カテゴリ:映画・マンガ・TV( 119 )

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こちらは、スティーブ・ハーヴェイ、 D・L・ヒューリー、セドリック・ジ・エンターテイナー、バーニー・マックという4人の黒人コメディアンによるツアー「Kings of Comedy」の評判を聞きつけたスパイク・リーがドキュメント映画にしたもの(2000年公開)。

スティーブ・ハーヴェイは、1996年から2000年まで放映されていたコメディ番組「The Steve Harvey Show」や、2013年から始まった各界の著名人とのトーク番組「Steve Harvey」のホストとして、現在も大人気なんですが、

MJへの疑惑がどのように創られて行ったかを詳細に著した、雑誌『GQ』の特集記事「マイケル・ジャクソンは嵌められたのか」を熱心に紹介してくれて、


マイケルは、2002年にスティーブのラジオインタヴューで、

「君のショー “Kings of Comedy” でやったタイタニックのネタは、僕が見た中で最高におかしかったものだよ」「僕は、君の番組を見て、いつも爆笑してる、いつも見てるよ」

と答えていて、その後、2003年の誕生日パーティーの司会や、また2005年の裁判のときなど、幾度となくMJの側で支えてくれた方。


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MJ好きで、コメディ好きな私は、このショーがずっと見たかったんですが、日本版のDVD販売はなく、海外版のDVDは英語字幕もないうえに高額で、日本版のVHSもなかなか手に入らないし、、ということで、しかたなく、聞き流しているうちに、何を言っているかわかるようになる。という遼君の言葉を信じて、英語版のVHSを何度も見てたんですけど、

ちょっぴりわかったのは、テーブルをひっくり返して、ハンカチ、、あ、これが「タイタニック」ネタだ。。とか、テンプテーションの「ワン・マイク」と、ヒップホップのショーの違いぐらいで、あとは「ガッデム」と「マザーファッカー」しか聴き取れなかったんですけどw

最近ようやく日本版のVHSを手に入れて、念願の「字幕つき」で、爆笑することができました!

ショーは、私がこれまでに見た黒人コメディアンのショー中でも、最高に「黒いネタ」が満載で、4人のコメディアンは、すべて、白人はこうだけど、俺たち黒人は、、というネタに徹していて、9割が黒人客という中、人種差別や、自虐ネタ、SEXから、幼児虐待までw、これでもかっていうぐらい「アンチMJな世界」が、怒涛のごとく繰り広げられ(笑)、最後に登場するバーニー・マックは、私たちにはなかなかわからない、黒人の「マザーファッカー」という言葉の使い方についての解説もしてくれます(笑)

スティーブ・ハーヴェイはMCなので、何度も登場し、その度に、神や、音楽の素晴らしさ、そして一番大事なのは「愛」だということを人々に説きます。彼なりのやり方で(笑)。そして、「俺はオールドスクールの音楽が好きだ」と言って紹介された中でも、最高のラブソングとして、もっとも会場が盛り上がった曲は、私の知らない曲でした。






この曲をサンプリングして、
カニエ・ウェストがプロデュースした曲。






スティーブ・ハーヴェイと、リチャード・プライヤーは同一人物かと思うほど顔が似てるけど、エディ・マーフィーっぽいネタはないし、コメデイファンならずとも笑っぱなしかどうかは、差別ネタや下ネタへの耐性にもよるかと。。ちなみにMJネタはありません。



《おまけ》
こちらはスティーブの番組の人気コーナー
「スティーブに聞いてみよう」で、
マイケルについてのエピソードを
語っている動画(2014年)




(動画の内容)MJファンらしい質問者から彼とのエピソードに求められ、スティーブは『You Rock My World』の撮影現場に遊びにいった話を披露。MJは大きなトレーラーでそこに来ていて、案内されて中に入ると、そこはディズニーランドのような装飾がなされていて、テーブルセットの椅子は、なんと「きのこ」の形だったそうです(笑)。マイケルが優しく笑ってすすめるので、座ってはみたものの、きのこの傘の部分が尖っててケツが痛くて(笑)すっごく居心地悪かったと(笑)。外では、ヘンゼルとグレーテルのような白人ぽい子供たちが走り回ってたんだけど、それがマイケルの子供でさ。。みたいなことを言ってるようです。。




