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映画「ひそひそ星」(園子温監督)ほか・・・

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映画の宣伝文には、園子温監督が本当に作りたかった初めての映画・・ なんて書いてあって、他の監督ならそんなこともあるかもしれないけど、数多くの自主映画を一般公開し、多くの斬新な意欲作でここまで成功をおさめた園監督に、そのコピーはないんじゃないかと思いつつ、いつものように、極少ない情報だけで観にいったのだけど、

映画が始まるとすぐに「撮影協力」という画面になり、そこには浪江町など、福島県のいくつかの町の名前が・・・園監督の、原発事故後の福島を描いた『希望の国』という映画も印象に残る素敵な映画だったけど、この映画にも福島が関係しているの?・・という疑問は、タイトルロールの直前になって、少しだけ理由がわかる。

モノクロ映像だけでなく、水道の蛇口などへのクロースアップを多用した映像から、大好きな『イレイザー・ヘッド』を思い出したけど、それはデヴィッド・リンチ風の美学というわけではなく、主人公の女性が暮らす昭和の雰囲気が漂う狭い部屋の実体は、最近見た『ルーム』よりも衝撃的。

上映前の劇場予告では、『エクスマキナ』が紹介されていて、そちらはまだ見ていない映画ではあるけど、日本に住む私たちにとっては、『ひそひそ星』の方を見るべきでは、と思う。

パワフルで饒舌というイメージがある園子温作品ですが、これは詩的で、とても静かでありながら、狂おしいほどの感覚を呼び覚ます映画。必見です!


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終映後、同日上映で、『園子温という生きもの』も観た。

こういったドキュメントが映画館で上映されるということからも、園子温の人気ぶりがうかがえますが、実際に、誰が撮っても面白くならないわけがないという水準はクリアしてます。『ひそひそ星』のメイキングという内容も多いのですが、映画を見る前に観ても、特にネタバレということはないので、時間が戻せるなら、『ひそひそ星』の詩的な印象をより心に留めて帰りたかった。

でも、これも「今」観ておくべき映像だったことは間違いなかったと思う。




2本の映画の上映前には、菅田将暉と池松壮亮が主演する映画『セトウツミ』の予告編を2種類観て、両方とも笑いました。今ノリに乗ってる菅田将暉ですが、会話だけで、ここまで笑わせてくれるなんて、流石、大阪出身で、ダウンタウンを「この世で一番逢いたい人」「下手したら泣く」(「ダウンタウンなう」でついに面会。本当に泣いていた)「浜田さんにツッコまれて、松本さんにボケられたら死んでもいいです」というだけあって、タイミングとか、めちゃくちゃ勉強してることがよぉーーくわかって、ますます大好きになってしまいました。




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by yomodalite | 2016-05-26 11:59 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

映画『ルーム』監督:レニー・アブラハムソン

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「ぼく、5さいだよ」ある朝、目覚めたばかりのジャックはそう言うと、いつものように、椅子や洗面台やトイレに「あいさつ」する。母とふたりで住んでいる「部屋」は、キッチンシンクのすぐ横にむき出しのバスタブが置いてあるような狭い部屋。

ふたりは外に出ることなく、小さな天窓がひとつあるだけの「部屋」で一日中過ごしていたが、5歳になったジャックに、ママは、その部屋の秘密を打ち明ける。部屋とテレビの世界しか知らなかったジャックは混乱し、不安に陥るが、ついに「脱出」の日はやってきて・・・


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閉じ込められていた母と、部屋の世界しか知らなかったジャック、
ふたりにそれぞれ始まる新しい生活。

母を演じる女優の自然な演技も魅力的だけど(ブリー・ラーソン、この作品でアカデミー賞主演女優賞受賞)、子役(ジェイコブ・トレンブレイ)の演技は「絶品」で、子供の目線で、映画を見ることになって、ずっとドキドキしっ放しでした。


ジャック:世界にはたくさん「場所」がありすぎるよ。全ての「場所」に対してバターみたいに時間を少しずつ薄く振り分けないといけないから、時間が少なくなるんだ。


◎『ルーム』予告編



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by yomodalite | 2016-05-12 06:00 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

映画『リップヴァンウィンクルの花嫁』

リップヴァンウィンクルの花嫁 [DVD]

黒木華,綾野剛,Cocco/ポニーキャニオン



久しぶりの岩井俊二監督の映画。長編実写映画としては12年ぶりだからか、公開前の広告期間の長いこと長いこと・・・いつになったら観られるのっ!とヤキモキしていた私は、始まったら始まったで、最初のレディースデーまで待って観に行くレベルの岩井監督ファンなんですが・・・

事前に情報を知りたくない私は、主演が黒木華だという以外は、なにも知らなかったのですが、前日、ダーリンに、明日『リップヴァンウィンクルの花嫁』を見に行くって言ったら、

「『野獣死すべし』って映画見たことある? その映画で松田優作が、リップヴァンウィンクルの話をする場面が、すごく怖くてさ・・・」

調べてみると、それはこんな場面・・・




(松田優作が演じる伊達が、刑事の室田日出男に)「リップヴァンウィンクルの話って知ってます?いい名前でしょ?リップヴァンウィンクル、彼ね、山に狩りに行ったんですよ。山へ狩りに・・そこでね、小人にあったんですよ。なんていう名前の小人だったかは忘れましたがね、ずいぶん昔の話だから、とにかくその小人に会って、ウィンクルは、お酒をご馳走になったんですよ。そのお酒があまりにも美味しくて、どんどん酔ってしまったんです。そして夢を見たんです。眠りに落ちて、夢を見たんです・・

『リップヴァンウィンクル』は、アメリカの小説家ワシントン・アーヴィングが書いたアメリカ版の「浦島太郎」で、主人公のリップヴァンウィンクルが戻ってきてみると、友人も妻もみんな居なくなっていた、というお話らしく、時代遅れ、とか、眠ってばかりいる人、という意味があるとか・・・この本はマイケルの書棚にもあった本なので、映画を観る直前に読んでもいたんですが、

『リップヴァンウィンクルの花嫁』は、この主人公に置いて行かれた「妻」の話?

