで、

私には、ロシアやトルコやイランに挟まれ、世界で2番目にキリスト教を国教化したグルジアの原始キリスト教の雰囲気や、その信仰に忠実であろうとしたことで、中央の画壇に高く評価されつつも、そこから離れていかざるをえなかったピロスマニの孤独な生き方が印象に残りました。


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また、ロシア帝国から独立したグルジアには、今、毎日のように考えている「HIStory Teaser」に登場するハンガリーに共通する部分もあったり、グルジア文字という優美なフォルムをもつ文字にも惹かれて、同じグルジア出身のパラジャーノフの映画とは、また少し違うグルジアを感じたり・・・

最近めったと買わなくなったパンフレットも、今回めずらしく買ってしまいました。

リマスターの都合なのか、通常の映画サイズではなく、昔のテレビのように左右がカットされているので、映画館に行かれる方は、いつもより少し前でご覧になってもいいかもしれません。


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by yomodalite | 2015-12-09 17:18 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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画家、藤田嗣治の波乱の生涯を描いた、小栗康平監督の10年ぶりの映画。

1920年代のパリで、知らぬ者がいないと言われるほど成功した様子も、敗戦後、戦争画を描いたことで戦争責任を問われ、再びフランスに渡ることになった経緯も、5度の結婚から想像されるような華やかな女性関係も、そして、藤田の人生の背後にいつもあった戦争の悲惨さについても、十分な描写とは言えないのだけれど、フランスと日本の風景は、両方とも静謐で美しく、そしてある意味退屈で、ときどき幻想的なシーンが現れる。

まったくの想像だけど、監督は、藤田に特別な興味があって、この映画を創ろうとしたのではなく、たまたま(おそらく、フランス側の要望で)撮ることになった藤田を通して、芸術家の生き方を考えながら、探り探り、この映画を撮ったのではないだろうか。

主演のオダギリジョーは、NHK「SWITCHインタビュー」で、舘鼻則孝と対談したとき、「技術と感性のバランスって難しくないですか?」と聞いていたのが印象的だったのだけど、小栗監督もなにか、まとめることを拒むようなセンスで、この映画を創ったような・・・小栗作品を観るのはこれが初めてなので、なんとなく、そう思っただけなのだけど。

フランスついて、今の私は、「無神論の国」というイメージが一番先にくるのだけど、そのせいなのか、この映画の藤田嗣治が、芸術の都を謳歌した狂乱の時代のパリに受け入れられ、帰国後の日本で、戦争画を描き、再びフランスに戻って、カトリックの洗礼を受けた。ということが、モンパルナス、セーヌ川・・自由の国フランス!とだけ思っていたときよりも、自分にはしっくりと感じられた。

カトリックの国の「無神論」はわかりやすい。

教会も、彫刻も、フレスコ画も、石で出来ていて、何百年も遺されている。

そして、対比が明確なものは、光と影のように一対でもある。

浮世絵などの日本文化や、藤田がフランスで高く評価されたのも、フランスが、カトリックの「無神論」だったからで、アメリカにあるプロテスタントの「無神論」ではありえなかった。

エンディングでは、いくぶん唐突に、藤田の礼拝堂(ノートルダム・ド・ラ・ペ教会)が映る。

私には、藤田が描いた晩年の宗教画は、モンパルナスで大成功した時代の絵よりも美しく見えるのだけど、小栗監督は、それを最後に見せながらも、少し迷いながら撮っているように感じた。でも、それもこの映画を美しくしている点だったのかもしれない。


そんな風に感じながら、映画を観ていたのだけど、家に帰ってこれを書いているうちに、

前述の番組で、「藤田の顔は真似しやすいですよね。誰でも似せられるというか、そんなところも藤田は、考えていたんじゃないですかね」と、オダギリジョーが言っていたことを思い出した。

藤田は、モンパルナス時代、その絵が評価されただけでなく、フランス語の綴り「Foujita」から「FouFou(フランス語でお調子者の意)」と呼ばれて親しまれていたのだけど、そういえば、藤田のルックスは、三バカ大将のモーの髪型と、チャップリンとヒトラーのチョビ髭と、ハロルド・ロイドの丸メガネがすべてミックスされている。



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でも、この4人の中で一番年上なのは、藤田で、その名が知られるようになったのも彼らより後ではなかったのだ。