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by yomodalite | 2015-09-10 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

映画『ラブ&マーシー』

ラブ&マーシー 終わらないメロディー [DVD]

ジョン・キューザック,ポール・ダノ,エリザベス・バンクス



初めてビーチボーイズの『ペット・サウンズ』を聴いたのは、当時つきあっていた男の影響で、「これは、ビートルズの『ラバーソウル』に刺激されたブライアン・ウィルソンが、ツアーに行くメンバーからひとり離れ、一流スタジオミュージシャンたちと創ったアルバムで、ポール・マッカートニーは『ペット・サウンズ』に追いつこうとして、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を創ったんだ」という、そんな誰もが言うような説明とともに、『ペット・サウンズ』を貸してくれた。

最初から傑作だと知っていた『サージェント〜』と違って、ヘッドホンで初めて聴いた『ペット・サウンズ』は、まるで、砂浜だと思っていた歩いていたところが、すべてダイアモンドが敷き詰められていたことがわかったような衝撃で、

当時は自分もバカラックや、フィル・スペクターのように音楽プロデューサーになりたいと思っていたその男は、ビーチボーイズのメンバーのほとんどが、サーフィンなど出来ない、オタク少年たちで、数え切れないほど録音された『グッドヴァイブレーション』や、幻のアルバム『スマイル』の膨大なブートレグ音源や、その後の『スマイリー・スマイル』発売のいきさつ、といった有名エピソードについても教えてくれて、私は、少し前に中毒になっていた『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』から離れてつかの間の間、ビーチボーイズの中毒になった。

ブライアンが創り出した目眩くような音の快感に溺れたことで、私ははじめて、ミュージシャンのスタジオワークについて、想像ができるようになったような気がする。『グッドヴァイブレーション』の中毒から、しばらく経って、同じように中毒になったのが、マイケルの『イン・ザ・クローゼット』だった。

『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』と、『ペット・サウンズ』は、そのどちらも甲乙つけがたい傑作だけど、『ペット・サウンズ』の音創りで精神に異常をきたした、ブライアンウィルソンの方に、私は親近感を抱いて、それからしばらく経って、彼の自伝も買った。


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そんなことすべてが、もうずいぶん昔のことで、二段組で3センチぐらい厚みのある、その本の内容について、今覚えていることはほとんどなく、そもそも全部読めなかった気もする。ブライアンほどではなかったかもしれないけど、この本を買った頃は、私も充分に鬱だったから。

どうして今頃その自伝を元に映画が作られたのかは疑問だったけど、彼が長く苦しい時期を乗り越えたことを見届けるのは、私にとって、今が一番いいタイミングのような気がして、劇場に足を運んだ。

監督は無名で、どんな映画になっているか不安でいっぱいだったけど、ブライアンの若い頃を演じたポール・ダノも、後年を演じたジョン・キューザックも、ブライアンの無垢な音楽への情熱と魂をよく表現していて、精神科医との物語は、自伝の印象とは少し異なるものの、とても素敵な音楽映画になっていた。

村上春樹によれば、「世の中には2種類の人間がいる。『ペット・サウンズ』を聴いたことがある人間とそうではない人間」(ジム・フジーリ著『ペット・サウンズ』解説より)だそうです。

まだだった人は是非!