映画を見る前に私が想像していたのは、そんな疑問だったのですが、上映中はそんなことはすっかり忘れ、主人公がLINEのようなサイトを使いだすと、ニックネームの、クラムボンや、カムパネルラに幻惑されて、ああ、そーゆー話になるのか・・と思い、それで、実際にそーゆー話になったあと、「リップヴァンウィンクル」が登場して、Coccoがちょっぴり歌い、ちょっぴり踊り・・そして、ああ、そー来る、そうだよね、岩井監督だもんね・・・なんて観ていると、やっぱりそーゆー展開になって、岩井監督らしいわ・・なんて観ていると、最後は、あ、そーゆー風に終わるんだ。みたいな。ってどんな「みたいな」か、さっぱりわからないと思いますがww

とにかく、岩井監督ファンにとっては、ある意味予想通りであり、公式サイトで使用されているメンデルスゾーン以外も、誰でも聞いたことがある同じようなテンポのクラシックの名曲が全編通して流れる中、不思議と飽きることなく、次から次へと岩井ワールドに嵌められていくあっという間の3時間(上映後に見た情報サイトで3時間だったことを知って驚きました)。

春の眠さと、鼻炎薬の両方で眠い私を、なぜか目覚めさせる映画でした。

主演は黒木華さんとありますが、綾野剛さんも同じぐらいの存在感で、数多くの出演作の中でも、この映画の綾野剛がサイコーと思う人も多そう。かつてもっとも泣いた(周囲が引くほどの嗚咽レベルでw)映画が『笑の大学』だという私の涙腺は乾いたままでしたが、上映後の館内にはすすり泣きする方もチラホラ・・・それと、エンドロールで「アレっ」と思ったのだけど、森下くるみさんは、どこで出演されていたのかな・・・次回は、そこに気をつけて見なくちゃ・・

この映画への評価:クラゲが好きな人にお薦めしたい映画



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by yomodalite | 2016-03-31 12:03 | 映画・マンガ・TV | Trackback(1) | Comments(0)

『地獄の黙示録』:コッポラと『闇の奥』

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[追記あり]

地獄の黙示録について、少しは理解できたはずなのですが、原作と言われる『闇の奥』については、まだ、わからない点が多くて・・・


今後、『闇の奥』を読み返したときに、なにか参考になるかも・・という理由で、コッポラが原作にアンダーラインを引いた箇所などを、『地獄の黙示録・3Disc-コレクターズ・エディション」のミリアス・インタビューとブックレットから、メモしておきます。(また、前回アップした「ミリアス・インタビュー」も大幅に追記して、再投稿しました。)


英文は、こちらの「ORIGINAL TEXT」

日本語は、藤永茂訳の『闇の奥』から。


アンダーラインは、コッポラがインタビュー内で読み上げたり、ペーパーバックに赤線が引いてあった箇所です。


We penetrated deeper and deeper into the heart of darkness. It was very quiet there. At night sometimes the roll of drums behind the curtain of trees would run up the river and remain sustained faintly, as if hovering in the air high over our heads, till the first break of day. Whether it meant war, peace, or prayer we could not tell. The dawns were heralded by the descent of a chill stillness; the wood-cutters slept, their fires burned low; the snapping of a twig would make you start.


僕らは深く、より深く、闇の奥へ入り込んで行った。死んだような静けさだった。夜中に、時々、樹々のカーテンの向こう側で鳴る太鼓のひびきが河を上がって来ることもあったが、それは、われわれの頭上はるかの大気のなかでたゆたうかのように、空か白むまで、仄かに残っていた。その太鼓の音が、戦いを意味したのか、平和を意味したのか、それとも祈祷であったのか、知る由もなかった。その音が絶えて、冷たい静寂が降りて来ると、ほどなく朝が明けるのだった。木こりたちは眠りをとり,焚き火も燃え尽きかけて、誰かが焚き火の小枝を一本ポキンと祈る音にもハッと驚かされることにもなる。


We were wanderers on a prehistoric earth, on an earth that wore the aspect of an unknown planet. We could have fancied ourselves the first of men taking possession of an accursed inheritance, to be subdued at the cost of profound anguish and of excessive toil.


いうなれば、僕らは、見知らぬ遊星のような様相を帯びた地球、歴史以前の地球の上を彷徨っていたのだ。僕らは、深甚な苦痛と過酷な労役の末に手が届いた、ある呪われた遺産を所有しようとする最初の人間たちのように、自分らを思い描くこともできたかもしれぬ。


But suddenly, as we struggled round a bend, there would be a glimpse of rush walls, of peaked grass-roofs, a burst of yells, a whirl of black limbs, a mass of hands clapping of feet stamping, of bodies swaying, of eyes rolling, under the droop of heavy and motionless foliage. The steamer toiled along slowly on the edge of a black and incomprehensible frenzy. The prehistoric man was cursing us, praying to us, welcoming us―who could tell?


ところがだ。船が、流れの曲がり角をやっとこ回り終えたところで、重く、動きのない樹々の繁みの垂れ下がった陰に、突然、イグサ造りの壁や尖った草葺き屋根がチラリと見え、ほとばしる叫び声が聞こえ、黒い肢体の群れが乱舞し、手を打ち、足を踏み鳴らし、からだを揺さぶり、目玉をぎょろぎょろさせているのが、視界に飛び込んできた。この黒々とした不可解な狂乱のへりをスレスレに、船はゆっくりと遡航の骨折りを続けた。あの先史時代の人間たちが、僕らを呪っていたのか、折っていたのか、それとも、喜び迎えていたのかーー誰が分かるだろうか? 