( )内は誕生日

藤田嗣治(1886年11月27日)
1917年頃に初めて絵が売れ、3か月後に初めての個展を開く。この最初の個展で、著名な美術評論家が序文を書き、高値で売れるようになる。翌1918年の終戦によって、さらに名声が高まり、1925年にはフランスからレジオン・ドヌール勲章、ベルギーからレオポルド勲章を贈られた。

ヒトラー(1889年4月20日)
1923年にミュンヘン一揆の首謀者となり、一時投獄されるも、出獄後合法的な選挙により勢力を拡大した。1933年にドイツ国首相

チャップリン(1889年4月16日)
1909年、パリ巡業。1910年、寸劇『スケート』や『ワウワウ』に主演し好評を博す。1918年、ハリウッドに自身の撮影スタジオを設け、年間100万ドル超の契約を結び、名実ともに世界的ビッグスターとなる。

ハロルド・ロイド(1893年4月20日) 
1917年、『ロイドの野球Over the Fence』で初めて眼鏡キャラクター"The Boy"になった。

三バカ大将のモー(1897年6月19日)
モー、ラリー、カーリーによる三バカ大将は、1934年にコロンビア映画と専属契約を結び、「三ばか大将」をメインタイトルに頂く短編シリーズが始まる。子役出身のモーは、このメンバーに固まる前の1920年代初頭から活躍している。


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by yomodalite | 2015-12-03 10:22 | 映画・マンガ・TV | Trackback(1) | Comments(0)

ラスト ナイツ [DVD]

クライヴ・オーウェン,モーガン・フリーマン,クリフ・カーティス



『ラストナイツ』はモーガン・フリーマン、クライヴ・オーウェンという豪華キャストを主演に迎え、5年の歳月をかけて完成された紀里谷監督のハリウッドデビュー作。

紀里谷監督は、日本の監督としてはめずらしくヒーローをテーマに映画を撮られていて、これまで映像美に惹かれて、『CASSHERN』『GOEMON』という前作の2本も観てはいるんですが、「新造人間キャシャーン」も、歌舞伎の石川五右衛門も、2時間映画として、完成された物語になるはずなのに、どうして、こんなに眠くなってしまうのか・・脚本は監督自身が書くのではなく、別の人だったら・・

また、美術的にはすばらしいものの、その美的センスから、色調が統一され過ぎていて、2時間通してみると、変化に乏しく思えてしまう・・という私の不満は、今回の映画ではどうだったかといえば、

一言でいえば、改善されていました(何様ww)

「忠臣蔵」をベースにした脚本は、外国人によるもので、脚本が気に入って、監督は映画を撮ろうと思ったらしく、これまでのCG色を全面に押し出したことによる、創りこんではいても、平板に見えてしまう背景は、ハリウッド映画によくある感じになっていて奥行きが感じられ、美術的なすばらしさは、皇帝や兵士たちの衣装や、城の造形に生かされ、キャストも全員ハマっています。

浅野内匠頭に相当する役(バルトーク)は、モーガン・フリーマンなので、だいぶ「賢者」にはなっていますが、少し見どころが少ない印象で、大石内蔵助(ライデン)の、クライヴ・オーウェンは、緒形拳の感じだけど、あそこまでの人物描写が描かれる時間はなく、吉良上野介(ギザモット)の、アクセル・ヘニーは、伊丹十三を見て研究したでしょう。という感じ。

クライヴ・オーウェンと騎士対決をする伊原剛志は、存在感があって素敵なんだけど、髪型が惜しいw。もっとカッコよく映れる俳優さんのはずなのに・・

そんなわけで、やっぱり、「忠臣蔵」は、2時間では無理があるとは思いましたが、紀里谷監督のハリウッド2作目もたぶん観に行くような気がする。

◎ラストナイツ公式サイト





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by yomodalite | 2015-11-21 11:45 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

ミケランジェロ・プロジェクト [DVD]

ジョージ・クルーニー,マット・デイモン,ビル・マーレイ



監督・脚本・製作・主演:ジョージ・クルーニーという『ミケランジェロ・プロジェクト』(原題:Monuments Men)は、

「ヒトラーの命を受け、ドイツ軍は侵攻した欧州各国の美術品を略奪。それに危機感を抱いたハーバード大学付属美術館の館長ストークス(ジョージ・クルーニー)はルーズベルト大統領を説得し、美術品や歴史的建造物を保護する部隊(モニュメンツ・メン)を結成する。