Behind The Sounds: Wouldn't It Be Nice




Good Vibrations - Rare Studio Recording Film Footage




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by yomodalite | 2015-08-07 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

ターナー、光に愛を求めて [DVD]

ティモシー・スポール,ドロシー・アトキンソン,マリオン・ベイリー,ポール・ジェッソン,レスリー・マンヴィル




今まで、ターナーの絵を一度も好きだと思ったことがなく、画家個人についてもほとんど知らなかったのですが、この映画は興味をもたせてくれるきっかけになるかも。と思い、劇場に足を運びました。映画館に足を運ぶ理由として、劇場向きの映画かどうかも気になるところですが、ターナーの風景画の魅力は、スクリーンに相応しい気がしたんですね。

ただ、冒頭で彼の絵を思わせる黄色がかった美しい風景の中に、ティモシー・スポールが演じるターナーが登場すると、そのでっぷりした太り方や、まったく教養が感じられない顔立ちだけでなく、常にブヒブヒという、まるで豚のような呼吸の仕方に加えて、市場で豚の頭を買って食する場面さえもあって、ターナーのみならず、彼の父親や、男女関係があった下女なども含めて、リアルな人間像という以上の醜悪さが感じられ、

それが、実際の人物よりも何倍も美しい容姿の俳優たちで創られているハリウッド映画へのアンチテーゼなのか、英国の階級社会へのシニカルな見方からなのか、幼い頃のターナーが通常の学校教育を受けず、父親の元で特殊な教育環境にあったとはいえ、いささか「やり過ぎ」ではないかという思いは、エンディングまで続きました。

英国にはターナー以外の画家はいないと称されるほどの国民画家に対して、マイク・リーが描きたかったのは、美しい風景画が描かれた「背景」でも、画家の「内面」でもなく、

女性の自然科学者サマヴィル夫人によるプリズム実験に感化され、色彩と光についての持論を講義する場面など、ターナー作品を語るうえで重要と思われるエピソードについても、重要視しているように思われませんでしたが、まったく笑いのない『モンティ・パイソン』というか、久しくなかった、純粋なイングリッシュ・メイドだということは強烈に感じました。

私は、下女の演技を見て、何度も「エリック・アイドルか!」とツッコミたくなりましたが、英国の演劇学校では、下女のステロタイプとして、ああいった演技術が確立しているんでしょうか。

この映画の中のターナーに「慣れる」のに時間がかかり、またストーリーに特別なところもないのですが、なぜか150分を長いとは感じず、ターナーについて、今まで以上に興味をもったことも確かで、『秘密と嘘』だけで興味を失っていたマイク・リー監督についても、「こうなったら、すべて観てやる!」と、なにか燃え上がるようなものも感じました。

ほんの一瞬ですけど(笑)



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by yomodalite | 2015-08-02 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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なんとなく気になっていたけど、観ていなかった映画を見るシリーズ。
これは2001年の映画で、ミック・ジャガーの演技に興味があって観てみました。


☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2015-07-09 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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オバマ大統領が同性間結婚を支持し、連邦最高裁判所は、同性婚をアメリカの全州で合法だという判断をした。というニュースを見て、これは「共和党つぶし」ではないかと思ったんですね。前回のロムニー候補はモルモン教徒でしたが、今後、共和党の候補者はますます人選に苦慮することになると。

ただ、これまでの保守派とリベラルという枠組みが壊れて、それぞれの支持者にねじれが起きているのは、日本だけでなく、世界的なことで、これは二大政党の話というよりは、建国の理念や、一神教の根本を見直すという動きなのかもしれません。

最近、フランシスコ法皇が、教会史上初めて、夫婦を聖人として認定するという発表もあって、カトリック教会の周辺も熱いのですが、こちらも、カトリック神父の妻帯を認めるための布石なのではないかと思いました。

イスラム教徒の増加に反して、現在キリスト教はカトリック、プロテスタント共に信者が激減し、現在のフランシスコ法皇は、改革を担う人物として期待されていて、今後のカトリックの巻き返しには、興味津々な私なのですが、米国に多いプロテスタント系は、宗派がありすぎて、ひとつにまとまるのがむずかしく、同性間の恋愛禁止や中絶を、政治家を選ぶ基準に考えてきた勢力は、これにより、力を削がれていくのか、あるいは、新たな目標をみつけて、ひとつにまとまろうとするのか、そこも、興味深いなぁなどと思っていたところ、