We were cut off from the comprehension of our surroundings; we glided past like phantoms, wondering and secretly appalled, as sane men would be before an enthusiastic outbreak in a madhouse. We could not understand because we were too far and could not remember because we were travelling in the night of first ages, of those ages that are gone, leaving hardly a sign―and no memories.


僕らを取り巻くものへの理解から、僕らは断ち切られてしまっていた。狂人病院の中の熟狂的な狂躁に直面した正気の人間のように、僕らは仰天し、心中ぞっとしながら、まるで亡霊のように、その場を滑り抜けていったのだ。理解もできなければ、記憶をたどることもできなかった。なぜなら、僕らはあまりにも遠い所に来てしまったのであり、原始時代の夜を、ほとんど何の痕跡もーー何の記憶も残していない遠くに去ってしまった時代の夜を、いま旅しているのだったから。


“The earth seemed unearthly. We are accustomed to look upon the shackled form of a conquered monster, but there―there you could look at a thing monstrous and free. It was unearthly, and the men were―No, they were not inhuman. Well, you know, that was the worst of it―this suspicion of their not being inhuman. It would come slowly to one. They howled and leaped, and spun, and made horrid faces; but what thrilled you was just the thought of their humanity―like yours―the thought of your remote kinship with this wild and passionate uproar.


 『大地は大地とは思えぬ様相を呈していた。屈服した怪物が繋がれた姿なら、僕らも見慣れているが、しかし、あそこではーーあそこでは自由なままの怪物を目の当たりにすることができるのだ。この世のものとも思えないーーそして、あの男たちもーーいや、彼らは人間でないのではなかった。分かるかい、彼らも人間でなくはないのだという疑念ーーこれが一番厄介なことだった。その疑念は、じわじわと追って来る。彼らは、唸りを上げ、跳ね上がり、ぐるぐる回り、すさまじい形相をひけらかす。だが、こちらを戦慄させるのは、彼らも人間だーー君らと同じようなーーという想い、眼前の熱狂的な叫びと、僕らは、遥かな血縁で結ばれているという想念だ。


Ugly. Yes, it was ugly enough; but if you were man enough you would admit to yourself that there (上記の写真はここから)was in you just the faintest trace of a response to the terrible frankness of that noise, a dim suspicion of there being a meaning in it which you―you so remote from the night of first ages―could comprehend. And why not? The mind of man is capable of anything―because everything is in it, all the past as well as all the future.


醜悪、そう、たしかに醜悪だった。しかし、もし君に十分の男らしさがあれば、君のうちにも、ほんの微かとはいえ、あの喧噪のおぞましいまでの率直さに共鳴する何かがあることを認めるのじゃないかな。そのなかには、君にもーー原始時代の夜から遠く遠かに離れてしまった君にも理解できる意味が込められているのではないか、という朧げな疑念だ。考えてみれば何も驚くにあたらない。人間の心は何でもやれるーーなぜなら、そのなかに、過去のすべて、未来のすべて、あらゆるものが入っているのだから。


What was there after all? Joy, fear, sorrow, devotion, valour, rage―who can tell?―but truth―truth stripped of its cloak of time. Let the fool gape and shudder―the man knows, and can look on without a wink. But he must at least be as much of a man as these on the shore. He must meet that truth with his own true stuff―with his own inborn strength. Principles won’t do. Acquisitions, clothes, pretty rags―rags that would fly off at the first good shake. No; you want a deliberate belief. An appeal to me in this fiendish row―is there? Very well; I hear; I admit, but I have a voice, too, and for good or evil mine is the speech that cannot be silenced. Of course, a fool, what with sheer fright and fine sentiments, is always safe. Who’s that grunting? You wonder I didn’t go ashore for a howl and a dance? Well, no―I didn’t. Fine sentiments, you say? Fine sentiments, be hanged! I had no time. I had to mess about with white-lead and strips of woolen blanket helping to put bandages on those leaky steam-pipes―I tell you. I had to watch the steering, and circumvent those snags, and get the tin-pot along by hook or by crook. There was surface-truth enough in these things to save a wiser man.


あそこには、いったい何かあったのだろう? 喜びか、恐怖か、悲嘆か、獣身か、勇気か、怒りかーー誰が分かろう?ーーしかし、真実というものーー時という覆いをはぎ取られた裸の真実がたしかにあった。馬鹿な奴どもは仰天し震え上がるに任せておこう。ーー男たるものは、その真実を知っている。瞬ぎもせずにそれを直視できる。だが、それには、河岸にいた連中たちと少なくとも同じぐらい赤裸の人間でなければならぬ。その真実に自分の本当の素質をもってーー生まれながらに備わった力で立ち向かわねばならないのだ。主義? そんなものは役に立たぬ。あとから身につけたもの、衣装、見た目だけの服、そんなボロの類いは、一度揺さぶられると、たちまち飛び散ってしまう。そんなものじゃない、一つのしっかりした信仰が必要なのだ。この悪魔じみた騒ぎのなかに、訴えてくるものがあるかって? よかろう。僕にはそれが聞こえる。認めよう。しかし、僕には僕の声もある。そして、それは、善きにしろ、悪しきにしろ、黙らせることのできない言葉なのだ。いうまでもないが、馬鹿者なら、すっかり腰を抜かしてしまうとか、繊細な感情とかいうやつのおかけで、いつも安全だ。誰だ、そこでぶつくさ言っているのは? お前は、岸に上がって、一緒に叫んだり、踊ったりはしなかったじゃないか、と言うんだな? そう、たしかにーー僕はそうしなかった。繊細な感情からかって? 冗談じゃない。繊細な感情なんて糞食らえ! そんな暇はなかったのだ。いいかね。漏れ出した蒸気管に包帯をするのを手助けするために、僕は白鉛と裂いた毛布を持って右往左往していたし、舵取りを見張り、河床の倒木を避けて通り、どうにかこうにかポンコツ蒸気船を勤かすことで精一杯だったのだ。こうした事どもには、馬鹿よりはましな男であれば何とか款ってもらえるに十分な、表面的な真理があるものだ。


And between whiles I had to look after the savage who was fireman. He was an improved specimen; he could fire up a vertical boiler. He was there below me, and, upon my word, to look at him was as edifying as seeing a dog in a parody of breeches and a feather hat, walking on his hind-legs. A few months of training had done for that really fine chap. He squinted at the steam-gauge and at the water-gauge with an evident effort of intrepidity―and he had filed teeth, too, the poor devil, and the wool of his pate shaved into queer patterns, and three ornamental scars on each of his cheeks. He ought to have been clapping his hands and stamping his feet on the bank, instead of which he was hard at work, a thrall to strange witchcraft, full of improving knowledge.