中世美術に精通したグレンジャー(マット・デイモン)、建築家キャンベル(ビル・マーレイ)、彫刻家ガーフィールド(ジョン・グッドマン「Black or White」のパパ役の人!)など多彩なメンバーとともに、ヨーロッパ各地を奔走する・・・

という映画。


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ミケランジェロの「聖母子像」だけでなく、


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フェルメールの「占星術師」や、


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ヴァン・エイク兄弟の「ヘントの祭壇画」など、数多くの絵画を次々に探し出していくのですが、同時に、戦争の中でメンバーは失われていく。

クルーニー扮するストークス館長は言う。
「建物が壊れ、人口が減少したとしても、また復興できる。しかし、文化や歴史が一度でも途絶えてしまったら、もう取り返しがつかない」
「武士は、戦場で、命を捨てることが名誉であり、役者は、舞台で倒れることが本望といわれてまいりました。今日でも、人間にとって、仕事場で死ぬということができれば、それは、本人の幸福であるといえましょう」しかも、聖母子像を守って死んだ人物は、自らの命をもって、文化と歴史を守ったのです。これほど価値のある死があるでしょうか!」

たしかに、自分が、戦争の時代に生きていたら、こんな仕事で命を落とすのが、一番納得できるかなぁ。。でも、この映画の本当の見どころは、名画とか、ロケ地のひとつであるノイシュバンシュタイン城ではなく、

クルーニーをはじめ、出演者たちの多くが「煙草を吸う」ところでしょう。

私の個人的感想だけでなく、この映画の重要な場面で、煙草が登場するシーンが多いのは、クルーニーの大きな意図にちがいありません。だって、エンドクレジットに登場した、クルーニーのプロダクションの名前が、

「Smokehouse Pictures」なんですから。

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by yomodalite | 2015-11-19 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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こちらは、スティーブ・ハーヴェイ、 D・L・ヒューリー、セドリック・ジ・エンターテイナー、バーニー・マックという4人の黒人コメディアンによるツアー「Kings of Comedy」の評判を聞きつけたスパイク・リーがドキュメント映画にしたもの(2000年公開)。

スティーブ・ハーヴェイは、1996年から2000年まで放映されていたコメディ番組「The Steve Harvey Show」や、2013年から始まった各界の著名人とのトーク番組「Steve Harvey」のホストとして、現在も大人気なんですが、

MJへの疑惑がどのように創られて行ったかを詳細に著した、雑誌『GQ』の特集記事「マイケル・ジャクソンは嵌められたのか」を熱心に紹介してくれて、


マイケルは、2002年にスティーブのラジオインタヴューで、

「君のショー “Kings of Comedy” でやったタイタニックのネタは、僕が見た中で最高におかしかったものだよ」「僕は、君の番組を見て、いつも爆笑してる、いつも見てるよ」

と答えていて、その後、2003年の誕生日パーティーの司会や、また2005年の裁判のときなど、幾度となくMJの側で支えてくれた方。


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MJ好きで、コメディ好きな私は、このショーがずっと見たかったんですが、日本版のDVD販売はなく、海外版のDVDは英語字幕もないうえに高額で、日本版のVHSもなかなか手に入らないし、、ということで、しかたなく、聞き流しているうちに、何を言っているかわかるようになる。という遼君の言葉を信じて、英語版のVHSを何度も見てたんですけど、

ちょっぴりわかったのは、テーブルをひっくり返して、ハンカチ、、あ、これが「タイタニック」ネタだ。。とか、テンプテーションの「ワン・マイク」と、ヒップホップのショーの違いぐらいで、あとは「ガッデム」と「マザーファッカー」しか聴き取れなかったんですけどw

最近ようやく日本版のVHSを手に入れて、念願の「字幕つき」で、爆笑することができました!