偶然にも、マーロン・ブランドの晩年に共演した俳優の監督作として、ジョニー・デップだけでなく、エドワード・ノートンの監督作も見てみなくちゃと、いう動機で、『僕たちのアナ・バナナ』を観てみたら、

この映画は、アイルランド系のカトリックの神父と、キャリアウーマンと、ユダヤ人のラビの3人の男女による、ニューヨークを舞台にした「トレンディドラマ」で、カトリックと、ユダヤ教の宗派を超えた友情とか、それぞれの信者を改革していく様子が描かれていて、2000年の映画ではあるものの、自分的にはなんだかタイムリーな話でした。

マンハッタンで育った、ジェイク(ベン・スティラー)と、ブライアン(エドワード・ノートン)、そしておてんばな女友達アナ。アナがカリフォルニアに引っ越した後も、ジェイクとブライアンは大親友のまま、幼い頃から神学に興味をもっていたふたりは、それぞれ、ユダヤ教のラビと、カトリックの神父になる。

これまでの伝統や、宗教の垣根を破り、教会の改革派として大人気の聖職者となったふたりの元に、ビジネスウーマンとして成功したアナがニューヨークに戻ってくる。禁欲が第一条件である神父とちがい、結婚することで信頼され、会堂(シナゴーグ)をまかされるラビの元には女性が集まり、ジェイクは彼女たちともつきあい、ニューヨークにいる間の関係として、アナともつきあうようになる。。。

『僕たちのアナ・バナナ』の原題は、Keeping the Faith で、音楽は名画作曲家として、MJも大好きなエルマー・バーンスタイン。

宗教や人種間の問題になじみがない日本人にとって、あまり共感をよばない内容ではあるものの、すばらしい俳優陣を揃え、甘いというよりは、あえて、シニカルさを抑えた上質なドラマだと私は思いました。




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by yomodalite | 2015-07-03 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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前作を観たのはいつだったか、どんな作品だったかも覚えてなくて、作品リストを見てみたら、『裸のランチ』以来だったので、もう20年以上も経っていた。そんなクローネンバーグ監督の2014年の映画を観る。

プラネタリウムの星空のように甘く美しいオープニング映像のあと、顔にやけどの跡がある少女が、ハリウッドセレブの邸宅をめぐるプライヴェートツアーに出かけると、「マップ・トゥ・ザ・スターズ」の意味は、あっという間に不吉なものへと反転する。

ハリウッドに渦巻く邪悪さのすべてが散りばめられているようなこの映画では、ジェットコースターのように、上ったり降りたりなんかせず、ただ、もう清々しいほど一直線に、地獄への道を走っていく。

でも、そんな邪悪なストーリーの中に、なぜか、わたしの少女時代のスターのひとりだった、ポール・エリュアールの詩が何度も登場して、それで、クローネンバーグの映画と同じぐらい、久しぶりに『エリュアール詩集』(思潮社1969年版)を開いてみました。

私にとって、少女時代に出会ったシュルレアリスムは、日常を幻想に変えて見せてくれる「魔法」で、、J’écris ton nom の日本語は、ぼくは書く おまえの名を」じゃないと、なんだか感じがでなくて。

そんなわけで、映画の訳とはちがいますが、

私にはなじみ深い安東次男訳の『自由』を。



Liberté 
Paul eluard

Sur mes cahiers d’écolier
Sur mon pupitre et les arbres
Sur le sable sur la neige
J’écris ton nom

ぼくの生徒の日のノートの上に
ぼくの学校机と樹々の上に
砂の上に 雪の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur toutes les pages lues
Sur toutes les pages blanches
Pierre sang papier ou cendre
J’écris ton nom

読まれたすべての頁の上に
書かれていないすべての頁の上に
石 血 紙あるいは灰に
ぼくは書く おまえの名を

Sur les images dorées
Sur les armes des guerriers
Sur la couronne des rois
J’écris ton nom

金色に塗られた絵本の上に
騎士たちの甲冑の上に
王たちの冠の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur la jungle et le désert
Sur les nids sur les genêts
Sur l’écho de mon enfance
J’écris ton nom