その上、祈りを見ては、罐焚きの役の蛮人の監督もしなければならなかった。彼はいわゆる教化蛮人のひとりで、直立ボイラーの焚き方を心得ていた。僕のすぐ足許で働いていたのだが、それを見ていると、半ズボンをはいて羽根付きの帽子をかぶり、うしろ脚で立ち歩きの曲芸をしている大そっくりで、結構、感心させられたよ。まったく健気な野郎で、教カ月の訓練でこれだけになった。何か恐ろしいものに無理に勇気をふるって立ち向かうようにして、気圧計と水量計を薮睨みして見張っている。この哀れな小悪魔ーー彼は歯を研いで鋭くしていたし、頭の縮れ毛は奇妙なパターンに剃り込み、両頬には刀傷が飾りに三筋入れてあった。彼なども、やはり、あの河岸で、手をたたき、足を踏み鳴らしているほうが柄にあっていたのだろう。それだのに、教化のための知識を詰め込まれ、奇態な魔法のとりこになって、懸命になって働いている。教化されたことで、彼は有用になった。藤永茂訳 p96 - 100)


※光文社古典新訳文庫・黒原敏行訳(p89 - 93)



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“我々は闇の中に入っていく
そこは静かだった
夜、時々木々の後ろから
聞こえる太鼓の音が
川を上りかすかに漂った
夜明けまで我々の頭上で
舞っているかのように
戦争、平和、祈り・・・
我々には分からなかった”
(DVDの日本語字幕より)




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by yomodalite | 2016-03-09 17:38 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

映画『虹蛇と眠る女』

虹蛇と眠る女 [DVD]

ニコール・キッドマン,ジョセフ・ファインズ,ヒューゴ・ウィーヴィング,マディソン・ブラウン,ニコラス・ハミルトン/




すっかりインディペンデント映画の常連のようになってきたニコール・キッドマンと、なぜか、MJファンの間でちょっぴり話題のジョセフ・ファインズが共演する映画。

キャサリン(ニコール・キッドマン)と、マシュー(ジョセフ・ファインズ)は、ふたりの子供とともに、オーストラリアの砂漠地帯に越してきていたが、彼らが都会からこの見知らぬ土地にやってきたのは、15歳の娘リリーと、関係をもった教師との仲を裂くためだった。

ところが、ある晩、眠れない夜にいつものように歩きまわる弟トムの後を追い、ふたりの子供は忽然と姿を消してしまう・・・

原題は、Strangerland(見知らぬ土地)。邦題は、映画の舞台であるオーストラリアに住むアボリジニに伝わる伝説からとられているのだけど、オーストラリアでは有名な伝説だからか、虹蛇についてくわしい説明もなく、この物語の結末にあっけにとられてしまう人も多そう・・

トグロを巻く虹の蛇は、アボリジニたちの信仰では大きな存在で、蛇は「悪」ではなく、「善」でもなく、始まりや終わりもなく、なにものをも飲み込む魂であり、生命であり、時の流れでもあるようなもの・・

忽然と消えてしまう少女という点では『ピクニック・アット・ハンギングロック』にも少し似ていて、「私を見つけて、私に触れて・・」というリリーの声が砂漠に響くと、『ツインピークス』の山の風景を思い出したりもするけど、オーストラリアの女性監督が描く、健康で美しい少女がSEXに感じる純粋さは、アメリカ映画とは少し違うものになっていて、邦題の「虹蛇と眠る女」はキッドマンが演じている女ではないけど、「Strangerland」を誰よりも感じているのは、彼女が演じている母親という名の「女」なのだ。

そして「Strangerland」とは、このオーストラリアの砂漠地帯のことではないのだと、女性監督キム・ファラントとキッドマンはその感覚を共有しあったのではないか、と思った。



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by yomodalite | 2016-03-02 17:02 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

映画『ジョーのあした -辰吉丈一郎との20年』

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日本映画チャンネルで、49歳までマウンドに立った元中日ドラゴンズ・山本昌と、辰吉とのスペシャル対談を見た。関根勤が場を仕切り、辰吉と同時代の世界チャンピオン飯田覚士もその場にいたのだけど、彼のスーツ姿は一流アスリートというよりは、面接に来た新卒の大学生のようで、ジャージ姿の辰吉とはまるで違っていた。

山本昌と、辰吉は、年齢を重ねてからの練習方法や、いつまで現役を続けるか、など、ふたりは想像以上に共感しあっていたけど、そのあと武豊とのふたりだけの対談では、辰吉は、会話をリードしていたり、武の悩みに、なんとなく「まだまだやな」と思っているような感じもあって、現役のプロとしては、武豊よりも遥かにどん底で八方塞がりに見えても、辰吉の内面には、今の状況でボクシングを続けていることに、光を感じているんだということがわかった。

一時間ほどの番組で、今の辰吉の言葉をたくさん聞けて安心し、試合の映像はほとんどなく、20年間のインタヴューばかりを集めた映画を見ることもないような気がしたものの、すぐ近所の映画館で、監督と辰吉の舞台挨拶があることを知ると、やっぱり観に行きたくなって、慌ててチケット入手を図る。今までどんな素敵な俳優もそんな気持ちになったことないのに・・