ショーは、私がこれまでに見た黒人コメディアンのショー中でも、最高に「黒いネタ」が満載で、4人のコメディアンは、すべて、白人はこうだけど、俺たち黒人は、、というネタに徹していて、9割が黒人客という中、人種差別や、自虐ネタ、SEXから、幼児虐待までw、これでもかっていうぐらい「アンチMJな世界」が、怒涛のごとく繰り広げられ(笑)、最後に登場するバーニー・マックは、私たちにはなかなかわからない、黒人の「マザーファッカー」という言葉の使い方についての解説もしてくれます(笑)

スティーブ・ハーヴェイはMCなので、何度も登場し、その度に、神や、音楽の素晴らしさ、そして一番大事なのは「愛」だということを人々に説きます。彼なりのやり方で(笑)。そして、「俺はオールドスクールの音楽が好きだ」と言って紹介された中でも、最高のラブソングとして、もっとも会場が盛り上がった曲は、私の知らない曲でした。






この曲をサンプリングして、
カニエ・ウェストがプロデュースした曲。






スティーブ・ハーヴェイと、リチャード・プライヤーは同一人物かと思うほど顔が似てるけど、エディ・マーフィーっぽいネタはないし、コメデイファンならずとも笑っぱなしかどうかは、差別ネタや下ネタへの耐性にもよるかと。。ちなみにMJネタはありません。



《おまけ》
こちらはスティーブの番組の人気コーナー
「スティーブに聞いてみよう」で、
マイケルについてのエピソードを
語っている動画(2014年)




(動画の内容)MJファンらしい質問者から彼とのエピソードに求められ、スティーブは『You Rock My World』の撮影現場に遊びにいった話を披露。MJは大きなトレーラーでそこに来ていて、案内されて中に入ると、そこはディズニーランドのような装飾がなされていて、テーブルセットの椅子は、なんと「きのこ」の形だったそうです(笑)。マイケルが優しく笑ってすすめるので、座ってはみたものの、きのこの傘の部分が尖っててケツが痛くて(笑)すっごく居心地悪かったと(笑)。外では、ヘンゼルとグレーテルのような白人ぽい子供たちが走り回ってたんだけど、それがマイケルの子供でさ。。みたいなことを言ってるようです。。




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by yomodalite | 2015-09-10 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

映画『ラブ&マーシー』

ラブ&マーシー 終わらないメロディー [DVD]

ジョン・キューザック,ポール・ダノ,エリザベス・バンクス



初めてビーチボーイズの『ペット・サウンズ』を聴いたのは、当時つきあっていた男の影響で、「これは、ビートルズの『ラバーソウル』に刺激されたブライアン・ウィルソンが、ツアーに行くメンバーからひとり離れ、一流スタジオミュージシャンたちと創ったアルバムで、ポール・マッカートニーは『ペット・サウンズ』に追いつこうとして、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を創ったんだ」という、そんな誰もが言うような説明とともに、『ペット・サウンズ』を貸してくれた。

最初から傑作だと知っていた『サージェント〜』と違って、ヘッドホンで初めて聴いた『ペット・サウンズ』は、まるで、砂浜だと思っていた歩いていたところが、すべてダイアモンドが敷き詰められていたことがわかったような衝撃で、

当時は自分もバカラックや、フィル・スペクターのように音楽プロデューサーになりたいと思っていたその男は、ビーチボーイズのメンバーのほとんどが、サーフィンなど出来ない、オタク少年たちで、数え切れないほど録音された『グッドヴァイブレーション』や、幻のアルバム『スマイル』の膨大なブートレグ音源や、その後の『スマイリー・スマイル』発売のいきさつ、といった有名エピソードについても教えてくれて、私は、少し前に中毒になっていた『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』から離れてつかの間の間、ビーチボーイズの中毒になった。

ブライアンが創り出した目眩くような音の快感に溺れたことで、私ははじめて、ミュージシャンのスタジオワークについて、想像ができるようになったような気がする。『グッドヴァイブレーション』の中毒から、しばらく経って、同じように中毒になったのが、マイケルの『イン・ザ・クローゼット』だった。

『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と、『ペット・サウンズ』は、そのどちらも甲乙つけがたい傑作だけど、『ペット・サウンズ』の音創りで精神に異常をきたした、ブライアンウィルソンの方に、私は親近感を抱いて、それからしばらく経って、彼の自伝も買った。


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そんなことすべてが、もうずいぶん昔のことで、二段組で3センチぐらい厚みのある、その本の内容について、今覚えていることはほとんどなく、そもそも全部読めなかった気もする。ブライアンほどではなかったかもしれないけど、この本を買った頃は、私も充分に鬱だったから。

どうして今頃その自伝を元に映画が作られたのかは疑問だったけど、彼が長く苦しい時期を乗り越えたことを見届けるのは、私にとって、今が一番いいタイミングのような気がして、劇場に足を運んだ。

監督は無名で、どんな映画になっているか不安でいっぱいだったけど、ブライアンの若い頃を演じたポール・ダノも、後年を演じたジョン・キューザックも、ブライアンの無垢な音楽への情熱と魂をよく表現していて、精神科医との物語は、自伝の印象とは少し異なるものの、とても素敵な音楽映画になっていた。

村上春樹によれば、「世の中には2種類の人間がいる。『ペット・サウンズ』を聴いたことがある人間とそうではない人間」(ジム・フジーリ著『ペット・サウンズ』解説より)だそうです。

まだだった人は是非!