密林の 砂漠の 上に
巣の上に えにしだの上に
ぼくの幼年の日のこだまの上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur les merveilles des nuits
Sur le pain blanc des journées
Sur les saisons fiancées
J’écris ton nom

夜々の奇跡の上に
日々の白いパンの上に
婚約の季節の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur tous mes chiffons d'azur
Sur l'étang soleil moisi
Sur le Lac lune vivante
J'écris ton nom

青空のようなぼくの襤褸の上に
くすんだ日の映る 池の上に
月のかがやく 湖の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur les champs sur l'horizon
Sur les ailes des oiseaux
Et sur le moulin des ombres
J'écris ton nom

野の上に 地平線に
小鳥たちの翼の上に
影たちの粉挽き場の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur chaque bouffée d'aurore
Sur la mer sur les bateaux
Sur la montagne démente
J'écris ton nom

夜明けの一息ごとの息吹の上に
海の上に そこに泛ぶ船の上に
そびえる山の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur la mousse des nuages
Sur les sueurs de l'orage
Sur la pluie épaisse et fade
J'écris ton nom

雲たちの泡立てクリームの上に
嵐の汗たちの上に
垂れこめる気抜け雨の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur les formes scintillantes
Sur les cloches des couleurs
Sur la vérité physique
J'écris ton nom

きらめく形象の上に
色彩のクローシュの上に
物理の真理の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur les sentiers éveillés
Sur les routes déployées
Sur les places qui débordent
J'écris ton nom

めざめた森の小径の上に
展開する道路の上に
あふれる広場の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur la lampe qui s'allume
Sur la lampe qui s'éteint
Sur mes maisons réunies
J'écris ton nom

点くともし灯の上に
消えるともし灯の上に
集められたぼくの家たちの上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur le fruit coupé en deux
Du mirroir et de ma chambre
Sur mon lit conquille vide
J'écris ton nom

二つに切られたくだもののような
ぼくの部屋のひらき鏡の上に
虚ろな貝殻であるぼくのベットの上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur mon chien gourmand et tendre
Sur ses oreilles dressées
Sur sa patte maladroite
J'écris ton nom

大食いでやさしいぼくの犬の上に
そのぴんと立てた耳の上に
ぶきっちょな足の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur le tremplin de ma porte
Sur les objets familiers
Sur le flot du feu béni
J'écris ton nom

扉のトランプランの上に
家具たちの上に
祝福された焔むらの上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur toute chair accordée
Sur le front de mes amis
Sur chaque main qhi se tend
J'écris ton nom

とけあった肉体の上に
友たちの額の上に
差し伸べられる手のそれぞれに
ぼくは書く おまえの名を

Sur la vitre des surprises
Sur les lèvres attentives
Bien au-dessus du silence
J'écris ton nom

驚いた女たちの顔が映る窓椅子の上に
沈黙の向うに
待ち受ける彼女たちの唇の上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur mes refuges détruits
Sur mes phares ecroulés
Sur les murs de mon ennui
J'écris ton nom

破壊された ぼくの隠れ家たちの上に
崩れおちた ぼくの燈台たちの上に
ぼくの無聊の壁たちの上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur l'absence sans désir
Sur la solitude nue
Sur les marches de la mort
J'écris ton nom

欲望もない不在の上に
裸の孤独の上に
死の足どりの上に
ぼくは書く おまえの名を

Sur la santé revenue
Sur le risque disparu
Sur l'espoir sans souvenir
J'écris ton nom

戻ってきた健康の上に
消え去った危険の上に
記憶のない希望の上に
ぼくは書く おまえの名を

Et par le pouvoir d’un mot
Je recommence ma vie
Je suis né pour te connaître
Pour te nommer

Liberté.