でも、翌日の舞台挨拶つきの上映はすでに完売。でも、その映画館は本当に近所だということもあって、挨拶が終わった頃の時間に、映画館の入り口に行ってみた。辰吉に会えるとは思わなかったものの、上映が終わったあとの大勢の観客の様子を眺めたり、会場から出てきた阪本監督の姿に心の中で「ありがとう」って言ってみたりして・・・それで、すっかり観たような気分になって、帰宅した夜、千原ジュニアと阪本監督の「SWITCHインタビュー」(NHK)があった。

番組は、千原ジュニアのお笑いについてのことや、阪本監督の藤山直美を主演にした映画のことや、和田アキ子を撮りたいと思っていることなど、すべてが面白い内容だったのだけど・・・辰吉の映画について、

千原:監督、フィルムで回してはるんでしょ?
阪本:基本フィルム3本だけ持っていて、4本目は予備。フィルムは1本11分。これで勝負する、と。
千原:ほぼ12ラウンドですやん。ロマンチックなことしはりますなぁ。。

というのが、心に残り、翌日の夜、ついに映画をみることに。

インタヴューは、普通の公園とか、辰吉が生活している場所と近いような、なんの絵作りもされていない場所で行われていて、スクリーンには、辰吉の顔ばかりが映る。ここまでの2日間で、テレビでも何度も彼の顔を見て、映画でも、まだ彼の顔に惹きつけられているなんて、熱心なボクシングファンでもないのに、不思議だなぁと思う。でも、阪本監督は、どこかで辰吉のことを「クレバー」だと言っていたのだけど、彼の言葉を、ひとことも聞き逃したくないと思っている自分がいることも確かなのだ。

このブログでは、2008年に、岸本加世子が辰吉のことを書いた本について書いた。


それから今日まで、辰吉について考えたことは一度もなく、格闘家じゃないのに「白いバンデージ」をよく巻いていた人のことばかり考えていたのだけど、あれから、もう8年も経っていて、自分が8年もブログを書いていたことにも驚いたのだけど、でも、今の辰吉をみたかった理由には、そのことも関係があったのかも・・

8年前、辰吉に感じた不安は、2016年は感じなかった。数多くの批判を浴びた辰吉の現役続行だけど、映画には、それで正解だったのだと思わせてくれる、微かな光がある。

自分のお気楽生活と、ストイックなボクサー生活を比べるなんて、すごくおこがましいのだけど、私の子なしの専業主婦生活という、ゴールが見えない生活の中で日々感じていることと、どこか通じているような気がして、それで、きっとこの映画が観たかったのだと納得した。





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by yomodalite | 2016-02-22 11:01 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

『地獄の黙示録』:ミリアスと『闇の奥』(タイトルの由来とワーグナー他)

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[内容を大幅に追加して再投稿しました]私が見た「3Disc コレクターズ・エディション」の1枚目はオリジナル版と特別版、2枚目がコッポラの妻のメイキング『ハート・オブ・ダークネス』で、3枚目は、終盤部分は異なるものの、脚本の90%ぐらいを書いている、ジョン・ミリアスや、主演のマーティン・シーンのインタヴューなどが入っているボーナスディスク。

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「HIStoryと黙示録」の記事内で、コッポラのコメントとして紹介したものは、1枚目のディスクに収録された監督コメンタリーからですが、こちらには、脚本家ミリアスのインタビューから、気になった内容をメモしておきます。


⭐️ ⭐️ ⭐️


ミリアス:ベイジル・ポールドゥリス(『レッド・オクトーバーを追え』の作曲者)は、ルーカスとともに、南カリフォルニア大学で同じクラスだった。みんなが好きだったのは、『博士の異常な愛情』で、それは『地獄の黙示録』にも影響を与えた。


・・・


『闇の奥』は英文学の傑作のひとつだったが、偉大な作家たちを悩ませていた。ベン・ヘクトや、アーネスト・レーマンや他の素晴らしい作家たち・・この本は危険信号を発していた。僕は『闇の奥』が大好きで、17歳の時にこの本を読んだ。僕はビーチから遠ざけるために、コロラドの学校へ送られていた。コロラドの山の中に野放しになった僕は、すぐに山男になった。罠を仕掛け、狩りをして、ジム・ブリッジャーになろうとして、それで『闇の奥』を読むのは素晴らしいことだった。寒い冬にジャングルやアフリカ、コンゴ川のことを読む。雪に埋もれ・・凍えて・・でも同時に自分を山男だと感じた。『闇の奥』の映画化は何人もの人が失敗した危険な作品だが、『闇の奥』の素晴らしさは、ジャングル自体に力があること。そして、それは人を脱落させる。人はジャングルを恐れるから。ジャングルは原始そのもので、その力に自分を捧げねばならない。人は、ジャングルでは暗闇を恐れた子供時代と同じことをする。自分を暗闇に従属させるのだ。ジャングルでは、可能な限り、奥へ入っていく。ジャングルの超自然的な力を恐れるがゆえに、戦いの絵の具を顔に塗る。それで、ジャングルの生き物になり、トーテムをもち、動物になる。そして狼か何かのように吠え始める。僕はこれをコロラドでやっていた。イエティが木の反対側にいると信じて、木にもたれて寝たり、猟銃を持って座り、この力を見た。この原始の超自然的な力。この原始のものが木の反対側にいる。襲いかかろうとする熊、猟銃なしでは対処できないが、猟銃は家に置かねばならず、ナイフだけで眠らねばならない。結局僕は、ナイフを木に刺し、丸腰で眠った。このためには完全に身を任せねばならない。これが『闇の奥』の内容だ。ここから、カーツがこの力に身を任せる案が生まれた。さらに彼はそれと仲良くなり、彼はその一部になった。物語を読み、僕はどの文学作品よりも強く惹きつけられた。君に会う前から、これをやらねば・・マイケル・ハーの記事を読んでも、何かをすぐに始めないとと思った。それから、友人たちがベトナムから帰ってきて、色々な話をした。彼らとじっくり話して気づいたのは、話せば情報が得られるということ。それでベトナム帰りの人を探し始めた。


コッポラ:サーファーは?