Behind The Sounds: Wouldn't It Be Nice




Good Vibrations - Rare Studio Recording Film Footage




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by yomodalite | 2015-08-07 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

ターナー、光に愛を求めて [DVD]

ティモシー・スポール,ドロシー・アトキンソン,マリオン・ベイリー,ポール・ジェッソン,レスリー・マンヴィル




今まで、ターナーの絵を一度も好きだと思ったことがなく、画家個人についてもほとんど知らなかったのですが、この映画は興味をもたせてくれるきっかけになるかも。と思い、劇場に足を運びました。映画館に足を運ぶ理由として、劇場向きの映画かどうかも気になるところですが、ターナーの風景画の魅力は、スクリーンに相応しい気がしたんですね。

ただ、冒頭で彼の絵を思わせる黄色がかった美しい風景の中に、ティモシー・スポールが演じるターナーが登場すると、そのでっぷりした太り方や、まったく教養が感じられない顔立ちだけでなく、常にブヒブヒという、まるで豚のような呼吸の仕方に加えて、市場で豚の頭を買って食する場面さえもあって、ターナーのみならず、彼の父親や、男女関係があった下女なども含めて、リアルな人間像という以上の醜悪さが感じられ、

それが、実際の人物よりも何倍も美しい容姿の俳優たちで創られているハリウッド映画へのアンチテーゼなのか、英国の階級社会へのシニカルな見方からなのか、幼い頃のターナーが通常の学校教育を受けず、父親の元で特殊な教育環境にあったとはいえ、いささか「やり過ぎ」ではないかという思いは、エンディングまで続きました。

英国にはターナー以外の画家はいないと称されるほどの国民画家に対して、マイク・リーが描きたかったのは、美しい風景画が描かれた「背景」でも、画家の「内面」でもなく、

女性の自然科学者サマヴィル夫人によるプリズム実験に感化され、色彩と光についての持論を講義する場面など、ターナー作品を語るうえで重要と思われるエピソードについても、重要視しているように思われませんでしたが、まったく笑いのない『モンティ・パイソン』というか、久しくなかった、純粋なイングリッシュ・メイドだということは強烈に感じました。

私は、下女の演技を見て、何度も「エリック・アイドルか!」とツッコミたくなりましたが、英国の演劇学校では、下女のステロタイプとして、ああいった演技術が確立しているんでしょうか。

この映画の中のターナーに「慣れる」のに時間がかかり、またストーリーに特別なところもないのですが、なぜか150分を長いとは感じず、ターナーについて、今まで以上に興味をもったことも確かで、『秘密と嘘』だけで興味を失っていたマイク・リー監督についても、「こうなったら、すべて観てやる!」と、なにか燃え上がるようなものも感じました。

ほんの一瞬ですけど(笑)



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by yomodalite | 2015-08-02 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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なんとなく気になっていたけど、観ていなかった映画を見るシリーズ。
これは2001年の映画で、ミック・ジャガーの演技に興味があって観てみました。


☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2015-07-09 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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オバマ大統領が同性間結婚を支持し、連邦最高裁判所は、同性婚をアメリカの全州で合法だという判断をした。というニュースを見て、これは「共和党つぶし」ではないかと思ったんですね。前回のロムニー候補はモルモン教徒でしたが、今後、共和党の候補者はますます人選に苦慮することになると。

ただ、これまでの保守派とリベラルという枠組みが壊れて、それぞれの支持者にねじれが起きているのは、日本だけでなく、世界的なことで、これは二大政党の話というよりは、建国の理念や、一神教の根本を見直すという動きなのかもしれません。

最近、フランシスコ法皇が、教会史上初めて、夫婦を聖人として認定するという発表もあって、カトリック教会の周辺も熱いのですが、こちらも、カトリック神父の妻帯を認めるための布石なのではないかと思いました。