そしてただひとつの語の力をかりて
ぼくはもう一度人生を始める
ぼくは生まれた おまえを知るために
おまえに名づけるために

自由(リベルテ)と。

安東次男訳


この詩は、エリュアールと別れて、ダリ夫人になったガラ(この名前もエリュアールが名づけた)との時代ではなく、その後に知り合ったニッシュ(=ヌーシュ。やはりエリュアール命名)との時代に書かれたもの。。





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by yomodalite | 2015-07-02 07:32 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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ずぅーーっと観たいと思っていた、マイケルが最高のショーだったというフェイマス・フレイムズ時代のジェームス・ブラウン。

今年、ラスベガスに行ったとき、数多くのアーティストの看板を見ながら、JBをテーマにしたショーがあったら素晴らしいエンターテイメントになりそうなのにと思って、すぐにその難しさに気づいた。

MJのインパーソネーターは、ダンスだけでいい、でも、JBのショーは、歌とあの動きを両方やらないとショーにならない。どちらか一方ではだめなのだ。。

それから、しばらくして、JBが映画になると知った。プロデューサーはなんとミック・ジャガー!それなら、音楽はきっとすばらしいものになるだろう。でも、JBを演じることなんてできるんだろうか。私が見ることのできなかった全盛期のJBへの期待感は大きいものの、満足するのは厳しいかも。という予想は映画がはじまるとすぐにいい方に裏切られた。

冒頭、JBはマイクではなく、銃をもっていて、ステージでの激しさを、別の場所に発散させている姿からは、彼の波乱の人生だけでなく、映画への不安も感じたのだけど、その後、あのステップを初めてステージで見せる場面がおとずれると、もう「シビれる」としか言いようがなくて、、

CDをもっているわけでもないのに、なぜか耳になじんでいて、どんなときも必ず気持ちをアゲてくれる、あの数々の名曲が、彼の生命力あふれる肉体といっしょになったときの喜び、そしてそれを実現させた主演のチャドウィック・ボーズマン。彼は若き日のJBを、今の時代に蘇らせてくれていて、

そして、すばらしい音楽をすばらしいまま、音楽のじゃまをすることなく、ドラマを描いた監督テイト・テイラーもすごく上手くて、

もう一度シアターに観に行きたいと思った。

これは映画館で観た方がいい。


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映画館で売っていた「サントラ」と、


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CD付きの雑誌も買って、

それらを聴きながら、とりいそぎ。。

◎オフィシャルサイト『ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男』



☆この映画の製作の影響か、
JBのきれいな動画がすごく増えてるみたい。。
映画のシーンを思い出すものを!


James Brown - The T.A.M.I. Show (1964)




1966 James Brown I feel good








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by yomodalite | 2015-06-03 23:55 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(7)

ラスト、コーション [DVD]

トニー・レオン,タン・ウェイ,ワン・リーホン



ようやく観ることができた、2008年公開のアン・リー監督の映画の感想です。

原題は、Lust, Cautionで「LAST」ではない。過激な性描写が話題になっていたけど、あのトニー・レオンがこんなことを、、とか、この映画でデヴューした清楚なお嬢さま風のタン・ウェイがそんなことまで、、といった期待はおそらく裏切られる。そして通常の映画では見ることのない、ひどく生々しいSEXシーンは、それが「エロス」なのかどうかさえよくわからない。

物語の舞台は、1942年、日本占領下の上海。人々のきもちを、演劇を通して上演するだけでは物足りなくなった学生たちは、抗日運動の敵である政府高官のイー(トニー・レオン)に、ハニートラップにかけ暗殺することを計画し、学生演劇の主演女優のワン・チアチー(タン・ウェイ)は、その目的のためにSEXを覚える。


イー:私の周りは高官ばかり

国の重要な問題や将来について語る

だが、何を言おうと、彼らの目に浮かぶものは同じ

チアチー:何です?

イー:恐れだ。

でも、君はまるで違う 恐れていない。違うかな?

チアチー:あなたは?