ミリアス:数人いた。(ベトナムに)行ったサーファーは少ない。徴兵を逃れる方法を知っていたから。『ビッグ・ウェンズ・デー』でわかるよ。これらの人々と話すときは、出来る限りすべてを収集するんだ。物語をね。そして最終的に・・ジョージ・ルーカスが「これを書き始めるべきだ、君は作家だ、君は書くのが仕事だ、他に誰もいない」と。それで、書くときになって、『闇の奥』を思い、これをベトナムで撮るべきだと思った。『闇の奥』を寓話とするので、読み直そうと思ったが、しかし、読むべきじゃないと思い直した。夢のように覚えていて、きっちり読み返しては、それが台無しになると思った。


コッポラ:哨戒艇で『闇の奥』の川を上る案は、君とジョージ・ルーカスが考えたの?それともひとりで考えた?


ミリアス:僕ひとりだ。ジョージは「ヘリを入れろ」と。


コッポラ:彼は監督をするはずだった。


ミリアス:脚本は誰も書きたくなかった。作家はハリウッドではよく扱われない。英雄は監督だ。次が撮影監督。カメラを持っているからだ。カメラは備品で、人々は備品にこだわる。歩兵部隊なら機関銃を持ちたい、カメラは機関銃だった。


コッポラ:ジョージは、君が書いたら、監督すると?


ミリアス:ああ、いつもジョージが案を出していた。当時僕は自分を監督とは考えていなかった。ハリウッドに行ったことがなかったから、監督というのは黒澤やジョン・フォードみたいな人で、彼らみたいになるだなんて、ハリウッドの質の悪い監督たちを見るまで気づかなかった。


コッポラ:『雨の中の女』の撮影からジョージと戻ったとき、ワーナー・ブラザーズの僕の事務所の隣が編集室で、そのときジョージと君に初めて会ったと思う。(あのとき君は)『地獄の黙示録』の脚本を書いていたの?まだだった?


ミリアス:いや、君が契約をまとめて金を受け取るまで僕の収入はなかったから・・そのときから1ページ目を書き始めた。だが、内容や音楽のメモはたくさんあった。映画中の場面とほぼ同じ場面をつくりあげていた。


コッポラ:『地獄の黙示録』の題名を決めるにあたって、君は『サイケデリック・ソルジャー』という題名を・・・


ミリアス:それは他の人。僕の題は最初からこれ。なぜなら、僕はヒッピーを見ていて、ヒッヒーの時代は急に来て、1965年から急に、良くも悪くもね。僕は信じなかった。ビート族は好きだったけど。ヒッヒーの時代は急に来て、1965年から急に、良くも悪くもね。僕は信じなかった。ビート族は好きだったけど。ヒッピーは、ピースマークをつけていて、その意味は「ニルバーナ・ナウ」だった。今こそ、ハイになって苦痛から脱却しよう。ドラッグを使えば、みんながその境地に、禅を学ぶ必要はない、「地獄から脱却しよう」という感じでね。僕は反逆児だから、それが理油だっと思うけど、戦争の方が好きだったから、ピースマークを変えた。ニルバーナ・ナウから、「アポカリプス・ナウ」という題名を思いついた。これを僕の本かなにかに貼って、持ち歩き、皆が気に入っていた。書き始めるずっと前からね。初めからこれが題名だった。



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コッポラ:映画の始めの方のヘリコプターの場面で、ワーグナーの音楽が鳴って、素晴らしいから、どうやったか聞かれるんだが?


ミリアス:僕はワーグナーが好きで、なぜかヘリの場面で効果的だった。


コッポラ:なぜ、あの曲を選んだ?


ミリアス:脚本を書いたとき、2つのことを考えていた。ワーグナーとドアーズ、この2者を聞きながら、脚本を書き上げた。ドアーズのファーストアルバムをひたすらかけていた。擦り切れるまでね。


コッポラ:ドアーズはベトナム戦争時、人気があった。


ミリアス:ああ、ドアーズは常に・・あれは戦争の音楽だった。ドアーズにそう言ったら、びっくりして、「絶対に違う!正反対だ」って言ってたけど、でも、彼らの音楽が有名なのは、この映画によってだ。


コッポラ:ドアーズは、全員UCLAの映画部の出身。レイ・マンザレクや、海軍将校の息子だったジム・モリソンは僕と同じ学校だった。モリソンは極端に静かで、内省的で、読書家で、特にニーチェの大ファンで、詩人だった。


ミリアス:彼は素晴らしい詩人だ。彼の歌を聴くと、いまだに素晴らしくて・・


コッポラ:僕が我々の企画をワーナーに承諾させ、サンフランシスコに行ったときはどうだった?


ミリアス:君が初めて企画を売り込んだ。我々みんな、映画制作の仕事がなければ、CM制作でネガの編集を続けるしかない状況で、君の案は全員に良かった。大勢の仲間が大スタジオに雇われる。そのときには僕はそこから抜けていた。僕はいうなれば補欠メンバー、君たちが道を開いた正規のメンバーだった。


コッポラ:僕は5、6歳年長だ、それは大きい。


ミリアス:君が僕に「1年間の生活費は?」僕は大胆に「1万5千ドル」君は「あげるよ」信じられなかった。


コッポラ:ジョージ(ルーカス)にも同様の金額か、何がしかの金を渡した。彼はそれを『THX1138』の制作にあてた。『地獄の黙示録』の脚本で、ジョージと共同でやったことは?執筆に関して、彼は介入した?君ひとりなのか?


ミリアス:彼は仕事があり、「がんばれ!」とか、「場面を少し話して」とか、彼は6ページくらい書くまで見てない。


コッポラ:僕もやってないけど、脚本家が6人いて、小さなスタジオだったから。脚本がノッてきたときの様子が知りたい。初期の脚本は盛りだくさんだった。ヘリの戦闘や、カーネッジ中佐とか、執筆作業を教えてくれ。カーツ大佐は、最初からカーツだった?