イスラム教徒の増加に反して、現在キリスト教はカトリック、プロテスタント共に信者が激減し、現在のフランシスコ法皇は、改革を担う人物として期待されていて、今後のカトリックの巻き返しには、興味津々な私なのですが、米国に多いプロテスタント系は、宗派がありすぎて、ひとつにまとまるのがむずかしく、同性間の恋愛禁止や中絶を、政治家を選ぶ基準に考えてきた勢力は、これにより、力を削がれていくのか、あるいは、新たな目標をみつけて、ひとつにまとまろうとするのか、そこも、興味深いなぁなどと思っていたところ、

偶然にも、マーロン・ブランドの晩年に共演した俳優の監督作として、ジョニー・デップだけでなく、エドワード・ノートンの監督作も見てみなくちゃと、いう動機で、『僕たちのアナ・バナナ』を観てみたら、

この映画は、アイルランド系のカトリックの神父と、キャリアウーマンと、ユダヤ人のラビの3人の男女による、ニューヨークを舞台にした「トレンディドラマ」で、カトリックと、ユダヤ教の宗派を超えた友情とか、それぞれの信者を改革していく様子が描かれていて、2000年の映画ではあるものの、自分的にはなんだかタイムリーな話でした。

マンハッタンで育った、ジェイク(ベン・スティラー)と、ブライアン(エドワード・ノートン)、そしておてんばな女友達アナ。アナがカリフォルニアに引っ越した後も、ジェイクとブライアンは大親友のまま、幼い頃から神学に興味をもっていたふたりは、それぞれ、ユダヤ教のラビと、カトリックの神父になる。

これまでの伝統や、宗教の垣根を破り、教会の改革派として大人気の聖職者となったふたりの元に、ビジネスウーマンとして成功したアナがニューヨークに戻ってくる。禁欲が第一条件である神父とちがい、結婚することで信頼され、会堂(シナゴーグ)をまかされるラビの元には女性が集まり、ジェイクは彼女たちともつきあい、ニューヨークにいる間の関係として、アナともつきあうようになる。。。

『僕たちのアナ・バナナ』の原題は、Keeping the Faith で、音楽は名画作曲家として、MJも大好きなエルマー・バーンスタイン。

宗教や人種間の問題になじみがない日本人にとって、あまり共感をよばない内容ではあるものの、すばらしい俳優陣を揃え、甘いというよりは、あえて、シニカルさを抑えた上質なドラマだと私は思いました。




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by yomodalite | 2015-07-03 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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前作を観たのはいつだったか、どんな作品だったかも覚えてなくて、作品リストを見てみたら、『裸のランチ』以来だったので、もう20年以上も経っていた。そんなクローネンバーグ監督の2014年の映画を観る。

プラネタリウムの星空のように甘く美しいオープニング映像のあと、顔にやけどの跡がある少女が、ハリウッドセレブの邸宅をめぐるプライヴェートツアーに出かけると、「マップ・トゥ・ザ・スターズ」の意味は、あっという間に不吉なものへと反転する。

ハリウッドに渦巻く邪悪さのすべてが散りばめられているようなこの映画では、ジェットコースターのように、上ったり降りたりなんかせず、ただ、もう清々しいほど一直線に、地獄への道を走っていく。

でも、そんな邪悪なストーリーの中に、なぜか、わたしの少女時代のスターのひとりだった、ポール・エリュアールの詩が何度も登場して、それで、クローネンバーグの映画と同じぐらい、久しぶりに『エリュアール詩集』(思潮社1969年版)を開いてみました。

私にとって、少女時代に出会ったシュルレアリスムは、日常を幻想に変えて見せてくれる「魔法」で、、J’écris ton nom の日本語は、ぼくは書く おまえの名を」じゃないと、なんだか感じがでなくて。

そんなわけで、映画の訳とはちがいますが、

私にはなじみ深い安東次男訳の『自由』を。



Liberté 
Paul eluard

Sur mes cahiers d’écolier
Sur mon pupitre et les arbres
Sur le sable sur la neige
J’écris ton nom

ぼくの生徒の日のノートの上に
ぼくの学校机と樹々の上に
砂の上に 雪の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur toutes les pages lues
Sur toutes les pages blanches
Pierre sang papier ou cendre
J’écris ton nom

読まれたすべての頁の上に
書かれていないすべての頁の上に
石 血 紙あるいは灰に
ぼくは書く おまえの名を

Sur les images dorées
Sur les armes des guerriers
Sur la couronne des rois
J’écris ton nom