イー:君は聡明だが麻雀は弱い

チアチー:そうね、いつも負けるわ。あなたには勝ったけど


イーを食事に誘うことに成功し、殺害を準備した自宅の玄関まで連れて来たチアチーだったが、イーは家には上がらなかった。彼はとても慎重だった。

チアチーたちの計画は破綻し、仲間たちもバラバラになった3年後、街中に餓死する人々が溢れる上海で、チアチーはかろうじて復学し、授業では日本語がその素晴らしさとともに教えられている。束の間の娯楽を求めて入った映画館で、ケーリー・グラントが主演する「愛のアルバム」を観ていると、映画は途中でカットされ、

「500年間、英米の抑圧を受けてきたが、全アジアの民族は、ついに苦しみに勝ち、自由を手にいれた。アジアをアジア人の手に取り戻すため、我々は1日もひるむことなく奮闘し、、、」

というナレーションに変わる。

映画館からの帰路、チアチーはかつての仲間、クァン・ユイミンに再会し、自分の思いから危険な目にあわせたことを詫びるユイミンは、再び、チアチーをスパイ活動へと導いていく。「君を傷つけることはさせない」と言って。

危険な任務だということはわかっているはずの彼女は嫌がることもなく、イーの自宅で下宿する身となる。そして、イーはついに、チアチーを抱くことになるが、そこで、激しい情欲をむき出しにしているのは「政府高官」のイーで、目的のために愛人を演じているはずの「女優」は演技を忘れている。

日本の降伏は目前に迫り、崩壊寸前の南京国民政府の高官であるイーを「殺害する」という役目に意義はなく、そこにあるのは「危険」だけ。しかし、チアチーをレジスタンス活動に誘ったユイミンや、彼らを指導する反政府の軍人には、自分の信じる道しか見えていない。

でも、チアチーは何も信じておらず、ただ、イーに会いたいという思いさえも、自覚できていない。そして、その「目的のなさ」が疑うことしかできないイーの心を揺るがすことになる。

チアチーが、イーをハニートラップにかける作戦に参加したのは、ユイミンへの愛ではなく、そこには、祖国への愛や、アジアをアジア人の手にというスローガンも、政府の任務といった「理由」もない。ただ激しく肉体を求めあったイーとチアチーの間には、むきだしの「真実」だけがある。

誰かが、誰かを裏切るのではなく、
誰もが、国や政府や思想に裏切られているけど、
自分の心を、自分で裏切ってもいることに、誰もが気づいていない。

それゆえ、アン・リー監督は、この映画の中で一切「愛」を描こうとしないのだ。

漢字によるタイトルは、『色・戒』。

「色」には様々な意味があり、Lust, Caution の「Lust」にも、肉欲だけでなく、征服欲、金銭欲、名誉欲、、など、さまざまな意味があって、

この映画には、すべての「色」と「Lust」と「Coution(警告)」が織り込まれている。

世界的に評価の高いアン・リーですが、本当にスゴイ監督だということがよくわかって、『ブローバック・マウンテン』しか観ていなかったことが恥ずかしくなった。


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by yomodalite | 2015-05-29 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)
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ビートルズの “Tow Of Us” で始まる、
ガス・ヴァン・サント監督の2011年の映画。

♪ 僕らは絵葉書を送って、家の壁に手紙を書く

君と僕、マッチ棒に火をつけ

かんぬきは外したけど、まだ家に帰る途中さ

僕らは帰るところ、家に帰るんだ

僕らの家に(映画字幕より)♪


そして、バスに揺られていた少年イーノックは葬儀会場へと到着する。壇上では、青年が故人の思い出を語っている。


「クリスは生来のおどけ者で、お得意のジョークを誰にでも語ったものです。その時々で質問が変わる。“ボートの定員は何人?”“エレベーターの定員は? 車の定員は?”