ミリアス:ああ、彼が「カーツ大佐は死んだ」という場面を入れたがった。


コッポラ:作業はどう展開した?


ミリアス:ある程度順序良く展開した。話が始まれば、川を遡ることは決まっていたから。


コッポラ:4人の乗組員をどうやって船に乗せた?


ミリアス:哨戒船だとわかっていたから、チーフが船の責任者で、クリーンは若いあの男、ブロンクス出身だかのロックンロールで踊り、シェフは僕のお気に入りだった。当時でさえ、理不尽な案・・ソーシエの修行をした男、ニューオリンズ出身で海兵隊に入ったが、食べ物がひどく我慢ができなかった。


コッポラ:ランスは実在のモデルが?


ミリアス:サーファーの人物を思いついた。(ランス役の俳優は)家族がサーファーだから、役を理解できたと思う。無邪気さを持ち続けてくれてね。


コッポラ:それらの登場人物と、哨戒艇、ウィラード、ウィラードは君のスターだね。


ミリアス:ウィラードはある意味、とても複雑な登場人物だ。彼は時代に先行していて、今は、彼についてたくさん書かれているが、当時は説明のない人物。攻撃的でないが、戦争で興奮した。戦争が彼のドラッグ。戦争好きで、他に行くところもやることを知らない。ウィラードには戦争のPTSDがあって、最初の場面では、目的も行き先もわからず連れて行かれれる、まるで、彼がそれを待っていたように。そして、彼は任務を与えられ、それで満足する。映画ができたとき、僕は寂しくなった。僕は君に電話で、「僕は任務が必要だ」君は「分かるよ」って。(コッポラにヘリコプターの場面でのワーグナーが素晴らしいと言われて)今や、ヘリコプターの急襲に、ワーグナーの音楽は欠かせない。2003年のイラク侵攻でも、ヘリコプターは、ワーグナーをかけた。


コッポラ:当時、これを指揮したカラヤンからも興奮したという電話があったよ。音楽の他の部分の使われ方について話したいと。あの手紙があったらね、すごく感応してた。脚本は君からだと言っておいたよ。


ミリアス:キルゴアは《キュクロプス》から思いついた。こっちはオデュッセウスで、キュクロプスに会うんだ。プレイボーイのバニーガールは《セイレーン》。通り抜けるにはキュクロプスを騙さないと。キュクロプスが騙されるのは、サーファーによってだ。そこでランスが出てくる。キルゴアはランスを勇気付けて、この川を上るといいサーフポイントがあるという。


コッポラ:「俺の利き足は左だ」が好きだ


ミリアス:ああ、キルゴアが、サーフィンに興味があるのは道理にあう。キルゴア登場の別の理由は、6日戦争の話になるが、アリエル・シャロンの記事を読んだんだ。彼は武装侵入で、アカバに侵攻したとき、武装侵入だ。この攻撃はアカバまで至った。戦車から降り、素潜りをして、アクバ特有の魚をモリでつき、焼いて、指揮官たちとそれを食べた。エジプトの戦車が後ろで火を吹いている、彼は「我々は敵を破壊するだけでなく、敵の魚まで食い尽くした」。そこから敵を全滅させ、敵地でサーフィンする案が生まれたんだ。


僕はカリフォルニアで、戦争が起きることを考えた。ある意味第二次大戦のようで、でも、映画の中で戦うのは、ブロンクス出身者や、ブルックリン、それか中西部で、地元出身者は戦わないんだ。当時の文化の中心はヒッピーのカリフォルニアで、全世界がビーチボーイズで、ドアーズで、すべてがカリフォルニアだった。だから戦争もカリフォルニアで起こる。冒頭でヘリと炎の映像が絶え間なく続く。ロケット弾の爆発で炎上して、でも人々の頭には、ピースマークが描かれているんだ。「平和は武器よりも強し」みたいなね。ヒッピーの音楽を聴いたり、カリフォルニアの文化と、古い歴史の衝突が起きるんだ。チンギス・ハーンに抵抗し、ベトナム、インドネシアはフランスに抵抗した。中国にもすべてに抵抗した。今は共産主義者の薄い皮をかぶっているが、奥底には東洋の神秘主義がある。すばらしく不可解な東洋の性質。それがカリフォルニアにやってきた。ロック音楽やドラッグや武器もある国に対抗する・・


コッポラ:君が書いたセリフで、君も人から聞いた話だそうだが、「爆弾で人を殺せと教えられるが、機体にファックと落書きをするのは許されない」


ミリアス:その数年後、僕は「砂漠の嵐作戦」時に、バーレーンの海兵隊空軍基地へ行った。航空機と海兵隊、彼らは戦いに勝っていたから。航空機は制空戦闘機、どれもぐれーで機体横に番号とかが書いてある。機体を見分ける方法は、書いてあるパイロットの名前だ。バード・なんとか、とか、英国人のところに行くと、裸の女性が助手席にいたり、色々と・・不道徳なことが・・英国人は厳格だったけど、アメリカ人は容認できなかったんだね。一方で人々を焼き殺したりしていたのにね。


コッポラ:君がどうやって脚本を作り上げたかを話そう。初稿を書き上げた。今それを書いている最中とする。「プレイボーイ」のバニーガールは?


ミリアス:ああ、我々は・・ただ理論的に、このショーのアイデアは、セクシーな女の子たちが連れてこられ、明日をも知れぬ命の多くの男の前に提示され、男たちにはなくすものはない。彼女たちを取らない方法はない。この手のことはたくさん起こったに違いない。これは聞いた話ではない。聞いたのは皆、国から来た女の子を見て、すごく幸せだった、見るだけで気持ちがよくなったということ。だが、欲望はあっただろう。彼女たちはセイレーンだから。彼らが触らない、初めのヴァージョンが好きだ。セイレーンに触れたら、岩になるからね。


コッポラ:初めのヴァージョンで編集で抜いた場面だが、でも君の脚本にあったよね?