金色に塗られた絵本の上に
騎士たちの甲冑の上に
王たちの冠の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur la jungle et le désert
Sur les nids sur les genêts
Sur l’écho de mon enfance
J’écris ton nom

密林の 砂漠の 上に
巣の上に えにしだの上に
ぼくの幼年の日のこだまの上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur les merveilles des nuits
Sur le pain blanc des journées
Sur les saisons fiancées
J’écris ton nom

夜々の奇跡の上に
日々の白いパンの上に
婚約の季節の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur tous mes chiffons d'azur
Sur l'étang soleil moisi
Sur le Lac lune vivante
J'écris ton nom

青空のようなぼくの襤褸の上に
くすんだ日の映る 池の上に
月のかがやく 湖の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur les champs sur l'horizon
Sur les ailes des oiseaux
Et sur le moulin des ombres
J'écris ton nom

野の上に 地平線に
小鳥たちの翼の上に
影たちの粉挽き場の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur chaque bouffée d'aurore
Sur la mer sur les bateaux
Sur la montagne démente
J'écris ton nom

夜明けの一息ごとの息吹の上に
海の上に そこに泛ぶ船の上に
そびえる山の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur la mousse des nuages
Sur les sueurs de l'orage
Sur la pluie épaisse et fade
J'écris ton nom

雲たちの泡立てクリームの上に
嵐の汗たちの上に
垂れこめる気抜け雨の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur les formes scintillantes
Sur les cloches des couleurs
Sur la vérité physique
J'écris ton nom

きらめく形象の上に
色彩のクローシュの上に
物理の真理の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur les sentiers éveillés
Sur les routes déployées
Sur les places qui débordent
J'écris ton nom

めざめた森の小径の上に
展開する道路の上に
あふれる広場の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur la lampe qui s'allume
Sur la lampe qui s'éteint
Sur mes maisons réunies
J'écris ton nom

点くともし灯の上に
消えるともし灯の上に
集められたぼくの家たちの上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur le fruit coupé en deux
Du mirroir et de ma chambre
Sur mon lit conquille vide
J'écris ton nom

二つに切られたくだもののような
ぼくの部屋のひらき鏡の上に
虚ろな貝殻であるぼくのベットの上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur mon chien gourmand et tendre
Sur ses oreilles dressées
Sur sa patte maladroite
J'écris ton nom

大食いでやさしいぼくの犬の上に
そのぴんと立てた耳の上に
ぶきっちょな足の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur le tremplin de ma porte
Sur les objets familiers
Sur le flot du feu béni
J'écris ton nom

扉のトランプランの上に
家具たちの上に
祝福された焔むらの上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur toute chair accordée
Sur le front de mes amis
Sur chaque main qhi se tend
J'écris ton nom

とけあった肉体の上に
友たちの額の上に
差し伸べられる手のそれぞれに
ぼくは書く おまえの名を

Sur la vitre des surprises
Sur les lèvres attentives
Bien au-dessus du silence
J'écris ton nom

驚いた女たちの顔が映る窓椅子の上に
沈黙の向うに
待ち受ける彼女たちの唇の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur mes refuges détruits
Sur mes phares ecroulés
Sur les murs de mon ennui
J'écris ton nom

破壊された ぼくの隠れ家たちの上に
崩れおちた ぼくの燈台たちの上に
ぼくの無聊の壁たちの上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur l'absence sans désir
Sur la solitude nue
Sur les marches de la mort
J'écris ton nom

欲望もない不在の上に
裸の孤独の上に
死の足どりの上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur la santé revenue
Sur le risque disparu
Sur l'espoir sans souvenir
J'écris ton nom

戻ってきた健康の上に
消え去った危険の上に
記憶のない希望の上に
ぼくは書く おまえの名を

Et par le pouvoir d’un mot
Je recommence ma vie
Je suis né pour te connaître
Pour te nommer

Liberté.

そしてただひとつの語の力をかりて
ぼくはもう一度人生を始める
ぼくは生まれた おまえを知るために
おまえに名づけるために

自由(リベルテ)と。

安東次男訳


この詩は、エリュアールと別れて、ダリ夫人になったガラ(この名前もエリュアールが名づけた)との時代ではなく、その後に知り合ったニッシュ(=ヌーシュ。やはりエリュアール命名)との時代に書かれたもの。。





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by yomodalite | 2015-07-02 07:32 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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