オチはいつも同じ。“ドデカ頭ひとり分” 大切に隠している本に載っていたそうです。人に見せずに。。。弟は亡くなる直前、打明け話があると言いました。“兄さん、ジョークの載った本なんてなかったんだ 全部、僕の創作さ 探そうと思わないで”」


その会場で、イーノックはアナベラに出会う。彼女も「見知らぬ人の葬儀」に来ていた“仲間”だったのだ。


次第に心を開くうちに、彼は、彼女に神風特攻隊の友人ヒロシを紹介し、彼女は自分が余命3ヶ月のガン患者だと告げる。。。



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彼女が亡くなるまでの期間が、この映画の物語なのだけど、これは、人生に限りがあるから、今を大事に生きなくては、、という映画ではなく、


もし、あと3ヶ月で人生が終わるのなら、ガマンしなくてもいいことがたくさんあって、目の前にいる相手と同じ夢の中にいられて、ずっと幸せが消えることもないのに。。と思ったことがある人のための、


自分と “彼” がまったくちがう生き物だということも、彼の目に映っていた自分の姿も知ることなく、


セックスはふたりがひとつになるものだと思っていた時代の、思春期の白くて柔らかくてシミだらけのベッドを思い出させてくれるような、、


甘美な夢の映画でした。



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by yomodalite | 2015-05-27 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

映画『ズタボロ』

ズタボロ [DVD]

永瀬匡,清水富美加,堀井新太,成田瑛基,荒井敦史



前作『ワルボロ』はビデオですませてしまったこともあり、どうにか師匠へのこれまでの不義理を少しでも返したい。

MJのことばかり考えていて、ゲッツ師匠のことを忘れていてごめんなさい。自分、『ズタボロ』は絶対に映画館で観させてもらいますっ!

てな気分で、梅田のファッションビル内のシアターに行くと、レディースデーの昼間に、この映画を見ようと思う人が少ないせいか、いつもは小ぎれいなシアター内の雰囲気もどこか違っていて、映画が始まる直前まで、すぐ後ろの席から、おっさんのものらしいいびき声のような音も響いていて、もしかして、この映画に出てくるようなタイプだったら、どうしよう。とか、

通常、映画を見る前のドキドキ感とはまったく違う緊張感で、映画は始まりました。

映画の『ズタボロ』は、小説の『メタボロ』と『ズタボロ』両作品を映画化したもの。


コーちゃんは、高校に進学し、地元最凶の暴走族「立川獄門」から理不尽なヤキを入れられる毎日。のっけから、映画館中に、ズシッズシッというパンチの音が響き渡って、その音は最後まで途切れることがないぐらい、本当に死と隣り合わせのような殴りあいが続く。暴力シーンはどんな種類も苦手で、目を背けたくなるようなシーンがない映画なんてないと思うぐらいなんだけど、この映画の暴力シーンは残虐度においてそれらを上回っているとは言えないのに、自分の身に感じる重たさは、これまで感じたことがないものだった。

コーちゃんの喧嘩への熱情は、まったく理解できないし、ヤンキー文化とは遠い場所にいた自分が、こんなにも惹きつけられてしまうわけを、あえて言葉にすれば、それはきっと「純粋さ」なんだと思う。

子供が、その子供らしさを失うのは、いつ頃かはわからないけど、私が同級生が変わったことを感じたのは、小学校を卒業する前だった。中学には、未来への希望で目がキラキラしている同級生なんていなかったし、いたとしても、それは「鈍さ」であって、10代の少年少女にとって、純粋さとは、ある種の凶暴さを抱え込まずにはいられないようなものだったと思う。

それで、高校生のコーちゃんの崖っぷち感だけはわかるような気がするのだ。

完成度はまったく違うけど、これは『ゴッドファーザー』のように 板谷家の “サーガ” であって、小説でも印象的だった『道化師』の音楽は、どんなギャング映画よりも、やっぱりこの話に相応しかった。

『ワルボロ』にあった明るさや、笑えるような部分は、『ズタボロ』にはまったくなくて、高校生のコーちゃんは暗闇の中にいて、そこからさらに闇を求めることで、今の暗さから脱出しようとしてもがく。この映画の暴力シーンが、一般的な洋画のレベルよりも残虐とは思わないけど、高校生を描いたこの物語ほど、ヤクザや、彼らの生きる世界の怖さが感じられる映画もないと思った。

映画は、小説で描かれている背景が描き切れていない不満はあるものの、この話に出会えた喜びは、再確認できました。



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by yomodalite | 2015-05-15 22:54 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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