ミリアス:ああ、最初のヴァージョンにね。あれがなくなってほっとした。(中略)これが映画制作のおもしろさ、映画が作られ、我々はすべてをやった。多くのことをやった。(中略)ジョージは、『アルジェの戦い』のような映画にしようとしていた。でも、彼はすでに『スターウォーズ』が始まっていて、『アメリカン・グラフティ』もあった・・・





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by yomodalite | 2016-02-14 17:44 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

映画『スローターハウス5』

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急に寒くなって、ついに、本当に冬がきてしまったような日、ヴォネガットの作品をもう一度読んでみるときの参考になるかも。。と思って録画してあった作品を観た。

まったく期待なしで、見始めたのだけど、雪景色の中を、主人公のビリー・ピルグリムが駆けていくオープニングクレジットの場面で、グレン・グールドの「ゴルトベルク変奏曲」が流れて、一気に世界に吸い込まれる。

原作は、探せば文庫があるはず。というぐらいで、あまり覚えているとはいえないのだけど、映画は、小説の幾分ハチャメチャな展開に、明快な筋を通していて、こんな内容だったとは・・と思ってしまったのは、原作を読んだ頃、この映画の背景とか、作者の気持ちとか、聖書の知識とか、まるでわかっていなかったからなんでしょう。

十代の頃に読んだ海外小説って、つくづく、そういうことが多い。

とても1972年の映画とは思えないほど、まったく古びてなくて、今の映画にはない新鮮な感覚もあって、とにかく、ものすごくよく出来た映画だなぁ・・と思って、監督のことを調べてみたら、『スティング』とか、『ガープの世界』を撮ったジョージ・ロイ・ヒル監督でした(汗)

グールドの「ゴルトベルク変奏曲」は、オープニングだけでなく、何度かかかるのだけど、この予告編の音で、いつ録音されたものかわかる人ーーーー!!


(1:00〜から
ちなみに、この「予告編」の映像は本編の良さを全然生かしてない)




ドレスデン爆撃についても、まったく考えたことなかったけど、ゴルドベルグが使われたのも、そのあたりに関係あるのかなぁ。。







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by yomodalite | 2015-12-18 08:34 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(4)

映画『007 スペクター』

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しばらく前に、WOWOWの無料放送で『ディファイアンス』という、第二次世界大戦時、ユダヤ人狩りが始まったベラルーシで、ナチス親衛隊と地元警察に両親を殺され、森へと逃げ込んだ兄弟たちが、逃げてくる同胞のユダヤ人たちを次々に受け入れ、食料や武器を調達しながら共同体を築いていくという映画を観ました。

これまでの強制収容所でのユダヤ人=被害者という描き方ではなく、殺された両親の復讐を果たし、食料を調達するための山賊まがいの行動や、武器を調達して応戦するなどの末、終戦時には1200人もの同胞を救ったと言われる共同体のリーダー役を、ダニエル・クレイグが演じていて、それが、ジェームズ・ボンド役のタキシード姿よりも、ずっとハマっているように見えて、ようやく、クレイグの魅力に気づいたのですが、

気づいたといえば、「HIStory ティーザー」の検証で、ゴルバチョフ政権の前夜を描いた『レッド・オクトーバーを追え』を見ていて、CIAとソ連の原子力潜水艦の艦長が、お互いの考えを理解できたのは、「冷戦時代」だったからで、チェスの試合のように、先を読みあう展開に、今の映画のような残忍な殺し合いがなくていいなぁ・・・なんて思っているうちに、

そういえば、『レッド・オクトーバーを追え』は、艦長と同じくショーン・コネリーが演じた『007 ロシアから愛をこめて』(From Russia with Love)に対する、CIAの意趣返しだったことにも気づいて、

『007』シリーズの有名作品のことを、おしゃれなスパイ映画以上に考えたことがなかったんですけど、歴史についても、「HIStory」についても、思いを巡らすことの多い今日この頃、ようやく、その時代のスパイ映画がなにを描いていたのかが少しわかってきたというか、

それで、ショーン・コネリーのジェームズ・ボンドが、米ソ二国時代のスパイだったことを考えていたら、どうして、ダニエル・クレイグが、ジェームズ・ボンドに選ばれたのか、という理由もわかってきて・・

クレイグのボンド1作目は2006年、第二次チェチェン紛争の最中、プーチンが再選されて、ロシア軍がテロリスト掃討のために、チェチェンへの空爆を開始した頃だったんですね。で、、そんなことを思い出したら、特に観に行くつもりじゃなかった『007』の新作が、気になってきて・・今まで気がつかなかったなんて、私だけかも・・なんだけど、

ダニエル・クレイグって、最初から「プーチン」をイメージして、ボンド役に選ばれていたんですね。

金髪に青い目という、今までのボンドのイメージを覆しても、彼が選ばれたのは・・・ということを確認しに行ったんですが、やっぱり『英国から(プーチン)に愛をこめて』みたいな内容で・・

初めて『007』シリーズをリアルに感じることができました。

あーーー、私も大人になったなぁ…(って、自分いくつやねんw)







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by yomodalite | 2015-12-14 08:14 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

映画『放浪の画家 ピロスマニ』

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『FOUJITA』が始まる前にやっていた予告編で観たくなった映画。今回の上映は、1969年の映画をデジタルリマスターしたもの。


☆続きを読む!!!
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by yomodalite | 2015-12-09 17:18 | 映画・マンガ・TV | Trackback | Comments(0)

旧「読書日記と着物あれこれ」。歴史/文学/お笑いを好み、着物生活をしていたはずが、いつしかマイケルジャクソンのように本を読もうになってしまったブログ。永年暮らした東京を離れ、現在は大阪を満喫中。


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